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サイバースペース レジュメ 2014/01/19 2014/01/25 12:05
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1 第一回 サイバースペースとはなにか.速度=距離的⇒空間,場
2 第二回 不気味なもの⇒ディック
3 第三回 ディックの2つの顔
4 第四回 ディック論 情報論的汎神論
5 第五回 ラカン=ジジェク/インターフェイス的主体
1.1 メディア理解
1.1.1 速度=距離的(ハイデガー,ヴィリリオ)
1.1.2 空間=場(マクルーハン)
1.2 二つの問い(15)
1.3 古典的な小説構造「ひとりの人間がひとつの場所でひとつのことをする」
2.1 ネットワークは,複数の場所の<あいだ>に存在するもの
2.2 二つのサイバースペース観
2.3 空間の成立は悪魔祓いを前提とする.
2.4 「不気味なもの」フロイト
2.5 ディックにおける「不気味なもの」
3.1 無限後退と不気味なもの
3.2 政治的地平から存在論的地平へ(ダルコ・スーヴィン)
3.3
4.1 ヴァリス
4.2 二人のキリスト
4.3 カリフォルニア・イデオロギー
4.4 物質的現実に対し情報論的視点を導入することが「救済」をもたらすというモチーフ(70)
5.1 シェリー・タークル
5.2 ジジェク=ラカン
5.3 at interface value
5.4 メルロ・ポンティ「見えるもの,見えないもの」
1.1.1.1 遠くの情報を近くに引き寄せる装置としてのメディア
1.1.2.1 1970年代~ イタリア,アウトノミア
1.1.2.2 1980年代~「サイバースペース」
1.2.1 (1)メディアの「空間」的隠喩は何を隠しているか.あるいはそこでなにが忘れられているか.
1.2.2 (2)メディアの「空間的」隠喩はなぜ存在するのか.言い換えれば,その隠喩はなぜこれほど流通しているのか.
1.2.3 サイバースペース
2.2.1 毛利「保守的で中心化された静的空間としてのサイバースペース」
2.2.2 バーロウ「革新的で脱中心化された動的空間としてのサイバースペース」
2.3.1 ニューロマンサー=不気味なものが消されたネットワーク
2.3.2 ディック
2.4.1 前期フロイトはひとは快のみのために生きると考えた.しかし後期フロイトによれば,人は快のみに生きるのではない.そこにはしばしば,あるずれが忍び込み,人は不快へと駆動される.
2.4.2 「不思議な出会い」=ひとつの情報が二つに分割され,そののち別々に処理される.そのあいだにフロイトと友人との距離は縮まる.結果としてフロイトは,ちょうど友人のことについて考えていたとき,まさにその本人から声を掛けられるという「不気味な」体験をすることになる.
2.5.1 ユービック「オブジェクトレベルとメタレベルの転倒,レベルそのものの分散」
3.1.1 無限後退=戦後冷戦
3.1.2 不気味なもの=穴,主体を複数化する,世界を複数化する
4.1.1 人称のねじれ,彼=私
4.2.1 ファット
4.2.2 ソフィア=情報論的汎神論
4.3.1 宗教と情報技術
5.3.1 スクリーンそのものが二重化されている.インターフェイス的主体は仮想現実を一方で(目で)虚構だと知りつつも,他方で(言葉で)現実だと信じる.
5.3.2 インターフェイス的主体は,スクリーン上の文字列や図像(アイコン)を,一方で虚構的イメージとして処理しつつ,他方で現実的シンボルとして処理する.
5.4.1 目の隠喩,映画の世紀
1.1.2.2.1 精神が純粋に生み出した空間へ肉体を文字通り移し入れること(13)
1.1.2.2.2 マイケル・ハイム「サイバースペースへの窓」=インターフェイス
1.2.2.1 哲学的観点からの考察
1.2.3.1 William Gibson『ニューロマンサー』
1.2.3.2 東洋+情報/メディア技術=悪魔祓い
1.2.3.2.1 テクノオリエンタリズム
1.2.3.2.2 電子メディアの介在によって登場人物の「いま,ここ」が分裂し,彼らの意識自自体が二重化する感覚,そしその結果生じる電子的自己の「幽霊性」である.(18~19)
2.4.1.1 反復強迫
2.4.1.2 不気味さとは=快感原則からの逸脱の想起にともなう感情
2.4.1.3 快感原則=心的エネルギーの恒常性を保つための自動調整作用
2.4.1.4 精神分析の先進性:一人の人間の中に,知覚と運動を制御する複数の情報処理審級を見いだし,諸審級の争いを発見したこと.
2.4.1.5 ひとりの人間の中に複数の心的人格(Psychische Persönlichkeit)を見ている.それゆえもし彼にとって「一人の人間」なる統一体があるとしたら,それは必然的に,それら複数の心的人格の争いの場,ある空間として想定されるほかない.
2.4.2.1 私たちはひとつの情報を,つねに同時に複数の経路を通じて処理する.したがって演算結果も複数出てくる.
2.4.2.2 ★不気味な出会い=私たちの心の内部を走る諸経路の複数性,情報処理の並行性を私たち自身にはっきり自覚させる体験として解釈できる.(33)
2.4.2.3 ★不気味な体験とは,そのシミュレーションの面自体の溶解を意味する.快感原則の「彼岸」とはその溶解状態のことだ.(35)
2.4.2.4
3.1.1.1 キャンD
3.1.2.1 チューZ
3.1.2.2 deliver over 宛先=場所を失う,過剰翻訳
4.2.2.1 ハッカー
サイバースペース レジュメ 2014/01/19 2014/01/25 12:05
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6 第6回 目の隠喩 ⇒エクリチュール⇒諸近くの分散状態
7 第7回 情報論とポストモダニズム
8 第8回 ラカンとチューリング
9 第9回 2つのポストモダン
10 第10回
6.1 インターフェイス的主体=ポストモダン的主体
6.2 ヴィヴィアン・ソブチャック
6.3 デカルト以降の問題系
6.4 とすれば,私たちが行うべき作業は,「目」からまた別の知覚へと判例を移すのではなく,むしろ諸知覚への分散状態,ひとつのエクリチュールを「目」や「耳」あるいは「手」(触覚的隠喩もまたし総市場は重要だ)などによりつねに複数的に捉える状態のうえに,新たな理論的言説の可能性を探ることにあるのかもしれない.
7.1 1990年代ポストモダン
7.2 ディック
7.3 ファット(視覚を撹乱する不気味なもの),ソフィア(視覚化された不気味なもの)
8.1 手紙の理論
8.2 チューリング
8.3 人工知能への批判
8.4 「象徴界の論理と現実界の存在論」を対立させつつ共存させるラカンの理論構造=手紙の理論
9.1 二つのポストモダン
9.1.1 未来学
9.1.2 サイスペの立場
10.1 ミラーシェイド
10.2 「時間的不一致」
6.1.1 目の隠喩では分析されない(104)
6.2.1 写真的,映画的,電子的
6.2.2 メルロ・ポンティ
6.2.3 ラカン
6.2.4 ローティ
6.3.1 一方で古い目の隠喩を放棄しつつ,他方で新しい目の隠喩を再密輸するという二二重の作業,ひとたび放棄された主体理論(目の特権)を別のかたちで再設立する試みとして組織される.(102)
6.4.1 ディック(チューZ)
7.1.1 情報論的汎神論
7.1.2 カルフォルニア・イデオロギー
7.1.3
7.2.1 感情移入 empathy
7.2.2 ポストモダニズムの肯定
8.3.1 「心はそもそも数学化できない」ジョン・サール
8.3.2 「心は数学科できるかもしれないが,数学そのものが矛盾を抱えている」(ロジャー・ペンローズ)
9.1.1.1 象徴界の再構築
9.1.1.2 50~60年代
9.1.1.3 マクロな情報化
9.1.2.1 象徴界の機能不全
9.1.2.2 70年代
9.1.2.3 ミクロな情報化
9.1.2.4 象徴界の郵便化(配達間違いの増加)にともなう暗号的世界の台頭
6.1.1.1 イメージとシンボルの並列処理
6.1.1.2 オタク
6.1.1.3 エクリチュール
6.2.1.1 再現前化,現前化,シミュレーション
6.2.2.1 ★目の隠喩それ自身による目の隠喩の否定的な乗り越え(101)
6.2.2.1.1 幕から膜へ
7.1.1.1 象徴界の代補
6.1.1.3.1 声
6.1.1.3.2 自分が話すのを聞く