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潟大学 コミュニケーション コース 2004 1 して 『ドラえ ん』― ‥‥‥‥‥ 2 ルイ・ヴィトン ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 〉を ―太 3 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 4 における ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5 ヨーゼフ・ボイス ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 6 テレ ドラマ『 』における ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 7 イザベラ・バード に映った ‥‥‥ 8 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 9 マグレブ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 10 ピエール・ロチ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 11 における ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ミュージカル映 ―『シカゴ』における 12 について ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ . 13 シュルレアリスム M エルンスト ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 14 「あひゞき」における ロシア ‥‥‥‥‥‥‥‥ 15 における ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 16 における「 について ‥‥‥‥ 17 まんが・アニメキャラクターにおける『 え』 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2004 潟大学 コミュニケーション コース

新潟大学人文学部 文化コミュニケーション履修コース...-1-2004 年度卒業生 卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟大学人文学部

文化コミュニケーション履修コース

年度 卒業論文概要2004

1鈴木 祈 藤子不二雄研究 ―成長物語としての『ドラえもん』―

2山口 聖美 ルイヴィトンと日本人女性の関係

相庭 暁美 〈酒〉をもとに文学作品を読み解く ―太宰治と江國香織

3の比較と考察―

4池田 裕太 新潟県における部落差別

5石綿 知沙 ヨーゼフボイス論

6大久保 圭佑 テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

7狩野 寛美 イザベラバードの見た明治日本 ―青い眼に映った奥地―

8熊谷 理恵子 吉田秋生の世界

9坂田 香織 在仏マグレブ系移民の自己表象

10坂部 真利子 ピエールロチの見た日本女性

11佐藤 千恵 太宰治作品における身体

佐藤 千尋 ミュージカル映画の女性表象 ―『シカゴ』における欲望

12の追求について

13佐藤 雅子 シュルレアリスムとMエルンスト

14清野 暁 「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

15田口 莉沙子 宮崎駿映画における少女像

16橘 美保 河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

17中川 麻理 まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

18長岡 春美 牛腸茂雄のまなざし

19橋本 佳子 新潟における日本語学習者の質的研究

20平岡 喜久恵 死神像の東西

21武士俣 かすみ ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い ―恐怖との共存―

22堀川 慶子 高度情報化時代の地域コミュニケーション

23増田 百恵 日本における「個性」の変遷

24宮澤 麻子 夏目漱石における手紙というメディア

25清水 菜々弥 『三国志演義』と元禄日本

倪 鳳翔( ) 上海都市論 ―中国「新新人類作家」たちの作品Ni Fengxiang

26における「現代都市」上海の変容―

27林 真弓 グリム童話の女性

黄 仁祚( ) 日本における「韓流」現象の分析 ―ドラマ『冬のソナタ』Hwang Injo

28を中心に―

29山崎 智子 『赤い鳥』とその時代

30唐澤 千恵 野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

31鈴木 奏子 太宰治論 ―太宰治の書簡と作品の関係について―

32中村 さやか 那須正幹作品と子どもたち

33五十嵐 玲子 宝塚歌劇団の誕生と変容 ―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―

34茂出木 将之 阿部和重論

35小川 庫右 記号化する都市

Ebonics 36小柳 真美子 ldquo その起源と現状 rdquo

37舘田 大輔 交通の発達から見た富山県

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

―成長物語としての『ドラえもん』―藤子不二雄研究

鈴木 祈

この論文は 『ドラえもん』の魅力は身近さにあるという観点から『ドラえもん』がのび

太の成長物語であると結論付けた

まずのび太とドラえもんの関係について二人が親友同士であると同時にドラえもん

はのび太を同じ目線で受け入れた上で叱咤激励し 成長 自立させる存在であると考えた

ここに二人の主従関係は成立していないこのドラえもんの教育とのび太の努力によって

のび太は自身最大の夢である「しずかとの結婚」を実現させるのである (第一話で示され

るのび太の将来はジャイ子と結婚するという悲惨なものであった )一方そののび太の将

来及びのび太としずかの恋愛について描かれる作品にドラえもんは一切登場しない

これはのび太がドラえもんと共に少しずつ努力しながら成長し自立したことを裏付ける

と考えられるドラえもんの出す道具はそのほとんどがのび太の欲求を具現化させるもの

である何もできないダメ少年のび太は彼の欲求をドラえもんと彼の出す道具によって満

たそうとするしかし大人になり成長したのび太は自分の欲求を道具という外的手段に

頼るのではなく自分の中で解決できるようになったと考えられるつまり彼は自立し

そんなのび太にドラえもんはもう必要なくなったためにドラえもんは登場しないのである

ここからも『ドラえもん』がのび太の成長物語であることが指摘できる

しかし 『ドラえもん』を個々の作品ごとに見ていった場合のび太の夢(日常の希望)

はほとんど叶えられないこの「のび太の夢が叶わない」という要素は『ドラえもん』に

おける「基本パターン」として定着するしかしのび太の夢が叶わなくても読者はがっ

かりしないそれはもし『ドラえもん』がのび太の願いを全て叶えるというストーリーで

あったならば読者にとってのび太は非常に遠い存在となってしまうからである読者は

のび太のダメさ加減やそれでも成長しようとする姿にどこか一つでも共感しのび太に自

己投影をするここから『ドラえもん』に対する読者の「身近さ」が発生するのである

最後に藤子 不二雄は「努力をすれば夢は叶うそしてどんな子供にも明るい未来F

がある」というメッセージを投げかけるのび太としずかの結婚はその証明であるつま

り作者はのび太の成長を願うと共に読者の成長をも願っているのである そして作者は ド 『

ラえもん』という夢の世界を描きながら読者に対しドラえもんは実在しないのだから自

立しなければならないつまり子供から大人へ成長しなければならないと示すドラえも

んはそんな作者のメッセージを代弁する存在ともいえる

『ドラえもん』はその知名度からも他の作品を圧倒し老若男女を問わず幅広い世代に

受け入れられているしたがってその魅力も十人十色であろうしかし 『ドラえもん』に

おける「身近さ」という要素は意識的もしくは無意識的に読者が感じている魅力である

と思われるそしてそれが『ドラえもん』が今までもそしてこれからも読み継がれてい

くであろう要因であると考えられるのである

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

ルイヴィトンと日本人女性の関係

山口 聖美

この論文では「ルイヴィトン」と日本人女性の関係つまり 「ルイヴィトン」の商

品が日本人女性に受け入れられた理由について歴史的背景デザイン女性たちが持つそ

れぞれの価値観や基準をもとに考察した

まずは「ルイヴィトン」の創業から日本に上陸するまでの歴史に着目し 「ルイヴィ

トン」の伝統がフランスから日本に根付いていく過程を調べたそこからは創業者ルイ

ヴィトンのあまり裕福でも幸せでもない幼少期があったからこそ「ルイヴィトン」とい

うブランドが誕生したこと贋作が皮肉にも「ルイヴィトン」のデザインや品質の向上

に貢献していたことが読み取れるそしてルイジョルジュガストンと3世代にわた

るヴィトン家の人々が時代を先取る力をもち王や貴族たちの流行をいち早く察知して商

品を作り出したことも分かったこの点は新しいものをいち早くキャッチし最先端の

「 」スタイルを生み出す現代の若い女性たちの感性に似ており 彼女たちが ルイヴィトン

を積極的に受け入れようとする姿にも納得がいくここに 「ルイヴィトン」を日本中に

広めた現 (ルイヴィトンジャパン)グループ社長の秦氏の活躍が加わりそれまLVJ

での歴史と複雑に絡み合うことによって今日の「ルイヴィトン」の人気を支える土台が

できたと言える

次に多種多様なデザインに注目し人気を呼ぶ理由を考察した 「モノグラム」と「ダ

ミエ」という「ルイヴィトン」の商品の中で最も親しまれているデザインが実は家紋

や市松模様といった日本古来の文化と関係しておりこれらがフランスを経由して新しい

形となって再び日本に流行を巻き起こした目立ちたい一方で目立ちたくないという矛盾

した感情つまり日本人独特の美意識や価値観にこれら2つのデザインが見事に応えてく

れた結果であると言える

しかし現代の日本人女性の中にここまで述べてきたような伝統や歴史といった事実を

知っている人はほとんどいないと言っても過言ではないではなぜ彼女たちは「ルイヴ

ィトン」の商品を購入するのだろうかそこで彼女たちがもつ価値観や基準をもとにな

ぜ「ルイヴィトン」が選ばれるのかを考察した 代や 代の若い女性たちが「感情10 20

充足的価値 を基準に ルイヴィトン を選ぶのに対し 母親や祖母の年代になると 技」 「 」 「

術充足的価値」が基準となるこのように年齢とともに変化していく彼女たちの価値観や

基準に合わせ全ての年代をそして男性をも納得させる商品を提供してくれるブラン

ドであると言える

以上の考察から 「ルイヴィトン」と日本人女性の関係が見えてくる詳細な歴史やデ

ザインができるまでの経緯を知らないながらも彼女たちは「ルイヴィトン」を選ぶそ

れは彼女たちが日本人であるがゆえに伝統や昔ながらのものを愛する心とともにそ

「 」 れぞれの価値観をもち これらを満足させるものが ルイヴィトン であったと言える

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―太宰治と江國香織の比較と考察―〈酒〉をもとに文学作品を読み解く

相庭 暁美

作品に登場するさまざまな種類の〈酒〉とそのもつ意味物語に及ぼす効果や役割を考

察し作家による相違共通点時代背景できればそれぞれの作家の特徴や本質を明ら

かにしたいと考えた

取り上げたのは戦前から敗戦直後に活躍した太宰治の2作品『斜陽 『人間失格 現』 』

代作家江國香織の2作品『神様のボート 『きらきらひかる』である』

『斜陽』において物語の語り手で女主人公である「かず子」と弟の「直治」が口に

する〈酒〉は安い日本酒と焼酎である 〈酒〉が頻繁に登場し重要な役割を果たしている

のは一つに物語の背景が日本の戦後すぐであるから二つに学徒動員で南方に出征

し戦場の修羅をくぐり抜けたが一時は阿片中毒にもなって帰国した直治が社会の激

変人々の安易な心変わりに絶望しこうした現実からの逃避を〈酒〉に求めたからであ

る一方かず子にとって〈酒〉は直治や小説家上原の「死ぬ気で飲んでいるんだ生

きているのが悲しくて仕様がない」というのとは異なる彼女は没落地主の悲惨な生

活に突き落とされながら 〈酒〉に飲まれることなく上原に接近し彼の子を宿し生ま

れる子のために前向きに生きようとする

軍国主義の色合いが濃くなっていく日本の 年代前半を主な背景とする『人間失格』1930

において主人公「大庭葉蔵」が飲む〈酒 (安酒の痛飲)は女性との同棲や別れ結婚〉

と妻のあやまちなどによってアル中デカダンな生活催眠薬自殺麻薬中毒へとエ

スカレートする彼は子供の頃から周りの人々との間で陽気な道化の役を演じてきたし

かし彼は仮面のしたに本当の気持ち悲しみ侘びしさを隠しもっていた彼は自分

の苦しみを世間の人々や親のせいにすることは一切しなかった彼は恥を知っており

「 」 ( )罪作りな自分を罰しようとした 神様みたいないい子 の書き残したノート 三つの手記

は人が生きることの真剣さ切なさを十分に伝えている

江國の作品特に『きらきらひかる』における〈酒〉はおよそ 種類 品目以上に5 10

及び登場回数も多いさらにミネラルウォーターなどのノンアルコール 種類を加える4

1980と飲物のデパートと言ってよいほどである多様で多彩な〈酒〉が意味するのは

( )年代後半から現代へと続く 豊かな 物に恵まれた 消費を謳歌するような 都会 東京

のマンション生活であり一方〈酒〉に依ってバランスをとらなければならない傷つき

やすく孤独な個人である

最後に時代や作品作風が違っても二人の作家から私たちが受け取るメッセージは

同じである人はみな孤独であり傷つきやすい生きることは悲しいことではあるが

人はそれに耐えていかなければならない生きることは自分のためだけではなく自分以

外の誰かのためでもある人は誰かに見守られて生きているからである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟県における部落差別

池田 裕太

〈研究目的問題設定〉

近年様々なかたちで人権問題に関して触れられる中で日本の歴史の中で長い間問題

とされてきた「部落問題」についてその関心が薄れているのではないだろうか特に

2002年にはこれまで被差別部落の生活環境や部落民の就労などを援助してきた特別法

が廃止され国としての対策は終了したこの理由としてはこれまでの対策によってあ

る程度の改善は達成できたという国の判断があるしかし実際の部落の状況は現在どの

ようになっているのか部落問題はなくなったのであろうかまたそもそも部落問題と

はどのような問題であるのかどのような歴史的背景をもって生まれてきたのかそして

現在部落問題をどう捉えるべきなのか

これらの問いについて考えるために新潟県の部落問題の実態を調査し部落問題の現

在の状況と今後の動向について考察した

〈構成〉

まず部落問題の相対的な理解のために部落問題の歴史や政府により行われた実態調査

をもとに全国の現在の状況を把握したこの中で部落問題の地域差が指摘されたため

新潟県における考察においてもその歴史や生活状況など新潟県部落における実態の調査

を行ったまた行政の対応や市民団体の活動など現在の新潟県における部落問題に関

する事項についてとりあげ今後の動向について考える材料とした

〈結論反省〉

当初社会全体の問題としての部落問題と捉えその実態の把握として新潟県部落をと

りあげる予定であったが考察を行う中で部落問題の地域性の存在に気づき新潟県にお

ける部落問題の調査へと方針を転換することとなったそのため結論では新潟県部落に関

する現在の状況について言及することとなった結論としては新潟県内の部落では部落

としての規模が小さいことや少数散在という特性上部落問題としての意識が低くこ

れによって行政による対策などで支障が出ている また 生活環境や差別問題の発生など

現在も部落問題はなくなってはいないということが確認された新潟県においては今後も

部落問題について考えていく必要があるということが今回の研究によりわかったことで

ある

今回の研究の反省点としては多くあるがその1つとして現地調査をほとんど行わなか

ったことがあげられる新潟県部落の現在の実態を具体的に知るためにも現地調査を行

う必要があった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

年度卒業生2004

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

18長岡 春美 牛腸茂雄のまなざし

19橋本 佳子 新潟における日本語学習者の質的研究

20平岡 喜久恵 死神像の東西

21武士俣 かすみ ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い ―恐怖との共存―

22堀川 慶子 高度情報化時代の地域コミュニケーション

23増田 百恵 日本における「個性」の変遷

24宮澤 麻子 夏目漱石における手紙というメディア

25清水 菜々弥 『三国志演義』と元禄日本

倪 鳳翔( ) 上海都市論 ―中国「新新人類作家」たちの作品Ni Fengxiang

26における「現代都市」上海の変容―

27林 真弓 グリム童話の女性

黄 仁祚( ) 日本における「韓流」現象の分析 ―ドラマ『冬のソナタ』Hwang Injo

28を中心に―

29山崎 智子 『赤い鳥』とその時代

30唐澤 千恵 野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

31鈴木 奏子 太宰治論 ―太宰治の書簡と作品の関係について―

32中村 さやか 那須正幹作品と子どもたち

33五十嵐 玲子 宝塚歌劇団の誕生と変容 ―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―

34茂出木 将之 阿部和重論

35小川 庫右 記号化する都市

Ebonics 36小柳 真美子 ldquo その起源と現状 rdquo

37舘田 大輔 交通の発達から見た富山県

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―成長物語としての『ドラえもん』―藤子不二雄研究

鈴木 祈

この論文は 『ドラえもん』の魅力は身近さにあるという観点から『ドラえもん』がのび

太の成長物語であると結論付けた

まずのび太とドラえもんの関係について二人が親友同士であると同時にドラえもん

はのび太を同じ目線で受け入れた上で叱咤激励し 成長 自立させる存在であると考えた

ここに二人の主従関係は成立していないこのドラえもんの教育とのび太の努力によって

のび太は自身最大の夢である「しずかとの結婚」を実現させるのである (第一話で示され

るのび太の将来はジャイ子と結婚するという悲惨なものであった )一方そののび太の将

来及びのび太としずかの恋愛について描かれる作品にドラえもんは一切登場しない

これはのび太がドラえもんと共に少しずつ努力しながら成長し自立したことを裏付ける

と考えられるドラえもんの出す道具はそのほとんどがのび太の欲求を具現化させるもの

である何もできないダメ少年のび太は彼の欲求をドラえもんと彼の出す道具によって満

たそうとするしかし大人になり成長したのび太は自分の欲求を道具という外的手段に

頼るのではなく自分の中で解決できるようになったと考えられるつまり彼は自立し

そんなのび太にドラえもんはもう必要なくなったためにドラえもんは登場しないのである

ここからも『ドラえもん』がのび太の成長物語であることが指摘できる

しかし 『ドラえもん』を個々の作品ごとに見ていった場合のび太の夢(日常の希望)

はほとんど叶えられないこの「のび太の夢が叶わない」という要素は『ドラえもん』に

おける「基本パターン」として定着するしかしのび太の夢が叶わなくても読者はがっ

かりしないそれはもし『ドラえもん』がのび太の願いを全て叶えるというストーリーで

あったならば読者にとってのび太は非常に遠い存在となってしまうからである読者は

のび太のダメさ加減やそれでも成長しようとする姿にどこか一つでも共感しのび太に自

己投影をするここから『ドラえもん』に対する読者の「身近さ」が発生するのである

最後に藤子 不二雄は「努力をすれば夢は叶うそしてどんな子供にも明るい未来F

がある」というメッセージを投げかけるのび太としずかの結婚はその証明であるつま

り作者はのび太の成長を願うと共に読者の成長をも願っているのである そして作者は ド 『

ラえもん』という夢の世界を描きながら読者に対しドラえもんは実在しないのだから自

立しなければならないつまり子供から大人へ成長しなければならないと示すドラえも

んはそんな作者のメッセージを代弁する存在ともいえる

『ドラえもん』はその知名度からも他の作品を圧倒し老若男女を問わず幅広い世代に

受け入れられているしたがってその魅力も十人十色であろうしかし 『ドラえもん』に

おける「身近さ」という要素は意識的もしくは無意識的に読者が感じている魅力である

と思われるそしてそれが『ドラえもん』が今までもそしてこれからも読み継がれてい

くであろう要因であると考えられるのである

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

ルイヴィトンと日本人女性の関係

山口 聖美

この論文では「ルイヴィトン」と日本人女性の関係つまり 「ルイヴィトン」の商

品が日本人女性に受け入れられた理由について歴史的背景デザイン女性たちが持つそ

れぞれの価値観や基準をもとに考察した

まずは「ルイヴィトン」の創業から日本に上陸するまでの歴史に着目し 「ルイヴィ

トン」の伝統がフランスから日本に根付いていく過程を調べたそこからは創業者ルイ

ヴィトンのあまり裕福でも幸せでもない幼少期があったからこそ「ルイヴィトン」とい

うブランドが誕生したこと贋作が皮肉にも「ルイヴィトン」のデザインや品質の向上

に貢献していたことが読み取れるそしてルイジョルジュガストンと3世代にわた

るヴィトン家の人々が時代を先取る力をもち王や貴族たちの流行をいち早く察知して商

品を作り出したことも分かったこの点は新しいものをいち早くキャッチし最先端の

「 」スタイルを生み出す現代の若い女性たちの感性に似ており 彼女たちが ルイヴィトン

を積極的に受け入れようとする姿にも納得がいくここに 「ルイヴィトン」を日本中に

広めた現 (ルイヴィトンジャパン)グループ社長の秦氏の活躍が加わりそれまLVJ

での歴史と複雑に絡み合うことによって今日の「ルイヴィトン」の人気を支える土台が

できたと言える

次に多種多様なデザインに注目し人気を呼ぶ理由を考察した 「モノグラム」と「ダ

ミエ」という「ルイヴィトン」の商品の中で最も親しまれているデザインが実は家紋

や市松模様といった日本古来の文化と関係しておりこれらがフランスを経由して新しい

形となって再び日本に流行を巻き起こした目立ちたい一方で目立ちたくないという矛盾

した感情つまり日本人独特の美意識や価値観にこれら2つのデザインが見事に応えてく

れた結果であると言える

しかし現代の日本人女性の中にここまで述べてきたような伝統や歴史といった事実を

知っている人はほとんどいないと言っても過言ではないではなぜ彼女たちは「ルイヴ

ィトン」の商品を購入するのだろうかそこで彼女たちがもつ価値観や基準をもとにな

ぜ「ルイヴィトン」が選ばれるのかを考察した 代や 代の若い女性たちが「感情10 20

充足的価値 を基準に ルイヴィトン を選ぶのに対し 母親や祖母の年代になると 技」 「 」 「

術充足的価値」が基準となるこのように年齢とともに変化していく彼女たちの価値観や

基準に合わせ全ての年代をそして男性をも納得させる商品を提供してくれるブラン

ドであると言える

以上の考察から 「ルイヴィトン」と日本人女性の関係が見えてくる詳細な歴史やデ

ザインができるまでの経緯を知らないながらも彼女たちは「ルイヴィトン」を選ぶそ

れは彼女たちが日本人であるがゆえに伝統や昔ながらのものを愛する心とともにそ

「 」 れぞれの価値観をもち これらを満足させるものが ルイヴィトン であったと言える

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―太宰治と江國香織の比較と考察―〈酒〉をもとに文学作品を読み解く

相庭 暁美

作品に登場するさまざまな種類の〈酒〉とそのもつ意味物語に及ぼす効果や役割を考

察し作家による相違共通点時代背景できればそれぞれの作家の特徴や本質を明ら

かにしたいと考えた

取り上げたのは戦前から敗戦直後に活躍した太宰治の2作品『斜陽 『人間失格 現』 』

代作家江國香織の2作品『神様のボート 『きらきらひかる』である』

『斜陽』において物語の語り手で女主人公である「かず子」と弟の「直治」が口に

する〈酒〉は安い日本酒と焼酎である 〈酒〉が頻繁に登場し重要な役割を果たしている

のは一つに物語の背景が日本の戦後すぐであるから二つに学徒動員で南方に出征

し戦場の修羅をくぐり抜けたが一時は阿片中毒にもなって帰国した直治が社会の激

変人々の安易な心変わりに絶望しこうした現実からの逃避を〈酒〉に求めたからであ

る一方かず子にとって〈酒〉は直治や小説家上原の「死ぬ気で飲んでいるんだ生

きているのが悲しくて仕様がない」というのとは異なる彼女は没落地主の悲惨な生

活に突き落とされながら 〈酒〉に飲まれることなく上原に接近し彼の子を宿し生ま

れる子のために前向きに生きようとする

軍国主義の色合いが濃くなっていく日本の 年代前半を主な背景とする『人間失格』1930

において主人公「大庭葉蔵」が飲む〈酒 (安酒の痛飲)は女性との同棲や別れ結婚〉

と妻のあやまちなどによってアル中デカダンな生活催眠薬自殺麻薬中毒へとエ

スカレートする彼は子供の頃から周りの人々との間で陽気な道化の役を演じてきたし

かし彼は仮面のしたに本当の気持ち悲しみ侘びしさを隠しもっていた彼は自分

の苦しみを世間の人々や親のせいにすることは一切しなかった彼は恥を知っており

「 」 ( )罪作りな自分を罰しようとした 神様みたいないい子 の書き残したノート 三つの手記

は人が生きることの真剣さ切なさを十分に伝えている

江國の作品特に『きらきらひかる』における〈酒〉はおよそ 種類 品目以上に5 10

及び登場回数も多いさらにミネラルウォーターなどのノンアルコール 種類を加える4

1980と飲物のデパートと言ってよいほどである多様で多彩な〈酒〉が意味するのは

( )年代後半から現代へと続く 豊かな 物に恵まれた 消費を謳歌するような 都会 東京

のマンション生活であり一方〈酒〉に依ってバランスをとらなければならない傷つき

やすく孤独な個人である

最後に時代や作品作風が違っても二人の作家から私たちが受け取るメッセージは

同じである人はみな孤独であり傷つきやすい生きることは悲しいことではあるが

人はそれに耐えていかなければならない生きることは自分のためだけではなく自分以

外の誰かのためでもある人は誰かに見守られて生きているからである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟県における部落差別

池田 裕太

〈研究目的問題設定〉

近年様々なかたちで人権問題に関して触れられる中で日本の歴史の中で長い間問題

とされてきた「部落問題」についてその関心が薄れているのではないだろうか特に

2002年にはこれまで被差別部落の生活環境や部落民の就労などを援助してきた特別法

が廃止され国としての対策は終了したこの理由としてはこれまでの対策によってあ

る程度の改善は達成できたという国の判断があるしかし実際の部落の状況は現在どの

ようになっているのか部落問題はなくなったのであろうかまたそもそも部落問題と

はどのような問題であるのかどのような歴史的背景をもって生まれてきたのかそして

現在部落問題をどう捉えるべきなのか

これらの問いについて考えるために新潟県の部落問題の実態を調査し部落問題の現

在の状況と今後の動向について考察した

〈構成〉

まず部落問題の相対的な理解のために部落問題の歴史や政府により行われた実態調査

をもとに全国の現在の状況を把握したこの中で部落問題の地域差が指摘されたため

新潟県における考察においてもその歴史や生活状況など新潟県部落における実態の調査

を行ったまた行政の対応や市民団体の活動など現在の新潟県における部落問題に関

する事項についてとりあげ今後の動向について考える材料とした

〈結論反省〉

当初社会全体の問題としての部落問題と捉えその実態の把握として新潟県部落をと

りあげる予定であったが考察を行う中で部落問題の地域性の存在に気づき新潟県にお

ける部落問題の調査へと方針を転換することとなったそのため結論では新潟県部落に関

する現在の状況について言及することとなった結論としては新潟県内の部落では部落

としての規模が小さいことや少数散在という特性上部落問題としての意識が低くこ

れによって行政による対策などで支障が出ている また 生活環境や差別問題の発生など

現在も部落問題はなくなってはいないということが確認された新潟県においては今後も

部落問題について考えていく必要があるということが今回の研究によりわかったことで

ある

今回の研究の反省点としては多くあるがその1つとして現地調査をほとんど行わなか

ったことがあげられる新潟県部落の現在の実態を具体的に知るためにも現地調査を行

う必要があった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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―成長物語としての『ドラえもん』―藤子不二雄研究

鈴木 祈

この論文は 『ドラえもん』の魅力は身近さにあるという観点から『ドラえもん』がのび

太の成長物語であると結論付けた

まずのび太とドラえもんの関係について二人が親友同士であると同時にドラえもん

はのび太を同じ目線で受け入れた上で叱咤激励し 成長 自立させる存在であると考えた

ここに二人の主従関係は成立していないこのドラえもんの教育とのび太の努力によって

のび太は自身最大の夢である「しずかとの結婚」を実現させるのである (第一話で示され

るのび太の将来はジャイ子と結婚するという悲惨なものであった )一方そののび太の将

来及びのび太としずかの恋愛について描かれる作品にドラえもんは一切登場しない

これはのび太がドラえもんと共に少しずつ努力しながら成長し自立したことを裏付ける

と考えられるドラえもんの出す道具はそのほとんどがのび太の欲求を具現化させるもの

である何もできないダメ少年のび太は彼の欲求をドラえもんと彼の出す道具によって満

たそうとするしかし大人になり成長したのび太は自分の欲求を道具という外的手段に

頼るのではなく自分の中で解決できるようになったと考えられるつまり彼は自立し

そんなのび太にドラえもんはもう必要なくなったためにドラえもんは登場しないのである

ここからも『ドラえもん』がのび太の成長物語であることが指摘できる

しかし 『ドラえもん』を個々の作品ごとに見ていった場合のび太の夢(日常の希望)

はほとんど叶えられないこの「のび太の夢が叶わない」という要素は『ドラえもん』に

おける「基本パターン」として定着するしかしのび太の夢が叶わなくても読者はがっ

かりしないそれはもし『ドラえもん』がのび太の願いを全て叶えるというストーリーで

あったならば読者にとってのび太は非常に遠い存在となってしまうからである読者は

のび太のダメさ加減やそれでも成長しようとする姿にどこか一つでも共感しのび太に自

己投影をするここから『ドラえもん』に対する読者の「身近さ」が発生するのである

最後に藤子 不二雄は「努力をすれば夢は叶うそしてどんな子供にも明るい未来F

がある」というメッセージを投げかけるのび太としずかの結婚はその証明であるつま

り作者はのび太の成長を願うと共に読者の成長をも願っているのである そして作者は ド 『

ラえもん』という夢の世界を描きながら読者に対しドラえもんは実在しないのだから自

立しなければならないつまり子供から大人へ成長しなければならないと示すドラえも

んはそんな作者のメッセージを代弁する存在ともいえる

『ドラえもん』はその知名度からも他の作品を圧倒し老若男女を問わず幅広い世代に

受け入れられているしたがってその魅力も十人十色であろうしかし 『ドラえもん』に

おける「身近さ」という要素は意識的もしくは無意識的に読者が感じている魅力である

と思われるそしてそれが『ドラえもん』が今までもそしてこれからも読み継がれてい

くであろう要因であると考えられるのである

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ルイヴィトンと日本人女性の関係

山口 聖美

この論文では「ルイヴィトン」と日本人女性の関係つまり 「ルイヴィトン」の商

品が日本人女性に受け入れられた理由について歴史的背景デザイン女性たちが持つそ

れぞれの価値観や基準をもとに考察した

まずは「ルイヴィトン」の創業から日本に上陸するまでの歴史に着目し 「ルイヴィ

トン」の伝統がフランスから日本に根付いていく過程を調べたそこからは創業者ルイ

ヴィトンのあまり裕福でも幸せでもない幼少期があったからこそ「ルイヴィトン」とい

うブランドが誕生したこと贋作が皮肉にも「ルイヴィトン」のデザインや品質の向上

に貢献していたことが読み取れるそしてルイジョルジュガストンと3世代にわた

るヴィトン家の人々が時代を先取る力をもち王や貴族たちの流行をいち早く察知して商

品を作り出したことも分かったこの点は新しいものをいち早くキャッチし最先端の

「 」スタイルを生み出す現代の若い女性たちの感性に似ており 彼女たちが ルイヴィトン

を積極的に受け入れようとする姿にも納得がいくここに 「ルイヴィトン」を日本中に

広めた現 (ルイヴィトンジャパン)グループ社長の秦氏の活躍が加わりそれまLVJ

での歴史と複雑に絡み合うことによって今日の「ルイヴィトン」の人気を支える土台が

できたと言える

次に多種多様なデザインに注目し人気を呼ぶ理由を考察した 「モノグラム」と「ダ

ミエ」という「ルイヴィトン」の商品の中で最も親しまれているデザインが実は家紋

や市松模様といった日本古来の文化と関係しておりこれらがフランスを経由して新しい

形となって再び日本に流行を巻き起こした目立ちたい一方で目立ちたくないという矛盾

した感情つまり日本人独特の美意識や価値観にこれら2つのデザインが見事に応えてく

れた結果であると言える

しかし現代の日本人女性の中にここまで述べてきたような伝統や歴史といった事実を

知っている人はほとんどいないと言っても過言ではないではなぜ彼女たちは「ルイヴ

ィトン」の商品を購入するのだろうかそこで彼女たちがもつ価値観や基準をもとにな

ぜ「ルイヴィトン」が選ばれるのかを考察した 代や 代の若い女性たちが「感情10 20

充足的価値 を基準に ルイヴィトン を選ぶのに対し 母親や祖母の年代になると 技」 「 」 「

術充足的価値」が基準となるこのように年齢とともに変化していく彼女たちの価値観や

基準に合わせ全ての年代をそして男性をも納得させる商品を提供してくれるブラン

ドであると言える

以上の考察から 「ルイヴィトン」と日本人女性の関係が見えてくる詳細な歴史やデ

ザインができるまでの経緯を知らないながらも彼女たちは「ルイヴィトン」を選ぶそ

れは彼女たちが日本人であるがゆえに伝統や昔ながらのものを愛する心とともにそ

「 」 れぞれの価値観をもち これらを満足させるものが ルイヴィトン であったと言える

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―太宰治と江國香織の比較と考察―〈酒〉をもとに文学作品を読み解く

相庭 暁美

作品に登場するさまざまな種類の〈酒〉とそのもつ意味物語に及ぼす効果や役割を考

察し作家による相違共通点時代背景できればそれぞれの作家の特徴や本質を明ら

かにしたいと考えた

取り上げたのは戦前から敗戦直後に活躍した太宰治の2作品『斜陽 『人間失格 現』 』

代作家江國香織の2作品『神様のボート 『きらきらひかる』である』

『斜陽』において物語の語り手で女主人公である「かず子」と弟の「直治」が口に

する〈酒〉は安い日本酒と焼酎である 〈酒〉が頻繁に登場し重要な役割を果たしている

のは一つに物語の背景が日本の戦後すぐであるから二つに学徒動員で南方に出征

し戦場の修羅をくぐり抜けたが一時は阿片中毒にもなって帰国した直治が社会の激

変人々の安易な心変わりに絶望しこうした現実からの逃避を〈酒〉に求めたからであ

る一方かず子にとって〈酒〉は直治や小説家上原の「死ぬ気で飲んでいるんだ生

きているのが悲しくて仕様がない」というのとは異なる彼女は没落地主の悲惨な生

活に突き落とされながら 〈酒〉に飲まれることなく上原に接近し彼の子を宿し生ま

れる子のために前向きに生きようとする

軍国主義の色合いが濃くなっていく日本の 年代前半を主な背景とする『人間失格』1930

において主人公「大庭葉蔵」が飲む〈酒 (安酒の痛飲)は女性との同棲や別れ結婚〉

と妻のあやまちなどによってアル中デカダンな生活催眠薬自殺麻薬中毒へとエ

スカレートする彼は子供の頃から周りの人々との間で陽気な道化の役を演じてきたし

かし彼は仮面のしたに本当の気持ち悲しみ侘びしさを隠しもっていた彼は自分

の苦しみを世間の人々や親のせいにすることは一切しなかった彼は恥を知っており

「 」 ( )罪作りな自分を罰しようとした 神様みたいないい子 の書き残したノート 三つの手記

は人が生きることの真剣さ切なさを十分に伝えている

江國の作品特に『きらきらひかる』における〈酒〉はおよそ 種類 品目以上に5 10

及び登場回数も多いさらにミネラルウォーターなどのノンアルコール 種類を加える4

1980と飲物のデパートと言ってよいほどである多様で多彩な〈酒〉が意味するのは

( )年代後半から現代へと続く 豊かな 物に恵まれた 消費を謳歌するような 都会 東京

のマンション生活であり一方〈酒〉に依ってバランスをとらなければならない傷つき

やすく孤独な個人である

最後に時代や作品作風が違っても二人の作家から私たちが受け取るメッセージは

同じである人はみな孤独であり傷つきやすい生きることは悲しいことではあるが

人はそれに耐えていかなければならない生きることは自分のためだけではなく自分以

外の誰かのためでもある人は誰かに見守られて生きているからである

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新潟県における部落差別

池田 裕太

〈研究目的問題設定〉

近年様々なかたちで人権問題に関して触れられる中で日本の歴史の中で長い間問題

とされてきた「部落問題」についてその関心が薄れているのではないだろうか特に

2002年にはこれまで被差別部落の生活環境や部落民の就労などを援助してきた特別法

が廃止され国としての対策は終了したこの理由としてはこれまでの対策によってあ

る程度の改善は達成できたという国の判断があるしかし実際の部落の状況は現在どの

ようになっているのか部落問題はなくなったのであろうかまたそもそも部落問題と

はどのような問題であるのかどのような歴史的背景をもって生まれてきたのかそして

現在部落問題をどう捉えるべきなのか

これらの問いについて考えるために新潟県の部落問題の実態を調査し部落問題の現

在の状況と今後の動向について考察した

〈構成〉

まず部落問題の相対的な理解のために部落問題の歴史や政府により行われた実態調査

をもとに全国の現在の状況を把握したこの中で部落問題の地域差が指摘されたため

新潟県における考察においてもその歴史や生活状況など新潟県部落における実態の調査

を行ったまた行政の対応や市民団体の活動など現在の新潟県における部落問題に関

する事項についてとりあげ今後の動向について考える材料とした

〈結論反省〉

当初社会全体の問題としての部落問題と捉えその実態の把握として新潟県部落をと

りあげる予定であったが考察を行う中で部落問題の地域性の存在に気づき新潟県にお

ける部落問題の調査へと方針を転換することとなったそのため結論では新潟県部落に関

する現在の状況について言及することとなった結論としては新潟県内の部落では部落

としての規模が小さいことや少数散在という特性上部落問題としての意識が低くこ

れによって行政による対策などで支障が出ている また 生活環境や差別問題の発生など

現在も部落問題はなくなってはいないということが確認された新潟県においては今後も

部落問題について考えていく必要があるということが今回の研究によりわかったことで

ある

今回の研究の反省点としては多くあるがその1つとして現地調査をほとんど行わなか

ったことがあげられる新潟県部落の現在の実態を具体的に知るためにも現地調査を行

う必要があった

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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ルイヴィトンと日本人女性の関係

山口 聖美

この論文では「ルイヴィトン」と日本人女性の関係つまり 「ルイヴィトン」の商

品が日本人女性に受け入れられた理由について歴史的背景デザイン女性たちが持つそ

れぞれの価値観や基準をもとに考察した

まずは「ルイヴィトン」の創業から日本に上陸するまでの歴史に着目し 「ルイヴィ

トン」の伝統がフランスから日本に根付いていく過程を調べたそこからは創業者ルイ

ヴィトンのあまり裕福でも幸せでもない幼少期があったからこそ「ルイヴィトン」とい

うブランドが誕生したこと贋作が皮肉にも「ルイヴィトン」のデザインや品質の向上

に貢献していたことが読み取れるそしてルイジョルジュガストンと3世代にわた

るヴィトン家の人々が時代を先取る力をもち王や貴族たちの流行をいち早く察知して商

品を作り出したことも分かったこの点は新しいものをいち早くキャッチし最先端の

「 」スタイルを生み出す現代の若い女性たちの感性に似ており 彼女たちが ルイヴィトン

を積極的に受け入れようとする姿にも納得がいくここに 「ルイヴィトン」を日本中に

広めた現 (ルイヴィトンジャパン)グループ社長の秦氏の活躍が加わりそれまLVJ

での歴史と複雑に絡み合うことによって今日の「ルイヴィトン」の人気を支える土台が

できたと言える

次に多種多様なデザインに注目し人気を呼ぶ理由を考察した 「モノグラム」と「ダ

ミエ」という「ルイヴィトン」の商品の中で最も親しまれているデザインが実は家紋

や市松模様といった日本古来の文化と関係しておりこれらがフランスを経由して新しい

形となって再び日本に流行を巻き起こした目立ちたい一方で目立ちたくないという矛盾

した感情つまり日本人独特の美意識や価値観にこれら2つのデザインが見事に応えてく

れた結果であると言える

しかし現代の日本人女性の中にここまで述べてきたような伝統や歴史といった事実を

知っている人はほとんどいないと言っても過言ではないではなぜ彼女たちは「ルイヴ

ィトン」の商品を購入するのだろうかそこで彼女たちがもつ価値観や基準をもとにな

ぜ「ルイヴィトン」が選ばれるのかを考察した 代や 代の若い女性たちが「感情10 20

充足的価値 を基準に ルイヴィトン を選ぶのに対し 母親や祖母の年代になると 技」 「 」 「

術充足的価値」が基準となるこのように年齢とともに変化していく彼女たちの価値観や

基準に合わせ全ての年代をそして男性をも納得させる商品を提供してくれるブラン

ドであると言える

以上の考察から 「ルイヴィトン」と日本人女性の関係が見えてくる詳細な歴史やデ

ザインができるまでの経緯を知らないながらも彼女たちは「ルイヴィトン」を選ぶそ

れは彼女たちが日本人であるがゆえに伝統や昔ながらのものを愛する心とともにそ

「 」 れぞれの価値観をもち これらを満足させるものが ルイヴィトン であったと言える

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―太宰治と江國香織の比較と考察―〈酒〉をもとに文学作品を読み解く

相庭 暁美

作品に登場するさまざまな種類の〈酒〉とそのもつ意味物語に及ぼす効果や役割を考

察し作家による相違共通点時代背景できればそれぞれの作家の特徴や本質を明ら

かにしたいと考えた

取り上げたのは戦前から敗戦直後に活躍した太宰治の2作品『斜陽 『人間失格 現』 』

代作家江國香織の2作品『神様のボート 『きらきらひかる』である』

『斜陽』において物語の語り手で女主人公である「かず子」と弟の「直治」が口に

する〈酒〉は安い日本酒と焼酎である 〈酒〉が頻繁に登場し重要な役割を果たしている

のは一つに物語の背景が日本の戦後すぐであるから二つに学徒動員で南方に出征

し戦場の修羅をくぐり抜けたが一時は阿片中毒にもなって帰国した直治が社会の激

変人々の安易な心変わりに絶望しこうした現実からの逃避を〈酒〉に求めたからであ

る一方かず子にとって〈酒〉は直治や小説家上原の「死ぬ気で飲んでいるんだ生

きているのが悲しくて仕様がない」というのとは異なる彼女は没落地主の悲惨な生

活に突き落とされながら 〈酒〉に飲まれることなく上原に接近し彼の子を宿し生ま

れる子のために前向きに生きようとする

軍国主義の色合いが濃くなっていく日本の 年代前半を主な背景とする『人間失格』1930

において主人公「大庭葉蔵」が飲む〈酒 (安酒の痛飲)は女性との同棲や別れ結婚〉

と妻のあやまちなどによってアル中デカダンな生活催眠薬自殺麻薬中毒へとエ

スカレートする彼は子供の頃から周りの人々との間で陽気な道化の役を演じてきたし

かし彼は仮面のしたに本当の気持ち悲しみ侘びしさを隠しもっていた彼は自分

の苦しみを世間の人々や親のせいにすることは一切しなかった彼は恥を知っており

「 」 ( )罪作りな自分を罰しようとした 神様みたいないい子 の書き残したノート 三つの手記

は人が生きることの真剣さ切なさを十分に伝えている

江國の作品特に『きらきらひかる』における〈酒〉はおよそ 種類 品目以上に5 10

及び登場回数も多いさらにミネラルウォーターなどのノンアルコール 種類を加える4

1980と飲物のデパートと言ってよいほどである多様で多彩な〈酒〉が意味するのは

( )年代後半から現代へと続く 豊かな 物に恵まれた 消費を謳歌するような 都会 東京

のマンション生活であり一方〈酒〉に依ってバランスをとらなければならない傷つき

やすく孤独な個人である

最後に時代や作品作風が違っても二人の作家から私たちが受け取るメッセージは

同じである人はみな孤独であり傷つきやすい生きることは悲しいことではあるが

人はそれに耐えていかなければならない生きることは自分のためだけではなく自分以

外の誰かのためでもある人は誰かに見守られて生きているからである

年度卒業生2004

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新潟県における部落差別

池田 裕太

〈研究目的問題設定〉

近年様々なかたちで人権問題に関して触れられる中で日本の歴史の中で長い間問題

とされてきた「部落問題」についてその関心が薄れているのではないだろうか特に

2002年にはこれまで被差別部落の生活環境や部落民の就労などを援助してきた特別法

が廃止され国としての対策は終了したこの理由としてはこれまでの対策によってあ

る程度の改善は達成できたという国の判断があるしかし実際の部落の状況は現在どの

ようになっているのか部落問題はなくなったのであろうかまたそもそも部落問題と

はどのような問題であるのかどのような歴史的背景をもって生まれてきたのかそして

現在部落問題をどう捉えるべきなのか

これらの問いについて考えるために新潟県の部落問題の実態を調査し部落問題の現

在の状況と今後の動向について考察した

〈構成〉

まず部落問題の相対的な理解のために部落問題の歴史や政府により行われた実態調査

をもとに全国の現在の状況を把握したこの中で部落問題の地域差が指摘されたため

新潟県における考察においてもその歴史や生活状況など新潟県部落における実態の調査

を行ったまた行政の対応や市民団体の活動など現在の新潟県における部落問題に関

する事項についてとりあげ今後の動向について考える材料とした

〈結論反省〉

当初社会全体の問題としての部落問題と捉えその実態の把握として新潟県部落をと

りあげる予定であったが考察を行う中で部落問題の地域性の存在に気づき新潟県にお

ける部落問題の調査へと方針を転換することとなったそのため結論では新潟県部落に関

する現在の状況について言及することとなった結論としては新潟県内の部落では部落

としての規模が小さいことや少数散在という特性上部落問題としての意識が低くこ

れによって行政による対策などで支障が出ている また 生活環境や差別問題の発生など

現在も部落問題はなくなってはいないということが確認された新潟県においては今後も

部落問題について考えていく必要があるということが今回の研究によりわかったことで

ある

今回の研究の反省点としては多くあるがその1つとして現地調査をほとんど行わなか

ったことがあげられる新潟県部落の現在の実態を具体的に知るためにも現地調査を行

う必要があった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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―太宰治と江國香織の比較と考察―〈酒〉をもとに文学作品を読み解く

相庭 暁美

作品に登場するさまざまな種類の〈酒〉とそのもつ意味物語に及ぼす効果や役割を考

察し作家による相違共通点時代背景できればそれぞれの作家の特徴や本質を明ら

かにしたいと考えた

取り上げたのは戦前から敗戦直後に活躍した太宰治の2作品『斜陽 『人間失格 現』 』

代作家江國香織の2作品『神様のボート 『きらきらひかる』である』

『斜陽』において物語の語り手で女主人公である「かず子」と弟の「直治」が口に

する〈酒〉は安い日本酒と焼酎である 〈酒〉が頻繁に登場し重要な役割を果たしている

のは一つに物語の背景が日本の戦後すぐであるから二つに学徒動員で南方に出征

し戦場の修羅をくぐり抜けたが一時は阿片中毒にもなって帰国した直治が社会の激

変人々の安易な心変わりに絶望しこうした現実からの逃避を〈酒〉に求めたからであ

る一方かず子にとって〈酒〉は直治や小説家上原の「死ぬ気で飲んでいるんだ生

きているのが悲しくて仕様がない」というのとは異なる彼女は没落地主の悲惨な生

活に突き落とされながら 〈酒〉に飲まれることなく上原に接近し彼の子を宿し生ま

れる子のために前向きに生きようとする

軍国主義の色合いが濃くなっていく日本の 年代前半を主な背景とする『人間失格』1930

において主人公「大庭葉蔵」が飲む〈酒 (安酒の痛飲)は女性との同棲や別れ結婚〉

と妻のあやまちなどによってアル中デカダンな生活催眠薬自殺麻薬中毒へとエ

スカレートする彼は子供の頃から周りの人々との間で陽気な道化の役を演じてきたし

かし彼は仮面のしたに本当の気持ち悲しみ侘びしさを隠しもっていた彼は自分

の苦しみを世間の人々や親のせいにすることは一切しなかった彼は恥を知っており

「 」 ( )罪作りな自分を罰しようとした 神様みたいないい子 の書き残したノート 三つの手記

は人が生きることの真剣さ切なさを十分に伝えている

江國の作品特に『きらきらひかる』における〈酒〉はおよそ 種類 品目以上に5 10

及び登場回数も多いさらにミネラルウォーターなどのノンアルコール 種類を加える4

1980と飲物のデパートと言ってよいほどである多様で多彩な〈酒〉が意味するのは

( )年代後半から現代へと続く 豊かな 物に恵まれた 消費を謳歌するような 都会 東京

のマンション生活であり一方〈酒〉に依ってバランスをとらなければならない傷つき

やすく孤独な個人である

最後に時代や作品作風が違っても二人の作家から私たちが受け取るメッセージは

同じである人はみな孤独であり傷つきやすい生きることは悲しいことではあるが

人はそれに耐えていかなければならない生きることは自分のためだけではなく自分以

外の誰かのためでもある人は誰かに見守られて生きているからである

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新潟県における部落差別

池田 裕太

〈研究目的問題設定〉

近年様々なかたちで人権問題に関して触れられる中で日本の歴史の中で長い間問題

とされてきた「部落問題」についてその関心が薄れているのではないだろうか特に

2002年にはこれまで被差別部落の生活環境や部落民の就労などを援助してきた特別法

が廃止され国としての対策は終了したこの理由としてはこれまでの対策によってあ

る程度の改善は達成できたという国の判断があるしかし実際の部落の状況は現在どの

ようになっているのか部落問題はなくなったのであろうかまたそもそも部落問題と

はどのような問題であるのかどのような歴史的背景をもって生まれてきたのかそして

現在部落問題をどう捉えるべきなのか

これらの問いについて考えるために新潟県の部落問題の実態を調査し部落問題の現

在の状況と今後の動向について考察した

〈構成〉

まず部落問題の相対的な理解のために部落問題の歴史や政府により行われた実態調査

をもとに全国の現在の状況を把握したこの中で部落問題の地域差が指摘されたため

新潟県における考察においてもその歴史や生活状況など新潟県部落における実態の調査

を行ったまた行政の対応や市民団体の活動など現在の新潟県における部落問題に関

する事項についてとりあげ今後の動向について考える材料とした

〈結論反省〉

当初社会全体の問題としての部落問題と捉えその実態の把握として新潟県部落をと

りあげる予定であったが考察を行う中で部落問題の地域性の存在に気づき新潟県にお

ける部落問題の調査へと方針を転換することとなったそのため結論では新潟県部落に関

する現在の状況について言及することとなった結論としては新潟県内の部落では部落

としての規模が小さいことや少数散在という特性上部落問題としての意識が低くこ

れによって行政による対策などで支障が出ている また 生活環境や差別問題の発生など

現在も部落問題はなくなってはいないということが確認された新潟県においては今後も

部落問題について考えていく必要があるということが今回の研究によりわかったことで

ある

今回の研究の反省点としては多くあるがその1つとして現地調査をほとんど行わなか

ったことがあげられる新潟県部落の現在の実態を具体的に知るためにも現地調査を行

う必要があった

年度卒業生2004

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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年度卒業生2004

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新潟県における部落差別

池田 裕太

〈研究目的問題設定〉

近年様々なかたちで人権問題に関して触れられる中で日本の歴史の中で長い間問題

とされてきた「部落問題」についてその関心が薄れているのではないだろうか特に

2002年にはこれまで被差別部落の生活環境や部落民の就労などを援助してきた特別法

が廃止され国としての対策は終了したこの理由としてはこれまでの対策によってあ

る程度の改善は達成できたという国の判断があるしかし実際の部落の状況は現在どの

ようになっているのか部落問題はなくなったのであろうかまたそもそも部落問題と

はどのような問題であるのかどのような歴史的背景をもって生まれてきたのかそして

現在部落問題をどう捉えるべきなのか

これらの問いについて考えるために新潟県の部落問題の実態を調査し部落問題の現

在の状況と今後の動向について考察した

〈構成〉

まず部落問題の相対的な理解のために部落問題の歴史や政府により行われた実態調査

をもとに全国の現在の状況を把握したこの中で部落問題の地域差が指摘されたため

新潟県における考察においてもその歴史や生活状況など新潟県部落における実態の調査

を行ったまた行政の対応や市民団体の活動など現在の新潟県における部落問題に関

する事項についてとりあげ今後の動向について考える材料とした

〈結論反省〉

当初社会全体の問題としての部落問題と捉えその実態の把握として新潟県部落をと

りあげる予定であったが考察を行う中で部落問題の地域性の存在に気づき新潟県にお

ける部落問題の調査へと方針を転換することとなったそのため結論では新潟県部落に関

する現在の状況について言及することとなった結論としては新潟県内の部落では部落

としての規模が小さいことや少数散在という特性上部落問題としての意識が低くこ

れによって行政による対策などで支障が出ている また 生活環境や差別問題の発生など

現在も部落問題はなくなってはいないということが確認された新潟県においては今後も

部落問題について考えていく必要があるということが今回の研究によりわかったことで

ある

今回の研究の反省点としては多くあるがその1つとして現地調査をほとんど行わなか

ったことがあげられる新潟県部落の現在の実態を具体的に知るためにも現地調査を行

う必要があった

年度卒業生2004

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

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年度卒業生2004

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ヨーゼフボイス論

石綿 知沙

ヨーゼフボイス(1921-1986年)は戦後ドイツ美術界のカリスマとして国際

的名声を博している芸術家であるボイス作品が呈示している「傷」の痕跡に強く引き付

けられた作品を目にしたときに感じざるを得ない不穏な痛みの感覚はどこから生じて

いるのか痛みの後に広がる微かな安らぎは何なのか

ボイスは多岐に渡る表現手段を用いてメディアを横断し 芸術という領域を政治や教育

経済エコロジーなど様々な方向に社会全体へ向かって開き現代美術作品に社会的発言

力と影響力を持たせただがその評価は今もなお賞賛と無理解の間を揺れ動いているボ

イス作品の解釈の視座は様々であるボイスの荒唐無稽さに対する批判作品中に潜むキ

リスト教的またはケルト神話的な要素を指摘するものボイス=シャーマンと位置付けシ

ャーマニズムとの関連性から解釈するものがボイス作品への代表的な見解だ

しかしそれらの解釈だけではボイスが意図した戦略の一つに乗じているに過ぎず社会

が抱えていた戦争のトラウマや分断的な状況時代のジレンマや狂気というような傷の様

相を捉えるにあたっては欠落している部分がある集団的な傷に対してのアプローチとと

「 もに 作品を支えているのは 私たちが生きるこの世界をどのように形成し現実化するか

それは進化する過程としての彫刻だすべての人が芸術家だ」とする「社会彫刻論」であ

るこの思想は経済こそが資本であるとする貨幣信奉や資本主義経済といった社会システ

ムの亀裂の克服と等閑にされた人間の創造性や内面性の復権に期待を寄せている

傷に関する様々な意味の多層性が作品から読み取れるボイス作品の基盤と考えられる

ドローイングは社会において力や優位性を持たない弱者を主なモチーフとし消え入り

そうな揺れ動く儚い線で夢の残像をもどかしげに描くように描かれている生々しく醜い

脂肪や野暮ったいフェルトを用いた彫刻は固定化されることに抗いながらも原初的な仄か

な熱を内包している癪に障るほど挑発的なアクションの中でも排除されたものの孤独

を体現した「コヨーテ」は犠牲になったものへのレクイエムのようだすべてのものへ用

意された安息の場のようなインスタレーション「パラッツォレガ-レ」には社会と芸

術の交流交感の場をたえず探り続けたボイスの最後の「夢」が表現されている

すべての作品の中には他者動物や植物など人間以外の他のあらゆる存在名もなきも

のあるいは存在さえも不可視のものなど傷を負ったすべてのものへの愛が一貫して込

められているのだ荒涼としながらも同時に優しさをたたえている矛盾を孕んだボイス

作品の無数の傷跡はわたしたちを挑発し続けると同時に傷口の下に流れる血脈の温もり

を改めて意識させてくれるそれは解決できない不条理ではなく生あってこそ存在する

有機的な暖かい矛盾だその「傷」と同時にすべての存在への愛と再生への希望が作品

を静かに包み込みすべてのものが生の総体であると肯定している

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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テレビドラマ『金八先生』における熱血教師像

大久保 圭佑

『 年 組金八先生 ( 系 年第 シリーズから 年現在放送中の第 シリ3 B TBS 1979 1 2005 7』

ーズまで)において武田鉄矢扮する国語教師坂本金八が生徒達それぞれの問題に対面

し解決していく教師の姿はしばしば「熱血」と称され人々の中に定着しているし

かし坂本金八という人物が実際に物語中においてどのような意義を持つのかについて

は特に言及されず金八の教師像とはその独自のキャラクター性や人生を諭すような言

動だけに注目したイメージとして語られている部分が強いといえる本論文はこのよ

うな漠然とした捉え方ではなく物語構造や登場人物同士の係わり合いを踏まえた具体

的な教師の実像として坂本金八を捉えるという問題意識が前提となっている

B 1979第一章では プロップの物語論を足がかりに 3年 組金八先生 の第1シリーズ 『 』 (

『 』) ~ 年 以下 金八先生1 の一話毎の基本的な物語構造を明らかにした ここでは1980

問題を起こす生徒たちはまず学校を欠席するまたはどこかへ失踪するという行為が先

立ち金八はその生徒を探索する行為の過程の中で生徒たちの家庭環境心情ひいて

は問題の大元の要因を理解するそして最後に実際に学校へと連れ戻す行為において

問題の解決がなされるこの分析によって 『金八先生1』では生徒たちの抱える問題の大

元には受験戦争があることそして金八という教師は受験に囚われた社会の枠組みから逸

脱しようとする生徒を元へ戻すという役割を担っていることが分かる

また第二章では 『金八先生』第6シリーズ( ~ 年以下『金八先生6 )を 』2001 2002

『金八先生1』と比較した一話毎に問題を解決していく『金八先生1』とは異なり 『金

』 八先生6 は複数の生徒たちが 自らの家庭環境や心的問題を隠した状態で物語が展開し

徐々に一人一人の抱える個別の問題が明らかになっていく問題を抱える生徒はクラス

の不仲を引き起こすが金八は個々の隠された事実を認識し他の生徒に力になるように

働きかけるまた他の人物の助力を介することでそれらの生徒をクラスの団結へと導い

ているこの意味で 『金八先生6』における金八という教師は複雑化した問題を抱え孤

立した生徒を人物同士を結びつけることによってクラスと一体化させるという性質を

持っているといえる

このように坂本金八という教師を物語構造という観点から見るとき生徒たちとの関

わり方問題の解決の仕方も異なっており 「熱血教師」というキャラクターとしての一義

的なイメージだけで語ることは出来ない問題の解決へと導く行為者としての教師の姿が

明らかになったといえる

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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―青い眼に映った奥地―イザベラバードの見た明治日本

狩野 寛美

英国生まれのイザベラバードは 歳から始めた旅行に半生をかけたマレー諸島やチ42

ベット韓国などを旅した (明治 )年には日本を訪れ 『日本奥地紀行』という1878 11

旅行記を書いたその題名のとおりバードは日本の「奥地」と呼べるような人に知られ

ていない土地を旅し見たものを詳細にわたり描写したしかしそれだけではなく旅

行記中には当時の政府に対するバードの考えが含まれているように思われたそこで本論

文では『日本奥地紀行』から政府に対する考えがどのようなものであるかを読み取り明

らかにしようと試みた

『日本奥地紀行』では農民に関する記述が多くバードはその理由を 「文明化」を目指

す日本政府が作ろうとしている「新文明」の主要な材料である農村の真相を描くためであ

り 「文明化」を目指す政府の役に立たせるためとしているそこで本論文ではバードの

描く農村に着目した

第一章では奥地の農民の衛生状況に着目しバードが「文明化」した場所と述べる東京

や横浜の衛生状況と比較することによって農村がいかに「文明化」した都会と差があり

不衛生であるかをみたそして農民は不衛生な状況であるがゆえに健康を害していた

バードは農民の不衛生な状況について執拗ともいえるほどに書いており彼女にとってこ

の状況は政府に伝えるべき農村の真相の一つであった

第二章では奥地の交通に着目したバードは悪路のために他の地域から閉ざされた場

所は貧しく「文明化」しておらずよい道のために交通の盛んな場所は豊かで繁栄してい

るという様子を描いていた交通のために豊かさに違いのあるという農村の状況もまた

彼女が政府に伝えようとした真相の一つであった

「 」 第三章では 当時の政策とバードの考えの相違点をみた 政府は 文明化 するために

バードと同様に国民の衛生状況をよくしていくこと道路や輸送手段を整備していくこと

が大切であるとの考えを持っていたしかし実際は軍事力強化による強国づくりという

政策をたてまた都会に重点を置く政策方針をとっていたそのようにして政府は近代

国家を作ろうとしていた

バードの描いた農村の真相は衛生状況や貧困 「文明化」の点において都会と大きく差が

ありすさまじいものであった 「新文明」を作るために政府はそのような農村の真相を

見つめなければならなく都会の交通の整備や軍事力を蓄えることよりも農村の整備を

最優先しなければならないとバードは考えたつまり 『日本奥地紀行』は富国強兵の国家

を作ろうとしている政府にそのために最優先事項とすべき農村整備の重要さを示してい

るものであった 『日本奥地紀行』は旅行記であるとともに政府に対しとるべき策を示

したものでもあったという結論が導かれた

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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吉田秋生の世界

熊谷 理恵子

いまやマンガは性別や年齢から分けられた読者層によって様々なジャンルを持っている

それらは少年少女青年成年レディースマンガなどでそれぞれ独特のカラーが見

られるしかしそうしたジャンルの壁を取り払い多くの層の読者を掴んだ作家として

吉田秋生という女流マンガ家が挙げられるだろう

吉田秋生は主に少女マンガ誌で活動してきた他の少女マンガと同様に思春期の少女た

ちを描いているがしかしそこには一線を画している少女マンガで描かれる少女たち

はあくまで少女のままでいようとしたのに対し吉田の描く少女たちは大人へと向かって

成長していくことを自ら選択しているように見える

少女マンガの世界とはある種閉じられた世界であると言える内容的観点から見ると

「主人公の女の子とカッコイイ男の子との恋愛」による自己肯定に偏っておりまた技術

的にはそうした少女の夢の世界を描くための例えば登場人物の大きく輝いた瞳や背景に

咲いた花などの派手で繊細な図柄や少女マンガというジャンルが発展する過程で獲得さ

れた特有の 内面描写のための複雑なコマ割りといった表現技法によっている そのため

少女マンガは他のジャンルの読者にとってはとっつきにくいものなのである

しかし夢の世界を描くための華美さという少女マンガにおいてなくてはならないもの

が吉田マンガには見られない登場人物の目ひとつをとっても少女マンガのそれとは異

なっている大きさは普通の人間大で丸く黒くなっており少女マンガに比して吉田マ

ンガの登場人物たちは地味な印象であるまた主に定型コマを使用し図面構成は極め

てシンプルであると言えるこうした従来の少女マンガに反した特徴がかえって他の少

年マンガや青年マンガのジャンルの読者を引き込むことに有利に働き新たな読者を獲得

させる要因のひとつとなったのではないだろうか

吉田秋生は『 』という作品において少年を主人公としたアクションもBANANA FISH

のも描いているだがこの作品で最も注目すべきなのは少年マンガ的英雄である主人

「 」 『 』 「 」公の少年 アッシュ に かつて 吉祥天女 で女性性そのものとして描かれた 小夜子

BANANAという人物造詣を与え少女マンガと少年マンガの融合型としてのマンガを『

』で成し遂げたことであるFISH

少女マンガという閉鎖的世界にあって他ジャンルへの読者への掛け渡しとなり新たに

道を拓いた作家として吉田秋生を挙げることができるのは間違いない難解な技術を使わ

ないことにより他ジャンルの読者へも読み易さを与え華美さを抑えたシンプルな背景

や絵柄によって夢の世界的な少女マンガの雰囲気から脱却し人物たちの自立性というも

のにより子供マンガ以上の年齢層の読者にとって読むに堪えうる物語が創造されている

のではないだろうか

年度卒業生2004

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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在仏マグレブ系移民の自己表象

坂田 香織

マグレブ諸国出身の在仏移民に焦点を置き彼らの置かれた状況を調べたところ現在

移民への露骨な差別は影を潜めているがいまだに国際犯罪国内の治安悪化といった社

会問題が発生するたびに敵意のまなざしが向けられていることが分かった同時にこれま

での先行研究は移民問題に直面するフランス社会からの視点が中心であり移民に対す

る政策差別の実態を記述しているものが主でることが明らかになったそこでウェブ

サイト上で閲覧可能となっている在仏移民のポスター 枚を利用し移民受け入れ側の1579

フランス社会からの視点ではなくマグレブ系移民側の視点を記述することにした

まずポスターを移民の出身国ごとに分類しサイト内のポスター検索用にあらかじめ用

意されている 種のキーワードを手がかりに各出身国のポスターごとに該当するキー164

ワードの種類数を機械的に計算する定量的分析をおこなったその結果マグレブ諸国

出身者に関するポスターの総数は他国出身者に関するポスター数よりもはるかに多く

とりわけ「芸術」と「政治」分野のキーワードで抽出されるポスターが多いことが分かっ

たさらにマグレブ系移民の「芸術 政治」ポスターの中から典型的な例を取り上げ」「

各ポスターの訴求内容や属性(言語クライアント)ポスターが発行された社会的背景に

ついて 枚ずつ検証しポスターの特性とそこから浮かび上がる彼らの営みを記述した1

「芸術」分野のポスターはマグレブ系移民の祖国文化と結びついた芸術活動の宣伝ポ

スターが多く挙げられた彼らの祖国文化の認知活動は確固たる一義的集団的な民族

アイデンティティを形成し異文化としての固有性をフランス社会で受容されることだけ

に躍起になっているわけではなく 「故郷」という拠り所を根底に持ちえながらフランス

社会との相互性関係性において彼らのアイデンティティを構築していく営みであると推

測されたまた 「政治」的訴求をおこなっているポスターは市民権の要求や移民差別撤

廃移民の祖国民主化を求めるポスターが主であるが政府や人種差別主義者に対して訴

求するものの他に移民に積極的な政治参加を呼びかけるポスターやデモ討論会など

の移民の自発的な活動を誘発しているポスターも見受けられたポスター分析から見えて

きた移民の活動からマグレブ系移民一つをとっても出身国故郷の文化宗教的実践

世代間などによって抱えている問題や考え方に変化が生じており差し迫る個々の問題に

疑問を呈する者たちが逐次是正していく動きが見て取れたマグレブ系移民が社会に投

げかけている問題は多様かつ流動的でありその多様性と流動性こそが移民たちの置かれ

た状況が具体的に透けて見えてくるのだと考えられる

ポスター分析からフランス社会からの視点だけでは見えてこなかったマグレブ系移民

たちの心境や足取りを垣間見ることができたと思われるマグレブ系移民たちにとってポ

スターは自らが主体となって語ることができる表現の場であり彼らの軌跡を形あるもの

として記録証言するメディアでもあると言えるだろう

年度卒業生2004

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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ピエールロチの見た日本女性

坂部 真利子

ピエールロチは海軍士官として全世界に足跡を残し その経験をもとに小説 紀行文

『 』 随筆を執筆し 十九世紀後半のフランスを代表する異国趣味作家であった お菊さん は

長崎滞在当時の体験の小説化でありそこで出会った「お菊さん」クリザンテエムとの同

棲生活を綴ったものであるが他のロチの作品と少し違って悲恋の恋愛小説として成り

立っていないそのことをロチ自身も理解し期待に添えなかったことを読者に対して侘

びている箇所が多いロチの文章に表れた描写を通して 『お菊さん』においての日本

日本女性がどう描かれているかを考察する

彼はヨーロッパで流行っていた日本の美術工芸品に描かれた日本女性を想像し日本女

性に西洋文明が取り込まれてきている時代の日本で西洋化されていない古い日本的なも

のを探したそこに異国情緒や官能的な魅力を感じ西洋世界から遠く離れた日本で「恋

愛」を求めた同棲生活を送るために買った芸者のお菊さんはロチの目から見て憂鬱

そうで何を考えているか分からない理解しがたい存在であった自分と日本との距離が

遠いのを表わすかのように登場人物の名前はフランス語でつけられ始終響いているお

菊さんの弾く三味線という言葉も と意図的に訳されていたguitare

また周りの環境から耳に入ってくる音に敏感で聴覚描写が多く見られた視覚的要

素以上にここでは聴覚的要素が重要な役割を果たしていてその解釈が周辺の人間や環境

に対する接近‐後退受容‐拒絶を示す指標としてロチの日本に対する関わりの姿勢そ

のものを示すと考えられる彼女の三味線の音色に日本人の魂のようなものを感じ日

本に対する見方を変えそれに伴い彼女の呼び方を から本来の音を持つキクChrysantheme

サンと変え と呼んでいた三味線もシャメセンと呼称を変えているロチは「日本guitare

的なもの」を掴もうとするがその理解不能の「日本的なもの」と西洋人である自分との

間に深い距離「神祕的な恐ろしい深淵」を感じとりそこで再び彼と日本の距離は離れて

いってしまうのだ理解できないことが分かった後彼女の三味線はその音を響かせるこ

となく物語の最後に響く音はもらった金が贋金かを調べるお菊さんの鼻唄と銀貨を叩く

音でロチが意図的に加えたと思われるフィクションであった

冒頭の献辞にはじまり最後物語を締めくくるまであらゆるところで自分の作品に登場

するものを卑下し過小評価しているがそれはそのイメージを読者に押し付け恋愛物

語に展開することなく日本に対して理解不可能という結論を出してしまった自分を受け

入れてほしいという弁解であったのだ彼はムスメ という日本語だけを終始そのmousume

まま使っている彼にとってムスメたちは小さく珍妙なものではあったが 「ニッポンの言

葉の中でも一番きれいな言葉」とロチが言うように言葉でも支配出来ない存在お菊さ

んが東洋のエキゾチシズムをも覆す存在であったのだ

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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太宰治作品における身体

佐藤 千恵

太宰治の作品はこれまで作家論の枠組みの中で解釈されることが多かったがこうした

評価は意図的な作品の構成や作家としての技巧といったものにあまりに目を向けていない

もののように思われる本論文では太宰が女性をある身体的な側面から規定しようとい

う意図を持って創作活動を行っていたと考えられることに注目し作品を分析の中心にす

えて 身体性といった観点から太宰における女性とはいかなるものかを明らかにしていく

我々の社会には一般的に主体として女性を「見る」男性と客体として「見られる」女性という図式が存在しているしかし自意識の文学とも評される太宰の作品においては男女ともに「見られる」という意識を持っておりそうした図式が必ずしも安定していないむしろ太宰の作品においては視覚というモデルに代わって触覚的な側面から男女の決定的な差異が描き出されていると考えられるのである第一章では皮膚感覚の過敏によって動物化する女性を描いた「女人訓戒」という短編を

とりあげたこの作品では皮膚と衣服がリスペクタビリティを超え出る契機となるのに対して細胞が異質性を召喚し種と種の境界を超越させる契機となっているという違いはあれともに身体を通じて見境なく「肉体交流」を行う女性の姿が描かれていた第二章で取り上げた「皮膚と心」では皮膚病をきっかけとして「見られる」皮膚から

「触られる」皮膚への転換が起こることによってこれまでは阻まれていた様々な社会的空間へのアクセス可能性が現れまなざしを意識し合ってぎくしゃくしていた夫との関係も変化するなどコミュニケーションの拡大が起こっているこの作品における皮膚の崩壊とは語り手の女性の抑圧された自己という枠を破棄し「女」というセクシュアリティーの解放をもたらすと同時に一対一の夫婦という社会的な関係の枠を越え出ようとする奔放さを持った女性存在のあり方を露呈するものであったのだ第三章における『斜陽』の分析では主としてかず子と弟直治の「恋」と「革命 すな」

わち貴族階級から逸脱しようとする両者の対照的なあり方を検証した直治による貴族的

身体の廃棄が反貴族的な「ハビトゥス」の獲得という観念的記号的な水準に留まるのに

対しかず子は肉体的な「恋と革命」の実行と出産という行為を通じて文化的記号とし

て「見られる」身体というカテゴリーを抜け出しそうした境界の先にある文化的記号

の範疇に収まらない身体性を獲得していると考えられる換言するならば『斜陽』とは

そうしたかず子の能動的なプロセスを描いた作品なのである

これらの作品は視覚の関係のみによって語りきれるものではなく太宰治作品における女性のあり方がむしろ触覚的な語彙によって特徴づけられるべきものであることを示している以上のことから太宰が作品中で描こうとしたのは様々な境界を身体的な側面から越えていこうとする女性のあり方であると結論づけることができる

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

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年度卒業生2004

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―『シカゴ』における欲望の追求についてミュージカル映画の女性表象

佐藤 千尋

年度アカデミー作品賞ほか 部門を受賞し高く評価されているミュージカル映画2002 6

『 』 シカゴ は 通常のハリウッドミュージカル映画の形式に当てはまらない作品である

ロマンスを中心とする物語ではなくミュージカル場面の表現方法も異なりこのジャン

「 」 ルが追求する 理想的世界 とはかけ離れた犯罪と悪人に満ちた世界があるように見える

本論では 『シカゴ』の異色さに疑問を持ちミュージカル映画における女性の表象特に

女性の欲望とその追求に注目して 『シカゴ』の魅力を解明することを目的とした

第二章では通常ミュージカル映画が求める理想的世界を作る物語内容とミュージカ

ル場面という表象形式を考えるミュージカル映画は恋愛の成立とショーの成功(女性主

人公のサクセスストーリー)の物語であり映画内の日常に歌やダンスが取り込まれて

作品は理想的世界を作る 『シカゴ』のヒロインも従来のヒロインも同じくスターになりた

いという欲望を持っておりミュージカル映画を女性の欲望の追求の物語と捉えることが

できる欲望の追求の仕方の違いが 『シカゴ』を理想的な結末に導いたと考えられる

第三章ではミュージカル映画における女性の表象と欲望の追求は恋愛物語とどう関

係しているのか考える 年代までの恋愛の成立する物語では女性は男性の詩的視覚50

的性愛的欲望の対象として描かれており 女性の欲望は男性の欲望を前提として生まれ

追求された 年代以降の恋愛が成立しない作品では男性の欲望をこえて女性自身がキ60

ャリアへの欲望を追求すると結婚や恋愛の破綻が起こる 『シカゴ』では女性は夫や恋

人を殺すことで自ら恋愛を放棄する死刑を免れるために名声を得てスターになりたいと

いう主人公の欲望は男性の欲望とは無関係に生まれ追求されている

第四章では物語におけるミュージカル場面の効用を考える 『シカゴ』の原点であるミ

ュージカルではない映画『 ( 年)や舞台版『シカゴ』と映画を比較し 『シRoxie Hart 42』

カゴ』のミュージカル場面は多くの登場人物の欲望を映し出し女性主人公の「空想」と

しての映画独自のミュージカル場面が主人公の強い欲望を示すとわかった

第五章では 『シカゴ』における欲望の追求を考える登場人物は他者の欲望に抑圧され

ずにそれを利用し特に主人公は「仮面」を被ることに困難を伴わずに自身の欲望を追求

するこれが可能であるのは 『シカゴ』には通常の社会を形成する〈ホモソーシャルな欲

望〉が機能していないからである恋愛がなく女性だけの刑務所という社会から排除さ

れた場所で起こる シカゴ の世界は 仮想の空間といえる 女性主人公は 空想 と 仮『 』 「 」 「

」 『 』 面 によって欲望を追求し 理想の姿を現実に取り込み シカゴ を理想的世界に導いた

結論として 『シカゴ』の魅力とは女性の欲望の追求の姿勢にあるといえる主人公は強

い女性ではないが自身をうまく切り替えながら周囲の抑圧も困難とせずに欲望に向かう

姿が本作の面白さとなり私自身を魅了するものとなったのだろう

年度卒業生2004

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

年度卒業生2004

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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シュルレアリスムとMエルンスト

佐藤 雅子

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に起こったシュルレアリスム運動はこの時代の

他の芸術科学政治などの運動と連動して起こった運動であるシュルレアリストたち

の多くはダダ運動にかかわっていたことから見てもシュルレアリスムはダダの後継といえ

るがシュルレアリスムはダダ運動を受け継ぎながらも既存の常識や意味の破壊だけで

はなくより高次の現実意識(超現実)を目指した

超現実とは 「夢と現実という一見まったく相容れない二つの状態」が溶け合った地点

とシュルレアリスムの中心人物であったアンドレブルトンは述べているブルトンは

超現実世界を目指すために自分の意識や理性の検閲がない状態での表現として具体的

に自動記述( )を発明する自動記述とは 「 言葉になった思考〉と出ecriture automatique 〈

来るだけ一致したできるだけ早口の独言」といったできる限りの速さで思考を書き連ひとりごと

ねてゆくものであるブルトンは自動記述によって得られた作品は本人の理性と無関係

であるため制作した本人と全く無関係のものであると断言したがこの考えはエルンス

トのコラージュ作品に対する考えとも一致している自動記述はまず文章によって実行さ

れその後画家たちによって美術にも応用されたまたシュルレアリストたちは隔たった

二つのものを接近させそのときに偶然起こる組み合わせにより既存の意味が破壊され

新たなイメージが現れるデペイズマン( )という概念を重視したブルトンはdepaysement

年『超現実主義宣言』を出しシュルレアリスムという語の定義や運動についての思1924

想を発表した

エルンストはドイツのケルンでダダ運動を展開したあと 年パリへ渡りシュルレ1922

アリスムの美術において重大な影響を及ぼしたエルンストが 年にケルンで制作し始1919

めたコラージュはピカソやブラックなどが 年頃から既に始めていた絵画上に新聞1912

紙や羽毛針金などを張り合わせる試みと同一視され双方をまとめて「コラージュ」と

呼ぶことが一般的には多いだがピカソたちが行ったこの行為は単に新たな造形効果や物

体間を生み出すことに主眼が置かれ厳密には「パピエコレ( (貼り紙 」papier colle) )

と呼ばれているエルンストがカタログを切り貼りして制作した「コラージュ」は「ふさ

わしからざる一平面の上でのたがいにかけはなれた二つの実在の偶然の出会い」に等し

いとエルンストは述べている これはシュルレアリスムのデペイズマンという概念であり

パピエコレとは根本的な発想が違うとシュルレアリスムでは考えられているエルンス

トはその後フロッタージュやデカルコマニーなどといった新しい絵画の技法を発見する

がいずれもデペイズマンや自動記述を重視した技法となっているエルンストはシュル

レアリスム思想を美術の技法で表現しようとした

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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「あひゞき」における二葉亭四迷の翻訳とロシア

清野 暁

二葉亭四迷(本名長谷川辰之助)は 年(元治元年)江戸の尾張藩上屋敷で生まれ1864

た 年(明治 年)に日露間で起こった樺太千島交換事件をきっかけに将来ロシア1875 8

は日本の深憂大患となるだろうと考え 年東京外国語学校露語科に入学しロシア語を81

「 」 習得した 生涯 愛国の志士 でありたいと思い続けた二葉亭はしかし 金銭を得るため

文章を書いて生計を立てなければならなかった

二葉亭の代表作「あひゞき」はツルゲーネフの処女作短編集『猟人日記 ( 年)』 1852

の中の一遍を翻訳したもので 年 明治 年 に雑誌 国民之友 で発表された あ ( ) 「 」 「1888 21

ひゞき」における二葉亭の翻訳には大きく分けて2つの特徴がある一つ目はできる限

り原文に忠実に訳をしようとした点もう一つは原文に忠実ではない訳を行っている点

だこの矛盾した2つの特徴は作者の詩想を移すことを最も重視した二葉亭自身の翻訳

論による

彼は原文のコンマやピリオド単語の数並べた語の順番は作者の詩想を表していると

考え作者の詩想を移すためにはそれらを無視してはならないとも考えたそのため日

本語の文法から言えば倒置的な文章で訳すなど原文にできる限り忠実であろうとした

また二葉亭はツルゲーネフの詩想を「晩春の相」であると語っている 「秋」の白樺林が

「 」 「 」 舞台である あひゞき で ツルゲーネフの文章の持つ 晩春の相 を表現するためには

ただ原文に忠実に訳するだけでは足りないと感じたのだろう二葉亭はツルゲーネフの原

文から自分が感じ取った印象を日本語に移すためあえて原文に忠実ではない訳を行った

のである

二葉亭が訳した「あひゞき」の中には実際に 「春」を感じさせる表現を見つけることが

できる春の季語である「おぼろ」という言葉やどこかまるみのある柔らかい表現が

使われているのだこれらは特にツルゲーネフが最も得意とした自然描写に多く見られ

る二葉亭が傾倒したロシアの批評家ベリンスキーはツルゲーネフの自然描写は彼が

見て感じ取ったものを彼が考えたように表現していると語っている二葉亭は翻訳をす

る際その作者と心身を同じくして翻訳を行うのが最も良いとしているツルゲーネフが

行った自然描写と同様の方法で二葉亭は原文から感じたものを自身の言葉で表現しよう

としたのだろうその結果 「あひゞき」の中に「春」の表現が使われたのだ

二葉亭は「志士」でありたいと願うと共に文学を尊敬していた自身を文士と位置づ

けることを嫌った二葉亭の根底にはこの二つの思いがある金銭を得るためとはいえ

文学を非常に尊敬していたからこそ二葉亭は非常な苦労をしながら「あひゞき」の翻訳

を行った 「あひゞき」とはこの二つの思いによって引き起こされるジレンマにまださ

ほど悩まされることがなかった若い二葉亭だからこそできた「文学作品」なのである

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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宮崎駿映画における少女像

田口 莉沙子

宮崎駿は日本を代表するアニメーション監督であるその宮崎が作る映画には少女が

主人公として登場することが多いこの論文では宮崎映画に登場するヒロインの少女た

ちがどのように描かれているのかを考察した

最初に少女の性格や行動といった側面から少女の人物像について考察した宮崎の

描く少女たちの共通点としてまず「無垢」であるということが挙げられるそして少

女たちの「無垢」からは時にセクシャリティが感じられることがあるそれは少女が「性

的魅力に無頓着」であるという点においてみてとることができるまたヒロインたちは

少女でありながら母親のような「母性」を持つ者としても描かれているしかし少女は

そのような「性」を感じさせる〈客体〉としてのみ存在するわけではない少女たちは自

らの意志で決断と同時に行動するような主体的な人物としても描かれているのである

また宮崎映画の少女たちは一貫して特異なアイデンティティを持っている特異なア

イデンティティとは少女たちの巫女や魔女としての性質である宮崎映画の少女たちは

神々や精霊とつながる力や魔法といった特殊な能力を持つ者として描かれていることが多

い例えば『となりのトトロ』の主人公であるサツキとメイはトトロという異界の生き

物と交流する宮崎によるとトトロは千年以上にわたって日本の森に棲んできた精霊で

あり物語中ではサツキとメイだけがトトロに出会うことができたこのように宮崎の

描く少女たちからは神々や精霊動物と通じ合う姿をみてとることができこのことから

宮崎が少女たちに巫女のような性質を与えているとも考えられるのだまた『魔女の宅急

便』と『天空の城ラピュタ』ではそれぞれ魔法を扱う少女が登場するがこの二つの作

品からは宮崎が魔法といった未知の力を女性特有のものとして捉えている様子が伺える

そして作品中ではその魔法の力が少女たちによって担われているのである

少女たちの持つ特殊能力は不完全であることが多く 『魔女の宅急便』のキキのように魔

法が一時的に喪失してしまうという例もあるそしてその失われた力は少女が自分にと

って大切な〈他者〉を危機から救出する場面で回復される少女は〈他者〉を救出するこ

と救出のために喪失した特殊能力を用いることを迷わず「決意」する少女はその迷い

のない「決意」を介在して今まで自分の意志でコントロールし得なかった力を自らの意

志で発揮させるこのように少女は決断と行為が一続きになった時究極的に解放され

ているように思われるそれは特殊な力の解放と同時に少女自身が迷いから解き放た

れている瞬間なのではないかと考えられる 宮崎映画の少女の魅力は その迷いのない 決 「

意」の瞬間にもっとも強く現れるのではないかと考えたそして少女の迷いのない「決

意」によって解放されるファンタジックな世界が視覚的また感覚的に観客に迫り興

奮と感動を呼ぶのではないだろうか

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

年度卒業生2004

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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河瀬直美映画作品における「私」と他者の関係性について

橘 美保

(「 」)本論文は 河瀬直美のドキュメンタリー映画作品における撮影者である河瀬直美 私

と被写体である他者の関係性という問題に焦点をあてて河瀬直美のドキュメンタリー映

画の独自性や世界観を論じたものである

第一章ではドキュメンタリー映画の理論や方法論が各時代のドキュメンタリー映画の

かたちを規定していることから時代を代表するドキュメンタリー映画の理論や方法論を

取り上げた日本のドキュメンタリー映画は 年代を境にそれ以前がポールロー1960

サの論を元にした構成主義でありそれ以降が撮る者と撮られる者の関係を基点にした関

係主義であるといえるそして現代においては 年代以降の関係主義を受け継ぐ一方60

セルフドキュメントや個人映画のような現代特有の関係主義をみることができた河瀬

のドキュメンタリー映画もこうした流れと無関係ではない以上のことから河瀬のドキ

ュメンタリー映画も関係主義の点からみていく本論文の方向付けを明らかにした

第二章では河瀬のドキュメンタリー映画作品に対する先行研究を検討したドキュメ

ンタリー映画作家の福田克彦によると河瀬のドキュメンタリー映画は作品に立ち現れ

る人と人との関係性からその独自性や世界観を見出すことができるものであるまた

映画評論家の四方田犬彦によると撮影方法や表象形式の特徴から河瀬の独自性や世界

観を導き出すことができる以上から河瀬のドキュメンタリー映画は撮影者の「私」

と被写体の他者の関係性がどのような撮影方法や表象形式によりあらわれているかが問題

となることを確認した

第三章では実際に河瀬のドキュメンタリー映画のなかでも代表的な三作品の分析を試

みた 『につつまれて ( 年)では 「私」と不在の父親の関係と作品中に現れる他 』 1992

のメディアの働きとの関連に注目し 『かたつもり ( 年)では 「私」と養母の関係 』 1994

と長回し撮影や同期撮影クロースアップの働きとの関連性に注目したまた 『杣人物

語 ( 年)では 「私」と村人たちの関係が ミリカメラによる撮影方法と関連して』 1997 8

いることをみることができた

河瀬直美のドキュメンタリー映画は第一段階として 「撮影者である河瀬」対「被写体

である他者」という関係性を作り出し第二段階として撮影行為のプロセスを軸に撮

る河瀬と撮られる他者の意識を超えた「私」と他者のもうひとつの関係もうひとつの世

界を作り上げているそれを可能にしているのが ミリカメラの働きをはじめ作品中8

に現れる他のメディア長回し撮影や同期撮影クロースアップなどの働きである以上

の撮影方法や表象形式によりなまの関係性や世界を記録するのではなく撮影という行

為によりはじめて可能になるもうひとつの関係性や世界を創造している点に河瀬のドキ

ュメンタリー映画の独自性や世界観があることを明らかにすることができた

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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まんがアニメキャラクターにおける『萌え』

中川 麻理

まんがアニメは戦後において大きく発展を遂げ子供たちの娯楽としてあり続けてきた

しかし近年その対象を成人においた作品の増加が目立ってくるようになったこれに伴い

物語以上にそのキャラクターを重視するような「キャラ立ち そして独自の発展を遂げて」

きた「美少女 さらに「萌え」といわれる事象を生むに至ったしかし「萌え」とはそも」

そもどういったものかこれを探るべくまず一章において 「萌え」の発生した舞台である

と考えられる「オタク」について考察し 「オタク 「オタク文化」がさまざまな形に姿を 」

変え多様化し広がっていることがわかった

さまざまな層のオタクの広がりを見せた背景の一つに美少女フィギュアがあると考えら

れる美少女フィギュアは『新世紀エヴァンゲリオン』以降顕著な発展を遂げてきた二

章ではこの美少女フィギュアについて考察しその背景に潜む性的要素を挙げたさらに

美少女フィギュアは「キャラ立ち」に伴う「キャラクター消費」といった「物語」を必要

としない消費行動を見ることが出来た

キャラ萌え とは前述のような物語を必要としない消費行動であるとして三章では 萌「 」 「

え」要素の具体例たとえば「猫耳 「めがね 「妹」などを挙げ考察した目に見える」 」

アイテムに対する「萌え」と目に見えないいわば関係などに対する「萌え」が多くの場

合組み合わされて生じていたそして「萌え」を「好きかわいいに近い感情であるがそ

の設定や外観から想起されるイメージに対して愛情を昂らせることこの愛情には性的欲

求が少なからず含まれている 」と定義した

「 」 「 」 四章では 萌え が孕む性的要素について言及した 年代以降の 萌え 系のアニメ90

イラストを挙げその特徴を述べたそしてそもそも「萌え」とは「芽が出るきざす芽

ぐむ (広辞苑)とあるため子供(女の子)と成熟した女性との中間地点にあるキャラク」

ターに「萌え」を見出しているのではないかと考えた 「萌え」キャラクターの特徴として

その多くはその表情が童顔であること幼児体型をしているが隠れた性的要素を孕んでい

ること成熟した女性の体型をしているが顔の描写は「萌え」系イラスト特有の幼い表情

をしていることが挙げられるすなわち「萌え」キャラクターとは外見の成熟と中身(女

性としての自覚)の成熟のどちらかが欠落しているものだと言うことができる

以上のように「萌え」をその隠れた性的要素という視点で見てきたこれは主に男性か

らの視点であるといってよいしかし「萌え」という言葉が広まっていく中で女性もこの

言葉を使いその意味も「好きかわいい」とほぼ同義で使われることが多いのも事実で

ある近年では「萌え」のかわりに「属性」という言葉も使われるようになってきた 「萌

え」はさまざまな方向から言葉姿を変えわれわれの間に広がっていると言える

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

年度卒業生2004

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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牛腸茂雄のまなざし

長岡 春美

牛腸茂雄は 年新潟県加茂市に生まれ 歳で夭折した写真家である牛腸は障害を1946 36

負った体で約 年間写真家として活躍し三冊の写真集を残した本論文では写真家とし15

ての牛腸が写真で何を成し遂げたかったのかについて論じた

写真家としてデビューしたころ牛腸は「コンポラ」写真家の筆頭として挙げられた

同時代の写真家から批判を受けたがその作風の特徴として何気ない日常を捉えている

点個々の作家にとって必然性のある写真であるという点が指摘されている

関口正夫との共著『日々』は街行く人々の何気ない様子を撮った 枚の白黒写真で構成24

されている牛腸は被写体から見られずに撮るという手法を用いているそのため被

写体の殆どは牛腸を見ていない二冊目の写真集『 』は牛腸の写真集SELF AND OTHERS

の中でも完成度の高い作品と言われているこの写真集は牛腸が「自己と他者」の関係を

見つめ記録するための写真集である牛腸の友人や家族偶然出会った人々を記念写真

のように淡々と撮っていった白黒写真であるこの写真集の特徴は最後の数ページに牛

腸本人が写っていることである写真集の最初からカメラを通して (被写体)をまOTHERS

なざしてきた (牛腸)が写真集をめくる人にとっての になってしまうのでSELF OTHER

ある被写体の表情は『日々』のように自然なものではなくあくまで牛腸にだけ向けら

れた表情であることがわかる三冊目の写真集『見慣れた街の中で』は『日々』同様街

中でのスナップ写真である違う点はカラー写真であること被写体との距離が『日々』

では一定に保たれていたのに対し 『見慣れた街の中で』では距離が伸縮しているように感

じられる点である牛腸は前作で問うた「自己と他者」の関係を自己と他者が生きる世

界においてそれを問い直すために自らの身体を都市の中へ投げ入れたといえる

牛腸は写真を始めたころから好んで子どもを被写体にしてきた 『見慣れた街の中で』刊

行後牛腸は「幼年の〈時間 」というタイトルの子どもを被写体にした写真集の出版を〉と き

計画していたここではかつてあくまで「見る主体」として子どもをまなざしていた牛

腸が被写体からまなざしを向けられる客体となって写真を撮っていることが被写体の

生き生きとした表情から読み取れる

牛腸は三冊の写真集を出版したがその作風は全く異なっているしかしその根底に

は「自己とは何か」という一貫した問いかけがあった障害のせいで「 歳まで生きられ20

るかどうか」と言われ常に死を身近に感じていた体であるにもかかわらず重労働であ

る写真家という職業を選んだことの必然性はこの問いのうちにみることができる 「自己

とは何か」という牛腸の問いをわれわれは写真集を通じて牛腸とともに追いかけるそ

のことがわれわれ自身が「自己とは何か」を考える契機になる牛腸にとって写真集を遺

すことは自分がかつて生きていたということの証であった

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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新潟における日本語学習者の質的研究

橋本 佳子

本論文では新潟に居住する「日本語学習者」について大量のデータに基づいたサーベイ

調査による量的研究ではなく実際に日本語学習者と接触し生の声を聞いて集めた事例

データに基づく質的研究を目指した三名の「留学生」という形態の日本語学習者を対

話聞き取りによって調査し 「留学生」という日本語学習者の学習動機新潟という学習

環境対人関係そして異文化状況下における自己の混乱と再構築についての考察を行っ

「留学生」という日本語学習者の学習動機は副次的で曖昧な動機が主であったしか

しながら日本語を学ぶ理由の曖昧さこそ日本語選択時において日本語学習者が日本語や

日本に対するプラスイメージを持っていたことの裏づけであると考える日本語学習者の

学習動機の曖昧さは第二言語を選択する際に学習者側の持つイメージを示唆してくれる

重要なものである

また「留学動機」から新潟という学習環境は積極的に選択されるものではないことが

わかったその要因として新潟に日本語教育が行われる場が少なく新たな「留学生」

の到来が妨げられていることが考えられる大学やそれに準ずる教育機関への入学準備の

ための日本語教育の場を設けることが今後新潟の学習環境を整える課題として残されて

いる

留学生 という日本語学習者にとって最もストレスフルな問題は 異文化性を伴う 対「 」 「

人関係」である 「留学生」と日本人学生の対人関係については接触機会や接触動機そ

して自己開示に関する問題があるが必ずしも異文化性をともなう「留学生」の対人関係

が不良なものではない事実が明らかとなった 「留学生」と同出身国の「留学生」の対人関

係については最もネットワーク形成が容易であることまた同出身国内でも出身地域の

違いによって異文化性を孕んでいることが明らかになったそして出身国が異なる(母語

が異なる 「留学生」同士の対人関係では第ニ言語を使用するために生じる誤解や言語イ)

メージ差という重要な問題が浮上した

最後に「留学生」の自己形成と再構築について 「カルシャーショック 「逆カルチャ 」

ーショック」という視点から考察を行ったカルチャーショックと逆カルチャーシ

「 」 「 」ョックは 留学生 という日本語学習者にとって 自己の再構築を行う重要な きっかけ

を与えてくれるものでありまた自己の存在に「気付き」を与えてくれるものである

新潟における「留学生」という日本語学習者は積極的に選択したわけではない学習環

境にもかかわらず新潟で多くの異文化性を伴う問題を抱えながら文化的調節や自己の

混乱に対処しつつ生活している同じ新潟に住む我々は日本語学習者の抱える問題に留

意し学習環境生活環境をより快適なものへと整え導き日本語学習者をとり巻くソー

シャルサポートネットワークに積極的に関わる必要があると考える

年度卒業生2004

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

年度卒業生2004

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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死神像の東西

平岡 喜久恵

私たち日本人が「神様」と呼んでいる八百万の神々の中で死神はおそらく最も歓迎さ

れない神のうちの一人だと思われるではその死神とは一体どのようなものかと問われる

と死に関係のある神という程度の認識で意外と詳しいことは知らないという人が多い

のではないだろうか今回の論文ではこの死神を対象とし本来形の無い不思議な現象

や状況を表す言葉が性質や形を得ていく変遷をたどりながら死神について考察した

第一章では絵画や民話の中の死神の姿を分析し総合的に見ていく事で西洋における

死神像を探りだしていった西洋では中世及びルネサンスからバロックロココ期にかけ

てのありとあらゆる抽象的概念を擬人化して表す風潮や14世紀ペストの流行による死

への関心の高まりが死神に姿を与えた加えて死者の舞踏など中世に多く描かれた絵

画のなかに見られる「死」の描写も現代までつながる死神の姿のベースとなり民話の

世界の死神は具体的な形は無いものの当時の死神の性質を現代に伝えていると考えら

れるこれらは死を表象化または擬人化していく中でその形と死神という概念が結びつ

いたもので西洋の人々のイメージの中に次第に定着していった

第二章では日本における死神像について上記の方法を用いながらかつ歴史を追って調

査した日本では死神は死全般を司るというよりは原因の分からない死を説明する語

句として用いられ江戸時代以降は悪霊や妖怪に近いものとしてのイメージが強かった

妖怪図という江戸時代の物の怪の体系化の流れの中で形を与えられ人々に言葉としてで

はなく存在として知られるようになったその後 代目尾上菊五郎が歌舞伎の場で初め3

て死神を演じその姿がその後の歌舞伎や落語に受け継がれていったが明治時代以降

日本の死神像の形が定まる前に演劇や絵画などから西洋的な死神像が流入し日本の死

神像は定まった決まりを持たないまま個人のイメージによって様々に描かれていく

第三章では現代日本の表象文化の中から漫画をとりあげた現在の日本において形と

名前が一致した人々の共通認識としての死神像はないしかしながら仏教や西洋文化を

取り込みながら確実に具現化の道を進んでいる

日本において死神の概念は神悪霊妖怪といういくつかの領域にまたがり性質に

ついても諸説様々で定義しがたいなぜなら死神は死をベースにしたものであり 「死

とは無であるだから無であるものは表現されようがないし思い描きようがない (フ」

ィリップアリエス)からであるこの死神という存在が持つあいまいさが人々の想

像力創造力を刺激し我々を死の具現化としての死神の描写に向かわせるのではないだ

ろうかあいまいであるからこそそれを明らかにしたい形にしたいという意思が働く

のではないか死神を描くということは死という超自然的なものを我々の世界の中に体

系付けようとする作業なのかもしれない

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―恐怖との共存―ケラリーノサンドロヴィッチにおける笑い

武士俣 かすみ

本論は劇作家演出家のケラリーノサンドロヴィッチのシリアスコメディ作品に注

目し 彼がいかにして笑いと恐怖を同一作品中に描き出しているのか分析したものである

第一章では演劇空間における「笑い」を思想家などの発言をもとに「自己の思考と

現実とのズレを解消するための作用 と定義し 笑いを生み出す仕掛けであるギャグを 常」 〈

識ギャグ 〈反常識ギャグ 〈非常識ギャグ〉に分類した 〈常識ギャグ〉と〈反常識ギャ〉 〉

グ〉はどちらもその笑いの土台に現実の常識が存在することで成り立つが 〈非常識ギャ

グ〉は 「日常的意味」を無化することで笑いを生じさせている

第二章では笑いと共に恐怖が生まれうるかと言うことについて論じたまず劇場空

間が「無秩序性への接近」という特性を持つことを明らかにした次に前章で挙げた三

つのギャグが恐怖を生む可能性について考察したギャグは〈非常識〉性を高めることに

よって観客に自らのよって立つ現実世界を不安定なものと感じさせる効果を生むその

ような世界は日常の秩序から外れた一種のエントロピーであると捉えられるケラの作

品は幕切れに秩序の回復が行なわれないことから彼がその悪夢的世界の顕在化を作

品の中心に据えていることが窺える

次にケラの作品の分析を通して彼が笑いと恐怖を共存させる手法を論じた第三章

では物語の展開方法に第四章ではシリアスコメディ作品において頻繁に見られるモ

チーフに注目している前者に挙げたのはコントの挿入パロディ同じようなシーン

や台詞の反復後者に挙げたのは死のモノ化道化的人物の挿入とその人物と殺人の結

びつき超常現象の挿入であるこれらのことからケラが笑いと恐怖を共存させるため

に行なっている手法は次の三点に要約できるそれは笑いとしてイメージされるものを

恐怖へ恐怖としてイメージされるものを笑いへとずらすこと演劇世界の不安定化によ

る恐怖の喚起笑いによる演劇世界の〈非常識〉化である

第五章では ケラが作り出す演劇世界とそれが多くの人々の支持を得る理由を分析した

ケラは「俯瞰的な距離感」をもって重層的なキャラクターすなわち「 関係」としての「

」 〈 〉人間 を描く そのキャラクターの一貫性のなさが 場面に笑いを与える一方で 非常識

な演劇世界を作り上げていると考えられる彼は観客の日常と大きく異なる舞台を設定

することによって 現実の社会問題に依拠することなく 生の非意味性と偶然性を持った

リアルな「人間の有様」を観客に提示しているのではないだろうか

ケラは観客に「劇世界を俯瞰できる」という特権を強く意識させつつ劇世界や登場

人物を重層的に描くそれは日常の中で「作られたもの」が日常の文脈で理解し得ない

ものに変化していることを観客に気づかせ観客は舞台に向けられていたはずの笑いを自

らにも向けざるを得なくなるこの笑いの自虐性が恐怖を喚起するのだと言えるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

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高度情報化時代の地域コミュニケーション

堀川 慶子

今日メディアには過剰なまでの「田舎」イメージが氾濫しているだが高度情報化の

波は地方にも押し寄せておりこのように生産消費されているイメージのみで地方地域

を語ることは難しくなっていると考えられるでは地方地域は今日の情報化の潮流の中

でどのような場となっているのだろうか従来都市のメディアによってイメージを付与さ

れることの多かった地方地域は高度情報化時代においてそのメディアを用いどのような

地域コミュニティを形成しつつあるのか一方的な都市からの情報伝達からは明らかにさ

れない地域の実態を地域メディアに着目したフィールドワークによって明らかにする

そこで高度情報化時代の地域を考察する上で重要な視点であるニューメディアとりわ

CATV 1980け地域メディアとして期待された に着目して考察を試みると先行文献からは

年代において大きな可能性を持って地域にもたらされながらも地域と密着できず地域に

おける効用の限界が明らかとなった の姿が見出せるだがこれら先行研究には方法CATV

論上の問題点も見られる

本論では実際に を用いて町作りを行う秋田県大内町の である に着CATV CATV ONT

目し と地域の関係を検証することにしたフィールドワークによって得られたデCATV

CATVータから先行研究との比較を行った結果 従来の研究では示されてこなかった地域と

の関わりの形が見えてきたさらに のコンテンツ分析を行うことで地域と のONT CATV

関係性についての考察を進めると が地域と密接な関わりを持って地域住民に受容CATV

されている実態が明らかとなった

このような地域との関係性を支えているのが の機能であり は地域のコミCATV ONT

ュニケーション空間としても機能しており本来の目的であった地域情報の提供のみに留

まらず多様な地域ニーズの受け皿としの役割を果たし多方面から地域を支えているこ

とが分かる からはその多機能性を活かし地域に密着することで重要な地域メディアONT

として受容され今後においても地域の抱える問題に対応し地域と相互に影響し合い

地域を多方面から支えうる可能性を持った の姿が見出せるのであるCATV

これまでは一方的に都市からの情報を受け取るだけであった地方地域だが地域メディ

アを用いることで「地域の情報」という選択肢を獲得し地域情報を充実させさらには

新しいコミュニケーションを生み出している地域も存在していたこのような地域の情報

化に伴う地域コミュニティやコミュニケーションの変化が今後の地域を都市との分かり

やすい対比のみで語ることを難しくすると考えられるだろう を用いた地域の実態CATV

からは高度情報化の流れの中地域メディアを用いることで地域コミュニティの醸成を図

り従来の「田舎」イメージのみでは語れない重層性複雑性を獲得しつつある地方地域

の側面が明らかになるのである

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

年度卒業生2004

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

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年度卒業生2004

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日本における「個性」の変遷

増田 百恵

日本社会において新聞や雑誌 教育界などで見られる 個性 概念を研究対象とした 個 「 」 「

性」という言葉はそれが語られる文脈や背景によって実にさまざまな意味を付与されて

いるそのような「個性」言説は受け手にどのような解釈をせまっているのだろうか

日本社会において「個性」がどのようにとらえられ考えられてきたかを探るために

第1章では明治大正期の文学者の作品を取り上げそれらに見られる「個性」観を考察

した第1節では夏目漱石の「私の個人主義」を第2節では有島武郎の『惜みなく愛は

奪ふ』をとりあげてそれぞれの作品中に描き出された「個性」の内容を検証したそし

て第3節で明治大正期の文学者の考える「個性」と現代で語られる「個性」の比較を行

った

第2章と第3章では 「個性」の内包する意味内容が変化していった過程を見るために

日本の教育界に主軸を置いて考察した第2章の第1節では教育基本法制定の背景とその

内容について見ていき第2節では教育と個性について論じた教育基本法制定以前の文献

「 」 『 』を頼りに 当時の 個性 観を探った 第3章では国土社から出版されている雑誌 教育

を手がかりにして教育における「個性」の語られ方を年代別に見ていった

第4章では日本社会に見られる現象と「個性」がどのようにかかわっているかを考察

した第1節では日本の消費社会にあらわれる「個性」についてその意味内容を考察し

た第2節では から 年代に日本社会で多く見られた現象で研究も盛んに行われ1970 80

ていた「アイデンティティ」概念や「自分探し」といったものと「個性」を比較検討し

終章ではこれまで考察してきた「個性」の特徴をまとめ現代社会に生きる私たちと

のかかわりあいの中で「個性」概念がどのような位置づけにあるべきかを概観した

第1章では 「個性」の担い手はldquo個人rdquoであるということと 「個性」と位置づけるに

はldquo個人rdquoの内面からわき出る「内発性」が伴う必要があるという個人に立脚した「個

性」観をつかむことができた第2章と第3章では教育界において「個性」がさまざま

に定義され 解釈されていった様子と 政策者側や財界などがある程度の意図をもって 個 「

性 を使用してきた歴史を見ることができた 第4章では アイデンティティ 概念や 自」 「 」 「

分探し」といったものと「個性」を比較することで 「個性」という言葉が自分自身の内面

について時には強迫的とも思われるほどに個々人に問いかける作用をもつものへと変化

していないだろうかと考えた終章では 「個性」について述べられている最近の新聞記事

が 「個性」という言葉が個々人に対して作用し続けてきた負の側面について言及している

部分を取り上げて現代の「個性」観について考察した

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

年度卒業生2004

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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夏目漱石における手紙というメディア

宮澤 麻子

この論文は夏目漱石作品において「手紙」というメディアが果たす役割について考え

たものである

第一章においては 夏目漱石と 世紀のヨーロッパの書簡体小説の歴史について概観し18

その伝統をふまえて漱石が書いた小品「手紙」の新しさを検討した 世紀のヨーロッ18

パの書簡体小説には二つの特徴があったひとつは他人の手紙のやりとりをつまり書

き手のプライヴァシーを覗き見するような快楽を提供してくれる一面もうひとつは手

紙のやりとりを公開することで読者の「教育」を企画し社交界の世論を作り出そうとい

う社会的な一面である漱石自身は 世紀のヨーロッパの書簡体小説については「長た18

らしい」と断じ否定的である

では漱石は作品中で手紙をどのように描いたのか小品「手紙 (明治 年 「東京朝」 45

日新聞」掲載)では手紙の書き手受け取り手そして盗み見る者との関係がひとつの

手紙を通じてあらわになってくる主人公の「自分」は親戚の青年宛の遊女の書いた手

紙を偶然見つけてしまうこの手紙から「遊びはしない」といっていた青年がうそをつい

ていたことを知るのであるこの小説において書き手のプライヴァシーをあらわにする

のではなく 「受け取り手」のプライヴァシーをあらわにすることができるという手紙の新

しい機能が発見されている

第二章においては 『三四郎 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて漱石作品に 』 41

おける「移動する手紙」の機能を考えた主人公三四郎は自分をとりまく世界を「三つ

の世界」に分けて考えている第一の世界は故郷第二の世界は大学そして第三の世界

は魅力的な女性の世界である第一の世界との手紙のやりとりは頻繁でスムーズなのに

対し第二第三の世界との手紙のやりとりにおいてその世界のルールを知らず失敗して

いる漱石作品の中で 「移動する手紙」とは人と人がどのように関係しているのかを描

くツールとして利用されているといえるだろう

第三章においては 『彼岸過迄 (明治 年朝日新聞掲載)の分析を通じて 「テクス 』 45

ト」としての手紙について考えた 「テクスト」としての手紙とはある手紙の文面が公開

されているものを言う 『彼岸過迄』の主人公の敬太郎は友人の須永の親戚に職の世話に

なってから須永の家の周辺事情を様々な人に聞いて回ることになる敬太郎の役割は探

偵じみたものであり話を語ってくれる人たちもまた「誰かから聞いた」話を敬太郎に話

して聞かせるこの「代行」の物語を断ち切るために 「テクスト」としての手紙が登場す

る須永が叔父にむけて書いた自らの心情を述べる手紙の文面が公開され敬太郎の耳を

離れて読者に須永の真実の声がとどくことで 「代行」の物語は終わることができるのであ

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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『三国志演義』と元禄日本

清水 菜々弥

中国の白話小説『三国志演義』が日本では江戸時代初期に翻訳され元禄 年に『通2

俗三国志』として刊行された 『通俗三国志』には中国の小説を機械的に模倣したのでは

なく原文を十分咀嚼し日本的にアレンジされた部分があると思われるもとの明羅

貫中の作『三国志演義』と湖南文山訳の『通俗三国志』を比較して表現の在り方や語句

の解釈の異なるところを調べて日本文化の特質を反映した書き方などを見つけていく

『 』 「 」 三国志演義 で物語の根本を流れている 桃園結義 という盟約がある その内容は

劉備関羽張飛の三人が国家を救うことを目的にする公的正義「義理」と生まれた

日は違うが同じ日に死のうと誓う私的正義「義気」のふたつの意味を持つものである

吉永慎二郎氏は日本ではこの「桃園結義」の本質にある意味やそこにある「義」の重

要性を認識できていないと指摘した吉永氏の指摘は 『通俗三国志』と『三国志演義』を

比較してみても言えることであるのか検証する

『三国志演義』で描かれている「桃園結義」は劉備ら三人の「義気」の上に成り立っ

ているものとしての性質が強く劉備と関羽張飛の関係は単純に主君と臣下という主

従関係ではない 梁蘊嫻氏の言うように 三国志演義 では 義 とされているものが 通 『 』 「 」 『

俗三国志』では「忠義」と訳し直される傾向がある 「忠義」の意味や 「忠義」という言

葉を使うことによって劉備ら三人の主従関係の認識が『三国志演義』とは異なってくるた

め 『通俗三国志』では劉備らの関係は君臣の間柄としてだけ捉えられていることがう

かがえたこのことから吉永氏の指摘は『通俗三国志』と『三国志演義』を比較してみて

も言えることであるとわかった

『通俗三国志』を読んでみると日本では『三国志演義』の物語を単純に逐語訳では

なく日本の文化や言葉の慣習になじませて解釈し構成しなおし手を加えながら受容

したということがわかるそれは『三国志演義』のなかの中国の文化の視点からみて使用

されている「義」という言葉を 『通俗三国志』では「忠義」に訳し変えることで日本の

慣習特質に即して三国志の物語を理解しているという姿勢からうかがえるまた 『通俗

三国志』には刊行された時代の日本の社会や文化に拠っている部分があることもわかっ

たひとつは『通俗三国志』には 『三国志演義』で重要な意味をもつ「義」という言葉と

並べて元禄の時代に重要とされていた「忠孝」という言葉を使用していることである

もうひとつは日本人が「義理」と「人情」の葛藤に美意識を働かせるという傾向が『通

俗三国志』にも見られることであるこのように日本で日本好みにアレンジを加えたもの

であるからこそ 『通俗三国志』は元禄の時代に大変な好評を得てその後の通俗小説にも

影響を及ぼす作品になったのであろう

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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―中国「新新人類作家」たちの作品における「現代都市」上海の変容―上海都市論

倪 鳳翔( )Ni Fengxiang

近年中国の文壇で活躍している上海在住の若い作家たちは自ら住んでいる「都市上海」

を小説に描きこの都市に生きる欲望苦悩焦燥を告白している本論ではこれらの

作家たちの作品を用いて 「現代都市」上海を分析する事を試みたつまり上海という都

市に生きている人々はどのようにこの都市を経験したり観察したりしているのかとい

う問題に注目にした第一章ではアヘン戦争から改革開放後の本日までに到る上海の略史

を紹介している第二章では小説『告別薇安』に描かれている都市上海像を浮びさせよ

うとしている全篇に漂っている「孤独感」はこの小説の最大な特徴とも言えるこの孤

独感を生じる根源は上海の独特な「植民地文化」であろうそしてこの小説のもうひと

つの特徴は主人公のコミュニケーションの手段の「インターネット」であるインターネ

ット上のチャットは主人公が他人とコミュニケーションをとり内心的の孤独感を解消す

る手段でありながら 「インターネット」という空想の世界によって孤独感が増大するこ

うしてこのような「孤独感」に包まれる都市に生きる小説の主人公たちの生活空間はい

かなるものであるかを解明した第三章では中国では発禁とされた話題小説『上海ベイ

ビー』を扱ったその注目すべき問題点は今までの中国社会と異なる主人公の「性」に

対する大胆な態度であろう主人公は「上海人」の恋人との心通じ合う心の愛 「西洋人」

ドイツ人の愛人との肉体的な愛との間で迷うしかしその迷いの背後には主人公の二

つの文化の違いに対する困惑があるそして 「性」だけではなく 「愛 「金銭 「消費」 」 」

などの問題に直面する時に 「植民地文化」という文化背景のもとで人々また「上海」

という都市自身が「伝統文化」と「外来文化」の間で迷い 「服従」か「反抗」かとの取

捨選択に悩んでいるこうして上海は「現代都市」としてどのような事を反映している

のかを解読した第四章では 「新新人類作家」の出現してきた背景を明示した今中国

は〈消費〉中心の社会へと転換しつつあるそこで 「現代都市」を舞台にした彼らの作品

は娯楽消費の記号としてのモノや新しいメディアなどの現代都市的記号によって存

分に書きこまれている モノとメディアは人間の欲望を満たすためにつくられた しかし

そのものとメディアの不断の生成は人間の新たな欲望を刺激する 「新新人類作家」たちは

小説の中で様々な物質や娯楽場を描き出し都市的風俗を描くことに多くの力を注いでい

るそれとともに金銭名誉への欲望を飽く事なく語り続けている彼らは膨らみつつあ

る自分達の物質金銭愛情への欲望を語る同時に現代都市上海に生きる人々の特有の

焦燥感も描き出しているこのようにモノ消費欲望が無限に拡大される現代都市の

姿がそこに映されているこうして彼らが描き出したモノ欲望の世界「都市上海」の

作品は変化する最新の「上海」を読み解く鍵の一つではないかと考えられる

年度卒業生2004

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

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グリム童話の女性

林 真弓

グリム童話集に登場する女性は どのような人物として描かれ物語を進めているかを 小 「

さい版」に収められている 話を中心に見ていく50

今日グリム童話やおとぎ話はフェミニズム的視点からの解釈も盛んに行われているが

グリム童話集に登場する女性たちはそれほど弱く劣った人物として描かれているだろうか

確かに物語の細部に目を通すと男女ともに見られるモチーフが男女によって展開が異な

っていることが分かる禁止を破るという行為はグリム童話集の中で男女ともに見られる

が男性の好奇心は罰せられないのに対し女性の好奇心は罰せられるさらに人を救

うための沈黙という課題も男女ともに科されているが女性の場合沈黙しなければなら

ない期間が長くさらには罰として沈黙を科せられることもあるこれらのことから女

性の好奇心やおしゃべりが女性の低劣な性向として見なされているということがグリム

童話集からも読み取ることができるだろう眠りというモチーフも受身の象徴ともま

た心理学的には成熟するための過程とも解釈されているが物語の中では女性により結び

ついていることは確かである

また女性と糸紡ぎが結びついた物語が多く見られる物語の中では糸紡ぎの才能や

家事能力が美徳として讃えられておりそれらを怠ける女性たちには容赦なく罰が与えら

れている怠惰な男性も登場するが女性の怠けはもっぱら糸紡ぎや家事といった現実的

なことに結びついている糸紡ぎや家事能力は当時の女性に求められたまたは当たり前

の仕事であったグリム童話集には当時の社会観や道徳観が組み込まれていると考えるこ

とができるだろう

このように個々に注目するとグリム童話集には明らかに性による差異が認められ女

性は罰を受けたりつらい目にあう場合が多い女性は家事というように男女の役割分担も

物語では見られるしかし女性は受動的で男性より劣った人物としてつらい目にあう

人物として描かれていると単純に言うことはできないと思われるまずフェミニズム的

視点からの解釈では物語の中で女性の発話が奪われていると言っているがグリム童話集

全体を通して女性の発話が極めて少ないという印象はなく女性の発言が解決へと導く物

語もあるさらに物語で男性が女性を救うイメージは強いがグリム童話集には兄弟や夫

を救う女性の物語も案外多いからである彼女たちは虐げられたり沈黙を強いられたりし

ながらもそれらを乗り越え幸福な結末へと導いていく彼女たちはそのつらい状況を乗

り越える強さを持っていると考えることができる女性の象徴である糸紡ぎは人を救っ

たり導いたりするための手段になることもあるグリム童話集に登場する女性たちはつ

らい目にあうだけの弱い人物ではなくむしろ強さを持った人物として幸福な結末へと

導く人物として描かれていると捉えることができるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 28 -

―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―ドラマ『冬のソナタ』を中心に―日本における「韓流」現象の分析

黄 仁祚( )Hwang Injo

『 』 ( 日本では去年から韓国ドラマ 冬のソナタ をはじめ 韓国の大衆文化 映画 -k pop

ドラマなど)が人気を博しておりドラマの主役を演じた俳優や主題曲も話題になってい

るこのような韓国大衆文化の流行を日本のマスメディアは「韓流」と呼んでいるが 「韓

流」という言葉はすでに 年前から中国モンゴル台湾香港など東アジア地域でも使4

われていた言葉であるこの事実から本論文では日本で流行している韓国大衆文化を

日本より早く「韓流」が流行していた東南アジア東アジアの各国の「韓流」現象と比較

という方法から分析評価するのを目標にしたそのために東南アジア東アジアの諸

国の「韓流」現象の状況や効果を調べそこから得たことを日本の「韓流」現象と比較し

た特に日本の「韓流」現象はドラマ『冬のソナタ』から始まったので日本の場合は

『冬のソナタ』を中心に分析した

その結果 「韓流」現象の波及効果の面(韓国文化への関心が高まり韓国のイメージが

) 肯定的に変化 経済効果発生など では東南アジア 東アジアと日本がほぼ同じだったが

「 」 韓流 現象の原因の面では異なった 東南アジア 東アジア地域の場合は 中国の政治

経済 文化的な状況の変化と香港の中国への返還そして台湾の放送環境など複雑だったが

『 』 「 」日本の場合は 年日韓ワールドカップ共同開催と の 冬のソナタ 放映が 韓流2002 NHK

『 』 「 」 のベースとなっていた ドラマ 冬のソナタ の人気も日本での 韓流 の要素であるが

それより大事なのは や日本の文化産業界が「韓流」ブームを積極的に利用したとこNHK

ろにあると思われるなぜかというと 年日韓の『冬のソナタ』効果による経済的な2004

利益が韓国より日本のほうが多かったからであるつまり日本での「韓流」は とNHK

日本の文化産業界が『冬のソナタ』のブームを利用したマーケティング戦略が経済的な反

響をもたらしたうえに マスメディアの話題化によって生まれたということである 無論

韓国大衆文化自体の魅力もあったがそれより日本の文化産業資本が『冬のソナタ』を利

用して 「韓流」を作りだしたというのが日本における「韓流」現象の正体であるだろう

年日本での「韓流」ブームは「日韓友情年 」とつながりこれからの日韓の2004 2005

文化交流はもっと活発になると予測されるしかしながら 「韓流」現象にも不安の要素が

「 」 ある 何よりも 日本で 韓流 ブームを起こしているのは 日本の文化産業資本であり

韓国の何人かの俳優であるからである特に日本の場合は『冬のソナタ』を中心にした

韓国のドラマと特定の俳優に人気が集中しているため 日本での「韓流」は韓国文化の総

体的な流行とは言いにくいしかし大事なことは「韓流」によって日本と韓国が第 次2

世界大戦以降もっとも友好的な関係になったということであるだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 29 -

『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 30 -

野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 31 -

―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

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『赤い鳥』とその時代

山崎 智子

論文のねらい

主に大正期に刊行された児童向け雑誌『赤い鳥』について取り上げた 『赤い鳥』の童話

に好んで取り上げられた題材は家庭の様子友情過去の郷愁などである登場人物は今

から見ると生き生きと描かれておらずよくいえば模範的にすぎており一見現実的な

世界が描かれているのだが仮構された印象を受ける作品が多いように感じられるこのよ

うな『赤い鳥』の作風を一応の西欧化が定着した大正という時代との関連のうちに考察し

ていくことを示した

第一章 『赤い鳥』について

『赤い鳥』の創刊以前の児童雑誌についてみていった 『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉は

当時出版されていた立身出世戦争美談任侠がテーマとなり主人公が活躍する様子が

講談調で綴られた物語を子どもの刺激をあおる下品で軽蔑に値するものと考えていたよ

うだそのため三重吉は従来とは異なる上品でなめらかな口語体を使用し登場人物の感

情を重点に描いた作品を掲載した『赤い鳥』を大正 年に創刊した7

第二章 作品分析

『赤い鳥』の童話について分析したとくに家庭のようす親子関係について描かれた

作品に着目した一見当時の現実世界を描いているようにも考えられるがなぜか仮構され

た印象を受ける作品で描かれる家庭は西洋風の生活様式の裕福な家庭であり登場する

大人たちは子供や動物を慈しみ尊重するまた子供たちは自発的にものごとを学び取る

ことができ体の不自由な人の気持ちを理解し気遣うことができるほどの人格をもつ様

子で描かれているしかしそれらの美しい心を持つ登場人物達が奇妙な印象さえ与えてい

第三章 大正期と『赤い鳥』

まず『赤い鳥』の読者層について見ていった 『赤い鳥』の読者は農村よりも都市いわ

ゆるホワイトカラーとよばれる都市中間層の子弟が中心を成していたと推測される都市

中間層の人びとは西洋的な趣味を取り入れた生活を送ったしかしそのような生活は一部

『 』の人びとに限られていたという側面が見られる 根拠は必ずしも十分ではないが 赤い鳥

の作品において「個人の尊重博愛平等」といった西洋準拠の価値意識に基づいたと推

測される理想的人物が描かれているが大正期の現実にあってはそのような理想を実現す

ることは困難であったのだろうそうして現実と理想が乖離した結果作者たちは童話の中

でみずからの理想像を登場人物に投影したのではなかろうか

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 30 -

野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 31 -

―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 32 -

那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 33 -

―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 34 -

阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 30 -

野田秀樹の作品における「原作」の再解釈

唐澤 千恵

本論文は野田秀樹のパロディーまたはアレンジ戯曲とその「原作」を比較し論

じていくことを目的とする扱う作品は 『真夏の夜の夢 ( 『半神 ( 『贋作 』 ) 』 )1992 1986

罪と罰 ( 『贋作桜の森の満開の下 ( )であるこの四作を選んだ理由は』 ) 』1994 1989

戯曲のオリジナル作品として野田が選ぶ「原作」が多岐のジャンル時代にわたって

『 』 『 』いることを紹介するためだ 実際 真夏の夜の夢 のオリジナル作品である 夏の夜の夢

1984は ルネサンス期のイギリスの戯曲で 戯曲半神 のオリジナル作品になる 半神 は 『 』 『 』

年に少女漫画雑誌に発表された作品であるさらに 『贋作罪と罰』は 世紀ロシ 19

アの長編小説 『罪と罰』が 『贋作桜の森の満開の下』は 年に発表された短編小 1947

説『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』がオリジナル作品になっている

「 」 「 」 こうした野田の 原作 を意識して作られた戯曲は 原作 のキャラクターの設定や

テーマを生かしながらそこに野田自身が芝居において大事だと考えている「娯楽」的

な要素が盛り込まれているまた野田のそんな「娯楽」の要素が 「原作」にはなくか

つ単なる揶揄やパロディーにも終わらない彼自身の「オリジナル」な物語を作ってい

「 」 くのだ そして ときおり戯曲内に現れる 娯楽 的要素を含まない真剣みのある台詞は

その情緒的な部分が強く印象に残る以下それについて詳しく述べる

まず野田は 「原作」を土台とした戯曲の中に 「はて」と「果て 「テイショク(定 」

)」 「 ( )」「 ( )」 「 」 「 」職 から 焼肉 定食 餃子 定食 など ある言葉から コトバ への ひらめき

を生かそうとしていることがわかったそうした洒落で 「娯楽」の要素を 「原作」より

もさらに取り入れようとしている姿勢がここからわかってくるまた野田が「ひらめ

き」や「言葉遊び」などから導き出した自身の「オリジナル」の話と 「原作」の物語を意

識した話がたびたび戯曲内で往来するように物語が構成されているということも留

意しなければならないところである

さらに野田は オリジナル作品のテーマや 印象的に残る部分を 野田版の戯曲の中に

主に「叙情的な」台詞を通して取り入れてもいるそれは 『贋作桜の森の満開の下』に

おける夜長姫の最後の台詞や 『贋作罪と罰』英の罪の告白の台詞などにたとえられ

る今まで野田の「スピード」感や「ひらめき 「娯楽」にあふれた戯曲の世界にのめり」

こんでいればいるほどその感情に任せた台詞は観客の不意をつきはっとさせるの

だ以上からオリジナル作品がその戯曲の土台となっている野田の作品は 「原作」を通

しより野田の戯曲の特徴を特に表していると考えられるのである

こうした野田秀樹の演劇はまだわけのわからないものとして[ ] 「ジェットコemputy

ースター」と評されることもあるだがそれでも活動の仕方を変えない彼がこれから

先どのような戯曲を執筆していくかということはぜひ注目したい事柄である

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 31 -

―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 32 -

那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 33 -

―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 34 -

阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 31 -

―太宰治の書簡と作品の関係について―太宰治論

鈴木 奏子

本論文では主に作品にみられる手紙の特徴及び効果と太宰治が手紙をどのような存在

と認識し作品に利用したかを考察した太宰治はその作家生活において常に手紙に関係す

る作品を書き続けていた

太宰治の作品は一人称で語られる場合が多くこの特有の文体は潜在的二人称と呼ばれ

ている潜在的二人称とは読者に直接語りかけてくるようなかたちをとるこのような表

現をしていた理由は絶えず読者への伝達を意識せずにはいられなかったからだこの語り

の方法は形式上手紙に酷似していた

作品内の手紙の機能について「葉桜と魔笛」を例示した手紙の基本的性質は特定の差

出人と特定の受取人がいること 偽証可能性 私的性 秘匿性 告白の媒体 保存可能性

読むか否かの選択権時間的空間的距離などであったまた手紙の変型として「きり

ぎりす」から離縁状を 「斜陽 「おさん」から遺書をみた手紙との相違点は離縁状は 」

別離を前提にした自己内省であり遺書は最後の心情吐露と一方通行を強制することであ

る 「風の便り 「トカトントン」は往復書簡体形式であり複数の語り手が存在するため 」

重層性がある

「虚構の春」は複数の特定個人から「太宰治」への来簡集である 「虚構の春」の頃太

宰治は川端康成と芥川賞をめぐる応酬があり芥川賞を受賞出来なかったことを含めそ

の直接的な原因となった読み方に激怒する川端康成がしたように「虚構の春」で読者が

作中人物と作家を重ねてみていることを表現している太宰治は作家と読者の関係の修繕

を標榜して「虚構の春」を創作したと思われるしたがって太宰治は「虚構の春」で読

者という他人の目による作品を試み現実に受取った手紙を取り入れたのである雑誌発

表時には実在する手紙の差出人が実名で載っていたり太宰治の実際の作品名が話題に上っ

たりしているので「虚構の春」の内容は現実と虚構の区別が判然としないしかし原稿

依頼が後に手違いだったと判明するなど複数の手紙を配列した構成の効果は大きい手紙

の中には太宰治自身の体験ともとれる内容が別人の名前を付与されて紛れ込んでいる太

宰治は手紙の受取人「太宰治」を設定しつつ他人の名前を付けた手紙によって作者の

事実あるいは事実と思われるような出来事を書いた

「パンドラの匣」は太宰治の読者木村庄助の日記を換骨奪胎し書簡体形式にした作品で

ある日記と書簡体という現実感を引き出す要素を持つもの同士が組み合わされている

主人公が一人称で語り随所で君と呼びかけられるので 太宰治の文体が顕著に感じられる

太宰治は書簡体形式を多用したがそのため特に「太宰治」が登場する作品は理解し難

いものになったそこに一片の太宰治像を垣間見ることは可能だが作者本人とは一線を

引くべきだと思った

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 32 -

那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 33 -

―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 34 -

阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 32 -

那須正幹作品と子どもたち

中村 さやか

新聞やテレビの報道などで本離れ活字離れが進んでいるという話題を耳にする手軽

に楽しむことのできる新しいメディアの登場により敢えて読書というものを選択しなく

とも情報を簡単に取得することができる世の中になってしまったのだその中でも特に活

字離れが進んでいるといわれるのは子供たちである彼らを対象とした作品である児童文

学は過去どの時代を見ても子供たちの社会的な立場や考え方と関わりが深いならば現

在のこのような変化も何かしら上に挙げたような子供たちの変化と関わっているに違いな

いそこで 年もの長期に渡り続いたシリーズである那須正幹「ズッコケ三人組」シリー27

ズを取りあげた上でその周辺における子供たちの意識の変化周囲の環境の変化を考え

ながら子供たちと本の関わりについて探っていくことにした

「ズッコケ三人組」シリーズとはごく普通の小学 年生の 人の男の子が主人公の物語6 3

であるこの少年たちが事件を起こし巻き込まれそしてそれを解決していくという物

語がこのシリーズのほぼ統一した流れとなっている各巻で起こる事件は必ず少年たちの

日常の延長線上に突然現れるというのがこのシリーズの大きな特徴であるそしてもうひ

とつ主人公たちのキャラクター像がはっきりと示されているというのも大きな特徴とい

えるこの 大特徴によって読者は物語の世界に上手く導入され主人公とともに冒険へ2

と出発するのであるそこに待ち受けているのはありそうだけどあり得ない世界それが

ズッコケシリーズの世界なのである

この冒険ということに関して作者の那須正幹は読者からの手紙を通してその受け止め

方の変化を感じたと話す初めの頃は「物語に触発されて自分もやってみた」というよう

な現実に近い存在であった物語の世界も 年代になると「自分にはやれないことを三人90

」 組がやってくれて楽しい といったファンタジーのような世界に変化しているというのだ

このような読者の受け止め方の変化は実際の子供たちの変化にも通じる部分がある那須

正幹はこういった部分にも気を掛けながら作品に冒険を盛り込んでいるその彼の描く冒

険は子供の頃の実体験に基づいたものであるという冒険を通じて味わう達成感や喜び

そしてそれと隣り合わせの危険を現代の子供たちにも感じてもらいたいと話す那須正幹

子供たちの置かれている環境がすっかり変化してしまった現代では彼の抱く冒険論を伝

える手段は物語を通じてというのが最も有効なのかも知れない

改めて見直してみると出版された時代に応じた子供像が見え隠れする一方で昔の作品

がつまらなく最近の作品が面白いなどという世代間格差を感じることもない現役の子供

から親世代まで幅広く愛されている作品こう考えてみるとこのシリーズは実に不思議な

空気を持つ人の生きるという普遍性を信じつつ新たな挑戦を続ける那須正幹の作品は

きっとこれからも時代に応じた子供たちへのメッセージを発していくのだろう

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 33 -

―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 34 -

阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 33 -

―少女唱歌隊から「タカラヅカ」へ―宝塚歌劇団の誕生と変容

五十嵐 玲子

今日の宝塚歌劇団は演劇の中で「宝塚歌劇」という一つのジャンルを形成している

それは宝塚歌劇団の特徴である女性が男性の役を演じるということだけでなく衣装

演技台詞脚本演出全ての総和として宝塚歌劇団が持つ特殊性によるものである

しかし成立当初の宝塚歌劇団は今日ある劇団とは異なる性質を持っていたそれは少

女達への西洋音楽の教授という学校教育に基づく考え方であった唱歌隊は現在の宝塚歌

劇団よりも公共性を持っていた

しかしその性質は日本における西洋文化受容の成熟とともに弱まり一方で宝塚歌劇

団が宝塚歌劇らしさを打ち出すという商業性が強くなっていった宝塚歌劇団はレビュー

の移入にともない現在のような宝塚歌劇らしさを打ち出し 「タカラヅカ」あるいは

「 」というブランドを作り上げ宝塚歌劇を演劇の中の一つの特殊ジャンTAKARAZUKA

ルとして確立させた

宝塚歌劇の最初期の性質はどのようなものであったのかまたそれをどのような要因に

よって変化させていったのか現在の宝塚歌劇とはどのようなものであるのかそれを考

察する

第 章 宝塚少女歌劇団の設立1

ここでは宝塚歌劇団という名称の前身である宝塚少女歌劇団が設立されるための要因

――創設者小林一三三越少年音楽隊日本へのオペラの移入と演劇改良運動の関係性に

ついて小林一三の自伝三越少年音楽隊の設立理由オペラの移入の歴史書などを調べ

てまとめ考察する

第 章 小林一三の演劇事業への野心と女性観-宝塚歌劇はなぜ「国民劇」にならな2

かったか-

宝塚少女歌劇の成功を受けて小林は演劇事業への野心を抱く小林は東京の日比谷に

演劇街を作り国民が家庭単位でたのしめる娯楽としての「国民劇」の創生を目論むこ

の「国民劇」の構想は西欧の大劇場主義の影響をうけたものであったしかし小林はその

女性観により宝塚歌劇団を「国民劇」と考えなかった

第 章 現在の宝塚歌劇3

宝塚歌劇団外部には宝塚歌劇団に対するイメージがあるまた一方劇団側は宝塚

歌劇そのものが虚構であることを全面に押し出しそこに宝塚歌劇の演劇的な存在意義を

もとめている

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 34 -

阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 34 -

阿部和重論

茂出木 将之

本論文は阿部和重の文学観や阿部和重の作品世界における物語構造ないし描写方法

について論じるものであるまず第一章では阿部和重が 「 文学」という文学ジャンル J

の中でいかに評価理解されているかを概観した 「 文学」は佐藤良明 秀実大塚 J

英志などからそれぞれ「 」回帰」的 「ジャンク」的 「ずらしの文学」といった様々「 J

「 」な評価をうけており 多重の意味をもっている 阿部和重の作品は そういった 文学J

的な要素を断片的にもち得るものであるが阿部和重がつくる物語はしばしば侮蔑され

る「 文学」作品として軽視すべきではなく時代に即した問題を提起する文学作品といJ

う意味で今後の作品にも注視すべきである第二章ではデビュー作『アメリカの夜』

について分析したここでは阿部和重における「小説」と「映画」の二面性が物語上

の語り手にも反映されている語り手が二人に分裂するというテーマを用いることで二

重の物語世界が構築されておりまた描写方法では身体や事物の詳細な描写擬音語の

繰り返しなどの「映像的描写」が駆使されている第三章では 『インディヴィジュアル

プロジェクション』について分析したここでは物語における語り手の分裂が 『アメリ

カの夜』で見られた二重のものから多重の分裂として表現されているまた 『アメリカ

の夜』に見られた映像の問題がいわば心理的な水準に移行し 「心理的投影」として表現

されているそして第四章では 『シンセミア』について分析したここでは物語が三

人称形式を採用することである種ポリフォニックな物語になり得ていることを理解する

ことができた また 物語の共同体内における パノプティコン 的監視網の考察から 特 「 」 「

権的映像」の質的変化について理解することができた

『アメリカの夜 『インディヴィジュアルプロジェクション 『シンセミア』の三作』 』

品をこうして順番に論ずることで阿部和重が最終的に独特の物語構造――「他者性

の増大」と描写方法――「映画的描写」へと行き着いたことを理解することができた一

人称形式で書かれた前二者においては 「語り手の分裂」を描くことで自己が内省的批評

「 」 「 」 を試みる様が表現されており また 映像的描写 と 心理的描写 という二つの形式が

描写の生々しさを可能にしていたしかし 『シンセミア』における三人称形式によって

自己と他者が連結する物語世界が構築されることになったまた描写についてはカメ

ラ的視線を用いることで 「映像的描写」と「心理的描写」を発展させた「映画的描写」な

るものが成熟したのであるこれらを可能にしたのが 「小説家」と「映画批評家」をパラ

レルにこなす阿部和重の資質なのである

本論文では 「映画批評家」としての阿部和重を十分知ることができなかった課題を挙

げておくならば彼の映画観なるものを知りえて初めて阿部和重の全体を語ることが可

能になるのかもしれない

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 35 -

記号化する都市

小川 庫右

都市がldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのは 年代その象徴的事例と1970

して「パルコ渋谷店」のイメージ戦略が挙げられるこれは都市がメディアとしての側面

を持つようになったことを意味しているこのような都市のメディア化が当時の文化記

号論消費社会論とシンクロナイズしていたことは言うまでもない本稿はこうした都市

の消費社会化記号化に焦点を当てている

一方現在ではそれが都市に止まらず郊外という新たな場所でも見られる点に注目し

ているつまり本稿の目的は 年代の都市の消費社会化を受けてそれが郊外において1970

も同様に見ることができるのかむしろ 年代的な「都市-空間 「都市-消費」の方1970 」

法論とは異なる形で見られるのではないかという私の視座を提示することである本稿で

はこの点を「スペクタクルな都市」から「フラットな郊外」という図式で捉えている前

者が非日常的な記号で覆われていたのならば後者は日常的な記号に埋没しており郊外

はあらゆるモノが汎用し氾濫する「汎(氾)-記号化」した場と言えるだろう

以上の視座を提示するために本稿は 章構成をとっているまず第一章では都市の消4

費社会化の流れを確認する上で明治期の百貨店の室内化戦略と「パルコ渋谷店」のイメ

ージ戦略を取り上げているそれは百貨店が建物(ハコ)の内部をひとつの街のように演

出したこととパルコがハコの置かれた渋谷という街そのものを自らのイメージ空間とし

て演出したこととを対応させるためである上述のように 年代の渋谷において都1970

市はldquo非日常性を演出する装置rdquoとして発見されたのである第二章ではパルコの戦略

の限界を提示し郊外という新たな場所が誕生したことを見ているそれは都市が都市に

なり得ていた言説が崩壊したことを意味している第三章では都市の衰退と郊外の成長

によって消費の場が都市から郊外へ移っている過程をロードサイドビジネスの成長から検

証しているロードサイドビジネスによって郊外の風景が均一化されると同時に私たち

の消費生活もまた均一化されるのである第四章では 年代の渋谷で見られた「他者1970

のまなざし (自分がまなざすことが相手からまなざされることを意味しそうすることで」

自らが演者として振舞うようになる)が現在の郊外には存在しないという私なりの結論を

述べているなぜなら郊外は<未来>への希求の場ではなく日常の中に埋没している

場つまり 「まなざすこと」と「まなざされること」が相互媒介的でなく完全に切り離

されていると考えられるからである

「スペクタクル」でldquo非日常性rdquoに覆われた都市から「フラット」で完全に日常の中に

埋没した郊外へそれはまさにどこへ行っても同じような風景が広がりどこへ行って

も同じようなモノが手に入る空虚で閉塞感漂う現代社会そのものを表しているように思

われるのだ

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 36 -

ldquo その起源と現状Ebonicsrdquo

小柳 真美子

どれほどの日本人がエボニクスという言葉について知っているだろうかエボニクスと

は アメリカ国民の一部が話す言葉を指す 外国人にはなじみがない言葉である 試しに

辞書で調べてみるとどうだろうか 実際 外国人向けの辞書には載っていないことが多い

しかしアメリカ社会で暮らす人々にはきちんと認識されている言葉である近年まだ

まだ数は少ないがやっと辞書にも載るようになった言葉である

エボニクスとは何かエボニクスという単語の持つ意味はアフリカ系アメリカ人に

深く関係しているしかしながらその定義の認識は人によって違う場合が多い私がエ

ボニクスという言葉に始めて出会ったのはアメリカ合衆国で交換留学中に受講していた

異文化コミュニケーション論の授業内であったエボニクスを単純に一つの定義で断定

することは出来ない誰も詳細に説明出来ないこの単語に興味を持ち数年前このldquoエ

ボニクスrdquoを巡って大きな論争が起きたことを知ったその論争は何と過去 年にも渡30

っていて現在もあらゆる場面で引き続き議論が行われているのである

エボニクスを取り巻く環境は明らかにヒスパニック系の人々がアメリカ合衆国で話す

スペイン語などの他の言語とは異なっており複雑である国土が狭く一つの言語で成

り立つ日本に住む私達にはなかなか理解し難い問題である

エボニクスについての討論はオークランドで下された決定のためにスタートしたのだ

がそれはアメリカ合衆国全体に大きな影響を与えたエボニクス論争が起こったことに

より多くのアメリカ国民に学校で起こっている重要な問題に目を向けさせるきっかけと

なった多数の議論の内容はエボニクスが標準英語より劣ってはいないことエボニク

スについて教師も知るべきであるし一つの言語として認識されるべきであるといったも

のである

異なることそして差別という問題は密接に絡み合っているそれはエボニクスを取

り巻く環境においても同じことである ldquo差別rdquoの難しさそれは自分の中の差別意識に

自分で気付かないことが多々あるということである差別の意思をはっきり示す一部を除

き ldquo無言の差別rdquoが日々起こっているのであるさりげない仕草言い回しからも差別は

始まっている マジョリティに属していれば 差別が起こっているという意識は芽生えず

全く気付くことはないそこにある違いを理解することと受け止めて適応していくこと

とは違う

本論ではそんなエボニクスの起源とその状況を調べその展望を探ることをテーマと

している

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 38 -

年度卒業生2004

卒業論文概要 新潟大学人文学部文化コミュニケーション履修コース

- 37 -

交通の発達から見た富山県

舘田 大輔

交通というものが明治から現在にかけての富山県のイメージ形成にどのように影響し

てきたのかを探ろうと考えたそれらを考える上で大きく三つの段階に分けてみる

日本に鉄道が開通したのは明治 ( )年である当時も現在もそうであるが富5 1872

山県がまず克服すべきだとされていたのが都市圏との格差がもたらす後進性からの脱却

であった県内では明治以前から関西方面との結びつきから鉄道の発展が始まった

文明開化の象徴としての鉄道をもたらすことによって後進性からの脱却を切望した明

治中ごろの鉄道敷設状況は太平洋岸では東京から東北や関西方面を結ぶ路線が縦貫し

北海道九州四国にも鉄道が敷かれ始めているが日本海側では大阪と敦賀が結び付

いているだけで建設政策に含まれていなかった県内においては明治 ( )年に30 1897

最初の鉄道が県内だけの局地的なものとして起こったがそれらも明治 年の鉄道開5

業から遅れること 年であるこの時代の富山県は太平洋側を中心とした考え方から見る25

と「裏日本」と呼ばれその格差に苦汁をなめていた明治 年から始まった第一次鉄道19

会社設立ブームに反映され日本海側各県のldquo裏日本化rdquoが拍車をかけられた

第二期としては水資源を生かした電源開発県やそれらから派生した工業県へと変貌し

ようとする時期である明治中期鉄道建設の遅れは即工業化の遅れを意味しまた資

本主義経済化経済近代化のための産業基盤構築の遅れを示していたそれに乗り遅れま

いと豊富な水源開発のために鉄道を敷くこととなった その開発地としての立山黒部を

今まで「表日本」にあるような目ぼしい観光地などがなかった富山県においての観光産業

の礎にしようとも画策されたしかしこれらは激化する太平洋戦争によって中断さ

れることを余儀なくされたのである

第三期としては戦後に再開された挙県的事業としての近代開発への着手であるその

中で立山連峰は国立公園事業として開発されることになり日の目を見ることとなった

昭和 年当時の吉田県知事の「山の夢」構想が現在の富山県の顔といってもよい立山黒34

部アルペンルート開通による観光立県へ向けた県の動向のきっかけとなったただこれ

らの構想では年間 万人もの観光客の入りを期待しているなど見通しの甘い面が指500

摘できる実際には立山の登山客は戦前が 万人といわれケーブルカーなどの順次開1

発により 万人に増加し 「黒四」や立山黒部アルペンルート開業以後は 万人を超20 100

える人々が訪れているにすぎない

こうして考えてみると交通の発達によって県イメージの改善は多少なりとも図られ

たようだがそれが確固たるものとして定着していないように思う課題としては後進

性の格差を埋める努力をするだけではなく地方の強みを開拓し将来的な北陸新幹線の

開業といった交通体系の変化に合わせた柔軟な対応をとっていくことだろうと考えられる

年度卒業生2004

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- 38 -

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