11

Speech Text (Mori Kazumichi) 201012

Embed Size (px)

DESCRIPTION

china society

Citation preview

大国化する中国鴎堅且

A議涛.

大国化する中国~表出する社会・政治問題に企業はどう対応すべきか~

星||||;lL NewAsianInvescoLtd.

董事総経理森一道〔_ノ

日本機械輸出組合では、昨年12月l6Hに中

国経済社会傭勢セミナーを開催し、在香港

NewAsianlnvcscoLtd(illi洲策略有限公司)の

ManagingDirector(菰事総経理)森一道氏よ

り、標記テーマでご識演頂きました。本稿は、

ご講演要旨を同氏のご高閲を得て褐減するもの

です。

ジョン・ロック、トマス・ホップス、アダム・ス

ミス、ジヤン=ジャック・ルソーらはそれを「市

民社会」と呼び、19世紀末には「大衆社会」と呼

ばれるようになった。そのような都市社会は本

質的に不安定な存在なので、その社会をどのよ

うに安定化させるかが、社会科学、人文科学の

最大のテーマとなった。

「市民社会」は、経済学的思想の勃興とも相ま

って「完全市場」と同一視された。「完全市場」で

は理論上、全員が消費者(買い手)であるととも

に、生産者(売り手)でもある。

しかし、18世紀末の産業革命で、誰でも生

産者である時代は終わった。資本を持つ者のみ

が生産者になる時代が到来した。その一方で、

労働を売って賃金を得る労働者が生まれた。こ

うして191吐紀末、一般に「大衆社会」と呼ばれ

る社会が艇生した。その「大衆」を労働者と捉え

た思想家がマルクスである。資本によって労働

者(大衆)は搾取される階級となった。幸福を得

るには資本家を倒すしかない。「資本論jがそう

した思想の体系化である。

一方、20世紀、フレデリック・テイラーは、

労働者は会社という組織の一員として資本の恩

恵に与り、消費の主体ともなりうると唱えた。

この理論は大戯生産システムを確立したフォー

1.中国における「社会」の形成とその特異性

2010年、日本への抗議運動が再び起こった。

最初の大規模な反日巡動は2005年、国連安保

常任理事会へのロ本の加盟反対の声が商場した

ときだが、日本と中|豆lの経済lllj係はその問に一

段と緊密化している。この政治と経済のギャッ

プの拡大をどう説明すべきか。そのために今日

はほとんどiM;られない、中睡|における「社会」の

問題を中心に識を進めたい。

ミーノ

(1)歴史における「社会」認識

一般に、工業化に伴い、農村の余剰人口が工

業部l1l1に吸収きれることで都市社会が形成され

る。彼らは無産労働者であり、身体を労働力と

して売り、日々の栂を得る人間である。

そのような社会形成の胎動が17~18111:紀に

西洋で始まったとき、様々な瀧論が展開された。

」AAC2011.03 -12-

大国化する中国

特にこの10年ほどの動きはあわただしい。

都市化の歴史を概観すれば、まず出稼ぎがあ

る。1984年に改放が農村から都市に移った時

に選ばれた最初の実験地は華南だった。広東省

の珠江三角洲が開放され、衣料品や玩具、労働

集約的な電子産業等の香港資本が進出した。こ

れに合わせて、鰹村からの111稼ぎ労働者が増加

した。しかし、当時は3年もすれば腱村へ帰っ

たので、厳密な意味での都市化は起こらなかっ

た。同様のことが1990年代、上海周辺の華来で、

近年はもう少し北部でも起こった。その後、都

市化は本格化したが、その要因として三点を指

摘することができる。

第一に、戸籍制の規制緩和で、農民戸籍でも

都市に住むことが比較的容易になったこと。

第二に、この5年ほど、東部沿海部から中西

部への工場移転が進んだこと。胡錦瀞政権が進

める産業構造調整策の結果、「民工荒」(労働者不

足)が沿海部で発生し、より安価で豊富な労働

力を求めて特に労働染約砿業が中西部へ移帳し

たため、出稼ぎもそちらに移った。

第三は、出稼ぎの世代交代である。「出稼ぎ第

二世代」、「80後」(1980年代生まれ以降)、「90後」

(1990年代生まれ以降)と呼ばれる改茄開放世

代、一人っ子世代が腿民工の主流になった。彼

らは農村に帰る気持ちがほとんどない。都市の

ファッションやライフスタイルにあこがれるか

らである。いったん都市に11}てきたら、友人ら

と部屋をシェアするなどして狸<住み続けた

い。沿海東部では彼らが主役になって都市化が

進行している。

都市化が大きく進んだのは1996年からで、

2004年には農民工を含む都ilj就業者数と農民

工を除く農村就業者数の数が逆転した。都市就

業者に占める農民工の割合は2003年に30%を

超えた。現在、都市の就業者のl/3弱が腿民工

という計算である。

ド自動車が採用した。社具に商い給料を出せば、

「労働者」は自社の車をIIMi入可能な「消費者」とな

る。つまり、「大衆」(労働者)を「消費者」と位置

づける大衆社会の別の解釈である。

その後、ケインズが近代経済学を確立した。

大衆は失業する。政府は失業者を救済する義務

がある。失業する大衆が榊成する社会の秩序を

どう維持するかの問題に対して、公共事業を含

む財政政策、金融政策など今日の主流経済学が

成立した。同時期、普通選挙や社会保障、義務

教育など、大衆を柿利一義務関係により「国民」

化する20世紀国家のiMiIi1I度も腱’'1された。全

国メディアの形成も相まって、大衆社会は大衆

国家として安定を達成した。

'■、

(2)中国における「社会」の生成

ところで、中国では、ほとんど「社会」が語ら

れなかった。何より「人氏」は共産党によって代

表され、その共産党が国家を銃くる、という「人

民独裁」体制なので、理論的に「社会」(都市社会)

が存在しなかったからである。貸金は同一で、

必要物資は配給され、消llll財はほとんど生産さ

れず、人間の「自発性」や「創造性」は微塵も容認

されなかった。

また、中国の社会主義は農村、農業のうえに

建設された。さらに、農村と都I1jを政策的に分

断し、都市では単位、農村では人民公社に人々

は所属した。いずれも1980年代前半に解体さ

れた。戸籍IlIIは1958年に施行ざれ現在も残っ

ている。この面からも都市化はほとんど起こら

なかった。中国社会の伝統もある。家族が社会

の基本単位であり、相互に他人である人'111が構

成する近代的な都ilj社会は生まれにくい。改革

llN放後に始まった一人っ子政策が家族の絆をさ

らに強めた結果、都市化を阻害する要因になっ

たとも考えられる。

とは言え、改革開放後、都市化は進行した。

戸、

jMC201tO3-13-

大国化する中国M眉竪司

このように相互に他人である人々がともに募

らす、という意味での都市社会の形成が進むと、

労働争識や群体性事件(集団で起こす事件)が墹

え始めた。労働争議は2005~06年に増加、

2008年はほぼ前年比倍増した。群体性事件も

2003年頃までは6万人弱だったが、2006年には

一気に11万人となった(図表1)。

この穂の数字は公式統計がないので報道等か

ら拾うしかないが、2008年の群体性事件は前

年並みの約9万件で、2009年は前年比若干減少

したと言われているが、事件は重大化した。

2009年の「党的建設辞典」に「群体性斗1件」とい

う語が初めて収録された。共産党の辞典の編集

者にとっても無視し得ないほどの社会的出来事

になったためと考えられる。

外資企業の労働ストは、2010年5月から2カ

月間で少なくとも43社で、そのうち日系企業

が32社だった(朝日新聞集計)。日系企業が非

常に多いのは、経営管理が欧米や香港、台湾企

業ほど厳しくないとか、ヒエラルキーが暖味な

ので、「やり得」だという意識が労働者にあるの

ではないかなどと言われている。

しかし、ここ10~20年ほど、大衆社会は変

容し、大衆国家は行き詰まりを見せつつある。

企業の組織としての永続性が動揺し、)im111は流

動化、資産を担保にしない直接金融が拡大して

いる。政府も財政赤字により公的サービスの安

定供給に困難を来しつつある。

「分衆」という言葉を紹介したい。この言葉は

日本人の発明である。「大衆」はmassやpopular

という英語が存在するが、「分衆」は全くの日本

譜である。1980年代に広⑥告収入が頭打ちとな

ったテレビが広告会社とともに新たなマーケテ

ィングの道具として考案した。より細分化され

たマーケティングが求められる分衆の時代に入

った、と。しかし、当時のアカデミズムは「大衆」

というマルクス主義的概念を好んだので、分衆

は徹底的に批判された。

しかし、考え方、感じ方が多様化した現在、

同一のテレビ広告を見たからといって大iil生藤

品を買ってくれるかは大いに疑問である。分衆

はより妥当性を増したように思える。「分衆社

会」にあえて英語をあてれば「multisociety」と

でも言えようか。

分衆社会は政府に依存しない自治指向を持

つ。分衆にとって重要なのは自己満足のil1さで

ある。たとえばネットオークションでは、30

年前のお菓子のおまけが出品され、100万円の

値が付く。そういう取引ではGDPのような鑓

的指標の存在意義は乏しい。愈要なのは自己満

足という質的感覚であ

る。同様に、分衆は意見の推移

集約を嫌う。それは争点

ミーノ

Lノ

「群体性事件」と労働争識の発生件数の推移図表1

(万件)120.0

100.0

80.0

60.0

40.0

20.0

0.0

00

20、0、、0

1186420

や論点の継続性のうえに

自由な言論活動がiii:され

た商業メディアによって

形成される「'1t論」とは異

なる。事実、分衆はマス

メディアよりもインター

ネットへの接触が多い。

一方通行的なマス情報が

もつ、「意見集約」という

--s--労働争議(左軸)

一一群体性事件

-■-

3.515 R-4色色・囮

’993949697989920000102030405060708

注)労、争限の2008年は前年の未決案件を含む。

白料)各柤08m、中国労働・社会係配園「労曲・社会保囮頤典発展蚊針広08」

」AAC2011.03 -14-

大国化する中国H悪司

政治性、権力性に反発を感じ、また大fit生産・

大量販売体制を反映するマス情報に関心が薄い

からである。

まった。西安、杭州、鄭州では同月、自生的と

見られる抗議巡動が発生した。沿海東部で低調

だった理由の一つは、政治的抑圧である。当時、

北賦では共産党第1710I中央委貝会第5回総会(5

中総会。第12次5カ年規画等が討議)、上海で

は万博、広州ではアジア大会が開かれていた。

1111玉|政府としては、そのような承大イベントの

開催地で大規模な群衆行動を許すわけにはいか

ない。

ところで、抗識運動が発生した地域を地図上

で点検すると興味深いリト実が理解できる。西安、

螂州、宝熟、綿陽、成都、煎慶は内陸部の南北

を縦断するように並んでいる。また、その地域

の都市人口、農村人口、工業生産額、都市世帯

1J処分所得、農村世帯純収入を2005年と2009

年について比べると、反日デモとの|刈述から興

味深い4$実が見て取れる。

その5年間、胡錦祷政権の政策によって中西

部に1:場移転が進み、都市化、工業化が進展し

た。広東省の珠江三角洲や上海、江藤・iljr江周

辺は流入する腱民工(111稼ぎ労働者)が減少する

(3)中国「社会」(都市社会)の特異性

中国に話を転じれば、中国で果たして大衆社

会が成立したのか、成立するのか、が爪要な争

点になってくる。実際、社会主義計画経済から

改革開放政策への転換後、ほとんど間をおかず

にグローバル化に直而した中国、少なくとも沿

海來部では、大衆社会を飛び越えて分衆社会が

一気に成立しつつあるように見える。そうであ

れば中国との付き合い方は遮ってくる。中国が

「異質」なのは共産党国家のシステムにも起因す

るが、このような新しい社会の形成が板庇にあ

るのではないか。たとえば、中国が山面してい

る問題の多くは政治改革(民主化)によって解決

可能であるかのような論調が多いが、それは間

違っているのではないか。上述のとおり、民主

主義は大衆社会の成立をI)il提とするからであ

る。

中国の社会形成の特

徴は、2010年に噴出

/へ

図表22010年の反日運動の展開徴は、2010年に噴出

した労働争議や反日巡

勤に反映されている

(図表2)。

2010年9月18日に

最初にデモが起きたの

は北京と上海、香港で

ある。ごく小規模で、

短期間に終息した。成

都、綿陽、重慶では10

月、「当局公認」と見ら

れる激しいデモが起き

た。成都では日系スー

パーの窓ガラスが割ら

れ、2,000人以上が集

〆、

資料)各4m佃inを壁理

」MC2011D3-15-

場所 日 反日、抗幽デモの規模

北京9.18

10.18

・日本大使館近くで行われたデモ行進は股大200人規模。大使館正門前

には50人前後。報迩皿よりも少なかった

・大使館近くに20代から30代の若者を中心に約40人のデモ隊

上海 9.18 日本総領躯館近くに結築したのは最大で200人(読売新聞は30人前後)

深LIl 9.18 繁華街で約100人

溶隅

香港

9.18

9.18

約30人

日本総領駆館等で約200人

成都(四川) 10.16 2.000人以上。日系スーパーの店舗窓ガラスが割られる

西安(映西) 10.16 ・大学生を中心に数1.000人

杭州(湘江) 10.16

鄭州(河南) 10.16 ・大学生が大部分

綿隅(四Ⅱ|) 10.17・若者らによる大規模なデモ、日本車等を域す。市内の公回に数100人規

模の若者が典結。日本料理店や日系の家電店などを襲う

宝憩(映西) 1024

堕慶 10.26・約200人規模の反日デモ。後に500~600人が、日本総領率館が入る

ピルに乱入しようと警察隊ともみ合う

大国化する中国、堪目

都市永住希望者であり、将来への希望を持って

いる。それはライフスタイルの問題であり、「所

得格叢問題」ではない。

一方、内陸部で増加した。激しい反日デモが起

こったのは、都市化、工業化の影響が大きかっ

たそのような地域である。つまり、都市人口の

増加が激しい、農村人口の減少が激しい、工業

生産額の伸びが大きい、都市可処分所得の伸び

が大きい、農村純収入の伸びが大きい地域ほど

反日抗識デモが激化した。

ところで、製造業はサービス業以上にグロー

バル競争の影響を受ける。そのため賃金上昇を

抑える圧力が働く。もしくは、労働者は賃上げ

分以上の過酷な労働を強いられかねない。グロ

ーバリゼーションの外圧と工業化の内圧が激し

くぶつかり合っているのが新興工業地帯である

内陸部と言える。内陸部は今後、労働ストや群

集巡勤が起こりやすい地域となることが予想さ

れ、注意が必要だ。

いずれにせよ、2005年の反日デモと比べた

反日運動の大きな特徴は、小規模で非継続的、

非組織的、また術動的、激情的だった点である。

参加者は深ガ||が100人、香港は比較的多いとは

言え200人、北京では50人前後。溌陽が30人

ほど。2005年は上海の日本料理店等が破壊さ

れたほか、大学生1万人以上が同市の日本総領

事館を包囲した。騒乱状態が数時間続き、関与

者は推計10万人に達し、壁や窓が壊された。

今回、沿海部を中心に小規模だった理由の一つ

は、上述のとおり政治的弾圧だが、もう一つは

分衆化の進展と考えられる。

内陸部では工業化が進んでいるが、沿海東部

は脱工業化の最中にある。3K的なサービス業

は都市定住志向の農民工が担うようになってい

る。 ̄方、私営企業や少人数の個体企業は情報.

知織集約的な職業に就く。そこから富裕層が生

まれている。

このように沿海都市部では所得の両極化が進

んでいるが、必ずしも社会の不安定化や政治的

不安定化に結びつかない。賃金が低いとは言え、

2.胡錦涛氏の立ち位置と経済政策

胡錦祷政権の話題に移る。2002年初冬に胡

錦祷氏が党総11編己に、2003年春に温家宝氏が

総理になって現在の政治体制が成立した。その

当時から一貫して「和譜社会」(調和の取れた社

会)の建設が推し進められている。

L」(1)胡錦潟氏と習近平氏

胡錦祷政権を制約する条件は二つある。一つ

は江沢民政権時代の1990年代に鮮明化した経

済格差であり、もう一つは2001年末のWTO加

盟に伴う、内外資の平等環境である。

我々は、外資VS内資という櫛図で中国を語

りがちだ。だが、胡錦癖政権では、そのような

分析の枠組みの有効性は薄れたと考えられる。

むしろ反mb的既得椛益IiWS弱者(グローバル・

ルーザー)という対立軸、もしくは反動的既得

権益層VS新興既得権益厨VS弱者という三者

鼎立の構図で分析すべきだと思われる。胡錦繍

政椛にとっては内タWrいずれもが反UMI的既得椛

益断である。改赦ljM放の中で、大きな既得権益

を得た利益集団である。その両者に対して弱者

(グローバル・ルーザー)が存在する。胡錦祷政

権にとって、弱者側に立ち、弱者をどのように

救済し、格差を是正するのか、というのが最大

問題なのだ。

一方、和譜社会の建設という目標において、

主に沿海部で成功した私営企業家らを胡錦祷政

権がどのように位世づけようとしているのか、

依然わかりにくい。第12次5カ年規画において、

発展改革委員会投資司の関係責任者は2010年9

月末、「民間投資の健全な発展を奨励、指導する

国務院の若干意見」の実施細則の起草を早急に

on

Lノ

」MC201103 -16-

大国化する中国H;Z目

としてもなお重要である。

産業育成では7産業を定めた。その牽引役と

して民IUに期待をしている。20,0年,0月、,Ⅱ,

務院は「戦略的な新興産業の育成と発展を加速

することに関する決定」(「戦略的新興産業計

iuji」)を公布した。その後の報道によると、20,,

年から5年にわたり、毎年股大2兆元をf,,やし、

2015年にGDPの約8%を占めるまで関迎産業

の削合を商めることが目標で、2020年には同

'5%程度とする。「2年余りの問に4兆元」とい

う景気対簾が話題になったぐらいなので、「毎年

2兆元」はとてつもない規模だ。国家発腿改Jir

委貝会の剛主任によれば、先の4兆元景気対策

や「10大産業振興計画」は、内需拡大とインフ

ラ轆備を通じて伝統産業の立て直しを図るもの

だったが、このたびの「戦略的新興産業計画」は

新たな産業育成に変化している。第11次5カ年

規画から-歩踏み込んだ印象がある。

綴済マクロ政策では、短期目標としては過熱

気味の不動産市場の冷却化、中長期目標では「保

八」(8%程度の成長を保つ)の大方針がある。

「保八」とはもともと1997年のアジア経済危

機の後に、当時の朱鋳基総理が言い出した目標

で、14年の歴史がある。産業榊迭鯛整を推進、

アメリカ依存を減らし、インフレを抑えつつ内

禰が牽引する経済成長パターンを確立するのが

「保八」の狙いである。

短期的には2010年12月の中央経済工作会議

で、「穏健な金融政策」が採用された。それまで

の「積極的な財政政策」は不変だが、金融政策は

「穏健」へ転換したわけで凧「引き締め」へ舵を切

った。その主な狙いは、高騰する不動産IilIi格の

IJIIIiiIである。

しかし、より深刻な問題は日常生活品価格の

上タILである。これに対しては、農産物の増産に

励んでいるほか、食料品の投機的取引や便乗値

上げなどをやめさせる政策を採っている。今後、

進め、早期公布を目指す考えを明らかにした。

これは10~11月頃に出ると言われていたが、

まだ公表されていない。こうした動きについて、

4兆元の景気対策の巾で、国有企業が焼け太っ

ているという批判が出たのに対し、民間企業を

てこ入れしたい、という考えを持っているとも

読めるし、彼らに税金をより多く払ってもらい、

弱者への社会保障の財源としたいと考えている

とも解せる。

次期リーダーとして月されている習近平とい

う指導者がいるが、彼は太子党(筒級幹部の子

弟)であり反動色が強いと考えられている。強

者である外資、内資に思い入れが強い一方、弱

者や新興企業家には冷淡という見方だ。彼らが

組むと、既得梅益肘への脅威となるとして警戒

している、というのがその理由である。

/へ

(2)産業育成と物価問題

さて、胡錦祷氏に話を戻せば、和讃を目標に

同政椛が進めてきた継済政策の方針は、産業櫛

造の高度化、製造業のグレードアップで一貫し

ている。そのために岐低賃金の改定を含め労働

者権益の保護強化、人民元の対米ドルの固定制

を見直し(j、賞バスケットIljIの採用)、加工貿易

規制強化などを進めた。第11次5カ年規iiWは向

主創新(独自技術の創造)の概念を打ち出した。

中国ビジネスの「コストアップ」を嘆く声もある

が、インフレ要因は別にして、党、政府が過去

10年にわたI)政簸的に進めていることなので、

「中国リスク」と呼ぶのは間違いである。対応で

きない企業は中国から撤退するしかない。

第12次5カ年規画の内容について、その基本

線は第11次5カ年規1uIiとlnIじである。つまり、「全

富」(全員が富む)社会の述設である。5カ年規

画の地位は落ちているが、規模はGDPの1%程

度が既定であり、無視できない。5年間の産業

政策、経済巡衡の方lihl性を見きわめるシグナル

'■、

」MC201103-17-

大国化する中国M篭冨

物価がどう動くか、2011年夏頃まで様子を見

る必要があるだろう。

である。そして、製造業の中国一種集中を招い

たのはグローバル化と言える。

しかし、それは中国政府が本当に望んだこと

だろうか。胡錦祷氏が和議政策を打ち出したの

は、グローバル化を受けて製造業が世界から集

まったものの、それによってむしろ所得格差が

拡大、社会的不安定性が潜在的に高まっている、

と判断したからではないか。

すなわち、まず沿海部が「世界の工場」化する

ことで、沿海部と内陸との所得格差が拡大。そ

れを是正すべく、沿海東部で賃上げを含め「高

コスト政策」を採用し、第11次5カイド規画では

産業高度化が打ち出された。しかし、実際に製

造業が内陸へ移ると、上述のとおり、内陸では

所得上昇を抑制する(または過酷な労働を強い

る)グローバル化の逆風が待ち受けていた。「和

譜」政策がむしろその政策の働きかけの対象で

ある内陸部の社会的不安定性を高めてしまって

いるのである。このため胡錦鱒氏は社会、政治

面で強硬策を採らざるを得なくなっている。そ

の最大の事例が、インターネットを含む情報管

理の徹底強化である。

(3)グローバル化のプラスとマイナス

様々な問題が指摘されるものの、中国が高い

経済成長を長く維持しているのは事実である。

以下、その理由を考えたい。

まず、宇宙を構成する要素を物質と情報とに

分けたとき(エネルギーは物質と考える)、中国

はマルクス主義の影響から物質への志向性が強

いため、製造業への執蒜が強い。製造業も発展

に従い、「情報」の部分が増えるのが普通だが、

計画経済の遺制や政治的な警戒からそれを容認

しないので、低次元の産業柵造の固定化に帰結

してしまっている。経済規模(GDP)に比して

サービス産業の割合が、世界的に見ても藩し〈

低いのはこのためだ。

ただ、低付加価値でも販売価格が上がらなけ

れば受注量が増加し、経済成長率は稼げる。実

際、グローバル化の進展から、経済発展におい

て生産規模と産業集秋が重要になったこの10

年、中国は世界の低付加価値産業の受け皿とな

り、高い成長率を達成し得た。

他方、先進国は同じ時)Ⅲ、「情報」に付加価値

を求める経済のサービス化や脱工業化が進ん

だ。情報は本質的に公共財であり、GDPに反

映されない。生産過程において無償である情報

の投入が増えたのが先進国の経済と言える。統

計的要因もある。サービス業は起業が容易であ

り、従業員l~2人のままでやれる産業が多く、

短期間で廃業する企業も少なくない。結果、統

計的把握は難しい。こうして先進国は経済成長

率が低く出がちとなる。

中国の経済成長ひいては大'五I化が注目された

のは、アジア経済危機(1997年夏)以降だが、

リーマンショック以降、さらに注目度を高めた。

1997年以降の中国経済を索引したのは製造業

Lノ

3.中国外交の変容:グローバリズムへの対応

尖閣ilIIでの船舶衝突事件の後、中国の「拡張

主義」が特に日本で恐れをもって諮られるよう

になった。しかし、同事件は軍事衝突ではない。

両国とも国内問題として粛々と対応しただけ

で、一般に思われているほど激しいものではな

かった。

中国の対応が強硬に見えた理由として三点を

指摘できる。外交主体の多様化、アメリカの覇

権の相対化や世界の多極化、および世論の興隆

である。この対外関係の櫛造変化が鮮明に認識

された契機がたまたま衝突事件だったので、日

本人には衝撃的に映ったと言える。

Lノ

-18-」MC2011.03

大国化する中国Z骨置昌

資源確保を懸命に進めるしかないのが実情だ。

だが、海外資源の闇雲な確保は対外摩擦を激

化させる。[11国には一般的な意味での民'19の多

|到繍企業が皆無に等しいからだ。関係が緊密化

しているのは、資源を持ち経済高成長が続く

BRICsやASEANなど、成熟した市場経済と民

主主義を持たない新興国であることも、西側先

進諸国には不気味に映る。

近年の外交のもう一つの特徴は、社会の形成

に伴って「11t論」の動向が無視できなくなってい

ることだ。結果、外交は時に外に対して強い態

度を取らざるを得なくなる。また、「上からのナ

ショナリズム」を強調しなければならなくなる。

(1)外交主体の多様化

これまで外交は、国の代表として外務桁が担

当した。低次元の外交として地方自治体の友好

都市のような関係もある。しかしこの5年ぐら

いの間に、プレーヤーが多様になった。「経済外

交」という言葉に表れるとおり、経済官庁がよ

り積極的に外向きの行動を取るようになった。

たとえば、レアアースの輪111規I1jIは商務部の

管轄で、レアアースの輸出に対して輸出税をか

けるのは財務省の問題である。「人民元の国際

化」は人民銀行が進めている。情搬セキュリテ

ィ製Aliの強lljI認証lljリ度は工業・情報化部、商務

部、人民解放軍、国家安全部、国家係密局、国

家密砺管理委員会等、7省庁が関連している。

民間企業も主要な外交主体の一つとなった。対

外直接投資が活発で、投資分野は資源エネルギ

ーが中心だが、これは国益を背負った外交その

ものである。軍は独自に空母建造や兵器輸出を

する。

中国が「拡張主義」に走っているように見える

のは、このように外務省の力が相対化された一

方、資本の規模とその移動性が著しく増した要

因が大きいと考えられる。日本に対して意識的

に敵対的な行動を取ろうとしているわけではな

く、多くのプレーヤーのバラバラな利益実現の

行動が、結果的に対外摩擦を引き起こしている

と考えられる。今後、このような摩擦はより激

化するだろう。

世界のコモデイテイ需要に占める中国のシェ

アは高まる一方である。しばしば指摘されるの

は、中国が今の成長を長期的に続けようとする

ならば、地球上の全資源を独占しても足りない

ということだ。解決策は、技術力でエネルギー

消費効率を問めるか、経済成長率を大幅に落と

してエネルギー需要そのものを減らすかのいず

れしかない。前者について、中国はエネルギー

効率が日本の1/7~l/8レベルと劣怨であり、

'ロ、

とうこうようかい

(2)「鰭光養晦」から「有所作為」'、

従来の外務街が展開する中[丞1の外交にも、

2008~2009年頃から変化が見える。「輪光養晦」

から「有所作為」へ変化がそれである。「主張する

外交」「安全保障外交」という新概念である。楊19つ6

潔脆外相は一昨年の全人代で、外交の基本方針

で「領土、主権、安全権益を守る安保外交」とい

う新しい言葉を使って注目を浴びた。その他に

も「平和的台頭(もしくは平和的発展)」「戦略的

互恵関係」「周辺外交」「民主、調和、協力を促進

し、陸|際IIU係においてウインウインの解決を図

る」「ソフトバワー」等の概念、考え方が提示さ

れている。

「塘光養晦」とは、爪を憾し、才能を覆い隠し、

刀を薪えつつ時期を待つ姿勢を意味する。「能あ

る鰯は爪を隠す」ということだ。「有所作為」と

は、成果を上げるために着実に手段を練って目

に見える形で成果を上げる、という意味である。

都小平氏は「鰯光養IMiuを強調した。1989年

の天安門珊件で国際孤立した際、地道にやるこ

とが大事だと説いた。江沢民氏の時代になり、

天安lnl事件の記憶が薄れ、経済高成長が続くと、

次第に積極外交に'1厨じた。胡錦瀞政権になって、

/■、

」MC201103-19-

大国化する中国!f要目

それが一段とはっきりとしてきた。

今度の北朝鮮の問題でも、中国は日・米・鰍な

どと比べると北朝鮮寄りの言動をしており、あ

まり協力的ではないと日・米・鯨は思っている。

しかし中国は6カ国協議に持ち込んで中国の存

在感を示したいのであり、中岡が異質というよ

りも、彼らの新しい外交方針に沿ったやり方を

忠実に実行しているだけだ。大国化した中国が

新たな外交を模索するのは当然である。日中関

係の問題は、中国の問題というより、変わらな

い日本外交の問題のようにも思える。

もう一つはナショナリズムの問題だ。これは

中国の外交の中でも重要な問題で、国内世論が

社会の生成とともに形成されてきた。それに伴

い、「上からのナショナリズム」を国家統合の手

段とし始めた。特に「分衆」は、好き勝手な言動

をするが、国に対しては明確な意思表示をしな

い。これは共産党にとってむしろ恐るべき事態

だ。

「上からのナショナリズム」を進めた契機は、

1999年のアメリカの在ユーゴ中国大使館誤爆

事件だった。それを象徴するのが「環球時報」と

いう「人民日報」系の新聞である。「人民日報」の

国際面を拡大したような新聞で、1993年に創

刊され、1997年に現在の名前になった。日本

に対して厳しい論調を展開するが、次いで、厳

しいのが台湾とアメリカに対してである。若い

人にも人気のある新聞だが、このような「国際

問題専門紙」を政府がわざわざ創刊したことが、

「上からのナショナリズム」が唱導され始めた証

だ。

つ。何清漣女史は中国の元ジャーナリストで、

広東省深」hlll市の党宣伝部などを経て、フリーに

なって言論を展開していたが、迫害を受け、今

はアメリカで研究員をしている。日本でもいく

つか訳書がある。

女史の発言のポイントは、社会やllt論が生成

し、年間10万件もの抗識事件がある中、党内

で権力闘争をしている余裕はなくなっている。

優先されるのは政治的、社会的安定の確保であ

り、このために政策論争はあっても、椛力闘争

は存在しない。反日デモを椛力闘争や険謀と絡

めて解説する向きがあるが、日本は歴史問題な

どのため誰が叩いても文句が出にくいだけのこ

と。日本のメディアは、党内闘争や陰謀説に偏

りすぎていると苦言を呈している。

また、習近平氏が次期峨高指導者の座をほぼ

確実にした背景については、共産党の「共同利

益」に合致するからだと答えている。習氏は親

に高級幹部を持つ太子党であり、古い幹部が受

け入れている。性格も穏健であり、人椛や民主

主義を尊重していないので、党の権力を弱体化

させるような政治改革はしないと考えられてい

る。各方面の政治利益集団が安心できる人物で

ある。このように国内では安定維持かつ高圧路

線、外交的には今の胡錦癬政椛末101に比べても

柔軟性はないだろうと述べている。

さらに、習時代の試練はとの質問には、経済

榊造改革の成否が注目点だが、技術開発能力に

乏しく、産業商度化は容易でない。生態系魁化

や国家財政不足という問題にも直面するだろう

と述べている。

このような何女史の「常識」に従った穏健な見

方、分析は重要である。

何女史が指摘するとおり、近い将来に中国が

政治改革つまり西側のような民主体制に移行す

る可能性はゼロに近い。だが、果たして民主化

が政治改革の正しい選択か、という根本的な問

ミーノ

Lノ

(3)「民主化」の可能性

何消漣という女性研究者に対する北京共同の

書面インタビュー記事は(いくつかの地方紙に

掲栽きれたが、全国紙ではほとんど無視)、昨

今の共産党と世論の関係を考えるうえで役文

」AAC2011.03 -20-

大国化する中国H題目

スクヘッジになるという考え方は成り立つだろ

う。第12次5カ年規画は、分散的な地域経済の

発展、地域の均衡の取れた発展を目標とする。

事実、2010年8月までに全国各地で13の国家

級プロジェクトが発表されている。中央政府が

長く力を入れているのは中西部、東北の開発で

ある。中西部に関しては2010年8月、各種優遇

措世を与え対内直接投資を誘引する政策を改め

て打ち出した。法人税、所得税等を優遇するが、

東北開発でも同様である。

地域経済を発展させて、そこに筒速道路網や

高速鉄道網を張り巡らす。尚速鉄道は建設ラッ

シュの鮫中にあり、時速三百キロ超の鉄道が開

通したなどが日々の重大ニュースの一つになっ

ているが、高速鉄道網によって省単位ではなく、

一定の規模を持つ地域経済をつくる。これによ

り、全国に六つの経済ベルトが将来形成される

と、中国地域科学協会の楊会長は言う。沿海で

は環渤海、少し下がって上海市内の長江デルタ、

あとは広東省、福建省あたりの東海・南海、さ

らに内陸でも三つの経済地区ができるだろう。

こうした事業に日本企業は積極的にコミット

メントし、同時に、経営の現地化を進めるべき

である。人材、資金、部材調達、さらに研究開

発、製品化等を現地で進めれば、中国当局が計

画経済的、全体主義的な手法で企業に政治的圧

力を加えることは困難になる。また、企業の多

国籍化や現地化により、世界的に外国と自国、

H本とアメリカ等の企業の境目が希薄化してい

るが、中国でも同様である。これらが世界そし

て中国の趨勢とすれば、日本企業だから差別を

受けるとかデモに襲われる、ということはなく

なると前向きに考えることはできよう。

題がある。

11M人的には、政治改革イコール民主化という

考え方には二つの理由から鋳成できない。一つ

は分衆化の|H1題で、今日、「|玉1民」としての懲見

集約を図るのは難しい。民主主義を代議制民主

主義の実践と定義すれば、そのシステム自体の

有効性がii9iれていると思う。もう一つは国際化

である。企業の海外資産や収益が国内のそれを

しばしば上回る時代、日本領土内に暮らす人の

意見のみを民主主義の根拠とするのは無理があ

るのではないか。

習近平氏は「民主主義は満脳になった西INIの

人lHIの妄言だ」と言うが、その是非はともかく、

政治改革(民主化)が万能ではない、という意見

は正しいと思う。

'へ

4.日本企業、日本、"私"の選択

まず「日本企業、日本、~私厨の選択」という見

'|}しについて説明したい。|]中'1M係を考える際、

様々なレベルがある。一つはロ本企業はどうす

べきか、一つはⅡ本国としてどうすべきか、も

う一つは日本人としての"私"はどうすべきかと

いう話であり、これらの利害が一致しなくなっ

ていることが日IlilMl係、ひいては外交全般を難

しくしている。'~、

(1)企業のインサイダー化

企業レベルでは、収益墹加が岐大の使命で、

中国進lllはその蛾もイ『刀な手段の一つだが、日

本の政治にとっては産業空ilil化の|H1題に直面す

る。H本人の中からは、中国系企業で働きたい、

あるいは中圃の欧米系企業で働きたいという人

も出てくる。企業、’五|、|劃民の三者の考え刀が

一致しない時代に、[|巾llU係をどうするかとい

う設問をしてその回答を見つけるのは容易でな

い。

企業レベルでは、インサイダー化すれば、リ

(2)乏しい国の交渉カ

ー方、日本が国として実行できることは多く

ないように思える。と言うのも、中国はアメリ

」MC201103-21-

大国化する中国畷悪員

力と似通っており、強大な軍事力が経済を遠巻

きに守る国家体I1iUがある。また、巨大な国内市

場があり、それ自体が経済外交の武器となって

いる。さらに、新たな人材と資本が活発に流入

し、これがひいては対外交渉力を強化している。

両国間にはこのような類似性がある。

日本がアメリカや中国を真似できるかは、経

験的に見て難しいと思われる。資本流入は先細

りであり、外からの人材獲得は始ったばかりで

ある。過去20~30年、内需拡大が謡われてき

たが、外需依存がむしろより強まっている有り

様である。

また、日本が持つ技術力によって、他国に貢

献できるのではないかとの声もあるが、その導

入コスト(価格)、さらに需要それ自体の国際化

等の点から難しいのではないか。

たとえば、日中間には「環境汚染の国際化」が

ある。中国の汚染が国境を越えて日本に影響を

及ぼす「越境汚染」がそれだが、その解決策とし

て環境技術の無償提供を迫られる状況にある。

日本の技術が、逆に中国の外交の武器に使われ

てしまっているのである。「環境技術は金にな

る」というのは楽観的にすぎる。

いずれにせよ、外交はもちろん国際的な通商

lIkl係の根本にあるのは国力と実利の有無であ

り、中国企業、中国という国が日本企業、日本

国との取引に利益があると見なされない限り、

儲け話は入ってこないし、譲歩を引き出しにく

い。

そのリスクが減じることはないだろう。人民レ

ベルでは、反日デモが起こる可能性はつねにあ

るものの、政治性は薄く、また一過性と考えら

れる。

日中関係に関して最も重要なことは、日本が

早急に国内政策の未来図を描くことだと考え

る。農業、エネルギー、都市再生、地方分権、

少子闘齢化問題、政治システム、安保等に関す

る政策を先に固めてから、日中関係を議論すべ

きである。そもそも、国民はどんな生活設計を

求めるのか、10年後にどんな国にしたいのか、

などのコンセンサスに基づいた明確な方針なく

して、日中関係を含め外交ができるわけがない。

この5年間ぐらいに鮮明化したのは、日中摩

擦が表面化しやすくなったことだが、日本にと

ってそのような日中'10係は、(H中110係ではな

く)日本そのものを変えるテストケースになる

のではないか。つまり、日本の国内政策を固め、

そのうえで外交を展開するという、当然だが、

しかし実践できなかった外交を災行する契機に

なるのではないか。

ただし、これは国レベルの話で、もはや企業

や国民にはほとんど関心のないlHI題かもしれな

い。先に述べたとおり、国、企業、同氏の利害

はもはや一致しないからだ。そうなると「日中

関係」という問いの立て方自体が有効性を失う

だろう。ともあれ、現在最も必要なのは、国民

と企業が5年、10年後を見据えた「望む生き方、

幕らし方」や「国の在り方」に'1Iするロードマッ

プを描き、政府に対して声を挙げてゆくことで

はないだろうか。

Lノ口

Lノ

終わりに

日本について、民間企業と政府が非常に緊密

な関係にある、と海外で見られているが、これ

は「神話」である。距離を保っているというのが

本当だc軍事力も制約きれ、中国が日本を恐れ

る理由はほとんどない。その結果、今後も日本

の産業界が中国の人質になる可能性は大きく、

」MC201103■

-22-