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Title ジェイムズ ・ コノリーとアイルランド史 : 『アイルランド 史における労働者階級』 解題 Author(s) 堀越, 智 Citation [岐阜大学教養部研究報告] vol.[24] p.[1]-[21] Issue Date 1988 Rights Version 岐阜大学教養部歴史学研究室 (Faculty of General Education, Gifu University) URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/47697 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

Title ジェイムズ ・ コノリーとアイルランド史 : 『アイルランド [ … · かを考察することによって, 彼の民族主義的社会主義を検証しようとするものである。

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Title ジェイムズ ・ コノリーとアイルランド史 : 『アイルランド史における労働者階級』 解題

Author(s) 堀越, 智

Citation [岐阜大学教養部研究報告] vol.[24] p.[1]-[21]

Issue Date 1988

Rights

Version 岐阜大学教養部歴史学研究室 (Faculty of General Education,Gifu University)

URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/47697

※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

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『アイルラン ド史における労働者階級』 解題

ジェ イムズ ・ コ ノ リー とアイルラ ン ド史

1

Tomo HORIKOSH I

岐阜大学教養部歴史学教室

(1988年10月12日受理)

堀 越

JamesやConnolly and His l:rish H istory

は じ め に

独立後半世紀を経過しているアイルラン ドでは, それまでナシ ョナル一本槍だった歴史分析を正

す新しい史観が主張されても う数十年 とな り, アイルラン ド史研究が一段と発展している。ムーディ

とマーチソの編集した『アイルラン ドの風土と歴史1』』 (T.W .Moody& F.X.Martineds、TheCowse

Of MSkHiStO巧, Cork& NewYork, 1967) がその新しい傾向を早く も示していたが, 現在もその

傾向はまだ続いている。 その中で流れに逆行しているよ うなユニークな存在がP ・ B ・ エ リスであ

る。 彼の 『アイルラン ド人民の歴史』 (P.B.E111s, A H艇O砂 Of tk MShWO戚 昭 Ck S, London,

1972) はコ ノ リーの社会主義的民族主義にた ってアイルラン ド史の概観を試みたものである。 60年

代末から70年代始めは, 北アイルラン ド公民権運動が高まる中で コ ノ リーが再評価された時期で

あった。 エ リスもその一人だが, コノ リーの著作集が新たに編纂された り, コノ リー評伝が相次い

で出版された りした。

しかし コノ リー史観にたってのアイルラン ド史概説を試みたのは, エ リスだけだった。 実践的革

命家と してや革命理論家としてのコノ リー分析だけでな く , 歴史家コノ リーの再現を 目指したよ う

なこの本は, 特異な歴史書とい う論評以上にはなされなかったが, 当時コノ リー研究に集中してい

た私の関心を大き く 引いたものだった。 。- I 。

コノ リー史観にたてば概説アイルラン ド史はこ うなる, とい う具体的な内容は翻訳を見ていただ

きたい2)。ここではコノ リー史観そのものを, コノ リー自身の歴史書によって考察したい。それが『ア

イルラy ド史における労働者階級』 (J.Conn011y, L油OW 泌 lyiSkHiStO巧, Dublin, 1910) (以下 『ア

イルラン ド史』 と略す) である。 1910年に出版された この書は, 1902年からコノ リーがダブ リンと

アメ リカで書き続けた ものである。 母国に戻って彼が書き始め, 合衆国に移っても書き続けた, そ

こにコノ リーの執念を感じるこ とができる書であ り, 何を彼が胸の中に, 頭の中に持って, あるい

は体で引きづっていたのか, そこを考察したいと思っている。 ここに必ずしも彼の史観の全てが凝

縮しているとは思えないが, 彼の持ついくつかの重要問題が現れている書である。

以前私は, 「アイルラン ド・ナシ ョナ リズムと社会主義」 とい うテーマで論文を書いた り, 翻訳を

出した り したが3), そこで私が強調したのは, コ ノ リーの社会主義がいかに民族主義的だったか, つ

ま りいかにアイルラン ド的だったかであ り, 彼の社会主義にアイルラン ド ・ ナシ ョナ リズムがいか

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智2 堀 越

に大き く , 重 く 投影しているかだ った。

本稿は, コ ノ リーがアイルラン ド近代史の概観を試みた 『アイルラン ド史』 をテキス トに, コノ

リーの歴史観の探索を試みた ものであ り, 彼の社会主義がアイルラン ドの歴史を どう と らえている

かを考察するこ とによって, 彼の民族主義的社会主義を検証しよ うとするものである。

グ リーンの著作を引用しているが, ここに, 古代アイルラン ドについての評価や, それを破壊し

た力について, コノ リーは共通の見解を見ており, それがコノ リーの問題意識でもあった。

グ リーンは, ミーズ州ケルズの生まれで, 歴史家のグ リーン (John Richard Green) と結婚 し

て, 彼の研究や著作に協力した女性歴史家である。 19世紀後半から20世紀初頭とい う, アイルラン

ド ・ ナシ ョナ リズムの最も高揚した時期に生きた, アイルラン ド生まれの歴史家に相応 し く , 民族

運動に強い関心 と共感を持ってお り, 1908年に発表した この書はイギ リスの批評家によって激し く

批判され攻撃された本だが, それはこの本が強いアイルラン ド ・ ナシ ョナ リズムによって書かれて

いたからでもあった。 彼女のロン ドンの家は, 作家や学者や政治家が盛んに出入りするサロンで,

アイルラン ド義勇軍に資金援助を した 「ロン ドン委員会」 は, ロジャー ・ ケイスメ ソ トの示唆で彼

女たちが組織したものといわれている。 イースタ ー蜂起には賛成しなかったが, その直後にダブ リ

ンに居を移し, そ こはナシ ョ ナ リス トのサロンになった。 1921年のイギ リス= アイルラン ド条約調

印に際しては, 自由国を支持し, 最初の自由国上院の議員に指名されている。 ナシ ョナ リス ト とし

てはコノ リーと共通するものがあっても, 後述するが彼が批判するナ シ ョナ リス ト ・ イ ンテ リの面

を持っていたかも しれない。 ただ しグ リーン自身には本稿ではふれない。

「スタ ッ フ ォー ト ・ グ リーン夫人 (Mrs.AliceStopfordGreen) ( 1848-1929) の 『アイルラソ

ドの形成とその凋落』 ( TheM硫治g (ザlyekz起 皿ditsU遥oi昭 ) は, アイルラン ド史叙述にお

恍 てヽ現代の歴史科学の手法を確立した名著で, ヘン リー8世とエ リザベスの時代におけるアイル

ラン ド民族の離散, その結果としてのゲール文化の破壊, ゲールの伝統と法の崩壊を扱ってお り,

海外の学校で教育を受けなアイルラン ド人は, 古代アイルラン ドの伝承を見捨てて, ブレホソ法

やそれが現している社会体制について何の知識も持たず, 何ら共感を持たなかった, と記してい

る。彼女はまた, 『人民が統治者を選んだ り, 彼らを満足させる者に最高の権威を与えるとい う考

えは, 異教徒の汚れた下水からきたものだ とい うよ うに, 古代アイ ルラン ドの法に敵対するよ う

な理論を彼らが主張している』 と記している。 1)」

1

その不屈の労働者階級に

その一人 で あ るジ ェ イ ムズ ・ コ ノ リーが

この本を捧げる

と三行詩風に, コノ リーの 『アイルラン ド史』 の序文が終わる。

まずは序文と第 1章の要点を紹介し よ う。 第 1章も, 「歴史の教訓」 (Thelessonsof History)

とい うタ イ トルが示すよ うに, アイルラン ド近代史にたいする彼の基本的な見解を述べたものであ

り, 序文とそれに続 く第 1章が実質的に序文である○ 。’

序文は次のよ うに始まる。

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「アイルラン ドは, 古代の社会制度を失 うと同時に, アイノyラン ドの指導者として振る舞 うべ

き人だちから, 思想の伝達手段と しての言語を失 うこ と となった。 この二重の損失の結果として,

民族は社会的, 政治的, 知的に, 発展を長 く阻まれてきたのである。 17世紀の後半, 18世紀の間

ずっ と, 19世紀のほとんど, アイルラン ド人民は社会的に, 政治的に, ヨーロッパ最低の奴隷だっ

た。 アイルラン ド農民は, 氏族の土地を所有し, 仲間と共同で行政を担っていた自由な氏族民と

いう地位から, 無責任な私的所有者の手によって勝手に追放され, 辱められ, 虐待される, 単な

る小作人とされてしまったのである。 政治的には彼らは存在し ないのも同然であ り, 法的には無

権利であ り, 知的には社会的屈辱の重圧に打ちひしがれ, 貧困に引き摺 られていったのである

¨ ¨ ¨ 」

「……イギリスの中傷者は, 世界の目の中のアイルラン ド人を落と したのだが, アイルラン ド

の中産階級教師たちは, 自分の目の中のアイルラン ド人を落と したのである……人民の共同所有

というゲールの原理にアイルラン ドが復帰するための……最大の障害は, アングロ= アイ リッ

シュ文学からアイルラン ド人の気質や歴史の理念を引き出して きた人たちの反対である……」

ジ ェイ ムズ ・ コノ リT とアイルラン ド史 3

引用を続けると, 「(前述のこ とは) 外国の標準で教育された, 現代アイルラン ド人は, イ ングラ

ン ドがアイルラン ドに導入した封建的= 資本主義的システムを 自分たちのものと考えてきたのであ

る」 ということである。 現在もそ うだ とはコノ リーは言っていたいが, 彼の問題意識の中に現在が

あるのは当然である。

そして主にコノ リーは現代を意識しながらこの序文を書いている。 つま りゲール文化や社会を破

壊した ものが, 異文化教育を受けたアイルラン ド知識人であるとい う点である。つま り, 「 ヨーロッ

パ専制君主の学校がアイルラン ドからの学生に教えこみ, アイル ラン ドの土壌におけるイギ リスの

支配者のよ うにゲール精神に合わないものなのに, 封建的君主権についての熱心な信念を説 くため

にアイルラン ドに送 り帰してきた」のであ り, 彼らによって「アイルラン ドの首長制にも とず く ゲー -

ル文化は, 17世紀に荒っぽく 破壊されたのである」というのである。 そして, 「これが17, 18, 19世

紀のアイノレラシ ド史にどんな光を投げかけているのだろ うか」 と問いかけて。

二 … … 異 郷 か ら の あ だ 花

各地に咲 き乱れて, わが大地を汚す

とい う詩を紹介している。 この詩の出所は明らかでないが, 古代アイルラン ドに対する憧憬とそれ

を破壊したものに対する怒 りと言った ら文学的になって良く ないが, コ ノ リーの心情を端的に表現

しているのだろ う。ただし この詩だけでは外的要因のみが強調されているよ うに見えるが, コノ リー

の真意は外的要因に影響されたアイルラン ドの知識階級である。

結果的に

「アイルラン ド資本家階級の背信的な愛国主義は……

第一に, 文明の発展において, 従属民族の民族解放の戦いの進展は, その民族の従属階級の解放

を求める戦いと歩調を合わせるべきであ り, 資本主義社会のシステムの発展に伴 う経済的, 政治

的権力の移動が必然的に非労働者階級要素の保守性の増大と, 労働者階級の革命的エネルギーの

と コ ノ リーはい うのである。

コノ リーがこの序文で強調しているのは, 以上の点である。 もちろんコノ リーは過去の経験をそ

のままにしてはおかない。 そして過去の経験を生かした, 現在の教訓を次の二点に纏めている。

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増大となる, とい う こ とである。

第二は, アイルラン ドの長 く続いた闘争の結果が, これまで, 旧い首長制が消滅し, その堕落

した子孫を通 じて, 不正 と妥協し, 体制側の重要部分になった とい うこ とである。 中産階級は,

…邪神 (Baa1) に屈服し……アイルラン ド労働者階級のみが, アイルラン ドにおける自由のため

の闘争の不屈の後継者なのである。」

以上が序文の要点であ り, この後に冒頭で紹介した三行の詩があって終わる。

次に第 1章の要点を纏めておこ う。

歴史が, 「……時代の正確な文字の反映であったならば, 歴史の各頁は, かってそ うあった よ う

に, 人類の大部分を構成している労働者たちが受けた迫害と闘争の既述によってほとんど埋めつ く

されているだろ う」 と, まずコノ リーは, 歴史に対する彼の一般的な姿勢を述べている。 そ して歴

支配階級の利益のため

智堀 越4

ラン ド人民の大多数は, 「自由に対する熱望の夢 と,

に対す る民族イ ン グ ラ ン ド

史一般と同様に, 「……アイルラソ ドの歴史はこれまで支配階級によって

に書かれたのだった。」 もちろん社会問題が歴史に登場しないわけではない。 しかし, 「……近代史

に社会問題が登場するときはいつでも, ……それはただ政敵との戦いの武器として使われただけで

……」 あ り, 「労働者の従属」 を 「悪」 と して取 り上げたのではなかった。

そこで, 「この一連の論文が主に意図していることは……過去のアイルラン ド労働者階級の状態,

人民大衆の苦しみに対するわがアイルラン ドのほとんどの政治家に見られる全般的な無関心さ」 を

「論証する」 こ とであ り, そのために 「あらゆる側の政治家が労働者に対して とった態度にと く に

注目」するのであ り, 「社会問題を故意に無視してきたわが国の歴史家の態度を改めるため, 経済条

件がアイルラン ドの歴史を コン ト ロールしてきた形態を」 明らかにしよ う とするのである。

次に, 「『アイルラン ド問題』を全体的に把握するために」 「い くつかの顕著な事実を要約しておく

必要があるだろ う」 と, アイルラン ド史の中の具体的な問題に触れている。

第一は, 政治的に, 「アイルラン ドが過去七百年間イ ングラン ドの支配を受けて きた」 こ とであ

り, 「ほとんどの時代, 土着のアイルラン ド人にとっては, 国土は絶え間ない戦闘の舞台だった」の

である。 と く に 「1649年までは……政治体制と社会体制の両方に対する」 複雑な戦いだった。 そこ

には「土地の共同体的, 部族的所有」 があった。 「最初の征服から四百年たっても……支配を貫 く こ

とができず, ……封建制」 がなかったのである。

第二は, 「1649年に部族制が強制的に廃止」 されて, 「闘争の社会的様相が見えな く な り, 自由の

ための戦いとい う, たんなる政治的表現がそれに代わるこ とになった」 こ とである。 そ してアイル

現在では体制的に不可能になっている

古代的土地保有制度への復帰の夢とを混同」することになった。 「その結果として……アイルラ

ソ ドの愛国運動は完全に中産階級のものにな,り, ただ中産階級の利害の理念化された表現となっ

た。」 ここから 「中産階級のスポークスマソたちは新聞や演壇で, たえずアイルラン ド民族運動の去

勢を, アイルラン ドの歴史の歪曲をはかることになったのである。 ……それが 『真の民族運動』 な

るものを創造する とい う手段で考えられ, 企て られたのである。」

「どの階級も他の階級の権利を認め, 論争をやめて共通の敵

闘争に結集し よ う という運動である。 ……結果的にはプロレタ リアー トの階級意識からかけ離れた

政体の問題に熱中させるこ とによって, 社会変革を避けるこ とである。」

「この百年の間, どの世代の人たちもイングラン ドの支配に対して試みられた蜂起を見て きた。

その反乱や蜂起はすべて町や村の下層階級から支持されてきた。 ……全体として……成功しそ うな

ときでも社会的従属条件の変化をけっ して期待してはいけない。……革命の成功は頭脳がっ く り出す

のではな く , 物質的条件め成熟によるのであるとい う重大な事実を無視する, すべての国の人びと

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5ジェイ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史

に対する警告で ある。」

このよ うにコ ノ リーは, 民族運動が中産階級主導型になった原因とその意味を述べて, さ らに「上

層階級はまた, ブルジ ョア愛国者の誘いにも軽蔑して耳を傾けなかった。 …… トマス ・ デーヴィ ス

の雄弁な訴えに耳を傾けたその時代のアイルラン ドの地主たちが, 大飢饉の時代に……中産階級の

中の低い階層は, 過去において多く の無欲な愛国者を民族運動に送 りだした。 ……48年の青年アイ

ルラン ドや67年のフ ィ ニアソの運動は, アイルラン ド中産階級の, この政策の古典的な実例を示す

ものである」 と前論を補強している。

そしてご これが, アイルランドの政治と, アイルランドの歴史についての私たちの見解である。

以下の各章は, このよ うな見解のも とになっている事実を, 読者に示すものである」 と締め括って

いる。 「私の」 で はな く 「私たちの」 見解である, と しているのは, 後述するコ ノ リーの当時の組織

的立場を現して いる。

1章 歴史の教訓

歴史 とは決められた作 り話しにすぎない 十 ナポレオン 1世

2章 ジャ コバイ ト とアイルラン ド人民

ガラ ス張 りであるこ とが公の立場にいる人たちにと って当然の義務である時がも しある

とすれば, また政治家と呼ばれる人種に対する懲罰が, 彼らの二枚舌と術策を止めさせ

る時があるとすれば, それは現在である。 わが国の人民がもはや自分たちの幸福が少数

の一族のなぶりものであるこ とに我慢しないのは確かなこ とであ り, 大衆を犠牲にして

自分 と自分の一族を肥やすこと しか眼中にない自分勝手な連中の権力を奪 うこ と と, 民

族を代表し, 民族に責任を負い, 民族のために仕事をする人たちを立ち上がらせること

に, 自分たちの真の利益がある と, 民族が確信しているのは確なこ とである。

アーサー ・ オコンナー, 1795年 5月4 日, アイルラン ド下院にて

3章 農民蜂起 十

外国人に対してであろ うと, 土着のものに対してであろ うと, 土地の独占を少数の階級

に認めることは, 許すことのできない不正である。 それを強制的に続けることは, 貧乏

人か ら一生懸命働いた, 労働の稼ぎを強奪するこ とにほかならない。

アイ リッシュ ・ ピープル ( フ ィ ニアソ同盟機関紙) , 1846年 7月30日

4章 社会的反乱と政治家のとびとからす

貴族が出ると人民は引っ込む。 人民が出ると貴族が引っ込み, 取り残されることを恐れ,

われ らの仲間に徐々に入ってきて, 小心な指導者になった り, 頼 りにならない助けっ人

にな る。

ユナイテ ッ ド ・ アイ リ ッシュメ ソ協会秘密宣言 (1791)

5章 グラタ ン議会

王朝 も王冠も, 仕事場や農場や工場の半分ほども重要ではない。 王朝や王冠は, また臨

時政府でさえも, 労働する人たちに対する公正, 正義, 自由の割合に応じて判断される

2

前章で, 『アイルラン ド史』の序文と第 1章を紹介したが, 次に各章のタイ トルと各章ごとにその

扉に書かれている小文を紹介する。 この書にかけるコノ リーの心意気が伺える部分である。

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堀 越 智6

6章 資本家の裏切 り, アイルラン ド義勇軍

覚えているがよい, 善意であろ うと悪意であろ うと

祈った り泣いた りするこ とがいかに空しかったか

アイルラソ ド義勇軍の剣にきらめく言葉がいかに空しかったか

ト ーマ ス ・ デ ー ヴ ィ ス

7章 ユナイテ ッ ド ・ アイ リッシュマソ

万難を排しても我らが自由は達成されねばならない。 有産者階級が我らを援助しないな

らば, 彼らは滅亡するであろ う。 我らは社会の大多数であ り, 素晴らしい階級である無

産階級の援助によ り, 自由にな るであろ う。

シ ア ボ ール ド ・ ウル フ ・ ト ー ン

8章 民主主義者で国際主義者, ユナイ テ ッ ド ・ アイ リ ッシュマソ

さあ, 皆の衆よ, アイルラン ド人は仲間と一緒にやってきたのだ

思想や進行など気にしない, 一緒にやろ う : `,ヽヽ………

プロテスタ ン トもカ ト リ ック も , 気にし なければ,

おお, 皆の衆よ, のどかな古いアイルラソ ドはなんと自由だったこ とか

ジャ ミー ・ ホープ (1798)

9章 エメ ッ トの反乱

金持ちは常に貧乏人を裏切るものである。

ヘン リー ・ ジ ョイ ・ マク ラ ッケソの妹あての書簡 (1798)

10章 アイルラン ド最初の社会主義者 : マルクスの先駆者

どんなに控え目に見ても, 少数の怠惰な雄蜂が安楽で贅沢な暮らしをするために, 何千,

何万もの人たちを悩ませ苦しめ, 飢えとぼろ と悲惨の中で生きそして死ぬことを余儀な

く しているのは, 制度なのであ る。

ア イ リ ッ シ ュ ・ ピ ー プ ル , 1864 . 7 . 9 .

11章 アイルラン ドのユー トピア思想

アイルラン ド民族の性格や能力に最も完璧に適した政治体制を, ロックの手が天国から

届けて くれるこ とを期待しても, その固有の優秀性以上に何もない, 単なる大袈裟な巻

き物を地面に投げ落とすだけのこ とであろ う。 何をなすべきかについて, 全ての真撃な

アイルラン ド人は一致している。 如何になすかが問題なのである。

秘密宣言 ( アイルラン ド) ( 1793)

12章 恐怖の章, ダユエル ・ オコソネル と労働者階級

そのとう り, それが文明なのだ。 人間の弱さの故に変えられはしないのだ。

気を付けろ, 気を付けろ, 巣穴の隅に野生の狼を追いやるこ とは危険だ。

そ う, 文明に気を付けろ, 揺ら ぐ心の上に立っているピラ ミ ッ ドなのだ。

93年のパ リのよ うに普通の人間が恐ろ しい役割を果した時もあるのだ。

進歩に気を付けろ, その足は自分が殺した塊を, 汚れを付けたままで履いている。

従順も結構, しかし神の摂理は革命の松明に火を燈すこ とだろ う。

ジ ョ ソ ・ ボ イ ル ・ オ レ イ リ ー

13章 私有財産問題で, アイルラン ド ・ ジロン ドがアイルラン ド農民を犠牲に

ジロン ドとい う名前の革命家グループがある。 歴史における彼 らの運命は注目に値する

ジ ョ ソ ・ ミ ッチ ェル・ (1848)

べきである。

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ジ ェイ ムズ ・ コ ノ リーと アイルラ ン ド史 7

ものである。 反逆者や下層階級に抵抗を説いた人たちは, 普通以上に評価されるべきで

あった。 骨苦し, 呻いている数百万の人たちの悲嘆の中で, 彼ら自身の貧しい, かた く

なな理論や利己主義に作用し, それに代わるこ とのできる貧弱でな く純粋なものを見分

ユ け る 人 た ち , そ め 人 た ち に と っ て は , 心 の 底 か ら 打 ち ひ し が れ て い る 数 百 万 の 仲 間 一 打

ちひしがれ, 苦しみ, しかも希望を持っている仲間- は 「大衆」 であ り, バスチーユ

を破壊し, 法廷で 「我ら」 を支持して く れたのは決起した大衆であったが, 彼らこそ問

題の人種だ ったのである。 十

ト ー マ ス ・ カ ー ラ イ ル

14章 ヤング ・ アイ ルラン ドの社会主義思想 : 思想家と活動家

戸口で何を し ている,

貧乏人のぶ厚い手から主人の穀物を守っているのか。

ワイル ド夫人

正義の神よ, 無慈悲で高慢な主人に

あなたの怒 りを, と私は叫んだ /

気持ちを和らげて, しかめ面を止めて,

そ うでない, と私は大声で叫んだ,

農民の手に力を与えたまえ,

最後には主人たちを土地から追い出すためにし ト ー マ ス ・ デ ー ヴ ィ ス

15章 アイルラン ドの社会主義運動先駆者

山上の垂訓はこの世を治めるこ とができるか, できないか。 悪魔は, 我われが彼に任せ

るならば統治する権利を持っている。 しかし 自分の統治をキ リス ト文明と呼ぶ権利を

持っていない。 上

ジ ョ ソ ・ ボ イ ル ・ オ ラ イ リ ー

16章 労働者階級 : アイルラン ドの過去の理想の継承者, 未来の希望の宝庫

飢えて, 服従して, 屈服するのがキリス ト者なのか 。 ・ ・

崇高な命令の前に

昔の格言を しっかりと守って, 「弱きこ とは力な り」 という,

「た とえどんなこ とでも, が最善」 とい う

ぉぉ, 堕落の文言 ! なんと恥ずべき信仰 ! 十 二

おお, 最高に不名誉な福音 /

犬 打 ち ひ し が れ て い る 者 を 打 つ の は 誰 , 飢 え て い る 時 に 付 け 込 む の は 誰

神の見ているとお り, それは反徒ではない

, J . F . オ ド ソ ネ ル

以上, 各章の扉の小文 (詩) の全訳である。 ここにコノ リーがこの本に込めた情熱がある。 それ

は反逆精神 といってもよいであろ う。

3

『アイルラン ド史』 は全体が 1章で説明したテーマで一貫されているが, 全体を大き く 4部に分

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智堀 越

ける こ とがで きる。

まず第 1部は序文と 1章で, コノ リーの基本姿勢を述べている。

第11部は2章で, 17世紀を扱い, 序文で紹介しているグ リーン夫人を継承してこの世紀を分析す

ると同時に, アイルラン ド史におけるこの時代の重要性を明確に説明している。

第H1部は, 3章から 8章までで, 18世紀を扱って, アイルラン ドの自治問題に対する基本的な姿

勢を提示している。

第IV章は, 8章から16章 (終章) までで, 19世紀を扱い, 社会主義運動 ・労働運動を基軸にアイ

ルラン ド近代史を考察している。

第 1部は前章で述べたので, ここでは残 りの部分について要約して紹介する。

第11部で扱っている17世紀は, イギリス史では革命の時期である。「正し く理解するならば, アイ

ルラン ド近代史は, 1691年のウィ リアム戦争の終結から始まるとい うことができるだろ う」 という

文で この章は始まる。 それは 「( この戦争をめぐって) 異なった見解を持つアイルラン ドの両派」 が

「今日までも, アイルラン ドの政治を決定している」からであるという。そしてこの戦争のカ ト リッ

ク的解釈を正して, 「(それは) アイルラン ドの自由のためではな く , アイルラン ド民族にその権利

を回復するためにではな く , 当時アイルラン ド人民から強奪して利益をあげていた階級が, 土地泥

棒の新しい群れに道を空けさせられないために戦った」 ものだった と記している。 いさ さか厳しす

ぎるよ うな記述だが, こ こから コ ノ リーのアイルラン ド近代史は始まるのである。

第H1部は18世紀だが, まず農民の状況から始まる。 この時期はプl==・テスタ ソ ト優位時代 (Protes-

tant A scendancy) と 呼 ば れ , 刑 罰 法 に よ る 厳 し い カ ト リ ッ ク 差 別 支 配 の 時 代 と し て 歴 史 上 描 か れ る

のが普通である。 しかし コ ノ リーは, 「アイルラン ドの不幸な小作人たちは, カ ト リ ック もプ ロテス

タ ン トも, 戦争が従属階級 と しての彼らの立場にわずかの違いしか生まなかった こ とを知らされた」

と, 「刑罰法の, 豊かなカ ト リ ックを貧乏にする効力が過大に評価されて」いるこの時代が, カ ト リ ッ

クもプロテスタ ン トも貧しい農民にとっては悲惨な時代だった こ とを認識すべきだ といい, 「アイル

ラン ドの悲惨さの根源を, イギ リスとアイルラン ドの法的合併に見いだそ うとする」 史観を批判す

るのである。

そのアイルラン ドの悲惨さの例と して, 1740年の飢饉を取 り上げ, 「この飢饉は, 近代のすべての

飢饉 と同じよ うに, もっぱら経済的原因によって起こった と ころが注目される。」 「升U罰法をめぐっ

て……た く さんの書物が書かれているのに, アイルラン ドに飢饉が起こ りやすい原因といった歴史

的にも, 現実的にも重要な問題が取 り上げられず√民族の歴史の中のただつまらない問題ばかりが

取 り上げられている」 と批判を重ねている。

その結果と して, 「土地を奪われた人たちは, 秘密結社に結集して」 「社会の支配者にテ ロを加え」

たのである。「反乱に加おった これらの貧しい奴隷にたいする支配階級の論調は」, 「農民にもなされ

た大虐殺を軽視する論評だった」 と, また 4章では, 北アイルラン ドの農民秘密結社の運動に対す

る新聞論調を批判しながら, 彼らの戦いの意義を述べ, 筆を 「特権階級である」 スウィ フ ト, モ リ

タクス, ルーカスとい う 「愛国者 ト リオ」 へ向ける。 「沢山の農民の死体が死刑台の上で揺れ, 前途

ある沢山の生命が牢獄地獄の汚い房中で朽ち果てる運命となった」 が, 彼らは 「そのよ うな社会的

不正義に対して, 一度と して抗議の声を上げ」ず, 「アイルラン ド人民の悲惨さを, 政治的煽動のた

めの好材料と考えた」 のだ と糾弾している。 最後に1786年の 「マンスタ ーの農民の注目すべき声明」

を紹介しているのは, 新しい時代を展望するその前進的意義を評価するからである。

5章は, その 「愛国者」 を背景にして展開された義勇軍運動と, その結果であるグラタ ン議会と

いう 自治議会を取 り上げる。「グラタ ン議会が開かれていた時代は, アイルラン ドにとって前例にな

い繁栄の時代であった」が, 「彼らが言っているよ うな繁栄は, たんなる資本主義的繁栄にすぎない」

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ジェ イ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史 9

のであって, 「その繁栄について, 自治議会がもた らしたものが大きいということは, きっぱりと否

定しなければならない」 と断言する。 それは 「商業イ ンフ レ」 によるものだった とい うのである。

この併合がこの自治議会を廃止し, アイルラン ドを完全にイギ リスの一部にするのだが, 以下 6章

は, グラタ ン議会が 「つかのまの繁栄」 に終わったこ との考察が中心である。 それは 「アイルラン

ドの工業が弱く , その結果併合を阻止しよ うという十分な大衆性と力を持った精力的な資本家階級

を持っていなかったため」である。 「強力で, 進取の気性に富む, そして成功した資本家階級がアイ

ルラシ ドに存在していたならば, アイルラン ドの大衆に選挙権を与える議会改革が……併合法を不

成立にさせていたこ とだろ う」, 「人民の選挙権で コン ト ロールされたアイルラン ドは必ず……厳し

い保護制度によってアイルラン ドの工業を救お うと しただろ う」, ところが「資本家階級は……十分

自覚していなかったので……唯一の選択しかないよ うに感じたのである」, 「彼らは貴族を選び, 民

衆を見捨て」, 「結果的には, 自分が見捨てた階級と共に破滅 と隷属に陥るこ とになった」 のである

と, コ ノ リーは厳しい。 彼は 「階級を区別する線は, 宗教の線よ りも, はるかに厳格に敷かれてい

た」と階級的視点を強調するのである。 「升り罰法は法令集にのっていたが, 18世紀の最後の四半期に

は効力をほとんど失っていた」 のである。 もっ ともそれは 「イングラン ド政府の慈悲によってでは

な く , アイルラン ドの多数のプロテスタ ン ト知識人が, この法律に嫌悪を感じていたからだったの

である」。 自治議会が実現した とき「ブイルラソ ド共和国が確立できたはずだった」。 ところが, 「義

勇軍は戦わずして降伏した。 この恥ずべき降伏の責任は完全にアイルラン ドの資本家階級にあっ

た」, 「労働者は戦った, 資本家は売った, そして法律家は編したのである」, 「アイルラン ドではい

つも物事がそ うなるのだが, この偽 りの戦いがアイルラン ド史の中で最大の注目を集めている」 と,

こ こで も コノ リーはアイルラン ド史の通説に対して痛烈な批判を加えている。

7章, 8章は, こ うした中で始まるユナイテ ッ ド ・ アイ リ ッシュメ ソ と98年蜂起の分析である。

ユナイテ ッ ド ・ アイ リッシュメ ソは 「義勇軍の裏切 り」 を受けて, 始まったものであ り, 本来この

組織は 「解放的で平和的な団体であ り, 大衆の間での啓蒙 ・宣伝を主とするものだったが……イギ

リス政府の厳しい迫害のために秘密主義の仮面を」 持つことになったのだ と, ユナイテ ッ ド ・ アイ

リ ッシュメ ソを民主主義者と規定し, さ らに国際主義者 とする。 国際主義者と規定するのは彼らが

国際的な視野をもち, 革命フランスと提携して蜂起し, 敗れたからである。 その蜂起の過程は7章

に詳しい。 8章では1641年蜂起との対比で, ユナイテ ッ ド ・ アイ リ ッシュメ ソ と98年蜂起が分析さ

れる。前者にあった部族 とい う蜂起のための結集点はその敗北の結果な く な り, 後者の時代は, 「『カ

ト リ ック と非カ ト リ ック』 と 『金持ち と貧乏人』 とにアイルラン ドが分かれて」 お り, その中の 「二

つの革命勢力を集結するためには」 「革命家」 と 「事件」 が必要だった。 それが トーンであり, フラ

ンス革命であ り, その結果と して, ユナイテ ッ ド・アイ リ ッシュメ ソ と98年蜂起は, 「視野や目的に

おいて最も国際的で, 方法において最も階級的で, 本質において最も民主的な」 ものにな り得たの

である, と コ ノ リーは続ける。

その98年蜂起の敗北は, 「革命運動を支持するすべての中産階級を現実の舞台から退場させ」従っ

て 「エ」 ツ トの蜂起は以前のものよりも労働者階級的性格を」 を持つこととなった。 エタ ッ トを 「ア

イルラン ドという一つの地方に対する不正義に抗議した犠牲者」 と見るのは彼の栄光を曇らせるも

ので, 彼は 「自由, 平等, 友愛, という世界的規模の運動の使徒」 なのである。 エタ ッ トは, 「『民

族の意志』 は所有権に優先し, その権利を廃止することができること, 生産者階級は, 革命が彼ら

を政治的でな く社会的束縛からも解放することを理解できなければ, 革命に結集するこ とは期待で

きない」 と信じていたこ とは確かである。 9章の最後を コノ リーがこのよ うに締め括るのは, 10章

以後 (第IV部) 彼が所論を展開するための布石である。

第IV部は19世紀である。 すでに9章で98年蜂起以降 (つま り19世紀) の運動は労働者を主体とし

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堀 越 智

たものとなるこ との示唆が行われていた。第IV部最初の10章は, 「アイルラン ド最初の社会主義者 :

マルクスの先駆者」とい うタ イト ルになっているが, トムスソについてである。 「政治的に暗黒の時

代であ り, 勝手気ままな専制政治と反動の時代」 で 「民衆の不満がいっそ う増大した」 19世紀第 1・

四半期は 「政治的に暗黒の時代」 であ り, 農村では リボソ メ ソが横行した時代だったが, 一方 「秘

密で非合法の組織だったがアイルラン ドの労働組合が最大になった」 時代だった。

この時期, 「フ ランス, イ ンタ ラン ド, ドイ ツで空想的社会主義……アイルラン ドでは社会主義的

経済学者- トムスソ」が登場した。 「 トムスソは, オウェ ソの主張にしたがって協同社会の形成に

よって社会主義の実現を信じた。」 「それは労働者自身が建設するもの」で, 「 トムスソは大陸の空想

的社会主義者の幻想的センチメ ンタ リズムとは違い」「彼の立場は科学の立場にたった社会主義の発

展で, 空想的社会主義とマルクスの史的唯物論の中間」にあった。 「アイルラシ ドのナシ ョナ リス ト

は社会主義を ドイ ツ思想だ と して激し く反対したが, 社会主義思想はマルクスにおいて花を咲かせ

たのであり, そめ芽はトムスソにあった・,‥‥『共産党宣言』の二十三年前, 『資本論』の四十三年前」

のことだった。 この トムスソ論は今日ほぼ定着しているようである。 一方ユートピア思想は, 1832

年のロバー ト・オウェ ソのアイルラン ド訪問から具体化し, 「ララハイソ農工業協同組合」 で実験が

行われた。 「(ナポレオン戦争の終結後) 地主たちは 『致命的な代償』 を要求, 農民たちぱ圧制者を

威嚇し, 自分たちを守るために秘密組織 ( リボソメ ソ) を組織し」 「血なまぐさい内戦が国中を揺 り

動かしていた」時期だった。 ララハイソの実験は, 「アイルラ ン ドの最も犯罪の多い地方が, この地

方的社会主義の経験によって犯罪を撲滅」 した。

結局は失敗に終わ り撤収されるこ とになる実験だが, コ ノ リーはララハイ ソ農業 ・工業協同組合

の綱領文書を詳細に紹介しながら 「ララハイソの教訓」 をまとめ, 「ララハイ ソは終おったが, 将来

新生アイルラン ドにおいで このシンプルな農民の試みは, 完全な社会的解放に向かう人類の行進の

中において, 偉大で重要な業績として賞賛されることになるだろ う。 ララハイソは, 資本主義思想

と封建的実践とい う荒野の中でなされたアイルラン ド人の問いかけだったのである。 どち らからも

解答はなかったが」 と結んでいる。

12章は, 「恐怖の章, ダエエル・オコソネルと労働者階級」というタイ トルになっている。 なぜ「恐

怖の章」 なのか。 「1829年 ( カ ト リ ック解放法) から1850年までの時期は, アイルラソ ドにおX」ヽ ても

イングラン ドにおいても生産者階級が悲惨と貧困のどん底にあ り, 重要でない, わずかの政治的 ・

社会的改革とい う譲歩があっただけ」の時代だったからである。 「アイルラン ドにおける, 特権階級

に対する最初の攻撃は, 十分の一税反対闘争」 だった。 十分の一税反対闘争と同時に, リビール運

動が展開され, 「オコソネルが, 国中で勢力を増大し, アイルラン ドの資本家や専門職階級を ますま

す引き付けるよ うにな り, イ ングラン ドのホイ ッグ党政治にますます必要にな り, 自分の成功のた

めに トーリーを ますます必要と考えるよ うになっていった。」その中で, オコソネルは組織労働者の

味方ではな く な り, アイルラン ド労働組合運動の敵になっていった。」 「労働者階級の存在そのもの

が危 う く な り」 ( アイルラン ドではキャプテン ・ ロック, キャプテン・ムーンライ ト, イ ングラ。ソ ド

ではキャプテン・ス ウィ ングという名の) 「暴動, 機械打ち壊し, 干し草放火」 が荒れ狂った。 労働

者の闘争はチャーチス ト運動に収斂され, オコソネルはますます反労働者的になっていった。「オコ

ソネルと フ ァーガス ・オコナーとの根本的な相違」 はこ こにあった。 「オコソネルと フ ァ ーガス ・オ

コナーとのこの意見の相違が, アイルラン ドをオコナーに向かわせ」, アイルラン ド・チャーチス ト

協会がアイルラン ド全土で活動するこ とになるのである。

13章は, 大飢饉の時代であさ)。 「大飢饉は, アイルラン ドにおける階級対立を最高に高めた。」 コ

ノ リーは12章までに示した歴史観でこのアイノレラソ ド史上最も悲惨な時代を分析する。「これから述

べるこ とは, アイルラン ドとイギ リスのオーソ ドックスな歴史家によって我われが得ている, この

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11ジェイ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史

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『アイルラン ド史』 の第 1回がワーカーズ ・ リパブ リック紙に掲載されたのぱ, 1903年 1月であ

る。とい う こ とは前年の1902年に執筆し始めた こ とになる。1902年はコノ リーにとって どんな年だっ

たのか? また全文書き終おったのは1907年のこ とである。 こ0 と きコノ リーはアメ リカ合衆国にい

恐ろしい時代の歴史の解釈ではない」とあらかじめ断って, 次のよ うに述べている。 「アイルラン ド

のナシ ョナ リス トは次のよ うに述べるのが普通である。つま り, 『馬鈴薯の立ち枯れ病は神の摂理で

ある, しかし飢饉はイギリスのせいである。』 それは正しい。 ただ 『イギリスが資本主義社会の基本

にある経済原理を厳格に適応したために飢饉となった』 と追加して修正する必要があろ う」 とい う

のである。

飢饉の悲惨さ, 具体的状況を記した後, コノ リーはこう書いている。 「ジ ョ ソ・ミ ッチェル, ジェ

イムス ・ フ ィ ソタ ソ ・ ローラ ー, トーマス ・ ディ ヴィ アソ ・ レイ リーなど少数の人たちが, 人民の

第一の義務と して, 地代不払いなどを主張しただけ」 で, 「民衆が死滅している間, ヤング・アイル

ラン ドは話していた。 彼等の話は美し く , 文法的に完全で, 素晴 らし く洗練されてお り, 適量の情

熱が適切な心理状態に導入されていた。 しかし民衆は死滅した」のだと。 「この時代, 社会主義理論

がアイルラン ドに適用されていたならば, 誰一人飢えて死ぬ人はいなかったであろ う」 とい うのが

コノ リーの基本的に主張したいことなのだが, ここではヤング ・ アイルラン ド批判を厳し く展開し,

同時にその中から後につながっていく芽を見出すのである。

それが14章 と15章で論じる社会主義である。 14章ではヤング ・ アイルラン ドから生まれた社会主

義者が取 り上げられる。 「ヤング・アイルラン ドが大き く分裂したのは, イングラン ドの労働者階級

の抵抗に対する態度だった」, 「 ミ ッチェルは, 専制者に対する激 しい憎しみを燃やして, 街学者に

痛烈な批判を浴びせた」, 「( ローラーの)著作を研究すれば, 我われはその中に行動と社会の原理を

見出だす」 とヤング ・ アイルラン ドから登場 した この二人にコ ノ リーは注 目するのである。

15章では, バーナー ド ・プルマン, トーマス ・ク ラーク ・ラビー, ジ ョ ソ ・ ドノヽ - テ ィ , ヒュー・

ドハーテ ィ などが取 り上げられる。 と く に後の三人にコノ リーは注目している。「何かがなされると

すれ風 それは労働者階級によってである」 というジ ョソ ・ ドハーティの言葉がコノ リーの読者に

示したい言葉なのであろ う。 二

16章はこの本の終章である。 第IV部に含めたが, 総括の性格を持った章である。

「この本はアイルラン ドにおける労働者の歴史を 目指しているのではな く , むしろアイルラン ド

史における労働者の記録で」あり, 「アイルラン ド近代史の中の重要時期における労働者の立場の説

明」 を試みたものであると, コノ リーは執筆の意図を改めて, 弁明している。

ギル ドの解体によって投げ出された労働者の組織化 と闘争はすでに18世紀末に記録されている。

「1792年には熟練仕立職人のス ト…‥・埠頭労働者の闘争」 が, またディ フ ェソダーズの中に多く の

労働者が, 98年蜂起においても多く の労働者の参加が見られている。 19世紀のアイルラシ ド労働者

の戦いはその上に始まるのである。 そしてさ らに 「1857年のフ ィ ニアソの発足に合わせて, 決然と

した労働運動が始まった」。 民族運動と労働運動の結合はいよいよ現実になっていべ。 「同じ理由で,

土地同盟は, 公的な自治主義の新聞の反対運動を展開させ」, 土地戦争において共同戦線が成立する

のである。

「繰 り返 し繰 り返し指摘してきたよ うに, アイルラン ド問題は社会問題なのである」。 これがコノ

リーの言いたいこ とである。 そしてまた コ ノ リーが常に声高く 主張し続けるこ とである。

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12 智堀 越

これは, ク ローニン とダ リーヴズがコ ノ リー伝の中で, コ ノ リーが 『アイルラ ン ド史』 を書き始

めた頃の状況を述べている部分である。 グ リーヴズもク ローニンも この情景を取 り立てて重要視し

ていないが, 当時のコノ リーのおかれている状態や I SRPと コノ リーの関係を良く物語っている

よ うに思 う。

アイルラン ド民族同盟は, (第 1次)土地戦争終了後に結成されたアイルラソ ドめ自治を 目的とす

る組織である。ここでは土地同盟に見られた左右(急進派と穏健派) (そして当然社会主義者も加おっ

た) ナシ ョ ナ リス トの結集体はも う見られなかった。 自治に目標を限定した穏健な議会主義者集団

だった。 「子供の頃から希望を抱いていた運動の挫折」がそこにあったのである。 コノ リーが社会主

義とアイルラン ド ・ ナシ ョナ リズムに最初に関おったのはスコ ッ トラン ドだったが, 彼の中にそれ

を確立させたのは, 土地同盟だった。 兵役を志願し, アイルラン ド派遣イギ リス兵と して母国の土

を踏んだ コ ノ リーが熱中したのは土地同盟関係の文書だった。 ス コ ッ ト ラン ドで学んだ社会主義を

そこで彼自身のものにしたのである。 立場上彼は運動に加わるこ とは出来なかったがレ彼はそこに

民族の発展 と社会主義の現実を見て期待していたのである。 土地戦争はそれな りの成果を収めたが,

その後の展開はコノ リーにとっては挫折以外のなにものでもなかった。 そしてそれは主として, 自

治主義者の転向によるものだったのである。 厳しいナシ ョナ リス ト批判に彼を追いやった ものがこ

こにある と見て よいだろ う。

こ う した時期に, 1896年にコノ リー一家がアイルラン ドに移住にするこ とにな り, コ ノ リーはア

イルラン ド最初の社会主義政党 I SR Pの結成に参加するこ とになった。 機関紙ワーカーズ ・ リパ

ブ リ ックは98年 8月に第 1号が発行されている。 しかし, コ ノ リーの思い入れにも拘らず, I SR

Pは成長しなかった。 コノ リーにとっての救いは, この時期のアイルラン ド ・ ナシ ョナ リズムの新

たな興隆だった。 一つはゲール運動競技協会やゲール同盟の活動によるゲーリック ・ リバイバルが

成功していた こ とであ り, 1798年蜂起百周年の記念行事によって共和主義的民族主義が再興してい

た こ とである。

コノ リーは前者には直接関わらなかったが, 後者には積極的に取 り組んでいる。 記念事業に積極

的に参加した し, 引き続いて取 り組まれた ヴィ タ ド リア女王訪問反対運動の場合も同様だった。 ナ

シ ョナ リス ト と してのコノ リーの面目が遺憾な く発揮された し, 多 く のナシ ョ ナ リス ト と知 り合い

「 I SRPの他の」 ソバーが党事務室でチェ ッカーを楽しんでいた間, コノ リーは部屋の隅で

『アイルラン ド史』 の初めの数章を執筆していた1)。」

「冬になる と, リフ ィ ー通 りの部屋はク ラブのよ うに使われた。 (代わ りにチェスを した らどう

かとい う コ ノ リーの忠告を無視して) ミ ュラ リーはブラ ッ トシ ョ ウにチェ ッカーを教えていた。

その隅で コ ノ リーは 『アイルラy ド史』 を書いていた2)。」

「アイルラン ド民族同盟の中の保守勢力が指導権を再確立した。 もはや社会主義者との共同行

動はなかった。 崩壊の種がアイルラン ド民族同盟そのものの中に蒔かれた。 子供の頃から希望を

抱いていた運動の挫折を見てのコノ リーの感想は 『アイルラン ド史』 の中の関連した記述の中か

ら判 断す る こ とがで きる3)。」

た。 コノ リーを と りま く合衆国の情勢はどうだったか。 さ らに出版は1911年のこ とであ り, この前

年にコ ノ リーはアイルラン ドに帰国している。 この帰国はなぜだったのか, コ ノ リーを迎えるアイ

ルラン ドはどんな状況にあったのか, そ してそれらの情勢がこの本にどのよ うに関わ りを持ってい

るのか。 『アイルラン ド史』におけるコノ リーの主張を考慮しながら, この本の執筆にコノ リーを駆

り立てたものはなにか, 何に向かってなのか, 何に反対してなのか, という形で考察してみたい。

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13ジェイムズ ・ コノ リーとアイルラン ド史

になった。 確かなアイルラ ン ド ・ ナシ ョナ リス トにコ ノ リーはなっていったのだ った。

一方, I S R Pのオルグと して コノ リーは, 第 1イ ンタ ーナシ ョナルのパ リ大会に代表を派遣し

た り, ダブリン労働組合会議の代議員になった り, 選挙に立候補した り, アメ リカやスコ ッ トラソ

ドに講演旅行に出掛けた り, 八面六劈の活動を展開した。 その活動を通じてコノ リーは, 社会主義

者と して も確かになっていったのである。

こ うした中で, 後に 『アイルラン ド史』 となる連載の執筆が始まったのである。

ダブ リンを中心にコノ リーが活動を展開していく と きに, その基盤となったのは労働組合であっ

た。一方, 協力 した り競合した りしなければならなかったのはナシ ョナ リス トであった。 こ こで『ア

イルラン ド史』 の二つの主題 (中産階級 ・ ナシ ョナ リズム批判とナシ ョナ リズムに対する階級闘争

の強調) が生まれるのである。 それがナシ ョナ リズム否定ではな く , 社会主義を基盤 と した新しい

ナシ ョナ リズム構築であるのはこのためである。 しかし コ ノ リーはアメ リカに行かねばならな

かった。 行く 先が合衆国だったのは, すでに講演旅行にいっていたこ ともあ り, デ ・ レオソたちが

彼を高く評価 していたこ ともあったが, 渡航は主としてはアイルラン ド側の事情によるものである。

とい うこ とは彼が 『アイルラン ド史』 を書き始めた困難な事情の変わっていないこ とを示している

と考えることができるだろ う。 直接には経済的理由であるが, それはつま り I SRPの活動が行き

づまっている ことだったのである。 そして合衆国へ行って彼を と りまく情勢が好転したのだろ うか。

前半の主張のままで 『アイルラシ ド史』 の後半を書き続けたということは状況が基本的に変わって

いないと言えるし, この著作の一貫性がそれを示しているといってよいだろ う。 サンジカ リズムの

色は着いたが, 彼はサソジカ リス トになりきれず, デ ・ レオソとの対立は彼を再びアイルラン ドに

帰国させるこ とになった。

彼の帰国の情を掻き立てたものと 『アイルラン ド史』 を書き続けさせたものとは基本的に同じで

あった。デ・レオソたちはコ ノ リーをイ ンタ ーナシ ョ ナ リス トと して必要と したのに対し, コ ノ リー

は一面はイン ターナシ ョナ リス トとして十分に存在価値を発揮しながら, アイ リ ッシュ ・ アメ リカ

ンの組織, アイルラン ド社会主義同盟( I SF) を結成, 機関紙『ハープ』を発行してアイ リッシュ・

ナシ ョナ リス トと しての面目をまた十分に発揮している。 『ハープ』の記事が以前よ りもナシ ョナル

なのは, 状況がむしろそれ以上 とい うこ ともできよ う。 デ ・ レオソ との対立もそ うだが, それ以上

に彼のナシ ョ ナ リズムが彼を帰国に駆 り立てたのである。

帰国してもサンジカ リズムを払拭で きていないが, ナシ ョナルな面が強く現れて く るのは, 帰国

したアイルラ ン ドの事情にもよる。 つま り彼の帰国を歓迎しない事情があった こ とである。 ナシ ョ

ナ リス トの側にもあったが, 直接的にはそれは労働界の中にあった。 やがてウォーカーとの論争で

頂点に達する問題である4)。 さ らに1913年のダブ リン ・ロックアウ トの際にシソ ・フ ェイソ との論争

となる問題で ある。 前者はアイルラン ドの労働運動を イギ リス労働運動の一部分に止めるのか, そ

れともアイルラン ドの独自性 ・ 自立性を強調するのかとい う問題であ り, 後者は自治とい う民族の

課題が最優先なのか, 労働者の権利や生活を優先させるのかという問題であった。

しかし片方にW. オブライアソたち, コ ノ リーを歓迎 し, コ ノ リーに期待する勢力があった。 『ア

イルラン ド史』 の出版を可能にしたのはこの勢力だった。 彼らはコノ リーに何を期待したのか。 彼

らは前年にアイルラン ド運輸 ・一般労働組合 ( I T GWU) を結成していた勢力だった。 イギリス

の労働運動の一部だったアイルラン ドの労働運動が, 自立的な運動に脱皮しようとしていたのであ

る。 それは単に組織的に別個の分離した組織を結成するこ とだけでな く , 運動論的にも自立, つま

りよ り戦闘的に, よりナシ ョナルに, より大衆的にと変容していこ うとしていたのである。コノ リー

自身にも, また 『アイルラン ド史』 にも, まさに最適の状況だった といえるだろ う。

アイルラン ドの労働界が戦闘的な組合主義を必要と してお り, デ ・ レオソ的戦闘性, サソジカ リ

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「コノ リーの歴史に関する著作, 特に 『アイルラン ド史』 が非常に価値あるものであることは

言 うまでもないこ とである。 それらはフ レッシュで, 明快で, 大いに感動的である。 これは彼が

アイルラン ド民族の一般大衆の経済状態を, 常に見つめ続けてきたこ とによるものであるこ とは

5

コノ リー死後最も早い研究書に, マ ッケナのものがある(Rev.L.Mckenna,Sふ, Tk Soc屈 Teαch-

緬gs of μmesComlol砂) 。 1920年 の出版で ア イ ル ラ ン ドの最初 の伝記 (D.Ryan, μmesCo箆肴o販 )

と並んで同時代人の論評である。 その第5章, 「コ ノ リーとアイルラン ド史」 (Connolly and lrish

History) をまず紹介する。 (下線は筆者)

14 堀 越 智

ズムを残していたこ と も受入れられる原因 となったが, その戦闘性も この時期では自立的労働運

動 ・ ナシ ョナルな労働組合運動の主張と一致するのである。

『アイルラン ド史』 は社会主義者からだけでな く , 一般からも好評を持って迎えられた。 ダブ リ

ンの国立図書館所蔵のコノ リー文書に含まれていた宣伝チラシに新聞の書評の抜粋がのっているの

でその中から一部を紹介し よ う。

まず, アイ リ ッシュ・ネイシ ョ ソ紙は, 「 コ ノ リー氏の素晴らしい本……これ以上望むこ とのない

ほどの情熱と確信を持ってアイルラン ド労働者階級の歴史を語って いる本をついに手にするこ とが

できた。 コノ リー氏は……アイルラン ドにおける真の民主主義に, 価値ある寄与を果た したのだっ

た」 と書き, 次にフ リーマンズ・ジャーナル紙は, 「衝撃的で独創的な本……確かな力を持って述べ

られている……・コノ リー氏はアイルラン ド史の偉大な人物や大事件の再評価を試みている。 全体に

印象的で刺激的なこの本は, 彼の強い個性的見解に賛成できない人たちが読んで も役に立ち,しアイ

ルラン ド史研究の無視されてきた分野に注目を引く のに大いに役立つことだろ う」 と賞賛した。 さ

らにアイ リ ッシ ュ・タ イ ムズ紙は, 「コ ノ リー氏は素晴らしい本を書いた。……それによってジ ョ ソ・

ミ ッチェルの 『ジャイル ・ ジャーナル』 が偉大な本となったのと同じ よ うに, 燃えるよ うな強烈さ

で全体が覆われている。 コノ リー氏はアイルラン ド史をある方向で読んでいる。 彼は少し も公平さ

を欠 く こ とな く書いている。 さ らに明快な ビジョ ンを持って, また無条件の真実とい う印象を与え

ている政治家の宣伝文句に対する侮辱の言葉を持って, 書いている」と記している。保守系のアイ リッ

シュ 9タ イ ムズ紙さ えも こ う評 している と ころに, この本がいかに関心を もって迎えられたかを見

るこ とがで きよ う。

こ う した背景にも, この時期におけるアイルラン ド労働運動の高揚がある。 賛否は別として労働

組合運動の急激な発展に対するアイルラン ド各界の注目があったのである。 卜

対する彼の深い愛情によるものであって, ドイ ッー

どのよ疑いないこ とである。 また恐ら く , 彼が経済要因にこのよ うにと く に注目するのは,

うに彼がそれを理解していたにせよー マルクスの唯物史観に対する傾倒によるものである。 し

かし我われは, わが国の歴史の経済的側面に対する コ ノ リーの関心は結局, アイルラン ド人民に

からのイ ンス ピ レーシ ョ ンによる ものでは

大いに関心を持ったが, 彼らはそれがマルクスの示唆によっているとは考えなかったであろ う。

アイルラン ドの歴史に関して コノ リーがフ レッシュで独創的であると しても, それは, どんな

に大袈裟にいっても, 過去の生活を映像的に描いた り, その複雑な詳細を統合した りする力を彼

が持っている とい うこ とではない。 むしろ事実は, 先人たち よ り以上に, その時代の研究に心と

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15ジェイ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史

精神を吹き込んだということなのである。 その時代を書いた歴史家はハヴァーティのような旧い

学派の歴史家だった。 またはミ ッチェルのよ うに政治闘争に生涯を送った人たちだった。 あるい

はコノ リーのよ うな民衆に対する深い同情を持った人たぢではなかった。 強い愛情で もってアイ

ルラン ド人民を愛した コノ リーは, アイルラン ド人民の状態に注目を集中した。 その結果, 彼は

我われに, 時代のよ り真実の, よ り教訓的な叙述を与えたのである。 私が思うに, このこ とを主

張するこ とは, ある ドイ ツ哲学に対する彼の読み込み あるいは誤解についての, 彼の洞察力

マ ッケナが主張したいこ とは, コ ノ リーの経済史観がマルクス主義によっているこ とは否定でき

ないが, しかし よ り基本的にはナシ ョナ リズムによっているこ と, それもアイルラ ン ド人民に対す

る深い愛情に基ず く ナシ ョナ リズムによっているこ とである0. ’

そのナシ ョナ リズムを, マ ッケナはどう と らえているのか, 第 6章の 「コノ リーとナシ ョナ リズ

ム」 (Connolly andNationalism) を見てみよ う。

に注 目するのではな く , 彼の判断だけでな く , 彼の心に対するいっそ うの信頼を寄せるこ とにな

るのである。 1)」

マッケナはここでもコノ リーの人民に対する愛情 ・ ナシ ョナ リズムを強調している。 そしてその

ナシ ョナ リズムが単に政治的独立を求めるだけのものでな く社会解放を 目指すものであることを述

べている。 処刑直前の次女ノ ーラヘの言葉を紹介しているのは他の社会主義者との違いを強調した

いからである。

すでにマ ッケナの論評に現れてお り, さ らに現在まで続いているのがこの点である。 つま りコノ

リーは本質的にナシ ョナ リズムに立っている, マルク ス主義を基盤としてはいるが, 本質はナショ

ナ リズムであ り, 他の社会主義者とは基本的に異なっている とい うのである。 これはマ ッケナが僧

職にある人物だから問題にしているということもある。 社会主義 ・革命を否定するカ ト リックの立

場からすれば, コノ リーを肯定的に評価する場合ナシ ョナ リズムからでしかないのである。 しかし

一面, コ ノ リーの場合, このよう に評価されても, それが直ちにコノ リーの全面的あるいは基本的

「こ こではコノ リーが師マルクスと違っている と思われるも う一つの点を述べたい。 経済諸条

件がマルクスにとってすべての思想づ基本であったので, 愛国主義は彼にとって何ら道義的基準

とならなかった。 二 ・三の点で,ト コ ノ リーが極端に国際主義者であった と推論する人がいる (例

剋i T秘 Nm Eu昭d, Socid sm Eαsy) 。 しかしそのよ うな推論はまった く の誤 りである。 社

会革命から離れての政治的解放はコノ リーの関心を引かなかった。 なぜなら, そのよ うな改革は

アイルラン ド人民自身にわずかの利益しかもた らさ なかったからである。 正義感を持ったすべて

の人だち と同様に, コノ リーはアイルラン ド以外の国の無産者階級に深い同情を持っていたが,

それは自国の人民に対する愛情を持つこ との妨げにはならなかった。 これはシャン・ヴァソ・ポッ

ト, レイバー ・ リーダー, ハープなどの各紙に掲載の諸論文からみることがで きる。 また彼の生

涯のさ まざまな事件によって, 結果的には彼の死によって, また 『社会主義者は私がこ こにいる

こ とを決して理解できないであろ う。 私がアイルラン ド人であるこ とを彼らは忘れているのであ

る』 とい う処刑前の娘への言葉によって理解できよ う。 国際的連帯とナシ ョナ リズムとを妥協さ

せる彼の方法は, 1792年のユナイテ ッ ド ・ アイ:リ ッシュマソの演説の一節に対する彼の賛成で分

かるだろ う。 『( イギ リスとアイルラン ドの) 連合はそれぞれの独立の上にあるのである。 我われ

が我われ自身に委ねられるならば相互に愛するこ とができよう。』これはまった く正しいことであ

る。 … …2)」

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16 堀 越 智

否定に繋がらないのである。 むしろそれも積極的評価と とれる面がコノ リーにはあるのである。

『アイルラン ド史』 は, こ う した コノ リーの分析しにく い問題に対する手掛かりを与えて くれる

ものとい うよ りは, 問題を提起した書といったほうがよいかも しれない。 コ ノ リー自身はこの問題

に対して ここで明快に解明しているつも りかもしれないが。 コノ リーはこの本の中ではむしろ痛烈

なナシ ョナ リズム批判を展開しているのであ り, 唯物史観にも とず く アイルラン ド史を展開してい

るのである。 したがって コノ リーにおけるナシ ョナ リズムと社会主義とを意識的にでな く ても対立

的にと らえれば, 非マルクス的社会主義といわれるものー アイルラン ド ・ ナシ ョナ リズム的社会主

義なるものが, さ らにはナシ ョ ナ リズムそのものが浮かび上がって く るのである。

しかし 『アイルラン ド史』 の思想もそれを と りまく状況もマ ッケナが言 うほど単純ではない。

マ ッケナ以上にコノ リーと近い関係にあ り, それだけに日常的にも コ ノ リーを よ く知っていた ラ

イアンはコノ リーをマルクス主義者 と して認識している。

ライ アンはピアースの聖エソ ダ学校に学び, ピアースの秘書と して行動を共にした人物で, 当然

のこ とながらコ ノ リーとは日常生活においても近い関係にあった活動家だった。̀ 彼が書いた ものか

ら見るかぎり, 師のピアースほどにはコノ リーの思想的影響を受けていないよ うに思えるが, コノ

リーの思想も行動も十分に理解できる立場にあった。

彼はこ う書いている。

後にコノ リーは若い頃のやや硬直したマルクス主義を修正した。 しかしそれは事実と言 うよ り

も印象であることを認めなければならない。 確かに彼はアメ リカの社会労働党を去った。 一方,

アイルラン ドとアメ リカでのさまざまな経験は彼を成熟させ円熟させた。 しかし産業組合主義に

ついての彼の著作は, 彼らの聖書の権威ある解説のよ うに全世界のコ ミ ュニス トたちによって使

われている。 今日確かにコノ リーは, も し権力を握った ら経済的分離が両国に悪結果を もた らす

と して も, アイルラン ドをイギ リスから切 り離してアイルラン ドに絶対的自由を与えるよ うに忠

告している代表的コ ミ ュニス トと心から同意している。 ……3)」

「……以前にすでに, 『アイルラン ド史』 の最初の数章が, 明るい, 奇妙に燃える, 誠実な本を

現していた。 それはコ ノ リーの遺書 となるものだった。

その科学的精神に, ずっ と無視されてきた経済的要因に対するその強調に, ロマンチス トが遠

ざけ抑圧して きた思いも よらない局面についての興味ある知識に, 著名な批評家たちが注 目した。

多事に満ちた生活の, さまざまな状況の中で, 毎日のパソを得るために激し く 闘争しなければな

らなかった男によって慌ただし く書かれたが, 『アイルラン ド史』は, 最もすきのない教授や鋭い

● ● ● ● ● ●

「ジ ェイムズ ・ コ ノ リーはマルクス主義社会主義者であった。 彼のマルクス主義は生きた もの

だった。 彼は労働者と してまたアイルラン ド史研究者と しての経験によってチェ ック しながら,

社会主義の文献を広 く , 深 く読んだ。 この心の広い, 人間的で, 学識のある ドイ ツの思想家 ・哲

学者 ・闘士から, またイギ リスの進んだ社会主義組織から彼が引き出した着想を無視するこ とは,

彼についての記憶を曲げるこ とにな りまた彼の教えを曖昧にすることになる。 コノ リーの著作を

読んだ読者はその影響を否定するこ とは出来ないだろ う。 だがいつも私たちは, 政党政治家が労

働指導者に向かって次のよ うに言っているのを聞く。 すなわち, 『民族の上に階級』を置こ う とす

る, 内戦に加わらない, 別個の代表権を主張する, 『権力を握っているものを信用しない』な どな

ど。 ジェイムス ・ コノ リーの名前が, この様な機会のとき, 熱狂的な賞賛の中に含まれることも

時々はあったが, 『アイルラン ド史』は, 多く の熱心な人たちの書棚の上でだんだんと埃まみれに

な っ て い った。

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評論家の明らかな偏向, 誤 り, 省略, 欠如を説明した非凡な作品である。 1==・- ラーの社会思想,

最初の社会主義者 ・ ウィ リアム ・ トムスソ, ク レアの協同組合ユー トピア ・ ララハイ ソ, 民主主

義者で国際主義者 ・ ユナイテ ッ ド ・ アイ リ ッシュメ ソ, フ アーガス ・ オコナーのよ うなアイルラ

ソ下のパイオユア, イギ リスの社会民主主義運動におけるジェイムズ ・ フ ロンティ ア ・ オブライ

アソやジ ョ ソ ・ ドハーティ , これらが今日我われに馴染みがあるのは, コ ノ リーの勤勉で雄弁な

不屈さによるものである。 『アイルラン ド史』という彼の標題はまさに, 明確な意味と訴えをもっ

て有効だったのである。

アイルラン ドの最良の愛国者は社会主義者だったとコノ リーは主張する。 しかし彼はまず, ア

イルラン ドの内部を見て自己を正当化し, アイルラン ド史の諸事実を も とにして議論を組み立て,

アイルラン ドの従属 とそ こから く るすべてに反対す る前衛 となる こ とを学ばねばな らなかっ

た 。 4)」 十

ジ ェイ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史 17

労働運動の活動家, オシャノ ソはことさ らに社会主義者 ・ マルクス主義者とい う言葉を使ってい

ないのではないかと思われる。 またナシ ョナ リス トの面も押さえている。 自分自身そ うであったか

らか, オシャノ ソはコノ リーも労働運動の指導者 ・理論家として強調するのである。 そしてこのオ

シャノ ソのよ うな解説もまた生きている。 アイルラン ドに帰国してからもサンジカ リズムを完全に

は捨て切れなかった コノ リーは, 常に労働組合を行動の基盤としているのであ り, オシャノ ソのよ

うな観察もまった く の歪曲とは言えないのである。

つぎに, 現代の歴史家は 『アイルラン ド史』 を どう見ているか。 まず新しい と ころで ク ローニン

を見てみよ う。

「コ ノ リーの講演やスピーチを聞く こ とは素晴らしい経験だった。 ……初めて聞いた1910年以

来私はアイルラン ドの著名な雄弁家や, イギリス労働界の大物や, 大陸社会主義の雄弁家などの

演説をなんども聞いたが, コ ノ リーの演説はどこか違った ものを もっていた。 ……」

「指導者としてのコノ リーの優れた資質は, 洞察力であ り, 不屈の勇気と決断力であ り, そし

て活動のあらゆる場面において行動の基盤となっていた労働者階級観 ・哲学と もいえるものだっ

た 。」

「労働運動についてのコノ リーの哲学は明確に労働者階級哲学だった。 彼は労働者階級の出身

であ り, 彼の目的は労働者階級を権力に就けるこ とだった。 彼のすべての思想, すべての言葉,

すべての行動は, 労働者階級の苦しい, ときには地獄のよ うな現実から一時も離れるこ とはなかっ

た 。 … …5)」

ライアンの論は, コ ノ リーを基本的に社会主義者 と見るものである。 そして, だかも ナシ ョナ リ

ス トになる, あるいはナシ ョ ナ リス トにな らねばな らなかった とい うこ となのである。 ライ アンの

場合, 労働運動におけるコノ リーの位置を知ってお り, また評価しており, さ らに師ピアースに対

する大きな影響を十分に認識しているのである。 師ピアースとの基本的な相違はコノ リーがマルク

ス主義にしっかりと立っているこ とであった。 師ピアースと並ぶ偉大さはコノ リーがマルクス主義

者だったこ とである。 そこを認識した上で ライアンはコノ リーがピアースらと共に行動したこ と,

つま り蜂起に参加したこ と, それも指導者として先頭に立ったこと, が彼のコノ リー観を形成する

のである。

さて, 労働組合のリーダーだったオシャノ ソは, コ ノ リー著作集の序文で, こ う述べている。

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18

「この本 ( 『アイルラン ド史』) の最も議論の多い部分に就いて, 時代 と歴史家の検証が行われ

て い る。 ド イ ツ の政 治学 者 , レ オ ソ ・ コ ー ン博 士 は, 著 書 『ア イ ル ラ ン ド 自由国憲法』 の中 で , コ

ノ リーの思想は伝統的共和主義に 『力強い現実的内容』 を織 り込んだものであると述べ, さ らに次

のよ うに付け加えている。 卜

『こ うして大戦直前の十年間に, その時代は共和主義思想と行動がダイナ ミ ックに復活した時

代だったが, 革命的ナシ ョナ リズムと戦闘的社会主義の和解が育っていた。 それはコノ リー独自

の社会主義の幅広い解釈の中にローラーの理論を再論したものだったが, ピアースは最後の著作

数編において, 二つの情熱の理論的融合を完成させた。 真の民主社会の確立は, 共和国や独立そ

れぞれの達成と同じ く らいにレ革命のプログラムの要求に重要となったのである。』

アイルラン ドの過去をイギ リスの犯罪と見るものにと っては, またそれを 『愚か者の不始末』

と見るものにとぅ ては 『アイルラン ド史』 は一つの暴露である。 聖書ではな く , マルクスの唯物

史観を使いながら, コ ノ リーはイギ リス植民地支配の具体的分析を行っている。 征服の根源は経

済なのであった。 ‥…・R. D. エ ドワーズとT. D. ウィ リアムズは, 『大飢饉』 の序文の中で,

最近の調査は, コノ リーの 『アイルラン ド史』 と共通していると ころが多い, と記している。 ま

た0 . D. ,エ ドワーズはこ う書いている。 し

『この本が人民を アイルラン ドの歴史に立ち返らせた と言って も言い過ぎではない。 ほぽ60年

経っているが, 研究者が手元において, 自己の思索に刺激を受ける十分な価値を持ったものであ

る, またいかに深 く学者たちの注意を向け直しているか, 専門の歴史家の最近の著作を少し見れ

ば分かるだろう 。』

『真の革命家』 は, 社会的 ・政治的不満のあらゆる力や要素の完全な総体を 自分の側に引き寄

せなければな らない, と コ ノ リーは信じていたのである。 6)」

堀 越 智

コノ リー史観にたったアイルラン ド史の概説を試みたエ リスの見解は前述の訳書を読んでいただ

ければすぐに理解していただけると思うが, 彼は純粋にマルクス主義の書として『アイルラン ド史』

を見ているのである。

’ もっ とも権威あるコノ リー研究者のグ リーヴズは, コ ノ リー伝の中でこ う記している。

「『アイルラン ド史』 の各章を通してアイルラン ド人民の闘争が明らかにされた。 主要問題につ

いて攻撃を挑むものがほとんど誰もいなかったこ とは, この著作の真価を雄弁に物語っている。

ロマン主義からのオーフ ァオ ラソの非難は別 と して, すでに述べた よ うに, 批判は細部について

のみだった。 アイルラン ド史の最も危急の時期におけるすべての階級の立場が正確に叙述されて

いた。 アイルラン ド経済発展についての研究の中でジ ョ ージ ・ オブライアソ教授は, 一つの章だ

け批判している。 それはグラタ ン議会についてで, コ ノ リーのウイーク ・ ポイ ン トを正確に突い

ている。 コノ リーは 『法的独立』 の価値を過小評価する傾向があった。 彼はグラタ ン時代のアイ

ク ローニンは諸説の紹介とい う形を とっているが, 彼の主張したいのはこの書が革命の書である

ということだった と思われる。 それも現代でも通用する革命家の必読基本文献と言いたいのだ と思

われる。 実践的な感覚で見ているのである。

コノ リー著作集を編集したエ リスはその序文で こう 書いている。

「同じ月 (1903. 1. ) ワーカーズ ・ リパブ リック紙が, 大作 『アイルラン ド史』 の第 1回分を

掲載した。 これはアイルラン ド史に初めてマルクス主義的分析を試みたものだった。 7)」

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19ジ ェイ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史

ルラソ ドの相対的発展をイングラン ドの産業革命の影響としている ( アイルラン ドの産業革命の

ではなく , オブライアソ教授はそ う考えているように思われる) 。つま りイングラン ドの産業革命

がアイルラン ドの生産物に異常な需要を起こ したのだ というのである。 その結果, アイルラン ド

資本家の力を強めるこ と とな り, よ り強く 独立を要求するにいた らせるこ とになるのである。 経

済条件が悪化する と併合となる。 『産業の衰退が始まってお り, アイルラン ド資本家階級はイギ リ

ス政府の買収資金の力と戦 うこ とができなかった。 ………』

『アイルラン ド史』 は, 社会主義思想家 と しでのコノ リーの地位を確立した。 それは好評で,

広 く読まれた。 サンジカ リズムの匂いめす る定式を多く持っていたが, アイルラン ド政治史の重

要問題の役割を解説した最良ものであり, 今 日でも しばしば再版されている。 8)」

お わ り に

本論は 『アイルラン ド史』 をテキス トにコ ノ リーの歴史観の分析とその背景についての考察を試

みたが, まずはその複雑さが明らかになったかと思 う。 それは民族主義と社会主義の持つ複雑さで

あって, コ ノ リーに限らないとも言えるかも しれない。 あるいはそ う言って片付けてしまえば簡単

であろ う。 しかしそれでは 『アイルラン ド史』 を読んだ意味がな く なろ う とい うものである。 そこ

でここでは結びとして, その複雑さのもつ意味を考えてみることにする。

それはまず第一に, アイルラン ド史そのものの’複雑さからく るものである。 コノ リーのこの 『ア

イルラン ド史』 は, 唯物史観にたってアイルラン ド史を考察した初めての試みであるが, 前述め二

点の視座を もって鋭い分析を行っているにも拘 らず, 歴史像が十分に描かれてはいない。 それは研

究蓄積の不足にもよるが, アイルラン ド史は社会経済的発展段階説によって割 り切るにもそのよう

な展開を してこなかったのである。 アジブ史を叙述するときの難しさ と同じで, 社会構成史的分析

が十分で きていないのである。 十

第二に, コ ノ リーの立場の複雑さである。 スコ ッ トラン ドで社会主義者として出発し, アイルラ

ン ドでその立場を確立し, 再びスコ ッ トラソ下で実践に踏みだし, アイルラン ドで本格的な実践に,

という前半だけでもそ うだが, さ らに合衆国に渡 り(それも生活上の理由で) , 自ら切望して母国に

帰る とい う, その経緯だけで も容易ではない。 またナシ ョナ リス トであっただけに, 自民族の歴史

を割 り切 る こ との困難さがあったのだろ う。

ク ローニン, エ リス, ダ リーヴズから現代のコノ リー論をはかれば, コ ノ リー= ナシ ョナ リス ト

論もコノ リー= 社会主義者論も定着している と考えることができる。そして前者の場合, 彼のナシ ョ

ナ リズムを どう見るか, 後者の場合, 彼の社会主義を どう見るかが問題 となっているのである。 し

かし コノ リー= ナシ ョナ リス ト ・社会主義者 といった分析は不十分のよ うに思われる。 グ リーヴズ

がその努力を もっ と も しているよ うだが。 し

『アイルラン ド史』 を読むとき, 強く感じ られるのがナシ ョナ リス ト ・ コ ノ リーと社会主義者 ・

コノ リーの一体感である。 ナシ ョナ リス ト ・ コ ノ リーと社会主義者 ・ コノ リーの乖離は感じ られな

いのである。 それはどこから く るのか。 ナシ ヨ̄ナ リス ト・コ ノ リーと して も, 社会主義者・コノ リー

としても, そ こに矛盾がないこと, 言い換えれば, ナシ ョナ リス ト ・ コノ リーと社会主義者 ・ コノ

リーのどち らにも, 充分な同一性が存在する こ とであろ う。 『アイルラン ド史』 において コノ リー

は, 確固たる社会主義者として民族の歴史を分析しているのであ り, また情熱的なナシ ョナ リス ト

としてアイルラン ド人民の闘争を考察しているのである。

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1)

2)

3)

;王

じ め に

T .W . ムーディ ・ F . χ。マーチソ編著 『アイルラン ドの風土と歴史』 (論創社, 1982) 。

P . B . エ リス 『アイルラン ド人民の歴史』 (論創社, 198← 予定)。

J . コ ノ リー 『アイルラン ド ・ ナシ ョナ リズムと社会主義』 (未来社, 1986) 。

20 堀 越 智

またイースタ ー蜂起に現れたアイルラン ドの民族運動 と社会主義運動の複雑さがある。 自分が

イースター蜂起に指導者と して参加した ことを大陸の社会主義者は決して理解できないだろ うとコ

ノ リー自身が確信していた複雑さである。 実はレーニンが理解したのだったが, 当時の社会主義の

一般的状況はそ うでな く , コ ノ リーが思っていた と う りだった。 身近かにはイギ リス労働運動指導

者や社会主義者に対する被害意識もあっただろ う。 スコ ッ トラン ドの, つま りイギ リスの社会主義

の中から生まれて, イギ リスの社会主義者に充分な信頼をおいていた コノ リーが直面した当時のイ

ギ リス社会主義者は, アイルラン ド民族の要求を理解するものではなかった。 帰国した コノ リーは

イギ リスの労働組合をバックにしたアイルラン ドの労働組合と戦わなければならなかったのである。

さ らに, 北アイルラン ドでゲリラ闘争を展開している勢力がコノ リーを理論的根拠と していると

いう問題がある。 コノ リーと北アイルラン ド紛争については, 別の機会に詳述したいが, なに故に

北アイルラ ン ドのゲリラがコノ リーに理論的支柱を求めるのか, というこ とである。

さ らに, 現代アイルラン ドがコノ リーの予想していた通 りの発展を してお り, コ ノ リーがそ うなっ

てはならないと指摘してきた通 りの展開を見せてお り, そこに含まれている複雑さの問題がある。

複雑さを羅列したが, コノ リーを読み, コノ リーの行動の見る時, ナシ ョナ リズムと社会主義が

一致 ・結合する場合の一類型を見るこ とがで きるのではないだろ うか。 そして コノ リーが社会主義

を基本にし っかりと持ちながら, あ く までも民族の課題を第一義に据えて, 思索し, 行動したと こ

ろに, 彼が今 日までも生き続けている所以がある。 そのコノ リーを知る手掛かり, それはまたアイ

ルラン ド史を知る手掛かりで もあるのだが, それが 『アイルラン ド史』 に見出せる と思 うのである。

5

1) L.Mckenna, Tk Sodd Teαd緬gsof μmesCoyluo恥, Dublin, 1920, pp.16-7.

2) 面d., pp. 17-8.

3) D.Ryan, JαmesCoR肴ollyi・所s£池 眠滋 & 叩治加孤 Dublin& London, 1924, pp. 8-9.

4 ) ibid., pp. 26-7.

5) C.0 ’Shannon, lntroduction, Labot4y泌 lyelaれd, Dublin,n,d., pp.x-xiii.

6) Cronin, 砂。治 。 pp. 97-8.

4

1) S.Cronin, YOttllg COれ肴Olly, Dublin, 1978, p.97.

2) C.D.Greaves, TkeL収 皿d Timesof μmesComld y, London, 1961, pp.125̃ 6.

3) ibid., p. 34.

4) 拙稿 「アイルラン ド ・ ナシ ョナ リズムと社会主義一 コノ リー ・ ウォカー論争を中心に」 (歴史評論, 第398-399号。

1983) 参照。

1

1) 以下, 本稿で使用のテキス トは, 1948- 51年に編集された 4部冊の著作集の1部で “Laboz4y泌 lyela11『 とし

て , ‘The Re-Conquest of lreland’と を 収 録 し た も ので あ る 。

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ジェイ ムズ ・ コ ノ リーとアイルラン ド史 21

7) P.B.E111sed., μsgsCan a硲 j & ygd㎡ W治加疹, Hamondsworth, 1978, p.15.

8 ) Greaves, ゆ。ぶ 。 pp. 196-8.