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−27− AGC Research Report 69 (2019) 細胞治療・再生医療用 iPS細胞大量培養プラットフォームの開発 Development of iPS cell culture platform for cell therapy and regenerative medicine イディリス アリムジャン*・三輪 達明**・山崎 翔子*・小島 千明*・ 小谷 哲也*・熊谷 博道*** Alimjan Idiris, Tatsuaki Miwa, Shoko Yamazaki, Chiaki Kojima, Tetsuya Kotani, and Hiromichi Kumagai iPS細胞など多能性幹細胞を用いた「細胞治療・再生医療・創薬」への期待が高まっている。そ の早期実現には、まず細胞ソースを高品質で安価に大量調製し、安定供給するための「細胞加工」 技術の確立が重要である。一方、細胞加工には、規制対応・品質管理技術の開発と共に、特殊なタ ンパク質類や培地・培養容器類など原材料や部材を用いた高度な培養技術が不可欠である。我々は、 国家プロジェクトの一環として、AGC保有の高品質タンパク質製造技術および培養容器技術など を有効活用し、細胞治療・再生医療用iPS細胞3次元培養技術プラットフォームの開発を実施した。 その結果、AGC保有の遺伝子組換えタンパク質生産技術ASPEXを活用・改善することで、iPS細 胞の培養に重要なタンパク質4種類の製造技術を構築した。それと同時に、AGCグループで開発さ れたユニークな微細加工培養容器「EZSPHERE ® 」を用いたiPS細胞3次元培養・分化技術を確立 した。本技術が、ヒトiPS細胞から均一なスフェロイド(細胞塊)を短時間でハイスループットに 作製し、高い生存率・多能性を維持したまま高密度で安定的に培養するために有効であり、さらに iPS細胞から心筋細胞や神経細胞などを効率よく分化誘導するためにも有用であることが示唆され た。 Pluripotent stem cells, such as human iPS cells, have attracted increased attention in the field of cell therapy, regenerative medicine, and drug discovery. The establishment of “Cell Processing”technology is necessary for a constant and stable supply of cell sources, with high quality and low cost. The advanced culture technology of iPS cells requires various proteins and culture vessels. According to this background, we attempted to establish an iPS cell three-dimensional culture technology platform, by exploiting the AGC high-quality protein manufacture and culture vessels technologies, as part of a national project. Our recombinant protein production technology, “ASPEX” , resulted in the effective manufacture of several proteins, essential for iPS cell culturing. Furthermore, we successfully established an iPS cell three-dimensional culture technology, by applying the unique microfabricated vessel “EZSPHERE ® . In conclusion, we demonstrated that the developed culture technology is useful, not only for high-throughput generation of uniform-sized iPS cell spheroids in high density, while maintaining their high pluripotency, viability, and growth, but also for high efficient differentiation of the iPS cells into target cell types, such as cardiomyocytes and neural cells. *AGC株式会社 技術本部 材料融合研究所([email protected]**AGC株式会社 電子カンパニー 技術開発本部([email protected]***株式会社AGC総研([email protected]

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    AGC Research Report 69(2019)

    細胞治療・再生医療用iPS細胞大量培養プラットフォームの開発

    Development of iPS cell culture platform for cell therapy and regenerative medicine

    イディリス アリムジャン*・三輪 達明**・山崎 翔子*・小島 千明*・小谷 哲也*・熊谷 博道***

    Alimjan Idiris, Tatsuaki Miwa, Shoko Yamazaki, Chiaki Kojima, Tetsuya Kotani, and Hiromichi Kumagai

    iPS細胞など多能性幹細胞を用いた「細胞治療・再生医療・創薬」への期待が高まっている。その早期実現には、まず細胞ソースを高品質で安価に大量調製し、安定供給するための「細胞加工」技術の確立が重要である。一方、細胞加工には、規制対応・品質管理技術の開発と共に、特殊なタンパク質類や培地・培養容器類など原材料や部材を用いた高度な培養技術が不可欠である。我々は、国家プロジェクトの一環として、AGC保有の高品質タンパク質製造技術および培養容器技術などを有効活用し、細胞治療・再生医療用iPS細胞3次元培養技術プラットフォームの開発を実施した。その結果、AGC保有の遺伝子組換えタンパク質生産技術ASPEXを活用・改善することで、iPS細胞の培養に重要なタンパク質4種類の製造技術を構築した。それと同時に、AGCグループで開発されたユニークな微細加工培養容器「EZSPHERE®」を用いたiPS細胞3次元培養・分化技術を確立した。本技術が、ヒトiPS細胞から均一なスフェロイド(細胞塊)を短時間でハイスループットに作製し、高い生存率・多能性を維持したまま高密度で安定的に培養するために有効であり、さらにiPS細胞から心筋細胞や神経細胞などを効率よく分化誘導するためにも有用であることが示唆された。

     Pluripotent stem cells, such as human iPS cells, have attracted increased attention in the field of cell therapy, regenerative medicine, and drug discovery. The establishment of “Cell Processing” technology is necessary for a constant and stable supply of cell sources, with high quality and low cost. The advanced culture technology of iPS cells requires various proteins and culture vessels. According to this background, we attempted to establish an iPS cell three-dimensional culture technology platform, by exploiting the AGC high-quality protein manufacture and culture vessels technologies, as part of a national project. Our recombinant protein production technology, “ASPEX”, resulted in the effective manufacture of several proteins, essential for iPS cell culturing. Furthermore, we successfully established an iPS cell three-dimensional culture technology, by applying the unique microfabricated vessel “EZSPHERE®”. In conclusion, we demonstrated that the developed culture technology is useful, not only for high-throughput generation of uniform-sized iPS cell spheroids in high density, while maintaining their high pluripotency, viability, and growth, but also for high efficient differentiation of the iPS cells into target cell types, such as cardiomyocytes and neural cells.

    *AGC株式会社 技術本部 材料融合研究所([email protected])**AGC株式会社 電子カンパニー 技術開発本部([email protected])***株式会社AGC総研([email protected]

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    1. 緒言 アルツハイマー病や脊椎損傷、心筋梗塞といった疾病は患者の生活に重大な障害を与えるにも関わらず、従来の治療法では十分な効果が得られなかった。そこで近年、iPS細胞(induced pluripotent stem cells:人工多能性幹細胞)やES細胞(embryonic stem cells:胚性幹細胞)といった「幹細胞」を用いて、失われた細胞を補完する細胞治療・再生医療の実現化が期待されている。これらの「幹細胞」は、際限なく増殖できるうえ、別の種類の細胞に変化(分化)する多能性を併せ持っているため、「多能性幹細胞」として注目されている。「多能性幹細胞」のなかでもiPS細胞やES細胞は、人体を構成するあらゆる組織細胞や生殖細胞などに分化する「万能性」を持つ。特に、iPS細胞は、受精卵から作製するES細胞とは違い、任意の健常者または患者の血液や皮膚など体細胞から自由に人工的に作り出すことができるのが大きな特徴である。そのため、iPS細胞は、自家・他家移植をベースとした細胞治療・再生医療への応用にとどまらず、様々な病気の再現による原因解明や創薬用途でも大きな可能性を秘めている。その可能性を早期に実現・実用化するためには、iPS細胞の標準化、セルバンクまたはセルストックの構築、安全性向上のための基礎研究や評価方法の開発、様々な疾患・組織ごとの臨床応用研究などが必要とされている。その方向性で、研究開発が活発となり、国際競争も益々激しさを増している。そこで、世界にさきがけて日本が再生医療をリードするために、2013年から2018年にかけてJST(国立研究開発法人・科学技術振興機構)及びAMED(国立研究開発法人・日本医療研究開発機構)主導で「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」が実施された。その中で、我々AGCは以下に記述する個別課題「再生医療に用いるiPS細胞大量培養プラットフォームの開発(その

    概要をFig. 1で示す)」に取り組んだ。 iPS細胞のような多能性幹細胞は、一般的な体細胞に比べて代謝活性が高く、同時に高い分化(変化)ポテンシャルを併せ持っているため、不安定な側面もある。そのため、これらの多能性幹細胞を本来の多能性を維持した状態で変質させずに安定的に大量調製するためには、特殊な培養技術が不可欠である。その一環として、細胞の安定維持・増殖・分化制御に必要となる特殊なタンパク質類や試薬類のみならず、細胞培養容器類の開発も重要となる。さらに、臨床応用を視野に入れた規制対応可能な高品質の製品開発が求められている。しかし現状では、一般的に使用される資材・原材料(試薬類、細胞培養用培地類、容器・器具など消耗品類)は、高額なうえ、製品開発初期から「医療に関わる規制」、「実用化に向けたコスト」などを念頭に入れた製品開発は少なく、殆どが研究グレードのものである。これは、今後の臨床応用および産業化において大きな課題とされている。 上述のような課題への1つのソリューションとして、AGCには遺伝子組換えタンパク質生産技術A S P E Xや 医 薬 品 製 造 管 理 基 準(G M P : G o o d Manufacturing Practice)に適合したバイオ医薬品の製造技術と実績がある(1, 2)。さらに、AGCグループにおいて、iPS細胞の3次元培養や研究開発に応用可能な培養容器類や理化学器具類の製造技術がある。これらの保有技術を有効に活用し、iPS細胞など多能性幹細胞の培養に重要な培地成分タンパク質類(液性因子)および3次元培養容器類の製造技術および応用技術を開発した。その主な結果として、iPS細胞の増殖・分化に重要な4種類の培地添加用タンパク質の遺伝子組換え生産技術を開発するとともに、AGCの子会社であるAGCテクノグラス社(ATG)が開発した微細加工培養容器EZSPHERE®を有効活用することで、ユニークなiPS細胞3次元培養・分化技術を開発した。

    Fig. 1. Overview of the iPS cell culture platform.

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    2. 実験方法

    2.1. 遺伝子組換えタンパク質生産系の構築 今回、開発対象に選んだ4種類のヒト由来タンパク質の遺伝子組換え生産系構築にあたり、ヒト血清由来の鉄イオン輸送タンパク質であるトランスフェリン(human transferrin:以下hTF)、抗酸化酵素活性を持つタンパク質スーパーオキシドジスムターゼ1(superoxide dismutase 1:以下SOD1)およびカタラーゼ(catalase:以下CAT)の遺伝子組換え発現系は、AGC保有の「分裂酵母S. pombe (Schizosaccharomyces pombe)を用いたタンパク質生産技術」(ASPEX: AGC S. pombe Expression System)(1,2, 10-17)を活用して構築した。一方、ヒト由来の幹細胞因子(ステムセルファクター、stem cell factor:以下SCF)は、一般的な大腸菌(E. coli)汎用宿主株および発現ベクターを用いて遺伝子組み換え発現系を構築し、生産性を最大化するための最適化を行った。 遺伝子組換え発現ベクター構築にあたり、各タンパク質の公知遺伝子配列またはアミノ酸配列情報を基に、宿主となる分裂酵母または大腸菌の遺伝子コドンに最適化した形式で遺伝子配列を人工設計した。その設計DNAを人工(化学)合成した後、一般用の遺伝子クローニングベクターに挿入し、大腸菌宿主株でプラスミドDNAとして増幅・調製した。得られたプラスミドDNAから各目的タンパク質の遺伝子配列部分

    (ORF: open reading frame)を適切なDNA切断酵素(制限酵素)で切り取り、アガロースゲル電気泳動手法によって分離・精製した。得られた精製DNA断片

    (各タンパク質の遺伝子コード部分)を分裂酵母または大腸菌宿主用の遺伝子発現ベクターのMCS

    (multiple cloning site)に挿入することで、各タンパク質の基本発現ベクターを構築した。それらの構築ベクターについては、目的タンパク質の遺伝子コード領域(ORF)とその両端のDNA塩基配列が設計通り正しく配置されていることをDNA配列解析で確認した後、分裂酵母または大腸菌の宿主株に導入して形質転換体株を取得した。 取得した各遺伝子組換え株は、まず試験管・フラスコレベルで少量培養し、目的タンパク質の発現状況を調べながら発現系(宿主株とベクター)の最適化を行った。最終的に得られた各タンパク質生産株は、数Lから数十L規模の培養槽で高密度培養し、スケールアップ生産性の評価と同時に、培養・分離・精製・品質評価など各製造工程の開発および最適化を行った。最終的に精製された各タンパク質サンプルは、電気泳動やクロマトグラフィー分析によって純度や濃度などの分析を行い、さらに生理活性(細胞増殖活性、酵素活性等)を評価した。

    2.2. iPS細胞のスフェロイド培養、分化、分析 ヒトiPS細胞は、京大iPS細胞研究所(CiRA)で作製された253G1株または201B7株を用いた。これらの

    株は、ワーキングストック(凍結保存)から解凍し、足場タンパク質Laminin-521またはMatrigel (マウス肉腫から抽出した可溶性基底膜マトリックス、Corning)をコートした平面プレート上でmTeSR1培地(STEMCELL Technologies)を用いて6-7日間コンフルエントになるまで接着培養して増やした。その後に、分解酵素Accutase(Innovative Cell Techno logies)またはTrypLE Select(TremoFisher)を加えて37℃で4~5分間処理することでプレートから剥した。さらに、2-5回軽くピペッティングして細胞にせん断応力をかけることでシングルセルに分散し、iPS細胞懸濁液として調製した。その後、細胞密度をセルカンター装置(TC20TM全自動セルカウンター、Bio-Rad)で計測し、さらに必要に応じて新鮮な培地を用いて任意の細胞密度に調整してから微細加工培養容器EZSPHERE®に播種した。細胞を播種したEZSPHERE®は、インキュベーター(37℃、5% CO2)内で数時間静置することでiPS細胞スフェロイド(球状の細胞塊)を形成させて、さらなる継代培養や細胞分析または神経・心筋細胞への分化誘導試験などに用いた。播種した細胞の生存率は、生死判定用の蛍光色素(Live/Dead Cell Staining Kit II, Promo Kine)を用いて蛍光顕微鏡で調べた。 EZSPHERE®で作製したiPS細胞スフェロイドを用いた心筋または神経細胞への分化誘導の手順は、既に知られている一般的な方法をEZSPHERE®に合わせて最適化した。分化誘導によって得られた心筋または神経細胞のスフェロイドは、分解酵素処理によって一旦シングルセルに分散した後、再びEZSPHERE®に播種することで再凝集させ、分化・成熟化・純化の効率変化を調べた。iPS細胞の分化率は、免疫染色法やPCR法、フローサイトメトリー(flow cytometry)解析法などを用いて分析した。

    3. 実験結果3.1. 遺伝子組換えタンパク質の製造技術の開発 今回、開発対象に選んだ4種類の培地添加用タンパク質(液性因子)のうち、ヒト・トランスフェリン

    (hTF)は、分子量が76 kDaであり、主にヒトの血清に存在する鉄イオン結合性タンパク質の一種である。生体内では、鉄イオンの輸送に関わる重要な血清タンパク質であるため、様々な細胞の培養に必要で、基本培地の必須成分になっている。その遺伝子組換え生産技術においては、大腸菌など原核生物での生産が難しく、酵母または動植物細胞など真核生物での生産が可能で、一部開発されている市販品もある。今回はAGC保有の分裂酵母発現系(ASPEX)を活用した生産系を開発した。 次の開発対象であるタンパク質SOD1(ホモ2量体、分子量:32 kDa)およびCAT(ホモ4量体、分子量:240 kDa)ともホモ多量体のタンパク質で、活性酸素の除去活性を持つ酵素である。それぞれが分子構造の活性中心に銅イオンと亜鉛イオン、または鉄イオンの

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    ように二価の金属イオンを持つことで抗酸化酵素活性を発揮する。そのため、細胞培養時に細胞内で生じる活性酸素を分解・除去し、解毒するために活用される。特に、酸化ストレスに弱い神経細胞の培養・維持には重要で、B27培地など神経細胞培地に添加される。一方、この2種類の酵素タンパク質とも遺伝子組換え製品が乏しいため、今回hTFと同じく、ASPEX技術(10-17)

    を活用した遺伝子組換え生産系を開発した。 一方、iPS細胞から造血幹細胞や血小板など血液系細胞を作るために不可欠とされる幹細胞分化因子タンパク質SCF(ホモ2量体、分子量:37 kDa)については、大腸菌を宿主とした遺伝子組換え生産系の開発を行った。 今回、いずれの遺伝子組換えタンパク質の生産系にも微生物宿主(分裂酵母/S. pombeまたは大腸菌/E. coli)を用いることで、ウイルス等のコンタミネーションを回避し、各タンパク質の臨床応用を視野に入れた「高い安全性」と「高品質」の実現を目指した。また、各タンパク質の遺伝子を導入して作製した遺伝子組換え酵母株または大腸菌株を用いて、高密度培養、分離からタンパク質の精製・分析・品質評価まで一貫した製造プロセスを開発した。さらに、その最適化によって「低コスト化」を図った。

    3.1.1. 遺伝子組換えタンパク質生産系の構築 4種類の開発対象タンパク質のうち、hTF、SOD1およびCATの3種類の生産系構築にあたり、AGC保有のASPEX技術をベースにし、各タンパク質の特徴に合わせて発現系および製造工程の最適化を行った

    (Fig. 2)。そこで、各タンパク質を菌体内から培養上清に分泌させることで分離・精製工程を簡略化・効率化させるため、まず分裂酵母での分泌生産系の構築を目指した。それにあたり、各タンパク質の発現ベクタ

    ーのプロモーター領域および分泌シグナル配列の最適化を検討し、それと同時に宿主株の種類や培養条件の検討も行った(Fig. 2a, b)。 hTFについて、上述のように分泌シグナルまたは分泌キャリアの最適化を検討した結果、従来のP3シグナル(10-11)の代わりにヒトPDI由来分泌キャリア

    (Hsabx)を用いることで、試験管レベルでのhTF分泌生産量が6倍ほど向上した(Fig. 3)。さらに、宿主株としてプロテアーゼ遺伝子欠損株シリーズA1-A8(12-16)をスクリーニングした(Fig. 2b)。その結果、遺伝子組換えタンパク質の分解に最も関わる宿主プロテアーゼ遺伝子を8重に削除したA8株でhTF分泌量が一番高く、野生株A0より2倍以上向上した(Fig. 4)。この結果から、A8株を用いることで、hTFの宿主由来プロテアーゼによる分解が抑制されたことが示唆された。 SOD1は、hTFと同様の方法で分裂酵母の宿主株シリーズA0-A8や分泌シグナル・分泌キャリアなどを比較検討した。その結果、分裂酵母の野生株A0でSOD1分泌生産性が最も高く、発現ベクター設計上は分泌キャリアよりも分裂酵母自身由来の分泌シグナルP3で分泌生産量が最大化した(データ省略)。一方、CATについてもhTFやSOD1と同様に、分裂酵母の宿主株や分泌シグナルの比較検討による分泌発現系の構築を試みたものの、いずれの場合でも分泌生産性が低かった。そこで、プロテアーゼの遺伝子を8重欠損させた宿主株A8を用いた菌体内発現方式を採用することとし、菌体内で可溶性・活性体で安定的に高発現させることができた(データ省略)。 上述のような発現系最適化過程においては、各タンパク質の遺伝子(発現カセット領域)を分裂酵母宿主株の染色体にシングルコピー導入する「単座組込み」技術を用いることで、遺伝子コピー数をシングルに揃

    Fig. 2. Construction of recombinant protein manufacturing process by using AGC’s biotechnology platform ASPEX.

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    えた条件での比較検討を可能した(Fig. 2c)。このように、各発現ベクターおよび宿主株のベスト組合せが選択された後、次は各タンパク質の遺伝子を分裂酵母宿主株の染色体(3本)に多コピー導入する「多座組込み」手法に切り替えた(Fig. 2c)。これにより、遺伝子コピー数の増加による発現量の向上を実現した。 最後に、SCFは上述の3種類のタンパク質と違って大腸菌を宿主とした発現系を構築した。それにあたり、市販の複数種類の大腸菌宿主株および誘導型発現ベクターを試し、その比較検討および最適化を行った。その結果、SCFの菌体内での封入体(inclusion body)形式での不溶性発現に最適な宿主株と誘導型発現ベクターの組み合わせを見出し、効率的な誘導型発現系を構築することができた(データ省略)。

    3.1.2. タンパク質製造プロセスの開発 ASPEX技術を用いて作製した遺伝子組換えhTF、SOD1およびCAT生産用酵母株各種は、数Lから数十L規模までの培養槽で高密度菌体培養(培地を連続的に添加する流加培養方式)を行った。そこで、単位培養液あたりのタンパク質生産量が最大化するように培養パラメーターを最適化した。さらに、培養で得られた菌体または培養液上清の分離からタンパク質の精製・分析までの一連の製造プロセスを構築し、工程の最適化を行った。 全体工程として、hTFの製造プロセスフローを一例としてFig. 2dに示した。具体的には、hTF遺伝子組換え酵母を培養槽で高密度状態で大量培養した後、遠心分離により菌体を除き、培養上清を得た。その培

    養上清の膜ろ過・バッファー交換や陰イオン交換クロマトグラフィーなどいくつかの工程を重ね、最終的に高純度hTF精製品を取得した。また、Urea-PAGE

    (poly-acrylamide gel electrophoresis: ポリアクリルアミドゲル電気泳動)により、精製したhTFが本来持っているFe3+イオン結合活性を維持していることを確認した(hTFがFe3+イオンと結合することで分子構造が変更し、電気泳動度も変わる、データ省略)。さらに、hTF精製品をiPS細胞培地に添加した培養試験によってhTF生理活性を評価したところ、既存品と同等以上の細胞増殖活性を示した(データ省略)。 SOD1は、hTFと同じく分裂酵母分泌生産方式を採用しているため、上述のhTF製造プロセス(Fig. 2d)に似ている製造方法で培養・分離・精製プロセスを開発した。さらに、精製工程の最適化によって高純度・高活性で製造するプロセスを開発した。 CATは、上記のhTFおよびSOD1の分泌生産方式と違って、分裂酵母の菌体内発現形式を採用しているため、まず菌体収率を最大化するように高密度培養条件の最適化を行った。次に、得られた菌体を高圧ホモジナイズによって破砕した後、菌体内タンパク質の抽出、菌体破砕液の分離、タンパク質の精製など工程を構築した。各工程を最適化し、シンプルな分離・精製工程によってCATを菌体破砕液から高純度・高活性で効率よく精製するプロセスを実現した。精製したCATはSOD1精製品と同じく、高い抗酸化活性を保持し、既存品同等以上の酵素比活性を示した(データ省略)。 SCFは、構築された大腸菌発現系を用いて、まずスケールアップ可能な高密度菌体培養工程および誘導発現方法を開発した。その後に、大腸菌の菌体内からSCF封入体を不溶性状態で効率よく分離・回収し、高濃度尿素による変性・可溶化、リフォールディング

    (巻き戻し)、精製など一連の製造工程を構築した。それらの工程の最適化によって、高収率・高純度の製法を実現した。最終的に精製されたSCF試作品は、市販品に比べて同等以上の生理活性を保持していることを細胞培養評価試験などによって確認した(データ省略)。 各タンパク質の上述のような製造プロセス開発によって試作された精製品をSDS-PAGEおよびHPLC(高

    Fig. 3. Optimization of secretory signals or secretory carries for hTF production.(Sp: S. pombe, Hs: Homo sapience).

    Fig. 4. Optimization of S .pombe host strains for hTF production.

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     EZSPHERE®の微細ウェルのサイズは、レーザーの照射強度または照射時間によって調節可能であるため、バリエーションに富んでいる。また、微細加工表面は、 タンパク質や細胞の接着を抑制する特殊なポリマーでコーティングされているため、iPS細胞などのスフェロイドを各微細ウェルの中で非接着状態で培養できる。また、微細ウェルが高密度で設計されているため、微細ウェル間に平らな表面が殆どなく、播種された細胞が速やかに各微細ウェル内に均等に落ち込んで集まり、隣接する細胞同士が短時間で接着して凝集することで均一な球状スフェロイドを形成させることが可能である(Fig. 7a)。これらの特性を生かしたiPS細胞スフェロイド培養・分化技術を開発した。

    3.2.1. iPS細胞スフェロイドの高効率形成 ヒトiPS細胞(201B7株)を平面ディッシュで数日間2次元接着培養して一旦増やしてから、分解酵素を用いて剥して、さらにシングル細胞に分散した。その細胞懸濁液をEZSPHERE®に播種したところ、シングル分散化細胞が各微細ウェルの底に素早く均等に集合し、短時間で凝集することによって、3~4時間以内に球状のスフェロイドを形成した(Fig. 7a)。形成されたスフェロイドのサイズは均一であった(データ省略)。また、EZSPHERE®の微細ウェルサイズや微細ウェルあたりに播種するiPS細胞数を調節したところ、任意サイズ(直径が数十から数百μm)のスフェロイドを短時間で均一に大量に作製することに成功した(Fig. 7b)。

    速液体クロマトグラフィー)を用いて分析した結果、高い精製純度を示した(Fig. 5)。

    3.2. iPS細胞の3次元培養・分化技術の開発 iPS細胞を安定的に大量培養するために様々な培養法の研究開発が行われている。その中でも、iPS細胞の自発的な凝集特性を利用した球状細胞塊(スフェロイド:spheroids)形態での3次元浮遊培養法が最近有望視されている。そこで、本研究では、AGCテクノグラス(ATG)社でスフェロイド培養用に開発された特殊な微細加工培養容器EZSPHERE®(9)を活用し、iPS細胞のスフェロイド培養技術の開発を行った。 EZSPHERE® は、ポリスチレン製の汎用ディッシュやマルチウェルプレートなどの培養容器の表面に炭酸ガスレーザーを照射することによって隙間なく均一な微細ウェル(孔径200~1,400 μm, 深さ100~600 μm)を形成させたユニークな微細加工培養容器である(3-8) (18-19)(Fig. 6)。

    Fig. 5. Purity analysis of the finally produced recombinant proteins by SDS-PAGE and HPLC.

    Fig. 6. Micro-fabricated culture vessels EZSPHERE®.

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    AGC Research Report 69(2019)

    3.2.2. iPS細胞スフェロイドの安定培養、増殖 EZSPHERE®に播種したiPS細胞を6日間スフェロイド状態で培養したところ、播種の翌日には生細胞数が一旦低減するが、最終的にトータル細胞数が播種後4-5日間で7倍以上も増加し、高い細胞増殖効率を示した(Fig. 7c)。細胞の生存率も播種2日目から89~99%の高い水準を保持していた。さらに、細胞増殖過程で得られたスフェロイドを一旦シングルセル化してフローサイトメトリー(FACS)解析した結果、98%以上 の 細 胞 が 多 能 性 マ ー カ ー(O C T 4、S O X 2、SSEA3)陽性を示していた(データ省略)。このことから、EZSPHERE®でスフェロイド形態で増殖したiPS細胞は、本来の多能性(未分化状態)を非常に高い水準で維持したまま効率良く増殖できることが示唆された。最終的に得られたiPS細胞スフェロイドは、分解酵素処理により再度シングル細胞に分散し、EZ-SPHERE®に再播種することで引き続き継代培養または拡大培養が可能であることも確認された。

    3.2.3. iPS細胞の効率的な神経分化 EZSPHERE®を用いて高密度で均一に形成させたヒトiPS細胞スフェロイドを効率よく増殖させた後、さらにEZSPHERE®を活用しながら目的の神経細胞タイプに分化誘導する技術の開発を行った。 まず、ヒトiPS細胞のスフェロイドサイズによって神経分化効率が変化する可能性を念頭に、EZSPHERE®

    への細胞播種密度を微細ウェルあたり125個から1,000個までの範囲で何段階か振って、播種密度とスフェロイドサイズおよび神経分化効率の関連性を調べた。その結果、播種細胞数の増加に従ってスフェロイドサイズが大きくなり、それにつれて神経幹細胞(neural stem cells: NSCs)への分化効率も上昇した(18)。細胞播種密度を微細孔あたり500~1000細胞の条件下で形成させた大きめのスフェロイドは、分化誘導4日目には75-85%が神経幹細胞(Neural stem cell: NSC)マーカーN-cadherin/CD56陽性になった(データ省略、既に発表した総説・論文を参照されたい)(3-8, 18, 19)。神経幹細胞は、増殖能と3種類の中枢神経系細胞(ニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイト)に変化する多分化能を有しているため、iPS細胞から

    Fig. 7. Effective generation and proliferation of iPS cell spheroids on the EZSPHERE®.

    様々な神経細胞種を作り出す上で非常に重要で、その過程の効率化にEZSPHERE®が有効であることが示唆された。 さらに、接着培養での分化プロトコールがすでに確立されているドーパミン神経分化プロセス(20)をEZSPHERE®で試した。その結果、iPS細胞のスフェロイド形成から増殖まで、さらにドーパミン神経系細胞への分化誘導から成熟化までの一連の工程をEZSPHERE®で完結できることがわかった(データ省略)(18)。 iPS細胞から神経系細胞を効率よく分化誘導し、成熟 化 す る 手 法 と し て“ニ ュ ー ロ ス フ ェ ア”

    (neurosphere: NS、神経幹細胞塊)法が良く知られている(18)。この手法では、iPS細胞から分化誘導したニューロスフェアの形成と細胞分散、再凝集を繰り返す工程があり、そこにEZSPHERE®を用いることによる効率化・ハイスループット化を検討した(Fig. 8a)。 EZSPHERE®を用いたニューロスフェア法の検討は、慶応大・岡野グループにより報告されている手法(21)をベースにし、従来法で使われる非接着性の平らなディッシュの代りにEZSPHERE®を取り入れた

    (Fig. 8b)。具体的には、EZSPHERE®を用いてヒトiPS細胞から均一なスフェロイドを作製し、その増殖と神経分化誘導によって神経幹細胞(neural stem cells: NSC)のスフェロイドを得た。得られたNCSスフェロイドを一旦分散してシングルセル化してから再度EZSPHERE®に播種してニューロスフェアを作製した(Fig. 8a, b)。同じようなNCSスフェロイド形成、細胞分散と再凝集をEZSPHERE®を用いて更に1-2回繰り返すことにより、神経細胞の純化と成熟化の効率を調べた。その結果、神経細胞の純化と成熟化が促進され、βIII-tubulin陽性のニューロン、O4陽性のオリゴデンドロサイト、GFAP陽性のアストロサイトなど神経が成熟した際に発生する3種類の細胞系統を得ることができた(Fig. 8c)。

    3.2.4. iPS細胞の効率的な心筋分化 EZSPHERE®を用いた神経分化法の開発に続いて、iPS細胞から心筋細胞を作る3D培養・分化法の検討

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    を行った。 iPS細胞由来の心筋細胞は、心筋梗塞などの再生医療や心疾患機構解明の用途のみならず、心毒性評価など創薬への応用も期待されるため、iPS細胞から心筋細胞を作る研究開発は活発に行われている。一般的に心筋分化誘導する場合には、前述のニューロスフェア法同様、スフェロイド培養・分化法が有効とされている(22, 23)。また、心筋前駆細胞のソーティングの代わりにEZSPHERE®のような微細加工培養容器に播種することで、心筋細胞の分化および純化の効率化を調べた。 今回、iPS細胞からの心筋分化手法として、Yangらの基本プロトコール(24)をベースにし、EZSPHERE®

    にあわせて最適化した(Fig. 9a)。まず、ヒトiPS細胞から心筋誘導分化までの全過程において、最初のスフェロイド形成(1日間)から心筋分化4日間までEZSPHERE®を用いることで、サイズ均一なスフェロイドを形成させた上での分化誘導を実施した。その後、平らな低接着に移して2-3日間分化誘導を継続した。そして、7 日目にスフェロイドを回収し、その一部は対照試験用として新しい平らな低接着ディッシュに移し(Fig. 9aの①)、残りは細胞分散してからEZSPHERE®に再播種し、均一な心筋スフェロイドを再形成させた(Fig. 9aの②)。その後、両方とも分化 誘 導 を 続 け、14日 目 に 観 察 し た。そ の 結 果、

    Fig. 8.Efficient neurosphere (NS) method optimized for the EZSPHERE®.

    EZSPHERE®を用いて再凝集させた方(Fig. 9aの②)では心筋スフェイドが各微細ウェルでサイズ均一性を保った状態で拍動することが確認された。一方、7日目に細胞分散・再凝集せずに平らなディッシュで継続した対照の方(Fig. 9aの①)では、心筋スフェロイドの不均一性が見られた(Fig. 9b)。さらに、それぞれの心筋スフェロイドの分化効率を心筋マーカーcardiac troponin T (cTnT)陽性率を指標にフローサイトメトリーで分析した結果、EZSPHERE®を用いて再凝集を行った②の場合の心筋マーカーcTnTの陽性率が94.6%で、分化7日目に再凝集していない①の際の89.4%より高く、純度のより高い心筋細胞が得られた。また、得られた心筋スフェロイドをcTnT蛍光染色で観察した結果、いずれの場合も心筋細胞特有の縞模様のサルコメア(sarcomere: 筋節)構造が確認された(Fig. 9c)。

    4. 考察 iPS細胞のような多能性幹細胞の増殖・維持培養または分化などの過程において、培地成分として炭素源やアミノ酸、ビタミン、ミネラル類など栄養素のほかに、様々な機能性タンパク質類も重要である。一方、それらのタンパク質の種類は多く、添加量や組み合わせも多様で、培養・分化のステージに合わせて一定の

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    量で複数種類添加して使用される。一般的には、iPS細胞のような多能性幹細胞の維持・増殖用の基礎培地成分として広く用いられるタンパク質類として、インスリン(インシュリン、insulin)、FGF(fibroblast growth factor: 繊維芽細胞増殖因子)、トランスフェリン(hTF)、TGF-β (transforming growth factor-β:ト ラ ン ス フ ォ ー ミ ン グ 増 殖 因 子 β )、L I F

    (leukemia inhibitory factor:白血病阻止因子)などがある。その中でも、hTFは鉄運搬因子で、iPS細胞など様々な幹細胞の増殖から分化まで様々な培地の必須成分になっている。しかし、市販品はヒトや動物血清由来品が多く、安全性または規制対応の上では懸案が残っている。一方、酸化ストレスに弱い神経細胞類の培養・維持に重要とされるSODとカタラーゼ

    (CAT)は、生体からの抽出・精製が難しく、また遺伝子組換え生産も難しいため、入手困難な状態が課題になっている。また、iPS細胞など多能性幹細胞から造血幹細胞や血小板などの生産に必須の分化因子SCFは生体からの調製が難しいため、大腸菌を用いた遺伝子組換え製品が一部市販されている。 上述のいずれの培地添加用タンパク質にしても、さらに共通の課題として、臨床グレードの製品が少ない上、非常に高価で、規制・コストを念頭に入れた製品

    Fig. 9. Efficient cardiac differentiation from iPS cells by using the EZSPHERE®.

    開発が急務となっている。また、臨床用iPS細胞などの培養に用いるタンパク質類は、血清などヒト・動物由来のものを使用することは安全上厳しく制限されていることもあり、遺伝子組換え製品の開発が望ましい。このような背景で、今回ユーザーニーズの高い4種類のタンパク質hTF、SOD1、CATおよびSCFを対象に選び、高品質・低コスト製品開発を目標に遺伝子組換え生産技術の開発を行った。 各タンパク質の遺伝子組換え生産系の開発にあたり、安全でコストパフォーマンスの高い微生物(酵母または大腸菌)を宿主として用いた。さらに、細胞治療・再生医療分野での臨床応用を念頭に、遺伝子組換え生産株の構築から、培養、分離、精製など全製造プロセスにおいて、動物成分フリー原材料の使用など製品安全性に配慮した。同時に、AGC保有のバイオ技術ASPEX(1-2, 10-17)やバイオ医薬品製造の経験を活かし、各生産株及び製造工程の最適化・効率化によって、全体工程の生産性、収率および堅牢性を高め、各タンパク質を高純度で生理活性維持状態で製造する技術を開発した。現在、各タンパク質の再生医療分野での実用化を目指して大量製造プロセスの開発を継続している。 iPS細胞など多能性幹細胞はシングル細胞状態では

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    不安定のため、一般的な培養方法としては、足場など特殊な培養表面に接着させて培養する「2次元接着培養法」と、細胞を培養表面に接着させずに細胞凝集体

    (スフェロイド)として浮遊培養する「3次元浮遊培養法」(25-28)の2種類が一般的である。従来は、操作の簡便性や顕微鏡観察など取り扱いのしやすさから2次元接着培養法が主流であった。しかし、この方法を用いる場合は、細胞が接着する足場として、マトリゲルまたはラミニン、ヴィトロネクチンなど細胞外マトリックスタンパク質(extracellular matrix,ECM)やフィーダー細胞(feeder cells)を使う必要性があり、手間とコストがかかる(29)(30)。また、細胞が接着する足場環境などの影響で細胞の性質が変化したり、それによって細胞が本来保持している性能が十分に発揮できなかったりする課題が顕在化している。また、細胞の接着足場として動物由来のフィーダー細胞や細胞外基質またはタンパク質・ペプチドなど特殊なものを使う必要性が出てくるため、コスト面だけでなく、臨床応用時の安全性の面でも課題が生じる可能性がある。さらに、2次元接着培養によって最終的に調製できる細胞数は培養面積に大きく依存するため、大量培養や産業化には不向きな面がある。これに対し、3次元培養法は大量培養に向いている(26)。 iPS細胞など多能性幹細胞を未分化性維持状態でスフェロイドを介して3次元浮遊培養・分化誘導する手法では、細胞本来の凝集性を利用するため、足場などは要らなくなる一方、細胞本来の特性・品質を維持・コントロールするためには、サイズが均一なスフェロイドを効率よく安定的に形成する工夫が必要となる(31)。そのための3次元培養法としては、バイオリアクターを用いた撹拌培養法やマルチウェル容器を用いた静止培養法などがあり、それぞれ様々な培養容器が開発されてきた。一般的なスフェロイド形成容器の代表例としては、ハンギングドロップ容器、細胞非接着コートを施したUまたはV底のマルチウェルプレート、バイオリアクター(25)(32)、培養バッグなどが用いられ、実用化が検討されている。 ハンギングドロップやUまたはV底ウェルプレートは、スフェロイドサイズの均一性には優れているものの、1ドロップまたは1ウェルに1つのスフェロイドしか作れないため、ハイスループット性や効率の面で課題が残る。一方、バイオリアクターは、スフェロイドの大量形成や大規模培養には向いているものの、撹拌によるシェアストレスやスフェロイドのサイズコントロールの難しさ、さらに設備投資などコスト面でいくつかの課題が残っている(25)(33)。培養バッグにおいては、使いやすい一方、通気や培地交換の工夫が必要になるなど培養条件の精密制御が難しい上、スフェロイドサイズのコントロールが依然として課題となる。 スフェロイド培養用の様々な培養容器それぞれ特有の課題があり、その解決に向けてEZSPHERE®のような微細加工培養容器が有効であることが今回の研究によって示唆された。EZSPHERE®の微細ウェルは、前述通り数百ミクロンオーダーサイズでレーザー加工

    されているため、他の微細加工培養容器に比べて非常に高密度設計となっている。例えば、通常実験室で良く 使 わ れ る 直 径1 0 0 m mの シ ャ ー レ タ イ プEZSPHERE®を用いた場合、一回の播種で容器1枚あたり約16,500個のスフェロイドを一度に作製可能である。 今回EZSPHERE®を用いて開発したスフェロイド培養法において、シングルセル化したiPS細胞を本容器に播種すると、細胞が各微細ウェルの底に素早く均等に集合し、短時間で凝集することによって、短時間

    (3~4時間以内)に球状のスフェロイドを形成することが確認された。形成されたスフェロイドはサイズが均一であり、死細胞がほとんどなく、非常に高い生細胞率を示した。これは、微細ウェル表面が非常に滑らかな上、特殊な非接着コートが施されているため、シングル状態では不安定で、生存率の低いiPS細胞が短時間で凝集することによって安定化したと考えられる。 iPS細胞など多能性幹細胞から形成されたスフェロイドのサイズとその均一性は、細胞の増殖速度や生存率だけでなく分化傾向にも大きな影響を与えることも知られている(31)。EZSPHERE®ではスフェロイドのサイズが均一に保たれているため、高い増殖速度を維持するだけでなく、培養5日後も非常に高い生存率・多能性が保持できたのではないかと考えられる。 iPS細胞など多能性幹細胞を細胞治療・再生医療または創薬分野に応用するためには、大量の細胞を多能性維持状態で安定的に調製するだけでなく、さらに心筋細胞や神経細胞、肝臓細胞など目的の細胞種や組織・臓器に効率よく分化させることが必要になる。その分化誘導プロセスにおいては、胚の発生過程を模倣して、種々の成長因子やシグナル伝達関連の低分子化合物を適切な量でタイミングよく添加することが必要となる。我々は、再生医療や創薬分野で非常に重要である神経分化および心筋分化を例に、96ウェルプレートなどを用いた既存の分化誘導方法にEZSPHERE®

    を取り入れることで、高密度のスフェロイドを短時間で効率よく形成・増殖させた上で、さらに効率良く分化誘導できることを確認した。興味深いことに、EZSPHERE®の特長を活かして、スフェロイドサイズの制御や細胞の分散と再凝集を行うことで分化を促進し、効率よく純化・成熟化まで実施可能であることを見出した。 EZSPHERE®を用いたiPS細胞のスフェロイド培養、さらに神経・心筋細胞への分化試験の検討結果から、微細加工培養容器を用いることで、iPS細胞など多能性幹細胞を2次元接着培養時に比べて高密度で3次元培養・分化ができるため、省スペース化・低コスト化が可能で、さらに均一なスフェロイドの大量形成、高効率増殖から分化誘導・成熟化までの一連の工程を一貫して行えるシンプルなプロセスの実現が可能であることが示唆された。このような一連の工程は、将来的には自動培養装置への適用も容易で、産業化につながることが期待される。

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    5. 総括 iPS細胞など多能性幹細胞を用いた細胞治療・再生医療・創薬に向け様々な研究開発が進んでいるが、その早期実現のためには安全性の高い原材料・器材を安価に安定的に供給し、産業化を進めることが必要である。その背景で、本研究においてヒトiPS細胞の大量培養技術及び安定供給にむけたプラットフォーム構築を目指し、iPS細胞培養に必要なタンパク質類因子4種類(hTF、SOD、CAT、SCF)の製造技術の開発および微細加工培養容器を用いた3次元スフェロイド培養技術を開発した。タンパク質製造技術開発にあたり、「高い安全性」「高い堅牢性」「低コスト」を実現するために、酵母や大腸菌など微生物宿主を活用した遺伝子組換え生産系を構築し、医療用途に合致した製造技術を開発した。また、ユニークな微細形状を持つ微細加工培養容器EZSPHERE®を用いた3次元培養・分化法の開発により、iPS細胞など多能性幹細胞から均一なスフェロイドを再現性良く大量に作製し、さらに増殖、分化誘導、成熟化までの一連の工程を効率よく行うことが可能であることを明らかにした。微細加工培養容器をベースにした3次元培養・分化技術は、特殊な装置や設備を必要としないため、iPS細胞等幹細胞を簡便に低コスト・高品質で大量培養・分化するプラットフォーム構築に寄与することが期待される。また、スフェロイドの大きさを精密に制御することにより、目的細胞を高効率に分化誘導する技術の構築が可能になると考えられる。均一なスフェロイドを高密度で作製できるため、ハイスループット創薬スクリーニングや毒性評価への応用展開も期待される。今後は、本微細加工培養容器の大型化、微細形状の規格化、自動化システムへの導入などが進めば、iPS細胞など多能性幹細胞を用いた細胞治療・再生医療・創薬の実用化・産業化への応用・展開が期待される。

    6. 謝辞 本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構

    (JST)および国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の国家プロジェクト「再生医療実現拠点ネットワークプログラム・個別課題」(2013年7月~2018年3月)の支援を受けて実施したものであり、ここに謝意を表します。また、本研究にご協力戴いた佐藤拓輝氏(現金沢大・特任助教)に謝意を表します。

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