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パーソナル・コンピュータ上での科学技術数値計算に適した 多倍長計算環境の確立 Abstract: We design and implement a new multiple-precision arithmetic environment which runs on the most popular computer architecture. This environment will contribute the reliable and high-accurate com- puter simulations of inverse problems arising in engineering or medicine. Key words: Multiple-precision arithmetic, Inverse-problems, Ill-posed problems, Numerical computations 1. 序論 学・医学・ によって される されている. れる 題ある するデータを し, まれる あるい する する して される. これら Hadamard (ill-posed) れる ち, 一意 データから (いわゆる安 ) る.これま において 一意 あり, について めて かった.しかし した ある. 題に れる あり, によって する られるこ が多い. 題を対 する り,うまい ちいれ をおこ うこ き,これ シミュレーションおよび られる を意 している.しかし り, Hadamard るこ が多く,こ した を引き こし, する られていた. に対し Tikhonov ように,対 している モデルを安 デル する られるこ が多かった.こ られた モデル われるこ があり,そ ずし いく かった.これに対し において, 大が に大き えているこ し, れれ モデル えた. される偏 される モデル し, しているパーソナル・コンピュータ アーキテクチャ ある IA-32 する多 をおこ った. に多 して, されるように ってきたパーソナル・コンピュー タを対 して をおこ った. ,茨 大学 グループによ り, に対する られている されている. 2. 多倍長計算環境 IA-32 アーキテクチャに づく MMX Pentium プロセッサによるパーソナル・コン ピュータが している.多 されるために, アーキテ クチャを対 にするこ が妥 ある えた.IA-32 アーキテクチャ Windows Visual C++, Borland C++, Cygwin, あるい Linux, FreeBSD Gnu C++ コンパイラ して されており,これら を対 して をおこ った.

パーソナル・コンピュータ上での科学技術数値計算に適した 多 ... · 2009-04-17 · パーソナル・コンピュータ上での科学技術数値計算に適した

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パーソナル・コンピュータ上での科学技術数値計算に適した多倍長計算環境の確立

情報学研究科複雑系科学専攻 藤原宏志

Abstract: We design and implement a new multiple-precision arithmetic environment which runs on themost popular computer architecture. This environment will contribute the reliable and high-accurate com-puter simulations of inverse problems arising in engineering or medicine.Key words: Multiple-precision arithmetic, Inverse-problems, Ill-posed problems, Numerical computations

1. 序論

近年,工学・医学・地球物理などの分野で偏微分方程式や積分方程式によって記述される系の逆問題解析の精力的な研究がなされている.逆問題は,順問題と呼ばれる通常の初期値問題あるいは境界値問題の設定では解に相当するデータを観測値とし,方程式に含まれる未知項,附帯条件あるいは方程式の成立する領域などを決定する問題として定式化される.これら逆問題は,Hadamardの意味で非適切 (ill-posed)とよばれる性質をもち,解の一意性,観測データから逆問題の解への連続性 (いわゆる安定性評価)が議論の対象となる.これまでの逆問題解析の数学解析においては,解の一意性と安定性評価が中心であり,解の具体的な再構成手法についての研究は極めて少なかった.しかし物理・工学への応用を考慮した応用逆問題の立場からは,解の再構成が最も重要な問題である.逆問題に現れる函数方程式は,通常,厳密解の構成が困難であり,数値計算によって近似解を

構成する手法がとられることが多い.適切な問題を対象とする限り,うまい離散化をもちいれば安定な数値計算をおこなうことができ,これは数値シミュレーションおよび得られる数値解の信頼性を意味している.しかし上述の通り,逆問題は一般には Hadamardの意味で非適切となることが多く,この非適切性は離散化した方程式の数値的不安定性を引き起こし,数値計算が破綻することが知られていた.この困難点に対し従来は Tikhonovの正則化法のように,対象としている数理モデルを安定なモデルで近似する手法がとられることが多かった.この方法では,工学的知見で得られたもとの数理モデルのもつ重要な性質が失われることがあり,その数値計算結果も工学や物理で必ずしも満足のいくものではなかった.これに対し我々は,非適切問題の数値計算において,丸め誤差の急激な増大が計算結果に大きな影響を与えていることに注目し,丸め誤差のない数値計算が実現されれば非適切な数理モデルの直截数値計算が可能になると考えた.本研究では,計算力学の現場で要求される偏微分方程式などで記述される数理モデルの大規模

な数値計算を想定し,現在最も普及しているパーソナル・コンピュータのアーキテクチャであるIA-32で動作する多倍長計算環境の設計と実装をおこなった.本研究では,特に多倍長計算環境の普及を目指して,今日,数値計算でも広く利用されるようになってきたパーソナル・コンピュータを対象として実装をおこなった.既に国内では,茨城大学の大西和榮教授の研究グループにより,非適切問題の数値計算に対する研究結果が得られているとの報告がなされている.

2. 多倍長計算環境

今日では,IA-32 アーキテクチャに基づく MMX Pentium プロセッサによるパーソナル・コンピュータが最も普及している.多倍長数値計算が広く利用されるために,本研究ではこのアーキテクチャを対象にすることが妥当であると考えた.IA-32アーキテクチャではWindows上で VisualC++, Borland C++, Cygwin,あるいは Linux, FreeBSD上で Gnu C++が標準的なコンパイラとして利用されており,これらの計算環境を対象として設計をおこなった.

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本研究の多倍長数のデータ構造では,多倍長精度・浮動小数点方式を利用した.この背景には,近年の研究において多倍長計算などの援用により,非適切問題の数値解の構成に対する一つの指針が示されてきたことが挙げられる [2].表現したい実数を (−1)s × 2e × 1.F の形に正規化し,符号 sに 1ビット,指数 eに 63ビット,仮数 F に 64×nビットをわりあてた.浮動小数点方式では丸め誤差は不可避であるが,問題に応じて十分な精度を確保することで丸め誤差を隠蔽し,仮想的に丸め誤差のない数値計算が可能となる.計算機上での数値処理に際して,数値は整数型と浮動小数点型の二つの型のいずれかで扱われる.MMX Pentiumプロセッサは,浮動小数点数演算よりも整数演算に適しており,上述のデータ構造のメモリへの格納と基本演算には整数型をもちいた.多倍長数に対する四則演算については,いくかの先行研究の結果を利用した [3].組み込み関数

については Taylor展開による近似多項式をもちいた.演算の高速化のため,プログラムの主要部をアセンブリ言語によって実装した.IA-32アーキテクチャは CPUの内部に演算結果のオーバーフローなどを表す状態レジスタをもつ.C言語や FORTRANからは直截利用できないが,アセンブリ言語を利用することでこのレジスタの操作が可能となる.本環境では,基本演算の繰り上がりなどを補足するためにこのレジスタを積極的に利用している.対象とした IA-32は 32ビットアーキテクチャ上であるが,多倍長数のデータ構造には上述のとおり 64ビット整数を利用している.これは,既に報告者が作成した 64ビット計算機向けの多倍長数値計算環境と整合性を保つためである.データ構造を共通にすることで,32ビット計算機と 64ビット計算機が混在するようなメモリ分散型の並列計算環境においても,MPIに代表されるメッセージ交換型の並列計算ライブラリをもちいることで,ユーザはアーキテクチャの違いを意識することなく,多倍長精度での並列数値計算をおこなうことができる.本環境は区間演算の機能も備えており,浮動小数点方式では不可避な丸め誤差や,従来は数値解

析によって事前評価していた観測誤差の影響を,事後誤差評価することが可能となっている.将来的には,数値計算に必要な桁数を見積ることも可能であると考えている.この区間演算の機能については,特に組み込み関数に対して,計算時間および精度評価の点で不十分な点がある.多倍長精度での組み込み関数の数値計算は数学的にも研究例が少なく,今後改善の必要がある.本環境は,インターネットを介して入手可能である [1].

3. 結論

本研究では現在最も普及しているパーソナル・コンピュータで動作する多倍長数値計算環境の実装をおこなった.今日数値計算環境として広く利用されている IA-32アーキテクチャのMMXPentiumプロセッサと,Windows, Linux, FreeBSDオペレーティング・システムにおいて標準的に利用されている C++コンパイラで利用することができる.本環境は四則演算に対する区間演算の機能も有し,事後誤差評価が可能である.従来の逆問題の解法は,様々な先験情報をもとに解の性質を調べることが多く,得られた結果を

理論的に保証することは困難であった.本研究で得られた多倍長計算環境は,高精度離散化手法と組み合わせることにより,近年深刻な問題となっている構造物の欠陥に対する非破壊検査,医療技術におけるコンピュータ・トモグラフィ,あるいは地球物理学における地震に関連するコンピュータ・シミュレーションなどに対して精度と信頼性の向上に貢献するものと考えている.

参考文献

[1] Exflib home page, http://www-an.acs.i.kyoto-u.ac.jp/˜fujiwara/exflib.

[2] Fujiwara. H and Iso. Y, Numerical Challenge to Ill-posed Problems by Fast Multiple-precision Sys-tem, Theoretical and Applied Mechanics Japan 50, (2001), 419-424.

[3] Knuth D. E., The art of computer programming 3rd ed., vol.2,(1998), Addison-Wesley.

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物理・工学から派生する応用逆問題の数学解析および数値解析

情報学研究科複雑系科学専攻 東森信就

Abstract: The purpose of this research is mathematical and numerical analysis of the applied inverseproblem of identifying the inner structure of an elastic material arising from physics and engineering. Forexample, the geophysical inspection of the underground structure of the earth is studied from the viewpointof the theory of partial differential equations. The mathematical formulation of the problem consideredin this research is an inverse problem of identification of unknown coefficients contained in the equationof linear elasticity. Our problem is a mathematical model of a nondestructive method for identification ofelastic coefficients of an elastic material. In engineering, the inverse problem of identifying unknown coef-ficients of the equation of elasticity have been studied as a mathematical model of nondestructive methodsfor identification of inner structure of a building, a human body, the earth, and so forth, which are frequentlyregarded as an elastic material. Therefore such inverse problem have not only mathematical meaning butalso practical significance.Key words: Inverse problem, nondestructive evaluation, equation of elasticity, mathematical analysis, nu-merical analysis

1. はじめに

本研究は、数学解析および数値解析の両面から弾性体方程式に対する未知係数同定逆問題の研究を行うものである。この逆問題は地球物理学における地球の内部構造同定問題、あるいは材料工学における設計問題の数理モデルとして数学以外の分野においても研究されてきた問題である。本研究において数学の立場から未知係数の数値的再構成を目標とした研究を推進することにより、物理・工学の諸問題の解決に必要とされる数値計算に寄与することになるものと期待される。今回の研究費の受給によって研究環境の整備が行われたことにより、弾性体方程式系の研究が進むにつれて工学的に実現可能な実験・観測をモデルとした問題を扱うことが可能となるものと期待される。その応用例の一つとして人工地震波の観測による地球内部の弾性係数分布の数値的再構成に関する成果が得られることが予想され、このような成果が地震学の研究に貢献するものと考えられる。

2. 研究内容

本研究の目的は、地震学における地球の内部構造同定問題あるいは材料工学における設計問題などから派生する応用逆問題を数学解析および数値解析の両面から研究することにより、偏微分方程式論の物理・工学への応用を図ることである。特に三次元弾性体の内部構造を非破壊的に同定する手法の数理モデルとして弾性体方程式系に対する未知係数同定逆問題を考察し、この逆問題に対する数値解法の提案を視野に入れた研究を行う。具体的には弾性体内部の弾性係数分布が不連続的に変化する境界面の位置および形状の同定問題を想定し、弾性体方程式系をみたす有限個の解の境界観測を用いてその方程式系の主部に含まれる不連続未知係数を同定する逆問題を研究する。特に弾性波動の境界観測を用いる方法を双曲型の動弾性方程式系の逆問題として数学的に定式化し、係数同定の一意性および条件安定性の数学解析的研究を行い、さらに未知係数の数値的再構成手法の研究を行う。本研究の数学解析面での主な内容は弾性方程式系に対する Carleman評価の導出に関するものである。Carleman評価は偏微分方程式論において、初期値問題の解の一意性および条件安定性を示すための有力な手段として知られている方法である。係数同定逆問題に対する一意性・条件安定性の議論の鍵は支配方程式に対する非適切初期値問題の解の一意性・条件安定性を示すことであり、Carleman評価の研究はその証明のために不可欠なものであると考えられる。静弾性方程式系

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の場合には既にDehmanと Robbiano [4]による研究を始めとする幾つかの成果が知られているが、動弾性方程式系に対する Carleman評価は報告者の知る限り、最近になってごく少数の研究例が知られるようになってきたものと思われる。本研究では不連続係数同定逆問題の数学解析的な研究に加え、係数の再構成を目標にした数値解析的研究も行う予定である。ところがこの逆問題はアダマールの意味での非適切問題であることが知られているため、逆問題の数値解の構成は著しく不安定性なものになることが予想される。この不安定性に対処するために、本研究では条件安定性の数学解析的議論で仮定されている先験情報を数値計算のスキームに取り入れることにより、数値的再構成法の安定化の研究を試みる予定である。

3. 成果の意義

本研究で取り扱う弾性体方程式系は、地球物理あるいは材料工学の分野において弾性体のモデルとして古くから用いられるものであり [1]、地球の内部構造の同定問題や材料の設計問題は弾性体方程式系の係数同定逆問題として研究されることが多い [3]。例えば地球物理学において、地球の内部構造同定問題は地球を一つの弾性体と見なした場合に地球内部の弾性係数の分布を求める問題として研究が行われており、地下の弾性係数分布を同定する実験方法として人工地震波の観測を用いる方法が検討されている [5]。しかしながらこれらの応用逆問題を解くためには弾性体方程式系の或る種の初期値問題の解の構成が必要となるが、その初期値問題は数学解析的にはアダマールの意味での非適切問題であることが知られており、この非適切性が数値解の再構成における著しい不安定性の原因となっている。したがって本研究において逆問題の数値解法の安定化に関する成果が得られた場合には、物理・工学で現実に必要とされる数値計算の信頼性の向上に寄与し得るものと期待される。関連研究の例としてV. Isakovらによる無限回観測を用いた波動方程式の伝播速度同定逆問題が

挙げられる [2]。しかしながら本研究が目的とするような、工学的にも実現可能な有限回観測による係数同定に関する研究や未知係数の数値的再構成の研究は、報告者の知る限り殆んど未解決の状態であると思われる。したがって本研究によって今後得られることが期待される成果は、数学解析上の基礎研究としてはもとより、工学的な応用上の意義も重要なものになると考えられる。

参考文献

[1] P. G. Ciarlet, Mathematical Elasticity, (1993), North-Holland.

[2] V. Isakov, Inverse Problems for Partial Differential Equations, Applied Mathematical Sciences 127,(1998), Springer-Verlag.

[3] 久保司朗,逆問題,計算力学と CAEシリーズ 10, (1992),培風館.

[4] B. Dehman and L. Robbiano, La propriete du prolongement unique pour un systeme elliptique. Lesysteme de Lame, J. Math. Pures Appl. 72 (1993), 475–492.

[5] V. G. Romanov, Inverse problems of Mathematical Physics, (1987), VNU Science Press.

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確率挙動を示す神経細胞の数理的モデル化とその情報処理機能の解析

情報学研究科複雑系科学専攻 芦田剛

Abstract: Signal transmission ability of stochastic model neurons is examined. Neurons with finite numberof Markov ion channels are modeled and their input-output relationship are recorded. Based on the obtainedformulae, reconstruction of unknown inputs from the output sequence of a neuronal population is carriedout. The back-estimation shows a very good agreement with the actual input, and then it is concluded thata stochastic neuronal population can detect not only the signal timing but also the signal size.Key words: Noise, Stochastic resonance, Markov channel model, Neuronal modeling, Population coding

1. 研究の背景と目的

脳科学の研究において近年まで用いられてきた神経細胞のモデルは、決定論的な平均化されたデータを再現するように作られてきたが、最近になって、平均からのずれや揺らぎという、これまでは単なるノイズとしか見なされてこなかった性質を神経細胞が情報処理に利用しているという知見が得られるようになった。本研究は、確率的開閉を示すイオンチャネルに基づいた神経細胞のモデルを用い、神経膜電位の揺らぎなどの確率現象が情報伝達機能にどのように関わっているかを解明することを目的として行なった。

2. 確率共鳴

一般的な情報伝達システムにおいては、ノイズは情報処理性能を損なうものとして考えられている。しかしながら、ある種の非線型系においては、適度なノイズの存在によって情報伝達能力が向上することが近年の研究で明らかになった。この現象は確率共鳴 (stochastic resonance, SR)と呼ばれている。確率共鳴は、発見当初、物理系だけの現象であると思われていたが、その後の研究により生体内の感覚器などでも観察されることが分かり、現在では神経系における確率共鳴の働きが注目されている [1]。

3. 神経モデル

単一神経細胞の数理的モデルとしては、Hodgkin-Huxley方程式を代表とした非線型微分方程式による決定論的なモデルが広く用いられている。一方、実際の生物の神経においては、シナプス活動、イオンチャネル開閉、熱揺動などが原因で、膜電位は常に揺らいでいる。この揺らぎも含めた神経活動の定式化には確率過程の理論が用いられ、Hodgkin-Huxley方程式にノイズ項を加える方法や、イオンチャネル挙動をMarkov過程で記述する方法などがある [2][3]。決定論モデルは確率論モデルのある種の極限として得られることが分かっている。本研究では、イオンチャネルの開閉を定式化した確率的モデルと従来の Hodgkin-Huxley方程式に対応する決定論的モデルとを、計算機を用いた数値実験で比較し、確率現象が神経情報処理に及ぼす影響を調べた。

4. 数値実験

4.1 入出力の関係 決定論的モデルと確率論的モデルの両方を用いて数値実験を行い、両モデル細胞における入出力の関係を調べた。その結果、決定論モデルが、「一定以下の入力には反応せず、一定以上の入力には入力量に関わらず同じ反応をする」という、いわゆる「全か無か」の性質を示すのに対し、確率論モデルは「入力の大きさに対応して反応確率が変化する」という性質を持つことが分かった(図1左)。また、入力シグナルの増加に伴い、応答までの時間は単調に減少することも分かった(図1右)。

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0

0.2

0.4

0.6

0.8

1

1.2

1.4

0 0.05 0.1 0.15 0.2 0.25INPUT(pA/um2)

conti160

4010

5

0

20

40

60

80

100

0.05 0.1 0.15 0.2 0.25

aver

age

dela

y (m

sec)

INPUT(pA/um2)

conti160

4010

5

図 1: (左図)入力電流と反応確率の関係。(右図)入力電流と反応時間の関係。線名の contiは決定論モデルを、線名の数字は確率論モデルを表し、数字が小さい方がノイズは大きい

0.06

0.08

0.1

0.12

0.14

0.16

0.18

0.2

0.22

0.04 0.06 0.08 0.1 0.12 0.14 0.16 0.18 0.2 0.22

estim

ated

inpu

t (pA

/um

2 )

actual input (pA/um2)

0

10

20

30

40

50

60

70

-5 -4 -3 -2 -1 0 1 2 3 4 5 (ms)

図 2: (左図)実際の入力と推定入力の関係。(右図)実際の入力時刻と推定入力時刻の誤差。

4.2 未知入力の推定 入力量と反応確率の対応関係を基に、同じ入力を受ける確率モデル細胞を多数(今回の実験では 100個)集めて、未知入力の大きさとタイミングを推定する。具体的には、まず、入出力の関係から逆算公式を導く。次に、全体の細胞のうち入力に反応した細胞の割合から入力量を逆算し、さらに、推定入力量から入力タイミングを計算する。この結果得られた推定入力量と実際の入力量の相関は 0.978という高い値であり(図2左)、タイミングの推定誤差も約80%の確率で 1msec以内に収まった(図2右)。

5. 結論

一般に情報処理の妨害要因だと考えられているノイズを神経モデルに導入することで、入力量と入力タイミングを精度良く推定できることを示した。これは、単一細胞では伝達できなかったシグナルの大きさやタイミング等の情報を神経細胞集団が伝達できうることを示しており、これまでのニューラルネットワーク理論に新たな知見を提供する結果である。ニューラルネットワークの技術は、画像処理、音声処理、プラント制御などをはじめとする様々な産業分野で広く用いられており、今回の成果は、この技術を推進させ、より高度な情報処理機能を有する機器を社会に提供するのに役立つものと期待される。

参考文献

[1] K. Wiesenfeld & F. Moss, Stochastic resonance and the benefits of noise, from ice ages to crayfishand SQUIDs., Nature, 373, 33-36, 1995.

[2] B. Hille, Ion channels of excitable membranes (3rd. ed.), Sinauer, 2001.

[3] W. Gerstner & W. Kistler, Spiking Neuron Models., Cambridge, 2002.

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混合装置の簡易モデルにおける流体混合のレイノルズ数依存性

情報学研究科複雑系科学専攻 水野吉規

Abstract: Reynolds (Re) number dependence of the mixing of fluid due to a steady flow in the partitionedpipe mixer, which is a model of actual mixing devices, is studied. It is found that the tendency that asRe is increased, some of the islands, which are the regions enclosed by barriers preventing the transportof the fluid across them, become larger. Also we found that all the recognizable islands are eliminatedby increasing Re further. Furthermore, we attempt to detect the positions of the islands with an Eulerianproperty of the velocity field. We found that some islands can be detected but further study is needed.Key words: mixing, chaos, Eulerian diagnostics, symmetry, partitioned pipe mixer

1. はじめに

流体の混合は,各種工業プラントにおいても原材料の均一化や化学反応の促進など大きな役割を担う為,混合装置の設計と運用の簡易化および効率化などの観点から,工学上においても流体混合の基礎的な理解は重要である.本研究では混合装置の簡易モデルにおける流体混合のレイノルズ数依存性について調べる,ここでは特に,レイノルズ数の変化に伴って混合の妨げとなる輸送障壁が出現あるいは消滅することに着目し,そのメカニズムを明らかにすることを目指している.この障壁の出現は,実際の混合装置の設計においても第一に重要な問題となるため,この物理的なメカニズムが明らかになれば,それらの装置の設計に対して何らかの指針が与えられることが期待される.

2. 流体の混合とカオス

ある有界領域において,位置 x,時刻 tの関数として速度場 u(x, t)が与えられると,その領域における流体粒子の軌道X(t)は以下の常微分方程式により与えられる.

dX

dt= u(X, t) (1)

一般に,流体粒子がカオス的な軌道をたどる領域では流体は効率的に混合することが期待されるが,その一方で,(1)の位相空間に閉じた不変集合が存在する場合は,その内側と外側での流体の移動がないために混合にとっては都合が悪い [1].現実に使用される混合装置の設計においては,まず第一に,そのような障壁が現れないようにすることが必要とされる.

3. Partitioned pipe mixerにおける流体の混合

図 1: Partitioned pipe mixer

本研究では,Partitioned-Pipe Mixer(以下 PPM)と呼ばれるシステムにおける流体の混合について調べる.PPMは実際に混合装置として広く使用されているスタティックミキサーの簡単なモデルである [2].スタティックミキサーとは,流れを複雑にするようにエレメントと呼ばれる部品を配置した管の中に,流体を流すことによって混合を促す装置の総称で,PPMはそのごく簡単な数理モデルとなっている.これは無限に長い円筒の内部に交互に平板を配置したもので,円筒の軸方向に流体を流し,その際,円筒壁を回転させることにより断面方向の流れを発生させて混合を促すシステムである.図1はPPMの軸方向の1周期分を示している.速度場は連続の式と定常流に対するNavier-Stokes方程式を満たすものとし,SMAC法によりこれを数値的に求めた [3].

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図 2: ポアンカレ断面 (a)Re = 10, (b)Re = 30, (c)Re = 70, (d)Re = 150.

図 3: |∇2u|の分布 (a)Re = 30, (b)Re = 70.

3.1 ポアンカレ断面 図2はいくつかのレイノルズ数に対するポアンカレ断面を示している.これらの図中の閉曲線は前述の障壁の断面であり,これらに囲まれた領域(以下,島と呼ぶ)とその外部の領域での流体のやりとりはない。図2の (a)と (b)を比較すると,レイノルズ数の増加に伴って一部の島が拡大していることがわかるが,これらの島は更にレイノルズ数を大きくすると消滅する(図2 (c)).また,それら以外の島もレイノルズ数が充分に大きくなるとすべて消滅することがわかる(図2 (d)).このような,レイノルズ数の増加に伴って,島が一旦拡大しその後消滅するという傾向は,他の3次元定常流においても観察されている.

3.2 島の検出 速度場がある種の対称性を持つと流体粒子のカオス的な挙動が現れないが,系の境界条件から決まる幾何学的な対称性(例えば,∂u

∂x = 0: x方向の平行移動など)の他に,∇2u = 0で表される Dynamical symmetryを考えることもできる [4].一般の流れはこれらの性質を持たないが,これらの対称性が局所的に満たされている領域が存在すればそこに島が存在するであろう,というのがここで行う島の検出方法の基本的なアイデアである.図3は,いくつかのレイノルズ数に対する |∇2u|の分布を示したものである.図2のポアンカ

レ断面と比較すると,ひし形と三日月形の島に対応して |∇2u|が小さくなっている領域が認められるが,それらの位置がよく一致しているとは言えない.また,図2 (b)の4つの3角形の島に関しては |∇2u|の分布との関連が全く認められず,他の対称性を用いた検出が必要であると考えられる.今後,更なる検討が必要である.また将来的には,この手法を通じて,混合のレイノルズ数依存性に関する理解が深まることが期待される.

参考文献

[1] J. M. Ottino, The kinematics of mixing: stretching, chaos and transport, (1989), Cambridge Uni-versity Press.

[2] D. V. Khakhar et al., A case study of chaotic mixing in deterministic flows: the partitioned-pipemixer, Chem. Eng. Sci., 42, (1987), 2909-2926.

[3] Y. Mizuno & M. Funakoshi, Chaotic mixing due to a spatially periodic three-dimensional flow.,Fluid. Dyn. Res., 31, (2002), 129-149.

[4] A. N. Yannacopoulos et al., Eulerian diagnostics for Lagrangian chaos in three-dimensional Navier-Stokes flows, Phys. Rev. E, 57, (1998), 2482-490.

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伝達遅延を含むシステムの制御とその動画処理への応用に関する研究

情報学研究科複雑系科学専攻 加嶋健司

Abstract: In this paper, we consider the H∞ problem for unstable pseudorational plants, involving thesensitivity problem for time delay systems with rational weights. We derive a Hamiltonian-based solutionto compute the optimal performance level, by extending the well-known Zhou-Khargonekar formula forstable plants.Key words: Delay systems, H∞ control, Optimal sensitivity problem

1. はじめに

近年,伝達遅延を含むシステムの制御に関する研究が,その重要性を増している.こうした制御問題は,リアルタイムネットワークを介した制御を行うシステムの構築などへの応用からも注目を集めている.しかし,伝達遅延を含むシステムは無限次元システムとなるため,その扱いは有限次元システムの場合と比較し著しく困難となる.安定な無限次元システムに対するH∞制御問題に対しては Zhou,Khargonekarらにより解法が与えられており [4, 3],この結果はより広いクラスの問題へと拡張されている.本研究ではこれらの結果をふまえ,システムが不安定である場合への拡張を行う.

2. 1ブロック問題

重み関数W (s)を安定な有理伝達関数,制御対象 P (s)を(必ずしも有限次元とは限らない)有限個の不安定極しかもたない伝達関数とする.例として最適感度問題と呼ばれる

γopt := infC:安定化補償器

‖WS(s)S(s)‖∞ , S(s) :=1

1 + P (s)C(s)

を求める問題を考える.ここでC(s)は閉ループ系を安定化する補償器である.この問題はインナアウタ分解,ユーラパラメトリゼーションを用いることにより,次の

γopt := infQ∈H∞ ‖W − m(s)W0(s) − md(s)m(s)Q(s)‖∞ (1)

を求める問題に変換される [1].ここでW,W0は安定な有理伝達関数,mdは有限のブラシュケ積,mは一般のインナ関数である.この問題は 1ブロック問題と呼ばれ,ここで挙げた最適感度問題のみならずモデルマッチング問題など工学的に重要な多くの問題がこの問題に帰着される.特に与えられた制御対象が安定である場合,(1)式ににおいてW0 = 0かつmd = 1となる.この場合,W (s)の最小実現を (A,B, C)としたときに,ハミルトン行列Hγ を用いて

γopt = max{γ : det(m (Hγ)|22) = 0}, Hγ =

[A γ−1BT B

−γ−1CCT −AT

]

で与えられることが知られている.ただしm (s) = m(−s),M |22は行列M の (2, 2)ブロックである.本稿ではこの結果を制御対象が不安定な場合に拡張する.

3. 主要結果

(1)で与えられる γoptは次のハンケル作用素

Γ : x �→ π−(m˜md (W − mdW0)x)

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の最大特異値と等しい.ただし π−は L2(jω) = H2 ⊕ H2−からH2−への直交射影である.そこで特異値方程式

γy = Γx, γx = Γ∗y

が解を持つための条件を導出する.ここで重み関数の有限次元性から,上の特異値方程式の解 x

および yは有限個のパラメータによって記述することができる.これを用いると,紙幅の都合上詳細は省略するが,m,md,W,W0および γを用いて定義されるある行列Mγ に対してその最小特異値が σmin(Mγ) = 0を満たすことが上述の特異値方程式が非自明解をもつ必要十分条件となることが示される [2].したがって γoptは

γopt = max{γ : σmin(Mγ) = 0}

となる.特にW0 = 0,md = 1の場合にはMγ = m (Hγ)|22となり Zhou-Khargonekar公式と完全に一致する.

4. 数値例

0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 10

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

図 1: Mγ の最小特異値

次のように制御対象を伝達遅延をもつ不安定系,重み関数をローパスフィルタとして最適感度 γoptの計算をおこなった.

P (s) =1

s − 1e−0.2s, W (s) =

2(s + 1)10s + 1

図 1は横軸に γ,縦軸に対応するMγ の最小特異値をプロットしたものである.この場合における最適感度は γopt ≈ 0.27となることがわかる.

5. 結論

本項では安定なシステムのH∞制御に対して得られている従来法を不安定系へと拡張した.今後はこれらの結果をもとに,システムが切り替えを含む場合の安定性解析および伝達遅延や通信容量制約といった現実の通信や信号処理の状況を考慮した動画処理システムの構築を目指す.

参考文献

[1] C. Foias, H. Ozbay and A. Tannenbaum, Robust Control of Infnite Dimensional Systems, Springer,1996.

[2] K. Kashima, H. Ozbay and Y. Yamamoto, Hamiltonian-based solution to the H∞ problem forunstable pseudorational plants,第 4回計測自動制御学会制御部門大会,京都,2004年 5月発表予定

[3] Y. Yamamoto, K. Hirata and A. Tannenbaum, Some remarks on Hamiltonians and the infnite-dimensional one block H∞ problem, Syst. Contr. Lett., vol. 29, pp. 111–117, 1996.

[4] K. Zhou and P. P. Khargonekar, On the weighted sensitivity minimization problem for delay sys-tems, Syst. Contr. Lett., vol. 8, pp. 307–320, 1987.