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和食を支えるだしの魅力 誌名 誌名 日本醸造協会誌 = Journal of the Brewing Society of Japan ISSN ISSN 09147314 著者 著者 近藤, 高史 巻/号 巻/号 110巻2号 掲載ページ 掲載ページ p. 86-94 発行年月 発行年月 2015年2月 農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター Tsukuba Business-Academia Cooperation Support Center, Agriculture, Forestry and Fisheries Research Council Secretariat

和食を支えるだしの魅力 - AgriKnowledge ホームagriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010891109.pdf · 和食を支えるだしの魅力 和食の味付けの基本は「だしjである。だし自体は薄味でカロリーも低い。しかし,だしを使うと

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和食を支えるだしの魅力

誌名誌名 日本醸造協会誌 = Journal of the Brewing Society of Japan

ISSNISSN 09147314

著者著者 近藤, 高史

巻/号巻/号 110巻2号

掲載ページ掲載ページ p. 86-94

発行年月発行年月 2015年2月

農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センターTsukuba Business-Academia Cooperation Support Center, Agriculture, Forestry and Fisheries Research CouncilSecretariat

和食を支えるだしの魅力和食の味付けの基本は「だしjである。だし自体は薄味でカロリーも低い。しかし,だしを使うと油脂,

バター,ソースなどを使わなくてもおいしく調理できる。だしの本質は,野菜や魚介類などの具材の持ち味

を引き出すことにあると考えられている。本稿では,だしの代表格であるかつおだしに焦点を絞り,健康機

能について解説する。

1. はじめに

海外はいま日本食ブームである。その理由として,

健康的というイメージや,おいしくて見た目も美しい

ことが挙げられている。ブームは欧米などの先進諸国

にとどまらず,アジア諸国にも広がっている。海外に

ある日本食レストランの数は, 2006年の約 24,000庖

から 2013年には約 55,000庖へと急増した(外務省調

べ)。その一方で, 日本国内では急激に食事の欧米化

やグローパル化が進み,家族形態や生活スタイルの変

化,人口の減少,高齢化などと相まって,若者を中心

とした「和食離れ」が進んでいる。すなわち,和食お

よび伝統的な食文化が衰退しかねない危機的状況が生

じた。

そこで,その危機感を払拭するため, 日本政府を中

心とした食関係者等が一致団結し, I和食;日本人の

伝統的な食文化」と題してユネスコに申請した結果,

2013年 12月に無形文化遺産登録が実現した。申請に

際しては,和食 (WASHOKU)を料理そのものでは

なく, I自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた

「食」に関する「習わし」と位置づけた 1)。すなわち,

「日本人の伝統的な食文化Jと定義した。和食の特徴

として,①多様で新鮮な食材と素材の味わいを活用,

②バランスがよく健康的な食生活,③自然の美しさの

表現,④年中行事との関わり,の4つを挙げている。

無形文化遺産への登録により保護と継承のための継続

的な措置が求められることとなった。まずは和食とは

何かを知り,和食の特徴や素晴らしさを再認識するこ

Functional Roles of Dashi in J apanese Cuisine

近 藤 高 史

とが重要で、あろう。それには,和食の価値に関する科

学的エビデンスを蓄積し,次世代を担う若者や子供た

ちに正しく伝えることが必要となる。

では,和食の価値とは何であろうか?その質問に対

する議論は広範囲の内容を含むため別の機会に譲ると

して,本稿では和食を支える「だし」に焦点を絞り,

その魅力を食品研究者の立場から解説する。すなわち,

だしの特徴を整理したのちに,だしの代表格である

「かつおだし」の健康機能について最新の科学的知見

を解説する。

2. だしは和食の味付けの基本

和食において,味付けの基本はかつお節や昆布など

の乾物からヲ|いた「だし」である。だしは, I和食を

特徴づける重要な要素J,Iすべての料理の基本になる

くらい大切なもの」と表現することもできる 2)。だし

自体は薄味であるが,米,野菜,豆類などの食材をお

いしく食べる上で欠かせない。また,だしを使うと,

油脂,バター,ソースなどを使わなくてもおいしく調

理できる。そのため,カロリー摂取を抑え健康的な食

事を楽しむことができる。

海外にもフォンやブイヨン,湯(タン)など,日本

のだしと似た液体が存在するが,性質は大きく異なる。

たとえば,和食で使用するだしの素材は,主にかつお

節,見布,煮干し干しシイタケなどの乾物であり,

とくに一番だしにおいてはコーヒーやお茶のようにご

く短時間で成分を引き出すという特徴がある 3.4)(第 1

表)。当然,カロリーは低く油脂分もほとんどない。

Takashi KONDOH (ChemosensoηResearch Group, Institute for Innovatio刀,Ajinomoto CO., Inc.)

86 醸協 (2015)

第 1表 日本のだしと海外のだし(だし風のもの)の いは浸透させることで野菜などの食材そのものの持

特徴の比較 ち味を引き立てる」という手法は和食に固有でLあり,

特徴 だし(日本)ブイヨン(西洋)および湯 (中華)

乾燥素材 生の素材素材 (昆布,かつお節,煮 (鶏肉,牛肉,魚,骨,

干し干しシイタケ)野菜,香辛料など)

調理時間 短い(数分~数時間)長い(数時間~数日)

アミノ酸バランス 低い

脂質含量 ほとんどない

カロリー 非常に少ない

うま味物質多い

高い

比較的多い

比較的高い

多い

また,素材の乾燥により細胞膜が破壊されるため,水

戻しにより成分を容易に抽出できるという利点がある。

すなわち,長時間煮込む必要はないのである。また,

乾燥食材の長期保存過程で熟成が生じる可能性も指摘

されている。すなわち,生の素材からは得られない成

分も引き出し利用していると考えられる。

一方で,海外のだし(だし風のもの)は生の食材

(鶏,豚,牛などの肉や骨などの動物性素材,および

野菜)を長時聞かけて煮込むことによって,成分を抽

出している。そのため,ゼラチン質や油脂分を多く含

んでおり,濁った液体で カロリーも比較的高くな

る5)。したがって,伝統的な日本のだしは,必要とす

る成分だけを最大限に引き出し,好ましくない成分を

できるだけ含まない最適な条件を選んでいる(短時間

で抽出する)という点で,海外のものとは大きく特徴

が異なる。色も透明度の高い琉王白色の液体である。調

理面からみても. Iだしの味を他の食材に移す,ある

毘布 かつお節

海外では見当たらない 5)。したがって,だしの本質は,

野菜や魚介類などの具材の持ち味を引き出すことにあ

ると考えられている。

3. うま味はだしの基本要素

だしの天然素材には,かつお節や昆布以外にも,い

ろいろな魚の節類 (煮干しまぐろ節,そうだ節,さ

ば節,むろ節, さんま節)や干しシイタケなどいろい

ろな種類が存在する。最近では,新たに鮭節や鶏節も

開発されている。それらの素材を使ってヲ|いただしに

含まれる成分を分析すると,アミノ酸,ペプチド,タ

ンパク質,核酸関連物質,有機酸, ミネラル, ビタミ

ン,香気成分などが検出される。これらの多種多様な

成分の中で最も重要と考えられている呈味成分は,う

ま味成分であるト7)。たとえば,昆布の場合はグルタ

ミン酸,節類 (かつお節,煮干しなど)の場合はイノ

シン酸,干しシイタケではグアニル酸がうま味成分の

正体である(第 1図)。 うま味は 5種類ある基本味

(塩味,甘味,酸味,苦味,うま味)のひとつであり,

また,料理の風味を増加する作用 (風味増強作用)を

併せ持つ。したがって,うま味成分を上手に引く (ヲ|

き出す)ことが,だしを料理に使う主目的であると考

えられている 8-9)。

しかしひとつのだし素材を使ってだしをヲ|いても,

薄いうま味しか得られず物足りなさを感じる。その理

由は,各素材に含まれるうま味成分の量が十分ではな

いため,最も好ましいと感じるうま味濃度に到達しな

いからである。しかしながら,ある 2種類以上の素材

煮干し 干しシイタケ

t 4撃グルタミン酸 イノシン酸 グアニル酸

第 1図 だしの天然素材とうま味成分

第 110巻 第 2号 87

香り

だし=うま味十香り+その他第2図 だしの特徴

を組み合わせてだしを引くと,うま味強度が飛躍的に

強くなることが経験的に知られており ,調理上の工夫

として実践されてきた。たとえば,見布にかつお節ま

たは干しシイタケを組み合わせてヲ|いた「あわせだ

し」が,見布だし単独やかつおだし単独よりはるかに

うま味が強いことが知られている。これを「うま味の

相乗効果」という 10.11)。うま味の相乗効果とは,アミ

ノ酸系うま味物質 (グルタミン酸)と核酸系うま味物

質 (イノシン酸またはグアニル酸)を組合せる(混合

する)ことにより,うま味強度が飛躍的に増加する現

象のことである。一般的に グルタミン酸は植物性食

材に多く含まれ,イノシン酸は動物性食材に多く含ま

れるので,鍋や煮物を作るときには,肉や魚、と一緒に

野菜を入れて調理することが多い。これはうま味を相

乗的に強め,かつ栄養バランスも保っておいしく食べ

るための工夫である。

したがって. ["うま味はだしの最も主要な要素であ

る」と考えられる。しかしうま味だけでだしの全て

を説明することはできない。う ま味そのものは比較的

単純な味であり,また香りもないので,いろいろなだ

し素材の差異を特徴づけるには不十分である。そこで,

うま味を基本として他の成分が各種だしの特徴に寄与

すると考えれば,上手く説明できる。とくに香気成分

の関与が大きいと考えられている12)(第 2図)。

4. だし素材の製造過程における発酵や熟成の関与

世界中には,微生物 (カ ピ,細菌,酵母など)の力

を借りて製造するさまざまな発酵食品がある。なかに

BB

は癖のある強烈なニオイを発するものもあるが,これ

らの食品は日常の食生活に豊かさを与えてきた。たと

えば,日本の伝統的発酵食品として,味噌,醤油,清

酒,納豆,食酢,漬物,なれずし,ふなずし,塩辛,

豆腐ょう,クサヤなどがある。また海外から伝わり 日

常の食生活に馴染んだものとして,ピール,ワイン,

ウイスキー,チーズ,ヨーグル ト, パンが挙げられる。

発酵により ,タンパク質,デンプン, トリアシルグリ

セロールなどの大きな分子が分解されてアミノ酸,糖,

有機酸などの呈味成分が作られると共に香気成分も生

成される。また,発酵食品には,発酵工程とは別に

(あるいは一部重なって)熟成工程が存在する。 じっ

くりと貯蔵することで,品質の明らかな向上が認めら

れるものが熟成であり,時間と手間をかけておいしい

ものをもっとおいしくする「食」の知恵である。これ

ら発酵食品は伝統的な製法に基づいて作られており ,

複雑で深い味わいを生み出す。画一的でない多様なお

いしさが,飽きのこないおいしさを生み出すのかもし

れない ω。発酵や熟成は. ["本物の味jを求める手段

として,重要な役割を果たしている。

では,だし素材の場合,発酵や熟成は関わっている

のだろうか?微生物の力を借りるか否かという視点で

考えると,かつおやまぐろの枯節あるいは本枯節はカ

ピ付けを行っているので立派な発酵食品の仲間である

(第 3図)。カピ付けを行うことにより,燥;鹿臭,生臭

さ,酸味が減少しうま味がすっきりとしたまろやか

な風味に仕上がる 14)。しかしカピ付け工程まで行

うと,出荷まで最短でも 4か月以上かかるため,市販

のかつお節の多くはカピ付けしないで出荷する荒節で

ある。荒節は,原料の魚(カツオ)を煮熱した後,熔

乾工程を繰り返して作るので,消化酵素は変性・失活

しており ,微生物が生存できる環境にもない。したが

って,加熱や熔乾による熟成はあっても発酵は関与し

ないので,発酵食品ではない。煮干しについても,基

本的に原料のいわしを煮て干すことによって作り,カ

ピイ寸け工程は存在しないので,発酵食品ではない。

だし用の昆布については,採取後,昔ながらの天日

干しあるいは機械を使って十分乾燥させた後に販売さ

れるが,新昆布には独特の磯臭さや昆布臭があり, ま

た,かつお節と合わせたときにだしが濁ることがある。

その濁りを防ぐため,料亭で使用する昆布は,専用の

蔵に入れてむしろで覆い. 1年. 2年. 3年と寝かせ

醸協 (2015)

原料 f加熱 乾燥 li 発酵 iだし素材

カツオ→+煮熟ー+嬉乾I (燥蒸とあん蒸の繰り返レ)

ドヵピ付叫→かつお節L j (枯節・本枯欝)

カツオ→+耕一+嬉乾 かつお節(荒欝)

イワシー十+煮熟一→嬉乾 煮干し

コンゴ 乾燥→(麗患いh ー毘布(天日乾燥,機械乾燭

シイタケ 乾燥‘ (天日乾燥,機織乾駒 j 、,、,、,

子しシイタケ

4・'‘圃・---圃圃園田---園圃回開園・----・"

第 3図 だし素材の加工過程における加熱・乾燥・発酵工程の関与

おおまかな工程だけを記載した。

る蔵固いという保存処理を行ってから販売する。数年

寝かせることにより,余計な臭みや雑味が抜けるので,

料亭の料理に欠かすことのできない深みのある上品な

だしをひくことができる。したがって,見布について

も熟成はあるが発酵は関与しない。干しシイタケにつ

いても見布と同様である。

このように考えると,枯節と本枯節の例外を除いて,

多くのだし素材は発酵食品ではない。ということは,

発酵食品と役割や機能について異なる可能性が考えら

れる。このあたりにだしの秘密が隠れているのかもし

れない。

5. だしは日本の不思議な食文化

伝統的な和食にはだしが欠かせない。でもなぜだろ

うか。なぜ,鶏や豚や牛肉のスープは,和食のだしと

して使われないのだろうか?よく考えてみると, とて

も不思議である。世界の中でも,かつお節や見布を使

うのは日本だけである。逆に世界の料理は,かつお節

や昆布がなくても全く問題がない。だしは,和食に特

徴的な「素材の味を引き出す調理法」あるいは 151き

算の味付け」と関係しているのだろうか?

一方,冒頭で述べたように,和食は世界中から健康

に良いと信じられており,海外ではブームが起こって

第 110巻 第 2号

いる。実際に. ~知択を中心として肥満者の増加は深刻

な社会問題となっており,肥満に伴う生活習慣病の増

加は医療費を圧迫する原因となっている。したがって,

「おいしくて健康」なイメージの強い和食が海外でブ

ームになるのも理解できる。食生活が健康と深く関連

することに関して. 1沖縄クライシス」と呼ばれる現

象は衝撃的であった 15)。沖縄県は,長い間,世界に

冠たる健康長寿地域として知られ,現在も百寿に達す

る長命老人が多く暮らしているが,都道府県別で 1位

だった沖縄県の男性の平均寿命が. 1990年に 5位,

1995年に 4位となり. 2000年には一気に全国平均以

下の 26位まで低下した。平均寿命の低下に伴って,

肥満症,メタボリツクシンドローム,糖尿病,高血圧

症が急増し,日本ーの肥満県としても知られるように

なった。その大きな要因のひとつとして,米国型の高

脂肪・大量消費の食文化が流入し,短期間のうちに食

習慣が大きく変化したことが挙げられている。すなわ

ち,バランスのよい伝統的な食事から現代型の食事へ

と急変したことが若者の寿命を縮める大きな要因であ

ると指摘されている。この教訓は日本全体への警鐘と

受け止めるべきであろう。

さて,和食が健康によいと仮定すると,その理由は

何であろうか?一般的には野菜を多く摂る,栄養パラ

89

ンスがよい,油脂を使わなくてもおいしく調理できる

などが挙げられているが,イメ ージが先行しており,

科学的エピデンスが不足している。そこで,和食の基

本である「だし」が関与している可能性について考え

た。この仮説に対して回答するには,多くの実験を行

い科学的エピデンスを積み上げる必要がある。しかし,

だしには多くの種類があるため,すべてのだしについ

て網羅的に調べることは現実的に困難である。そこで,

だしの代表格である「かつおだし」に焦点を絞った研

究が,最近急速に進んできた。以下に,かつおだしに

含まれる成分とかつおだしの健康機能に関して解説す

る。

6. かつおだしに含まれる成分

福家ら 16)によると, 2.596のかつお極上本枯節を使

ってヲlいたかっおだしの図形分を分析した結果,イノ

シン酸の含有量は固形分中の 396であり,動物が嫌い

な酸味成分(乳酸)や苦味成分(ヒスチジン,クレア

チニン,アンセリン, ミネラルなど)は,イノシン酸

よりもはるかに大量に含まれていた (第4図)。 グル

タミン酸は固形分中のわずか 0.l96,糖類もわずか

0.296だけであった。また 20種類の遊離アミノ酸全

A

体に対してヒスチジンが 8796を占めた。脂質分析は

行なっていないが,原料のかつお節の油脂含量は極め

て少ない 17)ことから,脂質の量も微量と考えられる。

このように「酸味+苦味+うま味」という味成分の組

み合わせはかつおだしに特徴的であり ,市販の調味料

とは大きく異なる 8)。さらに,かつおだしは 400種類

以上の香気成分も含んで、いるため,非常に複雑な構成

をしている 12)。かつお節の香りはひとつの香り成分

で再現することはできず,1)ロースト臭 (加熱調理

時に生じる香ばしい熔焼臭)を示すピラジン類, 2)

くん煙香(爆製のニオイ )を示すフェノール類, 3)

魚の生ぐさ臭(成分未同定), 4)肉質的な香り(加熱

した魚肉のニオイ)を示す揮発性含硫化合物,の少な

くとも 4つの香気成分群の微妙なバランスにより形成

されると考えられる 12.18)(第 4図)。

7. かつおだしの機能性一疲労改善効果

かつお節やかつおだしの原料である「カツオ(鰹)J

は,スズキ目 -サパ科に属する魚、であるが,普通の魚

とは異なりエラ呼吸をすることができず,また浮袋を

もたないため,疲れて泳げなくなると,酸素不足に陥

り海底に沈んで死んでしまう 。そのため,一生涯高速

昧特古nu

RU 味ま-つ酸ン、ンノイ

(

J 半Jg 0.10 Cコrl 、、、。。

)

ml耐↓厚相8 0.05 くR世蛍酬

0.00 アンセリン(苦味)カルノシン(苦味)

第4図 かつおだしに含まれる成分と 5基本味の呈味成分の含有量

かつおの極上本枯節を 2.596使用してヲ|いただしを使用。(文献 16より引用改変)

醸協 (2015)90

(時速 30-50km)で泳ぎ続ける「疲れ知らずの魚」

として知られている。そこで,疲れて泳げなくなる危

険性を防ぐために,疲労の蓄積を抑えるあるいは疲労

を回復する能力があると推測される。したがって,カ

ツオを原料とするかつおだしにも,疲労改善効果があ

るものと予測される。

実際に動物試験およびヒト評価を行った結果,かつ

おだし(固形分 296-896水溶液)を単回あるいは 2

-4週間継続摂取することによ り, 各種疲労(肉体疲

労,精神疲労,眼精疲労)が改善されることが明らに

なった。たとえば,回転式 トレッドミルを用いてマウ

スを強制的に 3時間歩行させると,その後ぐったり と

疲れて動かなくなる。ところが,強制歩行させた直後

にかつおだしを単回経口投与すると,水を経口投与し

た対照マウスに比べて 1時間の自発運動量が増加し

運動させていない正常マウスと 同程度まで回復し

た 19)。 また,エ ネルギーの指標である肝臓中の

ATP/AMP比を測定した結果,かつおだしの単回経

口投与により,運動による ATP/AMP比の低下が抑

制される傾向が確認された。したがって,かつおだし

には運動負荷後の疲労を早く回復させる効果があると

考えらえる。

また, 日常的に疲労感を感じているヒ ト被験者にお

いて,内田ク レペリンテス トを用いて精神作業負荷時

の作業効率を調べたところ. 4週間のかつおだし摂取

により正答数が約 596増加した 20)。プラセボでは,摂

取前後で変化がなかったことから,かつおだしには,

ヒトの精神疲労を改善することが示された。同様に,

疲労感を自覚している被験者において,肩こりの自覚

症状 21)やディスプレイ作業負荷による眼精疲労 22)が,

かつおだしの継続摂取により改善されることが報告さ

れている。このよ うに, かつおだしは多様な疲労(肉

体疲労,精神疲労,眼精疲労,肩こり )に対して改善

効果を示す 23,剖)。

8. かつおだしの機能性一日常の気分・感情状態

(とくに疲労感)の改善効果

かつおだしは,日常の気分 ・感情状態, とく疲労感

に対しでも有効である。Profileof Mood States

(POMS)試験(気分 ・感情状態を 5段階で評価する

質問紙法) を用いて調べた結果,かつおだしの継続摂

取により,緊張一不安,活気,疲労,混乱,および

Total Mood Disturbance (TMD;総合的な感情状態を

示す指標)の項目が有意に改善した紛。精神的スト

レスとの関連が示唆されている「緊張一不安」スコア

が改善したことから,かつおだしには抗ス トレス作用

(4-メチルグアヤコーJレなど)

かつお節フレーバ-

第 110巻 第 2号

成分未同定 揮発性含硫化合物(ジメチルスJレフィドなど)

第 5図 かつお節フレーパーを構成する主な香りと成分

(文献 18より引用改変)

91

がある可能性も考えられる。

このように,かつおだしは,疲労を改善するだけで

なく ,ヒトの気分・感情状態を改善する優れた健康食

材であることが明らかとなった。この改善効果のメカ

ニズムとして,疲労やストレスを改善した結果二次的

に生じる可能性が考えられるが,他にも情動を司る扇

桃体に作用して脳活動を変化させる可能性も考えられ

る。実際に,ラットの胃内にかつおだしを投与すると,

扇桃体において活動ニューロン数が増加することが示

された 26)。

9. かつおだしの機能性ー不安の抑制効果

京都南禅寺近くにある老舗料亭 「瓢亭」の 14代目

当主 -高橋英一氏は, Iだしの深い味わいは,精神を

落ち着かせ,心を豊かにさせる働きがあると思いま

す」と述べている 2)。また,ちゃんとヲ|いただしで仕

立てた一杯の味噌汁についても ,Iこれほどおいしく

心を和ませるものはあ りませんJと述べている。だし

はおいしいだけでなく,心を満足させる,心を落ち着

かせる,穏やかな気持ちにさせる,などの心 (情動)

に作用する不思議な効果があるのかもしれない。

A B

もしかつおだしが心を和ませるのであれば,不安を

抑える効果もあるかもしれない。そこで,ラットを用

いてかつおだし摂取の効果を調べた。評価法として,

抗不安薬の薬理学的評価によく用いられるオープンフ

ィールド試験法を用いた。オープンフィールドは,ラ

ットが生まれて初めて経験する新奇環境であることか

ら,中央に置かれた後は警戒しながらフィールド内を

探索する。この時,通常は中央エリアを避けて壁に触

れながら周辺部を好んで歩く傾向が強い(接触走性

thigmotaxis) 0 5分間の探索行動を解析した結果,低

濃度のかつおだし (固形分0.08%水溶液,お吸い物の

1/5に相当する濃度のかつおだし)を16日間摂取し

た群は,水のみを摂取した対照群に比べて,中央エリ

アへの侵入回数が増加し中央エリアにおける移動時

間と滞在時間も増加した 27)(第6図)。オープンフィ

ールド全体における総移動距離は変化しなかったので,

行動量が増加したためではない。これらの結果は,か

つおだしに不安を抑制する効果があることを示してい

る。興味深いことに,同じ濃度のかつおだしを 1回だ

け経口投与しでも,不安は抑制されなかった。さらに

濃度を 2倍あるいは 5倍に上げても単回経口投与では

抗不安作用の評価法(Open Field Test)

総移動距離 中央エリアへの侵入回数25 r a

E

* だし

10 r b *ホ

E

6

4

2

0

* だし

中央エリアにおける移動距離 中央工リアにおける滞在時間キ 25r *

20

15 E 2 m

10

5

。 。水 だし * だし

第6図 かつおだし摂取により ,不安が減少する

A,抗不安作用の評価法。ラットを 90cmX 90cmの試験箱(オープンフィールド)の中央に置き, 5分間

の行動をピデオ記録/解析した。点線で示す中央エリア(54cmX 54cm)は コンピュータ上で仮想的に

設定した。白線は,ラットの歩行軌跡の例を模式的に示す。

B,ラットの行動パラメーター。ヲ<0.05および・ヲ<0.01,水摂取群との有意差。

(文献 27より引用改変)

92 醸協 (2015)

効果がなかった。これらの結果から,抗不安作用を発

現するためには,かつおだしを繰り返し摂取する必要

があると考えられる。何日間継続して摂取すれば効果

が出るかは不明であるが,ラットの場合,少なくとも

16日間の摂取により不安が抑制されることが明らか

となった。

10. かつおだしの機能性ーその他の効果

ごく最近の研究により,かつおだしには上記以外に

もさまざまな健康効果があることが解ってきたお)。

たとえば,健康な男子大学生・大学院生を被験者とし

て調べた実験において,かつおだしを飲むと胃電図の

電気的活動(正常波パワーの比率)が増加することが

示された 29)。すなわち,胃の運動リズムが整い,胃

運動が促進することを示唆している。さらには,満腹

感を促進することも示された。これらはプラセボ摂取

に比べたかっおだし単独摂取の効果であるが,流動食

と共にかつおだしを摂取した場合においても,同カロ

リーのブラセボ群に比べて胃の電気的活動充進と共に

満腹感が増加することが示されている 30)。さらには,

食物の 50%胃排出時聞が約 15%延長したことから,

食物がより長い時間胃の中に留まる可能性も示され

た 30)。これらの結果は,かつおだしが消化を促進す

る一方で¥過食を抑制する,少ない食べ物でも満足で、

きる,あるいは腹もちをよくするなどの効果がある可

能性を示している。

さらに,マウスを用いた実験において,お吸い物に

相当する濃度のかつおだし(固形分 0.4%水溶液)を,

水と共に自由に選択させて 4週間継続摂取させた結果,

縄張り行動における他マウス(侵入マウス)への攻撃

行動が,水のみを 4週間継続摂摂取させた対照群と比

べて著しく低下することが見出された 31)。また,強

制水泳試験法ではうつを抑制する効果も示唆され

た 31)。

このように,かつおだしはいろいろな健康効果を示

す優れた食品であることが示された。なお,本稿で述

べた効果は,だしの中でもかつおだしに関する効果で

あるが,筆者は昆布だしゃ煮干しだしなど他のだしに

もそれぞれに特徴的な素晴らしい健康効果があると考

えている。かつおだしの健康機能解明をきっかけとし

て,一人でも多くの研究者がだしの分野に参入し,新

しい知見が蓄積することを期待したい。

第 110巻 第 2号

11. おわりに

最近の科学的研究により,かつおだしには「疲労を

改善し,消化管機能を高め,満腹感を増大し,情動を

安定させる」など素晴らしい健康機能があることが明

らかになりつつある。だしは他のものに置き換えるこ

とのできない高機能な食素材であるため,和食の中心

的役割を果たしてきた可能性がある。

英国人のフードライターであるマイケル・ブース氏

が家族と共に日本を訪問し, 3か月間食べ歩きをした

時の感想・体験談を綴った「英国一家, 日本を食べ

るJ(寺西のぶ子・訳, 2013年,亜紀書房)32)では,

帰国前に訪れた東京の日本料理庖でだし汁(ハモのお

吸い物)を味わったところ, r喜びで体が震えたJr最後には,身体中の毛という毛が逆立ったJrすべてを

超越してしまうほどすご、かったJrこのだレ汁をもう

一度味わえるなら,すべてを差し出しでもいい」と感

想を述べている。区知択の料理と違って余計な風味が加

わらない,素材の風味を生かした究極の料理であるこ

とも感じ取っていた。日本国内でいろいろな料理を 3

か月間食べ歩いた結果,和食に対する感覚が研ぎ澄ま

され,その真髄を感じ取ったのかもしれない。

だしを基本とする日本の食文化は「日本が世界に誇

れる素晴らしい食文化」である。カロリーが低く,健

康的で,風味も素晴らしくよい。また,飽きずに毎日

継続摂取することも可能で、ある。日本人は,だしの健

康機能を経験的に感じ取り 食生活に取り入れ利用し

てきたのだろう。だしの素晴らしさや必要性をわれわ

れ現代人が再認識し,日々のおいしさと健康に役立て

るためには,長い歴史の中で先人が築き上げただしの

食文化を科学的に検証し正しく理解することが必要で、

ある。とくに,かつおだし以外のだしの機能性につい

ては,ほとんど解明されていなし、。海外のだし風のも

のとの機能性の違いについても不明で、ある。本稿が,

食育も含めた和食の保護と継承のために少しでも役立

てれば幸いである。

〈味の素株式会社イノベーション研究所〉

謝辞

かつおだしの胃運動および満腹感に関する研究は,

京都大学農学研究科食の未来戦略講座(味の素寄附講

座)の松永哲郎助教(現鳴門教育大学講師)との共同

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研究の成果であり,不安抑制効果は九州大学大学院農

学研究院・古瀬充宏教授,攻撃行動低下作用は富山大

学大学院医学薬学研究部(医学)・西条寿夫教授,脳

賦活化は産業医科大学医学部・上回陽一教授との共同

研究成果である。この場を借りて深く感謝申し上げる。

また,かつおだしの疲労改善効果および気分・感情状

態の改善効果に関する成果は,味の素株式会社健康基

盤研究所を中心とした研究成果であり,本総説に引用

させていただいた。 〈昧の素鮒〉

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