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花の縁 020502 1 1 2)キリ=桐 キリはゴマノハグサ科の落葉高木で高さは 10m ほどになり、原産地は中国、 日本でも北海道から九州まで普通に見られる。5 月頃、葉に先だって大きな筒状の 淡紫色で唇弁状の花弁をもつ花を、円錐形に咲かせる。 桐の木は極めて成長が早く、 昔は女の子が生まれると桐の苗を植え、お嫁にゆくときにこれでタンスを作って持って 行くことも多かった。学名は『 Paulownia tomentosa 』で、属名はシーボルトの後援者 であったオランダのアン女王の名に因み、命名者はツュンベリーである。種小辞は 密に綿毛があるという意味で、イギリスでは『paulownia』とか『princess tree』、 または『 foxglove tree 』で、これは葉の形状によるものである。中国では『白桐』、和名 の由来は切るとすぐに芽を出すので「切る」が転じたものといわれている。 桐が中国から日本に渡来したのは、奈良時代の頃と思われ『万葉集』にも見られる。 『万葉集』には大伴旅人が対馬産の梧桐で作った日本琴を、藤原房前に贈ったことが 記され、題詞には「梧桐日本琴」という言葉が見える。これは今の桐ではなく『梧桐』 つまりアオギリを指しているものと思われる。『枕草子』では「木の花は」 (34 ) の中で 桐の木の花、紫に咲きたるは、なをおかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたて こちたけれど、こと木どもとひとしういふべきにもあらず。唐土にことごとしき 名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐる覧、いみじうこと也。 と記され、その内容は桐の木には当時は鳳凰が巣を作ると考えられていたために「他の木 と同列に論じられる可きではない」と云っているのである。『源氏物語』では最初の章 が「桐壺」になっており、これは『桐壺院』という人物の物語として描かれている。 桐壺は「淑景舎」 ( シゲイシャ ) のことで、宮中の一番奥、東北の方向にあり、その南側に 桐の木が植えられていた。『源氏物語』はそんな宮中の仕来たりの中で始まる。 いづれの御時( オントキ) にか、女御( ニョウゴ) 、更衣( コウイ) あまたさぶらい給ひける中に いとやんごとなき際にはあらぬがすぐれてときめき給ふ有りけり。はじめより我 はと思ひあがりたまへる御方々、めざましき物におとしめそねみ給ふ。同じ程、 それよりげらうの更衣たちはまして安からず。朝夕の宮仕( ミヤヅカ) へにつけても 人の心をのみ動かし、うらみを負()ふ積(ツモ)りにやありけむ、いとあづしく なりゆき物心ぼそげに里がちなるを、いよいよあかずあはれなる物に思ほして、 人の譏 ( ソシ ) りをもえ憚 ( ハバカ ) らせ給はず、世のためしにも成りぬべき御もてなしなり。 どの帝の時代であったろうか女御や更衣がたくさんいる中で、大した家柄でない女性 が寵愛を受けておられた。宮仕えの当初から私こそと思っている方たちにとっては、 目障りなやつめといいつつ嫉妬をなさる。同じぐらいの身分のものや、それ以下の もの達においてはなおのことであった。人の恨みを背負い込んでやがて更衣は病気 がちになり、何かと心細い感じで里下がりが多くなるが、桐壺帝の方はなおのこと 更衣をいとおしみ、人が非難するのもかまわずに、 更衣にのめり込んでいった。と

2)キリ=桐 - 山田案山子のHPkakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020502kiri.pdf花の縁02-05-02 3 3 キリの花、跨線橋の脇で咲いていたので、アップで写真を撮ることができた(埼玉県川口市)。

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Page 1: 2)キリ=桐 - 山田案山子のHPkakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020502kiri.pdf花の縁02-05-02 3 3 キリの花、跨線橋の脇で咲いていたので、アップで写真を撮ることができた(埼玉県川口市)。

花の縁 02-05-02

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2)キリ=桐 キリはゴマノハグサ科の落葉高木で高さは 10m ほどになり、原産地は中国、

日本でも北海道から九州まで普通に見られる。5 月頃、葉に先だって大きな筒状の

淡紫色で唇弁状の花弁をもつ花を、円錐形に咲かせる。 桐の木は極めて成長が早く、

昔は女の子が生まれると桐の苗を植え、お嫁にゆくときにこれでタンスを作って持って

行くことも多かった。学名は『Paulownia tomentosa』で、属名はシーボルトの後援者

であったオランダのアン女王の名に因み、命名者はツュンベリーである。種小辞は

密に綿毛があるという意味で、イギリスでは『paulownia』とか『princess tree』、

または『foxglove tree』で、これは葉の形状によるものである。中国では『白桐』、和名

の由来は切るとすぐに芽を出すので「切る」が転じたものといわれている。

桐が中国から日本に渡来したのは、奈良時代の頃と思われ『万葉集』にも見られる。

『万葉集』には大伴旅人が対馬産の梧桐で作った日本琴を、藤原房前に贈ったことが

記され、題詞には「梧桐日本琴」という言葉が見える。これは今の桐ではなく『梧桐』

つまりアオギリを指しているものと思われる。『枕草子』では「木の花は」(34段)の中で

桐の木の花、紫に咲きたるは、なをおかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたて

こちたけれど、こと木どもとひとしういふべきにもあらず。唐土にことごとしき

名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐる覧、いみじうこと也。

と記され、その内容は桐の木には当時は鳳凰が巣を作ると考えられていたために「他の木

と同列に論じられる可きではない」と云っているのである。『源氏物語』では最初の章

が「桐壺」になっており、これは『桐壺院』という人物の物語として描かれている。

桐壺は「淑景舎」(シゲイシャ)のことで、宮中の一番奥、東北の方向にあり、その南側に

桐の木が植えられていた。『源氏物語』はそんな宮中の仕来たりの中で始まる。

いづれの御時(オントキ)にか、女御(ニョウゴ)、更衣(コウイ)あまたさぶらい給ひける中に

いとやんごとなき際にはあらぬがすぐれてときめき給ふ有りけり。はじめより我

はと思ひあがりたまへる御方々、めざましき物におとしめそねみ給ふ。同じ程、

それよりげらうの更衣たちはまして安からず。朝夕の宮仕(ミヤヅカ)へにつけても

人の心をのみ動かし、うらみを負(オ)ふ積(ツモ)りにやありけむ、いとあづしく

なりゆき物心ぼそげに里がちなるを、いよいよあかずあはれなる物に思ほして、

人の譏(ソシ)りをもえ憚(ハバカ)らせ給はず、世のためしにも成りぬべき御もてなしなり。

どの帝の時代であったろうか女御や更衣がたくさんいる中で、大した家柄でない女性

が寵愛を受けておられた。 宮仕えの当初から私こそと思っている方たちにとっては、

目障りなやつめといいつつ嫉妬をなさる。同じぐらいの身分のものや、それ以下の

もの達においてはなおのことであった。人の恨みを背負い込んでやがて更衣は病気

がちになり、何かと心細い感じで里下がりが多くなるが、桐壺帝の方はなおのこと

更衣をいとおしみ、人が非難するのもかまわずに、 更衣にのめり込んでいった。と

Page 2: 2)キリ=桐 - 山田案山子のHPkakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020502kiri.pdf花の縁02-05-02 3 3 キリの花、跨線橋の脇で咲いていたので、アップで写真を撮ることができた(埼玉県川口市)。

花の縁 02-05-02

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まず宮中の概要が記されているのである。

『源氏物語』はこの「桐壺」に始まって「夢の浮き橋」まで 54 巻が現存している。

作者はもちろん紫式部である。夫の藤原宣孝(ノブタカ)と死別した 1001 年頃から、

一条天皇の中宮彰子のもとに仕えた1005~1006年頃に執筆したものと思われる。

清少納言が『枕草子』を著わしたのがちょうどその頃で、相互に触発されたのだろう。

当時は『和泉式部』や『赤染衛門』(アカゾメエモン)『小式部の内侍』など女流作家

全盛の時代で、それだけ女性の力も強かったのだろう。日本の古代社会では卑弥呼

(ヒミコ)や壱与(イヨ)、推古天皇、持統天皇など、女帝が多かったことはよく知られて

いる。これが男性中心社会に変わるのは、武家社会になってからで、特に徳川幕府の

方策によるところが大きい。平安時代の結婚は「婿入り婚」で、男の方が女のところに

通ってきたもので、これが「嫁入り婚」になるのも武家社会になってからのことである。

さて桐の木は後鳥羽上皇の時代(1198~1221 年)になると、皇室の紋章とされ、花の

数によって『五七の桐』『五三の桐』などといわれていた。豊臣秀吉はこの桐の御紋

を下賜されており、これは『五三の桐の太閤紋』といわれた。また大判、小判など

には桐紋の刻印がしてあったために、これらの判金のことを『桐』とも呼んでいた。

明治の初めには桐の御紋は正式に皇室の紋章となり、これは「五七の桐」で、民間では

「五三の桐」が用いられた。このため日本のパスポートの紋章も、つい最近までは桐

の紋章が用いられていたのである。

桐は前述のごとく、タンスとして多く用いられ、材は白く特に耐湿性に優れている。

これは湿度が高くなると木が水分を吸収して膨張し、気密性を高めるためで、火災の

時でも水をかけると膨張して中まで火が入らず、中の着物は助かるというものである。

火に強く燃えにくいとも云われ、桐炭は研磨用、デッサンをするときなどにも用いら

れた。また軽いため琴などの楽器や下駄などにも用いられ、江戸時代には琴のことを

桐ともいった。また『俗語』や『俚言』『方言』などを集めた江戸時代中期の国語辞書

である『俚言集覧』(リゲンシュウラン)では、以下のように記している。

数の三を桐という。この三の異名を下駄目と云ふ。下駄は三目ある故にいへる

なり。下駄より転じて桐といふ。

桐タンスの製造は埼玉県春日部市、静岡県藤枝市、新潟県加茂市などが特に

有名で、その材は寒いところで育ったものがしまっていてよいとされている。岩手

県の『南部桐』や、福島県の『会津桐』は特に名高い。

桐の木や花を詠った詩や和歌は多く残されているが、中でも北原白秋の歌がいい。

手にとれば桐の反射の淡青(ウスアオ)き 新聞紙こそ泣かまほしけれ

この木の苗木もなかなか手に入りにくい。通常は根伏せによるが、大木の蘗(ヒコバエ)

でも根を少し付けて取ればよく根付く。また実生で殖やすことも可能である。陽当

たりの良い敵潤地でよく育つ。

Page 3: 2)キリ=桐 - 山田案山子のHPkakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020502kiri.pdf花の縁02-05-02 3 3 キリの花、跨線橋の脇で咲いていたので、アップで写真を撮ることができた(埼玉県川口市)。

花の縁 02-05-02

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キリの花、跨線橋の脇で咲いていたので、アップで写真を撮ることができた(埼玉県川口市)。

Page 4: 2)キリ=桐 - 山田案山子のHPkakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020502kiri.pdf花の縁02-05-02 3 3 キリの花、跨線橋の脇で咲いていたので、アップで写真を撮ることができた(埼玉県川口市)。

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キリの花は関東では連休の頃に開花する。遠くから見ると桜のようでもある(埼玉県神川町)。

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キリの花、桐箪笥の町春日部市に隣接したこの辺は、キリの木が多い。しかしキリの木は

大きくならないと花をつけないので、写真を撮るには苦労が伴う(さいたま市岩槻区)。

畑の中で見たキリの木。あたりには茶畑が広がる(埼玉県狭山丘陵地)。

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キリはキリでも南天桐は、別名をイイギリともいい、学名は『Idesia polycarpa 』で、桐という

名前だけが共通で、分類学的には無関係である(06-01-10ナンテンの項参照).(埼玉県深谷市)。

サンゴアブラギリは西インド諸島が原産。学名は『Jatropha podagrica 』、桐とは分類的には関係ない。

種子からは桐油という不乾性油を採取するが有毒である(小平市薬用植物園)。 目次に戻る