Upload
others
View
8
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
265
和田忠彦先生 年譜・主要著作
和田忠彦先生 年譜・主要著作
1971(19歳) 京都大学文学部に入学。入学当初は江戸時代の戯作研究を志していた。
1972(20歳) 学部進学に臨んで、イタリア文学を専攻に選ぶ。
1975(23歳) 京都大学文学部卒業。卒業論文では〈たそがれ派〉を論じる。この頃、19世紀末から 20世紀初頭のデカダンス詩人に親しみ、関心はやがて 20世紀イタリアにおける詩の展開、特に〈エルメティズモ〉の詩と批評に傾いてゆく。
1976(24歳) 11月、作家イタロ・カルヴィーノが来日。イタリア語ガイドとして、晩秋の京都、奈良の古都巡りに同行。
1977(25歳) 京都大学大学院文学研究科修士課程修了。イタリア政府給費留学生としてボローニャ大学文哲学部に留学(1978年まで)。ビュトール『時間割』(清水徹訳)を片手に、ボローニャの街を散策する日々。留学中、ジョヴァンニ・ジュディチ、ロベルト・ロヴェルシ、アンドレア・ザンゾットなど、さまざまな詩人、作家と出会う。
1978(26歳) 留学先のボローニャで、池田浩士『ファシズムと文学』(1978)を読み衝撃を受ける。秋、ミラノに敬愛する詩人エウジェニオ・モンターレを訪ねてゆく。
1979(27歳) イタリア文学者、米川良夫と出会う。
1980(28歳) ボローニャ駅爆破テロ事件(8/2)の直後、同地にてジョヴァンニ・ペテルノッリと初めて会い、イタリア語教師として京都大学にむかえる準備をする。
1981(29歳) 京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』を松籟社から翻訳刊行(脇功・武谷なおみ・多田俊一・伊田久美子との共訳)。
1982(30歳) 京都大学文学部助手になる。
1983(31歳) 名古屋芸術大学一般教育部専任講師になる。
1984(32歳) 夏、ウルビーノのホテルで、作家・記号学者ウンベルト・エーコの訪問を受ける。これ以後、夏の休暇には、しばしばエーコの自宅に招待されるようになる。エーコ『開かれた作品』を青土社から翻訳刊行(篠原資明との共訳)。
1985(33歳) ヴェネツィア映画祭期間中、詩人アンドレア・ザンゾットに映画監督フェデリコ・フェリーニを紹介される。9月 19日、イタロ・カルヴィーノ死去。カルヴィーノ『遠ざかる家 建築投機』を松籟社から翻訳刊行。『ユリイカ』9月号(特集=イタロ・カルヴィーノ)にカルヴィーノ「サイバネティクスと幻影」ならびにパゾリーニ「カルヴィーノ『見えない都市』」を訳載。
1987(35歳) 「ベンヤミンの会」が発足する。野村修、好村冨士彦、池田浩士、小岸昭、三原弟平など多彩な顔ぶれとともに、1992年まで近畿・中国の各地で計 10回の研究会に参加する。
1988(36歳) カルヴィーノ『パロマー』を松籟社から翻訳刊行。
1989(37歳) 名古屋芸術大学一般教育部助教授になる。
1991(39歳) 夏の終わり、ローマに詩人アメーリア・ロッセッリを訪ねてゆく。その日の朝、ボローニャからローマに向かう電車の中で、作家ステファノ・ベンニと最初の出会いを果たす。カルヴィーノ『魔法の庭』を晶文社から翻訳刊行。おなじくカルヴィーノ『むずかしい愛』を福武書店から翻訳刊行。
266
1992(40歳) 4~ 6月、NHKラジオ・イタリア語講座応用編の講師を務める。同講座のテキストのために、ベンニ『ヘンテコ島』(1984)の約半分を訳出する。エーコ『ウンベルト・エーコの文体練習』を新潮社から翻訳刊行。
1993(41歳) ロッセッリ『闘いの変奏曲』を書肆山田から翻訳刊行。
1994(42歳) 10月、フランクフルト・ブックフェアでウンベルト・エーコにインタビュー。『モダニズム研究』(共著、思潮社)を刊行。同書に「アヴァンギャルドの桎梏―マッシモ・ボンテンペッリと未来主義」を寄稿。タブッキ『夢のなかの夢』を青土社から翻訳刊行。
1995(43歳) 6月、エーコ本人に招待され、スリジー・ラ・サルで開催されたシンポジウム『ウンベルト・エーコ―意味の名の下で』に参加。『現代思想』2月号(特集=メタ・ミステリー)に「不在のミステリー」を発表。
1996(44歳) 神戸市外国語大学外国語学部助教授になる。『世界×現在×文学―作家ファイル』(越川・柴田・沼野・野谷編、国書刊行会)のカルヴィーノ、エーコ、タブッキ、ベンニ、トンデッリの項を執筆。ランドルフィ『カフカの父親』を国書刊行会から翻訳刊行(米川良夫・柱本元彦との共訳)。エーコ『エーコの文学講義 小説の森散策』を岩波書店から翻訳刊行。
1997(45歳) 神戸市外国語大学外国語学部教授になる。11月、来日した作家アントニオ・タブッキと京都で会う。『ファシズムの想像力』(共著、人文書院)を刊行。同書に「ファシズムと笑い―アキッレ・カンパニーレの軌跡」を寄稿、「あとがき」を執筆。『NHKラジオ・イタリア語講座』4月号より「イタリア/時のエピローグ」の連載を開始する(1999年 3月号まで)。『ユリイカ』4月臨時増刊号(総特集= 20世紀を読む)で 20世紀イタリア文学の 10冊を選出。山田風太郎『警視庁草子』(山田風太郎明治小説全集 2、ちくま文庫)に解説「幻燈と影絵」を付す。『新潮』1月号にエーコ「ウンベルト・エーコの挑戦状」を訳出、解説「エーコは霧のむこうに」を付す。『世界文学のフロンティア 3 夢のかけら』(今福・沼野・四方田編、岩波書店 )に、ベンニの短篇集『最後の涙』(1994)から「悪い生徒」と「新しい書店主」を訳出。『世界文学のフロンティア 6 怒りと響き』(今福・沼野・四方田編、岩波書店 )に、マラパルテ「そぞろ歩き」を訳出。『小説 tripper』夏季号にエーコへのロング・インタビュー「ウンベルト・エーコの小説の書き方」。タブッキ『フェルナンド・ペソア最後の三日間』を青土社から翻訳刊行。ロンギ『イタリア絵画史』を筑摩書房から翻訳刊行(丹生谷貴志、柱本元彦との共訳)。
1998(46歳) 『ユリイカ』1月号(特集=アントニオ・タブッキ 現代イタリアの作家たち)で「現代イタリア作家ガイド」を編集。『すばる』2月号にタブッキへのインタビュー「〈物語〉の水平線」。『現代詩手帖』7月号(パゾリーニ 詩・映画・政治)に「パゾリーニという肉体 映画と死のはざまで」を発表。エーコ『永遠のファシズム』を岩波書店から翻訳刊行。
1999(47歳) 東京外国語大学外国語学部教授になる。4月、タブッキ夫妻の熱心な勧めもあり、リスボンで開催されたアントニオ・タブッキをめぐるシンポジウムに参加。おなじく 4月、シンポジウム「パゾリーニをめぐって」に四方田犬彦、浅田彰とともに参加。『パゾリーニ映画祭 その死と映像』(パゾリーニ映画祭実行委員会)に「《詩》、現実を拒絶するもの」を発表。デ・アミーチス『クオーレ』を新潮文庫から翻訳刊行。カルヴィーノ『サン・ジョヴァンニの道 書かれなかった[自伝]』を朝日新聞社から翻訳刊行。
2000(48歳) 第一作品集『ヴェネツィア 水の夢』を筑摩書房から刊行。『とどまる力と越え行く流れ:文化の境界と交通』(東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室)に「語りの地理学のためのエスキース」を発表。月刊誌『國文学』5月号より「境界の侵犯から」の連載を開始する(連載は 2008年 8号まで全 74回におよぶ)。アルラッキ『名誉を汚した男たち』を新潮社から翻訳刊行。カルヴィーノ『水に流して カルヴィーノ文学・社会評論集』を朝日新聞社から翻訳刊行(大辻康子、橋本勝雄との共訳)。『総合文化研究』(東京外国語大学総合文化研究所)第 4号(特集=ヨーロッパの文化と文学)にエーコ「文学の機能」を訳載。Au nom du sens : autour de l'oeuvre d'Umberto Eco : Colloque de Cerisy (edite par Jean Petitot et Paolo Fabbri, Paris, Grasset, 2000) に Eco et la traduction dans le domaine culturel japonaisを寄稿。
267
和田忠彦先生 年譜・主要著作
2001(49歳) 『ユリイカ』7月号(特集=イタリア)に四方田犬彦、岡田温司との討論「イタリアの根底にあるもの」、鈴木了二、松浦寿夫との討論「パルチザン的連携に向けて」。『カラヴァッジョ鑑』(岡田温司編、人文書院)に「はみだし者の系譜」を寄稿。Antonio Tabucchi. Geografia de um escritor inquieto (Fundação Calouste Gulbenkian, Lisbona, 2001)に Trasmissione della memoria, ovvero il cerchio invisibile da/a Tabucchiを寄稿。
2002(50歳) 4月からサバティカルで 1年間ボローニャ大学へ。『モダニズムの越境』全 3冊(共著、人文書院)を刊行。同書に「ファシズム下で無国籍者であること―サヴィーニオをめぐって」を寄稿、第 2分冊『権力/記憶』の解題「果てしない〈裏切り〉のために」を付す。内田百閒『阿房列車』(内田百閒集成Ⅰ、ちくま文庫)に解説「無邪気それとも天邪気?」を書く。『世界』2月号(特集:9.11後のアメリカ)にエーコ「〈聖戦〉―情念と理念」を訳載。
2003(51歳) エーコ『カントとカモノハシ 上・下』を岩波書店から翻訳刊行(柱本元彦、橋本勝雄、中山悦子、土肥秀行との共訳)。
2004(52歳) 第二作品集『声、意味ではなく―わたしの翻訳論』を平凡社から刊行。『國文学』9月号(特集:翻訳―翻訳とは何を翻訳するのか)に柴田元幸との対談「翻訳と文学」。『月刊百科』9月号に清水徹へのインタビュー「ヴァレリー『ムッシュー・テスト』の新訳をめぐって」。«Cultura Italo-Giapponese: Annali del Centro Studi e Ricerche dell’Università di Tokyo in Firenze», n. 1に、ジョルジョ・アミトラーノ、鷺山郁子との対談 Tradurre l’ambiguità: una conversazione su Kawabata e le traduzioni delle sue opere。
2005(53歳) 翻訳論の業績を通じ、文化交流の促進に貢献したとして、「イタリア連帯の星」勲章コンメンダトーレ賞を受賞。『芸術新潮』5月号(特集=モランディのまなざし)に「アルテ・ポーヴェラ 削ぎ落とす詩学」を発表。『現代詩手帖』6月号(特集:境域の詩人たち―母語・母国語をめぐる旅)に「みみのはに―音をみる詩人たち」を発表。
2006(54歳) 4月 27日、イタリア文学者、米川良夫死去。告別式で弔辞を述べる。『水声通信』9号に「ゆっくりおちてゆく(松浦寿夫展によせて)」を発表。
2007(55歳) 東京外国語大学大学院地域文化研究科長になる。この頃より学内業務で多忙な生活となる。『月刊百科』3月号に「ピノッキオとクオーレ」を発表。
2008(56歳) 第三作品集『ファシズム、そして』を水声社から刊行。『小学館 和伊中辞典』第 2版(西川一郎編、和田忠彦監)が刊行される。『國文学』8月臨時増刊号(特集:〈子ども〉の文学100選)に野崎歓との対談「子どもの奪回」。同誌で「〈子ども〉の文学 75選 テーマ別」を編集。『立命館言語文化研究』20巻 2号(特集:国際シンポジウム イタリア観の一世紀:旅と知と美)に「須賀敦子の浸蝕する記憶:イタリアを書くこと・訳すこと」を発表。
2009(57歳) 東京外国語大学副学長・大学院総合国際学研究院教授になる。『群像』5月号(特集:海外文学最前線)に「イタリア文学のいま―〈半島〉と〈世界〉のあいだで」を発表。ダニロ・キシュ/イタロ・カルヴィーノ『庭、灰/見えない都市』(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅱ -06)に「『見えない都市』解説―〈見えない都市〉のゆくえ」と「イタロ・カルヴィーノ年譜」を寄稿。
2010(58歳) 『日本とイタリア―芸術と対話』(和田忠彦・Matteo Casari編、東京外国語大学出版会)に「ある在日韓国女性詩人のアイデンティティ―〈そのコ〉のいるところ」を寄稿。『モンキービジネス』Spring vol. 9にタブッキ「雲」を訳載。
2011(59歳) 翻訳活動を通じ、海外でのイタリア文化普及に貢献したとして、イタリア政府・文化財・文化活動省より、翻訳賞を受賞。カルヴィーノ『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』を岩波文庫から翻訳刊行(米川良夫との共訳)。タブッキ『他人まかせの自伝 あとづけの詩学』を岩波書店から翻訳刊行(花本知子との共訳)。
268
主要著作
単著
『ヴェネツィア水の夢』(筑摩書房、2000)
『声、意味ではなく―わたしの翻訳論』(平凡社、2004)
『ファシズム、そして』(水声社、2008)
共著
『モダニズム研究』(モダニズム研究会編、思潮社、1994)
『ファシズムの想像力』[共編者:小岸昭、池田浩士、鵜飼哲](人文書院、1997)
『世界古本探しの旅』[共著者:荻野アンナ、瀬戸川猛資、越川芳明、池内治、浅野素女、野谷文昭](朝日新聞社、1998)
『オンライン・マガジンを読み倒す』[共著者:仲俣暁生、水越伸](大日本印刷株式会社 ICC本部、1999)
『モダニズムの越境』全 3冊(モダニズム研究会編、人文書院、2002)
『翻訳家の仕事』(岩波編集部編、岩波新書、2006)
訳書
『人間と人間にあらざるものと』エリオ・ヴィットリーニ[共訳者:脇功・武谷なおみ・多田俊一・伊田久美子](松籟社、1981)。
『開かれた作品』ウンベルト・エーコ[共訳者:篠原資明](青土社、1984、新版 2011ほか)
『遠ざかる家 建築投機』イタロ・カルヴィーノ(松籟社、1985)。
『パロマー』カルヴィーノ(松籟社、1988 / 岩波文庫、2001)
『魔法の庭』カルヴィーノ(晶文社、1991 / ちくま文庫、2007)
『むずかしい愛』カルヴィーノ(福武書店、1991 / 岩波文庫、1995)
『ウンベルト・エーコの文体練習』エーコ(新潮社、1992 / 新潮文庫、2000)
『闘いの変奏曲』アメーリア・ロッセッリ(書肆山田、1993)
『夢のなかの夢』アントニオ・タブッキ(青土社、1994)
『カフカの父親』トンマーゾ・ランドルフィ[共訳者:米川良夫・柱本元彦](国書刊行会、1996)
『エーコの文学講義 小説の森散策』エーコ(岩波書店、1996)
『フェルナンド・ペソア最後の三日間』タブッキ(青土社、1997)
『イタリア絵画史』ロベルト・ロンギ[共訳者:丹生谷貴志・柱本元彦](筑摩書房、1997 / 復刊 2009)
『永遠のファシズム』エーコ(岩波書店、1997)
『クオーレ』エドモンド・デ・アミーチス(新潮文庫、1999 / 平凡社ライブラリー、2007)
『サン・ジョヴァンニの道 書かれなかった[自伝]』カルヴィーノ(朝日新聞社、1999)
『名誉を汚した男たち』ピーノ・アルラッキ(新潮社、2000)
269
和田忠彦先生 年譜・主要著作
『水に流して カルヴィーノ文学・社会評論集』カルヴィーノ[共訳者:大辻康子・橋本勝雄](朝日新聞社、2000)
『カントとカモノハシ 上・下』エーコ[共訳者:柱本元彦・橋本勝雄・中山悦子・土肥秀行](岩波書店、2003)
『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』カルヴィーノ[共訳者:米川良夫](朝日新聞社、1999 / 岩波文庫、2011)
『他人まかせの自伝 あとづけの詩学』タブッキ[共訳者:花本知子](岩波書店、2011)
(住 岳夫・編)