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Ⅰ㍉フラグマティズ ムロ の神 ・「宗教経験の諸相 の神 、「根本的経験論」と「プラグマティズム 、純粋経験とプラグマティックな 、根本的経験論と宗教 ウィリアム・ジェイムズは矛盾する二つの視点 から神と人間の関係を立てる。一方において神は 、全知・全能なも のではなく、神の世界の実現のために人間 助力を必要とする。ここでは、人間の意志的 が要請される。しかし・ """ 刀て 利シ グマティズムロ 同士示教経験の諸相 L 前書に見出されるが、「プラグマティズム では - 者の視点が強調され、 「宗教経験の諸相 L では、後者が強調されている 。このように全く異った二つの観点から立て れた神と人間との 根本的経験論と宗教 ウィリアム・ジェイムズの宗教論 村野宣男 1 1)

、純粋経験とプラグマティックな 、「根本的経験論」と「プ …jpars.org › journal › database › wp-content › uploads › 2019 › 02 › 232.pdfⅠ㍉フラグマティズ

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  • Ⅰ㍉フラグマティズ ムロ の神

    二 ・「宗教経験の諸相

    ヒ の神

    三 、「根本的経験論」と「プラグマティズム

    四 、純粋経験とプラグマティックな

    五 、根本的経験論と宗教

    ウィリアム・ジェイムズは矛盾する二つの視点

    から神と人間の関係を立てる。一方において神は

    、全知・全能なも

    教 のではなく、神の世界の実現のために人間

    の 助力を必要とする。ここでは、人間の意志的

    活 動 が要請される。しかし・

    """

    刀て

    利シ グマティズムロ

    と 同士示教経験の諸相

    L の 前書に見出されるが、「プラグマティズム

    ヒ では - 明 者の視点が強調され、

    「宗教経験の諸相

    L では、後者が強調されている

    。このように全く異った二つの観点から立て

    も れた神と人間との

    根本的経験論と宗教

    ウィリアム・ジェイムズの宗教論

    村野宣男

    1 て 1)

  • る い

    ある

    、つ

    ・ ヵ こ、

    スま

    @

    真理性を判定する方法であり、観念の真理性 は 、それがもたらす実際的効果によって決定され る 。すな む ち 、

    観念の真理性は・われわれを取巻く世界の問題 を 、いかによく処理し得るかによって判断される のである。した

    て プラグマティズムの方法は実証的であり・ 観 念の検証化貧ミ ぃ Ⅰ ぃ op ( ざ口 )が常に問題となって くる。ジェイ ム

    、「例えば、プラグマティズは 、 常に個物にかか わる点で唯名論に同調し、実際的側面を強調す る 点で功利主義

    ハ 2 )

    言葉上の解決 や 、無音 ゅ 味な疑問や、形而上学的 抽 象 を避ける点で実証主義に同調する。」としてい

    る 。しかし、 ジ

    ( ll )

    概念の実際的効果を辿ることによって、概念を 解釈しょうとするのである。」フラグマティズ ム は 、観念の妥当性あ

    (2) 2

    ぬ か に ズ わ 象 括 係 は は 『 れ を 的 を

    か 初 緒 、 プ る 包 視 包 く 質 る ブ ラ

    か 指 点 描 ら す を 的

    しかこ て精と ラグ クマ ・ 、 神 の マ テ

    こ か な テ ィ に 埋 であ 立 ろ 門限 る 場 本 解

    の 0 い 々 ズ 。 を 的 す よ 日 経 る う の 耐 ム し 指 験 新 な よ 上 の に し 論 た 概 ぅ 単 刀 お て 』 な 念 な 的 法 げ お に 視 。

    る 0 球 , 点 に 対 協議に 念論関神 、 め を す は に し 観 る 、 終 て 念 調 い 正 次 を 論 ず 符 の み

    は れ を よ る 尽 も れ 3 所 き 仕 っ に に な 界 こ 述 い に と べ ン

    。 対 で て ェ

    こ し あ い ィ め て る る ム よ ち 。 。 ズ

    マ マ 想た馨

    ぅ で か

    を 観 し

    さ ゆ は れ る る 経 こ れ 矢口 目 な ィ と 験 の の れ 白 し ん ぽ 、 現 包

  • このようなプラグマティズムの方法によって

    、ジ エ イムズがどのような宗教的観念を真としてい

    るかをみたい。

    教ェイムズは、形而上学的

    神 観念に対して 一 応の意味を認める。例えば、汎神論的ヴェーダ

    "'"

    刀ド

    緩 グマティックな価値をもつ宗教が存する。記者、そして私はその一者である。」という

    ( ド u )

    卸 つの生命、一つの真理、一つも

    焚 、一つの 原理、一つの

    善 、一つの神口私はこれを クリ スチャン・サン

    ェシ スの

    根 小冊子 よ り引用したのであるが う た がいもなくこのような信仰告白は、プラグマティ

    ック にいって情緒的価値

    3 (3)

    ( 4 )

    性が存している。

    こ観赤 る念 し ジェ りで な う がす でなが 伺 い 0 ェ ィ ムズ のい う 功利主義は 、 単に世俗的功利主義では なく、実証主義も論理実証主義的な意味に解 されてはならな

    シェイムズは、「真理を決定するに際してプラグ マティズ ム の唯一の検証方法は 、 何が最上にわ れわれを導くか、

    生の各部分に適合するか、何が一切の経験の要 求 全休 と 結びつくかである。もし、神学的観念が 以上の要求を充

    ら ・とりわけ神の概念がそうであることが判明 するなら、どうしてプラグマティズムは神の存在 を 否定すること

    きようか 0 プラグマティズムは、プラグマティ ック にあのように成功をおさめた観念を " 真でな い :と取扱 うよ

    (Ⅰ 3 )

    鮎生息味なことはしない。」として、宗教的観念の 意味を強調する。われわれを取巻く世界は 、 単に 物理的外界ばか

    なく、内面的精神の諸相も含むのであり、ここ から道徳的・宗教的領域もプラグマティズムの 課 題 となる。 又 、

    イムズのい う 実証主義も、論理実証主義のよ う に 価値判断を捨象するものではなく、「実際的効 果 」という語が

    ているよさに、観念がわれわれの生にもたらす ところの価値的意味が問題となっている。プラグ マティズ ム は 、

    の 真理性をわれわれの生を軸として論ずるのであ るが、生は多面性をもち流動的で、一義的には 規定されないと

    より・一つの観念の真理性が一義的に決定され ないことになる。ここにフラグマティズ ム の真理 観の特徴と困難

  • ており、次のように述べられる。「 神 自身は 、簡 単にい うと 、われわれの信仰から力強さと押目 身の存在の増大を獲

    得する。私自身としては、この世の汗と血の悲 劇は 、この考えを前提としない限り何を意味して いるか理解すること

    ができない。もし、この生活が成功によって 何 ものかが獲得される真の闘争でないなら、すぐ 席 を立ぅて 構わない 素

    八割にすぎないであろう。しかし・この生活は 真の闘いのように思える。あたかも、われわれの 理想と信仰をもって

    われわれの精神から生命を奪 う ことを強調する のである。ジェイムズが真なるものとして呈示す るところの神は次の

    よう に語る。「私は・それが救済されることに

    関 して不確である世界、すなわち・その世界の完 成は単に条件付きで

    - 托 )

    ある世界を作ろ う と思 う 。その条件とは、それぞ れの人がそれ自身のべストを 尽 すということで ある。」「信ずる意志」

    では次のように述べられる。「最上にして最良の 応答をもって神の創造の業に協同することが、 神 がわれわれに望ん

    でいるものと思われる。神を瀧げに思索し尽して しまうことではなく、又、神を理論的に解消し てしまうことではな

    (・

    i , )

    く 、この ょう に神の目的に協同することに、

    わ れわれの運命の真の意味が存するのである。」

    ナ 」 のような全能でない

    神 ・人間の意志的助力を要求する神が、ジェイ ムズのフラグマティックな 神 なのである 0

    (は)

    ンエ イムズは、ヴェータンタ哲学のような観念 を 「 軟 かい型の思考」のものとして、病める魂は このような観念を

    (Ⅱ W )

    必要とするという。一方、人間と協同作業を行 ぅ 神の観念は、「硬い型の思考」による。ジェイ ムズ にとっては、「 軟

    い 型の思考」は受け入れ難く、「世界はともかく 全体的に救われているという観念は、あまりに も 甘く耐え難いもの

    ではあるまいが。」とする。世界にある程度の困

    -4 )

    難 が存在する方が、われわれの活力を刺激する と ジェイムズは考え

    ハ山しし

    無関心主義の方法である。これに反論するもの は 、この方法を精神的阿片にたとえる。」として 、このような観念が

    念は精神的休暇を与えることを認める。(

    8 レ

    シェイムズはこのような相観念に対して「これ は 有名な静寂主義との

    を持っているのである(

    7 )。」と述べる。ジェイ

    ム ズは 、意志的活動に疲れ果て、挫折した人間に

    とって、これらの 観 4

  • 記 イムズは コ 宗教経験の諸相口において、 宗 教

    の生きた姿は観念の中ではなく宗教的感情の中 に

    あるとして次のように

    織 述べる。「私は、 感清 が宗教の淵源であり、・

    ・・(

    , 9 l )

    哲学的・神学的図式は、原文を他の言葉に翻訳 す

    ると同じように二次的

    祁な 産物であると信じている。」ここに、プラ グ

    マティックな 神 観念が 、 果して コ 示教経験の 諸

    相 ヒに 述べられる宗教(

    経験と接合し得るかという問題が生ずる。「 み 本数 経

    験の諸相口における宗教経験の分析をみるこ

    宗教

    ノックな 神 観念は、たとえ検証の結果 真 となる 可 能

    性を持つものであっても、哲学的概念に過ぎ な

    いといえる。ジェ

    マティックな相観念を過剰信仰として世界にかか わ

    ろ う とする。「プラグマティズム L では、 神 は

    あくまでも観念と

    して捉えられており、その神がわれわれにとって 有

    効なる生きたものとなるかはいまだ知られて い

    ない。フラグ マテ

    -8

    l )

    ヘ 7 Ⅰ )

    信仰あるいは信仰への冒険は、事実上、証拠を も

    たらすのに必要であるとされるのである。」 ジ エ イムズは、プラグ

    「 生 」の 基

    ジェイム

    能 性を持つ

    な神 観念を

    げる。何故 調

    は 、「硬い型の思考」に同調するものであり・

    ここからプラグマティックな相観念が成立する の

    である。

    スは 以上のようにプラグマティックな 神 観念を呈 示

    するが、ジェイムズにとってこの神観念は真 と

    なる 可

    ものに過ぎないのであって、具体的経験の中で 検

    証されたものではない。ジェ ィ ムズはプラグ マ テ

    ィック

    検証以前に真とすることは独断であるとして 次 の

    ように述べる 0 「プラグマティズムは独断的な

    答えを 避

    ならわれわれは、どの宗教が長い目で見て最も よ

    く働くかをまだ知らないからである。人間の種 々

    の過剰

    ( 埼 @ )

    傾向性があるであろう。」と述べられる。プラグ マ

    ティズ ム では・人間の「 生 」に有効な観念が

    真 とされるが、その

    るとして、

    人間には、

    「 , 」 れは ・実際的なことを行 う 上において、勇気 と

    よ ぶものと同じ精神的特質である。そして 活 力 のある

    危険が世俗的活動に刺激を与える よう に、哲学 的

    信条におけるある種の不確かさを享受する非常 に

    一般的

    救われる必要のある真に粗野なるものがこの 宇 宙

    に存在しているかのごとくである。:・このよ

    う に

    半分粗野で、半分

    ( 巧 )

    救われている宇宙が、われわれの性質に適合し て

    いるのである。」 又 、信仰とは、不確かなこと を

    引受け ろ ことであ

  • 一 " 一

    コ 示教経験の諸相口では、具体的データーに基づ き、宗教経験の有様が詳細に分析されている。 , 」の分析における

    神と自我の関係をみるとき、神は人間の自我に 対して常に優越するものとして現われ・人間は自 我を放棄し 、 神に 服

    従 するものであることが理解される。神は人間 に 慰めを与え・勇気づけ、エネルギーを与えるも のであり、自己自身

    の 完成のために人間の助力を必要とするものでは ない。人間は 、 常にその意志を神の前に放棄し 、 神に服従するもの

    である。

    シェイムズは・宗教経験を回心の結果における 神 秘 的経験として捉えている。回心に至る過程に おいては、 意 亡心的

    努力が必要とされるが、(

    o 2

    回心そのものは、自己 放

    棄(の 四 h.

    の 目 お臣 縛 )によって達成されるとし て 次のように述べら

    れる。「最も随意的に形成された再生の種類にお いても、部分的な自己放棄の過程がさし挟まれ ている。そして、 ほ

    とんどの場合、意志が熱望されている完全な統 ム ロ へと接近すべく最大の努力をしたときに、最後 0 段階は他の 力 に残

    (何

    れ )

    されており、意志の助力なしに行わぬ ぱ ならない 23 に思われる。いい 換 れば、自己放棄が不可 欠 なものになる。」 自

    己 放棄において達成された宗教経験そのものに おいて・自我の意志的活動は存在し得ない。回心 の 結果における神秘

    的 状態の特徴としてジェイムズは、「 一 @m いカ の 支 配 」と「受動性」(

    3 2

    ) を挙げているが、自我は宗教 的 対象の下に支配さ

    (㌍)

    れ 服従しているのである。この高 いカ の支配に より人間は次のような恩恵を受ける。「その中心 的なものは、悩みの

    消失であり、全ては究極的に良しとされる感覚、 すなわち平安と調和である。そして、たとい 外 的な状態が同じであ

    を 検討したい。

    (6) 6

  • 根本的経験論と 宗教

    観 「 信 一 の 雨 区 は 度 禁 る る でしな称念口受 著る「 口 条し 間者別、 を 欲 。 宗 あ た ら 自 は プ 動 の 、 の の さ い 凌 生 し 教 ろ と ば 身 具 ぅ 性 相 わ 通 区 れ わ 駕 義 か 的

    特 待

    の 主

    " 等 (

    的伝 れ しと経験 も す

    約 、 免 書 を

    束、 か 幼 年 われ げたとか と合 者と 一見 とは 全て 的態 えま @ 7 て 7)

    ろ う とも、生きようとする意志である。」すなわ ち 、人間は安らぎを与えられ生きる力を得る。

  • 「根本的経験論」は、ジェイムズの死後。一九一

    二年に出版されたものである。しか

    「心理学原論 口 (ごて㍉「~さ

    い ~も~羽東㍉ めセぃオ

    も~ 0 呵臣 )にすでに根本的経験論の繭 芽 がみられ、

    (㌍)

    点から研究対象となっている。「心理学原論 ヒに お げる方法の独自性は、あくまでも経験

    観点から人間の精神現象の選択性および目的性 が 主張されている。しかし、「心理学原論」

    し 、一八九 0 年に著された

    この書は最近、現象的学視

    に 忠実であることで、この

    には、いまだ精神と物質、

    一 一 一

    いうことによって人間に働きかけている。ジェイ ムズ は、この神観念において古本教経験に基づく

    宗教的生き方と意志

    的 ・道徳的生き方の双方の調停を計ろ う とした とも考えられる。しかし・この調停は失敗に終り ・事実上プラグ マテ

    ック な 神 観念は道徳的色彩が濃いものとなって いる。ジェイムズ自身この試みに疑念を懐い ており、「私は、ここ

    で 公式にプラグマティストとして話すことはでき ない。しかし私がいえる全ては、私自身の ブ ラ グ マティズ ム がこの

    (㎝)

    ような道徳的見解をとり・全体的な和解を放棄 することに何等反対しないということである。」

    と 述べている。

    「プラグマティズム ヒと ヱ % 教 経験の諸相口にお げる 神 観念の矛盾を、宗教経験の中にこそ宗教 の 生きた姿がある

    として、プラグマティックな 神 観念を単に観念 的なものとして排斥することによって解決すべ きであろうか。ここ

    で、これら 両 書の立場を包括する新たな視点を 「根本的経験論口の中に求めてみたい。プラグ マ ティズ ム は、その内

    容 をみるとき、根本的経験論に同調するものと 解釈することができる。宗教経験もその淵源は 、 純粋経験の中にある

    と 考えられる。ジェイムズ自身は、根本的経験 論の下に体系的な宗教論を展開していないが、 ジ エ イムズの哲学と宗

    教諭 は 、この視点の下に体系 づ げられるべく 方 向づ げられているとみることができる。

    (8) 8

  • 別は 、意識的経験において認められるにしても

    実体的な意味での区別ではないとして、意識的経

    験の背後に存在する

    主 ・ 客 未分の純粋経験を立てる。主体と客体は

    、 純粋経験が自から意識的経験の場に移行するこ

    とに よ りはじめて 生

    ずる機能的存在であって実体的なものではない。

    純粋経験はここで、内的観念的要因として考え

    られているものでは

    ( 5 3 )

    なく、あくまで二元論的実体を超越した存在で

    あることに注意せねばならない。

    ( 6 3 )

    シェイムズは、「純粋経験は、生命の直接的流れ

    に 与えたところの名である。」としているが・

    更 に 純粋経験の性格

    を 思考との関連の上に次のように規定している。

    この直接的生命が支障なく進行している場合、

    純粋経験の状態はそ

    のまま持続する。しかし、この直接的生命は

    、自 己 充足的ではなく、自己の意識化の過程を通して

    、自己を調整せねば

    ならない。「もし純粋経験が常に完全であるなら

    ぱ 、その経験の諸項を分離したり、言語化する

    必要は生じなかった

    ・純粋経験の危機的状況において喚起される

    磯 能 的存在である。「物質的

    対比されるような思考の根源的素材は存在しない

    。経験の中には、思考が

    一 %

    謹 ㍍ バ鮒 Ⅱ 姥 %

    弱 バ

    根 かの経験の傾向は、生命に実際的関係をも

    っているなまの経験における諸要素が、その連続

    性から分析され言語化さ 9 (9)

    対象等が区別された二元論が消失している。

    こ のような 主 ・客の区

    主観と客観等の

    であろうとする

    「根本的である

    直接経験される 二

    元論を立てる古典的経験論の残 津 があり、論理 絢一貫性が見られない。ここにみられる経験に 忠実

    方法を徹底的に推進したのが「根本的経験論 L である。ジェイムズは、根本的経験論の原則とし て、

    ためには、経験論は。その構成要素に直接経験 されないものを認めてはならないと同時に、それ から

    (㏄)

    ものを除外してはならない。」と述べる 0 この 立 場は徹底され、㍉心理学原論 L においていまだ 存 在し

  • ( 2 4 )

    抹 している。」と述べており、純粋経験はわれわ れに知られる存在である。純粋経験は、意識的 認識の観点からは 濠

    ヱ イムズは「直接的に知るということ、すなわち 直観的に知るということは、心の内容と対象が 同一であることを 意

    ( 9 3 )

    れ 関連 づ げられる程度に応じて軽減されるので ある。」といわれる。純粋経験は、思考の段階で カテゴリー化され、

    思考は状況を認識する。認識に基づく行動の過 程を経て、危機的状況が消失するに伴い、再び 、 意識されない経験、

    すなわち純粋経験の状態が取戻される。この ょ 5 に純粋経験の性格と思考の役割が規定されてい るのである。

    以上がジェイムズの 日 根本的経験論 L の概要で あるが、反省的意識の前段階としての純粋経験と は 、具体的にはい

    かな スリ ものと考えられてい ス りかを 付 舌口 L していんこ う 。われわれに知られる経験は全て意識的経験で あるとすれば、純粋

    経験は形而上的なものと思われる。ジェ ィ ムズ が 具体的に純粋経験に言及しているところに よ る と 次の通りである。

    「自分自身をこの論文を読むという行為の中に 捉 えてみよ。さて、この論文を読むということは 純粋経験であり、 =@

    い操 れば、現象、データ、単なるそれ③ ョの ( の 手簿()あるいは事実の内容である 0 読むという ことが単に存在しそ

    にある。そして、そこに何ものかの意識がある か ・あるいは物理的性質があるかは、いまだ 問 われていない。その

    瞬間においては・それはそのどちらでもない。後 になってわれわれは、それは双方のためにそこ にあったということ

    ( 0 4 )

    を 判断するであろう。」「読むことが単に存在し

    てそこにある」という直接的生命の流れが純粋 経 験 である。しかし、

    それを認識する段階に進めば、それはもはや 純 粋 経験ではなくなる。この意味で純粋経験は意識 の濠 味な状態に対比

    され次のようにいわれる。「単に生れたばかりの 幼児、又は眠り・麻薬・

    病 、打撲により半睡 状 態 になりている人は 、

    いまだ明確な何( 毛ゴ at )になっていないそれ( ( ゴ曲 ()という文字通りの意味での純粋

    総験 をもっ ていると想定され

    (・

    4 , )

    る 。」対象を知るということをカテゴリー化する ことに解せば、純粋経験は形而上学的存在であ る 。しかし・

    ヵテゴ

    リ ー 化をはみだした生命の流れを直観すること も 知ることであるとすれば、純粋経験は形而上的 なものではない。 ジ

    do) 10

  • 直接的生命の流れたる純粋経験は、プラグ マテ イズムにおける観念がそこから出てそこに還ると ころのわれわれの

    滑 にする機能的存在として理解することができる

    0 観念は、ジェイムズの

    織側 によれば、森の中で道に迷ったような

    調 相酌生の破れ目に生ずるものであり、この観念の

    正当性はわれわれの上に

    和 よって 又 、決定されるのである。

    1 ( ⅠⅠ )

    き教

    い う 論文においては、ある観念が世界との対応

    において埋に適っている・つまりムロ

    理的 ( hpd

    ざコ ニ )であるための 基

    い う 主観的徴候が挙げられている。プラグ

    マテ イズムには、非概念

    。」(

    る 3 4

    ) このように・プラグマティックな検証過程

    は 主観的である。「信ずる意志

    ヒに 収められてい る 「合理性の情緒と

    展 的で調和的で満足なものとしてわれわれにや ってくるのである。この調和するところの導きが 観念の検証を意味す

    われが持っていた観念と一致関係にあるとわれ われが感ずる他の経験の部分にわれわれを導いて 行くのであるこ

    のような感覚はわれわれの能力の中に存在してい るものである。この連続性と移行性は 、一 点から一点へと・ 発

    われを導いて行くものである。すな ね ち、観念 はそれが生みだすところの行為あるいは別の観念 を 通じて、最初われ

    う な価値判断を捨象したものではなく、観念が われわれの上にとっていかに有効であるかを 問う 為 のものである 0 観

    念の真理性は、いわば観念化されていない生に 照し 合わされ、その観念がわれわれの生を如何に 効果的に導くか、 換

    書 すれば、われわれの生にいかに調和するかに よって決定される。ジェイムズは次のように述べ る 。「観念は・われ

    観念の真理性が問われ、その真理性は検証化に よって決定される。しかし、その検証化は論理実 証 主義が意味する ょ

    ここで・プラグマティズムの理論が根本的経験論 に 同調する関係にあることを指摘したい。プラ グ マティズ ム では

    ありこれより意識的経験界の全てが生ずるので ある。

    味な状態とはいえ、直観にとっては確かな存在 と 思える。この生命の流れとしての純粋経験はあ らゆるものの根源で

  • 以上のように根本的経験論とプラグマティズム の 関係をみると き 、純粋経験とプラグマティック な 神との間に相応

    関係をたてることができるのではあるまいか。 プ ラグ マティックな神は、「私は、それが救済さ れることに関して 不

    確 である世界、すな ね ち、その世界の完成は単 に 条件付きである世界を作ろ 3 と思 う 。その条件 とは ・それぞれの 人

    がそれ自身のべストを 尽 すということである。」 と 語る神であった。プラグマティックな神は 、 自己充足的ではなく

    人間の意志的助力を要請するものである。しか し 、人間の意志的助力が存在する限り世界の完成 を 約束するというこ

    とは、神が人間の活動を導くものであることを 立 思抹 する。プラグマティックな神の非充足性は。 純粋経験の非充足性

    に 対応し、神が人間活動を導く側面は、純粋 経 験の展開 相 である自我活動が 、 同じく展開 相 であ る 世界によって導か

    れることに対応するとするなら、純粋経験はそ れ 自体 神 であると結論づけることができる。純粋 経験が自からを自我

    と 世界に展開する 23 に 、 神は。自からを人間 の 自我活動と世界へと展開するのである。プラグ マティックな神は 、

    観念的なものではなく、純粋経験そのものであ り、 神と人間と世界との関係は、純粋経験として の神の展開 相 におい

    て 成立するものと考えられる。

    と役割を説明するものである。「プラグマティズ ムヒ と「根本的経験論」はこのように調和的に 対応するのであり、

    相補的にみることにより双方をよりよく理解す ることができる。

    己 充足でないことより、機能的存在たる思考が喚 起されるのであるが、これはプラグマティズム に

    おける観念の発生め

    生である。純粋経験が自己充足的でな い ことは、

    われわれの生が自己充足的でないことを示して いる。純粋経験が自

  • 根本的経験論と 宗教

    る る 仕 れ ぅ は い 訃こ て い で れ で れ こ 間 ジェ ィ 。 こと 上を 創 は グて つき 部分 なも 一 の @iW た る 。 は次 の自 なく れ れ を ろ は と イムズ タリ 否 を 待っ 追約 ティ り表 が 粉 のま @ 、 い部分 とえそ そして のよ う 我 活動 汝 であ れの 宗 みたい 根本 に 例 に

    テ ろ も わ の 。 、

    で あ だ 語 る ば そ 活 か 、 な

    イ が、 ( 間者 のえと 象 る 0 で、

    、 全 の 従

    な 都 て 13@ (13)

  • (14)

    は め る が れ て ・ る プ

    何 は 人 ね 。 ラ 尊 な 間 れ し グ 五 せ こ 我 を も の が 取 フ ス

    力こ よ ネ中 老妻 ラ ム

    な う と く グ の く な 接 せ マ 構 な 神 統 界 テ 造 る な す と ィ は し 立 る 挫 て と て ク 根 折 る 白 話 な 本 し 宗 覚 り 神 約 た 教 さ か 観 経 入 観 れ げ で 験 間 は る わ は 論 は " 場 れ " と

    、 入 合 わ あ 同 世 間 に れ く 調 界 の お を ま す を 生 い 導 で る 単 が て く も も に 活 も と 人 の 困 動 、 し 間 で 難 的 自 て の あ な で 我 も 自 り 叫プモ あ と 、 棚ヲ寺 呪 る 神 そ 活 プ と 限 は こ 動 ぅ

    さ ッ ・ の あ の ね ク

    神 で り 意 て な

    の 前 あ ろ 神約るは 、 志い 神 ほ う の 活 。 糸屯 自 が 前 動 純 粋 己 に が 粋 経 を 挫 放 前 経 験 投 打 栗 提 験 と げ し さ と と し 出 た れ さ し て し 場 て れ て 理

    、 合 い て の 解 休 に る い 神 さ

    プ の も か も 同 已 働 ラ 前 の に 、 時 の き グ に で か 世 に 自 か

    マ あ あ か 罪 人 己 げ テ る る っ は 間 自 を

    ィ ・ 白 な て 人 の 身 示 ッ 我 ら い 間 自 に す

    ク の ば る に 己 村 と な 包 。 ょ 白 す 同 神 指 神 こ っ 身 る 時 観 性 的 の て に 関 に の に 世 人 意 対 係 理 他 界 間 味 す で 人 解 な と の 行 る あ 間 な ら 自 白 手 関 る と 史 な 我 我 さ 係 。 神 に い の が れ で 人 と 採 。 開 学 制 あ 間 の め こ 係 に 造 る が 同 る の も 現 さ ロ - ー も よ 、 在 れ 人 己 性 の う 白 の る 間 の を と な 我 挟 も は 内 表 い 根 の い の 乞 田 明 え 本 白 も と 括 に し る 的 我 の し 的 かて

    。 経 自 に て な り、 い 駄 弁 限 あ 神 人、 る 論 の 走 る 的 き、 。 の 関 さ 似 世 な 、 同 同 係 れ 上 界 か一 一 と た 、 の の、 で 哲 な も 世 前 を あ

    学 的。 るの界に見る でのあ 出も 解 官 は 奔 り す の 釈 教 な 展 そ 関 の は の く は れ 係 諸 " 前 " 人 に は 項

    神 に 本 間 よ 、 の と あ 質 の っ 人 間 入 る 約 百 て 間 の 間 世 に 我 尊 と 関 の 界 は が か 神 保 協 の 神 如 れ と は 同 包 と 阿 る の 関 括 何 に 関 関 あ

    くまで 係を立 性は 、 列なる 拡大さ 係を 係であ て 自 広 れ み る も る 裁 い る て と 自

    ( S 4 )

    狂喜している 0 」このような同一哲学的解釈は 、 神の世界としての人間への働きかけ、あるいは 人 間の自我の内面への

    14

  • てはじめて充足されるとの考えは、プラグ

    マテ ノックな思考 法 に偏したものといえる。神の前に

    自我を放棄する宗教

    経験を考える時、純粋経験のプラグマティック

    な規定性は妥当性を欠くのである。プラグマティ

    ック な展開は 、

    経験の一つの展開様式に過ぎない。しかし、

    何 故に「フラグマティズムロと「宗教経験の諸相口

    における矛盾した

    つめ 経験様式がそれ等の根源を純粋経験の中に置

    くことができるのであろうか。生命の流れとし

    ての純粋経験は

    、論

    教理を超えた次元にあるからである。純粋

    経 験は 、プラグマティックな神という径路と・

    コ ホ教経験の諸相口の神とし

    利 い。もしこの ょう に考えるならば、純粋

    経 験は プラグマティックな方向に性格

    づ げられてし まう からである。現象

    と 純粋経験との関係は、あらゆる論理を超えた

    ものとせねばならない。したがって、純粋経験に

    おいては、 神 ・人間 15@ (15)

    息と 助力を求めるであろう。ここには、 コ 小数 経 験の諸相口の神が要請されるのである。

    日 プラグマティズムロと 日 根本的経験論白による と 、純粋経験はプラグマティックな神として 理 解されるが、純粋

    経験は、「宗教経験の諸相」の神をも包摂するも のと考えることができるのではあるまいか 0 何 故 ならば、全ての 経

    験的 現象は純粋経験より発しているものであり、 神秘的宗教経験も当然純粋経験を根源とするも のだからである。 純

    粋 経験のプラグマティズム的展開様式は、純粋 経験の一つの様式に過ぎなく、全てではないと 考えるのが妥当であ

    る 。純粋経験は、「宗教経験の諸相口の神として も 展開し得ると考えねばならない。したがって

    シェアⅢ ムズぶか 同根

    本 的経験論」の中で行った純粋経験それ自体の プラグマティックな性格 づ げを考え直さねばな らない。ジェイムズ

    は 、純粋経験を「直接的生命の流れ」として、 あ らゆる意識的経験の背後にある無規定なものと した 0 この見解は妥

    当 なものと受けとられるにしても、純粋経験を 非充足的なものとして,その展開 相 における人間 の 意志的活動を侯 っ

  • 註 (

    1 )旧臣 - あヨ Ⅰが ヨ のの - ㌧ ベ祭晦

    まぬ ト あき ぃコ隼ト

    0 ⅠⅡの m のり せ の 申 o ヨ H 苗ぬ寒ぬぬ

    支お 呵 0 主づ 「まき・(

    ヨ 0 ミ ペ 0 「下目吹 @ ま p コ 00

    援 屈のⅡ コ n : トのひ

    0 ) -

    や ・ト ド

    ( 2 )出すぎ・

    、づ ・ 腱 ㍉

    ( 3 )Ⅰ ヴ @ 宙 ・ - ㌧で・の

    ト ーの㏄

    ( 4 )村野宣男「ウィリアム・ジェイムズの真理論」 ョ丘正女子大学短期大学部研究紀要」第一五集、一九 セ一 、参照。

    ( 5 ) 憶ぺ Q 帽ま駐 ㌻ ま,や ・) 0 の

    ・世界は根源的に同一であるとも、同一でないと もいうことができない。

    シェイムズは、生命に有効であるものを全て取 り 入れる態度をとった。ジェイムズは、一方にお いて宗教を倫理的

    生活および自我の意志的活動と切り離すことが できなかった 0 ここからプラグマティックな宗教 観 が生れ、この宗教

    親 はこの意味で生命に有効であった。しかし 他 方 、挫折した人間にとって宗教はさらに強く要請 されるものであり、

    ここから口小数経験の諸相口の神が立てられるの である。これら二つの神は、その性格を論理的 に 分析すれば、両立

    し 得ないものである。しかし両者は、論理を超 , えたジェイムズの生の中には共存し得たのではあ るまいか。ジェイ ム

    スは 、これらの二つの神を立てながら、これらの 神 が立てられる根源である生命の流れたる純粋 経験を見ていたので

    はないか 0 高木きよ子良 は、 ㍉ウィリアム・ジェ イムズの宗教思想口の中で、コジェイムズの 宗 教 思想をふりかえっ

    てみると・純粋経験に よ る宗教の解釈・分析より も 、純粋経験の思想そのものが、すでに、宗教 思想としてひとつの

    様相を呈している よう に思われる。すな ね ち、 シエイ ムズ自身は宗教と考えなかった領域が 、 & 小 教 として考えられる

    ( 0 5 )

    のではないか。」と述べているが、純粋経験の思 想 そのものの中に、ジェイムズの宗教観が包括 的に捉えられるので

    ある。ジェイムズは、純粋経験に基づく・いわ ぱ 哲学的宗教観を懐いていたと見ることができる

    (16) 16

  • ( 6 )Ⅰ ヴ @ ロ ・ - つつ ・Ⅰ 0 ㏄ | Ⅰ 0 か

    ( 7 )Ⅰす い &.. せ口・ トつ Ⅰー トつ ㎏

    ハ 8 )Ⅰ ヴ @ 年 ・ 、づ ・ 巨 ㏄

    ( 9 )Ⅰ ヴ @ 口 ・、

    b.

    Ⅰ㏄

    (㏄)Ⅰ ヴ @&.

    、づ ・ P のⅡ

    (Ⅱ)目 @ い - 目角(

    コざヨ窃 ・ づ蕊 )で「~~~

    り 0 市隠 む黒 、 p 口ロ 0 手の 「 0 の 8 セの 0 コ ちづ三代 づ F@@o

    おづオヂ ( z の 毛ぺ 0 「 汀ま Ⅱ 培 ㌧ けヴ目り

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    ド の的 ひ )・

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    い ま - ロ ・ トの 。

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    わ 。㏄ 隠む寒 ・ ロ ・ P の ト

    ( 巧 )) ヴ @&.

    、 0.0 の

    (Ⅱ) ジヱ イムズは特殊化された個人的信仰形態を過 剰 信仰( 04% まの -@oh

    )と呼ぶ。

    ( 田 )㌧き心 ま a ~~ の ま・

    b.l

    のの

    ( 比 ) 毛 @--@a

    ヨざヨ 8. パぎぺミむ驚 色色 トぬ ~~

    封ぎ浅 Ⅱ ぉ も " :~::。:

    、 (Ⅰ む , 口 0 : - Ⅰ。, m 臣 ,。 ロ " 、の 。。。

    , 。, 口 no..p

    の o0 ) ㌧・ ミ ㏄ い

    ( 初 )「信ずる 普 生出では信仰の必要条件として 0%

    早瓜が主題的に取り上げられている。

    ( 簗 ) つ ぎ ぺミ ~ ぬ ~~ めめ 0 ㌔お 亀 ~ 肘 ~ 0 悪め 憶お ㌧ ぬぺ ~ ぬ さややめ つ怪

    ( 2 )( す @ 口 ・ 、つ ・ い ㏄㏄

    ( % ) H Ⅰ @Q.b. の~㎏

    """

    刀て

    (明ハ)

    Ib@

    口 ・・ づ ・ 242

    ( % )Ⅰ す @&."bb.o

    のの 1 めのの

    駁論

    ( 為 )出す @&..

    ち ・ い の㏄

    ( 笏 )Ⅰ ヴ @ 口 ・・Ⅱ

    @. ののの

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    口 ・,

    b.

    か ) の

    17 (17)

  • ( 豹 ) 憶 Ⅰロ恥

    ま Ⅰ~ 帝ま、つ ・Ⅱ㏄

    (㏄) HF@ ・ ち ・)

    oN

    ( 綴 )Ⅰ び @ 口 ・ⅠⅠ・)

    00

    (㏄)例えば次のような著作が見られる。 い rue

    の 韻目 の目お ・ ミ d ~ ま Ⅰまさままさ ミ荘 ㌧ 零 さま い d0

    ) ~も 咀セ 。(白 8 き 卜 W@

    バ レ 臣 ⅠⅠ

    トロ

    -D コ曲己日

    y 田

    ヰの Ⅱ 雀 任せ㌧Ⅰめの

    u.

    トの の㏄) オ -n

    すめⅡ

    ロ の侍の

    セ 0 コ m. ト め ぎいい Ⅰゑ生ま ぃ 牡馬ドナ(

    帥り幅仁め

    @ 早田 キ ( @ コ 偉の之ごす

    ohh,

    トの Ⅱ 肚 )。

    ( お ) 甘ぶ --

    いり ヨ村ヨ 窃 ・ 憶 お a セ めぎ きさ まき~ 曲 ま ちギぎ ㌻ ま Ⅰ ミ鮨 下 す Ⅰ 軋 ~ め ~ む目ミぎぬ

    ㏄。(

    z の 毛ボ 0 (打目口内 ヨぃコ 0.

    の「

    0 の コハコロ の 0 :田の臼㏄)

    b. ムド

    ( 解 )思考 宙す 。 E の ぎ )は 、ジヱ イムズにおいて、感覚 も 含めた意識的精神状態一般を意味する。

    (㏄) 力 ・ ロ, ㌧の ロさづ かめ ド ンも二心

    ト ~あさ黛のかⅠ

    ぺ Ⅰ ゑぬへ へ ヰぶ こぎ まさ ミ尽ク (メモ

    om

    帝 ()

    0 臣 - 寄お コ毛 8& ㌧ 5mm.

    巾 年ヴ -@

    綜浅 m.P

    ゆ ド下)・

    づ 0 )Ⅰ 、

    Ⅰ ポ目 . 参照。ここで。ヘリーは「ジェイムズにとって 根源的な経験は、本質的にいって心的でもなければ 物 的でもなく 中

    立 的なもの両者に関係しないもの、非決定的なもの、 @ ア ータ、事実からなるものである。」としている。

    (㏄) 馬 ㏄Ⅰ ヒ めぎ わ Ⅰ 潮 8 ~ 芭まもや帝

    ㌻ ま ・ ワの ㏄

    (㌍)

    Ib@

    口 : せや ・のの

    1 の㍉

    (㏄) H ま . 、つつ ・の ,朋

    (㏄)Ⅰ @ し @ 宙 ・・ⅠⅠ・

    0 の

    ( ゆ ) ロ荘 &..

    づ p. ) 45-146

    ( 伯 )( ヴ ~ &..

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    ( 蛇 ) 旧 ~ --@

    ドヨ Ⅰ ドヨ ㏄ 0. つ ぎ コ ヘ心Ⅰ

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    @ ミ 8 口㌧Ⅰ㏄のの

    - 巾仁ヴ

    岸の す のⅠ

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    トの の㏄)

    、づ b.

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    (㎎) セド Ⅰ 蝸ま a ~~

    い ま・ づ ・ トの肚

    ( 何 ) り蕊さ 「 由 ~ パ 0 田ぬ ~~

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    ( 蝸 )Ⅱ㏄ 隠セ めぎ お Ⅰ 斗 no.

    ~ 芭ま ㌧ す ぎ㌻ ま ・ やト の 丘目 のが㏄ o い

    ( 蝸 ) づ蕊 う ) ( 驚 ~ パ 0 ㏄ 寵む隻ぬ

    、 0.2 ~

    ( 好 ) づキぬ 六 % ~ ぬ ~ ご ~ ぬめ Q ネカめ ~~

    入ぎ浅芭ハ ト ぬャ ~雨蓋いつ

    つト の ㏄・

    ト のの

    (㎎) 0 ~ 0 くぃコ日セい

    や @ 毘 ハト㏄㏄トートのりの)イタリアの

    ブ ラ ク マティスト。文芸批評家でもあり、 二 l チヱ 、ベル グソソ、ジヱイム

    ( Ⅰ 8) 18

  • 根本的経験論と 宗教

    ズ 、 F,C.S

    シラーの思想に沿った雑誌

    ト S% え 。 を 一九 0 三年に発刊。

    想 b 大明堂、昭和四六年、二四

    0 ぺージ。

    19@ (19)

  • 酸屯は 、罵倒 像 が鮮 抑 となるためには欠か すことのできぬ 篤 胤の生活史についての資料蓄積 0 間頭であった。しかし

    研究」(

    2 )が基本的資料を提出しており・また最近で

    は 、伊藤裕 著 「大壁平田

    出駕風伝 ヒが 特に 篤 胤の幼年・少年時代に関 する新たな貸料を提示して、その人間像を

    よ り 明 確 なものにしている 0 こは

    21

    辛う いった積み重ねは研究の大前提であり、

    その成果を土台としての 簡 胤の思想研究でなけ ればならない。もう一つ

    基層 信

    るとは言い難い。これには・対象の側の要因の 他に 、研究方法においても問題点が存していたこ とが関係している。

    ; 仰

    り ら る 胎 L

    明 評 れ 評 は 文 治 価 る 価 、 政 篤 く に 質 直 一 っ 端 が 非 養 三 い に 、 雛 子 )

    て 分 こ 俳 人 年 の か の 片 平 研 れ 出 の と 数 完 て 来 会 、 え 書 し 享 く 実 年 ま が の 子 四 論 う 瑞 雨 春 十 文 こ 的 様 庭 八

    はとににを 、 が 恭介はの 歳 か 避 す か じ 平 な げ よ れ め 田 り 9 3 て 、 篤 め れ に し 何 胤 数 ね 、 ま 人 は に よ 篇 っ か 、

    そ な た 両 人 命 こ 含 り 派 に 願 に ん 、 の 会 と お で あ 意 つ し け い る 見 た て る た い は の い 評 と は 、 で た

    上 の 出 順

    の た

    に L 向 孝 人 ま に の て に と 対 陣 い よ め す 篤

    平田篤胤と民衆基層信仰

  • 々しく出現した思想家の一人と捉えるのか、

    のか、あるいは・神秘的な宗教思想家として

    ことにもなり得る。

    篤 胤の思想は・多くの先行思想の重層的・

    仰いだ 官 長の説は勿論のこと、服部中庸等の

    ぅ 意味では、全く 篤 胤の独創になる思想とい 神

    道思想の体系化を図った者と捉えるのか、 国 学 上の異端として捉える

    捉えるのかなどという問題は 、 問わず語りに 研 究者 自身の宗教観を示す

    あるいは並存的雑居状況であると言ってさしつ か えあるまい。その 師と

    宣 長門人・和漢の儒学者などの説が自在に取り 入れられている。そ うい

    ぅ ものは極めて少ないので、 篤 胤の思想を分断 していって、影響を与え

    況 でなかったことが 大 ぎく係っている。田原 嗣 郎 氏が指摘する よう

    ( 4 )

    をょ みこむものが大半をしめている。」という 事 態も生じた。

    驚風 に 対する評価が多様性に富んでいるという 背景にこれらの 妻

    は 、評価の多様性は研究者の側の視点の置 き 方の 相違として捉え ろ

    思想を素材として、そこにどのような問題点を 提起しょうとしたの

    いうこと自体が篤胤の評価にたとえ無意識的にし ろ 決定的な作用を

    平田篤胤は・その形容 語 として、国学者、神道 思想家、復古神道

    せられる。平田篤胤という固有名詞の前にこ う いった形容語を付す

    ような思想史的あるいは宗教史的脈絡の中で 篤 胤を研究しょうとし

    に 、このことはまた・研究者がどのような形で 篤 胤に 直面するが と に

    、「平田単のなかに、皇国史観風の自己の意 見

    因も少なからず関与していると思 うが 、基本的 ケ @ し

    れねばならない。つまり、研究者が篤胤の行動 や

    か 、あるいはそこから何を言お う としたのか、 と

    及ぼすのである。

    家 ・あるいは国学的神秘主義者といった名辞を 冠

    るということは、一般的には、その研究者がど の

    ているかの指標を示すことになる。それと 同 時

    いうことの表示ともなりうる。罵倒 さ 、近世に 華

    る @% 戦 研 先 前 房 に 者 お の

    げ 置 る か 簡 れ 胤 た 研 歴 先 史 が 的 実 状 り 況 ち と る い

    も @ を の ゾ 」 が 、 く 篤 数 の し 居 、 か 想 生 を ま 解 な 釈 っ て た い セ @ -

    当 参 且 与 太 研 な 究影

    響 視占 の を が @ 与 自 , え 由 た に と

    描 い え ぅ ら 事 れ 実 る で ・

    状 あ

    (22) 22

  • 平田篤胤と民出基層信仰

    孝女 も と

    " の " 数

    遭 は 、 歳

    ヰリ与

    ヤ @ し に に 論 宰 強 は n-. 春 想 い 古 " 台

    弁 「 が 正 『 を

    論破 そしき ら 俗神 の 神 道 す

    べく 大要の道 大意 を が 』 処 紹 存 と 女 介 在 い 作 せ し っ 司

    ん て た 呵 と い 講 妄

    した たのを』 釈害 も だ 盛 を の と ん 著 で い に

    。 と っ 篤

    い せ て @ 音 L ず 説 い は れ き る 、 明 も 一 一 一 閃 か こ 十 人 す の 代 達 と 一 半 に 共 通 は 講 に の に

    釈 、 大 な し 仏 意 る

    23 (23)

    材 の き 必 力 - Ⅰ 料 現 る 要 篤 う, がいこ っと山 と が 実 げ と 胤 こ た に 回 思

    われる先行思想に還元してゆけば玉葱の皮を次 々にむいてしまった後のように何も残らなくなる 恐れもある。

    ( 5 )

    孝雄の研究以来、 篤 胤の学問は神家・文案・ 医 家 ・ 易家 ・暦家・儒家・仏家・兵家の所謂「八家 の学 」という

    なっているが、その内容はというと・ほとんど がこれらの思想に対する 篤 胤の注釈から成り立っ ている。こ う

    事実を前にすると・ 篤 胤の思想が結局は単なる 寄せあつめに過ぎないのではないかという疑問も わいてこよう

    れだけの思想を包括しょうとした所には 篤胤が 独自に持っていたある凝集 力 が作用していたとみ るべきであろ

    の 思想を宗教的次元で凝集させているものは何か 、またそれはどういう外的要因と絡ませて考え ていくことが

    なってきているのか、という問題意識がこの 小 論の出発点である。この問題は篤胤の著した多く の 書で検討で

    れども、以下では仏教、儒教、俗神道への批判 と 、他界への関心とに注目して論を進めたい。 そ こには、 篤胤

    社会への生の関心が写し出されており、驚風の 士 示教性の間 題 、 篤 風と民衆基層信仰の関係を考察 するに格好の

    並んでいるからである。

  • (24) 24

    笑語 相反 れたも ス 手 りは 司 県 の てのこ 口 のはげ ちてい これ 大

    ぅ 、 倒 さ が っ 概 基 題 点 篤 ぎ れ 人 か 説 の 名 を 胤 で て 々 箱 書 説 か 嫌 の あ は を 介 と む ろ 容易 った と も 仏教 誹 等 る、 ならな 教化し すると でも言 広く紹 し 斥 々 い た ラ 介 に て の で 、 手 押 べ し 推 い ( 理 あ 仏 殿 は ぎ よ 察 る 乙由 る や は 我 も う で

    。 に 。 菩 そ 々 の と ぎ

    罵 っ 薩 の に で す る と 修 と あ る ょ め て は 行 っ る 意 ぅ 批 八 時 て が 図 に 判 篤 @ ま J 乱 こ が の 会 の 所 っ 仲

    の 仏 役 得 如 に た 基 よ 教 3 0 な 「 の 映 「出 であ 幻 した きもの 仏陀、 ことを 観 無 点 理 俊 って 定 術 あ であ 仏説 司書 の ナ 実 る る 、 の 青苔 他 ル 体 い の 僧 中 ヒ に 事 の は に 侶 で に も 」

    あ ) 下 の ぃ 受

    後 教 を す が を た " 排 篤 加 が " し も

    こ 撃 胤 え に そ て の れ の の た も の か を ら 睦 生 か な 主 る 記 を 白 張 、 り 張 所 録 通 を は と そ に も す じ 、 。 い う は あ る

    てまこ 明 たれ 点 う で あ か く れと ばい ら 『 ら る る つ @ か 西 各 お 。 か か 形 と 箱 書 さ そ の な 式 な 慨 に え こ 共 り を る 論 か て で 通 き と 篤 ヒ な お 、 の わ っ

    胤 に り く 篤 パ ど た の 儒 の こ 胤 タ い も 排 教 部 と が l 狼 の 撃 の 分 か 仏 ン 談 で

    居、 、 が ら 教 を を あ さ 神 が 所 現

    道 で も と め ぎ あ し ど る る て @ @ ま い ま 徒 口 っ た っ - 詰 五 た 、 て 調

    側 篤 で、 面 倒 - あ な な 見 り 持 つ 狼 に き 雑 卒 攻 動 な 辣 し た き っ

    h@ }@ on [L_ 。 、 も に ぷ

    ど の し り う に も の

    にお 作業 な い し て 批 く ず 回 た 仏 判 よ だ し

  • 侶の女犯の例が極めて多いと指摘することで証明

    しょうとしている。自然

    乎の情に背くような戒律を定めても・所詮

    守 られる筈がないというのが

    篤 胤の考え方であった

    25 (25)

    今 ト 主 二 ド 其 モ 弟 ナ 子 ハ モ 女

    考巳 コ ヤ カ モ

    、 方 ト ヲ

    、 ノ 訊 まル ヰ Ⅱ ア ス マ 人 イ 行カ

    。 ) ナ T

    気 ム

    テ、

    賀 ; 程

    夫 。 故

    難ヲ始メ 、女犯 ナドヲ ヤッタ 者ガ大ブア

    清ニ 即イテ ヰル 証抜 二八、此間中シタル通り

    釈 迦ノ死ン ダト 聞ク

    カノ法師 ノ輩ハ、人ノ真ノ道ノオフ失ヒ 、兵甲 スル で。 トテハ、死 ンダル 先ノ 「ノミ 申 と朽ク微 ハ g ) シキ、人ノ 死骸 ナ

    ソドヲ、朝ョヒ二 取扱 ヒ、人ノキ ラヒ 棄 タル 物ナ

    サテ佛法ノ趣 、 澤迦ノ教ト云 モノ ハ 、 此 通り、 人 ノ眞ノ 桂二 % ッテヰ ル兵弟子 々リシ 羅漢 共 デス ラ、ヵノ阿

    ウ @ レ @ キ

    れるものが釈迦の言ったことや行動をそのまま 伝えているとは考えられないとか

    とする、大乗非仏説的観点からのものもある。 し かし、後者の問題についてはこ

    点 、それに仏教徒が我が国の神々を敬わぬのを 非難した点について取り上げるこ

    さて、では人情に合わないとは、具体的にど う レ ナⅠ

    ノ ことを山片帆して舌口ったのか。

    舌口薬 をニ 、 三 引用してみよう。

    サテ右ノ 通り 澤迦ノ ハジメタル仏法 ト云フ モノ ハ 、死生 ヲハテ レ、三界トイ ブ

    ルポ 故 、君父 ヲ モス テ 、妻子 ノ 愛情 ヲモ浄 クハ ナ レ 不バ 得 ランストイフ 乙教デ、

    ・後代の教義が仏説によっていない

    こでは割愛し、人情に合わぬとした

    とにする。

    「出定笑語口の中から、 篤胤 自身の

    ヲ出テ ・天地 ノ外ノ 考ト テ ラフトス

    ( 8 )

    ノ 人間二八トント出来 ヌ 「 デム 。

  • 0 次 て あ 頭 旦 西 よはかの る ょ 、 。 「 一哉 つが ヌ頭 ヤ / う 、 の う う 駕 籠 を 国 ゥ 一 闇 ? 地 な や 風 概 が 論 く が 論

    く の ナ ッ ツ れ 神 モ モ 夜

    乱 理 数 儒 』 れ 展 化 学 は て 開 さ 者 元 い と れ に 来 た な た 対

    つ い 々 / ト てわ いば 鍛 、 外二 二八 る 両 頭 惇 忠

    。 親 ヲ シ ハ の 一 ガ ・ ズ 我 一 が ク テ マ 千 レ ・ タ

    にタア子 対人 / 等ご , す ト ヲ ラ る 、 ジ ガ も 面 サ 0 期 ン 両 と / ハ 親 同 窓 、 ノ

    」 聖 い じ 愛 オ 慈 で ス マ 愛 あ か シ フ り 庭 ヲ ノ 「 仏 ハ レ 何 の 、 タ 圧

    あ ド 、 居 、

    りヂ能ハ が ライズ

    他 デ、 ダ 人 有 。 、 徐 が マ ト 所

    教 展 ま に の たまた ノ人 セウ ・ 。 ( ) Ⅰ l 云テ - え し む ょ 喜三

    ま韻

    " 土 l じ @ が た と っ で

    レ 鍛

    次に僧侶や仏教信仰者が日本古来の神々を崇敬 しないことへの批判については・その根底にほ。 ほ 二つの理由を認め

    ることができる。一 つは、 我が国の神々は「名も 実 もある」神々なのに、それを敬わず、妄説に 惑わされるとは 清 げ

    ないということであり、もう一つは、神はいわば 我々の祖先といってもよい存在であるのに、 他 人の如き仏を敬 50

    は げしからぬことである、という論法である。 第 一の点は、釈迦が単なる神通力を有する人間に 過ぎぬとか、菩薩な

    どは実体のないものだとする説と表裏一体のも のだが・我が国の神々は・抽象的存在ではなく、 ちゃんと実体を備え

    ているのだという信念を示している。第二の点 ほ ついては、 コ 出定笑語附録目の中に面白いたと, え がひかれている。

    世ノ人ノ、佛プ有 ガタ キ モノ二五ハ 、コ、ラデ ム 。大八人 モョク云 「 ヂサ ガ 、ノ光ヲ

    常二 ナ ンテ居ルカ

    (26) 26

  • 平田篤胤と民出芸 層 信仰

    あ て と り 人 人 ら 折 が め と な な れ 角 、 て 罵 言 ど

    ツラ る 。 ぢふ Ⅰ 血買叩 ぶ車 た習儒ぃ胤ぅ もと し批 間バ あ し湯 こ 停学る は よ っも

    レ て 着 国 其, 、 る べ あ の と ・ 嵐 子 に そ 備 バ 描 達 の 外 盗 。 ぎ っ よ は そ 昧 と 合 し わ

    、 い の 聖 ノ 大 駕 人 て う で の の 誉 わ て っ 其 た 解 人 者 ノ 風 間 頭 な ぎ 善 人 め な そ て 心 孔 釈 す ド 恵 博 で い 側 な と で る い も い モ 子 を べ モ キ 意 は 批 面 い な 、 人 も そ る 行 の 通 て ガ で の な 判 か と ら 文 々 の も 国 ヒ 倒 し を 、 ヲ 比 か の ら 押 ぬ 辞 に と 聖 で モ 両 て 非 岡 元 楡 っ 村 儒 し よ に 互 い 人 あ 尋 と 表 難 ジ モ 常 は わ し ノ ど れ て ゥ 元 れ で な を 人 食 ら あ で な 従 人 の ろ り ニ ク ば あ っ 批 。 わ か る あ ど っ 二 よ 乱 る 塞 、 る た 判 五 ぬ さ と る と て 伺 う 子 の そ な 像 で ザテ 5 々 篤 て は を た っ ル部こか しっ 頻 れ 言 。 い日 5 本 力 も で @% が 大 い " 胤 い " し 人 て の を ハ の は な 何 ナ っ 彼 の た 湯 て 。 い は 東

    デ ル た ら 解 か い 三 る 、 夷 有 盗 人 を 釈 が 武 る っ せ と し たくであっルつ ナ ょ ・ と ラ ( セ 聞 香 で 伺 主 人 は 一 い 呼

    ク た あ り ゥ ピル は め は え の 。 、 つ ぜ ん 、 か く ゎ モ 、 る る 所 四 そ は い で

    タ 。 ま げ も 湯 。 満 つ の 卑 で ・ 了し 0 玉 な を は 悪 初 正 鶴 子 は や か 尤 、 道 学 凹 め J 育 L に ・ 武 で と 負 な の 尺 の 方寸 甚 。 彼 王 も ぽ、 げ る 人 し 唐 直 し か 土 キ 接 て 飛 を 人 理 は 基 @ 同 は 武 で み は 人 べ 中 じ 弱 主 あ に は が ニ ス Ⅰ てえ よ、 回 マ た 的 誉め よ う 肉強 所 の る。 よる ほ知 。 人 中 デ な評 孔子 な 食 為 商 人 っ て 間 葉 心 の を 単 で て い に と 「 7 像 7 日 夫 を 元 元 に 、 い る 一 あ デ な な 持 祖 と ま 今 る 丈 が @ の 与 盗 っ で 居 、 と ま の ら 飛 め で、 え 賊 た お う め で だ 誉 べ ろ

    27@ (27)

  • 次に、「俗神道大意 三 における論述に耳を傾げて みる。この書の中で 篤 胤は神道を大きく五種類 に 分けている。 第

    イサ

    ソレハ マツ第一二神 ヲ畏レ敬ッテ、生 タル八二位 ヘル 如ク、少 カノ物モ、初穂 ハ、 イ ソモプガ棚

    ノ 市聖 二ソナヘ ・ マ

    ウ @

    タ 十九歳 ノ トキ二妻 ヲ迎ヘテ 、白魚 ト云ヲ生セタ ルヲ見 レバ、 禧記 二三十二 シテ嬰 て @

    トイ ブ 事ハア

    +

    レドモ 、一一十 マヘ

    二女二合 ヒ、又 ウマキ物モ随分 二好ト見ェテ、山 梁ノ 雌雄時鼓人人 ト、キぐ スノ 旨 キサカリフ ホ メ、 (中略)、マタ

    秘蔵 ノ 弟子 ノ 顔淵 ガ死 ンダル 時ハ 、鳴呼大我 ヲ 亡ボ セリ 杯 Ⅱ ド ・ コ マイⅠ ロメ云テ 、 禧記 二八 芙 スレ

    ナゲキ

    メダガ 、ソノ 芙ノ 余 り二働 シテ正気 ヲ失ヒ、又ツ ョク 雷鳴り、 風ナドノ裂キ 時モ 、 コ ソ方ト同ジ

    コ 1 ニコ ハ ガット タ

    見エ、色ヲ愛ジテ恐シ ガリ、マタ主殿 シノ タグ ヒ、凡テ道 テラス 事ヲ為ル者ガ アルト、イカウ 腹 ヲ立テ、タチ

    -H )

    神や祖霊を敬 う ことふ若くして結婚し、うまい 料理を好んだこと、弟子の死を深く嘆き悲しんだ こと、道をはずれ

    たことをする者にはひどく怒ったことなどが、 人 間味 あふれるものとして驚風 が 孔子に共感を覚 えた理由なのであ

    る 。ついには、我が師と仰ぐ 宣長 に心も行ない も 似た人であるとまで舌口っている。 篤 胤の儒者に 対する一般的評価 か

    らすれば、これは最大級の賛辞 と 見なすことが できる。

    馬風 が 孔子の中に肯定的に見出した人間像と、 儒 若一般に対する批判を照らし合わせてみると「 西籍 概論」の骨子

    は 自ら明らかとなる。儒者の説く「聖人の教に 依て 禽獣に陥らず」といった考えに真向 ぅ から 反 旗を掲げ、聖人空教

    えが必要なことこそ社会の堕落の結果と主張す るのは、換言すれば、一面で、人間のありのまま の姿、生き方の賛美

    であり、他面で、我が国が古来ょり正しい道の 偏 った国であることの確認である。ここにもやは り 仏教批判の理由と

    が 、結局 篤 胤は外国の聖人君子をもちこんで、も

    同根のものを感じとることができる。幾多の例 を 挙げながら、儒者の考えに反論するという形式

    って尊しとする儒者の態度に論理以前の反感を 爪判 u ⅡⅥていたと舌口,える。

    をとってはいるのだ

    (28) 28

  • 斗む 毛を蕪 胤 ・ ナ @ 民牙 をま @@ 審 ィきィ In

    捨 ル 々 ド 云 て有 レドモ 、コレハ 放翁ノ玉ガツマ 二 、マツ三教 ノ勝

    ( 巧 )

    ・ 儒ト佛トヲ ノミ 取テ 、神道 ノ意ヲ取 レル「 ハ 南中人

    二 テリア。

    殊二 コ ソ 両部神道 ト 元老 ハ、タぐ己ガ心ヲ

    シ、神ト 聖人 トヲ 奴僕トシテ、 心二任セ - ア 調使 ヒ タル物工シテ 、

    神ノ 御輿 ヲモ、佛ノ説ヲモ、儒ノ言ヲモ

    ・ 己ガ心ノ如 クニ 、説 ヲキガク

    ナシ 難 キ所

    キナ方便

    ゾ恨説ゾ 表事 ゾナド云ヒ

    通二モ井 ズ儒ノ道二 モアラ ズ、況テ神ノ 通二 非 ザル Ⅰ 1 ハ史二モ 云 ハズ 、

    ( 6 i )

    タ 。 、 己が 私ノ新 バリ道 々ルヲ

    これらの引用文で明らかなよさに、両部

    神 道 にはおよそ神道らしきものがなく、ただ我が

    一は、 真の神道で、 高 産霊神、 神 産霊神に始まり 、 代々の天皇に伝わる神の道である。神の道に 随 う とは、君と親を

    敬い、妻女をめぐむといった、儒者が言 う とこ ろの五倫五常の道を生まれながらに 臭 っているま まに曲げずゆがめず

    打な う こととされる。第二は、神事で、神を祭

    神を禧 り 、また祓など神に仕えるわざを広く い う 。第三は、 天 Z

    神道で、いわば天然現象の神格化であり・これ は 支那起源のもので、易の発想 法 でもあるとされ る 。第四は、両部 神

    道 、第五が唯一神道である。

    真の神道は・言 う までもなく 篤 胤の信奉する 神 ぽ なのであるが・第二の神事、第三の天 之 神道も ここでは特に批判

    の 対象とはなっていない。ただこれらのみが神道 の 内容だと誤解されることを憂えているだけで ある。問題とされる

    のは、専ら両部及び唯一神道である。まず両部 神 道 批判がまとまりょく示されている箇所を ニ、 三 拾ってみる。

    ヰ刀 ノ彊萌

    ヲ 、神道上事實 ニ 習合 シこ 造り立 テ、神ハ佛 二 % 跡 、 佛 ハ神 ノ 本地

    (Ⅱ

    u )

    アサ ム

    ヂャト云テ、世ヲ欺 キ人 ヲ註 カシ タ モノ ヂヤ 。

  • なり、それが排外的思想家という 篤 胤の評価の 一つの傾向を形成してきた原因にもなるのである

    けれども、この日本を尊しとしたことは別の間 題 をも 苧 んでいる。これには罵倒 が 我が国の神を 抽象的なものでな

    く 実体を有するものとして捉えていることが 導 入部となる。実体のある神人とは具体的に言えば ・天御中主神・高麗

    国 " 同教 じ " 幼 者 と い あ が 道

    で え で ぅ り 国 、 篤 結 す 教 年 儒 上 は 方 あ 考 そ の 古 風 び る 化 に 教 三 串 玉田 な 、 る え れ 押 川 の か 行 、 か は 道 神 用 つ い向遅説 傾の講 俗に て が れ さ 伸 展 説 強 た れ 道 開

    とい かと 力し よ、 思、 ら 回は道話 常 天 、 法 き ま 国 た と さ 明 る と も そ れ に 方が混し 拠れ の う 、 ししった其 、つ、 立命の 照 大御 垂加 神 か 。 見 の の た が 入 合 た 分 神 道 は

    浴 し で も 身 が な 、 神 て あ の で 建 ど 俗 遭 い る で あ て で 神 批 る 。 あ る 猿 あ 道 利 点 要 る と 出 る は の が す 、 ぃ 彦 。 諸 中 途 る 五 ぅ の こ 流 核 一 に 行 の 神 れ あ で 批 、 の は が ら る あ 判 神 理 、 導 に げ る さ の を 仏 い 対 れ

    ま け 判 あ 。 れ 解 神 説 た す ど て 釈 々 に 迫 る も に あ と 批 両 る 教 配 る い 判 都 神道 訳 な 義の 当し よ う ぅの は教 の 解 て な は 義 の で 釈 何 仏 げ 的 外 あ 、 某 は し に は る 祓 の 固 か 細 み

    。 尊 神 よ ら 々 な 神 の は り ぬ と 唯 通 儀 大 我 輩 し 一 と 礼 徳 が 強 た 神 は の 、 体 附 魚 道

    で、 名。は まで 作法 土穂 にあ 会で か な な り あ 立 そ 易 り ど ど 己 る ち こ

    れ の も に で に と れ ・ 入 に 、 仏 い は 一

    と い 尊 に で 解 でき 結実 国こと き @ ま 、 ある す が で 日 。 る 外 る 唐 仏 に 。 る る コ あ 本 こ よ 固 い 人 の 固 例 の こ ス る を の う か は の 分 有 え は と そ こ 第 三 に に ロ と っ 書 も ジ を た が 仏 借 的 ご と が 我 神

    (30) 30

  • 等における天御中主神の至上神的性格などが 注 目されたことがある。罵倒 が 「真の神道」の教理 を 整えようとした 過

    程においては、主宰神を求める要請が働いてい たとしても不思議ではない。それは、彼が時宜 昂 の 「占事記伝」を 乗

    り 越えんとして執筆した「古史伝」にもよく表わ れている。しかし、このいわば神学的要請に基 ついて形成された 神

    々の性格とは別の方向からも神々の性格は形造ら れていた。それは民間の神々の性格をそのまま 吸収することであ

    る 。 篤 胤の意識としては、名も実もあるという 表現をとったのは記紀に記載されている神々を 主 に 念頭に置いていた

    のであろうが、たとえこの 三 書を書いた 時占 ハ では明確に意識されていなかったとしても。

    , 」の直後から起草された

    (㎎)

    「 玉檸 L を見れば、民間の神人の信仰が 神 の 実体感の基盤の一つとなっていることが分かる のである。

    いうことは、「人情に合わぬ」信仰の否定の問題 にも 係 わってくる。仏教

    鮭の戒律がとりわけ人情に反するとして斥 け られるのも、君臣の関係、親子の情、夫婦の愛 と いった日常生活の秩序を

    損ぅ ものと感じられたからである。これは 篤 胤の現実肯定主義としても理解されている。 ょ く 引用される、

    それ

    極楽 よ りは此の世が楽みだ 、 夫はま づ、 暮の相 応 にゃく人は、美濃米を飯にたいて、鰻茶漬、 初 堅魚に・剣菱の酒 31 (31)

    このように身近な所に種々の神の存在を信仰して いたからこそ神は名も実もあるという表現にな っ たと考えねばなる

    まい。

    罵倒における「 神 」の性格については、村岡 典 嗣等が キリスト教の影響について論じたことがあ

    霊神・ 神 産霊神、僻邪 那岐 ・僻邪 那 美

    の神にまで至っているのである。罵倒

    神地祇はもとより、妖怪にいたるまで

    じて、すこぶる迷信の域にまで及んで と

    いった記紀に出現する 神 及から、産土神、 土 % 神 、氏神あるいは、竜神、

    の 信仰する神々が俗信のものにまで及んだことか ら 、村岡典嗣のように、「 天

    一切の萬 物 における 神 寮の存在を信じ、幽界とい ひ 、再生といふ如 き 事實 を信

    ( 7 l )

    ぬ たことは、 博 記者役得へるところである。」と

    い う 評も生じてくる。だが・

  • という表現、また、

    ヤ - メゲ

    学する徒は 、まづ主 と大倭 心 を堅むべく・ こ の固の堅 在 では、夏道の知がた き 由は、吉師 翁の 、山菅の根の丁寧

    この 薬立る 柱はも、古学する徒の大倭心の 鏡 なり

    で ず 循 全 中 一 の と る 篤 こ @ き L と の ぅ " 法 " て り し は く み が 他 い 異 的 篤 い 伝 て 次 だ

    っ な 誤 倒 る れ 理 飾 り 煉牙 確 示 か す 男 心 を 視陥想 疑 っ は のとべうそで ですきとのも に も

    こ の の と え げ る 神 。 こ え 、 と が 書 し っ て と 学 る る 篤 さ ら に て づ く い 的 比 .. 一 か は 1 ぅる % 反 儒 の る行田 げ 『 た し % 並

    篤 。 批 面 楽 毅 現 。 ) 吹 鳳 駕 判 に す の 実 現 の

    彼 の る 五 育 美 奈 の 真 の 倫 定 肯 を 意 柱 界 尺 な て で 五 は 定 番 気 』 観 衆 く 論 あ 常 ・ は ん ご ・ が つ め 生 し で・

    み 代 て 道 ま か 、 は 表 ・ と れ し 国そ 的 自 て な 、 分ぷ そ な 考 と か こ 然 全 が 他 の の も 察 の し と に 面 ら 界 煙

    冒 頭と の な っ 、 が 備 的 の の 草 向 な 目 多 わ に 備 間 せ

    に さ げ が を か っ 否 わ 題 く 避 れ る り そ つ た 走 っ か ゆ べ 道 さ た ら ら 力 - し * し こはう ともい。 た の れ 白 目 し の は っ っ そ 中 る 然 を て

    ホ生日 す と た し に の の そ 居 る 追 居、 て 五 で 清 む ら 理 。 究 想 そ 解 さ せ れ ) 倫五 ( 忙な を大 け る るュ 0 2 が れ 形 は 篤 る 成 績 常 と い切と 。 にい べ せ 局 し そ す ぅ

    の他

    ぎ し 自 て れ る こ 問 め 己 具 が ; と と

    界 題 た 方 体 裁 い を 観 理 解 え や れ 手 ぎ し の る 土 あ た 段 な な 鍵 。 壊 る 頂 と 砕 い と そ に い 目 L:, 組 。 さ こ 転 は も て の こ

    (32) 32

  • その 帝一

    並の行方の安定を

    、穿

    @ 知ること なも 先 なりける。サ

    (し

    という表現から充分窺い知ることができる。

    ( 笏 )

    しかし、この書の上巻は服部中庸の「三大孝」

    を へ|スに 著されたものであり、 天 ・ 地 ・泉の成 り 立ち、及び神々

    ( あ )

    の 生成を解き明かすことに主眼の置かれた・いわ

    ば 驚風 の コスモロジーを提示したものである。

    下巻になってよう そ

    く 死後の魂の行方、在り方が論じられるが、

    そ, 」に述べられた死後の魂の行方は必ずしも最初の

    意気ごみほどには 明

    解 なものとはなっていない。死後、魂はとこは

    にこの国土にあることははっきりしているが、

    た やすくは定め難いと

    したり、墓所にいるとしたり、自由に意志により

    定め得るとしたりしている。また、死者の霊魂

    と 神との関係に㌧ い

    ても、あるものは神となるとも言っているが断定

    している訳ではない。従って津田左右吉の、「

    要 するにこのこと(Ⅱ

    すべての死者の魂が神になるのか・生前に徳行

    のあった人のみが神になるのか,筆者)について

    の篤 胤の思想は明か

    ( 竹 )

    にわからぬ。驚風自身にはっきりした考が無か

    っ たのであろう。」という見解は正鵠を射たもの

    と 言えよう。ただ、

    驚風がここで伝えんとした意は・人は死んだら

    すべて汚れた黄泉の国へ行くのだという

    説 ・及び 死んだら何も無くな

    仰 るのだという説を否定することにあった

    と 考える。

    ひ : 力 * ・ - と

    夏豆の真柱目の書かれた時期が愛妻

    織瀬 の死の直後であったため、

    官 長の説を非 説 として まで死後の魂の行方を探

    を 賜はり 候 」という神秘

    体平因

    埋 体験に求める説もある。キリスト教からの醸できめにしても、妻の死、何らかの心的

    となったであろうことは

    覚弓 せざるを 得

    ( 9 2 り

    に 、数倍しおかれつる。

    此 @ よ 磐 根

    の 極み実正 る 、

    厳柱の ・

    なりけり。 斯 てその大倭心 さ 、

    大 高く 固 まく

  • の こ が 々 が ず 『 有 れ

    「 帝 一正の真柱」は体系的コスモロジーの側面を持ち つ 元来講釈でなく著述されたものであるか ら ・そこに展開さ

    た 思想の整合性・一貫性に目を向げがちになる のであるが、 篤 胤の他界への関心はもっと雑然 と した多様な側面を

    している。そ う いった側面が よ り明確になるの は 、この書の約十年後、驚風 が 四十代後半にさ しかかって著した

    古今 妖魅考 」、「仙境異聞」、「勝五郎再生記聞」 などに 掩 いてである。

    これらを瞥見するだけで、 篤 胤の他界に対する 旺 盛 な関心の拡がりが男寵としてくる。書いた 動 機 はそれぞれ少し

    つ 異なるが、他界への関心という点では共通して いる。

    「古今 妖魅考 」は、林羅山の「神社号」を出発点 とし、 妖魅 とされるものの実体を説き明かさん としたものである

    、今昔物語、日本霊異記、源平盛衰記、宇治 拾ぬ 退 物語、長明発心集などからの例をひきながら、 天狗や龍、 釈魔等

    ほ ついて筆を奮っている。その際引用した話自体 が 真実かどうかという点は吟味されず、魑魅 魍 ぬめ 暗躍する世界

    全くリアルなものと把握されている。時には 魔 道に 堕ちたものの有り様を事細かく描写したりし ている 0

    他界をリアルに捉えるという特性は、「仙境異聞 ヒ にも表われる。これは天狗に誘われて仙郷に 至り、八年を経て

    0 世に帰還したという十五歳の少年 寅 吉の話を 、 篤胤 白身が筆録したものである。黄舌 に 対し 種 々の間をなし仙境

    様子を知ろ うと 懸命な 篤 胤の様子がよく表われ ている。

    世 との関係といった事柄への 篤 胤の関心は決し てこの書で唐突に出現したのではない 0 他界の存

    在への信仰は生涯を

    通じて持っていたと言えるし、霊魂がこの現世 0 人人の目に映じないとしても、確実に存在して 種々の活動を行なっ

    ているという考えも極めて自然に培われたとすべ きであろう。それ故、ここで問題としたいのは 、他界観が体系的に

    思索されるよ う になった契機ではなく、他界に ついての思索をたえず推進していたものについて である。

    (34) 34

  • "P 出駕 胤と

    人の死後、魂はどこへ行くと山人に教わったか、 女子の魂の行方はどうなるのか、神や山人が時 々

    凡人にも見える

    のはどういうわけか、師と行く時、大空を飛んで いったのかそれとも地を歩いていったのか・ な どという幽界の状況

    への関心を示すものか、除災のための呪術はど う いうことを行なっていたか、魚鳥の採集 法 はど ぅか 、手無し婦人の

    懐妊 法 はどうか、痛風・痔の薬・血止め法は知 らぬかといった類、更には、夜寝るか、夢を見る のか、酒は飲むの

    か 、男色はあるのかといった 、 甚だ 俗 っぱい間 ま で 発している。

    このような内容のことを 次攻 と大真面目に問 うて いるのをみていると、薦脚にとって現実世界と 他界との区別は奈

    ぬ にあったのか判然としなくなってくる。他界 を 現実世界とは異なる・別の次元のことのように 把握しているかと 思

    ぅと 、まるで隣の国の人の話を聞くような調子 であったりする。だが、まさにこの点が篤 胤 の 他 界 観の特徴であろ

    ぅ 。現実界と他界はあくまで異質のものながら・ 現実界たる顕界とそれに対置される幽界は酷似 した構造をもち・ 時

    には顕界からも幽界の観察が可能であり、幽界に 雑居する諸々の 霊 、妖怪、仙人、神々は人間 さ ながらの行動を示す

    のである。

    再生の一事例を掲げた「勝五郎再生記聞」は 、武 州 多摩郡の勝五郎という八歳の少年についての 聞 き書 ぎである。

    卯 勝五郎が・自分は前生は程 窪 付人兵衛の息 子藤蔵 であったと舌口って周囲を驚かし、調べた 所 、その通りの事実があっ

    Ⅲたので更に皆がびっくりした、という話を恕では本居神のわざであり、

    ではいわゆ一口

    漢国

    って、再生現象を肯定している。再生は顕界

    幽界顕界の道筋をとることであり、その 体 験者はい う なれば 幽

    界の見聞者である。顕界から幽界のありさまを 窺 う ことは、おいそれとはできぬと考えていた 篤 胤 にとっ・ て 、それは

    貴重な情報源となるものであった。

    35 (35)

  • 以て 、

    此 差別を暁

    @.3 ( l )

    力 ・・・

    ゴ @

    り 、はた幽冥の 、畏 ぎことをも 暁ぬ かし。

    クラキカタ

    りはり分ち 、

    そを一間におきたらむが如く 、そ の 闇市よりは、開方のよく見ゆれど、

    朔方よりは、

    開方の見えぬを

    アゲ

    アキ 4 才

    ざ のよく見ゆめるを、 八 此は、古今の事実の上に て、

    明にしか知らる 又

    ことなれば、今 例 を挙 て か はずとも誰も知

    カゴ

    ナ ; ラ

    ら なむ。 V

    顕 世ょりは、その幽冥を見ることあた はず。そを 讐へば 、煙火の籠を 、 白きと 黒 ぎと の 紙もて、中間よ

    神 等の所業に対し、時に綿密な時に自由奔放な

    れる。そして、 顕 幽の関係は 、

    たので、神に物を舌口っていたが、 顕幽が 分れて 以

    なった時以来分れることになったとされる。 顕幽

    り 組み、湛然一体となって、 篤 胤の関心を投映

    に 他界への飽くことなき関心というものが存在し

    であろう。「古学の徒」としての 篤 胤の意識がこ

    で 展開されたようなコスモロジーと並べて考える

    の 類を予想せしめ、好意的評価をしても、好事家

    神道の体系化という要請があったとすれば、 他

    篤 胤の解釈によると、そもそも顕界と幽界は 、大

    此 顔回をおぎて、Ⅱ こロ

    り 刀ル @

    解説を加えるという行為は、それだけ取り出して

    している。

    の 辺に働いていたとすれば、その基底部分に 、ヵ

    界の構造についての神学も理論的に整備・完成さ

    来、そういう現象を人間が観察することができ

    がいまだ分れなかった時は、鳥獣万物は幽界に

    と 、そのもつ意義を多少とも浮かび上らせるこ

    と い こノ 表現にとどまる。しかし、こた几を口車一皿

    たと考えたいのである 0 死後の世界、幽界、仙

    も 、幽冥また冥府とは 云 へるなり。さて、その 冥,

    一処あるにもあらず、直にこの顔回の

    ク 。 チウソア - 内 ゥチ いづこに

    国主神が顕界の支配権を皇実株 命 に譲り・自ら

    の 真柱 ヒ 、「古史伝 L

    眺めると・奇人変人

    境 、神代は互いに 入

    属し、神に属してい

    とができる。

    ぬ よ う になったとさ

    オス的状況のまま

    れる必要があった

    よりは人のしわ

    は 幽界の支配主と

    (36) 36

  • 犬 ⅠⅠ 巾 枯由 '- 目て "

    と 説明される。

    顕 幽の分界した経緯、両者の関係については、

    ほ ば 右のような解釈で一貫しており、原理的側面

    は 一応確立されて

    いたという事ができる。しかしながら、実際の幽

    界 のありさまについては知覚に限界があること

    を 自覚していた。

    にも触れたが、人の死後の魂の行方についての

    解 釈 はその良い例である。祖先を祀る心構えに

    っ いて 記 L し 七に 目工

    上 翠口

    千之 巻 においても次のような表現が見られる。

    すべて人の霊魂と云ものは。霊の眞

    柱 にも申し

    たる如く。千代常磐につくる事なく。

    消る 事なく 。墓所にもあれ。

    撒こ内衆基層 仰

    下田 馬

    た 。古伝を補

    う べくいろんな資料を集めてきた。

    祭昼 にもあれ其の祭る慮に。きっと居る事で。

    き物ぞ 。など思はれず。(

    % )

    古伝をもとに幽界像を明確にしょうとしたが

    も 現じ。また謁し言などもいたす故に。

    こュ を

    る事能 はず。また先方より。親しくものを舌口

    ひ 夫

    はかの頭と

    幽 とのへだてがある故に。此方より

    詮 不可能である。しかし幽界への関心は汲めども

    とつくりと心得

    癖 へて。 心 ともに其の常に形を見

    かけると 云 ことも。ならぬ訣では有るなれども。

    その集め方に原則はほとんどなかったと言って

    よい。それ故、白壁

    時としては。形を

    尽きぬものがあっ

    は 。其の形ちを

    ぬ庭 より。消てな

    37 (37)

  • を 述べた上で、罵倒 と 民俗学の係わりに触れ、

    篤 胤が 民間で信じられていたこと自体をその考察 0 対象にえらんでい

    たということに注目している。

    このような 篤 胤の評価の仕方は比較的少数派に属 すると言って良い。「古史伝 ヒに 代表されるよ う な神道思想の体

    系 化という面が強調され勝ちであるからである。 だ

    が、体系化の試みを神学的側面において評価 しょうとしても限界

    は 見えてきている よう である。文献学は宣長の亜 流 といわざるを得ないし・方法論的にも矛盾が 多い。これは田原 嗣

    郎 氏が指摘する通りである。

    これに比し、 篤胤 がけれん味なく描いた他界観 と 、その底に横たわる雑多な民衆の基層信仰との 係 わりに着眼する

    時 、そこにはまだまだ解明すべき問題点が多く 存すると言える。

    団結

    篤 胤の思想の中にみられる呪術的思考 法 、現世上 目 宝主義は応 衣 、彼が宗教性の乏しい人間である と 見なされる一因

    ともなった。例えば田原嗣郎 氏は 「平田単の 宗 教的 性格・世界宗教養の 目 ((の)

    番 0 コヘ 発展しよう とするその志向にっ

    いてはすべてのべたが、平田学の全体的な構成か ら 考えるならば、その表現と規模にもかかわ らず、現世的規範Ⅱ

    「 道 」にもっともウェイトがかげられ、その規範 の 支柱が来世に求められたために平田単全体がゐ ホ教的色彩を帯びる

    のであって 、 実はその宗教的性格は案外に稀薄で あ�