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おのころ心平
USP unique selling proposition
セラピスト・スイッチ
これまで20年間、ココロとカラダの カウンセリングを行なってきました。
n セッションの時間はだいたい2時間 n トータル件数2万2千件の経験は、 約4万4千時間
n 日数にして、まるまる1833日分
n 年数ではどっぷり5年分の歳月
n 生理学の最新情報 n 心理学 n 東洋医学 n ボディワーク n ヨガ
まるまる20年間、 カラダとココロの関係に 費やしてきました。
医師でも鍼灸師でも、整体師でもない私が なぜ、今のような仕事をしているか
それは私自身にココロの力で
大病を克服したという 奇跡的治癒体験があるから
私は小学の1年生から地域の サッカークラブに所属する サッカー少年でした…。 早朝6:00からと放課後の練習、 土日も他流試合…。 大阪で優勝を争うくらいの強いチームで、 生活の中心がほとんどサッカーでした。
小学校5年の春。
サッカー三昧の生活が一変する出来事が。
風邪をこじらせたように微熱が続き、嘔吐や下痢もあるので、母親が私を総合病院に連れて行きました。 そこで受けた診断名は、なんと「急性肝炎」。
健康診断でGOTやGPTといった肝機能を 表す数字が(通常数値は20~40)、 1000を越えていて劇症肝炎の一歩手前。
緊急入院、面会謝絶…。
それからは、個室病棟が生活空間。 サッカーどころか、チームの仲間や 学校のクラスメートにも会えません。
会えるのは担当のお医者さんと 看護師さん、母親と父親だけ。
私の世界はまさに一変してしまいました。
肝臓病は当時、横になっているのが 唯一のクスリでした。
栄養も点滴。 カラダを起こすと肝臓に 重力による圧迫がかかるので
トイレにも起き上がれません。
がっしりと鍛えていた自慢のカラダも、 どんどんやせ細っていきます。
子どもの私にも、自分のカラダが 見舞われている状況が 本当に危機的な状態だということが はっきりわかりました。
もっと心配だったのは両親だったでしょう。
日に日に衰弱していく私を 何とか励まそうと、 両親は一計を案じました。
私がサッカー少年だったこともあり、 当時、サッカーの有名社会人チームの
監督兼選手をされていた 「K選手」に手紙を書いてくれたのです。
まだJリーグはありませんでしたが、 K選手といえばメキシコ・オリンピックで、 日本を銅メダルに導いた 伝説の得点王だった選手です。
私たちサッカー少年にとっては まさに憧れのプレーヤーでした。
超多忙のK選手からのお返事は、 なんと2日後に届きました。
「ガンバレ!心平くん!」。
K選手のサインと私への励ましの言葉が 入った特製の色紙でした。裏面には、 (今から思うとこれが私の命を救ってくれた) メッセージをつづって下さっていたのです。
「13年前、私も君と同じ病気にかかりました。 この病気は必ず治るから、早くよくなって、 再びグランドに立ってください」
「!!!!!」
その時の気持ちを表す言葉が、 今も見つかりません。
「あのK選手が自分と同じ 病気を克服している!」
という事実は、私にとって 計り知れない衝撃だったと思います。
―――ああ、この病気は治るんだ!
その時の私には“明確な治癒のイメージ”が 出来たのだと思います。
本当にびっくりするような回復が 私に訪れました。
2ヶ月を待たずに退院し、その年のうちには 本当にグランドに立てるようになりました。 6年生になってレギュラーポジションを 取り返した大阪の大会では、優勝することが できたというおまけつきです。
「このまま死んでしまうかもしれない」 と思っていた私に、このメッセージは、 「この病気は治ってもよい!」 という許可を与えてくれたのです。
僕にとってはこの体験が、 セラピストへの道のスイッチでした。
掛け算によって、あなたは飛躍する。
相談に来たある鍼灸師さんが、
「どうしたらお客さんがふえるだろう」
と悩んでおられました。
そこで僕は、
「これまでの人生で、 一番うれしかったのはいつですか?」
と尋ねました。
彼いわく、
「なかなか生まれなかった 子どもが生まれたときです」 と答えたのです。
「それなら「不妊」×「鍼灸」でしょう」
と僕は即座にアドバイスしました。
多くの鍼灸師がいる中で、 不妊という分野に特化したなら、 そのマーケットで一番になれる 可能性は、飛躍的に高まります。
しかもそれが、 自分の感動した体験とリンクしたなら、 その仕事からは「オーラ」が放たれます。
「そりゃあ、いい。 ちょっとそちらの勉強をしてみます」
…それからずいぶん経ちましたが、いま、 彼のところへは不妊に悩む多くの夫婦が、 全国からこられるようになったそうです。
さて…、
n あなたが人生で もっともうれしかった、 最高に感動したときって、 どんな時でしたか?
n これまでの人生で、あなたが もっとも活躍できたなー、 と思える場面は?
賞賛をあび、注目され、よくやったな!と 誰かに褒められたのは、
n 学生時代?
n 職場?
n 地域活動?
n 子育て?
n 料理?
注目をあびるような 経験でなくとも構いません。
自分で自分を褒めたくなったような、
「これはやったなー」と充足感を感じた 体験はどんなときでしたか?
あなたがオーラを発するには、
「これなら、世界でトップクラスになれるかも」 という条件設定が必要です。
○○×○○ ここに入れる言葉を考えてみましょう。
僕の場合は、
カラダのしくみ × 心理療法
というスタイルでやって来ました。
掛け算によって環境設定をし、
この環境でなら私は一番だ!
と思えたなら、それに向かって取り組む あなたからは、オーラが放たれます。
あなたがオーラを出しながら
取り組んでいることには、
なぜか周りに人が寄ってきます。
仕事なら、お客さんが。
家事なら 「やけに楽しそうだな、何か手伝おうか?」と家族が。
趣味、ボランティアなら、友達が。
そのサポートが、さらにあなたのオーラに 磨きをかけ、セラピストとしての生き方の 循環が始まるというわけです。
日常の、ほんのささいな体験で かまいません。
あなたが n これはうれしかったなー
n 充実したなー という体験を思い出してみてください。
n それは、どんな場所でしたか?
n そのとき、周りにだれがいましたか?
n 目の前に何がありましたか?
その体験を、 いま取り組むべき仕事、家事、 趣味などと掛け合わしてみる。
そして、上手に、
○○×○○ という形できたなら、そこにあなたが オーラをまとうヒントがあります。
参考までに、、、 受験生時代、苦手科目だった 政治経済という分野を
「この量を2時間でやり遂げる!」
と決意し、実際に実行し、 マスターしたことがありました。
あり得ない膨大なページ数を、読み、 アンダーラインをひき、重要単語を 暗記していったとき、
頭でバチンという音がしたので、 「うわ、血管切れた」と思ったら、その後、 まるでランナーズハイのように、
楽に、力まなくても単語が 頭に入ってきたのを覚えています。
おそらく、脳回路が 1本つながった音だったんでしょう。
あの2時間は、たしかに自分でも 「オーラ」を発してたなーと思えます。
この体験の場合は、
あり得ないページ数
×
2時間 (しかも政治経済というマイナーな科目で)
というのが条件設定でした。
受験勉強をする人は山ほどいます。
あり得ないページと言っても、選択科目なら それを読む人は結構います。
でも、それをたった2時間でとなると、 ぐーん、と数は減るでしょう。
あの時は、ほんとうに、この科目で あんな勉強の仕方をしたのは、 世界で自分だけだろう、と思えました。
得意なことよりも、 もっと大切なのが、
あなたの持つ 「コンプレックス」
ここは、セラピストスキルの宝庫です。
コンプレックス
n A 私に才能なんて… n B 子供のころの失敗体験 n C 外見・容姿に自信がない n D 本当は私、性格がよくない… n E 私、センスがないって言われるし…
コンプレックスという概念を、最初に心理学に 用いたのはヨーゼフ・ブロイアーだが、 この語を有名にしたのはユング。
ユングの定義によれば、コンプレックスとは、
「何らかの感情によって 統合されている心的内容の集まり」
ある事柄と、本来無関係な感情とが結合された状態であり、これを 「心的複合体」とも訳す。
日本では戦後、アメリカより 「劣等複合(inferiority complex)」を中心にした アルフレッド・アドラーの「人格心理学」が流入。
この劣等複合の克服を通じ、人格の発達が 成立するとしたこの理論は、戦後の日本では フロイトの理論よりも、アドラーの理論が流通し またその理論の中心概念である「劣等複合」 が一般になった。
「劣等複合」とは
「劣等コンプレックス」のこと。 日本においては、このアドラーの理論が 一般的に受容され、コンプレックスのうちの 「劣等コンプレックス」が、特に流布したため、 コンプレックスの名で、「劣等複合」を 指すような日常の用語法が生まれた。
日本では今なお、「コンプレックス」と言えば、 暗黙に「劣等コンプレックス」のことを指す 傾向がある。 さらに、精神分析の用語から離れて、 「コンプレックス」を「劣等感」の同義語と するような誤用も生まれ、今に至っている。
心理学上、さまざまに研究されているコンプレックス
エディプスコンプレックス
母親を手に入れようと思い、また父親に 対して強い対抗心を抱くという、幼児期に おこる心理の抑圧のこと。フロイトは、 男児にも女児にも生じる葛藤構造とした。 フロイト)ギリシア悲劇の一つ『オイディプス』 になぞらえ、エディプスコンプレックスと 呼んだ。
エレクトラコンプレックス
女児が父親に対して強い独占欲的な 愛情を抱き、母親に対して強い 対抗意識を燃やす状態。 ユング)ギリシア悲劇の一つ『エレクトラ』に なぞらえ、エレクトラコンプレックスと呼び 始めた。
阿闍世コンプレックス(アジャセコンプレックス)
母親は子供の出生に対して恐怖を持ち、 子はそれに対する怨みを持つとされる。
阿闍世とは、サンスクリット語で 「アジャータシャトル」といい、未生怨 すなわち出生以前に母親に抱く怨みの事。 理想的な母との一体感から、母による裏切り という段階を経て、怨みを超えた母子の 許しの通じ合いに至るという3つの心理段階。
ブラザーコンプレックス
「兄弟に対する恋愛的感情」や 「自分のものにしたい独占欲」 のある姉妹、と言う図式で捉えられる。 フロイト派の論述によると、女性ははじめ 父親に対して性愛感情を持つが、父親が 母親を見ているのに気づき、父親ではない 兄弟に向くとしている。
シスターコンプレックス
「姉妹に対する恋愛的感情」や 「自分のものにしたい独占欲」のある兄弟 と言う図式で捉えられる。
兄が自己がはっきり形成されていない時期に 自分が妹によって中心であることが出来ず 非中心化が起こるため、その我慢した分を 妹を支配する事で解消しようとする。
カインコンプレックス
ユング)兄弟の関係において差別的に親の 愛情を受けた場合、それによって苦しんだ 体験は、兄弟以外の関係にも投影されていく という。
旧約聖書の『創世記』偽典『ヨベル書』の 神話。農夫の兄カインと羊飼いのアベルの 物語に由来。
シンデレラ・コンプレックス
男性に高い理想を追い求め続ける、女性の 潜在意識にある「依存的願望」を指摘した シンドロームの名称。
童話『シンデレラ』のように「白馬を駆る素敵な 王子様がどこからか現れて救ってくれる」と 考え、外からくる何かが自分の人生を 変えてくれるのを待ち続けているとする心理。
白雪姫コンプレックス 子どもの時に虐待された母親が、自分の娘に 対して虐待をしてしまう被虐待児症候群。
王妃が魔法の鏡に質問した 「世界で一番美しい女性は?」への答えが 「白雪姫」だということに怒り、猟師に 白雪姫を森に連れて行くように命令。 白雪姫は家を追い出され、猟師に殺されかけ、 肺と肝臓を母親に食べられそうになる。
メサイアコンプレックス 救済者になることを運命づけられている という信念を抱く心の状態を示す。 キリストコンプレックスもしくは救世主 コンプレックスとも言う。
自分は不幸であるという感情の抑圧の 反動で、自分は幸せであるという強迫的な 思いこみが発生。深まると、自分自身が 人を助ける事で自分は幸せだと思い込む。
ユディットコンプレックス
女性には強い男に進んで身をまかせたい 心理がある一方、自分の操を汚した男への 憎しみとが無意識に存在するとされる。
旧約聖書第二聖典ユディト記のユディトの 逸話を基になっている。 この心理はカマキリの雌が交尾した雄を 食べてしまう事にも例えられる。
ダイアナ・コンプレックス
ダイアナは英語、ディアナはラテン語で、 ギリシャ語ではアルテミスと言う。 アポロンの双子の姉である彼女は、女性の 狩猟の神であり、生涯処女を貫いたとされて いる。そのため、女でありながら男らしくなり たかった心理を持っていると解釈され、 「ダイアナコンプレックス」という用語ができた。
カメリア・コンプレックス カメリア(camellia)とは、椿のこと。語源は、 アレクサンドル・デュマ・フィス著の 『椿姫』 のヒロイン、マルグリット・ゴーティエ。 高級娼婦として働くマルグリッドに青年 アルマン・デュヴァルが恋をするという物語。
この小説から女性がどんな人であろうと、 救い出そうとする男性の心理全般のことを 「カメリアコンプレックス」と呼ぶようになった。
やるが勝ち。
まず、あなたが一番になる 組み合わせ条件設定を30通りほど
紙に書き出してみましょう。
私たちの脳は混乱してはじめて、 新たな創造力を発揮します。
それがあなたの セラピスト・マインドには必要不可欠。
もし仕事にしていくつもりなら、 あなたしか名乗れない セラピストネームと仕事の仕方を 見出しましょう。