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第 4 回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達と遊んでいました。その時地震がありましたがいつものように少 しゆれただけかな、と思っていました。家に帰りニュースを見たら東北の震災のことを報道していて遊 んでいた時にそんな事が起きていたのか、と信じられませんでした。地震と同時に起きた津波や原子力 発電所の事故、そしてそれらは浜松で地震が起きた時も起こる事を初めて知りました。震災から5年た った今被災地がどんな状態なのか、自分の目で 見たかったので、このスタディツアーに参加し ました。 閖上で櫻井さんのお話を聞いて、津波に巻き 込まれ亡くなった方の死体の手足が千切れて体 がバラバラになっていて原形を留めていなかっ たという事を初めて知りました。そして避難所 に指定されていた公民館が2階までしかなく、 消防団から避難所から外すように言われていた のに、避難訓練でいつもそこに避難していたそうです。災害当日も公民館に避難し津波が来たと分かっ て、近くにある小中学校に避難する前に津波に巻き込まれた人がいたそうです。 話が終わり外を見ると朝日がとてもきれいでここで地震や津波が起きたなんてと思いました。 日和山での長沼さんの話を聞いて、石碑に津波 がくるという事が書いてあったけど、閖上の人た ちはずっとこないといわれて避難するのが遅れた そうです。 右の写真の白い棒の一番上の所まで波がきたそう です。すごく高いところまで波がきたのだなと驚 きました。 日和山の周りを歩いてみると、家が津波で流さ れた家の土台があって住んでいた人の食器がたく さんおちていてたくさんの人が津波で家や家族を 失ったのだなと思いました。それらを一瞬で奪ってしまう津波がとても怖く感じました。 仮設住宅で芋煮などを作ったり茶道をしたり歌を歌ったりして、現地の方と触れ合うことができてよ かったです。 スタディツアーで話を聞いて知らなかったことや、報道されていない事が知れたし、浜松が危険だと いう事が改めてわかりました。 大人になって子どもが出来たら東北に行ってこのツアーでの事を伝えたいなと思いました。

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第 4回スタディツアー報告レポート

スタディツアーを終えて

1年1組 鎌倉杏美

東北の震災が起きた時わたしは友達と遊んでいました。その時地震がありましたがいつものように少

しゆれただけかな、と思っていました。家に帰りニュースを見たら東北の震災のことを報道していて遊

んでいた時にそんな事が起きていたのか、と信じられませんでした。地震と同時に起きた津波や原子力

発電所の事故、そしてそれらは浜松で地震が起きた時も起こる事を初めて知りました。震災から5年た

った今被災地がどんな状態なのか、自分の目で

見たかったので、このスタディツアーに参加し

ました。

閖上で櫻井さんのお話を聞いて、津波に巻き

込まれ亡くなった方の死体の手足が千切れて体

がバラバラになっていて原形を留めていなかっ

たという事を初めて知りました。そして避難所

に指定されていた公民館が2階までしかなく、

消防団から避難所から外すように言われていた

のに、避難訓練でいつもそこに避難していたそうです。災害当日も公民館に避難し津波が来たと分かっ

て、近くにある小中学校に避難する前に津波に巻き込まれた人がいたそうです。

話が終わり外を見ると朝日がとてもきれいでここで地震や津波が起きたなんてと思いました。

日和山での長沼さんの話を聞いて、石碑に津波

がくるという事が書いてあったけど、閖上の人た

ちはずっとこないといわれて避難するのが遅れた

そうです。

右の写真の白い棒の一番上の所まで波がきたそう

です。すごく高いところまで波がきたのだなと驚

きました。

日和山の周りを歩いてみると、家が津波で流さ

れた家の土台があって住んでいた人の食器がたく

さんおちていてたくさんの人が津波で家や家族を

失ったのだなと思いました。それらを一瞬で奪ってしまう津波がとても怖く感じました。

仮設住宅で芋煮などを作ったり茶道をしたり歌を歌ったりして、現地の方と触れ合うことができてよ

かったです。

スタディツアーで話を聞いて知らなかったことや、報道されていない事が知れたし、浜松が危険だと

いう事が改めてわかりました。

大人になって子どもが出来たら東北に行ってこのツアーでの事を伝えたいなと思いました。

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スタディツアーを終えて

1年1組 前田千春

私は今回このスタディツアーに参加して本当によかったと思います。この機会を逃していたら被災地

でお話を聞くことも、仮設住宅を訪れて人々と交流することも、もしかしたら一生できなかったかもし

れません。それほどにこのツアーは貴重な体験になりました。

着いてすぐに、閖上で桜井さんの講話を聞きましたが、そこで聞いた話は時間がたった今も薄れるこ

となく記憶に強く残っています。きっとこれから先も忘れることはないと思います。閖上の地のこと、

震災当日のこと、それから現在に至るまでの道のりを私たちに伝わるように、力強く語ってくださいま

した。自分が勝手に想像していたことと現実の違いは大きく、その後の長沼さんのお話でも大きな衝撃

をうけました。私たちが見た閖上の地は、そこがもとは多くの人が住む住宅地だったとは思えない、何

もない場所でした。ごみを拾うため歩いてみると、そこには確かに住宅や階段のあとが残っていて、こ

こに津波がきたことをあらわしていました。周りでは、多くのショベルカーが工事をしていました。東

北の人々の故郷を、震災はこうやって奪ってしまうことを知りました。

そして、名取、郡山の仮設住宅での交流。どちらでも時間はあっという間に過ぎたけれど、たくさん

の笑顔を見ることができました。皆さんは私たちの作った料理や、アトラクションに喜んで一緒に楽し

んでくださいました。来てよかったと思えました。しかし、「花は咲く」と「上を向いて歩こう」を歌

ったとき、聴いている皆さんの顔を見てはっとしました。涙を目に浮かべる方もいました。一人一人が、

震災に対して様々な思いを抱いていることが分かりました。学校で歌ったときとは全く違う気持ちで二

つの歌を歌いました。歌詞の一つ一つが胸に響きました。

帰りのバスで1人ずつ思った事を話すとき、一応は発表したけれど自分の思うことはうまく言葉にでき

ませんでした。今誰かに話してもあまり伝わらないかもしれません。塚田先生がみんな何を言っていい

か分らないと思う、とおっしゃった通り、何とも言えない気持ちでいっぱいでした。

今まで、東日本大震災は遠く離れた地で起きた大きな災害だと、現実に起こった出来事なのに、どこ

か他人事に感じていました。それが大きな間違いで、私たちの住む土地でもいつか起こることなんだと、

今さらですが身をもって知りました。櫻井さんを始め、多くの人が震災のことを話してくださいました。

その話をここ浜松にいる人達にも知ってもらわなければなりません。今回見たこと、聞いたこと、感じ

たことを伝えていかなければなりません。自分たちの経験を一生懸命伝える被災者の方たちの思いを受

け止めていこうと思いました。今回のツアーでのことと震災のことは、ずっとずっと忘れません。忘れ

てほしくないという東北の人達の気持ちを実際に現地で感じた今、さらにその気持ちは強くなりました。

また必ず訪れたいと思います。一生記憶に残る経験ができました。行って本当によかったです。

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スタディツアーを終えて

1年1組 薮内梨菜

東日本大震災が起きてから、4年9ヶ月がたちます。被災地のことが新聞やテレビで報道されること

も少なくなりました。時間がたつにつれ、人の記憶や関心は薄れていってしまいます。実際、私は被災

地の現在の姿を、スタディツアーに参加するまで想像することができませんでした。

閖上の町を見たとき、初めて感じたことは「何もないところだな」でした。瓦礫はすでに撤去されて

いたため、何もない、草だけが生えた土地がずっと遠くまで広がっていたのです。メープル館でお話を

聞くまでは、そこに震災前には沢山の住宅があったことなど想像もできませんでした。しかし、お話を

聞いた後にゴミ拾いをした時、そこには確かに住宅の跡が残っていました。草に隠れていた家の石垣、

割れた食器などを実際に見て、私はようやくここが被災地であり震災前には当たり前の生活があったの

だということを実感することができました。閖上では、地震の直後に避難をしない人や海に近い家に戻

った人たちがいたそうです。私は、あれほど大きな地震の後になぜ直ぐ海から離れなかったのか不思議

に思いました。それは、「閖上に津波は来ない」と言われていたからです。でも実際には、その言葉に

根拠はありませんでした。それどころか、過去に津波が来たことを伝える石碑まであったのです。しか

し石碑の存在は知っていても、意味までは知らなかったそうです。そのお話を聞いたとき、私は伝える

ことの重要性を感じました。もしも、石碑に書かれていたことを閖上の人たちが知っていたとしたら…。

そう思うと、とても悲しくやるせない気持ちになります。

語り部の方がある夫婦のお話をしてくださいました。その夫婦には当時中学生の娘さんがいました。

震災後に娘さんの居場所が分からないので遺体安置所に行ったそうです。いくら捜しても見つからなか

ったとき、娘さんに似た遺体があるという情報があり、ようやく見つけることができました。その遺体

は、夫婦が捜しているときに一度は見たはずの遺体でした。なぜ気がつかなかったのか。それは遺体に

ふだんはしていない化粧がされていたからかもしれないし、遺体の状態があまり良くなかったからかも

しれません。けれどもそれは外面的な要素でしかなく、本当は娘の死を受け入れたくなかったからでは

ないかと思います。大切な人が突然亡くなってしまったら、私はしっかりと受け入れることができるの

だろうか。

このスタディツアーを通して、多くのことを感じたり学んだりすることができました。震災は、私た

ちから多くのものを奪ってしまいます。東日本大震災から時間がたち、瓦礫が撤去され、食べ物には困

らなくなったのかもしれません。しかし、それだけでは本当に復興したとはいえません。私たちが被災

地のことを忘れずいること。そして、もしものときに聞いたことを生かして被害を減らすこと。それが

辛い経験を私たちに話してくださった方々に対して私たちができることだと思います。自分や、家族、

友達を守るためにも、震災について改めて考えていきたいです。今回は、貴重な経験をすることができ

てよかったです。

スタディツアーから学んだこと

1 年 2 組 青木 理史

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今回のスタディツアーは、僕にとって初めてのボランティア活動で、また生涯忘れることのできない

体験でした。

12 月 3 日からスタディツアー準備(0日目)がスタートしました。仮設住宅で使うものや、合唱の

練習(『花は咲く』『上を向いて歩こう』)の練習をしました。そして12月22日夜9時、湖東高校か

ら仙台に向かい出発しました。バス内では旅行代理店の藤沼さんが、被災地のことについて教えて下さ

いました。そのため、しっかりと心の準備ができました。

一日目、AM6:00から櫻井さんの震災当時の話を聞きました。閖上では避難訓練がしっかり行わ

れていなかったと。それが多くの犠牲者が出た理由だと言っていました。

次の長沼さんの話しでは、閖上の人々の中では、津波は来ないと信じられており、地震が起きた後避

難しようとする人は少なかったと。また、長沼さんの友人は家にいる祖母を見てくるよう娘に頼んだと

ころ、娘と娘の彼氏二人が津波に巻き込まれ亡くなってしまった。今も、当時のことをとても後悔して

いると。そして僕たちには、後悔だけはしないでほしいこと、津波を甘く見ないことを教えて下さいま

した。

その後、名取市箱塚桜団地仮設住宅でボランティア活動を行いました。前半は、仮設住宅の方々と餅

つき、遠州焼、芋煮作りでした。お昼は、みんなで作ったものを美味しくいただきました。後半は、空

手の組手、野球部+αの組体操などの発表があり、最後に合唱でした。とくに空手の組手の迫力に仮設

住宅の方々の目が真剣でした。合唱は、2 回目に仮設住宅の方々と一緒に歌うことができて楽しかった

です。

一日目は、震災当時について深く知ることができました。

二日目、昼前に郡山市内の富岡町・川内村南一丁目仮設住宅へ行き、ボランティア活動を開始しまし

た。前半は遠州焼、芋煮作り、お茶とマッサージ、足湯です。自分はマッサージ担当でした。自分が担

当したおばあちゃんが、「来てくれてありがとう。とても嬉しい」と言ってくださいました。このとき、

本当に参加してよかったと思いました。

お昼は一日目同様、みんなで作ったものを食べました。後半も一日目と同じです。でも、場所が違う

からか、まったく違うものに思えました。

二日目は当時のことを詳しく聞きくことはなかったのですが、楽しく過ごすことができ、よかったで

す。

これから生活するうえでやっていきたいこと。また、将来したいことができました。

僕は今まで地域の避難訓練は、部活があったり、休みでもめんどくさいという理由で参加していませ

んでした。ですが今回聞いてきたことの中に、避難訓練が不十分だったため亡くなった方もいることを

知り、自分は今自分自身の身を守ることができるのだろうか、ということを思いました。自分の身は自

分で守る。それができなければならない。そのためにも、これからは積極的に避難訓練に参加していき

たいです。

また、何年かたったら被災地へ足を運び、復興の進みを自分の目で確かめたいです。そして、今回見

てきたことを踏まえて次世代の子どもたちへ、震災のことを伝えていきたいです。

今回はとても良い経験ができました。来年も再来年もスタディツアーに参加したいと思います。東北

の復興が順調に進むことをお祈りしています。

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スタディツアーで学んだこと

1年 2組 池ヶ谷蓮

私は、このスタディツアーを通して、おおきく二つのことを学び、感じた。

一つ目は、今頼れる家族、いろいろなことを話せるたくさんの友達がいることは、あたりまえではな

いということだ。一日目、長沼さんの話を聞いた。涙ぐみながらも、当時の話をしてくれた。長沼さん

が家族のような人を失った話は、「もう同じ思いをしてほしくない。」という気持ちが伝わった。そし

て、仮設住宅に行った。子供は、二つの仮設住宅で一人しか見なかった。いつもあたりまえだと思って

いた家と家族を失い、たくさんの人は、新たな地へ引っ越してしまった後がわかった。いつもいた家族

や友達がいきなりいなくなってしまったらどうだろう?私だったら、とても悲しい。毎日、泣いてしま

うだろう。そんな時、支えてくれたり励ましてくれたりする人がいると大きく変わると思う。「小さい

ことでも大きな助けになる。」「小さな助けも積み重なれば大きなものえと変わる。」と考えた。スタ

ディツアーを通して改めて今いる周りの人達の大切さを知った。震災の被害にあった人だけでなく、今

近くにいる人の力になっていきたいと思った。これからは、進んで地域のボランティア活動に参加して

いきたいと思った。また、小さなことでも自分ができることは、積極的に行動していきたいと思った。

二つ目は、東日本大震災を忘れないことだ。現在、東日本大震災から四年がたった。今日では、東日本

大震災についての記事やニュースが減り、忘れかけられている。東日本大震災の方々は、「忘れられる

のが一番悲しい」と言っていた。いろいろな人にたくさんの話を聞いた。仮設住宅では、遠州焼きを作

った。忙しく仮設住宅の方々としゃべる機会は少なかった。しかし、遠州焼きを食べてくれた人やお代

わりをしてくれた人が笑顔で「おいしかったよ。」、「ありがとう。」と言ってくれた。とても嬉しか

った。また、一緒に歌を歌うとき私と一緒に歌ってくれたおばあちゃんは、「声が出にくい病気で歌い

づらいの」と歌う前に私に教えてくれました。でも、いざ、合唱が始まるとそのおばあちゃんは、精一

杯歌を歌ってくれた。最後には、涙をながしながら温かいぬくもりのある手で握手をしてくれた。その

涙を見て、とても嬉しく自分は、涙目になった。スタディツアーを通して私は一番印象に残った。また、

スタディツアーの活動をしてよかったなと思った。添乗員の藤沼さんの現地を見て感じた話、美味しい

海鮮がたくさん食べられる閖上地区に襲った津波と地震について教えてくれた櫻井理事長の話、親の世

代から「ここは、津波は、こないよ。」と言われたことにより皆が津波をこないと思い込みたくさんの

犠牲者を出してしまったことについて教えてくれた長沼さんの話など一人一人の話は、とても重さを感

じた。思い出したくないあの悲劇を私たちに伝えてくれた。だから、私たちその話は、無駄にしては、

ならない。そのために、私たちが聞いた話を友達や家族に話し、この活動を生かしていきたい。私は、

閖上地区で建物が何もない光景を見た。しかし、遠くを見るとたくさんの建物があり津波がきた所が、

はっきりとわかった。津波の恐ろしさ強さを知った。このスタディツアーでたくさんのことを知りいろ

いろなことがわかった。私たちの住む静岡県は、近いうちに大きな地震がくると言われている。この体

験を生かし自分の身は、自分で守っていきたい。そのために、しっかり家族と避難場所はどこであるか、

その場所は本当に安全な場所か調べておきたいと思った。また、他の人にもこの経験を伝えてたくさん

の犠牲者がもう二度とでないでほしいと思った。スタディツアーに参加して本当によかった。一生忘れ

ない自分にとって、大切な宝物になった。

スタディツアー・レポート

1 年 2 組 梅田豪大

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僕は 2015 年 12 月 22 日、23 日、24 日にスタディツアーに参加して、人生の中でとても大きな体験

をしました。

初日に聞いたゆりあげ港朝市で櫻井さんの話はとても衝撃的でした。ここには津波は来ないというい

われを信じ続けた結果、逃げずに津波に飲み込まれた人もいると聞きました。東海大震災で、僕の地域

には津波は来ないと言われていますがこの話を聞いて、大地震が来たときは高いところに逃げようと決

意しました。このことは、家族はもちろん、近所の人や友人にも伝えて行きたいと思います。そして、

櫻井さんの話では、メディアでは公開されていないことがたくさん出てきました。腕や足、首が千切れ

た人の体が波で流されてきたのを聞いたときは、背筋に悪寒が走り残酷だと思いました。櫻井さんの話

は僕の心にとても響きました。

長沼さんの話の後、子どもたちの名前が書かれた碑石を見ました。まだ、夢も希望もある年頃なのに

自然現象で死んでしまうなんてと思うととても悲しくなり、それと同時に僕たちはとても幸せだなと思

いました。日和山から見た名取市の景色は瓦礫と雑草がほとんどで、清掃活動をしている時も茶瓶やお

わんなどの外にはあるはずもないものが転がっているのを見て僕は災害の恐ろしさを改めて痛感しま

した。

名取市の仮設住宅では皆さんと餅つきが楽しく餅つきができてよかったと思いました。2 日目の郡山

市でも足湯マッサージでリラックスしてもらうことができました。僕たちが被災地に赴くことで現地の

方々に元気を与えることができるんだなと思うとうれしくなりました。しかし、老人の方とはずいぶん

話をする事ができたのですが、東日本大震災の話題はあまり出てきませんでした。現地の人たちは話す

のがあまり好きではないのかなと思いましたが、櫻井さんや長沼さんの話を聞いていたら、現地の人た

ちは僕たちが大地震で同じことを繰り返さないようにするために必死で体験談を語ったり、対策方法を

教えてくれるんだなと思いました。被災者の人たちの思いを無駄にしないために僕はこのとても貴重な

体験を絶対に忘れないようにし、周りの人たちに伝えていき災害の恐ろしさを知ってもらいたいと思い

ます。僕たちはとても幸せです。幸せだからこそ今でも復興に向けて頑張っている東北の人たちの手助

けができたらいいと思います。

来年もこのツアーに参加したいと思いました。

スタディツアーに参加して

1 年 2 組 大屋卓巳

僕は今回古橋君に声をかけてもらったのと、今まで、東北の震災には募金という形でしか支援するこ

とができませんでしたが、いい機会だと思ったのでこの目で見て、聞いて被災地の状況を肌で感じたい

と思い、ボランティアに参加することに決めました。

東北に実際に行ってみて、たくさんのことで驚きを感じました。自分は東北が震災する前も行ったこ

とがありませんでしたが、あまりの建物の無さにびっくりしました。

テレビでは見ていたので、なんとなくは風景を予想していたのですが、それとは全く違う風景のよう

に見えました。閖上漁港について櫻井さんの話から学ぶことがたくさんありました。まず1つ目は、津

波の怖さを知りました。実際にその場にいた人でないとわからないような話を聞いて、津波の怖さを改

めて知りました。この話を聞いて、防災訓練をさらに意味あるものにしていく必要があると思いました。

また、自分たちのもとへいずれくるとされている東海地震に向けての対策にもなりました。

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次に訪れた閖上神社周辺のゴミ拾いの時に、家が流されてしまった後の敷地内にお墓のようなところ

が作られており、とても心に響きました。量増しの工事が始まっているところもあったけれども、まだ

手のつけられていないところでは、あの痛々しい記憶がよみがえってくるような光景が広がっていまし

た。そういったところからも津波の怖さを感じました。

次に1日目と2日目に訪れた仮設住宅に訪れてまず感じたことは、住んでいる人がある程度その場に

慣れているな、と思いましたがそれはまったく違いました。2日目に行った仮設住宅でマッサージをし

ながら、震災の話を聞くと急に眼の色が変わり、深刻な様子で僕らに訴えかけるように話し続けてくれ

ました。なかには、その時の写真を使いながら、丁寧に話してくれる人もいました。そのまなざしから

は、震災のことを忘れないでほしいというメッセージを受け取りました。

これらのことから、自然災害はいつ起こるか分からないので、しょうがない事なのかもしれません。

しかし、東北の人たちは地震と津波によって人、物、職などたくさんのものが奪われました。そんな中

でも5年経とうとしている今、仮設住宅に住んでいる人は、その場の環境に少しでも適合しようとする

姿を見て、今の自分の生活がどれだけ楽であるかを実感しました。自分がもしもその場にいたらストレ

ス等がたまってしまうと思いました。また、被災地では、少しずつ建物が建ち始めており、少しずつ復

興しているように見える半面、側溝のところにはまだ瓦礫がたまっていました。まだまだ震災への支援

は必要不可欠だと思いました。自分たちが年にたった 1 回のボランティア活動だとしても、それがわず

かな活動だったとしても復興に近づくと思いました。

スタディツアーに参加して

1 年 2 組 梶山晏大

私はこのスタディツアーで多くのことを学ぶことができた。

一つ目は被災者の話からである。被災者の話からは被災者の体験が鮮明に伝わってきたので驚いた。

被災の辛さや悲しさを理解することができた。東日本大震災での出来事は他人事ではなくいつ私たちの

地域で起きるかわからないので事前に逃げる準備をして、同じ失敗を繰り返してはならないと学ぶこと

ができた。

二つ目は、仮設住宅でのことである。最初の仮設住宅で私は餅を、仮設住宅を一軒一軒周って配った

仕事が一番印象に残っている。直接被災者の方々と接して実際のところどうかはわからないが、私から

見て仮設住宅の方々は喜んでいるように見えたので、やった甲斐があったなと感じた。学んだことは、

自ら進んで仕事をすることである。これは震災とは関係がないが、学校では学べない大切なことだと思

う。

私はこの体験を家族や友達に話し忘れることがないようにしなくてはならないと感じた。

スタディツアーで学んだこと~被災地の現状~

1年2組 桒原咲季

あの震災から早くも4年が過ぎました。最近では震災について、テレビで取り上げられることも少な

くなり、被災地の現状を知る機会が減っています。そんな中、スタディツアーを知り今の現地の方々の

生活に興味を持ち、参加を決めました。

実際に現地に着くと、道路や施設、交通などはかなり復興している印象を受けました。そのため、震

災直後のような大きな瓦礫はほとんどありませんでした。そのような光景から、目で見る限りは、復興

は進んでいるように感じました。それから、仮設住宅に移動し、まず驚いたことは、仮設住宅に想像以

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上の数の方々がいたことです。私は、それだけ多くの方々が故郷を大切にしているのだと感じました。

それとも、仮設住宅から移動したくても生活費や、知り合いがいなくなってしまうという孤独から移住

できていないのかなとも感じました。それでも、仮設住宅にいることも忘れてしまうぐらいに現地の

方々は元気で、笑顔で私に接してくれました。私はその様子から、少しほっとしました。

それから、私たちは歌を歌いました。そのとき、現地の方々が涙を流していました。やはり、震災で

受けた心の傷は計り知れないものなのだと感じました。隣で歌っていた方は私に震災が起こった日のこ

とを教えてくれました。その方は幼稚園の園長さんで、地震が起きたことを知って急いで車に園児を乗

せて避難先まで逃げたといっていました。そのため、園児は全員が無事だったそうです。園児の中には

1歳くらいの子もいたそうなので、車の中は泣き声でいっぱいだったのかなと思いました。

二日目に行った仮設住宅を見て、驚きました。外見もとてもよく、広間にはお風呂やバリアフリーな

設備がそろっていました。その理由は、きっと原発の被害を受けた地域の方々の住む仮設住宅だからだ

と思います。そんな、住みやすい場所を提供されている方々でも一番ほしいものは、故郷だと思います。

自分自身が被災地に訪れることで、現地の方々の笑顔をつくれた気がします。震災が奪ったものは命

や、街並みだけでなく残された者の思いだと気づきました。ですがその反面、震災は私たちに思いやり

や、優しさを残してくれました。

バスの中で私は初めて放射線測定器を見ました。今は、この器具が必要のない場所に住んでいる私た

ちですが、地震がきたとき放射線で苦しむことがないとはいいきれません。地震はいつか絶対にきます。

だからこそ、地震対策を怠ってはならないことに改めて気が付きました。自分の地域の避難経路を確認

し、家族との連絡の取り方も話し合う必要があると思います。

スタディツアーに行っての感想

1 年 2 組 小林 弘希

僕は、12 月 22 日から 24 日までスタディツアーに参加して被災地の現状といろんな人たちのお話を

聞いてきました。

最初に閖上港の櫻井さんが僕たちのために講話をしてくださいました。それは二日目の最初、櫻井さん

の講話は心に突き刺さるものがあり、辛いという感情と浜松のみんなにもこれだけは真剣に考えてほし

いと言う思いがぎっしりと詰まった内容でした。僕はその時はまだ、一つ一つの状況を飲み込むことが

できずただ呆然としていました。

それから朝食でしたが目の前にある海鮮丼が心地よくのどを通りませんでした。

それから、清掃活動を行いました。瓦礫や缶、ペットボトルなどを拾っていると、瓦礫の下に花束が置

かれてあったり、古びて割れかけているお茶碗を目にしたりしたときはすごく悲しい気持ちになりまし

た。

そして名取市にある仮設住宅へボランティア活動をしました。場所へ着いたときに仮設住宅に住んで

いる方々から笑顔で迎えられました。とても歓迎されているんだなと思いうれしい気持ちになりました。

自分たちが作ったお餅や遠州焼きを食べてもらい、そのあと野球部の組み体操、空手、先生の楽器演奏、

そして「花は咲く」「上を向いて歩こう」を合唱しました。その一つ一つの発表の中で笑いあり涙ありの

とても有意義な時間でした。それから、伊達の牛たんはとてもおいしかったです。仙台の光のページェ

ントは幻想的で心が和みました。

二日目は、福島県郡山市にある仮設住宅へボランティアに行きました。そこでは、足湯、マッサージ、

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豚汁などを行いました。僕は、足湯担当だったのでおばあちゃん、おじいちゃんいろんなお話をしまし

た。特に一番印象深かったのは、息子や孫が帰ってこなくなってしまった。仮設住宅に住んでいる身だ

から、正月も帰ってこれないとおっしゃっていました。家族を震災で亡くすのもすごく辛いことだけど

生きているのに会えないっていうのも辛いことだと改めて思いました。高齢者の方々も県外に行きたい、

旅行がしたいとつぶやいていました。そして一日目同様発表が終わり感動してくれて、今日は良い一日

だと言ってくれたりしました。

今、浜松に帰ってきて思うのは、3日間で学んだことをレポートにまとめられるかどうかがとても心

配でした。バスの車内での一言感想の時も一言でいいのに考えるのに時間がかかってしまっていたので、

レポートを書くときに何を書こうかとても迷いました。実際今書いていますが正直学んだことを言葉に

することがとても困難です。1日目の櫻井さんと長沼さんの講話や、仮設住宅の方々とのふれあいを振

り返って思うことは、静岡にも近々東海大地震は絶対に来る。だから、対策をしっかりとっておかなけ

ればならないと言うことです。閖上地区の人々は、地震の揺れがおさまったあと津波の危険などなかっ

たと聞きました。地域の防災訓練も地域の芋煮パーティーになっていたとおっしゃっていました。浜松

にもいつ地震が来て、津波がどのくらいの高さでどの地域まで来るのかをおおよそ予想しなければなら

ないなと思いました。家庭内での避難先も一回家族でしっかり話して、家にいた場合外出していた場合

など、詳細を明確にしておかなければならないなと思いました。避難する際に最低限必要な物を枕元に

置いておかなければいけないし、ガラスなどに床に散ると危ない物の対策としてスリッパなども用意し

とかなければいけないと思いました。3日間で学んだことを頭の中で処理するのではなく、いち早く周

りの人に伝え、甘い考えを持たないようにしていき、自然災害には絶対に人間はかなわないので、地域

協力して災害を最小限に、被害者を最小限にする努力が自分たちには、まだ足りないと思いました。だ

から、自分から率先して動ける人間になれるように努力していきたいです。

スタディ―ツアーに参加して

1 年 2 組 柴田典吾

今回のスタディツアーに参加し、震災地の方々と交流をして、話をきくことによって、改めて地震や

津波の恐ろしさを感じました。

まずは、最初に津波が襲ってきた、当時の状況について詳しい話を聞くことができました。ここで初

めて知った事は地震が起こったとき、ほとんどの人が津波は来ないと思い込んでいたことです。まさか、

ここまでは来ないだろうと思っている人がほとんどだったと聞きました。地震によって電気がとまって

しまったことによりまわりの状況などの情報が入ってこなくなってしまったことが主な理由だったそ

うです。このことが原因で、津波を実際に見るまで逃げなかった人がほとんどだったため、津波の犠牲

になってしまった人が多くなってしまいました。

この話を聞いたことで地震や津波に対して絶対に無関心になってはいけないと思いました。一人一人

の地震に対する関心が高ければ、たくさんの人が、自分で自分を守ることができ、犠牲になる人が少な

くなると思いました。

次に、被災地の方々と交流をしました。実際に交流をする前は、本当に喜んでくれるのかと不安でし

た。ですが、実際に交流をすることで、たくさん喜んでもらえました。高校生の芸を見ているときは、

手をたたいて笑ってくれたり、自分たちのつくった遠州焼きやいも煮もおいしいと言いながら食べてく

Page 10: 第4回スタディツアー報告レポート...第4回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達とんでいました。その時地震がありましたがいつものように少

れたりしたことがとてもうれしかったです。いろいろな人の笑顔を、たくさん見られたことで、本当に

やって良かったです。

スタディツアーに行くということは、被災地の人たちを元気づけることが目的と思っていましたが、

逆に教えてもらうことがたくさんあり、色々なことを学ぶことができました。とくに、地震のあったと

きの状況を詳しく話してもらったことが心に残りました。自分たちも、いつかは、地震による被害を受

けることがあると思います。そのときのためにも、今回学んだことを活かしていきたいと思いました。

また、家族や友人に話すことで、たくさんの人に地震の恐ろしさを知ってもらい、地震への関心を高め

てもらいたいと思いました。

スタディツアーに参加して

1年2組 鈴木日菜

東日本大震災から4年9か月という月日が経ち、テレビでも震災についての報道は減ってきてしまっ

ていると最近私は感じています。

震災が発生した時、私は丁度学校から帰って来た時でした。「今まで私が体験したことのない不思議

な揺れだ。でも多分大丈夫だろうな。」と他人事のように考えている自分がいました。

そして、テレビや新聞で地震や津波の被害の現状を知りました。毎日毎日辛いニュースを見ている内

に、同じ日本に住んでいる人が被害にあっているのにも関わらず、節電することや募金などしか当時の

私には出来ませんでした。

東北の方々のために他にも何かできることはないものかと当時思っていました。

今回のスタディツアーの募集を見て、その当時の思いがよみがえりました。少しでも私が役に立てる

事はないだろうか、という一心で参加を決めました。

初めの櫻井さんの講話では、閖上地区でも防災訓練が行われていましたが、訓練に参加する殆どの人

が炊き出しで作った芋煮を食べるという目的で来ていたという話をお聞きしました。

閖上の人は「自分の地域には津波は来ないだろう、今回も恐らく大丈夫だろう」と思って、避難しな

かった人が多くいたそうです。それによって多くの命が失われてしまったそうです。ここの避難地では

津波が来る恐れがあり避難地の場所を変えなければいけないと言うことは一部で議論されていたそう

です。しかし、避難地を変更するという事は大きなプロジェクトであり、なかなか行動に移せるという

事ではなかったようでした。閖上地域の方はそのことを後悔していると言っていました。

私の地域でも防災訓練は実施されており、中学生の頃から毎年参加しています。私の住んでいる地域

の避難地は海抜 1.6mで、東海地震が起こったら津波が来るだろうと言われ続けています。東北の津波

被害を知った後でも避難地は変わらずそのままでした。訓練内容もバケツリレー、炊き出し、消火器訓

練などをやっていました。しかし、今年やっと高台に避難するという、訓練をやり始めました。地区全

体で、今まで実施されてきたことを変更することは、なかなか難しい事だと思います。しかし、閖上地

区のお話を聞いてこのままではいけないと感じました。

家族とは、東北震災が起こった直後に避難場所や連絡方法(171)を決めていました。今回のスタ

ディツアー後に私の体験した事を話し家族と再確認しました。

名取市閖上地区での清掃活動では「ゴミ拾い」の作業依頼がありました。その場所は津波の被害を受

けたところで、家の基礎がむき出しになっていたり、各家庭の日用品が地面に埋まっていたりと、津波

Page 11: 第4回スタディツアー報告レポート...第4回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達とんでいました。その時地震がありましたがいつものように少

の爪痕が残されていて、悲しい気持ちになりました。ゴミといっても各家庭で使っていた思い出が詰ま

っている物であると思うと、それをゴミとして拾ってよいのかわからず、私は心が痛みました。また、

誰かが見つけて家の基礎の前におかれた物は、まるで供えてあるような風にも私の目に映りました。

仮設住宅で保育士だったという方からお話を伺うことができました。「保育士のとっさの判断で車に

のせ高台に逃げたことで、園児・職員全員が助かった。」とおっしゃっていました。保育園は津波にの

まれ今は無いそうです。このことは、テレビでも報道され、その一瞬の判断が多くの命を救った勇気あ

る行動に私も感動をしました。

今回のスタディツアーに参加して、自分が普段送っている生活がいかに幸せであるかを実感しました。

それと同時に常に何事にも感謝の気持ちを忘れてはいけないと感じました。このツアーで経験したこと

を他の人に伝えていく事が今後の震災時において一人でも多くの命を救うことに繋がるのではないか

と思いました。

このツアーを企画頂いた先生方、一緒に行った仲間、ツアーへの参加を応援してくれた家族、そして

なにより東北の方々に深く感謝したいと思います。

スタディツアー レポート

1年2組 橋本 江里子

震災直後は数々の報道局で放送されていた被災地の状況。しかし、4年経った今では、1年に1度だ

け『○○年後の被災地』などといった内容で、1時間程のテレビの特集だけで1年間の被災地の復興ぶ

りを見てきました。もちろん、テレビの内容だけが全てだとは思っていませんでしたが、テレビの内容

で嵩上げの工事は進み、家やスーパーは点々と建ち、人々が生活しているものだと勝手に解釈していま

した。いま思えば、印象もあまり残らず、意識をして見なければ数日で忘れてしまうような内容です。

スタディツアーのプリントが配られたとき、現地の今の状況を知ることができるチャンスだと思いまし

た。友達も誘ってくれて、塚田先生がスタディツアーについてのお話もして下さり、是非参加したいと

思いました。

実際に東北を訪れ、一番に感じたのは「景色がきれい」いうことでした。朝早かったために日の出を

見ることができ、その素敵な景色に感動しました。そして、実際に被災された2人の方のお話を聞かせ

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ていただきました。お2人とも当時のことをよく覚えていて、私たちに様々な警告とアドバイスをして

くださいました。櫻井さんは、震災前の閖上の状況を詳しく話してくださいました。防災訓練の様子や

閖上の方々の疎かな考え…更には私たちが暮らしている地域に必ずくる、と予想されている東海大地震

についての助言をしてくださり、櫻井さんの経験から私たちに伝えてくれている、と感じ、当時のこと

をとても後悔をしている様子で、櫻井さんのお話してくれたことは、絶対に忘れないようにしようと心

に決めました。

長沼さんのお話では長沼さんご本人の実体験や長沼さんの同級生の方のお話をしてくださいました。

そのお話を私自身に置き換えて想像すると、とても恐いし、家族や友達が辛い思いをするのもとても耐

えられません。普通の人もきっと耐えられないと思います。そうならないために櫻井さんや長沼さんは

私たちに震災の恐怖や対策のたてかたを教えてくれたし、助言をしてくださいました。お2人のこと、

そしてお2人が話して下さった方々のことを忘れずに、もしも東海大地震がきたとしてもみんなが助か

るように、まずは私自身から変わっていこうと思います。それから、家族へ、友達へ…と繋げていけた

らいいな、と思います。

スタディツアー・レポート

12HR35番 古橋俊佑

平成27年12月22日~12月24日

東日本大震災の被災地を自分で確認し、防災意識を高め、

自分に何ができるかを考え、今後の生き方に反映させる。

閖上港朝市で桜井理事長の講話

閖上地区で被災者のお話と清掃活動(ゴミ拾い)

東北 一日目

テレビやニュースでは、知らされなかった震災の被害にあった人の話を聞

くことができました。

日程

目的

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宮城県名取市箱塚桜団地応急仮設住宅

ボランティア活動(餅つき、食事会、交流活動)

福島県郡山市南一丁目仮設住宅

ボランティア活動(餅つき、食事会、交流活動)

ツアーの感想

東北 二日目

震災の前にはそこに家があったと思わせるがれきの中に混じり、故意に捨

てたゴミなどがありました。

思っていたよりも仮設住宅の人たちは、元気があり餅つきなどを一緒に行

いました。いつまでも震災に負けていられないという思いがとても伝って

きました。またこちらの仮設住宅にはお年寄りや家族を失い一人になって

しまった方たち以外にも幼稚園くらいの子供がいる夫婦や小学生もいま

した。

こちらの仮設住宅は人数が多く仮設の集会所があり前日の名取市の仮設

住宅よりも設備がとても充実していました。ここでは足湯など前日よりも

短い時間でしたが多くの活動をすることができ、喜んでもらえました。

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スタディツアーに参加して

1年2組 水野紗那

3月 11日の、東日本大震災が起きてから 5年という月日が経とうとしています。

あの日のことを絶対に忘れてはいけない、あの日のことを自分の口で自分の言葉で、より多くの人に

知ってもらいたい、そういう思いで被災地スタディツアーに参加しました。

閖上港朝市で、実際に東日本大震災を経験された櫻井さんの貴重な話を聞きました。櫻井さんは、お

金など必要ないから、地震、津波の恐ろしさや、自身の体験談を全国を渡って話したいとおっしゃって

いました、櫻井さんの話の中で、地震が来たら、津波から非難するために、車は乗り捨てる、鉄骨の高

い所へすぐに非難するということを強調されていました。そのことをしなかったことで、東日本大震災

ではたくさんの人が犠牲になりました。実際に櫻井さんに見せていただいた DVDで、避難に遅れた人た

ちが、音もなく静かに襲ってくる津波にのみこまれてしまう映像や、車にのっていて津波が来ているの

を知らずに、あっという間に車が浮き、バランスが崩れてしまった映像を見せていただきました、津波

の速さは私たちの考えているよりもはるかに早く、恐ろしく、人間が走ったところで、追いつかれてし

まいます。津波は静かに迫ってくるため、音で判断するのは難しく、近くまで迫ってこないと分からな

いことが多いそうです。そして津波はいろんなものをのみこみながら、すごい速さで迫ってくるため、

人がのみこまれたら人の体はバラバラになってしまうほどの衝撃だそうです。櫻井さんに見せていただ

いた DVDは、テレビでは放送されていない映像ばかりだそうで、東日本大震災の本当の怖さを痛感しま

した。櫻井さんの、熱心で心に響いてくる一つ一つの言葉は、東日本大震災を実際に経験し、辛く、苦

しい思いをした人にしか語りえないことだと思います。櫻井さん自身もきっと辛い思いをしたと思いま

す。そのことを私たちに伝えてくれた、櫻井さんに感謝し、この貴重なお話を絶対に無駄にせず、周り

に伝えていきます。

朝市でおいしい朝食をとった後、さっきまで暗くて見えなかった閖上の町がみえました。これまでテ

今回のボランティアで普通に生きていたら聞くことのできないお話を聞く

ことができました。しかしその中でも最終日の帰りのバスで岡田先生がお

しゃっていた仮設住宅での施設整備の格差や震災直後の食料配布の際の不

公平さなどの行政などによる差別にとても驚きました。

また塚田先生がおしゃっていた今回のボランティアで学んだことを伝えて

いく方法をしっかりと考えて、これから私たちに訪れるであろう東海大地

震の際に命を守れるようにしていきたいです。

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レビ越しでしか見たことがなかった、あの悲惨な風景を初めて自分の目で見て、工場の跡地のような印

象を受けました。何もないに等しい街並みは、かさ上げ工事が行われていました。周りから聞いていた

「だいぶ、復興してきている」というのが、とてもよくわかりました。ゴミ拾いをしていると、家のあ

った跡がたくさんあり、そこには草が生え、がれきがたくさん落ちていました。誰かがつかっていたで

あろう、スコップやおもちゃ、コップ、お皿がたくさん落ちていました。津波の爪痕というのを実際に

見て、心が痛みました。そして、閖上に住んでいて、津波で亡くなった子どもたちの名前が彫ってある

慰霊碑に手を合わせました。生きていれば私と同い年の子どもの名前もありました。突然、未来を奪わ

れた子どもたちの思い、そして、その子の成長を楽しみにしていた家族の思いは、どんなものなのか、

この思いは図りしえないと思います。

一日目は、宮城県名取市箱塚桜団地応急仮設住宅に、二日目は福島県郡山市南一丁目仮設住宅でボラ

ンティア活動をさせていただき、そこに住んでらっしゃるたくさんの方々と、お話させていただきまし

た。どちらの仮設住宅も高齢者が多く、足腰の弱い方もたくさんいらっしゃいました。仮設住宅は、一

時的なものと考えていた人たちは、もう5年自分の故郷に帰れず、仮設住宅で生活しています。仮設住

宅は、家と家との間隔が壁だけで、とても狭い空間でした。冬はきっと隙間からの風でとても冷えると

思います。突然、家を奪われ、故郷を追われて仮設住宅に住んでいる、たくさんの方の役に少しでも立

ちたいと思い、湖東の生徒でつくった遠州焼き、仮設住宅の料理上手なおばあちゃんたちと一緒に作っ

た芋煮、みんなで、だしあって買ったもち米を使った餅つき、冷える冬、少しでもあったまってもらお

うと、疲れをいやしてもらおうと思い行った足湯、マッサージ、どれも仮設住宅の方々に喜んでもらえ

ていました。私のお話しした仮設住宅の方の中で、楽しかった、また来てほしいといって涙を流してく

れたおばあちゃんがいました。その言葉を聞いて、心から来てよかった、また来たい、思うことができ

ました。

このスタディツアーに参加して、私は被災地のことも、東日本大震災のことも何も知らなかったのだ

と気づかされました。テレビやインターネットでは知ることのできないことが被災地に行ったことで知

ることができました。そこには、目をそむけたくなるような現状があり、それを受け止めなければなら

ない多くの人たちがいることも知りました。あたりまえに来ると思っていた明日、あたりまえに隣にい

た人、あたりまえに見ていた風景、たくさんの方のあたりまえが奪われました。

私たちが今生きていること、家があること、家族があることも、すべてあたりまえではないこと、あ

の日、突然奪われた、たくさんの方の尊い命を絶対に、絶対に忘れてならないこと、私は、このスタデ

ィツアーに参加したからこそ伝えられる、たくさんのことをまずは、家族や友達に伝えていきたいと思

います。

東武トップツアーズ株式会社の藤沼さんにはとてもお世話になりました、短い間でしたが、何度も湖

東高校に足を運んで私たちに東日本大震災や、津波、被災地の今について熱心に教えてくださいました。

1日目、2日目と仮設住宅でみせた、藤沼さんの涙に、藤沼さんの被災地に対する思いが伝わってきま

した。何度も被災地に足を運んでいる藤沼さんだからこそ、流せる涙だと思いました。藤沼さんの存在

があってこそのスタディツアーだと私は思います、私はこのスタディツアーにきてよかったと心から思

っています。藤沼さんが仕事のために最後までツアーに参加できず、お礼を言えず終わってしまいまし

た。藤沼さんに心から感謝したいと思います、ありがとうございました。そして、このスタディツアー

に参加させてくれた両親に、お礼を言いたいと思います。

まだ、知りたい事がたくさんあります。仮設住宅に住んでらっしゃる方にもまた会いに行きたいです。

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来年のスタディツアーも、参加したいと思います。

東北スタディツアーを終えて

1222 前田七帆

このボランティアツアーを通して改めて考えさせられたこと、感じたことが多くあります。その中で

も、印象に残っていることをレポートとして、残したいと思います。

ゆりあげ港での講話は、櫻井さんから実際の経験から学んだことをお話していただきました。残ってい

る家族を助けるため、家の様子を見るために家に戻ってしまったことで、助かったはずの命が失われて

しまったという話が、印象強く残っています。助けに戻ったことでより多くの人たちの命が失われてし

まうより助かる命を確実に守ることが大切だとこの講話では、教えていただきました。

ゆりあげ港を訪れた後、清掃活動を行いました。そこは、住宅の跡があり、お皿や生活に使われるも

のが多く落ちていました。津波の恐ろしさを身をもって感じました。この場所から少し離れた

ところに、ゆりあげ中学校という学校がありました。バスの中からしか見ることはできませんでしたが、

建物は窓が割れていて、とてももう一度使える様子ではありませんでした。次の日には取り壊しが始ま

るということでした。

23、24日には仮設住宅で、クリスマス会を行いました。遠州焼きと芋煮、1回目は餅つき会もし

ました。たくさんの方々に参加していただいて、食べ物もおいしいとほめていただきました。

みんなで合唱したときには、泣きながら歌ってくださった方もいました。少しでも、支えや力になっ

ていたら嬉しいです。

移動中のバスの中でも、藤沼さんが被災地の様子を私達に伝えてくれました。活動中も、多くの方に

優しく話しかけているところも何度か見ました。ボランティアに行く人だけでなく誰もが、藤沼さんの

ように優しい心が持てると、よい地域づくりにもつながるのではないかと感じました。

スタディツアーから帰った後、伝えなければならないことはたくさんあります。その中でも印象に残

っていることがあります。

今回、被災地を訪れて 2人の方に講話をしていただきました。私が一番印象強く残っているのは、長

沼さんという方の話です。その中でも、特に心に残っているのは

・昨日まで当たり前のように一緒にいた人が突然いなくなってしまうこと。

・私達が大人になって、子供ができたらもう一度同じ場所に足を運んで、今回見た景色とどのように変

わったのかを子供たちに伝えてほしい ということです。

自分の近くの人や、自分自身もこのような震災を経験していないので、考えさせられる内容でした。

スタディツアーの感想

1年 2組 邑上 凛

スタディツアーに申し込みをした時には友達と一緒に旅行が出来るという喜びとどんなお話を聞か

せていただけるのだろうという気持ちで出かけましたが、被災地へ行き実際に被害に遭われた方から

“津波で人は簡単に死んでしまうという”という事を突きつけられました。想像していたことよりはる

かな衝撃を受けました。

私は今までにテレビで人が助かる映像や何人の人が亡くなったのかなど、怖さを実感する情報を得たこ

とがありませんでした。ですがスタディツアーに参加して、津波ではどのように人は死んでしまうのか、

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周りの人が亡くなってしまった後の悲しみなど生々しいお話を聞かせていただきました。 初めてその

ような話を聞いたとき体の内が重くなるような衝撃を感じました。今、お話をしてくれている人は運が

良かったのか、亡くなってしまった人と津波が来るまで行動はそんなに変わらないと思い、死を身近に

感じました。

お話の中で『浜松が震災のあった地域に地形が似ている』と言っていました。私の住んでいる家は海

岸から 2 キロと離れていない場所、そして、浜名湖から繋がる川は家から 300 メートルぐらいの場所

にあります。ですから、被災した方に地形が似ていると言われ、とても驚きました。そのときには、単

純に海の近くに住んでいたくない、引っ越しをしたいなどの現実から逃げることばかり考えていました。

しかし、思い返してみると海へ行き友達と遊んだ思い出が沢山あります。被災した方の中に怖くて海に

行けない人がいると言っていたのを聞き、そうはなりたくないと思いました。そのためには、地震が来

たら、高い所に直ぐに逃げることが大切だと思いました。津波が来ても、みんなが高い所に逃げれば多

くの人が助かると思います。そうすれば、思い出のある海が嫌いにならず、海はみんながまた行ける場

所になります。

そのように思ったので、防災マップがある事も知らなかった私ですが、家に帰り、すぐに防災マップ

を親から出してもらい見ました。そして、被災地で聞いた事を親や兄弟、友達に避難場所は小学校、中

学校、老人ホームなどがあることや、鉄筋コンクリートの建物に逃げることなどを話しました。

このように、私が色々な人に伝えることが大切なのだと思います。地震は絶対に来ると言っていたので、

津波が来た時にスタディツアーに参加して本当に良かった。と思えるように津波の怖さと、津波が来た

時にすべき行動を多くの人に伝えたいです。

東北の現状

1年2組 吉原朋輝

東日本大震災が起こった時僕は小学生五年生でした。揺れたとき僕は少しビックリしましたが振れが

おさまってからはいつものように生活していました。しかし一時間ほどしてからテレビをつけてみると

ほとんどのチャンネルが津波にのまれていく東北の街の様子で東北で何が起きているのかその時の自

分にはよくわかりませんでした。

東日本大震災から約五年がたった今僕はほとんど東北の現状に目を向けることはありませんでした。

ですが今回、東北に行き今の現状を見たり、ボランティア活動で被災した方々の話が聞けるという事で

このスタディツアーに参加しました。

東北に行って一番に印象に残っていることは復興してにぎやかな街もあればまだ家が流されたままが

れきも残っている街もありすごく復興の差があるなと思ったことです。僕はもう少し復興が進んで被災

の後はあまり見られないかなと思っていたのですごく印象に残りました。

復興していない地域の一つが名取市閖上地区です。この地域は長い間津波が来ないと言われており避

難訓練や実際の避難状況にも不十分なものがあったと聞きました。僕の地域の避難訓練はバケツリレー

をしたり、消火器の使い方など火災の時の訓練しかやっておらず不十分だと思います。今回の話を聞い

て、避難訓練とは別に家族や近所の人に津波が来たときの避難方法を考えたいなと思いました。また、

車の中に人が入ったまま車が津波で流されている映像や、津波が迫っているのにゆっくりと歩いている

高齢者などの映像も見せてもらいました。そこで「避難訓練をしっかりやる事」「しっかりと話し合っ

ておくこと」「まずは逃げること」「何があっても戻らないこと」「命があればどうにでもなるという事」

Page 18: 第4回スタディツアー報告レポート...第4回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達とんでいました。その時地震がありましたがいつものように少

を何度も言っていました。

あと、名取市箱塚桜団地仮設住宅と郡山市内富岡町・川俣村南一丁目仮設住宅に行きました。ここに

は僕たちがイベントを開き少しでも元気を与えられるようにいきました。遠州焼き、芋煮を作ったり、

餅つきをしたり、歌を歌ったり、ハンドマッサージ、足湯をしたり、組体操、空手を見せたりしました。

長い時間でしたが仮設住宅の人たちは嫌な顔一つもせず一から説明してくれたりやり方を教えてくれ

たりしました。餅など食べたり、組体操を見たり、歌を一緒に歌ったりしているときすごく楽しそうで

笑顔な様子を見て僕たちもすごく元気をもらいました。僕もこれから辛いことや悲しいことがたくさん

あると思いますが被災した方々を思い出して自分も元気にやっていきたいなと思います。

今回スタディツアーに参加して、地震、津波の怖さを再確認することが出来ました。浜松も東海地震

がいつ来てもおかしくないと言われています。なので今回の経験を機に対策をしっかり取りたいです。

二日間という短い時間でしたが多くの経験や思いを聞くことが出来とてもいい時間を過ごすことが出

来ました。今の生活が当たり前ではなくすごく幸せだという事を心に留め命を大切にこれからを生きて

いきたいです。そして周りの人だけではなく多くの人に今回の経験を伝えていきたいです。

スタディツアーを終えて

1年 3組 伊代田 玲奈

今回スタディツアーに参加をして、あれから 4年もたった今でも復興に向けて頑張っている方々が数

多くいることが分かりました。

1日目ゆりあげ港朝市でみたビデオは、想像していたものよりはるかに上でした。津波のサイレンが

鳴っているのに歩いて高台に避難する人、車で逃げようとして逃げ遅れそのまま津波に飲み込まれてし

まった人など様々な様子がビデオにおさまっていました。

櫻井さんのお話では、まずは高いところに避難。絶対に車で逃げては、いけない。など地震が起きて

からの対処法を教えてくれました。その中でも特に印象的だったのは、お年寄りを説得できなかったら

見捨てる。今回の震災で閖上のお年寄りは、津波のサイレンがなっても逃げずにいたそうです。消防団

や警察が説得しても「私はいいから」と言いそのまま津波に流されてお亡くなりになられたそうです。

説得をしていた消防団も警察も津波に流されて亡くなられたと話してくれました。「自分の身は自分で

守る」という言葉があるように説得してもいうことを聞かない場合は見捨て、自分の命を優先すること

を考えたいです。また、ビデオには映っていませんが本当に津波に飲み込まれてしまった人の遺体は手

足がなかったり顔がなかったりと体の一部ががれきによってミキサー状態になっていたそうです。

清掃活動をした長沼さんのお話では、閖上は昔から「ここに地震があっても津波はこない」と言われ

続けられていたそうです。だから、閖上の人たちはみんなそう思っていて小さな町でもたくさんの人が

逃げ遅れてしまい多くの死者を出したそうです。櫻井さんもおっしゃっていたように地震が起きたらま

ずは、高台に避難することを言っていました。そして、絶対に家に戻らないということです。

櫻井さんと長沼さんの話を聞き私は、地震が起きたらまず高台に避難をしたいと思いました。それから、

家族ともし地震が起きたらどこの避難場所に行くのかしっかりと話し合っておきたいです。

清掃活動では、思っていたよりゴミが多かったです。中でもタバコの吸い殻が多いことにびっくりし

ました。他にもペットボトルや空き缶がたくさん落ちていました。4 年前まで家が建っていた場所にこ

のようなゴミがあって残念です。家が建っていたと思われる場所には、たくさんの花やお菓子、飲み物

がお供えされていました。

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当時閖上中学校の生徒だった 14名は、津波の被害を受け亡くなられました。この 14 名の名前が彫ら

れている石に手を合わせられてよかったです。震災がなければこの 14 名は、大学や就職をしている歳

なんだと思うと心が傷みました。

宮崎県名取市箱塚桜団地応急仮設住宅のボランティア活動では、芋煮の里芋の皮むきとおもちにきな

こやあんこ納豆などをつけてパックに詰める仕事をしました。みなさん「おいしい」といって食べてく

れて嬉しかったです。出し物で「花は咲く」と「上を向いて歩こう」を歌いリクエストで「ふるさと」

を歌いおばあちゃんが歌いながら涙を流していたのを覚えています。

2日目の福島県郡山市南一丁目仮設住宅では、芋煮を作りました。

自分から震災当時の話を聞くことはできなかったけど、現地の人に会ってお話を聞けて良かったです。

仮設住宅に住んでいるおばあちゃんが「若い子が来てくれてお話ができるだけで元気になる」と言って

くれて嬉しかったです。

初めて被災地に行ってみて私が思っていたよりがれきがないことに驚きました。また、被災した方の

お話を聞き私たちがテレビ得ていた情報と現地の方々が見ていた情報とでは大きな差があることもわ

かりました。私は、被災地で感じたことを家族に話しました。これからは、震災のことを知らなくなる

人が増えると思います。そういう人たちに私は、今回学んだことをしっかりと伝えていきたいです。

スタディツアーに参加して

1年 3組 深津颯大

僕がこのツアーに参加しようと思った理由は、野球部の先輩に紹介されたことと、自分自身も大きな

地震や津波が来ると言われる地域に住んでいるので、実際に被害にあった人の意見を聞いてみたいと思

ったからです。

1日目は、バス内で車中泊しながら宮城県に向かいました。

2日目は、ゆりあげ港朝市で獲れ立ての海産物を自分で焼いたりして、朝食を取りました。

次に櫻井理事長の講話を聞きました。講話を聞いて思ったことは、地震が起きてからの対応が重要と

いうことでした。

閖上に住んでいた人々は、地震が起きた際、皆が津波は来ないと思って家にいた人がほとんどだった

そうです。何故かというと、閖上には昔、大きな津波が来ていたが、年々その歴史は語られなくなり、

閖上は津波の来ない町となってしまった為、地域の防災訓練もただの鍋パーティーになってしまったそ

うです。そのせいで津波の対策がなかった為、犠牲者が増えてしまいました。

この話を聞いて、自分も家族や地域で話し合い地震が起きてから津波が来るまでの対策をしっかり頭

の中に入れておくことの大切さを知りました。

その他にも話しを聞いて驚いたことは、濁流に飲まれると人間はミキサー状態になり、身体がバラバ

ラなってしまい身元の特定が難しくなることです。

次に、宮城県名取市箱塚桜団地応急仮設住宅で餅つきや、遠州焼きを作るなどのボランティアをしま

した。ボランティアをした感想は、津波で家を失う悲しさは非常に大きいということです。

話を聞いた中で、仮設住宅の皆さんは高台から自分の家が次々に津波により流されていくのを見ると、

とても辛い気持になったそうです。思い出が詰まった家は住める状態ではなく、元通りになりませんで

した。自分の家も海に近く流されてしまう可能性があるので他人事ではなく心が痛みました。

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3日目は福島県郡山市南一丁目仮設住宅でお年寄りの肩もみや足湯などのボランティアをしました。

ボランティアをして感じたことは、二日目で行った宮城の仮設住宅の人々とは違う悩みを持っていると

思いました。郡山の仮設住宅の人々は、放射線で家に帰ることが出来ずとても悩んでいました。自分の

住んでいる近くにも浜岡原子力発電所があるので、放射線による被害の恐ろしさを身に沁みて感じるこ

とが出来ました。

この3日間で学べたことは、今 自分達の生活がとても恵まれていることだと改めて思い

ました。そして同時に、これからの防災訓練に対してもっと真剣に取り組みたいと思いました。最後に、

東北の人々は皆、口をそろえて自分達のことを忘れられるのが辛いことだと言っていたので忘れず生き

ていきたいと思いました。

東日本大震災被災地訪問 スタディツアーを終えて

1年3組 吉田瑞希

スタディツアーに参加する前は、被災地は多くの建物が建ち、被災された方々はそれぞれ故郷(自分

が住んでいたところ)に帰り、再び新たな生活を始めていると思っていました。しかし、現実は全く違

うものでした。私は、被災された方々は今現在復興した町で快適な生活を送られていると思っていたこ

とをとても申し訳なく思っています。

一日目は、早朝、ゆりあげ港朝市で櫻井さんのお話を聞きました。震災当時の映像を見ると、どれだ

けこの震災が恐ろしく悲惨なものであったかが分かりました。お話を聞くと、地域の防災訓練をただ地

域の人々が集まり、交流し、芋煮を食べ家に帰るというものであったことや地域をまとめる政府の人々

の住民への注意が不十分であったことが分かりました。この大震災の大きな被害は、人々のちょっとし

た安心あるいは油断も、このような大きな被害の原因の一つであると思っています。そして、閖上地区

被災地を視察しました。最初に長沼さんのお話を聞きました。その地域には何もなく、地面の土をきれ

いに整備されてあっただけでした。町全体に高さ約 3~4 メートルの黒く大きな津波が覆い被さり、家

や学校、その他の建物、そして尊い一人一人の命を奪っていったと思うと涙が止まりません。お話の中

に、当時閖上中学校の生徒だった約 20 名の話がありました。その生徒たちは、2011 年 3 月 11 日、中

学校の卒業式だったそうです。各自それぞれ帰宅していたそうです。その時、地震が来て、津波にのま

れたそうです。彼らには、将来の夢があり、まだまだたくさんやりたいことがあったはずです。自然災

害はとても残酷です。無差別に人の命を奪ってゆきます。本当に恐ろしいです。

宮城県名取市の仮設住宅の活動では、現地のお年寄りの方々、仮設住宅の住民の方々と交流しました。

私たちの活動にとても喜んでくださいました。お別れの時、最後に「花は咲く」、「上を向いて歩こう」

を合唱しました。家族や友人、パートナーなど大切な人を亡くした方々のいらっしゃったと思いますが、

皆さん涙を流して、歌ってくださいました。

二日目は、福島県郡山市の仮設住宅でボランティア活動をしました。短い時間でしたが、たくさんの

人々と交流することができました。被災された方々がいつまでも元気で過ごすことができるように願っ

ています。

私が約三日間の研修から学んだことは、当たり前の生活を送ることができることは、幸せであるとい

Page 21: 第4回スタディツアー報告レポート...第4回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達とんでいました。その時地震がありましたがいつものように少

うことです。朝起きて、家族と一緒にご飯を食べ、学校に行って、友達とたくさんおしゃべりをして笑

いあって、帰る家があって、一家団らんで過ごすという私たちにとって当たり前の生活を送ることがで

きることがどれだけ幸せで恵まれていることかを私は一生忘れません。そして、大人になって、自分の

子供・後世に伝えていきたいです。さらに家族の大切さを改めて実感しました。家族は、いつでも自分

のそばにいて、生活を共にし、自分にとって家族は、いて当たり前であると誰もが思っているでしょう。

しかし、自然災害はいつ、どこで起こるかは誰にもわかりません。震災後、一緒に生活をしようにも、

家族がいなければ、意味がありません。これらのことを防ぐために、いま私たちができることは、家族

でしっかりと震災が起きた時の避難場所・避難経路を話し合い、大きな被害をなるべく出さないように

することであると思います。

私は、これからも当たり前の生活を送ることができることに日々感謝し、家族と楽しく過ごしていき

たいと思っています。

被災された方々全員が幸せに暮らせることを祈っています。

スタディツアーに参加して

1 年 5 組 河口健太

僕は、この震災復興ボランティアツアーに参加して思ったこと感じたこと考えたことはたくさんあり

ます。最初に、ゆりあげ港朝市で実際に被災した櫻井理事長の話を聞きました。防災訓練をやっていた

けれどただ芋煮パーティーをしていただけで訓練はしてなかったと聞いて、僕の地域でも豚汁やおにぎ

りがだされていてみんなそれを目当てに来てるようにも思い、心配になりました。

櫻井理事長が一番言っていたのは、自分だけでも逃げろということでした。やはり、自分の命は自分で

守らなくてはいけないんだと思いました。

朝市で食べた魚介類もとてもおいしかったです。

次に被災して、家も何もないところにいって、被災した長沼さんの話を聞いて、軽い気持ちでいたの

になにか悲しくなってきました。

長沼さんが住んでいた地域では、昔からここには津波はこないと言われていたらしく、津波がきてい

るのに津波に向かって指をさしている写真を見たときはびっくりしました。

そこで清掃活動をすると、短時間でたくさんの日用品をみつけました。家も何もないけれどやっぱり生

活していたのだと思いました。それと同時にごみも見つけました。ここに捨てていく人がいると思うと

少し残念です。

次に名取の仮設住宅に向かいました。餅つき大会をしたり遠州焼きや芋煮を振る舞いました。餅つき

では野球部が先頭に立ってやりました。初めてで大変だったけどやるにつれてうまく出来るようになり、

自分たちも楽しむことが出来ました。その後は、いろいろなアトラクションで楽しんでもらいました。

歌も歌ってみんなで楽しむことが出来てよかったです。

ここの仮設住宅は設備が整ってなくてしっかり生活できているか不安でした。

翌日は、郡山の仮設住宅に行きました。ここでも遠州焼きや芋煮を振舞いました。

餅つき大会は出来なかったけど足湯や肩もみでふれあうことが出来てよかったです。肩もみをしてうま

いと褒められて嬉しかったです。

また、ここの仮設住宅は、とても設備が整っていました。同じ仮設住宅でも、地域によって差がある

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ことを知って驚きました。

このような経験が出来たのは、たくさんの方の協力があったからです。その方々にも感謝しないとい

けないなと思いました。

この経験を伝えられるのは僕たちしかいないと思うのでこの目で見たことをしっかりといろんな人

たちに伝えていきたいと思いました。

この震災復興ボランティアツアーに参加してほんとによかったです。来年も再来年も行けるなら行き

たいと思います。

スタディツアーレポート

1 年 5 組 中野 大輝

ぼくは初めて東北地方を訪ねました。このスタディツアーを通じて、現地の人の協力もありたくさん

のことを学ぶことができました。一日目の朝に震災が起こった時のお話を聞かせていただきました。津

波の映像で家や車などがのみこまれていくところを見て津波の恐ろしさをとても強く感じました。

そのあとに別の方からもお話を聞かせていただきましたその方からは震災が起きたときにどのような

行動をとっていたかというお話を聞きました。その方は津波が来た時には家にいてそのまま屋根に上っ

て屋根の上で一晩過ごしたそうです。ぼくには、一晩寒い屋根の上で過ごすということは想像できませ

んでした。その方は、人間はいざとなれば普段は考えられないこともできてしまったり、考えてしまう

と言っていてとても驚きました。

お話を聞かせていただいた二人の共通点は、ぼくたちにどうにか震災の怖さを知ってほしいというパ

ワーを感じさせられたことです。それは、初めて感じたパワーでした。

そのあとに津波で流されたところの掃除を手伝いました。震災からもうすぐ五年が経とうとしていま

すが、ここで生活していたことがわかるようなごみがたくさん落ちていました。それを拾っている時は

とても複雑な気持ちになりました。五年前には普通に生活していた場所が今では何もない状態になって

いてしまって、そこに住んでいた方たちの気持ちを考えると、とても辛くなりました。

このスタディツアーで、名取市と郡山市の二つの仮設住宅へいきました。そこでは餅つきをしたり、

遠州焼きと芋煮を現地の方々と一緒に作って食べたり、出し物をやったりと、とても楽しい時間を過ご

すことができました。

この両方の仮設住宅はともにお年寄りの方が多いなという印象でした。親子などの子供ずれ方々は他

の場所に住むところを見つけて出て行ってしまったと言っていました。仮設住宅といっても団地のよう

な感じでたくさんの方々が五年経つ今でも暮らしていました。しかし、それぞれの想いはあるとおもい

ますが、おじいちゃん、おばあちゃんは辛そうな顔は見せずに、全員が協力し合って頑張って暮らして

いるという印象でした。さらに印象に残っているのが、花は咲くや上を向いて歩こうを一緒に歌ったと

きに、涙を流しながらうたっている方もいて、ぼくもジーンとしました。歌い終わった後に、ありがと

うと声をかけられ、来てよかったなと思いました。おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔を見てぼくも元

気をもらい、もっとがんばろうという気持ちになりました。

今回のスタディツアーで被災した方々から震災の時の出来事などを聞いたり、実際に見たりと、心が

痛むことばかりでしたが、みんな復興に向けて少しずつではあるが努力していたり、家や家族を失った

方たちも仮設住宅で頑張って暮らしていたのを見て、今

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普通に生活できていることの幸せさを身をもって強く感じることができました。今回の経験や学んだこ

とをこの先ずっと忘れずにして、家族や友人さらには自分の子供にも伝えていくことが、ぼくたちにで

きることの一つだと思いました。

東北を訪れて感じたこと

1年5組 花井 良輔

私がスタディツアーに参加しようと思った理由は、報道されることの少なくなった東北の現状を自分

の目で見ることで、震災について様々なことを学びたいと思ったからです。

また、東北の方々と交流をとり、お話を聞くことでもう一度震災について深く考えたいと思ったからで

す。

学校から閖上に移動すると、驚くような光景が広がっていました。周りを見渡しても何もない、ある

のは草だけという光景を初めて見ました。

メイプル館でみた映像にも衝撃を受けました。津波に車がのまれていったり、逃げる人たちのすぐそ

ばに津波が迫っていたりと驚くことばかりでした。

しかし、それ以上に驚いたのは、歩いて逃げる人の姿でした。聞くところによれば、昔から閖上には

津波が来ないと言われていたそうです。それを鵜呑みにした人たちの中には、最後まで逃げるのを「面

倒くさいから」という理由だけでしなかった人たちがいたそうです。また、津波が来ないと言われてい

たせいで、地域で行う防災訓練も、いも煮を食べるだけという形だけのものになってしまっていたそう

です。もう1人お話をしていただいた方の口からもしっかり対策をしていればもっと多くの人を助けら

れたという後悔の言葉が多く聞かれました。

また、閖上のゴミを拾いました。生活感のあるごみも多く落ちていてそこに人が住んでいたことがと

ても感じられました。しかし、それと同じくらいの量の明らかに後からその土地の人ではない人が捨て

て行ったとわかるごみも落ちていてとても心が痛かったです。

続いて仮設住宅を訪れました。仮設住宅の方々は自分たちが思っていた以上に元気に自分たちを出迎

えてくれました。仮設住宅の方々と、一緒に食事をしたり、お話をしたりすることで現地の方々と深く

交流することができました。

次の日にも富岡町の方々が暮らす仮設住宅を訪れました。そこでは多くの方々とマッサージや食事を

通して交流をしました。そこである1人の女性と話しているときに初めて話の話題が震災についてのこ

とになりました。たった5分程度の話でしたが被災された方々が自ら震災の話を切り出すことができる

ようになるまでにどれだけの時間、どれだけの月日がかかったのだろうかと少し悲しそうな顔をするお

ばあちゃんをみて、考えさせられました。

今回、被災地を訪れて、心に強く残っている言葉があります。それは、「高校生が被災地に来てくれ

るこんなにうれしいことはないこれからの日本を創っていくあなたたちに今日見たことをいろんな人

に伝えてほしい」という言葉です。また、「君たちが大人になったらもう一度この町を見に来てほしい」

ということもおっしゃっていました。それはきっと、震災についての後悔とこれからの希望の気持ちが

表れている言葉です。今回話をしていただいた方々から聞かれたのは多くの後悔の気持ちが表れた言葉

でした。そんな後悔を味わう人が少しでも減らせるように今回の経験をより多くの人に伝えていきます。

そして自分がもう少し成長したら今回見た景色の続きを見に行きたいと思っています。

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スタディツアーに参加して

1年7組 渥美颯人

今回のスタディツアーで、最も衝撃を受けたのはあまりにも津波の被害が甚大だったことです。

12月23日の5:00くらいにバスが閖上の港に着いた時、辺りはまだ薄暗いはずなのに、何もな

いと言っていいほどに閑散としていたのが分かりました。

「空き地か?」第一印象はその一言だけでした。

確かに、バスが止まったところは元々空き地だったところでした。しかし、離れているはずの仙台空

港から離陸していく飛行機、着陸する飛行機、さらには仙台の街までが遮る物なくはっきりと見えまし

た。しかも、その広い敷地には、家の基礎、基礎、基礎・・・・・・

確かにそこにはかつて人が住んでいたであろう痕跡が生々しく残っていました。

その後、昔の漁師さんが海の様子を確認する為に作った、日和山という小高い山に登りました。そこ

からは閖上地区の全体が確認できました。見えるのは仮設住宅と、鉄骨が剥き出しになった建物の残骸

だけでした。

その日和山で、ある男性のお話を伺うことができました。

「地獄とはこのことか」目を赤くしながらその方は話していました。

幸いにもその方のご家族は、全員ご無事だったようです。そのため、他の住民の方々も全員生きてい

ると思っていたそうです。しかし、何百というご遺体が見つかり、その方の親しい方も亡くなられたと

いいます。

津波が来た当時、閖上地区には五千人の方が生活していました。その中の数百人の方が亡くなられ、

今も行方不明になっている方もいます。

今の閖上地区には、少しの仮設住宅があるのみです。

「でもここには、数千人の生活があった」その方は続けます。

「数千人の思いがあって、数千人の気持ちがある。それを僕は忘れたくないし、皆さんにも忘れてほし

くない。」

「忘れられること」は被災者にとって一番つらいことだと思います。

興味がなくてもいい、無関心でもいい、だけど

「そういうことがあったんだね」と覚えているだけでも良いと思います。

忘れてしまえば、手を差し伸べることも、一緒に生きていくこともできなくなってしまう。それは本

当に悲しいことだと思います。どれだけつらい状況でも、今を生きている人がたくさんいる。

僕は、大人になってもそれだけは忘れたくないです。

スタディツアーに参加して

1年8組 中村美月

東日本大震災から5年が経とうとしています。

2011年3月11日。当時小学5年生だった私は家の用事で千葉県にいました。昼食をとっていた

とき、今まで体験したことのない揺れに襲われました。道路は液状化現象の被害にあい水浸し。泊まっ

ていたホテルも断水の被害にあっていました。テレビをつけると、大きな津波が家や車を飲み込んでい

ました。私はアニメとかなのだろうとあまりに衝撃すぎて現実をすぐに受け止めることができませんで

した。そのときのことは今でも鮮明に覚えています。

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震災から3年ぐらい経ったころ祖母が被災地に行き、私に被災地についてのことをたくさん話してく

れました。実際に行った人の話はニュースで聞くよりも重みがあり、私に興味を持たせました。そこで、

被災地に対する考えを改めたいという思いもあり今回スタディツアーに参加することにしました。

閖上地区

スタディツアーの初日の朝は、ゆりあげ港朝市で櫻井さんから当時のお話を聞きました。講話で見た

津波の映像にはいろいろな人がうつっていました。必死に走っている人、ゆっくり歩いている人、非難

をして安心している人、逃げろ逃げろと声を張り上げている人。「閖上には津波はこない。」と昔から言

われていたそうです。なので、津波はこないだろうと油断していた人は多かったと思います。もし閖上

の人全員が津波のことを考えていたら、津波の被害者はこんなに多くなかったのではないかと映像を見

ている最中ずっと思っていました。

講話が終わり外に出ると朝日がとても奇麗に見えました。けれど、あたり一面は石や草ばかりでなに

もありませんでした。建物を建てようと工事をしている場所もいくつか見られましたが、やはり別の世

界にいるような感じがしました。中でも清掃活動は一番印象に残りました。観光客の落としていったご

みの量に苛立ち。けれどそれ以上に、家のあとや家の瓦礫から震災が起こる前はここで人が暮らしてい

たんだなと感じ悲しくなりました。

仮設住宅

私たちが主催となった仮設住宅のイベントは成功に終わることができました。芋煮、遠州焼き、餅つ

きどれもいいものになったと思います。現地の人々と、協力したおかげだと思います。歌も仮設住宅に

住んでいる人々と歌うことでより良いものになりました。みんな笑顔で、とても心が温まりました。最

後の挨拶のとき、涙ぐんでいるかたが何人かいました。「また来てね。みんなが来てくれるのが私たち

の力になるの。」「私たちのことを忘れないで。」と何度も言われました。この人たちはどれほど辛い思

いをしてきたのだろうと終わりに近づき気づくことができました。もう生まれ育った土地に戻れない人

もいるでしょう。大切な人を亡くした人もいるでしょう。それでも前を向いていかなきゃという強い意

志を持つ人々がきらきら輝いて見えました。私がもし被災地の人々と同じ立場だったとしたら、自分の

ことで精いっぱいだと思います。私は、人を思いやる気持ちにあふれている被災地の人々に出会うこと

ができて幸せです。

何不自由なく過ごすことができる今の生活を大切にしなければならない。そして、感謝をしなければ

ならない。ニュースでとりあげられることが年々減っている、被災地の状況をたくさんの人たちに伝え

なければならない。と私は今回のスタディツアーを通して思いました。興味だった思いが貢献したいと

いう思いに変わり少しは成長できと思います。たくさんの人たちに伝えたところで復興に大きな影響を

与えることはないと思います。けれど私のように、震災そして被災地に対する考え方を改めることがで

きるのなら価値があるのではないかと思います。

スタディツアーに参加して

1 年 8組 藤田翔

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僕は今回スタディツアーに初めて参加しました。友達が誘ってくれたというちょっとしたことから

行ってみようと思いました。今回は被災地の仮設住宅二箇所へ行きボランティア活動をしました。

最初の仮設住宅ではもちつきをしたり、遠州焼きをつくったり、歌などを披露しました。僕はついた

もちを丸めたり、そのもちを仮設住宅の人たちにとどけにいったりしました。もちを届けにいくと、と

ても嬉しそうに笑顔でありがとうと言ってくれる方がいて僕もうれしい気持ちになりました。その一方

で呼びかけても出てきてくれない人もいました。僕は震災の傷跡を初めてそこで感じました。

二日目に二箇所目の仮設住宅に行きました。そこでも遠州焼きをつくったり、歌などを披露したりし

ました。そしてマッサージや足湯体験も行いました。僕はきてくれた方々と話をしたり、マッサージを

しました。マッサージは保健の先生に教えてもらい行いました。どの席も空いたらすぐ埋まるという状

況でとても人気でした。どの方もうれしそうで成功してよかったなと思いました。

マッサージ中の会話の中で僕はさみしいという言葉を耳にしました。それはとても重い言葉だと感じ

ました。震災から数年、人々の記憶から震災が薄れていっている中、ここにはまだその被害者がいると

いうことを改めて実感しました。

ほかにも僕たちは被災地のごみひろいをしました。数年経って復興してるとはいえ、土に床の破片が

紛れ込んでいたりと震災の足跡はまだ残っているんだなと感じました。

現地で被災した方々に直接震災の話をうかがう機会がありました。家族が亡くなってしまった人、家

が流されてしまった人、どの人も必死に震災のことをかたっていました。そしてその人達はどうしてあ

の時油断して逃げなかったのだろう、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう共通して後悔をし

ていました。僕の住んでいる地域でも大きな震災が予想されています。聞かせていただいた事を生かし、

もし大丈夫なように備え、行動したいです。

今回のボランティア活動で行ったことに対して喜んでくれた人がいました。自分ひとりの行動でも被

災した方々に貢献できたことがとてもうれしいです。このことから被災した人たちに何かできることは

ないかと一人一人が考えることが大切だと思いました。

僕は静岡に住んでいて、被害の大きかった東北に親戚もいないので大震災を他人事のように感じてい

ました。ですがこのツアーを通して、震災の被害は日本に今も根付いていて、決して他人事ではなく自

分の住む国の出来事であり、目を逸らしてはいけない現実だと痛感しました。

震災から時が経つにつれ、ニュースなどの報道でも見かけなくなり、たくさんの被害が出た決して忘

れてはいけない出来事を私たちは忘れつつあるものだと思います。ですがそこにはまだ苦しんでいる人

たちがいて、悲しんでいる人たちがいるという事を私たち一人一人が認識し、心に留めておくだけでも、

私たちの震災に対する意識や行動も変わってくるものだと思います。そのため、多くの人に知ってもら

うために自分の周りの人からでも伝えていくことが大切だと思いました。ちょっとしたきっかけから参

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加したスタディツアーでは多くの大切な事を学ぶことができました。

スタディツアーに参加して

1 年 8 組 古橋 亜沙実

<参加した理由>

私が今回スタディツアーに参加した理由は 2 つある。1 つ目は 4 年 9 か月経った今、テレビなどのマスメディアで

報道が少なく、知る機会が減り、被災地はどうなっているのか気になったからである。そして 2 つ目は

震災が起きた 2011 年、私はただ募金することしかできなかった。しかし、このスタディツアーに参加するこ

とでこれから私に何かできることが見つかるのではないかと考えたからである。

<1 日目 宮城>

ゆりあげ港朝市のメイプル館で見た映像は何日も経った今でも忘れることができない。あの映像を見て

いるとき、何回も目を逸らしたくなった。しかし現実から目を逸らしてはいけないと思った。あと少し

で逃げることができた人、家に残り続けた人、いろいろな理由で津波にのまれ、命を落としたのである。

これは普段は穏やかな「水」が猛威をふるったのである。たかが「水」と思うこともあるだろう。しか

し、されど「水」なのである。津波に対して人は太刀打ちができないと私は思う。ただ高台へ非難する

しかないのだ。津波は人や建物だけでなく街すべてを飲み込んでいくのだ。それだけ「水」というのは

恐ろしいものであるのだということを実感した。

そして、日和山で震災当時、体験したことを長沼さんが話してくれた。そこでさらに私は津波の怖さ

を知った。日和山から見た閖上は何もなく、さら地になっていた。もともと家があったであろう所に家

の区画だけが残っていた。

その後、箱塚桜団地の仮設住宅に行き、ボランティア活動をした。ボランティアというよりも、交流といったほ

うが近いのかもしれない。そこで震災前と震災後の写真を見せてくれながら、説明をしてくれた方がい

た。「ここは~で、ここには~があったんだよ。」と話しをしてくれた。

<2 日目 福島>

郡山市の仮設住宅でボランティアを行った。2 日目ということもあり、1 日目の箱塚桜団地での時よりもスム

ーズに行うことができた。いも煮を作るとき、一緒にいも煮を作ったおばあちゃんが料理に関する豆知

識を教えてくれた。いもを入れた後に塩分を入れる理由、ゴボウのささがきの仕方などである。また、

料理は慣れるしかないと言っていて、確かにそうだなと思った。また、1 日目よりも自分から行動する

ことができた。

<感想>

今回スタディツアーに参加して私はたくさんのことを学ぶことができた。今まで東海地震に対して甘い考え

をしていた。しかし、このスタディツアーで話しを聞いてからは家族と地震が起きたらどうするか話し合って

みたいと思った。私たちはたまたま東海地震が起きていないだけであって、決して起こらないというわ

けではないということを頭の片隅に置いておかなければならないのだと思う。そして、東海地震がいつ

起きても困らないように食料や水、防寒具など、地震への対策を行っていくこと、地域の防災訓練など

がいかに大切か学ぶことができた。そして、仮設住宅での別れ際に言われた「私たちを忘れないで」と

いう言葉、仮設住宅に住んでいる方たちを忘れたくないと思った。また、家族がそろって生活できるこ

Page 28: 第4回スタディツアー報告レポート...第4回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達とんでいました。その時地震がありましたがいつものように少

と、普通の暮らしができることに感謝して生活していきたい。そして、このスタディツアーで聞いたこと、見

たことを周りの人に伝えて良しとしないで、大人になった時にまた被災地を訪れてどれだけ復興したの

か見に来るだけでなく、子供たちに伝えていきたい。これが私たちにできる「忘れない」ということだ

ろうと考える。

東北スタディツアー

1年 8組 山村 亮

〜1日目〜

前日の夜に学校に集まり、バスに乗って東北へ出発しました。途中のサービスエリアを経由しながら、

約 8時間で最初の目的地である宮城県の閖上港朝市に着きました。バスの中から外に出ると、身体に刺

さるような寒さと共にサラーっとなにもない土地が目に飛び込んできました。その時僕はそこで初めて、

あ、被災地に来たんだと改めて実感しました。

そこではまず初めに現地の方の講話を聞きました。その方はテレビでは決して見たり、聞いたり出来

なかったことを話してくださいました。その話を聞いてとても衝撃を受けました。その中で 1 番印象に

残ったのは、自分たち(被災地)のことは忘れていいけれど、次に同じような震災があった時に同じよう

なことにしないでくれ!とおっしゃっていたことでした。僕たちの住んでいる東海地方もすぐに大きな

地震が来ると言われているので、東北の震災の反省がいきるように対策を真剣に考えて、実行していか

ないといけないなと思いました。

その後の名取市の仮設住宅では餅つき、芋煮、遠州焼などの食べ物を出したり、組体操や、空手など

のアトラクション、歌を歌ったりしました。仮設住宅の方達が、とても笑顔になってくれて僕も嬉しく

なり、きた甲斐があったなと思いました。その日の夜は名物である伊達の牛タンを食べることができ、

きれいなイルミネーションも見ることができて楽しかったです。

〜2 日目〜

2 日目は宮城県から福島県に移動し、郡山市の仮設住宅で 1 日目と同じような食べ物を出したり、ア

トラクションをしたりしました。そこで僕は震災から 4 年経っているのにもかかわらず、まだこれだけ

の支援でこのような生活をしているのかと思いました。この仮設住宅の訪問でスタディツアーの活動は

終わったのですが、帰りのバスの中での参加した人の感想や、岡田先生、塚田先生の話でもう一度考え

させられました。今の僕たちの生活はとても恵まれているんだな、と。そして今の生活が当たり前のこ

とだと思わず、たくさんのことに感謝していかなければいけないんだと強く思いました。

このツアーで僕は正直あまり考えなくなってしまっていた震災のことについて深く考えることがで

き、とても多くの事を学ぶことができました。そして、この素晴らしい体験をするのが一度のツアーで

40 名ほどでいいのかなと思いました。今のスタディツアーの定員は 40 名ほどですがもっともっと多く

の湖東生に自分が体験し思った事を、見て感じて欲しいなと思いました。

スタディツアーin東北

2年5組 福川大樹

Page 29: 第4回スタディツアー報告レポート...第4回スタディツアー報告レポート スタディツアーを終えて 1年1組 鎌倉杏美 東北の震災が起きた時わたしは友達とんでいました。その時地震がありましたがいつものように少

初日、倍率2倍を超える激闘の末僕達38名+先生4名を乗せたバスは、東北へと向かいました。

明朝6時閖上の朝市に到着。メイプル館で櫻井さんのお話を聞きました。一言一言に力強さが有りまし

た。脳に直接言葉を送り込まれている感覚がしました。先生と同じく僕がしゃべってもたわけごとにし

か聞こえないでしょう。それだけ実際に体験したのと学んだ人とでは差が出るのです。これを読んでく

れている人も正直分かりづらいでしょう。しかし僕にはこうして文字にしてあらわすことしか出来ませ

ん。ぜひ読んだ方は実際にいかれて下さい。文字と見るでは違います。

話を元に戻そう。僕は閖上で先生のおごりで海鮮を食べた。自白しよう。魚介類は苦手です\(◎o◎)

/!

それはさておき僕達とは別で高校生が来ていた。ダンスのパフォーマンスが行われた。その姿はまる

で人々の希望の光だった。負けた…。いや、まだだ、闘士が芽生えたまま僕は箱塚桜団地応急仮設住宅

へと向かった。

そこでむかえてくれたのは元気なお年寄りだった。子供もいた!女の子に遊びに誘われてバスケット

ボールでサッカーをしたり、競争をしたりしました。若い子の体力は尋常じゃ有りません。ばてました。

続いて餅つき。

私は恥を捨てて場を盛り上げようとしました(^O^)/。なんだかんだ塚田先生と盛り上げました。

そんななか生まれた技が福川ショット。きねが、かけました。(100回くらい連続でつくと発生しま

す。)

『おつかれ。』『よくあんなにつけるね。』など掛けてもらった言葉に涙がでそうでした。でも実際は

木のかけらまみれの餅でした(;一_一)。東北の人は納豆、大根おろしなど静岡ではみかけない味付け

を好みます。挑戦する勇気と空腹は有りませんでした。さらに、芋煮は1時間経過せずに完食しました。

これが東北の胃袋。おそるべし。仮設住宅で小学6年生の子に出会いました。僕はナンパと言われまし

た。御愁傷様です。第一印象が最低な結果に。笑って下さい。

最後に遠州焼。僕にとって人生はつとなるチャンスのはずだったがこれもまた完食されており僕の胃袋

には届かず orz

レクレーションも大成功。ほぼ野球部の組体操は迫力満点でした。僕も空手をやりました。

なかでも一番感動したのは『花は咲く』です。仮設住宅の皆さんで歌いました。心の底から力がみなぎ

ってきました。

僕らは多くの人に生きる希望と元気を届けられたと思っています。

ここまでにどれだけの話題をはしょったか。これは読者をあきさせないように面白くさせるように書

いている。

それはさておき3日目の内容に入ろう。3日目ついにここまで来た。そう福島だ。バスの中でガイガ

ーカウンターを見せつけられた時、胸が締め付けられた。正直、放射能なんてたいして意識するつもり

もなかったのにいやでもさせられてしまった。目に見えないものなんかにおびえて生活したくはない。

郡山市の仮設住宅はしっかりと整備されており他の仮設よりきれいでした。

足湯、肩もみ、芋煮、遠州焼きをやりました。マッサージは鬼ババ(母)にたまにやらされているので

楽勝でした。自分で言うのもなんですが僕が一番お婆さんと話すのがうまかったです。笑いが絶えませ

んでした。なんとたくわんを1袋まるまるもらえました。大ちゃんのおかげでストレスがとんでったッ

て言われた時の達成感がたまんなかった。仮設住宅のアイドルになれた気分でした。

KTO42なんちゃって。

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お婆さん、お爺さんとも写真に誘われました。

何とこの時 A君が僕の前に割り込み!

彼はこんなことできるひとじゃなかったのにここまで成長し行動力が備わっていたのです。まばゆい

成長を遂げたのです。

最後にこのツアーは湖東高校の年間行事に取り入れてほしいです。このツアーに参加すれば心が清ら

かになり、今後の社会についても考えることができます。そして人としてどうあるべきかをかんがえ、

自分を磨くことができます。皆さんもぜひ参加してみてください。よしこれでちしおに載ったわ。

スタディツアーに参加して

2年6組 大石雄生

2011 年のあの日以来人生が大きく変わった人は多くいる。自分はあの時、いつも通り友達と帰って

いた。「今揺れてない?」この一言ですぐに家に帰った。帰るとテレビは、「ただいま地震が発生しまし

た。震源地は宮城県沿岸、津波に注意してください。」この言葉であふれていた。

今回で参加は二回目となる東北スタディツアー。前回のツアーでは、復興の遅さ・歴史が伝えていな

かった・世界とのつながりなどと、問題点や秀逸点とそれぞれ見つけることができた。また、実際に行

ってみないとわからない現地の苦労さ・今後起こるとされている東海地震への対策をそれぞれ考えるこ

とができた。今回のツアーでは、次のことが分かった。

まずは、今も変わらない閖上漁港。一年前、初めての被災地で初めに訪れた場所がこの漁港だった。

パンで手に入れたカナダ産の木材。これでできたメイプル館。今なお守り続けられ、震災後からずっと

行われている朝市。閖上漁港近郊で採られた海産物の数々。地元の人たちによって大切に守り続けられ

ている。

次は、震災のことなんか忘れさせるような仮設住宅の住民の元気の良さ。一年前の名取の仮設住宅の

花は花は花は咲くいつか生まれる君に

花は花は花は咲く私は何を残しただろう

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住民と同様に、訪れた我々を笑顔で元気よく迎えてくれまた、思い出したくない震災当時の状況・震災

直後の写真などなど、に伝えるべきことをすべて伝えてくれた。

次は、地域の違う場所の被災状況を見ることができそれぞれの現状・心情を聞き比べることができた

こと。今回訪れたのは、津波被害によって家を失ってやむをえず仮設住宅で暮らしている宮城県名取市

民と、福島第一原発による放射線被害により自宅へ帰れなくなってしまいやむをえず仮設住宅で暮らす

福島県郡山市民の二つを見ることができた。場所も理由も違う二つの地域の被災状況を見ることができ

たのは、浜松市民としてとてもいい経験だったと思う。理由は、今回訪れた二つの地域の状況と私の住

んでいる地域が似ているからである。東海地震が起きた時に私の住んでいる地域は、津波被害がとても

大きな場所に住んでいるということ・浜岡原発による放射線被害を受ける可能性がある地域に住んでい

ることこの二つが予想されている。そのため、今回の仮設住宅訪問でこの二つの場所を訪れたことはと

てもいい機会になった。

次は、新たな生活を送るために団体法人が率先してサポートしていること。例を挙げると、郡山市の

仮設住宅だ。基本的に、仮設住宅にいる住民は高齢者や家族を失った人ばかりだ。そんな中で暮らすに

は若者の力が必要不可欠。しかし、若者というのは今後の社会では今の10代 20代が中心となってくる。

そのため、故郷を捨て新たな場所として県外へと出ていく人が絶えない。そこで、率先して動いていた

のは団体法人であった。高齢者をサポートしその仮設住宅のリーダーとなって活動していた。まるで、

出張老人ホームみたいであった。このような団体法人はとでも大切であり増やしていく必要があると思

しかし、まだまだ問題点はあった。復興工事に住宅が進んでいない・歴史ある学校が廃校や取り壊し

が進んでいること・環境変化とごみ問題・行政との話し合いだ。

まずは、復興工事について。一年前、閖上漁港の近くにある日和山を訪れた際あたり一面何もない状

態だったが、今回訪れたときは水産業関係の建物建設が進んでいる。が、建設の進んでいるのは水産関

係の建物ばかり。水産業の町として栄えている名取市閖上地区。水産業の復興からと考えているのかも

しれないが、考えるべきは人々の気持ちではないか?二度と戻らない趣ある街並みを戻すことはできな

いかもしれないが、仮設住宅がどれだけ苦しいものでそして、故郷に戻るには自分たちの住宅を故郷に

建てることではないのだろうか?

次は、廃校・取り壊しについて。一年前、慰霊碑を見に閖上中学校を訪れたが、今回は訪れることは

なく日和山の近くに慰霊碑が移されていた。後々、地元の人に聞いてみると取り壊しが決定し、12 月

26 日(我々の訪れた 3 日後)に取り壊し工事がスタートした。歴史があり地元の人たちが卒業しただ

ろう母校が取り壊すことはよかったのだろうか?歴史があり地元の象徴であっただろう建物を取り壊

してしまうのは地元の人たちはどう思っているのだろう?また、今回訪れた郡山市富岡町の仮設住宅の

住民からこんなことを聞いた。「今年卒業する生徒で母校が廃校をしてしまう。」と。個人的に、もし母

校が取り壊しや廃校になってしまったら帰るにも帰ることができなくなるだろう。このようなことは、

行政と市民としっかり話し合い決めるべきであると思う。

次は、環境変化とごみ問題について。福島と宮城という東北で雪が降りやすい地区にいるにもかかわ

らず割と温暖な気候であった。一年前、福島県内にあるサービスエリアを訪れた際大雪で雪が積もって

いる状態だったが、今回はそんなことはなった。これも地球温暖化の影響だろうか?いや、恐らくそう

であろう。また、清掃活動をしている際、住宅と住宅との間や敷地内にはポイ捨てされたようなごみや、

もういらないとされそのまま残されたものがごみとなって残された。いくら何もないとはいえごみを作

り出すということは、環境破壊にもつながり大切な故郷をけがしてしまうことになる。清掃活動をして

みて町を守るには、市民の人の力と協力しポイ捨て禁止や定期的な清掃活動の実施、地球温暖化防止対

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策などを実施すべきだと思う。

最後は、行政との話し合いだ。例を挙げると、まずは閖上漁港について。閖上漁港を立て直すのに市

のお願いをしたそうだ。しかし、行政はそんなことに耳を傾けることはなく別のことに。次は避難先に

ついて。災害対策本部みたいなところからは、避難先変えろと宣告が来ていても行政止まりになってし

まい市民のほうにはこのことが何もこのことが伝わっていなかったそうだ。最後は避難訓練について。

行政は、避難訓練に参加してもらうために参加者に芋煮などを配ったそうです。その結果、芋煮会やお

話合いみたいになっており避難訓練という訓練にはなっていなかったそうだ。このように行政が独自に

考え市民の声を聴かなかった。そのため被害が大きくなり復興にも遅れてしまった。こういうことから、

自分は話し合いという場を設けて行政と市民と協力し決め事や対策を立てたりすべきだと思う。

今回のツアーでは次のことを学んだ。

・思い出のある地や故郷を残し歴史を伝えること

・後世に伝えるためにも常に元気よく明るく

・団体法人、ボランティア活動の継続

・行政の役割を確認

・当たり前となっていることや生活のありがたみ

これらを次の世代・家族・世界の人たちに伝えたいと思った。

5年たった被災地

2625 内藤 美紀

私は、今回で二回目のスタディツアーに参加しました。被災した方々に微力ながらも何らかの支援を

したいと思っていましたし、震災から五年たった被災地がどのように変化したのか、昨年と比較して、

どのくらい復興が進んでいるのか知りたいとも思っていました。

まず、現地について感じたことは、昨年と比べ少し建物が建ち始めていて、かさ上げも進んでいるよ

うでした。

今回は二か所の仮設住宅に行きましたが、一つは原発近くの仮設住宅で、もう一つは住宅街近くの仮

設住宅でした。同じ仮設住宅とはいえ、設備は全く違います。原発近くの仮設住宅は、トイレも数か所

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完備されていましたし、卓球台もありました。もう一方は、トイレの数も少なく、生活のしやすさから

言えば、原発近くの仮設住宅のほうが生活しやすそうな印象を受けました。

私は茶道部なので、仮設住宅でお茶をたてました。学校外でお茶をたてる事はあまりなかったので、

お湯を沸かしたり、お茶をだしたり、順序良くできませんでした。それでも、お茶を飲んでくれたおじ

いさんが、嬉しそうにしわを寄せて、「生きていてよかった」と言ってくれたので、嬉しかったです。

訪問の最後では、「花は咲く」「上を向いて歩こう」を、被災地の方とともに唄いました。明るく話し

ていたおばあさんたちが、目に涙を浮かべているのを見て、五年前の震災から消えることのない悲しみ

や辛さ、私には想像もつかないくらいの思いをしてきたのだと感じました。そして、おばあさんたちの

悲しみが消える日が来るのだろうかと思うと、私もつらくなりました。

被災された方々の辛さは想像もできません。五年たってしまうと、東日本大震災の話題はほとんどテ

レビや新聞でも話題になることは少なくなってきました。しかし、被災地では、もう五年ではなく、ま

だ五年なのだということをボランティア活動を通し痛感しました。復興し始めているは街だけで、被災

した人たちの心の復興には、まだまだ時間が必要なのかもしれません。だから私は、今回東北で見た景

色、聞いた話、まだ仮設住宅を出られない人たちがいることを他の人に伝えたいです。

今回の訪問で、東北の方々が望んでいる支援とはいったい何なのだろうかということを常に考えてい

ました。それは、2011年3月11日に起こった東日本大震災を忘れないこと、いつ起きるかわから

ない地震に備え、少しでも被害を少なくすることだと思います。そのためには、避難訓練を行うことが

大切だと思います。私の地域でも避難訓練が行なわれています。しかし、炊き出し訓練などが主です。

これで本当に大地震が来たときに、大丈夫なのかと、疑問に思いました。

全国各地の地方自治体から、地震・津波マニュアルや防災ハンドブックなどが発行されていることを、

東北の人たちから聞いて初めて知りました。家に帰って調べてみると、浜松市では区版避難行動計画(保

存版、防災マップ、防災カード)というものが各世帯に発行されていました。地震が来たときにとるべ

き行動や避難場所が書かれていました。また、家族の連絡先を書いておける防災カードもありました。

西区で発行された「命を守るマニュアル」には、過去に浜松で起こった津波の被害の様子が掲載されて

いました。マニュアルに記載されている一番古い地震は、1498年に起こった明応地震です。浜名湖

南部で30ヘクタールが海となり、溺死者は1万人と推定され、津波で浜名湖の一部が崩壊し、海に通

じるようになったといわれていると書かれていました。浜松でも今まで大きな津波があったこと、地震

によって浜名湖に「今切口」ができたことを知り驚きました。また、サイレン吹鳴パターンというのが

載っていてサイレンの長さで津波警報、大津波警報、津波注意報と分けられていると書かれていました。

さらに東海地震による推定震度や推定液状化危険度も掲載されており、防災上必要な情報だと思いまし

た。しかし、この防災マニュアルの存在を知っている人はどれだけいるのでしょうか。このマニュアル

には、市民の税金が使われています。活用しないのは、税金を無駄遣いしているということだけでなく、

東北の方が伝えたいと思っていることも無駄にしていることと同じだと私は思います。

このスタディツアーでたくさんのことを学びました。その学びを、まずは身近な人に伝え、関心を持

ってもらうことから始めようと思います。

スタディツアーに参加して

2年8組 小野田 隼

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今年の3月11日で東日本大震災から5年も経つことになる。自分自身、あの震災からこんなに時間

が経ったのだと感じる。震災の被害はどれほど心に残っているのだろうか。また、東海地震の対策はど

れほど進んでいるのだろうか。地震も津波も自然だから必ずやってくる。この事実を知っているのに何

も動こうとする気配がない。大震災を糧に被害を最小限に抑えることが大切だと思う。

仮設住宅へ行き、ボランティアのような活動をおこなった。被災者の話を聞いて心に残ったことがあ

る。

「命があれば生きることができる。今こうして君たちと会ったことも家族に会えたことも生きているか

らこそできることであって、死んだらすべておわりだ。だから、自分の命を最優先にしなさい。」と言

った。生きているからこそ災害を忘れない被災者の姿があり、災害の怖さを伝えるために精一杯の努力

をしていることを実感した。

たくさんの被災者の願っていることは、当たり前の生活ができている「今」という時間を大切にする

こと。そして、東北大震災の大規模な自然災害を忘れないでほしいということだ。

去年から変わらないこと

被災者が1番に伝えたいことは「大震災を忘れない」こと

都市周辺と沿岸地域とでは復興のスピードが全く異なること

今から10年後20年後に閖上の地域を訪れ、友達でも自分の子供でもいいから伝えること

自分の命を最優先し生きること

まとめ

もし、東北大震災がなかったとしたら何人の命が助かるのだろう。笑顔がいくつ増えるのだろう。周

りの人々がいなくなって、自分はどう思うだろう。東海地震を仮定し、想像してみると被災者の心がよ

く分かる。被災者の記憶には生涯忘れることのできない出来事。自分のやれることは震災を忘れないこ

と。被災者の話を伝えること。生きることだと思っている。目で見て体験を聞くことに意図があったと

思う。被災者の歓迎に心から「ありがとう」と言いたい。

スタディツアーに参加して

2年9組 平山菜摘

東日本大震災から4年9ヶ月たった今、私は2度目のスタディツアーに参加しました。

2011年3月11日、私は小学6年生でした。外で遊んでいると突然サイレンが鳴り始めて、地震

の揺れに気づかなかった私は何が起こったのか全くわかりませんでした。家に帰りテレビを見てみると、

東北の沿岸部が津波におそわれていました。家、車、人、すべてを飲み込んでいく津波。それを見て私

は言葉を失いました。同じ日本で起こっていることだとどうしても理解できなかったのです。そして去

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年初めて被災地を訪れたとき、東日本大震災は遠いところで起きた出来事ではないと痛感させられまし

た。今年も参加しようと思ったのは、現地の方が言っていた「私たちは忘れられるのが一番怖い。」「物

やお金はいらないから現地に遊びに来て欲しい。」という言葉が忘れられず、もう一度現地に行くこと

で、少しでも被災された方々の力になればと思ったからです。

閖上

最初に櫻井さんと長沼さんのお話を聞きました。おふたりの話に共通していたのは、「閖上には津波

がこないと言われていた。」ということでした。小さい頃からそう言われ続けていたため、震災当時も

地震の揺れがおさまった後、家の中の片付けをしたり、近所の人と立ち話をしたりしていて一度も津波

の心配はしなかったそうです。それに加え、海に近い場所であるにもかかわらず、地域の防災訓練では

津波を想定した訓練は一度も行ったことがなかったようなのです。こうした間違った言い伝えが閖上で

津波による多くの犠牲者を出した大きな原因となってしまったのかもしれません。しかし、震災後発見

された石碑には過去の地震で閖上に津波がきたという記録が残されていました。長沼さんは「この石碑

があったのは子供の頃から知っていたが、内容を知ったのは震災のあとだった。」と悔しそうに話して

いました。そしてまた、「こうした災害の情報を後世に残すのに必要なのは、人の口から口へ伝わって

いく話だ。」とお話してくれました。今まで積み上げてきた生活を失い、大切な人をなくし、私たちが

想像できないような辛い経験をしたのに震災のことを話してくれたのは、東日本大震災で起きたことを

私たちが後世に伝え二度と同じようなことが起こらないようにと心から願っているからなのだと気づ

きました。その思いを受け取った私たちには伝える責任があると思いました。家族、友人など自分の出

来る限り伝えていこうと思います。

その後、私たちは清掃活動をしました。家の基礎だけが残されたところを歩きながら活動をすすめる

と、割れたお皿やお鍋などが見つかりました。生活感のあるものが出てくると、ここにもたくさんの生

活があったのだと改めて思い知らされました。その他、ペットボトルや空き缶、お菓子の袋なども回収

することができました。あたり一面更地になり誰も住んでいないこの土地にこんなゴミがあるはずがあ

りません。誰も見ていないからとゴミを捨てていく心無い人がいるのです。集まった多くのゴミを分別

した時、本当に残念な気持ちになりました。

スタディツアーに参加して

3年4組 刑部詩織

私は、今までに東日本大震災のような大きな地震や、町を一瞬にして跡形もない状態にしてしまうよ

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うな大きな津波を経験したことのなかったので、今回スタディツアーに初めて参加しました。

震災から4年9か月経った今、ニュースではあまり被災地のことがされなくなり、復興は進んでいる

ものだと思っていました。しかし、実際自分の目で見た被災地は、まだ仮設住宅がある地域があったり、

その仮設住宅も若い人たちだはなく、お年寄りの方たちでした。また建物が全くない地域もあり、元々

そこに住んでいた人たちは自分たちが住んでいた場所に戻れないでいるのが現状です。ニュースでは報

道されなくなりつつある被災地ですが、復興は完全に終わっていないこと、復興に向けて頑張っている

方たちがいることを忘れないようにしたいです。

スタディツアーの間、実際に震災の被害に遭い、無事に助かった方たちの話を聞くと、津波が来ると

は分かっていたけど、高い津波は来ないだろうとか、自分たちの所までは来ないだろうと油断をしてい

て逃げ遅れて亡くなった方や、家族の命を心配して家に戻り、そのまま津波によって亡くなった方が多

いというような話をよく聞きました。自分の命は自分で守るという当たり前のようなことを行動として

起こすかどうかが、自分の命が助かるかどうかの分かれ道だと思います。私たちが住む浜松も東海地震

が起きたら大きな津波が来て、大きな被害が出ると予想されているということ、何より自分の命を守る

ことを忘れずに過ごしたいと思いました。

震災が起こると昨日まで当たり前にいた家族や友人、親戚など周りにいた人、当たり前にあった家な

どの建物が一瞬にしてなくなってしまうことが想像できないと思いました。私自身実際には経験したこ

とないので分かりませんが、想像をしてみると今の生活が当たり前じゃなくて、幸せなんだということ

が改めて分かることが出来ました。

今回は仮設住宅での活動が主でした。餅つきをしたり、遠州焼き・芋煮を作ったり、歌などの出し物

をしました。仮設住宅で暮らしている方たちの中には家族や親戚、友人を失った方もいると思います。

それでも私たちと接してくださったことにとても感謝しているし、とても嬉しかったです。1 日目の仮

設住宅での活動で一通り歌まで終わった後に、「ふるさと」を歌いたいと言った方がいました。そして

全員で「ふるさと」を歌いました。やはり、ふるさとが大好きな気持ちと、戻りたいという気持ちがあ

ったからだと私は思いました。今自分が故郷に住めていること、いつもと変わらない生活を送っている

ことが、どれだけ幸せなことなのか.よく分かりました。

今回スタディツアーに参加をして、決して東日本大震災のような大きな地震や津波の被害は他人事で

はないということを強く感じました。私が住んでいるのは、東海地震はもちろん津波が来たら非常に危

険な地域です。それなのにも関わらず家族で「震災が起きたらどうするか」をきちんと話し合ったこと

がほぼ無いに等しいです。震災はいつどこで起きてもおかしくありません。はやめに話し合っておかな

いと、スタディツアーに参加した意味がありません。なぜ自分が自ら被災地に行ったのか、何を学びに

行ったのかよく考え、これからの自分の生活に役立てたいです。それと同時に、今回行くことを認めて

くれて、お金を出してくれた母と妹に感謝の気持ちを忘れてはいけないと思いました。

3度目のスタディツアー

3年4組 平野花歩

今回は、去年と一昨年を合わせて3度目のスタディツアーでした。私が今回もスタディツアーに参加

した理由は、この東日本大震災というものを忘れてはいけないと思ったからです。テレビなどのメディ

アでは震災のことは段々言わなくなっています。2020年には東京オリンピックも開かれます。この

ように世の中はどんどん進んでいます。私たちが住んでいる浜松でも震災のことを話す機会は全くって

いってもいいほどありません。このままだと本当に忘れ去られてしまいます。私自身も合わせてこの震

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災が忘れ去られることがないようにしたいと思い参加しました。

まず初めに閖上朝市で S さんのお話を聞きました。S さんは震災当時の映像を私たちに見せながら状

況を話してくれました。S さんは私たちに何かを訴えるように話しているように見えました。特に印象

に残ったのは車の中で亡くなられた人のお話です。車が津波に襲われて浮き、ドアが開かないのでその

まま水があがってくるのを待つしかない状況を想像してみると、恐ろしくて涙が出そうになります。津

波は車よりも速いスピードで襲ってきます。津波がくるとき慌てて車で逃げ、渋滞にはまって亡くなっ

てしまった方もいるそうです。だから、浜松にも大きな地震がきたらすぐに津波を警戒してすぐに自分

の足で高いところに避難するということを伝えたいです。S さんのお話をお聞きした後、閖上市内にあ

る日和山で N さんのお話をお聞きし、周辺の清掃活動を行いました。N さんは、閖上の人々はみんな小

さい頃からここには津波は来ないと言われていて、ここ閖上は絶対大丈夫だと思っていたそうです。で

も実際には昭和の初めにも大きな津波がきており、日和山のところにある石碑には、ちゃんと「地震が

あったら津波に用心」と津波がきたことが書いてありました。それをしっかり読んでいれば、犠牲者も

減らせたのではないかと N さんは言っていました。そのお話を聞いて、やっぱりこのような大きな災害

が起きたことは、文字ではなく言葉で後世に伝えていかなければならないと思いました。その後行った

清掃活動では、思った以上にゴミがたくさん落ちていて驚きました。ゴミに紛れて、そこに人が住んで

いたことを明らかにするような生活感あふれるものもたくさん出てきました。一瞬で何もかも壊してし

まう津波は恐ろしいと改めて感じました。

今回のスタディツアーでは宮城県名取市と福島県郡山市の2つの仮設住宅に行きました。仮設住宅で

はクリスマス会を開きました。みなさんとても楽しんでくれたみたいでとても嬉しかったです。しかし、

どちらの仮設住宅も町の中にあり周りにはお店がたくさんありました。周り完全に普通の生活をしてい

て、仮設住宅だけが置いていかれているように私には見えました。私は被災者の方々がふるさとへ帰れ

るように手助けすることはできません。でも、この震災のことを周りに伝えていくことはできます。ま

ずは身近な家族から伝えていき、どんどん広がれば震災のことを知らない世代にも伝わっていけば、次

に大きな地震があっても被害を小さくすることが出来ると思います。

私は将来理学療法士を目指しています。最近自然災害が増えていますが、その現場では理学療法士も

役にたつと思います。大学で勉強して理学療法士なり、地震や津波以外の災害でも理学療法士として復

興のサポートがしたいと思いました。

東北スタディツアーレポート

3年6組 多田龍也

今回 3 年生で初めて東北スタディツアーに参加することで、自分の人生にとって良い勉強になればと

思っていました。被災してからもう少しで 5 年が経とうとしているし、ある程度状態も良くなっている

と思っていました。しかし、実際に自分の目で現状を見てみると、思っていたよりも復興されていませ

んでした。建物が建っていたであろう所はほとんどが更地で、雑草やごみ、瓦礫などしかありませんで

した。5 年も経とうとしているのにほんの 1 部しか復興しておらず、とても驚きました。

また、閖上港で櫻井さんから、実際には四肢がバラバラになった人がいることや、溺死してしまった

人の顔は誰なのかわからないほど変形してしまっていることを聞き、気分が悪くなるほど重く考えまし

た。

長沼さんの話では家族のことを思い家に様子を見に行くことで亡くなってしまったり、車を使うこと

で逃げ切れず溺死したりしてしまう人が多いという話も聞き、TV では伝えていない話を多く知ること

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ができてよかったです。実際に被災者の方から話を聞くことで、櫻井さんや長沼さんの話がじわじわと

伝わってきました。被災地の1つである閖上地区は、昔から津波が来ないと言われてきた土地で、多く

の人は何も心配することなく、避難訓練をしっかり行うわけでもなく生活していたところに津波が来た

ことで多くの人が亡くなってしまった事を聞き、自分たちにとっても他人事ではないと感じました。静

岡も南海トラフ地震が来ると言われていますが、かつての閖上と同じように防災訓練を真剣に行なって

いる人は少なく、いつ地震や津波が来ても大丈夫な準備をしていない人も多いです。

私たちは被災者の方々から2つのお願いを聞きました。1 つ目は閖上や福島のようなことを 2 度と起

こさないで欲しいということです。とてもつらく悲しい出来事を経験したことで、津波の恐ろしさをよ

く知っているからこそ2度と同じような被害を出さないで欲しいと心からおっしゃっているのだと思い

ます。

多くの話を聞いていく中で、自分たちが今、普通に生活しているということはとても幸せなのだと

心から感じました。実際に自分の家族や親戚、友人が同じような境遇にいたらと思うととても悲しく、

苦しい気持ちになりました、なので被災者の思いを無駄にしないようにしていきたいです。

2 つ目は被災者の方々を忘れないで欲しいということです。初めて聞いたときは少し驚きました。ど

ういうことかすぐには理解が出来ませんでした。2 箇所の仮設住宅に訪れ、餅つきをはじめとして、昼

食を一緒に食べたり、マッサージをして楽しんだりしたことを忘れないで欲しいと言っているのかと思

いました。しかし、本当は震災によって自分の家や家族、友人、毎日の生活を奪われて心に深い傷を負

った人たちが今も仮設住宅で生活している中で、震災の被害がたいして出なかったところでは震災当時

に比べて少し被災地のひとたちに対しての手助け行く人が減ってきていることや、TV で放送されるこ

とが少なくなることで、年がたつほど人の記憶から薄れていくことがもっとも被災者の人たちがして欲

しくないことであることが強く心に響きました。

今回の体験を通して、災害によってどれほどの被害でどのような目に会ってきたのか見にしみました。

被災者の思いを無駄にしないためにもこれから先は、いつかかならず来る地震、津波に対する準備や避

難訓練をしっかりしていきたい。そして、これから生きていく人生の中で死ぬまで東北の震災のことや

被災者のことを忘れずにこれからの人生を大切に生きていきたいです。今回のような貴重な体験ができ

てとても有難かったです。

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