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Hitotsubashi University Repository
Title ヴィクトリア朝の宗教と社会
Author(s) 山田, 泰司
Citation 一橋論叢, 82(4): 375-391
Issue Date 1979-10-01
Type Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL http://doi.org/10.15057/11593
Right
メ
イ
、
り
.
.
∵帝
〆
.
。
叫
材イ
り
、
-1
.
←
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
宗教と
社会
い
まや
陽気な
者は
い
な
く
な
り
ま
した
、
み
な
信心
深
くな
り
ま
し
て。
1メ
ル
ポ
ー
ン
卿よ
り
ヴィ
ク
ト
リ
ア
女
王へ
(
一
八
三
七
年)
( 1 7 ) ゲ ィ ク■† リ ア 朝 の 宗教 と社 会
従
来の
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝観に
修正
を
加え
る
必
要をと
な
え
た
キ
ッ
ト
ス
ン
・
ク
ラ
ー
ク
は、
一
九
六
〇
年の
オ
ッ
タ
フ
ォ
ー
ド
大学に
お
ける
フ
ォ
ー
ド
講演
『
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝
英国の
形
成』
の
中で
、
実際
、
十
九
世
紀に
つ
い
て、
十七
世
紀と
、
お
そ
ら
く
は一
二
世
紀を
除い
て、
た
ぶ
ん、
他の
どの
世
紀に
お
い
て
も、
宗教の
要求が
、
国民
生
活の
中で
、
か
く
も
大き
な
部分を
占めた
こ
と
は
な
かっ
た
し、
また
、
人々
が、
宗教の
名に
お
い
て
語る
こ
と
で、
か
く
も
大き
な
力を
行使し
た
こ
とほ
山
田
泰
司
(
l)
なか
っ
た、
と
言っ
て
も
過
言で
は
ない
で
あ
ろ
う。
と
語っ
て
い
る。
また
、
同じ
講演の
他の
箇所で
ク
ラ
ー
ク
は、
社
会の
全
階層
を
動か
した
原動力の
び
とつ
は、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
信仰復興
で
あ
っ
た、
と
言い
、
十
八
世紀
後期以
降、
著し
く
勢い
を
得た
福音主
義運動と
、
そ
の
数十
年後に
、
キ
ー
プ
ル、
ニ
ュ
ー
マ
ン
らが
主
唱した
オ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運動
(
一
八三
三)
と
を、
二
つ
の
主
要な
宗教的勢力と
して
挙げ
て
い
る。
し
か
し、
.こ
れ
ら二
つ
の
運
動ほ
、
ひ
と
しく
英国教会内に
耶
一 橋論叢 第八 十 二 巷 第 四 号 ( 1 含)
起こ
っ
た
運動で
あ
り
なが
ら、
そ
の
起原
、
性椿
、
影響に
お
い
て、
全く
異っ
た
も
の
で
あ
っ
た。
福音
主
義■
が、
お
もに
平
信徒向き
で、
し
ば
し
ば
反
教権的で
あっ
た
の
に
対
し
て、
オ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運動は
、
本質的に
教権的で
聖
職者向
きで
あっ
た。
福音主
義が
、
大
衆的
で、
と
きに
プ
ロ
レ
タ
リ
ア
的
で
さ
え
あ
り、
そ
の
指導者層ほ
、
社
会的に
多様な
階層か
ら
の
出身者で
、
そ
の
活
動力も
全
く
予
断を
許さ
ない
もの
で
あ
っ
た
の
に
対
して
、
オ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運
動は
、
構想
、
指導
者層と
も、
エ
リ
ー
ト
主
義で
あ
り、
福音
主
義運
動よ
り
も
い
っ
そ
う精密で
、
統制が
と
れ
て
い
て、
教会内の
組織制
度に
ょ
りと
ら
わ
れ
て
い
た。
社会的
、
政
治的視点か
ら、
福音
主
義運動の
ほ
うが
オ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運動よ
㌢
も、
は
る
か
に
重
要と
考え
られ
る
理
由は
、
オ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運
動の
影
響
力が
明
確で
強力で
あ
り
得て
も、
そ
れ
が
主と
し
て
国教会内
に
と
ど
まる
もの
で
あっ
た
の
に
対
して
、
奄音主
義が
国教会
内は
も
ち
ろ
ん、
お
よ
そ
宗教界を
超えて
、
外の
世
界に
向か
っ
て
強く
働きか
ける
大き
な
カ
を
備え
て
い
た
と
観察さ
れ
る
(
2)
か
ら
で
あ
る。
福音主
義運動は
、
安易な
理
神論の
と
りこ
に
なっ
て
い
た
摺3
宗教の
精神的
憐情と
情緒的冷た
さ
に
対
する
反
動と
して
、
十
八
世
紀英国
教会内に
興っ
た。
当
時、
有力な
宗派
は
自由
主
義派
(
L
賢一
t
已Fp
ユ巴-
S
)
で、
彼ら
は、
信仰を
心の
問題
と
して
よ
り
は、
頭の
問題と
して
扱い
、
教義上の
諸
問題に
頭を
悩ま
そ
うと
しは
しな
かっ
た。
チ
ャ
ー
ル
ズ一
世
また
ほ
二
世時
代の
偉大な
神学者た
ちの
説教や
論文に
反
映
さ
れ
て
い
る
十
七
世
紀の
宗
教的情熱を
、
不
体
裁な
「
熱狂+
(
e
ロt
F亡・
巴Pひ
ヨ)
と
して
斥け
、
魂の
抜け
た
教会に
な
り
果て
て
い
た
の
で
あ
る。
一
七
三
〇
年代の
終り
頃、
ウユ
ズ
レ
一
見
弟と
ジ
ョ
ー
ジ・
・
ホ
ワ
イ
ト
フ
ィ
ー
ル
ド
ら
は、
感情性と
個人の
魂の
救済と
を
特色と
する
信仰復活の
火
を
とも
した
。
クユ
ズ
レ
一
派が
、
主と
して
訴えた
の
は、
伝
統的に
上
流階級と
結び
付い
て
い
た
国教会が
顧み
な
かっ
た
労働者陪
叔に
対
して
で
あっ
た。
そ
の
間、
ウユ
ズ
レ
一
派
は、
名目
上は
、
国
教会内に
と
ど
ま
っ
て
い
たが
、
彼ら
自身も
、
また
、
大
部分の
国
教会信徒も
、
そ
うして
い
る
こ
と
に
満足して
い
ら
れ
な
かっ
た。
一
七
九
五
年、
兄ジ
ョ
ン
・
クユ
ズ
レ
ー
が
死ん
で
数年
後に
、
彼ら
は
正
式に
国教会か
ら
脱退
して
、
以
後、
.最大最
有力
な
非国教徒
ー
叫
軒
ト
.
やk
七
-
.』
町々
町
中
r
′
-
r
`
.
一
( 1 9 ) ゲ ィ グ ト せ ア 朝 の 宗教と 社 会
叫
J
,
。
鞍り
.ル
ー
団体を
形成
す
る
こ
とに
な
る。
国数会か
ら
離脱した
ウユ
ズ
レ
一
派
(
すな
わ
ちメ
ソ
ジ
ス
ト
た
ち)
の
情熱は
、
国教会
内に
あっ
て
個人の
救済へ
の
熱
情を
共に
し
なが
ら
も、
依然と
して
国教会の
形
式や
教義に
忠実で
あ
り
続けた
中
流階級の
人た
ちに
も
伝わっ
た。
し
た
がっ
て、
英国
教会福音主
義運
動は
、
旧い
組織内
部に
お
け
る
メ
ソ
ジ
ス
ト
精神の
鯉承で
あっ
た
と
言え
る。
こ
うして
、
「
福音
主
義的+
(
:
Hく
呂笥
-
訂r
-
:)
とい
う
語は
、
二
様に
適
用
さ
れ
る。
狭義で
は、
そ
れ
は、
国教内の
福音主
義者を
さ
し、
広義で
は、
国教内福音主
義者(
ヴィ
ク
ト
リ
ア
女王
時
代に
は、
彼ら
は
「
低教会
派+
(
:
rロ
弓
CF
亡r
O
F:
)
と
呼ば
れ
る
よ
うに
なっ
た)
.か
ら、
ウェ
ズ
レ
一
派に
よ
っ
て
主
宰さ
れ
た
非国教徒諸
派に
い
た
る
プ
ロ
テ
ス
タ
ン
テ
ズ
ム
の
全
領域を
含む
意味で
用い
られ
る。
以
下、
特に
こ
と
わ
りの
ない
限
り、
広い・意味で
用い
る
こ
と
に
する
。
明
確に
宗教
的な
影響力と
して
は、
福音
主
義は
、
一
七
九
〇
年代か
ら一
八三
〇
年代の
問に
お
い
七最も
重
安で
あっ
た。
フ
ラ
ン
ス
に
お
ける
動乱は
、
宗教的無関心
、
理
神論的合理
主
義、
徹底した
無神論か
ら
発生
した
もの
と
信じ
、
そ
れ
ま
で
流行し
て
い.た
、
寛容な
、
し
ば
し
ば
弛
緩し滋心
的態度を
。
†
、
+
甘☆
V
。
∵・、
-
≠
-
棄て
て1
正
統的なヰ
リ
ス
ト
教に
復帰し
ょ
う
と
する
人が
多
くなっ
た。
国
教会内の
一
派
と
して
、
福音主
義者た
ちは
、
教義に
関して
自由主
義的な
見解を
もつ
一
派
で
ある
広教会
派運
動や
オ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運動に
対
し
て、
激しい
反
対の
声を
あ
げた
。
しか
し、
英国社
会史上
、
福音主
義が
主と
し
て
重
要で
あっ
た
の
は、
十
九
世
紀後半の
社
会に
与
え
た
道徳
的気風の
ゆえ
で
あっ
た。
福音主
義の
特徴を
示
す
道徳的基
準、
趣味
、
忌
避事項は
、
俗に
「
ヴィ
ク
ト
リ
アニ
ズ
ム
+
と
呼ばれ
る
も
の
の
痕跡と
して
、
今日
の
英国で
も
通
用
して
い
る。
〓
福音
主
義は
、
教
義の
細部や
形
式よ
り
も、
人
間い
か
に
生
き
る
ぺ
き
か、
とい
う
問題に
か
か
わ
り、
生
そ
の
も
の
の
た
め
の
生よ
り
は、
来世へ
の
準
備と
し
て
の
生
を
問題に
した
。
個
人の
魂の
救済こ
そ
が、
こ
の
世で
の
あ
ら
ゆる
活動の
ゴ
ー
ル
で
あ
り、
神の
恩寵こ
そ
が
救い
を
得る
た
めの
手
段と
見な
さ
れ
た。
日
常生
活の
一
挙一
動が
、
永遠の
生の
た
め
に
魂を
準
備する
の
に
重
要で
ある
と
考え
ら
れ、
こ
の
世で
の
あ
ら
ゆる
行為が
、
天国の
門で
清算を
する
際、
び
とつ
ひ
と
つ
秤に
か
∽
一 橋論叢′ 第八十 二 巷 第 四号 ( 2 0 )
け
ち
れ、
㌧
毎日
の一
瞬一
瞬が
宗教に
捧げ
ら
れ
るぺ
きで
あ
る、
上
見な
き・れ
た。
行動の
最
高の
指針は
聖
書で
あ
り、
そ
の
解
釈は
、
.全
く
字義通り
に
行わ
れ
るぺ
きも
の
と
さ
れ
た。
そ
れ
は、・
今月
か
ら
見れ
ば、
想
像も
で
き
ない
ほ
ど
窮屈き
わ
まる
生き
方で
あ
り、
苛酷な
戒律で
あっ
た。
.
福音主義者の
第一
世
代は
、
そ
の
多く
が、
ロ
ン
ド
ン
の
ク
ラ
ブ
パ
ム
共
用地
(
C-
p
pFP
m
CO
mmO
n)
周
辺
に
住
ん
で
い
.
た
わ
で
「
ク
ラ
ブ
パ
ム
・
セ
ク
ト+
と
あだ
名さ
れ
た
が、
彼ら
は、
時間と
、
し
ば
しば
相
当な
財産を
、
人々
を
宗
教に
向
わ
せ
る
た
め
の
善行に
あて
た。
公
的な
仕事で
、
最も
よ
く
知ら
れ七
い
る
彼ら
の
業績は
、
一
八
〇
六
年に
奴隷貿易を
止
めさ
せ、
一
八三
三
年に
、
すべ
て
の
英属領で
の
奴隷制を
廃
止さ
せ
る
こ
とに
成
功した
キ
ャ
ン
ペ
ー
ン
で
あ
っ
た。
しか
し、
奴隷制に
関する
彼らの
関心ほ
、
改革の
全
般的
プ
ロ
グ
うム
の
一
部で
ほ
なか
っ
た。
彼ら
は、
自分た
ちの
周
囲の
社
会を
変える
努力を
し
な・か
っ
た。
そ
し
て、
こ
の
た
め
に、
大い
に
批判を
受け
た。
外国の
黒人
奴
隷の
こ
と
を
心
配
する
と
称して
、
国内の
工
場で
働く
白人
奴隷を
無視する
彼
ら
は、
■ト
ー
リ
ー
先の
偽善者で
ほ
ない
の
か、
と
問われ
た。
福音主義者の
見る
と
こ
ろ、
妬心
な
点は
、
エ
琴で
働く
奴隷
折
れ
ふ
t
-
やー
ムー
h
-
ト
は、
い
つ
で
む
キ
リ
ス
ト
教の
恩恵に
あ
ずか
る
こ
とが
でき
る
指3
が、
黒人
奴隷ほ
そ
うで
ほ
ない
。
そ
して
自分
た
ちの
唯一
の
関心
事は
人の
魂を
救うこ
と
に
あ
る
の
だ、
と
い
うこ
と
で
あ
っ
た。
世
俗的な
福利に
つ
い
て
ほ、
彼ら
は一
向に
気に
と
め
な
かっ
た。
また
、
社
会的
、
政治的諸制度が
、
人
間の
魂の
状態に
な
ん
らか
の
影響を
与
え
る
とも
考え
な
かっ
た。
堕落
した
社会は
、
当
然、
個人に
お
け
る
堕落に
起因する
もの
で
ほ
あ
る。
し
か
し、
社
会を
矯正
する
唯一
の
方
法ほ
、
個人を
矯正
する
こ
と
で
あ
る
ーそ
して
、
社
会は
あ
ま
り
重
要で
は
ない
の
だ
か
ら
-彼らの
努力
ほ、
ま
ず第+
に、
個人に
向
けら
れ
た
の
で
ある
。
福音
主
義運動に
つ
い
て
最も
重
要な
点
は、
そ
れ
が、
元
来、
決して
社
会的
、
政
治
的変革を
目ざ
す
革命運
動で
は
な
く、
あ
く
まで
、
甘〃か
魂の
救済を
呼び
か
け
る
保守的な
運
動で
あっ
た、
とい
う点で
あ
る。
初期福音主
義者た
ちの
、
道徳
的、
社
会的保守主
義は
、
ク
ラ
グ
■パム
・
セ
ク
ト
の
大
指導
者
ウ
ィ
リ
ア
ム
・
ウ
ィ
ル
パ
フ
ォ
ー
ス
の
次の
こ
とば
に、
見事に
要約さ
れ
て
い
る。
キ
七ス■ト
教た
よっ
て、
社会階
層の
不
平等ほ
、
下
層階
ド
}
¢
ノ
L
甘l少
柑
,
l
ド
_
こ
≠
→
叫
イ
、
.
,
。
秒.
ノ
け
ー
刊
吋
、
吋・軒
中
一
.1
-
。
.
( 2 1 ) ゲ ィ タ ト ワ ァ 朝 の 宗教 と社 会
厳に
とっ
て、
さ
ほ
どい
ら
だた
しい
もの
で
は
な
く
なる
の
で
あ
る。
キ
リ
ス
ト
教は
彼らに
、
勤勉で
、
謙虚で
、
忍
耐
強く
な
る
こ
と
を
教え
る。
キ
リ
ス
ト
教は
、
彼らに
、
彼ら
の
卑しい
通が
神に
よっ
て
割り
当て
ら
れ
た
もの
で
あ
る
こ
とを
、
忠実に
自ら
の
務め
を
果た
し、
満足し
て
不
便を
忍
ぶ
ぺ
きこ
と
を、
現
在の
状態は
き
わ
め
て
短い
もの
で
あ
る
こ
と
を、
世
俗の
人々
が、
か
く
も
熱心に
争い
合うこ
と
ど
も
は、
争い
に
催い
し
ない
も
の
で
あ
る
こ
と
を、
宗
教が
、
■
分け
隔て
なく
、
すべ
て
の
階級に
提供
す
る
心.の
平
和こ
そ、
貧しい
者の
手の
と
どか
ない
、
すべ
て
の
快楽よ
りも
、
よ
り
多くの
真の
幸
福を
与
えて
くれ
る
こ
と
を、
こ
の
見方か
ら
すれ
ば、
貧しい
者の
ほ
う
が
有利で
あっ
て、
目
上の
人
人
が、
もっ
と
多くの
豊か
な
尭し
み
を
享受し
て
い
る
に
せ
よ、
彼ら
は、
下
層
階殻が
幸い
に
も
免か
れ
て
い
る
多くの
誘惑に
さ
ら
さ
れ
て
い
る
こ
と
を、
・貧者の
人
生に
お
け
る
地
位は
、
恵ま
れ
ない
もの
で
あっ
て
も、
神の
手か
ら
当
然受
け
る
は
ずの
地
位よ
り
も
ま
し
なの
だ
か
ら、
「
衣食を
持て
る
こ
とで
満足すべ
き+
こ
と
を、
そ
し
て
最後に
、
人
間と
し
て
の
あら
ゆる
差別
は、
間も
な
く
取り
除か
れ、
真の
キ
り
ス
ト
借着は
、
み
な、
同
じ
父
な
る
神の
子と
し
て、
同
じ
天
なる
遺産の
所有を
、
ひ
と
し
く
許さ
れ
る
こ
と
を、
キ
リ
ス
ト
教は
思い
起こ
さ
せ
る
の
で
あ
る。
国家の
現世の
福利
に
与
える
キ
リ
ス
ト
教の
恩恵は
、
か
くの
ご
と
き
もの
で
あ
(
3)
′る
。彼らの
他の
大きな
業績は
、
上
流階級の
マ
ナ
ー
や
モ
ラ
ル
を
改
革した
こ
とで
あ
っ
た。
ウェ
ズ
レ
ー
は、
ウ
ィ
ル
バ
ブ
ォ
ー
ス
に、
メ
ソ
ジ
ス
ト
が
貧しい
着た
ちの
た
めに
そ
うした
よ
ぅに
、
支
配階級に
宗
教へ
心を
向
け
さ
せ
る
よ
う
努力す
る
こ
と
を
命じた
。
命に
従い
、
ウ
ィ
ル
パ
フ
ォ
ー
ス
及
び
そ
の
協力
者
た
ち
は、
手を
尽し
て、
そ
う
した
努力
を
した
。
ジ
ョ
ー
ク
王
朝後期に
、
上
流階
級の
聞か
ら、
飲ん
だ
くれ
、
放蕩
、
と
ば
く、
■口
ぎた
ない
こ
と
ば、
宗教的
無関心
な
ど
が、
か
な
り
消
滅し
た
の
は、
彼ら
の
努力に
負う
とこ
ろが
大き
かっ
た
の
で
ある
。
∴
また
、
彼らの
協力
者に
は、
ハ
ン
ナ・
モ
ア
(
一
七
四
五
1
一
八三
三)
とい
う天
才
的宣
伝家が
い
た。
権力
者に
、
キ
リ
ス
ト
教
的
忠
順を
教え
る
彼女の
教訓
物
語は
、
フ
ラ
ン
ス
革命
と、
そ
れに
次
ぐフ
ラ
ン
ス
との
戦争の
数年間
、
貧しい
着た
ちの
間で
も
広く
読ま
れ
て
い
た
し、
また
、
彼女の
教訓書は
、
m
一
橋論叢 第八 十 二 巻 第 四号 ( 2 2 )
金
持層を
教化
する
た
めに
、
同じ
く
注意深く
意図さ
れ
た
も
の
で
あっ
た。
こ
うして
、
彼ら
は、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
女王の
即
位に
続く
、
敬慶で
、
家
庭を
大切
に
し、
因習道徳を
重
ん
ずる
時代へ
の
道を
用
意した
の
で
あ
る。
英国教
会内で
、
福音主
義者た
ちは
、
信念を
同
じ
ぐ
する
牧
師た
ちの
た
め
に、
寺禄を
買っ
て
や
る
慎重
な
計画に
よ
っ
て、
次
第に
、
そ
の
勢力を
拡大して
行っ
た。
そ
して
、
そ
の
押しっ
けが
ましい
敬
虔さ
の
た
めに
び
や
か
さ
れ
た
り、
そ
の
粗
建な
神
学の
た
め
に
批判さ
れ
る
こ
と
は
あっ
て
も、
き
わ
め
て
有力
な
団
体と
して
の
地
位を
確立
した
。
彼ら
は、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝初期の
数十
年間
、
そ
の
力
を
維
持ま
た
は
拡大
した
が、
第一
世代の
福音主
義者た
ちに
あっ
て
は
魅力
的
だっ
た
資質が
、
後継者た
ちの
聞か
ら
は
失われ
て
し
まっ
た
こ
と
は、
認め
ない
わ
け
に
い
か
ない
。
生
ま
れ
か
わ
る
とい
う
体
験と
、
神の
愛を
感ずる
こ
とへ
の
不
断の
喜び
に
満ちて
い
た
こ
と
ば
は、
口
先
だ
けの
き
まり
文句に
なっ
て
し
まい
、
初期指導者た
ちの
寛容で
穏健な
禁欲主
義ほ
、
後継
者に
あっ
て
は、
硬直し
た
もの
と
なっ
た。
人
間の
魂
を
救う
た
めに
、
な
すぺ
き
こ
と
が
多々
あ
る
時に
、
神学上の
論争に
か
か
わっ
て
は
い
ら
れ
ない
と
する
態
度は
、
狭い
反
知性主
義
謝
と
な
り、
救い
を
確信す
るこ
とか
ら
生
ずる
自己
満足は
、
と
も
す
れ
ば、
不
愉快な
独
善に
なり
が
ち
で
あっ
た。
すで
に、
世
紀の
半ば
頃に
は、
こ
うした
徴候が
、
か
な
り
濃厚に
なっ
た。
そ
れ
で
も、
彼らの
影響力
は
相当な
もの
で
あっ
た。
一
八
五
三
年に
は、
一
万
七
千
人の
国教会牧師の
うち
、
約六
千五
百
人が
、
福音派に
属す
る
と
考え
られ
て
い
た。
こ
れ
ら
の
牧
師た
ち
は、
教区で
営々
と
し
て
励
ん
で
い
た
し、
平
信徒の
福
音主
義者た
ちは
、
慈善団体
で
働い
た
り、
布教の
た
めの
パ
ン
フ
レ
ッ
ト
を
配
布
した
り、
貧乏
人や
病人を
見舞
っ
た
り
す
る
こ
とに
棉を
出した
。
最も
注
目
すべ
きヴィ
ク
ト
リ
ア
朝人
士に
は、
福音主
義者の
家に
生
ま
れ
育っ
た
者が
少な
く
ない。
文
学者で
ほ、
ブ
ロ
ン
テ
姉妹
、
マ
コ
ー
レ
ー、
ジ
ョ
ー
ジ・
エ
リ
オ
フ
ト、
サ
ミュ
エ
ル
・
バ
ト
ラ
ー、
ブ
ラ
ウニ
ン
グ
夫
人、
政
治家
で
は、
ビ
ー
ル、
グ
ラ
ッ
ド
ス
ト
ン、
シ
ャ
フ
ツ
ベ
リ
卿、
批評家
、
哲学者で
は、
レ
ズ
リ
ー
及び
ジェ
ー
ム
ズ・
フ
ィァ
ジェ
ー
ム
ズ・
・ス
チ
ー
ブ
ン
、
ラ
ス
キ
ン
、
ヘ
ン
リ
ー
・
シ
ズ
ウ
イ
ッ
ク、
有力
な
宗教指導者で
は、
E・
B・
ビ
ュ
ー
ジ
ィ、
ヘ
ン
リ
ー
・
ニ
ュ
ー
マ
ン
、
ペ
ン
ジ
ャ
、
、
、
ン
・
ジ
ア
ウエ
ッ
ト、
抱
-
恥
よ
与
ド
やk
ヰ
ド
サ
ー
ノ
海ヰ
付
■..
P
如
こ
k
へ
叫( 2 3 ) ゲ ィ タ ト ゥ ア 朝 の 宗教 と社 会
J
J
+
、
,
、
秒1
.J
叫
チ
ャ
ー
ル
ズ
・
キ
ン
グ
ズ
レ
ー、
な
ど
が
い
る。
だ
が、
一
八
七
〇
年代まで
に
は、
彼らの
カは
衰え
始め
る。
彼ら
は、
聖
書に
基づ
い
て、
彼らの
宗
教を
支
えて
きた
が、
聖書の
真実性に
加
え
られ
る、
数多くの
攻
撃に
答
え
る
こ
と
の
で
きる
知的
指導者を
持た
な
かっ
た。
一
八
四
二
年の
炭坑
法と
一
八
四
七
年の
工
場法の
強
力な
支
持者で
あっ
たシ
ャ
フ
ツベ
リ
卿以
後は
、
彼ら
は、
ほ
か
に
偉大な
政
治
家
を
出さ
な
かっ
た。
慈善に
対
する
彼らの
態度は
、
ま
すま
す
貧しい
着
た
ち
か
ら
き
ら
わ
れ
る
よ
うに
な
り、
裕福な
者に
は、
不
十
分
だ
と
思わ
れ
る
よ
うに
なっ
た。
三
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝文
明を
支え
て
い
た二
つ
の
カは
、
功利主
義と
福音主
義で
あっ
た
と
言わ
れ
る。
こ
の
二
つ
の
力を
、
不
規則な
形の
模
様に
た
と
え
る
な
ら
ば、
こ
の
二
つ
の
模様が
重
な
り
合う部分が
か
な
り
大きい
こ
と
が
わ
か
る
で
あ
ろ
う。
す
ぐれ
た
『
十
九
世紀
英国国民
史』
を
書い
たエ
リ
ー
・
ア
レ
ゲ
ィ
ー
は
「
〔
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の〕
英国
社
会の
根
本
的パ
ラ
ド
ッ
ク
ス
は、
…
…
ま
さ
に、
理
論的に
相
反す
る、
こ
れ
ら二
つ
(
4)
の
カが
、
部
分
的に
合体
し、
結合した
こ
と
に
外
な
ら
ない+
1
†
、
材ヰ
判
.
.
・1
叫
一
.
と
述べ
て
い
る。
感
情性の
力を
拠り
所に
する
、
準基本
主
義
の
宗教で
あ
る
福音主義と
、
冷た
い
分
析的思考力
を
拠り
所
に
する
、
反
宗教
的な
世
俗的運
動理
論で
あ
る
功利主
義と
が、
相
反
する
前提か
ら
出発
して
、
作用
し
合い
な
が
ら、
中
流階
級の
価値観と
呼ば
れ
る
もの
を
作り
出し
た
の
で
ある。
中
流階級ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝人の
典型は
、
企
業心に
富む
成
功者で
あっ
た。
彼は
こ
の
世の
進歩を
信じ
、
十戒を
守り
、
天
国を
死
後の
安
息
所と
見な
し
た。
そ
うい
う考え
を
持っ
て
い
た
人は
、
当
時は
、
た
ぶ
ん
今日
よ
りも
ずっ
と
多かっ
た
に
相違ない
。
彼は
、
マ
ッ
ク
ス
・
ウエ
ー
バ
ー
の
定義する
、
キ
リ
ス
ト
教資本主
義社
会に
、
すっ
ぽ
り
と
入
り
込め
る
人
物で
あっ
た。
こ
の
定
義に
ょ
れ
ば、
資本主
義的企
業家の
ビ
ジ
ネ
ス
の
成
功は
、
彼が
神に
よ
っ
て
召
さ
れ
た
「
天
職+
の
具
体
的
な
表わ
れ
で
あ
り、
神の
恩寵の
し
る
し
で
あ
り、
ある
い
は、
少
な
くと
も、
成
功した
実業家が
恩寵に
催い
する
とい
う暗
示で
ある
。
過
六
日
間、
損得台帳に
注い
だ
目
を、
七
日
目に
は、
希望をもっ
て、
天
国
行
き
の
帳簿に
移す
週
日
実
業家に
し
て
日
曜福音主
義者が
、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝人の
典型で
あっ
た。
一
⊥
中流階級の
実業家が
、
そ
の
世
俗的職菓に
た
ずさ
わる
た
詔
一 橋論叢 第八 十 二巻 第 四号 ( 2 4 )
めの
猛烈なエ
ネ
ル
ギ
ー
を
提供し
た
の
は、
福音主
義で
あっ
た。
人
間が
、
自分
自身の
努力に
よっ
て
(
す
なわ
ち、
信仰
の
カに
よっ
て)
、
魂を
救済する
こ
と
が
で
き
る
の
な
ら、
他
の
ど
ん
な
目
標で
も
達成
する
こ
と
が
で
き
る
は
ずで
は
ない
か。
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
人々
が、
さ
ら
に
よ
りい
っ
そ
う豊か
で
快
適な
社
会を
作る
た
めの
力を
持っ
て
い
る
と
感
じて
得ら
れ
た
自信は
、
福音主
義に
身を
按ずる
こ
と
に
よっ
て
生
じた
棉神
的エ
ネ
ル
ギ
ー
に
負うとこ
ろが
大き
かっ
た
の
で
あ
る。
現
世
的な
情況に
お
け
る
勤
労は
、
宗教
的な
背景に
お
ける
信仰と
対
応する
も
の
で
あっ
て、
そ
の
効能も
ま
た、
絶対
確
実な
教義と
見なさ
れ
た。
功利主
義者も
福音主
義者も
共に
、
こ
の
世の
宿命を
果た
す
第一
の
手
段と
して
の
勤労の
倫理を
支持した
が、
そ
れ
に
加え
て、
福音主
義者は
、
勤労を
、
天
国の
報い
を
求める
資格を
と
る
た
めの
手
段と
考え
た。
こ
の
世の
務め
に
励むこ
とに
よ
っ
て、
人
は、
あ
と
で
神の
恩
寵と
い
う資本
金と
し
て
返っ
て
くる
精神の
銀
行に
預金し
て
い
る
の
だ、
と
信じ
た。
こ
うして
、
「
勤労は
礼拝な
り+
と
い
う
等式が
成
立
する
。
プ
ロ
テ
ス
タ
ン
テ
ィ
ズ
ム
の
倫理
は、
元
来、
倹約
、
克己
、
定
め
られ
た
仕事へ
の
献身
、
働くこ
との
で
き
な
く
なる
夜が
ー
れ
J
与
r
ぜト
.ム
如
†
や
っ
て
来る
とい
う不
断の
意識な
ど
を
重
ん
ずる
もの
で
ある
朗々V
が、
こ
れ
ら
慎重
さ
を
旨と
する
美徳は
、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝と
い
う新しい
産業社
会の
条件に
、
み
ご
とに
適合
する
こ
と
が
わか
っ
た
の
で
あっ
た。
そ
して
、
こ
れ
らの
美徳の
うち
最大
の
もの
は、
た
ゆ
ま
ない
勤勉さ
で
あっ
た。
働くこ
とが
すべ
て
に
打ち
勝つ
、
とい
う
信念が
、
経
済学
の
一
見すき
の
ない
決定
論に
お
ける
免除条項に
なっ
た。
マ
ル
サ
ス、
リ
カ
ー
ド
ー
の
教義は
、
数
学の
法則の
よ
うに
、
無
慈悲な
経
済体
系の
中に
個人
を
閉じ
こ
め
て
い
る
よ
うに
思わ
れ
た
けれ
ど
も、
雇
主ま
た
は
商人は
、
勤勉
、
創意工
夫、
そ
して
禁欲
、
節倹の
よ
うに
適切
な
美徳を
実践する
こ
と
に
よ
っ
て、
自分
を
縛っ
て
い
る
鎖を
た
ち
切る
こ
と
が
で
きる
、
と
考え
ら
れ
た
の
で
あっ
た。
雇主が
支
持して
い
た
の
と
同
じ
道
徳律が
、
労働者に
も
勧
めら
れ
た。
仲
間よ
り
も
熱心に
働くこ
と
に
よっ
て、
彼ほ
、
よ
り
多くの
もの
を
生
産し
、
そ
の
結
果、
よ
り
多くの
金
をか
せ
ぐこ
と
が
で
きる
。
パ
ブ
を
避けて
、
そ
れ
に
よっ
て
節約し
た
金を
貯蓄銀行な
り
「
友
愛会+
に
(
保
険及び
埋
葬費の
た
め
に)
貯え
る
こ
と
に
よ
っ
て、
身分を
向
上さ
せ
る
こ
と
が
で
きる
。
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝に
ほ
や
っ
た
格言の
中で
、
「
天
は
自
町
中
才
■沖や
ノ
】-
丹
-.
戸
叫
二
k
†
( 2 5 ) ヴ ィ ク トリ ア 朝 の 宗教 と社 会
一
寸
、
。
.
、
智
′
←
。
†
、
甘寸
甘
-
.
1
、
J
←
ら
助
くる
着を
助
く+
とい
う格言が
、
一
番どこ
で
も
見ら
れ
る
もの
で
あっ
た。
こ
の
教え
をモ
ッ
ト
ー
と
する
人
格形成は
、
い
わ
ば、
福音
主
義と
功利主義との
共同
事業で
あっ
た。
他の
すべ
て
の
関
連あ
る
美徳と
組み
合わ
さ
れ
た、
も
うか
る
労働の
倫理
が、
無数の
大衆向き
著述家た
ちに
ょ
っ
て
推奨さ
れ
た。
サ、、
、
ユ
エ
ル
●
ス
マ
イ
ル
ズ
の
ベ
ス
ト
セ
ラ
ー
『
自助
論』
(
一
八
五
九)
に
ょっ
て
代表さ
れ
る、
立
身出世
法を
説く
無数の
本が
出版
さ
れ
て、
一
般ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝人の
価値観に
、
測り
知れ
な
い
影響を
与
えた
。
そ
の
主
旨は
、
き
まっ
て
規律あ
る
労働者
は、
けっ
きょ
くは
成
功す
る
は
ずで
あ
り、
貧乏
は、
と
りも
な
お
さ
ず、
怠惰と
浪費の
結果で
ある
、
・とい
うもの
で
あっ
た。
中流階級の
信条と
もい
うぺ
き
もの
を、
ス
マ
イ
ル
ズ
ほ、
「
個人の
怠惰
、
利己
主
義及
び
悪徳の
捻計が
、
国家の
衰微
で
あ
る
の
と
同
様、
国家の
進歩は
、
個人の
勤勉
、
活力
、
正
直の
総計
で
ある。
われ
わ
れ
が
大き
な
社
会
的惑と
して
批難
する
の
を
常と
して
い
る
も
の
は、
個人
白身の
堕落した
生活
の
当
然の
結果に
す
ぎ
ない
こ
とが
わ
か
る
で
あ
ろ
う+
と
述べ
て
い
る。
しか
し、
こ
の
よ
うなド
グ
マ
ほ、
大衆勤労者に
ほ、
あ
ま
り
説得力を
持た
なか
っ
た
の
で
は
ある
まい
か。
彼らの
経
済的
運命は
、
市湯の
浮き
沈み
と
雇主の
私利とに
よ
っ
て
決定さ
れ
て
い
た
か
ら
で
あ
る。
と
もあ
れ、
社
会的悪の
万
能
薬と
し
て
勤労を
す
すめ
る
こ
と
は、
身
体
壮健な
者や
、
そ
の
家
族た
ちが
、
働き
た
く
と■も
仕事が
ない
よ
うな
場合
、
うつ
ろに
響い
た
に
ちが
い
ない
の
で
あ
る。
あ
れ
だ
け
産業活動が
活
発だっ
た
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
こ
と
で
あ
る。
ディ
ケ
ン
ズ
が
『
マ
ー
チ
ン
・
チ
ャ
ズ
ル
ウ
ィ
プ
ト』
で
描い
た
よ
う
な、
ビ
ジ
ネ
ス
界の
不
正
行
為が
な
かっ
た
と
は
い
え
ない
。
しか
し、
商業道徳の
水
準が
、
き
わ
めて
高かっ
た
と
見られ
る
の
は、
福音主
義に
よ
る
抑制や
、
た
め
らい
が、
か
な
り
強く
働い
て
い
た
か
らで
あ
ろ
う。
福音主
義は
、
経済
的自由放任主
義を
、
個人の
良
心の
重
要性を
強調する
こ
と
に
ょっ
て、
補足した
の
で
あっ
た。
十
八
世
紀に
お
い
て、
福音主
義宗教は
、
カ
ル
ダィ
ン
的選
民
の
観念を
、
大
部分
、
切
り
捨て
た
とい
う点で
、
平
等化の
作用を
果し
た。
ウユ
ズ
レ
ー
兄弟が
、
彼らの
お
も
な
支
持者
を
貧しい
者た
ちの
中に
見出した
とい
う事実ほ
、
彼らの
運
動に
、
民
主
的な
雰囲
気を
与
えた
こ
と
は
確か
で
あ
る。
しか
し、
フ
ラ
ン
ス
革命の
シ
ョ
ア
ク
は、
福音主
義が
持っ
て
い.
た、
湖
一 橋論叢 第八 十 二 巷 第 四 号 ( 2 6)
い
く
ば
くか
の
民
主
的な
傾向
を
押しっ
ぶ
し
て
レ
まい
、
そ
の
伝
道者た
ちを
し
て、
旧
来の
固定し
た
階
級制度を
守る
こ
と
に
献身さ
せ
る
結果と
なっ
た。
「
身の
ほ
ど
を
知れ+
と
い
う
の
が、
貧乏
人に
対
する
彼らの
メ
ッ
セ
ー
ジ
と
なっ
た。
こ
の
点
で
は、
福音主
義は
、
普通
選挙権と
い
う形で
の
政
治
的民
主
主
義を
主
張し
た
功利主
義とは
、
遠く
偏っ
て
い
た。
福音
主
義の
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝英国へ
の
寄与は
、
間接的な
もの
で
あ
り、
政
治的で
あ
る
よ
りは
、
社会的な
もの
で
あっ
た。
そ
の
精神が
、
お
もに
宗教的な
面か
ら、
個人
的及
び
社
会的道
徳に
か
か
わ
る
面へ
と一
般化
さ
れ
て
行くに
つ
れ
て、
そ
の
影
響は
、
中
流、
労働者階
級か
ら、
上
層階級へ
と
及
ん
で
行っ
た。
こ
うし
て、
福音主
義は
、
社
会の
大部分に
普及
する
よ
う
に
なっ
た。
経済的及び
社
会的不
均衡に
ぐらつ
い
て
い
た
英
国に
お
い
て、
道徳的福音主
義の
原理
は、
広く
受け
入れ
ら
れ、
国民の
問に
、
か
な
りの
調
和を
も
た
ら
し
た。
福音
主
義に
よっ
て、
ば
ら
ば
らの
階層が
引
き
合わ
せ
ら
れ、
ヽ
ヽ
ヽ
英国に
倫理
的民
主主
義と
もい
うぺ
きも
の
が
形成さ
れ
て
行
っ
たの
で
ある
。
しば
し
ば
起る
階級間の
乳轢も
、
共通の
道
徳を
持っ
て
い
る
こ
と
に
よっ
て、
多分に
和げ
ら
れ
た
の
で
あ
っ
た。
∂β4
ラ
グ
ビ
ー
校の
名
校
長、
ト
マ
ス
・
ア
ー
ノ
ル
ド
は、
教会と
い
うもの
は、
「
道徳
的悪を
抑え+
、
「
人
類の
道徳
的
向
上
に
資す
る
た
めの+
団体で
あっ
て、
十九
世紀初
頭の
英国
教会
(
5)
の
惑い
と
こ
ろは
、
「
宗教の
社
会的性椅+
を
見
失っ
て
し
ま
っ
た
こ
と
だ、
とい
う
強い
意見を
持っ
て
い
た。
ロ
ー
マ
カ
ト
リ
ッ
ク
教会に
対
する
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
女
王
時代の
敵意の
主
旨
は、
そ
れ
が
有力
な
国々
は、
道徳的
、
社
会的に
立
ち
遅れ
て
い
る、
とい
うこ
と
で
あっ
た。
ロ
ン
ド
ン
の
あ
る
教区
教会の
夕べ
の
祈りに
出席した
、
フ
ラ
ン
ス
の
文
学者イ
ポ
リ
ー
ト●
テ
ー
ヌ
は、
「
議長が
演壇か
らで
は
な
く、
説教
噴か
ら
しゃ
べ
る
倫理
集会に
出席し
て
い
る
よ
う
な
気が
し
た+
、
と
い
う
感想を
洩ら
し、
英国の
教会に
つ
い
て、
次の
よ
うに
書い
て
い
る。
〔
英国の〕
教会は
、
:
…・
道徳衛生
課で
あ
り、
精神
管
理
局とい
っ
た
も
の
で
あ
る。
こ
れ
らの
理
由で
、
キ
リ
ス
ト
教に
対
する
尊敬は
、
世
論に
よっ
七
義務と
し
て、
さ
らに
ト
ト
.イ
.
.
ド
や抄
.
⊥
/
ド
廿
≠l
て
キ
■
.
ド
ポ
ー
.
一
丸
( 2 7 ) ヴ ィ ク トリ ア 朝 の 宗教と 社 会
。
J
、
、
秒
.J
叫
†
、
ゼナ
u
。
叫
。
々
は、
き
ち
ん
と
した
ふ
る
まい
の
一
局
面と
して
すら
、
受け
入
れ
られ
て
い
る。
ふ
つ
うの
英国
人な
ら、
不
信心
者が
よ
■
き
英国人で
、
ちゃ
ん
と
した
堅
気町
人
間で
あ
り
うる
、
な
(
6)
ど
とい
うこ
と
は、
認め
た
が
ら
ない
で
あ
ろ
う。
こ
の
時代の
経済的
、
社
会的必
要に
ふ
さ
わ
しい
道徳律が
、
十
八
世
紀後期の
宗教復活か
ら
生ま
れ
た
とい
う事実は
、
当
時ほ
、
少数の
知識人
を
除い
て、
すべ
て
の
人々
の
思
考や
感
情が
、
宗教的こ
と
ば
で
しか
明
確に
述べ
る
こ
とが
で
きな
か
っ
た、
とい
う単純な
事実に
ょ
る
も
の
で
あ
る。
十
八
世
紀啓
蒙主
義の
非キ
リ
ス
ト
教思
恕は
、
せ
い
ぜ
い、
ほ
ん
の
少
数
者
の
た
めの
も
の
で
あ
り、
そ
れ
は、
フ
ラ
ン
ス
革命の
恐
怖を
び
き
起こ
した
とい
う理
由で
、
借用を
失っ
て
しま
っ
た。
十
八
世
紀の
国教会は
、
形式主
義に
陥り
、
宗教的情熱を
、
な
げ
か
わ
しい
「
熱狂+
に
等しい
もの
と
考え
、
十
九
世
紀の
英国
社
会の
た
めに
、
そ
れ
を
結合すべ
き
首尾
一
貫した
、
一
連の
信仰を
残し
て
く
れ
なかっ
た、
と
言え
る
か
も
しれ
ない
。
そ
こ
で、
急速な
産業の
発達と
、
急
激な
人
月
の
増加の
結
果、
社会に
困
難や
ひ
ずみ
が
生
じた
と
㌢、
最初は
メ
ソ
ジ
ズ
ム
、
次に
ほ
福音主
義が
、
分裂した
社
会の
全
階層の
悩める
人々
の
心を
引きつ
け
ずに
は
お
か
ない
こ
とに
なっ
た
の
だっ
た。
メ
ソ
ジ
ス
ト
や
福音主
義者た
ちの
メ
ッ
セ
ー
ジ
は
単純で
あ
っ
た。
キ
リ
ス
ト
を、
自分の
個人的な
救い
主と
して
認め
る
者は
、
直ちに
、
救い
が
得られ
る
とい
うの
で
あっ
た。
こ
の
即
座の
救済の
約束は
、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝以
前、
また
は、
そ
の
初期に
お
い
て
の
み、
主
と
して
な
さ
れ
た
の
で
ほ
ない
。
一
八
六
〇
年代に
も、
大
き
な
信仰
復興
運
動が
あっ
た
し、
一
八
七
五
年と
一
八八
四
年に
は、
ア
メ
リ
カ
の
特別
伝道
運動家ム
ー
デー
とサ
ン
キ
ー
が、
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
で
伝道を
行い
、
成
功
を
収め
た。
こ
の
二
つ
の
年代の
間に
は、
ウ
ィ
リ
ア
ム
・
ブ
ー
ス
の
布
教団
が、
救世
軍(
一
八
六
五)
と
して
、
正
式に
組織
さ
れ
た。
ヴィ
ク
ト
リ
ア
女
王の
治世の
問、
信仰復興の
力
は、
衰
える
こ
と
が
な
かっ
た
の
で
あ
る。
しか
し、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
宗教に
は、
び
とつ
の
大き
な
限
界が
あっ
た。
そ
れ
は、
社
会の
上
層
部(
中
流
階
級を
含
む)
に
は
拡がっ
て
行っ
た
けれ
ども
、
下へ
は、
労働者階級
の
最上
部ど
まり
で、
そ
れ
よ
り
下へ
は
降りて
行か
な
かっ
た、
とい
う点で
あ
る。
そ
の
こ
と
を
示
す、
最も
有
名な
証
拠ほ
、
一
八
五一
年の
三
月の
最終日
曜日
に
行わ
れ
た
調
査で
、
そ
の
日、
教会
、
そ
の
他ど
ん
な
礼拝所へ
も
出席し
な
かっ
た
大
人
湖
一 橋論叢 第 八 十二 巻 第四 号 ( 2 8 )
の
数は
、
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
と
ウェ
ー
ル
ズ
を
合わ
せ
て一
千
八
百
万
人の
うち
、
最も
内
輪に
見積
っ
て
も、
五
首二
十五
万
人あ
っ
た
とい
う。
こ
れ
と
ほ
別に
、
比
較的貧
しい
地
区
を
担当す
る
社
会宗
教福祉司
は、
十
九
世
紀を
通じ
て、
聖
書及び
キ
リ
ス
ト
教信仰の
イロ
ハ
に
対
し
て
無関
心、
また
は
全
くの
無知
が、
い
か
に
甚だ
しい
か
を
報告して
い
る。
だ
が、
こ
れ
は、
あ
ま
りに
も
容
易に
「
体
裁、
世
間
体+
と
同一
視さ
れ
る
よ
う
に
なっ
て
し
まっ
た
宗教の
予
測で
き
る
運
命で
あっ
た、
とい
える
。
まじ
め
な
宗教家た
ちが
、
慈善を
受ける
「
資椿の
あ
る+
貧者と
、
「
資椅の
ない+
貧
者と
を
区別
した
こ
と
が、
正
式
な
慈善行
為の
み
な
ら
ず、
働く
貧乏
人に
対
する
、
真に
キ
リ
ス
ト
教的な
思い
や
り
を
制
限
する
こ
と
に
も
なっ
た。
また
、
非国教徒に
つ
い
て
い
え
ば、
彼ら
の
法
的社
会的地
位が
、
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝に
なっ
て
着実に
向上
し
た
の
で、
こ
れ
ま
た、
体
裁の
よ
さ
との
結び
付き
が
強化
さ
れ、
そ
の
た
めに
、
彼ら
が、
次
第に
政
治
的急
進主
義及び
労働者階級と
の
接触を
失っ
て
し
まっ
た
こ
と
も
原
因の
ひ
とつ
で
あ
ろ
う。
そ
れ
に
加
え
て、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
聖書崇拝が
、
読み
書きの
で
きる
者は
、
っ
い
て
行ける
が、
あ
ま
りで
き
ない
者や
全
くで
きない
者を
、
宗教か
ら
遠ざ
ける
。
と
に
なっ
た。
聖
書中心の
キ
リ
ス
ト
教
湖
は、
ま
じ
め
な
宗教と
、
聖
書とい
う
本質的に
意味の
は
っ
き
り
し
ない
テ
ク
ス
ト
の
総額な
研
究と
を
同一
視する
こ
とに
よ
っ
て、
無味乾燥な
街学に
陥り
が
ち
で
あっ
た。
そ
れ
が
生
気
を
取り
も
ど
すた
めに
は、
執拗に
、
信仰
復興
運動とい
う注
射を
うつ
必
要が
あっ
た。
し
か
し、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝中
、
後
期の
復興運動は
、
劇的な
効果が
あっ
た
も
の
の、
地
理
的に
限
定さ
れ
た
も
の
で
あ
り、
た
い
て
い
長続き
し
な
かっ
た。
そ
の
中で
、
長続き
し
た
救世
軍の
成
功は
、
下
層階
巌
以
外の
者
を、
わ
ざ
と
避け
た
こ
と
と、
ロ
マ
ン
チ
ッ
ク
で、
象徴的で
、
しか
も
音
楽
的
な
要素を
取り
入
れ
たこ
とに
あ
っ
た。
国
数会
の
ア
ン
グ
ロ
・
カ
ト
リ
ッ
ク
派
が、
儀式的
要素を
重
視して
、
ス
ラ
ム
街で
、
しば
し
ば
成
功した
の
も、
同
じ
理
由に
よ
る
む
の
で
あっ
た。
しか
し、
大
体に
お
い
て、
国教会
及び
伝
統的
な
非国教徒団
体は
、
「
暗や
み
の
中の
大
衆+
を
抱
き
か
か
え
る
こ
と
が
で
き
なか
っ
た。
チ
ャ
ー
ル
ズ・
キ
ン
グ
ズ
レ
ー
は、
そ
の
お
も
な
理
由の
ひ
とつ
を、
次の
よ
うに
指摘し
て
い
る。
そ
れ
ほ、
わ
れ
わ
れ
が
悪い
の
だ。
わ
れ
わ
れ
は、
聖
書を
、
あ
た
か
も
そ
れ
が
単なる
警官の
椿殊ハ
ン
ド
ブ
ッ
ク
で
あ
る
粁
ト
J
.
F
P
博一
れ
ト
片
ゃ
〆
町ゝ
イ
浄
.
.
戸
∵
ヒ
ネ
り
。
〟
b
一
、
甘
J
一
( 2 9 ) ヴ ィ ク ト リ ア 朝 の 宗教 と社 会
.か・の
よ
うに
使用
して
き
た
一重
過
ぎる
荷物を
積み
込
む
間、
牛馬
を
じっ
と
我
慢さ
せ
て
置く
た
めの
阿片の
投薬の
(
7)
よ
うに
用い
て
き
た
の
だ。
こ
うした
失敗は
、
も
ち
ろ
ん、
体
裁尊重
の
結果と
ばか
り
は
言え
なか
っ
た。
教会が
、
ブィ
タ
イ
リ
ア
朝英国の
他の
す
べ
て
の
任意寄付
団体
と
同
様、
都市の
拡大
、
人口
の
移動に
歩調を
合わ
せ
て
行け
なか
っ
た
た
め
で
も
あっ
た。
伝統的な
宗教団体は
、
国
中に
、
教会や
学校や
日
曜学校
を
建て
、
ス
ラ
ム
に
はセ
ツ
ル
メ
ン
ト
を
設
け
た。
しか
し、
ど
うに
も
追い
付
けな
かっ
た
の
で
あ
る。
他の
社会
的
関心
事に
お
け
る
と
同
様、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
人々
は、
直面
する
問題の
あ
ま
りの
大きさ
に、
当
惑
し、
しば
し
ば
挫折さ
せ
られ
た。
しか
し、
彼らの
名
誉の
た
めに
言っ
て
置けば
、
問
題解
決へ
・の
努力を
放棄する
こ
と
は
な
かっ
た
の
で
あ
る。
世
紀が
進む
仁つ
れ
て
も、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
人々
の
宗教
的
活力は
、
ほ
と
ん
ど
衰え
る
こ
とが
なか
っ
た
と
信ずぺ
き理
由が
十
分に
あ
る。
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝前期に
は、
メ
ソ
ジ
ス
ト
や
旧
非国教徒た
ち
が
先
頭に
立っ
て
い
た。
国教会ほ
、
だ
ら
し
な
く
無瀧で
あ
り、
地
主
糖叔と
寮び
付い
て
い
た
た
め
に、
1
†
、
ゼト
ヰ
1
叫
†
.
〝
★
産業の
変化に
よっ
て
出現し
た
新しい
都市
人口
か
ら
離反し
て
い
た
か
ら
で
あ
る。
そ
の
頃は
、
不
在
牧師
、
数寺禄兼領
、
薄
給の
副
牧師の
時代で
あ
り、
国教会の
新しい
教区を
設
け
た
り、
ある
い
は
現
存す
る
教区の
活動を
拡
大する
よ
りは
、
非国教徒の
新
しい
礼
拝所を
発足さ
せ
る
こ
との
ほ
うが
、
常
に
容
易で
あっ
た。
当
時は
、
典型
的な
教区
牧師ほ
、
い
なか
牧師で
あっ
て、
地
方
地
主と
共に
、
農村社
会の
指導者で
あ
っ
た。
しか
し、
一
八
四
〇
年以
降、
宗
教的拡張が
、
あ
ら
ゆ
る
面で
発展した
。
国
教会は
、
そ
の
覿
織を
改
革し
、
福音主
義運動とオ
ッ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運
動か
ら
生
ずる
二
つ
の
影響力
を
実行に
移すこ
とを
可
能に
した
。
福音主
義運動が
、
何よ
り
も
ま
ず、
個人
的信心
を
刺激す
る
こ
と
を
特色と
した
の
に
対し
て、
オ
フ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運
動
ほ、
生
きた
伝
統の
一
部と
して
の
教会を
、
よ
り
鋭く
意識す
る
こ
と、
典礼を
き
び
し
く
尊重
する
こ
と、
十
八
せ
紀に
確立
さ
れ
た
聖書崇拝に
と
ら
ゎ
れ
ない
宗教的意識を
鋭敏に
する
こ
と、
な
ど
を
目
ざ
す
も
の
で
あっ
た。
国
教会内
に
お
け
る
革新と
、
新旧
非国教
派の
持続的なエ
ネ
ル
ギ
ー
に、
さ
らに
ロ
ー
マ
カ
ト
リ
ッ
ク
教会の
復活が
加わっ
た。
こ
の
復活は
、
■7
一
八二
九
年の
カ
ト
リ
ッ
ク
解放令
、
リ
グァ
プ
ー
ル
とロ
ン
ド■
お
一 橋 論叢 第八 十 二 巻 第四 号 ( 3 0 )
ン
へ
の
ア
イ
ル
ラ
ン
ド
人の
大
流入
、
一
八
五
〇
年の
カ
ト
リ
ッ
ク
教の
聖
職階叔
別の
回
復(
い
わ
ゆ
る
「
教
皇の
侵
害+
(
:
評p
巴
A
栗【
①
邑。
n。
)
)
、
二
人の
前オ
γ
ク
ス
フ
ォ
ー
ド
運
動の
指導者
、
枢機卿マ
ニ
ン
グ
(
無能な
ワ
イ
ズ
マ
ン
の
あ
と
を
継い
で、
ウ
ェ
ス
ト
ミ
ン
ス
タ
ー
司
教に
なっ
た)
とヘ
ン
リ
ー・
ニ
ュ
ー
マ
ン
の
大き
な
影響力
、
など
に
由
来す
る
も
の
で
あ
る。
(
マ
ニ
ン
グ
は一
八七
〇
年代
、
八
〇
年代に
お
け
る
労
働者の
社
会問題に
密
接に
か
か
わ
り、
ニ
ュ
ー
マ
ン
は、
は
じ
め
背教行
為を
ひ
ど
く
非難さ
れ
た
が、
晩
年は
、
彼の
カ
ト
リ
ッ
ク
教の
穏健さ
と、
彼が
離れ
た
国
教会
徒に
対
する
寛大
な
態度の
ゆ
え
に
尊敬さ
れ
た。
)
世
紀の
後半
、
目ざ
ましい
宗教的活
動が
あっ
た
こ
とは
、
数字が
示
して
くれ
る。
一
八
四一
年と
一
八
七
六
年の
間に
、
国
教会は
、
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
とウェ
ー
ル
ズ
に一
千
百二
十七
の
新しい
教会を
建て
、
七
千
以
上の
古い
教会を
修復した
。
組
合数会派は
、
そ
の
礼拝所を
、
一
八
六一
年に
お
ける
二
千二
百三
十
六
か
ら、
一
九
〇一
年に
は
四
千五
百七
十
九に
増大
さ
せ、
バ
プ
テ
ス
ト
派ほ
、
一
千
百五
十か
ら六
千三
百
十三
に
増
や
し、
ロ
ー
マ
カ
ト
リ
ッ
ク
教
会ほ
、
同
じ
期間に
、
七
百
九
十
(
8)
八
か
ら一
千五
百三
十六に
増や
した
。
女王の
治世の
終り
頃
ノ
.
.
ト
ト
イ
与
ド
噂
1
心
ト
に
は、
教会に
「
空
座席+
が
増え
て
困
る
と
苦情が
言わ
れ
た
朗?U
が、
そ
れ
は、
宗教的
無関
心の
せ
い
よ
り
も、
ヴィ
ク
ト
リ
ア
朝の
教会建設の
熱意を
物語る
もの
で
あっ
た。
労働者階叔の
無関
心も
、
と
きに
主
張さ
れ
る
ほ
ど、
全
面
的な
もの
で
ほ
なか
っ
た。
「
労働者階巌+
とい
う
用
語
ほ、
「
中
流階級+
と
い
うこ
と
ば
と
同
様、
正
確な
叙述を
不
可
能
に
す
る。
と
い
うの
ほ、
体
裁の
よ
さ
が
重
ん
ぜ
ら
れ
た
た
め
に、
極貧で
粗
野な
者は
、
教会か
ら
閉め
出さ
れ
て
い
た
けれ
ど
も、
少しそ
の
度合が
弱
まる
と、
入れ
て
も
ら
えた
の
で
あ
る。
女
性が
シ
ョ
ー
ル
で
な
くボ
ネッ
ト
を
か
ぶ
る
余
裕が
で
き、
男性
が
カ
ラ
ー
に
ネ
ク
タ
イ
を
着用で
き
る
身分に
なる
と、
教会の
屏は
、
即座に
開か
れ
た
の
で
あっ
た。
実際
、
不
可
知論か
ら
非国教主
義へ
、
次い
で
国教会へ
と
進ん
で
行く
道
超は
、
卑
しい
身分か
ら
身を
起こ
して
、
や
が
て
立身出世
した
着た
ち
に
珍し
く
ない
経歴で
あっ
た。
ヴィ
ク
ト
リ
ア
女王
時代の
不
信心は
、
神学的ま
た
は
知的
異議とい
うよ
り
は、
多分に
、
社会的
及び
政
治
的反
対の
表わ
れ
で
あっ
た。
また
、
教会
出席者が
少な
かっ
た
とい
う
指摘に
対
して
、
日
曜
学校の
出席者の
異常な
数倍を
対
此し
て
み
な
けれ
ばな
ら
ない
。
一
八一
八
年に
ほ、
日
曜学校
出席者の
割合は
、
人
ノ
ド
か
〆
漆イ
蕗
.
.
ピ
ー
l
卜
す
( 3 1 ) ヴ ィ ク ト リ ア 朝 の 宗教と 社 会
一
一
、
。
妙
+
一
佃
.
L
■
甘卜
→
4
▼
.
′1
々
口
の
四パ
ー
セ
ン
ト
で
あっ
た
が、
一
八
八
八
年に
は、
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
及び
ウェ
ー
ル
ズ
で、
四
人に
つ
い
て
約三
人の
子
供が
、
日
曜学校に
通い
、
そ
の
ほ
と
ん
ど
すべ
て
が、
労働者階級の
子
供で
あ
っ
た
とい
う。
日
曜
学校は
、
一
八
七
〇
年の
教
育法
の
通
過
後も
活
発で
あっ
て、
ラ
ン
カ
シ
ャ
ー
で
は、
日
曜
学校
を
大人に
まで
延
長す
る
とい
う強い
伝統が
あっ
た。
うま
く
行っ
て
い
る
日
曜学校は
、
し
ば
し
ば、
諸
宗派
連合
で
あっ
て、
神学的に
は、
き
わめ
て
素朴な
もの
で
あっ
た
に
ち
が
い
ない。
だ
が、
世
紀の
終り
頃ま
で
に
は、
日
曜
学校運
動と
義務教育の
普及
と
が
組み
合わ
さ
れ
た
結果
、
一
九
〇一
年の
労働者階殻の
子
供た
ちは
、
た
ぶ
ん、
一
八三
七
年の
同
じ
階級の
子
供よ
り
も、
聖
書に
つ
い
て、
よ
り
しっ
か
り
した
知識を
持つ
よ
うに
なっ
て
い
た
で
あ
ろ
う。
確か
に、
人口
の
割合か
ら
見れ
ば、
教会へ
行
か
ない
人の
割合は
、
一
八三
七
年よ
り
も、
⊥
九
〇一
年に
お
け
る
ほ
うが
、
大き
かっ
た
で
あ
ろ
う。
こ
の
こ
とが
、
真の
宗教的感情の
衰
え
を、
どの
程度反
映
する
もの
なの
か
は、
宗教的感情を
量
的に
測定
す
る
こ
と
が
で
き
ない
以
上、
判断で
き
ない
。
こ
の
ちが
い
は、
一
八三
七
年に
は、
大
部
分の
人々
が
農村に
住ん
で
い
た
が、
一
九
〇一
年に
は、
た
い
て
い
の
人が
都会に
住む
よ
うに
なっ
た、
とい
う、
そ
れ
だ
けの
意味しか
ない
の
か
も
知れ
ない
。
一
八三
一
年に
、
・
村の
教会に
欠
席する
とい
うこ
とは
、
小
さ
な
共同
社
会か
らの
、
目
立つ
自己
疎外
行
為で
あ
っ
た
の
に
び
き
か
え、
一
九
〇一
年に
町の
教会に
出ない
とい
うこ
と
は、
他の
何
百
とい
う無名の
他
人
と一
諸に
行わ
れ
る、
見分
けの
つ
か
ない
行為で
あっ
て、
そ
れ
ゆ
え、
社
会
的意義
な
ど、
ほ
と
ん
ど
全
く
ない
行為で
あっ
た
で
あ
ろ
う。
長い
目で
見て
、
一
九
〇一
年まで
に
教会出席率が
、
相対
的に
衰えた
か
ど
う
か、
とい
うこ
と
よ
り
も、
もっ
と
重
要で
あっ
た
か
も
知れ
ない
の
は、
世
紀の
後半に
、
国民の
神
学と
宗教家と
の
神学に
、
大
き
な
断絶が
生じ
た
こ
とで
あっ
た。
一
九
〇一
年まで
の
国
民の
神学は
、
一
八
三
七
年の
公
認の
神学と
、
大
体に
お
い
て、
ほ
と
ん
ど
変わ
り
が
な
かっ
た。
そ
れ
は、
依然と
して
、
■欽定
訳
聖
書の
無謬性に
基
礎を
置くも
の
で
あ
り、
「
聖
書物語+
に
よ
っ
て
養わ
れ
た
も
の
で
あ
っ
た。
そ
れ
は、
セ
ン
チ
メ
ン
タ
ル
な
現
実逃
避の
神
学で
あ
り、
来世
に
お
け
る
報い
と
罰の
神学で
あっ
た。
そ
れ
は、
俗界の
知的
生
活の
み
な
ら
ず、
一
八
三
七
年以
来、
発展しっ
つ
あっ
た
キ
リ
ス
ト
教会の
知的
生
活と
も
接触を
欠い
て
い
た
の
で
あ
る。
国民の
神学が
、
い
か
な
る
意味で
も、
知的で
な
かっ
た
か
湖
一 橋論叢 第八 十 二 巷 第 四 号 ( 3 2 )
らこ
そ、
科学に
よ
っ
て
引き
起こ
さ
れ
た
宗教界の
知的
困
難
に
よっ
て
も、
国民に
対
する
宗教の
掌握が
、
と
き
に
主
張さ
れ
る
ほ
ど、
弱まる
こ
と
が
な
かっ
た
の
で
あっ
た。
伝統的
な
観念に
対
する
、
最初の
知的
打撃は
、
地
質学着
た
ちに
よっ
て
加
えら
れ
た。
彼らの
研
究は
、
世
界は
六
日
間
で
創造
さ
れ
た
と
い
う聖
書の
物語りも
、
世
界の
歴史ほ
紀元
前四
千
四
年の
あ
る
十
月の
午後に
始まっ
た
と
する
公
認さ
れ
た
計算も
、
共に
くつ
が
え
した
。
第二
の
打撃は
、
ダー
ウ
ィ
ン
の
『
種の
起床』
(
一
八
五
九)
と、
『
人
間の
由来』
(
一
八
七一
)
か
ら
明
白に
なっ
た
進化
論
で
あっ
た。
こ
の
理
論ほ
、
人
間が
動物と
は
全
く
別
個の
神の
創造物で
あ
る
と
する
キ
リ
ス
ト
教の
中心
的な
教え
を
くつ
が
え
すも
の
と
考え
られ
た。
さ
ら
に、
い
っ
そ
う重
大な
打撃を
加え
た
の
は、
ア
ン
グ
ロ
・
サ
ク
ソ
ン
キ
リ
ス
ト
教全
体が
拠り
所に
して
き
た
聖
書が
、
不
正
確な
テ
ク
ス
ト
で
あ
る
こ
と
を
明
らか
に
し
た
聖書の
本文
批評で
あっ
た。
他
方、
自然科
学の
発達と
共に
、
歴
史研
究に
よ
っ
て、
聖
書の
字句通りの
真実
性が
疑問視さ
れ
た。
聖
書の
あ
る一
部が
伝説で
あ
る
とい
う
こ
と
に
な
れ
ば、
や
が
て、
そ
の
全
部を
伝説で
あ
る
と
し
て
斥
ほる
こ
とに
反
対
する
論理
的理
由は
ない
よ
うに
思わ
れ
た
の
で
あ
る。
こ
の
よ
うな
知的危機を
生き
延び
て、
比
較的
良
好な
状態
で
立
ち
現わ
れ
た
の
は、
キ
リ
ス
ト
教会の
、
き
わ
だっ
た
業療
で
あ
っ
た。
多くの
牧師た
ちは
、
間も
な
く、
キ
リ
ス
ト
教の
基礎を
、
一
般に
認
め
られ
た
聖
書の
テ
ク
ス
ト
の
無謬性に
置
き
続ける
こ
と
が
不
可
能で
ある
こ
と
を
認め
た。
一
八
七
九
年
と
世
紀の
終り
との
間に
、
聖書の
字句
に
よ
る
霊感に
対し
て、
公
然と
不
信の
念を
表明
する
人た
ち
を、
牧師に
任
命する
こ
と
を
い
と
わ
ない
司
教が
、
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すま
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多く
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た。
そ
れ
は、
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世
紀に
教会が
確立
し、
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ち
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年代
、
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十
年代に
、
あれ
ほ
ど
激し
く
非
難し
た、
自由主
義的で
包括的な
信仰の
伝統の
、
注目
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き
再主張で
あっ
た。
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( 3 3 ) ヴ ィ ク ト リ ア 朝の 宗教 と社会
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