平成 24 年度特別展「つるが文化財選集~未来に引き継ぐふるさとの宝~」解説シート③ 解説シート③ 深山寺経塚とその周辺 末法思想と経塚 経塚とは地中に経巻を埋めたタイ ムカプセルだといわれます。そのとおり、末法思想の 流布に伴う経塚造営は、釈迦入滅後 56 億7千万年後 に弥勒菩薩が下生してこの世を救済するという、その 遥かな未来のために経典を地中に残すことを主たる目 的として、12 世紀代を中心に盛行した営為です。末 法思想を喧伝することにより仏法に対する経済的支援 を訴え、その一環として経塚造営の普及を進めること で、寺社が自らの勢力伸張を図るという、事業として の側面もありました。記年のあるものでは、藤原道長 が、寛弘4年(1007)、奈良・吉野の金峰山に埋経を 行ったのが最古とされています。釈尊の死後、正法の 世、像法の世を経て、末法の世になると、仏教が衰え 戦乱の世になるというのが末法思想で、わが国では(諸 説ありますが)永承7年(1052)から末法の世に入っ たとされていました。 なお、後には、追善・逆修供養を目的とした経塚や 六十六部廻国納経、一字一石経の経塚なども営まれ、 また、経典も紙本経巻だけではなく、瓦経や杮経など が現れましたが、それはここでは含みません。 深山寺経塚の調査 深山寺経塚は、木ノ芽川が平野 に出る直前の左岸、標高 50 m弱の尾根上に築かれた 総数 20 基以上からなる紙本経塚群です。対 岸には、神仏習合の下で氣比神宮の霊域と なっていた「御山」があります。 昭和 57 年(1982)に発掘調査が実施さ れ、7基の紙本経塚の遺構が検出されまし た。また、明らかに経塚の痕跡だと認定し 得る盗掘壙3基と、さらに墓地1基が確認 されました。 深山寺経塚の基本的な構造は、地山に穴 を掘り込んで中央に経巻を納めた容器を安 置し、その周囲及び上部に石を積上げて標 識(塚)としたものでした。 通常は経巻をまず銅製の経筒に納め、さ らに経筒を甕などの容器に入れ片口鉢など で蓋をします。この甕を経筒外容器と呼び ますが、ここではいずれの経筒外容器にも 経巻、経筒は残っていませんでした。木製 あるいは竹製の経箱、経筒などが想定され るところです。経筒外容器は、1号、2号 及び6号経塚で常滑の甕が出土し、2号、 6号経塚では常滑の鉢が蓋として用いられ ていました。また、経筒外容器の周囲には、 防湿・防黴のためでしょう、木炭の使用が 見られました。

選文化財つるが 解説シート③ 深山寺経塚とその周辺€¦ · なっていた「御山」があります。 昭和57年(1982)に発掘調査が実施さ れ、7基の紙本経塚の遺構が検出されまし

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Page 1: 選文化財つるが 解説シート③ 深山寺経塚とその周辺€¦ · なっていた「御山」があります。 昭和57年(1982)に発掘調査が実施さ れ、7基の紙本経塚の遺構が検出されまし

つるが

文化財

選 

平成 24 年度特別展「つるが文化財選集~未来に引き継ぐふるさとの宝~」解説シート③

解説シート③

深山寺経塚とその周辺

末法思想と経塚 経塚とは地中に経巻を埋めたタイ

ムカプセルだといわれます。そのとおり、末法思想の

流布に伴う経塚造営は、釈迦入滅後 56 億7千万年後

に弥勒菩薩が下生してこの世を救済するという、その

遥かな未来のために経典を地中に残すことを主たる目

的として、12 世紀代を中心に盛行した営為です。末

法思想を喧伝することにより仏法に対する経済的支援

を訴え、その一環として経塚造営の普及を進めること

で、寺社が自らの勢力伸張を図るという、事業として

の側面もありました。記年のあるものでは、藤原道長

が、寛弘4年(1007)、奈良・吉野の金峰山に埋経を

行ったのが最古とされています。釈尊の死後、正法の

世、像法の世を経て、末法の世になると、仏教が衰え

戦乱の世になるというのが末法思想で、わが国では(諸

説ありますが)永承7年(1052)から末法の世に入っ

たとされていました。

 なお、後には、追善・逆修供養を目的とした経塚や

六十六部廻国納経、一字一石経の経塚なども営まれ、

また、経典も紙本経巻だけではなく、瓦経や杮経など

が現れましたが、それはここでは含みません。

 深山寺経塚の調査 深山寺経塚は、木ノ芽川が平野

に出る直前の左岸、標高 50 m弱の尾根上に築かれた

総数 20 基以上からなる紙本経塚群です。対

岸には、神仏習合の下で氣比神宮の霊域と

なっていた「御山」があります。

 昭和 57 年(1982)に発掘調査が実施さ

れ、7基の紙本経塚の遺構が検出されまし

た。また、明らかに経塚の痕跡だと認定し

得る盗掘壙3基と、さらに墓地1基が確認

されました。

 深山寺経塚の基本的な構造は、地山に穴

を掘り込んで中央に経巻を納めた容器を安

置し、その周囲及び上部に石を積上げて標

識(塚)としたものでした。

 通常は経巻をまず銅製の経筒に納め、さ

らに経筒を甕などの容器に入れ片口鉢など

で蓋をします。この甕を経筒外容器と呼び

ますが、ここではいずれの経筒外容器にも

経巻、経筒は残っていませんでした。木製

あるいは竹製の経箱、経筒などが想定され

るところです。経筒外容器は、1号、2号

及び6号経塚で常滑の甕が出土し、2号、

6号経塚では常滑の鉢が蓋として用いられ

ていました。また、経筒外容器の周囲には、

防湿・防黴のためでしょう、木炭の使用が

見られました。

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平成 24 年度特別展「つるが文化財選集~未来に引き継ぐふるさとの宝~」解説シート③

 経筒外容器の周囲には、銅鏡、銅鈴、銅銭、刀子、

刀剣、和鋏、火打鎌、青白磁合子、青白磁皿、白磁皿

どが配置されていました。なかでも銅鏡は、1号経塚

から 11 面、3 号経塚から 14 面という数が出土して

おり、単一の経塚としては異例の出土です。鏡の種類

についても、植物や鳥や蝶の文様を描いた和鏡の他

に、舶載の湖州六花鏡や湖州方鏡などバラエティに富

んでいます。

 これらの鏡や鉄刀などの利器は、経巻を守護するた

めに辟邪の意味で配置されたものと思われます。ま

た、写経に用いた道具類も含まれているようですし、

中国製の磁器や鏡は、当時の高級品として発願者のス

テータスを示すものだったのかもしれません。

 本経塚群の造営年代は、常滑をはじめとする陶磁器

の年代観から、12 世紀第2四半期から第3四半期と

推測されます。福井県内で年代の解る経塚としては最

も早い段階のものであり、これらの出土遺物は、遺構

と対比できる一括遺物として評価が高く、福井県指定

文化財(考古資料)に指定されています。

 なお全国的に経塚造営に伴ってしばしば墓地の営ま

れている例が見られます。深山寺経塚群においても、

火葬骨を納めた 12 世紀前半の常滑三筋壺が出土しま

した。同じく蔵骨器として 13 世紀代に降る信楽甕や

珠洲壺などの資料も見つかっています。このことは、

経塚とほぼ同時に火葬骨の埋納が始まり、祭祀空間と

して同一の立地を継承しつつ、経塚終焉の後に墓地造

営へと変容していく現象の好例といえるでしょう。

 深山寺経塚の周辺 これまでに、末世の弥勒信仰に

端を発する埋経形態の経塚としては、深山寺経塚の他

に、金ヶ崎経塚、谷口経塚、舞崎経塚、大椋神社経塚

が知られています。金ヶ崎経塚については不明な点が

多いのですが、明治初年頃に銅製経筒と銅鏡が出土し

たという伝承があります。谷口経塚は、明治末年頃に

銅製経筒と血書経 19 巻が出土しており、平安末から

鎌倉時代前半と報告されています。

 舞崎経塚は、平成 11・12 年に発掘調査が行なわれ

2基の経塚が検出されました。銅鏡、鉄刀、陶磁器片

が出土しており、造営年代は 12 世紀後半です。大椋

神社経塚は、平成 11 年に2基の経塚が不時発見され、

緊急調査を実施した結果、それぞれから陶製甕に納め

た銅製経筒が出土しました。造営は 13 世紀代です。

 これらの立地を見ると、金ヶ崎経塚は、気比神の幸

臨山である天筒山系の北西端にあたり、舞崎経塚は同

じく天筒山系の南端にあたります。大椋神社は式内社

であり、『氣比宮社記』によれば敦賀郡の東方鎮護社

とされています。その背後の山塊は既述のとおり御山

という聖域で、大椋神社近傍の御山西麓には中世以降

氣比社の祈祷所であった真言宗の古刹・大蔵寺が所在

しています。谷口経塚は、御山の対岸、深山寺経塚と

至近の位置にあり、大略的には両者は一体のものと見

てよいでしょう。御山は深山に通じ、不浄の立入りを

禁忌とする忌山との意味的連関も窺えます。

 つまり、これらの経塚の立地要件は、いずれも氣比

社の関与する聖地であり、しかも金ヶ崎を除いてすべ

て氣比社から東方の聖地であることです。

 したがって、これらの経塚造営の母体は、必然的に、

神仏習合の下における氣比社・神宮寺の勢力が想定さ

れます。当時の知識体系の担い手である神官・社僧が、

経塚造営の主体的な役割を担ったのでしょう。

(参考文献 「深山寺経塚群」『中・近世の北陸』北陸中世土器研究会

編 柏書房 1994 ほか)

平成 24 年6月 敦賀市立博物館発行福井県敦賀市相生町7-8電話 0770-25-7033

湖州六花鏡 湖州方鏡

竹垣草葉双鳥鏡 松双鶴鏡常滑甕 ( 経筒外容器 )

青白磁合子

青白磁皿