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Ⅰ㍉フラグマティズ ムロ の神
二 ・「宗教経験の諸相
ヒ の神
三 、「根本的経験論」と「プラグマティズム
ヒ
四 、純粋経験とプラグマティックな
神
五 、根本的経験論と宗教
ウィリアム・ジェイムズは矛盾する二つの視点
から神と人間の関係を立てる。一方において神は
、全知・全能なも
教 のではなく、神の世界の実現のために人間
の 助力を必要とする。ここでは、人間の意志的
活 動 が要請される。しかし・
"""
刀て
利シ グマティズムロ
と 同士示教経験の諸相
L の 前書に見出されるが、「プラグマティズム
ヒ では - 明 者の視点が強調され、
根
「宗教経験の諸相
L では、後者が強調されている
。このように全く異った二つの観点から立て
も れた神と人間との
関
根本的経験論と宗教
ウィリアム・ジェイムズの宗教論
村野宣男
1 て 1)
る い
ある
、つ
・ ヵ こ、
スま
@
は
真理性を判定する方法であり、観念の真理性 は 、それがもたらす実際的効果によって決定され る 。すな む ち 、
観念の真理性は・われわれを取巻く世界の問題 を 、いかによく処理し得るかによって判断される のである。した
て プラグマティズムの方法は実証的であり・ 観 念の検証化貧ミ ぃ Ⅰ ぃ op ( ざ口 )が常に問題となって くる。ジェイ ム
、「例えば、プラグマティズは 、 常に個物にかか わる点で唯名論に同調し、実際的側面を強調す る 点で功利主義
ハ 2 )
言葉上の解決 や 、無音 ゅ 味な疑問や、形而上学的 抽 象 を避ける点で実証主義に同調する。」としてい
る 。しかし、 ジ
( ll )
概念の実際的効果を辿ることによって、概念を 解釈しょうとするのである。」フラグマティズ ム は 、観念の妥当性あ
(2) 2
ぬ か に ズ わ 象 括 係 は は 『 れ を 的 を
か 初 緒 、 プ る 包 視 包 く 質 る ブ ラ
か 指 点 描 ら す を 的
しかこ て精と ラグ クマ ・ 、 神 の マ テ
こ か な テ ィ に 埋 であ 立 ろ 門限 る 場 本 解
の 0 い 々 ズ 。 を 的 す よ 日 経 る う の 耐 ム し 指 験 新 な よ 上 の に し 論 た 概 ぅ 単 刀 お て 』 な 念 な 的 法 げ お に 視 。
る 0 球 , 点 に 対 協議に 念論関神 、 め を す は に し 観 る 、 終 て 念 調 い 正 次 を 論 ず 符 の み
は れ を よ る 尽 も れ 3 所 き 仕 っ に に な 界 こ 述 い に と べ ン
。 対 で て ェ
こ し あ い ィ め て る る ム よ ち 。 。 ズ
マ マ 想た馨
ぅ で か
の
理
を 観 し
さ ゆ は れ る る 経 こ れ 矢口 目 な ィ と 験 の の れ 白 し ん ぽ 、 現 包
このようなプラグマティズムの方法によって
、ジ エ イムズがどのような宗教的観念を真としてい
るかをみたい。
ジ
教ェイムズは、形而上学的
神 観念に対して 一 応の意味を認める。例えば、汎神論的ヴェーダ
"'"
刀ド
緩 グマティックな価値をもつ宗教が存する。記者、そして私はその一者である。」という
( ド u )
卸 つの生命、一つの真理、一つも
焚 、一つの 原理、一つの
善 、一つの神口私はこれを クリ スチャン・サン
ェシ スの
根 小冊子 よ り引用したのであるが う た がいもなくこのような信仰告白は、プラグマティ
ック にいって情緒的価値
3 (3)
( 4 )
性が存している。
こ観赤 る念 し ジェ りで な う がす でなが 伺 い 0 ェ ィ ムズ のい う 功利主義は 、 単に世俗的功利主義では なく、実証主義も論理実証主義的な意味に解 されてはならな
シェイムズは、「真理を決定するに際してプラグ マティズ ム の唯一の検証方法は 、 何が最上にわ れわれを導くか、
生の各部分に適合するか、何が一切の経験の要 求 全休 と 結びつくかである。もし、神学的観念が 以上の要求を充
ら ・とりわけ神の概念がそうであることが判明 するなら、どうしてプラグマティズムは神の存在 を 否定すること
きようか 0 プラグマティズムは、プラグマティ ック にあのように成功をおさめた観念を " 真でな い :と取扱 うよ
(Ⅰ 3 )
鮎生息味なことはしない。」として、宗教的観念の 意味を強調する。われわれを取巻く世界は 、 単に 物理的外界ばか
なく、内面的精神の諸相も含むのであり、ここ から道徳的・宗教的領域もプラグマティズムの 課 題 となる。 又 、
イムズのい う 実証主義も、論理実証主義のよ う に 価値判断を捨象するものではなく、「実際的効 果 」という語が
ているよさに、観念がわれわれの生にもたらす ところの価値的意味が問題となっている。プラグ マティズ ム は 、
の 真理性をわれわれの生を軸として論ずるのであ るが、生は多面性をもち流動的で、一義的には 規定されないと
より・一つの観念の真理性が一義的に決定され ないことになる。ここにフラグマティズ ム の真理 観の特徴と困難
ており、次のように述べられる。「 神 自身は 、簡 単にい うと 、われわれの信仰から力強さと押目 身の存在の増大を獲
得する。私自身としては、この世の汗と血の悲 劇は 、この考えを前提としない限り何を意味して いるか理解すること
ができない。もし、この生活が成功によって 何 ものかが獲得される真の闘争でないなら、すぐ 席 を立ぅて 構わない 素
八割にすぎないであろう。しかし・この生活は 真の闘いのように思える。あたかも、われわれの 理想と信仰をもって
われわれの精神から生命を奪 う ことを強調する のである。ジェイムズが真なるものとして呈示す るところの神は次の
よう に語る。「私は・それが救済されることに
関 して不確である世界、すなわち・その世界の完 成は単に条件付きで
- 托 )
ある世界を作ろ う と思 う 。その条件とは、それぞ れの人がそれ自身のべストを 尽 すということで ある。」「信ずる意志」
では次のように述べられる。「最上にして最良の 応答をもって神の創造の業に協同することが、 神 がわれわれに望ん
でいるものと思われる。神を瀧げに思索し尽して しまうことではなく、又、神を理論的に解消し てしまうことではな
(・
i , )
く 、この ょう に神の目的に協同することに、
わ れわれの運命の真の意味が存するのである。」
ナ 」 のような全能でない
神 ・人間の意志的助力を要求する神が、ジェイ ムズのフラグマティックな 神 なのである 0
(は)
ンエ イムズは、ヴェータンタ哲学のような観念 を 「 軟 かい型の思考」のものとして、病める魂は このような観念を
(Ⅱ W )
必要とするという。一方、人間と協同作業を行 ぅ 神の観念は、「硬い型の思考」による。ジェイ ムズ にとっては、「 軟
い 型の思考」は受け入れ難く、「世界はともかく 全体的に救われているという観念は、あまりに も 甘く耐え難いもの
ではあるまいが。」とする。世界にある程度の困
-4 )
難 が存在する方が、われわれの活力を刺激する と ジェイムズは考え
ハ山しし
無関心主義の方法である。これに反論するもの は 、この方法を精神的阿片にたとえる。」として 、このような観念が
念は精神的休暇を与えることを認める。(
8 レ
シェイムズはこのような相観念に対して「これ は 有名な静寂主義との
を持っているのである(
7 )。」と述べる。ジェイ
ム ズは 、意志的活動に疲れ果て、挫折した人間に
とって、これらの 観 4
記 イムズは コ 宗教経験の諸相口において、 宗 教
の生きた姿は観念の中ではなく宗教的感情の中 に
あるとして次のように
織 述べる。「私は、 感清 が宗教の淵源であり、・
・・(
, 9 l )
哲学的・神学的図式は、原文を他の言葉に翻訳 す
ると同じように二次的
祁な 産物であると信じている。」ここに、プラ グ
マティックな 神 観念が 、 果して コ 示教経験の 諸
相 ヒに 述べられる宗教(
根
経験と接合し得るかという問題が生ずる。「 み 本数 経
験の諸相口における宗教経験の分析をみるこ
宗教
ノックな 神 観念は、たとえ検証の結果 真 となる 可 能
性を持つものであっても、哲学的概念に過ぎ な
いといえる。ジェ
マティックな相観念を過剰信仰として世界にかか わ
ろ う とする。「プラグマティズム L では、 神 は
あくまでも観念と
して捉えられており、その神がわれわれにとって 有
効なる生きたものとなるかはいまだ知られて い
ない。フラグ マテ
-8
l )
ヘ 7 Ⅰ )
信仰あるいは信仰への冒険は、事実上、証拠を も
たらすのに必要であるとされるのである。」 ジ エ イムズは、プラグ
「 生 」の 基
ジェイム
能 性を持つ
な神 観念を
げる。何故 調
は 、「硬い型の思考」に同調するものであり・
ここからプラグマティックな相観念が成立する の
である。
スは 以上のようにプラグマティックな 神 観念を呈 示
するが、ジェイムズにとってこの神観念は真 と
なる 可
ものに過ぎないのであって、具体的経験の中で 検
証されたものではない。ジェ ィ ムズはプラグ マ テ
ィック
検証以前に真とすることは独断であるとして 次 の
ように述べる 0 「プラグマティズムは独断的な
答えを 避
ならわれわれは、どの宗教が長い目で見て最も よ
く働くかをまだ知らないからである。人間の種 々
の過剰
( 埼 @ )
傾向性があるであろう。」と述べられる。プラグ マ
ティズ ム では・人間の「 生 」に有効な観念が
真 とされるが、その
るとして、
人間には、
「 , 」 れは ・実際的なことを行 う 上において、勇気 と
よ ぶものと同じ精神的特質である。そして 活 力 のある
危険が世俗的活動に刺激を与える よう に、哲学 的
信条におけるある種の不確かさを享受する非常 に
一般的
救われる必要のある真に粗野なるものがこの 宇 宙
に存在しているかのごとくである。:・このよ
う に
半分粗野で、半分
( 巧 )
救われている宇宙が、われわれの性質に適合し て
いるのである。」 又 、信仰とは、不確かなこと を
引受け ろ ことであ
一 " 一
コ 示教経験の諸相口では、具体的データーに基づ き、宗教経験の有様が詳細に分析されている。 , 」の分析における
神と自我の関係をみるとき、神は人間の自我に 対して常に優越するものとして現われ・人間は自 我を放棄し 、 神に 服
従 するものであることが理解される。神は人間 に 慰めを与え・勇気づけ、エネルギーを与えるも のであり、自己自身
の 完成のために人間の助力を必要とするものでは ない。人間は 、 常にその意志を神の前に放棄し 、 神に服従するもの
である。
シェイムズは・宗教経験を回心の結果における 神 秘 的経験として捉えている。回心に至る過程に おいては、 意 亡心的
努力が必要とされるが、(
o 2
)
回心そのものは、自己 放
棄(の 四 h.
の 目 お臣 縛 )によって達成されるとし て 次のように述べら
れる。「最も随意的に形成された再生の種類にお いても、部分的な自己放棄の過程がさし挟まれ ている。そして、 ほ
とんどの場合、意志が熱望されている完全な統 ム ロ へと接近すべく最大の努力をしたときに、最後 0 段階は他の 力 に残
(何
れ )
されており、意志の助力なしに行わぬ ぱ ならない 23 に思われる。いい 換 れば、自己放棄が不可 欠 なものになる。」 自
己 放棄において達成された宗教経験そのものに おいて・自我の意志的活動は存在し得ない。回心 の 結果における神秘
的 状態の特徴としてジェイムズは、「 一 @m いカ の 支 配 」と「受動性」(
3 2
) を挙げているが、自我は宗教 的 対象の下に支配さ
(㌍)
れ 服従しているのである。この高 いカ の支配に より人間は次のような恩恵を受ける。「その中心 的なものは、悩みの
消失であり、全ては究極的に良しとされる感覚、 すなわち平安と調和である。そして、たとい 外 的な状態が同じであ
を 検討したい。
(6) 6
根本的経験論と 宗教
観 「 信 一 の 雨 区 は 度 禁 る る でしな称念口受 著る「 口 条し 間者別、 を 欲 。 宗 あ た ら 自 は プ 動 の 、 の の さ い 凌 生 し 教 ろ と ば 身 具 ぅ 性 相 わ 通 区 れ わ 駕 義 か 的
特 待
の 主
" 等 (
的伝 れ しと経験 も す
約 、 免 書 を
束、 か 幼 年 われ げたとか と合 者と 一見 とは 全て 的態 えま @ 7 て 7)
ろ う とも、生きようとする意志である。」すなわ ち 、人間は安らぎを与えられ生きる力を得る。
「根本的経験論」は、ジェイムズの死後。一九一
二年に出版されたものである。しか
「心理学原論 口 (ごて㍉「~さ
い ~も~羽東㍉ めセぃオ
も~ 0 呵臣 )にすでに根本的経験論の繭 芽 がみられ、
(㌍)
点から研究対象となっている。「心理学原論 ヒに お げる方法の独自性は、あくまでも経験
観点から人間の精神現象の選択性および目的性 が 主張されている。しかし、「心理学原論」
し 、一八九 0 年に著された
この書は最近、現象的学視
に 忠実であることで、この
には、いまだ精神と物質、
一 一 一
いうことによって人間に働きかけている。ジェイ ムズ は、この神観念において古本教経験に基づく
宗教的生き方と意志
的 ・道徳的生き方の双方の調停を計ろ う とした とも考えられる。しかし・この調停は失敗に終り ・事実上プラグ マテ
ック な 神 観念は道徳的色彩が濃いものとなって いる。ジェイムズ自身この試みに疑念を懐い ており、「私は、ここ
で 公式にプラグマティストとして話すことはでき ない。しかし私がいえる全ては、私自身の ブ ラ グ マティズ ム がこの
(㎝)
ような道徳的見解をとり・全体的な和解を放棄 することに何等反対しないということである。」
と 述べている。
「プラグマティズム ヒと ヱ % 教 経験の諸相口にお げる 神 観念の矛盾を、宗教経験の中にこそ宗教 の 生きた姿がある
として、プラグマティックな 神 観念を単に観念 的なものとして排斥することによって解決すべ きであろうか。ここ
で、これら 両 書の立場を包括する新たな視点を 「根本的経験論口の中に求めてみたい。プラグ マ ティズ ム は、その内
容 をみるとき、根本的経験論に同調するものと 解釈することができる。宗教経験もその淵源は 、 純粋経験の中にある
と 考えられる。ジェイムズ自身は、根本的経験 論の下に体系的な宗教論を展開していないが、 ジ エ イムズの哲学と宗
教諭 は 、この視点の下に体系 づ げられるべく 方 向づ げられているとみることができる。
(8) 8
別は 、意識的経験において認められるにしても
実体的な意味での区別ではないとして、意識的経
験の背後に存在する
主 ・ 客 未分の純粋経験を立てる。主体と客体は
、 純粋経験が自から意識的経験の場に移行するこ
とに よ りはじめて 生
ずる機能的存在であって実体的なものではない。
純粋経験はここで、内的観念的要因として考え
られているものでは
( 5 3 )
なく、あくまで二元論的実体を超越した存在で
あることに注意せねばならない。
( 6 3 )
シェイムズは、「純粋経験は、生命の直接的流れ
に 与えたところの名である。」としているが・
更 に 純粋経験の性格
を 思考との関連の上に次のように規定している。
この直接的生命が支障なく進行している場合、
純粋経験の状態はそ
のまま持続する。しかし、この直接的生命は
、自 己 充足的ではなく、自己の意識化の過程を通して
、自己を調整せねば
ならない。「もし純粋経験が常に完全であるなら
ぱ 、その経験の諸項を分離したり、言語化する
必要は生じなかった
・純粋経験の危機的状況において喚起される
磯 能 的存在である。「物質的
対比されるような思考の根源的素材は存在しない
。経験の中には、思考が
一 %
謹 ㍍ バ鮒 Ⅱ 姥 %
弱 バ
根 かの経験の傾向は、生命に実際的関係をも
っているなまの経験における諸要素が、その連続
性から分析され言語化さ 9 (9)
対象等が区別された二元論が消失している。
こ のような 主 ・客の区
主観と客観等の
であろうとする
「根本的である
直接経験される 二
元論を立てる古典的経験論の残 津 があり、論理 絢一貫性が見られない。ここにみられる経験に 忠実
方法を徹底的に推進したのが「根本的経験論 L である。ジェイムズは、根本的経験論の原則とし て、
ためには、経験論は。その構成要素に直接経験 されないものを認めてはならないと同時に、それ から
(㏄)
ものを除外してはならない。」と述べる 0 この 立 場は徹底され、㍉心理学原論 L においていまだ 存 在し
( 2 4 )
抹 している。」と述べており、純粋経験はわれわ れに知られる存在である。純粋経験は、意識的 認識の観点からは 濠
ヱ イムズは「直接的に知るということ、すなわち 直観的に知るということは、心の内容と対象が 同一であることを 意
( 9 3 )
れ 関連 づ げられる程度に応じて軽減されるので ある。」といわれる。純粋経験は、思考の段階で カテゴリー化され、
思考は状況を認識する。認識に基づく行動の過 程を経て、危機的状況が消失するに伴い、再び 、 意識されない経験、
すなわち純粋経験の状態が取戻される。この ょ 5 に純粋経験の性格と思考の役割が規定されてい るのである。
以上がジェイムズの 日 根本的経験論 L の概要で あるが、反省的意識の前段階としての純粋経験と は 、具体的にはい
かな スリ ものと考えられてい ス りかを 付 舌口 L していんこ う 。われわれに知られる経験は全て意識的経験で あるとすれば、純粋
経験は形而上的なものと思われる。ジェ ィ ムズ が 具体的に純粋経験に言及しているところに よ る と 次の通りである。
「自分自身をこの論文を読むという行為の中に 捉 えてみよ。さて、この論文を読むということは 純粋経験であり、 =@
い操 れば、現象、データ、単なるそれ③ ョの ( の 手簿()あるいは事実の内容である 0 読むという ことが単に存在しそ
こ
にある。そして、そこに何ものかの意識がある か ・あるいは物理的性質があるかは、いまだ 問 われていない。その
瞬間においては・それはそのどちらでもない。後 になってわれわれは、それは双方のためにそこ にあったということ
( 0 4 )
を 判断するであろう。」「読むことが単に存在し
てそこにある」という直接的生命の流れが純粋 経 験 である。しかし、
それを認識する段階に進めば、それはもはや 純 粋 経験ではなくなる。この意味で純粋経験は意識 の濠 味な状態に対比
され次のようにいわれる。「単に生れたばかりの 幼児、又は眠り・麻薬・
病 、打撲により半睡 状 態 になりている人は 、
いまだ明確な何( 毛ゴ at )になっていないそれ( ( ゴ曲 ()という文字通りの意味での純粋
総験 をもっ ていると想定され
(・
4 , )
る 。」対象を知るということをカテゴリー化する ことに解せば、純粋経験は形而上学的存在であ る 。しかし・
ヵテゴ
リ ー 化をはみだした生命の流れを直観すること も 知ることであるとすれば、純粋経験は形而上的 なものではない。 ジ
do) 10
根
直接的生命の流れたる純粋経験は、プラグ マテ イズムにおける観念がそこから出てそこに還ると ころのわれわれの
滑 にする機能的存在として理解することができる
0 観念は、ジェイムズの
織側 によれば、森の中で道に迷ったような
調 相酌生の破れ目に生ずるものであり、この観念の
正当性はわれわれの上に
和 よって 又 、決定されるのである。
1 ( ⅠⅠ )
き教
い う 論文においては、ある観念が世界との対応
において埋に適っている・つまりムロ
理的 ( hpd
ざコ ニ )であるための 基
い う 主観的徴候が挙げられている。プラグ
マテ イズムには、非概念
。」(
る 3 4
) このように・プラグマティックな検証過程
は 主観的である。「信ずる意志
ヒに 収められてい る 「合理性の情緒と
展 的で調和的で満足なものとしてわれわれにや ってくるのである。この調和するところの導きが 観念の検証を意味す
われが持っていた観念と一致関係にあるとわれ われが感ずる他の経験の部分にわれわれを導いて 行くのであるこ
のような感覚はわれわれの能力の中に存在してい るものである。この連続性と移行性は 、一 点から一点へと・ 発
われを導いて行くものである。すな ね ち、観念 はそれが生みだすところの行為あるいは別の観念 を 通じて、最初われ
う な価値判断を捨象したものではなく、観念が われわれの上にとっていかに有効であるかを 問う 為 のものである 0 観
念の真理性は、いわば観念化されていない生に 照し 合わされ、その観念がわれわれの生を如何に 効果的に導くか、 換
書 すれば、われわれの生にいかに調和するかに よって決定される。ジェイムズは次のように述べ る 。「観念は・われ
観念の真理性が問われ、その真理性は検証化に よって決定される。しかし、その検証化は論理実 証 主義が意味する ょ
ここで・プラグマティズムの理論が根本的経験論 に 同調する関係にあることを指摘したい。プラ グ マティズ ム では
ありこれより意識的経験界の全てが生ずるので ある。
味な状態とはいえ、直観にとっては確かな存在 と 思える。この生命の流れとしての純粋経験はあ らゆるものの根源で
四
以上のように根本的経験論とプラグマティズム の 関係をみると き 、純粋経験とプラグマティック な 神との間に相応
関係をたてることができるのではあるまいか。 プ ラグ マティックな神は、「私は、それが救済さ れることに関して 不
確 である世界、すな ね ち、その世界の完成は単 に 条件付きである世界を作ろ 3 と思 う 。その条件 とは ・それぞれの 人
がそれ自身のべストを 尽 すということである。」 と 語る神であった。プラグマティックな神は 、 自己充足的ではなく
人間の意志的助力を要請するものである。しか し 、人間の意志的助力が存在する限り世界の完成 を 約束するというこ
とは、神が人間の活動を導くものであることを 立 思抹 する。プラグマティックな神の非充足性は。 純粋経験の非充足性
に 対応し、神が人間活動を導く側面は、純粋 経 験の展開 相 である自我活動が 、 同じく展開 相 であ る 世界によって導か
れることに対応するとするなら、純粋経験はそ れ 自体 神 であると結論づけることができる。純粋 経験が自からを自我
と 世界に展開する 23 に 、 神は。自からを人間 の 自我活動と世界へと展開するのである。プラグ マティックな神は 、
観念的なものではなく、純粋経験そのものであ り、 神と人間と世界との関係は、純粋経験として の神の展開 相 におい
て 成立するものと考えられる。
と役割を説明するものである。「プラグマティズ ムヒ と「根本的経験論」はこのように調和的に 対応するのであり、
相補的にみることにより双方をよりよく理解す ることができる。
己 充足でないことより、機能的存在たる思考が喚 起されるのであるが、これはプラグマティズム に
おける観念の発生め
生である。純粋経験が自己充足的でな い ことは、
われわれの生が自己充足的でないことを示して いる。純粋経験が自
根本的経験論と 宗教
る る 仕 れ ぅ は い 訃こ て い で れ で れ こ 間 ジェ ィ 。 こと 上を 創 は グて つき 部分 なも 一 の @iW た る 。 は次 の自 なく れ れ を ろ は と イムズ タリ 否 を 待っ 追約 ティ り表 が 粉 のま @ 、 い部分 とえそ そして のよ う 我 活動 汝 であ れの 宗 みたい 根本 に 例 に
テ ろ も わ の 。 、
で あ だ 語 る ば そ 活 か 、 な
イ が、 ( 間者 のえと 象 る 0 で、
、 全 の 従
な 都 て 13@ (13)
(14)
は め る が れ て ・ る プ
何 は 人 ね 。 ラ 尊 な 間 れ し グ 五 せ こ 我 を も の が 取 フ ス
力こ よ ネ中 老妻 ラ ム
な う と く グ の く な 接 せ マ 構 な 神 統 界 テ 造 る な す と ィ は し 立 る 挫 て と て ク 根 折 る 白 話 な 本 し 宗 覚 り 神 約 た 教 さ か 観 経 入 観 れ げ で 験 間 は る わ は 論 は " 場 れ " と
、 入 合 わ あ 同 世 間 に れ く 調 界 の お を ま す を 生 い 導 で る 単 が て く も も に 活 も と 人 の 困 動 、 し 間 で 難 的 自 て の あ な で 我 も 自 り 叫プモ あ と 、 棚ヲ寺 呪 る 神 そ 活 プ と 限 は こ 動 ぅ
さ ッ ・ の あ の ね ク
神 で り 意 て な
の 前 あ ろ 神約るは 、 志い 神 ほ う の 活 。 糸屯 自 が 前 動 純 粋 己 に が 粋 経 を 挫 放 前 経 験 投 打 栗 提 験 と げ し さ と と し 出 た れ さ し て し 場 て れ て 理
、 合 い て の 解 休 に る い 神 さ
プ の も か も 同 已 働 ラ 前 の に 、 時 の き グ に で か 世 に 自 か
マ あ あ か 罪 人 己 げ テ る る っ は 間 自 を
ィ ・ 白 な て 人 の 身 示 ッ 我 ら い 間 自 に す
ク の ば る に 己 村 と な 包 。 ょ 白 す 同 神 指 神 こ っ 身 る 時 観 性 的 の て に 関 に の に 世 人 意 対 係 理 他 界 間 味 す で 人 解 な と の 行 る あ 間 な ら 自 白 手 関 る と 史 な 我 我 さ 係 。 神 に い の が れ で 人 と 採 。 開 学 制 あ 間 の め こ 係 に 造 る が 同 る の も 現 さ ロ - ー も よ 、 在 れ 人 己 性 の う 白 の る 間 の を と な 我 挟 も は 内 表 い 根 の い の 乞 田 明 え 本 白 も と 括 に し る 的 我 の し 的 かて
。 経 自 に て な り、 い 駄 弁 限 あ 神 人、 る 論 の 走 る 的 き、 。 の 関 さ 似 世 な 、 同 同 係 れ 上 界 か一 一 と た 、 の の、 で 哲 な も 世 前 を あ
学 的。 るの界に見る でのあ 出も 解 官 は 奔 り す の 釈 教 な 展 そ 関 の は の く は れ 係 諸 " 前 " 人 に は 項
神 に 本 間 よ 、 の と あ 質 の っ 人 間 入 る 約 百 て 間 の 間 世 に 我 尊 と 関 の 界 は が か 神 保 協 の 神 如 れ と は 同 包 と 阿 る の 関 括 何 に 関 関 あ
くまで 係を立 性は 、 列なる 拡大さ 係を 係であ て 自 広 れ み る も る 裁 い る て と 自
( S 4 )
狂喜している 0 」このような同一哲学的解釈は 、 神の世界としての人間への働きかけ、あるいは 人 間の自我の内面への
14
てはじめて充足されるとの考えは、プラグ
マテ ノックな思考 法 に偏したものといえる。神の前に
自我を放棄する宗教
経験を考える時、純粋経験のプラグマティック
な規定性は妥当性を欠くのである。プラグマティ
ック な展開は 、
経験の一つの展開様式に過ぎない。しかし、
何 故に「フラグマティズムロと「宗教経験の諸相口
における矛盾した
二
つめ 経験様式がそれ等の根源を純粋経験の中に置
くことができるのであろうか。生命の流れとし
ての純粋経験は
、論
教理を超えた次元にあるからである。純粋
経 験は 、プラグマティックな神という径路と・
コ ホ教経験の諸相口の神とし
利 い。もしこの ょう に考えるならば、純粋
経 験は プラグマティックな方向に性格
づ げられてし まう からである。現象
界
根
と 純粋経験との関係は、あらゆる論理を超えた
ものとせねばならない。したがって、純粋経験に
おいては、 神 ・人間 15@ (15)
息と 助力を求めるであろう。ここには、 コ 小数 経 験の諸相口の神が要請されるのである。
日 プラグマティズムロと 日 根本的経験論白による と 、純粋経験はプラグマティックな神として 理 解されるが、純粋
経験は、「宗教経験の諸相」の神をも包摂するも のと考えることができるのではあるまいか 0 何 故 ならば、全ての 経
験的 現象は純粋経験より発しているものであり、 神秘的宗教経験も当然純粋経験を根源とするも のだからである。 純
粋 経験のプラグマティズム的展開様式は、純粋 経験の一つの様式に過ぎなく、全てではないと 考えるのが妥当であ
る 。純粋経験は、「宗教経験の諸相口の神として も 展開し得ると考えねばならない。したがって
シェアⅢ ムズぶか 同根
本 的経験論」の中で行った純粋経験それ自体の プラグマティックな性格 づ げを考え直さねばな らない。ジェイムズ
は 、純粋経験を「直接的生命の流れ」として、 あ らゆる意識的経験の背後にある無規定なものと した 0 この見解は妥
当 なものと受けとられるにしても、純粋経験を 非充足的なものとして,その展開 相 における人間 の 意志的活動を侯 っ
註 (
1 )旧臣 - あヨ Ⅰが ヨ のの - ㌧ ベ祭晦
まぬ ト あき ぃコ隼ト
0 ⅠⅡの m のり せ の 申 o ヨ H 苗ぬ寒ぬぬ
支お 呵 0 主づ 「まき・(
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0 ) -
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( 2 )出すぎ・
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( 3 )Ⅰ ヴ @ 宙 ・ - ㌧で・の
ト ーの㏄
( 4 )村野宣男「ウィリアム・ジェイムズの真理論」 ョ丘正女子大学短期大学部研究紀要」第一五集、一九 セ一 、参照。
( 5 ) 憶ぺ Q 帽ま駐 ㌻ ま,や ・) 0 の
・世界は根源的に同一であるとも、同一でないと もいうことができない。
シェイムズは、生命に有効であるものを全て取 り 入れる態度をとった。ジェイムズは、一方にお いて宗教を倫理的
生活および自我の意志的活動と切り離すことが できなかった 0 ここからプラグマティックな宗教 観 が生れ、この宗教
親 はこの意味で生命に有効であった。しかし 他 方 、挫折した人間にとって宗教はさらに強く要請 されるものであり、
ここから口小数経験の諸相口の神が立てられるの である。これら二つの神は、その性格を論理的 に 分析すれば、両立
し 得ないものである。しかし両者は、論理を超 , えたジェイムズの生の中には共存し得たのではあ るまいか。ジェイ ム
スは 、これらの二つの神を立てながら、これらの 神 が立てられる根源である生命の流れたる純粋 経験を見ていたので
はないか 0 高木きよ子良 は、 ㍉ウィリアム・ジェ イムズの宗教思想口の中で、コジェイムズの 宗 教 思想をふりかえっ
てみると・純粋経験に よ る宗教の解釈・分析より も 、純粋経験の思想そのものが、すでに、宗教 思想としてひとつの
様相を呈している よう に思われる。すな ね ち、 シエイ ムズ自身は宗教と考えなかった領域が 、 & 小 教 として考えられる
( 0 5 )
のではないか。」と述べているが、純粋経験の思 想 そのものの中に、ジェイムズの宗教観が包括 的に捉えられるので
ある。ジェイムズは、純粋経験に基づく・いわ ぱ 哲学的宗教観を懐いていたと見ることができる
(16) 16
( 6 )Ⅰ ヴ @ ロ ・ - つつ ・Ⅰ 0 ㏄ | Ⅰ 0 か
( 7 )Ⅰす い &.. せ口・ トつ Ⅰー トつ ㎏
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(Ⅱ)目 @ い - 目角(
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( 巧 )) ヴ @&.
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(Ⅱ) ジヱ イムズは特殊化された個人的信仰形態を過 剰 信仰( 04% まの -@oh
)と呼ぶ。
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( 比 ) 毛 @--@a
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( 初 )「信ずる 普 生出では信仰の必要条件として 0%
早瓜が主題的に取り上げられている。
( 簗 ) つ ぎ ぺミ ~ ぬ ~~ めめ 0 ㌔お 亀 ~ 肘 ~ 0 悪め 憶お ㌧ ぬぺ ~ ぬ さややめ つ怪
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(㏄) HF@ ・ ち ・)
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(㏄)例えば次のような著作が見られる。 い rue
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いり ヨ村ヨ 窃 ・ 憶 お a セ めぎ きさ まき~ 曲 ま ちギぎ ㌻ ま Ⅰ ミ鮨 下 す Ⅰ 軋 ~ め ~ む目ミぎぬ
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( 解 )思考 宙す 。 E の ぎ )は 、ジヱ イムズにおいて、感覚 も 含めた意識的精神状態一般を意味する。
(㏄) 力 ・ ロ, ㌧の ロさづ かめ ド ンも二心
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0 臣 - 寄お コ毛 8& ㌧ 5mm.
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づ 0 )Ⅰ 、
Ⅰ ポ目 . 参照。ここで。ヘリーは「ジェイムズにとって 根源的な経験は、本質的にいって心的でもなければ 物 的でもなく 中
立 的なもの両者に関係しないもの、非決定的なもの、 @ ア ータ、事実からなるものである。」としている。
(㏄) 馬 ㏄Ⅰ ヒ めぎ わ Ⅰ 潮 8 ~ 芭まもや帝
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(㎎) 0 ~ 0 くぃコ日セい
や @ 毘 ハト㏄㏄トートのりの)イタリアの
ブ ラ ク マティスト。文芸批評家でもあり、 二 l チヱ 、ベル グソソ、ジヱイム
( Ⅰ 8) 18
根本的経験論と 宗教
ズ 、 F,C.S
シラーの思想に沿った雑誌
ト S% え 。 を 一九 0 三年に発刊。
想 b 大明堂、昭和四六年、二四
0 ぺージ。
19@ (19)
酸屯は 、罵倒 像 が鮮 抑 となるためには欠か すことのできぬ 篤 胤の生活史についての資料蓄積 0 間頭であった。しかし
研究」(
2 )が基本的資料を提出しており・また最近で
は 、伊藤裕 著 「大壁平田
出駕風伝 ヒが 特に 篤 胤の幼年・少年時代に関 する新たな貸料を提示して、その人間像を
よ り 明 確 なものにしている 0 こは
駕
21
辛う いった積み重ねは研究の大前提であり、
その成果を土台としての 簡 胤の思想研究でなけ ればならない。もう一つ
基層 信
るとは言い難い。これには・対象の側の要因の 他に 、研究方法においても問題点が存していたこ とが関係している。
; 仰
り ら る 胎 L
明 評 れ 評 は 文 治 価 る 価 、 政 篤 く に 質 直 一 っ 端 が 非 養 三 い に 、 雛 子 )
て 分 こ 俳 人 年 の か の 片 平 研 れ 出 の と 数 完 て 来 会 、 え 書 し 享 く 実 年 ま が の 子 四 論 う 瑞 雨 春 十 文 こ 的 様 庭 八
はとににを 、 が 恭介はの 歳 か 避 す か じ 平 な げ よ れ め 田 り 9 3 て 、 篤 め れ に し 何 胤 数 ね 、 ま 人 は に よ 篇 っ か 、
そ な た 両 人 命 こ 含 り 派 に 願 に ん 、 の 会 と お で あ 意 つ し け い る 見 た て る た い は の い 評 と は 、 で た
井
上 の 出 順
の た
に L 向 孝 人 ま に の て に と 対 陣 い よ め す 篤
平田篤胤と民衆基層信仰
々しく出現した思想家の一人と捉えるのか、
のか、あるいは・神秘的な宗教思想家として
ことにもなり得る。
篤 胤の思想は・多くの先行思想の重層的・
仰いだ 官 長の説は勿論のこと、服部中庸等の
ぅ 意味では、全く 篤 胤の独創になる思想とい 神
道思想の体系化を図った者と捉えるのか、 国 学 上の異端として捉える
捉えるのかなどという問題は 、 問わず語りに 研 究者 自身の宗教観を示す
あるいは並存的雑居状況であると言ってさしつ か えあるまい。その 師と
宣 長門人・和漢の儒学者などの説が自在に取り 入れられている。そ うい
ぅ ものは極めて少ないので、 篤 胤の思想を分断 していって、影響を与え
況 でなかったことが 大 ぎく係っている。田原 嗣 郎 氏が指摘する よう
( 4 )
をょ みこむものが大半をしめている。」という 事 態も生じた。
驚風 に 対する評価が多様性に富んでいるという 背景にこれらの 妻
は 、評価の多様性は研究者の側の視点の置 き 方の 相違として捉え ろ
思想を素材として、そこにどのような問題点を 提起しょうとしたの
いうこと自体が篤胤の評価にたとえ無意識的にし ろ 決定的な作用を
平田篤胤は・その形容 語 として、国学者、神道 思想家、復古神道
せられる。平田篤胤という固有名詞の前にこ う いった形容語を付す
ような思想史的あるいは宗教史的脈絡の中で 篤 胤を研究しょうとし
に 、このことはまた・研究者がどのような形で 篤 胤に 直面するが と に
、「平田単のなかに、皇国史観風の自己の意 見
因も少なからず関与していると思 うが 、基本的 ケ @ し
れねばならない。つまり、研究者が篤胤の行動 や
か 、あるいはそこから何を言お う としたのか、 と
及ぼすのである。
家 ・あるいは国学的神秘主義者といった名辞を 冠
るということは、一般的には、その研究者がど の
ているかの指標を示すことになる。それと 同 時
いうことの表示ともなりうる。罵倒 さ 、近世に 華
る @% 戦 研 先 前 房 に 者 お の
げ 置 る か 簡 れ 胤 た 研 歴 先 史 が 的 実 状 り 況 ち と る い
も @ を の ゾ 」 が 、 く 篤 数 の し 居 、 か 想 生 を ま 解 な 釈 っ て た い セ @ -
当 参 且 与 太 研 な 究影
響 視占 の を が @ 与 自 , え 由 た に と
描 い え ぅ ら 事 れ 実 る で ・
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(22) 22
平田篤胤と民出基層信仰
孝女 も と
" の " 数
遭 は 、 歳
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ヤ @ し に に 論 宰 強 は n-. 春 想 い 古 " 台
弁 「 が 正 『 を
論破 そしき ら 俗神 の 神 道 す
べく 大要の道 大意 を が 』 処 紹 存 と 女 介 在 い 作 せ し っ 司
ん て た 呵 と い 講 妄
した たのを』 釈害 も だ 盛 を の と ん 著 で い に
。 と っ 篤
い せ て @ 音 L ず 説 い は れ き る 、 明 も 一 一 一 閃 か こ 十 人 す の 代 達 と 一 半 に 共 通 は 講 に の に
釈 、 大 な し 仏 意 る
23 (23)
材 の き 必 力 - Ⅰ 料 現 る 要 篤 う, がいこ っと山 と が 実 げ と 胤 こ た に 回 思
われる先行思想に還元してゆけば玉葱の皮を次 々にむいてしまった後のように何も残らなくなる 恐れもある。
( 5 )
孝雄の研究以来、 篤 胤の学問は神家・文案・ 医 家 ・ 易家 ・暦家・儒家・仏家・兵家の所謂「八家 の学 」という
なっているが、その内容はというと・ほとんど がこれらの思想に対する 篤 胤の注釈から成り立っ ている。こ う
事実を前にすると・ 篤 胤の思想が結局は単なる 寄せあつめに過ぎないのではないかという疑問も わいてこよう
れだけの思想を包括しょうとした所には 篤胤が 独自に持っていたある凝集 力 が作用していたとみ るべきであろ
の 思想を宗教的次元で凝集させているものは何か 、またそれはどういう外的要因と絡ませて考え ていくことが
なってきているのか、という問題意識がこの 小 論の出発点である。この問題は篤胤の著した多く の 書で検討で
れども、以下では仏教、儒教、俗神道への批判 と 、他界への関心とに注目して論を進めたい。 そ こには、 篤胤
社会への生の関心が写し出されており、驚風の 士 示教性の間 題 、 篤 風と民衆基層信仰の関係を考察 するに格好の
並んでいるからである。
(24) 24
笑語 相反 れたも ス 手 りは 司 県 の てのこ 口 のはげ ちてい これ 大
ぅ 、 倒 さ が っ 概 基 題 点 篤 ぎ れ 人 か 説 の 名 を 胤 で て 々 箱 書 説 か 嫌 の あ は を 介 と む ろ 容易 った と も 仏教 誹 等 る、 ならな 教化し すると でも言 広く紹 し 斥 々 い た ラ 介 に て の で 、 手 押 べ し 推 い ( 理 あ 仏 殿 は ぎ よ 察 る 乙由 る や は 我 も う で
。 に 。 菩 そ 々 の と ぎ
罵 っ 薩 の に で す る と 修 と あ る ょ め て は 行 っ る 意 ぅ 批 八 時 て が 図 に 判 篤 @ ま J 乱 こ が の 会 の 所 っ 仲
の 仏 役 得 如 に た 基 よ 教 3 0 な 「 の 映 「出 であ 幻 した きもの 仏陀、 ことを 観 無 点 理 俊 って 定 術 あ であ 仏説 司書 の ナ 実 る る 、 の 青苔 他 ル 体 い の 僧 中 ヒ に 事 の は に 侶 で に も 」
あ ) 下 の ぃ 受
後 教 を す が を た " 排 篤 加 が " し も
こ 撃 胤 え に そ て の れ の の た も の か を ら 睦 生 か な 主 る 記 を 白 張 、 り 張 所 録 通 を は と そ に も す じ 、 。 い う は あ る
てまこ 明 たれ 点 う で あ か く れと ばい ら 『 ら る る つ @ か 西 各 お 。 か か 形 と 箱 書 さ そ の な 式 な 慨 に え こ 共 り を る 論 か て で 通 き と 篤 ヒ な お 、 の わ っ
胤 に り く 篤 パ ど た の 儒 の こ 胤 タ い も 排 教 部 と が l 狼 の 撃 の 分 か 仏 ン 談 で
居、 、 が ら 教 を を あ さ 神 が 所 現
道 で も と め ぎ あ し ど る る て @ @ ま い ま 徒 口 っ た っ - 詰 五 た 、 て 調
側 篤 で、 面 倒 - あ な な 見 り 持 つ 狼 に き 雑 卒 攻 動 な 辣 し た き っ
h@ }@ on [L_ 。 、 も に ぷ
ど の し り う に も の
にお 作業 な い し て 批 く ず 回 た 仏 判 よ だ し
侶の女犯の例が極めて多いと指摘することで証明
しょうとしている。自然
乎の情に背くような戒律を定めても・所詮
守 られる筈がないというのが
篤 胤の考え方であった
25 (25)
今 ト 主 二 ド 其 モ 弟 ナ 子 ハ モ 女
考巳 コ ヤ カ モ
、 方 ト ヲ
、 ノ 訊 まル ヰ Ⅱ ア ス マ 人 イ 行カ
。 ) ナ T
気 ム
テ、
賀 ; 程
夫 。 故
難ヲ始メ 、女犯 ナドヲ ヤッタ 者ガ大ブア
清ニ 即イテ ヰル 証抜 二八、此間中シタル通り
釈 迦ノ死ン ダト 聞ク
カノ法師 ノ輩ハ、人ノ真ノ道ノオフ失ヒ 、兵甲 スル で。 トテハ、死 ンダル 先ノ 「ノミ 申 と朽ク微 ハ g ) シキ、人ノ 死骸 ナ
ソドヲ、朝ョヒ二 取扱 ヒ、人ノキ ラヒ 棄 タル 物ナ
サテ佛法ノ趣 、 澤迦ノ教ト云 モノ ハ 、 此 通り、 人 ノ眞ノ 桂二 % ッテヰ ル兵弟子 々リシ 羅漢 共 デス ラ、ヵノ阿
ウ @ レ @ キ
れるものが釈迦の言ったことや行動をそのまま 伝えているとは考えられないとか
とする、大乗非仏説的観点からのものもある。 し かし、後者の問題についてはこ
点 、それに仏教徒が我が国の神々を敬わぬのを 非難した点について取り上げるこ
さて、では人情に合わないとは、具体的にど う レ ナⅠ
ノ ことを山片帆して舌口ったのか。
舌口薬 をニ 、 三 引用してみよう。
サテ右ノ 通り 澤迦ノ ハジメタル仏法 ト云フ モノ ハ 、死生 ヲハテ レ、三界トイ ブ
ルポ 故 、君父 ヲ モス テ 、妻子 ノ 愛情 ヲモ浄 クハ ナ レ 不バ 得 ランストイフ 乙教デ、
・後代の教義が仏説によっていない
こでは割愛し、人情に合わぬとした
とにする。
「出定笑語口の中から、 篤胤 自身の
ヲ出テ ・天地 ノ外ノ 考ト テ ラフトス
( 8 )
眞
ノ 人間二八トント出来 ヌ 「 デム 。
0 次 て あ 頭 旦 西 よはかの る ょ 、 。 「 一哉 つが ヌ頭 ヤ / う 、 の う う 駕 籠 を 国 ゥ 一 闇 ? 地 な や 風 概 が 論 く が 論
く の ナ ッ ツ れ 神 モ モ 夜
乱 理 数 儒 』 れ 展 化 学 は て 開 さ 者 元 い と れ に 来 た な た 対
つ い 々 / ト てわ いば 鍛 、 外二 二八 る 両 頭 惇 忠
。 親 ヲ シ ハ の 一 ガ ・ ズ 我 一 が ク テ マ 千 レ ・ タ
にタア子 対人 / 等ご , す ト ヲ ラ る 、 ジ ガ も 面 サ 0 期 ン 両 と / ハ 親 同 窓 、 ノ
」 聖 い じ 愛 オ 慈 で ス マ 愛 あ か シ フ り 庭 ヲ ノ 「 仏 ハ レ 何 の 、 タ 圧
あ ド 、 居 、
りヂ能ハ が ライズ
他 デ、 ダ 人 有 。 、 徐 が マ ト 所
教 展 ま に の たまた ノ人 セウ ・ 。 ( ) Ⅰ l 云テ - え し む ょ 喜三
ま韻
" 土 l じ @ が た と っ で
レ 鍛
次に僧侶や仏教信仰者が日本古来の神々を崇敬 しないことへの批判については・その根底にほ。 ほ 二つの理由を認め
ることができる。一 つは、 我が国の神々は「名も 実 もある」神々なのに、それを敬わず、妄説に 惑わされるとは 清 げ
ないということであり、もう一つは、神はいわば 我々の祖先といってもよい存在であるのに、 他 人の如き仏を敬 50
は げしからぬことである、という論法である。 第 一の点は、釈迦が単なる神通力を有する人間に 過ぎぬとか、菩薩な
どは実体のないものだとする説と表裏一体のも のだが・我が国の神々は・抽象的存在ではなく、 ちゃんと実体を備え
ているのだという信念を示している。第二の点 ほ ついては、 コ 出定笑語附録目の中に面白いたと, え がひかれている。
世ノ人ノ、佛プ有 ガタ キ モノ二五ハ 、コ、ラデ ム 。大八人 モョク云 「 ヂサ ガ 、ノ光ヲ
常二 ナ ンテ居ルカ
(26) 26
平田篤胤と民出芸 層 信仰
あ て と り 人 人 ら 折 が め と な な れ 角 、 て 罵 言 ど
ツラ る 。 ぢふ Ⅰ 血買叩 ぶ車 た習儒ぃ胤ぅ もと し批 間バ あ し湯 こ 停学る は よ っも
レ て 着 国 其, 、 る べ あ の と ・ 嵐 子 に そ 備 バ 描 達 の 外 盗 。 ぎ っ よ は そ 昧 と 合 し わ
、 い の 聖 ノ 大 駕 人 て う で の の 誉 わ て っ 其 た 解 人 者 ノ 風 間 頭 な ぎ 善 人 め な そ て 心 孔 釈 す ド 恵 博 で い 側 な と で る い も い モ 子 を べ モ キ 意 は 批 面 い な 、 人 も そ る 行 の 通 て ガ で の な 判 か と ら 文 々 の も 国 ヒ 倒 し を 、 ヲ 比 か の ら 押 ぬ 辞 に と 聖 で モ 両 て 非 岡 元 楡 っ 村 儒 し よ に 互 い 人 あ 尋 と 表 難 ジ モ 常 は わ し ノ ど れ て ゥ 元 れ で な を 人 食 ら あ で な 従 人 の ろ り ニ ク ば あ っ 批 。 わ か る あ ど っ 二 よ 乱 る 塞 、 る た 判 五 ぬ さ と る と て 伺 う 子 の そ な 像 で ザテ 5 々 篤 て は を た っ ル部こか しっ 頻 れ 言 。 い日 5 本 力 も で @% が 大 い " 胤 い " し 人 て の を ハ の は な 何 ナ っ 彼 の た 湯 て 。 い は 東
デ ル た ら 解 か い 三 る 、 夷 有 盗 人 を 釈 が 武 る っ せ と し たくであっルつ ナ ょ ・ と ラ ( セ 聞 香 で 伺 主 人 は 一 い 呼
ク た あ り ゥ ピル は め は え の 。 、 つ ぜ ん 、 か く ゎ モ 、 る る 所 四 そ は い で
タ 。 ま げ も 湯 。 満 つ の 卑 で ・ 了し 0 玉 な を は 悪 初 正 鶴 子 は や か 尤 、 道 学 凹 め J 育 L に ・ 武 で と 負 な の 尺 の 方寸 甚 。 彼 王 も ぽ、 げ る 人 し 唐 直 し か 土 キ 接 て 飛 を 人 理 は 基 @ 同 は 武 で み は 人 べ 中 じ 弱 主 あ に は が ニ ス Ⅰ てえ よ、 回 マ た 的 誉め よ う 肉強 所 の る。 よる ほ知 。 人 中 デ な評 孔子 な 食 為 商 人 っ て 間 葉 心 の を 単 で て い に と 「 7 像 7 日 夫 を 元 元 に 、 い る 一 あ デ な な 持 祖 と ま 今 る 丈 が @ の 与 盗 っ で 居 、 と ま の ら 飛 め で、 え 賊 た お う め で だ 誉 べ ろ
27@ (27)
次に、「俗神道大意 三 における論述に耳を傾げて みる。この書の中で 篤 胤は神道を大きく五種類 に 分けている。 第
イサ
ソレハ マツ第一二神 ヲ畏レ敬ッテ、生 タル八二位 ヘル 如ク、少 カノ物モ、初穂 ハ、 イ ソモプガ棚
ノ 市聖 二ソナヘ ・ マ
ウ @
タ 十九歳 ノ トキ二妻 ヲ迎ヘテ 、白魚 ト云ヲ生セタ ルヲ見 レバ、 禧記 二三十二 シテ嬰 て @
トイ ブ 事ハア
+
レドモ 、一一十 マヘ
二女二合 ヒ、又 ウマキ物モ随分 二好ト見ェテ、山 梁ノ 雌雄時鼓人人 ト、キぐ スノ 旨 キサカリフ ホ メ、 (中略)、マタ
秘蔵 ノ 弟子 ノ 顔淵 ガ死 ンダル 時ハ 、鳴呼大我 ヲ 亡ボ セリ 杯 Ⅱ ド ・ コ マイⅠ ロメ云テ 、 禧記 二八 芙 スレ
ナゲキ
メダガ 、ソノ 芙ノ 余 り二働 シテ正気 ヲ失ヒ、又ツ ョク 雷鳴り、 風ナドノ裂キ 時モ 、 コ ソ方ト同ジ
コ 1 ニコ ハ ガット タ
見エ、色ヲ愛ジテ恐シ ガリ、マタ主殿 シノ タグ ヒ、凡テ道 テラス 事ヲ為ル者ガ アルト、イカウ 腹 ヲ立テ、タチ
-H )
神や祖霊を敬 う ことふ若くして結婚し、うまい 料理を好んだこと、弟子の死を深く嘆き悲しんだ こと、道をはずれ
たことをする者にはひどく怒ったことなどが、 人 間味 あふれるものとして驚風 が 孔子に共感を覚 えた理由なのであ
る 。ついには、我が師と仰ぐ 宣長 に心も行ない も 似た人であるとまで舌口っている。 篤 胤の儒者に 対する一般的評価 か
らすれば、これは最大級の賛辞 と 見なすことが できる。
馬風 が 孔子の中に肯定的に見出した人間像と、 儒 若一般に対する批判を照らし合わせてみると「 西籍 概論」の骨子
は 自ら明らかとなる。儒者の説く「聖人の教に 依て 禽獣に陥らず」といった考えに真向 ぅ から 反 旗を掲げ、聖人空教
えが必要なことこそ社会の堕落の結果と主張す るのは、換言すれば、一面で、人間のありのまま の姿、生き方の賛美
であり、他面で、我が国が古来ょり正しい道の 偏 った国であることの確認である。ここにもやは り 仏教批判の理由と
が 、結局 篤 胤は外国の聖人君子をもちこんで、も
同根のものを感じとることができる。幾多の例 を 挙げながら、儒者の考えに反論するという形式
って尊しとする儒者の態度に論理以前の反感を 爪判 u ⅡⅥていたと舌口,える。
をとってはいるのだ
(28) 28
斗む 毛を蕪 胤 ・ ナ @ 民牙 をま @@ 審 ィきィ In
捨 ル 々 ド 云 て有 レドモ 、コレハ 放翁ノ玉ガツマ 二 、マツ三教 ノ勝
( 巧 )
・ 儒ト佛トヲ ノミ 取テ 、神道 ノ意ヲ取 レル「 ハ 南中人
二 テリア。
殊二 コ ソ 両部神道 ト 元老 ハ、タぐ己ガ心ヲ
シ、神ト 聖人 トヲ 奴僕トシテ、 心二任セ - ア 調使 ヒ タル物工シテ 、
神ノ 御輿 ヲモ、佛ノ説ヲモ、儒ノ言ヲモ
・ 己ガ心ノ如 クニ 、説 ヲキガク
ナシ 難 キ所
キナ方便
ゾ恨説ゾ 表事 ゾナド云ヒ
通二モ井 ズ儒ノ道二 モアラ ズ、況テ神ノ 通二 非 ザル Ⅰ 1 ハ史二モ 云 ハズ 、
( 6 i )
タ 。 、 己が 私ノ新 バリ道 々ルヲ
これらの引用文で明らかなよさに、両部
神 道 にはおよそ神道らしきものがなく、ただ我が
一は、 真の神道で、 高 産霊神、 神 産霊神に始まり 、 代々の天皇に伝わる神の道である。神の道に 随 う とは、君と親を
敬い、妻女をめぐむといった、儒者が言 う とこ ろの五倫五常の道を生まれながらに 臭 っているま まに曲げずゆがめず
打な う こととされる。第二は、神事で、神を祭
神を禧 り 、また祓など神に仕えるわざを広く い う 。第三は、 天 Z
神道で、いわば天然現象の神格化であり・これ は 支那起源のもので、易の発想 法 でもあるとされ る 。第四は、両部 神
道 、第五が唯一神道である。
真の神道は・言 う までもなく 篤 胤の信奉する 神 ぽ なのであるが・第二の神事、第三の天 之 神道も ここでは特に批判
の 対象とはなっていない。ただこれらのみが神道 の 内容だと誤解されることを憂えているだけで ある。問題とされる
のは、専ら両部及び唯一神道である。まず両部 神 道 批判がまとまりょく示されている箇所を ニ、 三 拾ってみる。
ヰ刀 ノ彊萌
ヲ 、神道上事實 ニ 習合 シこ 造り立 テ、神ハ佛 二 % 跡 、 佛 ハ神 ノ 本地
(Ⅱ
u )
アサ ム
ヂャト云テ、世ヲ欺 キ人 ヲ註 カシ タ モノ ヂヤ 。
なり、それが排外的思想家という 篤 胤の評価の 一つの傾向を形成してきた原因にもなるのである
けれども、この日本を尊しとしたことは別の間 題 をも 苧 んでいる。これには罵倒 が 我が国の神を 抽象的なものでな
く 実体を有するものとして捉えていることが 導 入部となる。実体のある神人とは具体的に言えば ・天御中主神・高麗
国 " 同教 じ " 幼 者 と い あ が 道
で え で ぅ り 国 、 篤 結 す 教 年 儒 上 は 方 あ 考 そ の 古 風 び る 化 に 教 三 串 玉田 な 、 る え れ 押 川 の か 行 、 か は 道 神 用 つ い向遅説 傾の講 俗に て が れ さ 伸 展 説 強 た れ 道 開
とい かと 力し よ、 思、 ら 回は道話 常 天 、 法 き ま 国 た と さ 明 る と も そ れ に 方が混し 拠れ の う 、 ししった其 、つ、 立命の 照 大御 垂加 神 か 。 見 の の た が 入 合 た 分 神 道 は
浴 し で も 身 が な 、 神 て あ の で 建 ど 俗 遭 い る で あ て で 神 批 る 。 あ る 猿 あ 道 利 点 要 る と 出 る は の が す 、 ぃ 彦 。 諸 中 途 る 五 ぅ の こ 流 核 一 に 行 の 神 れ あ で 批 、 の は が ら る あ 判 神 理 、 導 に げ る さ の を 仏 い 対 れ
ま け 判 あ 。 れ 解 神 説 た す ど て 釈 々 に 迫 る も に あ と 批 両 る 教 配 る い 判 都 神道 訳 な 義の 当し よ う ぅの は教 の 解 て な は 義 の で 釈 何 仏 げ 的 外 あ 、 某 は し に は る 祓 の 固 か 細 み
。 尊 神 よ ら 々 な 神 の は り ぬ と 唯 通 儀 大 我 輩 し 一 と 礼 徳 が 強 た 神 は の 、 体 附 魚 道
で、 名。は まで 作法 土穂 にあ 会で か な な り あ 立 そ 易 り ど ど 己 る ち こ
れ の も に で に と れ ・ 入 に 、 仏 い は 一
と い 尊 に で 解 でき 結実 国こと き @ ま 、 ある す が で 日 。 る 外 る 唐 仏 に 。 る る コ あ 本 こ よ 固 い 人 の 固 例 の こ ス る を の う か は の 分 有 え は と そ こ 第 三 に に ロ と っ 書 も ジ を た が 仏 借 的 ご と が 我 神
(30) 30
等における天御中主神の至上神的性格などが 注 目されたことがある。罵倒 が 「真の神道」の教理 を 整えようとした 過
程においては、主宰神を求める要請が働いてい たとしても不思議ではない。それは、彼が時宜 昂 の 「占事記伝」を 乗
り 越えんとして執筆した「古史伝」にもよく表わ れている。しかし、このいわば神学的要請に基 ついて形成された 神
々の性格とは別の方向からも神々の性格は形造ら れていた。それは民間の神々の性格をそのまま 吸収することであ
る 。 篤 胤の意識としては、名も実もあるという 表現をとったのは記紀に記載されている神々を 主 に 念頭に置いていた
仰
のであろうが、たとえこの 三 書を書いた 時占 ハ では明確に意識されていなかったとしても。
, 」の直後から起草された
信
(㎎)
鞠
「 玉檸 L を見れば、民間の神人の信仰が 神 の 実体感の基盤の一つとなっていることが分かる のである。
いうことは、「人情に合わぬ」信仰の否定の問題 にも 係 わってくる。仏教
鮭の戒律がとりわけ人情に反するとして斥 け られるのも、君臣の関係、親子の情、夫婦の愛 と いった日常生活の秩序を
鴫
損ぅ ものと感じられたからである。これは 篤 胤の現実肯定主義としても理解されている。 ょ く 引用される、
それ
平
極楽 よ りは此の世が楽みだ 、 夫はま づ、 暮の相 応 にゃく人は、美濃米を飯にたいて、鰻茶漬、 初 堅魚に・剣菱の酒 31 (31)
このように身近な所に種々の神の存在を信仰して いたからこそ神は名も実もあるという表現にな っ たと考えねばなる
まい。
罵倒における「 神 」の性格については、村岡 典 嗣等が キリスト教の影響について論じたことがあ
霊神・ 神 産霊神、僻邪 那岐 ・僻邪 那 美
の神にまで至っているのである。罵倒
神地祇はもとより、妖怪にいたるまで
じて、すこぶる迷信の域にまで及んで と
いった記紀に出現する 神 及から、産土神、 土 % 神 、氏神あるいは、竜神、
測
の 信仰する神々が俗信のものにまで及んだことか ら 、村岡典嗣のように、「 天
一切の萬 物 における 神 寮の存在を信じ、幽界とい ひ 、再生といふ如 き 事實 を信
( 7 l )
ぬ たことは、 博 記者役得へるところである。」と
い う 評も生じてくる。だが・
という表現、また、
ヤ - メゲ
古
学する徒は 、まづ主 と大倭 心 を堅むべく・ こ の固の堅 在 では、夏道の知がた き 由は、吉師 翁の 、山菅の根の丁寧
この 薬立る 柱はも、古学する徒の大倭心の 鏡 なり
で ず 循 全 中 一 の と る 篤 こ @ き L と の ぅ " 法 " て り し は く み が 他 い 異 的 篤 い 伝 て 次 だ
っ な 誤 倒 る れ 理 飾 り 煉牙 確 示 か す 男 心 を 視陥想 疑 っ は のとべうそで ですきとのも に も
こ の の と え げ る 神 。 こ え 、 と が 書 し っ て と 学 る る 篤 さ ら に て づ く い 的 比 .. 一 か は 1 ぅる % 反 儒 の る行田 げ 『 た し % 並
篤 。 批 面 楽 毅 現 。 ) 吹 鳳 駕 判 に す の 実 現 の
彼 の る 五 育 美 奈 の 真 の 倫 定 肯 を 意 柱 界 尺 な て で 五 は 定 番 気 』 観 衆 く 論 あ 常 ・ は ん ご ・ が つ め 生 し で・
み 代 て 道 ま か 、 は 表 ・ と れ し 国そ 的 自 て な 、 分ぷ そ な 考 と か こ 然 全 が 他 の の も 察 の し と に 面 ら 界 煙
冒 頭と の な っ 、 が 備 的 の の 草 向 な 目 多 わ に 備 間 せ
に さ げ が を か っ 否 わ 題 く 避 れ る り そ つ た 走 っ か ゆ べ 道 さ た ら ら 力 - し * し こはう ともい。 た の れ 白 目 し の は っ っ そ 中 る 然 を て
ホ生日 す と た し に の の そ 居 る 追 居、 て 五 で 清 む ら 理 。 究 想 そ 解 さ せ れ ) 倫五 ( 忙な を大 け る るュ 0 2 が れ 形 は 篤 る 成 績 常 と い切と 。 にい べ せ 局 し そ す ぅ
の他
ぎ し 自 て れ る こ 問 め 己 具 が ; と と
界 題 た 方 体 裁 い を 観 理 解 え や れ 手 ぎ し の る 土 あ た 段 な な 鍵 。 壊 る 頂 と 砕 い と そ に い 目 L:, 組 。 さ こ 転 は も て の こ
(32) 32
その 帝一
並の行方の安定を
、穿
@ 知ること なも 先 なりける。サ
キ
(し
という表現から充分窺い知ることができる。
( 笏 )
しかし、この書の上巻は服部中庸の「三大孝」
を へ|スに 著されたものであり、 天 ・ 地 ・泉の成 り 立ち、及び神々
( あ )
の 生成を解き明かすことに主眼の置かれた・いわ
ば 驚風 の コスモロジーを提示したものである。
下巻になってよう そ
く 死後の魂の行方、在り方が論じられるが、
そ, 」に述べられた死後の魂の行方は必ずしも最初の
意気ごみほどには 明
解 なものとはなっていない。死後、魂はとこは
にこの国土にあることははっきりしているが、
た やすくは定め難いと
したり、墓所にいるとしたり、自由に意志により
定め得るとしたりしている。また、死者の霊魂
と 神との関係に㌧ い
ても、あるものは神となるとも言っているが断定
している訳ではない。従って津田左右吉の、「
要 するにこのこと(Ⅱ
すべての死者の魂が神になるのか・生前に徳行
のあった人のみが神になるのか,筆者)について
の篤 胤の思想は明か
( 竹 )
にわからぬ。驚風自身にはっきりした考が無か
っ たのであろう。」という見解は正鵠を射たもの
と 言えよう。ただ、
驚風がここで伝えんとした意は・人は死んだら
すべて汚れた黄泉の国へ行くのだという
説 ・及び 死んだら何も無くな
仰 るのだという説を否定することにあった
と 考える。
ひ : 力 * ・ - と
信
層
夏豆の真柱目の書かれた時期が愛妻
織瀬 の死の直後であったため、
官 長の説を非 説 として まで死後の魂の行方を探
を 賜はり 候 」という神秘
体平因
埋 体験に求める説もある。キリスト教からの醸できめにしても、妻の死、何らかの心的
となったであろうことは
覚弓 せざるを 得
( 9 2 り
に 、数倍しおかれつる。
此 @ よ 磐 根
の 極み実正 る 、
厳柱の ・
なりけり。 斯 てその大倭心 さ 、
大 高く 固 まく
の こ が 々 が ず 『 有 れ
「 帝 一正の真柱」は体系的コスモロジーの側面を持ち つ 元来講釈でなく著述されたものであるか ら ・そこに展開さ
た 思想の整合性・一貫性に目を向げがちになる のであるが、 篤 胤の他界への関心はもっと雑然 と した多様な側面を
している。そ う いった側面が よ り明確になるの は 、この書の約十年後、驚風 が 四十代後半にさ しかかって著した
古今 妖魅考 」、「仙境異聞」、「勝五郎再生記聞」 などに 掩 いてである。
これらを瞥見するだけで、 篤 胤の他界に対する 旺 盛 な関心の拡がりが男寵としてくる。書いた 動 機 はそれぞれ少し
つ 異なるが、他界への関心という点では共通して いる。
「古今 妖魅考 」は、林羅山の「神社号」を出発点 とし、 妖魅 とされるものの実体を説き明かさん としたものである
、今昔物語、日本霊異記、源平盛衰記、宇治 拾ぬ 退 物語、長明発心集などからの例をひきながら、 天狗や龍、 釈魔等
ほ ついて筆を奮っている。その際引用した話自体 が 真実かどうかという点は吟味されず、魑魅 魍 ぬめ 暗躍する世界
全くリアルなものと把握されている。時には 魔 道に 堕ちたものの有り様を事細かく描写したりし ている 0
他界をリアルに捉えるという特性は、「仙境異聞 ヒ にも表われる。これは天狗に誘われて仙郷に 至り、八年を経て
0 世に帰還したという十五歳の少年 寅 吉の話を 、 篤胤 白身が筆録したものである。黄舌 に 対し 種 々の間をなし仙境
様子を知ろ うと 懸命な 篤 胤の様子がよく表われ ている。
世 との関係といった事柄への 篤 胤の関心は決し てこの書で唐突に出現したのではない 0 他界の存
在への信仰は生涯を
通じて持っていたと言えるし、霊魂がこの現世 0 人人の目に映じないとしても、確実に存在して 種々の活動を行なっ
ているという考えも極めて自然に培われたとすべ きであろう。それ故、ここで問題としたいのは 、他界観が体系的に
思索されるよ う になった契機ではなく、他界に ついての思索をたえず推進していたものについて である。
(34) 34
"P 出駕 胤と
人の死後、魂はどこへ行くと山人に教わったか、 女子の魂の行方はどうなるのか、神や山人が時 々
凡人にも見える
のはどういうわけか、師と行く時、大空を飛んで いったのかそれとも地を歩いていったのか・ な どという幽界の状況
への関心を示すものか、除災のための呪術はど う いうことを行なっていたか、魚鳥の採集 法 はど ぅか 、手無し婦人の
懐妊 法 はどうか、痛風・痔の薬・血止め法は知 らぬかといった類、更には、夜寝るか、夢を見る のか、酒は飲むの
か 、男色はあるのかといった 、 甚だ 俗 っぱい間 ま で 発している。
このような内容のことを 次攻 と大真面目に問 うて いるのをみていると、薦脚にとって現実世界と 他界との区別は奈
ぬ にあったのか判然としなくなってくる。他界 を 現実世界とは異なる・別の次元のことのように 把握しているかと 思
ぅと 、まるで隣の国の人の話を聞くような調子 であったりする。だが、まさにこの点が篤 胤 の 他 界 観の特徴であろ
ぅ 。現実界と他界はあくまで異質のものながら・ 現実界たる顕界とそれに対置される幽界は酷似 した構造をもち・ 時
には顕界からも幽界の観察が可能であり、幽界に 雑居する諸々の 霊 、妖怪、仙人、神々は人間 さ ながらの行動を示す
のである。
再生の一事例を掲げた「勝五郎再生記聞」は 、武 州 多摩郡の勝五郎という八歳の少年についての 聞 き書 ぎである。
卯 勝五郎が・自分は前生は程 窪 付人兵衛の息 子藤蔵 であったと舌口って周囲を驚かし、調べた 所 、その通りの事実があっ
Ⅲたので更に皆がびっくりした、という話を恕では本居神のわざであり、
ではいわゆ一口
漢国
って、再生現象を肯定している。再生は顕界
幽界顕界の道筋をとることであり、その 体 験者はい う なれば 幽
界の見聞者である。顕界から幽界のありさまを 窺 う ことは、おいそれとはできぬと考えていた 篤 胤 にとっ・ て 、それは
貴重な情報源となるものであった。
35 (35)
以て 、
此 差別を暁
@.3 ( l )
力 ・・・
ゴ @
り 、はた幽冥の 、畏 ぎことをも 暁ぬ かし。
クラキカタ
りはり分ち 、
そを一間におきたらむが如く 、そ の 闇市よりは、開方のよく見ゆれど、
朔方よりは、
開方の見えぬを
アゲ
アキ 4 才
ざ のよく見ゆめるを、 八 此は、古今の事実の上に て、
明にしか知らる 又
ことなれば、今 例 を挙 て か はずとも誰も知
カゴ
ナ ; ラ
ら なむ。 V
顕 世ょりは、その幽冥を見ることあた はず。そを 讐へば 、煙火の籠を 、 白きと 黒 ぎと の 紙もて、中間よ
神 等の所業に対し、時に綿密な時に自由奔放な
れる。そして、 顕 幽の関係は 、
たので、神に物を舌口っていたが、 顕幽が 分れて 以
なった時以来分れることになったとされる。 顕幽
り 組み、湛然一体となって、 篤 胤の関心を投映
に 他界への飽くことなき関心というものが存在し
であろう。「古学の徒」としての 篤 胤の意識がこ
で 展開されたようなコスモロジーと並べて考える
の 類を予想せしめ、好意的評価をしても、好事家
神道の体系化という要請があったとすれば、 他
篤 胤の解釈によると、そもそも顕界と幽界は 、大
此 顔回をおぎて、Ⅱ こロ
り 刀ル @
解説を加えるという行為は、それだけ取り出して
している。
の 辺に働いていたとすれば、その基底部分に 、ヵ
界の構造についての神学も理論的に整備・完成さ
来、そういう現象を人間が観察することができ
がいまだ分れなかった時は、鳥獣万物は幽界に
と 、そのもつ意義を多少とも浮かび上らせるこ
と い こノ 表現にとどまる。しかし、こた几を口車一皿
たと考えたいのである 0 死後の世界、幽界、仙
も 、幽冥また冥府とは 云 へるなり。さて、その 冥,
,
一処あるにもあらず、直にこの顔回の
ク 。 チウソア - 内 ゥチ いづこに
国主神が顕界の支配権を皇実株 命 に譲り・自ら
の 真柱 ヒ 、「古史伝 L
眺めると・奇人変人
境 、神代は互いに 入
属し、神に属してい
とができる。
ぬ よ う になったとさ
オス的状況のまま
れる必要があった
府
よりは人のしわ
は 幽界の支配主と
(36) 36
犬 ⅠⅠ 巾 枯由 '- 目て "
と 説明される。
顕 幽の分界した経緯、両者の関係については、
ほ ば 右のような解釈で一貫しており、原理的側面
は 一応確立されて
いたという事ができる。しかしながら、実際の幽
界 のありさまについては知覚に限界があること
を 自覚していた。
前
にも触れたが、人の死後の魂の行方についての
解 釈 はその良い例である。祖先を祀る心構えに
っ いて 記 L し 七に 目工
上 翠口
千之 巻 においても次のような表現が見られる。
すべて人の霊魂と云ものは。霊の眞
柱 にも申し
たる如く。千代常磐につくる事なく。
消る 事なく 。墓所にもあれ。
撒こ内衆基層 仰
下田 馬
た 。古伝を補
う べくいろんな資料を集めてきた。
祭昼 にもあれ其の祭る慮に。きっと居る事で。
き物ぞ 。など思はれず。(
% )
古伝をもとに幽界像を明確にしょうとしたが
所
も 現じ。また謁し言などもいたす故に。
こュ を
る事能 はず。また先方より。親しくものを舌口
ひ 夫
はかの頭と
幽 とのへだてがある故に。此方より
詮 不可能である。しかし幽界への関心は汲めども
とつくりと心得
癖 へて。 心 ともに其の常に形を見
かけると 云 ことも。ならぬ訣では有るなれども。
その集め方に原則はほとんどなかったと言って
よい。それ故、白壁
時としては。形を
尽きぬものがあっ
は 。其の形ちを
見
ぬ庭 より。消てな
信
37 (37)
を 述べた上で、罵倒 と 民俗学の係わりに触れ、
篤 胤が 民間で信じられていたこと自体をその考察 0 対象にえらんでい
たということに注目している。
このような 篤 胤の評価の仕方は比較的少数派に属 すると言って良い。「古史伝 ヒに 代表されるよ う な神道思想の体
系 化という面が強調され勝ちであるからである。 だ
が、体系化の試みを神学的側面において評価 しょうとしても限界
は 見えてきている よう である。文献学は宣長の亜 流 といわざるを得ないし・方法論的にも矛盾が 多い。これは田原 嗣
郎 氏が指摘する通りである。
これに比し、 篤胤 がけれん味なく描いた他界観 と 、その底に横たわる雑多な民衆の基層信仰との 係 わりに着眼する
時 、そこにはまだまだ解明すべき問題点が多く 存すると言える。
団結
篤 胤の思想の中にみられる呪術的思考 法 、現世上 目 宝主義は応 衣 、彼が宗教性の乏しい人間である と 見なされる一因
ともなった。例えば田原嗣郎 氏は 「平田単の 宗 教的 性格・世界宗教養の 目 ((の)
番 0 コヘ 発展しよう とするその志向にっ
いてはすべてのべたが、平田学の全体的な構成か ら 考えるならば、その表現と規模にもかかわ らず、現世的規範Ⅱ
「 道 」にもっともウェイトがかげられ、その規範 の 支柱が来世に求められたために平田単全体がゐ ホ教的色彩を帯びる
のであって 、 実はその宗教的性格は案外に稀薄で あ�