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攟射線リスク論の転換は起こるのか

  ICRPの歎史ず ECRR勧告

                              藀岡 毅

はじめに

 今幎2011幎3月に起こった東北倪平掋沖地震に端を発する犏島第䞀原発事故により、

䞖界最倧芏暡の攟射胜汚染が犏島県を䞭心に、東北・関東地域に広がった。汚染は膚倧な数

の人々に被曝をもたらし、被曝による健康障害に぀いお広範な関心を呌び芚たした。囜際攟

射線防護委員䌚International Commission on Radiological Protection以䞋 ICRPず略蚘の

勧告に䟝拠する日本政府はこれたで幎間 1ミリシヌベルト(mSv)だった䞀般囜民の被曝限床

を、犏島においお 20ミリシヌベルト(mSv)に匕き䞊げた。これに察し、䜏民、特に子䟛を持぀

犏島県の父母たちから猛反発を受けた。攟射線防護に関する囜際的暩嚁である ICRPに䟝拠

する倧郚分の原子力・攟射線専門家は、事故による健康障害は極めお軜埮であるこずを匷

調したが、そのこずは华っお ICRP基準そのものぞの䞍信感を募らせた。こうした䞭で急速

に泚目をあびるようになったのが、欧州攟射線リスク委員䌚European Committee on

Radiation Risk以䞋 ECRRず略蚘の勧告である(1)。2003幎に初めお公開されたこの勧告は、

既存の攟射線専門家にずっおは異端の少数意芋に過ぎなかったが、犏島第䞀原発事故以降、

攟射胜汚染の深刻さが日々明らかになっおくるに぀れお急速に泚目を集めるようになった。

ICRPを擁護し、ECRRの存圚を無芖しおきた専門家たちは、新しい状況に盎面し、「ゞャンク

サむ゚ンス」だずか「プロパガンダ」にすぎないずいう非難を ECRRに济びせかけるように

なった(2)。もはや ECRRは無芖できない存圚ずなったのである。

 本皿の 13章は、20幎以䞊前に ICRPぞの根本的な批刀を詊みた科孊史家・䞭川保雄(故

人)の『攟射線被曝の歎史』(3)を䞭心ずした先行研究を、著者の関心で再敎理したものである。

4章はそれにもずづいた著者自身の考察である。その䞭で、ECRRは決しおにわかに䜜られ

たものではなく、ICRPの成立ず歎史の䞭で圢成されおきた批刀が ICRPに察抗する新しい

パラダむム(4)を提起するたでに発展したのだずいうこずを瀺した。

攟射線被曝研究・管理の軍事化

攟射線被曝管理の始たり

第䞀次䞖界倧戊以降、X線撮圱やラゞりム利甚による蚺断・治療やラゞりムの産業利甚が

普及し、攟射線による業務䞊の灜害が倚発するようになった。たずえば、ラゞりムの入った

蛍光塗料を時蚈の文字盀に塗る䜜業をしおいた米囜の女子劎働者が骚肉腫で死亡するずい

う事件が 1924幎に倚発し瀟䌚問題化した。翌幎ロンドンで開かれた第 1回囜際攟射線医孊

䌚議International Congress of RadiologyICRでは、このような瀟䌚的事件を背景ずしお、

攟射線防護のための囜際機関の蚭立の必芁性が議論された。そしお、1928幎ストックホルム

で開かれた第 2回囜際攟射線医孊䌚議においお、X線ずラゞりムによる過剰被曝の危険性に

察する勧告を行う組織ずしお「囜際X線およびラゞりム防護委員䌚International X-ray and

Radium Protection CommitteeIXRPC」が蚭立された(5)。その翌幎、「合衆囜X線およびラゞ

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りム防護諮問委員䌚The Advisory Committee on X-Ray and Radium ProtectionACXRP」

が蚭立され、戊前の米囜における攟射線被曝管理の䞭心ずなった。

この時期の攟射線被曝防護の考え方は、「耐容線量(tolerance dose)」ずいう抂念で衚される。

耐容線量は、これ以䞊の攟射線照射を行うず回埩䞍胜な急性および晩発性障害を匕き起こ

すず考えられる限界の線量で、耐容線量以䞋の被曝は害がないずみなされた。1934幎 、

IXRPCは耐容線量を 1日あたり 0.2レントゲン(箄 1.7mSv)ずするこずを勧告した(6)。想定さ

れたのは被曝䜜業に埓事する職業人で、1日 7時間、週 5日劎働を基準ずした。翌幎ACXRP

は、1日あたり 0.1レントゲン(箄 0.9mSv)、1幎あたり 25レントゲン(箄 218mSv)ずする耐容

線量を決定した。しかし、こうした耐容線量の考え方に遺䌝孊者たちは批刀的であった 。

1927幎にH.マラヌHermann Joseph Mullerがショりゞョりバ゚ぞの X線照射による突然

倉異の誘発に成功しお以来(7)、遺䌝孊者たちはどんな埮量の攟射線でも線量に比䟋しお遺䌝

的圱響が生じるず確信しおおり、それ以䞋なら安党だずする耐容線量の抂念を䞀貫しお批

刀した。すでに囜際的暩嚁ずなっおいたマラヌが゜連およびペヌロッパでの長期の滞圚を

終えお米囜に垰囜した 1940幎には、ACXRPはマラヌたち遺䌝孊者らの批刀を受け入れ、基

準倀をさらに 10分の 1に匕き䞋げるこずに同意した。しかし、このような決定は、マンハッ

タン蚈画の開始ずずもに芋送られるこずになるのである。

栞戊争勝利を目指したマンハッタン蚈画䞋の攟射線被曝研究・管理

1941幎 10月のホワむトハりス䌚談におけるルヌズベルト倧統領の決断により実質的に

原爆開発が開始され(8)、攟射線䜜業埓事者の被曝による健康被害を防ぐこずを目的ずしおき

た攟射線被曝管理は、栞兵噚開発ず栞戊争を遂行し勝利するための攟射線被曝研究管理ぞ

ず倉質しおいった。攟射線治療の第䞀人者で埌にマンハッタン蚈画の顧問ずなった G.ファ

むヌラGiaocchino Faillaが奔走し、ACXRPが前幎決定した基準倀の匕き䞋げの実行は延

期させられた(9)。被曝線量基準倀の匕き䞋げは、原爆開発の劚げになるこずは明らかであっ

た。1942幎 8月、米囜陞軍工兵叞什郚の䞭にマンハッタン工兵管区(MED)が創蚭され、マ

ンハッタン蚈画が本栌的に始動した。同蚈画の䞋での攟射線被曝研究は、栞兵噚が発

する攟射線の砎壊力ず栞戊争における兵力の枩存の条件をさぐるものであった。プルトニ

りムの研究・開発・生産を担ったシカゎ倧孊冶金研究所に䜜られた「プルトニりム蚈画保

健郚」では、ガン患者の党身にX線を济びせる人䜓実隓が行われ、40レム(400mSv)の

攟射線被曝たでリンパ球枛少は起こらない、総被曝線量 300レム(3Sv)たでなら障害

は珟われず「耐容しうる」、等などの結果が報告されたずいう(10)。たた、プルトニりム

の毒性や吞収率を調べるために倚くの患者に秘密裏にプルトニりムを泚入するず

いう人䜓実隓も行われた。この事実は 1995幎にニュヌメキシコ州の地方玙アルバカ

ヌキヌ・トリビュヌンによっお暎露され、米囜政府も調査の末、事実を認め謝眪し

おいる(11)。さらに、栞実隓堎でキノコ雲に突撃させ、故意に被曝させた兵士から医孊

デヌタを取るずいう人䜓実隓を米軍が行っおきた事実も退圹兵士の蚌蚀から明ら

かになっおいる。これらの人䜓実隓の目的は、米囜囜防総省ぞの実隓報告に「200レム

(2Sv)たでの被ばく線量であれば継戊胜力はかなり維持できる」(12)ず蚘されたこずが

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瀺しおいるように、米軍の栞戊争遂行胜力の向䞊にあったこずは確かである。

米軍占領䞋の原爆調査ずその「改竄・隠蔜」

        日本の敗戊埌、米軍䞻導ではじめられた ABCC原爆傷害調査委員䌚Atomic Bomb

Casualty Commission調査も米軍の栞戊争政策の䞀環であった。1945幎 9月、原爆投䞋埌

の広島・長厎に米陞軍マンハッタン管区調査団、海軍攟射線研究陣、倪平掋陞軍叞

什郚軍医団の合同調査団が占領䞋の広島・長厎ぞ入り、原爆の殺傷力を調べるため

の調査を行った。原爆投䞋盎埌、日本軍や垝囜倧孊の研究者が行った被害調査報告

は日本政府によっお米軍に提䟛された。さらに政府は孊術研究䌚議原子爆匟灜害調査

研究特別委員䌚ずいう圓時の自然科孊系のほずんどの分野ず陞海軍省、厚生省を始めいく぀

かの協力官庁を網矅する調査組織を぀くり米軍の合同調査団に党面協力をした(13)。これらの

調査は日本では「日米合同調査団」ず呌ばれたが、調査団の正匏名称は、「日本においお原

爆の効果を調査するための軍合同委員䌚」であり、「日米合同調査団」の名称は日本

の協力を匕き出すための方䟿でしかなかった。

その埌、「日米合同調査団」を指揮した米陞軍・海軍䞡軍医総監は、党米科孊アカ

デミヌ傘䞋の党米研究評議䌚National Reseach CouncilNRCに広島・長厎原爆

投䞋埌の攟射線による長期的な圱響、晩発的圱響研究の組織化を芁請した。もちろ

んそれは長期的な軍事蚈画䜜成に資するためである。こうしおNRC内に、「原子傷害

調査委員䌚(Committee on Atomic Casualty、CAC)」が組織され、CACの支配䞋にある広

島長厎の珟地調査機関に ABCCの名称が぀けられた。米囜囜内で ABCCが正匏に

発足したのは 1946幎 11月 14日のこずで、同月 25日、5名の軍医関係者を含む

ABCC予備調査隊が来日した。ABCC蚭立の倧統領指什が出されたのは予備隊が到

着した翌 26日である。ABCCはトルヌマン倧統領の指什に基づいお䜜られた、玔粋

に孊術的な組織であるずいう䞻匵は、「郜合のよい事実だけを述べたもので、あえお

蚀えば、歎史の改竄」(䞭川保雄)なのである(14)。

 ABCC予備調査報告は翌幎 1月に提出された。1948幎 3月、ABCC本栌調査が開始

され、1953幎たで続いた。これらの調査に぀いお、今日ではABCCがカりントしたガ

ンず癜血病の発症数は初期の症䟋が数え萜ずされおいるため少なく芋積もられお

いるこず(15)や察象ずした研究集団に察しお蚭定された参照集団自䜓が死の灰によっ

お内郚被曝を受けおおり、䞍適切な参照集団であるこず等、ABCC調査の欠陥が明ら

かになっおいる。しかし、米囜原子力委員䌚Atomic Energy CommissionAECや

CAC、ABCCは、調査の結果、遺䌝的圱響は芋出せなかったず倧宣䌝した。原爆の攟

射線被曝による健康や遺䌝ぞの圱響を過少評䟡された ABCCのデヌタずその解釈

は、その埌確立しおいく原子力掚進䞖界協力䜓制の理論的な支柱ずなったのである。

ICRPの蚭立ずその初期の立堎

党米攟射線防護委員䌚(NCRP)の蚭立ず「蚱容線量」抂念の導入

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1946幎 8月の米囜原子力法マクマホン法の成立によっお、マンハッタン工兵管区の

圹割は、発足した米囜原子力委員䌚に匕き継がれ、それ以来、米囜の原子力の囜家管理は軍

事、民生を問わず、圢匏的には「民間」の米囜原子力委員䌚が担うこずになった。戊時䞭の原

爆開発によっお原子力産業が生たれ、それに埓事する劎働者の被曝管理は、戊時の軍事機密

䞋ではなく、民間の他の劎働者ず同じ基準で行う必芁が生たれた。そこで原子力委員䌚はそ

のむニシャチブで戊時䞭掻動停止状態にあった ACXRPを「党米攟射線防護委員䌚The

National Committee on Radiation ProtectionNCRP」ずしお再興した。NCRPの第 1回䌚議に

はマンハッタン蚈画の 2人の代衚が参加し、NCRPの基本方針を確定した。NCRPの委員長

には L.S.テむラヌLauriston S.Taylorが就任した。委員長ず執行委員䌚は絶倧な暩限を持

ち、7぀の小委員䌚の報告には執行委員䌚の承認が必芁であった。執行委員䌚は 5人䞭 4人

が原子力委員䌚ず぀ながっおおり、NCRPは原子力委員䌚の完党な支配䞋におかれた。(16)。

倖郚被曝を課題ずした第 1小委員䌚にはファむヌラが、内郚被曝を課題ずした第 2小委員

䌚にはK.Z.モヌガンKarl Z.Morganが委員長に就任した。ACXRPの「耐容線量」は、戊前

からマラヌら遺䌝孊者からの厳しい批刀を受けおきたが、1947幎にノヌベル生理孊医孊賞

を受賞したマラヌの囜際的暩嚁はたすたす高たる䞭、攟射線の遺䌝的圱響に䞋限がないこ

ずを匷調するマラヌの芋解は原子力委員䌚や NCRPにずっお頭痛の皮であった。そこで

NCRPは「耐容線量」抂念を怜蚎し、新しい線量抂念を生み出すためにマラヌを取り蟌む方針

に転換した。1947幎にマラヌをNCRPの第 1小委員䌚メンバヌに迎え入れ、議論の末、「耐容

線量」の抂念は攟棄され、「蚱容線量maximum permissible dose)」抂念が導入された。1948幎

1月、NCRPの第 1小委員䌚は、倖郚被曝線量に関する暫定報告ファむヌラ報告を提出し、

「蚱容線量」の導入ず同時にこれたで週 0.7レントゲン玄 6.1mSvであった耐容線量を週

0.3レントゲン(箄 2.6mSv)ぞ匕き䞋げ、この限床倀以䞋で圱響がある蚌拠はないずした。

NCRPの「蚱容線量」導入は、どんなに小さな線量でも突然倉異などの遺䌝的圱響が線量に

比䟋しお珟われるずした遺䌝孊者の科孊的芋解を受け入れたこずを瀺すものだが、他方で

栞兵噚開発や原子力の民生利甚のような囜家の軍事的、政治的、経枈的理由で、原子力斜蚭

の劎働者や䞀般公衆にリスクを受忍させるこずができるずいう「リスク受忍論」をその本質

ずするものでもある。その埌、どの皋床たで「受忍」たたは「蚱容」できるのかずいう問題、぀

たり珟実の障害が出ないように最䜎限の数倀をずるのか、栞兵噚開発や原子力産業の利益

のために珟実の障害が出おもやむなしずするのかずいう問題が鋭く問われおくるのである。

囜際攟射線防護委員䌚ICRPの蚭立

1949幎 8月、゜連初の栞実隓が成功し、米囜の栞独占は厩壊した。すでに東西の冷戊は始

たっおおり、米囜は察゜包囲のために西偎諞囜で共通した栞政策を䜜り出す必芁性を自芚

し、その䞀環ずしお攟射線防護基準の囜際的統䞀を実珟しようずいう動きを加速させた。す

でにNCRPのファむヌラ報告の「蚱容線量」基準で栞斜蚭の運転か可胜かどうかに぀いおの

非公匏な米・英・カナダの䞉囜協議が行われおいた。゜連の栞実隓成功盎埌の 9月、䞉囜協

議は正匏の䌚議ずなり、IXRPCの再建が決定された。IXRPCは、戊前から開店䌑業状態にあ

り、1948幎時点で IXRPCの委員のうちで生存しおいたのはスりェヌデンの R.シヌベルト

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Rolf Maximilian Sievertず米囜のテむラヌの 2人だけだった。NCRPの委員長だったテ

むラヌは IXRPCの事務局長に就任し、IXRPC再建の䞭心を担った。IXRPC再建のための委

員䌚の 3分の 2は䞉囜協議の関係者で占められ、米囜のNCRPや原子力委員䌚の意図どおり

に再建が進んだ。翌 1950幎に戊埌初の IXRPCの公匏䌚議がロンドンで開かれ、IXRPCの名

称は囜際攟射線防護委員䌚ICRPに倉曎された。

 以䞊述べたように、蚭立された ICRPは過剰被曝の危険から攟射線埓事者を守るための科

孊者の組織から、「それを隠れ蓑ずする原子力開発掚進者による囜際的協調組織ぞず倉質さ

せられた」䞭川保雄のである(17)。特に察゜栞戊略の匷化ず ICRP蚭立ずが密接に関係し

おいるこずは、米囜政府が氎爆開発を蚀明し、さらに栞戊争勝利を目指す「民間防衛蚈画」の

䞋で「攟射胜は怖くない」ずいう倧キャンペヌンが行われた幎が ICRP蚭立ず同幎であった

こずからも掚察される(18)。

ICRP1950幎勧告ず ICRP内郚の意芋察立

このように、米囜の原子力委員䌚やNCRP䞻導で生み出された ICRPであったが、独自の

栞原子力開発の具䜓策をただ持っおいない倚くのペヌロッパの囜が参加したためすべお

が米囜の思惑通りに進んだわけではない。栞兵噚の開発や䜿甚に反察する運動がペヌロッ

パで高揚したこずを背景ずしお、ICRPは「蚱容線量」抂念を受け入れたものの、NCRPのリス

ク受忍論ずは䞀線を画さざるを埗なかった。被曝による瀟䌚党䜓ぞの遺䌝的圱響を懞念す

るむギリスを始めずするペヌロッパ諞囜の䞻匵によっお、攟射線被曝の蚱容線量を䞀般人

にも蚭定するずの合意が ICRP内で成立さえした。しかし、この合意は米囜原子力委員䌚の

介入によっお反故ずなった。このように初期の ICRPは米囜原子力委員䌚やNCRPずしばし

ば意芋察立した。ICRP1950幎勧告では、「被曝を可胜な最䜎レベルたで匕き䞋げるあらゆる

努力を払うべきである」ず曞かれ、米囜ずは独自の立堎が貫かれた。

゜連ずの栞開発競争によっお、米囜は栞兵噚開発の迅速化ず費甚の節玄を䜙儀なくされ、

栞実隓を囜内のネバダで行うようになった。しかしこれによっお自囜民の被曝の増倧は䞍

可避ずなり、栞戊争政策を囜民に受け入れさせる䞀方、被曝に察する囜民の䞍安を取り陀く

ために埮量の攟射線はなんら健康に圱響がないずいう宣䌝が匷化された。NCRPでは、倖郚

被曝を扱ったファむヌラの第 1小委員䌚の結論に察し、内郚被曝を扱ったモヌガンの第 2小

委員䌚は内郚被曝評䟡の耇雑さのため容易に結論を出すこずができず、結論を急ぎたかっ

た執行委員䌚は 1951幎に第 2小委員䌚の審議を打ち切っおしたった(19)。

このように被曝の圱響を過小評䟡したい米囜の立堎ず栞兵噚犁止の運動が高たり公衆の

被曝による遺䌝的圱響を懞念するペヌロッパ諞囜の立堎の違いを背景ずしお、ICRPでは公

衆の蚱容線量をどのように蚭定するかに぀いお論争が行われた。1952幎、スりェヌデンのコ

ペンハヌゲンで開催された ICRPの䌚議では公衆の蚱容線量や個人の生涯被曝線量をめぐ

る激しい論戊がおこなわれた。議論の結果、公衆の被曝限床を 10レム(100mSv)30幎ずい

う折衷案が非公匏の合意ずなった。しかし、たたしおも米囜原子力委員䌚をはじめ原子力掚

進掟の圧力によっお、非公匏の合意内容は反故にされた。公衚された公匏発衚では、公衆の

被曝限床は瀺されず、職業被曝の蚱容線量 0.3(3mSv)レム週以䞋に匕き䞋げる必芁がある

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こずを蚀明するにずどめられた。こうしお、ICRP1954幎勧告では公衆の蚱容線量は盛り蟌た

れず、さらに、蚱容線量に぀いお「自然のレベルよりも䞊のあらゆる攟射線被曝は絶察的に

安党ず芋なすこずができないが、無芖し埗るリスクをずもなう」ず蚘述された。「無芖しうる

リスク」ずいう衚珟は受忍論導入の足がかりずなり、「可胜な最䜎レベルたで匕き䞋げる」ず

した 1950幎勧告から埌退するものであった。

原子力掚進囜際䜓制の成立ず ICRPの基本パラダむムの確立

アむれンハワヌ倧統領の囜連挔説の狙い

1952幎、米囜は史䞊初の氎爆実隓に成功し、゜連に察する圧倒的な軍事的優䜍を獲埗した

ず思われた矢先、翌 1953幎、゜連も氎爆実隓に成功し再び米囜の優䜍は厩れ去った。米囜は

栞戊略の倧幅手盎しを迫られ、局地玛争で劣䜍に立った堎合の巻き返しずしお゜連䞭心郚

ぞの栞攻撃を行なうずいう倧量報埩戊略ニュヌルック戊略を採甚し、ペヌロッパに戊

術栞を配備するずずもに、栞兵噚の量産のためにりランやプルトニりムの倧量生産䜓制を

築き䞊げた。このような生産䜓制の増匷は新しい攟射線防護䜓制を敎備する必芁性を増倧

させた。たた、゜連は䞖界初の原子力発電の実甚炉を開発し、むギリスやフランスも原子力

発電の開発が進められたため、栞兵噚開発に没頭しおいた米囜はこの分野で倧きく出遅れ

るこずになった。このような遅れを取り戻し、再び原子力開発のあらゆる分野で圧倒的優䜍

を確保するために打ち出されたのが、米囜倧統領アむれンハワヌの囜連挔説「平和のための

原子力」1953幎 12月である。この挔説は、米囜の増倧する栞兵噚生産ずペヌロッパぞの

栞兵噚配備ずいう珟実から䞖界の目をそらせるずいう心理戊でもあったが、同時に「原子力

の平和利甚」ずいうレトリックのもずで原子力の私的所有ず商業利甚を掚し進め、原子力開

発が䞖界的に展開されるきっかけずもなった。アむれンハワヌの挔説の翌月、米囜は初の原

子力朜氎艊ノヌチラスを進氎させるずずもに、その動力炉を発電甚に転甚するこずで原子

力発電開発競争に参入した。こうした流れの䞭で日本においおも初の原子力開発予算が蚈

䞊され、原子力開発が開始された。

ビキニ事件による栞兵噚反察の䞖界的高揚

1954幎 3月 1日、米囜はビキニでの氎爆実隓を匷行し、フォヌルアりトの圱響でマヌシャ

ル諞島䜏民や 1000隻に近い持船が被曝した。マグロ持で爆心から 160kmの海域にいた第 5

犏竜䞞ず 23人の乗組員はフォヌルアりト死の灰を被り、その䞭の䞀人久保山愛吉は半

幎埌死亡した。米原子力委員䌚はビキニ岩瀁の攟射胜汚染を吊定したが、䞖論に抌された日

本政府は、蟲林省の調査船「俊鶻䞞」を䜿っお汚染調査に乗り出した。21名の研究者ず 9名の

報道関係者を乗せお爆心海域呚蟺を調査した「俊鶻䞞」は、東西 2000km、南北 1000kmにわた

っお広がるすさたじい海掋汚染の実態を明らかにした。さらにビキニ環瀁から西方玄 150km

付近で、海氎 5661610cpm/ℓ、プランクトン 19207220cpm/ℓ、むカ 6600cpm/g、カツオの肝

臓 3300048000cpm/gずいう食物連鎖を通した生物濃瞮の進行を蚌明した (20)。ビキニ事件

をきっかけずしお日本囜内では原氎爆に反察する䞖論が高たり、原氎爆犁止眲名運動に

Page 7: ICRP ECRR - researchmap

2000 䞇の眲名が集たるなど運動は急速に拡倧し、攟射胜に察する危機感が䞖界䞭に広がっ

おいった。翌幎 7月、11人の第䞀玚の科孊者によっお栞兵噚の廃絶を蚎えるラッセル・アむ

ンシュタむン宣蚀がだされ、同幎 8月、初めおの原氎爆犁止䞖界倧䌚が広島で行われた。たた、

フォヌルアりトに関する囜際的関心の高たりの䞭で、同幎末に原子攟射線の圱響に関する

囜連科孊委員䌚United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic RadiationUNS

CEARの蚭眮が囜連総䌚によっお採択された。

BEAR報告ず ICRP1958幎勧告による基本パラダむムの確立

栞兵噚ず栞実隓に察する囜際的非難が日々高たっおいる䞭で、米囜政府ず原子力委員䌚

は高たる囜際的批刀の䞭で䟝然ずしお窮地に立たされおいた。この危機を救ったのがロッ

クフェラヌ財団であった(21)。1955幎秋、同財団は 50 䞇ドルの資金を提䟛し、党米科孊アカデ

ミヌに「原子攟射線の生物孊的圱響に関する委員䌚 (Committees on the Biological Effects of

Atomic Radiation)」蚭立を芁請した。BEARは、攟射線の遺䌝的圱響、病理孊的圱響、

気象孊的圱響、海掋ず持業ぞの圱響、蟲業ず食糧䟛絊ぞの圱響、栞廃棄物の凊理凊分に関す

る委員䌚の 6぀の委員䌚の蚭眮し、政治的に䞭立な民間の科孊機関の装いを凝らしたが、遺

䌝孊ず病理孊の委員長ず委員は、原子力委員䌚やABCC関係者らが顔を連ねた。BEARは「遺

䌝孊䞊の芋地から、攟射線の利甚は可胜な限り䜎くすべきであるが、合理的な被曝はやむを

えない」ずいう立堎をずり぀぀、フォヌルアりトをきっかけずしお高揚した栞兵噚反察の運

動や䞖論を考慮し、劎働者の被曝の蚱容線量を幎 5レム(50mSv)に匕䞋げ、劎働者の 10分の

1の蚱容線量を公衆にあおはめるずいう結論を出した。実際、原子力を軍事機密䞋の兵噚開

発だけにずどめず、民需分野にも広げるためには、蚱容線量の匕き䞋げは必芁なこずでもあ

った。䞀般公衆ぞの蚱容線量適甚にこれたで抵抗しおきた NCRPず原子力委員䌚も BEAR

報告を受け入れざるをえなかった。

ICRP内郚の攟射線被曝の遺䌝的圱響に぀いおの議論で米囜の NCRPや原子力委員䌚の芋

解に異論を唱えおきたむギリスは、1952幎に初の原爆実隓を行い、1956幎にはプルトニりム

生産ずいう軍事的偎面もかねた商業甚コヌルダヌホヌル原子力発電所を完成させ、米囜ず

䞊んで原子力の掚進囜ずなった。むギリスも BEARず同様な医孊研究評議䌚Medical

Research CouncilMRCを䜜り、BEAR報告に同調するMRC報告を䜜った。こうしお「原子

力の平和利甚」ずいう暙語の䞋、ICRP内郚の察立はなくなり、1957幎原子力の民生利甚を管

理するための囜際機関、囜際原子力機関(International Atomic Energy AgencyIAEA)が蚭立さ

れた。1958幎 8月末、ICRP議長シヌベルトの呌びかけで第 2回原子力平和利甚䌚議が行われ、

ICRP、IAEA、UNSCEARをはじめ 5぀非政府組織、6政府組織が集たり、攟射線の圱響に関す

る研究や攟射線防護基準の確立などを協調しお進めるこずが確認された。ここに原子力掚

進の囜際協調䜓制が確立し、原子力を掚進する組織が攟射線防護の基準を決定するずいう

囜際的な枠組みが生み出された。翌月 9月に発衚された ICRP1958幎勧告では、幎 5mSvの公

衆ぞの蚱容線量がはじめお導入され、劎働者の被曝線量も幎 50mSvに匕き䞋げられた。その

䞀方で功利䞻矩にもずづく「リスクベネフィット論」も導入され、「原子力の実際䞊の応甚

を拡倧するこずから生じるず思われる利益を考えるず、ある皋床の被曝は容認され正圓化

Page 8: ICRP ECRR - researchmap

されおよい」ずするその埌半䞖玀以䞊にわたる ICRPの基本パラダむムが確立したのである。

ICRPの限界ず ECRRの登堎

ICRPの被曝基準ぞの批刀の高たり

         ICRP1958幎勧告で導入されたリスクベネフィットの抂念は新たな問題をひきおこした。

攟射性䜜業埓事者にずっお、被曝リスクは、仕事による報酬ずいう個人的ベネフィット実

際に被るガンリスクず芋合っおいるかずいう問題は別ずしおによっお正圓化される。し

かし、米囜が実斜した栞実隓のフォヌルアりトにさらされた公衆にずっお被曝に芋合う個

人的ベネフィットは存圚しない。そこで導入されたのは、栞兵噚の開発によっお栞戊争から

人類を守るずいうような「瀟䌚的べネフィット」を人類が埗おいるずいう論理である。この

ような「瀟䌚的ベネフィット」を持ち出しお人々に受忍を迫るやり方は、ICRP1965幎勧告の

「経枈的および瀟䌚的な考慮を蚈算に入れたうえ、すべおの線量を容易に達成できる限り䜎

くas low as readily achievableALARA1ずいう保぀べきである」ずいう衚珟に端的に衚

されおいる。1970幎代になるず、原子力発電に反察する運動の広がりによっお、安党装眮の

远加や定期点怜を䜙儀なくされ、それによる原発建蚭コストの増倧や皌働率の䜎䞋が生じ

た。電力䌚瀟は利益率の枛少を食い止めるため、人間の呜を金額で衚し、安党装眮などの経

費ずはかりにかけるコスト-ベネフィット解析を導入するようになった。ICRP1977幎勧告の

「合理的に達成できる限り䜎くas low as reasonably achievableALARA2ずいう」ずいう

衚珟は、ICRPがコスト-ベネフィット論に立ち、その安党基準は生物孊的・医孊的なものか

ら瀟䌚的・経枈的なものぞ転換したこずを瀺すものである。そのこずは、これたで「蚱容線

量」ず呌ばれおいたものが「線量圓量限床dose equivalent limit」ず蚀い換えられるように

なったこずに珟われおいる。「線量圓量限床」は瀟䌚的に決められた基準倀で個人の健康䞊

の安党を担保するものではない。

「蚱容線量」ず呌がうが「線量圓量限床」ず呌がうが、1958幎から 1977幎たでの勧告におい

おその基準倀は、攟射線䜜業者 50mSv、公衆 5mSvの倀はそのたたであった。それは米軍が日

本政府の協力を埗お行なった広島・長厎の原爆傷害調査 ABCCの過小評䟡されたデヌタに

基づいお蚈算されたからである。しかしこの時期、ICRPのパラダむムのよりどころである

ABCC調査の結論に察する異論が疫孊者や科孊者の䞀郚から出されるようになった。小児癜

血病ずガンの疫孊的研究をすすめおいたむギリスのアリス スチュアヌト Alis

M.Stewartは、1958幎に、胎児期に母芪が受けた 2mSvのレントゲン被曝によっお小児ガ

ン・癜血病の自然発生率が倍化するこずを発衚した(22)。さらに、原子力委員䌚傘䞋のロヌレ

ンス・リバモア囜立研究所の指導的研究者であったゎフマンJohn W. Gofmanずタンプ

リンArther R. Tamplinは、広島・長厎のデヌタを芋盎し、ICRPのガン癜血病リスクは 10

20 倍過小評䟡されおおり、基準を䞀桁以䞊匕き䞋げるべきこずを䞻匵するにいたった

(1969)(23)。原子力委員䌚は内郚から出た批刀に手痛い打撃をこうむったが、ABCCの結論に

䟝拠しお「珟圚のずころ修正の必芁なし」ずした文曞を出しゎフマンらの批刀をかわした。

しかし、原子力委員䌚はこれらの批刀に反論し、䜎線量の被曝が安党であるこずを立蚌する

Page 9: ICRP ECRR - researchmap

ために栞兵噚工堎で働く劎働者の調査を倖郚の研究者に委蚗した。こうした委蚗研究の結

果が原子力委員䌚の意に沿わないものであったためさたざたな圧力や脅しが加えられ、぀

いには委蚗研究は打ち切られた。しかし委蚗を受けおいたトヌマス・マンキュヌ゜(Thomas

Mancuso)は研究を継続し、ハンフォヌド栞斜蚭劎働者 28000人を察象ずした調査から ICRP

の 10 倍の攟射線リスクがあるこずを瀺し、1976幎に発衚した(24)。マンキュヌ゜のデヌタは、

被曝集団のガン・癜血病の死亡率や非被曝察照集団の死亡率さらに平均被曝線量すべお枬

定倀であり、被曝線量を掚定倀で求めおいる広島長厎のデヌタより信頌できるものであっ

たので、米囜の原子力委員䌚や囜防省にずっお打撃であった。

攟射線防護科孊ずしおの ICRP基準の砎綻

 1974幎、米政府は新たに打ち出した「限定栞戊力構想」の䞋で䞭性子爆匟の開発を開始し

た。その開発のためにロスアラモス囜立研究所では広島・長厎の攟射線スペクトルのデヌ

タの掗い流しが行なわれた。その結果、ロスアラモス囜立研究所は原爆の䞭性子攟出スペク

トルはこれたで利甚しおきた原爆線量掚定倀T65Dず実際は倧きく異なっおいるこずに

気づいた。10数幎埌の 1986幎に確定された新しい原爆線量掚定倀(DS86)では広島原爆爆心

2km以内の屋内での䞭性子被曝線量は 10分の 1に、長厎ではガンマ線が 3分の 1に䞋げら

れた。このこずは珟実に生じた攟射線被曝傷害が、NCRPや ICRPが想定した線量よりはるか

に小さい倀でもたらされたずいうこずであり、それたでのガン癜血病死リスク評䟡が珟実

より䜎く芋積もられおいたこずを意味する。広島・長厎のデヌタを根拠ずしおきた ICRPの

パラダむムは危機に瀕したのである(25)。こうした状況の䞭で 1979幎、史䞊初の原子炉溶融事

故であるスリヌマむル島原発事故が米囜で起こり、掚進掟の䞭でも動揺が生じ、線量圱響

関係評䟡をめぐっお BEIR(26)内郚でも察立が生じる事態ずなった。これたで掚進掟は ABCC

にもずづいお 100レム(1Sv)以䞋で健康ぞの圱響はありえないずさえ䞻匵しおいたが、結局、

広島・長厎のガン・癜血病死に぀いお䜎線量領域にしきい倀ありの解釈は困難ずなり、盎

線性を認めざるを埗なくなったのである。たた、広島長厎の被曝から 30幎以䞊経た 1970幎

代末になっお、広島長厎のガン癜血病が増加し始め、1980幎代半ばには急増した。広島ず

長厎のガン・癜血病の疫孊的デヌタが芋盎され、しきい倀なし盎線モデルが採甚されるよ

うになった(27)。

以䞊のような経過をふたえ 1985幎、ICRPはパリでの囜際䌚議で声明を発し、公衆の線量

圓量限床をこれたでの幎 0.5レム(5mSv)を 0.1レム(1mSv)に匕き䞋げるこずを宣蚀パリ声

明した。ICRPはこれたでリスクベネフィット論にもずづき、たずえば亀通事故による死

を 10 䞇人に 1人ずし、同皋床の被曝によるガン死を公衆が受け入れ可胜なものずみなしお

きた。原爆線量掚定倀の誀りが明らかになった今、基準の匕き䞋げはリスク・ベネフィット

論にもずづく ICRPの論理の䞀貫性を保぀ためであり、実質的な安党性を高めるものではな

い。にもかかわらず、ICRPは安党性を高めるために基準を厳しくしたかのような宣䌝をした

ため、日本を含め倚くの囜はこの時期、ICRP勧告の受け入れを決断した。

     さらに、1986幎、゜連でチェルノブむリ原発事故が発生し、史䞊最悪の攟射胜汚染を匕き

起こした。このような新たな事態の䞭で、むギリスの攟射線保護庁National Radiological

Page 10: ICRP ECRR - researchmap

Protection BoardNRPBは、1987幎末に、劎働者の被曝限床を幎 1.5レム15mSv、公衆

は幎 0.05レム(0.5mSv)に匕き䞋げる勧告をし、スりェヌデンもそれに远随した。米囜の

NCRPは原子力産業がこうむるコスト増を理由に、぀たりALARA原則にのっずり匕き䞋げ

を拒吊した。1990幎に提出された ICRP1990幎勧告は、公衆を幎 0.1レム(1mSV)ずする䞀方、

劎働者には 10レム(100mSv)5幎か぀ 5レム(50mSv)幎ずいう 2 重基準を採甚した。ICRP

は、5幎で 10レムずいう劎働者の基準を幎 5レムから幎 2レムぞの匕き䞋げたず倧々的に宣

䌝した。しかし、高線量䞋の劎働は非正芏あるいは䞀時雇甚の劎働者が担っおいるので、2幎

間で限床いっぱいの 10レム济びせた埌解雇するずいう珟実を考えれば、この「匕き䞋げ」は

名ばかりである。それどころかチェルノブむリ事故で生じた珟実を远認し、「緊急時䜜業」で

は、党身被曝が 10レム(100mSv)から 50レム(500mSv)ぞ匕き䞊げられたのである。もはや

ICRP勧告は安党を担保する科孊的基準ずしおではなく、原子力産業を保護するプロパガン

ダ装眮ずしお機胜しおおり、科孊のパラダむムずしおは砎綻しおいるのである。

欧州攟射線リスク委員䌚の蚭立ずECRR2003幎勧告

 䜎線量被曝のガンリスクに関する ICRPモデルの特城は、被曝線量ずガン発生率ずの間に

盎線性比䟋関係を仮定し、健康ぞの圱響が珟われない限界線量閟倀は存圚しない

ずするものである。このモデルは広島長厎におけるガンマ線による急性の高線量倖郚被曝

の結果から割り出したガン・癜血病発生率を䜎線量領域に倖挿したものである(28)。さらに攟

射線栞皮を生䜓内に取り蟌んだこずによっお生じる内郚被曝に察する ICRPの評䟡は、組織

に䞎えられる攟射線の党゚ネルギヌを組織党䜓で平均化する単玔化された物理孊的モデル

によっお行なわれ、内郚被曝の持぀生物孊的な特異的䜜甚を無芖し、内郚被曝の問題を倖郚

被曝の芳点からのみ評䟡するこずでそのリスクを過少に評䟡しおいる。ICRPはむギリスの

セラフィヌルドをはじめ、ドむツ、フランス、スりェヌデン等の栞斜蚭近隣に居䜏する子䟛

の癜血病の発生率が激増した問題を、それらが ICRPモデルが予枬する数倀ず合わない

ICRPの 1001000 倍の差ずいう理由で、癜血病の増倧ず攟射線被曝の関連を吊定した 。

ICRPは、栞実隓のフォヌルアりトやチェルノブむリ原発事故による健康障害に぀いおも 、

ICRPモデルの挔繹的予枬数倀に基づいお、その被害を極めお過少に描き出しおきた。そうす

るこずによっお ICRPは栞兵噚工堎や原子力発電に反察する䜏民たちの批刀をかわし、軍や

原子力産業の利害を擁護しおきたのである。

 このような珟状に察し、ICRPに批刀を持぀欧州議䌚内郚の環境掟グルヌプがブリュッセ

ルで䌚議を開きその決定にのっずり、自発的な垂民組織ずしお欧州攟射線リスク委員䌚

European Committee on Radiation RiskECRRが 1997幎に蚭立された。ECRRには 1950

幎代末から ICRP批刀を続けおきたアリス・スチュワヌトをはじめ、医孊者、物理孊者、化孊

者、攟射線専門家、攟射線生物孊者、疫孊者、数孊者などの科孊者に加え、リスク瀟䌚孊者や

経枈孊者も参加した。ECRRはその掻動の目的に、(1)ICRPやUNSCEARなど他の機関ず独立

に攟射線被曝のリスクの評䟡をするこず(2)攟射線被曝がもたらす損害に぀いおの最良の科

孊的予枬モデルを開発するこず(3)予防原則にもずづいお政策的勧告の基瀎を成す倫理的・

哲孊的枠組みを生み出すこず(4)リスクず損害のモデルを提出するこず、を挙げおいる。1998

Page 11: ICRP ECRR - researchmap

幎 2 月に行なわれた欧州議䌚内の科孊技術遞択評䟡Science and Technology Options

AssessmentSTOA機構の䌚議で、カナダの著名な科孊者ロザリヌ・バヌテルRosalie

Bertellやスチュワヌト、クリス・バズビヌChris Busbyら ECRRの䞻芁メンバヌが発蚀

し、ICRPが䟝拠しおきた広島のデヌタの䞍備を指摘した。たずえば、研究集団ず参照集団が

ずもにフォヌルアりトからの内郚被曝を受けおいるので参照集団の取り方が䞍適切である

こずや现胞は高線量では死滅し、䜎線量で突然倉異を匕き起こすので高線量から䜎線量ぞ

の倖挿は䞍適切であるこずなど ICRPの科孊的根拠を揺るがす問題が指摘された(29)。

 2003幎、ECRRはその最初の報告である ECRR2003幎勧告を公開した(30)。もっぱら広島長

厎のデヌタ評䟡をもずに䜜られた物理孊的モデルをその埌の被曝事象に圓おはめる ICRP

の挔繹的手法ずは察照的に、ECRRの䜎線量被曝モデルは、広島長厎以降に起こったさたざ

たな被曝事象そのものから出発する垰玍的方法をずった。ECRR2003では、セラフィヌルド

をはじめ各囜の栞斜蚭呚蟺における小児癜血病の増加、195565幎に集䞭しお行なわれた

倧気圏内栞実隓のフォヌルアりトによる党地球的圱響、チェルノブむリ原発事故埌のベラ

ルヌシにおける甲状腺がんの急増、原子力斜蚭に働く劎働者ずその子䟛ぞの健康被害など

に関する研究論文や報告が詳しく分析され、その評䟡に基づいお ICRPモデルの修正を提起

しおいる。特に䜎線量被曝の問題では内郚被曝の圱響を重芖し、攟射線の゚ネルギヌを組織

で平均化するずいう ICRPの単玔化された物理的モデルが䞎える「等䟡線量 (equivalent

dose)」に修正を加え、生䜓内に取り蟌たれた皮々の攟射性栞皮ずその近傍にある现胞ずの特

異的な生物孊的盞互䜜甚を考慮した新しい「生物孊的等䟡線量(biological effective Dose)」を

導入した。ICRPの高線量倖郚被曝モデルによる急性障害の評䟡に぀いおは抂ね ECRRも受

け入れおいる。しかし、このモデルの䜎線量ぞの倖挿線圢閟倀なしモデル)は、珟実の被曝

障害を説明できないずし、䜎線量領域における盞的・现胞応答的モデルを提起しおいる。

さらにバむスタンダヌ効果1%の现胞ぞの攟射線照射に察し 30%の现胞の染色䜓に圱響が

出るやゲノム䞍安定性による遅延型圱響被曝による初期の損傷を乗り越え生き残った

现胞が長期にわたっお遺䌝的倉化が非照射時の数倍数 10 倍の頻床で珟われるなどの攟

射線生物孊の新しい知芋も導入され、疫孊的デヌタの生物物理孊的基瀎をあたえおいる。

 ECRRの ICRPに察する批刀は、その科孊モデルに察しおだけでなく、ICRPのコスト-ベネ

フィット費甚-䟿益法論ずその倫理的基瀎である功利䞻矩に察する哲孊的・倫理孊的批

刀にたで及んでいる。それはロナルド・ドゥオヌキンの『暩利論』やゞョン・ロヌルズの『正

議論』、ロザリンド・ハヌストハりスの『埳倫理孊』などの珟代の哲孊・倫理孊的理論を揎甚

するずずもに、予防原則の民生原子力ぞの適甚を䞻匵しおいる(31)。そしお ECRRは、ICRPの

リスク評䟡が 100 倍から 1000 倍の芏暡で誀っおいるずいう認識の䞋、公衆の被曝限床を幎

0.1mSv、劎働者は幎 2mSvに䞋げるこずを芏制圓局者に勧告しおいる。科孊モデルにずどた

らず哲孊的倫理孊的立堎にたで及ぶ ECRR2003勧告の提起は、攟射線リスク論における新

しいパラダむムの登堎を意味しおいる。叀い ICRPのパラダむムは原子力産業の利害関係者

に支持されおきたのに察し、新しいパラダむムは、原子力産業によっお被害を被る䜏民や、

原子力産業の利害ずは盞察的に独立な科孊者や専門家の支持を受け぀぀ある(32)。

Page 12: ICRP ECRR - researchmap

ECRR2003幎勧告以降の展開

ECRR2003幎勧告英文が提出されお以降、それは日本語、ロシア語、フランス語、スペ

むン語に翻蚳された。むギリスでは ECRR2003 を怜蚎するための公匏の政府委員䌚

CERRIE内郚攟射線被曝リスク委員䌚が蚭立され、フランスの攟射線防護原子力安党研

究所IRSNでは ECRRモデルを怜蚌するための科孊チヌムが蚭眮された。これらの怜蚎

の結果、ECRRモデルが ICRPモデルに察する代替案ずしお支持されるにはいたっおいない。

しかし、IRSN2005幎報告は、「ECRRによっお提起された問題点は十分に受け入れられるも

のであるが、実際は、この修正方針を正圓化するずしお蚀明された議論は、圧倒的なもので

はなく、その蚌明は、党䜓ずしお、厳密な䞀貫した科孊的アプロヌチの基準を満たしおいる

ずはいえない」ずいう理由で ECRRモデルの採甚を控えたのであり(33)、ICRPに察する ECRR

の批刀自䜓には十分根拠があるずしお匕き続き課題であり続けおいる。

たた、2003幎以降、ECRRモデルの予枬が正圓であるこずを瀺す状況蚌拠が増倧し続けお

いる。 (1)べラルヌシのガンの発症率の増倧が ECRR2003 の予枬の範囲で生じおいる

Okeanov2004(34)、(2)チェルノブむリ事故埌のスりェヌデンにおけるセシりム 137の

100kBq/ 2の汚染地域で 11増の統蚈に有意なガンの増倧があったTondel2004幎

(35)。これは ICRPず比べお 600 倍のリスクを瀺しおいる、(3)ドむツにおける原子力発電所か

ら 5km以内の居䜏域の子䟛の䞭で、統蚈的に有意な小児ガンの発症増倧が芋られた

(Kikk2007幎)(36)、(4)チェルノブむリ原発事故埌のファヌルアりトの時期に胎児であった子

䟛たちの䞭で、小児癜血病の 43の増加が瀺されたBusby2009幎(37)、などである。

ICRPの科孊幹事であり、1990幎ず 2007幎の ICRP報告曞の線集者であったゞャック・バ

レンタむンJack Valentinは 2009幎に蟞職し、ICRPのリスクモデルは内郚被曝に぀いお

の䞍確かさがあたりにも倧きすぎるのでいく぀かの事䟋では 2 桁にもなる、人類の被曝

による圱響を予枬するためにはふさわしくない、ず蚀明した(38)。2009幎 5月、ギリシャのレ

゜ボス島での囜際䌚議に 8カ囜の物理孊者、攟射線専門家が参加し、ICRPモデルの砎棄ず

ECRR2003モデルの採甚を各囜政府に求めたレ゜ボス宣蚀を発衚した(39)。翌 2010幎、ECRR

はりラン兵噚䜿甚に䌎うフォヌルアりトによる被曝障害の原因を明らかにした章の远加を

含む改蚂版 ECRR2010を公開した。2003幎勧告には欧州の専門家攟射線生物孊者、攟射線

専門家、医孊者、物理孊者、数孊者、瀟䌚孊者など䞭心に 46人が参加したが、ECRR2010に

は、旧゜連圏ロシア、ベラルヌシ、りクラむナの 17人に加え、米囜、日本からの参加を含

む 64人ぞず拡倧し、䞖界的芏暡での広がりを瀺しおいる(40)。チェルノブむリの悲劇を経隓

した旧゜連圏の専門家の ECRRぞの倧量参加は、䜕を物語っおいるか明らかだろう。

パラダむム転換の匕き金ずなるか犏島第䞀原発事故

 2011幎 3月 11日の東北地方倪平掋沖地震の圱響を受け発生した犏島第䞀原発事故により、

14 号機が同時に倧量の攟射性物質を環境にばら撒かれるずいう史䞊最悪の事態を迎えた。

チェルノブむリに匹敵する、あるいはそれを超える芏暡で攟射胜汚染が進行しおいく䞭で、

攟射線被曝による健康被害の問題に人々の関心が急速に高たっおいる。ICRPのパラダむム

の枠組みで察応しおいる日本政府に察し、汚染地域の䜏民、特に子䟛を抱える父母たちによ

Page 13: ICRP ECRR - researchmap

る䞍安や䞍満、批刀が匷たり、その䞭で ICRP基準に䜓系的な批刀を続けおきた ECRR勧告

ぞの支持が急速に拡倧しおいる。内郚被曝問題を焊点ずしお ECRRのパラダむムをこれた

で支持しおきた少数の専門家が泚目を集める状況が生たれおいる。科孊史家や科孊論者の

䞭にも ECRRの芋解に泚目する人たちも増倧しおいる。しかし、他方で ECRRの芋解は「プ

ロパガンダ」であり、それは「ゞャンク科孊」だず䞻匵する攟射線専門家も存圚しおいる。た

しかに、ICRPの基準ですらしばしば無芖されおきた日本の珟状では、ICRP基準を守れずい

う䞻匵は正圓である。しかし、広倧な地域が汚染され、内郚被曝の問題が深刻になり぀぀あ

る珟圚、ICRPモデルの盎線性を匷調し、䜎線量では圱響は小さいず䞻匵するこずは、重倧で

深刻な問題から目を逞らすこずになるだろう。

 攟射線リスク論は、科孊理論であるず同時に政策的科孊でもある。か぀おトヌマス・クヌ

ンがパラダむム転換の図匏を提起した際、旧パラダむムを支持する勢力ず新パラダむムを

支持する勢力ずの分裂ず論争は、あくたで科孊の専門家集団内郚のものであった。しかし、

「ポスト通垞科孊」の時代ず呌ばれる 20䞖玀埌半以降、政策ず結び぀いた巚倧化した科孊の

理論をめぐる察立は、より耇雑な様盞を瀺しおいる。旧パラダむムICRPモデルを支持す

る勢力には経枈的政治的に匷倧な力を持぀原子力産業があり、新パラダむムを支持する勢

力には攟射線被曝による健康被害を恐れる広範な人々が存圚し、もはや狭い専門家集団内

郚の論争に止めるこずは䞍可胜である。もし ECRRが蚀うようにリスクが数癟倍であれば、

新たな悲劇がたさに今進行䞭である。原子力産業ずそのステヌクホルダヌの圧力の䞋で日

本政府が ICRPに䟝拠し続けたならば、䜕幎か埌に倧量のガン・癜血病死に盎面するこずに

なるだろう。そのような被害の結果を目の圓たりにするたで攟射線リスク論における理論

䞊の転換が起こらないずすれば科孊的認識の発展ずはなんず悲劇的なこずだろう。その悲

劇を避けるためにわれわれは今䜕をなすべきか問われおいるのではないだろうか。

文献・泚

(1) 2010 Recommendations of the ECRR :The Health Effects of Exposure to Low Doses of Ionizing

Radiation, Edited by Chris Busby with Rosalie Bertell, Inge Schmitz- Feuelhake, Molly Scott

Cato and Alexey Yablokov, (Brussels: Green Audit Press, 2010) この日本語蚳は以䞋の通り

山内知也監蚳『攟射線被ばくによる健康圱響ずリスク評䟡 欧州攟射線リスク委員䌚

(ECRR)2010幎勧告』ECRR2010 翻蚳委員䌚蚳明石曞店2011幎 11月

(2)「培底蚎論 攟射線リスクの真実 ゞャンクサむ゚ンスに惑わされないために」

『䞭倮公論』2011幎 9月号138151147 頁。

(3)䞭川保雄『攟射線被曝の歎史』技術ず人間1991幎なお、この著䜜は『増補攟射線

被曝の歎史 アメリカ原爆開発から犏島原発事故たで』明石曞店2011幎 10月

ずしお最近埩刊された。

(4)「パラダむム」ずいう甚語は、「理論的枠組み」ずいう皋床の意味合いで今日䞀般的に流垃

しおいる䞀方、科孊史・科孊哲孊の領域では、抂念芏定のあいたいさを指摘されたトヌ

マスクヌン自身の「取り䞋げ」によっお、「砎綻した抂念」ず受け止められおいる。本皿

で著者が、「パラダむム」ずいう甚語を䜿う堎合も、厳密な科孊史・科孊哲孊の抂念ずし

Page 14: ICRP ECRR - researchmap

おでなく、「理論的枠組み」ずいう意味合い以䞊ではない。しかし、著者は「パラダむム」

ずいう甚語でクヌンが瀺そうずした抂念自䜓が砎綻したずはみなしおおらず、20侖简

埌半の「ポスト通垞科孊」の時代においおもなお議論の䜙地は残っおいるず考える。し

かし、この問題は本皿の䞻題ではないので、その展開は別の機䌚に譲りたい。

(5)同䞊曞29 頁。

(6)本皿では、攟射線の線量単䜍に぀いお、珟圚䜿われおいる線量のシヌベルト(Sv)で衚すよ

うにする。照射線量の旧単䜍であるレントゲン(R)を珟圚の吞収線量の単䜍グレむ(Gy)で

換算するず 1 R = 8.7 mGyである。線質をすべお γ線かX線ず芋立おお、1レントゲ

ン8.7  Sv、1レム10mSvず換算した。

(7)H.J.Muller,“Artificial Transmutation of the Gene,”Science, Vol.66, No.1699 (July 22,1927),

pp.84-87

(8)日野川静江・山厎正勝線『増補・原爆はこうしお開発された』(青朚曞店,1997幎),41 頁。

(9)䞭川前掲曞 泚(3)22 頁。

(10)同䞊曞19 頁。

(11) アルバカヌキヌ・トリビュヌン線『プルトニりム人䜓実隓 : マンハッタン蚈画』

広瀬隆蚳・解説小孊通1994幎

(12)「米の攟射胜人䜓実隓 次々厩れた機密の壁 地方玙蚘者が远跡 6幎」『朝日新

聞』1994幎 2月 1日

(13)笹本埁男『米軍占領䞋の原爆調査 原爆加害囜になった日本』(新幹瀟,1995)。

(14)䞭川前掲曞 泚(3)46 頁。

(15)Kusano NobuoAtomic Bomb injuries Tsukiji Shokan1953

草野信男『原爆症改蚂新版』築地曞通1995幎

(16)䞭川前掲曞 泚(3)16-18 頁。

(17)䞭川前掲曞 泚(3)30 頁。

(18)高橋博子『封印されたヒロシマ・ナガサキ米栞実隓ず民間防衛蚈画』(凱颚瀟,2008)

(19)ECRR2010日本語版前掲曞 泚(1)74頁。原著p.38.

(20)䞉宅泰雄『死の灰ず闘う科孊者』岩波新曞、1972幎

(21)䞭川前掲曞 泚(3)68-73頁。

(22)同䞊曞116頁。原論文は次の通り Alice M. Stewart; J. W. Webb; D. Hewitt,"A Survey of

Childhood Malignancies,”British Medical Journal, i 1495, 1958.

(23)同䞊曞118 頁。 John W. Gofman, Arthur R. Tamplin, "Low Dose Radiation and Cancer,"

paper presented Oct. 29, 1969 at the IEEE Nuclear Science Symposium, San Francisco.

(24)同䞊曞 149-151 頁。 Thomas F. Mancuso, Alice M. Stewart, and George W. Kneale,

"Radiation Exposures of Hanford Workers Dying from Cancer and Other Causes," Health

Physics Journal 33, No. 5 (November 1977): 369-384.

(25)䞭川保雄は『攟射線被曝の歎史』の䞭で、T65DからDS86ぞの倉曎に原子力掚進偎の深刻

な危機を芋お取ったが、ABCCを匕き継ぐ珟圚の攟射線圱響研究所のホヌムペヌゞの蚘

述では、あたかも粟床を高めるための改蚂であったかのような印象を䞎えおいる。

Page 15: ICRP ECRR - researchmap

http://www.rerf.or.jp/glossary/ds86.htm 2011幎 10月 19日 閲芧

(26) 「原子攟射線の生物孊的圱響に関する委員䌚(BEAR)」は 1970幎に名称倉曎し、「電離攟

射線の生物孊的圱響に関する委員䌚」Committees on the Biological Effects of Ionizing

RadiationBEIRずなった。

(27)ガン・癜血病の増倧はその埌䞖界的芏暡でも進行しおおり、5060幎代の栞実隓による

フォヌルアりトによる圱響が懞念されおいる。

(28)高線量領域においお盎線性の仮定は間違いではない。たた、现胞の修埩機構や攟射線ホ

ルミシス論を根拠に、䜎線量領域では傷害が党く珟われない閟倀が存圚し、閟倀以䞋で

はむしろ有益ですらあるずいう䞻匵に察し、ICRPの閟倀なしモデルは䜎線量でも危険

性がなくならないこずを䞻匵する点で積極的な歎史的意矩を持っおいる。ICRPの閟倀

なしモデルの採甚は、スチュワヌトやゎフマンのような䜎線量被曝の危険性を蚎え続

けた研究者たちの掻動の成果だずも蚀える。

(29)ECRR2010日本語版前掲曞 泚(1)78-81頁。原著pp.41-43.

(30)2003 Recommendations of the ECRR :The Health Effects of Ionising Radiation Exposure at

Low Doses for Radiation Protection Purposes, Edited by Chris Busby with Rosalie Bertell,

Inge Schmitz-Feuelhake, Molly Scott Cato and Alexei Yablokov,(Green Audit Press, 2003)

(31)ECRR2010日本語版前掲曞 泚(1)第 4章「攟射線リスクず倫理原理」参照

(32)たずえば、広島で被ばく䜓隓をし、60幎にわたり内郚被爆の研究を続けおきた医垫の肥

田舜倪郎は鎌仲ひずみずの共著『内郚被ばくの脅嚁原爆から劣化りラン匟たで』

(ちくた新曞,2005幎の䞭で ECRRの芋解を玹介し、そのモデルを支持しおいる

(33)DRPH/2005-20: Health consequences of chronic internal contamination by radionuclides.

Comments on the ECRR report “The health effects of ionising radiation exposure at low doses

for radiation protection purposes” and IRSN recommendations., p.25.

(34)A.E.Okeanov, E.Y.Sosnovskaya, O.P.Priatkina,”A national cancer registry to assess trends after

the Chernobyl accident; Clinical Institute of Radiation Medicine and Endocrinology Research,

Minsk, Belarus,”Swiss Medical Weekly 2004,134,645-649.

(35)Tondel M.et al.,”Increase of regional total cancer incidence in North Sweden due to the

Chernobyl accident?”Journal of Epidemiology and Community Health, 58, 1011-1016, 2004.

(36) The 2007 “KiKK” Study – IPPNW Physicians Issue Warning, Information published by

IPPNW / Ulm Physician’s Initiative – January 2008. “KiKK” stands for „Epidemiologische

Studie zu Kinderkrebs in der Umgebung von Kernkraftwerken“ (EpidemiologicalStudy of

Childhood Cancer in the Vicinity of Nuclear Power Plants)

(37)C.C.Busby,Very Low Dose Fatal Exposure to Chernobyl Contamination Resulted in Increases

in Infant Leukemia in Europe and Raises Questions about Current Radiation Risk Models,

International Journal of Environmental Research and Public Health,2009,6(12),3105-3114.

(38)ECRR2010日本語版前掲曞 泚(1)16頁。原著p.5.

(39)ECRR2010日本語版前掲曞 泚(1)339-342頁。原著pp.246-248.

(40)ECRR2010日本語版前掲曞 泚(1)279-286頁。原著pp.181-187.


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