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8 特集 | November 2014 OISCA ODA60 ODAODAODA1954ODA80 10 200052560 ODA70 ODA20 日本で唯一の国際協力専門誌『国際開発ジャーナル』の初刊は1967年。 発刊元の国際開発ジャーナル社で40年以上にわたり 代表取締役および編集長を務めてきた主幹の荒木光弥氏は、 本年実施された「ODA大綱見直しに関する有識者懇談会」のメンバーでもある。 国際協力60年の歴史を振り返るとともに、 これから日本が歩むべき国際貢献、 またオイスカはそこでどのような役割を果たせるのかお話しいただいた。 インタビュー:河野善彦(オイスカ参事) 20022000199819961994199219901988198619841982198019781976197419721970196819661964196219601958195620,000 24,000 28,000 32,000 16,000 12,000 8,000 4,000 0 20042006200820102012主要国ODAの推移 (支出純額ベース) 米国 日本 フランス ドイツ 英国 (百万ドル) 参考/外務省「DAC主要国のODA実績の推移」

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8特集 | November 2014 OISCA

―今年は政府開発援助(ODA)

が始まって60年の節目の年ですが、

今日までのODAあるいは国際協力

をどのようにご覧になっていますか

 

有為転変というか山あり谷ありで

したね。国民の税金に依存している

日本のODAは日本経済と共に歩ん

できましたから、正比例して浮き沈

みしてきました。コロンボ・プラン

に加盟してODAが始まった195

4年からはずっと谷間の底でした。

日本経済の上昇とともにODAも80

年代の末あたりから世界のトップに

なりました。その後10年ぐらいの間、

日本は世界一の援助国になるわけで

す。ところが、2000年代の初め

あたりから一気に下降してしまい、

今は世界の中で5番目です。総支出

額だと今でも2位あたりですが、円

借款の返済分を差し引いた支出純額

で計算すると5位ということです。

 

60年の歴史の中で、〝援助思想〞も

変化してきています。初期の段階は

やっぱり国益重視です。そもそもコ

ロンボ・プランに加盟し、国際社会

に復帰すること自体が当時の第一級

の国益でした。日本は戦後の復興、

経済成長を遂げなければならない中、

ODAは、当時は経済協力といって

いましたが、国益重点で輸出振興政

策に組み込まれていました。しかし、

70年代の後半から、外貨準備高が伸

びてくると世界中からバッシングを

受けるようになる。ODAはトップ

への道をどんどん歩むんだけど、ひ

も付き援助(タイド)だと非難され、

〝輸出して儲けちゃいかん〞と批判さ

れるようになってきた。タイド=悪

/アンタイド=善、あるいは国益=

悪・邪道/国際益=善という対比で

す。我々は国益を口にしようものな

ら四方八方から批判されました。国

際益中心時代が20年ぐらい続く間、

学者や研究者を含めた多くの人の中

に、国際益論に立った純粋な開発論、

〝相手の国づくりにすべて捧げる〞と

いった開発哲学が登場するんです。

その中で育った人たちが 

国際協力

日本が果たす国際貢献のかたち

インタビュー

日本で唯一の国際協力専門誌『国際開発ジャーナル』の初刊は1967年。発刊元の国際開発ジャーナル社で40年以上にわたり代表取締役および編集長を務めてきた主幹の荒木光弥氏は、本年実施された「ODA大綱見直しに関する有識者懇談会」のメンバーでもある。国際協力60年の歴史を振り返るとともに、これから日本が歩むべき国際貢献、またオイスカはそこでどのような役割を果たせるのかお話しいただいた。                             インタビュー : 河野善彦(オイスカ参事)

㈱国際開発ジャーナル社 

代表取締役・主幹 

荒木光弥氏

2002

2000

1998

1996

1994

1992

1990

1988

1986

1984

1982

1980

1978

1976

1974

1972

1970

1968

1966

1964

1962

1960

1958

1956

20,000

24,000

28,000

32,000

16,000

12,000

8,000

4,000

02004

2006

2008

2010

2012

主要国ODAの推移(支出純額ベース)

米国日本フランスドイツ英国

(百万ドル)

(年)

参考/外務省「DAC主要国のODA実績の推移」

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9 November 2014 OISCA | 特集

機構(JICA)や役所に入って、

官庁の政策立案に携われば外務省と

いえども影響を受けてしまう。援助

思想から国益が封殺されてきたとい

うのが、振り返ってみての意見です。

―そうですね。思想的に国益が排

除されてきましたが、安倍政権発足

後は見直されていると感じます。〝国

益〞あるいは〝互恵的な経済協力〞

に戻ってきたように思うのですが

 

国益の変遷というのがあります。

国益の価値観が、国際協力スタート

当時の50年代、あるいは70年代と今

日とでは本質が違ってきています。

第二次世界大戦後、日本自身が食う

や食わずの状態から立ち上がらなけ

れば国民生活や経済が安定しない状

況の中で一所懸命、周辺国・アジア

諸国との友好促進あるいは信頼回復

を目指す必要があった。そのために

は相手国の発展に貢献することが大

切だったわけですが、それがまた日

本自身の国づくりにもつながってい

った時代です。かつて私は、国際協

力は100%国益といっていました

が、今日は河野さんが互恵的と表現

されたように50/50(フィフティフ

ィフティ)。win―winのODA

あるいは国際協力というものが一つ

の新しい思想、援助の価値観として

定着しつつあると思います。

―ODAに関するある研究結果に

よれば、岸(信介)さんと池田(勇

人)さん、下村(治)さんと大来(佐

武郎)さんといった人たちは、政治

的立場や政策論ではお互いに意見が

異なる指導者であったにもかかわら

ず、アジア諸国に対する国際協力に

関しては、〝相手の発展のために尽く

しながら日本の利益を追求する〞と

いう共通の認識を持っていたとのこ

とです。昔からそういった考えの下

で進められていたのかと、あらため

て感心しました

 

昔は政治的なスタンスが明確でし

た。70年代には福田ドクトリンがあ

りますね。当時は日本企業が積極的

にアジアに進出していて、日本商品

が洪水のように流れ込んでいた。ア

ジアの国々からは伝統や価値観を崩

されるんじゃないかと反発があって

タイやインドネシアで大暴動が起き

ました。日本が経済成長を遂げると、

アジア各国は昔のことを思い出して

日本が軍事大国になるんじゃないか

と懸念を抱き出したんです。それで、

当時首相をしていた福田赳夫さんが

出かけていって、日本は経済大国に

なっても軍事大国にならないと声明

を発表したのが福田ドクトリンです

ね。これによってアジアに安堵感が

流れ、シンガポールのリー・クアン

ユー首相はじめ、東南アジア諸国連

合(ASEAN)のリーダーたちに

も、そういう日本ならば応援しても

らってASEANの結束を固いもの

にしたいとの思いが広がった。

当時

の為政者、政治家たちはちゃんと考

えてODAを外交の手段としていた

し、我々国民の目にもはっきりと見

えていたのが、その後見えなくなっ

てきました。

 

ただ政権交代後、安倍晋三首相が

世界中をまわって各国に日本の意思

を伝えているのはとても重要なこと

です。

その流れの中でODAを外交

政策的に使ってきていると思います。

―ODAの位置付けが明確になっ

てきたということでしょうか

 

そうですね。明確になりつつあっ

て、その最後の一押しがODA大綱

の見直しです。位置付けを明確にす

るには、まず外交の手段であるとい

うことを再確認するのが第一点。そ

れがなければ国民の支持が得られな

い。さらにいくつかイノベーション

があるんですが、一つ目は、〝貧困削

減〞というキーワードの見直し。国

連ミレニアム開発目標(MDGs)

の目玉としても挙げられているし、

多くの人が貧困に喘いでいるのは事

実です。見直しのポイントは1日1

ドル以下で生活している〝人〞を何

とかするという協力ではなく、正し

い成長のプロセスを踏んだ〝国づく

り〞に協力するということです。貧

しい人たちのところにも富が配分さ

れるような政策を伴った経済成長を

考え、サポートするのがODAでは

ないかと。貧しい人たちの立場に立

った、貧困削減一辺倒からの脱却を

図る必要があるのです。成長の中で

取りこぼされる人を出さないという

ことですから、国の正しい成長を支

援するのは貧困削減を目指すのと方

向は同じです。

ODAの形態

外務省ウェブサイトより

政府開発援助(ODA)

二国間援助

国際機関を通じた

援助(多国間援助)

贈与

政府貸付

有償資金協力(円借款)

無償資金

協力

技術協力

一般プロジェクト無償/日本NGO連携無償/緊急無償/一般文化無償/草の根・人間の安全保障無償など

研修員受入/技術協力専門家派遣/開発計画調査型技術協力/青年海外協力隊派遣/シニア海外ボランティア派遣など

プロジェクト借款/ノン・プロジェクト借款

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10特集 | November 2014 OISCA

サトレップス:地球規模課題対応国際科学技術協力プロ

グラム/Science and Technology Research Partnership for

Sustainable Developm

ent

上:フィリピンのマルコス大統領を表敬下:ベトナムのチャン・バン・ラム上院議長を表敬

 高度経済成長の道を歩む日本に対するアジア諸国の正しい理解を促すため、オイスカの創立者・中野與之助初代総裁は1960年代、精力的にアジア各国を歴訪。中野良子現総裁も初代総裁の遺志を引き継ぎ70年代にアジアの10ヵ国以上を巡った。当時の面会記録には首相や大統領の名前が並んでいる。 民間の立場で日本の国益を考えたオイスカ流の外交が行われていたことが分かる。

写真で見る

 

二つ目は日本の国益を考えた時に、

世界がどうなっていくのかという大

局観が必要になってきていることを

認識しなければならないという点。

新興国BRICsが登場して世界を

二分するような時代になりつつあっ

て、国際協力も恐らくDACと非D

ACとに分かれると思う。これに応

じて我々も援助思想のよりどころを

変えなければならない。これは世界

的な問題で、国際通貨基金(IMF)、

世界銀行(WB)、アジア開発銀行(A

DB)をどうするかにも関わる大改

造です。

 

三番目が旧価値観から新しい価値

観への転換。旧価値観は政府依存型。

日本のODAは政府予算、つまり国

民の税金で全部実施していくという

もの。これからの価値観は官民連携

です。ODAスタート当時から今ま

では、民といえば企業の経済活動に

絞ってきた感があるけれど、新しい

価値観では、地方自治体や大学、そ

れからNGO/NPOグループ、あ

るいは農協や商工会議所のように一

つの役割を持った組織との連携が重

要となってくる。今、政府は大学と

の共同研究によって新しい技術の世

界を構築すべくサトレップスをやっ

ています。これは地球環境にやさし

い技術理論の開発を目指すもので、

毎年共同研究費用を出して何十ヵ国

というアジアやアフリカの途上国と

連携しています。ODAスタート当

時とは違った官民の連携を図り、そ

れによって実現する国益も当時とは

違う、いってみれば高度化されたも

のになるかもしれない。

 

また、ASEANとの連携強化を

図ってサトレップスのような取り組

みを実施していくために第四のイノ

ベーションがあるわけですが、私が

提言したのは、ODA卒業国論の撤

廃です。例えばシンガポールと組ん

で科学技術的な研究をするかもしれ

ない。あるいは中国とも一緒にやる

かもしれない。私の本音はアジア外

交の強化が根っこにあるんです。今

までの貧困削減が中心の援助だと、

すぐに連想するのはアフリカなんで

すね。貧しいところに集中投入する

という政策に偏っていた。もちろん

アフリカへの支援もしますが、アジ

ア外交、近隣外交で足元を固めると

いう我々の立場を明確にしたかった。

地政学的な観点からやるべきことが

できていないという不安から出発し

て、既存の途上国援助論から脱皮す

る意味でのODA卒業国論の撤廃に

なったわけです。

―今回の大綱の見直し案は主張が

明快ですね。一般市民が読んでも分

かりやすい案になっていて我が意を

得たりという気がしています。また

従来〝ODA大綱〞だったものを〝開

発協力大綱〞と名称変更したことも

意味深長だと思います

 

ありがとうございます。名称変更

については今までのような政府依存

型ではなく、ODAを国民運動化し

た感じでしょうか。政府もお金を出

すけど民間も能力やお金があれば一

緒にやっていきましょうと。NGO

がやっている現場の活動も日本の外

交政策に沿っていればODAと連携

すればいいんです。最初からの連携

もあれば、NGOが独自でやってい

たものを政府が追認しながらバック

アップしていく手もあると思います。

―過去の動向や今後の方向性を踏

まえ、日本が果たす役割はどういう

ものでしょうか

 

ミャンマーの事例を挙げましょう。

外務省が行うプロジェクトの適正化

調査や審査をする会議では、私はい

つも、日本がODAの中で果たすべ

きことは民族の統合だと強調してい

ます。多くの民族が統合するプロセ

スに日本人がどれだけ貢献できるか

が、ミャンマーに残す大きな歴史的

な足跡のひとつになると。今は企業

の投資が増えているけど、ODAは

それにかまってばかりいないで、目

線を地方に向けて少数民族対策をし

なさいと。ミャンマーの中の統合を

図ることに日本が貢献したらミャン

マーの教科書に永遠に書かれるほど

の大きな役割を果たすことになる。

1960~70年代 オイスカの外交

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▼購読申し込みはこちらからhttp://www.fujisan.co.jp/product/1281679908/

11 November 2014 OISCA | 特集

独立以降の歴史の中で民族の問題を抱えるミャンマー。オイスカの研修センターでは、さまざまな部族の研修生が集い、寝食を共にしながら互いに高め合う姿が見られる

国際協力に携わる人は必ず読んでいる専門誌。

オイスカ本部事務所でもバックナンバーを揃え

ています。国際情勢を把握したい方、国際協力

に関心のある方には購読をおススメします!

国際開発ジャーナルについて

それくらいの戦略性が求められる。

だからODAとしても地方開発のプ

ログラムを進めるべきで、道路もで

きるだけ地方から中央への流れがで

きるようにつくって、物と人、知識

などの交流にもつながって、閉ざさ

れた社会をオープンにしていくこと

が必要。ところが、地方ではオイス

カが先に活動しているし、日本財団

も小学校建設をやっている。地べた

をはうようにNGOが地方でやって

いることが、だんだんボディブロー

みたいに効いてきて、地ならしがで

きているところでODAが一押しす

るという構図です。いきなりODA

がバンってやるんじゃなくて。我々

は戦略的な国益を頭に入れながら

ODAをやっている。オイスカは先

駆的な役割を果たしていますが、

地で活動している方々の仕事の先は、

民族の統合につながっているんだと

いう、戦略に対する認識を高めてい

くことで励みも違うと思います。

―荒木さんには、当法人の評議員

に就任いただいていますし、お付き

合いも40年近いと思いますが、オイ

スカをつぶさに見てこられた荒木さ

んからアドバイスがあればお願いし

ます

 

私はオイスカが進んできた道は正

しかったと思っています。農村社会、

農業を見てきたという点。人間が生

きていくために必要不可欠な食料と

水をちゃんと押さえてやっている。

 

日本は今や世界有数の農業国家と

ならんとしています。農林水産省は

グローバル・フードバリューチェー

ンで、日本の農産品に付加価値を付

けてアジアに売っていこうとしてい

る。恐らく新しいODAの農業開発

論が出てくると思うんです。従来の

ODAの枠組みの中では生産したも

のを放置していた。技術支援によっ

て生産性が向上しても、それが農民

にとって現金収入にならない限り、

いつまでも自分の子どもを大学に行

かせることができず、農村は貧困に

固定したままになるんです。子ども

たちが教育を受けて、次の新しい農

村開発に向かう人材にならなければ

農村を引き上げていけないでしょう。

それをODAでは疎かにしてきた。

だから新しいODAでは、官で生産

性を向上させて、民で流通に乗せて

外に売っていく連携を図るというの

が目玉のひとつ。農業開発を側面か

ら有効ならしめるための官民連携で

す。

 

オイスカは民間団体だけど、企業

と連携したらいい。オイスカの協力

で生産できるようになった農産品を、

企業が流通に乗せて、彼らの収入を

増やす。息子さんたちが大学に行け

るようになって農村が発展するよう

になれば、かなり高度な協力になる

でしょう。農村はいつまでも50年前

と同じであるはずがない。農村の進

化を見ながら協力体制も進化しなけ

ればならないのです。協力のレベル

を上げるには大きな方針を立てなけ

ればならないんだけど、基盤はでき

ているので、ちょっとした発想の転

換で違ったオイスカの将来が出てき

ますよ。私がこの世界に入った時は

事業体の国際協力NGOはオイスカ

だけだった。オイスカは先見の明を

持ってやってきたわけですから、己

のやってきたことをレビューして、

アジアの農村の進化を認識しながら

前に進んでほしい。

 

でも、オイスカはちゃんとできて

いますよ。フィリピンの養蚕がそう

でしょう。繭を生産するだけではな

く生糸にして、さらに機織りの技術

まで指導して製品化して販売する方

向にもっていっている。それが最大

のレベルアップです。養蚕プロジェ

クトはJICAの草の根技術協力を

活用していますね。これからもOD

A大綱にある流れをうまく活用して、

自分の団体の政策化を図っていった

らどうでしょうか。遠慮しないで政

府の政策をうまく活用してオイスカ

のアジアにおける功績をさらに高め

て、新しいかたちをつくってほしい。

最後の仕上げかもしれませんね。

―着眼点は正しかったということ

と同時に新しい動向を踏まえ、それ

を反映し強力に進化していく必要が

あるということですね。今日はどう

もありがとうございました