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Title マルクス経済学の再構成 : 史的唯物論、労働価値説、剰 余価値説 Author(s) 大西, 広; 山下, 裕歩 Citation 京都大学大学院経済学研究科Working Paper (2002), J-20 Issue Date 2002-01 URL http://hdl.handle.net/2433/37883 Right Type Research Paper Textversion author Kyoto University

Title マルクス経済学の再構成 : 史的唯物論、労働価 …...WORKINGPAPERNO. J-20 馬 マルクス経済学の再構成 一史的唯物論、労働価値説、剰余価値説一

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Title マルクス経済学の再構成 : 史的唯物論、労働価値説、剰余価値説

Author(s) 大西, 広; 山下, 裕歩

Citation 京都大学大学院経済学研究科Working Paper (2002), J-20

Issue Date 2002-01

URL http://hdl.handle.net/2433/37883

Right

Type Research Paper

Textversion author

Kyoto University

Page 2: Title マルクス経済学の再構成 : 史的唯物論、労働価 …...WORKINGPAPERNO. J-20 馬 マルクス経済学の再構成 一史的唯物論、労働価値説、剰余価値説一

WORKINGPAPERNO.J-20

マルクス経済学の再構成一 史的唯物論 、労働価値説 、剰 余価値説一

京都大学経済学研究科教授 大西 広

京都大学経済学研究科博士課程 山下裕歩

2002年1月

雫.\

,

〉_..

GraduateSchoolofEconomics

FacultyofEconomics

KyotoUniversity

Kyoto,606-8501JAPAN

Page 3: Title マルクス経済学の再構成 : 史的唯物論、労働価 …...WORKINGPAPERNO. J-20 馬 マルクス経済学の再構成 一史的唯物論、労働価値説、剰余価値説一

J-20

マルクス経済学の再構成一史的唯物論、労働価値説、剰余価値説一

京都大学経済学研究科教授 大西 広

京都大学経済学研究科博士課程 山下裕歩

2002年1月

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は じめに

本稿 は近代経済学 とマルクス経済学が相互に意志不通である状況を解消 し、マル クス経

済学 を近代経済学 に理解可能な形で再構成す ることを 目的 としている。 この分野では置塩

(1957)に よるrマ ル クス=置 塩の定理」が国際的に も高い評価 を得ているが、それで もそれ

自身の理論継承者である分析的マル クス主義か らも現在は批判を受 けるに至っている。ま

た、置塩(1967)は 、ケイ ンズ経済学寄 りのマル クス解釈 でマル クス経済学 と近代経済学 と

の橋渡 しを行ない,そ の後三土(1984)は 逆に新古典派的な限界生産力理論を基礎にマル ク

ス搾取理論 を再解釈 した。 これ らに対 し,本 稿では新古典派成長理論を基礎 としたマル ク

ス理論の再構成を試みる。

本稿 にお けるマル クス理論の再構成の もうひ とつの特徴 は,史 的唯物論に明確 に基礎 を

置いた労働価値説 と剰余価値説を定式化す ることである。史的唯物論 は剰余価値説 ととも

にエ ンゲル ス(1880>に よってマル クス理論の中心的内容 と定義 されたものの、体系的 な書

物がマル クスによって著 されず、その後のマルクス経済学は史的唯物論への関心が低 く,

労働価値説や剰余価値説が単独 で取 り扱われるのが一般的であった。た とえば,前 述 の 「マ

ル クス=置 塩 の基本定理」も搾取が資本制 に独 自な ものであるとい う点が不明確 な理論構

成 となっている。本稿では,こ うしてマル クス理論における非常に重要な部分なが らある

種の空 白部分 となっている史的唯物論 をより豊かに展開 し,そ の基礎 の上に立 った労働価

値説 と史的唯物論 を定式化す る。

史的唯物論

それ では、そのまず史的唯物論 とはどのよ うな仮説なのであろ うか。文字 に沿って定義

すれば 「唯物論」 とい う条件 とその説明が 「史的」である とい う二つ の条件 によって成 り

立っ理論 とい うことになろ う。そのことを 「封建制」 と 「資本制」を例に次 のよ うに説 明

す ることができる。

とい うのは、まず今、産業革命前、 「機械」がなかった頃の手工業 を想起 され たい。・こ

こでは 「機械」がな く 「道具」 しかない以上、生産物の量 と質 を上げるためには 「手の熟

練」の水準を引 き上げる しか方法がない。作業者は親方 と 「師弟関係 」を結び、その下で

何十年 と毎 日同 じ作業を行な う。 こうした親方 に従順な繰 り返 しのみが この場合 には生産

力を保つ唯一の方法であるため、 こうした 目上 を大切にす る、 とい う 「麗 しい」人間関係

が築かれ る。産業革命後 の現代では 「定年制」が成立 し、永 く同一人物が組織の長 を勤め

ることは 「老害」 と言われる。 このよ うな社会通念の転換は 「道具」なのか 「機械」なの

か とい う技術的条件 の違 いによってもたらされる。 これは確かに唯物論 である。

しか し、こ うした転換 はこうした各作業所 内での人間関係 だけではない。た とえば、上

記のよ うな熟練の形成には、各作業所内で親方が指導する弟子の数 は制限 しなければな ら

ない。大学の大講義のよ うなシステ ムで教 えられ る 「科学的」知識 ではな く、 「腕」 自身

に覚えさせ る 「技」のよ うなものは親方 との人格的 な交流ができる範囲の人数、十人前後

一1一

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に対 して しか 「伝授」す ることはできない。そ して、そのためにその個 々の経営体は小規

模である必要 があ り、経営体間の競争 を制 限 して大規模経営 を抑止す る封建的な同業組合

(ギル ド)が 形成 されたのはこのためであった。 ギル ドとい う社会制度 もが この時代 の技

術的条件の賜物であることがわかる。

しか し、 こ うした 「麗 しき」時代は機械 の登場 によって終わ る。機械 が登場す ると生産

物 の質や量は以前のよ うな熟練に依存す るものではな く、機械の質や量によって決まるよ

うになる。熟練労働者は不要 となって職 を失 ない、代って工場 に入 った不熟練労働者 も 「不

熟練」であるがためにいつでも取って代 えられ うる、そんな存在以上の ものにはなれない

(「機械 の単なる付属物」(『 共産党宣言』))。 そのため彼 らの雇い主に対す る交渉力

は弱 くな り、賃金な どの労働条件 は悪化(「 貧困化法則」)。 そ してその結果、利潤は さ

らに大 きくなってそれ が再び資本 として機械 に再投下 され るこ ととなる。 こうして産業革

命後 の社会では 「資本」=機 械 が社会の主人公の ように振 る舞い、その増殖が 自己 目的で

あるかの ように運動する。それがためにこの社会は 「資本」制社会 と名付 け られるのであ

るが、ともか くこうして機械 が大き くなることは、生産力 も大きくなることを意味す る。

とい うよ り、生産力の大きさが熟練の程度に依存す るのではな く、機械 の質 ・量に依存す

るようになった とい う 「工業社会」 としての資本制社会の定義 自身が、機械の増殖(← 社

会的富の多 くが労働者 にではなく 「機械」に配分 され るとい う状況)以 外 には生産力発展

ができないこ とを意味す る。そ して、実際、この 「資本」制社会はまった く自動的 にそ う

した 自己増殖のメカニズムをビル トイ ンしてい るのである。

生産力発展 が評価基準 とは どうい うことか

ところで、このメカニズムでは 「賃金な どの労働条件が悪化」することが必要な条件 と

なってい るが、 しか しこ うして生産力が発展す るとその後その分 け前は労働者 にも回 って

来ることになる。た とえば、 日本の高度成長には農村か ら供給 された安価 な労働力が決定

的に寄与 したが、その結果 として長期 には所得が急上昇 した。 資本主義の初期 には賃金水

準が絶対的に減少す ることがあるが(「 絶対的貧困化」)、 一般的には上記の意味での 「低

賃金」 と 「所得上昇」 とは両立 し、その ことをマル ク琴経済学では 「相対的貧 困化」 と呼

んでいる。労働分配率 と しては低下 しつつ も経済の全体的な規模拡大の結果 として実質所

得 が増加する とい う現象 を指 しているのである。

しか し、そのこと以上にこの問題 が史的唯物論的に重要なのは次の ことがあるか らであ

る。 とい うのは、史的唯物論が 「ある社会システムの歴史的正 当性はそれが生産力発展 に

寄与す るか どうかで判断 され る」 とい う時 も、そ うした 「正当性 の判断」 をするのはその

時代 に生きている人々それ 自身であ り、その場合 、その 「正当性」なるものは人 々の脳裏

ではその社会 システムで うまく食べて行 けるか、生活を向上で きるのか どうか とい う問題

として判断 され るものだか らである。上記の資本制 システムの場合では もちろん労働者 は

直接的には労働分配率の低下に反対す る。が、それで もその結果 としてた とえば高度成長

一2一

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するのであればその社会 システムを根本的には転覆 しようどは しない(少 な くとも人民の

多数 はそ う意図 しない)。 世界史上の どの政権 も高度成長過程 中に転覆 されていない こと

はその証である。左翼運動は一般 にこ うした高度成長の成果を正当に認 めないが、史的唯

物論 はそ うではな く資本制には資本制のちゃんとした正 当性 があることを明確 に説明す る。

こ うした意味で史的唯物論の生産力主義 とは宙 に浮いた法則性の主張ではなく、ちゃん と

ミクロ的メカニズムを持 っているのである。

労働価値説

以上がマル クス史的唯物論 の基本的な内容、 あるいは資本制 とい う独 自な歴史時代 の理

解であるが、 もしこのよ うに資本制が理解 され るとマル クスが古典派経済学か ら引き継 い

だ労働価値説(特 に リカー ドのそれ)の説明は少々むずか しくなる。とい うのは、封建制の下

では 「道 具」 しかないか ら、生産物はほ とん ど人間の力だけで作 り上げ られているもの と

考えてよい。だか ら 「投下労働 」→ 「生産物 の価値」 とい う投下労働価値説は至極 自然 な

考え方であったが1、 生産過程において、労働 と機械が ともに重要な要素 として作用 してい

る(あ るいは機械が より重要に機能 している)社 会では、生産物価値の どこまでが 「労働」

の成果であ り、またそのどこまでが 「機械」の成果であるか とい う具合 に考えた くなって

くる。そ して、実際、近代経済学は一般にその ような考 え方か ら労働価値説を拒否 して来

たのである。

しか し、それ でも、生産過程 で機 能す る 「機械」 もまた人間の生産物 に違いがない。 あ

るいは、その 「機械」も同 じく 「機械」 と 「労働」の生産物 であ り、そのまた 「機械(「 機

械」 を作 るための 「機械」)」 もまた 「機械」 と 「労働」の生産物であ り … とい う連

鎖を辿 ることができる。 この連鎖は限 りがなく、処理不能に思われ るかも知れない(「 悪

無限」)が 、少 し工夫す ることで扱いやす くす ることができる。 とい うのは、今、 この出

発点 の 「機械 」 と 「労働 」の直接的貢献度 が2:1で あ り、その 「機械」のための両生産

要素の貢献度 も2:1、 そ こで使 う 「機械」のための両生産要素の貢献度 も2:1・ …

1た だ し,価 値 が単なる物量 としてではなくある抽象的な存在 として知覚 され るためには

諸生産物が 「商品」 として他 と対等に対峙 し,し たがって同質性 を有す ることが認 められ

なけれ ばな らない。 この条件は市場交換がある程度広まってい ることを前提 としている と

い う意味では 「単純商品生産社会」が本来の投下労働価値説 に最 も親和的な状況 とい うこ

とになる。 しか し,真 に社会が市場経済化するのは産業革命後になってか らである。 そ し

て,こ のことは諸労働 が量 として比較 ・測定可能 になるとい う条件 としての労働 の単純化=

不熟練化が機械 によって初めて実現 された(工場制手工業 も理念的には不熟練労働 である

がそれ には技術的条件 が不足 し,ま た一般的な 「工場制手工業社会」が存在 したわけでは

ない)こ とによって ことによっても主張す ることができる。その意味で,古 典派の労働価値

説 もまた資本制の成立 とともに成立 した,本 来資本制の解明のための分析装置である。

一3一

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であるとしよ う。そ うす ると、たとえば1単 位 の最終生産物 を生産するために必要な労働

は、

(1/3):最 終生産物に投入 された労働量

+(1/3)×(2/3):最 終生産物 で使用 された機械 の生産の為の労働量

+(1/3>×(2/3)×(2/3):上 記の生産で使用 され た機械の生産の為の労働量

+(1/3)×(2/3)x(2/3)×(2/3):上 記の生産で使用 された機械 の生産の為の労働量

となる。 この総和は無限等比級数(無 限等比数列の和)(「 真無限」)と して数学的に、

1/3

一一一一=1

1-2/3

と計算 され る。 つま り、 「1」 とい う単位 の生産物の生産のすべて(1)が 最終的には労

働 に依拠 している(労 働の産物である)と い うことにな り、労働価値説が 「最終的には何

物 も最終生産要素 としての労働 だけによって生産 されている」 と言 うのはこのこ とを指 し

ている。 マル クスは商品が商品たるのはすべての商品が労働 によって生産 され た とい う性

質によると述べたが,こ の ことは 「機械」,「 その機械のための機械」,「 その機械 のた

めの機械」…がすべて労働 による生産物なのだ とい う主張だ と換言可能である。マル クス

が古典派経済学か ら引き継いだ労働価値説 とはこのよ うなものであった。

しか し、筆者 はこの労働価値説 も現代経済学の次元からすれば以下の点で不十分である

と考えている。 とい うのは、以上の説 明ではただ労働 が最終的な生産要素であるとい うこ

とだけ しか説明 されてお らず、それだけだ と最初か ら 「労働」のみで生産物を生産す ると

い う方法をなぜ取 らないのか とい うことが分か らないか らである。

資本制時代、産業革命後の機械の時代 においては、 「労働」のみである生産物 を作 るの

が合理的な選択ではな くなった。 あるいは逆 に言 って、社会 に存在するすべての 「労働 」

を最終生産物の生産に振 り向けるよ りは、その多 くの部分を 「機械」生産に一旦まわ し、

その後、それに よって生産 された 「機械」 と残 りの 「労働」(社 会的総労働 一 「機械」生

産にまわ された労働)で 最終生産物を生産す る方がその最終生産物の総量を増大 させ るこ

とができる。 その ような企業家の選択問題 がまだ示 されていないか らである。

したがって、その ような関係 を示す ために、1000ト ンのある最終生産物 を 「機械」

と 「労働」の様 々な 「貢献比」で生産す る次の ような複数の生産技術を考 えてみ よ う。す

なわち、

技術①1000ト ンの最終生産物←0台 の機械 と1000時 間の労働で生産

技術②5台 の機械 と200時 間の労働で生産

技術③10台 の機械 と50時 間の労働で生産

技術④20台 の機械 と20時 間の労働で生産

言 うまで もなく、技術①が上述の封建制 タイプの生産技術である。 そ して、そ こで、 も

一4一

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しこの機械一台の生産に最終的に10時 聞の労働 が要せ られ る としよ う。そ うす ると、こ

の技術①~④が同 じ1000ト ンの最終生産物 を作 るのに要す る最終生産要素 としての必

要労働量はそれぞれ次の とお りとなる。

技術①0台 ×10時 間+1000時 間=1000時 間

技術②5台 ×10時 間+200時 間=250時 間

技術③10台 ×10時 間+50時 間=150時 間

技術④20台 ×10時 間+20時 間=220時 間

説明す るまで もなく、この4種 類の生産技術では技術③が最 も合理的であ り、 当該社会

に住 む企業家たちはこの技術 を採用 しようとす るだろ う。同 じ量の生産 を行 うために必要

となる労働量が最小であるか らであ り、あるいは同 じ事 を逆 に言って、同 じ労働量当 りの

生産量が最大 となるか らである(技 術①~④ではそれぞれ労働1時 間当 りの最終生産物の

生産量は、1ト ン、4ト ン、20/3ト ン、50/11ト ンとなっている)。

したがって、筆者の理解では、古典派以降の労働価値説は前述のよ うに 「労働が:最終的

生産要素である」 といった事実を主張す るだけでは駄 目であって、その事実の故に投下労

働量が技術選択の基準 となっているとい うこと、あるいは もっと言 って 「投 下労働量」 と

い うものがやは り最終的な生産/生 産物の単位=評 価基準 としてあるとい う主張を含 まな

けれ ばな らない。 「トン」 も 「台」 もその他様 々な財 の単位 も最終的には労働時間 とい う

単位 で計 られ る。 「限界革命」以降の労働価値説 は主体の合理的選択 一一この場合 は技術

選択 とい う要素 も含んだ理論 として 自身 を再定義 しなければな らない とい うのが筆者の立

場である。 と りわけ、 このことが重要なのは労働価値説 の本来の主張である 「労働 こそ

が最終的生産要素」 とい う内容は.「人間に とって」 とい う主体性がポイ ン トとなるか らで

ある。すなわ ち、人間が人間の為 に生産する以上、その使用可能 なものは人間が持 ってい

る本源的な生産要素たる労働 しかないか らであ り、それは例 えば(あ りえないことではあ

るが)「 自然」が 「自然Jの ために 自覚的に生産するよ うなケー スと比較 しても理解でき

る。先の無限等比級数の計算は 「労働」を本源的生産要素 として計算す ることができるだ

けではな く、純粋数学的には 「太陽エネル ギー」 を本源的生産要素 として計算することも

できる。労働 は人間の肉体形成 と食物 によるエネルギー吸収 を前提 とす るが、そのエネル

ギー をさらに太陽エネルギーにまで湖れば、それ を根拠に 「投下太陽エネル ギー価値説」

も形成可能な ように思われ て来るか らである。 実際、こ うした批判は労働価値説に対する

重要な批判 として存在す る。

しか し、 こ うした考 えは正 しくない。なぜな ら、太陽は 自覚的に意志 を持 って対象に作

用 している訳ではな く、また前述の技術選択のよ うによ り効率的 な 「作用」方法を選んで

いる訳ではない。 この作用が主体的なものではなく、ここが人間の 「労働 」 と決定的 に異

なる ところである。 この意味で も労働価値説は上述のよ うな主体的選択理論 として理解 さ

れ 直す必要がある。 これは古典派経済理論 の多 くの内容は限界理論=主 体的選択理論の導

入によって新古典派経済理論に発展 したが,そ うした発展は労働価値説 において もな され

一5一

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なけれ ばな らない。

剰余価値学説

したがって、本稿 での説明は冒頭 で述べたよ うに限界革命以降の経 済学のスタンダー ド

を前提に している。それを承知で更に 「マル クス経済学」の第2の ポイン ト,「 剰余価値」

=利 潤論 に進む と,こ の 「剰余価値 」=利 潤の史的唯物論的存在意義は、資本家の浪費に

あるのではなく、資本蓄積=機 械の増殖にあるのであるか ら、 こ うした 「機械 の増殖」が

先の主体的技術選択 とどう関わっているのか とい う問題が生 じて くる。 とい うのは、技術

選択 によって上述の技術③が選択 された とす ると、そ こではも う 「機械 の増殖」が少 なく

とも社会的 には必要ではな くなる。 これは剰余価値=利 潤の存在 とど う両立す るのか、 と

い う問題 が生 じるか らである。 この問題について、筆者 は次のよ うに答 えてい る。

技術③は本来望 ましい機械/労 働比率(こ の ことを経済学では資本/労 働 比率 と呼ぶ)

ではあるが、その水準に瞬時に到達できるか どうかは分か らない。た とえば、産業革命以

前には技術①的状況が支配 し何の資本 も存在 しなかったが、産業革命 とい う技術革新 の結

果 もし一挙 に技術③が最適資本/労 働比率になったとしよ う。そ うす ると、先の例では一

挙に10台 の機械 を導入 しなければな らない。そ して問題は、 これが特定の工場では可能

であって も、全社会的には可能か どうか分か らない とい うことである。技術③ の資本/労

働比率を全社会的に実現す るには、た とえば5億 台の機械が必要になるかも知れ ないが、

その5億 台の総額 は一年 のGDPを 上回るかも知れ ない。あるいは労働価値説的 に言 って

社会に存在す る全労働 を機械 の製造 に投入 しても5億 台を一年で生産することは不可能か

も知れ ない。その ような場合、時間要素を考慮 に入れた合理的選択 とい うことが問題 とな

る。

とい うのはこ うい うことである。今年1年 で技術③の資本/労 働比率に到達す ることは

不可能な以上、時間をかけてそれに到達す る。それ が合理的選択である。 そ して、その時

間的経路 は次の図のよ うになろ う。すなわち、産業革命後 の技術のジャンプに対応 して資

本/労 働比率を引き上げるべ く努力が開始 され るが、そのスピー ドは当初は早 く、 目標 と

す る技術③に近づけば近づ くほ どス ピー ドも低下する。 この様子は図では、 「最適技術へ

の最適パ ス」の曲線 の傾 きが当初は急で、その後徐 々に緩やかになって行 くもの として表

現 されている。 こ うしたパスが時間経路 として最適であることについては数学補論参照の

こと。

この結果は極 めて興味深 い。なぜな ら、当初の急な傾 きとは急速な資本蓄積であるか ら

労働分配率 はかな り低 く抑 えられ ることを意味 し、それが時間 と共に改善 してい く。そ し

て、最終的 に技術③に到達 した暁には(そ の資本/労 働比率を維持する 目的の減価償却部

分を除けば)資 本蓄積 はもはや不要 とな り、 したがって社会 に存在するすべての生産力 を

最終生産物の生産のために投入す ることができるよ うになる。つ らく長い 「強蓄積 」の時

代、低い労働 分配率の時代を経て、歴史は最後に全社会的生産物 を(機 械=資 本のために

一6一

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麟/難瞬

最翻女循糠③

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一7一

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ではなく)人 間のために使用す ることのできる時代がや って来 る。マルクスが描いた高次

の共産主義社会 はこのよ うな社会 と理解できる。

なお、マル クスはこ うした 「機械=資 本中心社会(資 本主義社会)」 と共産主義社会 の

区別を搾取のある社会 とない社会 として表現 している。 この ことは上記の説明では、社会

の総生産物の内、 どの程度 を最終生産物 に割 り振ることができるのか とい う問題 として定

式化 されているか ら、結局、上記の説明では、社会的総生産に占める搾取の比率=搾 取率

は、〈資本蓄積 のための生産/社 会的総生産 〉として定式化 されているこ とになる。2

「社会主義」 とは何 だったか

マル クスの説明のために本書で与えられた紙数は限られているのでマルクスの学説につ

いては以上の説明に とどめたい。が、 ここで 「マル クス」 を論 じている以上、付言 してお

かなければな らないことがあとふたつ ある。そのひ とつは、 「マルクス理論 の実践」 とし

て理解 されていたあの例 の 「社会主義」 とは何だったのか とい う問題、そ してふたっ 目に

はマルクス以降のマル クス経済学は どうなったのかとい う問題 である。

最初 の問題 から解説 を始める とこうなる。す なわち、あの例 の 「社会主義」は極 めて資

本蓄積的な社会であった とい うこと、そ して、も しそ うな ら、その社会 こそ典型的 な 「資

本制社会」、あるいはその初期 に一般的に見 られ る 「強蓄積」期 と理解すべ きだ とい うこ

とである。

実際、あの 「社会主義」にはソ連 ・東欧の崩壊直前の印象が強すぎたために、生産力発

展 に失敗 した、資本蓄積 に失敗 した とい う理解があるが事実は逆である。資本蓄積のス ピ

ー ドは他の どのよ うな時期 よりも速 く、その結果 として生産力 の急速な発展 も実現 してい

る。そのことは、 ソ連がアメリカ よりも早 く人工衛星 を打ち上げた ことや 、 ともか く最弱

の帝国主義であったロシアが米 ソ両超大国として戦後 に君臨 したことか らだけで も分かる。

中国で も毛沢東時代 のインフラ建設 は相当に急 ピッチなものであった。あの 「社会主義」

が単純にハ ッピーな存在 であった と言 うのではない。猛烈な労働分配率の切 り下げ=強 搾

取があった。そ して、その結果 として強蓄積 を実現できた とい うわけである。

あるいは もっ と言 うと、こ うした 「社会主義」に特徴的な国家主導経済 も特に 「社会主

義」だけの ものではなかった。ア フリカな どの途上国にもよく見 られ た経済システムであ

ってそれ らは 「国家資本主義」 と呼ばれていた。上述 の理 由か らすれ ば、前述の これ らい

わゆる 「社会主義」もまたこの名称 で理解 され るべきである。市場競争の圧力だけでは求

め られる強蓄積 を実現できない場合 、国家が強力に経済介入 をす るとい うことは十分 に理

解 できる。そ うした強蓄積 のために集団化 ・国有化 したのが ソビエ ト・システムだ とい う

のは今や一般的 な理解である。 日本でも強力な国家の経済介入 な しに官営八幡製鉄所や富

2言 うまでもな く,こ こでの 「搾取率」 とは資本制的搾取率である。 これ と異な り,奴 隷

制や封建制下の搾取は社会的総生産 に占める農業イ ンフラや秩序維持の費用部分 を指す。

一g一

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岡製糸工場な どの産業基盤 が形成できなかったのと本質的には同 じである。

マル クス以降のマル クス経済学

しか しなぜ、こうした資本主義的な経済運営がなぜ に共産党政権によって実行に移 され、

また西側 資本主義国においてはなぜに こうした路線が左翼勢力によって歓迎 されたのであ

ろ うか。この問いは、マルクス以降の 「マル クス経済学」、とりわけ 日本 を含む西側 の 「マ

ルクス経済学」 とは何であったのかとい う問いに通ず る。

この問いには次のよ うに回答す ることができる。すなわち、① ロシア、東欧、中国な ど

工業化が遅れ、かつ緊急 に工業化をな し遂げねばな らない諸国が国家主導経済を採ったの

は当然 のことであった、②そ うして国家型の資本主義が必要な時に国家型 の資本主義を構

築す ることはマルクス理論か らしても正当な行為であった、'③すでに国家主導型 の資本 主

義 を卒業 し、高度に市場化 された資本主義 となった西側資本主義においてはそ うした市場

型資本主義のアンチ ・テーゼの意味で ロシア ・東欧 などの国家主義経済学 を歓迎 した、 と

い うものである。煎 じ詰めれば、 ロシア、東欧、中国な どの政権与党のマル クス経済学は

その経済建設 のために国家主義的な経済学 を作 り上げ、他方西側にお ける政権野党のマル

クス経済学は政権党の成長政策 を批判するためにその国家主義的な経済学 を利用 した。 同

じ国家主義であっても、その指 向性 が正反対であることを知ってお く必要 があるだろ う。

国家主義 が経済建設 において主要な役割を占める時代 には、上述のマル クス経済学は政権

与党の ものであったが、強蓄積 が徐 々に不要化 し、市場メカニズムが経済の中心を占める

に したがって国家主義的経済学は経済学の傍流に転落す る。西側マル クス経済学が どうし

て もそ こでの主流派 とな り得なかうたのにはこ うした事情があったのである。

したがって、生産力発展 に適合的な体制 とそのイデオ ロギーのみが社会の中心に座 るこ

とができるとす る史的唯物論で評価す る限 り、 ソ連 ・東欧 などにおけるマル クス経済学 と

西側諸国に存在 したマル クス経済学 とは同列に置 くことはできない。 われ われ西側 に住む

人間が普通 に目に し耳にするマル クス経済学 とは後者 のものであるか ら、いわばそれは史

的唯物論 としてのマル クス経済学ではなく、史的唯物論の分析対象に成 り下が ったある特

定の左翼経済学にすぎない。史的唯物論 をべ一スに理解 されたマルクス経済学(そ れが本

稿の立場 である)と 巷 に存在する西側 「マル クス経済学」 とは決 して混同 されてはな らな

い。

参考文献

エンゲルス,1880,『 空想か ら科学への社会主義の発展』,『 マル クス=エ ンゲル ス全集』

第20巻 所収。

三土修平,1984,『 基礎経済学』 日本評論社

置塩信雄,1957,『 再生産の理論』 創文社

置塩信雄,1967,『 蓄積論』筑摩書房

大西広,1993,『 資本主義以前の 「社会主義」 と資本主義後の社会主義』大月書店

一g一

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補論 最適迂回生産システムとしての資本主義の数学モデルー搾取と原始的蓄積のモデル的説明一

基本モデル

Y

ここでは本文の示 した資本主義像に可能な限 り忠実なモデルを作 り,そ の特徴を数学的に調べる。

ところで本文では,当 該社会は本来消費のみを目的とするものの,そ の消費財生産のための生

産財 をも持ちまたその生産を行なうとなっている。したがつて,こ こでは生産部門はふたつあり,

それは消費財部門と生産財部門である。そ して,こ の社会はこのふたつの部門(消 費財部門と生産

財部門)に 全社会の労働力Lを それぞれ8:1-8,(0<8≦1)の 比率で割 り振る。今、Lは 時間

を通じて一定であると仮定する。この時,消 費財部門の生産関数は,規 模に関する収穫一定のコ

ブ ・ダグラス型であるとすると,

y=(8五)1-aKa

また,生 産財部門は,減 価償却を無視して簡単に次のような一次同時関数を想定する。

(1)

K=(1-8)五 (2)

この 形 で は 生産 財 生 産 に は 労 働 力 しか 生 産 要 素 と して 使 用 され て い な い よ う に見 え る が ,本 当 は

そ の よ うな 条 件 を必 要 と しな い 。 生 産財 生 産 の た め に残 され た(1-s)Lの 総 労 働 力 を使 つて 「(消

費 財 生産 用 の)生 産 財 生 産 の た め の 直 接 的 労 働 」 と 「生 産 財 生 産 のた め の 生 産 財 生 産 の 労 働 」 に分

割 して も構 わ な い 。 と も か く 問題 は,結 果 と して これ らの 生産 財 は そ の た め に残 され た(1-8)L

の総 労 働 の み で 生 産 され る と い う こ とだ けが 意 味 され て い る 。 こ の こ とは 当該 生 産 部 門 にお け る

両 生産 要 素 の 限 界 代 替 率 一 定 の 仮 定 の 下 で 注 にお い て 示 す1。

な お,こ の モ デ ル で は,ラ ム ゼ イ ・モ デ ル と は 異 な り消 費財 を貯 蓄 す る と い う行 動 は 無 視 さ れ

て お り,消 費 財 生産 を我 慢 して 生 産 財 生 産 を行 な う とい う形 を と つて い る 。 この 意 味 で,1-sは

広 義 の貯 蓄 率 な い し(最 終 目的 は 生産 財 生 産 で は な い と い う意 味 で)迂 回 生 産 比 率 と 理 解 す る こ と

が で き る 。 しか し,よ りマ ル ク ス理 論 的 に理 解 す れ ば,こ れ は 後 に述 べ る 減 価 償 却 問題 を 無 視 す

れ ば 「搾 取 率 」 と理 解 す る こ とが で き る 。 伝 統 的 な マ ル ク ス 理 論 で は,労 働 者 は 階 級 と して は 全

所 得 を消 費 し,資 本 家 の み が 蓄 積 を行 な う(逆 に言 う と この よ うな歴 史 的 社 会 的 役 割 を資 本 家 階 級

は 担 って い る)。 した が って,ど れ だ け の 蓄 積 が され て い る か は どれ だ け が 資 本 家 に よ っ て 取 得 さ

れ て い る か を意 味 す る こ と とな るが,本 モ デ ル で は そ の 比 率 が 総 労 働 の 中 の どれ だ け の 部 分 が 将

1「消費財生産用の生産財生産部門」と 「そ うした生産財のための生産財部門」を今以下の2本 の方程式で表現しよう。す

なわち,

K=α(1-s)L+bh①

II=(1一 α)(1-s)L+(1-b)II②

ここでは,(マ ルクス再生産表式のや り方で)こ の2部 門への生産財の生産への寄与はフローの形式で表わ されている。つまり,①部門のための生産財IIは,そ の生産のためにもjlを 使用し,したがって生産された総IIは,① 部門 と②部門に分かれて使用される。この比率は上式ではb:(1-b)と されている。また,両部門で使用可能な総労働力(1-s)Lはα:(1一 α)の比率で両部門に分割されている。この時,②式でIIを 左辺に集めると,

blド(1一 α)(1-8)L

これを①式に代ズすると,

K=a(1-s)L一{一(1-a)(1-s)L=(1-s)L

つまり,この社会の消費財生産のための生産財の生産Kは,消 費財生産で使用されない全ての残 りの労働力(1-S)Lを 直

接ないし間接に使用することによって生産されているものと理解できる。(2)式が意味していることはこうしたことである。

一10一

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来の消費財生産のための生産財生産にまわされるのかということとして表現 されている。つまり,

この意味で1-8は 「搾取率」であり,総 労働を総価値とする労働価値説からしても親和的な定義

と言えよう。以下では,時 に 「貯蓄率」 と表現し,時 には 「搾取率」と表現する。

ところで,以 上はまだ生産の技術的条件にすぎない。問題はこうした条件の下で,社 会が結果

的に無限期間の効用極大化を諮るよ うな通時的な資源配分(こ こでは労働力の2部 門への配分)を

行なつているものとさらに仮定 しよう。 この仮定は,中 立的な社会計画者が経済をコン トロール

する力量 を持っていると特 に仮定 しているものではなく,史 的唯物論に言 う 「生産の必要が上部

構造を決する」とか 「"社会"の 必要が"社 会"の あり方を(最 終的には)決 する」というような レベ

ルの仮定である。個別家計や個別資本家のレベルでの個々ばらばらな諸決定が このような帰結を

自動的にもた らす訳ではない。言いかえると,そ うでないがために,社 会計画者による個別主体

の決定への介入が社会的な必要事となる。マルクス経済学的な用語では 「国家の必然」と言える。

その ことに注意 した上でこうした 「社会」の通時的な最大化問題は次のようになる。すなわち,

max

S.t.

σ 一paJ

O.・ 一pt1・gYdt

K=(1-s)L

(3)

(4)

ここで,σ は通時的効用,ρ は時間選好率を表す。また,こ の最大化問題の経常価値ハミル トニア

ンだ は,次 のようになる。

6毎ク ≡lny十 μ(1-8)五

=(1一 α)ln8十(1一 α)ln五 十alnK十 μ(1-8) .L

(5)

(6)

従つて最適化の一階条件は、

∂躍=oa

as

1-a一オL=O

s(7)

∂躍'.α.'

∂κ=一 μ+ρ μ ⇔ π=一 μ+ρ μ

で あ る 。(7)よ り、

βS1一 α

万=一 ヨ,μ=。 五

が 導 出 さ れ る。 これ ら を(8)に 代 入 す る と、

αsL3

π.i-a==9+ρ

とな り、 さ らに これ を 変 形 す る と 、

五 αコ  8=7τ1

_α8一 ρ8

一 ・(LaK1-asP)

(g)

(9)

(lo)

(11)

(12)

が 得 られ る 。 次 に 、定 常 均 衡 で はS=0で あ る 。0<8<1と 仮 定 して い る か らs=0の 解 は 無視

して 、

p(1-a)K(13)S=

aL

一11一

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を得る。さらに、定常均衡ではK=0で もあるので,

(1-8)五=0 (14)

す な わ ち 、

s=1

を 得 る。(13)(15)を 連 立 方 程 式 と して 解 く と、 長 期 均 衡 解 が 得 られ る 。 す な わ ち 、

aLK*_s*=0

(1-a)p'

を 得 る。 ま た,同 じ こ とで あ る が,最 適 資 本 労 働 比 率 は,'

(15)

(16)

K* _a(17)L(1-a)p

とな り,また ここではK=0だ から,(2)式 より8=1。 つまり,こ こでは全労働は消費財生産に

まわされ,(減 価償却を無視する限 り)生産財生産はゼロ。そ して,そ のために,(減 価償却部分を

除けば)社 会は蓄積の必要がなく,し たがって搾取 と搾取階級たる資本家階級の存在が不要 にな

る。階級がなく,搾 取のない社会 としての共産主義社会はこのようにして表現される。なお,こ

の(14)(15)式 をs-K平 面に描 くと次のような位相図となる。(図1)

移行径路の特徴と原始的蓄積

ただ,こ うした将来の行き着く先だけではなく,そ れに到る径路が非常 に興味深く,ま た意味

深い。そのことを続いて調べてみよう。

まずは,径 路が単調増加であることである。一般にKは 歴史的条件によ りK*以 下と考えられ

るから,(12)式 の右辺の0の 中は正。よって,s>0。 つま り,初 期点か ら定常均衡点までsは

単調に増加する。 このことを逆に言 うと,貯 蓄率=搾 取率は単調に減少することを意味する。こ

の性質を今,「径路特性①」 と名づける。

他方,こ の移行径路の期間,前 述のようにS>0で あるから,Sはs=0線 の上方にずつとなけ

ればならない。これを 「径路特性②」と名づける。

さらに,こ のS=0線 の形状は,(13)式 よりL,α,ρ一定の時,s-K平 面で原点 を通る直線 と

なる。これを 「径路特性③」と名づける。これらの特徴を持った径路は図1に おいては,太 い破線

によって示されている。なお,こ こで出発点Aが8軸 上にあるのは,産 業革命前においては,基

本的に機械の不存在(未 発明)の ためにその蓄積の必要がなく,す べてが手の労働によつてなされ

ていると簡単化されているか らである。(1)式 の記号 を用いて説明すれば,Kに 掛かる乗数の α

がゼ ロであるために,(16)式 で導かれるK*も ゼロとなっている。そのような時代が産業革命前

の出発点と考えられるか らである。

最後に,こ の径路上の移動のスピー ドの問題について考えると,次 のようになる。すなわち,図

1に おいて,A-B問(径 路の左側)とB-C間(径 路の右側)と を比べてみた時,A-B間 ではh'の

絶対水準が低 いばか りでなく貯蓄率が高いため,K/Kつ まりKの 伸び率はB-C間 よ り一般的に

高いものと考えられる。あるいは,最 終定常均衡点への到達は厳密には永遠のかなたである以上,

当初は目に見える速さでK*に 近づき,そ の後はそのスピー ドを下げる。この ことは,図2の よう

一12一

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な時間軸上の径路 として表現すれば,産 業革命によって不連続にジャンプした当初の貯蓄率がそ

の後急速に低下 し,あ る時期以降はそれほど高いものではなくなることを意味する。経済学的意

味あいか らすれば,産 業革命直後のある特殊な期間にはすべての社会はかな り厳 しい搾取の時代,

ないし 「原始的蓄積」とも呼ぶべき強蓄積の時代を経過しなければな らないが,そ れはある特定

の時期のものであ り,い ずれ全ての社会は脱却できることを意味する。「産業革命後の強蓄積」す

なわち 「原始的蓄積」はこのようにして表現することができる。

h

減価償却と価値構成中のC

ところで,以 上では生産財は一切資本減耗しないものとしてモデルが組み立て られていたが,も

ちろん現実にはある一定の比率 δで減耗する。 このことを考慮すると,来 るべき定常均衡 におい

てもそのK*水 準を維持するために一定率の生産財生産は残されねばな らない。この問題は,マ

ルクス価値論では価値構成C+V+M中 のCの 部分の問題に通 じる。ここで は最後にこの問題に

ついて言及しておきたい。そのために,ま ず,上 記の諸式の中で書きかえ られるべき式を挙げる。

すなわち,生 産財部門の生産関数は,

K=(1-s)L-bK (ls)

である。この時,以 前と同様の手続きで定常均衡点をもとめることができる。S=oi線 を導 くと,

(ρ十 δ)(1一 α)S=

aL (19)

ま た,K=0で もあ るか ら,

(1-s)L=BK (20)

である。以上の2つ の式を連立方程式 として解くと,定 常均衡となるK,8は 次のとお りとなる。

K*一 δ+(aL.1-a)ρ・s*_・ 一8K*L一 ・一δ+(a81-a)ρ(2・)

したがって,こ こでは(δ/L)K*だ けの貯蓄が最終定常均衡時でもなされ続けなければならない。

このことは,新 しい位相図3で は,E*点 とS=1線 の距離として表現されている。この時,こ の

(δ/L)K部 分はマルクス価値構成論におけるC部 分と理解することができ,し たがって,そ れ以

外の部分がV+M部 分となる。

たとえば,今 ある経済が径路上D点 にあったとしよう。 この時には,そ の8座 標は総労働の消

費財生産への分配分,つ まり1一貯蓄率 として直接に当期の消費のために使われる。したがって,こ

の部分はマルクス価値構成論におけるV部 分を意味 し,そ のように考えていくと,こ のC部 分で

もV部 分でもない部分がM部 分 ということになろう。元々の意味からすれば,将 来にK*な る生

産財ス トックを獲得するために消費財生産=消 費財消費を抑制 している,そ の抑制幅 となる。あ

るいは言い換えて,将 来社会に比べればどの程度の消費の抑制(=労 働者が一切蓄積しないとすれ

ば労働者への分配の抑制)が なされているかを意味し,ま た本稿のようにそ うした蓄積が資本家に

よってしかなされないとすれば,そ れはそ うした目的のための(減 価償却のためでなくKの 増加

のための)資 本家による生産資源の取得ということになる。このような意味で,我 々のモデルでは

「剰余価値の取得」=・「搾取」が表現されていることになる。

一i3一

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もちろん,こ の時にも減価償却部分の補填のために 「C部 分」の生産財生産は続けられなけれ

ばならない。そうしなければ当該社会はK*を 維持できず,そ のために無限期間でみた消費の最

大化を実現できなくなる。その意味では,存 在する最終的生産要素=労 働力のすべてを消費財生

産にまわすのではなく,こ の割合で生産財生産にまわすという社会的システムを作ってお く必要

がある。 この時にも労働者がまだ短期的な視野 しかもたず,生 産財生産への資源配分に抵抗する

ような ら,彼 らを抑えこむ何 らかの強制装置が必要になる。つまり,社 会のあらゆる暴力を廃止

することはできない。国家をその典型とする社会のあらゆる暴力が死滅するためには,こ のよう

に 「M部 分の必要」が消滅すると同時に,労 働者が階級 として長期的視野を獲得することもまた

必要となるのである。

一14一

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s

1c

s=0

''

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'

B'

'ノ

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x=o

0 K*K

図1

1-s

争産業革命

t

図2

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1

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C部 分E*

'

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D'

K-o↑M部 分ウ

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V部 分

▼ ,KK*

図3

一15一