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名古屋工業大学大学院 「結晶構造解析特論」
担当:井田隆(名工大セラ研)
2012年11月12日(月) 更新
第4章 結晶によるX線の散乱
Scattering of X-ray from a crystal いよいよ結晶からの回折について扱うことにします。この章と次の章で,結晶全体からの散乱について構造因子を素朴に計算すれば,自然に回折条件も導かれることも示します。 ところで,「結晶は原子が規則正しく並んだものだ」と考えるのが普通かもしれませんが,現実に結晶の回折測定をするときに熱振動の効果を無視することはできません。有限の温度では原子は必ず熱振動をしていますから,瞬間的に見た時は,各原子はどちらかというと「平均的な位置の近くのランダムな位置にある」ようなイメージの方が現実に近いように思います。ランダムな位置のずれがあるわけですから,現実の結晶では原子が厳密な意味で規則正しく並んでいるわけではありません。
原子の振動運動の振動数はせいぜいマイクロ波から赤外線の領域,
�
1010 ~ 1014
�
s−1 くら
いですから,振動数が
�
1018 ~ 1020
�
s−1 くらいのX線で見た場合には,原子はほぼランダムな位置に止まって見えると考えられます。 物質によっても違うのですが,原子の熱振動の幅は 0.1 Å くらいはあるのが普通だといわれています。これは第3章で考慮した電子密度の広がりと同程度の大きさですから,無視するわけにはいきません。
4-1 熱振動 Thermal vibration
はじめに,実際に原子が室温付近でどのていどの振幅で振動するものなのかを確かめておきたいと思います。 固体中の原子の熱振動をもっとも単純に取り扱う方法は,固有振動数を持って単振動をするようなもの(調和振動子 harmonic oscillator)として取り扱うことでしょう。本来は3次元的な振動ですが,例えば x, y, z の3方向への振動がそれぞれ独立な固有振動数を持つとすれば,1次元の振動を組み合わせたものとして考えれば良いはずです。1次元の調和振動子は量子力学でもたいてい最初のところにでてくる比較的簡単なモデルですが,ここではもっと簡単に古典力学の範囲で考えることにします。
振動の振幅を xmax , 力の定数を k とすれば,振動のエネルギーは 12
k xmax2 です。時刻
�
t
での変位は,固有振動数を
�
ν として x = xmax e2π iνt と表され,平均二乗変位 Δx は
http://www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/CrystalStructureAnalysis/index-j.htmlhttp://www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/CrystalStructureAnalysis/index-j.html
Δx( )2 = Re x{ } 2 = 11/ν xmax
2 cos2(2πνt)d t0
1/ν
∫
=
xmax2
1/ν1+ cos(4πνt)
2d t
0
1/ν
∫ = νxmax2t2+ sin(4πνt)
8πν⎡
⎣⎢
⎤
⎦⎥
0
1/ν
=xmax
2
2
(4.1)
から
Δx =
xmax2
(4.2)
となります。 有限な温度
�
T でエネルギー
�
E をとる確率は Maxwell-Boltzman の分布関数:
fMB(E) = e−E /kBT
(ただし kB はボルツマン定数 1.3806503(24)×10−23[J K−1])
にしたがうはずですから, E = 1
2k xmax
2 をそのまま代入してやって,振幅の分布は
exp −
k xmax2
2kBT⎡
⎣⎢
⎤
⎦⎥ という正規分布(Gauss 型分布)になるはずです。分布の広がりは標準偏差
kBT / k で表されます。
力の定数
�
k は原子間の結合の強さによって違うはずですが,大まかな値は物質の力学的な性質からも見積もることができます。理科年表を見れば,普通の固体の体積圧縮率
(圧力を加えた時に体積が収縮する割合)は,ほとんど例外なく 0.5 ~ 3×10−11
�
Pa-1 であ
ることがわかります。線圧縮率(圧力を加えたときに長さが縮む割合)は,等方的な物質
なら体積圧縮率の 1/3 ですから,
�
0.1 ~ 1×10−11
�
Pa-1 くらいでしょう。かりに
�
0.3×10−11
�
Pa-1 を線圧縮率の代表的な値として,原子の間隔が 0.2 nm であるとすれば,力の定数は
k =
1 [Pa]( ) 0.2×10−9[m]( )20.3×10−11( )× 0.2×10−9[m]( ) ≈ 0.7 ×10
2[N m−1]
くらいの大きさです。したがって,室温 300 K での熱振動の大きさは,この場合,
kBTk
=1.38×10−23[J K−1]( )× 300 [K]( )
0.7 ×102[N m−1]
⎡
⎣⎢⎢
⎤
⎦⎥⎥
1/2
~ 8×10−12[m]= 0.008 [nm]
くらい,たしかに 0.01 nm = 0.1 Åくらいにはなるわけです。熱振動の振動数は原子の質量によって変わるのですが,振幅は原子の種類によらずほぼ一定です。このことから「室温
付近ではどの原子も 0.1 Åの振幅の熱振動をしている」という極端なモデル化をしてしまっても意外にうまくいく場合が多いのです。 なお,原子の熱振動を孤立した振動子とみなすモデルは「格子振動のアインシュタイン Einstein モデル」と呼ばれます。原子の動きは本来ならば互いに相関を持っているはずで,相関を考慮に入れた振動のモデルは「デバイ Debye モデル」と呼ばれます。およそ 100 K 以下くらいになると振動の相関の効果を考慮に入れる必要もでてくると思われますが,室温付近以上ならアインシュタイン・モデルでもだいたい良いだろうと考えられます。
4-2 熱振動の効果と結晶からの散乱 Effects of thermal vibration and scattering from crystals
原子の熱振動に比べればX線の振動の方がずっと速いので,X線で見た時に原子はほとんど止まって見えるはずです。ですから,室温で測定をしている限り,原子は本来の位置からランダムにずれた位置にあるように見えるでしょう。
図 4.1 絶対零度(左)と室温(右)での原子位置のイメージ。室温での原子位置はかなりばらついていると思われる。
このような場合に,いわゆる「結晶」がどのような散乱を起こすでしょうか? 結晶構造の周期性は,原子の平均的な位置については成立します。その繰り返し構造の
単位が a , b , c の3つのベクトルで表されるとします。単位構造の中に M 個の原子があ
るとして,そのうちの j 番目の原子の平均位置を rj とすれば,結晶中の任意の原子の
平均位置は rξηζ j = ξ
a +ηb +ς c + rj , ただし ξ , η , ζ (ギリシャ文字のグザイ,イー
タ,ゼータ)は整数,と表されます。熱振動による原子の変位 Δrξηζ j を加えて,任意の原
子位置は
rξηζ j =
rξηζ j + Δrξηζ j = ξ
a +ηb +ς c + rj + Δ
rξηζ j
(4.3)
と書けます。結晶の全電子密度は,位置 rξηζ j にある各原子の電子密度 ρ j (
r − rξηζ j ) を足し
合わせたものだと考えます。つまり,
ρtotal (
r ) = ρ jr − rξηζ j( )
j=1
M
∑ξ ,η ,ζ∑
= ρ j
r −ξ a −ηb −ς c − rj − Δ
rξηζ j( )j=1
M
∑ξ ,η ,ζ∑
(4.4)
と書けるとします。ここで注意が必要なのは,原子の間に化学結合がある場合に,原子の集まりの電子密度は孤立した原子の電子密度を単純に足し合わせたものにはならないはずだということです。しかし,化学結合のあるところで少し電子密度が高くなるとは言っても,ふつうは結合に寄与しない内殻電子の方が数が多いので,結合による電子密度の変化は全体の中では大きな割合ではありません。逆に,精密な測定の結果,単純な原子散乱因子の足し合わせからのずれが明らかとなった場合には,これが化学結合に起因するものだろうと判断するわけです。 結晶全体からの散乱の強さを表す構造因子は全電子密度のフーリエ変換ですから,
Ftotal (
K ) = ρtotal (
r )R3∫ exp 2πi
K ⋅ r( )d v
= exp 2πi
K ⋅ r( )
R3∫ ρ j r −ξ a −η
b −ς c − rj − Δ
rξηζ j( )j=1
M
∑ξ ,η ,ζ∑ dv
となります。ここで,
d xd yd z−∞
∞
∫−∞
∞
∫−∞
∞
∫ の代わりに,
R3∫ dv と省略した表現を使っていま
す。積分と和の順番を入れ替えて
= exp 2π i
K ⋅ r( )
R3∫ ρ j r −ξ a −η
b −ς c − rj − Δ
rξηζ j( )j=1
M
∑ξ ,η ,ζ∑ dv
積分変数を r から
r + ξ a +η
b +ς c + rj + Δ
rξηζ j に置換して
= exp 2π i
K ⋅ r + ξ a +η
b +ς c + rj + Δ
rξηζ j( )⎡⎣ ⎤⎦R3∫ ρ j r( )
j=1
M
∑ξ ,η ,ζ∑ dv
と書けます。さらに, r を含んでいない部分は積分の外に出せるので,
= exp 2π i
K ⋅ ξ a +η
b +ς c( )⎡⎣ ⎤⎦
ξ ,η ,ζ∑ exp 2π i
K ⋅ rj + Δ
rξηζ j( )⎡⎣ ⎤⎦j=1
M
∑ ρ j r( )exp 2π iK ⋅ r( )
R3∫ dv
(4.5)
となります。 ところで,式 (4.5) の
ρ j (r )
R3∫ exp 2π i
K ⋅ r( )dv = f j
K( )
(4.6)
は第3章で出てきた原子散乱因子そのものです。したがって,
Ftotal (
K ) = exp 2π i
K ⋅ ξ a +η
b +ς c( )⎡⎣ ⎤⎦
ξ ,η ,ζ∑ f j (
K )exp 2π i
K ⋅ rj( )exp 2π i K ⋅ Δrξηζ j( )
j=1
M
∑
(4.7)
という形になります。 次に,原子の変位の確率的な分布がわかっているとした場合の構造因子の平均について考えます。ここで, j 番目の原子の変位の確率密度分布が gj Δ
r( ) という関数で表される
とします。単位構造が全部で N 個あるとして, N ×M 個の原子がすべて独立な(相関を持たない)振動をすると仮定します。構造因子の平均は,
Ftotal (K ) =
R3∫
R3∫
R3∫ Ftotal (
K )
R3∫
× g1(Δrξ1η1ζ11)gM (Δ
rξ1η1ζ1M )g1(ΔrξNηNζN 1)gM (Δ
rξNηNζNM )
× d(Δvξ1η1ζ11)d(Δvξ1η1ζ1M )d(ΔvξNηNζN 1)d(ΔvξNηNζNM )
(4.8)
という N ×M 重の積分で表されます。一見複雑のようですが,確率変数である「原子の変位」がすべての原子について独立だと仮定しているので,積分の中身の関数(被積分関数)に含まれていない原子の座標についての積分を計算したとしても,「 ξ = ′ξ かつ
η = ′η かつ ς = ′ς かつ j = ′j 」でない限り,
exp 2π i
K ⋅ Δrξηζ j( )g ′j (Δr ′ξ ′η ′ζ ′j )
R3∫ d(Δv ′ξ ′η ′ζ ′j ) = exp 2π i
K ⋅ Δrξηζ j( ) g ′j (Δr ′ξ ′η ′ζ ′j )d(Δv ′ξ ′η ′ζ ′j )
R3∫
= exp 2π i
K ⋅ Δrξηζ j( )
(4.9)
のような関係が成り立って,積分は消えてしまいます。この関係を使えば,残る積分は各項について一つずつだけで,結局
Ftotal (
K ) = exp 2π i
K ⋅ ξ a +η
b +ς c( )⎡⎣ ⎤⎦
ξ ,η ,ζ∑ f j (
K )exp 2π i
K ⋅ rj( )
j=1
M
∑
× gj (Δ
r )exp 2π iK ⋅ Δr( )d(Δv
R3∫ )
(4.10)
という式が得られます。ここで
G(K ) ≡ exp 2π i
K ⋅ ξ a +η
b +ς c( )⎡⎣ ⎤⎦
ξ ,η ,ζ∑
(4.11)
と定義すれば
Ftotal (
K ) = G(
K ) f j (
K )exp 2π i
K ⋅ rj( )
j=1
M
∑ gj (Δr )exp 2π iK ⋅ Δr( )d(Δv
R3∫ )
(4.12)
と書けます。関数 G(K ) の意味については第5章と第6章で詳しく説明しますが,第1章
で扱った Bragg 条件と同じように,Laue 条件と呼ばれる回折条件,あるいは「結晶の粒が有限な大きさである効果」を表すものになります。さらに
Tj (K ) ≡ gj (Δ
r )exp 2π iK ⋅ Δr( )d(Δv)
R3∫
(4.13)
と定義すれば,
Ftotal (
K ) = G(
K ) f j (
K )Tj (
K )exp 2π i
K ⋅ rj( )
j=1
M
∑
(4.14)
と書き直すことができます。 式 (4.13) の Tj (
K ) は原子変位因子 atomic displacement factor と呼ばれます。か
つては温度因子 temperature factor あるいはデバイ-ワーラー因子 Debye-Waller factor と呼ばれていました。X線で見る限り,熱振動による動的な原子位置のずれと,何か他の原因によるランダムな原子位置のずれとは区別できないわけですから,「原子変位因子」と呼ぶようにした方が意味が明確になります。これが現在では国際結晶学連合の正式な用語となっています。しかし,古い教科書では温度因子あるいはデバイ-ワーラー因子という用語が使われる例が多いので注意してください。 さて,原子の熱振動を考慮に入れた結晶全体の構造因子の平均が式 (4.14) で求まったわけですが,本当にこれで満足してしまっても良いのでしょうか?実際の強度測定で得られるものは構造因子そのものではなくて,構造因子の絶対値の二乗
Ftotal (
K )
2= Ftotal
* (K )Ftotal (
K ) でしょう(ここで Ftotal
* (K ) は Ftotal (
K ) の複素共役を意味しま
す)。そこで,構造因子の絶対値の二乗を求めることを試みてみましょう。式 (4,7) から,単純に
Ftotal* (K ) = exp −2π i
K ⋅ ′ξ a + ′η
b + ′ς c( )⎡⎣ ⎤⎦
′ξ , ′η , ′ζ∑
× f ′j
*(K )exp −2π i
K ⋅ r ′j( )exp −2π i K ⋅ Δr ′ξ ′η ′ζ ′j( )
′j =1
M
∑
(4.15)
なので,
Ftotal (
K )
2= exp 2π i
K ⋅ (ξ − ′ξ )a + (η − ′η )
b + (ς − ′ς )c( )⎡⎣ ⎤⎦
′ξ , ′η , ′ζ∑
ξ ,η ,ζ∑
× f j (
K ) f ′j
*(K )exp 2π i
K ⋅ rj −
r ′j( )( )⎡⎣ ⎤⎦exp 2π iK ⋅ Δrξηζ j − Δ
r ′ξ ′η ′ζ ′j( )⎡⎣ ⎤⎦′j =1
M
∑j=1
M
∑
(4.16)
と言う関係が成り立ちます。この平均は,
Ftotal (K )
2=
R3∫
R3∫
R3∫ Ftotal (
K )
2
R3∫
× g1(Δrξ1η1ζ11)gM (Δ
rξ1η1ζ1M )g1(ΔrξNηNζN 1)gM (Δ
rξNηNζNM )
× d(Δvξ1η1ζ11)d(Δvξ1η1ζ1M )d(ΔvξNηNζN 1)d(ΔvξNηNζNM )
= exp 2π iK ⋅ (ξ − ′ξ )a + (η − ′η )
b + (ς − ′ς )c( )⎡⎣ ⎤⎦
′ξ , ′η , ′ζ∑
ξ ,η ,ζ∑ f j (
K ) f ′j
*(K )
′j =1
M
∑j=1
M
∑
× exp 2π iK ⋅ rj −
r ′j( )⎡⎣ ⎤⎦ R3∫
R3∫
R3∫ exp 2π i
K ⋅ Δrξηζ j − Δ
r ′ξ ′η ′ζ ′j( )⎡⎣ ⎤⎦R3∫
× g1(Δrξ1η1ζ11)gM (Δ
rξ1η1ζ1M )g1(ΔrξNηNζN 1)gM (Δ
rξNηNζNM )
× d(Δvξ1η1ζ11)d(Δvξ1η1ζ1M )d(ΔvξNηNζN 1)d(ΔvξNηNζNM )
(4.17)
となりますが,積分の値は「ξ = ′ξ かつ η = ′η かつ ς = ′′ς かつ j = ′j 」のときだけ
gjR3∫ (Δrξης j )d(Δvξης j ) = 1
(4.18)
であり,それ以外では
exp 2π iK ⋅ Δrξηζ j − Δ
r ′ξ ′η ′ζ ′j( )⎡⎣ ⎤⎦R3∫
R3∫ gj (Δrξηζ j )g ′j (Δr ′ξ ′η ′ζ ′j )d(Δvξηζ j )d(Δv ′ξ ′η ′ζ ′j )
= Tj (K )T ′j
*(K )
(4.19)
です。したがって,
Ftotal (
K )
2=
j=1
M
∑ξ ,η ,ζ∑ f j (
K )
2
+
ξ ,η ,ζ∑
j=1
M
∑ exp 2π iK ⋅ (ξ − ′ξ )a + (η − ′η )
b + (ς − ′ς )c( )⎡⎣ ⎤⎦
( ′ξ , ′η , ′ζ , ′j )≠(ξ ,η ,ζ , j )∑
× f j (
K ) f ′j
*(K )exp 2π i
K ⋅ rj −
r ′j( )⎡⎣ ⎤⎦Tj (K )T ′j
*(K )
となりますが,和を取り直して整理すれば
= N
j=1
M
∑ f j (K )
21− Tj (
K )
2( ) + G( K ) 2 f j ( K )Tj ( K )exp 2π i K ⋅ rj( )j=1
M
∑2
(4.20)
と書けます。結局,
Ftotal (
K )
2= Ftotal (
K )
2+ N fj (
K )
2
j=1
M
∑ 1− Tj (K )
2( )
(4.21)となります。このように,
Ftotal (
K )
2 は
Ftotal (
K )
2 からほんの少しずれた値になりま
す。けれど, Ftotal (
K )
2 は単位構造あたりの構造因子の N 2 倍くらいの値であるのに対
して,ずれは単位構造あたりの構造因子の N 倍ていどの値ですから,よほど小さい結晶でない限り,無視できるように思われます。
4-3 原子変位因子 atomic displacement factor
さて,式 (4.13) の原子変位因子は,原子の変位に関する任意の確率分布に対して定義できるものであり,必ずしも調和振動子に限定されず,また振動がどのように複雑な性格を持っていても原理的にはそれを含めることができるはずです。仮定しているのは,個々の原子の振動が独立であるということだけです。
4-3-1 等方的な原子変位因子 isotropic atomic displacement factor
熱振動が等方的で,変位の分布が3次元的な正規分布にしたがうと仮定できる場合は話が簡単です。このような変位の分布は4−1節で議論したように,3次元の調和振動子に対応したものとなります。平均二乗変位を Uj とすれば,
gj (r ) = 1
(2π)3/2Uj3/2 exp −
r2
2Uj
⎡
⎣⎢⎢
⎤
⎦⎥⎥
(4.22)
と書けます。3−2−1節で導いたように,この Fourier 変換は解くことができて,
Tj (K ) ≡ gj (
r )exp 2π iK ⋅ r( )dv
R3∫
= exp −2π2K 2Uj⎡⎣ ⎤⎦
= exp −8π2Uj sin
2Θλ 2
⎡
⎣⎢
⎤
⎦⎥
(4.23)
となります。さらに,
Bj = 8π2Uj
(4.24)
を定義すれば,
Tj (K ) = exp −Bj sin
2Θλ 2
⎛
⎝⎜⎞
⎠⎟
(4.25)
とも書けます。伝統的には式 (4.24) で定義される Bj が原子変位パラメータあるいは温度
パラメータと呼ばれて,原子の熱振動の効果を表現するために使われてきました。この Bj を使えば少し計算が楽になりますし,Å2 単位での数値が 1 に近くなって見やすい面も
あるのですが,現在では Uj そのものを平均二乗変位パラメータとして使うことが推奨さ
れています。確かに,やはりその方が意味がはっきりしますよね。古い論文や教科書(あるいは最近でも保守的な人の書いたもの?)などで Bj が使われている場合は少なくない
ので,そのようなときには, 8π2 = 78.9568 で割ってあげてください。
4-3-2 非等方的な原子変位因子 anisotropic atomic displacement factor
熱振動が等方的でない場合,平均二乗変位は方向によって異なる値を取り,以下の6つのパラメータ:
x2gj
R3∫ (r )dv ≡Ujxx ,
y2gj
R3∫ (r )dv ≡Ujyy ,
z2gj
R3∫ (r )dv ≡Ujzz ,
(xy)gj
R3∫ (r )dv ≡Ujxy ,
(yz)gj
R3∫ (r )dv ≡Ujyz ,
(zx)gj
R3∫ (r )dv ≡Ujzx
(4.26)
を要素とする行列
U j =Ujxx U jxy U jzxU jxy U jyy U jyzU jzx U jyz U jzz
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
(4.27)
で特徴付けられます。この行列を使えば,任意の方向に沿った平均二乗変位を,その方向を向いた長さ1の(規格化された)ベクトル
�
u に対して, ut U j
u と書くことができま
す。というのは,このとき,変位
r =xyz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
に対して方向
u =uxuyuz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
に投影した成分の
大きさを r ⋅ u と書くことができるわけですから,その二乗の平均は
r ⋅ u 2 = ut r( ) r t u( ) = ut rr t u
= utxyz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
x y z( ) u = utxx xy zxxy yy yzzx yz zz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
u = utUxx Uxy UzxUxy Uyy UyzUzx Uyz Uzz
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
u
=ut U u
(4.28)
となるからです。 また,この行列の固有値 eigenvalue あるいは主値 principal value を U1 , U2 ,
U3,対応する規格直交化された固有ベクトル eigenvector,あるいは主軸 principal
axis を
p1 =
p1xp1yp1z
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
,
p2 =
p2xp2 yp2z
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
,
p3 =
p3xp3yp3z
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
(4.29)
とすれば,例えば
Uxx Uxy UzxUxy U yy U yzUzx U yz Uzz
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
p1xp1yp1z
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
=U1
p1xp1yp1z
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
つまり
Up1 =U1
p1
(4.30)
したがって,
p1
t U j p1 =U1
(4.31)
のような関係が成り立ちます。同じように
p2
t U j p2 =U2
(4.32)
p3
t U j p3 =U3
(4.33)
などの関係も成り立ち,まとめると
p1x p1y p1zp2x p2 y p2zp3x p3y p3z
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
U jxx U jxy U jzxU jxy U jyy U jyzU jzx U jyz U jzz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
p1x p2x p3xp1y p2 y p3yp1z p2z p3z
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟=
U1 0 00 U2 00 0 U3
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
(4.34)
と書けます。行列
P ≡
p1x p2x p3xp1y p2 y p3yp1z p2z p3z
⎛
⎝
⎜⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟⎟
(4.35)
を定義すれば,
Pt U j P ≡U1 0 00 U2 00 0 U3
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
(4.36)
と書けることになります。
行列 P は直交行列で,転置行列が逆行列に等しい( Pt = P−1)という性質を持っています。このことから
U j ≡ PU1 0 00 U2 00 0 U3
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
Pt
(4.37)
と言う関係もあることがわかります。
散乱ベクトル
K =
KxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
が,主軸を X, Y, Z 軸に取った座標系では
K XKYKZ
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
で表され
る,つまり
K = K X
p1 + KYp2 + KZ
p3
(4.38)
であるとすれば,
KxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟=
p1x p2x p3xp1y p2 y p3yp1z p2z p3z
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
K XKYKZ
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟= P
K XKYKZ
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
(4.39)
K XKYKZ
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟=
p1x p1y p1zp2x p2 y p2zp3x p3y p3z
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
KxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟= Pt
KxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
(4.40)
という関係があります。
変位
R =
XYZ
⎛
⎝
⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟ の分布が以下のような関数で表されるとします。
g j (R) = 1
(2π )3/2U11/2U2
1/2U31/2 exp −
X 2
2U1− Y
2
2U2− Z
2
2U3
⎡
⎣⎢
⎤
⎦⎥
(4.41)
このとき原子変位因子は,
Tj (K )
= g j (
r )exp 2π iK ⋅ r( )d v
R3∫
= g j (
R)exp 2π i
K ⋅R( )
−∞
∞
∫ d X dY d Z−∞
∞
∫−∞
∞
∫
= 1
(2π)3/2U11/2U2
1/2U31/2 exp −
X 2
2U1− Y
2
2U2− Z
2
2U3
⎡
⎣⎢
⎤
⎦⎥
−∞
∞
∫−∞
∞
∫−∞
∞
∫
×exp 2π i K X X + KYY + KzZ( )⎡⎣ ⎤⎦d X dY d Z
= exp −2π2 K X
2U1 + K X2U2 + K X
2U3( )⎡⎣ ⎤⎦
= exp −2π2 K X KY KZ( )U1 0 00 U2 00 0 U3
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
K XKYKZ
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
⎡
⎣
⎢⎢⎢
⎤
⎦
⎥⎥⎥
= exp −2π2 Kx K y Kz( )PtU1 0 00 U2 00 0 U3
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
PKxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
⎡
⎣
⎢⎢⎢
⎤
⎦
⎥⎥⎥
= exp −2π2 Kx K y Kz( )U jKxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
⎡
⎣
⎢⎢⎢
⎤
⎦
⎥⎥⎥
= exp −2π2
K t U j
K( )
(4.42)
展開すれば
Tj (K )
= exp −2π2 Kx K y Kz( )U jxx U jxy U jzxU jxy U jyy U jyzU jzx U jyz U jzz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
KxK yKz
⎛
⎝
⎜⎜⎜
⎞
⎠
⎟⎟⎟
⎡
⎣
⎢⎢⎢⎢
⎤
⎦
⎥⎥⎥⎥
= exp −2π2 U jxx Kx
2( +U jyy K y2 +U jzz Kz2 + 2U jxy Kx K y + 2U jyz K y Kz +2U jzx Kz Kx )⎤⎦⎡⎣
(4.43)という形になります。 伝統的な等方性原子変位パラメータについて,平均二乗変位 Uに対して B = 8π2Uで表
される値が用いられてきたのと同じように, 非等方性原子変位パラメータもについても伝統的には β11 , β22 , β33 , β12 , β13 , β23 という6つのパラメータによる表記がされてきまし
た。このことについては,第5章でもう少し詳しく説明したいと思います。
4-4 結晶構造因子 crystal structure factor
さて,もう一度4−2節の式 (4.14) で得られた結晶全体からの平均的な構造因子に話を戻します。
F(K ) = f j (
K )Tj (
K )exp 2π i
K ⋅ rj( )
j=1
M
∑
(4.44)
と定義すれば,結晶全体の平均の構造因子は
Ftotal (K ) = G(
K )F(
K )
(4.45)
となります。 F(K ) は一つの単位構造からの散乱の振幅に対応していて,結晶構造因子
crystal structure factor あるいは単位格子構造因子 unit-cell structure factor と呼ばれます。単位格子内の電子分布あるいは原子の配置によって決まる量です。式 (4.44) で定義される結晶構造因子は,単位格子からの散乱振幅の散乱ベクトルによる変化を表すものですが,これだけでは結晶の回折条件を含んだものにはなっていません。つまり,どんな散乱ベクトル
K に対してもゼロではない値を返すような関数になっていま
す。特定の散乱ベクトルでしか散乱が起こらないという回折条件は,関数 G(K ) の部分に
含まれているということに注意して下さい。
4-5 構造因子の確率的な変動 statistical variation of structure factor
さて,この節では,4−2節の式 (4.7) で表される構造因子と,式 (4.14) で得られた平均値とのずれについて議論したいと思います。実際に測定される構造因子 Ftotal (
K ) は,あく
までも式 (4.7) で表されるものであり,平均値
Ftotal (K ) を中心に確率的に変動するもの
だとみなします。その変動があまり大きかったら,測定の際に強度がばらついてしまうことになりますね。 さて,構造因子の確率的な変動の大きさは式 (4.21) から
Ftotal (K )− Ftotal (
K )
2= Ftotal (
K )
2− Ftotal (
K )
2
= N f j (
K )
2
j=1
M
∑ 1− Tj (K )
2⎛⎝
⎞⎠
と書けるはずです。4−2節で議論したように,この値は
Ftotal (K )
2 と比較したら,
1N
倍(ただし
�
N は結晶中の単位胞の数)ていどの値になります。結晶が極端に小さくない限りは,実際上無視できるでしょうから,熱振動のせいで測定値がばらついてしまうのではないかという心配は必要なさそうです。