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研究論文子ども社会研究8号ノ(ノl"・"α/(I/CMdSI"dy,Vol.8,June,2002:23-39 子どもの生と死の認識といのちの教育 津野博美・石橋尚子 1はじめに 文部省が1989年に学習指導要領を改訂して以降、学校では「生命に対する畏敬の念」を育 てることが重視され「人間尊重の精神をさらに深化させ、生命のかけがえのなさを理解させ ること」が要請された。そこで教師は性教育をはじめ、道徳、理科教育などを中心に多くの 場面で生命尊重の学習を行ってきた。例えば子どもたちに、母親から自分の誕生時の話を聞 かせたり、受精の仕組みの学習ではこの世に生まれる確率が数億分の1であることを知らせ たりした。一人ひとりのいのちのかけがえのなさを実感させることにより、自分のいのちも 友達のいのちも大切にする子どもを育てようと取り組んできたのである。 しかしながら今日、少年による犯罪やいじめ、自殺など、子どもが子と÷ものいのちを脅か す事件や事例が数多く報道されている。子どもたちの中にいのちを大切にする心が育ってい るのか、疑問視せざるをえない状況である。生命尊重の教育は充分に実を結んできているの だろうか。 斎藤ら(1992)は「生命尊重教育の指導の実態をみると、生命尊重に関する学習によって 生命の大切さについては理解しているが、日常生活の中での行動の実践が伴っていないこと が多くみられる。今後の生命尊重教育では実践化をめざした指導が強く望まれる」とし、こ れまでの学習、指導方法の問題点を述べている。その一方で植村(1998)は、いのちの重み が失われつつある背景に、核家族化の進行や医療技術の進歩により、家庭から人間の「誕生」 や「死」が切り離され、子どもたちが本物のいのちにかかわる機会が非常に少なくなってき ていることを指摘している。さらにゲーム機でのリセットボタンによる生き返りや、バーチ ャル1ノアリティーなどの急速な浸透は、子どもの「生命観」に否定的な影響を及ぼしはしな いのかと危倶している。また柳川・高橋(1998)は「児童・生徒は死をテレビのニュースやド ラマなどで、間接的に経験することが多く、しかもその中には非現実的で、歪んだ「死」が 増加し、人間の死を厳粛に受けとめ、生命を尊重するといったことが乏しい」といっている。 そしてデーケン(2000)は「死をみつめることによって生きることの意味を深く考えられま す。いつかは死ぬということは、今生きている時間が限られているからこそ尊いのだ、と気 付くことでしょう」と述べ、牧野(1996)は「人間の死を考えることは、人間としての生き 方、在り方の根本を論じることであり、心の教育そのものである。死を見つめてこそ生は限 りなく輝き、価値あるものとして大切にされる」といっている。 (つの。ひろみ兵庫教育大学)(いしばし・なおこ兵庫教育大学) 23

子どもの生と死の認識といのちの教育 - 日本子ども …...子どもの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋 児童に回答を求めた。2.3結果と考察

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研究論文子ども社会研究8号ノ(ノl"・"α/(I/CMdSI"dy,Vol.8,June,2002:23-39

子どもの生と死の認識といのちの教育

津野博美・石橋尚子

1はじめに

文部省が1989年に学習指導要領を改訂して以降、学校では「生命に対する畏敬の念」を育

てることが重視され「人間尊重の精神をさらに深化させ、生命のかけがえのなさを理解させ

ること」が要請された。そこで教師は性教育をはじめ、道徳、理科教育などを中心に多くの

場面で生命尊重の学習を行ってきた。例えば子どもたちに、母親から自分の誕生時の話を聞

かせたり、受精の仕組みの学習ではこの世に生まれる確率が数億分の1であることを知らせ

たりした。一人ひとりのいのちのかけがえのなさを実感させることにより、自分のいのちも

友達のいのちも大切にする子どもを育てようと取り組んできたのである。

しかしながら今日、少年による犯罪やいじめ、自殺など、子どもが子と÷ものいのちを脅か

す事件や事例が数多く報道されている。子どもたちの中にいのちを大切にする心が育ってい

るのか、疑問視せざるをえない状況である。生命尊重の教育は充分に実を結んできているの

だろうか。

斎藤ら(1992)は「生命尊重教育の指導の実態をみると、生命尊重に関する学習によって

生命の大切さについては理解しているが、日常生活の中での行動の実践が伴っていないこと

が多くみられる。今後の生命尊重教育では実践化をめざした指導が強く望まれる」とし、こ

れまでの学習、指導方法の問題点を述べている。その一方で植村(1998)は、いのちの重み

が失われつつある背景に、核家族化の進行や医療技術の進歩により、家庭から人間の「誕生」

や「死」が切り離され、子どもたちが本物のいのちにかかわる機会が非常に少なくなってき

ていることを指摘している。さらにゲーム機でのリセットボタンによる生き返りや、バーチ

ャル1ノアリティーなどの急速な浸透は、子どもの「生命観」に否定的な影響を及ぼしはしな

いのかと危倶している。また柳川・高橋(1998)は「児童・生徒は死をテレビのニュースやド

ラマなどで、間接的に経験することが多く、しかもその中には非現実的で、歪んだ「死」が

増加し、人間の死を厳粛に受けとめ、生命を尊重するといったことが乏しい」といっている。

そしてデーケン(2000)は「死をみつめることによって生きることの意味を深く考えられま

す。いつかは死ぬということは、今生きている時間が限られているからこそ尊いのだ、と気

付くことでしょう」と述べ、牧野(1996)は「人間の死を考えることは、人間としての生き

方、在り方の根本を論じることであり、心の教育そのものである。死を見つめてこそ生は限

りなく輝き、価値あるものとして大切にされる」といっている。

(つの。ひろみ兵庫教育大学)(いしばし・なおこ兵庫教育大学)

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子ども社会研究8号

これに対して日下(2000)は、学校教育において死が「扱いにくい対象であること、死か

らイメージする不吉、不安、恐怖そして、人間の力では解決しきれない領域であることから

忌み嫌うところがあった」と述べる。確かに「死」の学習に取り組むとなると教師には、子

と.もたちの恐怖心をあおってしまうのではないか、かえって「死」を意識し、自殺を考える

子が増えるのではないか、などの不安がつきまとう。その上、教師自身の死生観も問われる

のではないかと考え込んでしまう。しかしながら、いじめや自殺、他殺をも行ってしまう子

ども界の現況にあって教師はもはや「死」の学習から逃げてはいられない。

これまでの「生命尊重の教育」での取り組みには、生や誕生に視点が置かれているものが

多いが、「いのち」とは、デーケンや牧野が指摘するように「生と死」、相反するものが一体

となったものである。「生と死」が表裏一体となっているにもかかわらず、「生」に偏った生

命尊重の教育のもと、「死」をタブー視し、子どもたちに触れさせないようにしていたので

はないだろうか。「死」を学ぶことなく、子どもたちにいのちを大切にする心を育てようと

したのには、やはり無理があったといえよう。今こそ「生」と「死」の両面から学ぶ「いの

ちの教育」が必要ではないかと考える。折しも、今回の学習指導要領の改訂により実施され

る総合学習などは「いのちの教育」に取り組む好機となりえるのではないだろうか。

そこで本研究では、学校教育において「生」と「死」の両面から学ぶ「いのちの教育」に

取り組むために、まず子どもの「生」や「死」の認識と発達を把握することを目的とした。

しかし、今なお大人の世界であってもタブー視されている「死」を児童に聞くことができる

のか、それによる弊害はないのか疑問が残る。そこでまず予備調査では、6年生を対象に

「生」や「死」の意識と調査の可能性を探っていった。つぎに本調査では、予備調査の結果

をもとに調査協力校の教諭の助言を仰ぎ、調査用紙の改善を図った。そして改善した調査用

紙をもとに、調査対象児を3年生から6年生に広げ、「生」や「死」に対する認識とその発達

について明らかにしていくことを目的とした。

2予備調査

2.1目的

質問紙による小学6年生の「生」と「死」に対する意識調査の実施とその検討。

2.2方法

(1)調査対象児:愛媛県S小学校6年生14名(M9,F5)

(2)調査手続き:①「児童の生と死についての意識調査用紙」の作成…小幡ら(2000)、仲

村(1994)、上薗(1993,1995,1997)、上薗ら(1997)を参考に17問からなる質問紙を作成した。

その内容は問2.3「死」「いのち」のイメージについて、問1・4・5・6.7・10・11・12・13死につい

ての意識、問8.9「死ね」という言葉の使用状況について、問14・15生き物とのかかわりにつ

いて、問16・17「死」や「いのち」の学習についてである(表2・4・6~8参照)。②質問紙によ

る意識調査の実施…2000年9月、授業時間に集団実施。質問紙の各設問を調査者が読み上げ

24

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子どもの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

児童に回答を求めた。

2.3結果と考察

(1)「死」「いのち」のイメージ

問2「死ぬとはどんなことか」の回答は、上薗(1997)を参考に表lに示す「感情項目」「事

柄説明項目」「死後の世界項目」「人動物とのかかわり項目」「原因項目」「儀式項目」「そ

の他」の7項目に分類した。結果は表2に示すとおりである。表2より「感情項目」「事柄・説

明項目」に該当する回答が多く、中でも「悲しい」という回答がもっとも多かった。

また、問3「いのちと聞いてと.う思うか」の回答も、上薗ら(1997)を参考に表3に示す、

「感情項目」「大切・1つ項目」「有限・消滅項目」「生存項目」「死・死後の世界項目」「人・人と

のかかわり項目」「自然・生き物項目」「誕生項目」「その他」の9項目に分類した。その結果

は表2に示すとおりである。表2よりいのちと聞いて「大切」「1つしかない」と答えている児

童が多い。問2と3では「死」と「いのち」のイメージの問い方に表現上違いが生じたので、

表1「死」のイメージ分類項目表

分類項目の種類 主な回 答例

感情項目 こわい、悲しい、いや、生きたい、死にたくない、気持ち悪い、

聞きたくない、痛い、ひどい

いなくなる、寿命・命が終わる、暗い、いつか死ぬ、死んだら何も

できない、生きかえらない、やかれる、感じない、何も見えない

事柄・説明項目

死後の世界項目 天国、地獄、死後(別)の世界、神様、天使、幽霊、閻魔大王、

悪魔、あの世

人・動物とのかかわり

項目

祖父母の死、動物の死、会えない、会いたい、生き物、動物、人、

家族がいなくなる、家族の泣き顔

原因項目 病気、事故、殺人、乗り物、毒、死刑、自殺

儀式項目 お葬式、お通夜、お墓、遺骨、お経

その他 黒、赤、反省しないといけない、別にどうも思わない、病院

表2「死」「いのち」のイメージ

質問項目 分類項目 男女合計

【問2】

「死ぬ」とはどんなことか。

感屑項目

事柄説明項目

死後の世界項目

人・動物とのかかわり項目

原因項目

儀式項目

その{山

6402200

6510010

2912210

【問3】「いのち」と聞いてど感情項目大切

う思うか。大切・1つ項目

有限・消滅項目様子

生存項目説明

死・死後の世界項目

人・人とのかかわり項目

自然・生き物項目

誕生項目

その他

030210001

060001103

090211104

25

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子ども社会研究8号

表3「いのち」のイメージ分類項目表

主 な回答例分類項目の種類

いや、生まれてきてよかった、うれしい、すばらしい、悲しむ、い

のちをなくしたくない、ずっと生きていたい、かわいそう感情項目

大切、大事、1つ、尊いもの、むだにしてはいけない、かけがえの

ないもの

大切・1つ項目

いつかはつきる、消える、すぐになくなる、限りがある有限・消滅項目

生きている、生きている間にあるもの、生命生存項目

死.死後の世界項目いのちがないと死ぬ、死、地獄、天国、閻魔、お釈迦様、魂、天使人、心臓、自分、人と人をつなぐ、いのちといのちの支え合い、人に会える、祖父母の死.

人・人とのかかわり項目

自然.生き物項目動物、自然、地球、生き物、植物、宇宙、生き物には必ずある赤ちゃん、新しいいのち、誕生、一生の始まり誕生項目

どういう形か、考えたことがない、浮かばない、白、明るい、この

世、永遠、見えない、ハートの形、機械でいうモーター、テレビコマーシヤノレ

その他

仁一亘墓到正死 三二唾亜工亟「]

3

1

2511

21

-人あたりの回答数

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7

S2

一ー一一一」

5年1

-----.J

6年学年

図1-人あたりの「死」「いのち」のイメージ回答数

本調査では改善したい。

(2)死についての認識

表4より、問1「死を考えたことがあるか」の問に対して、8名(57.1%)の児童が「ある」

と答えた。児童は「自分やペットの病気のとき」「夜寝ているとき」などに死を考えると答

えていた。問4「死ぬとどうなるか」の回答は、仲村(1994)の研究を参考に表5に示す、「現

実派項目」「想像派項目」「感情項目」の3項目に分類した。結果は表4に示すとおりである。

調査人数は少ないが女児は現実派、男児は想像派に大別された。

問5「死んだ人は生き返ってくるか、こないか」について、3名(21.4%)の児童が「生き返

へ〆

竺0

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子とゞもの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

表4死についての意識男女合計回答質問項目

48432

【問1】

「死」について考えたこと

ある

ない

わからなし

42

10

があるかく42 2

どんなときに考えたか。 自分やペットの病気

夜寝ているとき

父母のけんか

31

20

11

7345

【問12】「死にたい」と思つあるたことがあるか。ない

2 7

211111

どんなときに考えたか 悲しいとき

ショックをうけたとき

父母のけんか

わすれた

113

002

099現実派(つめたくなる会えない等)

想像派(霊天国生まれかわる等)

感情(悲しいいや等)

【問4】死ぬとどうなるか。25

101

24

21130

1251

【問5】死んだ人は生きかえ

ってくるか、こないか。

生きかえる

生きかえらない

人によってちがう

わからない

381’

7411【問6】

「死ぬ」ことはこわいと思っ

は い

いいえ

わからな(

12

01

11

たことがあるか3 30

31111

理由 人に会えない

いなくなる

したいことができな

意思がなくなる

地獄に行く

生きかえれない

33111

02000

生きた↓

7512は い

いいえ

わからな1

【問7】

「死ぬ」のはいやだと思った 02

00

02

二とがあるか。541したいことがある。生きた

こわい.悲しい・いたそう

人に会えない.見えない

みんなが悲しむ

理由431

320

111

【問10】死ぬとはどういうことかだれかに聞いたことはあ

るか。

131

05

18

ある

な い

1 01~1,つどんなときか。 わすれた

【問11】死ぬとはどういうこ

とかだれかに話してもらった

ことはあるか。

1個一

05

18

ある

なし.

1 01いつどんなときか々 「死ね」と言ったとき

51 3801

やった一勝った弱いな

次はどんなところかな

気のどく

I,"13】テレビケームで相手

を倒す場面を見たときどう思

うか。

11

10

れない」と答え、8名(57.1%)の児童が「人によって違う」と答えた。「生き返れない」と答

えた割合は低く、「生き返れない」という認識が暖昧であるといえる。児童の中には「テレ

ビの臨死体験番組を見た」という者も含まれており、メディアの影響を受けているのかもし

れない。

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子ども社会研究8号

表5「死んだ後どうなるか」の回答分類項目表

分類項目の種類 主な回答例

現実派項目 骨になる、もやされる、お墓に入る、埋められる、土にかえる、灰

になる、葬式、くさる、つめたくなる、肉がなくなる、いなくなる

想像派項目 天国・地獄・閻魔大王・神様の所へ行く、幽霊・魂になる、生まれ

かわる、永遠に眠る、花畑に行く、星になる、別の世界に行く

感情項目 悲しい、かわいそう、気持ち悪い

表6生き物とのかかわり

女合計甲力分類項目質問項目

72

13

141

【問14】いま、生き物を飼つはい

ているか。いいえ

【問15】大切に育てた生き物

が死んでしまったことはある

かハ

31

181

50

ある

ない

問6「死ぬことはこわいか」問7「死ぬのはいやだと思ったことがあるか」では、ほとんど

の児童が「こわい」「いやだ」と答えた(表4)。また、問lでは死について考えたことがある

児童が半数を超えていた。そのため、死についてだれかに尋ねる動機が高いのではないかと

思われる。しかし、問10「死ぬとはどういうことか、だれかに聞いたことがあるか」問11

「死ぬとはどういうことか、だれかに話してもらったことはあるか」の問いに「ある」と答え

た者は、どちらも1名で、ほとんどの児童が死について聞くことも、話してもらったことも

ないという結果であった。日本では、大人だけでなく子どもも死をタブーとしてとらえてい

る傾向があると思われる。

子どもたちの話を聞いていると、テレビゲームがよく話題にのぼり、慣れ親しんでいる様

子がみられる。そこで問13「テレビゲームで相手を倒す場面を見たときどう思うか」と質問

した。「気の毒」と答えた児童が1名いたものの、ほとんどの児童が「やった-」「次はどん

な場面か楽しみ」などと答え、テレビゲーム場面において児童は、死を実感していなかっ

ナーノーo

(3)生き物との関わりについて

表6より、問14「今動物を飼っているか」で「いいえ」と答えた2名も、問15「大切に育て

た生き物が死んでしまったことはあるか」では「ある」と答えている。つまりすべての児童

にこれまで生き物を飼った経験があった。そしてわずかに1名の児童をのぞき、ほぼ全員が

生き物の死を経験していた。児童にとって生き物の死は、身近な出来事であった。

(4)死やいのちの学習について

表7より、半数以上の児童が「死」は学びたくないが「いのち」は学びたいと答えた。し

かし、「死」について学びたいと答えた3名は「いのち」についても学びたいと答え、「死」

も「いのち」も学びたいと答えた女児からは「今いじめなどで死ぬ子が多いので、死という

ことを教えるべきである」という意見が寄せられた。全体としては「死の学習は悲しいから

28

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子どもの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

表7死やいのちの学習について

質問項目 分類項目 男女合計

【問16】「死」について学校はし、

で学び たいか。いいえ

18

23

311

はい:どんなことを学びたい死とはと'ういうことか

かう死んだらどうなるか

いじめなどで死ぬ子が多いから死を教えるべき

である

010

201

211

いいえ:なぜ学びたくないの悲しい

か >いや

こわい

後で思い出すから

7201

9211

2010

【問17】「いのち」についてはい

学校で学びたいか。いいえ

81

41

22

はい:どんなことを学びたL

か。

331010

110111

441121

大切さ

し、のちとは何か(学びたい隼)

こわいから

やりました

無回答

いじめなどで死ぬ子が多いから死を教えるべき

である

いいえ:なぜ学びたくないのいや

か。い のちがなくなったらと心配

10

01

1

1

表8死ねという言葉の使用状況

質問項目 分類項目 男女合計

【問8】人に「死ね」と言ったある

ことがあるか。ない

わからない

801

212

013

【問9】人に「死ね」と言われある

た こ とがあるか。ない

わからない

900

104

004

学びたくない」という意見が多かった。

(5)「死ね」という言葉の使用状況について

表8によると、ほとんどの児童が、「死ね」といったり、表8によると、ほとんどの児童が、「死ね」といったり、いわれたりしている。「死ねとい

ったことも、いわれたこともない」と答えた児童はいなかった。「死ね」といった男児8名す

べてが「死ね」といわれ、「死ね」といったかどうか分からない男児1名と「死ね」といった

ことのない女児1名も、「死ね」といわれたことがあった。児童の間では「死ね」という言葉

が非常に軽々しく用いられていた。

(6)調査内容について

人数は少ないものの予備調査より児童は「死ね」という言葉を軽々しく用いていることや、

死にたいと思ったことのある児童が半数近くいたことがわかった。今回の調査結果は、これ

までの指導が不充分だったのではないか、見過ごしていたところがないかなどの反省を促し、

新たな手立てを考えるきっかけとなった。そして児童がいつ、どのようなときに死を考えて

いるのかを知ることにより、児童の内面を探ったり、配慮、支援のあり方を考え、検討した

29

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子ども社会研究8号

りすることができた。

今回のように、調査後児童の抱えている問題解決を図る手立てを考えるという前提のもと、

調査に取り組んだことは教育的効果があったと思われる。しかし、調査後子とミもたちの心の

ケアを考えていなければ、今回の調査が子どもたちの,し、に見えない傷をつけることにもなり

かねない。さらにその傷を見過ごしてしまえば、児童の発達や友人との人間関係にもマイナ

スの影響を及ぼす恐れがある。そこで本調査にあたっては、調査協力校の教諭の助言を仰ぐ

ことになった。本調査では、事後指導の計画が充分でないこともあり、「死ねといったこと

があるか、いわれたことがあるか」や「死にたいと思ったことがあるか」の質問項目を削除

するなと§、調査用紙の改善を図ることにした。

また予備調査実施後、児童に調査内容などについて意見を求めたところ、「死」について

の質問に、反対や拒否、否定的な意見を持つ児童はいなかった。そして、5年生以下の児童

への調査が可能であるか問いかけると「低学年ではまだ死の意味がわからないと思う」とい

う意見が多く聞かれ、「泣くかもしれない」という児童もいた。しかし3.4年生以上であれば

実施可能ではないかということだった。

さらに今回調査をした児童の中には、2年前母親を病気で亡くした経験をもつ者がいた。

この児童は日頃から感受性豊かな子どもであり、調査による影響があるのではないかと,L、配

し、調査終了後、個別面接によって調査内容などについての意見聴収をした。児童の内面を

深く探ることはできていないが、今回の調査についての拒否的な反応は見られず、問題点を

あげることもなかった。しかし、児童が6年生であるということや、母親を亡くし、すでに2

年という歳月が過ぎていることが、大きく影響しているのかもしれない。やはり調査の実施

にあたっては、今後とも充分な配慮が必要であると考える。

3本調査

3.1目的

児童の「生」と「死」に対する認識とその発達の検討。

3.2方法

(1)調査対象児:兵庫県H小学校3年生33名(M18,F15)4年生28名(M16,F12)5年生26名

(M14,F12)6年生29名(M16,F13)

(2)調査手続き:①「児童の生と死についての意識調査用紙」の改善・調査協力校の教諭と

ともに、予備調査と児童の実態をふまえた調査内容の検討を行った。その結果、1l問からな

る質問紙を作成した。質問紙の内容は問1-1・1-2・1-3性別家族構成について、問2.3は「死」

「いのち」に対するイメージ、問4.5.6.7は「死」についての意識、問1-4・8・11は生き物との

かかわり、問9・10は「死」や「いのち」の学習についての児童の考えである(表9~13参照)。

②質問紙による意識調査の実施…2001年2~3月、授業時間に集団実施。各設問を学級担任が

読み上げ児童に回答を求めた。

30

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子と・もの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

3.3結果と考察

(1)性別・家族構成について

児童の性別、家族構成は表9に示すとおりである。今回の調査では、祖父母との同居の有

無による、死に対する意識の違いは見られなかった。

(2)「死」「いのち」のイメージについて

表10より、問2「死と聞いて思いうかべること」の言葉数(1人あたり)は、3年2.67,4年

1.75,5年1.46,6年2.17で、3年生がもっとも多い。一方問3「いのちと聞いて思いうかべる

こと」の言葉数(1人あたり)は、3年1.67,4年1.21,5年1.38,6年2.0で、こちらは6年生が

もっとも多かった。どの学年も「いのち」より「死」から思いうかべる言葉の方が多い。

また、「死」から思いうかべた言葉を、表lに示す7項目に分類した結果は、表10に示すと

おりである。表10より、全学年通して多くみられた言葉は「感情項目」の「こわい」「悲し

い」であった。4.5.6年生では「感情項目」「事柄説明項目」に集中しているが、3年生は

「人動物とのかかわり項目」が最も多く、次が「感情項目」だった。また、「いや」「死にた

くない」「動かない」「意識がない」のように、死を拒否的否定的にとらえた言葉がみられ

る中、6年生に「おもしろそう」「楽しそう」「好奇,L、がわく」という肯定的な言葉があった。

「いのち」から思いうかべた言葉を、表3に示す9項目に分類した結果は、表10に示すとお

りである。表10より、「大切・1つ項目」の言葉が多くみられたものの、その数は加齢ととも

に減少し、6年生では、「大切・1つ項目」より「自然・生き物項目」の方が多くなっている。

また3年生では「大切・1つ項目」に次いで「死・死後の世界項目」の言葉も多い。これは、問

2「死のイメージ」の影響を受けているのかもしれない。

表9性別家族構成について

3年4年5年6年合計回 答質問項目

餌駆

6311

4211

6211

8511

男子

女子

御織

792066021

221111

【問1.2】

家族構成

Ⅱ艸弱羽蝿塊叫弱8

11

779646380

221

668439485

221

127901782

3311

父母の

父母兄姉弟妹沮祖そ

79966816

37122

27007458

11

88324252

80302087

294343239

同居

別居

1年間に毎日

3~5日ぐら↓

10日ぐらい

20日く・らい

lか月ぐらい

その他

【問1.3】

祖父母との関係

31

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子ども社会研究8号

表10「死」「いのち」についてのイメージ

質問項目 回 答 3年4年5年6年合計

【問2】

「死」と聞いてどのようなこと

を恩いうカン<る力も

感情

事柄・説明

死後の世界

人・動物とのかかわり

原因

儀式

その池

9914203

1211

2611441

3 5723100

11

5151515

31

例偲旧鋼浬旧9

合計

一人あたりの回答数

87862

95471

鉛妬1

832

316。2

【問3】

「いのち」と聞いてどのような

ことを思いうかべる力も

感情

大切‘1つ

有限・消滅

生存

死・死後の世界

人・人とのかかわり

自然・生き物

誕生

その他

312227314

581006211

1132004231

500538151

425755807

16

112111

合計

一人あたりの回答数

57561

剥別1 8

633.1

805。2

183

(3)「死」についての意識

表11より、問4「人は死んだ後どうなるか」の言葉の数(1人あたり)は、3年2.0,4年1.43,

5年1.15,6年1.17で、3年生がもっとも多い。この言葉を表5に示す3項目に分類した結果は、

表l1に示すとおりである。学年によって差はあるものの、全体を通してみると「現実派項目」

と「想像派項目」の言葉の数は同じだった。「現実派項目」で多くみられた言葉は「骨にな

る」「もやされる」「お墓に入る」などである。一方「想像派項目」では「天国地獄・閻魔大

王・神様のところへ行く」に集中していた。だがこれは、加齢とともに減少する傾向にあっ

た。また、予備調査ではみられなかったが今回6年生では「わからない」という回答が多か

った。また6年生は、「想像派項目」より「現実派項目」の言葉の数のほうが大幅に上回り、

「死」の事実よりも「天国・地獄に行く」「花畑に行く」「霊界に行く」など、別世界を志向し

た言葉が多くみられた。

表11より、問5で「死」について考えたことが「ある」と答えた児童は67名(57.8%)で、全

ての学年において、その半数近くの児童が死を考えていた。そこで「ある」と答えた児童に、

「いつ、どのようなときに考えたか」と質問したところ「テレビ・漫画・本を見ていて」や、

「つらいとき」「落ち込んでいるとき」「自分がいやなとき」「,し,が傷ついたとき」「疲れてい

るとき」のように精神的に不安定な状態のときが多かった。また、約8割の児童が「ある」

と答えた3年生では、その半数の児童が「死」を考えた理由に、「祖父母・知人・ペットの死」

をあげていた。この設問は、児童の内面に配慮するという考えのもと、児童が自分自身の死

を考えたのか、他者の死を考えたのかを、明らかにすることができなかった。

表11より、問6で死とはどういうことか、だれかに聞いたことの有無で「ある」と答えた

勺へ

_j垂

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子どもの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

表11「死」についての意識質問項目 回答 3年4年5年6年合計

【問4】 現実派項目

想像派項目

感婿項目

わからない

5920

32

7120

12

801111

8600

8651

771

死んだあとどうなるか。

合計

一人あたりの回答数 0

6、62

0344 5

013.1

071

413.1

【問5】

「死_|を考えたことがある

か。

ある

左 い

わからない

625

2 404

11

105

11

685

1 709

631

どんなと き に 考 え た か 回 答 数 46151328102

【問6】「死」とはどういう

ことかだれかに聞いたこと

があるか。

坐→

の つ

ない

わからない

8961

4771

2771

568

998

162

【問7】「死」とはどういう

ことかだれかに話してもら

ったことはあるか。

ある

ない

わからな↓

508

11

6751

754

4781

295

352

児童は19名(16.4%)だった。どのようなときに、だれにきいたのかを問うと、ほとんどの児

童が「祖父母・知人・ペットが死んだとき」と答えた。話を聞いた相手は母親が10名ともっと

も多く、次いで父親2名、先生2名、祖母、妹、教会の人がそれぞれ1名だった。児童は「な

ぜ死んだのか」「死んだらどこへ行き、どうなるのか」「いいことをしたら生まれかわるのか」

などの質問をしていた。

また問7で「死について話してもらったことがある」と答えた児童は32名(27.6%)で、そ

のうち15名が3年生だった。その時の状況を質問したところ「祖父母・知人・ペットが死んだ

とき」「ニュースを見ているとき」「ケガをしたとき」「道徳の時間」などと答えた。話をし

てくれた相手は母親6名、祖母4名、先生3名で、以下祖父、父親、お坊さん、教会の人、獣

医、塾の先生がそれぞれ1名である。話の内容は「知人、近くの犬が死んだ」という情報提

供や危険に対する注意のほか、「自分で死んだら地獄に行く」「幽霊になる」「死んだら帰っ

てこない」「死は必ず訪れ、その後生まれかわる」などであった。教会の人からは「イエス

様と一緒だからこわくない」お坊さんからは「死んだらどこに行くのか、どうするのか」と

いう話を聞いていた。

(4)生き物とのかかわり

表12より、問1-4で「動物が好き」と答えた児童は93名(80.2%)、問11で「飼育活動が好き」

と答えた児童は69名(59.5%)だった。3年生では「飼育活動が好き」と答えた児童が7割を越

えるなど、多くの児童が動物と友好的なかかわりを持っていた。また、大切に育てた生き物

の死を経験したことがある児童は88名(759%)で、その生き物はハムスター・金魚・カブト虫

などであった。「生き物が死んで感じたこと」を問うと、各学年とも「かわいそう」「悲しい」

という答えがもっとも多い。3年生では生き物の死をきっかけに、「寿命が短い」「人間や動

物は必ず死ななければならないのか」「死の世界に引きずりこむ」のように考える児童もい

33

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子と.も社会研究8号

表12生き物とのかかわり

3年4年5年6年合計回答質問項目

321

92

206

2 213

2 405

2517

2【問1-4】

動物の好き嫌し

好き

きらい

どちらでもない

801

998

63

535

2 242

420

【問11】

飼育活動についてどう思う

.か‐

すき

きらい

どちらでもない

873

1 063

2 853

811

904

2 123

2【問8】

大切に育てた生き物が死ん

でしまったことはあるか。

ある

ない

おぼえていない

68283338167死んでしまった生き物回答数

生き物が死んで感じたこと回答数 41212628116

3021242297死んだあとどうしたか回答数

表13死やいのちの学習について

質問項目 回答 3年4年5年6年合計

【問9】はい

「死」について学校で学びいいえ

たいか。わからな↓

580

7102

556

9371

673

361

【問10】

「いのち」について学校で

学びたいか。

652

2 684

1は い

いいえ

わからない

466

1 487

1 079

721

「いのち」

「いのち」

「いのち」

「いのち」

も「死」も学びたい

は学びたいが「死」は学びたくない

は学びたくないが「死」は学びたい

も「死」も学びたくない

4214

11

6017

7307

4915

1433

33

た。一方高学年になると「育て方が悪かった」「申し訳ない」「自分のせい」のように、自分

と生き物のかかわり方について反省する様子がみられた。さらに6年生の中には「生き物を

大切にするようになった」「がんばって生きようと思った」のように、「死」から「生」を考

える児童がいた。「死んだ生き物をどうしたか」については、全学年半数以上の児童が「お

墓を作った」「埋めた」と答えたが、「ほっといた」「何もしない」「捨てた」という児童も3

名いた。

(5)「死」や「いのち」の学習について

表13より、70名(60.3%)の児童が「いのち」について学びたいと答え、36名(31.0%)が

「死」について学びたいと答えた。「いのち」も「死」も学びたいと答えた児童31名のうち14

名が3年生で、3年生の学習意欲が高い。いのちを学びたいという理由は各学年「大切だから」

がもっとも多い。6年生では「学校で生き物を飼っているから」「いのちを奪う犯罪が増えて

いるから」「簡単に人や動物を殺しているから」「いのちは生きることにつながる」など、い

のちを考えるにあたって死を意識した回答がみられた。死を学びたい理由には「死とはどう

いうことか知りたい」「こわいから」「自分の考えが正しいか知りたい」「みんなの考えを知

りたい」「死ねという人がいるから」「自殺する人がいるから」「もっと真剣に考えられる」

34

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子と.もの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

「犯罪が多発しているのも死をよくわかっていないから」などがあった。

いのちを学びたくない理由は「おそろしい」「こわい」「気持ち悪い」「意味がない」「役に

立たない」などである。死を学びたくないという理由で多かったのは「こわい」である。さ

らに「死んだ祖父母や動物を思い出す」「えんぎが悪い」「意味がない」「ちゃかす人がいる」

「死ねといわれたらこわい」のほか、5.6年生には「小学校では早い」「自主的に学んだほう

がいい」というものもあった。また「いのちも死も学びたくない」と答えた児童は「こわい」

「意味がない」と考えていた。多くの児童が「死を学びたくない」と答えたが「死を学びた

い」と答えた児童は、「死」ということからいのちを見つめ、よりよく生きようとする姿が

みられた。

(6)児童の生と死についての意識調査について

調査実施後、学級担任に調査中や調査後の児童の様子について話を聞いた。教師によると、

4.5.6年生では質問紙に真剣に取り組む様子がみられ、これまでの授業実践や教師の姿勢な

と§も影響しているのではないか、ということであった。今回、意欲的な回答を示した3年生

では、調査中飼っていた犬の死を思い出し感極まって泣いてしまう子がいたということであ

る。教師が無理に質問に答えなくてもよいと声をかけたものの、児童は途中で止めることは

なく全ての問いに真剣に答えていた。しかし3年生では調査実施後数日たっても、こわいと

いう気持ちが残っている子がいたり、「先生自身は死ときいてと§う思うか」などの質問をし

てきたりする子がいたということであった。また懇談会で保護者から「今回の調査が家庭で

の話題になった」という話が聞かれたとのことであった。また教師から「子どもの潜在意識

の中に「死」という言葉の持つ恐怖心ができあがっている。『死」のマイナスイメージは

「生」イメージをかき消してしまうほどのインパクトの強さをもっている」という感想が述

べられた。

4「いのちの教育」への取り組み

今回の調査より「死を学びたい」と前向きに考えている児童は、少ないものの「死を学び

たい」と答えた児童からは「死」ということから「いのち」を見つめ、よりよく生きようと

する姿がみられた。やはり「死」を学ぶことによって、その対局にある「生」の意味や大切

さがより深く理解されることが、「いのちの教育」ではないかと考える。そこで、数は少な

いが最近書籍などで紹介され始めている「生と死」の授業案を23集め考察してみた。

23の授業案のうち、ねらいの中で「死」についての記述があったものは、7つである。そ

のうち「死について考える」「自分もやがては死ぬ存在であることを理解する」のように、

学ぶ視点のとして「死」をとりあげたものは2つしかなかった。またその内容は「死」であ

っても、人命救助のようにいのちに着目しているものや、「・・・水面には人の姿が全くな

かった」のように「死」について間接的に表現されたものが多くみられた。さらに23の授業

のうち、2年生と全校生徒対象の授業案はそれぞれ1つで、残し)すべてが5.6年生を中心に3年

生以上の学年で実施され、1年生での取り組みはなかった。1・2年生を対象としていのちの教

35

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子ども社会研究8号

育をどのように取り組んでいくか、今後検討していく必要があるといえる。23の授業案のう

ちおよそ半数以上が道徳の授業として主に5.6年生で実施されていた。その内容は児童が資

料をもとに登場人物の気持ちになって「死」を考えるというもので、導入部分で「家族の死

に出会った人はいますか」など、人の死について児童の考えを発表させていた。しかし今回

の調査でもみられたが、子どもたちにとって「死」とはどういうことかの認識には幅があり、

共通理解が図られているとはいえない。子どもたちに「死」が充分理解されないまま、登場

人物の気持ちになって「死」を考えることができるのだろうか。「死」は子どもたちに真剣

に受け止められず、尊厳ざを感じさせることができないのではないだろうか。

西本(2000)の実践では、全体の指導計画の時間を12時間に設定し、性教育、健康教育、

安全教育、道徳教育、地域学習を関連づけながら「死」を学習する取り組みになっていた。

西本は一人ひとりの子と・もたちの実態や家庭環境に配盧し、事前に「死」や「死を考える学

習」に関連のある事柄についてのアンケート調査を行い、授業に取り組んでいる。2年生に

とって、やや内容が多すぎる気もするが、誕生について学んだ後、「死」とはどういうこと

か話し合いを通じて学習していた。さらにその後、よりよい生きかたを考えさせるなど、い

のちを「生」と「死」の両面から多角的に見つめ、うまく関連づけた授業となっている。ビ

デオで胎児の成長の様子を見せたり、家族の話を聞いてこさせたり、絵本の読み聞かせを取

り入れたり、地域の供養塔の写真を示したりと準備や学習の工夫がなされている。子どもた

ちも興味をもって、意欲的に学習に取り組めたのではないかと思われる。しかし西本は授業

後、「2年生の子どもたちが死というものを自分のこととして意識するのはなかなか難しいよ

うであった」と感想を述べている。授業実施学年が適切であったか、児童の発達に即した学

習内容であったか見直す必要がある。

ゲストテイチヤーを教室に招き話を聞くという取り組みが2例あった。これは、と§ちらも

ガン患者を教室へ招き、自己の体験を語ってもらうというものである。まず「ガンになった

ときの気持ち」が述べられた後、一方は「ホスピスについて」、他方は「「死」を見つめ前向

きに生きていくことを勇気づけられた本の話」について語られた。どちらについても子ども

たちの感想や質問は、「ガンにかかっているんだから、気の弱そうな人かと想像していた」

「ガンになっていやなこと、苦しいことはないか」などガンという病気に集中していた。け

れども、家族がガンで亡くなったことを思い出して死を考えたり、ホスピスの必要性を感じ

たり、スタートがあるからゴールがあるとしていのちの重みを考えたりしているものもあっ

た。2例のうちl例は事前に「死について」という題で作文を書かせた後、話を聞かせてい

た。話の内容や子どもの学年による違いがあるものの、児童の感想をみると、事前に作文を

書いて話を聞いた方が、より深まりのある内容であると感じた。ゲストテイチャーによる取

り組みは貴重な意義深い学習である。しかし、そのようなチャンスにいつも恵まれるとは限

らない。やはり日頃の授業実践の中で取り組むことのできる「いのちの教育」を考えていき

たいものである。

烏山(1985)は4年生を対象に、保護者の協力のもと、いのちの尊さを学ぶ取り組みとして

「にわとりを殺して食べる」という実践をしている。これは子ども自身に、にわとりを殺す

という経験をさせ、いのちについて強く深く考えさせた取り組みである。烏山は「にわとり

司〆

jO

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子と.もの「生と死」の認識といのちの教育:津野・石橋

殺しについては、ひとりひとりの考え方が微妙に違っている。しかも、男子と女子の違いは

大きい。子どもの作文にはこのほかに、にわとり殺しと戦争を結びつけて書いたものがあっ

た」と述べ、その後さらに、いのちについて考えさせる学習を重ねていた。教師自身の決断

ものと、児童の実態を把握し、保護者の協力を得て取り組み、さらに授業の積み重ねをする

ことによって成立した授業であろう。しかし、児童の感想を読んでいると、「死」に対して

の恐怖や嫌悪感を強くしてしまっている印象を受けた。にわとりを殺した子と殺さなかった

子の、互いに相手に対する考え方の違いは烏山が考えている以上にとても大きいものではな

いかと感じる。これまで、スーパーのパック詰めされた精肉しか知らない大人や子どもに、

いのちを食べている現実を突きつけた大変衝撃的な実践である。しかし、ここまでしなけれ

ば「いのち」を学ぶことができないのだろうか。子どもたちが抱いていた恐怖や嫌悪感は、

その後どのように変化したのか気にかかるところである。

大塚(2001)は3年理科のモンシロチョウの飼育活動をもとに、子どもの観察日記を資料と

していのちの学習に取り組んでいた。この実践ではまず、児童一人ひとりにチョウの飼育を

とおして「生」や「死」を体験させ、「生」や「死」がどういうことかを話し合っていた。

学校では飼育活動にも取り組んでいるが、生き物の死に接することがなかったり、飼育が他

人事となってしまって生き物の死を実感できなかったり、軽んじてしまうことがある。日台

(1992)も、「飼っている動物が死んだ時こそ『いのち」を理解させるチャンスである。(中略)

多分子と・もが、その対象の「生』にと・のように現実的にかかわったか、その深さによって

「死」への認識のステップや時間に相違がでるのだろう」と述べている。「いのちの教育」の

実践として飼育活動を見直すことも必要ではないだろうか。

内田(1997)は「小学6年生に対して「死」をどこまで提示してよいか悩み、校内でも話し

合ったが、真剣に語れば子どもたちは真筆に受け止めてくれるだろうと考え、実施した。,L、

配していたように、「生きていることをうれしく思った。でも、いつ死ぬかわからないので

こわい」と発言した児童が2名いた。この2名とも、普段の学習到達度は比較的高く、真剣に

考えた結果だと思い、あとで過度に恐怖感をもたないよう、個別に時間をとり、アフターケ

アを図った」と授業後の感想を述べていた。「死」の学習には、充分な配慮と授業後のケア

が必要である。そのためにも保護者に学習の趣旨を説明し、理解と協力を仰ぐことが必要で

はないかと考える。「死」は大人も避けてきた問題である。子どもと教師だけでなく、保護

者にとっても「死」を学ぶ機会として、参観日などの利用も考えていきたい。

「いのちの教育」として「死」を扱った授業実践は始まったばかりである。まだ、どの学

年にどのような授業が適しているのか明確にされていない。そのため、全学年を見通した系

統立った取り組みを目にすることは少ない。今後は授業実践後の効果や成果を明らかにしな

がら、学習を積み重ねていくことが必要である。

5まとめと今後の課題

学校教育において「生」と「死」の両面から学ぶ「いのちの教育」に取り組むために、そ

37

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子ども社会研究8号

の手がかりとして、児童の「生」や「死」に対する意識を明らかにしようと、質問紙を作成

し調査を試みた。

その結果、半数以上の児童が「死」について考えたことがあり、「死」に対して恐怖心を

もち、拒否的・否定的にとらえていることがわかった。また、多くの児童が「死」について

考え、さらには生き物の死をも経験しているにもかかわらず、児童は「死」がタブーである

と感じているのか、「死」について話してもらったり、聞いたりすることは少なかった。一

方「いのち」ときいて、多くの児童が「大切である」と認識していたが、加齢にともなって、

「大切である」という認識が、わずかながらも減少していたことに、不安を感じた。

また調査前、3年生ではまだ「死」ということがよくわかっていないのではないか、とい

う疑問があった。けれども今回の調査で、3年生は「死」や「いのち」に関する問いかけに

意欲的に取り組み、「死」や「いのち」について真剣に考えようとする姿がみられた。また、

3年生は「祖父母・知人の死」や「大切に育てた生き物の死」の経験を真筆に受けとめていた

だけでなく、いのちの授業への学習意欲も高かった。清水(1991.1992)も指摘するように、3

年生(9歳)は「死」を学ぶのに適した学年であるといえるかもしれない。

「いのちの教育」として「死」を扱った授業実践は始まったばかりで、今後どの学年にど

のような授業が適しているのか明確にし、全学年を見通した系統立った取り組みとしていく

必要がある。また「いのちの教育」の実践にあたっては、充分な準備だけでなく、授業後の

ケアや配慮も必要である。そのためにも保護者の協力体制を整えておくことが重要であると

考える。

本調査において数人ではあるが、「死とはどういうことか他の人の考えを聞いてみたい」

という意見が聞かれた。確かにこれまで、授業の中で身近な人や大切に育てた生き物との死

別体験を話題として、教師自らが語ったり、児童が話したりすることはあまりみられなかっ

た。しかしお互いの「死」や「生」についての考えを知ることによって、いのちの大切さを

より深く理解できるのではないだろうか。さらに家庭において「死」や「生」が語られるな

らば、子どもたちは「死」への恐怖、悲しみを乗り越え、限りあるいのちをよりよく生きよ

うとするのではないだろうか。今後「生」だけでなく「死」を扱った「いのちの教育」が広

がれば、さらに授業が工夫され、「死」を扱うことの問題点や取り組みにくさも改善されて

いくだろう。まずは一歩、踏み出したいものである。なぜなら、子と・もたちにとって「いの

ちの教育」は、児童みずからのいのちを輝かせ、生きることの意味、いのちの重みを実感す

ることのできる学習であると考える。

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植村エイ子(1998)『死を学ぶ子と、もたち』4~6頁教育史料出版会

矢口千賀子(1997)「児童自身が課題を見つけ、主体的に取り組む」『道徳教育』112~ll5No.453明

治図書

柳川協・高橋史(1998)「死について中学生と大学生の意識の分析」『岡山大学教育学部研究集録』第109

号75頁岡山大学教育学部

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