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8/6/2019 Translation of Genji http://slidepdf.com/reader/full/translation-of-genji 1/9 Genji フォーラム・スペシャル2 世界文学としての『源氏物語』∼ 源氏英訳の課題と可能性をめぐって∼ 開催:2004 年 2 月 28 日 会場:東京・学士会館 主催: 中央公論新社、財団法人エンゼル財団 1 源氏物語・英訳の比較 (1)「桐壺」の巻より ピーター・ミルワード先生による抜粋 協力(直訳作成):江藤裕之先生(長野県看護大学外国語講座(英語)助教授) [ 原文] →玉上琢彌 たまがみたくや 訳注『 源氏物語』( 角川ソ フ ィ ア文庫, 1964) から 引用。 藤原定家の青表紙本が底本。 [ 谷崎] →谷崎潤一郎訳『 源氏物語』( 中央公論新社, 1973) から 引用。 谷崎潤一郎の3 回目の現代語訳( 新々訳)。 Waley(ウェイリー)Arthur Waley, tr. The Tale of Genji(1935), 1.Kiritsubo  Seidensticker]( サイデンスティッカー) →Edwa rd Seidensticker, tr. The Tale of Genji(1976), 1.The Paulownia Court  Tyler ]( タイラー) →Royall Tyler, tr. The Tale of Genji(2001), 1.The Paulownia Pavilion(Kiritsubo) 【 訳の対比】  a . [原文]「限りあらむ道にも、おくれ先 さき だたじと契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」 [谷崎]「死出の旅路にももろともにという約束をしたものを、まさか人を打ち捨てて行くことはできない であろうに」 WaleyEmperor: “There was an oath between us that neither should go alone upon the road that all at last must tread.” →( 直訳) 最後には二人して歩んで行かねばならない道程を、 私たちのどちらも一人きり では行か ないよう にしましょ うという誓いが私たちの間にありました。  Seidensticker “We vowed that we would go together down the road we all must go. You must not leave me behind.” →( 直訳) 私たちが二人で行かねばならない道は一緒に行きま しょ う と誓いまし た。 あなたは、 私 を置き去りにしてはいけません。  Tyler “You promised never to leave me, not even at the end, and you cannot abandon me now! I will not let you! ” →( 直訳) あなたは決して私のもとから去らないと約束した。 たとえ、 終わりのときでも。 だから あなたは今私を見捨てることはできない。 私はあなたにそう させない。  

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Genjiフォーラム・スペシャル2 世界文学としての『源氏物語』∼ 源氏英訳の課題と可能性をめぐって∼

開催:2004年 2月 28日 会場:東京・学士会館 主催: 中央公論新社、財団法人エンゼル財団

1

源氏物語・英訳の比較

(1)「桐壺」の巻より

ピーター・ミルワード先生による抜粋

協力(直訳作成):江藤裕之先生(長野県看護大学外国語講座(英語)助教授) 

[ 原文] →玉上琢彌た ま が み たく や

訳注『 源氏物語』( 角川ソ フ ィ ア文庫, 1964) から 引用。 藤原定家の青表紙本が底本。

[ 谷崎] →谷崎潤一郎訳『 源氏物語』( 中央公論新社, 1973) から 引用。 谷崎潤一郎の3 回目の現代語訳( 新々 訳)。

[ Waley] (ウ ェ イ リ ー)→Arthur Waley, tr. The Tale of Genji(1935), 《 1.Kiritsubo》  

[ Seidensticker]( サイデンスティ ッ カー) →Edwa rd Seidenst icker, tr. The Tale of Genji(1976), 《 1.The Pa ulownia

Court》  

[ Tyler ]( タイ ラー) →Royall Tyler, tr. The Tale of Genji(2001), 《 1.The Paulownia Pavilion(Kiritsubo)》  

【 訳の対比】  

a .[原文]「限りあらむ道にも、おくれ先さ き

だたじと契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」

[谷崎]「死出の旅路にももろともにという約束をしたものを、まさか人を打ち捨てて行くことはできない

であろうに」

[ Waley] Emperor: “There was an oath between us t hat neither sh ould go alone upon th e road that all at

last must tr ead.”

→( 直訳) 最後には二人し て歩んで行かねばなら ない道程を、 私たちのどち ら も 一人きり では行かないよう にしま しょ う という 誓いが私たちの間にあり まし た。  

[ Seidensticker] “We vowed th at we would go together down th e road we all mu st go. You mu st n ot leave me

behind.”

→( 直訳) 私たちが二人で行かねばならな い道は一緒に行きま し ょ う と 誓いまし た。 あなたは、 私

を置き去り にして はいけません。  

[ Tyler] “You promised never to leave me, not even at th e end, and you can not aba ndon me now! I will

not let you! ”

→( 直訳) あなたは決し て私のも と から去ら ないと約束し た。 たとえ、 終わり のとき でも。 だから

あなたは今私を 見捨てるこ と はできない。 私はあなたにそう さ せない。  

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b.[原文]「かぎりとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり 

[谷崎]「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」 

[ Waley] Lady K.: “At last ! Though th at desired at last be come, becau se I go alone how gladly would

I live!”

→( 直訳) その「 最後」 なのです。 そこ ま で望んだ「 最後」 がやっ てき たよ う ですが、 私は一人で

いく ため、 もし 生きるこ とがかなう なら どれだけ嬉しいこと でしょ う 。  

[ Seidensticker] “I leave you, to go the r oad we all mu st go.

The r oad I would choose, if only I could, is th e other.” 

→( 直訳) 私はあなたのもと を 去り ま す。 そし て、 私たちが二人し て行かなければなら ない道を 行

きま す。 本当にできる こ と なら 、 私が選びたい道は、 も う 一つの道なのです。  

[ Tyler] “Now the end ha s come, and I a m filled with sorrow tha t our ways mu st par t:

the pat h I would rather tak e is the one th at leads to life.” 

→( 直訳) さ あ、 今、 その終わり が来てし ま っ たのです。 そし て、 私たちの道が分かれなければな

ら な い こ と を 思 う と ,悲し みでいっぱいになり ま す。 私が、 むし ろ取り たい道は、 生き

ることへと連なっている道なのです。  

c.[原文]「みやぎのの露ふきむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」 

[谷崎]「宮城野の露ふき結ぶ風のおとに 

小萩がもとをおもひこそやれ」 

[ Waley] Em peror: “At the soun d of th e wind th at binds t he cold dew on Taka gi moor, my heart goes out t o

the t ender lilac stems.”

→( 直訳) たかぎ野の冷たい露を束ねる風の音を聞く と 、 私の心はあの若いライ ラ ッ ク の茎に思い

が寄せら れます。  

[ Seidensticker] “At the soun d of th e wind, bringing th e dews to Miyagi Plain,

I th ink of the t ender ha gi upon t he moor.”

→( 直訳) 宮城野へと 露を運んでいく 、 あの風の音を 聞く と 、  

私は、 あの荒れ野に育つ、 ま だ若い萩を 思い浮かべま す。  

[ Tyler] “Hear ing th e wind sigh, bur dening with drops of dew all Miyagi Moor,

my heart helplessly goes out to the little hagi frond.”

→( 直訳) 風のそよ ぐ 音が聞こえ 、 宮城野のすべてを 露で苦しめ、  

私の心はどう すること も なく 、 あの小さ な萩の葉へとよ せら れま す。  

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d.[原文]「鈴むしの声の限りを尽くしても長きよあかずふる涙かな」 

[谷崎]「すず虫のこゑの限りをつくしても 

ながき夜あかずふる涙かな」 

[ Waley] Daughter: “Ceaseless as the interminable voices of the bell-cricket, all night till dawn my tears

flow.”

→( 直訳) いつまでも 続く 鈴虫の鳴く 音のよう にやみそう も なく 、 夜明けま でずっ と 夜通し 私の涙

は流れま す。  

[ Seidensticker] “The aut umn night is too short to contain my t ears

Though songs of bell cricket weary, fall into silence.”

→( 直訳) 秋の夜は、 私の涙を止めるに はあま り にも 短すぎま す。  

鈴虫の鳴く 音が、 疲れ果てて 、 静かになっ ても 。  

[ Tyler] “Bell crickets m ay cry un til th ey can cry no more, but n ot so for me,

for a ll through t he endless night my tear s will fall on and on.”

→( 直訳) 鈴虫は、 もう 鳴く こと ができなく なるま で鳴く でしょ う 。 し かし、 私にとっ てはそう で

はあり ま せん。 と 言いますのも 、 終わり のない夜通し 、 私の涙は止ま るこ と なく 落ち続

け る で し ょ う 。  

e.[ 原文]「 いと ゞ し く 虫のねし げきあさ ぢふに露おきそふる雲のう へ人」  

[ 谷崎]「 いとどし く 虫の音しげき浅茅生に 

露おき そふる雲のう へ人」  

[ Waley] Mother: “Upon the thickets that teem with myriad insect voices falls the dew of a Cloud

Dweller ’s tear s.”

→( 直訳) おびただし く 聞こえ る 虫の音で満ち ている 茂みに、 雲の上に住んでいる人の涙のつぶが

落ちてきます。  

[ Seidensticker] “Sad a re th e insect songs am ong the reeds.

More sadly yet falls t he dew from a bove th e clouds.” 

→( 直訳) 悲し いのは、 葦の茂みから 聞こえ る 虫の音 

でも、 も っ と 悲し いさま で、 露( 涙) が雲の上から落ちてき ま す。  

[ Tyler] “Here where crickets cry more and more unh appily in thinn ing grasses

you who live above the clouds br ing st ill heavier falls of dew.”

→( 直訳) 薄く なり つつある草の中で鈴虫がだんだんと悲しく 鳴く ここ で、  

雲の上に住むあなたは、 水滴( 涙) を 今ま でにもま し てたく さ ん降ら せま す。  

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f.[原文]「荒き風ふせぎしかげの枯れしよりこはぎがうへぞしづごゝろなき」 

[谷崎]「荒き風ふせぎし蔭の枯れしより 

小萩がうへぞしづこころなき」 

[ Waley] Mother: “a poem in which she compared her grandchild to a flower which has lost the tree that

sheltered it from th e great winds.”

→( 直訳) 彼女が、 自分の孫を、 強い風から それを かく ま っ ていた木を 失った花に例えた詩。

[ Seidensticker] “The tree th at gave th em shelter has with ered and died.

One fears for the plight of the hagi shoots beneath .”

→( 直訳) 萩の若芽を かく ま っ ていた木が枯れて死んでし ま っ た。  

その下にある 萩の若芽のあり さ ま が心配になり ま す。  

[ Tyler] “Ever since tha t tree whose boughs took t he cruel winds withered a nd was lost

my heart is sorely troubled for the little hagi frond.” 

→( 直訳)その大きな枝が荒れ狂う 風を防いでいた木が枯れてなく なっ てし ま っ てから と いう も の、

私の心はその小さな 萩の葉を思っ ては、 ただただ苦しいばかり です。  

g.[原文]「尋ねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく」

[谷崎]「尋ね行くまぼろしもがなつてにても

魂たま

のありかをそこと知るべく」 

[ Waley] Em peror: “Oh for a m ast er of ma gic who might go and seek h er, an d by a messa ge teach me

where h er spirit d wells.”

→( 直訳) ああ、 彼女を探し に行っ て、 そのメ ッ セージで彼女の魂がどこ に住んでいるか私に教え

てく れる魔術の達人がいたら なあ。  

[ Seidensticker] “And will no wizard sea rch h er out for m e,

That even he ma y tell me where she is?”

→( 直訳) そし て、 ど の魔術師も、 私のために彼女を見つけ出そう と はしな いのでし ょ う か。  

ま さし く 、 彼女がどこ にいるのかを、 私に教えよ う と するために。  

[ Tyler] “O that I might find a wizard t o seek her out, tha t I might t hen kn ow

at least from distant report where her dear spirit h as gone.”

→( 直訳) ああ、 魔術師を 見つけて、 彼女を 探し 出すこと ができたなら 。 そう し たら 、 少なく と

も 、 遠く 離れた噂からでも 、 彼女の愛ら し い魂が行っ てし ま っ たと ころ がどこなのか

知ることができるのに。  

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 j.[原文]「いときなきはつもとゆひに長きよを契る心は結びこめつや」 

[谷崎]「いときなき初元結に長き世を 

ちぎる心はむすびこめつや」 

[ Waley] Emperor: “a poem in which he pr ayed tha t t he binding of th e purple filet might symbolize the

un ion of their two houses.”

→( 直訳) 紫の網目の結びが、 彼ら の二つの家を 結びつける 印となり ま すよう にと 彼が祈っ た詩 

[ Seidensticker] “The boyish locks a re n ow boun d u p, a m an ’s.

And do we tie a last ing bond for h is fut ur e? “

→( 直訳) 少年の巻き毛は、 今しっ かり と 束ねられ、 成人のものと なり ま し た。  

そし て、 私たちは彼の将来のための末永く 続く 絆を結びま すか。  

[ Tyler] “Into th at first k not to bind u p his boyish h air did you tie th e wish

th at en during ha ppiness be theirs thr ough ages to come? ”

→( 直訳) 彼の少年ら し い髪を 束ねる ための、 そ の最初の結び目の中に、 あなたは、  

絶える こ と のない幸せが、 今後も 末永く 彼ら のものであって 欲し いという 願いを  

結び込みまし たか。  

k .[原文]「結びつる心も深きもとゆひにこきむらさきの色しあせずは」 

[谷崎]「むすびつる心も深きもとゆひに 

こきむらさきの色しあせずば」 

[ Waley] Minister: “answered him t hat nothing should sever this un ion save th e fading of th e purple

band.”

→( 直訳) 紫の絆が色あせる こ と がなければ、 こ の連帯を 不和にするよ う なも のは何も あり ま せん

と 、 彼に答えた。  

[ Seidensticker] “Fast the kn ot which the honest heart h as tied.

May lavender, the h ue of the troth , be as fast.”

→( 直訳) 正直な心が結ぶ結び目をし っ かり と 、 紫のラベンダーよ 、 忠誠( 婚約) の色よ 、  

結び目と 同じ よう に し っか り と 。  

[ Tyler] “In t hat very mood I tied his hair with great prayers bound h enceforth to last, 

just as long as th e dark hue of the purple does not fade.”

→( 直訳) ま さ にその気持ちで、 私は、 こ れから 続いていく ために結びつけながら 、  

大き な祈り と と も に、彼の髪を 結びまし た。ちょ う ど、紫の色の濃さ が色あせない限り は。  

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(2 )「若紫」の巻より ウェイリーとサイデンスティッカーの訳の比較

(資料作成:江藤裕之先生) 

[ オリ ジナルテキスト ]  

藤壺の宮、 悩みたまふこ と あり て、 ま かでたまへり 。 上の、 おぼつかながり 、 嘆ききこ えたま ふ御気色も 、 いといと ほ

し う 見たてま つり ながら、 かかる折だにと 、 心も あく がれ惑ひて、 何処にも 何処にも 、 ま う でたまはず、 内裏にても 里に

ても 、 昼はつれづれと 眺め暮ら し て、 暮るれば、 王命婦を責め歩きたま ふ。 いかがたばかり けむ、 いと わり なく て見たて

ま つるほどさ へ、 現と はおぼえぬぞ、 わびし きや。 宮も 、 あさま し かり し を 思い出づるだに、 世と と も の御も の思ひなる

を、 さて だにやみなむと 深う 思し たるに、 いと 憂く て、 いみじき御気色なるも のから、 なつかしう ら う たげに、 さり と て

う ちと けず、 心深う 恥づかし げなる御もてな し などの、 なほ人に似さ せたまはぬを、「 などか、 なのめなるこ と だにう ち

交じ り た まはざりけむ」 と 、 つ らう さへ ぞ思さる る 。 何ご と を か は聞こ え尽く し た まはむ。 く らぶ の山に 宿り も取らま ほ

しげなれど、 あやにく なる短夜にて、 あさま しう 、 なかなかなり 。  

見ても ま た逢ふ夜ま れなる夢のう ちに やがて紛るる 我が身と も がな 

と 、 むせかへり たまふさま も、 さ すがにいみじければ、  

世語り に人や伝へむたぐ ひなく 憂き身を 覚めぬ夢になし ても  

思し 乱れたるさ ま も 、 いと 道理にかたじ けなし 。 命婦の君ぞ、 御直衣などは、 かき集め持て来たる。  

[ 谷崎訳]  

藤壺の宮がお 患わずら

いなされて、 お里へお下さ が

り になり まし た。 お上が気をお揉も

み遊ばし ていらっ し ゃる御様子も、 ま こと

においたわし ゅう お思いになるのですが、 せめてこう いう 折にでもと 、 心も空にあく がれ惑

ま ど

う て 、 ど こ へも こ こ へ も お 出ましにならず内裏

う ち

でも御殿でも、 昼はつく づく と 物思いに耽ふけ

り 給う て、 日が暮れると 王命婦おうみやうぶ

を 追い廻し つつお責めになり

ます。ど のよう に計ら ったこ と なのか、たいそう 無理な首尾をし てよ う よう お逢いになるのでし たが、その間でさえ 現う つつ

は思えない苦し さ です。 宮も 、 浅ま し かったいつぞやのこと を お思い出し になる だけでも、 生 涯し ょ う が い

のおん物思いの種なの

で、 せめてはあれきり で止や

め にし よ う と 、 固く 心に おきめ になっていらっ し ゃ い まし た のに 、 また こ のよう に なった こ と

がたいそう 情なさ け

なく 、 やるせなさそう な御様子をし ていら っし ゃるのですが、 やさし く 愛ら しく 、 と いって打ち解けるで

も な く 、 奥床し く 恥かし そ う に し て いら っ し ゃ る お ん 嗜たし な

みなどの、 やはり 似るも のもなく ていら っし ゃいますのを、 ど

う し てこう も 欠点がおあり になら ないのであろう かと、 君はかえっ て恨めしいまでにお思いになり ま す。 積るおん思いの

数々かずかず

も 、 何と し て 語り 尽く せま し ょ う ぞ 。 闇部く ら ぶ

の山におん宿やど

り もなさ り たそうなのですが、 あいにく の短夜みじかよ

で、 な ま なか

お逢いになら ない方がま し なく ら いなのでした。  

見ても ま た逢ふ夜ま れなる夢のう ちに やがて紛るる 我が身と も がな 

( たま たま お目にかかり ま し ても 、 再びお逢いする夜はなさ そう でございま すゆえ、 今夜の夢の 

中にこのまま 私は消えてし まいとう ございます)  

と、 涙に咽む

せ返り 給う 有様も 、 さすがにお可哀そう なので、  

世語り に人や伝へぬたぐいなる 憂き身を 覚めぬ夢になし ても  

( あな たは夢と 言われま し たが、 ま たと ないほど辛い私の身を 、 たと い永久にさ めない夢にする  

にし ま し ても 、 後の世の語り 草に人が伝えはしな いでし ょ う か)  

思い乱れていらっ し ゃる 御様子も 、 まこ と にお道理で、 畏おそ

れ多いのです。 命婦の君が、 おん直衣な お し

などを 取り 集めて持って

参り ます。  

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開催:2004年 2月 28日 会場:東京・学士会館 主催: 中央公論新社、財団法人エンゼル財団

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[ Arth ur Waley, The Tale of Genji (1926-33)]  

About t his tim e Lady F ujitsubo fell ill an d r etired for a while from t he P alace. The sight of the E mperor’s grief and

an xiety moved Genji’s pity. But h e could not h elp thinking t hat this wa s an opportu nity which must not be missed.

He spend the whole of that day in a state of great agitation, unable whether in his own house or at the Palace to

think of anything else or call upon anyone. When at last the day was over, he succeeded in persuading her maid

Omyobu to take a message. The girl, though she regarded any communication between them as most imprudent,

seeing a strange look in his face like that of one who walks in a dream, took pity on him and went. The Princess

looked back upon t heir former relationship as something wicked and horrible and the m emory of it was a continu al

torment to her. She had determined that such a th ing must never happen again.

She met him with a stern and sorrowful countenance, but this did not disguise her charm, and as though

conscious th at h e was un duly admiring her she began to tr eat h im with great coldness and disdain. He longed to find

some blemish in her, to think th at he ha d been mistak en, and [to] be at peace.

I need n ot tell all that hap pened. The night passed only too quickly. He whispered in h er ear the poem: ‘Now that

at last we have met, would tha t we might vanish forever into the dream we dreamed tonight!’ But she, still

conscience-stricken: ‘Though I were t o hide in th e dar kness of eterna l sleep, yet would my sh ame run thr ough th e

world from tongue to tongue.’And indeed, a s Genji knew, it wa s not with out good cause t hat she h ad suddenly fallen

into this fit of apprehension and remorse. As he left, Omyobu came running after him with his cloak and other

belongings which he had left behind.

[ 直訳]  

その時分、 藤壺の宮は病気になり 、 し ばらく の間、 宮廷から 退き ま し た。 天皇の悲し みと心配の姿が源氏の同情を 誘い

ま し た。 しかし 、 彼( 源氏) は、 こ れは絶対に逃し てはなら ない絶好の機会であると 考えないわけにはいかなかっ たので

す。 彼( 源氏) はその日一日を、 大変気持ち が揺れた状態で過ごし、 家にいても 宮廷にいても 他のこ と を 考える こ と も できず、 ま た誰を 訪ねるこ と も できま せんでし た。 その日も ついに暮れよう と し たと き、 彼( 源氏) は彼女( 藤壺の君) の

女官である王命婦に伝言を 受けと るこ と を 説得するこ と に成功し ま し た。 その女( 王命婦) は、 二人の間でのどんな 形の

連絡でも 非常に軽率なこ と であると 見なし ていま し たが、 彼( 源氏) の顔が何か夢の中で歩いている人の顔のよう に変に

見えま し たので、 彼( 源氏) が可哀想になり 、 そし て行きま し た。 藤壺の君は、 彼ら の以前の関係を 邪悪であり 、 そし て

ひどく 恐ろし いものと 思い返し ていま し た。 そし て、 その思い出は彼女( 藤壺の君) にと り 、 絶え間のない苦痛でし た。

彼女( 藤壺の君) は、 このよ う なこ と は二度とは起こ っ てはいけないと固く 心に決めていま し た。  

彼女( 藤壺の君) は彼( 源氏) に、 険し く 、 そし て悲しげな 顔つきで会いま し た。 し かし、 こ のこと は彼女の魅力を 覆

い隠すこと はあり ま せんでし た。 そし て、 彼( 源氏) が彼女( 藤壺の君) に心から すばら し いと思っ ているこ と を 意識し

ながら も 、 彼女( 藤壺の君) は彼( 源氏) を と ても 冷たく 軽蔑し て扱い始めま し た。 彼( 源氏) は彼女( 藤壺の君) の中

になにか欠点を 見つけるこ と ができればいいと 強く 思う こと で、 彼( 源氏) が誤解し ているのだと思い、 そし て平安な心になることをこいねがったのでした。  

私は、そこで起こっ たこ と すべてを お話する必要はあり ま せん。その夜は、と ても 残念なこ と に過ぎ去るのが早かった。

彼( 源氏) は彼女( 藤壺の君) の耳元で歌を さ さ やきま し た。「 ついに、 今、 私たちは会いまし た。 こ のごに及んでは、

今夜見る夢の中に永遠に消えてし ま いたいく ら いです。」 し かし、 彼女は、 まだ、 気がと がめていま し た。「 永遠の眠り の

暗闇に隠れたとこ ろ で、 私の恥は口から 口へと 世間を駆け巡るのでし ょ う 。」 そし て、 本当に、 源氏が知るよ う に、 彼女

( 藤壺の君) がこのよ う に突然不安になり 自分を 責めるよ う になる のも理由のないこと ではあり ま せんでし た。 彼( 源氏)

が去り 、 王命婦は彼( 源氏) が忘れていっ た外套と その他の持ち 物を も っ て彼を追いかけてき ま し た。  

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8/6/2019 Translation of Genji

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開催:2004年 2月 28日 会場:東京・学士会館 主催: 中央公論新社、財団法人エンゼル財団

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[ Edwar d G. Seidensticker, Th e Tale of Genji (1976-77)]  

Fu jitsubo was ill an d ha d gone home to her family. Genji mana ged a sympa thet ic thought or t wo for his lonely

father, but his th oughts were chiefly on th e possibility of seeing Fujitsubo. He quite h alted h is visits to other ladies.

All thr ough the da y, at h ome and at court , he sat gazing off into space, and in th e evening he would press Omyobu to

be his intermediary. How she did it I do not know; but she contrived a meeting. It is sad to have to say that his

earlier at tent ions, so unwelcome, no longer seemed r eal, and t he mer e thought tha t t hey ha d been successful was for

Fujitsubo a torment. Determined that there would not be another meeting, she was shocked to find him in her

presence again. She did not seek to hide her distress, and her efforts t o turn h im away delighted him even as t hey

put him to shame. There was no one else quite like her. In that fact was his undoing: he would be less a prey to

longing if he could find in her even a t race of th e ordinary. And t he t umu lt of thought s an d feelings that now assailed

h im ――he would ha ve liked t o consign it to th e Moun ta in of Obscurity. It m ight h ave been bet ter, he sighed, so short

was th e night, if he ha d not come at all.

“So few and scattered t he n ights, so few the dr eams.

Would tha t t he dream tonight might t ake me with it .”

He was in tear s, and sh e did, after a ll, have t o feel sorry for h im.

“Were I t o disappear in the last of dreams

Would yet my na me live on in infam y?”

She ha d every right t o be unh appy, and he wa s sad for her. Omyobu gath ered his clothes and br ought th em out to

him.

[ 直訳]  

藤壺は病気で、 彼女の家族の家に帰り ま し た。 源氏は、 彼( 源氏) の寂し そう な父に対し同情の気持ち を 何とか一つ二

つ持と う と し ま し た。 し かし、 彼の考えは主に藤壺に会う 可能性についてのも のでし た。 彼( 源氏) は、 他の女性のもとを 訪ねること を すっかり やめま し た。 一日中、 家にいても宮中にあっ ても 、 彼( 源氏) はぼんやり と し て座っていまし た。

そし て、 夕方、 彼( 源氏) は王命婦に、 彼( 源氏) の使いを するよ う 懇願し よ う と 思いま し た。 彼女( 王命婦) がどのよ

う にそれをし たか( 使いを果たし たか)、 私は知り ま せん。 し かし、 彼女( 王命婦) は二人が会える よ う にし ま し た。 こ

う 言わなければなら ないのは寂し いこと ですが、 彼( 源氏) が前にし つこく 言い寄って きたこと は、 ほんと う に困ったも

のでし たが、 それはもはや現実のよう ではあり ま せんでした。 そして 、 そのこと ( 源氏のもく ろみ) が成功し てき たこと

を 考えるだけ で、 藤壺にと っ ては苦痛でし た。 次に会う こ と はないだろう と 決めていまし たので、 彼女( 藤壺) は彼( 源

氏) を彼女( 藤壺) の目の前に再び発見して ショ ッ ク でし た。 彼女( 藤壺) は彼女( 藤壺) の嘆き を 隠そう と はせず、 彼

( 源氏) にそっ ぽを向こう と する彼女( 藤壺) の努力は、 それ( その努力) が彼( 源氏) を 惨めな立場に追いやろう と も 、

彼( 源氏) を 喜ばせたのでし た。 ま っ たく 彼女( 藤壺) のよ う な人は他にはいません。 こ の事実に、 彼( 源氏) の破滅が

あり ま し た。 つま り 、 彼( 源氏) が、 彼女( 藤壺) にあり ふれたも のを見出すこと ができ れば、 彼( 源氏) はここ ま でこいこがれるこ と の餌食にはならな く てすんだのかもし れま せん。 そし て、 今や彼( 源氏) を 襲う 心や気持ちの動揺――彼

( 源氏) は、 それ( 動揺) を「 暗い山」 に預けて し ま いたいほどでし た。 夜はこ んなにも 短い、 むしろ 、 こ こ に来なかっ

たほう がよかったのかも し れなかったなあ、 と 彼( 源氏) はつぶやきま し た。  

( お目にかかれる) 夜はほとんどなく 、 ま たそのよう な夢もほと んどあり ません、  

ですから 、 今夜の夢がその中に私を連れて行って はく れないでし ょ う か 

彼( 源氏) は目に涙を浮かべていた。 彼女( 藤壺) は、 結局、 彼( 源氏) のこと を 可哀想に思わなく てはなら なかっ た。  

も し 、 私が、 夢の中で消える こと ができて も 、  

し かし、 私の名前はずっ と 汚名にさ ら さ れながら残るのでしょ う か 

彼女( 藤壺) が不幸である のは当然でし た。 そし て、 彼( 源氏) は彼女( 藤壺) のこと が悲し く なり ま し た。 王命婦は

彼( 源氏) の服を 集め、 彼( 源氏) のと こ ろ へ持っ ていきま し た。