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pearlplus.sakura.ne.jppearlplus.sakura.ne.jp/horiguchihitomist2.docx  · Web view【堀口ひとみ物語】1998(23歳)-2003(28歳) 堀口ひとみ物語は、実際に現場で働いてた頃の記憶に残る話をエッセイとしてまとめたもの2

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【堀口ひとみ物語】1998(23歳)-2003(28歳)

堀口ひとみ物語は、実際に現場で働いてた頃の記憶に残る話をエッセイとしてまとめたものです。2008-2009年にかけて、かないずむシークレットルームという会員制サイトをメンターの金井豊氏と運営しており、その時に連載していたものに加筆修正を加えました。

独立する前の「かないずむ」に至る前の私の姿です。読んでくださる方に、物語を通して、行動する勇気や新しい視点などをお届けできれば幸いです。

★プロローグ

大学1年生の夏休み、人生初のアルバイトを探していた。

新聞広告を見ていた。

『裏方的な仕事がいいな・・・』。

その時、条件や立地的に目に留まったのがすかいらーく系列のファミレス「Yesterday」だ。

外観が西部劇にでてきそうなカウボーイがいそうな雰囲気で、大人っぽく見えてファミレスなのに入るのを躊躇していた店だ。

しかし、大学になってから使っている駅からの帰り道、なんとなく目にしていたから応募してみた。

職種は、厨房。

厨房の仕事になれば料理もうまくなるだろうし、それに、接客というのは人前に出る仕事だから、私みたいな顔や性格ではできないから、厨房がいい。

人生初の履歴書を持って、普段着で面接に出かけた。

中に入ると、昼なのにちょっと暗い。

ウエイターの人たちの制服も、ホテルみたいだ。

緊張したが、それを見せないそぶりでいた。

バーカウンターに通された。知らないお酒がいっぱいある。

社員が来た。髪を固めて、キリっとして清潔感のある男性だ。

「厨房を希望しています」

「フロアーはどうかな?絶対フロアーのほうが向いていると思うけど」

「え???私みたいなのは、できないと・・・・」

「いや、絶対フロアーがいいと思う」

それから、40分位説得された。

「はい、わかりました・・・・」

私の何がフロアー向きなのか、さっぱりわからなかった。

でも、ほかに探すのも面倒だし、こんな私でもOKと言ってくれるならがんばってみようと思った。

結局、4年間ファミレスでアルバイトをした。

ウエイトレスを希望するような仲間は、とても明るくて自由奔放で、そういう自分んありたくて、積極的になじむようにした。自然と自分らしさをどんどん出していけるようになった。これが本来の自分だと感じた。

サービス業を通じて、相手が喜ぶことを先に考えて行動に起こし、喜んでもらうことはやりがいのある仕事だと感じた。私が30歳位になった時に、年下の人たちにサービス業の素晴らしさを伝えられる人になりたいと思った。

外食産業で4年間アルバイトをしたので、自然とマクドナルドに興味を持った。

会社説明会で、入社2年目の社員がグランドオープンを手掛けるドキュメンタリーが大スクリーンに流れた。私は、それを見て感動をし、『絶対にこの会社に入りたい!自分の性格的に、あいすぎる!』と思った。いつか、自分が経営者になるかもしれないと思ったから、経営学が学べるというキャッチコピーにもひかれた。そして、ボーナスが決算賞与含む9カ月!創始者の藤田田さんと3月13日生まれで一緒だったのも運命を感じた。

1996年7月内定を頂く。

1997年4月からは、家から一番近いマクドナルドに勤務することに決まった。

それでは、時はさかのぼって・・・1998年入社2年目のお話から始まります。

第1話 ドナルドのおもちゃの販促。

■1998年 23歳 マクドナルド入社2年目の秋。

私が子供の時に一番利用していたトピレックプラザ店というところに勤務していた時の話。

そのころのマクドナルドは、まだ藤田田政権で、販促商品として、101ダルメシアンキットとか、マクドナルドキティちゃんとか、ハンバーガー以外も商品としてよく売っていた。「ドナルドのおもちゃ」という商品があった。

どうやったら売れるだろうか?ただ、レジに置いただけでは、売れない。

マクドナルドで1000円は高い商品。はっきり言って、エリアでも、みんな苦戦をしていた。

そんなときに、店長から売れるようにPOPを作ってくれと言われたのだ。

Windows95が実家にあったし、POPづくりは私の得意なことだったから、

店長は何かと頼んできたし、自分でも好きで作っていた。

とか言いながら、当時の仕事の原動力は、反骨精神。

このころの私は、店長のことをあまり好きではなく、

仕事を頼まれるたびに、なぜか嫌悪感が生まれていた。

(なぜそんなに怒っていたのか?今も謎。。。。その感情もどこかへと昇華していったのか?)

でも、自分に対しても厳しかったので、

この店長を、ぎゃふんと言わせられるものを、絶対に作る!!!と意気込んだ。

やはり仕事を頼まれたら、意地でもすぐに結果を出したいと思った。

ドナルドのおもちゃは、袋に入っていて、お楽しみ袋的な感じになっている。

1000円で結構入っていたのだが、まずは、そこに入っているおもちゃを

好きになるように、自腹で買った。 

次に「これ、結構面白いよねぇ!」とかいいながら、バイト達も何となく巻き込んでいくことにした。

そして、見せ方だ。レジのところにPOPとして、置いてあるだけでは、これ下さい。

と、指さして言う人も少ないだろうと思った。

そこで、ひらめいたのが、ワゴン販売。

ワゴンを買いたいと店長に言った。

浅草橋のシモジマまで、店長のワゴン車を借りることにした。

いつもの実家の車より車高も高いので、ビビりながら、一人で運転していった。

TVが付いていたので、なんだろう?ってスイッチを押して見ながら運転した。(笑)

シモジマへ着いたが、配送商品のため、ワゴンがすぐに買えなくて、へこんだ。

店長の上司のオペレーションコンサルタントがストアツアーで見に来ることになっていた。

ちゃんと売る体制を店でとっているのかどうか?チェックしに来る。

ということで、ワゴンをすぐに間に合わせることができないのは、

サラリーマンとして、まずい状況に陥った・・・

マクドナルドは、UP TO YOU!が標語のようになっていて、

自分で本当にどうにかしろ!という空気がいつも流れていた・・・・・

ワゴンは買えなかったけど、いいことを思いついた。

トピレックプラザ店の横に、イトーヨーカ堂があったのだ。

「店長、イトーヨーカ堂からワゴン借りてきますよ」と言って、交渉しに行った。

「ほぅ」とか言って、店長もちょっと苦笑いしていたと思う。

本当にワゴン借りられた!!そして、見事に販売点数が伸びたのだった!

第2話 ハンバーガー大学で1位を獲る作戦!

■1998年12月 23歳 マクドナルド入社3年目。

私は、世界初セルフピックアップ方式の日比谷シティ店に

グランドオープン社員として、異動した。

前の好きではなかった店長も、異動するときには、うちの母にこんなことを言っていたらしい。

「本当に、がんばってくれました。今度のお店は本当に大抜擢なのですよ!」と。

ほぉ。まあ、かなりがんばりましたから(笑)

今度は、店長、ファーストアシスタント、私 で、社員MGR3人のお店。

アルバイトが30名、月商は900万円くらいのストアだった。

グランドオープンが落ち着いた5月頃、店長、私と、2人社員のお店になった。

今度の店長は、かなり、きっちりしており、私にもあまり何も言わない。

(あとで聞いたら、女性MGRだし、私を敵に回したらこわそうだから と、言っていた(笑))

言うときは、本当に的をついて言われるので、この人にはついていきたい。と思った。

むしろ、背中を見て学びたい人だった。

3年目となると、No.2のポジション、タイトルで言うなら1ST ASST MGRへ

昇進する人も現れ始める。

UP TO YOU な会社のため、3年目でファーストアシスタントに

なれれば、出世街道まっしぐらだ。

私は、3年目に入り、ファーストアシスタントマネージャーを目指していた。

店舗では日々、成果を出すために、アクションを起こしていた。

MDPという、マネージャーディベロップメントプログラムというテキストを

進めていき、店長にいろいろとOJTで教えてもらいながら、ある程度進むと、

今度は本社のある新宿アイランドタワー38階のハンバーガー大学(HU)にて、5日間の講習を受ける。

ファーストアシスタントマネージャーのためのクラスは、IOCと言って、ハンバーガー大学の中でも、面白くて難しいという評判のクラスだ。

■1999年夏 IOCの受講のときとなった。IOCでは、さまざまなことを学んだ。

メインとなった内容は、「ストアツアーをして、店舗分析をし、店舗の真の問題点を探る」という、

実習だ。グループに分けられ、店舗視察を実際にする。

その日のスケジュールは、

店舗観察をして、グループで模造紙にまとめ、発表の準備までする。という流れだった。

私たちのチームは、新宿南口店となった。スーツを着たまま、店舗のあらゆるところを観察する。

「ニーズ評価用紙」というのがあり、店舗のチェック項目がいくつも書いてある用紙を使いながら行う。

・クオリティ

・サービス

・クレンリネス

・ピープル

・プロフィット

いろいろな項目について、現状を視察していく。

そして、そのお店が一番改善するために必要なこと、

つまり、真の問題点を見つけ出すという作業だ。

厨房や、客席、クルールームといって従業員の事務所までチェック。

私が気になったのは、フランクソーセージがぬるいこと。

アルバイトの人たちが、名札を付けている人と、いない人とさまざまいたこと。

細かいところの掃除が行き届いていないこと。

私のお店は、店舗格付けチェックで、AAAの店舗であったので、

本当にいろいろなところが気になりまくったのだ。

チームのメンバー、それぞれがチェックをし、まとめはなんと、カラオケボックスにて。(笑)

どこでもよかったのだが、そこになった。チームの発表ということで、そういうのは燃える。(爆)

どうやって、注目を集めようか?そんなことばかりを考えていた私。

どうせ発表するならば、説得力を持たしたい・・・・模造紙で発表することは、基本的に決まっていたのだが、奇をてらうため、何かをしたいとずっと考えていた。

ひらめいた!

スクリーンに写真を写して、見ている人も臨場感あふれるように演出しよう!と。

その頃は、携帯の写メもないし、デジカメも主流でない時代。

じゃあ、どうしようということで、使い捨てカメラを買って、店舗の写真をマイペースに撮り続けた。

「カシャ」 

フランクソーセージを湯煎するウォーマーや、掃除が行き届いていなかった、コーラシロップの台。

アルバイトの人たちの休憩室。よし、これならば、楽しいプレゼンができる!と、

プレゼンの時をイメージしながら、楽しくて仕方なかった。

模造紙に、店舗の真の問題点を、まとめる。

「社員とアルバイトのコミュニケーション不足が挙げられます」と書いた。

改善策として、

・年に4回のパフォーマンスレビューをきちんとシステム化する。

・クルールームのインフォメーションボードをきれいに掲示する。

など、人の問題の解決策について挙げた。

翌日、発表の時を迎えた。

ハンバーガー大学のプロフェッサーに

「あのぉ、写真を撮ってきたので、それをOHPで、映し出しながらプレゼンしたいのですが」

と申し出た。そんな発表の仕方をした人は過去にいなかったらしく、

「お!!!」とビックリされた。

ニヤリ。

プレゼンも無事に成功し、5日間の熱いクラスも終了の日。

IOCのクラスの中での最優秀賞、ウイナーの発表となった。

テストが、やたら難しく、点数がいい人が少なかったクラスだったので、

実技や授業態度の方の評価で選びました。ということで、な、なんと、自分がウイナーをGETした。

「ほぉ!」

びっくり。

でも泣いた。

マクドナルドはずるい。

いつも、こういう講義のあとに、感動のビデオが流れるのだ。ピープルビジネスマクドナルドだ。

それをみたら、本当にこの会社でよかった!って洗脳される。(笑)

「ウイナーを獲ったら、ほんとすごいよ」と店長が言っていたので、

早速、びっくりさせようと、店長へ電話で報告したら、

「ヘェ!!!!!!!」って、声が裏返った。(笑)

考えてみると、この人のためにがんばりたい!みたいな、教えてくれる人への敬意みたいのは、

いつでも持っていた気がする。だから、すぐ報告したかった!

店長もオペレーションコンサルタントも、

部下がウイナーをとったということは、自分たちの実績へもつながるし、

WIN-WINな目標設定もまた、マクドナルドの仕組みなのか?!

第3話 三田駅前店異動(悲)劇・・・・・

■2001年3月 25歳 マクドナルド三田駅前店へNO.2MGRとして異動。

グランドオープン社員で、2年3か月もいた日比谷シティ店から

ようやく異動辞令が出た。普通、1年半もいれば十分な方なので。

異動をしたきっかけは、実は自分の一言だったのではないかと思う。

グランドオープン店舗では、トリプルAAAを5期連続でとりつづけ、

私としてもこれ以上努力の余地がない。ってくらい頑張ったので、

もっと刺激を求めて、そろそろ異動したいなぁ。と思っていた。

そんなとき、店長の上司の上司にあたる、オペレーションMGR、

通称OMが、日比谷シティ店に来た時に、ここぞとばかりに言った。

「私、このお店でやることがなくなってしまいました・・・・

異動させてください!」と。

このことを、知っている人に言うと「OMにそんなことを言えたの?」と

びっくりされるが、全く普通なことと思っていたが。何か? 笑

ということで、間もなく異動先が決定した。

MADE FOR YOU という、ハンバーガーの注文がレジで

入ってから作る方式のテストを行っている、「テスト店舗」への異動となった。

(今は、どこでもMADE FOR YOUとなっている)

三田かぁ。慶応大学があるところだ。

きっと、学生でいっぱいの店舗。意外と忙しいのかな?

そして、住んでいた大井町から二駅という、かなりの好立地。

三田駅前店へとりあえず、挨拶、挨拶っ。

ということで、休みの日にコージーコーナーのマドレーヌを持って、

夕方にお店へ行ってみた。

お店は、OPENして3年目くらいのきれいな店舗だった。

最初の印象としては、かなりいい予感がした。

いい予感が3分後に

し・か・し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・になった。

事務所へ行った。

事務所は、店舗から離れた近くのマンションの1室にある。

そこへ、部下になる予定のK野さんに案内された。

K野さんは、スポーツしていました的な体格で170センチくらい。

インテリ的なメガネをかけていて、礼儀正しい。

しかし、たまに、愛嬌のあるお困り顔をする。

・・・・・・事務所玄関・・・・・・・・・・・・・・・

入ってすぐ、ワッ っと。

き・た・な・すぎる。・・・・・・・・・・・

事務所が汚い。

ああああ、これは、アルバイトと社員のコミュニケーションが

きっと悪いだろうな・・・・社員MGRがアルバイトに魅力的に思われてないと、すぐに感じた。

マクドナルドは、高校生や大学生が多いので、社員MGRがあこがれの対象になることもある。

そういう方が、アルバイトがやはりついてくるのだ。

決してきれいとは言えないスリッパを履いて、MGRルームへと行った。

眼鏡をかけた店長がのけぞる感じで、デスクチェアに座っていた。

緊張感なし。

 「おおお!堀口かぁ!日比谷シティ店すごいよね。堀口に期待しているよ、頼むよ!

・・・・あ、僕は掃除が苦手でね・・・・ここの事務所もきれいにしちゃっていいからね」

(あの、私、呼び捨てで呼ばれたことないんですけど・・・・)

トピレックプラザの店長も、日比谷シティの店長も書庫には必ず鍵をかけて、

机の上には、一切物を置かない人で、いつも机をきれいにして

帰宅していた。そういう背中を見ていたので、本当にカルチャーショックッ!

・・・・・・・・・・・・・

「クルールーム汚いですね。掃除なら大好きですので。任せてください。

 あ、これ、お菓子持ってきました。皆さんで食べてくださいね!」

いや本当に、事務所が汚いし、バイトの人たちの様子も、なんか、生意気そうだし・・・・・

素直な日比谷シティ店が、一瞬恋しくなった。

なんか、山の手地区のお嬢様が下町地区へ嫁に行く感覚?になった。

(あれ?もとは、下町出身だったか 笑)が、

よーーーーーーーーーし!

あれをやりたい、これをやりたい・・・と、マクドナルド専用の

胸ポケットに入る大きさのTODOリストに早速書き込む。

・クルールーム掃除

・MGR ROOM掃除

・クルータイトルボード作成

・下駄箱テプラの色をそろえる

・クルーインフォメーション掲示板をきれいにするやることいっぱいだぞ!!!!!と、

かなりメラメラとやる気の炎が燃え始めた。

第4話 三田駅前店で味方をつけろっ・・・

■2001年3月10日 まもなく26歳 三田駅前店勤務開始。

初日から気になることがあった。

それは、店長が、ピークのときに、ちょろっとしかお店に入らないことだ。

(ま、いっかこれは・・・・しばらく様子を見ないとわからないし。)

店長と話す機会があった。

私「店長、前回の三田のグレーディング(店舗格付けチェック)は、何だったんですか?」

店「A・B・B だよ。今度、5月にまたグレーディングあるからな、堀口頼むよ!トリプルA」

(え?クレンリネスこれでBなの?!)

「今度は、5月ですね。がんばってみます!」といっても、これは、相当やること満載だ。

いや、これホントに血眼になって働くことになりそう・・・ま、飛ばすか・・・・・。

そのほか気になったことといえば、

主要のアルバイトたちは、卒なく仕事をこなすが、グレている感じがした。覇気がないのだ。

なんかみんなの顔に「不満あり」と書いてある気がした。

一体、その「不満」って何なのだろうか?

だんだんと、馴染んできたら、直接みんなに話を聞いてみよう。

さて、クオリティ、サービス、クレンリネス。

すべてをトリプルAにするにあたって、一番厄介なのが、

クレンリネス。これに関しては、日々メンテナンスを入れていかないとそんな簡単にAなんて獲れない。

どこのお店もクレンリネスのAを取ることには、やはり苦戦するのだ。

とにかく、やることいっぱいと感じていた私は、体を張ってでも、改善項目をいち早く改善したいと思って、店舗での仕事を終えたあとから、残業の時間を使って改革を行うことにした。

マクドナルドの仕事は、店舗運営と店舗管理と両方ある。

店舗運営というのは、時間帯責任者としてお店に立って、指揮をとったりすることだ。

店舗管理というのは、面接、採用、発注、シフト作成、機械のメンテナンス、クルーミーティング(アルバイトのことをクルーという)査定、コストコントロール、などのことを指す。

社員MGRのシフトは、オープン、D番、クローズとあり、規定は9時間拘束の8時間労働だが、

ほとんどの時間は店舗運営として、生産性に入っているため、店舗管理の仕事は残業として

やるということが多い。

仕事を早く済ませる方の私でも、朝6時からのオープンの日は、夜の19時までいることが普通だった。つまり13時間くらい仕事場にいた。

私は、三田駅前店の中では、店長の次の位置ということで、NO.2といわれるポジションだ。

愛嬌のあるお困り顔の2歳下のK野さん(男性)と、小柄で不器用なところもあるけど「僕は・・」って言いたいこともちゃんと言う1歳下のM田さん(男性)も数ヶ月後にやってきた。

さて、異動して間もなくの私は、オープンシフトが多かった。

店舗ニーズ評価を作成し、お店の改善点をどんどん改善することに意欲を燃やした。

お店の中では、しっかりと仕事をこなし、アルバイトの人たちを年に関係なく、

丁寧に さんづけ で呼んだ。

褒められるところが見られると、「よくできていますね!」と見逃さずに声をかける。

私もみんなの様子を見ている。

アルバイトの人も、新しいMGRを様子見だ。

私にはいつも作戦があった。

それは、自分が一生懸命にやることだ。

最初に、やろうと思ったことは、クルールームをきれいにすること。

しつけが先か、愛情が先か?ということがあるが、

アルバイトを指揮していくのにあたって、まずは愛情面ということで

気持ちのいい場所で、働いていただく。ということが、人間的に必要なのではないかと、

感覚的にわかっていた。

だから、私は掃除からまずはいる。

クルールームに、ポットがあって、カップラーメンなどを食べるときにお湯を注ぐものだが、

なんだか汚い。

みんなが使用するトイレ。ここのタオルは、いつ替えたのだろうか?やばい。

スリッパ。新しいものをすぐに買った。

ベランダに、下駄箱があるが、履いていない靴もありそうだし、

みんなの名前が、テプラテープで貼ってあるけど、テプラの色が青、赤、白とバラバラである。

また、名前も付いていない人もいるらしい。

そういう、バラバラ感は、お店のバラバラ感にもつながるし、

丁寧に扱われている感じがしないので、きっと不安も広がるだろう。

アルバイトの制服入れのロッカーも、汚らしい。

ユニフォームがないのですけど・・・・という事件もたまに発生してしまう。

という具合に、愛情が先なので、ちゃんとみていますよ!感、

(一人一人の存在を認める)環境の安心感、信頼性を構築することから始めた。

そして、物を大切に扱うことで、モノ自体にも見えない愛情を降り注ぐ。

まず、最初に着手したのが、クルータイトルボードだ。

これは、アルバイトのタイトル、写真と名前が書いてある自己紹介ボードみたいなもの。

マクドナルドでは、アルバイトにタイトル(役職)があって、一番責任感のある役職が、

SW-MGRと言う。アルバイトだが、社員がいなくても、彼らがお店の時間帯責任者を

全うすることができる、大切なポジションだ。

そして、その下には、トレーナー(TR)がいる。

アルバイトのTRは、トレーナー以上がすることになっている。

なので、クオリティの基準、たとえば、レタスのグラム数や、ミートを焼く温度、

レタスの賞味期限なども彼らはちゃんと覚えている。

女性のアルバイトで、花形はSTARと呼ばれる子たちだ。

ユニフォームも普通のアルバイトと違う。カウンターの人たちのTRをしたり、

お店のサービスについて考えたり、お誕生日会を主催したりもする。

そして、その下に、A-CREW、B-CREW、C-CREWとなる。

大体月1200万円くらいのボリュームのお店は、50人くらいのアルバイトがいる。

同じ店舗のチームとして、お互いコミュニケーションをとることは、とても大事だ。

そんな一緒に働くメンバーたちの写真が、タイトルごとに並べられた

大きなタイトルボード(80㎝×1.5m位)が壁に掛けられているのが、標準的なルール。

売上と一見直結しなそうなことなのだが、従業員満足度がお客様満足度につながるという、

ES=CSというマクドナルドの考え方は、本当に好きだ。

しかし、三田駅前店の大きなタイトルボードは、まるでゴミのように

部屋に横に倒されて置かれ、明らかに死んでいた・・・・・・。

私は、最初の仕事として、私がいることで変化された。を、感じてもらえるには、このボードの復活をさせることが一番いいと思った。おまけに、クルータイトルボードは、写真も載せるものなので、

写真を撮りながら、コミュニケーションもとれると思ったのだ!

オープンシフトが終って、15時半くらいにクルールームへ戻る。

よしやるか!と思って、そのタイトルボードをまず立て掛けることから

始めた。「よっこらしょ・・・・・」と重そうに持っていたら、

色の白い、秋田県出身で、かわいらしい顔をした華奢な19歳のH坂くんが、

「手伝いましょうか?」と言って来た。

「うん、手伝って!!!!!(よしゃ!一人味方につけたぞ!)」

なんか、彼は手伝ってくれそうな気がしていた。

それに昼、彼のオペレーションを見ていたのだが、とても丁寧だった。

彼をまず巻き込み、これをどうにか早く仕上げたいんだよね。と、

目的意識を明確にした。

すると「わかりました」と言ってくれた。

そして、数時間後今度は、ちょっと気が強そうで、ぽっちゃりとして、

アルバイトの中でも、お姉さん的存在のSATRをやっている22歳のO崎さん

が、「堀口さん、何しているのですか?」と笑顔で声をかけてきた。

(よっしゃ!二人目GET!!!)

また、趣旨を説明した。

「わたし、みんなの写真撮りたい!!!」といって、本当にすぐに行動に出てくれた。

この子を味方につけたい!と直感的に思っていた。

「写真の撮り方なんだけど、こんな風に大きめにとってね。

そして、みんなをスマイルさせてね」と指示をだした。

夕方のお店へ戻って、さっそくいる人の写真を撮りはじめた。

そんなわけで、メキメキと、タイトルボードが出来上がってきて、

クルールームへ戻るのが楽しくなってきた!異動して1週間で完成した!

異動して、2週間目、お茶の水SC店に偉い人たちがたくさん来るので、

堀口さん、ヘルプ行ってください!と頼まれて1日だけお茶の水SC店へ

行くことになった。異動して、やることがいろいろありすぎて、疲れていたので、

他店へ行くことは、気分転換にもなって、ちょっと気持ちが楽になった。

しかし・・・・・・

ヘルプが終って夕方。

・・・・・・・・・・あああ、貧血っぽい・・・・・・・・・・・・・・・・・

フラフラした。

私は、そのまま駿河台日本大学病院へ行くことにした。

子供のころから健康そのもので、小、中、高の皆勤賞。

こんな私が、病院へ行くこと自体、本当に珍しかった。とりあえず、内科へ。

「ああ、帯状疱疹ですね。体力が落ちているときになりやすいんですよ。

入院していただくか、点滴するために3日ほど通っていただきますが、どうしますか?」

「えぇ!入院ですか?????いや、点滴にします」

そういえば、最近、左側の背中に発心ができていた。

それも、帯状疱疹の影響だったらしい。

すぐに、お店に電話をし、5日ほど休ませてもらうことにした。

K野さんが、電話に出た。

「え?大丈夫ですか?お店はどうにかしますので、しっかり休んでください」と言ってくれた。

異動して2週間目で、社会人になってはじめてダウンした。

がんばりすぎだろうか?

5日間、安静状態。

しっかり、休息がとれて復活っ!

2か月でトリプルAを取らなくては!

今度は、クオリティについてチェックしていく作業に入ってきた。

目標を見つけたら一直線の私は、無我夢中で、グリルやフライヤー、コーラシロップ、シェークマシーン、コーヒーマシーンなど、あらゆる機械のメンテナンスをすることにした。

今思えば、かなり猪突猛進。

あまり、やる気のないアルバイトにとっては、厳しい人来ちゃったな。と思われたかもしれない。

実際、とっつきづらそうにしている人もいた気がする。(気のせい?)

しかし、潜在的にやる気のあるアルバイトを触発していった。思惑通りだ。

そのうちの一人、完全なる私の味方が現れた!

「ひとみ嬢!」と私のことを呼んでくださったのは、いつも6時から9時半のオープンだけ入っていて、

仕事が終わると、次の仕事に向かっていく、喧嘩っ早い江戸っ子でゲタをカラコロと音をさせてお店に来る60歳のO谷さんだ。

第5話店長にモノ申す。 

「ひとみ嬢は素晴らしいね!

いや、今までいた社員の中で、君はピカ一だね!本当に素晴らしい!」と、べた褒めしてくれた。

O谷さんは、三田のマンションに一人で住んでいる60歳の男性だ。

オープンが終わったら、次の仕事に出かけているらしい。

そういえば私がマックを辞めても何をしているのか?聞いたことがなかった。

これは、私の性格上、必要のないことは省く。というのがあるからだ。

江戸っ子のO谷さんは、ちょっとしたことで怒りやすい。

なので、オープンシフトに入っていた、ほかのアルバイトが、怖いと思っている人もいたらしいが、

私がO谷さんの仕事について、いろいろと認め始めたら、優しくなっていった。

今まで細かいところまでは、社員に教わっていなかったらしく、

自己流になってしまっているところもあったりしたので、正しいやり方。というのも再度見直し、

ミートの温度の測り方などもTRし、MGRがやる、ワンランク上の仕事も権限委譲することによって、

信頼しているということを態度で示すようにした。

そして、さらに力をつけてもらった。

オープンのクオリティに関しては、O谷さんをしっかりと押さえておけば

大丈夫だと思った。

さて、次はお昼のクオリティ。

三田駅前店のSW-MGRたちは、(アルバイトの時間帯責任者)オペレーションは素早いし、

安定している。

そのことに関しては、各自とても自信アリ。という感じだった。

あとは、より高い基準を目指すべく、新しい知識を覚えてもらい

MGRとしてのレベルアップのためスキルをTRすればいいと思った。

しかし、もっと覇気が欲しいところだった。

「不満あり」の正体はいったい何だろうか?

お昼の時間帯は、学生やサラリーマンで、溢れ返り、入口から人が出るくらい並ぶ。

12時から12時半で6万から8万円くらい一気に売り上げる。

1日のうちで、一番アルバイトも入っており、20人体制だ。

日比谷シティ店のときは、セルフサービスのマクドナルドだったので、

昼のピークは、10人もいたら、ちょうどよかった。

なかなか、20人を動かしていくというのも、慣れていないとできない。

おまけに、MADE FOR YOUという、新しいオペレーションのため、

まずは、それから覚えることが私の仕事になった。

そういうのもあって、厨房にもいることが多かったが、やはり、昼ピークは、慣れているアルバイトに任せて、私は、カウンターの方で、ドリンカーに入って、カウンターからの

      

             「M OJプリーズ」

   「Mコークプリーズ」

                    「コーヒープリーズ」

に反応しながら、1秒でも早くお客様へ商品が届けられるようにドリンクを入れまくっていた。

初日におや?と思っていた、店長が昼ピークにしかお店に入らないという件だが、

本当にそういう日が続いた。それも、マクドナルドの制服ではなく、自分のスーツの上着だけ脱いで、それにマネージャーハットをかぶった状態で、ちょこっと厨房に入るのだ。

明らかにルール違反だった。

これが、みんなの「不満あり」の理由だ。

とうとう、アルバイトに聞いてみることにした。

ずっと、三田駅前店で働いているSW-MGRS口くんに聞いてみることにした。

なんだか、情報屋みたいな感じもしたので。

「店長、いつも、制服着ないの?」

「ええ、そうなんですよ」

「誰も、これまでの社員は注意しないわけ?」

「はい・・・・・・・・・。店長、きっとOCぶってんじゃないですかね。。。」

「そっか・・・・じゃあ、私、店長に言うわ」

「お願いします」

彼は、お願いします。と言いながら、これまでの、楽な時代が終わってしまうのかもしれないという終焉感も感じたのか?あまり、浮かない顔をしていた。(いや、むしろ明治維新と思ってほしいが・・・)

社員のK野さんにも聞いた。

「なんで、みんな注意しないの?」

「諦めているんです。言っても無駄だと・・・・」

例のお困り顔で言った。

「んんん。。。。」

みんなして黙認している。

誰か言ってくれ状態だ・・・・・。

それに、正しいことをはっきり言うには、自分には嘘がなく正しいことをしっかりしている。

という自負がないと言えない。やはり、楽したいために言わなかったというのもあったのか?

だいぶ裏を取ったのだが、私自身、人に注意をしたことがこれまでの人生、あまりにもない人間なので、ちょっと弱気になった。

そんなとき、前の日比谷シティの時の店長に相談を入れた。

その店長は、マックでも月3000万も売れる忙しい店で大奮闘中だった。

ジャンボコークコンテストがあったのだが、日本一売り上げていた。

やはりできる人は、どこへ行っても伝説を作る。

「三田の店長、制服着ないんです。直接バシっと言ってもいいですよね」と。

「言った方がいい」と速攻返事が返ってきた。

勇気をもった私は、店長に言う決心がついた。

…………………………

決戦の日。

相変わらず、いらないPOPがロッカーの上に置いてあったり、

MGRが被る、紙のハットが適当においてあったりするMGRルームにて。

時間は昼ピークが終って13時30分。まったりとした、5時間目の教室みたいだ。

店長は、スーツJKを脱いだ状態で、いつものようにデスクチェアーに

座って、メールのチェックをしたり、店長ワークをしていた。

MGR ROOMは、私と店長だけになった。

「店長、お話があります。気になっていたことがあるのですが、

制服着てください。そして、もっとお店に入ってください」

「おおお、わかった、着るよ」

ちょっと、バツが悪い顔をした。

直球ストレート。

あっさり三振だった。

ああ、誰かに言ってほしかったパターン。

いまさら、変えられないよねパターン。

はまっていた店長、をもしかして救出したのかも?

…………………………

次の日から、店長は制服を着るようになった。

アルバイト達も、びっくりしているものもいたが、ニヤリとしているものの方が多かった。

私ももちろんニヤリ。

店長は、以前より生き生きしていた。お店に入る時間も長くなっていった。

そして、店長がちゃんと制服を着たので、もう楽ちんではいられない。

というのが感覚的にわかったのか、ちょっとピリっとしている。

なんだかお店の中の風通しが一気に良くなったし、

AAAに向けての目標も、みんなで共有できそうな雰囲気になってきた。

STARで姉御肌のO崎さんが、にやにやして私のところにきた。

「堀口さん、店長に制服着てって言ったの? (笑) 」

「そうそう、言ったよ(笑)」

「やるねぇ!あ、今度リサもオペーレーション(作る方)教えてほしいな!」

(O崎さんは、自分のことをリサと呼ぶ。)

「O崎さん、STARからSW-MGR昇進すればいいね!こちらも助かるし!」

O崎さんは、ちょっとちゃっかりとした雰囲気を持っている。それはいい意味で。

人に対して実はかなりシビア。好き嫌いもはっきりしている。

また、彼女を慕っている高校生アルバイトもたくさんいた。

ということは、彼女を育てることで、私の仕事も楽になって、キャパが広がると思った。

今後、計画性を持って、どんどん私の仕事を教えることにした。

さて、次はサービスに関してテコ入れすることに・・・

第6話スマイルの理由。 

店長は制服を着るようになり、お店のことについていろいろと言ってくることも増えた。

基本的には、NO.2の私に任せると言っている。

店長を観察していると、
「ひろし~」「リサー」「洋介~」と、アルバイトをしたの名前で呼んでいた。
ずいぶんと話しやすい雰囲気を醸し出そうとしていたのか?地なのか?


だからか、アルバイトのSW-MGRたちとは実はよく話をしていた。

今思うと、三田の店長は、とても共感性が強いタイプで、アルバイトの話に対して、

「そうだよなぁ!」で話が終わっていたのかもしれない。

MADE FOR YOUという新しい方式のテスト店舗ということで、
その立ち上げを任され、

私が異動してきたころは、
一仕事終えた感じみたいのを持っていたのかもしれない。

そんな店長の右腕に私が来たのも、今となってみては、
役割としてとてもはまっていたのかもしれない。昔の私には、そんなこと考える余裕もないわで・・・・
わ、だらしない店長。私頑張らなきゃ!

というベクトルだけだった。

また、店長は人から嫌われたくない。みたいなのも、きっとあったのか?
マック歴がやたらと長い、

40代女性のSW-MGRがモノをはっきりと申す
タイプで、その人がやっていることが、

明らかに正しくないことがあった時に、
「堀口から言ってくれ」と頼まれたことも実はある。

頼まれたら仕方ないし、私も思うところがあったので、実際、はっきりと言ったのだ。


店長は、その様子を見て「堀口さすがだ!」(ニヤリ)と、言われたこともある。

そんな店長に、「サービスミーティングをやってみて」と言われたことがあった。

ミーティングかぁ・・・・そういえば、ちゃんとやったことないし、


みんなの意見を引き出せるのか?とっても心配・・・

マクドナルドのMDP(マネージャーディベロップメントプログラム)に
ミーティングをする。

という章があって、ちょうど私の1ST ASST MGRの
課題の項目でもあった。

私は、MGRROOMのマニュアルビデオが入っている、書庫を開けて、
「ミーティング」という項目のビデオを取り出してみることにした。
ついでに、書庫も整理しておいた。

夕方のあまりアルバイトもいない時間帯のクルールームにて・・・・


そのビデオは、さすがの外資系企業なだけあって、出演は外人だ。
吹き替えになっている。

NHKの海外ドラマでありそうな、あのような吹き替えと同じテンション。
ああ、外人がしゃべっているわぁ・・・・なんて、ちょっとわざとらしさを面白がりながら。

「ジョン、いいこと言っているわ!」なんて、そういうセリフもさらっと言えるのが
外人。

みたいな印象があった。

ビデオを見ながら、要点を記入していった。

 ・ミーティングを何分やる予定なのか告げる。・ミーティングの目的を伝える。
・ 脱線をしているときは、ちゃんと戻す。
・意見を言わせるようにする。
・決まったことをまとめる。
・決まったことを、誰が担当するのか?決める。
・実行に移しているかどうか?ちゃんとフォローしていく。

よし。

と、イメージトレーニングをして、今度のミーティングに備えた。

ミーティングのテーマは、サービスの項目で、Aを獲得すること。

そのために、どういうことをしていけばいいのか?
作戦を練る。ということだ。

私は、みんながいろいろな意見でそれすぎないように、
はじめから、グレーディングでチェックされるサービスの項目を
知ってもらうことから始めた。

グレーディングまで、1か月しかないので、どうするかを考えたが、
Aを取るためにはズバリ、項目の事項をアルバイトが全員できていればいいわけで、
こうやって、狙うときは、ストレートに相手の評価のポイントを抑えに行くことを考えて、
いつもやっている。それによって、スキルアップする機会にもなるし、一石二鳥だ。

それについてどう意識をして、アルバイトをTRしていくか?
みたいな話をしていきたいと定義した。

サービスミーティングは、STARのO崎さんと、同じくSTARのS見さん、
そして、主婦のSW-MGRのH本さん、タイトルはないが、
長いことマクドナルドでアルバイトをしている主婦のS藤さんの4人。
共通するのは、とっても笑顔が自然で、
気の利く接客ができているということだ。

ミーティングを始める前に、そんな三田のサービスチームについて
思ったことを話すことにした。

「私、スマイルがいまだに心からできていない気がするのですが、
なんで、皆さんは、そんなに自然とスマイルできるのか知りたいですよ」と。

そうそう。私は新入社員の時に、「スマイル固いねぇ」といつも指摘を受けていた。
「レストランでバイトしていたから、ホテルっぽいサービスの仕方なのかもね」
などど、「別に悪くないんだけど」的な感じで言われながらも、
「ここは、マクドナルドだから、元気な感じが欲しいよね」と、いつも言われていた。

自分の気持ちに正直なことしかできない性格のため、
笑えないものは笑えない。だけど、丁寧な接客を心掛ければいいかな。
って思ってみたり、とりあえず、口角をあげて笑っている風を装ってみたり、
いろいろ考えた。

結局行き着いた考え方は、「ほんとに笑えちゃうので、笑っています」
となることを目標にしたいと思っていた。だから、三田のみんなが、スマイルを自然にできている
その気持ちの持ち方を聞いてみたかったのだ。

「皆さん、スマイルが自然ですけど、何考えて仕事しているんですか?」と。

S見さん「目の前のお客様の機嫌が悪いほど、笑わせたいと思いますよ!


スマイルください!と言われたら、おもち帰りにしますか?(笑)と聞いて、


袋にスマイルをしてみせる!」目を輝かせながら言った。

O崎さん「リサもそうだよ。お客様にスマイルさせたいね」

ほんとにみんなすごいと思った。
いつも笑っているのだ。

その話を聞いて、4年間もスマイルって、何だろう?と考えていたのが、
始めてしっくりした。(遅すぎっ)

私も、目の前の人を笑わせることならできる。(ニヤリ)

スマイルをしなくてはいけない。となると、スマイルをすることが
目標になるけれど、目の前の人を笑わせるが目標となると、
スマイル以外の、話術でもできるし、可能性が広がったのだ。
結局普通にしていればいいんだと思った。

それ以来、高校生にも「アップルパイも食べますか?」など、
マニュアル外の行動にも出たりして、楽しめることできたのだった。

さて、サービスミーティングでは、4人が、アルバイトの誰をTRするか?
というチームわけによって、それぞれが責任者として、
アルバイトの人を1週間採点することにした。

エクセルで表を作成し、カルテみたいにした。
普通の紙だと、楽しさがないので、少し厚紙で、紙の色は
ピンク色を使うことにした。もらった方も、採点してもらった感を
味わうことができて、お得な感じもすると思ったので。

そうして、グレーディングまでの朝から夜まで、時間が許す限り、
カウンターのアルバイトのTRがみっちりと行われるようになった。

採点され、チェックを受けることというのは、
実はアルバイトは喜んでいる。フィードバックは大切なことで、
あなたのことをちゃんと見てますよ。という承認にもつながる。
それに、誰だって向上心を持っている。そう信じて、そこをくすぐればいいのだ。

店長もミーティングに出席していたが、
最初にしては良くできていたと評価してくれた。

さ、グレーディングまであと数日・・・・・・・・

第7話権限委譲の4 STEP  

三田駅前店に異動して1か月、4月も後半に入ってきた。
クレンリネス→クオリティ→サービス とお店をみてきた。
あとは、グレーディングの日も近いので、
もうちょっと突っ込んだところを改善していくことにした。
アルバイトのユニフォームや名札などのアピアランスについてだ。

マクドナルドは、「アピアランス」という言葉を
普通にアルバイトも使うくらいに、身だしなみを意識させる。

みんなの制服が入っているロッカーの中を着手し出した。
辞めたバイトの分もいまだに入っていたり・・・
所狭しとハンガーが、ひしめき合っていた。
「よし、やるか」って、こういう仕事は、私がやってはいけない。

社員MGRは、社員MGRしかできない仕事というのがあるので、
それ以外は、仕事が見つかると、いつもだれに振ろうか?と反射的に
考える癖がついている。

それを「権限委譲」という。この言葉も、社員内でよく飛び交う。
権限委譲は、ほかの人を通じて何かを成し遂げるスキル。と定義づけられている。

これは、入社して2年目くらいに教わるのだが、
人にものを頼むときにいまだに活用している。

「権限委譲の4STEP」は、こうだ。

1.仕事を確認する
2.人を選ぶ
3.やるべきことを伝え確約をとる
4.フォローアップする

こんな風にテキストに書いてあるのだが、
マクドナルドのテキストの徹底性で、すごいなぁ。と思うことは、
練習問題が用意されており、
こんなときは、どうやって頼みますか?みたいなワークまである。
ワークで、イメトレできたら、次は現場で試す。

★方法を知る⇒イメトレする⇒現場で試す⇒完全にできたと体験する。

もしかしたら、こういうステップを通して、私はいろいろなことが
できるようになったのかもしれない。

習得の4STEPとでも名付けるか・・・・

おうおう、物語の途中だった。

みんなの制服が入っているロッカー。
主婦のSW-MGRH本さんに、アピアランス向上のために
いろいろやってほしい。と、伝えた。

すると、ロッカーを整理しながら、
H本さんが、「私、洗ってきちゃいますよ!」と、言ってくださった!
ものすごい大量にあったが・・・・本当にありがたい!(涙)
とても協力してくださったので、本当に感激した。

アルバイトに「ユニフォームちゃんと洗濯してる?」と聞くときに、
彼らが、「1枚しかないので・・・・」という言い訳にならないようにするには、
こちらから、ちゃんと「2枚持ってる?」ってまずは、聞いてあげあることが
必要なのではないかと思った。なので、ヘビーに入るアルバイトの人たちに
ちゃんとユニフォームを適正枚数そろえることにした。

すっかり、ロッカーに余裕ができたし、
新人用にユニフォームを今後発注しなくても、
ある程度持ちそうになったし、コストコントロールにもなった。

アルバイトの名札も見直した。
透明なテプラテープで全員そろえた。

H本さんは、とても安心感があって優しいイメージの方。
トピレックプラザ店のときの主婦の人たちは、
「これはこれ、あれはあれ」みたいに、こだわりがすごく、
頼もしい=主婦というイメージがあったが、
H本さんは、すごくマイルドだった。

もしかしたら、三田は男性のMGRばかりだったので、
サービスチームの発展が、止まっていたのかもしれない。

ということで、お店の中で時間があれば、いろいろと細かいところまで
毎回OJTにて教えることを、心がけるようにした。
1日1日を意識していかないと、どんどんTRというものは、
優先順位を後にして流されて行ってしまうものだ。

こうして、細部にわたるところのチェックも終わって、
ついにグレーディングの日を迎えた。

第8話グレてます。

三田駅前店に来て2か月の奮闘も成就し、トリプルAを予定通り獲得した。
店長に、「堀口すごいなぁ!」と言われたことだけ覚えており、
その時の自分の気持ちはどうだったのか?あまり覚えていない。
清々しかったのか?誇らしかったのか?嬉しかったのか?
おそらく、達成するまでの行動を起こしている時の気持ちの方が、
印象的なのだろう。

それから三田駅前店の時に、

フロアーコントロールコンテストというのもエリアで1位を獲得。
関東地区でも3位入賞も果たす。

今になって思えば、とてもありがたいことだったのだが
店長が、フロアコントロールチェックシートをよくつけてくれたし、
採点する側の気持ちはどうなのか?ということを親しい上司に
聞いてみたり、結果を出すためにどうしたらいいのか?を考えて
戦略的に行動を起こしていった。

何か目標を立てたら、それに向かって準備して、必ずいい結果を出す。
表彰とかが多い会社なので、成功体験を積めたことは、
今も、行動するうえで、いいエンジンとなっている。

そんな調子で、成果というものは、ちゃんとあげていったのだが、
マインドの成長はどうかと言うと、嫌な記憶が残っている。

ビジネススキルの成長の方は、マニュアルやハンバーガー大学で教わるが、
マインドに関しての成長を教えてくれる人は、そう言えばいないものだ。

今の私から、昔の私に声をかけるならば、
「良い成果を出しているのに、怒っていてはもったいないですね」と
言うだろう。

業績目標で、店長が立てた目標をやらなかったことがあった。
店長に、「なんで、この目標はやらなかったんだ?」と訊かれ
「私の優先順位と違うのでやりませんでした」と、
めちゃくちゃ生意気な発言をした。

そんなセリフを堂々と言ってしまう裏には、今思うと、
「私、やることやってんだから、なんか文句あるか?!」
みたいに思うところがあったからだろう。
それが、反骨精神という言葉においてのセリフなのかもしれない。

いい結果も出しておきながらも、自分のネガティブな感情が、
ポツリポツリとたまに出現するのだ。犬飼ターボさんのいう、グレ子か?
決まって、年上に対して、グレ子が出てくる。

その態度は、人から言われにくいオーラ満載であるので、
自分で何事も気付いていかなくてはいけない人生となる。

それが、プラスに働くと素晴らしい成果を出せるのだが、
マイナスに働くと、体を壊す。(壊しましたね)

それでも私にいろいろと言ってくれた人たちが
存在したことは、今は感謝の気持ちで胸が熱く、涙がこみ上げる。
ありがたみは、自分が精神的に成長しないと気付けないものなのか・・・

グレに気付いたのは、31歳になってからだった。
電話の向こうの母に発したその言葉が、グレていた。
友達が「グレてますね」らしきことを言ってくれたことで、
「おや?」と気づいた。
それは、また今後の物語で・・・・

話は戻って・・・・・・・・・

店長に、「堀口についていけないって、O崎が言ってたぞ」と
言われたこともあった。トリプルAを常に意識しすぎて、
アルバイトたちと距離が遠くなってしまったのだ。

その後、ちょうどO崎さんが、ずっと付き合っていた彼が失踪してしまう
という事件が起こり、彼女のプライベートの相談に乗ることになって
関係は修復してはいったが、根本的解決にはなっていなかったかもしれない。

三田にいるときに、9.11の大惨事が起こった。
夜中、まだ事務所におり、友人のメールで事件を知り、
事務所で、TVをつけたことを記憶している。

やがて、三田の店長が、異動することが決まった時に、
「次は仕事ができる店長が来ますように!」とO崎さんと、
増上寺まで三田から歩いて、拝みに行ったこともある。

そ・し・て・・・・・・・・

新しい店長登場。
H店長。
身長が高くて、すらっとしていて、いつも姿勢がいいが、
柔軟性はなさそうだ。銀縁の眼鏡をかけている。

制服は、ちゃんと着て、お店にも結構登場する。
お店の生産性に入ると言うよりも、
いつもお店に問題点はないか?という視点で
TODOリストにやることをたくさん書いていた。

その中の仕事を、社員にどんどん振っていくのだ。
私のことは、やはり呼び捨てで「堀口」と呼んでいた。

確かに仕事はできたのだが・・・・・・

この店長は、私以外の社員も
みんな大変!なことになった。
みんなのストレスが、どんどん溜まっていった。

全部仕事が指示型で飛んでくるので、
前の店長の放任型と全く逆だったのだ。

何をやっても、ずっと否定され続けたと感じ、
特に社員のMさんは、もう、クタクタで、見ていてかわいそうだった。
社員3人で、どうしよう。と集まって飲みに行ったこともある。

アルバイトも、トリプルAもとって、しっかりとやっていたと自負も
もちはじめていたころだったのに、H店長が、わざわざお店のレイアウトを、
変えていこうと計画を立てたり・・・・。

江戸っ子のO谷さんも、怒りっぱなし・・・・。

なぜ、そんなことをするのか?アルバイトたちにも波紋が広がっていく。
NO.2として、理解しようと、みんなに説明しようと思ったが
無理だった。店長は、お店のみんなを堂々と敵に回していた感じだった。

私の転職へのカウンドダウンがこのときから
はじまっていたのかもしれない・・・・・

第9話雨のち晴れそう? 

H店長になって、初めてミーティングが行われた。
三田のファミレスにて。

これから、店をこうしていきたい。協力してくれ。
という内容だったと思う。
相変わらず指示型で、堀口はこれ、Mはこれ。
ということで、どんどん指示された。
どうやって理解するかは後で考えるとして、一旦受け入れた。

大学生の時、ファミレスでアルバイトをしていた。
自分がミスし、それを社員に指摘されたときに
自分を正当化する発言をしたことがあり、その時に言われたのが、
「意地っ張りだね」と。

その返しを聞いて、自分がとても愚かと感じ、
その時点から、相手と自分の考えが違うと、一瞬感じたとしても
絶対に反論しない。と決めた。
だまってコツコツとやることが美徳だとおもえた。

なので、これまで店長が、いろいろいたが、
上からの指令に関しては、自分なりに理解をして
上司の期待以上にうまくやりたい。と思って動いてきた。

どうにか理解したいので、理解ができないときは、お店以外で
前の上司とか、友人とかに相談をすることも多かった。

ここにきて、マクドナルドの半額バーガーの業績が芳しくなく、
ボーナスが、いままで年間8か月分だったところが、
大幅カットの5.5か月分になるという社内報がやってきた。

指示型店長のH店長×業績悪化。
というところから、遂に、今まで考えたこともなかった転職が頭をよぎる。
マクドナルドという会社が好きだったし、お世話になったところを裏切れない
江戸っ子的義理人情気質も高い方だと思う。

しかし、現実問題、20代で店長になりたい!という夢があったのだが、
業績が悪化しては、お店も減るだろうし、それになにしろ自分が
マクドナルドで店長をやっているイメージができなくなっていた。

マクドナルドでの女性店長像を想像しても、男の職場だし、
これ以上、男っぽくなりたくないぃぃ(爆)とも思ったし、
果たしてこの職場で、体力的にも、精神的にも、
店長が勤まるのかどうか?という一抹の不安もよぎった。

前の上司、日比谷シティの店長は、そのころ、オペレーションコンサルタントに
昇格したので、さらにいいアドバイスがもらえるかもしれないと思って
相談してみることにした。

相談を始めたら、涙が止まらなかった。
「こんなにお世話になっている会社なのに辞めるなんて・・・」
そんな気持ちばかりが大きくなっていた。

しかし、日比谷シティの時の店長は、冷静に聞いてくれた。
「まだまだ若いんだし、これからもっと可能性が広がるかもしれない」と
背中を押してくれた。

きっと、心の中では辞めた方がいいと辞めない方がいいと50%ずつ
だったのだが、信頼していた人からの助言で、
「辞める100%」に一気に決まった。

母には、そういえば相談したことはなく、いつも結果だけを伝える。
「そうよ、マック大変よね。体壊すわよ・・・・。辞めるの賛成だわ」
と、こちらもあっさり。

決まったら速い。
2002年3月 27歳。
すぐに「とらばーゆ」を買ってみた。

ぱらぱらとめくってみる。

やっぱり、飲食業か?

しかし、マクドナルドほど魅力的なところはない。
私は最上思考が強みにあるので、大学4年の就職活動するときも
最大手に行く。と、決めていた。

そして、マクドナルドという、とってもファミリアな企業に決めた。
そういうのが、自分ぽいと目論んでいたし。

最大手。という視点で見ていては、
ない、ない、行きたいところ・・・・である。

そこで、ふと頭によぎったのは・・・・

「あ、マック同期の真由美ちゃん、アパレルの店長していると言っていた。
私も、背が高いからアパレルいけるかも!」
ほんと、着想はそこからだ。

もう、このあたりから、大手に行くとか、そういうことは
どうでもよくなっていた。自分の思い込みが外れた。

そのかわり、よぎったのは「アパレルに転職したんだ!」と言って、
ほとんどの人の想像外の選択で、周りのみんながびっくりしている光景だ。

「びっくりさせる!」これがいつも行動力の源となっている。いまだに。

アパレルのページをめくる。

全く服に興味はない。
私の行く世界ではない。

しかし、私が行く世界ではないのに、
コネクトしてしまったキャッチコピーがあった。

「マネジメントできる方。給与月30万・40万・50万」

「わおぉ!!!!!!!」

どちらかというと、給与に目がとまった(爆)
お金もらえるなら、何だって頑張れる。

一応、DUDAも買ったのだが、男向けすぎて合うところがなかった。

決まったら速い。

とらばーゆの後ろのページの方に、職務経歴書の書き方が載って
たので、さっそくWORDで書いてみることにした。

マクドナルドに入ってから、自分が経験した店舗の規模、
アルバイトの人数、月商などを入れ、リアリティを持たせる。
そして、表彰されたこと、任された仕事など、事実をどんどん書いていく。
アパレルのことは、全く知らないので、下手に書かない方がいいと思って
素直にマクドナルドのことだけ書いた。

ただの紙っぴらでは、かわいらしさがないので、
右下に、葉っぱの絵をつけた。
これが、果たしてカッコイイのかといえば、そうでもないが。(笑)

履歴書は、何回か手書きで書いた。
そして、封書で送った。

まずは、書類審査だ。

マクドナルドの社員内の空気が、業績悪化に伴って
ちょっと変わりつつあった。

三田駅前店では、なんだか最近は転職の話で
盛り上がるようになってきた。

4月だったので、K野さんが、異動をした後に、
新入社員の女の子も入ってきた。

私も彼女にもちろんいろいろと教えたりしていたのだが、
当然、私が転職する話もしてしまった。
正直者すぎるだろうか。

当たり前のように、担当エリアのオペレーションコンサルタントに
電話で、直々に怒られた。

「お前、新入社員がいるのに転職の話をするとは何事だぁ!!!!!」
「申し訳ありません。これから気をつけます」と言ったが、
よし、4月中には決めちゃおう!と逆にやる気を喚起された。

第10話初 RESTIR東京 

職務経歴書と履歴書を送ってから数日後、
面接の日程の電話が来た。

「やった!」と思ったが、本当にアパレル?!と気持ち的には不安
も結構大きかった。なんと言ったらいいのだろうか。
いつも、とりあえず直感で飛びこんでから考えるタイプだ。

ま、いつものことなのだが、今回に関しては、自分に不適応な
ところに飛び込んでいるわけで・・・・

ほんとに、ほんと、超不安・・・。
下町のねえさんが、いきなりNYにお引越し?!
という表現が一番近いか?(笑)

そわそわ・・・・
カッコイイところに行くというのが、私自身ものすごく抵抗があったので、
地に足がつかない状態・・・・。

この顔でいいのか?
このメイクでいいのか?
この服でいいのか?
このセンスでいいのか?

一番心配したのは、やっぱり顔だ。

アパレルの人って、きれいな人が多いイメージだし・・・・

私、お化粧、薄いし。
どうしよ。
どうしよ。

とりあえず、面接当日のスーツを買った。
それも、OL御用達的なSHOPで。(そういう店しか入れないし!!!)
私のアパレルのイメージは、ブラック。
ブラックのパンツスーツにした。
背が高いことでごまかすか・・・(爆)

思い立って、とらばーゆ買って、履歴書投函して、面接になるまで、
わずか2週間。

もちろん、三田駅前店のシフトも入っていたので、
OPENシフトの日を、面接の日に指定した。

・・・・120%の力を振り絞って、あとは運命に任せよう・・・・

まずは、RESTIRのHPをチェックした。
RESTIRの意味は、 RE 何度も STIR 驚かせる・びっくりさせる
そういう意味だった。
夢を叶える場にしてほしいと、社長の思いが書いてあったのが
とても印象的だった。なんかとってもかっこよかった。

行っておかないとまずいと思ったので、リステア東京へ。
本当に、たまたまなのだが、2001年の10月位のOggiで、
【SHIHO一日店長 神戸発 RESTIR 東京に進出!】
という記事があって、何だかカッコイイSHOPだなぁ。
いつか行ってみたいなぁ。と思って記事を切り取っていたのだ。

オシャレはそんなに興味のない私が、スクラップするなんて、
沖縄に雪が降るくらいあり得ないことなのだ。

その記事をもう一度見ることになるなんて・・・
全部で6P分の特集だった。
いざ、RESITR東京へ。

(えええええ、ここで働くことになるのかな?
顔的、センス的に 超、ムリ・・・・・)

白い壁にガラス張りのそのお店は、異空間でまぶしすぎた。
ほんとうにまぶしかった。

RESITR素敵な店でした!と面接官に言うために、
行きました。という実績は作らないとと思ったので、
2階へも上がった。

落っこちそうな、シルバーのステップを一段、一段と上がる。
緊張しすぎて、店員の顔なんかみられなかった。

とりあえず、一周して、店を後にした。

どうしよう・・・・・ま、面接落ちる方が普通だわ。
と、開き直った。

ソワソワがとまらなかった。
(実は、書いてる今もソワソワしている・・・)

第11話ざっくばらんな面接。

ついに、部下のMさんにも、転職するかもしれないと伝えた。
「ええええ!!!僕も考えてみます」と笑って言っていたが、
来る時が来たな。という顔をした。

面接の案内が送られてきた。
場所は、青山の骨董通り。
リステアの東京事務所だ。

■2002年4月某日 18時 @青山 27歳のわたし。 
当日は、OPENシフトだったが、スケジュールも作らなくては
ならない日で、面接のために17時くらいにマクドナルドの事務所を出た。
「また、戻ってきます」と言って。
その日は、店長がお休みの日だった。

明らかに今日は、どこかへ行くだろう。って感じの黒のパンツスーツで
出勤していたので、制服からそれに着替えたら、
なんだか、もう転職したようにも感じた。

あるブランドが1Fに入っているビルの5F。
果たしてここなのか?というようなビルの側面の
入口のインタンフォンを押した。

「堀口と申します。面接に来ました」
そわそわしながら、そう言った。
ちょうど、ほかの人も同じところへ行くみたいだったので、
一緒にエレベーターに乗った。

パッと、エレベーターのドアが開いた。
薄暗い・・・けど、ところどころキラキラしているように見えた。
そして、一瞬にしてオシャレな雰囲気が私のこころを
、ますますソワソワさせた。

セレクトショップの先駆けなので、アパレルに勤めている
人たちの間では、知られている会社だったらしい・・・。

行ってから初めて、5人のグループ面接であると知った。
前のグループが終るまで、事務所内で待たされていた。

おしゃれすぎる、派手すぎる洋服がラックにかかっている。
自分にとって、本当に居心地の悪い場所だった。
いや、こういう場所が居心地のいい人間になれたほうが、
カッコイイのではないか?

(絶対にこんなファーが付いた服なんて、着られない・・・・
派手だなぁ。このヒョウ柄とかも絶対無理・・・・
ここに就職したら、そういう服も着ることになるのか?
ま、着ることになっても、それはそれで、かなり面白いかも。
とりあえず、アパレルに転職したら、苦手なおしゃれが克服されるかも!)

面接では、自分らしさが発揮できるようにと、
環境に負けず、面白いことを探して、自分の空気にすること。
これは、大学生就職活動のころから心掛けてきた。

強みのアピールの仕方としては、エピソードで伝える。
形容詞で伝えてはいけない。そういう風に、中谷彰宏が言っていた。

なので、エピソードを話しやすいようにと、職務経歴書を書いた。
職務経歴書自体が、エピソードのアジェンダみたいになっている。
相手が、それを見ながら質問もしやすいだろう。

そして、態度だ。
どうすれば、受かるか?
こちらが余裕を持って話していると受かるのだ。

「次のみなさん」ということで、呼ばれた。
会場は狭いので、先ほどの人たちはすぐに帰っていった。

面接官は二人。男性と女性。
二人ともサーファー?!日焼けしている感じ。
それに、アロハシャツを着ている。

私の面接のイメージは、相手もスーツ。
なので、いきなりマニュアル外・・・・・。

5人面接で、私は一番右端に座っていたのだが、
左の4人の格好が、超ラフなので気になった。

頭で考えるよりも先に、口が出た。

「あの?私は、マネージャー候補で来たんですが、
この方たちと同じ面接会場でよろしいのでしょうか?」と。

(これは、自分に余裕を持たす発言でもある)

「はい。ざっくばらんにやってますんで」と、
また、マニュアル外の返答。
石田純一が細面な感じになった面接官が答えた。
VAIOのノートパソコンを開きながら面接をしている。

「はい、わかりました」
そして、面接が始まった。

「なぜ、転職したいと思ったのか?夢は何か?」
一番端の子から答えていく。

みんな、何を言ったのか覚えていないし、
言語が違うため、何を言ったのか分かってもいなかった。

私は、一番最後。

「今、マクドナルドで働いているのですが、
20代で店長になりたいという夢があって、
マネジメントの経験を生かしたくて来ました。
アパレルのことはわからないので、
今日はいろいろ質問させてください」と、言った。

(これにはわけがあって、「私に洋服関係の質問しないでください」
という気持ちの裏返しだ。(笑))

明らかに、左の4人のことは違う発言。
明らかに、浮きまくり。
いや、それで突っ走れ!!!

そして、途中である志望者の発言で気づいたのだが、
アロハシャツの男性が、社長であることを。

(え???先ほどのここでいいんですか?発言、相当直球では?)

相当びっくりしたので、その事実を明らかにするために、
家に帰って社長の情報はネットにないか?と検索をした。

確かに社長だった。

面接の最後の方に、
「私これから、マクドナルドに帰って、スケジュール作成もします!」
と、仕事がんばるタイプであることを、最後まで抜け目なくエピソードを語った。(笑)

はい、120%全力出した!

そして、洋服のことは一言も好きと言わないで、
マクドナルドでのエピソードを語ったので、
これで受かれば、きっと私のやることがあるってことだ。

あとは、相手に任せよう。
運命に従おう。

同時に、人がびっくりする面白いネタ話ができた!と
、ひとり喜んでいた。

そんなことを考えなから、三田駅前店の事務所に戻った。

もちろん、まだ店長には辞めると伝えていない・・・・
RESTIRしか受けていないし、
受からないと次はいつになるか分からないので・・・。

第12話VIP待遇。 

翌日、マックでの店舗のシフトが終わってから、携帯に着信があるのを
確認した。RESTIRからだ。

もちろん、面接結果のお知らせであろう。
再びかかってきた・・・。

「昨日は面接お疲れ様でした。ぜひ、堀口さん、うちで一緒に働きませんか?」と
関西弁のイントネーションで、人事らしき女性からかかってきた。

「ええええ!!!!!私でいいんですか?」

「はい。社長がそのように申しておりまして」

「一度、役員面談ということで、社長を含めた幹部4人と、
堀口さんで、青山事務所でお話をする機会をお願いしたいのですが」

受かったのに、私でいいんですか?と確認をしてしまった。(笑)
通常では、天地がひっくり返るほどおかしい。と自分でも思った。

受かったのに、本当にアパレルに転職していいのか?との考えが
上ったり下りたり・・・。

とりあえず、幹部との面談ということで、異空間の青山事務所へ。

社長を含め、4人の存在感がバリバリあるメンズが座っていた。
男の人が。って書くよりも「メンズ」という言葉が似合う。
これまでの私では、会ったことのなかった違う世界の人みたいだ。

社長が私のことを紹介してくれた。
「マクドナルドで、実績を上げてきた堀口さんです。
うちの会社がこれから大きくなるために、マニュアル的な部分も
必要になるのではないかと思って、そのあたりを堀口さんに
やってもらおうかと思っています」と言われた。

(ああ、よかった、オシャレ以外のところをちゃんと評価してくださったのだ!
これなら、アパレルでもOKと思えるぞ!)

給与交渉の話にもなった、
マクドナルドでの給与が20代後半にしてはいい方だったので、
その水準ははっきり言って下げたくはなかったので、その旨も伝えた。

転職によっての一時的な年収ダウンは仕方ないと思ったが、
すぐに上げるぞ!と意気込み、
とにかく、私のやる仕事がたくさんありそうだ!ということに
メキメキやる気もわいてきた。

私を、等身大で評価してくださったことと、
これから期待されていることを感じた。
そして、幹部の方々とお会いしたし、RESTIRに決めることにした!

「いつから働けますか?」

「マクドナルドの引き継ぎと有給休暇もあわせると、働きはじめは
2か月先くらいになってしまうかもしれません」

「わかりました。では、そちらの都合で決めてもらって構いませんよ」

「あとは、人事と入社日をいつにするか、やり取りしてください」

(実際のところ、4月に内定を頂き、勤務開始は7月1日。
なんと、私の入社まで2カ月以上待ってくださったのだ。
VIP待遇。そのこと自体も、大きな承認であったのだろう。
遅ればせながら、感謝の気持ちが湧いて来た)

転職を思い立って1か月。
応募一社で決まってしまった。

とりあえず、この会社で1年はがんばってみよう。
それから、その先を決めればいい。そう言い聞かせた。

この顔で採用されたが、あくまでも幹部候補ということだし。
幹部ということは、お店にあまり立たないのかな?
なども考えた。今まで店舗というところで働いていたので、
どういう風な働き方になるのか?全く予想もつかなかった。

そして、オシャレコンプレックスを断ち切れるのではないか?!
ということも自分自身に期待した。

決まってからの周りの反応。
マクドナルドからアパレルだ。
そりゃ、びっくりだ。

伝えがいがあるなぁ。(爆)

第13話マクドナルド卒業。

アパレルの内定が決まり、
いよいよ、店長に伝えなければいけない時がやってきた。

このころは、業績が下がり始めた・・・・というニュースが
社内に流れ始めていたので、退職をするということは、
そんなに大きなことではない時期だった。

その流れに最初に乗ってしまったらしい。。。。
なので、あっさりと承諾された。
おそらく、H店長、「去る者追わず」タイプである。

辞めるときには、とてもみんなに祝福された。
江