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悪徳タ都ゼ浸ヾボ - novel.syosetu.org · き輪廻転生 ぶぢぎ若干タ ... き036きJAPANESEきAWAKEき ... わくエィきスダ言ゴシビベィろボずょにむ的セ神様スタ対話ゲスヾぎ不慮タ事ボく所謂す転生者ずスわゑフサゲくき前世ヾペ受ゥ継わジァケぎス言ゑベゑゼ俺ゼダ前世ジタ記憶ーろきグポーぎ俺タ前世ヾ

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  • 悪徳の都に浸かる

    晃甫

  • 【注意事項】

     このPDFファイルは「ハーメルン」で掲載中の作品を自動的にP

    DF化したものです。

     小説の作者、「ハーメルン」の運営者に無断でPDFファイル及び作

    品を引用の範囲を超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁

    じます。

      【あらすじ】

     何の因果か二度目の生を受けた男。

     立っていたその場所は、世界屈指の悪の都だった。

     輪廻転生モノ、若干の勘違い成分含。

  •   目   次  

    Main

    ────────────

     001 悪徳の街に彼らは立った 

    1

    ─────────────────

     002 本名不詳の男 

    15

    ─────────────────

     003 隻眼の修道女 

    27

    ─────────

     004 二挺拳銃と呼ばれるに至るまで 

    40

    ───────────────

     005 ラブレス家の女中 

    55

    ────────────

     006 四者四様デッドチェイス 

    68

    ──────────────────

     007 猟犬の結末 

    80

    ───────────────────

     008 泥の妖精 

    99

    ─────────────────

     009 第一の分岐点 

    113

    ──────────────────

     010 開戦の狼煙 

    128

    ───────────────

     011 片翼の妖精は笑う 

    142

    ─────────────────

     012 束の間の日常 

    162

    ────────────

     013 GO THE EAST 

    179

    ────────────

     014 異国の地にて彼らは集う 

    191

    ─────────────

     015 犇めく悪党達は交わる 

    206

    ────────────

     016 蠢く悪意と良心の狭間で 

    222

    ────────────

     017 TOKYO SHOCK 

    237

    ─────────

     018 交錯する思惑の先に重なる決意 

    251

    ─────────────

     019 そして四者は動き出す 

    265

    ───────────────

     020 彼らは戦地へ赴く 

    279

    ────────────

     021 HELL PARADE 

    294

    ────────────────

     022 亡霊たちの行進 

    308

    ────────

     023 狂乱の始まりは小さな息吹と共に 

    324

  • ────────────────

     024 悪党達の輪舞曲 

    337

     025 FUJIYAMA GANGSTA ADVANCE 

    ────────────────────────────────────

    353

    ──────────────

     026 やがて来る嵐の前に 

    371

    ───

     027 迷い込んだ哀れな子羊たちへ送る鎮魂歌 1 

    387

    ───

     028 迷い込んだ哀れな子羊たちへ送る鎮魂歌 2 

    401

    ────────────

     029 舞台は整い、役者は集う 

    420

    ────────

     030 紙一重の交錯は更なる混沌を運ぶ 

    432

    ────────────────

     031 巨影に潜むモノ 

    446

    ────────────────

     032 騒乱の中心部へ 

    461

    ───────────────────

     033 黄金夜会 

    476

    ───────────────

     034 跳梁跋扈の別天地 

    491

    ───────────────────

     035 我々の戦 

    507

    ─────────

     036 JAPANESE AWAKE 

    524

    ───────

     037 SHOW MUST GO ON!! 

    537

    ──────────────────

     038 オールイン 

    552

    ────────────────

     039 死の舞踏、序章 

    566

    ────────────────

     040 死の舞踏、一章 

    581

    ────────────────

     041 死の舞踏、二章 

    597

    ────────────

     042 死の舞踏は悪夢の夜へと 

    614

    ──────────────

     043 そして狂宴が始まる 

    629

    ────────────────

     044 夜は未だ明けず 

    643

    ──────────

     045 誰にでも平等に、朝陽は昇る 

    659

     046 RIOT BEGINS WITH SILENCE 

    ────────────────────────────────────

    677

  •  047 Welcome to the Black Part

    ───────────────────────────

    y 

    692

    ───────────────

     048 悪意と殺意と真意 

    708

    ─────────

     049 Opening of WAR 

    725

    ────────────────

     050 クイックドロウ 

    741

    ──────────────

     051 FINE LINE 

    753

    Other

    ─────────────────────

     後日談 1 

    770

    ─────────────────────

     後日談 2 

    782

    ─────────────────────

     前日譚 1 

    794

    ─────────────────────

     前日譚 2 

    807

  • Main

    001 悪徳の街に彼らは立った

      世界にこんなにも荒んだ場所があるなんてことを、俺は知らなかっ

    た。

     日本で生まれ育ち、そしてその生涯を終えられた事がどれほど幸福

    だったのかを、俺は知らなかった。

    波野なみの 

    理一りいち

     ────

     それが、俺の前世から受け継いできた名前だ。

     前世から受け継いできた、と言うように俺には前世での記憶があ

    る。所謂『転生者』というやつだ。

     とは言ってもよくあるテンプレ的な神様との対話だとか、不慮の事

    故で天命を全うすることなく死んだとかいうことは全くない。ごく

    普通の一般家庭に生まれ、ごく普通の大学を出て、ごく普通の会社で

    働きながら愛する人を見つけて一緒になった。ごく有りふれた人生

    をそれなりに楽しんで、最期は家族全員に看取られて老衰で逝った。

    どこに居る人間でも体験するような、そんな普通の人生だった。

     ああ、これで先立った妻に会いに行ける。そう考えていた事まで鮮

    明に思い出すことが出来る。

     だからこそ、初めは自分の置かれている現状を正確に理解すること

    が出来なかった。

     気が付くと、全く見覚えのない土地に立っていた。

     映画やドラマで急に場面が切り替わるかのように、七十九年の生涯

    を閉じたと思った瞬間だ。たった一瞬で、全く見知らぬ土地に放り出

    されていた。

     その時の自身の心境を一言で表すなら『これなんて夢?』である。

    漫画なんかでよくあるように頬を抓ってみても痛みはしっかりと感

    じる。空一面に広がる青空はとても夢や幻なんかには見えない程に

    綺麗で美しい。風に乗って感じる草木の匂いも、この現状が紛うこと

    のない現実であることを示していた。

    1

  •  通常、こんな意味不明の事態に陥ってしまえば半狂乱になりそうな

    ものだが、不思議なことにそうはならなかった。

     理由は大体分かっている。俺は一度、死んでいるからだ。前世で一

    度死を経験している者にとってみれば、今更何が起ころうがそう取り

    乱したりはしないらしい。この世で最も忌み嫌われるものを経験し

    ているからだろうか。自分の場合は寿命なので、受け入れざるを得な

    かったという方が正しいが。

     兎も角、前世のあの時点で俺は既に死んでいる。何がどうしてこの

    状況になったかはさっぱりだが、これはロスタイムや延長戦のような

    ものだと思えた。

     本来であればそこで終わっていた筈の命が、どういう訳かこうして

    まだ続いている。

     よくよく自分の身体を確認してみれば肉体もよれよれのジジイで

    はなく、若々しい張りのある肉体だった。正確な年齢までは分からな

    いが、恐らくは二十代前半から半ば辺りだろう。鏡がないので確認で

    きないが、触っただけでもはっきりと分かる豊富な毛髪がいい証拠

    だ。まだ禿げていない。これは大事なことだ。

     神様なんてものの存在はこれっぽっちも信じちゃいなかったが、こ

    れは生涯真面目に働いて生きてきた俺への神様からのご褒美なのか

    もしれない。

     ふさふさと風に靡く髪の毛を弄りつつ、居るかどうかも定かでない

    神とやらに心の内で感謝した。

     どうせなら、楽しく過ごしていきたいものだ。

      ────そう思っていた時期が、俺にもありました。

      オカシイ。

     異変に気付いたのは、この見覚えのない地に立っていた日から何日

    か経ってからのことだった。

     まず前世で有ったものが存在しない。スマホや電気自動車なんて

    ものはその概念すら存在していないらしい。あるのは画面の存在し

    2

  • ない最初期の携帯電話と市街地の至るところに設置された見慣れな

    い形の公衆電話。それに排気ガスを撒き散らす年代物のディーゼル

    車。公衆電話なんてとっくに絶滅したと思い込んでいた俺は唖然と

    した。

     そして地名。こちらも俺が前世で記憶しているものとは微妙に異

    なっていた。仕事とは関係なく世界の地名にも明るかった俺でも聞

    いたことのないような地名が幾つかあったのだ。

     この時点で自身が見ず知らずの外国の地に立っていることは理解

    できていた。

     何せ街を歩く人間は黒人白人ばかりで日本人らしき人間は全く見

    当たらない。話す言語も基本的に英語。日本語は全く通じなかった。

    英語が話せたことが救いで、なんとかこの街の名称などの基本的なこ

    とを聞くことが出来たのだ。

     その話によればこの街の名は────ロアナプラ。

     …………。 

     無意識のうちに頬を冷や汗が伝った。

     この名称、どこぞの漫画で読んだことがあった。確かそう、主人公

    の日本人がとある事情から海賊紛いの仕事を一緒にこなすようにな

    るという話のガンアクション。アニメ化もされていたあの漫画。

     つうか、『BLACK LAGOON』だ。

     読んだのはまだ若かった頃なので詳しい記憶は曖昧だが、間違いな

    いのは平然と殺人なんかが行われる裏の世界を描いた漫画だったと

    いうことだ。登場キャラたちは皆一癖も二癖もあるような連中ばか

    りで、必ず銃を携帯している程の危険地帯。それが物語の中心地、ロ

    アナプラだったのである。

     やべ、そう考えたら周りの連中が全員殺人者に見えてきた。という

    か皆俺の方を見ている。当たり前か、今の俺の格好はサラリーマン時

    代に着用していたスーツというこの場に酷く合わないものなのだ。

    このままではいつ強面の奴らに声を掛けられるかたまったもんじゃ

    ない。

     取り敢えず今はこの場を離れることが先決だ。

    3

  •  なんで漫画の世界に転生してしまったのだとか、神様特典的なもの

    は何一つないのかとか、言いたいことは色々とあるがそれもこの先命

    が続けばの話。このまま何もすることなく生きていけば間違いなく

    近いうちに死ぬ。此処はそういう場所なのだ。延長戦で与えられた

    命にまだどこか違和感を感じるが、ただ死ぬのは嫌だ。折角漫画の世

    界に来たというなら、原作キャラの一人や二人に会ってみたいとも思

    うし。

     取り急ぐべくは寝床と金だ。

     この二つが無ければ始まらない。 

     寝床に関しては最悪の場合野宿でも構わない。治安最悪のこの街

    の外で夜を明かすというのは正直非常に不安だが、女子供というわけ

    でもない。変なチンピラたちに絡まれたりしない限りは大丈夫だろ

    う。それよりも問題なのは金銭である。タイの通貨なんてものを

    持っている筈もなく、おまけに良心的な人間なんてものもこの街に居

    るとは思えない。

     これはまずい。そこいらの路地裏で野垂れ死んでいる未来が容易

    に想像できた。

     何も持たない、正真正銘手ぶらからのスタート。

     俺こと波野理一という青年は、本当に何もないまっさらな状態でこ

    の世界で生きていくことを余儀なくされた。

     さて、前置きが少しばかり長くなってしまったが、これが俺がこの

    世界にやって来た経緯である。

     今一度言っておこう。

     俺の前世での名前は波野理一。この世界での呼び名は────。

       1

       ロアナプラという街は、一言で言えば犯罪都市。

     そうロックは黒人の大男に言われていた。

    4

  •  度重なる不運。彼は今の自分の置かれた立場をそう思うことしか

    出来ないでいた。特別何かに秀でていたわけではない。父や兄が官

    僚だったこともあって一浪の末に国立大学に入学。その後一流企業

    に就職したが毎日をただ怠惰に過ごしていた。これといった目的が

    あって入社したわけでもない。ただ、体裁を保つため。

     それがいけなかったのだろうか。

     ロックこと岡島緑郎は考える。

     視界いっぱいに広がる大海原をぼけーっと眺めながら、彼は渡され

    た煙草を吸った。

    「……って、やっぱりおかしいだろこんなの!」

    「騒ぐなよロック。今更どうしようもねぇんだ」

    「大体あの女が俺を人質にするとか言い出すから!」

    「オーケー、だったらレヴィに今すぐ引き返せと言ってきな。風通し

    が良くなるぜ」

     にやりと笑うその大男にロックは言い返すことが出来なかった。

     風通しが良くなる、という言葉が冗談でないことを既に体験してい

    るからだ。あの女なら平然とやるだろう。人を殺すという行為に何

    の躊躇いも持っていないようなあの女なら、いとも容易く。

    「…………」

    「分かったら港に着くまで大人しくしてな。何もしやしねぇよ、仕事

    さえ無事に終われば後は関係ねぇ。晴れて俺たちともオサラバさ」

    「はあ……、なんでこんなことになっちまったんだ……」

     そもそもの発端は、時を少しばかり遡る────。

     旭日重工。

     その資材部東南アジア課。それがロック、岡島緑郎が勤めていた職

    場だった。日本でも大企業と呼ばれる一流企業の一つだ。

     特に何のやりがいもなく働いていた彼のその日与えられた仕事は、

    支社長であるボルネオという男性に一枚のディスクを届けること。

    目的地である支社へは船を使わなくてはならなかった為、彼は何の疑

    いも抱くことなく、用意された船へと乗り込んだ。

     その数時間後、彼の乗った船は海賊紛いの二人組にあっさりと

    5

  • ジャックされた。

     今思い返してみても、その手際は見事としか言えない。どうやら船

    の側面に小型のボートをつけていたらしいその二人は流れるような

    動作で乗組員たちを拘束して集めた。当然、その中には自身も含まれ

    ていた。

     そしてどうやら、二人の目当てのブツは自分自身が持っているらし

    い。

    日本人

    ジャパニーズ 

    「ヘイ

    。テメエが旭日重工の社員か?」

     英語で話しかけられたが、仕事柄英語を始めとする言語には堪能

    だった岡島はどもりながらも眼前の女へと返答した。

    「あ、あぁ。そうだけど……」

     チャッ、と。

     目の前の女はごく自然な動作で、ホルスタから銃を抜いて岡島へと

    突き付けた。

    「オーケィ。ディスクか何か持ってんだろ、出しな」

    「な、何でお前らに渡さなくちゃいけな────」

     最後まで言葉を言い切る前に、冷たく固いものが額に宛がわれた。

    ゴリ、と捩じるようにしながら女は言う。

    「日本人、悪いがこれはお願いでも提案でもねぇ。命令だ、do yo

    u understand?」

     日本に居たままでは決して見ることは叶わなかったであろうその

    武器を前に冷や汗が止まらない。

     彼にしてみれば自分はただ与えられた仕事をこなそうとしたに過

    ぎない。だというのにどうしてこんな目に遭わなくてはいけないの

    か。正常な思考が定まらないまま、岡島は命惜しさに厳重に保管して

    いた一枚のディスクを手渡した。誰しも命は惜しい。たとえこの失

    態によって職を失おうが、我が身が一番大切である。

     女は渡されたソレを一瞥し、銀に光る銃をホルスタへと戻した。

     ホッ、と胸を撫で下ろす岡島だが、次の瞬間には甲板を勢いよく転

    がっていた。

     銃弾をぶち込まれたわけではない。女の拳が鼻っ面に叩き込まれ

    6

  • たことによる衝撃だと理解したのは、鼻から垂れる血が甲板を汚して

    からだった。

     鉛玉を食らわなかっただけマシなのかもしれないと思ったのは、こ

    のすぐ後のことだ。

    「おいダッチ。コイツどうする?」

    「どうしたもこうしたもねぇ。他の乗組員と一緒に縛って放置だ。運

    が良けりゃフィリピン海軍かなんかが助けてくれるだろうさ」

    「態々縛り直すのも面倒だ。膝の辺りを撃っちまった方が早い」

    「必要ねぇ。これだけありゃあ十分だ」

     どうやら他の乗組員たちを縛り終えたらしい黒人の大男が女の手

    からディスクを受け取る。

     ダッチと呼ばれたサングラスの大男は乗組員たちに追跡はするな

    と告げると、そのままそそくさと自らの船へ戻っていった。

     ああ、ようやくこの悪夢から解放される。今度こそ安堵した岡島

    だったが、どうも彼の不幸はこんなところで終わってはくれないらし

    い。

     ぐいっと。

     先程収められていた筈の女の銃口が、彼の首元に突き付けられてい

    た。

    「……え、」

    「何呆けた声を出してやがる。お前も一緒に来るんだよ」

     そんなわけで無理矢理船に連行されて以下略。

    「……何で拐われなきゃいけないんだ……」

    「まだ言ってんのかロック。男なら潔く受け入れやがれ」

     時は戻り、再び甲板の上。

     三本目の煙草に火を付けたダッチを横目に、ロックというあだ名を

    付けられた青年は途方に暮れていた。これからどうなるのだろうか。

    旭日重工が自身を擁護してくれるとは思えない。会社のためにトカ

    ゲの尻尾切りにされるなんてことは容易に想像出来た。

     事実、先程繋がった通信では上司に直接『南シナ海に散ってくれ』と

    告げられたのだ。この時点でロックに人質としての価値は失われた

    7

  • 為、ガンマンの女、レヴィが始末しようとした所をダッチが宥めて今

    に至る。

    「くそ、くそ……。あいつら、俺のことなんて何とも思っちゃいない」

    「スケープゴートにされたのは同情するがなロック。今は取り敢えず

    落ち着けよ」

    「落ち着く? これが落ち着いていられるかよ! 俺のこの先の人生

    が全く見えなくなっちまったんだぞ! 死んだことにされるんだ!」

     今思い返してもショックで受け入れることが出来ないでいるロッ

    クに、ダッチは数秒沈黙して。

    「良し、飲むぞ」

     …………。

    「へ?」

    「ムカつくことがあったってんなら飲んで忘れるのが一番だ。こうし

    て出会ったのも何かの縁。酒くらいは奢ってやる」

     いつの間にか酒を飲む流れになっていた。

     いや、ロックとしてもこの何とも言えない気持ちを流すためにも飲

    むという選択肢は大いにアリだが、如何せん周りの連中が胡散臭すぎ

    る。

     大男の黒人に超絶短気な女ガンマン。おまけに自称天才ハッカー

    ときたもんだ。

     正直、こんな面子に囲まれて飲む酒の味が分かるかどうか怪しかっ

    た。

    「……もうどうにでもなれ」

     半ばヤケを起こしながら、ロックは諦めの溜息を吐きだした。

     こうなってしまったことはもう仕方がない。まずは腰を落ち着け

    てこれからの事を考えよう。そう結論づけて、ロックはカモメの飛び

    回る空を見上げる。

     こうして彼を乗せたままの魚雷艇は、犯罪都市ロアナプラへと戻っ

    ていったのだった。

      

    8

  •   2

      「で、何しに来たんだよ」

    「あら、随分と機嫌が悪そうね」

    「お前が来るとロクなことにならないからだ」

     ロアナプラの一角に佇む小さなオフィス。その室内に置かれた椅

    子に座る俺の前には、数人の人間が立っていた。

     目の前で妖艶に微笑む女に、俺は不機嫌な表情を崩さないまま答え

    る。

     この無法都市に放り出されて早十年。なりふり構わず生きてきた

    結果、この街でそれなりの地位を手に入れていた。

     いや、うん。俺には行き過ぎた扱いだとは思うのだけれど、この街

    では地位が高くて困ることはない。貰えるものは貰っておくのが信

    条である俺としては、例えそれが偽りの評価であっても受け入れてお

    くべきだと考えてのことだ。バレた時が怖いけど。

     さて、今俺の目の前に立つこの女は俺の友人というかビジネスパー

    トナーというか、いつのまにかこうして仕事を依頼されるようになっ

    た。それ以前は鉛玉を相手にブチ込むために本気の殺し合いなんか

    もしたが、ほんとどうしてこうなったんだろうか。

     堂々とした振る舞いを崩さない女。名をソーフィヤ・イリーノスカ

    ヤ・バブロヴナ。

     この街での通称は、バラライカ。

    火傷顔

    フライフェイス 

     そう、あの『

    』である。

     彼女との出会いは俺がこっちの世界に来た十年ほど前に遡るが、そ

    れを今説明したところで何の意味もないので割愛させてもらう。

     とにもかくにも、俺はこうしてこのロアナプラを牛耳る人間の一人

    とコネクションを持つことに成功した。これは非常に幸運なことで、

    彼女の後ろ盾があるというだけでこの街ではかなり過ごしやすくな

    るのだ。

    9

  •  おんぶにだっことか言うんじゃねえぞ。

     綺麗な金髪を靡かせながら、バラライカはさっさと本題を切り出し

    た。

    「旭日重工の件は知っているかしら」

    「まあな。一応耳には届いているよ」

     俺の返答に、彼女は満足げに頷いて。

    「流石、それなら話は早いわ。どうも連中、E・O社を雇って機密保持

    を目論んでるみたいなの。このままだとダッチたちが心配だわ」

    「……それで、俺にどうしろってんだ?」

    「言わなければ判らない程バカではないでしょう?」

     ブルーグレイの瞳が、俺を真っ直ぐに見据える。

     俺なんかが対処するよりも、彼女が出張る方が余程早く片がつくん

    じゃないかと思うんだが、どうやら彼女もそこまでして派手に動きた

    くはないらしい。旭日重工との商談もこのあとに控えているそうな

    ので、あまり派手にやりすぎると面倒事になるのだとか。

    「アナタなら上手くやるでしょう?」

     ニコッと。

     何も知らない人間が見れば見惚れてしまうような笑みを浮かべる

    バラライカ。

     しかし彼女の本性を知っている人間が見れば、その笑みの裏で何か

    を企てていることは明白だった。かと言って、ここで無理だと依頼を

    断ることも出来ない。彼女の信頼を失うということは、そのままロア

    ナプラでの信用を失うことに直結するからだ。

    「分かったよ。ダッチには俺から話をつけておく。必要があればE・

    O社を迎撃する。それで異存は?」

    「無いわ。貴方に限ってミスを犯すなんてこともないでしょうし」

    「随分と買ってくれてるみたいだな」

    「当然でしょう? 私と互角に遣り合える人間なんて、この街には片

    手の指にも満たないもの」

     それだけ言い終えると、彼女は同志数名を引き連れてこのオフィス

    から出て行った。

    10

  •  E・O社、エクストラ・オーダー社と言えば傭兵の派遣を行ってい

    る会社だ。あまりこの街に関わる事案には首を突っ込んではこな

    かったのだが、今回は旭日重工からの依頼ということで詳細は聞かさ

    れていないのだろう。E・O社の中には生粋のジャンキーも少なくな

    いので、自ら首を突っ込んできたという可能性もあるにはあるが。

     煙草を一本懐から取り出して咥える。

     肺いっぱいに取り込んだ煙を吐き出しながら、椅子に掛けてあった

    グレーのジャケットを手にとって立ち上がる。先ずはダッチに会い

    に行こう。この時間なら多分イエローフラッグにいるだろうし。そ

    こで話をつけておけばいいだろう。久しぶりに俺も飲みたい気分だ

    しな。

     そういやあ、この件があった時って主人公サマがこの街にやって来

    るんじゃなかったか?

     参ったな。何年もこの世界に浸ってるとそこらへんの知識も曖昧

    になってくる。

     十年という年月の長さを改めて実感しつつ、軽い足取りでオフィス

    の階段を下りていった。

       3

      「ひどい」

     そう溢したのは、本日めでたくロアナプラ初上陸となった日本人、

    ロックだった。

     ダッチに連れられるがままやってきたイエローフラッグという名

    の酒場。飲む、と聞いて単純に居酒屋なんかを想像していたロックに

    してみれば、目の前の光景はその居酒屋からはかけ離れすぎていた。

     まるで西部劇に出てくる荒れ果てた酒場みたいだ、とはロックの率

    直な感想である。

    「ひどいぞこの酒場は。まるで地の果てだ」

    11

  •  そんなロックの言葉に反応したのは、彼の隣の席でグラスを傾けて

    いたダッチだ。

    「地の果て、ね。うまい喩えだなロック。ここは元は南ベトナムの敗

    残兵が始めた店でな、逃亡兵なんぞを囲ってるうちに気がつきゃ悪の

    吹き溜まりだよ」

     拳銃装備がデフォな酒場なんてのは聞いたことがないロックにす

    れば、何の装備も持たない自分が急に怖くなってきた。

     例えるならライオンの檻に迷い込んだハムスター状態だ。

    「居酒屋のほうがいいや……」

    「まあそう言うな。ついでだ、ちっとばかしこの街について教えてお

    いてやろう」

     バーカウンターに腰掛ける二人の前に、新たなボトルが置かれる。

    それを片手で器用に開けつつ、ダッチは正面を向いたまま口を開い

    た。

    「なに、難しい話は一個もねえ。教えるのはこの街で絶対に怒らせ

    ちゃいけねえ人間たちだ」

    「それって、この街を取り仕切ってる奴らとかか?」

    「いい線は行ってるが、そういうわけでもねえ。まぁ聞け」

     ダッチのボトルから注がれた液体を口に含んでロックは彼の方へ

    と視線を向ける。その際、あまりの度数の高さに驚愕したのは秘密

    だ。

    「先ずはバラライカ。このロアナプラの実質的支配者と言ってもい

    い。ホテル・モスクワの大幹部だ」

    「ホテル・モスクワ……?」

    「表向きはブーゲンビリア貿易って名前なんだがな。早い話がロシア

    ンマフィアだよ」

    「っ!?」

     マフィアなどというものに当然馴染みのないロックにはバラライ

    カという人物を想像することは出来ないが、ダッチが怒らせるなと言

    うくらいだ。この街に滞在する僅かな間であっても、決して鉢合わせ

    ないようにしようと固く心に誓った。

    12

  • 「次にシスターヨランダ」

    「シスター?」

     先程までマフィアが中心だった話で唐突に出てきたそのワードに、

    ロックは首を傾げた。

     シスターとは教会に仕える修道女だ。神に仕える身の人間が、この

    街で怒らせてはいけない人間に分類されていることに違和感を感じ

    る。だがロックの予想とは異なり、この街のシスターという輩はそこ

    いらの神の使いではないらしい。

    「暴力教会なんて呼ばれている教会の大シスターだ。この街で唯一武

    器の販売を許された教会でもある」

    「ぶ、武器の販売!?」

     教会がそんなものを取り扱っているなんていう事実に驚きを隠せ

    ないロック。ロシアンマフィアの次は危険極まりないシスターたち

    である。平和の国日本で人生の大半を過ごしてきたロックには想像

    できない世界だった。

     しかし彼の驚愕は、更に続くことになる。

    「後は、そうだな。三合会ってのもあるが……、今言った奴らはまぁこ

    の街の人間なら誰もが知ってる常識さ」

     グラスを呷って、ダッチはそこで言葉を切った。

     おもむろにロックへと顔を向けて、右手の人差し指をピンと立て

    る。

    「一人だ。本当の意味で怒らせちゃいけねぇのはな」

     言葉の意味が分からず、ロックは首を傾げる。

     先程ダッチの口から語られたロシアンマフィアや暴力教会に、一人

    という単位は当て嵌らない。バラライカやシスターヨランダのこと

    を言っているというのなら一応の筋は通るが、彼の口ぶりからするに

    彼女たちのことを言っているのではないのだろう。

     今日足を踏み入れたばかりのロックですら、この街が常識はずれな

    場所であることは理解している。通り過ぎる人間の全てが犯罪者に

    見えてしまっているくらいだ。

     そんな街で過ごすダッチをして、怒らせてはいけないという人物。

    13

  • ロックは無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。

    「一人……?」

     戦々恐々としながらのロックの問いかけに、ダッチは小さく頷い

    た。

    「ああ、たった一人だ。この街を牛耳ってるマフィアどもよりも恐ろ

    しいのはな。こいつさえ怒らせなけりゃ、とりあえずはロアナプラで

    生きていける」

     グラスに残った酒を飲み干して、ダッチは告げた。

    「────ウェイバー。そいつはそう呼ばれてる」

        

    14

  • 002 本名不詳の男

       4

      日本の見慣れた居酒屋とは似ても似つかない酒場のカウンター席。

     今日この日、全くもって理不尽な解雇通告を受け取った日本人ロッ

    クはなんとはなしにその名前をオウム返しのように呟いた。

    「ウェイバー?」

     酒を飲んでいたこともあり、いつもよりも少しばかり声が大きく

    なっていたこともあったのかもしれない。

     しかしそれ以上に、その名前はイエローフラッグの中によく響き

    渡った。

     理由は簡単。今までバカ騒ぎしていた店内の連中が、嘘のように静

    かになってしまったからだ。そのことに疑問を覚えるロックに、ダッ

    チがその解答を示した。

    「その名前、あまり大声で言わない方がいいぜ。言ったら呪い殺され

    るわけじゃねえが、この街に来て日が浅い連中はソイツの逸話に震え

    あがっちまうからよ」

     そう言い新しいボトルを開けるダッチは、口にしているにも関わら

    ずそういった負の感情は抱いていない様子だった。

     ますます分からない。ロックは徐に店内を見渡した。

     どう見たってカタギの人間には見えない。店内に設置された丸

    テーブルに着いているのは全身刺青の黒人だったり顔中ピアスだら

    けの強面、その隣に着く女たちも一般人とは思えない派手で露出の高

    い衣服を纏っている。テーブルの上のカードやグラス、財布なんかと

    平然と肩を並べて鎮座している拳銃が、しかしながら不自然と思えな

    い程に使い手の連中が恐ろしいのだ。

     そんな連中が名前を聞いただけで思わず口を閉じる程の人間。店

    の中央で乱闘紛いの殴り合いを起こしていた男たちまでがその手を

    止め、こちらを見ていた。

    15

  •  恐怖の象徴のような存在なのかと思えば、ダッチは気安くその名を

    口にしている。一体どんな人物なのか、ロックの中でウェイバーと呼

    ばれる人間の人物像が全く定まらない。

    「気になるのかい? ウェイバーのことが」

    「あ、えっと」

    「ベニーだよ。反対側で飲んでるタフで知的な変人のお仲間さ」

     ベニーと名乗る金髪髭面の青年は、ダッチやレヴィとは異なる雰囲

    気を醸し出していた。

     どちらかと言えば、ロック自身に近いものを感じる。明白な戦闘タ

    イプでないというだけなのかもしれないが。

     それを伝えると、ベニーは小さく笑った。

    「ボクは情報系統が担当だからね、二人みたいに敵本陣に突っ込んで

    ドンパチやるなんてことはしないよ」

    「……あんたはどうしてこの街に?」

    「二年くらい前かな。以前はフロリダの大学に通ってたんだけど火遊

    びが過ぎてね、当時のマフィアとFBIを同時に怒らせちゃったん

    だ」

     何でもないように話すベニーだが、ロックは思わず持っていたグラ

    スを落としそうになった。

     マフィアとFBIから同時に追われるなど異常だ。日本で言えば

    ヤクザと特殊警察から追われるようなものである。一体どんなこと

    をすればそんな事態に陥るのか。

    「暫く逃げてたんだけどやっぱり捕まっちゃって、スーツケースの重

    石代わりに詰められそうになっていたのをレヴィに助けてもらった

    んだ」

    「レヴィってあの女ガンマンか」

     ちらりとロックは後方の丸テーブルに目をやった。

     机上に置かれたバカルディをロックでもなくストレートで豪快に

    呷る彼女の姿は、どうしても人助けをするようには見えない。ふと視

    線が合えば、今にも噛み付いてきそうな険呑さだ。

    「あれでも彼女、かなり大人しくなったらしいんだけど」

    16

  • 「は、あれで?」

    「彼女ね、ラグーン商会に入る前は一時期ウェイバーの所にいたんだ

    よ」

     またウェイバー。姿さえ知らない人間が、この街の多くの人間に関

    わっている。

    「ボクもそれ以前の彼女は知らないけど、今じゃすっかり丸くなっ

    たってウェイバーが言ってたよ」

    「ベニーはそのウェイバーって人には会ったことあるのか?」

    「勿論、ラグーン商会とも馴染みがあるよ」

     そう答えてベニーはウォッカの入ったグラスに口を付ける。アル

    コール度数はそれなりに高い筈だが、ベニーはまるでジュースでも飲

    むようにそれを飲み干してみせた。

     この街の人間は総じて酒が強いのだろうか。そうロックが思って

    しまう程、この酒場の酒の種類は偏っていた。特例でミルクなども出

    してくれるようだが、基本的にビール、次いで度数の高い酒がカウン

    ターの奥に並んでいる。高級酒は少ないようだが、大衆酒場などこの

    くらいのものだろう。

     ロックの手元にもダッチに注がれた酒が残っている。カクテルな

    んて気が利いたものがあれば酔いもある程度コントロールできるが、

    この場にそんな洒落た酒があるわけがない。どころかソーダも見当

    たらない。皆ストレートかロックが基本だ。

    「っと、すまねえ電話だ。ベニー、少し出てくる」

    「誰からだい?」

    「ウェイバー」

     ぶふぅッ、とロックは口に含んだ液体を吐き出しそうになった。そ

    れをなんとか寸でのところで堪えて、口と鼻を押さえながらダッチを

    見る。

     携帯を耳に押し当てて店の奥に消えていくダッチの声からは、先程

    までの陽気さは消えていた。

    「どうしたんだろう」

    「さぁ、でも彼が電話をかけてくるときは決まって仕事絡みだから、大

    17

  • 方今日の件と関係してるんじゃないかな」

    「今日の件って、俺から奪い取ったあのディスクのことか?」

     昼間のことを思い出して顔を青褪める。銃口を突き付けられたこ

    とを鮮明に思い出してしまった。あれに勝る恐怖は、もしかすると今

    後訪れないのではないだろうか。そうロックに思わせるほどの恐怖

    だったのだ。

     因みに、聞けばベニーはその時魚雷艇内部で通信役を担っていたら

    しい。時折ダッチが耳元の無線に話しかけていたが、その相手はベ

    ニーだったのだ。

    「そう。詳しい依頼内容はダッチしか知らないからボクもさっぱりだ

    けど、ホテル・モスクワからの依頼だし後ろに大きな獲物でも掛かっ

    てるんじゃないかな」

    「ホテル・モスクワって、さっき言ってたこの街の……」

    「ロシアン・マフィアだね。この街が一応街としての形態を保ってい

    られるのは彼らのおかげでもあるんだよ」

    「……? どういうことだ?」

    「こと戦闘に関してホテル・モスクワは随一だ。それがロアナプラで

    抑止力になってるってこと。じゃなきゃ今頃世紀末だ」

     日本人なら知ってるだろう? 北(ピー)の拳さ。ベニーは楽しそ

    うに呟いた。なんでも日本の漫画やアニメは大のお気に入りなんだ

    そうだ。

     そういった方向には詳しくないロックだったが、流石に北斗の

    (ピー)は知っている。適当に相槌を打ったロック、それがベニーは嬉

    しかったらしい。日本の漫画などこの街で理解できる人間などいな

    いからか、彼の口からは洪水のように次々とアニメや漫画の話が溢れ

    てくる。

    「おうベニーボーイ。そこらへんにしといてやれ、ロックが引いてる

    ぜ」

    「お帰りダッチ、電話はもう済んだのかい?」

     ダッチが電話から戻ってきたことで、ベニーのアニメ論は終わりを

    迎えた。そのことに内心で安堵しつつ、しかしダッチの次の言葉で再

    18

  • び身体を強ばらせることになる。

    「ちいとばかり面倒なことになった。なんでも連中、傭兵派遣会社を

    ────」

     ダッチの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

     瞬間、店内で閃光と共に爆発が巻き起こった。次いで轟く銃声。こ

    れが奇襲であることに気がついたのは、ラグーン商会の面々だけだ。

    他の人間はそのことに気がつく前に蜂の巣にされるか、爆発に飲み込

    まれて焼死体になっている。

     爆発の寸前にシャツの襟を引っ掴まれカウンターへと放り込まれ

    たロックは、なんとかその命を取り留めていた。見れば隣には飄々と

    した表情のレヴィ、反対にはやれやれと肩を竦めるベニーの姿があ

    る。

    「な、なんなんだ一体!?」

    「大方ディスクを奪われたお前んとこの会社が雇ったんだろうよ。い

    きなり手榴弾とかやってくれるじゃねえか」

     言いながらレヴィはホルスタに収められていた二丁の拳銃を引き

    抜く。弾倉を確認し、その口元を獰猛に歪める。その瞳が黒く、そし

    て濁っていくような錯覚を覚えてロックは背筋を震わせた。

     だが戦闘態勢に移行していく彼女に、一言物申したい人間がいたら

    しい。同じくカウンターに身を隠していたこのイエローフラッグの

    店主、バオである。

    「やいレヴィ! またてめーらか! 一体何度この店壊しゃあ気が済

    むんだ!? 後で修理代請求すっからな!」

    「あいよー」

    「軽い! 全く誠意を感じねえよコンチクショウ! おいダッチ! 

    しっかり耳揃えて払ってもらうからな!!」

    「あいよ」

    「ダメだこいつら死ねばいいのに!!」

     バオの叫びも銃声の中に消えていく。

     カウンターには防弾整備が施されているらしいので今は平気だが、

    このままでは埒が明かない。早急にこの状況を打開したいダッチは

    19

  • 両手に拳銃、ベレッタM92FSlnoxを構えたレヴィへ声を荒げ

    て。

     二挺拳銃

    トゥー

    「行けレヴィ! 

    の名は伊達じゃねえってところ見せてや

    れ!」

     その直後、レヴィが動いた。

     一瞬にしてカウンターから飛び出し、空中で相手を確認、挨拶がわ

    りとばかりに鉛玉をブチ込む。相手は手榴弾爆発による粉塵のせい

    か照準が定まっていないようだ。そんな相手に容赦無く発砲。いく

    つもの血飛沫が酒場の壁を彩っていく。

     ここでようやく向こうも只者ではないと気がついたのか、イエロー

    フラッグの正面に構えていたらしい人間たちの一斉射撃が起こる。

    外観が変わるほどの銃弾の嵐を凌ぐべく、レヴィは再びカウンター裏

    へと飛び込んだ。即座に空になったマガジンを引き落とし、新しいも

    のを装填する。

    「へいダッチ、アイツら一体なんなんだ」

    「おそらくアイツらがディスクを奪い返そうとする連中が雇った奴ら

    だ」

    「掃除していいんだよな?」

    「愚問だ。だがここじゃ分が悪い、ウェイバーにゃあ悪いが一先ずこ

    の場を離れよう」

    「サンセー」

     ダッチの提案にベニーが右手を挙げる。

     レヴィも特に異論は無いようで、ロックの首根っこを引っ掴んだま

    ま店の裏口から抜け出す。尚も銃撃は止まないが、それらを一切無視

    して適当な車に四人は乗り込んだ。運転席にベニー、助手席にダッ

    チ、後部座席にロックとレヴィを乗せた年代物のディーゼル車は、敵

    の追撃を掻い潜りながら大通りへと走り出した。

      5

      黄金夜会、と呼ばれる勢力がロアナプラには存在する。

    20

  •  この悪徳の都と呼ばれる悪の巣窟の、実質的な支配者たちと言って

    いい連中たちのことだ。

     まずホテル・モスクワ。タイ支部の頭目であるバラライカを筆頭に

    部下も含めた全員が一線級の実力者たち。

     次に三合会。こちらは香港マフィアで、タイ支部のボスの名前は

     張維新

    チャン・ウァイサン 

    という。黒服にサングラスという出で立ちのおっさんだ

    が、俺も人のことは言えない。

     そしてコーサ・ノストラとマニサレラ・カルテル。イタリアンマ

    フィアとコロンビアマフィアの組織である。

     他にも幾つか傘下の組織はあるものの、これらの四つを総称して

    『黄金夜会』という認識で問題はない。この黄金夜会はロアナプラと

    いう地で多くの権利を有している。具体的にはその地位と利潤、この

    街で発生する収益には、全て黄金夜会が一枚噛んでいる。

     それぞれが圧倒的な規模の組織であることは言うまでもなく、この

    東南アジアの中でも重要な拠点となるであろうロアナプラを支配し

    たいとの思惑から集まった。

     だが衝突したところでメリットはないと、こうして一時停戦のよう

    な形で纏まっているのだ。当然ながら共存意識などはこいつらに存

    在しない。隙あらば咬み殺す所存である。

     弱肉強食。いつの世も変わらぬ不変の真理だ。

     弱者は淘汰され、強者だけが生き残る。そうして形成されていった

    ロアナプラのシステムとも言うべき黄金夜会。

     その中の一人に、どういうわけか俺は数えられているわけだが。

    「……どうしてこうなったんだ」

     そのせいでここ数年、俺へ突っかかってくるような人間はすっかり

    いなくなってしまった。いや、不要な荒事を避けるという意味では全

    く以って助かるんだけれど。

     なんでもこの街の若者の間では、俺に楯突くとその場で殺されると

    いう与太話が実しやかに囁かれているらしい。とんでもない誤解だ、

    幾ら何でも即射殺なんてしない。

     それもこれも、恐らくはバラライカや張と密接に関わってしまった

    21

  • 故のことだと考えている。

     黄金夜会の一大勢力、そのトップたちだ。関係を持っている人間な

    んてのはそう多くない。直通の番号を知っている人間なんてのは極

    少数だ。俺はそれを知っている。昔殺し合った仲ではあるが、今では

    どちらともビジネスパートナーだ。ホテル・モスクワや三合会に比べ

    れば俺の経営する仕事なんてのはちっぽけだが、それでも二人は対等

    に扱ってくれている。

     言ってしまえば俺はきっと二人の紐みたいなものなのだ。今与え

    られている地位なんかもお零れを頂戴しているだけで、決して俺一人

    の力で掴み取ったものではない。

     とは言えだ。例えどんな経緯があろうと、今こうして俺がこの悪徳

    の都である程度の地位を有していることには違いないわけで。

     折角所有している諸々の権利をそのままにしておくのもどうかと

    思うのである。身に余ることくらいは承知しているが、宝の持ち腐れ

    とするには惜しいものだ。

     そこで数年前の俺が思い至ったのが個人経営の万事屋の真似事だ。

     この街にやってきてから築いた人脈を使い、依頼された仕事をこな

    していく。その幅も今ではすっかり広がって、当初は郵便配達や逃げ

    た妻探しだったのが今では逃げ込んできたミャンマーの過激派部隊

    の殲滅なんてものが飛び込んできたりするのだ。

     流石に一人で現役軍人たちを相手にしたときは死ぬかと思った。

    今思い出しても肝を冷やす。なんだか知らないうちに相手が全滅し

    ていたのが幸いだろう。特に何かを仕掛けた覚えはないんだが、何故

    か張には褒めそやされた。

    「と、一応電話くらいしておいたほうがいいか」

     イエローフラッグへ向かう道すがら、ふと足を止めた。

     このまま直行しても問題はないが、いざ行ってみてその場にダッチ

    が居なかった場合を考えると探すのが面倒だ。そう思い、ポケットに

    突っ込んであった最初期の携帯電話を取り出して耳に押し当てる。

     通話はすぐに繋がった。

    『もしもし』

    22

  • 「ああダッチ。俺だよ」

    『一体どうしたってんだ』

     唐突に俺から電話が掛かってきたことを疑問に思っているであろ

    う彼に、俺はさっさと本題を切り出すことにした。

    「今バラライカから依頼受けてるだろう?」

    『何で知ってんだ?』

    「本人から聞いたんだ。それでだ、どうも旭日重工は極秘にE・O社を

    雇って証拠隠滅を目論んでるらしい。まだそのディスク持ってんだ

    ろう? なら早いうちに届けることをおすすめするぜ、いつ襲撃され

    るかわからないからな」

    『そいつはご丁寧にどうも。俺だっていつまでもこんな爆弾抱えたく

    はねえ、直ぐにでもバラライカに渡しに向かうさ』

    「それなんだけどな、俺今イエローフラッグに向かってるから、なんな

    ら代わりに渡しておいてやろうか?」

     これは単なる親切心だ。

     しかし、ダッチはその提案に首を横に振る。

    『申し出は有り難いがこれはラグーン商会が受けた仕事だ。こんなん

    でもプロなんでな、最後まできっちりやり通すさ』

    「ご立派だな」

    『アンタに言われてもな』

     その後二言三言適当に言葉を交わし通話を終える。

     これでバラライカに依頼されたうちの一つは片付いたことになる。

    あと残るのはE・O社の迎撃だが。

    「レヴィだっているし、俺必要ないんじゃねえかなぁ」

     表通りを再び歩き出した俺はそう独りごちる。

     彼女と共に過ごしたのは三年程だけだったが、恐ろしいスピードで

    強く逞しくなっていった。精神的に成長したことが大きな要因なの

    だろう。俺はただ寝床と簡単な依頼の世話をやいてやったくらいな

    ので全く以て大したことはしていない。

     始めは寝込みを襲われそうになったり(物理)、背後から刺されそう

    になったり(物理)したが、今ではすっかり大人しくなった。

    23

  •  なんとなく生前の自分の娘や孫と重ね合わせてしまって放ってお

    けなかったのが彼女を家に寄せた理由なのだが、結果的には良かった

    と納得している。

     あれだけ犬歯を剥き出しにして警戒していたのに、今では会うたび

    に身を寄せてくるのだ。たまに犬の耳と尻尾が幻視できそうになる。

    普段の冷徹な彼女からは信じられないだろう。俺だって信じられな

    いもの。

     昔のことを思い出していたからか、俺は通りの向こうが騒がしいこ

    とに今更ながら気が付いた。

     多くの野次馬が集まってきているようで人だかりが出来ているが、

    その先にあるのは目的地でもあるイエローフラッグの筈だ。

     首を傾げながらも、俺はその野次馬の群れの元へと向かう。

    「……うわぁ」

     視界に広がった光景は、思わず額に手を当てたくなるようなもの

    だった。

     このロアナプラきっての大衆酒場、イエローフラッグは消滅してい

    た。より正確に言うならば、全壊していた。

     こりゃまだバオが怒り心頭だろうなと店主の形相を想像する。実

    に鮮明に映し出されてしまった。

     詳しい状況は未だ判断できないが、恐らくは危惧していたことが起

    こったのだろう。周囲に見られる銃痕や装甲車のタイヤの跡などか

    らそう当たりを付ける。

     確認の意味も込めて、俺は近くにいた野次馬の一人に声を掛けた。

    「なあ」

    「あん? なんだよ────って、ううウェイバーッ!?」

     青年が振り返り、俺を視界に収めたのと同時の驚愕の声に、周囲の

    野次馬たちの視線がイエローフラッグから俺へと一斉に切り替わっ

    た。

     皆が皆どう表現したらいいのか分からない、酷く色褪せた表情を浮

    かべている。なんだどうした、別に取って食ったりしないぞ俺は。声

    をかけた青年に至っては既に涙目なんだが。

    24

  • 「これ、なにがあったか見てたか?」

    「いいい、いいえ! 俺も爆発音がしたから覗きにきただけで! な

    んにもお伝えできるようなことは!」

    「そうか。ありがとうな」

     ジャケットのポケットから煙草を取り出し、口に咥えて火を点け

    る。

     まずったな、これじゃ迎撃するにも追わなくちゃならん。なんとか

    ラグーン商会だけで切り抜けてはくれないだろうか。

     尚も俺の周りから動こうとはしない野次馬たちを不思議に思いな

    がらも、面倒なことになったと内心で頭を抱えそうになる。吐き出さ

    れた煙は、星の見え始めた仄かな夜空へと消えていった。

       6

       青年はこの瞬間、初めて恐怖というものを身近に感じた。

     拳銃で撃ち合ったことはある。ナイフで斬り合ったこともある。

    しかし、人に声を掛けられただけでここまで濃密な死を思い描いたの

    は生まれて初めてだった。

     声を掛けてきたのは、この街において絶対に怒らせてはいけないと

    いう男。本名不明、通称ウェイバー。東アジアの国を思わせる顔つき

    に黒髪、黒のパンツにグレーのジャケットという出で立ちの男は、こ

    の野次馬があふれる衆人観衆の中、誰にも気付かれることなくここに

    やって来たのだ。

     実際、声をかけられるまで誰もこの男が居るなど気がつかなかっ

    た。気配を一切感じないのだ。だからこそ、恐怖は倍増する。

     青年は聞かされていた。ウェイバーに関する様々な逸話を。

     曰く、彼のジャケットのボタンが掛けられていないときは決して正

    面に立ってはいけない。

     曰く、完全武装した他国の軍隊をたった一人で制圧した。

    25

  •  曰く、ロアナプラを裏で牛耳っているのは彼である。

     曰く、半径三メートル以内で不穏な動きを見せれば射殺される。

     などなど。

     こういった話を挙げていけばきりがない。

     そしてそれがただのデマでないことは、青年が今身を以て実証して

    いた。

     脚が無意識のうちに震え、奥歯が噛み合わない。何を質問されたの

    かすら覚えていない。実際の言葉を交わしたのほんの僅か。時間に

    しても十秒にも満たないだろう。

     たったそれだけの時間にも関わらず、その場にいた野次馬たちは完

    全に男の発している気に圧されていた。周囲の人間たちも彼の逸話

    は耳にしていることだろう。だから動かない、動けない。今ここで僅

    かでも動けば撃たれる。そう誰もが本気で思っていたのだ。

     加えて今のウェイバーのジャケットはボタンが掛けられていない。

    噂が本当であるならば、シャツとジャケットの間に吊るされたショル

    ダーホルスタには彼の愛銃が眠っている筈だ。それを目覚めさせて

    はいけない。この場にいる全員の総意であった。

     青年は必死に恐怖を堪えながら、ウェイバーがこの場を離れるのを

    待った。

     彼は懐から取り出した煙草に火を点けて煙を燻らせると、そのまま

    どこかへと立ち去った。

     彼の姿が完全に見えなくなった瞬間、青年は地面に倒れるようにし

    て座り込む。

     あれが、この街の頂点に君臨する人間の一人。

     汗も滲むほどの暑さだというのに、どうしてか身体の震えは止まら

    なかった。

    26

  • 003 隻眼の修道女

      1

      結論から言えば、ダッチたちラグーン商会は無事にE・O社の傭兵

    どもを撃滅することに成功したそうだ。

     そうだ、と俺の主観でないのは、これがバラライカから聞いた話で

    あるためだ。

    戦闘ヘリ

    ガンシップ 

     何でもE・O社の

    までもが出張ってくる事態に発展したそ

    うだが、居合わせた東洋人によるギャンブラーもびっくりとんでも大

    作戦によってその戦闘ヘリを木っ端微塵にしてやったのだとか。バ

    ラライカもその現場を生で見ていたわけではないので詳細な状況説

    明はなされなかったが、どうもその東洋人とやらを彼女はいたく気に

    入ったようである。受話器越しに聞こえる彼女の声音はいつもより

    半音程高かった。

     何度も言うようではあるが、バラライカはこの街の実質的支配者に

    して生粋の軍人だ。彼女の御眼鏡に適う人間自体それほど多くない。

     昨日今日この街にやってきたばかりの人間がそれをやってのけて

    しまうのだから、やはり原作の主人公というのは侮れないものだと染

    み染み思う。俺もそんな不思議と周りに認められるような人望が欲

    しかったよ。代わりに手に入ったのは不思議と周りから避けられる

    畏怖だからな。

     なんだよこれ、ちっとも欲しくねえや。

     それにしても何て無謀な作戦を思いつくのだろうか。普通魚雷を

    戦闘ヘリに当てて堕とすなんて考えは頭の片隅にすら浮かばない。

    いくら追い込まれていたとは言えだ。

     聞く分には面白いからいいんだけれど。

     とまぁ、この話はこのくらいにして。

    件くだん

     

     の事件から一夜明けた翌日。俺が営む万事屋の極々小さなオ

    フィスに、ラグーン商会の面々が雁首揃えて立っていた。

     只でさえ大きくないオフィスだ。そこに俺を含めて五人も居座れ

    27

  • ば、当然暑苦しさや息苦しさなんてものを感じてしまう。俺は後ろの

    窓を全開にして、少しでも空気を入れ替えようと試みる。しかしなが

    ら今日は全くの無風であった。照り込む日差しがジリジリと首筋を

    熱していく。少しの気休めにもならなかった。

     諦めてデスクの椅子に座り直し、改めて正面のラグーン商会を見つ

    める。

     一番右からサングラスのせいで表情が読めない仏頂面の筋肉野郎

    ダッチ。いい加減髭の手入れくらいしろと思わなくもない金髪ベ

    ニー。今にもこちらに駆け出してきそうな、お預けでもくらってんの

    かと疑いたくなる程落ち着きのないレヴィ。そしてそして、妙に表情

    の堅い初対面の東洋人が一人。

    「で? 直接ここに顔出した理由はなんだ」

     いつまで経っても会話が始まらない様子だったので、俺の方から口

    火を切った。

     これ幸いとダッチが頭を掻きながら口を開く。

    「昨日の事の顛末はもうアンタのことだから知ってるとは思うが、一

    応礼を言っておきたくてな。ありがとよ、あの電話がなけりゃ、俺た

    ちゃイエローフラッグで愉快な死体になってたかもしれねえ」

    「冗談止せよ。あんな銃撃くらいでくたばる様なタマじゃないだろう

    ?」

     実際銃弾くらいなら平気で跳ね返しそうな肉体をしているダッチ

    である。確かにベニーやロックは当たり所が悪ければ死ぬ可能性は

    低くないが、レヴィが死ぬなんて今となっては考えにすら浮かばな

    い。

    「あのタイミングで電話を掛けてきたってことは、奇襲の時間帯まで

    予測してたのか?」

    「まさか。偶然だよ。俺が予知能力者にでも見えるのか?」

    「……アンタなら例えそうだとしても驚かねえよ」

     俺のジョークにしかし、ダッチは小さく息を吐きながらも真顔で答

    えた。おかしい、これはロアナプラジョークだというのに。予知能力

    なんてものは所詮空想の世界にしか存在しないのだ。そんなもの

    28

  • 持っていれば今頃俺は一滴の血も流すことなくこの街を支配できた

    だろう。

     ダッチと同じようにベニーも肩を竦めていることに釈然としない

    ものを感じるが、ここで会話を止めるつもりはない。

     おそらくは今日のもう一つの用件であろう彼、黒髪の東洋人へと視

    線を向けた。

    「それで? 彼のことは紹介してくれるんだろうな」

    「おっとそうだった。こいつ、ロックって言うんだがな。昨日付でラ

    グーン商会が雇うことにした」

    「へぇ」

     ダッチの親指が指し示す先で、ロックはがちがちに緊張しているよ

    うだった。

     まさか俺の根も葉もない噂を真に受けているのではあるまいな。

    普通に考えれば有り得ないって分かるだろう。

     ほらロック、挨拶しろとダッチに促され、ロックは一歩前に出る。

    「は、初めみゃ!」

     噛んだ。リテイク。

    「は、初めまして。ロックといいます」

    「おう、よろしくなロック。俺はウェイバー、しがない個人経営者だ」

     俺が差し出したその手を、ロックは幾許かの逡巡ののち取ってみせ

    た。

     なんだろう。やはり日本人同士感じるものでもあるのか、どことな

    く落ち着く。実家で母親の作った味噌汁を飲む、そんな気分だ。

    「あ、あの」

    「ん、済まない」

     そんなほっこりとした気分に浸かっていたら、ロックが不安そうな

    声を上げた。どうもそのまま手を握り続けてしまっていたらしい。

     しかし許して欲しい。ああした安らぎはこの街では金塊以上に貴

    重なのだ。外へ出ればいつ鉛玉が飛んでくるか分からない危険度上

    限を振り切っているロアナプラでは、こんなにも暖かな気持ちを得る

    ことはまず出来ない。返り血で物理的に温かくなることはあれども。

    29

  •  ロックの言葉に反射的に手を離して、俺は一言謝罪した。

     少し口元をヒクつかせながらも愛想笑いを浮かべ、元の立ち位置へ

    と戻るロック。それに代わるように、いや、押しのけるように前へ飛

    び出してきたのは案の定レヴィだった。人目も憚らず俺の方へ飛ん

    だかと思えばデスクを越えて俺の胸へと豪快なダイブを決めて見せ

    た。背中へと両腕を回され、顔をぐりぐりと押し付けられる。ご機嫌

    に左右に揺れている尻尾は、果たして俺の幻覚なのだろうか。

    「会いたかったぜボォス! 何で最近は顔出しに来てくれないんだ

    よぉ!」

    「レヴィ、レヴィ。分かったから一旦離れろ、暑いしお前を見てるロッ

    クの顎が外れそうだぞ」

    「知らねえよロックの顎なんか。勝手に外しときゃいいんだ。それよ

    りもボス、今からマーケット行こうぜ」

    「待て待てレヴィ、ひっ付き過ぎだ。それに今日は野暮用があってな、

    昼まで時間は取れそうにない」

    「ええぇ?」

     ピンと立っていた犬耳がしゅんと垂れたような気がした。心なし

    か尻尾にも先程までの元気がない。

     一体いつからこうなってしまったのだろうか。気が付けばとしか

    言い様がないのが本当のところだが。他人には一切触れることを許

    さない研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持つ彼女が、どうしてこうも

    俺にべったりになってしまったのか。

     一緒に過ごした三年間、それを思い返すことでその理由に近づくこ

    とができるかもしれないが、今はそれをしている時間はない。

    「レヴィ、あんましウェイバーを困らせるなよ」

    「チッ、分かってるってダッチ」

     そう言って渋々、かなり名残惜しそうに俺の膝の上から降りるレ

    ヴィ。ちらちらと向けられる彼女の視線は大変愛らしいが、この後に

    控えている野暮用をすっぽかすわけにもいかないのだ。

    「新入りの顔見せも済んだし、俺たちはそろそろ退散させてもらう。

    この後も仕事が入ってるんでな」

    30

  • 「そうか、態々足を向けて貰って済まないな」

    「アンタに足を運んでもらうほうが気が進まねえよ」

     小さく手を挙げたダッチは、俺に背を向けてオフィスから出て行

    く。それに続いて残りの三人もそそくさと部屋から出て行った。

     唯一レヴィだけが最後まで俺から視線を外さなかったが、ダッチに

    腕を引っ張られでもしたんだろう。四人分の階段を降りていく音が

    聞こえなくなったのを確認して、時計を確認する。午前十時。時間に

    しては些か早い気がしなくもないが、間違いなく起きてはいるだろう

    し大丈夫だろう。

     無造作に引っ掛けてあったジャケットに袖を通して外へ出る。

     まだ朝だというのに、今日もロアナプラは蒸し暑い。出来るだけ影

    の伸びているところを移動していこうか、少しでも気休めになればそ

    れでいい。子供のようなことを考えながら俺が今日向かう先、そこは

    ここロアナプラの中でも一等特別な場所である。

    「行きますか。暴力教会」

      2

      ウェイバーの経営しているオフィスへ行くことをロックが聞いた

    のは、出発の僅か五分前のことだった。

     昨日この悪徳の都へ初めて足を踏み入れた青年は晴れてラグーン

    商会の一員となったわけだが、どうやらウェイバーなる人物に顔見せ

    を行わなくてはいけないらしい。

     ダッチやレヴィ、ベニーはさして緊張している様子はない。何せ何

    度も顔を合わせているとのことだ。今更会うくらいどうってことな

    いのだろう。

     だがロックは違う。勿論ウェイバーとはこれが初対面になるわけ

    で、昨日のこの街の若者たちの表情を見るにそれはもう恐ろしい男な

    のではないかと想像してしまうのだ。

     そんなことはないとダッチやベニーに言われてもロックの恐怖は

    払拭されない。あのレヴィと行動を共に出来るだけでぶっ飛んでい

    31

  • る人間であることに違いはないのだ。まさか会って早々撃たれたり

    はしないだろうか、そんな不安が脳裏を過ぎる。

    「心配すんな、アイツは自分のオフィスん中じゃ撃ったりしねえ。片

    付けが面倒なんだとよ」

    「外なら撃つのか!? 片付けが無ければ撃つのか!?」

    「ぎゃーぎゃー喚くな。とっとと乗れ」

     顔を引き攣らせたままのロックを車の後部座席に押し込み、全員が

    乗ったのを確認してベニーが緩やかに車を発進させた。

     ウェイバーのオフィスはここから車で十分程の場所にあるらしい。

    至って普通の建物だそうだ。

    「お、俺の紹介のためだけにいくのか?」

     顔を青くしたロックが助手席に座るダッチに尋ねた。

    「それもあるが本題は昨日の件だ。ウェイバーがあのタイミングで連

    絡をくれたおかげで俺たちは蜂の巣にされずに済んだからな。その

    礼を言いに行くんだよ」

    「わざわざ? 電話じゃなくて?」

    「アイツは仁義ってもんを大切にしてるんだ。お互い顔の見える場所

    で感謝を述べるってのは、大事なことだぜロック」

     そういうものなのか、とロックは思う。

     ダッチの話を聞く限り、ウェイバーという人間はそこまで恐ろしい

    人間では無いような気がする。

     しかし、ならあの酒場での人間たちの反応は何なのだ。何も無けれ

    ばあんな異常な反応が起こる訳が無い。やはり彼の人間像がブレて

    いる。直接会ってしまえば、その人間像もきちんと定まるのだろう

    か。

    「ねえダッチ。やっぱり彼は全部分かっててあのタイミングで連絡を

    寄越したのかな」

     正面を見て運転したままのベニーが呟いた。その問いに、ダッチは

    腕を組んで。

    「だろうな、幾ら何でもタイミングが良すぎる。大方奇襲の時間帯ま

    で予測してたんだろう、俺に連絡を入れるだけなら奴のオフィスでも

    32

  • 出来る。道すがら連絡を入れるなんて面倒なこと普通はしねえ」

    「やっぱり? 彼には予知能力でもあるんじゃないかい?」

    「ま、聞いたって偶然だとか言ってはぐらかされるんだろうがな。い

    つものことだ」

     四人を乗せた車は、朝のロアナプラを北へ進んでいく。

     この時間になれば多くの人間たちは活動を開始するようで、いくつ

    かのマーケットには多くの住人たちの姿が見受けられた。

     と、ここでようやくロックは今まで触れようか触れまいか悩んでい

    たことを前の二人に質問することにした。先程までとは別の意味で

    顔を引き攣らせたロックが、おずおずと手を挙げる。

    「あのー」

    「どうしたロック」

    「さっきからレヴィが変なんだ」

    「ああ、いつものことだ気にすんな」

     さらっと。そう返してダッチは顔を正面に戻した。

     いつものことなのか、へえそっか。と安易に納得できればそれで良

    かったのだが、生憎ロックは隣の女ガンマンの変貌っぷりに戸惑って

    いた。昨日までの彼女と180度違うのだ。どこまでも黒く、底知れ

    ない冷たさを帯びた瞳は、今は爛々と輝いている。大好きなおもちゃ

    を前にした子供のようだ。大きく開かれていた股は女性らしくぴっ

    ちりと閉じられ、そわそわと落ち着きのないレヴィは隣のロックなど

    眼中に無いようである。

     そういえば、ベニーがレヴィは以前ウェイバーのところで厄介に

    なっていたと言っていた。その所為なのだろうか。

     ロックの目には、今一瞬レヴィの頭に犬耳がついていたような気が

    した。

    「着いたぜ、ここだ」

     車を路上に止めて降りれば、二階建ての白っぽい建物が飛び込んで

    きた。これがロアナプラで絶対に怒らせてはいけない人物が住むオ

    フィスだそうだ。無意識のうちにロックは生唾を飲み込む。ダッチ

    たちに続いて、オフィスへと続く階段を昇っていく。一階は倉庫に

    33

  • なっているらしく、彼の住処は主に二階の部屋なのだそうだ。

     階段を昇って一番奥の部屋の扉を、ダッチが軽く叩く。

    「ウェイバー、いるか。俺だ」

     返事は直ぐに返って来た。

    「開いてるぞ」

     ドアノブを回し、室内へと入る。

     ロックの目に飛び込んできたのは、どこにでもあるような応接用の

    ソファとデスク、そしてその椅子に腰掛ける男の姿だった。

    (黒髪……日本人か……?)

     ウェイバーなんて呼ばれているのだからてっきり屈強なアメリカ

    人あたりを想像していたロックである。まさか自分と同じ東洋人で

    あるなど想像もしていなかった。

     見たところ別段際立った身体的特徴は見られない。言ってしまえ

    ばどこにでもいる普通のオジサンといった感じだ。ガタイで言えば

    ダッチの方が全然大きい。

     本当にこの男が? そう疑問を持ってしまうのも仕方のないこと

    だった。

    「おはようダッチ。なんだラグーンの面子全員いるじゃないか」

     ウェイバーは前に並んだラグーン商会の面々を一通り眺める。

     やはりというか、その仕草に恐怖を感じるような部分は無かった。

     この時点で、ロックの中でウェイバーという男はそこまで警戒する

    ような人間ではないと結論を出そうとしていた。彼に関する話を

    ダッチから聞く限り別段恐れる部分は無いし、ロアナプラの若者が恐

    怖しているというのも噂だけが一人歩きしているのだろうと当たり

    をつける。

     ダッチとウェイバーが会話している横でそう考え事をしていた

    ロックは、唐突にその会話の矛先が自身に飛んできたことで危うく心

    臓が飛び出しかける。

    「彼のことは紹介してくれるんだろうな?」

    「おっとそうだった。ロック、」

     ダッチに言われるがまま、ロックは一歩前に出た。

    34

  •  なんとなく面接官を前にした就活生のような感覚を思い出す。

     自己紹介をすべく、一度落とした視線を正面に戻した瞬間、ロック

    は本気で息が止まるかと思った。

    「ッ!?」

     ウェイバーが自身へ向ける視線が、最初と全く異なっていた。

     値踏みするような視線。ともすれば心の内側まで見透かされてい

    るような気がしてくる。どこまでも黒く、底の見えない瞳は一切の揺

    らぎを見せることなくロックを捉えていた。戦闘に移る際のレヴィ

    も同じような瞳をしていたが、彼の場合はより深く、言い知れぬ恐怖

    を抱かせる。

     心臓の鼓動が早くなる。その音はロック自身にもはっきりと聞こ

    えていた。張り詰めた緊張の中、意を決して口を開く。

    「は、初めみゃ!」

     噛んだ。死にたくなった。

    「は、初めまして。ロックと言います」

     今度はなんとか噛むことなく名乗ることが出来た。

     ウェイバーの視線は、未だ自身を捉えて離さない。と、そこで彼は

    一度瞼を閉じた。ほんの一瞬、ロックから視線が外れる。

     再び彼の瞼が持ち上がったときには、先程までの重圧が嘘のように

    霧散していた。

    「おう、よろしくなロック。俺はウェイバー、しがない個人経営者だ」

     後ろに立つダッチの「なにがしがないだ」という呟きは、ウェイバー

    には聞こえていなかったらしい。

     極々自然に差し出された彼の手をロックは取った。ロアナプラに

    おいて多くの逸話を持つ彼の掌は、予想外にも至って普通だった。

    所々にマメはあるが、ゴツゴツしているわけでもない。

     そうロックが感じているように、ウェイバーも握手を通して何かを

    感じているようだった。握られた手がいつまでも離されない。肉体

    の接触によって、何かを読み取っているかのようだった。

    「あ、あの」

    「ん、済まない」

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  •  声を掛ければ、彼はすんなりと握っていた手を離した。

     握られていた手は、いつまでも熱を帯びていて冷める気配がない。

     底が知れない。率直にロックはそう思った。同じ東洋人というこ

    とで初めはどこか親しみを覚えていたが、今はそうした親近感はどこ

    かへ消し飛んでしまっていた。なんといっても悪徳の都の住人であ

    る。つい昨日まで陽の当たる場所で生きてきた自分とは、そもそも価

    値観から違うのだろう。

     彼のような人間が多数存在するというこの街で果たして生きてい

    けるのだろうか。いきなり先行きが不安になってきた。

    (ま、まあダッチやベニーも一緒だし、それにレヴィだって……)

     ラグーン商会のエースアタッカーである女ガンマンの方へ視線を

    移す。

     そこに、彼女の姿は無かった。

     ロックが彼女の姿を見失うのとほぼ同時に、ドスンという物音。

     音のしたほうへ視線を向けると、ウェイバーにしがみついているラ

    グーン商会のエースの姿があった。

    「会いたかったぜぇボォスっ!!」

     腕と脚をがっちりウェイバーの背中に回して、彼の胸板にぐりぐり

    と頭を擦り付ける。その動きに合わせて揺れる彼女のポニーテール

    が、ロックには犬の尻尾のように見えてしまった。

     車内でも彼女の様子がおかしいことには気が付いていたが、これは

    予想の斜め上すぎる。なんだこの光景は、あれが昨日見事なまでの腕

    を披露したガンマンなのだろうか。

    「まーた始まった」

     ダッチにしてみれば見慣れた光景なのか、後頭部に手を当ててぼや

    くだけである。横に並ぶベニーも苦笑いだ。

    「ダ、ダッチ。あれは一体どういうことなんだ?」

    「なに、ありゃあいつものことだ。レヴィにとってウェイバーは父親

    みてえなもんだからな、甘えてんのさ」

    「恋人じゃないってところがまたなんとも言えないよね」

    「レヴィが唯一懐いてる人間だ。どっちかっつーと犬と飼い主みてえ

    36

  • だけどな」

     そう言いながら笑うダッチとベニー。

     あの狂犬を飼い慣らせる人間がこの世に存在するとは思っていな

    かった。開いた口が塞がらない。

     ロックの驚愕など全く意に介さず、レヴィは嬉しそうにウェイバー

    に語りかけて�