1 VIVA ITALIAN 6 Mangiare Cantare Amore! 芸術の街に暮らす、陽気な人たち 2008 JUN No.001

Ir Yamamoto

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1

VIVAITALIAN

6

Mangiare Cantare Amore!芸術の街に暮らす、陽気な人たち

2008 JUN No.001

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Mangiare Cantare Amore!食べて 歌って 愛すルネサンスが開花した芸術の国イタリア。そこには

生きる喜びにあふれ、生活を楽しむ人々がいた。訪

れる者を魅了する個性あふれる街とそこに住む人々

は、私たちにも生きる喜びを与えてくれる。

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芸術の街に暮らす、陽気な人たち。

 

世界の文化財の四十%があ

るといわれる芸術の国イタリ

ア。古代遺跡が眠る街ローマ、

ルネサンス絵画の宝庫フィレン

ツェ、水の都ヴェネツィア、最

先端文化の発信地ミラノ。南北

に広がるイタリアには個性と魅

力にあふれる街が多々存在し、

それらは私たちの憧れでもあ

る。そんな優雅な印象のイタリ

アだが、私たちがもつイタリア

人へのイメージはどんなもので

あろう。いい加減で怠け者、そ

して何よりも陽気というイメー

ジではないだろうか。繊細で勤

勉で真面目な日本人からすれ

ば、そこには憧れと拒絶という

相反する感情が矛盾して生じて

いるのだ。

❶カラフルな外壁の家々。イタリアには、伝統的な荘厳な建物から現代的で遊び心のある建物まで個性あふれる街並が続く❷有名作品から無名なものまで街の至る所に点在する彫刻。メデューサの首を掲げるペルセウス。❸昼の焼き付くような日差しなどは気にせず、オープンテラスで食事を楽しむ人々。

 

イタリア人の国民性を最も良く

あらわしているエピソードは、食

事のとり方だ。日本には立ち食い

そばという文化があるように、短

い昼休みの中でいかにはやく、お

いしく食べるかが重要なのだ。し

かし彼らは違う。昼食にゆうに

二、三時間は使うのだ。彼らにとっ

て食事とは空腹を満たすためのも

のではなく、ゆっくりと時間をか

けおしゃべりを楽しむための時間

なのである。彼らは時間を気にし

ない。それゆえに決して急いだり

焦ったりしない。それは時とし

て、私たちのようなせっかちな人

間に被害が及ぶ。リストランテや

バールで注文やお会計をしたくて

も、なかなかウェイターが対応し

てくれない。永遠と待たされ、お

会計ひとつ済ませるのにもとてつ

もなく時間がかかるのだ。日本の

ようにサービス旺盛で黙っていて

も何でもやってもられるような国

ではないのである。ある程度は寛

大な心で待つことができるが、本

当に急がなくてはならない時は、

強気で訴えるまで動いてくれない

だろう。そのような店員の態度

は、客に対して失礼なことのよう

な気がするが、彼らにそんな気は

一切ないのだ。彼らはいかにサー

ビスをするかではなく、いかに自

分たちが楽しく楽に仕事ができる

かを考えているのである。それは

決して怠慢な考え方ではなく、店

員もお客も同じ人間として、どち

らかが無理をするのではなく、お

互いにとって良い関係を築こうと

しているのである。確かに日本の

ような抜け目のないサービスは本

当に必要かどうか疑問に思えてく

る。めんどくさいルールなんてい

らない”自分も相手も人間なん

だ、常に完璧ではいられない”。

イタリア人は決して無理をせずに

心にゆとりをもって生きているの

である。そしてそこには必ず「せっ

かくの人生楽しまなくちゃ」とい

う気持ちが込められているのであ

る。彼らの合い言葉はいつも同じ

だ。”マンジョーレ 

カンター

レ 

アモーレ!”彼らは愛情に

満ちている。

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 「ミラノ・ファッション」

という言葉まで生んだ世界最

先端のファッション都市ミ

ラノ。プラダやグッチを生ん

だこの街の高級ブランド店が

立ち並ぶ中心街には、ファッ

ション雑誌から抜け出たよう

なミラネーゼたちが優雅に

ショッピングを楽しんでい

る。観光客には眩しすぎる光

景である。

 

ミラノのファッションは、

パリのような革新的なもので

はなく、伝統的な素材の品質

の良さを強みに、高級感を持

ちつつも機能性とセクシーな

要素を掛け合わせたスタイル

であることが特徴である。そ

のため道行く女性の大半がパ

ンツスタイルやモノトーンな

組み合わせによるスタイルで

あったが、シンプ

ルすぎず重たすぎ

ず、かっこよさや

きっちりとした雰

囲気の中に、女性

らしさと確かな個

性ををしっかり残

してるのがさ

すがミラネー

ゼである。

 

ミラノは、十八世紀頃から

ファッション産業の礎とも

なる毛織物や皮革などの産業

で発達し、現在はイタリア経

済の中心として、洗練された

文化を世界に発信し続けてい

る。しかし、ミラノの魅力は

世界中が憧れ、時代の最先端

をいくファッションや文化だ

けではないのだ。

 

ミラノのもうひとつの魅力

は洗練された近代的文化と共

存する歴史的・宗教的建築物

や芸術作品群である。ファッ

ショナブルなディスプレイや

経済都市として発展してきた

現代的な街並みの中に、大

理石で創られた巨大ドゥオモ

を始めとし、中世からの歴史

的流れを担う文化財が多々存

在しているのだ。街の中心地

には、十八世紀に創られ今も

なお使われているオペラの名

所・スカラ座やドゥオモ広

場とスカラ広場を結ぶ全長

近代の街並に聳え建つ、

ゴシック建築最高傑作

MILANO

二百メートルのアーケード、

ヴィットーリオ・エマヌエー

レ二世ガレリアなどが存在感

を醸し出している。またサン

タ・マリア・デッレ・グラツィ

エ教会のレオナルド・ダ・ヴィ

ンチの最高傑作である”最

後の晩餐”などイタリアの

歴史に欠かすことのできない

作品がミラノの街には存在し

ているのだ。中でもミラノの

ドゥオモは十四世紀頃から約

五百年もの歳月を経て完成し

たイタリア最大のゴシック建

築であり、建物の陰から突如

現れる姿には圧倒される。

 

しかしミラノにおける中世

の香りを最も印象づけるドゥ

オモの周りが、現在の活気を

作り出しそして未来のミラノ

を担う地元の中高生のたまり

場となっているのだ。一見相

反するふたつの要素が互いに

時代の流れに逆らうことなく

共存するこが大きな魅力であ

り、住んでいる者に個性を与

え、訪れる者にとても新鮮な

感覚を与えてくれる。

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VENEZIA

海抜1メートル、

海に囲まれた迷路の街

 

ヴェネツィアはア

ドリア海の最深部、

ヴェネツィア湾にで

きた干潟の上に築か

れた「水の都」であ

る。街中の縦横に運

河が走り、その数は

一七七本で、そこに四百本も

の橋がかかっている。ヴェネ

ツィアには一切車がない。そ

れは街中が狭く曲がりくねっ

た通りや路地でできた迷路

のようなつくりだからであ

る。自動車はもちろん自転車

も禁止されているので人々は

徒歩で生活し、また何世紀に

も渡って貨物輸送を支えてき

たのは運河を走る手漕ぎのゴ

ンドラであった。現在は水上

ボートなども走っており、観

光宿泊客はヴェネツィア市内

のホテルまで運河を通って荷

物を運ぶか、または狭く曲が

りくねった道を重い荷物を引

きながら彷徨い歩くかであ

る。

 

ヴェネツィアには地図など

存在しない。道が複雑すぎる

四ケタの番地がついているの

だ。しかし日本のように規則

正しく番号通りに並んでいる

わけではなく、三百番台に

入ったと思えば千番台になっ

たりとなかなか目当ての番地

を探すことができない。なの

で東西南北それぞれ何番に続

いてるかを確認しながら、「確

かこっちは●●番だったから

あっちかな」などと徐々にコ

ツをつかんでくると楽しく

なってくるのだ。そして「こ

の番地は近づいているぞ」と

いう所まで到達し目的の番地

(もう目的は建物ではなく番

地なのである)を発見したと

きにの喜びは格別である。一

回慣れてしまうと不規則の中

のわずかな規則性と小一時間

歩き続けて備わった勘だけで

だいたいの番地は探せるよう

になるのだ。しかしその間も

行けそうで行けなかったり、

行き止まりだったりとなかな

か思い通りにさせてくれない

のがヴェネチィアなのであ

る。    

からである。同じような街並

みが進んでも曲がっても永遠

と続き、住民以外の者が一人

歩きするとたちまち迷ってし

まう。地図がないので自分が

どの辺にいるのか確認すらで

きないのだ。そんな時は道の

至る所にあるロードシグナル

を探せば良い。”San M

arco

→”、”←Rialto

”という

ように、矢印とともに街のシ

ンボルとなる広場や橋まで導

いてくれるのだ。広場

に出たところでもう一

度街路地に入り込み挑

戦するが、やはり迷っ

てしまいまた広場に

戻ってくる。迷路のよ

うでありながら、どん

な場所で迷っても必ず

同じ場所に戻ってこら

れるこの繰り返しが楽

しみのひとつでもある

のだ。

 

地図がなくても行き

たい目的地の住所がわかって

いれば別の楽しみ方ができ

る。建物には必ず三ケタか

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に存在している。まるでガ

レージの中に駐車されている

車のように、建物の中に地下

から遺跡が飛び出しているの

だ。そんな光景を発見したと

き、始めは何なのか理解でき

ず首を傾げていたが、それが

まさに”地下に眠る遺跡”

だと気づいた時は鳥肌がたっ

た。いかにも遺跡の名所のよ

うな場所ではなく、あまりに

も生活感が溢れる道ばたに

あったからである。

 

これらの歴史が無下にさ

れなく守り続けられてきた

背景には、カトリックの総本

山”サンピエトロ大聖堂”

がローマ市内にあったからか

もしれない。独立国としては

世界最小であるヴァチカンへ

の入国はパスポートを必要と

せず、毎日観光客と参拝者で

にぎわっている。

 

ローマの下にはローマが眠

る。何世紀にもわたって壮大

な歴史を築いてきた大国は、

今も私たちを見守り続けてい

るのである。

ROMA

ローマの下には、

ローマが眠る

 「ローマは一日にしてなら

ず」。約三千年の歴史を持つ

ローマ。地中海沿岸のほぼす

べての国々を支配下において

いた古代ローマ帝国の遺跡が

街の中に点在している。六万

人もの観衆を収容した円形競

技場コロッセオや神殿や凱旋

門が立ち並ぶ古代ローマの政

治・経済・宗教の中心地フォ

ロ・ロマーノ。そのどれもが

現在でも存在感を示しローマ

帝国の片鱗を垣間見せてくれ

る。しかしよく知られたこれ

らの遺跡はほんの一部にすぎ

ないのだ。古代ローマ帝国の

遺跡は私たちの目には届かな

い、人々が生活するその足の

下に存在しているのである。

 

もともと湿地帯であった

ローマは、建物を建てても

年月とと

もに沈ん

でしまい、

またその

上に街を

つくると

いうこと

を繰り返してで

きた街なのだ。

そのためローマ

の地下には何層

にも積み重なっ

て古代ローマ帝

国の遺跡が眠り

続けているので

ある。そこには

かつてのローマ帝国時代が

あった二千年以上も前の道路

や浴場そして上下水道までが

残っているのである。現存す

ることさることながら二千年

以上も前から上下水道が完備

されていたとは驚きである。

 

ローマの地下に眠る遺跡

は、計画的な調査によって発

見されるよりも、偶然発見さ

れることの方が多い。なので

むやみに開拓することができ

ず、イタリア最大の人口を誇

る都市であるにも関わらず、

地下鉄は二路線しか通ってい

なく発達していない。これも

古代ローマ帝国の栄光を守る

ためである。また街の至る所

に遺跡のようなものが不自然

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ルネサンスの全盛期から時を刻むことをやめ

たような街フィレンツェ。「花の都」と呼

ばれ街全体が美術館のように美しい。中世の香り

が色濃く残るこの街を堪能するには、歩きながら

じっくりと建物を眺め雰囲気を味わうのが一番で

ある。一見小さく感じられるフィレンツェの街で

あるが、見所は多く散策してみると発見も多い。

あてもなくぶらぶら歩きながら街を眺めるのも良

いし、ドゥオモに登って街全体を見渡し見てから

散策に出かけるのも良いだろう。また、かつて

フィレンツェを治めていたメディチ家ゆかりの地

を巡ったり、個性的な展示品を持つ小さな美術館

を巡ったりするのも楽しめるだろう。一日中歩き

回った後には、フィレンツェを流れるゆったりと

した時間に心が癒さ

れていることに気づ

くはずだ。

FirenzeWalk in

ルネサンス絵画の宝庫金銀細工の店が並ぶ最古の橋シニョーリア広場のオープンテラス夕暮れの脇役者 市民の抜け道 KING OF DOLCE

MOTHER OF FIRENZE

ウフィツィ美術館❸

Galleria degli Uffiziヴェッキオ橋❹

Ponte Vecchioリストランテ❺

Ristranteアルノ川❽

Arno路地❼

Via 〜ジェラテリア❻

Gelateria

何 世 紀 の も わ た っ て フ ィ レ ン ツ ェ を 見 守 り 続 け て き た ド ゥ

オ モ は、 こ の 街 の 象 徴 で あ り、 旅 人 が 街 歩 き の 第 一 歩 を 踏

み 出 す 玄 関 口 と も な っ て い る。 そ ん な 街 の シ ン ボ ル で あ る

フ ィ レ ン ツ ェ の ド ゥ オ モ の 正 式 名 称 は 「花 の 聖 母 マ リ ア 教 会」。

その名にふさわしく白・ピンク・緑の大理石でできており、 華や

かでやさしい雰囲気を漂わせている。463段の階段を登り、ドー

ムの屋上まで行くとフィレンツェの赤褐色の街並が一望できる。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂❶

Cattedrale di Santa Maria del Fiore

小高い丘の憩いの場

街の東南部、 歩いてでも登れるような小高

い丘の上にミケランジェロ広場がある。 朝

来た者に1日の活力を、 夕方来た者に平穏

な や す ら ぎ を 与 え て く れ る 憩 い の 場 で あ

る。 眼下にはゆったりと流れるアルノ川と

その向こう側にはフィレンツェの単調な街

並が広がっている。 広場の中央にはミケラ

ンジェロのダヴィデ像のレプリカの記念碑

がたっている。

ミケランジェロ広場❷

Piazzale Michelangelo

メ デ ィ チ 家 歴 代 の コ レ ク シ ョ ン が

4 8 0 0 点 収 蔵 さ れ て お り、 レ オ ナ ル

ド、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッ

ティチェッリなどイタリアルネサンスの

巨匠たちが、ここフィレンツェに多くの

作品を残した。レオナルドの「受胎告知」

やボッティチェッリの「ヴィーナスの誕

生」などが展示されている。

橋の両側には彫金細工の宝飾店がなどが

にぎやかに軒を連ね、往来する人々にそ

こが橋の上であることを忘れさせる。商

店の二階部分は回廊となっていて、かつ

ての君主が宮殿を往来する際に使用され

た。その当時、商店はすべて肉屋であっ

たがあまりの臭いにすべて撤去させ、現

在の宝飾店に変貌した。

ヴェッキオ宮殿が面しているシニョーリ

ア 広 場 に は コ ジ モ 1 世 の 騎 馬 像 を 始 め

様々な彫刻が置かれており、屋外彫刻展

示場のような雰囲気がある。広場の周り

にはカフェやリストランテが立ち並び、

太陽の日差しを遮るものがないフィレン

ツェの昼下がりに、人々はオープンテラ

スで昼食を楽しんでいる。

イタリアのピザやパスタはさることなが

ら、ドルチェもイタリアが誇るおいしい

アイテムのひとつであり、それの頂上に

君臨するのがジェラートである。イタリ

アには至る所にジェラテリアがあり、メ

ニュー数は十種類ととても豊富である。

サイズも様々であり、シングルが欲しい

時は「ピッコロ」と注文しよう。

フィレンツェはイタリアの他の都市と比

べて、比較的に道が規則正しく並んでい

るので、大きい通りからそれて、小さい

路地に入っても迷うことはない。むしろ

そのような地元の人しか使わない道でこ

そ、本当の街の雰囲気を味わうことがで

き、ステキな出会いもひそんでいるので

ある。

フィレンツェをゆったりと流れるアルノ

川 と、 そ こ に 架 か る 個 性 的 な 橋 の 数 々

は、花の都を彩る脇役者とも言えるだろ

う。川沿いには職人技が冴える革工芸や

革製文具の店が連なっている。夕暮れ時

のアルノ川は、賑やかだった日中とは違

う茜色に染まった神秘的な表情も見せて

くれる。

❸❹

❻❼

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