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医学教育における反転授業トライアル
医学教育における反転授業トライアル
西 屋 克 己(医学部医学教育学講座准教授)
住 谷 和 則(医学部医学教育学講座教務職員)
岡 田 宏 基(医学部医学教育学講座教授)
1.はじめに
従来型の講義形態は、講義で教員が学生に基礎的知識を提供し、自宅で演習や復習などを通して知
識の定着をはかっていた。2007 年頃から米国の高等学校において、講義内容を 15 分程度にまとめた
ネットワーク上の動画教材を予習課題とし、従来宿題となっていた演習などの応用課題を講義におい
て生徒と教員が対話的に学ぶブレンド型講義形態(Flipped classroom:反転授業)が開発され普及して
きた。Flipped:反転とは、「教室での学習」と「自宅での学習」の順序が逆転していることを意味する。
この講義形態により生徒は事前に能動的に学習し、予習してきた知識を授業で活性化することができ
学習成果をあげている。この講義形態は大学教育にも導入され始め、医学部においては 2011 年より
米国スタンフォード大学が反転授業を導入し成果を挙げ始めている(Prober, CG., 2012, 1657-1659)。
日本においては 2012 年以降、小学校や高等学校においても反転授業が導入され始めた。大学教育に
おいても反転授業が導入されている事例が散見される。今回、医学科の学部教育において反転授業を
導入した講義を行ったので、その導入過程、学生のアンケート結果そして今後の展望について検討し
たい。
2.反転授業の歴史
2000 年に Maureen らによりはじめて反転授業の原型に関する論文が発表された(Maureen, JL.,
2000, 30-43)。その後、2007 年頃より米国の高等学校で反転授業が導入され、その内容は 2012 年に
Jonathan らによって教科書にまとめられている(Jonathan, B., 2012)。医学教育においては、2012 年
に NEJM 誌に Prober らが「講義のない教室」と題する論策を発表し反転授業を紹介している(Prober,
CG., 2012, 1657-1659)。また、この論策の中でスタンフォード大学医学部の生化学の授業において、
2000 ・Maureen, JL., Glenn, JP., & Michael T : Inverting the Classroom : A Gateway to Creating an Inclusive Learning Environment
2007 ・米国の高等学校で反転授業が導入され始める
2011 ・Yamauchi が “Flipped classroom” を 「反転授業」 と意訳
2012 ・Jonathan, B., & Aaron, S : Flip your Classroom・Prober, CG., & Heath, C : Lecture Halls without Lectures-A Proposal for Medical Education ・日本の小学校、高等学校で反転授業が導入され始める
図1 反転授業の歴史
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香 川 大 学 教 育 研 究
反転授業を導入したところ、授業の出席率が 30%から 80%に増加したことが報告されている。2013
年には、世界最大の医学教育学会である欧州医学教育学会(AMEE)において反転授業に関するワー
クショップや発表が行われた。我が国においては、2011 年には Yamauchi によって Flipped classroom
が「反転授業」と意訳された。2012 年ごろから小学校や高等学校において反転授業が導入され始めて
いる。大学教育においても反転授業が導入され始めているようであるが、文献的にはほとんど報告は
ない。
3.反転授業とは
反転授業とは、従来講義で行っていた知識の伝達を、15 分程度にまとめられたネットワーク上の動
画教材で行い、対面講義においては、予習してきた知識を活用して、教員とともに演習や討論、症例
検討などを通して、知識の活性化を行う講義形態のことである(図2)。従来型の講義では、講義で
学んだことを自宅で宿題や復習として知識の定着をはかっていたが、反転授業では、自宅で予習して
きた知識を講義で活性化、定着することになり、これが“反転”の所以である。したがって、講義に
おける教員の役割は、従来型の講義では知識の伝達者であり「教壇上の賢人」であったが、反転授業
では学生とともに双方向の討論、演習をおこなう「学生に寄り添う案内人」となる。また、教員は、
必要最小限の知識をコンパクトにまとめたネットワーク上の動画教材を作成しなければならない。
4.反転授業の実際
筆者は医学科5年生の「医療管理学・診断学」の授業のうち、1コマ(75 分)に反転授業を導入した。
出席者は 87 名(出席率 92%)であった。その内容は「出血傾向」であり、予習用インターネット教
材として、出血傾向に関する基礎知識を 15 分程度の動画にまとめた。医学部には動画配信システム
(Ub!Point:富士通)が整備されており、簡単に動画教材を作成、サーバーへのアップロードが可能で
ある。(図3)学生はネットワークの整備された環境であれば、自宅など学外においても動画を視聴
図2 反転授業の実際
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できる。対面講義では、10 分程度、動画内容の復習をおこない、残りの 65 分で出血傾向に関する実
際の症例を通じて、双方向型の講義をおこない、予習してきた知識の活性化をはかる(図4)。
5.学生アンケート
今回の反転授業を導入した講義に関する学生アンケートをおこなった。授業に出席した学生の回答
率は 100%である。その結果は以下の通りである。(図5)
図3 反転授業の予習用教材
A このサイトより様々な教材をネットワークにおいて視聴できる。B 実際の出血傾向の予習用教材の画面。教員とパワーポイントの内容が画面に提示される。
図4 対面型の講義の実際
A 予習用動画の復習(10 分) B 実症例検討(65 分)
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6.考察
学習方略と知識の定着を示した Dale の経験の円錐モデル(図6)によると(Dale, E., 1969)、従来
型の講義形態では知識の定着が悪いことが理解できる。大学における学生の学習には、「自己主導型
学習」の導入が必要であり、教育方略も自己主導型学習へと導くものでなければならない(Candy,
PC., 1991)。渡辺(2007, 151-160 頁)によると、自己主導型学習では、学習者自身が学習のプロセ
スに能動的に参加することが期待され、学習者が他の学習者や教員と話し合いながら、自らの学習の
方向性を定め、それに基づいて学習活動に取り組んでいく。従来型講義の問題点を改善するために、
医学部において PBL:Problem-based learning や TBL:Team-based learning などが導入され、自己主導
型学習を目指した学生中心の授業形態が展開されている。しかし、PBL ではチューターとなる教員の
確保や質の問題などが指摘されている。反転授業では、1人の教員が予習動画教材を作成し、対面型
講義では演習や症例検討などで対話型講義を行うため、その形態に慣れれば教員の負担はそれほど大
きくなく授業を行うことができる。また、学生はあらかじめ予習用動画で基本知識を学習するため、
学習へのレディネス(学習を行うにあたり準備が整っている状態)が形成され、講義がアクティブ・ラー
ニングとなり知識の活性化が可能となる。トライアルにおける学生のアンケートにおいても、自己の
知識の活性化を自覚し、今後の授業への反転授業の導入を希望する結果となった。限られた人的資源
の中で、効率よく自己主導型学習を導入するためには、反転授業は効果的な授業形態であると考える。
従来型の講義では、学生は講義の予習はほとんど行わず講義に参加し、講義において教員は「知識
の伝達者」として大量の情報を学生に提供する。講義の復習をする学生は少なく、試験前の詰め込み
型学習で知識の獲得を行っている。実際、京都大学における学部学生の講義時間以外の自習時間は極
1、予習動画を視聴しましたか。
はい 67% いいえ 33%
2、予習動画はどこで見ましたか。
自宅 31% 大学 69%
3、予習動画の時間は適切でしたか。
長い 9% ちょうどいい 91%
4、予習動画の難易度はどうでしたか。
ちょうどいい 93% 易しい 7%
5、予習動画は分かり易かったですか。
わかりやすい 66% 普通 34%
6、講義において予習してきた知識が活性化し応用力がついたと思いますか。
とても思う 28% やや思う 69% あまり思わない 3%
7、予習動画で基礎知識を身につけ講義で知識の活性化を目指す授業スタイルは今後の大学の講
義形式にどの程度取り入れた方が良いと思いますか。
10 割 9% 7割5分 29% 5割 45% 2割5分 16%
図5 反転授業を導入した講義に関する学生アンケートの結果
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めて少ないことが指摘されている(京都大学 FD 研究検討委員会・高等教育研究開発推進センター ,
2013)。授業時間以外での自主学習の促しとしても反転授業はその導入となる。
反転授業を導入する上での問題点は、大きく分けて教員に関するものと、設備などハードに関する
ものがある。反転授業では学生の予習用動画教材を作成しなければならない。これは、基本知識を 15
分間程度にまとめたものであるが、いかに簡潔にこの教材をまとめるかがポイントとなる。医学部に
おいてはパワーポイントによる講義が主流である。この講義形態では、とかく大量の知識をパワーポ
イントに詰め込みがちとなる。いかにポイントとなる知識を絞り込み教材に入れこむかが重要である。
しかし、一度教材を作成してしまえば、マイナーチェンジのみで繰り返し使用することが可能である。
また、対面型講義においては、演習や症例検討などを中心とした双方向型の講義が必要となる。臨床
医学においては、症例ベースで知識を獲得していくことが、学生の知識を活性化し印象に残るものと
なる。双方向型講義は最初は戸惑うかもしれないが、アンサーバッドを導入したり、対話型で講義を
進行したり工夫次第で充実した講義を展開できる。ハード面に関しては、動画教材の作成やネットワー
ク上へのアップロードの問題、動画視聴環境の問題がある。香川大学医学部では、動画作成ソフトや
作成した動画が簡単にサーバーにアップロードできるシステムが整備されているため、教員が無理な
く動画教材の作成やネットワーク上へアップロードができる。近年、e- ラーニングが各大学に普及し
ており、同様のシステムを導入している大学は多数あり、また Moodle を使用すれば、多額の費用を
投入することなく、動画配信システムを構築することが可能である(吉川 , 2012, 105 − 115 頁)。米
国では、YouTube に予習用動画をアップロードしている例もあるが、セキュリティーの問題もあり議
論のあるところである。動画視聴環境に関しては、現在の医学部のシステムではネットワークにつな
がった Windows コンピューターでしか動画を視聴できない。学生のアンケートにおいても、Mac のコ
ンピューター、タブレット端末、スマートフォンなどで動画を視聴したいという意見が多数みられた。
今後、様々な OS で動画が視聴できるようにシステムをアップグレードする必要がある。また、スマー
トフォンでも視聴できるような動画教材の開発も検討する必要がある。
7.おわりに
学習へのレディネスを高め自己主導型学習を導入するためには、小児教育スタイルが身についてい
る現代の学生に対しては、大学教育における様々な介入が必要となる。そのなかで ICT:Information
図6 Dale の経験の円錐モデル(原図を改変)
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香 川 大 学 教 育 研 究
and Communication Technology を活用した反転授業の導入による講義形態は現代の学生のライフスタ
イルに適応した新しい学習方略であり、自己主導型学習の導入となり得るものであると考える。また、
多くの知識の習得が必要な医学教育においては、反転授業は効率よく知識を習得する学習方略となり
得る。また、今後反転授業の事例を集積して、その理論的背景の構築を行っていかなければならない。
参考文献
京都大学 FD 研究検討委員会・高等教育研究開発推進センター(2013)『京都大学 自学自習等学生
の学習生活実態調査 報告書』。
吉川千鶴子・中嶋恵美子・須崎しのぶ・山下千波・川口賀津子(2012)「看護技術教育のブレンディッ
ドラーニングにおける e ラーニングシステム活用に関する研究」日本看護研究学会編『日本看護研
究学会雑誌』第 35 巻5号、105 - 115 頁。
渡邉洋子(2007)「成人教育学の基本原理と提起-職業人教育への示唆-」日本医学教育学会編『医
学教育』第 38 巻3号、151 - 160 頁。
Candy, PC. (1991). Self-Direction for Lifelong Learning. A comprehensive Guide to theory and Practice. San
Francisco: Jossey-Bass.
Dale, E. (1969). Audiovisual methods in teaching, third edition. New York: The Dryden Press.
Jonathan, B., & Aaron, S. (2012). Flip Your Classroom: Reach Every Student in Every Class Every Day. U.S.:
International Society for Technology in Education.
Maureen, JL., Glenn, JP., & Michael T. (2000). Inverting the Classroom: A gateway to Creating an Inclusive
Learning Environment. Journal of Economic Education, Winter, 30-43.
Prober, CG., & Heath, C. (2012). Lecture halls without lectures-a proposal for medical education. The New
England Journal of Medicine, 366, 1657-1659.