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Page 1: マニエリスムと近代建築(イシハラ)

『マニエリスムと近代建築』”The Mathematics of the Ideal Villa and Other Essay ”

[書籍情報]

著者:コーリン・ロウ訳者:伊東豊雄、松永安光出版:原書は1976年、日本語訳は1981年初版 彰国社より

[目次と構成]

本書は序文と• 「理想的ヴィラの数学」(ガルシュとヴィラ・ロトゥンダの形態比較)• 「マニエリスムと近代建築」(相互の倒錯の類似性)• 「固有性と構成――あるいは19世紀における建築言語の変遷」(ピクチャレスクとゴシックリヴァイヴァルの展開)• 「シカゴフレーム」(シカゴ派分析から近代建築の合理主義がイデオロギーであることの指摘)• 「新『古典』主義と近代建築ーⅠ」(近代建築も時代精神に呼応しているが古典から連続している)• 「新『古典』主義と近代建築ーⅡ」(クラウンホールとヴィラロトゥンダ)• 「透明性――虚と実」(透明性をキュビズム絵画から説明)• 「ラ・トゥーレット」(作品分析)• 「ユートピアの建築」(コラージュシティへの布石?)の9編の論文からなっている。これらは1940年代から1970年代にバラバラに書かれた。時期的にはモダニズムからポストモダンへと変化するころにかぶっている。 内容的には大きく二つに分けられる。「理想的ヴィラの数学」「マニエリスムと近代建築」「新『古典』主義と近代建築ーⅡ」「ラ・トゥーレット」が作品分析であり、「固有性と構成」「シカゴフレーム」「新『古典』主義と近代建築ーⅠ」「透明性――虚と実」「ユートピアの建築」小史である。

構成のダイアグラムは以下のようになる。

ISHIHARA

固有性と構成

マニエリスムと近代建築理想的ヴィラの数学

シカゴフレーム

ラ・トゥーレット透明性

新『古典』主義と近代建築

ユートピアの建築

形態分析と比較による近代建築の曖昧性、矛盾の指摘

モダニズムの合理主義が実際には思想的なもの

上記の曖昧性が個人の感覚の解放と合理主義の間から出てくることを指摘

むしろ近代建築の形態にも古典的な要素が存在する

比較によらない近代建築の分析

コラージュシティへの布石?

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[分析とか批評とかとか]

 同一筆者だがアンソロジー形式なので必ずしも全体で何かを言おうとして書かれているわけではない。しかし、単純に公開された順番に載せるのではなく(巻末に各論文の出版年が記載されている)、順番を入れ替えているのには編集に意図があると考えるべきであろう。そこで上のような構成として読んでみる。 最初の2本の論文が幾何学的な分析から歴史的建築物とコルビュジェの近代(執筆された時代には現代建築と呼べただろう)の相似・相違を指摘し、「平面にしろ立面にしろ中心性の強調がパラディオの関心であったとすればル・コルビュジェの関心は中心の拡散にあった」とし、拡散によって出てくる「曖昧性」がコルビュジェをはじめとする近代建築のキーワードとして上がってくる。 この曖昧性の起源を英米の建築論の展開から見つけようとしたのが「固有性と構成」であると考えられる。ピクチャレスクによって数学的な規範に従うのではなく個人の感覚を解放することが肯定される一方、ゴシックリヴァイヴァルのように構築的な合理性を主張する流れもあり、これらのせめぎ合いの持ち越されたところで近代建築が曖昧性を求められた。オーダーのような規範に従うのではなく固有性(キャラ)を持っていなければいけない、と同時に合理的でなくてはいけないというジレンマで、中心をもち、論理的な説明をしながらも曖昧なところを意図的に作るという態度が生まれた。 さらにシカゴスクールで資本家のきわめて実際的な合理主義から鉄骨造の建築が作られていたが、モダニズムの均質空間は合理主義を象徴するモノとして作られていたことを指摘する。均質空間のグリッドがここで出てくる。 ついで「新『古典』主義」では近代建築の中に形態上は古典的な美学に従うものがあることを示し、その一方で古典的なピラミッドやドームといったボキャブラリーを用いないでいるインターナショナルスタイルが単純な古典主義ではないことを確認する。 そして「透明性」と「ラ・トゥーレット」では中心と外縁の間で重なりを見つけることで虚の透明性という言葉で説明される厚みや奥行きのようなものを近代建築にみいだす。 最後の「ユートピア」は近代建築に影響を与えてきた理想都市の問題を出すことで以後の研究の展開を示唆する。

 特色として(個人的な印象かもしれないのだが)遠心力と向心力のような二つのベクトルのぶつかる場所として建築の内外の境界に注目していることが面白い。自由な平面でプランニングを重視している近代建築だが表層部分ではガラスやミニマルな白壁、或いはコンクリートのブルータルな壁になるという先入観があったが、平面での中心と外縁を意識するがゆえに表皮が重要となるというパラドキシカルな状況がある。透明性の議論も物質的な透明性ではない虚の透明性には中心が存在しなければ重なりや奥行きを意識することがないのでここでも中心の存在が重要である。

 歴史的な連続を指摘している所は『第一機械時代の理論とデザイン』にも類似しているが、近代建築をマニエリスムと比較するなどの形態の分析によるもので直接な歴史的連続を言っている訳ではないのが本書の特色である。純粋に美学的な分析から批評を行っているがそこに歴史的な参照を挟むことで観察対象の特性を明らかにしている。

 読みの浅さによるものかもしれないが、「ユートピアの建築」がうまく位置づけられなかった。コラージュシティと併せて読むべしということで棚上げしてもいいのだが、古典主義とユートピアの比較もされており、その点を議論したい。

ISHIHARA


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