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テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
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第1章 古代/中世
テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
土器 先土器 縄文 弥生
道具 旧石器(打製
石器) 新石器(磨製石器)
金属器(青銅器・鉄
器)
地質学 更新世 完新世 完新世
期間 200万~1万
2000年前
1万2000年前~B.C.
5C B.C.5C~3C
風俗 ― 屈葬・抜歯・貝塚・
土偶
伸展葬・支石墓・方形
周溝墓・墳丘墓
遺跡
岩宿遺跡(群
馬)・早水台
遺跡(大分)
三内丸山遺跡(青
森)・亀ヶ岡遺跡(青
森)・大森貝塚(東
京)・板付遺跡(福
岡)・菜畑遺跡(佐
賀)
砂沢・垂柳遺跡(青
森 )・ 登 呂 遺 跡 ( 静
岡)・唐古・鍵遺跡(奈
良)・神庭荒神谷遺跡
(島根)・吉野ヶ里遺跡
(佐賀)
第1章 古代/中世
2
[先土器の遺跡]
・野尻湖の じ り こ
(長野)=ナウマン象の臼歯化石発見
・岩 宿いわじゅく
遺跡(群馬)=相沢あいざわ
忠洋ただひろ
が関東ローム層(赤土)から日本初の打製
石器を発見
[縄文の遺跡]
・尖 石とがりいし
遺跡(長野)⇒原始農耕(焼畑農耕)
・三さん
内丸山ないまるやま
遺跡(青森)⇒約40ha に及ぶ縄文 大級の大集落遺跡
・大森おおもり
貝塚(東京)⇒1877年アメリカ人動物学者モース(ダーウィンの進化
論を紹介)により日本 初の発掘調査が行われた貝塚
・加曽利か そ り
貝塚(千葉)⇒国内 大規模の貝塚
・津雲つくも
貝塚(岡山)⇒人骨160体出土
・大湯おおゆ
遺跡(秋田)⇒環 状 列かんじょうれっ
石れき
出土
・亀ヶ岡かめがおか
遺跡(青森)⇒縄文晩期の独特な形の土器出土
・板付いたづけ
遺跡(福岡)・菜畑なばたけ
遺跡(佐賀)⇒ 古の水稲農耕集落
[弥生の遺跡]
・唐古からこ
・鍵かぎ
遺跡(奈良)⇒木製農具発見・ 大の環濠集落遺跡
・須玖す く
遺跡いせき
(福岡)⇒支石墓発見
・砂沢すなさわ
遺跡・垂 柳たれやなぎ
遺跡(青森)=水稲耕作の東北波及の証拠
・登呂と ろ
遺跡(静岡)⇒矢板・高床倉庫・水田跡発見
・宇津木う つ ぎ
遺跡(東京)= 初の方形周溝墓発見
・環濠かんごう
集落=溝で周りを囲んだ人工的防衛集落。
Ex)吉野ヶ里よ し の が り
遺跡(佐賀)=巨大環濠集落遺跡⇒楼観ろうかん
(物見やぐら)や
邸閣ていかく
(租税収納)あり
・高地性集落=瀬戸内海沿岸・畿内の山頂・丘陵上に営まれた防衛集落。
Ex)紫雲出山し う で や ま
遺跡(香川))=巨大高地性集落
テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
3
[青銅器と鉄器]
・青銅器=祭祀用→銅鐸どうたく
(畿内)・平形銅剣(瀬戸内海)・細形銅剣・銅矛どうほこ
・
銅戈どうか
(北九州)
・鉄器=農具・工具
[土器の違い]
・縄文土器=黒褐色・厚手でもろい・低温・南千島から九州南西諸島まで分布
・弥生土器=地名が土器の名前の由来。赤褐色・薄手で丈夫・高温で焼いた。
・土は
師器じ き
=弥生土器の系譜・赤褐色・土師部は じ べ
が製作
・須恵器す え き
=大陸の技術・灰褐色・陶(作)部す え つ く り べ
が製作
[埋葬法]
・屈葬=縄文時代の埋葬法
・伸展葬=弥生時代以降の埋葬法
・火葬=道 昭どうしょう
が700年に火葬されて以降普及。
[墓制]
・甕棺墓=土器を用いて棺・北九州
・箱式石棺墓=石を組み合わせて箱形の棺・西日本
・支石墓し せ き ぼ
=朝鮮の影響・北九州
・方形ほうけい
周溝墓しゅうこうぼ
=中国の影響・九州~関東
・墳ふん
丘きゅう
墓ぼ
=盛り土をする・西日本
第1章 古代/中世
4
[大陸との交渉拠点]
・楽浪らくろう
郡ぐん
=前漢の武帝ぶてい
が設置。現在の平 壌ピョンヤン
にあたり,313年に高句麗により
滅亡。『漢書』に登場。
・帯方郡たいほうぐん
=204年頃に遼東太守公孫こうそん
康こう
が楽浪郡南半分を割いて設置。現在のソ
ウルにあたり,313年に高句麗により滅亡。『魏志』に登場。
[邪馬台国]
・大倭だいわ
=邪馬台国で市の監視
・一大率いちだいそつ
(伊都い と
国に設置)=邪馬台国で諸国を監視
・大人たいじん
・下戸げ こ
など身分差が激しい
・建武中元二年=57年⇒「漢委奴国王」の金印
・安帝の永初元年=107年⇒倭国王帥升の朝貢
・景初三年=239年⇒「親魏倭王」の称号
[古墳]
・前期(3~4C)=小型前方後円墳・円墳・方墳 Ex)箸はし
墓ばか
古墳(奈良)
・中期(4~5C)=大型前方後円墳
Ex)大仙陵古墳(仁徳天皇陵,百舌鳥も ず
古墳群の中心)
・後期(6~7C)=群集墳(円墳などが群集)
Ex)岩橋千塚(和歌山)・新沢千塚(奈良)・吉見百穴(埼玉)
・装飾古墳=後期古墳で出現⇒高松たかまつ
塚づか
古墳こふん
(奈良)・竹原古墳(福岡)
テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
5
[渡来人]
・王仁わ に
= 西 文かわちのふみ
氏うじ
の祖。応神朝に来日,『論語』 『千字文』を伝える
・弓月ゆづきの
君きみ
=秦はた
氏うじ
の祖。応神朝に来日,養蚕・機織を伝える。
・阿知使主あ ち の お み
= 東 漢やまとのあや
氏うじ
の祖。応神朝に来日,文筆に優れる。
[文字の使用]
・石 上いそのかみ
神宮じんぐう
七支刀銘(奈良)=百済の肖古しょうこ
王が贈る,61字。 古の金石文。
・隅田す だ
八幡宮人物画像鏡銘(和歌山)=48字。 癸みずのと
未ひつじ
年は503年か?
・稲荷山いなりやま
古墳出土鉄剣銘(埼玉)=埼玉さきたま
古墳群の中心,115字。金きん
象嵌ぞうがん
。
・江田え だ
船山ふなやま
古墳出土太刀(鉄刀)銘(熊本)=75字。銀ぎん
象嵌ぞうがん
。
※稲荷山いなりやま
古墳出土鉄剣銘・江田え だ
船山ふなやま
古墳出土太刀(鉄刀)銘にはワカタケル
大王おおきみ
=雄略天皇の文字が見られる⇒当時,少なくとも関東から九州を平定
していた証し
第1章 古代/中世
6
過去問 テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
問1 (国Ⅱ2008)
日本史
日本の原始・古代
日本の原始・古代に関する記述として も妥当なのはどれか。
1 日本列島には完新世の時代に北方からナウマン象やヘラジカ,南方からマ
ンモスやオオツノジカが往来し,人類はこれらの動物を追いかけて大陸から
渡ってきたとされる。このため,日本列島で数多く発見される原人や旧人の
段階の化石人骨は,中国南部の化石人骨と類似している。
2 石器時代は,打製石器や磨製石器を使用した旧石器時代とナイフ形石器や
尖頭器を使用した新石器時代に区分される。日本列島では,新石器時代の遺
跡は全国各地で数多く発見されているものの,旧石器時代の遺跡はいまだ発
見されていない。
3 縄文文化は水稲耕作の発達とともに進歩し,稲などの収穫物を収納・保存
するために縄文土器や高床倉庫が用いられるようになった。また,抜歯や屈
葬などの呪術によって,自然災害を避け豊かな収穫を祈る風習も盛んになっ
た。
4 縄文文化が南西諸島から北海道まで全国に及んだのに対し,弥生文化が普
及したのは薩南諸島から東北地方までである。沖縄諸島などでは貝塚文化,
北海道では続縄文文化と呼ばれる漁労・採集を中心とする独自の文化が続い
た。
5 縄文人は竪穴住居を作って定住的な生活を営んだとされる。多くの集落は
平野の低地に作られ,そのなかには集落の周りに深い濠を巡らした環濠集落
過去問 テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
7
も存在した。住居の規模や構造に大きな格差が見られ,集落内で貧富の差や
身分の上下関係が形成されていたと考えられている。
第1章 古代/中世
8
■■〔正解〕4■■
□□ 1 ×
「ナウマン象」と「マンモス」が逆。「南方(なんぽう)」「ナウマン象」
と「な」つながりで覚えておこう。後半の分は〇。
□□ 2 ×
「旧石器時代」は「打製石器のみ」使用し,「新石器時代」は「打製石
器と磨製石器を併用」することとなる。ちなみに,旧石器時代の遺跡と
しては,群馬県の「岩宿遺跡」をはじめ,大分県の「早水台遺跡」など
各地で発見されている。
□□ 3 ×
前半が弥生時代の説明なので×。「旧石器時代」は「狩猟と採集」,「縄
文時代」は「漁労が加わり」,「弥生時代」は「稲作の本格化」と覚えて
おこう。
□□ 4 〇
正しい。
□□ 5 ×
「環濠集落」は弥生時代の説明なので×。「縄文時代」は「環状集落(真
ん中に広場を設ける)」,「弥生時代」は「環濠集落(周囲に濠をめぐらせ
る)」と覚えよう。ちなみに,環濠集落の代表例としては,佐賀県の
「吉野ケ里遺跡」が有名である。
過去問 テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
9
問2 (国Ⅰ1996)
日本史
縄文土器と縄文時代
縄文土器とこれを利用した縄文時代に関する次の記述のうち,妥当なのはどれ
か。
1 1万年ほど前に日本列島は大陸と完全に切り離され,今日とほぼ同じ自然
環境になった。当時は食料採集が生活の基盤であり,日干しで作られた縄文
土器はもっぱら貴重な食料貯蔵のため用いられたと考えられている。
2 縄文時代には,貧富の差や階級の区別が生じた。それは,矢や斧も青銅で
製作されるようになり狩猟の技術が向上したことや,縄文土器にそれらの食
料を貯蔵できるようになったことを反映したものであると考えられている。
3 縄文土器は粘土をうわぐすりで覆い,1000℃以上の高温で焼き上げたもの
で,現在の陶器に近い製法で作られていた。このため,水が漏れず,煮炊き
にも用いられたと考えられている。
4 縄文土器の中には,縄文を持たないものも多い。縄文土器の大切な用途は
煮炊きであり,これにより生では食べられないものが食べられ,日持ちのし
ないものが長持ちするようになり,病気の減少に役立ったと考えられている。
5 縄文時代の遺跡が西日本にのみ分布し,また,縄文土器の特徴である深い
鉢形が東南アジア地域の食料採取民の土器と共通していることから,縄文文
化は南方系の文化の影響を受けていると考えられている。
第1章 古代/中世
10
■■〔正解〕4■■
□□ 1 ×
縄文土器が「日干し」で作られてが,「低温で焼かれた」の誤り。ちな
みに,「旧石器時代」は「大陸と地続き」で,「縄文時代」になると「日
本列島が形成」されることとなる。
□□ 2 ×
すべて弥生時代の説明なので×。弥生時代の特色としては「弥生土器」
「稲作の本格化」「金属器」の使用があげられる。ちなみに,「金属器」
は「青銅器」と「鉄器」がほぼ同時に流入し,「青銅器」は「祭器」,
「鉄器」は「農具・工具・武具」として使用された。
□□ 3 ×
これも弥生土器の説明なので×。「弥生土器」は「高温で焼き薄手で丈
夫赤褐色」となる。ちなみに,「貯蔵用の壺」,「煮炊き用の甕」,「盛り
付け用の高坏」が具体例となる。
□□ 4 〇
正しい。
□□ 5 ×
「西日本のみに分布」が×。東日本の代表例としては,青森県の「亀ヶ
岡遺跡」から縄文晩期の独特の形の土器「亀ヶ岡式土器」が出土し,同
じく青森県の「三内丸山遺跡」から縄文 大級の集落跡が出土している。
過去問 テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
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第1章 古代/中世
12
問3 (国税・労基 2007)
日本史
弥生時代
日本の弥生時代に関する記述として も妥当なのはどれか。
1 薄手で赤褐色のものが多い縄文土器に代わって厚手で黒褐色のものが多い
弥生土器が作られ,食物を入れるなどして使うようになった。また,機織の
技術が導入されて植物の繊維で織った衣服を着るようになり,女性は,単衣
の布に穴をあけて頭を通したものである直衣の う し
を着用していたと伝えられてい
る。
2 灌漑・排水用の水路を備えた本格的な水田が作られ,低湿地を利用した湿
田だけでなく乾田も作られるようになった。また,稲作等で収穫された物は,
貝塚や貯蔵穴に収納された。さらに,水田の近くの低地に集落が多く営まれ
るようになって,周囲に深い壕をめぐらす高地性集落も作られた。
3 九州北部を中心に銅鐸,近畿地方を中心に銅矛・銅戈といった青銅器が使
用され,墓に副葬されるようになった。また,葬法としては,土壙ど こ う
や甕棺に
加えて木棺や壺棺に遺体を納めるようになり,九州北部を中心に支石墓や箱
式石棺墓が盛んに作られ,近畿地方を中心に木棺墓や土壙墓のまわりに溝を
めぐらす前方後円墳が作られた。
4 農耕の発展に伴って1つの水系を単位とした地域を統率する国司が出現し,
有力な集落が周辺の集落を統合して各地に政治的な集団である小国が作られ
るようになった。『漢書』地理志には,小国の1つである倭の奴国の国王の
使者が後漢の光武帝に朝貢し,印綬を受けたことが記されている。
5 『魏志』倭人伝によれば,倭の各地で小国が自立や結合をはかるようにな
り,2世紀後半に大乱が起こったが,3世紀ごろに諸国が邪馬台国の卑弥呼
過去問 テーマ1 縄文・弥生・古墳時代
13
を倭国の王に立てて,30あまりの小国を統合した国が成立し,また,卑弥呼
が魏の皇帝に使者を送り,魏の皇帝から「親魏倭王」の称号を賜ったとされ
ている。
第1章 古代/中世
14
■■〔正解〕5■■
□□ 1 ×
「薄手で赤褐色」と「厚手で黒褐色」が逆。ちなみに,「縄文土器」は
「低温で焼き厚手でもろく黒褐色」,「弥生土器」は「高温で焼き薄手で
丈夫赤褐色」となる。さらに「直衣」は「平安時代の男性貴族の平服」
なので×。弥生時代の男性の衣服は「袈裟衣」,女性の衣服は「貫頭衣」
となる。
□□ 2 ×
まず,「貝塚」は「縄文の用語」なので×。収納したのは「貯蔵穴」の
ち「高床倉庫」となる。さらに,周囲に濠をめぐらせるのは「高地性集
落」ではなく「環濠集落」なので×。まずは,旧石器・縄文・弥生のど
れにあてはまる用語かの仕分けをできるようにしておこう。
□□ 3 ×
「前方後円墳」は「古墳時代」の用語なので×。「弥生時代」は「支石
墓」や「方形周溝墓」や「墳丘墓」で,まだ規模も小さい。ちなみに,
「支石墓」といったら「朝鮮の影響」というフレーズが前後に来ること
が多い。
□□ 4 ×
「国司」は改新の詔で設置された役職なので×。さらに,『漢書』地理
志は『後漢書』の誤りなので×。史料自体は出題されないが,『漢書』,
『後漢書』,『魏志』,『好太王碑文』,『宋書』,『隋書』の内容を確認して
おこう。
□□ 5 〇
正しい。