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35 Vol No 〔研究ノート〕 Note 都市貧困女性にとってのセーフティネット ─インドネシア・ジョグジャカルタ市のカンポン 1コミュニティを事例に─ Social Safety Net for Urban Poor Women —A Case of Kampung Communities in Yogyakarta, Indonesia — 加藤 里香* Rika KATO 社会保障制度が未成熟な途上国の都市貧困地域に暮らす女性にとってのセーフティネ ットは、政府よりもむしろ当事者のインフォーマルな人間関係やコミュニティという独 自の相互扶助システムにより提供されている。たとえば、インドネシア貧困地域の女性 グループの間で活発化している、伝統的なインフォーマル金融メカニズムであるアリサ ン(頼母子講)は、当事者の能力形成のみならず、地域全体の福祉向上にも結び付いて いる。筆者は、アリサンに代表される、人々の生存手段としての経済的相互扶助活動が、 経済資本のみならず、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)をも醸成し、人々のリス クを共有するプラットフォームとなり得る点に注目している。人々の共存と信頼に裏打 ちされたコミュニティ主体のセーフティネットは、都市のインフォーマルコミュニティ で暮らす貧困女性が、自らの人間の安全保障を守るために重要な要素となる。一方、コ ミュニティを中核に、貧困者同士で運営される相互扶助活動は、経済的、制度的制約も 大きい。年金や保険などの社会保障制度や経済危機のような大規模災害に対応する救済 措置制度をその活動に含むものが稀有である所以である。こうした制約の中、コミュニ ティ主体のセーフティネットの増強には、コミュニティ内部の結束に加え、コミュニテ ィがNGOや大学、地方政府や他のコミュニティなどの地域社会と連携することで自身 の能力を高めていくことも重要となる。そして、コミュニティが担う機能を補完してい くことが、効率的・効果的な公共福祉施策としても有効であろう。政府や開発援助機関 など公共福祉施策の提供者は、コミュニティ主体の相互扶助活動がより活性化し、コミュ ニティがより広範囲の社会サービスを担うことができるように、いかに間接支援をして いけるのか、今後の課題である。 ABSTRACT For women living in the impoverished urban areas of developing countries which do not have a well-developed social security system, the safety net comes from private mutual aid systems based on informal social relations, the community, etc., rather than the Government. For example, traditional Indonesian mutual finance associations known as "arisan," which have become popular among women living in impoverished urban * 名古屋市市民経済局産業経済課産業振興係長 Chief, Industiral Promotion Section, Industrial Economy Division, Civic & Economic Affairs Bureau, City of Nagoya

—A Case of Kampung Communities in Yogyakarta, Indonesia ......国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10 35 〔研究ノート〕 Note 都市貧困女性にとってのセーフティネット

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  • 35国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

    〔研究ノート〕Note

    都市貧困女性にとってのセーフティネット─インドネシア・ジョグジャカルタ市のカンポン注1)コミュニティを事例に─

    Social Safety Net for Urban Poor Women—A Case of Kampung Communities in Yogyakarta, Indonesia —

    加藤 里香*Rika KATO

    要  約社会保障制度が未成熟な途上国の都市貧困地域に暮らす女性にとってのセーフティネ

    ットは、政府よりもむしろ当事者のインフォーマルな人間関係やコミュニティという独自の相互扶助システムにより提供されている。たとえば、インドネシア貧困地域の女性グループの間で活発化している、伝統的なインフォーマル金融メカニズムであるアリサン(頼母子講)は、当事者の能力形成のみならず、地域全体の福祉向上にも結び付いている。筆者は、アリサンに代表される、人々の生存手段としての経済的相互扶助活動が、経済資本のみならず、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)をも醸成し、人々のリスクを共有するプラットフォームとなり得る点に注目している。人々の共存と信頼に裏打ちされたコミュニティ主体のセーフティネットは、都市のインフォーマルコミュニティで暮らす貧困女性が、自らの人間の安全保障を守るために重要な要素となる。一方、コミュニティを中核に、貧困者同士で運営される相互扶助活動は、経済的、制度的制約も大きい。年金や保険などの社会保障制度や経済危機のような大規模災害に対応する救済措置制度をその活動に含むものが稀有である所以である。こうした制約の中、コミュニティ主体のセーフティネットの増強には、コミュニティ内部の結束に加え、コミュニティがNGOや大学、地方政府や他のコミュニティなどの地域社会と連携することで自身の能力を高めていくことも重要となる。そして、コミュニティが担う機能を補完していくことが、効率的・効果的な公共福祉施策としても有効であろう。政府や開発援助機関など公共福祉施策の提供者は、コミュニティ主体の相互扶助活動がより活性化し、コミュニティがより広範囲の社会サービスを担うことができるように、いかに間接支援をしていけるのか、今後の課題である。

    ABSTRACTFor women living in the impoverished urban areas of developing countries which do

    not have a well-developed social security system, the safety net comes from privatemutual aid systems based on informal social relations, the community, etc., rather thanthe Government. For example, traditional Indonesian mutual finance associations knownas "arisan," which have become popular among women living in impoverished urban

    * 名古屋市市民経済局産業経済課産業振興係長Chief, Industiral Promotion Section, Industrial Economy Division, Civic & Economic Affairs Bureau, City of Nagoya

  • はじめに

    1997年にインドネシア経済と社会に大きな影

    響を与えた経済危機では、物価の急上昇が都市

    貧困地域の人々の暮らしを直撃し、人間の安全

    保障という観点から、貧困者をはじめとした社

    会的弱者のためのセーフティネットの必要性が

    認識された。緊急支援策として政府や開発援助

    機関によって実施されたソーシャル・セーフテ

    ィネット・プログラム注2)は、投入資金に比較し

    てあまり成果が上がらなかった注3)。特に、底辺

    で暮らす貧困層までプログラムの恩恵が行き届

    かなかった。スカベンジャー注4)やベチャ注5)の運

    転手など、インフォーマルセクターに従事する

    人々や、政府の土地を不法占拠している人々に

    とっては、政府が提供する制度にアクセスする

    ことすら難しい。ジョグジャカルタ市のカンポ

    ンで暮らす人々もこの例外ではなく、人々は独

    自の相互扶助システムの中でたくましく生存し

    ている。

    インドネシアでは、スハルト政権下、選挙の

    集票、各種の翼賛的組織の編成等、住民を効率

    的にコントロールすることを目的に、町内会や

    婦人会が政府主導でつくられた注6)。人々、特に

    女性たちが積極的にコミュニティ活動へ参画す

    るための翼賛的なツールのひとつとして導入さ

    れたアリサン(頼母子講)注7)は、政府の意図と

    は別に、アリサンがもたらす実益を目的に、今

    日でも貧困地域の女性グループの間で活発化し

    ている。ここでのアリサンは、当事者が生存す

    るのに必要な能力の形成のみならず、地域全体

    の福祉向上に結び付いている。こういった、

    人々が主体的に参加する、底辺にある生存手段

    としての相互扶助活動は、一定のセーフティネ

    ット機能を果たしていると考える。

    本稿では、セーフティネットを政府の施策も

    含めた広範な社会保障プログラムとし、人間の

    安全保障を実現する重要な要素のひとつとして

    取り上げる。貧困地域の人々、中でも弱い立場

    にある女性一人ひとりが直面する、立ち退き、

    疾病、暴力、不慮の事故などの脅威からの保護、

    いわゆる人間の安全保障の実現には、国家によ

    る未発達な社会保障制度よりむしろ、人々の共

    存と信頼に裏打ちされたコミュニティ主体のセー

    フティネットが重要であり、それを補完してい

    36

    areas as an informal financing mechanism, have not only led to a buildup of the personalcapacities of participants but also an improvement in the welfare of the community as awhole. The author takes particular note of the fact that arisan and other forms of econom-ic mutual aid activities as people's means of survival can provide a risk sharing platformfor them by fostering social capital as well as economic capital. A community-based safe-ty net backed by people's solidarity and trust is an important element for impoverishedwomen living in urban informal communities to ensure their security. Nevertheless, com-munity-centered mutual aid activities run by the urban poor themselves do have majoreconomic and institutional limitations. This is highlighted by the fact that such activitiesrarely encompass pension, insurance and other social security systems and relief systemsagainst economic crises and large-scale disasters. To strengthen the community-basedsafety net in the face of such limitations, it is important for communities to enhance theircapacity by seeking cooperation with NGOs, universities and local governments as wellas other communities, in addition to promoting solidarity within themselves. Moreover,complementing the functions provided by the community is an effective and efficientpublic welfare policy approach. The future challenge for the Government, developmentassistance organizations and other implementers of public welfare policy measures lies infinding ways to provide indirect support conducive to invigorating community-basedmutual aid activities and enabling the community to provide wide-ranging social services.

  • くことが、効率・効果的な公共福祉施策として

    有効であるとの視点に立つ。そこで、多くの貧

    困女性が経済危機の影響を受けた地域を事例に、

    コミュニティ主体のセーフティネットの発展性

    について考察する。

    まず第Ⅰ章では、インドネシアに特有の共通

    の規範や価値観として根付いているゴトンロヨ

    ン(相互扶助)思考に基づいた活動の場であり、

    不法居住者や貧困者が人間の安全保障を守るた

    めに重要なコミュニティ組織について概観する。

    次に第Ⅱ章で、かつてスルタン注8)による王国が

    繁栄した地域であり、地域独自の文化や経済が

    発展してきたジョグジャカルタ市を事例として

    取り上げる。スカベンジャーなどを生業にして

    いる人々が暮らす2つのコミュニティで実施した

    簡単なアンケートとインタビュー注9)をもとに、

    人々の経済的相互扶助について概観する。第Ⅲ

    章では、貧困女性グループの共存と信頼の醸成

    に効果が高いアリサンを取り上げ、その機能と

    効用について分析する。そして第Ⅳ章で、コミュ

    ニティ主体のセーフティネットの有効性と課題、

    外部者の介在による発展性について述べる。

    I インドネシアのコミュニティ組織と相互扶助活動

    1997年の経済危機では、インドネシアの社会

    保障制度の未成熟な点が露呈した。本稿では、

    救済措置ではなく、人々の自発性を重視し、潜

    在能力の発現を相互支援するかたちでのセーフ

    ティネットの主体として、コミュニティ組織、

    とりわけ女性組織に注目し、RT(隣組)/RW

    (町内会)とPKK(婦人会)という2つの組織を

    取り上げ、その機能を見ることにする。経済発

    展に伴い急増する中産階級層では伝統的なコミュ

    ニティ組織が形骸化しつつあるものの、貧困者

    が多く暮らすカンポンでは、現在でも人々の生

    活のよりどころとなっている。劣悪なインフラ

    改善を中心に、コミュニティ組織と地方政府、

    NGOが連携して開発に成功した事例注10)もいく

    つか存在する。

    1. RT(隣組)とRW(町内会)

    インドネシアのコミュニティ組織で特徴的な

    ものとして、Rukun Tetangga(以下RT)と称さ

    れる隣組と、RTがいくつか集まってできた

    Rukun Warga(以下RW)と称される町内会の存

    在がある注11)。今日のRT・RW制度は、1983年に

    現状を追認するかたちで「RTおよびRW設置に

    関する1983年内務大臣規定7号」によって、イン

    ドネシア全国で一律に設置された。政府は、日

    本占領期以降も人々の生活に根付き実際に存在

    していた隣組に対し、全国画一的にその存在と

    役割を規定することによって、住民の自主的活

    動を意識的に引き出し、選挙の集票、各種の翼

    賛的組織の編成等、住民を効率的にコントロー

    ルすることを可能にしてきた。一方、住民にと

    ってもこの隣組組織に所属することがマイナス

    であるわけではなく、むしろ、政府では行き届

    かないサービス(夜警、路地裏の舗装、貧困者

    の救済、子どもの教育、衛生環境の向上、ごみ

    の収集、小規模金融など)を提供してくれる貴

    重な存在であった注12)。RTやRWは、治安・秩序、

    社会福祉、開発、経済、情報等、行政さながら

    多岐にわたる分野において活動し、政治組織と

    してのみならず、社会(生活)組織や経済組織

    としての役割を担っている。また、設立目的や

    業務内容のいずれを見ても、相互扶助活動が積

    極的に奨励されているのが特徴的である。

    2. PKK(婦人会)

    PKK運動は、開発分野で女性を活用するため

    の原動力として、1970年代初期に始まった。72

    年に家族福祉育成運動という現在の名称になる

    とともに、全国的な運動として中央政府により

    採択された。80年にはその活動要領が定められ、

    ①パンチャシラ(建国5原則)理解の促進、②相

    互扶助、③食糧、④衣料、⑤住宅と家計、⑥教

    育と職業技術、⑦健康、⑧共同組合業務、⑨環

    境保全、⑩健全な計画、の活動プログラムを実

    都市貧困女性にとってのセーフティネット

    37国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

  • 行するものとされる。政府主導で恣意的につく

    られ、性別役割分担を強要するものであるが、

    その組織はRTレベルまで根付いており、コミュ

    ニティの保健衛生、教育、社会福祉活動の中心

    的な役割を担う。保健プログラムや学校給食の

    炊き出しなど、目に見える活動が行われ、成果

    を上げてきたこともあり、PKKは広く人々に受

    け入れられている注13)。通常どこのRTでも地域内

    の女性全員を対象とした常会が開催され、さまざ

    まな活動が行われる注14)。小規模金融を運営する

    PKKもある。参加者の出席率を上げるために、

    アリサンを実施するなど、メンバーに毎回参加

    させる仕組みが工夫されていることも多い。相

    互扶助を積極的に実践し、人々の生活向上に貢

    献していることは間違いないが、参加者は、RT

    やRWと同様に、常識的な価値観を、世間体や

    お付き合いといった目に見えない力によって半

    強制的に押し付けられているといった側面もあ

    る。

    II ジョグジャカルタ市のカンポンと経済危機

    ジョグジャカルタ特別州は、中部ジャワの南

    海岸部に面したインドネシア最小の州で、ジョ

    クジャカルタ市と4つの県より構成され、教育と

    観光を主要産業とする。13世紀に成立したとさ

    れるマジャパイト王国の首都となって以来、何

    度かの変遷はあるものの、オランダ植民地支配

    の拠点がジャカルタに移るまで、ジャワの中心

    都市として君臨してきた。現在でも、王宮(ク

    ラトン)にはスルタンが知事として住み続け、

    人々に敬われている。日本占領期においても一

    定の自治権が与えられるなど、地域独自の文化

    や経済が発展してきた地である。このように歴

    史的に地方自治の先進地であることに加え、急

    速な都市化に伴い農村などから移り住んできた

    貧困者がカンポンを形成してきた代表的な都市

    であること、そして、経済危機の影響を大きく

    受けた都市であることを理由に、ジョグジャカ

    ルタ市を事例として選択した。

    ジョグジャカルタ市には、市の設立期である

    1700年代から、さまざまなカンポン注15)が形成さ

    れてきた。カンポンは、貧困者や地方からの流

    入者が河川の洪水敷、墓地、線路脇などに定着

    し、都市につくり上げたコミュニティである。

    ジョグジャカルタ市は人口密度が、1km2当たり

    1万4000人を超える高密度地域だが、中でもカン

    ポン地区のそれは極めて高く、中心市街地のカ

    ンポンでは、1km2当たり2万人から3万2500人に

    達している注16)。カンポン居住者の多く(約48%)

    がインフォーマルセクターに従事している注17)。

    ほとんどの場合、法的権利は与えられていない

    が、RT、RWに所属している注18)。

    2002年に筆者は、2つのコミュニティでアン

    ケートとインタビューを実施した。あくまでも

    人々の経済的相互扶助活動の背景を知るために

    実施したもので、構成員全員の顔が見えるRTを

    対象とした。貧困層を代表するコミュニティと

    いうことで、不法居住状態にあり、インフォー

    マルセクターに従事している人々によって形成

    されているコミュニティを選択した。調査から

    は以下の点が判明した。経済危機への対応につ

    いては、米の配給を受けるなど、手に届く範囲

    で公的援助を利用するものの、基本的には、①

    支出を切り詰める、②お金の使い方を熟慮する、

    ③借金を増やす、以外に方策があったわけでは

    ないこと。また、日々の生活については、①支

    出のほとんどを食費に充てている、②各種のロ

    ーンを利用している、③全世帯が各種アリサン

    に参加している、④ローンやアリサンで得た資

    金をビジネスに投資している、⑤アリサンは特

    に女性の結束力を高めている、⑥コミュニティで

    井戸、水場、トイレ、基金などを共有している。

    アンケート結果で特筆すべきことは、収入の

    ほとんどを食費に充てている現状の中で、全世

    帯がコミュニティの会費(共同水道使用料、

    ホール電気代、冠婚葬祭費用等に充てられる)

    はもとより、複数のアリサンに参加しているこ

    とである。Hotze注19)が経済自助グループは経済

    38

  • 危機によって強化されたとするように、アリサ

    ンに対する需要は増加している。また、コミュ

    ニティで運営される小規模金融やアリサンで手

    に入れた資金をビジネスに投資していることや、

    有志による共同事業の試みも見られることなど

    から、相互扶助活動が世帯と地域経済の活性化

    にもつながっていると考えられる。さらには、

    公的な社会保障などの仕組みよりも、むしろ、

    顔の見えるつながり、近所付き合いなどの社会

    関係や親戚、友人などといったインフォーマル

    なネットワークのほうが利用価値が高いと考え

    られていることがわかった。

    III アリサン(頼母子講)の機能と効用

    次に経済的相互扶助活動注20)のひとつであるア

    リサンの機能とその効用を具体的に見ることに

    より、コミュニティ主体のセーフティネットに

    必要な、人々の共存と信頼の醸成の方策と効果

    について考える。

    アリサンは、町内会や婦人会などの役員グルー

    プ、コミュニティの有志、同業者などが定期的

    (週1回~月1回)に集まり、お金を持ち寄ってく

    じ引きをし、当選者が全員分のお金を手にでき

    るという仕組みである。特に女性グループに人

    気がある。調査を実施したコミュニティのひと

    つであるクリチャRT35の女性グループによるア

    リサンを例に紹介する。RT内の女性全員が、1カ

    月に1回、夕刻7時ごろ、比較的広い部屋を持つ

    女性の家(会員の家を持ち回り)に集まる。多

    くの人が子どもも連れてくるので、外まで人で

    あふれることになる。参加者には、甘い紅茶と

    揚げパン・菓子が振る舞われる。まず、会計係

    が参加費を徴収し、会員全員の氏名が書かれた

    ノートに記録をする。会員以外の参加は認めら

    れない。口数によって掛け金は違うが、次のよ

    うな参加費を払う。①パンチアリサン(当選者

    は鍋などの現物景品がもらえる)に1口400ルピ

    ア、②通常アリサン(当選者は全員の掛け金全

    額を現金でもらえる)に1口2000ルピアと600ル

    ピアの2種類、③ソーシャルファンド(会員の葬

    式代、RW、RTへの上納金等に充てられる)と

    して200ルピア、④飲食代(当日の紅茶と菓子代)

    に500ルピアである。このほかにも1世帯1kgの米

    を持ち寄ったり(市場で売却してコミュニティ

    の資金を捻出)、病院に入院した会員のための特

    別寄付金を徴収したりする。この事例のように

    コミュニティの全員参加を促すタイプのアリサ

    ンは、調和を培うことを第一目的に開催される注

    21)ため、貧しい人でも参加しやすいように掛け

    金は低く設定されている。掛け金が少額なこと

    に加えて、定額であることから、電気代のよう

    に支出計画が立てられるので参加しやすいとい

    うこともある。

    本来のアリサン(くじ引き)が始まる前のセ

    レモニーとして、まず、女性グループのリーダー

    からコミュニティ活動や生活に関する報告があ

    る。子どもの予防注射の日時の告知など、行政

    や町内会からのお知らせが多い。次に会計係か

    ら会計報告がある。ソーシャルファンドの支出

    状況も報告される。参加者は、お菓子や隣人と

    の会話を楽しみながらも、結構真剣に報告を聞

    いている。次に、ゲストの紹介。生活用品の行

    商人が招かれており、商品の宣伝活動をする時

    間を与えられている。洗剤の効き目の実演や商

    品の説明の後、実際に販売が始まる。集まった

    女性たちは商品を見定めながら、買い物を楽し

    む。そして、いよいよ、くじ引きが始まる。ア

    リサンの種類によって違うビニール袋の中に、

    各会員の名前を書いた紙が入っている。袋の中

    から無作為に1つの紙が選ばれ、当選者の名前

    が発表される。全員が公平に当選するために、

    当選した人の紙は廃棄され、残りの紙が入った

    袋は大切に保管される。当選者が一巡する仕組

    みになっている。こうした一連の行事が終了す

    るのは、9時半を回ったころである。

    アリサンは、日銭で暮らす人々にとって、う

    っかりしているとなくなってしまう少額のお金

    を定期的に持ち寄ることにより、まとまったお

    金が手にできる、いわば貯蓄のような存在でも

    都市貧困女性にとってのセーフティネット

    39国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

  • ある。銀行のような煩わしい手続きもなく、誰

    かが現金を管理するリスクもない。会員相互の

    信頼に基づいて、主体的にコントロールされた

    環境で開催される。参加者個々人にも利益をも

    たらす。困窮者の救済やコミュニティ開発を図

    る契機ともなる。こういった多面的効果のある

    アリサンは、コミュニティの結束力を高めてい

    る。特に、女性たちは、集まっておしゃべりを

    楽しむことで、情報交換をしながら相互の信頼

    を培っている。会員の相互負担が可能な範囲で

    はあるが、葬式基金や各種寄付、ローンの提供

    (一部)といったセーフティネット機能も兼ね備

    えている(表-1参照)。さらには、コミュニテ

    ィ活動を継続的に行う持続的な組織形成にも貢

    献している。いわば、社会関係資本(ソーシャ

    ルキャピタル)を醸成する場となっている。

    2002年に訪問した2つのコミュニティでは、ア

    リサンが、経済的な相互支援のみならず、さま

    ざまな社会的支援装置になっていることがわか

    った。このような装置が機能している背景には、

    アリサンが、カンポンで暮らす人々にとっては、

    子どものころから当たり前のこととなっている

    相互扶助活動を確認する場であるという共通認

    識が定着していること、また、町内会や婦人会

    などの活動と密接なつながりを持っていること

    で参加が半ば義務付けられていることがある。

    それに加え、アリサンそのものが、毎回参加を

    義務付ける仕組みになっていること、また、前

    述したように、参加することに対する経済的、精

    神的負担が少なくなる工夫がなされていること

    で、メンバーの全員参加を自然に促す仕組みに

    なっており、そのことで活動が持続されている。

    IV コミュニティ主体のセーフティネットの有効性と発展性

    この章では、コミュニティ主体のセーフティネッ

    トの有効性とその課題、政府や開発援助機関など

    外部者の介在による発展性について述べる。

    アリサンに代表されるコミュニティ主体の経

    済的相互扶助活動は、一定のセーフティネット

    機能を果たしていることがわかった。特に、伝

    40

    特徴

    個々人への効果

    社会的な効果

    セーフティネット

    としての効用

    ・定期的に同じメンバーで開催される

    ・会員相互の信頼に基づく

    ・参加者全員の意見が反映される

    ・主体的にコントロールされている

    ・煩わしい手続きはなく,融通が利く

    ・現金管理のリスクが少ない

    ・貯蓄の効力

    ・まとまったお金を手にできる貴重な機会

    ・情報収集,情報交換の場の提供

    ・余興(楽しみ)の場の提供

    ・社会貢献機会の提供

    ・能力(コミュニケーション能力など)の向上

    ・コミュニティ内の結束力を高める(コミュニティの会員によるアリサン):結束型社会関

    係資本(ソーシャルキャピタル)*増強

    ・コミュニティ外とのネットワークの構築(コミュニティ外の自主グループによるアリサ

    ン):橋渡し型社会関係資本(ソーシャルキャピタル)増強

    ・コミュニティ開発(教育,社会福祉,保健衛生)

    ・地域資源の有効活用

    ・葬式基金や各種寄付

    ・ローンの提供(一部)

    ・社会的ネットワーク

    表-1 カンポン住民(女性グループ)にとってのアリサン

    注)*ソーシャルキャピタルの影響を及ぼす範囲の分類で,集団メンバー間の情報の共有や保険としての機能を持つ結束型(bonding)と,外部への資源アクセスの機会を増やす橋渡し型(bridging)がある.

    (出典)筆者作成.

  • 統的にコミュニティ組織が人々の生活に根付き、

    女性グループが主体的に開発にかかわってきた

    インドネシアにおいて、コミュニティ主体のセー

    フティネットは機能しやすい。コミュニティ主

    体のセーフティネットは、国が整備する社会保

    障制度と比較して、次のような利点もある。形

    式より活動自体への自己責任が重要視される、

    臨機応変である、必要不可欠なサービスに限定

    される、相互監視が可能、当事者が主体的に参

    加するものでその制度も制約も身近でわかりや

    すい、管理費用や取引費用が小さい。しかし、

    組織として存続するためのリスク回避や平等を

    原則とした資源配分が行われているため、年金

    や保険などの社会保障制度や経済危機のような

    大規模災害に対応する救済措置制度をその活動

    に含むものはほとんどない。貧困者、特に女性

    が独自に手にできる資金、人材、情報も限られ

    ている。こうした経済的、制度的な制約の中で、

    より強固なコミュニティ主体のセーフティネッ

    トを作り上げるためには、参加の持続化による

    コミュニティ内部の結束力の強化に加え、コミ

    ュニティがNGOや大学、地方政府や他のコミュ

    ニティなどの地域社会と連携することで、構成

    員のみならず、コミュニティ全体の能力をも高

    めることが重要となる。

    ジョグジャカルタ市政府は、カンポンに隣接

    する末端行政事務所クルラハンを窓口にして、

    P2KP(貧困対策プログラム)注22)や各種融資を

    低所得住民に提供する試みを始めている。女性

    企画局が管轄する貯蓄・クレジットプログラム

    では、カンポンの人々が参加しやすいように、

    アリサン方式を採り入れた研修プログラムを実

    施している注23)。インフラ中心の開発から、コミ

    ュニティの自発性を促す社会開発へと、開発の

    需要が移行している時代を反映して、大学や

    NGOもカンポンの人々の自主的発展を促す試み

    に積極的にかかわっている注24)。こうした試みが、

    地域やコミュニティによって成功するところと、

    そうでないところがある。その差は、時代の要

    請に合ったリーダーの有無、コミュニティ内の

    共存と信頼の醸成の熟度、コミュニティと外部

    とのネットワークの幅と質にあるのではないだ

    ろうか。地方自治の先進地域としてジョグジャ

    カルタ市を事例としたが、インドネシア全国で

    地方分権化が進む注25)中、ここでの貧困女性たち

    当事者を主体とする活動事例は、他地域の開発

    においても参考になるであろう。伝統的な社会

    で機能しているコミュニティ主体のセーフティ

    ネットは、経済発展や核家族化の進展に伴い衰

    退していくことも考慮に入れ、政府や開発援助

    機関など外部者が、いかにコミュニティの力を

    引き出し、間接支援をしていけるのか、今後の

    課題である。

    注 釈

    1)カンポンはインドネシア語の村落を語源に現在で

    は都市低所得コミュニティの総称として使われて

    いる.一般的には,日本占領期の名残りでいくつ

    かのRW(町内会),RT(隣組)が集まって1つの

    カンポンを形成している場合が多いが,その範囲

    や名称はRWやRTのように明確なものではない.

    2)1997年の経済危機後,インドネシア政府が世界銀

    行など外部の支援も受けながら,社会的弱者への

    危機の影響を緩和することを目的とした緊急救済

    策で,貧困層への基礎的な食糧の提供,雇用の創

    出,保健と教育サービスの提供,コミュニティの

    経済活動の振興を主な目的としている.危機への

    対応という時間的制約の中で中央政府によってデ

    ザインされ,政府主導で実施されたトップダウン

    型プログラム.

    3)SMERU(Social Monitoring and Early Response Unit,

    a donor-funded project)によって1999年および1999

    年に実施された全国調査(1999 nationwide census

    survey SNN module)によると,貧困世帯に安価で

    米を販売するOPK(特別市場操作)プログラムは,

    全世帯の40%,貧困家庭の56%をカバーしたのに対

    して,ソーシャル・セーフティネット・プログラ

    ム全体では全人口の5~8%,貧困層の5~10%をカ

    バーしたにすぎなかった(Sumarto et al.[2001]

    p54),OPKおよび教育奨学金プログラム以外の雇

    用促進プログラムや医療費補助プログラムなど,

    他のプログラムはあまり効果がなかった

    (Hardjono[1999],Shafiq Dhanani & Tyanatul Islam

    [2002]p.1225),インドネシア大蔵省が実施した

    ソーシャル・セーフティネット・プログラムの評

    価によれば,経済危機によって4,117.46億ルピア損

    失し,5,180.96億ルピアをこのプログラムの対象者

    都市貧困女性にとってのセーフティネット

    41国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

  • の誤選により損失した(Bakti Setiawan[2000]

    p.19)など,このプログラムは受益者の選定があ

    いまいだったこと,中間搾取や透明性,責任の確

    保などにおいて問題があったとされ,その規模,

    対象範囲が大きかったにもかかわらず,貧困削減

    においてはその効果は限られていた.100ルピア=

    1.24円(2005.10.3).

    4)ごみを拾い,それを売ることを生業としている

    人々.

    5)足こぎ三輪タクシー.

    6)1983年に条例によって全国で画一的に隣組(RT)

    と町内会(RW)の存在と役割が規定された.PKK

    (婦人会)は1972年に全国的な運動として中央政府

    により採択された.

    7)起源は不明だが,少なくとも植民地時代から一部

    の地域に入ってきていたといわれている(倉沢愛子

    [2001]).1970年代にはすでにコミュニティの団結

    を強めるためにカンポンでは男性の間でもアリサン

    が積極的に取り入れられていた(Patrick Guinness

    [1986]).PKK(婦人会)運動は隣組レベルまで浸

    透しているが,定例常会の出席率を上げるために

    アリサンと抱き合わせで開催されることが多い.

    8) スルタンとは一般にはイスラム王朝における支配

    者の称号.ジョグジャカルタのスルタンは都を築

    いた王朝の君主の末えいであり,その存在自体が

    ジャワ民族の伝統文化の象徴とされている.

    9) あくまでも,人々の経済的相互扶助活動の背景を

    知るため,コタバルRT18(スカベンジャー・物乞

    い・フードベンダーを主な職業とする27世帯)とク

    リチャRT35(ベチャの運転手〈7~8年前まではス

    カベンジャー〉を主な職業とする59世帯)全世帯

    を訪問し,1カ月当たりの主な支出,ローンの借入

    先と平均借入額,参加しているアリサンの種類と

    数および支払額,主な資産,井戸・水場・トイ

    レ・浴場などの共有(所有)状態などの質問項目

    を書いたアンケート用紙をもとに世帯主(夫婦の

    場合は夫妻)にヒアリングを実施.コミュニティ

    の構成員全員が参加する,顔が見える相互扶助と

    いうことで,カンポン内の一番小さいコミュニティ

    RTをその対象とした.詳しい調査結果は,加藤

    [2003].

    10)①行政から与えられた参加型開発の仕組みを巧み

    に利用しながら,住民がそのプロセスに参加する

    ことにより能力形成・地域開発を実現した事例で

    ある「インドネシア・スラバヤ市におけるKIP(カ

    ンポン改善事業),C-KIP(包括的カンポン改善事

    業)」,②ダイク(堤防)建設を通して対立関係に

    あった地方政府とカンポンが協力的になり地域へ

    の波及効果をもたらした事例である「インドネシ

    ア・ジョグジャカルタ市におけるダイク建設事

    業」,③外国の建築家が介入して,国内外の注目を

    浴びたことにより住民の自信につながった「イン

    ドネシア・ジョグジャカルタ市におけるカンポン

    ゴンドラユの開発」など,各種事例がある.

    11)日本占領期(1942~1945年)に日本の隣保組織を

    模して日本軍政への協力を目的として導入された

    隣組(RT)と字常会(ルクン・カンポン)の機能

    が今日のRT,RWに引き継がれているとされる

    (小林和夫[2001]).

    12)Bakti Setiawan[1998].

    13)倉沢愛子[2001].

    14)たとえば,スラバヤ市のあるカンポンでは,RWの

    PKKで薬草を育成し,薬が購入できない貧困家庭

    に提供されていた.

    15)「歴史的カンポン」:市の設立当時から王宮(ク

    ラトン)の近くに形成され,住民は主にクラトン

    に仕えていた.「川沿いのカンポン」:市内を南北

    に流れる3つの川沿いの不法居住区で,新旧のカン

    ポンが同居している.常に居住に関する争い事や

    問題を提起してきた.「都市フリンジ(周辺)カン

    ポン」:都市の発展とともに農村地域などから流

    入する新住民の居住地として,都市の郊外境界地

    域に形成されている.「スクオッター(不法居住)

    カンポン」:未使用であった政府もしくはスルタ

    ンの土地である,河川の洪水敷,墓地,線路脇な

    どに,新規流入者が不法に定着.

    16)Bakti Setiawan[1993].

    17)Bappeda Kotamadya(市開発企業局[2000]).

    18)政府は不法占拠の人々を積極的に強制撤去する方

    策をとらず,町内会の設立を認可したり,インフ

    ラ整備プログラムなどの対象とするなど,その存

    在を黙認してきた.

    19)Lont Hotze[2002].1998年から99年にかけてジョ

    グジャカルタの6つのアリサンの参加者状況を調

    査.

    20)調査対象コミュニティでの主な経済的相互扶助活

    動には,自助グループ(Social SHOs),アリサン

    (Private Arisan),貯蓄クレジットグループ(Public

    Simpan Pinjan),市場アリサン(Arisan Pasar),クレ

    ジット共同組合(Credit Cooperative)がある.

    21)Patric Guinness[1986],倉沢愛子[2001].

    22)ソーシャル・セーフティ・ネットプログラムの経験

    をもとに,中長期的な経済開発を目指してインド

    ネシアの主要都市で2001年にスタートした回転資

    金の融資によるプログラムで,ジョグジャカルタ

    では,地方政府,大学やNGOなど専門家によるフ

    ァシリテーター,そしてカンポン住民との連携が

    うまく機能しているといわれている(筆者が委員

    会の委員にヒアリング).

    23)月々定額をクルラハン事務所に持ち寄り,そこで

    くじ引きをするかわりに,各種の所得向上研修を

    受講する.2002年に調査したコミュニティでも洋

    裁を受講し,ローンでミシンを購入するなど,政

    府が提供するプログラムを積極的に利用している

    女性もいた.

    42

  • 24)たとえば,大学の先生がP2KP(貧困対策プログラ

    ム)などの委員を務めたり,大学の授業の一環と

    してカンポン改善事業を実施したり,スカベンジ

    ャーのカンポンでNGOがかかわって堆肥づくりに

    よる所得向上事業を実施したりしている例がある.

    25)1999年5月に法22号(地方行政法)と法25号(中央

    財政均衡法)の2つの法律が成立し,地方分権化の

    道筋が示された.

    参考文献

    加藤里香[2003]「都市貧困地域における生活保障のた

    めのソーシャル・キャピタルと地方政府の役割~

    インドネシア・ジョグジャカルタ市のカンポンコ

    ミュニティを事例に」日本福祉大学修士学位論文.

    倉沢愛子[2001]『ジャカルタ路地裏フィールドノート』

    中央公論新社:pp.37-42, pp.47-53.

    小林和夫[2001]「インドネシアにおける「隣組」「字

    常会」の歴史的展開」『アジア経済』XLII-3: p.47.

    JICA[2000]『第4次インドネシア国別援助研究会報告

    書』.

    穂坂光彦[2002]『日本福祉大学通信制大学院国際社会

    開発研究科開発基礎論Ⅲ開発教育』:pp.184-195.

    Bakti Setiawan[1993]"Housing delivery system in the

    Code river, Yogyakarta, in Jurnal Perencanaan Wilayah

    dan Kota." ITB, Special edition, July 1993.

    Bakti Setiwan[1998]"Local Dynamics in Informal

    Settlement Development: A Case Study of Yogyakarta."

    University of British Columbia: p.99, pp.105-107.

    Bakti Setiwan[ 2000] "Vulnerability and Survival

    Strategies by the Poor: the Importance of the Social

    Capital."

    Bakti Setiawan[2000]"The Economic Crises and Social

    Safety Net Programs in Indonesia." Workshop on

    Human Security and Regional Development. UNCRD.

    Lont Hotze[2000]Juggling Money in Yogyakarta,

    Financial Self-help Organizations and the Quest for

    Security. Thela Thesis, Amsterdam: p.264.

    Patric Guinnes[1986]Harmony and Hierarchy in a

    Javanese Kampung: p.153.

    Shafiq Dhanani & Iyanatul Islam[2002]"Poverty,

    Vulnerability and Social Protection in a Period of Crisis:

    The Case of Indonesia." World Development Vol.30,

    No.7. Elsevier Science Ltd: pp. 1211-1231

    加藤 里香(かとう りか)日本福祉大学大学院国際社会開発研究科国際社会開

    発専攻修士課程(通信教育)修了(開発学修士).1983

    年,名古屋市職員に採用.1998年から3年間国際連合地

    域開発センターへ研究員として出向,(財)2005年日本

    国際博覧会協会,(財)名古屋市観光コンベンションビ

    ューロー(世界グラフィックデザイン会議事務局)を

    経て,

    現在,名古屋市市民経済局産業経済課産業振興係長.

    都市貧困女性にとってのセーフティネット

    43国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

  • 44

    〔研究ノート〕Note

    ジェンダーとセクシュアル・ライツの視点に立ったHIV/エイズ課題の分析

    ─ラオスの地方都市における性行動に関する社会調査を事例として─

    Gendered Analysis of HIV/AIDS Issues from a Sexual RightsPerspective

    —Findings and Implications from a Fieldwork on Sexual Behaviour in a Provincial Capital of Laos —

    石坂 浩史*Hirofumi ISHIZAKA

    本多 かおり** 志澤 道子***Kaori HONDA Michiko SHIZAWA

    要  約HIV/エイズの拡大は深刻な社会的経済的影響をもたらし、開発の阻害要因となって

    いる。本稿では、HIV/エイズ拡大の一因はジェンダー不平等にあるという問題認識に立ち、ラオスでの参加型社会調査の事例から、性行動と生殖活動における男女間の力関係を明らかにし、HIV感染リスクとの関連を検証する。性行動と生殖活動における男女間の力関係を分析するには、ライツ(rights)の概念

    が有効である。本稿では、生殖目的以外で行われる性行為を含む性行動において、ジェンダー関係を明らかにするのに適しているセクシュアル・ライツ・フレームワークを分析枠組に適用した。本調査では、質的調査手法によって既婚男女、未婚男女のそれぞれの性行動について分析を行った。その結果、調査地では男女双方に強いジェンダー規範意識が存在し、性行動や生殖活動に関して、男性優位な力関係があることが明らかになった。こうしたジェンダー格差は、HIVに対する感染リスクの高い性行動を許し、男女双方にHIV/エイズが広がる危険性を増加させている。

    HIV/エイズ問題解決のためには、性行動に関する男女の力関係を変革することが重要である。セクシュアル・ライツ・フレームワークに基づく参加型調査手法は、ジェンダー格差解消につながる行動変容のきっかけとなり得る。HIV/エイズ問題に取り組む際は、ライツに基づくジェンダー分析を導入することにより、社会・経済・文化的背景に起因するジェンダー格差とその原因を抽出し、男女間の力の不均衡の解消を図っていくべきである。

    * アイ・シー・ネット株式会社コンサルティング部コンサルタントConsultant, Consulting Division, IC Net Limited

    ** アイ・シー・ネット株式会社業務推進グループ研究員Researcher, Project Promotion & Research Group, IC Net Limited

    ***アフリカ日本協議会研究員Research Fellow, Africa Japan Forum

  • ジェンダーとセクシュアル・ライツの視点に立ったHIV/エイズ課題の分析

    45国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

    はじめに

    2004年末現在、世界のHIV感染者数はおよそ

    4000万人に達し、その死亡者数は累積で3000万

    人を突破した(UNAIDS/WHO[2004a])。地球

    的危機とも称されるHIV/エイズの拡大は、社会

    的にも経済的にも深刻な影響を及ぼしている注1)。

    本研究は、ラオスにおける性行動とジェン

    ダーに関する参加型社会調査の事例から、ジェン

    ダー格差がHIV感染リスクを増大させる重要な

    要因のひとつであることを検証する試みである。

    事例では、質的調査手法により個々人の持つ性

    行為や生殖に関する認識を調べ、セクシュアル・

    ライツ(Sexual Rights)の観点からそれを分析す

    ることによって、性行動における男女間の力関

    係を明らかにし、HIV感染リスクとの関連を検

    証する。次章以降では、HIV/エイズ問題を概観

    し、分析枠組を提示し、事例調査の結果分析を

    行い、HIV/エイズ問題の解決を図るためには、

    ジェンダー不平等の解消が不可欠であると結論

    付ける。

    I HIV/エイズ課題に対するアプローチと分析フレームワーク

    1. HIV/エイズに対するアプローチの変遷とジ

    ェンダー

    HIV/エイズが急速に拡大した1980年代、それ

    は保健の問題としてとらえられていた。当時主

    流であった保健フレームワーク(health frame-

    work)では、個人に正しい知識や手段を与えさ

    えすれば、人々は健康を守ることができると考

    えられた(Tallis[2002])。したがって、HIV/エ

    イズ対策は、感染リスクが高いとされる特定グ

    ループの行動変容を目指す予防啓発に重点が置

    かれた。

    しかし、こうしたアプローチではHIV/エイズ

    の拡大阻止に高い効果を上げられないという理

    解が進み、1990年代になると、効果的なHIV/エ

    ABSTRACTThe spread of HIV/AIDS has serious socioeconomic impact and poses major obsta-

    cle to development. Recognizing gender inequality as one of the accelerating factors tothe spread of HIV/AIDS, this paper explores the power relations between men andwomen in sexual and reproductive activities through participatory social research in LaoPeople’s Democratic Republic, and examines its relationship with HIV infection risk.

    An effective way to analyze gender power balance in sexual behavior and reproduc-tive activities is to focus on rights. This paper adopts the concept of sexual rights as itsanalytical framework because of its amenability to the elucidation of the gender relation-ship in sexual activities, including sex for non-reproductive purposes. In the research,sexual behaviors of married and unmarried couples were analyzed using qualitativeresearch methods. Research findings showed both men and women had strong gender-specific behavioral expectations, whereby men gain the dominant position in sexual andreproductive activities. This gender bias promotes risky sexual behaviors, putting bothmen and women at greater risk of contracting HIV/AIDS.

    To solve the HIV/AIDS issues; therefore, it is important to change the power rela-tions between men and women in sexual activities. As a first step towards eliminatinggender bias, participatory research methods based on a sexual rights framework can beapplied as catalyst for behavioral change. When dealing with the HIV/AIDS issues,efforts should be directed towards eliminating power imbalances between men andwomen by focusing on the gender bias rooted in the social, economic and cultural back-ground through introduction of gendered rights-based analysis.

  • 46

    イズ対策には予防啓発、自発的カウンセリング、

    検査、治療、ケアとサポート、差別・偏見の撤

    廃など、一連の施策を包括的に実施する必要性

    が指摘されるようになった(UNAIDS[2000])。

    近年では、HIV感染のリスクを高める根本的

    要因は社会背景にあり、それをふまえた対策を

    とることが重要だと指摘する主張が増えてきて

    いる。HIV感染者数は増加の一途をたどってお

    り、前段の「従来の」HIV/エイズ対策だけでは、

    問題を根本的に解決することができないからで

    ある。中でも、女性のHIV感染に対する脆弱性

    が注目されている。多くの場合、女性は雇用・

    教育・資本・財産へのアクセス、社会文化的慣

    習などにおいて、男性と同等の権利を享受でき

    ていないため、感染リスクの高い行動を自らの

    意思で回避することができない。HIV/エイズの

    拡大を阻止するためには、ジェンダー格差が感

    染リスクを増大させる仕組みを理解し、その是

    正に取り組む必要がある注2)。

    もちろん、HIV感染が起きる要因はジェン

    ダー格差だけではない注3)。しかし、ジェンダー格

    差はHIV/エイズを拡大させる.....

    大きな要因である。

    HIV/エイズは、主に男女間の無防備な性交渉に

    よって感染が拡大することが知られているが、

    ジェンダー格差は、コンドームを使用しない、

    複数の性的パートナーを有するといった無防備

    な性的接触の機会を増す(Tallis[2002])。本稿

    では、事例調査により性行動と生殖活動におけ

    るジェンダー関係の分析を試み、ジェンダー関

    係がどのようにHIV感染リスクに影響を及ぼす

    のかを考察する注4)。

    2. セクシュアル・ライツ・フレームワークの

    適用

    本稿ではライツ(rights)を分析フレームワー

    クに導入する。近年、開発課題に対して、欧米

    の援助機関を中心に、ライツ・ベースド・アプ

    ローチ(rights-based approach)を採用する動き

    が活発化している。その系譜は近代の人権思想

    にあり、何びとにも尊重されるべき基本的な権

    利の束がある注5)という考えに基づいている。ラ

    イツを導入する大きな目的のひとつは、市民の

    持つ権利と国家の市民に対する責務を明確にし、

    国際法などを後ろ盾として、すべての人々に平

    等な開発を図ることである(Nyamu-Musembi

    and Cornwall[2004])。

    一方、現実には、個人に保障されるべき権利

    が明確になることと、それが実現することとは

    大きな隔たりがあるため、ライツの概念は実践

    的意味を持たないという批判もある注6)。しかし

    ながら、現実に抑圧され、権利の行使が制限さ

    れている個人やグループがいるからこそ、一定

    のライツに対して、それがどれだけ満たされて

    いるかを分析することにより人々の力関係が明

    らかになるといえる。ライツの概念は男女の行

    使できる権利を比較すること、すなわちジェン

    ダー格差を明らかにするのに有効である。

    ところで、本稿では性行動と生殖活動におけ

    るジェンダー関係を分析するが、男女の性行動

    は、生殖目的にのみ左右されるものではない。

    むしろ、性行為は生殖目的よりも、快楽を求め

    て行われることが多い(Gosine[2004])。そこ

    で、本稿ではHlatshwayo と Klugman[2001]が

    提唱するセクシュアル・ライツ・フレームワー

    クを適用する。これは性行為が快楽目的で行わ

    れるということもふまえた、包括的なフレーム

    ワークである。ここでいうセクシュアル・ライ

    ツとは、「自らの性的指向や性生活について自ら

    選択し、表現する権利」を指し注7)、次の各点か

    ら構成される。

    ①自分の肉体を自分で支配できる。

    ②望むときに、望む人と、望む形で性交渉を

    行うことができ、性交渉を強制されること

    がない。

    ③自らの性行為について、自ら決断できる。

    ④性行為を楽しむことができる。

    ⑤HIV、性感染症、妊娠といった性交渉のリ

    スクから身を守ることができる。

    ⑥性に関係する健康問題に対処するのに役立

    つ、中立かつ責任ある診療サービスにアク

  • ジェンダーとセクシュアル・ライツの視点に立ったHIV/エイズ課題の分析

    47国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

    セスすることができる。

    このフレームワークを参照して事例分析を行

    う注8)。

    II ラオスの地方都市における性行動とジェンダー注9)

    1. 調査方法

    ラオスのHIV/エイズ感染率は約0.1%と報告さ

    れており、諸外国に比べて低い(UNAIDS/WHO

    [2004a、b])。その一方で、保健医療サービスの

    不足、経済開放とインフラ整備による国内および

    周辺国との間の移動人口の増加、性産業従事者の

    性感染症感染率が高いことが指摘され、将来の急

    激なHIV感染拡大の可能性が危惧されている

    (JICA[1999]、 UNAIDS/WHO [2004b])。南部

    アフリカでの教訓から、HIV/エイズの蔓延予防

    には、感染率の低いうちにリスク要因に対する

    適切な対応策をとることが重要だとされている

    が(Tallis[2002])、本研究ではそうした観点か

    らラオスを取り上げた。

    調査地は、ラオス北部ルアンプラバン県の県都

    ルアンプラバン市街を構成する一行政区(村)注10)

    である。ルアンプラバンでは1990年代後半の経

    済開放以降、人口流動が活発化しており、観光

    地化も進み、ビア・パブ注11)といった売買春のき

    っかけとなる産業が急成長している。こうした

    状況下、報告されるHIV感染者の数は増加傾向

    にあり、これらリスク要因が今後、感染拡大を

    引き起こす可能性の高い地域といえる注12)。

    調査は、質的調査手法を利用してデータを収

    集した注13)。はじめに、調査地の概況やHIV/

    エイズに対する意識や現状を調べるために、

    HIV/エイズ・ピア・エデュケーター注14)など有識

    者4名への半構造インタビューを行った。次に、

    男女の家庭における役割分担や結婚、避妊、性

    行為などについて実態を把握するために、52名

    を対象として参加型農村調査(PRA: Participatory

    Rural Appraisal)を行った注15)。さらに、性行動

    とジェンダー関係を掘り下げて知るために、16

    名を対象にフォーカス・グループ・ディスカッ

    ション(FGD)を実施した注16)。PRAとFGDでは、

    婚姻や男女の別による意識や行動の諸相を明ら

    かにするために、調査対象者を男女および既

    婚・未婚に区分して調査を実施した注17)。

    2. 調査結果

    (1)既婚男女の性行動

    夫婦間における性交渉のタイミングと頻度に

    ついては、男性の意思が強く反映されている。

    基本的に、性交渉の主導権は男性にあり、妻は

    夫の要求に対して応じるべきだとされている。

    妻が夫との性交渉を拒否することができるのは、

    病気や妊娠などよほどの理由がある場合に限ら

    れる。このような考え方は、男女双方に共通し

    ている。

    こうした考え方は、村人が、生産活動や行事、

    性行動などの状況について季節ごとの表を作成

    したときの議論に顕著に表れている。男性は、

    季節の行事や仕事の量によって性交渉の頻度が

    変わるというが、女性は、通年同じ頻度で性交

    渉を行っているという注18)。これは、男性が性行

    動を主体的に行っているのに対し、女性は従属

    的にかかわっているにすぎないことを意味して

    いる。このことは、「セックスに季節変化はない。

    疲れていようと、忙しかろうと関係ない。それ

    は男性が決めるから」注19)という50代の女性の発

    言にも表れている。さらに、女性からは、加齢

    により性欲が減退しても、夫の浮気を予防する

    ために性交渉を受け入れざるを得ないという発

    言もあった。

    避妊行為についても、男性の意思が強く反映

    されている。男性は、コンドーム使用が避妊に

    効果的であると理解している一方で、膣外射精

    や女性の月経周期による調整などの伝統的な避

    妊方法を好んでいる。その理由は、「コンドーム

    をつけると楽しくない。感じることができない」

    (30~50代既婚男性複数)注20)という発言が表し

    ている。また、コンドームは、男性が外部の女

    性と性交渉を行う際に使用するものという考え

  • 48

    方が強く、夫婦間で妻が夫にその使用を依頼す

    ることは控えられている。理由は、恥辱感から

    である注21)。さらに、既婚男性は、「妻にお願い

    されて夫は膣外射精を約束するが、酔っぱらっ

    て忘れてしまい、子どもを作ってしまうことが

    多々ある」注22)と発言しており、男性が避妊行為

    に真剣でないことがわかる。男性は、コンドー

    ムが高価であることもそれを使用しない理由と

    して挙げている注23)。

    また、男性が買春行為を行ったり、愛人を作

    ったりすることは珍しくない。男性は、普段の

    生活や仕事の圧力から逃れるため、あるいはた

    まには間違いもあるといった理由で婚外性交渉

    を正当化している。しかも、夫の婚外性交渉は、

    「夫が外に女を買いに行くことについて、やきも

    ちはあるが許している」注24)という既婚女性の発

    言に代表されるように、女性にもなかば容認さ

    れている。とりわけ、男女とも、妻が夫との性

    交渉を拒んだ場合には、夫が婚外性交渉を行う

    のは仕方がないと考えている。逆に、妻の婚外

    性交渉は許されていない。

    女性は、むしろ夫の行為が家庭に及ぼす影響

    を最小限にとどめたいと考えている。こうした

    考え方は、「夫はコンドームを持っていたら外で

    セックスしてもよい」(30~50代既婚女性複数)注25)

    といった意見が裏付けている。しかし、婚外性

    交渉でのコンドームの使用率は高くない。婚外

    性交渉によりHIV/エイズに感染した男性の事例

    に関して議論したFGDにおいては、酔っぱらう

    となりゆきでコンドームを着用しないまま性交

    渉に及ぶことが多いという既婚男性の発言があ

    った注26)。

    これらのことから、①夫婦間の性交渉のタイ

    ミングと頻度は主に男性が決定している、②女

    性は夫との性交渉を拒否できない傾向にある、

    ③避妊の実行とその方法に関しては、男性の意

    向が強く反映されている、④男性の婚外性交渉

    は容認されている、⑤夫婦間性交渉、婚外性交

    渉のいずれにおいても、コンドームは使用され

    ない傾向にあることが明らかになった。性行動

    における意思決定は男性優位であり、また、特

    に男性は性感染症に対する危機意識が低いこと

    がわかった。

    (2)未婚男女の性行動

    未婚男女の性行動においても、男性優位のジェ

    ンダー関係が観察された。ラオスでは、婚前性

    交渉は違法行為である。しかし、女性は結婚す

    るまで処女であるべきだと考えられている一方、

    男性の婚前性交渉については、社会的・文化的

    に容認されている。実際には、多くの未婚男性

    の性交渉の相手は未婚女性であり、未婚男女間

    の性交渉は一般的である。それにもかかわらず、

    女性が結婚前に性交渉を経験していると結婚が

    難しくなるという認識が一般的である。

    未婚の女性も既婚女性同様、性行動に対して

    受動的態度が求められている。女性は性交渉の

    際に、男性に対してコンドームの使用を要求す

    ることができない。たとえば、婚前性交渉によ

    り妊娠した女性の事例に関して議論したFGDで

    は、「コンドームを使ってほしいと男の子に頼む

    ことはできない。恥ずかしい」(10~20代未婚女

    性複数)注27)といった意見が聞かれた。未婚女性

    も避妊に関するコントロールが欠如している。

    さらに、未婚男女には望まない妊娠に直面す

    る問題があり、FGDやインタビューを通して、

    その場合は女性が不利な立場に置かれることが

    わかった。それによると、望まない妊娠に対す

    る第一の対応策は結婚である。しかし、結婚に

    際する経済的、社会的負担は男性に重くのしか

    かるため、男性の親が反対する場合も多い。そ

    うなると、女性は中絶、あるいは望まない出産

    を選択せざるを得なくなり、このため自殺に追

    い込まれることさえある注28)。男性には、結婚と

    いう形で責任を果たさない場合は、子どもが18

    歳になるまで養育費を出す(経済的)、不道徳と

    批判される(社会的)、刑罰を受ける(法律的)

    といった制裁が科せられる可能性がある注29)。し

    かし、女性には、妊娠と出産、あるいは中絶の

    肉体的・精神的負担に加えて、未婚の母になる

    ことや婚前性交渉が明るみに出ることによって、

  • ジェンダーとセクシュアル・ライツの視点に立ったHIV/エイズ課題の分析

    49国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

    将来の結婚が困難になるなどの社会的制裁が科

    せられ、より大きな不利益を被ることになる。

    このように未婚者についても、性行動におい

    て、女性は男性に比べて不利な立場にある。女

    性は、①婚前の性交渉が社会的・文化的に認め

    られておらず、②避妊に対するコントロールが

    欠如しており、望まない妊娠や性感染症から身

    を守ることが困難であること、③望まない妊娠

    が起きた場合や婚前性交渉が発覚した場合に大

    きな不利益を被ることが明らかになった。

    (3)性行動におけるジェンダー格差

    上の調査結果を、本稿で採用したセクシュア

    ル・ライツ・フレームワークに当てはめると、

    何がわかるのだろうか。

    第1に、「望むときに、望む人と、望む形で性

    交渉を行うことができ、性交渉を強制されるこ

    とがない」権利について見ると、夫が性交渉の

    タイミングと頻度を決定していること、妻は夫

    の要求を拒否することができないことなどから

    わかるように、夫婦間では夫主導で性交渉が行

    われている。さらに、夫の婚外性交渉は容認さ

    れているが妻のそれは認められないことや、未

    婚者の場合には、男性の婚前性交渉は許容され

    ている一方、女性のそれはタブー視されている

    など、男性の権利の充足度のほうが相対的に高

    い。

    第2に、「HIV、性感染症、妊娠といった性交

    渉のリスクから身を守ることができる」権利に

    ついても、女性は不利な状況に置かれている。

    避妊の方法やコンドームの使用を決めるのは男

    性であり、女性は主体的に権利を行使すること

    ができない。

    第3に、「自らの性行為について、自ら決断で

    きる」権利や「性行為を楽しむことができる」

    権利についても、性交渉を「楽しむ」ためにコ

    ンドームを使わないことを決めるのは男性であ

    り、女性にはその決定権がない。しかも、女性

    は性交渉を断ったり、積極的に求めたりするこ

    とができないため、これらの権利を行使できて

    いない注30)。

    このように、セクシュアル・ライツに即して

    分析すると、ジェンダー格差は明白である。調

    査地では、男女双方に、性行動や生殖活動に関

    し、「男性/女性はこうあるべき」との強いジェ

    ンダー規範意識が存在している。社会的・文化

    的に男性の性欲が当然のこととして受け取られ

    る一方、女性は性に対して常に受動的、従属的

    であるべきだと考えられている。性行動や生殖

    活動に関して、男性優位な力関係があることが

    明らかである。

    3. 考 察

    それでは、これまでに明らかになった性行動

    と生殖活動に関するジェンダー関係は、HIV感

    染にどのような影響を与えるのだろうか。

    第1に、性行動において、男性が圧倒的に有利

    な立場にあることは、男性のHIV感染に対する

    リスクを増している。男性は複数の性的パート

    ナーを持つことが容認されている。男性にはコ

    ンドームを使用する決定権があるが、その使用

    率は低い。こうしたことから、男性が感染リス

    クの高い性行動を行う可能性は高い。

    第2に、男性の感染リスクの高い性行動は、女

    性の感染リスクを高めている。女性は、処女性

    と貞節への期待、羞恥心といった社会規範に縛

    られ、性行動と生殖活動に関して自ら決定を下

    す権利を阻害されており、コンドームを入手し

    たり、その使用を男性に求めたりすることがで

    きない。このため、結果として、女性も感染リ

    スクの高い性行動にかかわることになる。

    このようなジェンダー関係は、男女両方に

    HIV/エイズの感染を拡大し得る極めて危険な状

    態である。これまでの経験から、性産業従事者

    から顧客へ、顧客(夫)から妻へ、という感染

    ルートが典型的なHIV/エイズ拡大の構図とされ

    ているが、調査から明らかになった調査地の社

    会規範は、こうした構図を強化し得るものであ

    る。

    総じて、性行動と生殖活動に関する男性優位

    のジェンダー関係は、HIVに対する感染リスク

  • 50

    の高い性行動を許し、男女両方にHIV/エイズが

    広がる危険性を増加させている。特に女性は、

    このジェンダー関係のため、自らリスクを軽減

    することが困難な立場にある。本調査は、男女

    間の不平等な力関係はHIV/エイズ拡大の根本要

    因であり、問題解決には不平等を解消すること

    が不可欠だと示唆している注31)。

    III 結 論

    ラオス地方都市での参加型社会調査とセクシュ

    アル・ライツ・フレームワークに基づく分析か

    ら、性行動と生殖活動に関するジェンダー格差

    が無防備な性行動の土台を形成し、男女双方に

    対しHIV感染のリスクを増大させることが明ら

    かになった。HIV/エイズ問題を解決するために

    は、脆弱性が高いという理由で女性をターゲッ

    トにした施策を単に加えるのではなく、ジェン

    ダー不平等そのものを解消する必要がある。

    それでは、ジェンダー不平等を解消するには

    どのような取り組みがなされるべきだろうか。

    それには、男女間に存在する格差を表出させ、

    格差解消につながる行動変容を促す必要がある。

    Chambers[1997]などが指摘しているように、

    PRAなどの参加型調査手法は、調査の手法であ

    ると同時に調査対象者自身の意識を覚醒させる

    手法でもある。本調査においても、男性参加者

    らが女性の不利な立場に自ら気づき、態度を変

    容させた例が観察された注32)。今後はひとつの方

    向として、こうした手法を参考に、ファシリテー

    ターの養成を進めて、草の根レベルでジェンダー

    格差の存在とその影響を男女双方が当事者とし

    て気づくことを促す機会を増やしていくべきで

    あろう注33)。

    JICAのHIV/エイズ対策協力方針では、HIV/エイ

    ズ予防とコントロール、HIV感染者・エイズ患

    者や家族等へのケアとサポート、有効な国家レ

    ベルの対策の実施という3点が戦略目標として掲

    げられている。このうち、予防の一環として

    「性感染症の感染リスクの減少」に関し、男女双

    方のエンパワーメントの実現が必要と指摘して

    いる。にもかかわらず、個別の目標設定や地域

    別協力方針では、あくまでも「従来の」HIV/エ

    イズ対策にジェンダーの視点を組み込むことを

    想定しているように読み取れる注34)。しかし、こ

    うした対応では問題解決には不十分である。な

    ぜなら、本稿の調査事例は、ジェンダー格差が

    HIV感染リスクの高い性行動をもたらすことを

    示唆しているからである。ジェンダー格差の是

    正は感染拡大阻止の中心コンポーネントに据え

    られるべきである。現状のジェンダー関係に対

    処するだけの対策では、HIV/エイズ問題の抜本

    的解決はできない。

    本稿ではライツを分析フレームワークに導入

    したが、事例調査で明らかになったように、ラ

    イツは男女の力関係を客観的に明示するのに有

    効な視点である。さらに、性行為は快楽を目的

    に行われるという重要な観点を包括したセクシュ

    アル・ライツを導入することにより、ジェンダー

    格差はよりいっそう明確になる。このことの意

    義は大きい。たとえば、セクシュアル・ライツ

    というすべての男女に尊重されるべき権利の束

    の充足状況にジェンダー格差があるというメッ

    セージを発することができれば、一方で政府や

    援助機関に大きな倫理的義務感を課す。他方で

    は、女性の不利な状況を改善する運動を行う市

    民団体などには強力な援軍となる。このように、

    セクシュアル・ライツの視点は、開発・国際協

    力のあり方に強力な規範をもたらす注35)。セクシュ

    アル・ライツに基づく分析の結果は、ジェンダー

    格差を是正するためのベンチマークになる。

    HIV/エイズとの関連では、セクシュアル・ラ

    イツの視点はHIVを含む性感染症に対する感染

    リスクを評価するのに有用である。本稿では、

    セクシュアル・ライツを試行的に分析フレーム

    ワークに採用したが、以上のことをふまえると、

    日本の国際協力の現場で、セクシュアル・ライ

    ツを含むライツの概念を適用する価値は十分に

    あると考えられる。同時に、ライツの概念の有

    効性や適用性についての研究をさらに積み重ね

  • ジェンダーとセクシュアル・ライツの視点に立ったHIV/エイズ課題の分析

    51国際協力研究 Vol.21 No.2(通巻42号)2005.10

    る必要もあろう。

    最後に、本稿では、HIV/エイズ問題解決のた

    めには性行動に関する男女の力関係を変革する

    ことが重要であり、「従来の」HIV/エイズ対策の

    みでは、問題解決には不十分であることを再確

    認した。HIV/エイズ問題に取り組む際は、ライ

    ツに基づくジェンダー分析を導入することによ

    り、社会・経済・文化的背景に起因するジェン

    ダー格差とその原因を抽出し、男女間の力の不

    均衡の解消を図っていくべきである。本稿は、

    包括的かつ効果的なHIV/エイズ対策プログラム

    の策定と実施には、こうした視点と取り組みが

    不可欠であることを改めて提示したといえよう。

    謝 辞

    本稿は、筆者らによる『JICA技術協力専門家養成研

    修「社会・ジェンダー調査手法の実践コース」最終報

    告書』(2004)の中の「ラオスの地方都市における性と

    ジェンダー:ルアンプラバンにおける社会・ジェンダー

    調査実習より」を下敷きに、大幅に加筆修正したもの

    である。執筆にあたっては、JICA国際協力専門員(ジェ

    ンダーと開発)田中由美子氏から有益な助言をいただ

    いた。匿名の論文審査員の方からも、原稿に対して建

    設的な提案などをいただいた。この場を借りて、関係

    各位、専門家養成研修でお世話になった関係者、なら

    びに現地調査で協力いただいたラオスの人々に謝意を

    表したい。なお、本文中の主張は筆者らのものであり、

    解釈の誤りなど、至らない点の責めはすべて筆者らに

    帰する。

    注 釈

    1)たとえば,感染者の大多数が10代後半から40代の

    就労年齢であるため労働人口が減少し,その一方

    で公的医療費は増大するため,経済的な負のイン

    パクトが大きい.また,感染率の高い地域では,

    HIV/エイズによる貧困の拡大や孤児の増加などの

    深刻な社会的影響が出ており,開発の大きな阻害

    要因となっている.

    2)UNAIDS(国連エイズ合同計画)は2004年の年次報

    告書や2004年12月1日の国際エイズ・デーにおいて

    「エイズと女性」に焦点を当てるとともに,Global

    Coalition on Women and AIDS(http://womenandaids.

    unaids.org/)というキャンペーンを立ち上げるなど

    して,ジェンダー不均衡がHIV/エイズを拡大させ

    ていることを指摘し,HIV/エイズ対策が効果を上

    げるには女性が背負う社会経済的脆弱性そのもの

    が解消されるべきだと訴えている.なお,本稿で

    は感染リスクとジェンダーとの関係のみを考察し

    ているが,HIV/エイズがもたらすインパクトの面

    でも,女性はより大きな負の影響を受けることが

    広く指摘されている(UNAIDS/WHO[2004a]).

    3)たとえば,経済開放により人の往来が活発化する

    と,HIVウィルスと接触する機会を持つ可能性が

    高まり,HIVに感染するリスクも高まる.

    4)本稿は,ジェンダー関係とHIV感染リスクとの関係

    を分析する.HIVの感染実態や具体的感染経路を

    調べることを目的としない.ジェンダー関係以外

    のHIV感染にまつわる諸要因の分析は,本稿の範

    囲を超える.

    5)「基本的な権利の束」のとらえ方は,政府や援助

    機関の間で一定していない.国際人権規約(1966

    年)では,民族自決権,平等・無差別,男女平等

    などが一般的原則として挙げられており,そのう

    ち「市民的および政治的権利に関する国際規約

    (自由権規約,B規約)」で定められている身体・移

    動・思想などの基本的自由を保障することは,あ

    る程度普遍化されている.一方,1986年の国連発

    展の権利に関する宣言に代表される経済権

    (Economic Rights)や社会権(Social Rights)に対

    しては否定的,あるいは慎重な立場をとる政府や

    援助機関も多い(Nyamu-Musembi and Cornwall

    [2004];島田[1994]).

    6)兵藤[2002]は,1994年のカイロ国際人口・開発

    会議の「リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に

    関する権利)」の有効性について検証し,その概念

    の限界を明らかにしている.事例として取り上げ

    たフィリピンでは,政策に基づき国家がすべての

    人を対象として避妊サービスを提供しているが,

    現実には,未婚女性についてはジェンダーの権力

    構造により,サービスへのアクセスが制約されて

    いると主張している.「リプロダクティブ・ライツ」

    については,カイロ行動計画の第7章(Uni ted

    Nations[1994])を参照のこと.

    7)一般に,セクシュアル・ライツは「リプロダクティ

    ブ・ライツ」のほか,生殖を目的としない性の権

    利,同性愛者の権利なども包括する概念であると

    考えられている.自らの身体の保全に関して,す

    べての個人が自己決定権を持っていることを認め

    ることによって,性と生殖を保障しようとするも

    のである.望まない性的関係や性的暴力,安全で

    ない避妊方法,強制された家族計画,不妊,そし

    てさまざまな強制や差別などから男女を守る概念

    である.

    8)このフレームワークの妥当性については詳細な検

    討が必要であるが,性行動と生殖活動におけるジェ

    ンダー関係を分析するのに有効な枠組であると考

    え,本稿では試行的に採用した.

    9)本章はJICA平成16年度第2回技術協力専門家養成研

    修「社会・ジェンダー調査手法の実践コース」で

    実施した社会・ジェンダー調査に基づく.

  • 52

    10)ラオスではこうした行政単位をバーン(村)と呼

    んでいる.

    11)酒場.若い女性が働いていて,売買春の舞台とな

    ることが多い.ラオスでは性産業は違法であり,

    「売春婦」という言葉の使用に抵抗がある.代わり

    に,ビア・パブ・ワーカーといった言葉をそれに

    当てている.

    12)ラオスはタイ,ベトナム,カンボジアなどHIV感

    染率がラオスよりも高い国々と国境を接し,近年

    これら周辺国との間を結ぶ道路や橋の整備が進ん

    でいる.また,国内を南北につなぐ国道13号線の

    整備も進んでおり,国内外を行き交う移動人口は

    増加している.こうした状況下,トラック運転手

    や彼らにサービスするビア・パブ・ワーカーなどが,

    ラオスにおけるHIV感染のハイリスク・グループ

    として指摘されている(Family Health International

    [2001]).タイとの国境沿いの地域や首都ビエンチャ

    ンはもちろん,ルアンプラバン県についても,国

    道13号線沿いに位置し,1995年に県都がユネスコ

    の世界遺産に登録されたことから急激に観光地化

    しており,今後,HIV感染が拡大する危険性が高

    い.このため,本研究ではルアンプラバン県の県

    都を調査対象地とした.また,あえて調査対象を

    ハイリスク・グループとせず,一般的な男女の性行

    動について調べることにより,基礎的なジェンダー

    関係とHIV感染リスクとの関係を明らかにし,ラ

    オスについて一般化できる結論を導き出し,HIV

    感染拡大予防に貢献しようと考えた.

    13)調査は,著者ら4名が共同し,2名のラオス語通訳

    者を介して,2004年11月5日から11日にかけて行っ

    た.性行動や生殖行動という調査対象者の私的領

    域を扱い,情報を引き出すことが難しいテーマに

    取り組んだことと,調査地における先行研究がな

    いことや時間的制約のため,質的調査手法を採用

    した.

    14)同じグループに属する同僚や仲間に対して,啓発

    活動をしたり,相談を受けたりする人.

    15)使用したツールには,マトリックス・ランキング,

    ペアワイズ・ランキング ,モビリティ・マップ ,

    トレンド・ライン ,シーズナル・カレンダー ,プ

    ロブレム・ツリーが含まれる.

    16)浮気や望まない妊娠に関する架空の事例をもとに,

    調査者が参加者に質問を投げかけながら,登場人

    物の行動の是非などについて,第三者的に議論を

    してもらった.この手法は性行動という取り扱い

    に慎重を要する事柄について,調査対象者に脅威

    を与えることなく見解を引き出すのに有効であっ

    た.

    17)本調査は試行的な取り組みであり,その内容は限

    定的である.まず,調査対象地は1村のみであり

    (ルアンプラバン市には117の村がある),調査対象

    者は少なく,かつ,対象者が村の各社会層を代表

    している保証はない.調査対象者は著者らの設定

    したカテゴリーに応じて,村の調査協力者が選択

    した.無作為抽出ではない.また,質的調査に依

    存しているため,客観的な結論を導き出すのが容

    易ではない.さらに,調査は短期間で行われたた

    め,地域の社会文化的状況の分析が不十分である

    ことと,調査対象者から十分に本心を引き出せて

    いない可能性がある.

    18)既婚男性(6名)および既婚女性(6名)対象

    PRA:シーズナル・カレンダー作成過程(降雨量,

    収入,自由時間,飲酒量,性交渉の頻度)より

    (2004.11.7.).

    19)既婚女性対象(6名)PRA:シーズナル・カレンダー

    作成過程(同上)より(2004.11.11.).

    20)既婚男性対象(10名)PRA:避妊のペアワイズ・

    ランキング表作成過程(注射,女性の月経周期,

    ピル,コンドーム,自然�