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論文題目 日本における外国人労働者政策

序章:本稿の研究の狙いと目的

第1章: 基本的な視点

 第1節:日本経済のあり方と外国人労働者の必要性

 第2節:外国人労働者の受入れ体制を構想するさいの理念と原則

 第3節:外国人労働者の受入れ政策を構想するさいの考慮点

I. 社会的コストに対する考慮

II. 社会統合についての考慮

III. 外国人の受入れ政策を策定するさいの考慮

第2章:日本における外国人労働者の動向

 第1節:外国人の受入れ

 第2節:日本における外国人の現状

 第3節:外国人の分類と外国人労働者の雇用状況

第3章:諸外国の外国人労働政策の背景と現状

 第1節:アメリカ合衆国

 第2節:欧州(ドイツ・フランス・イギリス)

 第3節:アジア(韓国・台湾・シンガポール)

第4章:外国人労働者の受け入れ政策に関する分析(仮)

終章:日本が行うべき外国人労働政策(仮)

参考文献:

序章:

 日本をとりまく国内外の環境は大きく変化している。世界を見れば経済のグローバル化が進んで国際的な競争が激化し、内を見れば今後総人口とともに、労働力自体も本格的に減少する時代に突入しはじめました。国立社会保障・人口問題研究所は、平成18年12月推計の日本の将来推計人口は、2055年には1,187万程度減少し総人口は8,993万になる見通しをだしました。このような変化の中で、日本が活力ある経済を維持・形成していくためには、あらゆる方策を検討する必要がある。経済を荷うのは人であるため、今後日本の企業にとって、必要な人材をいかに確保するかが、最大のキーポイントとなることは間違いありません。これまで前向きに検討されることの少なかった外国人労働者の活用も、今や真剣に考慮すべき時期に来たと言えます。しかし、異なる言語、異なる文化、異なるビジネス・生活習慣等を持つ外国人労 働者を受入れることは、容易なことではない。事実、第2次世界大戦後に多くの外国人労働者を受入れた欧州諸国では、今なお社会的摩擦に悩んでいる。また、日本が受入れたいと強く願ったとしても、外国人労働者に、日本で働くことを魅力に感じてもらえなければ、意味がありません。

 このような問題意識に基づいて、本稿では、「外国人労働者の受入れ政策のあり方」と「諸外国の労働政策」を分析し、それを踏まえた上で、今後日本に役立つような労働政策を考え、提案したいと考えます。

第1章: 基本的な視点

第1節:日本経済のあり方と外国人労働者の必要性

 「外国人労働者の受入れ政策のあり方」を検討するにあたっては、まず、日本経済にとっての外国人労働者の必要性について明確にしておく必要があります。日本をとりまく国内外の環境は大きく変化し、そのなかで、日本の活力ある経済を維持・形成するには解決すべき課題は多い。経済のグローバル化が進み、国際的な競争が激化する市場環境のなかで、日本経済の高度化をはかり、競争力を強化することが求められています。しかし国内に目を向けると、人口減少と少子高齢化を背景にして、労働力人口が本格的に減少する時代に突入しました。これに対応するためには、人材の質を高め、労働者一人一人の生産性の向上をはかることが必要です。

こうした課題に応えるにはあらゆる分野で経済的基盤を見直してみることが必要ですが、人材あるいは労働市場の分野では、以下の点で外国人労働者の活用を促進することが重要であると考えられます。世界の各国(とくに先進国)は「高付加価値型製品・サービス」 をもって厳しい競争をくりひろげており、日本もそのなかで競争し成長していかねばなりません。「高付加価値型製品・サービス」が人材の知恵と工夫の産物であることを考えると、それをめぐる国際的な競争は「人材をめぐる国際的な競争」でもあります。

 そうなると人材をどれだけ育成し、確保し、有効に活用できるのかが経済の高度化と競争力の強化の生命線になり、日本にとっても、外国人労働者に働きながら能力向上の機会を提供する等して優秀な外国人労働者を確保し活用することが重要になります。さらに、日本企業は経営の国際化を進め、海外市場で経営活動を展開する傾向を強めているので、海外の社会、文化、経済、市場に詳しく、国際的なビジネス分野で活躍できる人材の必要性は高まると考えられます。この点からも外国人労働者に期待する部分は大きい。

 このようにみてくると、日本経済にとって外国人労働者の受入れと活用を促進することが重要であるといえますが、そのためには考えておくべき政策的な課題は多い。政策を検討するにあたっては、まずは、政策策定のための基本的な視点を明確にしておくことが重要です。個々の政策の必要性とあり方は、つねに以下に記述する基本的な視点からチェックされねばならない。

第2節:外国人労働者の受入れ体制を構想するさいの理念と原則

 外国人労働者の受入れは、日本にとっても、外国人労働者にとっても望ましいものでなければなりません。これがあるべき受入れ体制の基本ですが、そのためには以下の理念に基づいて政策が考えられなければなりません。

 ①外国人労働者の受入れ国である日本が国経済の高度化と活力の向上に繋がること。

 ②外国人労働者が「働くこと」を通して、生活の安定・向上を得るとともに、十分に能力を開発・発揮しキャリアを高めることができること。

 こうした理念にそった外国人労働者の受入れ体制を構築するには、さらに、以下の原則にそった政策がとられねばなりません。第一の理念である「日本経済の高度化と活力の向上につながる」受入れであるためには、国内労働者の就業機会を阻害する、国内労働者の賃金等の労働条件の悪化を引き起こす等の国内労働市場への悪影響がないこと、また、国内労働者の労働条件の改善と活用の努力なくして、さらには、産業・企業の高度化の努力なくして外国人労働者の受入れを行わないことが必要です。第二の理念である「外国人労働者が生活の安定・向上を得るとともに、十分に能力を開 発・発揮しキャリアを高めることができる」受入れであるためには、適正な労働条件が保障されるとともに、能力を高め、キャリアの向上をはかれる機会を外国人労働者に提供できる受入れ体制を構築する必要があります。

第3節:外国人労働者の受入れ政策を構想するさいの考慮点

Ⅰ.社会的コストに対する考慮

 受入れ政策は以上の理念と原則に基づいて策定されると言われますが、そのさいには、さらに以下の点を十分に考慮することが必要です。欧州諸国等は1960年代から1970年代半ばまでの間に、労働力不足の対策として大量の外国人労働者、それも高い技能を要しない労働に従事する外国人労働者を受入れました。しかし、第一次石油危機後の経済の停滞の中で、外国人労働者は余剰化し、彼らの失業問題が深刻化しました。それに対して各国は外国人労働者の帰国促進政策を展開しましたが、期待した効果はなく、外国人労働者は低賃金の技能を必要としない労働市場に滞留し、その労働市場が自国民の労働市場と分離した形で形成されるという「労働市場の二重構造化」を生むことになりました。以上の欧州の経験については、日本でも、それと類似した状況がすでに発生しています。1990年代以降、日本は南米諸国から日系人を大量に受入れました。彼らの多くは請負労働を中心にした単純労働に従事し、しかも単純労働の世界から抜け出せずに滞留するという現象が起きています。

 このような欧州の経験、日本の日系人の経験を踏まえると、単純労働に従事する外国人労働者を受入れると、彼らは低賃金の技能を必要としない労働市場に滞留し、その労働市場が国内労働者の労働市場と分離した形で形成されるという「労働市場の二重構造化」を生むことになります。しかも、欧州でも日本の日系人でもそうであるように、そうした外国人労働者は仕事の機会を求めて、また、生活しやすい場を求めて特定地域に集住化します。その結果、不況期になると、失業する外国人労働者が大量に登場するとともに、それが彼らの集住する地域に集中して現れるため、治安上の問題が起こる可能性は大きい。こうしたことによって発生する社会的コスト(失業問題等に対応するために政府等が負担するコストとともに、安全が脅かされること自体の社会的コストが含まれる)は大きく、外国人労働者とくに低技能の外国人労働者を受入れる政策を構想するさいには慎重に考慮すべき点である。[footnoteRef:1] [1: 社団法人、日本経済調査協議会「外国人労働者受入れ政策の課題と方向」2008年9月]

Ⅱ.社会統合についての考慮

 外国人労働者を受入れるということは、「生活者」としての外国人労働者を受入れることであるので、彼らが地域社会に溶け込み、豊かで快適な生活を送ることができるようにする、つまり社会統合を進めることが必要です。したがって外国人労働者を受入れるさいには、教育、社会保障、住宅等にかかわる社会的基盤を整備するための社会統合政策をセットで考えておく必要があります。とくに外国人労働者の定住化が進むと、彼らの家族呼び寄せによる外国人の流入が拡大し、流入人数を規制することが困難になる。その結果、社会統合政策の必要性が高まるとともに、社会的コストが増大すると予想されます。したがって、外国人労働者の受入れ政策を考える際には、彼らの定住化とそれに伴う家族呼び寄せの問題について慎重に検討しておく必要があり、定住化を認める外国人労働者は社会的コストが過度に拡大する恐れのない、また、社会統合上の問題が少ない人材に限定する必要がある。[footnoteRef:2] [2: 社団法人、日本経済調査協議会「外国人労働者受入れ政策の課題と方向」2008年9月]

Ⅲ.外国人の受入れ政策を策定するさいの考慮

 最後は、外国人労働者ではなく、外国人の受入れ政策を検討する際に考慮すべき点であす。日本に入国する外国人は在留資格を取得することが義務づけられていますが、そのなかで就労している外国人には、特定の仕事に従事することを条件に入国が許可される外国人と、特定の「身分または地位」に基づいて入国が許可され、国内での活動に制限がない外国人の二つのタイプがあります。前者が外国人労働者に当たるのは当然ですが、後者についても、国内での活動に制限がないために就労している外国人が多く存在しています。その典型が日系2世、3世という身分で入国が許可され、単純労働に従事している日系人である。したがって、日本政府は単純労働に従事する外国人労働者の受入れは認めないという政策をとってきたにもかかわらず、単純労働に従事する多くの日系人を受入れ、社会統合上の問題を引き起こしているのです。このような状況を踏まえると、外国人労働者の受入れ政策を構想するさいには、特定の「身分または地位」で入国が許可されている外国人についても、彼らの「労働者」としての側面に十分に配慮する必要があります。[footnoteRef:3] [3: 社団法人、日本経済調査協議会「外国人労働者受入れ政策の課題と方向」2008年9月]

第2章:日本における外国人労働者の動向

第1節:外国人の受入れ

 日本の外国人政策の歴史は、今から約60年前までさかのぼることができます。1950年、外務省に入国管理庁が設置され、1951年、「出入国管理令」の公布、1952年には外国人登録法が公布・施行されました。当時の外国人政策は、在日韓国人・朝鮮人、在日中国人への対応が中心になっていました。1960年代半ばになると、人手不足を背景に産業界から「単純労働者」 の受け入れが要請されました。これに対して、「第一次雇用対策基本計画」(1967年)では外国人労働者を受け入れないことが口頭了解されました。この方針が「第二次雇用対策基本計画」(1973 年)、「第三次雇用対策基本計画」(1976年)においても実行されました。

 1970年代後半には、インドシナ難民、東南アジアからの女性外国人労働者、中国帰国の二世・三世、欧米から商用目的で来日する外国人が増加しました。さらに、1985年のプラザ合意以降、円高が進行し、東南アジアを中心に日本企業の海外進出が相次ぎました。その反動で日本国内では「産業の空洞化」が話題となりました。ちょうどそのころ、就労目的で南米から日系人やアジア諸国から外国人労働者が増加しました。このような外国人労働者の増加を受けて、「第六次雇用対策基本計画」(1988 年)では外国人労働者が「専門的・技術的労働者」と「単純労働者」とに分けられました。このうち、専門的・技術的労働者は可能な限り受け入れるが、単純労働者については、慎重に対応する方針が示されました。この方針に沿って1989年に「出入国管理及び難民認定法」が改正され、1990年に施行されました。同じ年には「研修」の在留資格制度が認められています。第三次臨時行政改革推進審議会第二次答申を受け、1993年には「外国人技能実習制度」が設けられ、日本の外国人の在留資格制度が整備されました。

 このような変遷を経て作られた日本の在留資格制度の枠組は、活動に伴う在留資格と身分または地位に基づく在留資格とからなっています。活動に伴う在留資格には外交、公用、教授、芸術、宗教、報道、投資・経営、法律・会計業務、医療、研究、教育、技術、人文知識・国際業務、企業内転勤、興行、技能、文化活動、短期滞在、留学、就学、研修、家族滞在、特定活動が含まれています。この内、教授から文化活動までの在留資格が労働にあたり、当該資格以外での就労は認められていません。また、地位に基づく在留資格には永住者、日本人配偶者等、永住者の配偶者等、定住者が含まれ、就労に制約はありません。つまり、身分または地位に基づく在留資格では、単純労働であっても高度な仕事であっても就労することが出来るということです。

 バブルが崩壊した1990年代後半以降、デフレーションが進む一方、国内の生産拠点の海外移転が続きました。海外では中国経済の台頭がめざましく、国際競争が激化している。その間、非正規雇用として就労する外国人(その多くは日系人である)が増加しました。1998年に永住許可の要件が緩和されたこともあり、一時的な出稼ぎとして来日していた外国人労働者の定住化が進みました。外国人の定住化の進行によって外国人子弟が増加し、地域社会における教育問題など、外国人労働者問題は雇用・労働だけではなく、生活を含む社会問題へと新たな局面を迎えました。ところで、「外国人労働者」をめぐる問題は、外国人労働者であることによって発生する問題と外国人労働者であることよりも彼等がどのように働いているかということから発生する問題に分けることができます。後者の問題は、日本人労働者にも共通している発生する問題である。たとえば、日系人労働者は大半が間接雇用で就業している。これは、取引先企業からの費用削減要請、安価な労働力として派遣や業務請負など非正規雇用の増大(いわゆる就業形態の多様化)、雇用調整の柔軟化、残業や深夜勤への対応などが背景になっているといわれます。このことは、日本人で問題となっている正規従業員と非正規従業員間に広がる所得や教育訓練・能力開発の機会などの格差がそのまま日本人と日系人との間にも広がり、労働市場における階層化が進むことに繋がると考えられます。さらに、近年、研修・技能実習生を受け入れている企業が増加しています。これは、企業の労働需要を日本人で充足できないこと、しかし、人材派遣会社や業務請負会社を利用する余裕がない企業が相対的にコストが高い日本人より安価な「計算できる労働力」として研修・技能実習生を活用した結果起こっている。研修・技能実習制度をめぐって、さまざまな問題が起こっています。

第2節:日本における外国人の現状

 法務省入国管理局によれば、日本国内の外国人登録者数は2005年に200万人を超え、2007年末で215万2973人だった(第2-1図)。これは、日本総人口の1.69%を占めます。 第2-2図は、外国人の在留資格別人数の推移です。「永住者」(「特別永住者」と「一般永住者」の合計)が約84万人で、外国人登録者総数の4割を占めます。これに「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」をあわせた身分または地位に基づく在留資格を持つ外国人登録者は、全体の約3分の2となっています。特別永住者は減少傾向で推移しており、外国人登録者数の約21%であるのに対して、一般永住者は増加傾向で推移しており、外国人登録者数に占める割合は約19%となっています。さらに、日本が積極的に受け入れている専門的・技術的分野の外国人労働者は、外国人登録者数のおよそ1割となっています。

[footnoteRef:4] [4: 独立行政法人、労働政策研究・研修機構「外国人労働者の雇用実態と就業・生活支援に関する調査」2009年6月]

[footnoteRef:5] [5: 独立行政法人、労働政策研究・研修機構「外国人労働者の雇用実態と就業・生活支援に関する調査」2009年6月]

[footnoteRef:6] [6: 独立行政法人、労働政策研究・研修機構「外国人労働者の雇用実態と就業・生活支援に関する調査」2009年6月]

第2-3図は外国人登録者の国籍(出身地)別人数の推移をみたものです。2005年現在韓国・朝鮮が59万8291人、中国が56万741人、ブラジルが31万2979人等となっている。韓国・朝鮮は減少傾向にあるが、中国、ブラジル等は増加傾向にあり、中国出身者の増加が目立ちます。

第3節:外国人の分類と外国人労働者の雇用状況

 (データー調査中)

第3章:諸外国の外国人労働政策の背景と現状

第1節:アメリカ合衆国

(調査中)

第2節:欧州(ドイツ・フランス・イギリス)

Ⅰ.ドイツ

1. 外国人労働者受入れ政策・制度の変遷[footnoteRef:7] [7: ドイツの外国人労働者受入れ政策・制度の変遷、三井情報開発(株)総合研究所『諸外国の外国人労働者 受入れ制度調査報告書』]

(1)第二次世界大戦後の外国人受入れ政策

第二次世界大戦後の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)では、州政府に実施権限を与える滞在許可制度と連邦職業紹介・失業保険庁の権限下にある労働許可制度からなる外国人関係法制を復活させました。

 西ドイツは、旧ドイツ領において居住を拒否され、追放されたドイツ系住民に、先祖がドイツ人であることを証明すれば、自動的にドイツ国籍を付与しました。こうした帰還民の大量な流入は、1961年に頂点に達しました。他方で東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、東ドイツから西  ドイツへの熟練労働者の流出を恐れ、1962ベルリンの壁を構築しました。

 1960年代の西ドイツでは、戦災や戦後の困難から総人口が減少傾向にあり、平均寿命が短縮し、労働力人口が縮小する厳しい状況に置かれていました。このような背景から、労働力不足を補うために、農業を皮切りに、製造業やサービス業においても二国間協定による外国人労働者の受入れを開始しました。二国間協定の対象国は、イタリア、スぺイン、ポルトガル、ユーゴスラビアなど7カ国に拡大したが、高度成長期を迎えたドイツ産業界の労働力不足を充足することはできませんでした。結局、多数の過剰労働力を抱えるトルコとの間で二国間協定が締結され、1960年代末には、年間約100万人のトルコ人労働者が流入しました。

 外国人労働者は、当初、出稼ぎが終了したら、帰国すべきもの(ローテーション方式)とされ、家族の呼び寄せも制限されていました。しかし、受入れ企業の要請および人道的見地から、就労・滞在が長期化する傾向にありました。1969年に制定された雇用促進法は、こうした事態を追認し、滞在が長期化した労働者には、有効期間のより長い「労働許可」を付与する道を開くとともに、家族呼び寄せに関する規制も緩和しました。

 その後、第一次オイルショックが勃発し、1973年11月、西ドイツは、外国人労働者政策を大きく転換し、国外募集停止を決定しました。しかし先進国相互の依存関係が高まる中、外国人労働者の受入れを完全に停止することは現実的ではなく、国外募集の例外となる労働者の職 位、職種が労働社会省および内務省の覚書の形で定められました。また政府の帰国促進政策にも かかわらず、外国人労働者の帰国は進まず、さらに外国人による家族呼び寄せによって、外 国人人口が減少することはありませんでした。こうして滞在の長期化した外国人の社会統合が1980年代以降の重要な政策の柱となった。1989年のべルリンの壁崩壊後、東欧諸国との関係強化、経済協力を迫られた連邦政府は、1990年に制定した外国人法に基づき、東欧諸国と労働者受入れに関する二国間協定を締結しました。外国人法と新しい二国間協定は、滞在許可法令の面からローテーション方式を機能させることを意図していました。

 1998年9月の総選挙で、シュレーダー社民党政権が成立しました(緑の党との連立)。外国人政策に関しては、緑の党が主張する長期滞在外国人の滞在・就労権を強化する国籍法の改正が行われ、2001年1月に施行されました。同法は、従来、血統主義をとってきたドイツにおいて、 一部に出世地主義を導入し、ドイツで生まれた外国人労働者の子弟に、18歳時点でドイツ国籍を選択する権利を与えました。

 またシュレーダー政権は、IT技術者のためのグリーンカード制度を2000年7月に導入しました。この制度は、従来留学が終了した場合は帰国すべき学生について、IT技術者としての就労に限り滞在資格を認めた。またIT労働者に関しては、連邦雇用庁において1週間以内に労働許可を発行するよう定め(実際は2、3日で職業安定所から回答)、事実上、労働市場テストを免除した。

ドイツでは、少子高齢化の急速な進行により、将来人口が大幅に減少し、労働力が不足することが予想されました。このため政府は、2001年に連邦政府から独立した諮問委員会(ジュスムート委員会)を発足させ、新たな移民・外国人労働者政策について集中的な論議と政策提言を依頼しました。諮問委員会は、同年8月、人口減少に伴う労働力不足に対処するためには、移民政策と移民の社会統合政策を組み合わせた総合的で戦略的な政策が必要であるとする報告書を作成し、政府に提出した。政府はこれを盛り込んだ新移民法案を連邦議会に提出し、2002年3月に連邦参議院において辛うじて可決されたが、憲法裁判所が連邦参議院での議決方法を違憲とする判決を下したため、廃案となりました。その後、与野党間の長期にわたる集中的な交渉の末、2004年7月、新しい移民法が成立し、2005年1月1日に施行されました。

(2)ジュスムート委員会の報告

2001年8月に提出されたジュスムート委員会の報告は、少子・高齢化や国際競争が激化するなか、ドイツの生活水準を長期的に維持・確保していくためには、労働市場の動向に即した外国人の受入れが必要であると指摘した。そのために、将来において、若年の、教育・訓練を受けた外国人をポイント・システムに基づいて選別し、移民として受入れる25年以内の期限を定め、短期的な労働需給のボトルネックを充足するためにも、労働需要の存在を前提として外国人を受入れる(例えば、上限を年間2万人とするなど)3経済および研究分野では、最上級の人材を、最適な受入れ環境と緩和された規則のもとに受入れる4若年の外国人をドイツの「デュアル・システム」の訓練制度で受入れるほか、より多くの外国人学生 を受入れ、高度な人材に対する世界的競争のなかでドイツが優位に立てるような教育戦略を推進するなどの複数の受入れ経路を新たに開くべきであると提言しました。同時に、国内の外国人の統合の改善および新規外国人の統合促進が重要であるとし、新規外国人の統合は、経済的、社会的、文化的な分野で、均等な権利として保障されなければならないと主張しました。また、滞在・労働許可制度を簡素化して統合し、労働者受入れ手続きを効率化することが必要であると指摘しました。

Ⅱ.フランス

1.外国人受入れ制度の変遷

 既に19世紀後半から出生率が低下し始め、第一次世界大戦以降、人口が著しく減少したフランスは、移民受入れについて長い歴史と経験をもっています。特に第二次世界大戦後の「栄光の30年」と呼ばれた経済成長期(1945年~75年)には、安価な労働力が必要とされ、スペインや ポルトガル、マグレブ(特にアルジェリア)から大量の移民を受入れていました。彼らの多くは炭坑や自動車工場の労働者として働き、戦後のフランス経済の復興と成長を支えてきました。1945年には、外国人労働者の斡旋と受入れ確保の任務を担うONI: L’Office National d’Immigration1が創設されました。また、同年11月の大統領令により、フランスに居住する外国人には滞在資格(Titles de sejour)の取得が、就労する外国人には労働許可(Titles de travail)の取得が義務付けられました。外国人労働者の家族の滞在も許可され、フランスにおける移民の割合は大幅に増加しました。

 しかし、オイルショック後の1974年、当時のジスカールデスタン政権は突然、国境の閉鎖と、就労を目的とする移民の受入れ停止を決定します。その背景には、オイルショックによる経済不況だけでなく、新たに生まれた社会・経済・政治的問題(1.低賃金で過酷な労働条件の職種が外国人労働者の職場として固定化2.劣悪な環境の住宅や居住地域の形成3自らの権利に目覚めた外国人労働者たちによるストライキなどの労働争議の発生等)が存在するとされる。また、新規の外国人労働者の受入れを停止した一方で、家族の合流は認めていたため、定住化した移民が家族を呼び寄せることが一般的となりました。

 こうしてフランス政府は、それまでの「労働力導入」から、「移民流入の抑制」と「正規滞在移民のフランス社会への統合」を柱とした移民政策をすすめていくことになります。それは主 に、移民法と国籍法の改正によって行われ、そしてその内容は常に政権によって左右されてきました。

 1981年、ミッテラン大統領が勝利し左翼政権が誕生すると、移民の入国を法律で取り締まる一方で、すでに入国している移民について一層の権利の確立が保障された。しかしその後、議会で右派が過半数を占めると、外国人の権利を縮小する法案が可決される。1993年の改定移民法(通称パスクワ法)、国籍法修正案(メニュリー法)により、フランスへの入国も、滞在した場合の保護も大幅に制限されました。この法律のもと、フランスで生まれた外国人の子供は、16歳から21歳の間に、「自らの意志で」フランス国籍を申請することが義務づけられ、「本人の意志によってフランス人となることを選択した者にしか国籍を認めない」という方針が強化されました。また、1997年の移民法(ドゥブレ法)は、移民の滞在許可証の更新を認めないという更に厳しい内容となった。左翼政権復活後の1998年に改定された移民法(シュヴェーヌマン法)は、滞在期間や就労実績、子供のフランスでの教育期間等の条件つきで、正式な滞在許可を持たない外国人(サン・パピエ)を合法化するものであったが、以後条件が追加され制限の厳しいものとなっています。国籍法に関しては、ギグー法(1998年9月1日施行)により、「外国人を親としてフランスで生まれた子供は、成人すると意志表示をしなくてもフランス国籍を有する」とした。 以来、フランスで生まれた外国人の子供は、18歳になれば「自動的に」フランス人になることになった。しかし、メニュリー法同様、志願者は5年間フランスに滞在していることを証明できなければならないという条件付きです。

2003年11月26日には、不法労働の取締り強化に重きをおいた外国人滞在規制法(通称:サルコジ法)が公布された。その背景には、①依然として厳しい雇用情勢②増加する不法入国者③不法滞在者と知りながら雇用する組織的な動き問題が存在します。

 このようにフランス政府は、「移民流入の抑制」と「正規滞在移民のフランス社会への統合」を柱とした移民政策をすすめてきました。特に、アフリカ大陸出身者やイスラム教徒など異なる文化・風習・宗教を持つ移民をフランス社会に同化させるために政府が取ってきた政策には、ライシテ(Laicite=非宗教政策、政教分離策)という概念が根底にありあます。例えば国や地方自治体は、宗教施設の建設などへの補助金の支出が禁じられています。寄付金不足からモスクの建設ができないフランスのイスラム教徒たちの間には、不満の声があがっていた。 さらに、2004年の秋からはイスラム教徒の女子学生が学校でスカーフを被ることを禁止するなど3、同化を超えて「フランスの価値観の押し付け」と感じられる政策のあり方への批判も強まっていました。

 人種差別や貧困等の深刻な問題を抱える移民の居住地であり、フランス社会の抱える「移民問題」が決して容易に解決できるものではないという印象を、国内外に与えることとなりました。これを受けて政府は、国籍審査を厳格化する方針を発表するなど、移民に対する規制がさらに強化される動きが出ています。

Ⅲ.イギリス

第3節:アジア(韓国・台湾・シンガポール)

参考文献

1. “EU Cooperation Challenges in External Migration Policy”;EU-US Immigration Systems 2011/02; Agnieszka Weinar

2. “High-Skilled Immigration Policy in Europe”; Martin Kahanec,Klaus F. Zimmermann; December 2010.

3. “WORLD MIGRATION REPORT 2011”; International Organization for Migration (IOM).

4. “The Impact of Immigrants in recession and Economic Expasion”; Giovanni Peri University of California, Davis; June 2010.

5. “U.S. Immigration Policy” Independent Task Force Report No. 63: Jeb Bush, Thomas F.McLarty, July 2009.

6. 「フランスの移民政策の現状と課題〜海外調査報告〜」平出重保;2009年6月

7. 「アジアにおける外国人労働者受入れ制度と実態」労働政策研究・研修機構;2007年

8. 「アメリカの外国人労働者受入れ制度と実態」労働政策研究・研修機構;2009年6月

9. 「欧州における外国人労働者受入れ制度と社会統合〜独・仏・英・伊・蘭〜」労働政策研究・研修機構;2009年

10. 「少子化問題の現状と政策課題〜ワーク・ライフ・バランスの普及拡大に向けて〜」労働政策研究・研修機構;2005年11月

11. 「人口減少と外国人労働政策」小崎敏男;2008年

12. 「日本の外国人労働者受入れ政策〜比較分析〜」藤井禎介;2007年2月

13.