●通りに開かれた広場
ローマの中心をテヴェレ川が流れている。この
川を遡っていくと,ウンブリアと呼ばれる中山間
地方に辿りつく。そこはダ・ヴィンチやラファエ
ロの絵の背後に描かれているような景観が展開し,
そのひとつの丘の上にペルージアは築かれている。
ペルージアの街に入るには,急な坂を登らねば
ならない。古代ローマよりさらに古いエトルリア
時代の城壁に開けられた門を潜ってからも,坂道
は続く。そして,坂道を登りきると,一気に視界
が開ける。そこで目にするのは,これまで歩いて
きた道とはまったく違う広さの,大きく明るい道
である。丘の尾根筋のこの道は,ヴァンヌッチ通
り*1と呼ばれ,南北に400mほどの長さがあり北端
がやや高い。そしてその北端にゴシック期につく
られた大聖堂が位置する。大聖堂は東西に長いの
で*2,ヴァンヌッチ通りの終端は大聖堂の南側長
辺にあたり,この大聖堂では人々は側面から出入
りすることになっている。この前は広場(11月4日
広場)になっており,その中央には13世紀の大噴
水があり,大聖堂の側面ではロッジア(柱廊)が
アーチを描いている。
大聖堂の向かい側にはパラッツオ・ディ・プリ
オリ(行政・司法館)がある。やはりゴシック期
のこの建物は,そのままヴァンヌッチ通りに沿っ
てのびている。この建物は広場と通りの結節点に
あり,北面を広場に,東面を通りに,ふたつの面
が一体となって都市に顔を向けている。このこと
は重要な意味をもつ。なぜならば,広場の賑わい
を大通りに,大通りの歩みを広場に,流動させる
一体感をこの場所につくりだしているからだ。通
りはいわば広場の拡張であり,広場は通りに向か
って開かれているのである。ここにこの上もなく
魅力的な通りと広場のあり方が実現している。こ
の特徴は隣のトスカーナ州にあるシエナのカンポ
と呼ばれる広場と比べるとはっきりする。カンポ
はペルージアの広場とほぼ同時期につくられたが,
そこでの一体感は囲われること,すなわち周囲か
らの閉鎖性によって成立している。これに対して
ペルージアの広場と通りは,丘の頂部を貫いて,
まるで大聖堂前の大噴水から街に水をいきわたら
せるかのように明るい軸となっている。
●いろいろな道
ヴァンヌッチ通りが魅力的な広場の拡張となり
得ているのは,ここに車が入ってこないことが大
きい。そのためこの道は中世以来の佇まいをその
まま感じることができるのである。ペルージアは
丘の上の街で尾根まで上がれる道は限られている。
人々は街に入るときは丘の下の公共駐車場に車を
止めて,ヴァンヌッチ通り南端の19世紀に解体さ
れた要塞跡のなかに設置されたエレベータとエス
カレータによって上がってくる。街の地下にはト
ンネルが掘られ,街を横断したい車はそこを通る。
図2 大聖堂前の11月4日広場 右が大聖堂南側面の出入口、この正面に
ヴァンヌッチ通りが開ける、中央に大噴水、その背後にロッジア
図1 ヴァンヌッチ通り 奥の明るい部分が大聖堂、その左手前がパラッ
ツオ・ディ・プリオリ
が現れるということである。それらの間に主従は
なく,どちらかが変わればもう一方も変わってし
まう関係にある。このことが城壁や水道橋のよう
な土木的スケールから,噴水や祠のような小さな
スケールまで密接に影響しあっているのである。
それはいわばどこも動かしがたい立体的なレイア
ウトであって,都市全体がひとつの建築的複合体
としてかたちをなしているのである*3。都市の道
は大きな建築のなかの通路や廊下であり,広場は
ホールなのである。噴水や祠はホールを華やかに
演出する家具であったり,壁に穿たれた飾りであ
ったりする。このように一般には建築の分類から
外れてしまうもの,建築を支える土台であったり,
建築の周囲にセットで配置されているもの,そう
したものの豊かさが,場所の豊かさをひきたてて
いるのである。
このことによって旧市街に入るのは店舗へのサー
ビスなど必要最低限の車に限られてくる。さらに
ヴァンヌッチ通りにとって幸福なのは,100mほど
東に平行して走る道があることである。こちらを
車の通行できる道とすることで,ヴァンヌッチ通
りはほぼ一日中車を閉め出すことに成功している。
ペルージアの魅力的な道は他にもある。大聖堂
の裏に回ると,曲がりくねりながら下る坂道があ
り,その先には人がすれ違えるくらいの細い道が
谷をまたいで走っている。これは中世の水道橋の
上で,ときに住宅の屋根をかすめながら,周囲の
起伏のある土地の上を歩くような立体的な視覚体
験が得られる。また,パラッツオ・ディ・プリオ
リのヴァンヌッチ通り側には大きなアーチが開い
ている。ここは街の西に下りて行く道の出入口で
あり,道の上部に建物があるとも,建物の一部が
道につながっているともいえる状態である。ペル
ージアでは建物と道が一体であることは,しばし
ば建物から道を跨いで,もうひとつの建物へとア
ーチが架け渡されている光景を目にすることでも
理解できる。
●建築的複合体としての都市
ペルージアの道を歩きながら目にする光景は,
建築と都市,建築と土木,建築と工作物が切り離
しがたく一体化している様子である。道と建物の
関係が図と地であるということは,図と同時に地
*1 「ヴァンヌッチ」は、この街出身のルネサンス期の画家、ペルジー
ノの本名。ペルジーノはラファエロの師である。
*2 一般にキリスト教会は西から入り東(オリエント=方向)に向かっ
て拝礼するが、このことはしばしば覆される。ペルージアの大聖堂は反
対で西が奥である。
*3 イタリアの建築家、アルド・ロッシは自著で以下のように言ってい
る。「都市とは、本書が対象とするところのものは、ここでは一個の建築
のようなものと了解されたい。建築といったからといって、必ずしも都
市の目に見える姿やそのなかにある建築総体のことだけを念頭において
いるわけではない。むしろ私が考えているのは、構築行為としての建築
の方である。脳裏にあるのは、都市の構築作業が時間のなかで行われて
いく様子だ。」ここでは、ふたつのことが言われている。ひとつは都市を
大きな建築のように見なすということ、もうひとつは建築を名詞として
考えるのではなく、動詞として考えるということである。すなわち、都
市とは建築的複合体が(行為として)建築され続いている状態だ、と主
張しているのである。(文献②p.3)
●参考文献
①walking around PERUGIA, Azienda di Promozione Turistica dellユ
Umbria, 2000 (ペルージアの観光パンフレット)
②アルド・ロッシ、福田晴虔、大島哲蔵訳『都市の建築』大龍堂書店、
1991
③『イタリア旅行協会公式ガイド3 フィレンツェ/イタリア中部』NTT
出版、1995
④鈴木恂『回廊』中央公論美術出版、2004
図3 ヴァンヌッチ通り 南側に向かって明るい通りが開かれている 図6 北に下る坂道、その先に中世の水道橋が続く
図4 パラッツオ・ディ・プリオリ
(A)と大聖堂(C)、ヴァンヌッチ通り
図5 道を跨いで架け渡されたア
ーチの連続、壁には祠