41
Meiji University Title �-�- Author(s) �,Citation �, 33: 99-138 URL http://hdl.handle.net/10291/17191 Rights Issue Date 2011-05-30 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

できる。 はじめに 明治法律学校の校長手当 · 所得税ニ関 スル達及議案 ... 東京府常置委員会子爵 金原 岸本 堀 田 辰 雄 正養 明善 タルニ付別紙関係書類ヲ添同法第二十条ニ依リ其会ノ決議ニ付ス神田区仲猿楽町廿弐番地岸本辰雄外拾五名ヨリ所得税法第十九条ニ依リ所得税等級金額不当又ハ誤謬訂正申出

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Page 1: できる。 はじめに 明治法律学校の校長手当 · 所得税ニ関 スル達及議案 ... 東京府常置委員会子爵 金原 岸本 堀 田 辰 雄 正養 明善 タルニ付別紙関係書類ヲ添同法第二十条ニ依リ其会ノ決議ニ付ス神田区仲猿楽町廿弐番地岸本辰雄外拾五名ヨリ所得税法第十九条ニ依リ所得税等級金額不当又ハ誤謬訂正申出

Meiji University

 

Title明治法律学校の校長手当-一八九五年の所得税審査請

求資料から-

Author(s) 阿部,裕樹

Citation 明治大学史資料センター報告, 33: 99-138

URL http://hdl.handle.net/10291/17191

Rights

Issue Date 2011-05-30

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: できる。 はじめに 明治法律学校の校長手当 · 所得税ニ関 スル達及議案 ... 東京府常置委員会子爵 金原 岸本 堀 田 辰 雄 正養 明善 タルニ付別紙関係書類ヲ添同法第二十条ニ依リ其会ノ決議ニ付ス神田区仲猿楽町廿弐番地岸本辰雄外拾五名ヨリ所得税法第十九条ニ依リ所得税等級金額不当又ハ誤謬訂正申出

明治法律学校の校長手当

||一八九五年の所得税審査請求資料から

はじめに

99一

本稿は、一八八一(明治一四)年の明治法律学校設立から、創立者のひとりである岸本辰雄が亡くなる一九一

正元)年までを対象として、明治法律学校(ただし、一九

O三年以降は明治大学と改称)校長が量け取るはずの手当

についてまとめたものである。なお岸本は、一八八八(明治二一)年に明治法律学校に校長が設置されて以降、 一

(大

明治法律学校の校長手当(阿部)

一九一一一年に亡くなるまで同職を務めており、実質的には岸本校長時代の校長手当についてまとめたもの、とも換言

できる。

ただし、管見の限りにおいては、本稿で対象とする期間の明治法律学校の経営に関する史料は断片的にしか伝えら

れていない。本稿が、そのような状況での試みであり、あるいは状況証拠ばかりになってしまった点は、はじめにこ

とわっておかねばならない。

また、本稿執筆のきっかけは、本学文学部兼任講師で国税庁税務大学校租税史料室研究調査員の牛米努先生から岸

本辰雄の一八九五(明治二八)年の所得税審査請求資料(後掲〔史料l〕)について御教示を得たことにある。はじ

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大学史活動

めに記しておきたい。

第33集

一八九五年

岸本辰雄所得税審査請求資料

早速、以下の所得税審査請求資料(〔史料lむについて検討したい。〔史料

1〕は、岸本辰雄の一八九五(明治

二八)年時の所得税納税額の決定過程を明らかにするもので、当時の岸本の収入について知ることができる、きわめ

大学史資料センター報告

て興味深い史料である。当時の所得税法(〔史料

2〕)、および当時の所得税納税の仕組みゃ納税額決定までの順序に

ついて解説のある『所得税関係史料集

1導入から申告納税制度以前まで

1』を参照しながら、行論していきたい。

岸本辰雄所得税審査請求資料)

-1∞-

〔史料l〕(一八九五年

※丸番号と傍線は筆者、以下同

※〔史料l〕に限り、行論の際の便宜のため、

l

i

のように史料に枝番号を付した。

l

(表紙〉

明治二十五年ヨリ世一年迄

所得税ニ関スル達及議案

常置委員会

h-I

ll--

二十八年十月二十

書記⑩

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明治法律学校の校長手当(阿部)

議長⑪

第間十七号

参事宛

決議上申

所得税法第二十条ニ拠リ本会ノ

議長

ニ付セラレ候巾岸本辰雄外二名ヨリ申立タル所得税等課金額不当又ハ誤謬訂

正ノ件審査ノ末左ノ通議決シタリ

本人申出ノ通所得金ヲ三千七百円ニ訂正スヘキモノトス

認定額通リ金六千七百弐拾弐円ノ所得アルモノトス

認定額通リ金四千百三一拾弐円ノ所得アルモノトス

わ上申候也

1

1Alli--nμ

子爵

東京府常置委員会

岸本

金原

堀田

辰雄

明善

正養

タルニ付別紙関係書類ヲ添同法第二十条ニ依リ其会ノ決議ニ付ス

神田区仲猿楽町廿弐番地岸本辰雄外拾五名ヨリ所得税法第十九条ニ依リ所得税等級金額不当又ハ誤謬訂正申出

明治廿八年九月廿五日

東京府知事

e

j甫

-101ー

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大学史活動第33集大学史資料センター報告

l

lV

所得税法第十九条ノ申出ニ対スル明細取調書

本年届高出七O O

税金 三更定

五七五 O ヲ、O 要

五スJレ

O 高O

ヲ人テル所得下

ニ当ン百科

ヨリ 義ハ其額人脅ニヨ

空ノ2ハ車校品拍学理由

ヘス ノミ 委員義富処本テ 本人キ趣 在不モヲ

認ムノト 以証明書テ 付代人ニニ 受ヨリク

弁護士 職業

二神十回

一区

岸左雄霊世翼町

(中略)

V

-102ー

申請書

明治廿八年度所得税調査ノ際拙者所得金トシテ②明治出智明樹々長相当

月四柑円ノ標準ニテ一ヶ年

四百八拾円ヲ算入有之候処右手当金ハ別紙証明書ノ如ク単ニ名義而巳ニ止リ其実金員ヲ受領致サ、ル義ニ有之

候得者速ニ御修正被成下度所得税法第十九条ニ依リ及申立候也東

京市神田区仲猿楽町二十二番地

岸本

辰雄

~n

明治二十八年八月

東京府知事

ニ浦

安殿

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明治法律学校の校長手当(阿部)

Vl

所得金高届

③到劃千円也

弁護士営業上所得

外金弐千円

弁護トぃ営業事務所費用

④室七百円

右之通侠也

明治二十八年四月三十日

神田区仲猿楽町二十二番地

東京府知事

安殿

-l

l-w

証明書

右校長手当トシテ月額四拾円ヲ本校ヨリ贈与スル内規ト同時ニ⑥討割当贈与ハ桝樹維

ルコトトノ内規有之朝刊今ハ

ク名義ノミニ付此閤劃明候也

明治二卜八年八月九日

校長 嘉

永四年十月生

一 103一

岸本

辰雄

岸本

辰雄

方出確立ノ後ニ開始ス

明治法律学校印

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大学史活動第33集大学史資料センタ一報告

(東京都公文書館所蔵)

〔史料2〕所得税法(一八八七年)

第一条

第二条

条 所得税法

凡ソ人民ノ資産又ハ営業其他ヨリ生スル所得金高一箇年一二百円以上アル者ハ此税法ニ依テ所得税ヲ納

ムヘシ

但同居ノ家族ニ属スルモノハ総テ戸主ノ所得ニ合算スルモノトス

所得ハ左ノ定則ニ拠テ算出スへシ

公債証書其他政府ヨリ発シ若クハ政府ノ特許ヲ得テ発スル証券ノ利子、営業ニアラサル貸金預金ノ利

子、株式ノ利益配当金、官私ヨリ受クル俸給、手当金、年金、恩給金及割賦賞与金ハ直ニ其金額ヲ以

-104一

テ所得トス

第一項ヲ除クノ外資産又ハ営業其他ヨリ生スルモノハ其種類ニ応シ収入金高若クハ収入物品代価中ヨ

リ国税、地方税、区町村費、備荒儲蓄金、製造品ノ原資物代側、販売品ノ原価、種代、肥料、営利事

業ニ属スル場所物件ノ借入料、修繕費、一一雇人給料、負債ノ利子及雑費ヲ除キタルモノヲ以テ所得トス

第『一項ノ所得ハ前三筒年間所得平均し円同ヲ以テ算出スヘシ但所得収入以来米タ一一一年ニ満タサルモノハ月

額平均其平均ヲ得難キモノハ他ニ比準ヲ取リテ算出スヘシ

左ニ掲クルモノハ所得税ヲ課セス

軍人従軍中ニ係ル俸給

行私ヨリ受クル旅費、傷摸疾病者ノ恩給金及孤児寡婦ノ扶助料

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第第四条

等級

第一等

第第第四等

第五等

第五条

第六条

営利ノ事業ニ属セサル一吋ノ所得

所得税ノ等級及税率左ノ如、ン

税率

所得金高三万円以上

百分ノ一一一

所得金高二万円以上

百分ノ

-

4

所得金高壱万円以上

百分ノ

所得金高千円以上

百分ノ一半

所得金高三百円以上

百分ノ

但所得金寓ハ円依未満ノ端数ヲ算セス

-105-

所得税ハ前半年分ヲ其年九月ニ後半年分ヲ翌年三月ニ納ムヘシ

此税法ニ依リ税金ヲ納ムヘキ所得アル者ハ其年所得ノ予算金高及種類ヲ記シ毎年四月三十日マテニ居

住地ノ戸長ヲ経テ郡区長ニ届山ヘシ

各郡区役所管轄内ニ七名以下ノ所得脱調査委員ヲ置キ毎年調査委員会ヲ開キ所得税ニ関スル調査ヲ為

明治法律学校の校長手当(阿部)

第七条

第八条

第九条

県会規則第十三条第一款第二款第二款第四款ニ触ル、者ハ被選人タルコトヲ符ス同条第一款第二款第三款ニ

調査委員ノ選挙人被選人ハ二十五歳以上ノ男子ニシテ其郡区内ニ現住シ所得税ヲ納ムル者ニ限ル但府

サシム

調査委員定数ノ外五名以下ノ補欠員ヲ置キ欠員ノ補充ニ備フヘシ

調査委員及補欠員二選ハレタル者ハ正当ノ事由ナクシテ之ヲ辞スルコトヲ得ス

調査委員ハ貫郡区内ノ涯学ヲ以テ之ヲ定ム

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大学史活動

第十条

触ル、者ハ選挙人タルコトヲ得ス

郡区長ハ各町村内ニ五名ヨリ多カラサル町村選挙人ノ員数ヲ定メ其町村人民中第九条ノ資格ヲ有スル

者ヲシテ互選セシム但便宜ニヨリ数町村ヲ合シテ五名ヨリ多カラサル選挙人ヲ定ムルコトヲ得

第33集

第十一条

町村選挙人ハ第九条ノ範囲内ニ於テ調査委員及補欠員ヲ選挙スヘシ

調査委員ノ任期ハ満四年トシ二年毎ニ全数ノ半ヲ改選ス侭第一回ノ改選ハ抽選ヲ以テ其退任者ヲ定

大学史資料センタ一報告

ム第十二条

第十三条

第十四条

ノ見積ヲ立テ之ヲ調査委員会ニ付スヘシ

調査委員会ハ郡区長ノ招集ニ由リ之ヲ関ク調査委員会ノ会長ハ郡区長ヲ以テ之ニ充ツ郡区長欠席ス

-106一

第十五条

調査委員ノ手当、旅費其他調査ニ関スル費用ハ国庫ヨリ之ヲ支給ス

郡区長ハ第六条ノ届書ニ拠リ所得金高下調書ヲ製シ其届書卜共ニ調布委員会ニ付スヘシ

郡区長ハ納税者ト認ムルモノニシテ第六条ノ期限ヲ過キテ其届出ヲ為サ、ル者アルトキハ所得金高

第十六条

ルトキハ会員ノ互選ヲ以テ之ヲ定ム

調査委員会ハ会員過半数出席スルニアラサレハ会議ヲ開クコトヲ得ス会議ハ出席員ノ過半数ヲ以テ

之ヲ決ス吋一合同数ナルトキハ会長ノ可否スル所ニ依ル但自己ノ所得ニ関スルトキハ其会議ニ与ルコトヲ得ス

第十七条

第十八条

第十九条

郡区長ハ調査委員会ノ決議ニ拠リ各納税者ノ所得税等級金額ヲ定メ之ヲ納税者ニ達スヘシ

郡区長ハ調査委員会ノ決議ニ関シ意見アルトキハ府県知事ニ具状シ指揮ヲ請フヘシ

明細書及其証愚トナルへキモノヲ添へ府県知事ニ申出ルコトヲ得、但此場合ニ於ケルモ其税金ハ達ヲ受ケタ

納税者ニ於テ所得税ノ等級金額ヲ不当トスルトキハ、其達ヲ受ケタル日ヨリ二十日以内ニ所得金高

ル金額二従テ之ヲ納ムヘシ

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第二十条

へシ

之ヲ処分スヘシ、但其処分納税後ニ渉ルトキハ税額ノ不足アルモノハ之ヲ追徴シ過剰アルモノハ之ヲ還付ス

府県知事ハ第十八条及第十九条ノ場合ニ於テハ府県常置委員会ニ付シテ調査セシメ、其決議ニ拠テ

第二十一条

第二十一一条

第ニ十一一一条

調査委員会又ハ常置委員会ハ此税法ニ関シ調査上必要ト認ムルトキハ納税者ニ尋問スルコトを得

調査委員其他所得税ノ調査ニ関スル者ハ納税者ノ資産及所得ニ係ル事件ヲ他ニ遺漏スヘカラス

セス

ハ事実ヲ審査シテ其税額ヲ減シ所得金高一箇年三百円ヲ下ルモノハ之ヲ免税スヘシ但既納ノ税金ハ之ヲ還付

納税者其納期前ニ於テ所得金高十分ノ五以卜ヲ減損シタルトキハ郡区長ニ・甲山ルコトヲ得郡区長

第二十四条

其罪ヲ問ハス

第二十五条

第二十六条

明治法律学校の校長手当(阿部)

第二十七条

第二十八条

第二十九条

所得金高ヲ隠蔽シテ遁税シタル者ハ其遁税金高三倍ノ罰金ニ処ス但白首スル者ハ其税金ヲ追徴シ

-107一

第二十二条ヲ犯シタル者ハ三円以上三拾円以下ノ罰金ニ処ス

第六条ノ届出ヲ為サ、ル者ハ壱円以上壱円九拾五銭以下ノ科料ニ処ス

此税法ヲ犯シタル苫ニハ刑法ノ不論罪及滅軽、再犯加重、数罪倶発ノ例ヲ用ヒス

此税法施行一一関スル細則ハ大蔵大臣之ヲ定ム

但北海道、沖縄県及東京府管轄小笠原島、伊豆七島ニ於テハ官府ヨリ受クル俸給、手当、年金及恩給金ノ

此税法ハ明治二十年七月一日ヨリ施行ス

(後略)

外ハ当分ノ内之ヲ施行セス

(『法令全書』第二

O巻ノ一、二九

1三三所収)

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大学史活動

日本において所得税が導入されたのは、

一八七七(明治一

O)年である。〔史料2〕によると、当時の所得税納税

にあたっては、年間所得三

OO円以上の世帯が課税対象となっていたことが読み取れる。ここで世帯としたのは、同

居家族の収入が戸主に合算されるためである(〔史料2〕第一条)。ここでいう所得には、全額が所得とされる公債、

第33集

株式等の利子や配当、俸給、手当金などと、必要経費等を控除した営業活動からの所得(ただし、過去三年間の平均)

があった(〔史料2〕第二条)。また、所得に応じて、第一等から第五等までの課税等級が定められていた(〔史料2〕

大学史資料センター報告

第四条コ所得税の納税義務者は、四月末日までに町村戸長(ただし都市部には戸長がいないため、適宜「臨時取締

掛」を設置することができた)を経由して、郡区長に年間の所得を見積もった所得金高届(〔史料1〕1

1・m)を提出

することとなっていた(〔史料2〕第六条)o

郡区長は、五月に管内の納税義務者の住所・氏名を公告し、所得税調査

委員を選挙した。同委員は管内の所得税納税義務者の所得額の調査および決議に関与する役職で(〔史料2〕第七

1

一一条)、毎年七月に招集される所得税調査委員会において納税者ごとの所得金額を決議した。しかし、納税者は所

-108一

得税調査委員会の決定額に対し不服があるときは府県知事に申立ができた(〔史料2〕第一九条)。府県知事は、納税

者からの申立を府県常置委員会に付して処理することとなっていた(〔史料2〕第一一

O条)。

岸本の場合を確認したい。岸本が申告した所得は三七OO円広史料l〕-|吋、⑤)

であった。その内訳は、弁

護士としての営業所得の見積りが二一

000円(〔史料1〕llu、③)

で、他に法典調査委員としての手当が七00

円(〔史料l〕ーー・羽、④〉であった。所得のうち前者は、必要経費等を控除した営業活動からの所得に、後者は文

字どおり手当金に該当するだろう。三七

OO円の所得に対しては、第四等の課税等級が適用され一・五%の税率が課

されることになっていた。

しかし、所得税調査委員会は岸本の所得金を四一八O円と決議した(〔史料〕

l

|村、①)。岸本の申告より四八O

円高いのは、所得税調査委員会が明治法律学校の校長手当(月間O円×一一一か月分H

四八O円)を岸本の所得に算入

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したためであった

(〔史料l〕

-v、②)

0

これに対し岸本は、明治法律学校校長手当(四八

O円)が「名義」のみで実収入が無かったことから、〔史料1〕

v部分にあるように、東京府知事に対して不服を申立てた。東京府知事は、〔史料1〕ー

-m部分にあるように、

岸本の申立を常置委員会に諮った。結呆、同委員会は

〔史料1〕--Hにあるように、岸本の主張を認め明治法律学

校校長手当を岸本の収入から除外した。

以上のような経過をたどり、岸本は申告額どおりの所得税(およそ五五円、〔史料l〕

--N)を納めたものと考

えられる。なお、(史料1〕il--に「常置委員会」あるように、〔史料l〕は問委員会において審議された史料群で

ある。さ

て、筆者は

〔史料1〕について、たいへん興味深い史料であると述べた。それは、

-109一

一八九五年時の岸本の収入が

明らかになったからである。ただし、筆者が最も興味を持ったのは、岸本の弁護士としての収入が三

000円見積も

られていたことや、法典調査委員の手当が七

OO円あった点についてではない。明治法律学校校長としての手当

四八

O円が「全ク名義ノミ」(〔史料l〕

11・刊、⑥)

であり、岸本の実収入のなかに明治法律学校関係の収入が全く

明治法律学校の校長手当(阿部)

見いだせない点である。しかも、その校長手当の支給にあたっては「本校維持方法確玄ノ後二開始スル」(〔史料1〕

-m、⑥)という「内規」があったらしいことも読み取れる。

たしかに、開校当初の明治法律学校運営に、岸本らが無給であたっていたことは、『明治法律学校二十年史』から『明

治大学百年史」に至る歴代の校史で明らかにされている。したがって、明治大学関係者(とくに大学史に携わるスタツ

一八八七(明治二

O)年九月に通信教育機関である講法会が設

立され教材として講義録が販売されるようになって、明治法律学校の経営が安定すると評価されているのも事実であ

フ)には、よく知られている事実でもある。しかし、

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大学史活動

一八九五年時点では、校長手当が支給されていなかったことは間違いない。換言すれば「本校維持方法

ともかく、

確立」([史料l]l|吋、⑥)は達成できていなかったといえるだろう。以下では、岸本校長在任時期における明治

法律学校の校長手当支給の有無について、管見の限りの史料から確認していくこととしたい。

第詩集大学史資料センター報告

開校当初の明治法律学校創立者の金銭的待遇

まず、開校当初の明治法律学校における創立者の金銭的待遇(給与・手当)について確認したい。

開校当初の明治法律学校において、岸本ら創立者が無給で教鞭を執っていたことはすでに述べたが、その根拠がい

くつか伝えられているので紹介したい。それは、開校に先立つ一八八

O(明治二

年二一月八日、岸本辰雄・宮城

浩蔵・矢代操の三名が東京府知事・松田道之に宛てた設立願書(〔史料3〕)と、

横浜毎日新聞」に掲載された明治法律学校設立広告(〔史料4〕)である。

一八八

O年一一一月一五日付の『東京

-110ー

〔史料3〕(明治法律学校設立上申書)

(前略〉

拙者共義今般協力シテ私立法律専門学校ヲ設立シ柳カ御国思ニ報ヒンカ為メ無月謝ヲ以テ各公務ノ余暇教授仕

度仰テ別紙教則書相添へ此段御届ケ申上候以上

明治十三年十二月八日

麹町区三番町三十番地

寄留

島根県士族

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明治法律学校の校長手当(阿部)

大政官御用懸リ

正八位

岸本

辰雄@

同区上六番町三十六番地

寄留

山形県士族

検事

浩蔵@

宮城

神田区小川町一番地

石川県士族

寄留

刑法草案審査局御用懸リ

矢代

操@

東京都知事松岡道之殿

麹町区学校委員

石塚

剛介⑮

前書届出ニ付奥印候也

明治十三年十二月八日

東京府麹町区長

矢部

常行固

(後略)

(『明治大学百年史』第一巻、六九頁)

〔史料4〕吋東京横浜毎日新聞』(一八八

O年一

我輩同心協力シテ明治法律学校ヲ設立シ来ル明治十四年一月ヨリ教場ヲ開キ柳カ国恩ニ報ヒンカ為メ実際ノ校

一月一五日〉

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大学史活動

費而己ヲ以テ本邦井ニ諸外国ノ法律ヲ教授ス有志ノ諸君宜シク来学アルヘシ其教則及ヒ校則ノ如キハ本校位置

確定マテ小川町三十九番地蛭田幸三郎方寓塾監斎藤孝治ニ就テ閲見セラルベシ

第33集

仏朗西大学法律学士

岸本

辰雄

宮城

浩蔵

大学史資料センタ一報告

矢代

(「明治大学-白年史い第一巻、七

O頁)

まず〔史料3〕から、岸本・宮城・矢代が設立を希望する「私立法律専門学校」、つまり明治法律学校の運営にあたっ

ては、公務の余暇に無給で(「無月謝ヲ以テ」)講義をおこなう旨を表明していることが読み取れる。また〔史料4〕

一 112-

からは、「実際ノ校費」のみで学校を運営する(「実際ノ校費而己目ノ以テ本邦井ニ諸外国ノ法律ヲ教授ス」〉ことを表

明していることが読み取れる。「実際ノ校費」とは、校舎の賃料や最低限の事務経費を指すことばとして捉えていい

だろう(事実、開校当初の明治法律学校は旧島原藩上屋敷の一部を借り受け校舎としており賃料が必要であった)。

このような態度の創立者、あるいはこれに賛同し無給で教鞭を執った草創期の講師に対し、当時の在校生有志は感謝

状と記念品を贈り、その労に感謝の意を表明している。

しかし、創立者が無給で教鞭を執るといった努力を重ねても、結局のところ開校当初の明治法律学校の経営は好転

しなかった。岸本は、みずからの給与や私財を学校経営にあてたり、借金をしながら学校経営にあたっていた(後掲

〔史料8〕①1⑨なども参照)ゎ従来、借金の相手については、岸本の出身端である旧鳥取溶藩主の池田家、岸本の義

兄で旧鳥取藩士の永見明久、矢代の親戚にあたる長直四郎といった縁故を頼るものが中心かと思われていた。しかし

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近年、村上一博氏は「岸本辰雄らに対する貸金催促訴訟」において、岸本をはじめとした明治法律学校関係者が、

一八八五

1一八八七年の聞に縁故によらない借金を重ねていた事実を明らかにした。ただし、この成果も借金返済を

めぐりトラブルに発展したケlスを明らかにしたものであり、岸本らの借金の全体ではない。借金の全体把握につい

ては史料発掘を伴うことから容易ではないが、今後の調査課題としたい。

明治一一

0年代後半における明治法律学校教職員の金銭的待遇

一八八七(明治二

O)年九月の通信教育機関である講法会設立以降、つまり明治法律学校の経営が安定して

くるとされる明治二

0年代における明治法律学校教職員の金銭的待遇(給与・手当等)について検討したい。まず、

次に、

-113ー

[明治大学百年史』第一巻に収められた一八九五(明治二人〉年の「受給額取調表」(〔史料5〕〉を確認したい。

〔史料5)受給額取調表(一八九五年)

明治法律学校の校長手当(阿部)

手当

四拾円

岸本

辰雄

手当

弐拾円

熊野

手当

拾五円

斎藤

孝治

手当

拾五円

木下哲三郎

手当

拾五円

亀山

貞義

手当

河村譲三郎

以上六名ニ対スル手当ハ①当

拾五円

名義ノミニ有之候

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大学史活動

弐拾四円

田島義方

手当

拾五円

杉村繁樹

手当

追テ②当開講師剛ニハ骨月一定ノ謝輯ヲ贈ラス単ニ車代トシテ出席調晶司凹金到円ノ割ヲ以一ア贈リ候ニ付月額ハ

第33集

一定難致候明

治廿八年四月

大学史資料センター報告

明治法律学校

東京府宛

(『明治大学百年史』第一巻、四

O四頁)

連の

114-

〔史料5〕と〔史料l〕は、ともに一八九五年のものである。〔史料5〕は、あるいは〔史料l〕に記された

所得税審査とリンクする史料かもしれないが、現状でははっきりしない。とこで注目したいのは、岸本のみならず、

熊野敏三、斎藤孝治、木下哲三郎、亀山貞義、河村譲コ一郎の手当が「当分名義ノミ」(①)であること、しかし田島

義方と杉村繁樹には相応の手当を支給していることが記されている点である。なお、〔史料5〕に記された金額は、〔史

料l〕に校長手吋として月給問。円とあることから月給である。また、講師に対しては講義一回あたり「車代」(②)

として二円を支給するという記載も興味深い。以下では、傍線部①と②に絞って述べていきたい。

まず、傍線部①に関連する点である。そもそも、〔史料5〕で手当支給の有無に基準はあったのだろうか。その手

掛かりとして、同年の明治法律学校規則(〔史料6〕)から〔史料ら〕に記載される人物の役職を確認したい。

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明治法律学校の校長手当(阿部)

〈前略〉

〔史料6〕司法省指定私立明治法律学校規則(一八九五年五月)

O名誉校員

O教員(イロハ順)

大坂市寄留

法律学士

法律博士

大手大二坂ご坂ご市地寄方留裁

判所在勤

第一二高等学校主動

従二位勲一等

従三位勲一等

従=一位勲三等

伯法学博士

仏国大学大博士仏国大学教授

法律学士

仏国法律学士

仏国法律博士

法律学士

法律学士

法学士米国法律博士

法学士

独逸法学博士

法学士

法学士

従ム位勲六等

従四位勲六等

正六位勲六等

正しハ位勲六等

正しハ位勲五等

従五位勲六等

正七位

従六位

正七位 爵

ボアソナア

lド

大木

箕作

名村

井上

磯部

井上

岩野

今村

一瀬勇三郎

入江鷹之助

石渡

巌谷

板垣不二男

入江

喬任

泰麟蔵祥

君君君

Fhu

四郎

新平

信行

君君君

孫蔵

君君

良之

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大学史活動第33集大学史資料センター報告

法学博士

法学士

法律学士

法学博士

英国状師

法学士

法学士

法律学士

法律学士

法律学士

法律学士

独逸法学博士

法学士

法学士

仏国法律博士

法律学士

正五位勲六等

従六位

正六位

従七位

正六位勲六等

従六位

正六位勲六等

正七位

正六位勲六等

従七位

正五位勲六等

従四位勲四等

従六位

正六位勲六等

井上

長谷川

富谷姓太郎

岡村

岡村

岡聞朝太郎

亀|山

JII 目

田部

高木

高木

長島鷲太郎

中村

乗竹孝太郎

黒川誠一郎

前回

曲木

君君

輝彦

君君

長|君君

-116ー

甚平

君君

進午

君君君君

孝階

如長

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伊国日本公使館在勤

法律学土

法学博士

明治法律学校の校長手当(阿部)

露国日本公使館在勤

O職貝

校長

教頭

法律学士

文学上

法学士

法学Lし

法学士

独逸法学時士

仏国法律学士

法律学上

仏国法律学士

法Hf士

法学士

法尚子上

法律学士

法律学士

仏国法律学土

仏国法律博士

法学博土

従五位勲六等

正七位

従六位

従六位

正七位

従七位

従二位勲二等

正六位勲六等

正六位勲六等

正五位

正七位

正六位

正五位勲六等

従七位

従六位勲六等

正六位勲六等

正五位勲六等

池小宮三保松

有賀

有賀

秋月克郁夫

安達峯一郎

有森

西閣寺八ム望

崩判尉樹

桐下析n:一郎

木下

木下友三郎

樋山

本尾敬三郎

両角

多ふ1

4庁1・求す

岸本

熊野 立青

君君

長雄

長文

君君君

新上回

君君君

4

広次

君君

資之

君君

彦六

君辰雄

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大学史活動

幹事

弁護士

法律学士

正六位勲六等

法律学士

正六位勲六等

第33集

法律学士

従六位

同事務長兼塾肱

大学史資料センタ一報告

会計員

明治二十八年正月

東京神田駿河台

司法省指定私立

(明治大学史資料センター所蔵)

明治法律学校

斎藤

孝治

木下哲三郎

亀山

貞義

河村譲三郎

田島

義方

杉村

繁樹

〔史料6〕を一見すると、まず、〔史料

5〕で記載される人物が「職員」であることが読み取れる。また、手当を支

-118一

給されていない岸本ら六名の役職は、「校長」、「教頭」、「幹事」であり、手当支給の対象となっていた田島と杉村は、

それぞれ「事務長兼塾監」と「会計員」である。「事務長」と「会計員」は、その役職名称から学校の事務を担って

いることは間違いなく、現在の事務職員に相当すると考えて差支えないだろう。おそらく専任で学校事務を担ってい

ることから、給与としての手当が支給されていたと考えられる。また「塾監」とは、明治法律学校設立当初から見ら

務長」と兼務されていたようである。

れる役職で、学生の監督の傍らで学校事務を担う立場で、やはり現在でいう事務職員のような立場である。当時は「事

では、「校長」、「教頭」、「幹事」の役割・性格について、その歴史や就任者を振り返りながら検討したい。「幹事」

は明治法律学校創立以来の役職で、開校当初は岸本、宮城浩蔵、矢代操の三名の創立者が就任していた。その点で、

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合議によって学校運営についての意思決定をおこなうための役職であることが理解できる。一八八八(明治二一)年、

新たに校長・教頭を置く制度改正を実施し、校長に岸本、教頭に宮城が就任し、あわせて「幹事」は一旦廃止された。

しかし、同年中に「幹事」は再置され、光明(妙)寺三郎と斎藤孝泊が同職に就任した。以来、〔史料l〕・〔史料5〕・

〔史料6〕の作成年である一八九五年まで「校長」は岸本が務めていたが、「教頭」は一八九O(明治二一二)年四月

に井上正一、

一八九二(明治二五)年九月に熊野敏三にそれぞれ交代している。「幹事」は、

八八九(明治二二)

年の改選で斎藤孝治と木下哲三郎が、

一八九二年九月の増員を含む改選で斎藤孝治・木下哲三郎・亀山貞義・河村譲

郎の同名が就任している。つまり、

一八八八年に校長・教顕職を設置したことで、「校長」・「教頭」に「幹事」を

加えたメンバーで学校運営・経営についての意思決定をおこなっていたことが想定できるだろう。

次に〔史料5〕の傍線部②についてである。当時の明治法律学校では、講師に対して「毎月一定」の手当を支給せ

-119一

ず、講義一回につき「車代L

という名目で二円を支給していた。当時の講師は、現在の兼任(非常勤)講師に近い立

場であり、しかも例えば〔史料6〕に「教員」として記されている杉村虎一のように本務の関係で外国に滞在してい

る講師も見受けられることから、手当支給という点では合理的な

N法であるといえるだろう。なお、仮に一科目をひ

明治法律学校の校長手当(阿部)

とりの講師が担当した場合、

一科目あたり年間三一

O回の講義があったとして六O円(二円×二一

O回)

の「車代」が支

給されていたことになる。

また、すでに述べた「校長」・「教頭ケ「幹事」に対する手当は支給されていないものの、斎藤を除いた岸本、熊野、

木下、亀山、河村は講師であり、実際の講義を担当していれば、その回数に応じて「車代」は支給されていたはずで

ある。ちなみに、村上一博つ日本近代法学の揺藍と明治法律学校」によれば、岸本が定期的に講義を担当していたと

とを確実に確認できるのは、

一八八七(明治一一

O)年九月からの学期が最後である。

以上を岸本の明治法律学校関係収入に関連して小括したい。岸本は、

J¥.. J¥..

(明治

4

四)年の明治法律学校開校

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大学史活動

から一八九五年にかけて、「幹事」あるいは「校長」という学校運営・経営上の重要な役職を膝任していたにもかか

わらず、明治法律学校から役職に対する定期的な報酬を受けていなかったことは間違いない。また、少なくとも

一八八七年までは講義を担当していたが、この手当(「車代」)も開講当初は支払われていなかった。たしかに岸本は、

第33集

明治法律学校開校当初であれば司法省官僚として、〔史料1〕の時期ご八九五年〉であれば弁護士や法典調査委員

としての収入があった。熊野以下にしても、明治法律学校以外での収入があっただろう。それにしても、学校運営・

経営のリーダーたちが、一八九五年という明治法律学校が開校して二

O年以上経過した段階においても、「校長」等

大学史資料センタ一報告

の役職に対する手当を受け取っていなかったことには驚くばかりである。

一九二ニ年における明治大学教職員の金銭的待遇

-120一

ここでは、[明治大学百年史』第一巻に収められた一九一一二(大正二)年一

O月の「明治大学職員調」と「大正二年

度明治大学予算表」を検討したい。前者「明治大学職員調」には、一九一一一一年一

O月時点における教職員の氏名、「教

員免許学科」、「受持学科」、「毎週受持時間数」、「職名」、「俸給」、「就職年月」、「卒業学校名学位称号」、「兼務ノ個所」、

「族称」、「生年月」が記されており、第l表として一覧化した。また、後者「大正一一年度明治大学予算表」には、当

時の大学予算額と「科目」(予算執行の使途)が記されており、これも第2表として一覧化した。岸本は「明治大学

職員調」と「大正二年度明治大学予算表」が作成された前年の一九一一一(明治四五)年四月、驚校中に急逝している。

そのため、第l表に岸本の名前を見出すことはできない。しかし、両史料に記された内容は、岸本死後のわずか一年

後の明治大学のようすであり、事実として明治大学の規則を見ても、

明治大学規則」と、

(明治四四)年の「明治四十四年七月

明治大学規則」に、校長の交代を除いて大き

改正

九二一(大正元)年の「大正元年八月改正

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な人事異動はなく、また学校制度にも変化が無かった。したがって、「明治大学職員調」と「大正三年度明治大学予

算表」をもとに作成した第1表と第2表を、岸本最晩年時における明治大学(一九O二一年、明治法律学校は専門学校

令に基づいて「私立明治大学」と改称している)

のスタッフとその待遇、あるいは財政状況を示す史料として扱うこ

とができるだろう。

まず、第l表を一覧すると、岸本を継いだ第二代校長である木下友三郎、従来の「幹事」に相当する役職である「学

監」の掛下重次郎、同鵜沢総明、「主事」の田島義方、以下「講師」が八一名続き、「会計、主事」竹村頼堅以ト二九

名の現在でいう事務職員の名前が確認できる。そして「校長」、「学監」、「講師」の「俸給」が「無給」であり、「主事」

田島義方や「会計、主事」竹村頼堅ら事務職員一二

O名が有給であることを確認することができる。

〔史料5〕(「手当」二四円)と第1表(「俸給」二一

O円)の両方に名前がある田島義方を物差しに考えれば、〔史料5〕

の「手当」は〔史料1〕から月給で

-121一

の「手当」と第l表の「俸給」は同義語とみることができるだろう。〔史料5〕

あることが判明しているから、第l表に記された全三一

O名の「俸給」額に二一(か月)を掛けて合計した六二一OO円

カt

年分の「俸給」総額である。ちなみに、第2表で「給与費」はおよそ一万二一

000円計上されているから、残り

明治法律学校の校長手当(阿部)

のおよそ六七00円は、「職員給与」以外の「退職給与」や「雇一及小使」等への「給料」に充てていたものと与える

ことができる。

とするならば、〔史料1〕や〔史料5〕の時点では名目上計上されていたコ校長)

は、第l表・第2表が作

成された一九一二一(大正二)年時点においては、名実ともに消滅していたと考えることができるだろう。

では、「校長」や「学監」に対する手当は、無給のままであったのだろうか。この点については、第2表の「手当

及贈与」と「集会費」に注目したい。まず、「手当及贈与」としておよそ五三

OO円が計上されている。同欄の備考

に予算の使途として「慰労手当、賞与、弔慰料、寄贈、謝儀等」と明記されている。たしかに「慰労手当」や「賞与」

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大学史資料センター報告第33集大学史活動

第 1表明治大学職員表 (1913年)

li: ?" 職名 受持科目俸給

就職年月 卒業校、 ''1'位、称号(円)

."1( 務

木-f友二郎 校長 無給 1912年 7月東京帝国大学、法学

専任士

l'Il下ili:次郎 学監 書E給 1903年 9月司法省法学校、法律

学 l

鵜沢総明 学監 無給 1910年 9月東五正常凶大学、法学 参滋負議員、弁護

博士 土

田島義方 主事 30 1885年 3月明治法律学校、法学

専任

111田三良 講師法学、国際

無給 1897年 1月東京情凶大学、法学 常凶大学j去科大学

法 博士 教授

乾 政彦 講師 民法 無給 1913年 9月東京帝図大学、法学

高等商業学校教授士

飯島喬平 講師 民法 無給 l鈎6年12月東示帝国大学、法学 東尽地方裁判所判

士 王F

島田 幸夫吉 講師 民法 無給 1902年 6月東尽帝国大学、法学

行政裁判所評定官土

横田秀雄 講師民法、民事

無給 1909年 9月東京帝国大学、法学

擬律 博士大審院判事

須賀喜三郎 講師 民法 無給 1909年 9月東京帝国大学、法学 東京地方裁判所判

士 事卜

¥/μ 議輔 講師 民が;、英法 無給 1906年11月東;;(w阿大学、法学 !tU;(地h裁判所判

士 事

上杉慎王宮 講師 憲法 無給 1913年 9月東尽帝国大学、法学 帝国大学法科大学

博士 教授

i青木 i'町W 講師 比較憲法 無給 1902年 5月東M'r'I'i凶大学、法学

行政裁判官評定官博卜

牧 野英一 講師 刑法 無給 1913年 9月東尽帝国大学、法学

岡田庄作 講師刑法、刑事

無給 1912年 1月明治大学、独逸ミユ

擬律 ンヘン大学ドクトル東京控訴院判事

小林丑三郎 講師 経済財政 無給 1899年 6月東京帝国大学、法学

専任博士

高橋作衛 講師 国際公法 無給 1910年 9月東京帝同大学、法学 JlL'i:帝fiiJ大学法科

博士 大学教授

遠藤源六 講師 国際公法 無給 1909年 9月東京帝国大学、法学

海軍省参事官博士

治ノ,)<. ){:I蔵 講師 刑事訴訟 無給 1908年 2月東J;(;['i;:I-主!大学、法学 東京地}j裁判所検

土 サヰ

一 122-

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明治法律学校の校長手当(阿部)

志田~太良日講師 商法 無給 1912年9月東京帝国大学、法学 東尽高等商業学校

博士 教授

三橋久美 講師 商法 無給 1906年11月東京帝国大学、法学 東京地方裁判所判

士 事

松波仁一郎 講師 商法 無給 1895年 9月東尽帝国大学、法学 東思帝国大学法科

博士 大学教授

明治大学法科、独逸

水口吉蔵 講師 商法、独法 無給 19日年9月 ハイデルベルヒ大学 東京区裁判所判事

ドクトル、ユ リス

市村富久 講師 商法 無給 1911年9月東京帝国大学、法学

逓信省事務官士

岩田一郎 講師 民事訴訟 無給 1899年6月東京帝国大学、法学

東京控訴院判事士

岩本勇次郎 講師 民事訴訟 無給 1912年9月東京帝国大学、法学

東京授訴院判事士

前田置之助 講師 民事訴訟 無給 1911年9月東京帝国大学、法学

東京控訴院判事士

末松備一郎 講師 行政 無給 1911年 9月東京帝国大学、法学

法制局参事官士

寛 克彦 講師 法理学 無給 1910年9月東京帝国大学、法学 東京帝国大学法科

博士 大学教授

大倉銀蔵 講師 破E量 無給 1913年9月司法省法学校、法律

大審院判事学τt

岩根 講師 農業 無給 1909年9月東京帝国大学、農学 帝国大学農科大学

士 教授

吉野作造 講師 政治学 無給 1913年 9月東尽帝国大学、法学 東京帝国大学法科

土 助教授

植原悦二郎 講師 政治史 無給 1913年 9月ロンドン大学、 ドク 東尽高等工業学校

トルオブサイエンス 教師

石川哲郎 講師 法医学 無給 1911年9月東京帝閤大学、医学 東尽帝国大学医科

士 大学助教授

中 村茂男 講師通論、地理、

無給 1908年9月東京高等商業学校、

算神f 商学士専任

簿記、商業米国オーストマン商

岡田市治 講師 文、英語実 無給 1909年9月 専任

践業学校

エドワ ド・

プロック・ 講師 商業実践 無給 1906年9月東京高等商業学校

ホイス講師

河合利安 講師 統計学 無給 1910年9月 内閣統計局

星野太郎 講師商品学、税

無給 1904年 9月 東京高等商業学校東京高等商業学校

関倉庫 教授

-123一

Page 27: できる。 はじめに 明治法律学校の校長手当 · 所得税ニ関 スル達及議案 ... 東京府常置委員会子爵 金原 岸本 堀 田 辰 雄 正養 明善 タルニ付別紙関係書類ヲ添同法第二十条ニ依リ其会ノ決議ニ付ス神田区仲猿楽町廿弐番地岸本辰雄外拾五名ヨリ所得税法第十九条ニ依リ所得税等級金額不当又ハ誤謬訂正申出

大学史資料センタ一報告第33集大学史活動

牧野義智 講師 外交史 無給 1913年 9月 専任

高 桑駒古 講師 外交史 無給 1904年 5月東京帝国大学、文学

専任土

関 一講師経済政策、

無給 1904年 9年東京高等商業学校、 東尽高等商業学校

鉄道 法学博士 教授

貨幣信用、東京高等商業学校、

仇野善作 講師 銀行詩語、収 無給 1904年 9年東京高等商業学校

日lfifi法学|司上 教授

堀 光亀 講師 海運 無給 1904年 9年東京高等商業学校、 東京高等商業学校

商学士 教授

斎藤良一 講師 漢史 無給 (大正) 商工中学校教師

有馬祐政 講師 i莫史、漢文 無給 1913年 9月東思帝国大学、文学

学習院教授士

高野礼太郎 講師 英法、英語 無給 19ω年 4月米国ミシガン大学、

専任マスターオプローヅ

下野直太郎 講師 会書↑ 無給 l卯4年 9月 東京寓等商業学校東尽高等商業学校

教授

田崎義介 講師 商業史 無給 1908年 9月東京高等商業学校、

専任商学士

,志倉光継 講師 機械工学 無給 1911年 4月 東京高等t業学校東京高等商業学校

教授

商事経営、

石 川文吾 講師 英語、海上 無給 1904年 9月 東京高等商業学校東京高等商業学校

保険教授

馬 場銭ー 講師 財政 無給 1907年 9月東京帝国大学、法学

法制局参事官士

粟津清亮 講師 保険 無給 1909年 9月東京帝国大学、法学

専任博1:

内川正次 講師 主未算 無給 lω0年 9月 専任

稲)11 春 講師 書方 無給 1909年 9月東京高等商業学校

講師

品木敏雄 講師 独話 無給 1907年 4月東京帝同大学、文学 東尽高等師範学校

土 教授

i青田龍之助 講師

米国ケニオン大学、東京高等商業学校

英語 無給 1911年 9月 米関エール大学、マ

スターオプアーツ講師

佐藤顕理 講師 英語 無給 1911年 9月

イングフ講師 英語

米国哲学博士、文学 東京外国語学校教

ブライアン無給 1910年 9月

士 師

小谷野敬三 講師

米国アムハ←スト大東京高等商業学校

英詩 無給 l卯6年 9月 学、ハチエラ オツ

アーツ教授

-124一

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明治法律学校の校長手当(阿部)

舟橋 雄 講師 英語 無給 1911年 9月東尽高等商業学校

講師トー

古田静致 講師 1~訪問l 期E給 1904年 l月束力士'前[<]大学、 文'? 東尽高等師範学校

土 教授

内海弘蔵 講師 闘語 無給 1904年 1月東尽帝国大学、文学

専任士

今井彦太郎 講師 国語 無給東尽帝国大学、文学

第一高等学校教授土

平井 参 講師 漢文、作文 無給 1907年 4月 府中中学校教授

笹 川種郎 講師 漢文、歴史 無給 1907年12月東原帝国大学、文学

専任士

斎藤阿具 講師 歴史 無給 1908年 9月東川、,)i:l:五!大午、文学

第一高等学校教授士

中 沢澄男 講師 i也珂 無給 1912年4月東尽帝国大学、文学

専任士

畔柳都太郎 講師 共同者 無給 19ω年 4月東Ji;',w惇l大学、文学

第一高等学校教授士

森 巻吉 講師 英語 無給 1909年 4月東京帝国大学、文学

第一高等学校教授土

米国オペリン大学、

岡田実磨 講師 英語 無給 1908年4月 ノミチエラーオブアー 第一高等学校教授

村井知至 講師 1J':訊 !nf;給 1907年 9月 京都同志干|東尽外国語学校教

渡辺半次郎 講師 英語 無給 1908年 4月 東京高等師範学校東尽高等師範学校

教授

佐川春水 講師 英語 無給 1911年 4月 東尽高等師範学校 専任

村田祐治 講師 英語 無給 1910年 4月 東尽帝国大学 第一高等学校教授

米国ワシントン大東京高等商業学校

山口鐘太 講師 英語 無給 1911年 4月 学、パチュラーオプ

アーツ教授

山崎寿春 講師 英語 無給 1911年 4月米国エール大学、マ

専任スターオプアーツ

高須録郎 講師 英語 無給 1912年 4月東京帝国大学、理学

専任士

ケート 講師 つKあて;;{¥ 無給 1913年 4月 ボストン雄弁学校 専任トー

伊藤篤太郎 講師 博物 無給 1905年 9月英作!ケンブリッジ大

専任学、理学博士

紀平正美 講師 論理、心理 無給 1907年 9月東京帝国大学、文学 東尽帝国大学文科

士 大学講師

松坂善吉 講師 独時 無給 1910年 9月東京帝国大学、文学 独逸協会中学校教

士 日市

-125一

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大学史資料センタ一報告第33集大学史活動

須藤伝次郎 講師 物理 無給 1907年 9月東尽帝国大学、理学

第一高等学校教授士

菅沼市蔵 講師 化学 無給 1908年 l月東尽帝国大学、理学

第一高等学校教授士

石 井宗吉 講師 怯学通論 無給 1912年 4月 明治大学法科 農商務省

竹村頼感 会計主事 60 1888年 4月 専任

富田清毅 文書課長 18 1901年 1月 。

豊 田凶蔵 学務課長 21 l飢)3年 9月 ク

友安娯貝 学務員 17 1906年 5月 。

中島常吉 学務員 12 1911年 3月 。

深見繁次郎 学務員 15 1910年 9月 イシ

新井逸平 学務員 15 19日年 2月 。

近藤永育 学務員 12 1911年 3月 ク

柴 崎俊雄第一会計 t

19 1904年8月 。f壬

細沼光理第一会計主

16 1906年 7月 • 任

市川松次郎 会計係 13 1908年10月 。

樋口林太郎 会計係 17 1906.11'10月 。

豊島頼定 校舎取締 17 1895年 8月 。

大辻与兵衛 校舎取締 15 1904年10月 イシ

伊藤山博 校舎取締 15 1904年10月 。

田中良平 校舎取締 12 1913年 2月 。

武内喜代彦 出版幹事 23 1897年10月 。

高井恒太郎 出版部員 18 l引16年 5月 。

柳瀬竹次郎 出版部員 15 1905年10月 ク

村井孝太郎 出版部員 12 l卯6年 8月 イシ

長 井善蔵 出版部員 10 lω6年 9月 イシ

知久徳次郎 出版部会計 12 1912年 3月 。

大西種次郎 基金部主任 18 1906年10月 。

森 吉次郎 基金部員 15 1901年 9月 " 上 原義寛 図書館主任 18 1911年 9月 。

榛葉権一郎 図書館員 12 1907年 5月 。

林 半助 図書館員 12 1912年4月 。

日野川歳校友会学友

21 1901年 2月 。会主任

佐 竹官三学友会運動

1908年 9月部監督

15 ク

(出典)I明治大学職員調J(r明治大学百年史』第 I巻、7l5-724頁)をもとに作成

-126-

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明治法律学校の校長手当(阿部)

第2表明治大学予算表 (1913年)

(収入)

科 目 本年度(円) 前年度(円)

第一款入学金 6,320 5,218

第二款授業料 107,599 105,823

第三款試験料 1,175 1,104

第 四 款 維 日 15,636 8,062

必口為 計 130.730 120,207

(支出)

科 目 本年度(円) 前年度(円)

第一款教授費 32.185 31.861

第二款試験費 267 224

第三款集会費 9∞ 1,∞o 第四款 子当及贈与 5,335 3,558

第五款給与費 13.195 15,515

第六款通信交通費 4,613 4,233

第七款校舎費 8,776 9,175

第八款備品費 3.166 3,∞o 第九款印刷費 10,299 10,837

第十款製本費 992

第十一款肘紙費 6,840 8.427

第十二款時々収録費 4,664

第十三款消耗費 1.259 1,212

第十四款補助費 4,913 6.456

第十五款雑目 25.407 15,335

臨時費 28,685

'E'i 言十 137,543 L 115,498 ー(注)金額の銭以下は切り捨て

備 考

法、政、 I街科、大学予科入学金

校内生、校外生授業料

入学試験、編入試験、追試験料

爾金利子、得籍売下代、 Jt1也雑収入

備 考

法、政、商科、及大学予科、研究科、校外生等教授費

学期及学年試験ニ要スル諸費

役H会、講師会、職員会等集会費

慰労手当、賞与、弔慰料、市贈、謝儀等

職員給料、退職給与、屠及小使、給事、人夫、給料

郵便、電信、運送、乗車賞、電話料

営繕借地料、電灯、水道、保険料、及諸税

機械器具、標本、購入及修繕、図書購入費

講義録、書籍、講義案、規則、諸用紙印刷費

品川j紙料

時々集録ニ関スル諸費

教授材料、筆紙墨、灯料、雑品代

学費、貸与及補助、校友会及学友会巾や校補助

修業旅行補助、地方講話質、新聞広告料其他雑費

建築、移転、改修費

(出典)r大正三年度明治大学予算表J(r明治大学百年史』第 l巻、 724-726頁)をもとに作成

-127ー

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大学史活動

が「校長」や「学監」に支給された可能性は否定できない。しかし、何かしらの業務に対する「慰労手当」や業績に

応じた「賞与」は、〔史料1)や〔史料5〕で具体的に「(校長)手当」と呼んでいたけ給としての手当とは、明らか

に性格が異なるといわざるを得ない。やはり、引き続き「校長」や「学監」に対する一定の給与は支給されていなかっ

第33集

たものと考えるべきである。

次に叶集会費」については、同欄の備考に予算の使途として「役員会、講師会、職員会等」とあるから、役員会・

大学史資料センター報告

職員会等の会議に出席した際に、相応の手当が支給されていたことは間違いない。ただし、予算額は全体でおよそ

九OO円であり、ひとりあたりの支給額は大きくなかったはずである。

また「講師」、つまり教員の場合は、第2表に「法、政、商科、及大学予科、研究科、校外生等」のための「教授費」

として、およそ三万一一

000円の予算が計上されており、おそらくここから〔史料5)の「車代」に相当する講師手

当が支給されていたものと思われる。ちなみに、およそ三万二

000円の「教授費」を第1表に挙げられた「講師」

-128

八一名で割ると、

一人あたりおよそ四OO円となる。

最後に、本項のまとめを兼ねて、当時の木下校長が明治大学から得た収入について僅認してみたい。まず、第1表

から明らかなように校長に対する「俸給」、すなわち川給は支給されていない。木下は校長ではあるが講師ではない

ので、第2表の「教授費」からの講師手当も考えられない。ただし、第2表の「手当及贈与」と「集会費」から、業

務や業績に応じて、手当が支給されていた可能性は-台定をすることができない。

以上から、たしかに状況証拠ばかりではあるが、岸本は、明治法律学校開校当初から死去するまでの問、幹事や校

長として、月給というような形で一定の給与・手当を受けていなかったということになるだろう。

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岸本の回想からみる明治法律学校経営

本稿の最後に、岸本の懐古談である〔史料7〕・〔史料8〕について、これまで述べてきた点との関連を中心に考察

〆,.、.

O

L丈し

まず、

一九

O四(明治三七)年に発表された〔史料7〕について確認したい。

一九

O四年一一月発行)

記者日弁護士としての君は世既に定評あり校長としての君は果して如何君が生涯の抱負を捧げたる明治大学の

〔史料7〕「明治大学校長岸本辰雄談」(一)(「法律新聞」第一一四四号、

経営吾等後生敢て筆し易からずと雄も之を捕捉して以て読者に報ぜん(神吉生)

-129一

(中略)

此亡議友に宮参城し落警塵竺君丁も議仏

言甲

で2五議筋 L-マr>

私企

主主律(:

言語門立主主 乎

在校を設願立山の認、計許画をを得したたの失は代実君にも

Eまb:: ~ ヰナ

の舎十の二関月係でをあ離るれ世て

明治法律学校の校長手当(阿部)

いポケットの』に

しめたのである創立当時は学生の数も非常に少く総計僅かに四十四人斎藤孝治君などは第一の入学生

であったよ此創立者而かも三人共多忙なる公務の余暇を以てやる業である講義の方法も参考書も一冊あると云

ふではなし全く法蘭西風にズツト改良して決して朗読的に本に依ると云ふことをせなかった②剖判到州朝刻

mh助力のある訊旬もないー然るに其筋よりは

物々苦心の

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大学史活動

一の革命党とでも思ふたのか精疑の眼で事毎に迫害を加へた、

いや夫ばかりではない他に驚いたのは此四十四

人の初期入学生中実に二名の国事探偵の牒者が入り込んでいたと去ふので如何に着眼せられてたが分るだろう

急しい事は目の廻る程で三人共退庁後は駈け付け夜も遅く首を集めて相談する有様で殆ど寧日なしと云ふてよ

第33集

い此くて追々生徒も殖へたては来たが

企会計の困難

大学史資料センター報告

を昌明めでも家賃にも

用らぬ訳其苦しさは雷

である三刈の入

増加するのみであるから旧藩主池田輝知君に補助を謂ふて毎月二十円宛四年間受けたのは何よりの賜であった

其内世に法学なるもの、漸く拡まらんとする傾向を示し一一一私立法律学校の設立を見るに至ったのである

(未完〉

-130ー

岸本辰雄論文選集円三三九1三四一頁)

(村上一博『日本近代法学の先達

〔史料7〕によれば、明治法律学校を開校するにあたって、岸本らは司法官僚としての給与を持ち出して校舎賃料

にあてていたという(①)。有力スポンサーがなかった明治法律学校では、開校後学生から「校費」として三

O銭な

いし五

O銭を徴収したものの校舎賃料も賄えなかったようで(③)、このような状況を岸本が「金が先き立つ世の中

で何処から助力のある訳でもない」(②)と表現しているのも興味深い。いずれにせよ、校舎賃料に困るような状況

一部の講師へ手当も支給できなかったこと

であったため、前掲〔史料3〕にもあるように岸本ら創立者はもちろん、

を読み取ることができるだろう(③〉。なお、〔史料7〕の末尾にある「旧藩主池田輝知君」は岸本の出身藩である旧

〔加}

鳥取藩の当主である。

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明治法律学校の校長手当(阿部)

次に、

(明治四四)年に発表された〔史料8〕について確認したい。

〔史料8〕「余が明治大学を経営せる三十年の苦心」(『実業之日本』第一四巻一一一一号、

一九二年一

O月発行)

ム本大学に関係する事三十ヶ年

余は明治大学には三十年来関係して居るので、友人宮城浩蔵矢代操の両氏と余の云人にて法律思想普及の目的

を以て明治十四年一月十七日本校を創立したのである。今や両氏ともすでに故人となり、日月飛ぶが如く本年

の一月十七日で満三十年になった。此間余は或は大学教授となり、大審院判事となり、或は弁護士となる等身

上に於て幾多の変遷を為したが本校には絶へず関係を有して居った。従来は教育事業の方は片手間の形であっ

たが、昨年五月弁護士を廃業して以来、専心一意学校に関係すること?なったのである。

-131一

ム自腹を斬って校費を払ふ

備て余が学校と関係して以来既に三十年になるが、此問随分相応の苦心もあった。①講師の月給が叫えぬので

借用劃対を入

たり、又②闘

らなかったのみならず、③自

費を割引制国柑

たことさベあった。本校も今日では斯くの如く隆盛になって居るが、明治廿九年頃には衰微の極点に達したの

で、当時芝浦の見晴苧に会して学校の興廃を議したことさへある。

而して此会合の結果積極的進取策を講じて学校の発展を計るに決し、漸次衰運を挽回して今日の瞭醸を観るに

至ったのである。創立満コ一十年に際し往時を追懐すれば淘に感慨に堪へざるものがる。

ム余が教育事業に対する趣味

業叫対してはぎ口知

なる国民を作り?ありと思ふと、|何となく責任の重到なることを感ずると同時に、|岨{の愉快を感引るの

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大学史活動

である。如何なる職業でも国家に尽す点於ては甲乙はあるまいが、教育事情の方は一層重大であるが如く感ぜ

らる‘。

又正直にして無垢なる青年学生に対すれば何となく清浄にして汚れなき感念にたる冶のである。彼等の聞には

第33集

俗界の其れの如き陰険なる権謀術数がない。足一たび都門を出て、地方にでも赴かば到処に彼等の温情に接し

て無限の感快を催ふすのである。

大学史資料センタ一報告

(中略)

ム学校の経営に対する悪声

声を放つものがあったので、余は少し厭気を感じ、心ならずも学校の方は等閑に附した。

何でも二ヶ年間ばかりは学校に臨まずして自分の事務所内に於て校長の職務を執行せるが如く記憶して居る。

-132一

ム余は斯くして弁護士を廃業せり

余は一昨年(

九O九年|筆者)五月を以て最後の職業たる弁護士を廃業した。

何様同業者が多いから自然競争と云った様な姿となり、従って先輩も後輩も区別がなくなり、⑤職調とは一五ふ

もの¥如何にも面白からざる感が起った折柄、

を止し専心-t思校務に

掌すること、なった次第である。

(村上一博『日本近代法学の先達

岸本辰雄論文選集」、三五七

1三六

O頁)

〔史料8〕は、明治法律学校創立三

O周年の年に発表された岸本のインタビューである。また、

一九一一年は岸本

が死去する前年にあたるこLLから、岸本最晩年の証言でもある。

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〔史料8〕は冒頭、岸本が、宮城・矢代とともに明治法律学校を設立したこと、開校後は明治法律学校の教員の傍ら、

大審院判事や弁護士を務めたこと、しかし、明治法律学校とは常に関係を持ち続けていたことが記されている。また

続いて、「自腹を斬って校費」を負担したことが見出しにもなっているように、講師給与の資金調達に困り借金をし

たこと(①)、みずからも「長く」無給であったこと(②)、そして時に私財を学校経営に充てたこと

(③)など、本

稿で述べてきたことが綴られている。

一八九三(明治二六)年、岸本は大審院判事を辞し弁護士を開業した。弁護士としての活動の傍ら明治法律学校校

長を務めたことに対し「悪士こも出たようで、学校から距離を置く時期もあったよ、つである(⑤)。前掲〔史料l〕

から、弁護士時代の岸本の収入が明らかになったが、たしかに弁護士収入は多額であった。しかし、岸本は一九O九

(明治四二)年に弁護士を廃業し、専任で校務にあたることとなった(⑦)。専任といっても、すでに第l表を紹介

しながら述べたように、月給のような一定の校長手当は受け取っていなかったと考えられる。

なぜ、岸本は、「悪声」や経済的に十分な報酬が無いにもかかわらず、明治法律学校との関係を維持したのだろうか。

そのピントが、〔史料8〕での証言ではなかろうか。

-133一

明治法律学校の校長手当(阿部)

岸本は明治法律学校の教員や校長以外に、司法官僚や弁護士としても活躍した人物であり、むしろ〔史料3〕にあ

るように、明治法律学校の方が「余暇レで、司法官僚や弁護士が本務であったといって蓋し支えないかもしれない。

しかし、たしかに〔史料8)が最晩年の証言であるということには注意が必要であるが、岸本は教育にこそ「一言知れ

ぬ愉快と限りなき趣味とを感じ」るとともに、

一方で法学の普及に「何となく責任の重大なること」(④)を自覚し

ていたのである。筆者は、岸本が明治法律学校との関係を維持した最大の埋白を、岸本の教育への情熱に求めたい。

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大学史活動

おわりに

以上

一八九五(明治二八)年の所得税審査請求資料(〔史料1〕)をきっかけとして、明治大学創立者のひとりで

第33集

初代校長であった岸本辰雄が生涯にわたって一定の校長手当を受給していなかったことを述べてきた。もちろん、岸

本には吋法官僚や弁護士としての収入があった。〔史料l〕を見ても多額の弁護士収入があったことは間違いない。

大学史資料センタ一報告

多額の弁護士収入があったために、時には「学校の方に対しては何か余が営利的に経営して」いるという風評もたつ

たようである(〔史料8〕⑤)

0

一八九五年当時、明治法律学校には校長手当を「本校維持方法確立」(〔史料l〕l

l吋、⑤〉後に支給するという

内規があった。表現自体が抽象的であり、何を以て「確立」とするのかは判然としないが、明治法律学校の経営が安

一九O一コ(明治一二六)年の市寸門学校

-134ー

定したと評される一八八七

(明治二

O〉年の通信教育機関としての講法会設虫、

令に基づく「明治大学」への改組、

一九

O五(明治三七)年の財団法人明治大学の設立、

(明治四四)年の

駿河台キャンパス現在地への移転と新校舎の竣工など、「確立」と捉えうる出来事があったことも事実である。にも

かかわらず、いずれの機会においても、岸本は校長手当を受け取っていなかったようである。むしろ、教育について

「無限の愉快」(〔史料8〕④)を感じる岸本には、明治大学の「維持方法確立」というゴ

1ルはなかったのかもしれ

AL

崎、O

JLMiv

付記本

文中「はじめに」でも紹介したように、「一八九五年

岸本辰雄所得税審査請求資料」(〔史料l〕)については、

本学文学部兼任講師で国税庁税務大学校租税史料室研究調査員の牛米努先生から御教示をいただきました。ここに記

Page 38: できる。 はじめに 明治法律学校の校長手当 · 所得税ニ関 スル達及議案 ... 東京府常置委員会子爵 金原 岸本 堀 田 辰 雄 正養 明善 タルニ付別紙関係書類ヲ添同法第二十条ニ依リ其会ノ決議ニ付ス神田区仲猿楽町廿弐番地岸本辰雄外拾五名ヨリ所得税法第十九条ニ依リ所得税等級金額不当又ハ誤謬訂正申出

明治法律学校の校長手当(阿部)

また、牛米氏は福沢諭吉の同様所得税関係史料についての分析を「福沢諭吉の所得金額不服申立書」(慶慮義塾福沢研究セン

ター『近代日本研究」二七巻、-一

O一O年、所収)として発表されているので、あわせてご参照いただきたい。

租税史料叢書第三巻町所得税関係史料集1導入から申告納税制度以前まで

1』(国税庁税務大学校税務情報センター租税史料

室、二

OO八年)。

牛米努「解題」(前掲司所得税関係史料集1導入から申告納税制度以前までi』所収)。

同右。

所得税調査委員会については、牛米努「所得調査委員会の研究|個人所得税の賦課課税|」(税務大学校『税務大学校論叢』

第六五号、二

O一O年、所収)参照。

『明治法律学校二十年史』(講法会、一九O一年〉。

『明治大学百年史』第一巻(明治大学、一九八六年)、『同』第一一一巻(明治大学、一九九二年)。

村上一博「岸本辰雄らに対する貸金催促訴訟」(明治大学史資料センター「大学史紀要」一一号、一一

OO七年、所収)、『明治

大学百年史』第三巻、一一六三1二六五頁、塩入太助談話「岸本博士逝く」(司法律新聞」第七八一号、一九一一一年〉。

『明治法律学校二十年史』二四1二六頁。『明治大学百年史』第二一巻、一六O頁。

『明治大学百年史』第三巻、一六五頁。

歴史編纂資料室報告第五集『岸本辰雄関係資料集(一)』(明治大学広報課膝史編纂資料室、一九七五年)

明治大学百年』(明治大学、一九八O年)三四1三五頁、『明治大学百年史同第一一一巻、二

O六1二O七頁。

『明治大学百年史』第三巻、一六四頁。

前掲・村上一博「岸本辰雄らに対する貸金催促訴訟」。

村上一博編著『日本近代法学の揺箆と明治法律学校』(日本経済評論社、一一

OO七年)、七

1一O頁。

「明治大学職員調(大正二年一

O月一日調)」(『明治大学百年史」第一巻、七一五1七一一四頁)。

「大正二年度明治大学予算表」(『明治大学百年史同第一巻、七二四1七二六頁)。

して、御礼申し上げます。

注2 (3)

(4)

(5)

(6)

(7)

(8〉

(9)

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(日〉(国)

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一1四頁、『図録・

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大学史活動第33集大学史資料センタ一報告

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法学博士

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会計主事

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岸本辰雄

杉村虎一

井卜正一

富谷姓太郎

高木豊三

小日三保松

木下友三郎

掛下重次郎

岩野新平

斎藤孝治

同島義方

鵜沢総明

小林丑三郎

法学博士

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法律学士

法学博士

-136一

岸本辰雄

木下友三郎

掛下重次郎

鵜沢総明

田島義方

竹村頼堅

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明治法律学校の校長手当(阿部)

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鵜沢総明

小林丑三郎

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法律学士

法学博士

明治大学法学士

-137-

木下友一一一郎

掛下意次郎

鵜沢総明

田島義方

竹村頼感

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20 19

(後略)

村上一博『日本近代法学の先達岸本辰雄論文選集』(日本経済評論社、二

OO八年)。

明治法律学校創立以降の岸本と旧鳥取藩の関係については、鈴木秀幸「岸本辰雄と郷土」(「大学史紀姿』第一

二OO七年、所収)を参照してほしい。

口一守、

-138