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1 地域の宝探し(調査カードより) 石川自治センターでは、平成22年度から、先人が守り育ててきた石川町の自然・歴史・文化などの 資源を実地に学び、身近なところから見つめ直すとともに、地域の案内人の育成と地域の活性化をはか ることを目的として「地元学講座」を開催しております。 その中で、「地域の宝探し」と題して講座生の方々に、これまで見過ごされてきた(あまり紹介されて いない)「お宝」を募ってまいりました。これまで挙がっているお宝についてご紹介します(あいうえお 順、文の末尾の()内はカードの記入者)。 重左衛門の石像(梁瀬) 大山津見神社(松木下) 庄屋であった泉氏は北須川の下流に堰 石川バイパスの開通によって現在地に移 (現猫啼堰)をつくり(県知事に奉願書)、 された。祭神は「大山祇命」。祭日は旧暦 水不足に貢献した。猫啼に建立(石工、 3月9日。神社は 猫啼地区の氏子により 小林和平)されたが、後に王子八幡神社に 管理、保存されている。 (H.丹内さん) 移された。 (A.太楽さん) 花崗岩の巨石(母畑字長石田) 間知石の石垣(当町) 10m の花崗岩の巨石。この石が字名 町道 102 号線(通称、循環道路)の両側の となっている。石が重なりあって迷路の 側溝を挟んで長さ 300m に渡り、高 0.5 ようになり、夏でも冷風が吹き抜けたと 4.0m の日本独特の石垣用材である間 のこと。現在は危険防止のため、入り口 石の石垣がある。昭和 30 年頃に作られた は塞いである。 (T.中田さん) もので当時の石工の技術の高さが偲ばれ る。 (K.小林さん)

地域の宝探し 調査カードより · ☆ 泉 重左衛門の石像(梁瀬) ☆ 大山津見神社(松木下) 庄屋であった泉氏は北須川の下流に堰 石川バイパスの開通によって現在地に移

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地域の宝探し(調査カードより)

石川自治センターでは、平成22年度から、先人が守り育ててきた石川町の自然・歴史・文化などの

資源を実地に学び、身近なところから見つめ直すとともに、地域の案内人の育成と地域の活性化をはか

ることを目的として「地元学講座」を開催しております。

その中で、「地域の宝探し」と題して講座生の方々に、これまで見過ごされてきた(あまり紹介されて

いない)「お宝」を募ってまいりました。これまで挙がっているお宝についてご紹介します(あいうえお

順、文の末尾の()内はカードの記入者)。

☆ 泉 重左衛門の石像(梁瀬) ☆ 大山津見神社(松木下)

庄屋であった泉氏は北須川の下流に堰 石川バイパスの開通によって現在地に移

(現猫啼堰)をつくり(県知事に奉願書)、 された。祭神は「大山祇命」。祭日は旧暦

水不足に貢献した。猫啼に建立(石工、 3月9日。神社は 猫啼地区の氏子により

小林和平)されたが、後に王子八幡神社に 管理、保存されている。 (H.丹内さん)

移された。 (A.太楽さん)

☆ 花崗岩の巨石(母畑字長石田) ☆ 間知石の石垣(当町)

約 10m の花崗岩の巨石。この石が字名 町道 102 号線(通称、循環道路)の両側の

となっている。石が重なりあって迷路の 側溝を挟んで長さ 300m に渡り、高 0.5

ようになり、夏でも冷風が吹き抜けたと ~4.0m の日本独特の石垣用材である間

のこと。現在は危険防止のため、入り口 石の石垣がある。昭和 30 年頃に作られた

は塞いである。 (T.中田さん) もので当時の石工の技術の高さが偲ばれ

る。 (K.小林さん)

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☆ 古民家(中田字矢造) ☆ 古民具(白石)

明治6~7年頃の建築で、築 140 年位の 白石の有賀二千雄氏は、平成2年頃から

大きな屋敷である。昔のままの土間や囲 収集した農具や家具、什器など約 200 点の

炉裏、広々とした座敷、昔からの障子戸 古民具を離れを改造して展示している。

や帯戸、奥座敷には上段の間と呼ばれる 前庭にある長さ 10m ほどの藤棚も見事で

書院造りの部屋があり、障子戸や欄間に す。 (T.山田さん)

施された細工は一段と華やかで豪華であ

る。 (K.瀬谷さん)

☆ 御神馬像(南町) ☆ 境之内稲荷神社(境ノ内)

この像は、日清戦争に軍馬として徴用さ 稲荷神社の御神体は、溝井家第4代目の

れ戦没した当地方の農耕馬や運送馬を慰 当主(江戸末期)が京都の伏見稲荷から請け

霊するため、明治 30 年 11 月に南町の有 てきたとのこと。爾来、溝井家の屋敷神と

志が建立したものである(石工は浅川町出 して祀られてきた。北須川沿いにも神社が 身の

小松寅吉)。 (M.近内さん) あったが御神体が洪水で流失したため北町

区の有志が昭和 43 年に伏見稲荷大社から

御神体を請け安置した。祠の前には2基の

燈篭があり、天頂の2匹の白狐が御神体を

守っている。 (K.増子さん)

3

☆ 笹小屋の桜と供養塔群(鹿ノ坂) ☆ 三夜さま(母畑字滝平、樋田)

鹿ノ坂頂上あたりに清水が湧き出てい 廿三夜(にじゅうさんや)というのは、か

る。昔の井戸の脇には太さが 2.6m の江戸 つて月待ち行事が行われた陰暦二十三日の

彼岸 桜(樹齢は?)と供養塔がある。 夜を指す。この晩は下弦の月が真夜中に昇

○巳待石碑 2基、○二十三夜石碑 1基 ってくるので、講を結んだ人たちが集まっ

○地蔵尊 1基、○馬頭観音 1基 て念仏を唱えたり、飲食をしながら月の

○解読不明 数基 出を待つという行事が催された。 ( )

(Y.塩沢さん(代))

☆ 三階建ての土蔵(下泉) ☆ 清水 (●:写真)

荒町の青柳商店の奥庭に白壁造りの三階 ○安養寺の清水(沢井東打出) (K.櫻井さん)

建て土蔵がある。繭を買い集めて収納す ○医者清水(中田石ノ森) ( 〃 )

るため3代目の鈴木善吉氏が大正初期に ○板仲集会所(板橋柿木平) ( 〃 )

建てたとのことです。昭和8年頃には生 ○小和清水(曲木小和清水) ( 〃 )

糸工場「磐城双川社青柳製糸揚返場」 を ●笹小屋清水(鹿ノ坂) (Y.塩沢さん(代))

左隣につくり、出来た生糸製品は横浜か ○塩沢鉱石水(塩沢佐武内) (K.櫻井さん)

ら貿易されたそうである。 (A.太楽さん) ●大法清水(薬王寺下,大室) ( 〃 )

○長寿清水(板橋塩ノ沢) ( 〃 )

○酉木沢(今出川水源、中田酉木沢) ( 〃 )

○福田乃清水(山形福田) ( 〃 )

●八合田清水(矢ノ目田) (Y.塩沢さん(代))

○平田文男氏所有(サイダー製造、

湯郷渡字湯坂) (T.中田さん)

○元湯別館源苑(母畑字樋田) (K.櫻井さん)

4

☆ 外国見の板碑(国見)

大小5基あるが、以前からこの場所にあ

ったものか、他から移されたものかは不

明である(中途で埋もれた姿で建っている

ことから、何らかの原因で破損したもの

をこの地に移したもの?)。老朽化してお

り文字や彫りが見えないので年代等、不

明である。 (H.丹内さん)

☆ 大黒天の石像(母畑字小田口)

地元樋田の溝井好一氏が私財を投じて

地域の繁栄を願い、昭和 63 年3月から制

作に取り組みましたが、病に倒れ、志半

ばで亡くなりました。妻のマサさんが意

志を継ぎ、平成6年2月に見事完成させ

たものです。 (K.増子さん)

5

☆ 太子堂(南町) ☆ 煙草神社(南町)

指物の神様として建立されたもので、石 当地方の農業においては高収入が得られ

川建築工業組合(大工や建具屋で組織)が管 るタバコ耕作が盛んであったことから、終

理し、毎年、4月3日に例大祭を行ってい 戦後の昭和 23 年頃に建立された。社殿は、

る。昭和 48 年4月3日に現在の場所に建 旧石川小学校にあった奉安殿(御真影、教

立されたとする太子堂再建記念碑がある。 地につくられた施設)であると言い伝えら

また、奉納百周年記念碑が昭和 63 年4月 れている。福島県たばこ耕作組合が管理し

3日に奉納されている。 (M.近内さん) ており、毎年、5月に例大祭が行われてい

る。 (M.近内さん)

☆ 大正橋(今出川、当町~立ヶ岡)

この橋は、元は「佐一(佐市)橋」と云っ

た。近くに住んでいた佐一(佐市)という

人が地元民の利便を計るため、丸木を用

いて架けたと云われている。その後、数

度、洪水で消失したため架け替えられ、

橋の名も「大正橋」となった。現在のコ

ンクリート橋は昭和 43 年に架設された。

(K.小林さん)

6

☆ 滝桜の子孫のしだれ桜(立ヶ岡) ☆ 忠魂碑(母畑字樋ノ口)

石川木工所の須藤正光氏が昭和 50 年代 日露戦争並びに日独戦争の戦死者(病死者

に「三春滝桜」の苗木を、立ヶ岡の大石 を含む)の忠魂碑である。大正 15 年 10 月

地蔵尊の道路下の敷地に植えたもの。樹 に起工、昭和2年3月竣工。帝国在郷軍人

齢 30 年以上経過しており、開花時は傘状 会母畑村分会が建立した。6名の名前が刻

の見事な「桜花」に目を奪われます。 まれており、当時の戦死者に対する畏敬の

(H.丹内さん) 思いが感じられる碑であり、立派な造形で

ある。 (T.中田さん)

☆ 近津神社(南町)

永承6年(1051)、前九年の役に源 頼義 ☆ 天狗の足跡(当町)

親子が当地に布陣し、連戦連勝を重ねた 塩竃神社の境内の花崗岩の大石に大きな

天運に感謝し、高田五里石に千勝神社を 左足跡がある。その昔、天狗が空を飛ぶの

祀り、「中ツ国広の扇」を御神体として に大石を蹴った際にできたものと言われて

祭祀した。康平5年(1062)、源 有光公は いる。同じ足跡は、猫啼の荷倉石にもある。

八幡山に三蘆城築城の際、山頂にあった ( )

「味金且高彦根命」(あじすきたかひこねの

みこと) を祀る社をこの地に遷座した。

治歴2年(1066)9月1日、社に還遷する

に際し、祭神を合祀して近津神社と改称

した。この祭神は大国主命の子で、古来

農業国守の神として崇敬を集め、祭日(八

槻市)には柚、生姜、衣料、雑貨などを買

い求める近郷、近在の参拝人で賑わって

いる。 (M.近内さん)

7

☆ 荷倉石(猫啼) ☆ 農村の原風景(王子平、原地内)

猫啼温泉、井筒屋の下流域、流れが右に 王子平の八幡神社から進入していくと社

カーブする所に巨大な「花崗岩のかたま 川を挟んで前方が沢田地区、手前が原地

り」がある。馬に付ける「荷倉」に似て 区である。広々とした田圃に白鷺が飛び

いることから「荷倉石」と呼ばれている。 かっている。田圃は水路が巡り、周囲に

いまから 50 年程前は子供達の水泳場であ 点在する家屋、緑の山々、空の広さが感

った。川魚も鯉、ハヤ、オイカワ、ウナ じられる、のどかな農村風景に心が癒さ

ギ等が生息し釣り人に名を知られていた。 れます。いつまでも残しておきたい原風

(H.丹内さん) 景である。 (H.丹内さん)

☆ 馬頭観音と石像群(鹿ノ坂)

石川地方でも大きいと思われる、高さ

☆ 馬頭観音(矢ノ目田) 234cm、横幅 90cm、厚さ 24cm の馬頭観音

矢ノ目田地内の雇用促進住宅入り口の松 で、大正6年 10 月 17 日建立とある(台石の

木の側に、高さ 44cm、横幅 22cm の石 :縦 110cm、横 74cm、高さ 44cm)。

碑が一基建っている。天保 15 年4月建立 石像群の内容は、馬頭観音6基(弘化3~

と記されている。 (Y.塩沢さん(代)) 5年、嘉永6年、2基は不明)、牛頭観音

1基である。 (Y.塩沢さん(代))

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☆ 深谷新之助翁 ☆ 平安住居(母畑字小田口)

及び吉田嘉重翁の頌徳碑(南町) 小田口地区には原始、古代の遺跡が点在

(表) 深谷新之助翁頌徳碑 し、昭和年の福島県の発掘調査により各遺

参議院議員 松平勇雄書 跡から住居跡が発掘された。とりわけ、平

(裏) 頌徳従六位勲六等深谷新之助翁 安時代の住居跡からはイロリ炉やカマドな

(碑文 略) ど古代の人々の生活が偲ばれる土器や石器

昭和三十三年霜月 矢部保節併書 が出土した。これらの貴重な文化遺産を形る

あるものとして後生に伝えようと発掘に従

(表)吉田嘉重翁頌徳稗 事した地元の人達が中心となり、住居跡と

福島県知事 木村守江書 して復元し、古代の人々の生活に思いをは

(裏) (碑文 略) せるとともに生きた学習の場として広く開

昭和五十年九月吉日 放している。 (K.塩沢さん)

石川たばこ耕作組合長 渡辺俊政

(M.近内さん)

☆「おひとつ」(お手玉)

幼少時、女の子は、集まってはお手玉で

☆ 社川の奇石群(王子平) よく遊んだ。地域によってやり方が違う。

今出川と社川の合流点の下流域、川井橋 ひとりでも遊んだが、2人以上集まると、

の下側に大小の花崗岩が川面に露出して ひとりずつお手玉「おひとつ」を初めから

おり、この景観は王子橋まで続く。王子 行い、まちがうと交代して、また初めか

ら 橋の上流域には「オットセイ」が首をも 行うという遊びを歌いながら行った(写真

たげている姿に見える石がある。 は、教えを請うた母畑出身の吉田さん(左)、

中田出身の瀬谷さん(右))。 (K.瀬谷さん)

(H.丹内さん)