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49 ピアジェを読み直す:絵本をめぐって 大浜 幾久子 大人の描く絵本に出会う子ども 絵本は,贅沢な作品である。絵画があり,文章がある。美術作品であり, 文学作品である。昔々から存在していたわけではない。だから,子どもの発 達にとって,必要不可欠であるはずはない。けれども,現在の日本において, 幼い子ども時代に繰り返し読んでもらった絵本が,自分の中に生き続けてい ると感じている人が少なくない。絵本のこうした魅力を,どのように説明で きるだろうか。私たちは,日常の体験が先で文学は後と考え勝ちである。し かし,優れた絵本に描きこまれたファンタジーの面白さを,とりわけ読み手 の肉声を通して知った子どもは,自分の身の回り,そして自然界にも,ファ ンタジーがどれだけたくさん潜んでいるかを,見出していくようになるので はなかろうか。 ピアジェと絵本 ところで,ピアジェと絵本とがどう関わるのか,不思議に思う人があるか もしれない。今日,ピアジェと絵本とが結びつけて語られる場としては,例 えば,幼児教育研究のジャーナルがあげられる。 「ピアジェがリリーに出会うとき:絵本の登場人物(キャラクター)を通 して子どもの発達を理解する」というハンセンとザンボによる論文 (1) は,そ

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ピアジェを読み直す:絵本をめぐって

大浜 幾久子

大人の描く絵本に出会う子ども

絵本は,贅沢な作品である。絵画があり,文章がある。美術作品であり,

文学作品である。昔々から存在していたわけではない。だから,子どもの発

達にとって,必要不可欠であるはずはない。けれども,現在の日本において,

幼い子ども時代に繰り返し読んでもらった絵本が,自分の中に生き続けてい

ると感じている人が少なくない。絵本のこうした魅力を,どのように説明で

きるだろうか。私たちは,日常の体験が先で文学は後と考え勝ちである。し

かし,優れた絵本に描きこまれたファンタジーの面白さを,とりわけ読み手

の肉声を通して知った子どもは,自分の身の回り,そして自然界にも,ファ

ンタジーがどれだけたくさん潜んでいるかを,見出していくようになるので

はなかろうか。

ピアジェと絵本

ところで,ピアジェと絵本とがどう関わるのか,不思議に思う人があるか

もしれない。今日,ピアジェと絵本とが結びつけて語られる場としては,例

えば,幼児教育研究のジャーナルがあげられる。

「ピアジェがリリーに出会うとき:絵本の登場人物(キャラクター)を通

して子どもの発達を理解する」というハンセンとザンボによる論文(1)は,そ

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の一例である。著者たちは,アメリカの大学において,初等教育の教職課程

の学生達に,ピアジェに代表される発達理論を教えるのに,絵本を活用した

教授法を実践してきている。この論文では,乳幼児期の発達をテーマとする

ときに,教材として役立つ絵本が,紹介されていく。まず,「誕生から2歳

まで」の発達に対応した絵本が,「身体発達」・「認知発達」・「社会感情発

達」の3分野で1冊ずつ,次いで「2歳から6歳まで」の発達に対応した絵

本が,同様に3分野で1冊ずつ,計6冊取りあげられ,具体的に解説されて

いる。さらに,本文の解説では取りあげられなかった絵本が,各時期,各分

野3冊ずつ,計 18 冊,一覧表として示されている。いずれも優れた絵本で

あり,邦訳されているものも少なくない。

さて,論文の表題のリリーとは,ケビン・ヘンクス作の絵本(邦題)『お

しゃまなリリーとおしゃれなバッグ』(2) の主人公,学校が大好きな女の子

(ねずみ)である。訳者・石井睦美は,リリーを次のように紹介している。

「リリーにはすきなものがいっぱいあって,なりたいものはひとつ。すきな

もののなかでもいちばんすきなのはスリンガー先生で,だからなりたいもの

は先生なんですって。でもリリーをみていると,ほんとうは,リリーはリリ

ーがせかいじゅうでいちばんすきなんじゃないのかなって思えてしまう。そ

んな元気でおしゃまなおんなのこのゆかいなゆかいなお話。リリーって,な

んだかとってもだれかさんに似てるでしょ。」

もし,こんな「パープル色のプラスチック製のおしゃれなパース(バッ

グ)を持った,おしゃまな」リリーに,ピアジェが出会ったとしたら,きっ

と「数の保存の実験」をしてみることだろう。そして,きっと非保存反応を

見出し,リリーの認知発達段階は,前操作期とされるだろう。それだけでな

く,ピアジェは,リリーの生活の様々な場面を観察し,愉快なエピソードの

数々を見出すことになろう。そして,きっと前操作期という発達段階を確信

することになるだろう。このように,『おしゃまなリリーとおしゃまなバッ

グ』は,「2歳から6歳まで」の「認知発達」を学生達が学ぶための教材と

してとりあげられ,解説されている。

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また,日本でも愛読されてきた,レオ=レオニ作の絵本『さかなは さか

な:かえるの まねした さかなの はなし』(3)は,「誕生から2歳まで」の

「認知発達」を学ぶための教材として表示されている。

絵本とポエジー

これらの絵本は,なぜ,大人である大学生たちにとって,子どもの発達を

学ぶときの教材となり得るのだろうか。この問に答えることは,優れた絵本

とは何か,という問に答えることに他ならないであろう。ここでは,レオ=

レオニの絵本の翻訳を初めて手がけた際の,谷川俊太郎のことば「レオ=レ

オニとの出合い」を,ひとつの答として引いておくことにしたい。

「絵本作家としてのレオ=レオニに初めて出会ったのはもうずいぶん前の

ことです。“Little Blue and Little Yellow”(邦訳題名 あおくんときいろ

ちゃん)は,たしかにひとつの新鮮なおどろきでした。絵本作家という存在

が,本質的には絵かきであると同時に詩人なのだということを,その本は私

に気づかせてくれたのです。

こんど私の訳した<スイミー> <フレデリック> <せかいいちおおきな

うち>の三冊の絵本は,その一冊ごとにレオニの絵かきとしての技法上の工

夫もあり,それぞれのストーリーにある種の教訓も含まれていますが,その

底に流れているのはやはりポエジーともいうべきものであると思います。

レオニのちいさな主人公たちの前には,いつも広大で多彩なこの地球上の

世界がひらけています。そういう現実への信頼感が,レオニのイマジネーシ

ョンを豊かにしている。そこに単なるおとぎばなしでない,彼の作品がおと

なにも楽しめる理由があると思います。

翻訳にあたっては,原本のもつ視覚的な美しさを損わぬことを,まず第一

に心がけました。文章のレイアウトを,できるだけ原本どおりにするために,

その内容の一部を省略せざるを得ない場合もありましたが,これは俳句的な

凝縮された表現を好む日本人には,かえってふさわしいと考えています。」(4)

ここでは,優れた絵本が大人にも楽しめる理由として,現実への信頼感に

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支えられた豊かなイマジネーションが,記されていることに,注目したい。

さらに,谷川俊太郎は,その数年後,「レオ=レオニふたたび」の中で,優

れた絵本が,年少児に喜ばれる理由についても,触れることになる。

「今度ふたたびレオニの数多い絵本の中から<ひとあし ひとあし> <さ

かなは さかな> <アレクサンダとぜんまいねずみ>の3冊を訳す機会を得

たのは,私にとって大きな喜びです。<ひとあし ひとあし>は,<あおく

んと きいろちゃん>と並ぶ,余りにも有名な傑作ですし,<さかなは さか

な>では洗練された色彩感覚と素朴なストーリーが,ごく幼い子どもたちに

も喜ばれているようです。そして<アレクサンダとぜんまいねずみ>は誰か

らも愛されるあの<フレデリック>を思い出させます。

レオ=レオニの創り出す世界は,私たちにとってすでになじみ深いもので

ありながら,その新鮮さを失っていないように思えます。」(5)

『フレデリック』(6)もレオ=レオニの魅力的な作品である。邦訳の副題は,

「ちょっとかわった のねずみのはなし」。

物語は次のように始まる。

「うしが ぶらぶら あるいてる。うまが ぱかぱか はしってる。

そんな まきばに そって,ふるい いしがきが あった。

なやにも サイロにも ほどちかい,その いしがきの なか,

おしゃべり のねずみの いえ。

けれど,おひゃくしょうさんが ひっこして しまったので,

なやは かたむき, サイロは からっぽ。そのうえ,ふゆは ちかい。

ちいさな のねずみたちは,とうもろこしと きのみと こむぎと わらを

あつめはじめた。

みんな,ひるも よるも はたらいた。

ただ―フレデリックだけは べつ。」

そして冬がきて,雪が降り始める。初めのうちは,食べ物も沢山あった。

けれど,そのうち食べ物はなくなって,石垣の中は凍えそうになる。

「そのとき,みんなは おもいだした。

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おひさまの ひかりや いろや ことばに ついて フレデリックが

いった こと。『きみが あつめた ものは,いったい どう なったんだい,

フレデリック。』みんなは たずねた。

『めを つむって ごらん。』フレデリックは いった。

『きみたちに おひさまをあげよう。ほら かんじるだろ,もえるような

きんいろの ひかり…』四ひきの ちいさな のねずみたちは,だんだん

あったかく なってきた。これは まほうかな?

『いろは? フレデリック。』(………)

『もう いちど,めを つむって。』

(……)そして フレデリックが(……)はなしだすと,みんなは,

こころの なかに,ぬりえでも したように はっきりと

いろんな いろを みるのだった。

『じゃあ ことばは? フレデリック。』

フレデリックは せきばらいして,ちょっと まってから,ぶたいの

うえの はいゆうみたいに (《四匹の野ねずみのうた》(7)を)しゃべり

はじめた。おわると みんな はくしゅかっさい。

『おどろいたなあ,フレデリック。きみって しじんじゃ ないか!』

フレデリックは,あかく なって おじぎを した。

そして,はずかしそうに いったのだ。『そう いう わけさ。』」

この絵本で,レオ=レオニは,工業化社会における芸術家の役割を語ろうと

したのだという。けれども,子どもにそんなことは解らなくてもいい。それ

より子どもたちの中に,「このねずみ,ぼくににてる」と思う子どもがいて

くれればよいのです,とも,レオニは言っていたという。(8)

ピアジェの臨床法

ピアジェと絵本とが,教育心理学の教授法において結びつくことをみてき

た。大学生が,絵本に描かれた「ねずみ」(リリーやフレデリック)の物語

や(かえるの まねした)「さかな」の物語を通して,ピアジェの認知発達理

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論を学ぶことができるのだとすれば,それは,ピアジェの精緻な発達理論が

つくりあげられたのが,「臨床法」と名付けられた独創的な研究方法によっ

ていたからであろう。

1919 年秋,パリに始まったピアジェの心理学研究は,1921 年からジュネ

ーヴのメゾン・デ・プチ(ルソー研究所附属幼稚舎)に,その場所を移し,

10 年の歳月をかけて『子どもの言語と思考』(1923),『子どもの判断と推

論』(1924),『子どもの世界表象』(1926),『子どもの物理的因果性』(1927),

『子どもの道徳判断』(1932)の5冊にまとめられた。(9) ピアジェの臨床法

が独創的だというのは,『子どもの言語と思考』の序に,クラパレードが述

べたように,「与えられた質問への子どもの答を記録するだけにとどまるの

でなく,子どもにしゃべらせることにある。(……)この臨床法は,また,

技術(un art)でもある。問いかける術であり,表面的な検証だけにとどま

っていないのである。一見したときには隠れて見えなかったことに,注目し

ようとするのである。臨床法は,精神の打診であり聴診なのである。子ども

のとるに足らないような主張でも,その最後の要素まで分析するのであるが,

これは,子どもの脳のとるに足らない分泌物まで,と言ってもよかった。臨

床法では,子どもが理解不能だったり矛盾した反応をした場合にも投げだす

ことなく,むしろ反対に,こうしたとらえどころのない思考に絶えずより近

づいていって,(……)その構造の謎を白日のもとにさらすことができるよ

う,つかまえようとするのである。(……)ピアジェは(子どもに)話させ

る独特の才能をもっているのである。つまり,話すのを聴く才能をもってい

ると言いたいのである。」(10) ピアジェは,この後,半世紀以上にわたり,子

どもが話すのを聴き続けたのである。

また,話し始める前の子ども(infant)の研究は,『子どもの知能の誕生』

(1936),『子どもの実在の構成』(1937),『子どもの象徴の形成』(1945) の

3部作にまとめられている。(11) 広く知られているように,この中には,ピ

アジェ自身の3人の子ども,ジャクリーヌ,ルシアンヌ,ローランの 500 近

い観察事例が載せられている。その多くは,家庭での日常生活からとられて

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いる。しかし,ピアジェの観察は,純粋な観察でもなければ,生態学的観察

でもなかった。ジャクリーヌに見出されたことの記録が,妹のルシアンヌ,

さらに弟のローランに与える場面を決定したのである。すなわち,ピアジェ

の前言語期の研究方法には,開かれた観察の柔軟さと同時に,実験統制の厳

密さがあって,それは,上述のピアジェの独創的な臨床法にも共通する,批

判的観察というべきものであった。

ピアジェの絵本

ピアジェは,スイス・ロマンド(フランス語圏スイス),ヌーシャテルの

出身である。長女ジャクリーヌの誕生した 1925 年には,ヌーシャテル大学

で科学哲学の講義を始めたり,1942 年,戦時下のパリ,コレージュ・ド

ゥ・フランスでは『知能の心理学』(1947)の講義をしたり(12),様々な時期

があったが,ピアジェの心理学研究の舞台は,クラパレードに招かれた

1921 年から,終生,ジュネーヴの地であった。

そして,ジュネーヴ 50 年目の 1971 年に,「ピアジェの絵本」が出版され

たのである。この大型絵本の見開きの最後のページを開くと,白髪のピアジ

ェが,あの眼鏡越しに,こちらをじっと見つめ始める。半世紀にわたり数え

きれないほど多くの子どもを見つめてきた,あの眼差しを描いたのは,エチ

エンヌ・ドゥレセールだ。1941 年,スイス・ロマンドのローザンヌ生まれ

で,2年間パリで過ごした後,1965 年,アメリカに渡り,グラフィックデ

ザイナーから絵本作家になった人である。1969 年に,フランスの劇作家イ

ヨネスコの絵本『ストーリーナンバー1/ジョゼットねむたいパパにおはな

しをせがむ』のイラストレーションを手掛け,高い評価を得ていた。(13)

したがって,「ピアジェの絵本」とは,正確には「ドゥレセールの絵本」

であり,『どうやって:子ねずみは 頭を石にぶつけ 世界を発見したか』(14)

の物語である。けれども,ピアジェは,この大型絵本の3ページにわたり,

異例ともいえる長い序文を書いている。ピアジェは,5~6歳児を対象とし

た,この絵本の制作過程に当初から参加したのである。もちろん,ピアジェ

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は,イヨネスコの絵本などを通し,ドゥレセールの絵を高く評価していた。

「画家エチエンヌ・ドゥレセールの非凡な才能は周知のことである。彼の

イラストレーションにみられる並外れたデッサン力と色彩の素晴らしさは専

門家を唸らせるところであるが,私のような美術の問題には門外漢である一

心理学者にとって驚嘆すべきと思えるのは,彼の絵には,人生における陶酔

感や愛情,反画一主義,そして常に諧謔を伴い,場合によっては残忍にすら

なりかねない軽い皮肉を伴う辛辣な見方が,不可思議に混じりあっているこ

となのである。他のことばで言うと,エチエンヌ・ドゥレセールは,非常に

知性的かつ如才のない大人の印象を与えるのであるが,子どもの魂の特性を

持ち続けることのできた人なのであり,子どものもつ意外なファンタジーと

想像力のみならず,まったく思いがけないところに鋭い観察力を発揮するこ

とができるのである。」(15)

他方,ドゥレセールは,かつてピアジェが『子どもの世界表象』(1926)や

『子どもの物理的因果性』(1927)にまとめたように,子どもが自然界をどの

ように少しずつ認識するようになるのかを,絵本のかたちで表現したかった

のである。そのために,ドゥレセールは,絵本『どうやって』の制作過程で,

絵(イラストレーション)および文(テクスト)の試作,さらに両者をどう組

み合わせるかについての試作を,ピアジェ門下の心理学者オディル・モジマ

ンの協力も得て何度も繰り返し,5~6歳児が各々をどのように理解するか,

ローザンヌで,23 人の子どもを対象に3回ずつ,臨床法による実験を実施

したのであった。この実験における子ども達の反応,子ども達の考えにした

がって,描き換え,あるいは書き換えられていった部分が少なくなかった。

さて,私は「どうやって」この絵本を発見したのだったか。今,手元にあ

る冊子には,フランス語のメモ「パリにて,1972 年 10 月」が残っている。

この年,フランス政府の夏期給費留学制度で初めて渡仏した。7月はパリ大

学,8月はグルノーブル大学でフランス語研修を受け,9月は自由に過ごし

て可,という制度だった。9月は,初めにフランス国内外を鉄道旅行し,そ

の後,まだ夏休み中のオルレアン大学の学生寮に宿泊し,新学年の始まった

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幼児学校・小学校・リセ等を訪問,授業参観の機会にも恵まれたのだった。

その時,出会った先生のひとりに,「教育心理学専攻だったらピアジェを知

っているでしょう。ピアジェの絵本が出たのは? 子ねずみのお話よ。」とき

かれ,前年に出版されていたのに,知らなかった私は,10 月の初め,帰国

直前になって,カルチエ‐ラタンの書店で,この絵本を見つけたのだった。

遠い記憶である。

今,ていねいに見直してみると,フランス語版,第2版となっている。

その後,この「ピアジェの絵本」が話題になることは,少なかった。

波多野完治は,『子どもの認識と感情』の中に次のように記している。

「ピアジェの絵本は,『ネズミが頭に石をぶつけて,それがきっかけで世

界を発見した話』といい,1971 年ダブルデー社から発行された。(16) 評判は

あまりよくなかった。《大心理学者が絵本をつくっても,あまりよいできで

はなかった話》という《原題》をもじったような批評さえでたくらいである。

画家として協力したエチエンヌ・ドレセールは,イヨネスコの書いた話を絵

本化して,大成功をおさめ,賞をうけたほどの人だし,ピアジェとそのスタ

ッフがたくさんの準備実験をかさねてつくったものだから,わたしのみると

ころでは,水準以上のできではあるのだが,一般の予想が大きすぎたといえ

るのではなかろうか。ともかくこの絵本製作の経験が,ピアジェの<美学の

発生的研究>への出発点をなすことはたしかである。」(17)

「ピアジェの絵本」が水準以上のできであったことは,間違いない。しか

し,期待されたであろう前作,イヨネスコの絵本『ジョゼット ねむたい パ

パに おはなしをせがむ』の水準に達することができなかったとすれば,ド

ゥレセールの文(テクスト)が,自身の絵(イラストレーション)の水準に

達していなかったからだ,と思える。あるいは,絵にみられるポエジーが文

に不足していた,と言ってもよいだろう。今回,テクストを読みながら頭に

うかんだフランス語は,ポエジーではなくプロトコル(臨床法の実験記録)

だった。また,読者としての5~6歳児にとらわれ過ぎたのではないかとも

思える。もちろん,「読者」といっても,5~6歳児の大半が,まだ文を読

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めないことは,ローザンヌの子ども達との臨床法の中でよくわかっていたは

ずである。1970 年,ドゥレセールは,まだ 20 代だった。他方,ピアジェの

『子どもの世界表象』も,20 代の仕事だったことを思いだしておこう。

ドゥレセールの絵本

ドゥレセールは,その後 1988 年に,絵本『ゆくゆく あるいて ゆくとち

ゅう』を刊行し,ボローニア国際児童図書展・グラフィック大賞を受賞する

など注目を集めた。「ピアジェの絵本」と,ほぼ同ページ数の絵本である。(18)

しかし,ことばは,たった 5 行,マザー・グースの1篇である。

As I was going along, long, long,

A-singing a comical song, song, song,

The lane I went was so long, long, long,

And the song that I sung was so long, long, long,

And so I went singing along. この絵本の訳は,谷川俊太郎だった。

ゆくゆくあるいて ゆくとちゅう

うたうたおかしな うたうたう

ながながみちは ながながつづき

ながながうたを ながながうたい

うたいながら いったのさ

訳も,たったの5行。しかし,訳者あとがきにあたる「ひとこと」は 1 ペー

ジ分と長い。その途中から読んでおくことにしよう。ドゥレセールのこの優

れた“絵”本は,20 代の作品,「ピアジェの絵本」の延長として生み出され

たと考えられるからである。

「原詩を声に出して読んでみると,ロングとソングの脚韻がまるでこだま

のように響いて,ふしぎな効果をあげています。詩の意味としてはもちろん

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ノンセンスなものですが,ことばの音の奥行きとでも言えばいいのか,ドゥ

レセールもまずそこに魅せられたのでしょうか。

それにしてもここに登場する奇怪な生きものたちは,いったい何者なんで

しょうね。とくに海坊主みたいなリーダーは,うすきみわるいのに,かわい

らしく,見たこともないのに,なつかしいような気がします。

10 年ほど前,私は前衛的な劇作家として有名なウージェーヌ・イヨネス

コの書いた絵本を4冊訳しましたが,その 1 冊『ストーリーナンバー1/ジ

ョゼットねむたいパパにおはなしをせがむ』(角川書店刊)のイラストレー

ションが,ドゥレセールでした。

これはこの世のすべての人と物がみんなジャクリーヌという名前になると

いうこわいお話で,その最後の場面にドゥレセールは読者のほうをむいて,

唇に人差し指をあてているメイドを描いています。そしてその薬指にはデカ

ルトの肖像のついた指輪がはめられている。

デカルトといえば,近代合理主義の元祖のように思われている哲学者です。

ドゥレセールはたぶんそのお話の中のメイドに代表されるような,目に見え

る現実だけを信じて疑わない人たちを,ちょっとからかいたいんじゃないで

しょうか。

危険もあれば涙もあるけれど,見えるものも見えないものもいっしょくた

に,長い長い道をおかしな歌を歌いながら歩いてゆく,それがいのちという

ものさと,ドゥレセールは言いたいのでしょうか。そう思ってこの絵本を眺

めると,このへんてこりんな生きものたちが,私たち自身のようにも見えて

きませんか」。(19)

ピアジェは,1980 年9月に 84 歳の生涯をジュネーヴの地で閉じた。その

直前まで,発生的認識論国際センターを中心に,研究と執筆を続けたが,最

晩年のピアジェには,絵本や美学の研究をみずから展開する余裕はもはや,

なかったであろう。しかし,ピアジェが,もし 1988 年に『ゆくゆく あるい

て ゆくとちゅう』を手にすることができたとしたら,ページをめくるたび

に,絵を読む楽しさを存分に味わったのではないだろうか。この絵本は,エ

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チエンヌの「父へ 1889~1960」献じられている。ピアジェは,エチエンヌ

の父と同世代だった。20 代のドゥレセールの絵に,すでに,人生における

陶酔感や愛情,反画一主義,そして辛辣な見方が,不可思議に混じりあって

いることを読み取っていたピアジェは,「このへんてこりんな生きものた

ち」に,自分自身の歩いてきた長い長い道のりを読み直すことになったので

はないか,と思える。

絵本に出会う親子

絵本の楽しさ,面白さ,不可思議さの一端を論じてきた。しかし,絵本を

実際に手にして読むことなしに,その楽しさも,面白さも,不可思議さも,

本当に伝わることはないだろう。そして,子どもは,絵本を一緒に読んでく

れる大人がいて,はじめて,絵本に出会えるのである。

今日の日本では,なんと,たくさんの絵本が出版されていることだろう。

『絵本で子育て:子どもの育ちを見つめる心理学』には,「子どもが0歳

のとき,開きたい絵本」に始まり,次に「子どもが1歳になったら,開きた

い絵本」,続いて年齢順に「子どもが2歳,3歳,4歳,5歳,6歳になっ

たら,開きたい絵本」が,合わせて 150 冊,紹介されている。(20)

1冊目は,せなけいこ(作・絵)の『あーんあん』。(21)「どうして,泣い

てばかりいるの? 泣かせておいていいのでしょうか?」という育児相談に

対し,「あかちゃんの泣きの要求に十分に応えてあげてください。応答性こ

そ人の絆の始まりです」と応じる絵本である。お話は,「ほいくえんに いく

のは いいけれど かあさんが かえっちゃ いやだよー」とぼくが「あーんあ

ん」と泣きだすと,みんなもいっしょに泣きだし,7人の子どもがなんと魚

になってしまいます。先生がおかあさんに電話すると,おかあさんがお迎え

にきました……。『あーんあん』は,「おかあさんが必ず助けてくれるという

安心感が伝わる1冊」でもある。

「子どもが0歳のとき,開きたい絵本」は,『あーんあん』を含め 13 冊で

あるのに対し,「子どもが5歳になったら,開きたい絵本」は,30 冊とりあ

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げられている。その中に,あの“詩人”『フレデリック』も入っている。「ひ

とりで本を読み始めたので,なんとか本好きにしてあげたいのですが」とい

う育児相談への,回答である。「3歳くらいになると,以前,幼かったとき

におかあさんやおとうさんが読んでくれておもしろかった絵本を,もう一度,

自分で開いて読んでみようとする姿が,見られるようになってきます。3歳

ころは,まだ,パラパラと絵の場面を見て楽しむくらいですが,4,5歳く

らいになると,友だちが読んでしまったものを自分でとりだして開いて読ん

だり,ストーリーを自分の頭の中で思い描き,話の流れを楽しみ,展開を想

像できるようになっていくのが特徴です。(……)きっと4歳は4歳なりに,

5歳は5歳なりに,フレデリックへの親しみを覚えていることでしょう。そ

の意味では,お子さんが黙って絵本を開いて読み始めたら,“読んであげよ

うか”などと言わないで,おかあさんは隣りに座って,いっしょに見ていっ

てください。二人でページをめくっていくのも楽しい絵本ではないかと思い

ます。また,いっしょに,じっくり眺めてみると,切り絵の中にいろいろな

工夫がなされていることもわかるでしょう。じっくり本を読むことは,文字

を読みすすめていってストーリーが“わかる”ことだけでなく,絵をとおし

て,作者が意図しているさまざまな事柄を発見し,味わっていくことでもあ

るのです。」(22)

絵本と母子相互作用

絵本に描かれた子どもたちの姿から,子どもの発達や子育てについて楽

しみながら考えてほしいというのが,『絵本で子育て:子どもの育ちを見つ

める心理学』の著者たちの立場である。この立場は,本稿ではじめにみた

「ピアジェがリリーに出会うとき」にも,共通していた。

それでは,子どもの発達において,絵本はどのような役割を果たしている

のだろうか。絵本のない社会もあるのだから,絵本が子どもの発達にとって

必要不可欠なはずはない。しかし,絵本場面の母子相互作用を観察すること

から,明らかにされてきたことがある。そのひとつは,1~2歳児(13 か

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月から 30 か月)の指さしと言語の併用からみた言語発達の研究である。(23)

この時期の子どもの<絵をテーマとした指さし>と,<絵以外をテーマと

した指さし>を比較してみると,前者に言語の併用が多い。すなわち,<テ

ーマが絵の指さし>は,17 か月ですでに喃語・原初語を伴うことが多く,

21 か月になると言語を伴うことが多い。また,母親は,<絵をテーマとす

る子どもの指さし>に対して,言語で「確認(あいづち,返事)」「命名」

「属性説明(絵・事象の特徴・状態の説明)」することが多い。他方,<絵

以外をテーマとする子どもの指さし>に対する母親の言語は,「無反応・拒

否・禁止」や「明確化要求(子どもの指さしの意図内容を理解しようとし,

付加情報を求めること)」,「意図の質問(子どもの感情を判断した上でそれ

を確かめること)」が多い。すなわち,<テーマが絵以外の指さし>では,

文脈が限定されにくく,子どもの指さしの意図を母親が理解することが困難

であり,母親に受容されにくいが,<テーマが絵の指さし>は,母親に受容

され易く,言語による知識授受が成立しやすいことが示唆されるのである。

また,<絵をテーマとした子どもの指さし>に対する母親の応答の言語とし

ては,「命名」が 24 か月まで一貫して多く,《母親の「指示要求・質問」―

―子どもの「応答・命名」――母親の「応答・命名」》といった,一連の行

動連鎖が考えられる。そして,子どもが 30 か月(2歳半)になると,母親

の応答における「命名」が急減し,「展開(発展的な説明,要求,疑問,評

価)」が増加する。以上から,子どもの語彙の習得や知識の増大が<絵をテ

ーマとする指さし>を通してなされていくことが多いといえる。また,指さ

しを伴わないときにも,絵をテーマとする子どもの言語には命名が多いこと

も示された。したがって,絵を媒介とした母子の言語のやりとりは,一般に,

子どもの語彙・知識の獲得に大きな役割を果たしていると考えられた。とり

わけ 1 歳半前後における,絵本を用いた母子相互作用は,子どもの言語発

達・認知発達において重要な役割をもっていると言えよう。

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絵本とファンタジー

絵本の絵を媒介とした親子のやりとりが,子どもの語彙・知識獲得に大き

な役割を果たしていることは,上述の縦断観察研究からも,明らかである。

しかし,絵本の真価が問われるのは,子どもの語彙・知識獲得においてでは

ないだろう。もし,そうだったとすれば,白髪のピアジェが,20 代だった

ドゥレセールの絵本『どうやって』の最終ページに,登場することはあり得

なかっただろう。絵本の真骨頂とは,ファンタジー(幻想)にみられるので

はなかろうか。

ドゥレセールの絵本作品が『ゆくゆく あるいて ゆくとちゅう』へと進化

していったように,レオ=レオニの作品も『フレデリック』から『おんがく

ねずみ ジェラルディン』へと進化していった。その変化を,谷川俊太郎は

「レオニの幻想と現実」と題して次のようにまとめている。

「1冊ごとに変化に富んだ主題と手法で,私たちを楽しませてくれるレオ

=レオニの新作,今度は音楽が主題になっています。フレデリックとちがっ

て,主人公の女ねずみジェラルディンは,どうやら都会の住人らしい。フレ

デリックは生まれながらの詩人でしたが,ジェラルディンは,生まれてから

このかた音楽を聞いたことがないのです。これはそのジェラルディンが,い

っぱしのフルーティストになるまでのお話です。

幻想と現実のいりまじるこの不思議な物語のかくしている意味は,たやす

く解きほぐすことができません。ただ,チーズの中から音楽が生まれるとい

うレオニの発想に,私はつい最近日本でも翻訳された彼の驚くべき本『平行

植物』に通ずるものを感じます。レオニの幻想は,それがどんなに突拍子の

ないものであっても,その根を私たちの身近な現実におろしていて,そこに

彼の想像力が子どものそれに通ずる秘密があるのではないでしょうか。」(24)

大人の描いた「幻想(ファンタジー)と身近な現実とがいりまじる」絵本

に出会う子どもの想像力は,いつかまた新しい不思議な物語を生み出すこと

になるだろう。たとえ,それが絵本というかたちをとることがなくても。

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(1) Hansen, C.C. and Zambo,D. 2005 Piaget, meet Lilly: Understanding Child

Development through Picture Book Characters. Early Childhood Education Journal,

vol.33, No.1, 39-45.

(2) Kevin Henkes 1996 Lilly’s Purple Plastic Purse. Greenwillow Books. ケビン・ヘンクス(作),いしいむつみ(訳) 1999 『おしゃまなリリーと おしゃ

れなバッグ』BL出版

(3) Leo Lionni 1970 Fish is Fish. Alfred A. Knopf. (4) 谷川俊太郎の「訳者のことば」である。下記の『フレデリック』にも掲載さ

れている。

(5) レオ=レオニ(作),谷川俊太郎(訳)1975『さかなは さかな:かえるのまね

した さかなの はなし』好学社

(6) Leo Lionni 1967 Frederick. Alfred A. Knopf.

レオ=レオニ(作),谷川俊太郎(訳)1969『フレデリック:ちょっとかわった

のねずみのはなし』 好学社

(7) 松居直 1995『絵本・ことばのよろこび』日本基督教団出版局 p.92. (8) 松居直 前掲書 p.94. (9) Piaget,J. 1923 Le langage et la pensée chez l’enfant. Delachaux et Niestlé.

Piaget,J. 1924 Le jugement et le raisonnement chez l’enfant. Delachaux et

Niestlé.

Piaget,J. 1926 La représentation du monde chez l’enfant. Alcan.

Piaget,J. 1927 La causalité physique chez l’enfant. Alcan.

Piaget,J. 1932 Le jugement moral chez l’enfant. Alcan. (10) 大浜幾久子 2002「ピアジェの<臨床法>再考」 駒澤大学教育学研究論集 18,

23‐41.

(11) Piaget,J. 1936 La naissance de l’intelligence chez l’enfant. Delachaux et Niestlé. Piaget,J. 1937 La construction du réel chez l’enfant. Delachaux et Niestlé.

Piaget,J. 1945 La formation du symbole chez l’enfant. Delachaux et Niestlé. (12) Piaget,J. 1947 La psychologie de l’intelligence. A.Colin.

(13) Eugène Ionesco 1969 Conte Numéro 1. Editions Universitaires.

谷川俊太郎(訳) 1979『ストーリーナンバー1:ジョゼット ねむたい パパに

おはなしをせがむ』角川書店

(14) Etienne Delessert 1971 Comment la souris reçoit une pierre sur la tête et

découvre le monde. l’ école des loisirs. (15) Piaget,J. 1971 Préface. ibid.

(16) 前掲書の英語版である。Etienne Delessert 1971 How Mouse Was Hit on the

Head and So Discovered the World. Doubleday.

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(17) 波多野完治 1975 『子どもの認識と感情』岩波新書 (『波多野完治全集

第5巻 心理学――認識と感情』(1990 年 小学館)所収 p.195.) (18) Etienne Delessert 1988 A Long Long Song. Farrar Straus & Giroux.

エチエンヌ・ドゥレセール(作),谷川俊太郎(訳)1989『ゆくゆく あるいて

ゆくとちゅう』 ほるぷ出版

(19) 谷川俊太郎 「(訳者)ひとこと」前掲書

(20) 秋田喜代美・増田時枝 2009 『絵本で子育て:子どもの育ちを見つめる心

理学』 岩崎書店

(21) せな けいこ(作・絵) 1972『あーんあん』 福音館書店

(22) 秋田喜代美・増田時枝 2009 前掲書 pp.176-177.

(23) 武井澄江・荻野美佐子・大浜幾久子・辰野俊子・斉藤こずゑ 1982 「言語行

動の発達(Ⅴ) 母子相互作用における指さしと言語の機能(13から30か月児の

縦断観察資料の分析)」東京大学教育学部紀要,21,43-59. (24) Leo Lionni 1979 Geraldine, the Music Mouse. Alfred Knopf.

レオ=レオニ(作),谷川俊太郎(訳)1980『おんがくねずみ ジェラルディン:

はじめて おんがくを きいた ねずみの はなし』好学社