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自閉症スペクトラム障害(ASD)の人たちは、 情報統合やセルフモニタリングの困難など特有の認 知特性のために、自身にかんする知識や評価が適切 に蓄積されず、自己有能感をもちにくいことが知ら れている 1) 横浜市総合リハビリテーションセンター(リハセ ンター)発達精神科を利用するASDの人たちの中 にも、継続的なフォローアップにより目立った不適 応はないものの、自己有能感が乏しく社会生活の基 盤が脆弱に感じられる場合が少なくない。一般的に は、ここでカウンセリングが有効となるはずだが、 ASDの場合、自己の内面に意識を向け問題解決を 図る通常の技法は、適応が難しいことは容易に想像 される。 本研究では、リハセンターで実施している『芸術 まつり』プログラム 2) から<個別面接>を取り上げ、 ASDの人たちの自己有能感を促進する、新たなカ ウンセリング技法の開発を行う。 『芸術まつり』プログラムは、単なる展覧会では ない。出品するケースに対して事前に<個別面接> を実施し、 「他者からの称賛」やそれに基づく「自 身への肯定的な評価」を、心理士が構造化の手法を 用いてわかりやすく伝える働きかけを行っている。 この<個別面接>での働きかけは、ASDの認知特 性を踏まえたカウンセリング技法として、一定の効 果が期待できるのではないだろうか。 本研究の背景となる『芸術まつり』プログラム は、<個別面接><展覧会><出品者の集い>を セットで行う療育プログラムである(図1) ねらいは、絵・工作・写真・書道・華道などの芸 術作品を鍵にした、①ASDの本人が自分自身を肯 定的に捉える契機づくり、②創作活動に関心を持つ 者同士のゆるやかな心理的ネットワークづくりの2 点である。出品資格者はリハセンター発達精神科を 利用する小学生以上、展覧会はリハセンター内の ホールおよび隣接の障害者スポーツ文化センター (横浜ラポール)にて開催し、観覧自由としている。 (1)個別面接:『芸術まつり』プログラムの1ヵ 月前、一人あたり30分間実施する。本人の興味や 関心を明確化し、それに沿った「他者からの称賛」 や「自身への肯定的な評価」が与えられる構造を つくる。出品者からはまず、作品の見どころを聞 き、本人が何を称賛されたいのかを評価する。そ して本人が心理士からの肯定的な評価を受け、作 品への自己評価を高め、『芸術まつり』プログラム に関心と意欲を持ち、出品に向けた動機づけを高 めることができるよう促す。 (2)展覧会:リハセンターおよび隣接の横浜ラ ポールにて3日間展示する。作品には<個別面 接>で聞き取った見どころを‘解説文’として添 える。会場に小さなメッセージカードを用意し、 観覧者には、印象に残った作品の出品者に向けて 29 キーワード:自閉症スペクトラム障害、学齢期から成人期、自己有能感、カウンセリング、芸術 autism spectrum disorders: ASD,adolescence,self-competence,couns eling,art 1)横浜市総合リハビリテーションセンター 発達支援部 療育課 2)京都市発達障害者支援センター

1)横浜市総合リハビリテーションセンター 発達支 …autism spectrum disorders:ASD,adolescence,self-competence,couns eling,art 1)横浜市総合リハビリテーションセンター

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Page 1: 1)横浜市総合リハビリテーションセンター 発達支 …autism spectrum disorders:ASD,adolescence,self-competence,couns eling,art 1)横浜市総合リハビリテーションセンター

自閉症スペクトラム障害(ASD)の人たちは、

情報統合やセルフモニタリングの困難など特有の認

知特性のために、自身にかんする知識や評価が適切

に蓄積されず、自己有能感をもちにくいことが知ら

れている 1) 。

横浜市総合リハビリテーションセンター(リハセ

ンター)発達精神科を利用するASDの人たちの中

にも、継続的なフォローアップにより目立った不適

応はないものの、自己有能感が乏しく社会生活の基

盤が脆弱に感じられる場合が少なくない。一般的に

は、ここでカウンセリングが有効となるはずだが、

ASDの場合、自己の内面に意識を向け問題解決を

図る通常の技法は、適応が難しいことは容易に想像

される。

本研究では、リハセンターで実施している『芸術

まつり』プログラム 2) から<個別面接>を取り上げ、

ASDの人たちの自己有能感を促進する、新たなカ

ウンセリング技法の開発を行う。

『芸術まつり』プログラムは、単なる展覧会では

ない。出品するケースに対して事前に<個別面接>

を実施し、 「他者からの称賛」やそれに基づく「自

身への肯定的な評価」を、心理士が構造化の手法を

用いてわかりやすく伝える働きかけを行っている。

この<個別面接>での働きかけは、ASDの認知特

性を踏まえたカウンセリング技法として、一定の効

果が期待できるのではないだろうか。

本研究の背景となる『芸術まつり』プログラム

は、<個別面接><展覧会><出品者の集い>を

セットで行う療育プログラムである(図1) 。

ねらいは、絵・工作・写真・書道・華道などの芸

術作品を鍵にした、①ASDの本人が自分自身を肯

定的に捉える契機づくり、②創作活動に関心を持つ

者同士のゆるやかな心理的ネットワークづくりの2

点である。出品資格者はリハセンター発達精神科を

利用する小学生以上、展覧会はリハセンター内の

ホールおよび隣接の障害者スポーツ文化センター

(横浜ラポール)にて開催し、観覧自由としている。

(1)個別面接:『芸術まつり』プログラムの1ヵ

月前、一人あたり30分間実施する。本人の興味や

関心を明確化し、それに沿った「他者からの称賛」

や「自身への肯定的な評価」が与えられる構造を

つくる。出品者からはまず、作品の見どころを聞

き、本人が何を称賛されたいのかを評価する。そ

して本人が心理士からの肯定的な評価を受け、作

品への自己評価を高め、『芸術まつり』プログラム

に関心と意欲を持ち、出品に向けた動機づけを高

めることができるよう促す。

(2)展覧会:リハセンターおよび隣接の横浜ラ

ポールにて3日間展示する。作品には<個別面

接>で聞き取った見どころを‘解説文’として添

える。会場に小さなメッセージカードを用意し、

観覧者には、印象に残った作品の出品者に向けて

― 29 ―

キーワード:自閉症スペクトラム障害、学齢期から成人期、自己有能感、カウンセリング、芸術

autism spectrum disorders: ASD,adolescence,self-competence,couns eling,art

1)横浜市総合リハビリテーションセンター発達支援部 療育課

2)京都市発達障害者支援センター

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― 30 ―

メッセージを書いてもらう。

(3)出品者の集い:展覧会の1ヵ月後、出品者が

一堂に会する場を設ける。展覧会当日の様子や

個々の作品のスライドショーを鑑賞、一人ずつ自

己紹介と参加の感想を発表する。各々にメッセー

ジ集が授与され、自身への肯定的な評価が視覚的

に示される。

図1 『芸術まつり』プログラムの基本セット

本研究では、『芸術まつり』プログラムで行う<

個別面接>の効果について検討を行う。方法とし

て、<出品者の集い>の場で満足度アンケート(図

2)を実施した。

図2 満足度アンケート

アンケートでは、 「芸術まつりに作品を出品して

どうでしたか。あてはまるものに○をつけてくださ

い(〇はいくつでもつけていいです) 」 と質問した 。

選択肢は、「作品を見てもらえたので、出品してよ

かった」 「お客さんからメッセージがもらえたので、

出品してよかった」 「創作活動に自信をもてたので、

出品してよかった」 「自分にプラスになることは何

もなかった」 「作品を出品せずに、展覧会を見に行

くだけのほうがいい」 「作品を出品するのも展覧会

に見に行くのも、もういやだ」 「その他」とした。

X年度の『芸術まつり』プログラムの出品者は33

名であり、うち14名に<個別面接>を実施した

(面接実施群) 。残り19名は、出品者の都合(学校

や仕事を休めない等)により、<個別面接>を実施

しなかった(未実施群) 。

<出品者の集い>に参加し、自力でアンケートに

記入したのは、面接実施群14名、未実施群13名で

あった。これら27名(全員がASDと診断)を、今

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回の検討の対象とした。対象者の年齢と性別は、小

学生10名(男8:女2) 、 中学生6名 (男4:女2) 、

高校生5名(男3:女2) 、社会人6名(男5:女

1)であった。知的水準は正常域(IQ≧92)15名 、

境界域(70≦IQ<92)7名、軽度の知的障害

(50≦IQ<70)5名、中重度の知的障害(IQ<50)

0名であった(表1) 。出品者全体に対するアン

ケートの実施率は82%であった。

表1 検討の対象

アンケートの回収率は100%であった。この27

名のアンケートの各項目について、それぞれ丸をつ

けた割合を算出し、面接実施群と未実施群とを比較

を す る た め 、 フ ィ ッ シ ャ ー の 直 接 確 率 検 定

(Fisher's exact test)を行った(図3) 。

その結果、「創作活動に自信をもてたので、出品

してよかった」に丸をつけたのは、面接実施群では

14名中10名(71.4%) 、未実施群では13名中2名

(15.4%)であり、2つの群に有意差が認められた

(p<.01) 。

以下に出品者のエピソードを2例示す。1例目は、

軽度知的障害の中学生である。絵を描くことが趣味

だが、人に見せることはなかった。主治医に勧めら

れ、家族が出品を希望した。<個別面接>で本人は、

「これは“ただの絵”だから」と言い、出品への意

欲はなかった。心理士が作品についてやりとりし、

具体的なポイントを挙げながら、よく描けていると

評価すると、嬉しそうな表情を見せた。出品後は、

描いた絵を家族に見せることや、年賀状に絵を描く

ことを、積極的に行うようになった。

2例目は、知的な遅れのない大学生である。引き

こもりがちで、レゴ作りが唯一の趣味であった。リ

ハセンター通院時に廊下の募集ポスターを見て、自

分から問い合わせをしてきた。<個別面接>で本人

は、「戦隊ものが好きだが、人からキモイと言われ

るのでは」と気にし、出品を迷っていた。心理士よ

り「興味の持ち方は人それぞれである。この作品を

気にいってくれる人もいる」と励まされ、出品を決

めた。実際、観覧者の数名から好意的なメッセージ

が寄せられ、以後は毎年出品している。

― 31 ―

図3 面接実施群と未実施群での満足度アンケート内容の比較

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― 32 ―

<個別面接>を実施した群と実施しなかった群で

アンケート内容を比較した結果、自己有能感にかん

する項目のみに有意な差がみられた。これによ

り、<個別面接>が、ASDの本人に対して自分自

身を肯定的に捉える契機づくりの場として機能して

いたと考えられる。

この結果から得られる知見は、以下の2点である。

1点目は、ASDの人たちの自己有能感を高めるた

めの、イベントや行事のあり方の工夫である。

ASDの人たちは、情報統合やセルフモニタリング

に特有の困難をもつため、単にイベントや行事への

参加を促すだけでは、自己有能感の促進につながり

にくいかもしれない。通常は自然と汲み取ることが

できる「他者からの称賛」や、これに基づく「自身

への肯定的な評価」をも言語化・視覚化して明示し、

わかりやすく伝え直すという個別的な働きかけを、

イベントや行事とセットで行うことの重要性を、改

めて強調しておきたい 3) 。

2点目は、ASDの人たちに対するカウンセリン

グ技法のあり方そのものの工夫である。能力の高い

ASDの人たちの中には、自己という抽象的なテー

マにかんする言語でのやりとりが成立する場合も多

い。しかし、これらのテーマでやりとりを重ねても、

現実的な自己認識や問題解決の促進にはつながりに

くいことを、われわれは日々の臨床実践を通じて実

感している。本研究での<個別面接>においては、

具体的な事物を用いて、 「自分の作品には、どのよ

うな価値があるか」 「自分の作品は、他者からどの

ように評価されるか」をテーマとしたやりとりを

行った。やりとりの進行は、TEACCHプログラム

で用いられる構造化の手法を活用して、シンプルで

わかりやすくし、必要に応じて視覚的な情報も用い

た4) 。ASDの人たちにとっては、具体的で構造化さ

れたやりとりの方が、本人の内面に働きかけやすい

のではないだろうか。今後も臨床実践や事例報告を

重ね、この仮説の検証につとめたい。

〔第23回日本発達心理学会第23回大会

(2012年3月9日~11日、 名古屋市) にて発表〕

1)Grandin, T.:THE WAY I SEE IT - A

Personal Look at Autism & Asperger’s.

Future Horizons, Texas, 2008.(中尾ゆかり

訳:自閉症感覚―かくれた能力を引き出す方法.

日本放送出版協会,2010)

2)本田秀夫:発達障害外来―学際的チーム・アプ

ローチによるコミュニティケアの拠点として―.

精神科治療学23(9):1051-1057,2008

3)日戸由刈:アスペルガー症候群の人たちへの余

暇活動支援―社会参加に向けた基盤づくりとし

て―.精神科治療学24(10):1269-1275,

2009

4)日戸由刈、平野亜紀、長嶺麻香、武部正明、三

隅輝見子、清水康夫:中学生・高校生になって

発達精神科を受診した自閉症スペクトラム障害

の人たちに対する心理士からの支援のあり方―

本人に主体的に相談を促すオリエンテーション

技術の開発―.横浜市リハビリテーション事業

団研究紀要22,2013(本号掲載)