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Page 1: TALKABOUT 45

電車が少なくお䞍䟿だが、ルドゥヌの建築の実物を芋たくお、ブザン゜ン近くのアルケスナン

ぞ行った。理想郜垂ショヌの町の王立補塩工堎は塀の倖ずはたったくの別䞖界、アッず息を呑

むほどだ。その䞭の䞀棟は博物通ずしおルドゥヌの倚くの蚈画の暡型を展瀺しおいる。そこに

は、図面だけで芋おいたルドゥヌが暡型ずなっお所狭しず䞊んでいた。ルドゥヌ奜きにはたた

らない。珟存する入垂皎取立おの関所ずしおの垂門の暡型もあった。パリに着いおから、早速

サンマルタン運河たで行っおみるず、暡型通りのルドゥヌの関所が建っおいるのだった。yh



LE

DO

UX

ラ・ノィレット通りの垂門

T A L K A B O U T

  NO

å¹³ 成   幎  月   日

J IA 近畿支郚䜏宅郚䌚

代衚䞖話人 八朚康行

委員長 星野康圊

Microsoft の Word ずいう゜フト、最初に䜿ったのは 97 だったが、今のは 2003 だ。少

しず぀進化しおいるようだが、䜕かわけの分からない郚分もある。䜜業䞭に、安党の

ために時々䞊曞き保存をしおいるのだが、あるずき突然、譊告が出お、「領域が違うの

で保存できたせん、マむクをはずしおください」ずかいったような画面が珟れた。マ

むクなんか初めから付けおはいないが、その埌䞊曞きボタンを抌すたびにこの譊告が

出る。ずおもうっずうしい。そのうち䜕かのはずみでこの邪魔者は出おこなくなった。

ある文章を取り蟌んでいるずき、線集の圢匏にどうしおもなじたないのがあった。仕

方なしに、センテンスごずに打ち盎しおいったのだが、これは疲れるし時間がかかる。

貌り付けたずきの文末に出るアむコンを無芖しおきたが、それを開いおみた。「貌り付

け先の曞匏に合わせる」ずいうのをクリックしたら、䞀瞬にしおピタリ玍たったyh 線集長代理 星野康圊

執筆者連絡先

åž‚å±… 博 株垂居総合蚈画事務所・・・・・・・・・・〒659-0093 芊屋垂船戞町 9-7・TEL0797-32-8554

抎 秀倫 たぶ・ふぇろヌず・・・・・・・・・・・・〒565-0854 吹田垂桃山台 3-6-4・TEL06-6831-1154

所 千倏 アトリ゚・・・・・・・・・・〒530-0035 倧阪垂北区同心 2-3-23-1405・ TEL06-4800-2092

星野康圊 星野康圊建築研究所・・・・・・・・〒573-1121 枚方垂楠葉花園町 5-5-1313・TEL072-867-3720

森田 進 進研究宀・・・・・・・・・・・〒540-0012 倧阪垂䞭倮区谷町 3-1-24-806 ・ TEL06-6942-0891

奜川忠延 奜川忠延建築蚭蚈事務所・・・・・・・〒630-0213 生駒垂東生駒 3-398-62・TEL0743-89-0162

   

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おくださった䌁業の皆様に支えられお、

幎月日、飲食ブヌス、愛称「フ

レヌムフレヌム」は、無事に皆の前にお

目芋えずなった。

この飲食ブヌスは、残念ながら月

日の閉幕埌、既に撀去されお、あずかたも

ないが、ここを蚪れおくれた倧勢の人たち

の、氎郜倧阪の思い出の片隅に、

片鱗でもいいから、飲食ブヌス「フレヌム

フレヌム」の姿が残っおいおくれるずい

いなず思う。

ギリシア語知ろうず語源孊

「北回垰線」

星野康圊

前回、ヘリオトロヌプずいうこずばは

「倪陜の方を向く」ずいう意味だずいった。

このこずばの順序を反察にしたトロペヌ

ヘリオむオずいうこずばがある。ヘリオが

倪陜、トロピオンは方向転換の意味だずい

った。だから、トロペヌ

ヘリオむオは倪陜

自䜓がおこなう「方向転換」ずいうこずに

なる。

季節が春から倏に向かっおいるあいだは、

倪陜の芋かけの軌道は、毎日北ぞ北ぞず移

動する。この軌道は倏至の時が䞀番北。そ

こに至るず、倪陜は、今床は軌道を南ぞず

方向転換する。それがトロペヌ

ヘリオむオ

倪陜の方向転換である。

玀元二䞖玀のアッリアノスずいうギリシ

ア人が曞いた「アレクサンドロス倧王東埁

蚘」にはこんな蚘述がある。

「 その時期むンドの河川はどの川も、

すべお氎嵩が増しお濁流を成し、流れも速

かった。季節的には倪陜がおおよそ倏の転

回にさしかかっお方向を転じようずしおい

る時期だったからだ。 」この倪陜の転回

がいわゆる倏至なのだ。圓時のギリシア人

には、この倏至ずいう抂念が明確にあった

のだ。

ずころで、英語で熱垯のこずをザ

トロピ

ックスずいう。方向転換ずいうわけだが、

どうしおそれが熱垯になるのだろう。

北回垰線ずいうものがある。

北半球で、倏至の時の倪陜の䜍眮床

分を通る緯線がそれだ。倪陜が毎日北

向きに寄せおいた軌道を、逆転しお南向き

に方向転換する限界線だ。その線たで倪陜

が来るず今床は逆転しお南に軌道を向ける。

この線のこずを英語ではトロピックずいい、

日本語で回垰線ずいう。

北の方向転換線ず、その反察偎の南の方

向転換線ずいう二぀のトロピックずのあい

だに挟たれた郚分が熱垯なのであった。熱

垯の範囲は厳密なものだった。挠然ず「毎

日が倏のずころ」だ、ぐらいに思っおいた。

ちなみに、北回垰線はトロピック・オブ・

キャンサヌかに座の回垰線。南回垰線は

トロピック

オブ

カプリコヌン山矊座の

回垰線ずいう。

   

Page 3: TALKABOUT 45

しお䜜り䞊げる䌚堎に、既補のテントを建

おるのでは浮いおしたう。そこに近

畿支郚ずしお腕をふるっおくれないかずい

う話だった。

氎郜倧阪は月にスタヌト予定だ

ずいうのに、その話を聞いたのは月。ず

にかく時間がないうえに、内容が煮詰たっ

おいない状態での打蚺だったが、やはりデ

ザむンを志す身ずしお、アヌティストの集

う䌚堎の䞭心に、違和感のある建築を建お

おしたうのをみすみす芋過ごすこずもでき

ないし、このむベント

に名を連ねる

埌のチ

ャンスかもしれないず

いうこずで、圓時次期

䜏宅郚䌚代衚に決たっ

おいた八朚さんの英断

もあり、この蚈画に協

力するこずになった。

氞田さんに、飲食ブ

ヌスの話を詳しく聞

いた日埌には、公園敎備工事の真っ

䞭だった蚈画地ぞすぐ足を運び、そ

れから数日埌には

初の案を提出。

様々な厳しい条件を突き付けられなが

ら、ずにかく毎回スピヌド勝負で提案

を繰り返す。その埌、月日の氎

郜倧阪の開幕たでの数カ月は、

曞き始めるず長くなるのでここでは省

略するが、倧げさに蚀えば波乱䞇䞈。

山あり、谷あり。二転䞉転、四転、五

転 䜕床も途䞭であきらめざるを埗な

いかず思う堎面に出くわしながら、小

山䌁画委員長ず共に、八朚代衚を始め、

䜏宅郚䌚メンバヌの匷力な力添えず、

協賛

し

   

Page 4: TALKABOUT 45

出始めおいたころだった。

色んなタむミングがよかったのかもしれな

い。ちょうどずある倏祭りに建築士ず屋台を

぀くろうずいうワヌクショップがあり、氞田

さんず再䌚するこずになったこずもあっお、

昚幎の䜏宅郚䌚月䟋䌚で、「建築家から発

信する」ずいうテヌマを掲げ、氞田さんが

䞀般向けに行われおいる様々なむベントな

どを玹介しおもらい、建築家が倖ぞ発信する

ずいうこずに぀いお話をしおもらうこずに

なった。

その埌、せっかく話をしおもらったのだから、

ぜひ氞田さんず䞀緒に䜕か倖郚向けのむベ

ントをやりたいず思い、今床は月䟋䌚で、

神戞で毎幎行われる震灜の日の催し

のひず぀ずしお「シェルタヌ・フェスティバ

ル



神戞」を䌁画。ロヌプを䜿

った10

を超えるシンボルタワヌず、ビヌ

チマットやベニダを䜿ったシェルタヌを぀

くるワヌクショップを行った。

前眮きが長くなったが、氎郜倧阪ぞ

の参加の話が浮䞊しおきたのは、ちょうどそ

のシェルタヌ・フェスティバルの準備に远わ

れおいたころ。最初は、船着き堎の舟屋のデ

ザむンずいう話から始たった。倧阪のたちな

かには、土䜐堀川東暪堀川道頓堀川朚

接川ず、ロの字圢に川が繋がっおいお、氎の

回廊が圢成されおいるが、その川に数か所の

船着き堎があり、それらを氎郜倧阪

のむベントに合わせお敎備しようずしおい

るずいう話だった。船着き堎ごずに、違う建

築家がデザむンするようなストヌリヌがで

きるず面癜いず思い、ずりあえず前向きに怜

蚎するこずになっおいた。が、そのころの氎

郜倧阪の䌁画は、日々内容が倉化し

ながら進んでおり、船着き堎の話は、各々の

地元の䜏民たちや船着き堎プロゞェクトを

たずめおいた事務局偎の意向ず、こちらの思

惑がどうもうたくかみ合いそうになく、あき

らめざるをえなかった。

このたた、滅倚にないオヌル倧阪のむベ

ントである氎郜倧阪の参加者

の䞭に、近畿支郚の名前を連ねる

こずができずに終わっおしたうのかず、

個人的に非垞に残念に思っおいた矢先、

䞭之島公園䌚堎「氎蟺の文化座」内で、

飲食物を提䟛する仮蚭屋台の蚈画が持

ち䞊がっおきた。「氎蟺の文化座」は、

倚くのアヌティストたちが集い、それぞ

れ垂民を巻き蟌んだパフォヌマンスを

展開しおいく堎ずしお䌁画されおいた

が、アヌトの䌁画は進んでいたものの、

実際集たっおきた垂民らぞのサヌビス

ずしお、飲食を提䟛する堎がほずんど蚈

画されないたた、進んでいたらしい。そ

こで急遜蚈画されたのが、この仮蚭屋台、

仮称飲食ブヌスだった。圓初から予

算化されおいなかったこずもあっおか、

飲食ブヌスは既補のテントをリヌスす

るずいうこずで蚈画されおいた。だが、

飲食ブヌスが建぀予定の堎所は、氎蟺の

文化座の䞭心。党囜から集たっおくるア

ヌティストたちが党力投球

   

Page 5: TALKABOUT 45

の建築が二億で出来たなんおすばらし

い、私の知り合いの代議士は䞉億掛け

お萜遞したや぀がいる」ずいっお䌚堎

を笑わせた。その埌、建物内倖を垂議

䌚議員さんを連れお案内する事ずなり

垂圹所玄関を出た所で、垂䌚議員の䞀

団は立ち止たった。議員さんたちは、

圹所の広堎の朚が、クヌギやナラの朚

である事に気づいた。「なんずたあ、金

がないずはいえ、クヌギずはなあ」ず

䞍満めいた声が䞊がった。そのずき、

長老議員らしき老人が、「枯れ朚も山の

賑わいずはこの事だ。結構、結構」ず

云った。皆が「そうか、枯れ朚も山の

賑わいか」ず、先生はうたい事を蚀う

ず口々に蚀っお玍埗しその堎は収たっ

、

も忘れる事が

できない。2009/12/1



フレヌ

ムフレヌム」誕生物語

幎月に入ろうずしお

いたころだった。

クショップの玹介をされおい

ないずいけないのでは、ずいう意芋が

た。

そのクヌギが四十五幎経っお倧朚に

なっお、もうクヌギなんおずは蚀わせ

ない堂々ずした存圚感だった。芋事に

玅葉しおいるのをみお、圓時の様々な

事を思い出した。その䞭でも、長老議

員さんの枩かい配慮を今

氎郜倧阪2009

飲食ブヌス「

所

千倏

氎郜倧阪の話を初めお耳にしたの

は、幎の幎末だったず蚘憶しおい

る。今から幎ほど前になる。幎

倏、氎蟺を舞台に、倧阪あげお「氎郜倧阪

」ずいうむベントをやるらしいず

いう話を初めお聞いたずきには、自分がた

さかここたでドップリ぀かっお参加するこ

ずになろうずは思っおもみなかった。

実際、幎は私にずっお、氎郜に始

たり氎郜に終わったず蚀っおも過蚀ではな

いかもしれない。氎郜倧阪に

ずしお参加するずいう話が浮䞊しおきた

のは、昚幎のちょうど今頃。郜垂文

化創造研究所の氞田宏和さんより、氎郜倧

阪ぞ、ずしお参加をお願い

するこずができないか、ずいう打蚺があっ

たのがちょうど昚

氞田さんに初めおお䌚いしたのは昚幎の春。

ずあるむベントで講垫ずしお来られおいお、

そのお話をお聞きしたのがすべおの始たり。

その時は、子䟛たちを巻き蟌んだ様々なむ

ベントやワヌ

たず思う。

䞀方、ちょうどその頃近畿支郚

䜏宅郚䌚で、関東甲信越支郚䜏宅郚䌚

ずの亀流を通じ、「関東甲信越支郚では

䞀般向けのむベントを、かなり力を入

れお行っおいる」ずいう話が近畿支郚

に聞こえおきたころで、やはり近畿支

郚も内郚勉匷䌚だけではなくお、倖郚

に向けおもっずオヌプンになっおいか

    

Page 6: TALKABOUT 45

財政難だった垂は、䞀番小さい公民通

を最初に遞んで実斜蚭蚈に進んだ。そ

の埌、小孊校を造るが垂圹所にはただ

手が付かず、新たに芁望の出お来た䞭

孊校に至りその埌城山公園の䌑憩所な

ど回り道し、垂圹所の蚭蚈が始たる事

ずなったのは四幎すぎの幎だ

った。蚭蚈はその幎の幎末入札、翌幎、

䞀月から着工ずなった。しかし、予算

は倧倉な金額だった。建築、家具、倖

構を含めお坪十䞇円だった事など、

埐々に蚘憶が蘇っお来た。

近鉄電車で四回乗り換えお、最埌の

䌊賀鉄道の車窓に開ける里山ず田園颚

景は四十五幎前、珟堎の行き垰りに眺

めた颚景そのもので、時間が止たった

ようだった。そしお久しぶりに䞊野垂

駅に到着したのは、もう午埌を回っお

いた。

これ以降、䌊賀垂圹所の保存に関す

る䌚合などで䞊野には行く機䌚が増え

た。十䞀月の終わり頃、公民通で行わ

れた地元の建築家たちが開いたシンポ

ゞュヌムに誘われお、䜕か思い぀くた

た蚘憶をたよりに話した。䌚も終わり

倧勢の芳客で倚いに盛り䞊がった䌚堎

を埌にしお公民通を出た時はもう倕方

になっおいた。公民通の近くのクヌギ

の倧朚が倕日に映えお玅葉が矎しかっ

た。

四十五幎前、竣工間際、倖構工事に

は少しばかりの怍栜が圓おられおいた。

広い敷地に、クス四、五本である。予

算を切り詰めお本数を決めおいるから

だが、そのたたでは寂しい怍栜である。

なんずか賑やかに出来ないものかずあ

れこれ思案しおいた。クスは枝振りや

幹呚りから倀段が匵る。クスの怍朚サ

ンプルを近くの苗田に芋に行った垰り

の車の䞭で、このクス䞀本の倀段で十

本ほど怍えられる朚はないかず怍朚屋

に盞談した。若い怍朚屋の䞻人はそん

なものはないずいう。車は里山の裟を

巡る道を走っおいた。私は、矎しく玅

葉しおいるクヌギ林を眺めながら「ク

ヌギはいくらするの」ず聞いた。怍朚

屋はびっくりしお「クヌギは、私の所

の柎山のクヌギなら朚はただであげる

よ。手間はいるけど」ず蚀う。「しかし

垂圹所の前庭にクヌギを怍えたらおこ

られるで」ずもいう。そこで、圹所に

掛け合っお、寂しいよりは沢山朚があ

る方がいい、その内予算が぀いたら䞊

等の朚を怍える事にしたらどうでしょ

うかず持ちかけおなんずか蚭蚈倉曎の

了解を埗た。クヌギは怍朚屋の職人た

ちず里山に出かけお、圢のいいクヌギ、

ナラなどの雑朚をトラックに積んで持

ち垰った。掻着率が䜎いからず少し䜙

分に持ち垰った。

竣工匏は暮れの抌し詰たった頃だっ

た。竣工匏にはお歎々の代衚で、囜䌚

議員の川厎秀二氏が祝蟞を述べた。「こ

   

Page 7: TALKABOUT 45

私は自分の心の䞭にリベラル革新的な

蚭蚈者ずコンサヌバティブ保守的な斜

工管理者を同居させる、぀たり二重人栌を

挔じるこずによっお矛盟を昇華させおいる

ようである。困難なようだがいずれ近い将

来、䜏宅でのは建築家にずっお確立さ

れねばならない仕事ずなるだろう。厳しい

経枈情勢の䞭では党囜展開が䞍可欠である

からである。

今たでの展開は衚面䞊激しく倉化しおきた

ように芋えるが、いずれも底流で繋がっお

いるものである。䜏宅、朚造、䌝統工法、

、党囜、、・・・。さおさお、この

先終着点はどのあたりで珟れるであろうか。

近の䜏宅建築を巡る情勢では、やはり枩

暖化察策ずしおの゚コハりスの話題が倧き

いように思う。屋根に倪陜熱電池を茉せ断

熱材を充填するず、皎制䞊有利になる。た

すたす䜏宅の性胜化が求められおいるよう

だ。しかし私はそのような産業䞻導の家䜜

りずは違うものを授かりたいず願うもので

ある。今埌も䜏宅の仕事を通じお日々粟進

しおいきたいものである。

クヌギの朚

奜川忠延

今幎の倏の事である。朝日新聞䌊賀

支局から電話があった。日頃、新聞瀟

には瞁がないので䜕事かず出おみるず、

「䌊賀垂圹所の蚭蚈担圓は奜川さんで

すね」ず云う

。䌊賀垂圹所ずは聞いた

事もなく戞惑っおいるず先方から、「あ

あ、元の䞊野垂圹所です」ず蚂正した。

私は1963幎倏、勀めおいた坂倉準䞉

建築研究所倧阪支所で、二人の同僚ず

この垂圹所の蚭蚈に汗を流しおいたの

を思い出した。そしお次々ず四十六幎

前の倏がたざたざず蘇った。「垂圹所が

建お替えになるようで、垂民の䞭には

残したい人たちがいるようですが、ど

う思いたすか」ず電話の向こうでは続

ける。そう蚀われおも、私は坂倉事務

所はもう䞉十幎も前に退瀟したし、䌊

賀䞊野には十幎䜍前、芭蕉の史跡を蚊

ねるような小旅行をしたが、それも䌑

日で垂圹所は閉たっおいたし、倖芳の

遠望以倖に芋た事がない。四十五幎も

経぀ず、圓然手狭になっおいる事だろ

うし、垂町村合䜵など色々問題を抱え

おいるのではないかず思い぀぀「䞀床

珟状を芋に行きたす」ず答えた。

䞊野垂は立お続けに坂倉事務所が公

共建築を手がけた、今から考えるず倧

倉珍しいケヌスだった。1959

幎、圓時

の垂長は東倧哲孊科矎孊出身の僧䟶だ

った。坂倉準䞉氏の倧孊での数幎埌茩

ず云う関係で、ある矎術関係者の玹介

で垂長が垂圹所の蚭蚈を䟝頌しおこら

れたず聞いおいる。垂圹所ず公民通、

小孊校を含めた1959

幎3

月の日付の

ある蚈画案が今も残っおいる。しかし、

   

Page 8: TALKABOUT 45

く恐瞮するばかりであり、この機䌚を借り

お改めおお瀌の気持ちをお䌝えしたい。

その間建築家ずしおの掻動を疎んでいるわ

けでも、意欲が萎えおいるわけでもない。

幎にはの颚の建築展東京

で講挔、幎には兵庫䌚や小委

員䌚での勉匷䌚講垫、幎には雑誌

䜏宅建築で特集を組んで頂いた。これらは

スポット的なもので、実際は幎間件前埌

の䜏宅に远われっぱなし。恵たれたずいう

か䜙裕なき職人の日々が続いおいるずいっ

たずころである。

䜏宅の仕事は䞊倧抵のこずではないず぀

くづく思う。単なる芪睊䌚ではない䜏宅郚

䌚の䌚員数の倚さがその悩たしさを瀺しお

いるこずだろう。ここ数幎の仕事の䜓隓か

らもその果おしなき手匷さに、気を奮いた

たす䞀方暗柹ずした気分に苛たれるこずも

倚々あった。件圓たり金額や芏暡が比范

的小さいにもかかわらず芁望が画䞀的でな

く、トラブル芚悟で瑕疵ぞの芚悟もいるず

なれば、倚分これからも気が緩むこずはな

いだろう。

そもそも建築家が䜏宅に取り組むこず自䜓

が倧いなる挑戊ではないだろうか。斜䞻ず

の巡り合いからしおどうすればよいかは詊

行錯誀しかない。䜕幎䜕十幎ずいう修行か

ら滲み出おくるセンスや知恵を盞手にわか

っおもらうにはどうするか。営業はできな

いから広報に頌るしかない。その点正反察

に䜍眮する資本䞻矩ハりスメヌカヌはやは

り䞀流の方策を持っおいる。䌁画、広報シ

ョヌルヌム、営業、蚭蚈、斜工、メンテ各々

担圓を倉えお臚むこずにより゚ネルギヌの

集䞭ず分散を巧みに操っおいるではないか。

建築家はデべロッパヌや玹介業に頌っおも

先は芋えるだろうか。逃げも隠れもできな

い正面突砎しかないかもしれない。

私の垫

菊竹枅蚓氏は日本建築の゚ッセン

スを受け継ぎながら近代建築の申し子のよ

うな方であった。斬新、創造、合理性胜、

工業等の蚀葉が尊重され、反察に旧匏、暡

倣、無駄、手仕事などの蚀葉は敬遠された。

これらは近代建築の原理であるから圓然で

あるず蚀うしかない。建築家ずはそもそも

リベラル革新的な存圚であり、決しお

コンサヌバティブ保守的であっおはな

らないはずである。

しかし自分なりにその進路を芋据えた結果、

私は朚造䜏宅ずいう保守的な構造にずりく

み、さらに䌝統工法を採り入れた型の䜏宅

を目指しおいった。棟梁ずいうシンボルな

き珟代での工事ぞの転換。地域から党

囜ぞの展開、さらに化された遠隔地珟

堎ず本拠事務所の圹割などの経隓を経おき

た。

䞭でもコンストラクション・マ

ネヌゞメント

斜工管理業務工事に

進んだこずが倧きな節目であった。建

築家においおは蚭蚈ず斜工を分離し、

蚭蚈監理者ずしおの建築家を論ずるこ

ずが倚い。斜工管理の実態は建築家の

人栌ず盞反するからである。

   

Page 9: TALKABOUT 45

瀟殿はその右手でそう遠くない、が

皋奜く遠い。照明ず撮圱を犁じる埡觊

れが回っおきた。いよいよだ。突然、

沈黙の䞭、遠くで䜕かが砕けるような

音が。雅楜が聞こえる。闇の遥か向こ

うが埮かに赀く蠢いおいる。小さな唞

り声のような音が聞こえる。赀い塊が

杜の隙間を動き始めた。うわぁ、たる

で生き物のようだ。こっちにやっおく

る。完党なる闇の䞭にあっお灯りはこ

の束明の炎のみだ。それがこっちにや

っおくる。束明の炎ずお銙が道を枅め

お再び黒い闇が舞い降りる。距離感が

分からない。空を芋䞊げるず杜の闇を

僅かに裂いお満倩の星が瞬いおいる。

地䞊に目を戻すず、䜕かが近づいおく

る。倚くの人が螏み締める玉砂利の音。

音曲。それに「オオ」ずいう声。それ

らが埐々に倧きくなっおくる。若宮の

お通りだ。唞るような䜎いその声は神

官たち発するもので、地鎮祭や䞊棟匏

で神䞻が降臚昇倩の儀のずきに発する

声ずおなじだ。ただ、人数が違う。倚

数の神官が発するものだから読経の声

明のように䞍思議な䞞みず振動を霎す。

既にこの䞖のものではない。癜垃に包

たれた若宮は神官た本殿は真っ盎ぐの

ずころだし若宮のちの持぀把で幟重に

も囲たれお芋えない。これらがひず぀

の生き物ずなっお近づき去っおゆく。

再び闇。髪の毛が総毛立ち党身に鳥肌

が立っおいる。畏れずはこのこずか。

闇、光、音、そしお時間を䜿った芋事

な構成ず挔出にがくは完党に圧倒され

おしたった。

若宮がお旅所に入られお「暁祭」が

始たり、倖灯が点され人々もそちらに

向けお移動するようになっお挞くがく

の心は人間界に戻ったような気がした。

その日は興奮しおよく眠れず朝遅く起

きお午埌からの「お枡り匏」を芋お垰

途に぀くこずにした。「お枡り匏」は京

郜の時代祭みたいなもので他にも様々

な芞胜が奉玍され其々に玠晎らしいが

深倜に芋た「遷幞の儀」ほどの衝撃は

なかった。次の機䌚には、その瞬間の

バリバリずいう音をあの闇の䞭で聞い

おみたいものだ。いや、やはり手前で

立ち止たりこの壮倧なドラマの䞀郚始

終をもう䞀床味わうかな。

幎の想い

åž‚å±…

博

幎月「颚の路」掻動の始たりか

ら来幎で幎ずなる。掻動自䜓は幎間

で終了するこずになったが、䜏宅郚䌚の皆

様の暖かい揎助あったからこそ貎重な経隓

を埗るこずができた。その埌䜏宅郚䌚の代

衚䞖話人を務めさせおいただいた。任期を

終えおからは䌚合に足が遠のき、トヌクア

バりトの線集もお䞖話いただくたた今に至

っおいる。䜏宅郚䌚員ずしおは倧倉心苊し

   

Page 10: TALKABOUT 45

「飛火」ずは「飛ぶ火」で烜火のこ

ずらしく、飛火野は烜火台のあった堎

所ずしお説明されるのが䞀般的だが、

地勢的にみおも烜火を䞊げるのに奜郜

合な堎所ずは思えない。たた、そこに

ある「雪消ナキゲの沢」ず「野守

ノモリの鏡」ずいう池から胜の「野

守ノモリ」に出おくる鬌の話に至り、

この蟺りがどうやら死ず深い関係のあ

る堎所である由。それが叀戊堎であっ

たのか、死者を匔う堎所であったのか。

飛ぶ火ずは果しお死䜓から発する燐火

ではなかったのか。いずれにせよ、華

やか平城京ずは別にその䞋に築かれた

ネクロポリスが埡蓋山ミカサダマ

の足元の飛火野で連環しおいるずした

ら、その地にある春日倧瀟の祭が生呜

誕生に関わるずいうのは誠に気宇壮倧

な話ではないか。

半井さんによれば、おん祭はその背

景もさるこずながら祭の行事それ自䜓

が断然面癜く、今回午前零時の「遷幞

の儀」に参加しおそれを䜓感しお欲し

いずいうこずだった。こんなにも興味

深い祭が地元奈良であったこずを党く

知らなかった自らの䞍明を恥じた。

堎所を料理屋に移し地鶏鍋ず日本酒

で䜓を枩め、曎に話はこの呚蟺から今

邪銬台囜の存圚で喧しい桜井呚蟺の倧

神神瀟オオミワゞンゞャの話や南

北軞や東西軞の話に波及しお叀代のコ

スモロゞヌに華が咲き倜は曎けおいっ

た。ここに曞いた飛火野の話は定説で

はないが、昔の人の死生芳や宇宙芳に

想いを銳せるこずで目の前に芋える事

物もたた掻き掻きずしおくるのが䜕ず

も嬉しい。

ふず時蚈を芋たら午前零時たで䞉十

分もない。急がなければ若宮のお出た

し誕生の瞬間に立ち䌚えない。

半井さんの話では、そのずき神官たち

が手にした把の枝葉で瀟の四呚を叩い

お起こすバリバリずいう音が䜕

ずももの凄くハむラむトのひず぀ずの

こず。倖は既に深々ず冷えお凍お぀く

ように寒く、攟射冷华を玄束するかの

ような䞀点の曇りも無い星空が広がっ

おいた。

遷幞の儀に際しおは、䞀切の照明や

写真は犁じられおいお歩くのもたたな

らない。懐䞭電灯やケヌタむで足元を

照らしお歩く人もいるが匵り詰めた空

気ず挆黒の闇が埐々にその行為を拒絶

しおゆく。玉砂利を螏み締めながら足

早に歩いたが、二の鳥居の手前のクラ

ンクあたりたできたずころで案内が回

っおきお静止を求められた。残念なが

ら闇を切り裂くバリバリずいう若宮お

出たしの音は間近に聞けないようだ。

しかし、これが結果的には

高に良か

った。遷幞の儀の卓越した空間性ずド

ラマ性はこの堎所にいお初めお完璧に

味わうこずができたのだ。

   

Page 11: TALKABOUT 45

春日若宮おん祭、その空間ずド

ラマ

森田

進

もう二幎前のこずになるだろうか、

奈良のギャラリヌ”O

UT of PLA

CE

”

の

オヌナヌの䞻催する「若宮おん祭ツア

ヌ」があっお参加した。圓初この祭に

特段の知識も興味もあった蚳ではなく、

ツアヌの仕立おが面癜いから参加する

かずいう皋床の動機だった。そのツア

ヌは、たずギャラリヌでこの祭の解説

があっお、次に堎所を代えお郷土料理

の晩逐䌚、そしお午前零時の遷幞セ

ンコりの儀に参列ずいう䞉郚構成。

参加者は東京からの人もあれば山梚か

らの人もいるし、職業も工業デザむナ

ヌや写真家或いは䌚瀟員ず皆芋事にバ

ラバラなのも良かった。解説圹はこの

ギャラリヌで知り合った半井さんずい

う人であり、圌の話を聞くのもこのツ

アヌに匕かれた理由のひず぀だった。

春日倧瀟は藀原氏の氏神を祀る神瀟

ずしお幎に創建された。歊甕槌

呜タケミカヅチノミコト、経接䞻呜

フツヌシノミコト、倩児屋根呜ア

メノコダネノミコトず比売神ヒメ

ガミの倫婊神の四神が東西に䞊んで

祀られおいる。そしお、この倫婊神の

間に生たれたずされるのが若宮で、最

初は瀟殿を持たず埌に本殿内の仮殿に

おられたが、幎には本殿の南

方に瀟殿を建おおそこにお遷しした。

「若宮おん祭」はこの瀟殿建立の翌幎

から始たった祭である。

叀文曞によれば、今でいえば地衣類か

粘菌のようなものであったのだろうか、

䜕かスラむムのようなれリヌ状をした

物䜓が倫婊神の瀟殿の間に珟れたらし

い。この兆候ず同時に人々は、赀い童

子の出珟を芋るようになり「若宮の誕

生」を認識したようだ。

おん祭は、この若宮が月日

の午前零時に自らの瀟殿を出お別の堎

所に蚭えられた「お旅所」に移りその

日䞀日様々な芞胜を楜しみ同日の深倜

再び瀟殿に還るずいう䞍思議なもので

ある。新しい神の出珟ずいうのも特異

なら祭の構成も特異だ。単なる神を祀

る祭事行為ではない感じがする。冬至

が埌ろに控えおいるこずを考えるず、

倪陜が地䞊にある時間が最も短い、぀

たりは生呜力が最も匱たるこの時期に

生呜力の化身ずしおの若宮を誕生若

しくは芚醒させるこずで倪陜に新し

い生呜を吹き蟌み還っお行くずいうス

トヌリヌなのかもしれない。なにしろ、

このあず昌は再び長くなっお行くのだ

から。

半井さんの話は春日倧瀟ずその呚蟺が

持぀䞍思議な関係に及ぶ。鹿の角切り

で有名な「飛火野トブヒノ」の地名

の持぀劖しい雰囲気が説明される。

   

Page 12: TALKABOUT 45

倧な資産䟡倀が朜んでいたすが、今䟋

えば、蚘念建物の南千里垂民センタヌ

村野藀吟氏の䜜品などが撀去の察

象になるなど、倚くの蚘念すべき建造

物などが倱われようずしおいたす。

文化的䟡倀がある䜏宅矀にも倱っお

はならない建物が数倚く存圚しおいた

す。これらを含めおの資産䟡倀です。

これらの蚘念的芁玠を倱う事は、千里

の䟡倀を著しく損じたす。が珟実には

「今日の銭」のために、未来を忘れた

倧掛かりな砎壊ず殺戮が進んでいたす。

「

千里」を防ぎたい

「倱われた千里」が続出では、茝け

る千里ニュヌタりンが䞖界から消滅し

たす。

開発時の意識の高揚を維持し、䞖に䌝

えおこそ、資産であり千里ニュヌタり

ン文化の䟡倀です。それでこそ䞖界か

ら人々を呌べる千里ニュヌタりンが出

来たす。

将来を生か

すも殺すも、垂

民の期埅に応え

る行政の手腕ず

指導力、曎に云

えば、垂民に遞

れた銖長の思い

でなければず考

えたす。が、皆

さんご意芋を

ください。

   

Page 13: TALKABOUT 45

完成から略幎。はや再生蚈画で

す。理由は人口の高霢化、建物の老朜

化、䞀郚斜蚭のナニバヌサル氎準の䞍

足などです。資金には公有地の売华が

圓おられおいるようですが、それは府

民・垂民の土地です。が塀の向うの䜜

業で䞀般の垂民には理解できたせん。

再生蚈画で郜垂ずしお継承しなけれ

ばならない数々の文化資産の壊倱に、

䌁業局埌継のタりン管理財団が自ら関

䞎しおいたす。

文化資産の行方

目的は単なる資産換金ではないかず

噂されおいたす。公ず考えられおいる

土地の第䞀の目的は、郜垂基盀敎備の

甚地です。次いで府有地ず呌ばれる䌁

業局が管理運甚のための庁舎甚地・駐

車堎・近隣センタヌの䞀郚、それに法

面・河川などの保党甚地です。そしお

千里ニュヌタりンに必芁だった筈の土

地が民間ぞ売华されるのが目立っおい

たす。底地を売るために文化的資産を

撀去する愚を繰返そうずしおいたす。

これらは分譲・売华の利益で生れた

資産の郚分です。管理に重荷の資産は、

売华の前に無条件で地元行政に移管す

るのが、解りやすい道理ではないでし

ょうか。

特に環境砎壊が危惧される区域

察象は䌁業向け分譲宅地です。歀凊

に民間分譲マンションが林立し始めた

した。千里蚈画の環境理念は倱われお

いたす。幎間の「新䜏法」の期限

が切れお埌、豊䞭垂域は慣甚的に制床

を維持、吹田垂域は法什通り郜垂蚈画

法ず建築基準法を適甚したした。その

結果は街の姿に顕著に衚れおいたす。

です。

近幎は、さらに転売などで資産の流

動化が進み、急速に䜏環境が悪化、将

来のスラム化が憂慮されおいたす。今

では、行政の暩限による指導を期埅す

るず共に、急遜たちの将来を地区蚈画

や建築協定で考えようず、行政ずの連

係を地元垂民が暡玢し始めたした。

䞖界に唯䞀぀

千里ニュヌタりンは「遺産ではなく

資産」です。䞖界にただ䞀぀、開発か

ら幎間、瀟䌚環境の倉化に察応し

たたちの歎史を持っおいたす。開発の

過皋、芏暡、時代背景、䌁画、研究開

発、事業手法などの䜕れを取䞊げおも、

䞖界に垌有の実瞟です

そしおD

OC

OM

OM

O japan100

の

に遞ばれおいたす。党おを次䞖代

に匕継ぐだけでなく、䞖界の人々にも

貎重な䜓隓を顕瀺できる重芁な䟡倀の

ある「文化資産」です。

消滅する文化資産

単に経枈的に芋るず地䟡は䞀兆円で

す。だが総合的に芋るず、歀凊には膚

   

Page 14: TALKABOUT 45

昭和幎

千里保健医療䌚通ず千里保健医療

センタヌ

昭和幎

北千里垂民䜓育通

昭和幎

北千里公民通 昭

和幎

等をそれぞれ完成したした。

蚘念碑など

完成を期に著名人等による審査䌚を

蚭眮しお、䜜品を遞び、倧きいモニュ

メント¥䞇䞇基

を基、千里ニュヌタりンの地域公園

や広堎の芁所に蚭けたした。

たた開発䞭の也いた雰囲気を和らげ

るため、圫刻家協䌚やメヌカヌの協力

を埗お

コンクリヌト圫刻䞇円基を

数十基、各所の公園等に蚭眮しおいた

す。

開発システムず成果

䞍足䜏宅の䟛絊に事業化を読んだ、

民遞初代の倧阪府知事赀間文䞉の決断

が倧きく、たず理想を求めお始めたし

た。同じく代䜐藀矩詮の実行力も欠

かせたせん。事業化は䌁業局蚭立の構

想に始り、資金は起債に求めるなど圓

時ずしおは革新的でした。

「血皎は䞀円たりずも䜿わない」ず

倧芋埗もきりたした。そしお理想の䜏

宅郜垂建蚭を目指しお、優れた職員を

配眮、曎に倚数の孊識を起甚しお調査

研究を行ない、これをもずに構想の実

珟を期したした。これらの事は、今埌

にも欠かせない姿勢の筈です。

事業の経過

が党おが初の䜓隓、圓初から土地取

埗で地䞻ずのせめぎ合いがあり、苊劎

を重ねた人たちが䌁業局職員や地元の

銖長にいたした。たた䞍振を予枬され

た造成宅地の売り先には、零现だが無

限の需芁が芋蟌たれた勀劎者向けの宅

地債刞に蚗されたした。

こうしお可胜な返枈蚈画がたち、ド

むツマルク債発行が軌道に乗りたした。

䞀方では千里ニュヌタりン蚈画に、囜

は新䜏宅垂街地開発法を可決、埌抌し

したした。これらの成果を基に、泉北

ニュヌタりン蚈画を掚進するなど、䌁

業局に掻気が満ちおいたした。

事業ず居䜏者が文化資産

ここには、粟魂蟌めお蚈画・建蚭に

携わり、これを誇りにする倚くの人た

ちが育ちたした。歀凊には千里を愛し、

二䞖代䞉䞖代ず千里に䜏み続ける人々

がいたす。こうしお千里ニュヌタりン

そのものを、これら垂民の手が、優れ

た文化資産に育おたず蚀えたす。人々

のパワヌずその背景、これこそが掛替

えのない文化資産です。そしお行政ぞ

の移管以来幎が経過しおいたす。

曖昧な再生蚈画

   

Page 15: TALKABOUT 45

2009

千里ニュヌタりン消滅の危機

村野藀吟の䜜品が撀去の危機に

抎

秀倫

千里ニュヌタりンの倀打ち

月に「千里ニュヌタりンは䞖界

遺産になりうるか」ず蚀うシンポゞュ

ヌムが関西倧孊で催されたした。出垭

できたせんでしたが、䞖間ではかなり

関心が高いようです。が開発者の埌身

「タりン管理財団」ずでは、どうも関

心の持ち方が違うようです。以䞋は千

里に䜏み歩くものずしお実感です。た

ちの歎史は数癟幎の単䜍で語られたす

が、千里は幎、珟状を考えおみた

した。

泚山地英雄著「千里ニュ

ヌタりンの幎」ほかを参照

芏暡ず内容

芏暡は玄䞇坪

蚈画予算は¥億内公共事業

¥億でした。完成の内蚳は、分

譲地で498.8ha

1,505,000

坪、

公共公益甚地はで661.2ha

です。

甚地取埗費の抂算

人の地䞻から2000

円坪、

億円で買収又は収容したした。郚

萜有財産などの入手に䌎う補償費に

億円を支出、合蚈玄億円を

芁したした。

分譲・売华の䟡栌

圓初分譲売华䟡栌は䞇円坪、契

玄䞍履行の買戻し埌の再分譲䟡栌

䞇円坪、その埌の売䟡は、䞇円

を経お䞇円坪たで匕䞊げられた

した。甚地取埗費のざっず倍で

す。売华地䟡ず建蚭費の高隰で需芁者

局の関係から、やむなくタりンハりス

やコヌポラティブハりスが詊行された

した。

事業の経過ず果実

地元銖長ぞの説明幎、マス

タヌプラン発衚幎、䞀応の完

工幎、様々な蚘念事業を行な

い地元行政ぞ移管匕継ぎは幎。

蚈幎の歳月を芁したした。

将来を芋越しお、十分な道路・緑道・

公園や緑地を蚭けたしたが、仮に、売

䟡平均䞇円坪ずすれば売华面積

1,505,000

坪で売䞊高は2,257.5

億円

ず抂算できたす。そしおずにかく蚈画

通り完成したした。

その結果、完成時には䜙剰金から蚘

念事業に億円を支出しおいたす。

これらは関係者の努力ず共に、宅地債

刞による零现な賌入者などの負担も含

み皔ったものです。

蚘念の事業

䞀郚は既に倱われおいたすが、その

内蚳は

千里䞭倮文化センタヌ

昭和幎

南千里垂民センタヌ

   

Page 16: TALKABOUT 45



45  10    千里ニュヌタりン消滅の危機 ・・・・・抎 秀倫・・2

春日若宮おん祭、その空間ずドラマ ・・・・森田 進・・6

2010 幎の想い ・・・・垂居 博・・8 クヌギの朚 ・・・・・奜川忠延・・10 氎郜倧阪 2009 飲食ブヌス「フレヌムフレヌム」誕生物語 ・・・・所 千倏・・12 ギリシア語知ろうず語源孊43「北回垰線」 ・・・・星野康圊・・15

千里ニュヌタりン 南センタヌ村野藀吟

   


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