剣の求婚 - アルファポリス€¦ · む武器屋もそのうちの一つで、大通りに面した場所に建てられていました。残念な がら端の端にあるので、あんまりいい立地ではありませんが。

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剣つるぎの求婚

次一章 剣つ

るぎ

の求婚

二章 王女様と竜

63

三章 流

りゅう

星せい

雨う

の降る夜

204

四章 斯か

くて求婚者は婚約者へ

261

7 剣の求婚

  

一章 

剣つるぎ

の求婚

大陸中央部の小国家イシュヴァーン。長きにわたり魔王の軍勢に蹂

じゅうりん躙

されてきたこの国に、三年

前、一人の勇者が誕生しました。

誰も名前を知らない、孤高の勇者様。

国王陛下に魔族討伐を命じられた彼を支えるため、魔法使いや僧侶や戦士など、多くの強つ

者もの

が同

道しようとしました。けれど、勇者様は頑が

として首を縦に振らず、結局一人きりで魔王の軍勢と戦

い、そして勝利を収めたのです。

魔王の消滅と同時に魔族は姿を消し、混乱の極みに達していた世界には平和が戻りました。

闇に怯お

える日々が終わり、人々は歓喜して、それはそれは盛大なパーティーを催

もよお

しました。

幾夜にもわたる華やかなパーティー。勇者様を讃た

える歌が響き渡ります。

けれど、そこに勇者様は現れませんでした。魔王が消滅して以降、彼の消息は誰にも掴つ

めません。

王様は彼を探すべく、街のあちこちに似顔絵を貼って情報を求めます。この平和をもたらした救

世主に、どうしても御礼を言いたかったのでしょう。

それでも勇者様は現れません。

9 8剣の求婚

私の家族が営

いとな

む武器屋もそのうちの一つで、大通りに面した場所に建てられていました。残念な

がら端の端にあるので、あんまりいい立地ではありませんが。

早朝とはいえ、すでに日が昇り始めていることもあり、大通りにはたくさんの人が行き来してい

ます。もう開いているお店もあるようで、商人さんの元気な声が響いていました。

こんな風に活気づいたのも、ごく最近の話でした。今までは完全に日が昇ってからでないと、誰

も外を歩けなかったのです。早朝や夕暮れ時は、ひっそりと静まり返っていました。

「ん? 

何だか、やけに騒がしいですね」

窓から身を乗り出してみると、遠くに黒い点がたくさん見えます。歓声も聞こえてくるので、あ

れは人なのでしょう。

波のように緩やかに押し寄せてくる黒い点は、次第に人の姿になり、この大通りに向かってきま

す。しかも、こちらに近づくにつれて少しずつ数を増していました。

お祭りでもあるのでしょうか? 

そんな話は聞いていないのですが。

不思議に思ったものの、私には関係のない話です。ですから、そのまま考えるのをやめてしまい

ました。

今日は父が刃物の修

しゅうぜん繕

をすると言っていたので、その手伝いをしなければならないのです。お祭

りになんて参加していられません。ちょっと楽しそうですけど、誰にも誘われていないんですから

行っても寂しいだけでしょう。

……お友達はそれなりにいるはずなのに、誰からも誘われないというのは、なかなか心が痛いも

だからみんな、勇者様は魔王と戦った時の傷が原因で亡くなったのだろうと、諦

あきら

めていました。

もちろん、私――フェイシア・イールスもその一人です。

「勇者様……。平和になった世界を見ないまま逝い

ってしまわれるなんて」

窓を開けたまま溜息をつくと、湯気のように白い息が立ちのぼっていきます。季節は初冬となり、

最近はめっきり冷え込んできました。

窓の外に手を出してみると、北風が指先を痛いほど冷やしていきます。

「こんな寒さの中も、勇者様は一人で旅をしていたんですね」

もちろん、問題は寒さだけではなかったのでしょう。魔王討伐のために旅をした三年間は、彼に

とって気の休まらない日々だったに違いありません。世界中の人々からの期待を一身に集めていた

上、魔族が攻撃の手を緩ゆ

める日などなかったでしょうから。

それなのに、ようやく重荷を降ろせたかと思えば、彼は尊

とうと

い命を失ってしまったのです。私は勇

者様にお会いしたことはありませんが、それでも他の人達と同じように彼を悼い

む気持ちでいっぱい

でした。

窓枠に腕をかけて街を見下ろすと、馬車が通り過ぎていきました。石畳を踏みしめる蹄て

鉄てつ

の音が

高らかに鳴り響いています。最近まで馬達も魔族に怯お

えて厩

きゅうしゃ舎

から出られなかったのに、それを感

じさせない堂々たる足取りです。

思わず顔を綻

ほころ

ばせる私の眼下には、王都に続く大通りが伸びていました。その両脇には宿屋や雑

貨屋、八百屋などのお店が立ち並んでいます。

11 10剣の求婚

「何なんですか、一体」

こっちは今、それどころじゃありません。魔剣イブリース……もとい勇者様への弔ち

ょうい意

で胸がいっ

ぱいだというのに。

そう思っていたら、階段を踏み抜きそうな足音を立てて誰かが二階に上がってきました。

反射的に後あ

退ずさ

ると、目の前で勢いよくドアが開かれました。あまりの勢いに、私の前髪が揺れます。

「フェイシア、起きてるかい!?」

あ、危ない! 

後ろに下がっていなかったら、ドアが頭に激突していました。

私は冷や汗をかきながらも、ドアの向こうにいる母に苦い顔をしてみせます。

「起きてますけど、いきなりドアを開けたら危ないじゃないですか。避よ

けられたからいいものの、

もし避けていなかったら、私の頭は熟う

れたリコの実みたいに、ぐっちゃぐちゃに――」

「そんなことはいいから、さっさと下に降りな!」

よほど焦っているのか、母は信じられないほどの力で私の腕を掴つ

み、ぐいぐいと引っ張りました。

「ちょ、ちょっと何なんですか、母さん!」

「それはこっちが訊き

きたいよ! 

ほら、あれを見てみな!」

一階まで強引に連れていかれた私は、母に両肩を掴まれて、武器屋の店内の方を向かされました。

「……本当に何なんですか、これ」

思わずそうこぼしてしまいます。

だってだって、明らかにおかしいんですよ。

のですね。

でも、湿っぽいことばかり考えていられません。そろそろ一階に降りて準備をしないと。

よしっと声を出し、窓から離れてドアに向かいます。その途中で、ふと足を止めました。

「そういえば、勇者様の魔剣はどうなったんでしょう」

勇者様は国王陛下に召喚された際、一振りの魔剣を携

たずさ

えていたそうです。

魔剣の名はイブリース。それまで誰にも存在を知られていなかったその剣は、今や伝説の武器と

して知れ渡っています。武器業界で働く人々はもちろんのこと、子ども達の憧れの的にもなってい

ました。

私は子どもと言うには少し大きくなりすぎましたが、それでも武器屋の娘として、魔剣イブリー

スへの興味は人並み以上にあるつもりです。

「うーん、せめて魔剣だけでも一目見てみたいものですが……」

残念ながら魔剣が発見されたという噂

うわさ

は聞こえてきませんでした。

いい武器は使い手を選ぶとされています。伝説級の武器ともなれば猶な

更さら

でしょう。勇者様という

使い手を失った魔剣は、新たな使い手が現れるまで、どこかで深い眠りについているのかもしれま

せん。

大きく溜息をつき、がっくりと肩を落としました。ドアに向かう足取りも重くなっています。そ

れくらいショックが大きかったのです。

ドアノブに触れたところで、大通りから聞こえる歓声が、ひときわ大きくなりました。

13 12剣の求婚

その大きな貼り紙には、ある人の似顔絵が描かれていました。『この人物を見つけたら至急王城

へ!』などという、何も知らない人が見たら重罪人かと思うような言葉が添えられています。

店内へ戻った私は、貼り紙をまじまじと見てから、目の前の男性を見ます。何度も何度も見比べ

た後、ようやく口を開きました。

「勇者、様……?」

私が震える声で尋ねると、彼は柔らかく微笑みました。

もう一度貼り紙を見れば、そこには彼そっくりの似顔絵が描かれています。

彼は、イシュヴァーン王家が血ち

まなこ眼

になって探している勇者様、その人だったのです。

でも、どうして? 

私は勇者様の生存は絶望的だと聞かされ、すっかり諦

あきら

めていたのです。ええ、今この瞬間まで。

それなのに何で彼が目の前に立ち、しかも私の名前を知っているのでしょうか。

ますます怖くなった私は、勇者様の問いに「違います」と答えたかったのですが、それが許され

る雰囲気でもありません。勇者様を取り囲む、街の人達の視線が突き刺さります。

思わず後あ

退ずさ

る私の肩を、顔面蒼白の両親が大きく揺さぶりました。二人も目の前の男性が勇者様

だと気付いたようです。

「お、おいフェイシア! 

どうして勇者様がお前を訪ねてくるんだ?」

「もしかして、何か粗そ

相そう

でもしたんじゃないだろうね!」

「わ、わかりません。でも勇者様にお会いしたのは初めてのはず。粗相のしようがありませんよ!」

木造の店内に所狭しと飾られた剣。これは見慣れた光景だからいいんです。むしろ安らぎさえ覚

えます。けれどこの、店内にみっちりと詰まった人々は何なんでしょうか。

よく見れば、彼等はみんなご近所さんで、見知らぬ男性を半円状に取り囲んでいます。そして一

階に降りてきた私を好奇心に満ちた瞳で見つめていました。

まるで、これから起きる何かに胸を躍お

らせているようでもあります。

母と一緒になって怯お

えていると、奥で仕事の準備をしていた父まで現れて、「何だこれは!」と

声を上げました。

私は母と手を取り合いながら、『人々に取り囲まれている誰か』をちらりと見てみました。すると、

向こうも私を見て口を開きます。

「貴方がフェイシア・イールス殿か」

その口調は硬く、どことなく疲れているようでもありました。

それも仕方のない話でしょう。これだけたくさんの人に囲まれながら歩いてきたとすれば、精神

的に疲ひ

弊へい

していても無理はありません。

目の前に立ち、じっとこちらを窺

うかが

うその人は、背の高い男性でした。

明るい亜あ

麻ま

色いろ

の髪に、スプリンググリーンの瞳。どこかで見たことのある、優しげな顔立ち。深

緑色のマントがとても似合っています。

私は質問に答えないまま、彼の横を通り過ぎました。人垣をかき分けて外に出ると、一ひ

月つき

前から

武器屋の外壁に貼られていた紙をベリッと剥は

がします。

15 14剣の求婚

私はただの武器屋の娘で、元は両親を魔族に殺された孤児でした。誇れるものといえば武器の種

類に詳しいことくらいです。

そんな私が、どうして勇者様に頭なんて下げられているのか、全く理解できません。住んでいた

街を魔族に襲撃された時よりも混乱していました。

「フェイシア殿」

私の顔を見上げて、勇者様ははっきりと言いました。そして手袋を外し、私の手を取ります。

「この私の、一世一代の頼みを聞いてもらえないだろうか」

「たの、み?」

そんなものは両親にしてください。勇者様なら店中の武器をタダにしてもらえるでしょう。ええ、

きっとそうなります。私がそうさせます。

ですから、さっさと解放していただけませんか。ちゃっかり手を取られて動けないんですが。動

きたいんですが、私。

彼に素手で触れられて、私は思わず身を固くします。そんな私を、勇者様はまっすぐ見つめ続け

ていました。心の中を見透かされてしまうのではないかと怖くなるような目で。

……そういえば、勇者様は魔力が強いと聞きました。

この目に魔力を込められたら、私は魅み

入い

られてしまうのではないでしょうか。

私の手を取る彼の指先に、軽く力が込められました。

「フェイシア殿」

「じゃあ一体何なのさ!?」

「知りませんってば!」

私達が言い合いをしている間も、勇者様はじっとこちらを見ていました。

混乱するのももっともだと、納得している風にも見えます。納得するぐらいなら最初から混乱を

招かないでくださいよ! 

……これも言える雰囲気ではありませんが。

とにかく、このままでは埒ら

が明きません。

私は意を決し、お腹にぐっと力を込めて一歩前に踏み出します。

「あのー……勇者様? 

私と勇者様は初対面ですよね?」

「ああ。私も旅に出るまでは、貴方の名前すら知らなかった」

「では、一体どうしてここに?」

わからないことは訊き

くしかないのです。訊かなければ、誰も教えてくれないのですから。

私の質問を受けた勇者様は、しばらく黙っていました。一体どう答えたらいいものかと思案して

いるご様子。

ギャラリーがじっと息を詰めて見守っています。私もその一人で、質問の答えを今や遅しと待ち

続けました。

すると勇者様が、あろうことか床に片膝をついて私に頭を下げたのです。

「ゆ、勇者様!? 

頭を上げてください!」

ありえない。こんなことはありえません。

17 16剣の求婚

少し考えて、すぐに嫌だと思いました。

私は普通が好きなのです。平凡ながら優しい旦那様と結婚して、慎ましやかに暮らしたいのです。

年頃の娘が抱くにはあまりに地味な夢かもしれませんが、私は何よりも穏やかな生活を望んでい

ました。

もし勇者様と結婚したら、一生面倒なことに巻き込まれそうじゃありませんか。常に人目にさら

され、危険な目にだって遭うかもしれません。自己防衛の意味でも、彼とは結婚したくありません

でした。

「ゆ、勇者様とは結婚できません!」

「私とは?」

恐ろしさに震える私の言葉を聞いて、勇者様が不思議そうに首を傾げます。そして、何かを思い

ついたように言いました。

「ああ、いや。そうじゃない」

「え?」

意味がわからず、私はきょとんとしてしまいます。

勇者様は立ち上がって逡

しゅんじゅん

巡した後、首を横に振りました。

「結婚は、私としてほしいわけじゃない」

「では、どなたと?」

ギャラリーを除けば、ここには勇者様しかいません。そもそも彼に仲間はいないはずです。

もう一度私の名前を呼んだ唇が、そのまま言葉を紡つ

ぎます。

「結婚してほしい」

……結婚?

ちょっと待ってください。何かの間違いですよね?

「結婚ですか?」

「そうだ」

「何ででしょう」

「貴方しかいないんだ。いいだろう?」

「よ、よくありません!」

何ですか、その強引な言い草は。爽さ

やかな顔して、随分なことを言うじゃありませんか。

内心でツッコミを入れる私の肩を、両親がバシバシ叩いてきます。

「よくやった! 

フェイシア、あんたは果か

報ほう

者もの

だよ!」

「まさか、こんな上物を捕まえるとはな……嫁にやらんとは言えんじゃないか」

ちょっと父さん、泣くのが早すぎじゃありませんか!?

周囲の人々はどよめき、涙する人もいれば、満面の笑みで手を振ってくる人もいます。

でも私には、今の状況がどうにも信じられませんでした。

「私と勇者様が、結婚……?」

魔王の軍勢をたった一人で倒した人と結婚?

19 18剣の求婚

「ちょっとあんた、みっともないからよしなよ!」

武器一筋の父は私以上に興奮しているらしく、魔剣を食い入るように見つめています。母も口で

はみっともないと言いつつ、顔がにやけていました。

何を隠そう、我が家は揃いも揃って武器が大好きなのです。レアな魔剣が見られるのなら恥も外が

聞ぶん

も捨てられます。

ああ、それにしても、何て綺麗な剣でしょう。

実用性一い

辺ぺん

倒とう

の造りであるにもかかわらず、漆黒の鞘からは色気すら漏れ出ているかのようです。

ついさっき結婚してほしいと言われたことなどすっかり忘れ、私は魔剣に見入っていました。

ずっと見たかった魔剣を前に、鼓動は高鳴りっぱなしです。まるで恋をしてしまったかのようで

もありました。それほどまでに魔剣は美しかったのです。

今すぐギャラリーを追い払い、勇者様に頼んで鞘から抜いてもらいたいところです。製作者はお

ろか材質も公表されていませんから、この機会に父さんに調べてもらうのもいいかもしれません。

好きな人のすべてを知りたいという恋する乙女の気持ちが、今ならわかるような気がします。私

も目の前にある魔剣のすべてを暴あ

きたい気持ちでいっぱいでした。

ですが、そんな私の恋にも似た気持ちは、すぐに終わりを迎えることになったのです。

「嗚あ

呼あ

!」

突然響き渡った声に、私はびくりと身を竦す

ませました。

「……今の声はどこから?」

何やら不穏な空気を感じながらも、もはや逃げることはできないと腹をくくった私は、黙って彼

の言葉を待ちます。すると、勇者様はどことなくほっとした様子で、自分の背中を指差しました。

「私が今日ここに来たのは、貴方に彼と結婚してもらうためだ」

「彼? 

と、言われましても……」

勇者様が指差す先にあるのは、太めの革ベルトで固定された剣でした。

「――剣?」

ええ、剣です。どこからどう見ても。

勇者様の背中には、真っ黒な鞘さ

に収められた大剣が一振り。その由緒を示すような紋章も、華美

な装飾もありません。至って質素な漆し

黒こく

の剣でした。

こ、これはもしや噂

うわさ

の……

その剣に釘づけとなったまま、私はごくりと唾を呑み込みました。

「勇者様が持っていらっしゃるってことは、これが魔剣イブリース?」

勇者様が魔王を討伐した時に振るったと言われる超名剣。まさにレア中のレアです。私が見たく

て見たくてたまらず、『勇者様は最悪お亡くなりになっててもいいから、魔剣だけは無事でいて!』

などとうっかり願ってしまったほどの代物です。

それをこんな間近で見ることになるなんて。私は高鳴る胸に手を当てます。

そんな私の体を押しのけ、父がずいと前に出ました。

「うお、すげぇ! 

初めて見た!」

20

周囲を見回してみたものの、店内を埋め尽くしているのはご近所さんばかり。みんな顔見知りで

すから、彼等の声じゃないことはすぐにわかりました。

ざわめく店内に、勇者様が溜息を一つこぼします。それから肩にかけたベルトを外し、剣をこち

らに差し出しました。

その瞬間、再びあの声が響き渡ります。

「私だ、フェイシア」

とても低く、しかし澄んでいる美しい声。光すら反射しない漆し

黒こく

の鞘さ

が、わずかに震えたように

見えました。

「……嗚あ

呼あ

、こうしてお前と向かい合って話ができる日が来ようとは」

「ま、魔剣が喋し

ゃべ

ってる!?」

驚きょうがく

愕する私達をよそに、魔剣は感極まったように喋り出します。

「フェイシア、ようやくお前に会えた! 

この時をどれだけ待ちわびたことか」

「は、はぁ……?」

私に魔剣の知り合いはいないはずですが。

「待ちわびたも何も、私達って初対面ですよね? 

なのに、どうして私の名前を知って……」

いえ、それよりも、どうして私は勇者様から魔剣との結婚を勧められているんですか?

大事なことを思い出し、あまりのことに目を丸くする私を無視して、魔剣はなおも語ります。

「お前に会うためにこんな男に力を貸し、世の中を平和にしたんだ。さあ、もっと傍そ

に寄ってくれ、

23 22剣の求婚

フェイシア」

「いや、ちょっと話が飛躍しすぎていて、わけがわからないんですけど」

というか、本当に初対面……なんですよね?

名前も住所も知られていると思うと急に不安になってきたので、できる限り記憶を遡

さかのぼ

ってみます。

ですが、やっぱり魔剣と出会ったことなどありません。家が武器屋ですから、普通の武器との出会

いならそれなりにあったのですが。

私がうーんと唸う

っている間にも、魔剣は「お前に会うために苦労したんだぞ」とか何とか言って

います。しまいにはさめざめと泣き始めましたが、そんなことされても困ります。

まず第一に――

「貴方、涙なんて出ないでしょう。なに勇者様に頼んで水滴を垂らしてもらおうとしてるんですか」

「本当に長かった。三年だぞ? 

三年もお前に会えなかったなんて」

「無視ですか!」

勇者様の方も、なぜハンカチを貸してあげてるんですか。なぜ「水ありますか」って訊き

いてくる

んですか。

ドン引きする私を盾にして、両親がすっと後ろに下がっていきます。よく見れば、周囲のギャラ

リーまでもがゆっくりと後退していました。しかし、魔剣は空気を読まずに話を続けます。

「嗚あ

呼あ

!」

感極まった魔剣の声が、またしても響き渡ります。

「フェイシア、私の可愛い人。今すぐお前を貫

つらぬ

いてしまいたい、性的な意味で!」

その台せ

りふ詞

を聞いた私は、カウンターの奥に隠れてしまった父に向かって叫びました。

「父さーん! 

ハンマー持ってきてください! 

オリハルコン製のかったいやつ!」

すると、魔剣が笑いながら言います。

「はは、硬いものならちゃんとここにあるのに、シャイだなあ」

「何の話ですか!」

魔剣はないはずの両腕を広げ――私にはそう見えました――歌うように言葉を紡つ

ぎました。

「さあ、こちらに来い。私がお前のすべてを受け止めよう。大丈夫、痛いのも怖いのも最初だけだ」

「行きません!」

大声で拒否した私は、ぜいぜいと息を吐きながら脱力しました。

魔剣の発言がことごとくひどすぎて、ツッコミが追いつきません。

「私の苦労がわかっていただけただろうか、フェイシア殿」

勇者様が遠い目をして言いました。

この魔剣と三年にもわたって旅をする――確かに想像を絶する苦労でしょうが……

ぐっと握りしめた拳

こぶし

を彼に叩きつけたいのを我慢しながら、私は肩を震わせます。

「ええ、よぉくわかりました。でも知りたくなんてありませんでしたよ、こんなの……っ!」

魔剣が喋し

ゃべ

ったことも驚きですが、ずっと憧れていた魔剣の性格がこれほどひどいだなんて。もし

これが夢なら今すぐ覚めてほしいぐらいです。

25 24剣の求婚

しかし勇者様は私に謝るどころか、とんでもないことを言い出しました。

「悪いが耐えてくれ。一応、こいつのおかげで世界が救われたんだ。俺は実質ただのオマケだから、

こいつに文句は言えない」

……勇者様、それはぶっちゃけすぎではありませんか。王様が聞いたら卒倒しますよ。

硬い口調をやめて素す

で話し始めた勇者様を、私はきつく睨に

みました。ですが、彼の言うとおり、

この魔剣は確かに世界を救ったのです。

私には魔力を感じ取ることなどできませんが、それでも魔剣が宿す力の大きさはひしひしと伝

わってきます。今まで見たどんな武器よりも強大な力を持っていると、一目見てわかりました。

葛かっ

藤とう

する私をうっとりと見つめながら、魔剣は溜息をつきました。もちろん魔剣に目はついてい

ませんが、さっきから見られている気がしてならないのです。

第一、声がどこから出ているのかすらわからないので、その辺りのことは考えるだけ無駄な気が

してきました。

思わず眉を顰ひ

める私に、魔剣が吐息まじりに囁

ささや

きます。

「愛しているよ、フェイシア」

「やめてください」

「私と結婚してくれるだろう?」

「お断りです」

「恥ずかしがることはない。勇者が邪魔か? 

それなら退場させよう。ギャラリーも全員……ああ、

ご両親には同席してもらわなければな。これから私の義理の両親になるのだから」

「そういう問題じゃありません!」

何と言えばわかってもらえるのかと思案する私に、勇者様が慌てた様子で耳打ちします。

「あまりきついことを言ってやるな」

「今言わなくて、いつきついことを言うんです!」

むしろここで折れてしまったら、私の人生が滅め

茶ちゃ

苦く

茶ちゃ

になります。言うべきことはしっかり言っ

ておかなければ。

そう思って反論したのですが、勇者様は魔剣に聞こえないよう、更に耳打ちしてきました。

「魔王を退

しりぞ

けたのは魔剣だ。もし魔王が復活した時に魔剣がへそを曲げていたら、世界は今度こそ

滅びるぞ」

……魔王が復活?

「魔王は倒したんじゃないんですか?」

「倒した。だが魔王は不滅だ。しばらくは冥界にこもっているだろうがな」

「復活する予定は……」

「わからない。だが、いつか必ず復活するだろう。千年前にも一度倒されたのに、わざわざ復活し

てきたくらいだぞ」

――何てことでしょう。

私は目め

眩まい

を覚え、くらりと倒れそうになります。

27 26剣の求婚

まさか、いずれ魔王が復活するだなんて。

私達の話をこっそり盗み聞きしていたのでしょう。近くにいた人が青ざめ、唇を戦わ

なな慄

かせていま

した。周囲の人達がそれに気付き、あっという間に話が広まってしまいます。

「そんな! 

やっと平和になったと思っていたのに!」

「勇者様でさえ倒しきれなかっただなんて!」

すっかり怯お

えきった人々が、勇者様に縋す

りつこうとします。店内は蜂の巣をつついたような騒ぎ

となりました。

今にもパニックに陥

おちい

りそうな人々を一い

喝かつ

したのは、父でした。

「やかましい! 

人の店で騒ぐな!」

「父さん……」

さっきまでカウンター奥に隠れていた人とは思えない格好良さです。拍手でもしようかと思って

いると、母が隣にやってきて私の肩に手を置きました。

母も他の人達と同じく動揺を隠せないようでしたが、それでも気丈に問いかけます。

「勇者様。もし魔王が復活したら、その時はまた冥界とかいうところに戻せるんですか?」

「魔剣さえその気になれば。そして、その気にさせるためには彼女の力が必要です」

そこで勇者様は私に視線を定め、残酷な言葉を浴びせてきました。

「フェイシア・イールス殿。貴方には是が非でも魔剣の花嫁になっていただかなければなりません。

この世界に暮らす、すべての人々のために」

怖いほどまっすぐな瞳は、悲壮感さえ漂

ただよ

わせています。魔剣のやる気を引き出すためには私が必

要だと、彼は本気で思い込んでいるのです。

魔王が復活するというのは、恐らく間違いないのでしょう。他ならぬ勇者様が仰

おっしゃ

っているから

というのもありますが、それだけではありません。

実は千年前にも魔王が現れたことがあるのです。場所はこのイシュヴァーンではなく、隣国のエ

ルミナ共和国でした。

魔族に蹂

じゅうりん躙

された人々は村々から逃げ出し、行く当てもなく彷さ

まよ徨

うばかり。魔王が倒された後も、

国が落ち着きを取り戻すまでに長い年月を要したとか。

ちなみに千年前に魔王を倒したのは、勇者様と魔剣ではなく、エルミナの聖女と呼ばれた女性と

聖剣なのだそうです。

私はてっきり、その時の魔王と今回の魔王は別物だと思っていました。けれど勇者様の話を聞く

限り、同じ魔王だったようです。何てしぶといのでしょう。

いえ、それよりも問題なのは、目の前の魔剣です。

魔剣は魔王が復活するだなんて言いませんでしたし、自分がいなければ世界が滅びると脅お

すこと

もありませんでした。今もただプロポーズの返事を大人しく待っています。

けれど、脅された方が百倍マシというものです。

何も知らずに拒否して世界が滅びたら、私は一体誰に謝ればいいのでしょう。

いくつもの視線が私に集中し、言葉にはならない期待が肩にのしかかります。ただのギャラリー

29 28剣の求婚

として店内に入り込んだ人々は、今や私にとってプレッシャーの塊

かたまり

になっていました。誰もが勇

者様の言葉を信じ、私と魔剣を結婚させることが世界平和に繋がると決めつけています。

でも、私の気持ちはどうなるのでしょう? 

こんないきなり現れた人じ

外がい

から結婚を迫られている

私の悲哀は、どこにぶつければいいのです?

私は魔剣としばし見つめ合いました。

時折甘やかな吐息をこぼす魔剣は、性格も言動もひどいです。けれど、声はとてもいい。そこだ

けは認めることもやぶさかではありません。

いっそ目を閉じていれば、長い結婚生活を我慢できないことも――いえ、やっぱり駄目です。発

言がひどすぎて声じゃカバーしきれません。

でも、それならどうすればいいのでしょう。

はっきりと断ることはできず、かといって受け入れることもできず。

散々唸う

って考えた後、私は一つの答えを出しました。

期待に満ちた空気の中、私の答えを待つ魔剣を見下ろします。そして、最大限の努力をして笑顔

を作ってみせました。

「私、段階も踏まずにプロポーズされるのは好きじゃないんです。ですから今は0

0

お返事できません」

この場で結論が出せないなら、いいとも嫌とも言わなければいいのです。

人はこれを問題の先送りと言います。

口元をぴくぴく痙け

攣れん

させながらも、どうにか言い終えた私に、魔剣が明るい声で答えました。

「そうだな、確かにそうだ。フェイシアが段階を踏みたいと言うのなら、私もそれに応じよう。ま

ずは私のことを知ってもらわなければ」

「ええ、ですから貴方は今すぐ王都に行ってください。気が向いた時に私の方から会いに行きま

しょう」

きっとその方が幸せです。主に私と勇者様にとって。

しかし、魔剣は不思議そうに尋ねてきました。

「なぜここを出ていく必要がある?」

「え? 

なぜと言われましても、貴方魔剣ですし」

「剣なら武器屋に置いてあってもおかしくないだろう」

「それはそうですが、一応、超レア品ですよ。泥棒に狙われたらうちが困ります」

むしろ盗んでもらえた方がありがたいくらいですが、一応……本当に一応とはいえ、魔剣は世界

を救った武器。誰かに盗まれて悪用されたら大変です。

だから、ひとまず王都に行ってもらおうとしたのですが、魔剣はやはり首を縦には振りませんで

した。元々首なんてありませんけど。

私の言葉について考えているのか、しばらく間を空けた後、魔剣がしみじみと呟きました。

「そうか、私の心配をしてくれているんだな」

……どうしてそうなるのでしょう。

私は即座に否定しようとしましたが、その前に魔剣が言葉を続けました。私を安心させようと(そ

31 30剣の求婚

んな必要ないのに)、低い声で優しく語りかけてきます。

「だが、安心してくれフェイシア。ここには勇者も残る。奴がいれば盗ぬ

人びと

など簡単に追い払えるだ

ろう。――付き合え、勇者。貴様の願いを聞いて魔王を倒したのだから、それぐらいしろ」

「……はいはい」

いえ、ですから私の話を聞いてください。

勇者様もあっさり魔剣の言いなりになってますし……何なんですか、この状況。

勇者様は魔剣の柄つ

を握り、ややぞんざいな感じでカウンターに置きます。まるで武器を売りに来

た冒険者のようですが、もちろん魔剣を売る気などないのでしょう。預ける気は満々みたいですけど。

喋しゃべ

る魔剣と、その魔剣に付き従う勇者様。

世にも珍妙な光景に、ギャラリーは目を丸くしています。誰もが「おい、どうするんだこれ」と

いう顔でお互いに視線を交わした後、最終的に私の方を見ました。

私だって、そんな目をされても困ります。だから隣に立つ母に救いを求めました。

「母さん、どうしましょう」

「どうしましょうって言われてもね……。父さん、どうするつもりだいこれ」

カウンターの奥で魔剣から距離を取っている父に、母が尋ねました。

イールス家の家長として、「娘は嫁にやらん!」とはっきり言ってほしい……とまでは期待して

いませんが、せめて魔剣を上手く追い払う手立てを考えてほしいものです。

父は勇者様と魔剣を何度か見比べた後、小さく息を吐きました。

「……この寒いのに、勇者様を野宿させるわけにはいかんだろう」

「つまりは、泊まってもらおうと?」

私の言葉に、母がうんうんと頷きます。

「まあ、それしかないだろうね。伝説の魔剣様をじっくり拝める大チャンスでもあるわけだし」

「それが本音なんじゃないですか!」

二人とも、特に嫌がっている様子はありません。むしろ魔剣と一つ屋根の下で生活できることに

ワクワクしている風ですらありました。

みんな、当事者じゃないからってひどいものです。もちろん、私だって世界を救った勇者様に野

宿させるのは気が引けますけど。というか勇者様には泊まっていただいて、魔剣は外に放置すれば

いいのでは。あるいは――

「宿屋があるんですから、そちらに滞在してもらえばいいんじゃないですか? 

きっと民家より快

適ですよ。近くの宿屋に泊まってもらえれば、魔剣を見に行くこともできますし」

お金がないなら私の貯金箱から出すので、どうにか宿屋に行ってほしいものです。

私はそれとなく――もとい堂々と勇者様を追い出そうと提案したのですが、彼は爽さ

やかな笑顔で

背中の荷物を下ろしました。

「ご厚意に甘える形になり申し訳ありませんが、しばらくお世話になります」

……駄目です、この人。すっかり我が家に滞在する気になっています。

すぐにでも荷ほどきを始めてしまいそうな勇者様を止めることもできず、私はカウンターに置か

33 32剣の求婚

れた魔剣としばし見つめ合っていました。何で見つめ合っているような気分になるのかは、多分永

遠に解明されない謎ですけど。

イールス家に滞在することが確定したからか、魔剣は言葉にはしないものの、満足げな空気を漂

ただよ

わせています。

嫌な予感しかしない私は、勇者様におずおずと尋ねました。

「あの、勇者様。王都に行かなくていいんですか……?」

勇者様だって、街中に貼られたご自分の似顔絵を見たはずです。魔王が倒されてから一ひ

月つき

経った

今も、王様は勇者様を探しているというのに、それを無視していいのでしょうか。

暗に王都に行った方がいいと提案したのですが、勇者様はそんな私の気持ちを知った上で、思い

きりスルーしました。肩を覆お

っていたマントを脱ぎながら、またしても爽やかな笑みを浮かべます。

「必要ありませんよ。魔王が倒された今、私は用済みですから」

その声だけは、ひどく冷え冷えとしていました。

そうは言っても、いつ復活するかわからないんですよね? 

魔王。

口にできなかったツッコミは、当然勇者様の耳に届くわけもなく。彼は沈黙する私をよそに、笑

顔のままギャラリーに言いました。

「そういうわけですので、私は王都には戻りません。私と魔剣が平穏に暮らせるよう、どうか王都

へは連絡しないでいただけますか?」

やたら威圧感のある笑顔に、怯お

える男性陣。

一方、女性陣は目をハートにしていました。

「はい!」

「もちろんです!」

「世界を救ってくださった勇者様のお願いなんですもの。何でも聞いて差し上げますわ!」

恐怖よりも勇者様から話しかけられたという喜びの方が大きかったらしく、女性達は先ほどの恐

慌状態からすっかり立ち直っていました。

彼女達の黄色い声をBGMにして、少しずつ事態が収束していきます。

父はさっさとギャラリーを追い出しにかかり、母は勇者様のお部屋を用意するために二階へ上

がっていきました。

その直前、私の肩を軽く叩いてこう言ったのです。

「まあプロポーズのことは置いといて。魔剣を愛め

でる最大にして最高のチャンスだと思いな」

何て憎たらしい言葉なのでしょう。

そんなことを言われたら、一気にその気になってしまうじゃないですか。

母の言うとおり、これはチャンスだと思うことにしましょう。そう、魔剣からの求婚はこの際、

遥はる

か彼方へ放り投げてしまうのです。

伝説の魔剣を間近で見られる機会なんて、そうありません。それに、ずっと見たいと思っていた

魔剣が自らやってきてくれるとは、実にありがたい話じゃないですか。

そう自分に言い聞かせている間に、みんないなくなっていました。残されたのは私と勇者様、そ

35 34剣の求婚

して魔剣だけです。

勇者様は先ほどと同じく爽さ

やかに微笑みかけてきました。

「貴方がイブリースの求婚を受け入れるまでの間、どうか仲良くしてほしい」

それに対して、私は肩を怒い

らせます。

「勇者様と仲良くするのは構いませんが、こんな面倒なことに一般人を巻き込まないでください」

「おや、つれない態度だな」

「こんな面倒を運んでこられたら、普通は怒るんです!」

貴方への弔ち

ょうい意

で胸をいっぱいにしていた過去の私に謝ってください。

勇者様はカウンターに近づき、その上でテキパキと荷物の整理を始めます。私の怒りなんてまる

で無視です。何なんですか、この図々しさ。

こめかみに青筋が立ちそうな勢いで腹が立ってきたので、勇者様の服の袖を引っ張って、こちら

を向かせようとします。しかし、袖を掴つ

む前に魔剣の声が聞こえてきて、私は固まってしまいました。

「私を見て驚いた時の顔も大層愛らしかったが、そうして怒りに眉を顰ひ

めている顔も、実に可愛い

な。決して嫌われたくはないが、その表情を見られるのなら、私もお前を怒らせたい……」

「そもそも貴方が私を怒らせなかったことなんてありませんから!」

久しぶりに口を開いたかと思えば気色悪いことを言う魔剣に、私はつい毒を吐いてしまいました。

魔剣が喋

しゃべ

り出す前まではうっとりと眺めていられたのに、喋り始めてからはそんな気はまったく

起こらなくなりました。勝手に恋をして勝手に失恋したようなもの。つまりは最悪の気分です。

両親は今日に限って、仕事を手伝えと言ってくることはありませんでした。勇者様と魔剣に遠慮

しているというよりも、単に関わり合いになりたくないだけでしょう。

私も同じ気持ちですが、残念なことにもう逃げられませんでした。こちらがいくら黙っていても、

魔剣が勝手に喋り始めてしまうからです。

「嗚あ

呼あ

、今日も

0

0

0

素敵だフェイシア……。私はこんなにも身み

悶もだ

えているのに、お前はなぜ体を許して

くれないんだ」

「結婚してないからです」

「では今すぐ結婚しよう」

「さっきの私の言葉を忘れましたか? 

いきなり結婚するのは嫌です」

いきなりも何も、どれだけ時間がかかっても嫌なのですが、そこは世界の命運が絡んでくるので

黙っておきます。

「しかし、その肌に触れられないのは残念だ。透けるように白い肌は、触れればさぞ滑な

らかなのだ

ろうな。赤みがかった頬も、うなじも、そして特に胸が――」

「婚姻前の娘に卑ひ

猥わい

なことを言う剣は嫌いです」

いつまでも続きそうだった卑猥な台せ

りふ詞

は、それきりぴたりと止や

みました。あんなにお喋

しゃべ

りだった

魔剣が、完全に口を閉ざしてくれたのです。もしかして、最初からこう言っておけばよかったんじゃ

ないでしょうか。

私に嫌われないようにと沈黙する魔剣に、そっと視線を落とします。

37 36剣の求婚

喋しゃべり

さえしなければ本当に素敵な剣なのに。私は残念な気持ちになり、はあっと溜息をつきました。

「もし貴方に口があったら、無理やり鉄を注ぎ込んであげるんですが」

思わずこぼした言葉に、勇者様が言いすぎだとばかりに眉根を寄せました。けれど、その心配は

無用だったようです。

「注ぐ? 

口移しならいくらでも歓迎するぞ。もっとも注ぐのならば、私の方がしてやりたいとこ

ろだが」

「私の方がって、何を注ぐつもりですか。鉄なんて私は無理ですよ」

魔剣に鉄を注いだところで性能が落ちるだけでしょうが、人間は熱い鉄に耐えられないのです。

だから怪け

訝げん

に思って尋ねると、魔剣が「それはそうだ」とあっさり認めました。

「人間に鉄を注いだら死ぬだろう。それに、お前に注ぐものなど一つしかない。ほら、あの――」

――ゴンッ!

もちろん黙らせました。今度は言葉でなく、拳

こぶし

で。

と言っても、カウンターを殴りつけただけですけどね。

思いきり振りかぶった拳をカウンターに叩きつけたせいで、手がじんじんと痛みます。気付けば

体が勝手に動いていて、抑えがきかなかったのです。

赤く腫は

れた手にフーフーと息を吹きかけていたら、ふと一つの疑問が頭を過よ

りました。

「さっき、今日も素敵だって言ってましたね。私と貴方は初対面のはずですけど」

そう、それがずっと疑問だったのです。私には一切覚えがないのに、魔剣は私のことを前から知っ

ているようでした。

魔剣は私の問いに、何を言っているんだとばかりに返します。

「出会う前に愛せはしない。そうだろう?」

「微妙に答えになってませんけど‥…。どこかで会ったことありましたっけ」

少なくとも私には、伝説の魔剣に出会ったという記憶はありません。両親も何も言わなかったの

で、多分知らないのでしょう。

私達のやり取りを聞いていた勇者様が、荷物整理の手を止めて魔剣を見下ろします。物言いたげ

な様子から察するに、恐らく何か知っていらっしゃるのでしょう。

ですが、そんな勇者様を制するように魔剣は告げます。

「覚えていなければそれでもいい。私がお前を愛しているということは、こんなにも明白なのだから」

こんなにもとか明白だとか言われても困ります。

魔剣は私が何も覚えていないことを、責めたり嘆いたりする素振りは一切見せませんでした。求

婚の返事を保留にされても気にしていないようですから、根がポジティブすぎるのでしょう。

呆れるべきか尊敬するべきかと困惑する私に、魔剣がこんなことを言ってきました。

「覚えていないのは構わないが、一つだけ頼みたいことがある」

「結婚の話なら、まだ答えられませんよ」

そう釘を刺した私に、魔剣が小さく笑いました。

「それはお互いのことを知ってからということで納得している。そうではないんだ。……フェイシ

39 38剣の求婚

ア、私の名を呼んでくれないか。私はまだ一度もお前に名を呼ばれていない。私の方は何度もお前

の名を呼んでいるというのに」

魔剣と呼ばれることはあっても、イブリースという名前では呼ばれていないという意味でしょう。

名前を呼ぶ程度なら、お安い御用です。

「何だ、そんなことですか。……イブリース様。ほら、これでいいんでしょう?」

しかし、魔剣はちょっと不満げな空気を醸か

し出しました。

「お前には、もっと親しげに呼んでもらいたい」

というか拗す

ねているんでしょうか、これは。

私は頬に手を当て、首を傾げます。

「そもそも親しくないんですから、親しげに呼ぶ必要なんて……いえ、何でもありません」

うっかり本音を漏らしかけて、勇者様に睨に

まれてしまいました。

ええ、わかっていますとも。魔剣を怒らせると後々世界が危なくなるんですよね。大丈夫です、

忘れていませんとも。

咳せき

払ばら

いで失言をごまかすと、私は渋し

々しぶ

口を開きました。

「イブリース。……これでいいですか?」

伝説の魔剣を呼び捨てにするのは気が引けるのですが、魔剣――もといイブリースは、その呼び

方をいたく気に入ったようでした。

決して耳元にあるわけではないのに、甘い吐息が耳にかけられたように感じます。

「ずっとこの日を待っていたんだ。お前と再会し、その可憐な唇と声で名を呼ばれる日を……フェ

イシア」

私の名前を大切そうに呼ぶと、イブリースはようやく静かになりました。てっきりまた愛してい

るだの何だのと言われるかと思ったのですが、彼はそれきり眠ったように沈黙します。

「……まあいいです。静かになったのなら、よしとしましょう」

私はそうひとりごち、自分を納得させました。

静かになったところで母がやってきて、勇者様の部屋が用意できたと告げます。

これで私もお役御免!

歓声の一つも上げたくなるような解放感の中、後のことは母に任せようとしたのですが、世の中

そんなに甘くありませんでした。

「つ、疲れた……」

すっかり日が暮れた頃、私はふらふらになりながら部屋の照明をつけ、ベッドに倒れ込みました。

冷えたシーツが、お風呂に入って火ほ

照て

った体を冷ましてくれます。ついでに心身共に疲れきって

いる私を優しく包んでくれました。

早朝にやってきた勇者様とイブリースは、私を夜まで離してくれませんでした。

イブリースは私がいてこそ滞在する意味があるのだと言い張り、勇者様も両親もその主張に押し

切られてしまったのです。そのせいで、結局私が二人の相手をする羽目になったのでした。

41 40剣の求婚

ただでさえ会話に付き合うのが大変な相手と、一日中!

精神的なダメージが大きすぎて、何度か卒倒しそうになりました。主にイブリースの卑ひ

猥わい

な発言

のせいで。

とにかく私が何をしていても、彼は常に傍そ

にいたがるのです。

食事の時も隣に置くことを要求し、買い物に出かける際も持っていけと懇こ

願がん

する始末。とはいえ、

あんな大剣を持ち歩けるわけがないので、結局買い物は母に行ってもらいました。街の人達から面

白おかしく見られるのも嫌ですし。

何より一番ひどいのはお風呂です。

あろうことか、イブリースは私と一緒にお風呂に入ろうとしたのです。剣なのに。

いえ、彼曰い

く一緒にお風呂に入りたいのではなく(その主張も怪しいものですが)、私に何かあっ

た時のために傍にいたいということでした。

ですが、何と言われても嫌なものは嫌です。全力で抗議して、浴室の外に立てかけておくという

ことで妥協してもらったのですが、入浴中も延々と話しかけてくるので、ちっとも落ち着きません。

濡れたままの髪で勇者様のところへ行き、強引にイブリースを押し付けて、ようやく部屋に戻れ

たのです。イブリースからは、そんな格好で男の前に立つなと母親のようなことを言われましたが、

華麗にスルーしました。

私は両手と両足を伸ばしてベッドにうつ伏せになり、その心地よさにうっとりと目を閉じます。

「一人って素敵」

どちらかというと一人は苦手な方ですが、今日ばかりは一人でいられる時間が至福に感じられ

ます。

ただ、ちょっと寒いですね。

早めにお風呂から上がったせいもありますが、開けっ放しの窓から吹き込んでくる風が冷たくて、

私はぶるりと体を震わせました。

窓を閉めてから寝ないと、風邪をひいてしまうかもしれません。

ベッドから離れがたかったのですが、どうにか立ち上がって窓に近づきます。すると、背後から

ドアをノックする音が聞こえてきました。

「フェイシア殿、少しいいだろうか?」

「よくありません」

勇者様の声だと気付いた瞬間、即答していました。

彼の方はといえば、そんな私の反応には一日で慣れてしまったのか、爽さ

やかな声で続けます。

「実は貴方に頼みがあるんだ」

「嫌です」

「そう言わずに」

「勇者様が頼み事をしてくる時は大体ろくでもない内容だと、今日一日で学んでしまったのです」

勇者様も決して寡か

黙もく

というわけではありませんが、イブリースに遠慮してか、私とはあまり話を

しませんでした。そんな彼がわざわざ私の部屋に来たということは、十中八九面倒事でしょう。

43 42剣の求婚

ドアを開けられては困るのでしっかりと両手で押さえつけていたら、一緒に来ていたらしい母か

ら窘

たしな

められてしまいました。

「フェイシア、勇者様がこんなに仰

おっしゃ

ってるんだから、話ぐらい聞いてあげな。この寒いのに、薄

着のままで待っていらっしゃるんだよ?」

それは本人の都合であって、私には関係ありません。何なら毛布でも羽は

織お

ってから戻ってくれば

いいのでは。

そう思いはしましたが、勇者様だってイブリースの被害者なのです。あまり冷たくしすぎては可

哀想だと考えを改めました。

「……仕方ありません。聞きましょう」

私はそう呟いた後、小さく舌打ちしてから勇者様に問いかけました。

「こんな夜よ

更ふ

けに、一体どんなお願い事でしょうか?」

「おい、今舌打ちしなかったか?」

「気のせいです」

一瞬の沈黙の後、勇者様が話を続けます。

「……まあいい。ところで、今晩イブリースと寝てやってほしいんだが」

やっぱりろくでもない内容じゃないですか!

「嫌です」

私がまたもや即答すると、勇者様が黙り込みます。それを見かねて母が口を挟む前に、私は追撃

を加えておきました。

「嫌に決まってるじゃないですか。何で私があんな危険な魔剣と一緒に寝なきゃならないんです。

嫁入り前の娘がすることじゃないですよ」

しかし、勇者様もなかなか頑固なようです。私がきっぱりと拒否しても、簡単には聞き入れてく

れませんでした。

ドアの向こう側で、しばし思案するような気配がした後、彼は断言します。

「大丈夫だ。こいつに手はない。つまり貴方が襲われることは万が一にもない」

「手なんてあったら、武器屋に現れた時点で追い出してますよ……」

私は項う

垂だ

れながら、疲れ切った声で言いました。

手が生えた魔剣なんてものを見てしまったら、一生悪夢にうなされそうです。

「とにかく、嫌なものは嫌です」

強行突破されないようしっかりとドアを押さえつけて、断固反対の意を表明します。

すると、今度は母が私を説得しにかかりました。

「今までは武器が入荷するたびに一緒に寝たがってたのに、何でイブリース様は駄目なんだい? 

同じ武器なんだから別に寝てあげてもいいだろうに」

「母さん、それは今日一日の彼の様子を見た上での発言ですか? 

あの卑ひ

猥わい

な言葉を聞いた上での

発言ですか? 

第一、喋

しゃべ

る魔剣なんてやかましいもの、お断りです」

いえ、仮に喋る武器が他にも存在したとして、ここまでやかましくは感じなかったでしょう。きっ

45 44剣の求婚

とイブリースが異常なのです。

そんなに言うならと、私は反撃することにしました。

「勇者様が一緒に寝てあげればいいんです。それか、父さんにお願いしたらどうですか? 

魔剣と

一緒に寝られるって聞いたら喜びますよ」

父さんに預けたが最後、一い

睡すい

もせずにイブリースの材質調査をしそうですが。

……そう考えたら、私もイブリースの材質や製作者のことが気になってきました。喋し

ゃべる

とアレな

魔剣でも、その功績や造りは最上級なのです。父と一緒に調査をしたくなりましたが、今ここでド

アを開けたら私の負けです。絶対に開けられません。

拒否し続ける私に業ご

を煮やしたのか、イブリースがここにきて初めて口を開きました。

「父君と一晩語り明かすのもそれはそれで有意義だが、私はフェイシアと一緒に眠りたい」

「じゃあ人任せにせず、自分で頼みに来ればよかったじゃないですか」

「イブリース様が頼んだところで、あんたが拒否するのは目に見えてるからだろう」

私の反論を、母がばっさりと切り捨てました。

ごもっともですけど、あんまりぞろぞろ引き連れてこられても困ります。

そう思っていたら、不意に勇者様がこんなことを言い出しました。

「時にフェイシア殿。貴方は自分の両親とも随分丁寧な口調で喋るんだな」

その話、今関係あります?

そう言いたくなりましたが、疑問に思われるのも当然でしょう。お貴族様の家ではどうだか知り

ませんが、庶民の家では親子といえば、もっと親しげに話しているものです。

けれど、母の前で本当の親子でないとは言いづらくて、私は口ごもってしまいます。すると、母

がケラケラと笑い始めました。

「この子は昔っからこうですよ。誰に対してもこうですから、これがこの子にとっての普通なんで

しょう」

勇者様は「そうだったんですか」と納得しているようでした。

母が代わりに答えてくれたことに安堵していたら、急にドアノブが回され、強引に隙す

間ま

を開けら

れました。

「フェイシア、とにかくここを開けな!」

「いーやーでーす!」

ぐいぐいとドアを押し合いながら、母と攻防戦を繰り広げます。

私が「はい」と言うまで引く気はないようで、勇者様はとうとうくしゃみをし始めました。ああ

もう、薄着なんてしているせいですよ。

さすがに罪悪感を覚えてきて、私はドアノブを握る手の力をゆっくりと緩ゆ

めました。

そしてドアが完全に開かれた後、精一杯の顰し

め面つ

をしてみせます。

「……仕方ありません。イブリース、私の部屋に入ることができたら、一緒に寝てあげますよ」

自力ではできるわけがないでしょうけど、そう言ってやります。これが私にできる最大限の譲歩

でした。

47 46剣の求婚

「こら、意地悪を言うんじゃないよ。相手は伝説の魔剣様だよ?」

「伝説の魔剣なら、あんな卑ひ

猥わい

なこと言いません」

母の言葉を一

いっしゅう蹴

して、イブリースの返事を待ちます。

自分では移動できないはずのイブリースですが、私の無理難題に対して動揺した素振りは少しも

見せませんでした。

「勇者、私を運べ。ただし貴様は部屋に入るな」

「ひどい無茶振りだな。だが、そのくらいなら楽勝だ」

勇者様はイブリースの我わ

儘まま

ともいえる要望に対してにこやかに微笑むと、革のベルトからイブ

リースを外しました。

「フェイシア殿、ドアから離れてください」

わけがわからないまま、私はドアから離れます。

「勇者様、一体何を――って、ええええ!?」

問いかけようとして、途中で叫んでしまいました。ついで、ドーンという大きな音が響きます。

え、ちょっと何なんですか、勇者様! 

今思いっきり振りかぶって、イブリースをぶん投げまし

たよね!? 

すごいスピードで飛んでいったんですけど。ていうか、壁に激突したんですけど!

「ふう、すっきりした」

ストレス発散して気分がいいのか、勇者様はこの寒い中、額の汗を拭ぬ

うような仕草をしています。

イブリースはといえば、壁に激突してパタリと倒れてしまいました。

「ちょっと雑すぎませんか、勇者様!」

一応、希少価値のある武器なんですよ!?

勇者様は肩をぐるぐると回しながら、私から目を逸そ

らしました。

「平気だ。あいつはあの程度ではびくともしない。……よし、厄介者は押し付けたし、もう寝ると

しよう。おやすみ、フェイシア殿」

今、厄介者って言いましたよね。押し付けたって言いましたよね。

やっぱり私に面倒を押し付けて、自分が楽になりたかっただけじゃないですか!

私は抗議しようとしましたが、勇者様はさっさと客室に戻ってしまいました。母も「ちゃんと温

かくして寝るんだよ」と言い残して去っていきます。

温かくして寝ることも大事ですが、それより娘の貞て

操そう

を心配してください。

無情にも閉じられたドアをしばし見つめた後、私はこちらを窺

うかが

う魔剣の方を振り返りました。

「……一晩だけですからね」

今晩だけなら我慢できないこともありません。

床に倒れ込んだイブリースに手を伸ばし、しっかりと掴つ

みます。刃の幅が私の手の平ほどもある

大剣ですから、気を抜くと落としてしまいそうでした。

手に力を込めてその剣身を起こし、剣先を床に引きずりながらベッドへ持っていきます。勇者様

は一体どうやって振るっていたのかと不思議に思うほど重く、ベッドまで持っていくだけでも息が

上がりそうになりました。

49 48剣の求婚

そんな私を見て、負担が大きすぎたと気付いたのでしょう。

「すまなかった。私が力を貸してやればよかったな」

そう言うや否い

や、イブリースの剣身が柔らかな光に包まれました。何事かと驚いていたら、握っ

ている柄つ

の方から剣先に向かって、徐々に重みが消えていきます。

どうやら私でも軽々と持てるように、魔力で重さを調整してくれているみたいでした。

もしかして、この魔力を使えば自力でも動けるのでは?

一瞬そう思いましたが、この部屋に入ってくるのに勇者様の力を借りていたくらいなので、自分

の体を浮かすことまではできないのだろうと結論づけます。

イブリースは私と同じベッドで眠るつもりなのか、自身を魔力の光で私の手ごと包み込み、ベッ

ドの上に載せようとしてきます。光に導かれるまま彼をベッドの上に載せると、光が消えてシーツ

が大きく沈みました。重みが戻ったのでしょう。

そうこうしているうちに寒くなってきて、急いで照明を消してベッドに入ります。イブリースと

くっつくのは何となく嫌だったので、距離を取っておきました。

イブリースと向かい合うようにして横向きになると、もうみんな寝たらしく、家の中がしんと静

まり返っているのがわかりました。大通りにももう人はいないようで、足音一つ聞こえません。

窓から入ってくる月明かりが、イブリースの柄と鞘さ

を照らし出します。どこにも装飾が施されて

おらず、どこもかしこも完全な闇色で、白いベッドシーツの上ではやたらと目立ちます。

私がイブリースを観察しているのと同じく、イブリースもまた私を観察しているようです。蜜を

濃く煮詰めてもまだ足りないほど甘い声が、夜の静寂を破りました。

「お前の髪は綺麗だな。ミルクのような優しい白色をしている。それに瞳も美しい。その濃い青色

は、冬の夜空に似ているな。空気が澄んでいて、流星群が見られる夜空だ。丁度今の季節なら、お

前の瞳と同じ色が見られるだろう」

「一体どんな生活をしていたら、そんな美び

辞じ

麗れい

句く

がポンポン出てくるようになるんですか」

そう呆れながらも、私は自分の髪に触れてみました。

イブリースの言うとおり、私の髪は彼の鞘とは対照的な乳白色です。白いベッドシーツに溶け込

みそうなその色は、小さい頃の私にとってはコンプレックスでした。

「小さい頃は、白し

髪が

頭あたま

だとからかわれました」

この地方には乳白色の髪をした子どもがいませんから、そのことで色々とからかわれたものです。

私が過去を振り返りながらぽつりと呟くと、イブリースが声に怒りの色を滲に

ませました。

「どこのどいつだ? 

私が殺しに行ってやる。お前の髪にはこれだけ艶つ

があるのだから、老女の白

髪とは比べるべくもないというのに」

「昔の話ですよ。今はからかわれることもありません」

両親はこの髪が好きだと言ってくれましたし、成長するにつれてからかわれることもなくなった

ので、今は何とも思っていません。

そう伝えると溜

りゅういん飲

を下げてくれたのか、イブリースから剣け

呑のん

な気配が消えました。何となく寒そ

うだと思って布団をかけてやると、すっかり機嫌がよくなったようです。

51 50剣の求婚

「お前はいい匂いがするな、フェイシア」

「壁に叩きつけますよ」

今なら勇者様もいませんから、思う存分叩きつけてやれます。

ついでに折れて喋

しゃべ

れなくなればいいのですが。

そう思っていたら、イブリースが低い声でくつくつと笑いました。

「褒ほ

めているのにつれないな。そういうところも好きだが」

まだ警戒心剥む

き出しの私を見て、イブリースはちょっと口を噤つ

んだ後、安心させるように言いま

した。

「大丈夫だ、私に手はない」

はあっと盛大な溜息が漏れます。どこから? 

もちろん私の口からです。

「貴方の場合、手があるとかないとかの問題じゃないって、そろそろわかっていただけませんか……」

というか、それ勇者様の台せ

りふ詞

ですし。

それに、もし手があったら何をするつもりなんですか。あえてそこに言及したってことは、手が

あったら何かするってことですよね? 

それなら余計に嫌ですよ、一緒に寝るなんて。

けれど、わざわざ布団までかけてあげた以上、何もしていないのに放り出すことはできません。

仕方なく、私はこのままの体勢でいることにしました。

何より、あまりぞんざいに扱ってはいけないと、勇者様から言われているのです。もう色々と遅

い気はしますが、一応、気に留めておかなければ。

勇者様に教えられるまで、イブリースを怒らせたら世界が滅びるかもしれないなどとは知りもし

ませんでした。それを知らずに求婚を断ってしまっていたら、イブリースが魔王を倒してくれなく

なったかもしれません。

それなのに彼は、私に一言の忠告もなしに求婚してきたのです。断ったら大変なことになるぞ、

なんて脅お

すこともしませんでした。

本人に悪意がないからこそ、余計に性た

質ち

が悪いのです。彼はただ、私を振り向かせられると本気

で信じているだけなのですから。

「……くだらないことを言ったら、二度と部屋に入れてあげませんからね」

私は念のため、そう忠告してやります。

「眠るだけだ、問題はない」

その答えを聞いて覚悟を決めた私は、肩まで布団をかけて寝る態勢に入りました。

そこでふと気になって、イブリースの鞘さ

の下に枕を敷いてやります。魔剣に枕なんていらないで

しょうけど。大体、頭がどこなのかわかりませんし。

こうして一つの枕を共有していると、まるで本当の恋人同士みたいです。そうぼんやり考える私

の頬に、甘い吐息がふっと触れたような気がしました。

「愛しているよ、フェイシア」

「そういう台せ

りふ詞

を簡単に言うのはやめてください」

強い口調で撥は

ねつけましたが、正直に言うと、とても落ち着かない気分でした。

alphapolis
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