14
1 淮陰侯 列伝

s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

1

淮陰侯 列伝

Page 2: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

2

淮陰侯韓信は、淮陰の人なり。始め布衣為りし時、貧しくして行い無く、

推擇されて吏と為ることを得ず。又生を治め商賈すること能わず。常に人

に從いて食飲を寄す。人、之を厭う者多し。常に數々其の下鄉の南昌の亭

長に從い寄食す。數月にして、亭長の妻、之を患う。乃ち晨に炊ぎては蓐

(しとね)に食す。食時に信往くも、為に食を具えず。信も亦た其の意を

知り、怒りて、竟に絕去す。信、城下に釣りするに、諸母漂す(「漂」は

“さらす”と訓じ、川でさらしものをしていること)。一母有り、信の饑

えたるを見て、信に飯す。漂しを竟わるまで數十日。信喜び、漂母に謂い

て曰く、「吾必ず以て重く母に報ゆること有らん。」母怒りて曰く、「大丈

夫の自ら食すること能わず、吾、王孫(集解:蘇林曰く、公子と言うが如

きなり。相手を尊んでの呼称)を哀れみて食を進む。豈に報いを望まんや。」

淮陰の屠中(屠殺者の仲間)の少年に、信を侮る者有り。曰く、「若長大

にして、好みて刀劍を帯ぶと雖も、中情は怯なるのみ。」衆に之を辱めて

曰く、「信能く死せば、我を刺せ。死すること能わずんば、我が袴下(集

解:徐廣曰く、袴は一に胯に作る、胯は股なり)より出でよ。」是に於て

信、之を孰視し、俛(伏す)して袴下より出でて蒲伏す。一市の人皆信を

笑い、以て怯と為す。項梁、淮を渡るに及び、信、劍を杖きて之に從い戲

下に居るも、名を知らるる所無し。項梁敗れ、又項羽に屬す。羽以て郎中

と為す。數々策を以て項羽を干せども、羽用いず。漢王の蜀に入るや、信、

楚を亡げて漢に歸せども、未だ名を知らるるを得ず。連敖(官名、典客又

は司馬)と為りて、法に坐し當に斬られんとす。其の輩十三人皆已に斬ら

れ、次、信に至る。信乃ち仰ぎ視るに、適々滕公を見て曰く、「上、天下

に就さんと欲せざらんか。何為れぞ壯士を斬る。」滕公、其の言を奇とし、

其の貌を壮とし、釋して斬らず。與に語りて、大いに之を說び、上に言う。

上拜して以て治粟都尉と為す。上未だ之を奇とせざるなり。信數々蕭何と

語る。何之を奇とす。南鄭に至り、諸將の行く道に亡ぐる者數十人なり。

信、何等已に數々上に言うも、上、我を用いざることを度り、即ち亡ぐ。

何、信の亡ぐるを聞くや、以て聞するに及ばず、自ら之を追う。人の上に

言う有りて曰く、「丞相何亡ぐ。」上大いに怒り、左右の手を失いしが如し。

居ること一二日、何、來たりて上に謁す。上且つ怒り且つ喜び、何を罵り

て曰く、「若の亡ぐるは、何ぞや。」何曰く、「臣は敢て亡げざるなり。臣

亡ぐる者を追えり。」上曰く、「若の追う所の者は誰ぞ。」何曰く、「韓信な

り。」上復た罵りて曰く、「諸將の亡ぐる者は十を以て數うるも、公、追う

所無し。信を追うとは、詐りなり。」何曰く、「諸將は得易きのみ。信の如

き者に至りては、國士無雙なり。王必ず長く漢中に王たらんと欲せば、信

を事うる所無し。必ず天下を爭わんと欲せば、信に非ざれば、與に事を計

Page 3: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

3

る所の者無し。王の策を顧みるに、安れの所にか決せん。」王曰く、「吾も

亦た東を欲するのみ。安くんぞ能く鬱鬱として久しく此に居らんや。」何

曰く、「王の計必ず東せんと欲せば、能く信を用う。信即ち留まらん。用

うること能わずんば、信終に亡ぐるのみ。」王曰く、「吾、公の為に以て將

と為さん。」何曰く、「將と為すと雖も、信必ず留まらず。」王曰く、「以て

大將と為さん。」何曰く、「幸甚なり。」是に於て王、信を召し之を拜せん

と欲す。何曰く、「王、素より慢にして禮無し。今、大將を拝するに小兒

を呼ぶが如きのみ。此れ乃ち信の去る所以なり。王必ず之を拜せんと欲せ

ば、良日を擇び、齋戒し、壇場を設け、禮を具えば、乃ち可ならん。」王、

之を許す。諸將皆喜び、人人各々自ら以て大將を得たりと為す。大將を拝

するに至れば、乃ち韓信なり。一軍皆驚く。信、拜禮畢り、坐に上る。王

曰く、「丞相數々將軍を言う。將軍何を以て寡人に計策を教うる。」信謝し、

因りて王に問いて曰く、「今東鄉して權を天下に争うは、豈に項王に非ず

や。」漢王曰く、「然り。」曰く、「大王自ら勇悍仁彊を料るに項王に孰れぞ。」

漢王默然たること良々久しくして曰く、「如かざるなり。」信、再拜して賀

して曰く、「惟(唯諾の意)、信も亦た大王を如かずと為すなり。然れども

臣嘗て之に事う。項王の人と為りを言わんことを請う。項王、喑噁(イン・

オ、索隠:喑噁は怒気を懐く)叱咤すれば、千人皆廢す(索隠:孟康曰く、

「廢」は「伏」なり)。然れども賢將に任屬すること能わず。此れ特だ匹

夫の勇のみ。項王の人に見ゆるや恭敬慈愛、言語嘔嘔たり(言葉つきが穏

やかであること)。人に疾病有れば、涕泣して食飲を分かつ。使人に功有

りて、當に封爵すべき者に至りては、印、刓敝(ガン・ペイ、「刓」は、

すり減る意、「敝」は、ぼろぼろになる意。印璽がすり減ってボロボロに

なるまで弄んでいること)するも、忍びて予うること能わず。此れ所謂婦

人の仁なり。項王、天下に霸たりて諸侯を臣にすと雖も、關中に居らずし

て彭城に都す。有た義帝の約に背きて、親愛を以て諸侯を王たらしむるは

平らかならず。諸侯の項王の義帝を遷逐して江南に置くを見るや、亦た皆

歸りて其の主を逐いて自ら善き地に王たり。項王の過る所、殘滅せざる者

無し。天下に怨み多く、百姓、親しみ附かず。特だ威彊に劫やかされしの

み。名は霸を為すと雖も、實は天下の心を失う。故に曰く、其の彊きは弱

めを易し、と。今、大王誠に能く其の道(項王の道)に反し、天下の武勇

に任さば、何れの所か誅せられざらん。天下の城邑を以て功臣を封ぜば、

何れの所か服さざらん。義兵を以て東歸を思うの士を從えば、何れの所か

散ぜざらん。且つ三秦の王は秦の將と為りて、秦の子弟を将いること數歲

なりき。殺し亡う所、勝げて計う可からず。又其の衆を欺きて諸侯に降る。

新安に至るや、項王詐りて秦の降卒二十餘萬を阬にし、唯だ獨り邯・欣・

Page 4: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

4

205

翳のみ脫することを得たり。秦の父兄の此三人を怨むこと、痛み骨髓に入

る。今、楚、彊いて威を以て此の三人を王とす。秦の民、愛すること莫き

なり。大王の武關に入るや、秋豪も害する所無く、秦の苛法を除き、秦の

民と法は三章のみと約したれば、秦の民、大王の秦に王たることを得るを

欲せざる者は無し。諸侯の約に於ても、大王當に關中に王たるべきことは、

關中の民咸之を知る。大王、職を失い漢中に入る(關中を追われて、漢中

に王として行くこと)。秦の民、恨みざる者無し。今大王舉げて東せば、

三秦、檄を傳えて定む可きなり。」是に於て漢王大いに喜び、自ら以為ら

く、信を得ること晩かりき、と。遂に信の計を聽き、諸將の撃つ所を部署

す。八月、漢王、兵を舉げ、東のかた陳倉を出で、三秦を定む。

漢の二年、關を出で、魏の河南を収む。韓・殷王皆降り、齊・趙を合わせ

共に楚を撃つ。四月、彭城に至るも、漢の兵敗散して還る。信復た兵を收

め、漢王と滎陽に會し、復た楚を京・索の閒に撃破す。故を以て楚の兵卒

に西すること能わず。漢の敗れて彭城を卻くや、塞王欣・翟王翳、漢を亡

げて楚に降る。齊・趙も亦た漢に反き楚と和す。六月、魏王豹、親の疾を

視んと謁歸し、國に至るや、即ち河の關を絶ちて漢に反き、楚と和を約す。

漢王、酈生をして豹を説かしむれども、下らず。其の八月、信を以て左丞

相と為し、魏を撃つ。魏王、兵を蒲阪に盛んにし、臨晉を塞ぐ。信乃ち益

して疑兵を為し、船を陳べて臨晉を渡らんと欲す。而して兵を伏せて夏陽

從り木の罌缻(オウ・フ、「罌」は大型の甕、「缻」は大型の樽を横に寝か

せて、中央に口を開けたもの)を以て軍を渡し、安邑を襲う。魏王豹驚き、

兵を引き信を迎う。信遂に豹を虜にし、魏を定めて河東郡と為す。漢王、

張耳を遣わし、信と俱に兵を引きて、東北のかた趙・代を撃たしむ。後九

月、代の兵を破り、夏說を閼與に禽にす。信の魏を下し代を破るや、漢輒

ち人をして其の精兵を収め、滎陽に詣らしめて以て楚を距ぐ。信、張耳と

兵數萬を以い、東して井陘を下り趙を撃たんと欲す。趙王・成安君陳餘、

漢の且に之を襲わんとするを聞くや、兵を井陘の口に聚め、號して二十萬

と稱す。廣武君李左車、成安君に説きて曰く、「漢の將韓信、西河を渉り、

魏王を虜にし、夏說を禽にし、新たに血を閼與に喋(ふむ)むと聞く。今

乃ち輔くるに張耳を以てし、議するに趙を下さんと欲す。此れ勝ちに乘じ

て、國を去り遠くに鬬い、其の鋒當たる可からず。臣聞く、千里に糧を餽

らば、士、飢うる色有り、樵蘇して後爨げば(集解:漢書音義に曰く、「樵」

(ショウ)は、薪を取るなり、「蘇」は、草を取るなり。「爨」は、“かし

ぐ”と訓じ、煮炊きすること)、師、飽くことを宿めず(「宿」は“とどめ

る”と訓じ、食糧不足を解消することはできないこと)。今、井陘の道、

車は軌を方(ならべる)ぶることを得ず、騎は列を成すことを得ず。行く

Page 5: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

5

こと數百里にして、其の勢いは糧食必ず其の後に在らん。願わくは足下、

臣に奇兵三萬人を假せ。閒道從り其の輜重を絶たん。足下、溝を深くし壘

を高くし、營を堅くして與に戰うこと勿れ。彼前みて鬬うを得ず、退きて

還ることを得ざらん。吾が奇兵、其の後を絶ち、野をして掠むる所無から

しめば、十日に至らずして、兩將の頭は戲下に致す可し。願わくは君、臣

の計を留意せんことを。否らずんば、必ず二子の禽とする所と為らん。」

成安君は儒者なり。常に義兵と稱して詐謀奇計を用いず。曰く、「吾聞く、

兵法は十なれば則ち之を圍み、倍なれば則ち戰う、と。今、韓信の兵は數

萬を號するも、、其の實は數千に過ぎざらん。能く千里して我を襲うも、

亦た已に罷れ極まるならん。今、此の如きをも避けて撃たず、後に大いな

る者有らば、何を以て之を加えん。則ち諸侯、吾を怯なりと謂いて、輕ん

じて來たりて我を伐たん。」廣武君の策を聽かず。廣武君の策は用いられ

ず。韓信、人をして閒視せしめ、其の用いられざるを知る。還りて報ずれ

ば、則ち大いに喜び、乃ち敢て兵を引きて遂に下る。未だ井陘の口に至ら

ざること三十里にして、止まりて舍す。夜半に傳を發し、輕騎二千人を選

び、人ごとに一赤幟を持ち、閒道の萆山(「萆」(ヘイ)は、蔽、草木が生

い茂っている山)從りして趙軍を望ましむ。誡めて曰く、「趙、我が走ぐ

るを見るや、必ず壁を空しくして我を逐わん。若疾かに趙の壁に入りて、

趙の幟を抜き、漢の赤幟を立てよ。」其の裨將をして飱(ソン、少し豪華

な食事)を傳えしめて曰く、「今日、趙を破りて會食せん。」諸將皆信ずる

莫けれど、詳りて應えて曰く、「諾。」軍吏に謂いて曰く、「趙已に先づ便

地に據りて壁を為る。且つ彼未だ吾が大將の旗鼓を見ずして、未だ前の行

を撃つことを肯ぜざらん。吾、阻險に至りて還らんことを恐るればなり。」

信乃ち萬人をして先行し、出でて水を背にして陳せしむ。趙軍、望み見て

大いに笑う。平旦(夜明け)、信、大將の旗鼓を建て、鼓行きて井陘の口

を出づ。趙、壁を開き之を撃ち、大いに戰うこと良久し。是に於て、信・

張耳、詳わりて鼓旗を棄て、水の上の軍に走る。水の上の軍、開きて之を

入れ、復た疾く戰う。趙果して壁を空しくして漢の鼓旗を争い、韓信・張

耳を逐う。韓信・張耳、已に水の上の軍に入る。軍皆殊死(死を覚悟して)

して戰い、敗る可からず。信の出だす所の奇兵二千騎、共に、趙の壁を空

しくして利を逐うを候いて、則ち馳せて趙の壁に入り、皆趙の旗を抜き、

漢の赤幟二千を立つ。趙軍已に勝たず、信等を得ること能わず、還り壁に

歸らんと欲す。壁皆漢の赤幟にして大いに驚き、以為えらく、漢皆已に趙

の王・將を得たるならんと。兵遂に亂れ、遁走す。趙の將之を斬ると雖も、

禁ずること能わざるなり。是に於て漢の兵夾み撃ち、大いに破り趙軍を虜

にし、成安君を泜(チ)水の上に斬り、趙王歇を禽にす。信乃ち軍中に廣

Page 6: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

6

武君を殺す毋かれ、能く生きて得る者有らば千金に購わんと令す。是に於

て廣武君を縛りて戲下に致す者有り。信乃ち其の縛を解き、東鄉して坐せ

しめ、西鄉して對し、之に師事す。諸將、首虜を效し、休(ほめる)めて

賀を畢わる。因りて信に問いて曰く、「兵法は、右に山陵を倍(背の意)

にし、前は水澤を左にす。今者、將軍は臣等をして反って水を背にして陳

べしめ、曰く、趙を破りて會食せん、と。臣等服せず。然れども竟に以て

勝つ。此れ何の術なるや。」信曰く、「此れ兵法に在り。顧うに諸君の察せ

ざるのみ。兵法に曰ずや、『之を死地に陥れて而る後生き、之を亡地に置

きて而る後存す。』且つ信素より士大夫を拊循(手なづけること)するを

得たるに非ざるなり。此れ所謂市人を驅りて之に戰わしむ。其の勢い、之

を死地に置きて、人人をして自ら戰いを為さしむるに非ずして、今、之に

生地を予うれば皆走らん。寧ぞ尚ほ得て之を用う可けんや。」諸將皆服し

て曰く、「善し。臣の及ぶ所に非ざるなり。」是に於て、信、廣武君に問い

て曰く、「僕、北のかた燕を攻め、東のかた齊を伐たんと欲す。何若せば

功有らん。」廣武君辭謝して曰く、「臣聞く、敗軍の將は、以て勇を言う可

からず、亡國の大夫は、以て存するを圖る可からず、と。今、臣は敗亡の

虜なれば、何ぞ以て大事を權るに足らんや。」信曰く、「僕之を聞く、百里

奚は虞に居りて虞亡び、秦に在りて秦霸たり、と。虞に於て愚なりて、秦

に於て智なるに非ざるなり。用うると用いられざると、聽くと聽かれざる

となり。誠に成安君をして足下の計を聽かしめば、信の若き者、亦た已に

禽と為りしならん。足下を用いざりしを以ての故に、信侍するを得たるの

み。」因りて固く問いて曰く、「僕、心を委ね計に歸せん。願わくは足下辭

すること勿れ。」廣武君曰く、「臣聞く、智者も千慮に必ず一失有り。愚者

も千慮に必ず一得有り、と。故に曰く、『狂夫の言も、聖人焉を擇ぶ』。顧

みるに恐らくは臣の計も未だ必ずしも用うるに足らざらんも、願わくは愚

忠を效さん。夫れ成安君は百戰百勝の計有るも、一旦にして之を失い、軍

は鄗の下に敗れ、身は泜(チ)の上に死す。今、將軍、西の河を渉り、魏

王を虜にし、夏說・閼與を禽にし、一舉にして井陘を下り、朝を終えずし

て趙の二十萬の衆を破り、成安君を誅す。名は海內に聞こえ、威は天下に

震う。農夫は耕すことを輟め耒を釋て、衣を褕しくし食を甘くし(索隠:

「褕」は美なり)、耳を傾けて以て命を待たざる者莫し。此の若きは、將

軍の長ずる所なり。然れども衆は勞れ卒も罷れ、其の實は用うること難し。

今、將軍、倦み獘れたるの兵を舉げて、頓(にわかに)かに燕の堅城の下

に之かしめんと欲す。戰わんと欲するも、恐らくは久しくして、力抜くこ

と能わざらん。情見われ勢い屈し、日を曠しくして糧竭き、而して弱き燕

すら服せざれば、齊必ず境を距ぎて以て自ら彊くするならん。燕・齊相持

Page 7: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

7

して下らざれば、則ち劉・項の權、未だ分かつ所有らざるなり。此の若き

者は、將軍の短とする所なり。臣愚、竊かに以為らく亦た過てりと。故に

善く兵を用うる者は、短を以て長を撃たずして長を以て短を撃つ。」韓信

曰く、「然らば則ち何にか由らん。」廣武君對えて曰く、「方に今、將軍の

為に計るに、甲を案じ兵を休め、趙を鎮め其の孤を撫し、百里の內、牛酒

日ごとに至らしめ、以て士大夫を饗し兵に醳(エキ、さけの意、“のませ

る”と訓じて動詞に読む)ましむるに如くは莫し。北のかた燕の路に首(む

かう)いて、後、辯士を遣りて咫尺の書を奉じて(正義:咫尺は八寸、其

の簡牘、長尺或るを言う。竹簡が長いということで、立派な文書を意味す

る)、其の燕より長じたる所を暴わさしめば、燕必ず敢て聽き從わずんば

あらず。燕已に從わば、諠言(ケン・ゲン、口やかましいこと、乃ち口が

達者なこと)なる者をして東のかた齊に告げしめば、齊必ず風に從いて服

せん。智者有りと雖も、亦た齊の為に計るを知らざらん。是の如くば、則

ち天下の事皆圖る可きなり。兵は固より聲を先にして、實を後にする者有

りとは、此を之れ謂うなり。」韓信曰く、「善し。」其の策に從い、使いを

發して燕に使わすに、燕、風に從いて靡く。乃ち使をして漢に報ぜしめ、

因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の國を鎮撫せんことを請う。漢王

之を許し、乃ち張耳を立てて趙王と為す。楚、數々奇兵をして河を渡り趙

を撃たしむ。趙王耳・韓信、往來して趙を救い、因りて行々趙の城邑を定

め、兵を發して漢に詣らしむ。楚方に急に漢王を滎陽に圍む。漢王南のか

た出でて、宛・葉の閒に之き、黥布を得、走りて成皋に入る。楚又復た急

に之を圍む。六月、漢王、成皋を出で、東のかた河を渡り、獨り滕公と俱

に、張耳の軍に修武に從わんとし、至りて、傳舍に宿す。晨に自ら漢の使

を稱して、馳せて趙壁に入る。張耳・韓信、未だ起きざるに、其の臥內に

即く。上、其の印と符とを奪い、以て諸將を麾召して、易えて之を置く(配

置替えをした)。信・耳、起きて、乃ち漢王 の來たるを知り、大いに驚

く。漢王、兩人の軍を奪い、即ち張耳をして趙の地を備守せしめ、韓信を

拝して相國と為し、趙の兵の未だ發せざる者を収めて齊を撃たしむ。信、

兵を引きて東し、未だ平原を渡らざるに、漢王、酈食其をして已に說きて

齊を下らしむと聞く。韓信、止まらんと欲す。范陽の辯士蒯通、信に說い

て曰く、「將軍、詔を受けて齊を撃たんとするに、漢獨り閒使を發して齊

を下さしむ。寧ろ詔有りて將軍を止めんか。何ぞ以て行くこと毋きを得ん。

且つ酈生は一士にして、軾に伏して三寸の舌を掉い、齊の七十餘城を下す。

將軍は數萬の衆を将い、歲餘にして乃ち趙の五十餘城を下し、將と為るこ

と數歲なるも、反って一豎儒の功に如かざるか。」是に於て信、之を然り

とし、其の計に從い、遂に河を渡る。齊、已に酈生に聽き、即ち留めて酒

Page 8: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

8

203

を縱にせしめ、漢に備うるの守禦を罷む。信因りて齊の歷下の軍を襲い、

遂に臨菑に至る。齊王田廣、酈生、己を賣ると以い、乃ち之を亨て、高密

に走り、使をして楚に之き救いを請わしむ。韓信已に臨菑を定め、遂に東

のかた廣を追いて高密の西に至る。楚も亦た龍且をして將たらしめ、號し

て二十萬と稱し、齊を救う。齊王廣・龍且、軍を并せて信と戰わんとし、

未だ合わず。人或いは龍且に説きて曰く、「漢の兵は遠く鬬い窮戰し、其

の鋒は當る可からず。齊・楚は自ら其の地に居り戰うなれば、兵、敗散し

易し。壁を深くし、齊王に令して、其の信臣(忠臣、転じて使者の意)を

して亡う所の城を招かしむに如かず。亡いし城、其の王在りて、楚來たり

救わんと聞かば、必ず漢に反かん。漢の兵二千里に客居す。齊の城皆之に

反かば、其の勢い、食を得る所無く、戰うこと無くして降す可きなり。」

龍且曰く、「吾、平生より韓信の人と為りを知れば、與し易きのみ。且つ

夫れ齊を救うに戰わずして之を降せば、吾、何の功かあらん。今戰いて之

に勝たば、齊の半ばは得可し。何為れぞ止まらん。」遂に戰い、信と濰(イ)

水を夾みて陳す。韓信乃ち夜、人をして萬餘の囊を為り、沙を滿盛して、

水の上流を壅がしめ、軍を引きて半ば渡り、龍且を撃ち、詳り勝たずして、

還り走る。龍且果して喜びて曰く、「固より信の怯なるを知れり。」遂に信

を追いて水を渡る。信、人をして壅ぎし囊を決せしめ、水大いに至る。龍

且の軍、大半渡ることを得ず。即ち急に撃ち、龍且を殺す。龍且の水東の

軍、散じ走り、齊王廣も亡げ去る。信遂に北ぐるを追いて城陽に至り、皆

楚の卒を虜とす。

漢の四年、遂に皆降り齊を平らぐ。人をして漢王に言わしめて曰く、「齊

は偽詐にして多變、反覆の國なり。南は楚に邊し、假王と為りて以て之を

鎮めずんば、其の勢い定まらざらん。願わくは假王と為ること便ならん。」

是の時に當り、楚方に急に漢王を滎陽に圍むに、韓信の使者至り、書を發

く。漢王大いに怒り、罵りて曰く、「吾、此に困しみ、旦暮若來たりて我

を佐くるを望むに、乃ち自立して王為らんと欲す。」張良・陳平、漢王の

足を躡み、因りて耳に附き語りて曰く、「漢方に利あらず。寧ぞ能く信の

王たるを禁ぜんや。因りて立て、善く之を遇し、自ら守りを為さしむるに

如かず。然らずんば、變生ず。」漢王も亦た悟り、因りて復た罵りて曰く、

「大丈夫の諸侯を定むるや、即ち真王と為るのみ。何ぞ假を以て為さん。」

乃ち張良をして往きて信を立てて齊王為らしめ、其の兵を徴して楚を撃

つ。楚已に龍且を亡い、項王恐れ、盱眙(ク・イ)の人武渉をして往きて

齊王信に説かしめて曰く、「天下共に秦に苦しむこと久し。相與に力を勠

(あわせる)わせて秦を撃つ。秦已に破れ、功を計り地を割き、土を分か

ちて之に王たらしめ、以て士卒を休ましむ。今漢王復た兵を興して東し、

Page 9: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

9

人の分を侵し、人の地を奪い、已に三秦を破り、兵を引きて關を出で、諸

侯の兵を収めて以て東のかた楚を撃つ。其の意は盡く天下を吞むに非ずん

ば休まざらん。其の厭き足るを知らざること是の如く甚しきなり。且つ漢

王は必とす可からず,身、項王の掌握中に居ること數々なり。項王憐みて

之を活かす。然れども脫するを得ば、輒ち約に倍き、復た項王を撃つ。其

の親しみ信ず可からざること此の如し。今、足下、自ら以て漢王と厚き交

わりを為し、之が為に力を盡くし兵を用うと雖も、終に之が禽とする所と

為らん。足下、須臾を得て今に至る所以は、項王尚ほ存するを以てなり。

當に今二王の事、權は足下に在り。足下右に投ぜば、則ち漢王勝ち、左に

投ぜば、則ち項王勝つ。項王今日亡くなりたれば、則ち次は足下を取らん。

足下、項王と故有り。何ぞ漢に反き楚と連和し、天下を參分して之に王た

らざる。今、此の時を釋てて、自ら漢に必して以て楚を撃つ。且つ智者為

る、固より此の若きか。」韓信謝して曰く、「臣、項王に事うるや、官は郎

中に過ぎず、位は執戟に過ぎず。言は聽かれず、畫は用いられず。故に楚

に倍きて漢に歸す。漢王、我に上將軍の印を授け、我に數萬の衆を予え、

衣を解きて我に衣せ、食を推して我に食せしめ、言は聽かれ計は用いらる。

故に吾得て以て此に至る。夫れ人の深く親しみ我を信ずるに、我、之に倍

くは不祥なり。死すと雖も易えず。幸わくは信の為に項王に謝せ。」武涉

已に去る。齊人蒯通、天下の權の韓信に在るを知り、奇策を為して之を感

動せしめんと欲す。相人を以て韓信に説きて曰く、「僕、嘗て相人の術を

受く。」韓信曰く、「先生、人を相ること何如。」對えて曰く、「貴賤は骨法

に在り、憂喜は容色に在り、成敗は決斷に在り。此を以て之を參(はかる)

るに、萬に一を失わず。」韓信曰く、「善し。先生、寡人を相ること何如。」

對えて曰く、「願わくは少しく閒にせよ(閒は、間をあけて人を遠ざける

こと)。」信曰く、「左右去れ。」通曰く、「君の面を相るに、封侯に過ぎず、

又危うくして安からず。君の背を相るに、貴きこと乃ち言う可からず。」

韓信曰く、「何の謂いぞや。」蒯通曰く、「天下初めて難を發するや、俊雄

豪桀、號を建てて壹呼せば、天下の士、雲合霧集し、魚鱗襍遝し(「襍」

(ザツ)は「雑」の本字、「遝」(トウ)は、入り混じる意、魚の鱗のよう

に寄り集まること)、熛として至り風と起こる(「熛」(ヒョウ)は、飛び

火、飛び火が風にあおられて急速に燃え広がること)。此の時に當り、憂

いは秦を亡ぼすに在るのみ。今、楚・漢分かれて爭い、天下の罪無きの人

をして肝膽(ここでは死体の意)を地に塗(まみれる)れしむ。父子、骸

骨を中野に暴すこと、勝げて數う可からず。楚人は彭城より起こり、轉鬬

して北ぐるを逐い、滎陽に至り、利に乘じて席卷し、威、天下に震う。然

れども兵は京・索の閒に苦しみ、西山に迫りて、進むこと能わざる者、此

Page 10: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

10

に三年なり。漢王は數十萬の衆を将いて、鞏・雒に距ぎ、山河の險を阻ち、

一日數戰するも、尺寸の功無く、折北(挫折して敗北すること)して救わ

れず。滎陽に敗れ、成皋に傷つき、遂に宛・葉の閒に走る。此れ所謂智勇

俱に困しむ者なり。夫れ銳氣は險塞に挫かれて、糧食は內府に竭き、百姓

罷れ極まりて怨望するも、容容(揺れ動き流れる貌)として倚る所無し。

臣を以て之を料るに、其の勢い、天下の賢聖に非ずんば、固より天下の禍

いを息ましむること能わず。當に今、兩主の命、足下に縣れり。足下、漢

の為にせば則ち漢勝ち、楚に與せば則ち楚勝つ。臣願わくは腹心を披き、

肝膽を輸(つくす)し、愚計を效さんも、足下の用うること能わざるを恐

る。誠に能く臣の計を聽かば、兩つながら利して俱に之を存し、天下を參

分し、鼎足して居るに若くは莫し。其の勢い敢て先に動くこと莫からん。

夫れ足下の賢聖を以て甲兵の衆を有し、彊き齊に據りて、燕・趙を從え、

空虚の地に出でて其の後ろを制し、民の欲に因りて、西に鄉い百姓の為に

命(停戦の命)を請わば、則ち天下風と走りて響き應ぜん。孰か敢て聽か

ざらん。大を割き彊きを弱くし、以て諸侯を立てん。諸侯已に立たば、天

下服聽して德を齊に歸せん。齊の故を案じ(「故」は故地、「案」は「按」

に通じ、おさえる意)、膠・泗の地を有し、諸侯を懷くるに德を以てし、

深く拱揖して讓らば、則ち天下の君王相率いて齊に朝せん。蓋し聞く、天

與うるに取らずんば、反って其の咎を受け、時至りて行わざれば、反って

其の殃を受く、と。願わくは足下、之を孰慮せられんことを。」韓信曰く、

「漢王、我を遇すること甚だ厚し。我を載するに其の車を以てし、我に衣

するに其の衣を以てし、我に食わすに其の食を以てす。吾之を聞く、人の

車に乘る者は、人の患いを載せ、人の衣を衣る者は、人の憂いを懐き、人

の食を食する者は、人の事に死す、と。吾豈に以て利に鄉かい義に倍く可

けんや。」蒯生曰く、「足下自ら以為らく漢王に善くして、萬世の業を建て

んと欲すと。臣竊かに以為らく誤てりと。始め常山王(張耳)・成安君(陳

餘)、布衣為りし時、相與に刎頸の交わりを為せど、後張黶・陳澤の事に

争い、二人相怨む。常山王、項王に背き、項嬰の頭を奉じて竄逃し、漢王

に歸す。漢王、兵を借りて東下し、成安君を泜水の南に殺し、頭足、處を

異にし、卒に天下の笑いと為れり。此の二人相與に天下の至驩(最も喜ば

しいとすること)なり。然れども卒に相禽と為れるは、何ぞや。患いは多

欲より生じて、人の心は測り難ければなり。今、足下、忠信を行いて以て

漢王と交わらんと欲するも、必ず二君の相與するより固きこと能わざるな

り。而るに事は張黶・陳澤より多大なり。故に臣以為らく、足下漢王の己

を危くせざるを必とすることも亦た誤てり。大夫種・范蠡は亡びし越を存

し、句踐を覇たらしめ、功を立て名を成したるも、身は死し亡ぐ。野獸已

Page 11: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

11

に盡きて獵狗亨らる。夫れ交友を以て之(韓信と漢王との交友関係)を言

わば、則ち張耳の成安君に與せし者に如かざるなり。忠信を以て之を言わ

ば、則ち大夫種・范蠡の句踐に於けるに過ぎざるなり。此の二人の者は、

以て觀るに足る。願わくは足下深く之を慮れ。且つ臣聞く、勇略、主を震

るわす者は身危うく、而して功、天下を蓋う者は賞されず、と。臣、大王

の功略を言わんことを請う。足下、西河を渉り、魏王を虜にし、夏說を禽

にし、兵を引きて井陘を下り、成安君を誅し、趙に徇え、燕を脅かし、齊

を定め、南のかた楚人の兵二十萬を摧(“くじく”と訓ず、抑え阻む意)

き、東のかた龍且を殺し、西に鄉かいて以て報ず。此れ所謂功は天下に二

つ無くして、略は不世出の者なり。今、足下、主を震わすの威を戴き、賞

せられざるの功を挟み、楚に歸せば、楚人信ぜず、漢に歸せば、漢人震る

え恐る。足下、是を持して安くにか歸せんと欲す。夫れ勢い、人臣の位に

在るも、主を震わすの威有り、名は天下に高し。竊かに足下の為に之を危

ぶむ。」韓信謝して曰く、「先生且らく休め。吾將に之を念わんとす。」後

數日、蒯通復た說きて曰く、「夫れ聽くは事の候(徴候、はじまりのしる

し)なり、計は事の機(機微、きざし)なり。聽くこと過ち計失いて、能

く久しく安らかなる者は、鮮なし。聽くこと一二を失わざる者は(順序を

間違えない者)、亂すに言を以てす可からず。計、本末を失わざる者は、

紛らわすに辭を以てす可からず。夫れ廝養の役に随う者は、萬乘の權(権

力の使い方)を失い、儋石の祿を守る者は((一二石の僅かな禄を守る者)、

卿相の位を闕く。故に知ることは決の斷なり。疑うことは事の害なり。豪

氂(微細)の小計を審らかにすれば、天下の大數を遺(わすれる)れ、智

誠に之を知るも、決して敢て行わざる者は、百事の禍いなり。故に曰く、

『猛虎の猶豫するは、蜂蠆(タイ、さそりの一種)の螫(刺すの義)すを

致すに若かず。騏驥(駿馬)の跼躅(キョク・チョク、ぐずぐずして進ま

ないこと)するは、駑馬の安く步むに如かず。孟賁の狐疑するは、庸夫の

必至に如かざるなり。舜・禹の智有りと雖も、吟(“つぐむ”と訓じ、口

をつぐむ意)みて言わざれば、瘖聾の指麾するに如かざるなり(「瘖聾」

(イン・ロウ)は口と耳の障害、「指麾」は、手話)。此れ能く之を行うを

貴ぶを言う。夫れ功は成り難くして敗れ易く、時は得難くして失い易きな

り。時に時(あう)うこと、再び來たらず。願わくは足下、之を詳察せら

れんことを。」韓信猶豫して漢に倍くに忍びず、又自ら以為らく、功多け

れば、漢終に我より齊を奪わざらんと。遂に蒯通を謝す。蒯通、說聽かれ

ず、已に詳り狂いて巫と為る。漢王の固陵に苦しむや、張良の計を用い、

齊王信を召す。遂に兵を將いて垓下に會す。項羽已に破れ、高祖、襲いて

齊王の軍を奪う。

Page 12: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

12

202 201

漢の五年正月、齊王信を徙して楚王と為し、下邳に都せしむ。信、國に至

るや、從りて食する所の漂母を召して、千金を賜う。下鄉の南昌の亭長に

及び、百錢を賜いて曰く、「公は小人なり、德を為すも卒えず。」己を辱め

し少年の胯下より出でしむる者を召し、以て楚の中尉と為し、諸將相に告

げて曰く、「此れ壯士なり。我を辱めし時に方り、我寧ぞ之を殺すこと能

わざらんや。之を殺すも名無し。故に忍びて此を就(とげる)げたり。」

項王の亡將鐘離眛の家は伊廬に在り。素より信と善し。項王の死後、亡げ

て信に歸す。漢王、眛を怨み、其の楚に在るを聞き、楚に詔して眛を捕え

しめんとす。信初め國に之き、縣邑に行くや、兵を陳ねて出入す。

漢の六年、人に、上書して楚王信反くと告げしもの有り。高帝、陳平の計

を以て、天子として巡狩して諸侯を會す。南方に雲夢有り。使いを發して

諸侯に告ぐ、陳に會せよ、吾將に雲夢に游ばんとす、と。實は信を襲わん

と欲す。信知らず。高祖且に楚に至らんとす。信、兵を發して反かんと欲

するも、自ら度るに罪無し、上に謁せんと欲するも、禽われんことを恐る。

人或いは信に說きて曰く、「眛を斬りて上に謁せば、上必ず喜び、患無か

らん。」信、眛に見えて事を計る。眛曰く、「漢の撃ちて楚を取らざる所以

は、眛の公の所に在るを以てなり。若し我を捕えて以て自ら漢に媚びんと

欲せば、吾、今日死せんも、公も亦た手に隨いて亡びん。」乃ち信を罵り

て曰く、「公は長者に非ざるなり。」卒に自剄す。信、其の首を持ち、高祖

に陳に謁す。上、武士をして信を縛して、後車に載せしむ。信曰く、「果

して人の言の若し。狡兔死して、良狗亨られ、高鳥盡きて、良弓藏され、

敵國破れて、謀臣亡ぶ、と。天下已に定まりたれば、我固より當に亨らる

べし。」上曰く、「人、公反くと告ぐ。」遂に信を械繋す(「械」は、足かせ

手かせ、それで拘束すること)。雒陽に至りて、信の罪を赦し、以て淮陰

侯と為す。信、漢王の畏れて其の能を惡むを知り、常に病と稱して朝從せ

ず。信、此に由りて日夜怨望し、居常(常日頃)鞅鞅(心楽しまぬ貌)と

して、絳・灌(周勃と灌嬰)等と列するを羞づ。信嘗て樊將軍噲に過る。

噲跪づき拜して送迎し、言は臣と稱して、曰く、「大王乃ち肯て臣に臨む。」

信、門を出で、笑いて曰く、「生きて乃ち噲等と伍を為す(「為伍」は、対

等に付き合う意)。」上常に從容として信と諸將の能不を言う。各々差有り。

上問いて曰く、「我の如きは能く將たること幾何ぞ。」信曰く、「陛下は能

く十萬に将たるに過ぎず。」上曰く、「君に於いては何如。」曰く、「臣は多

多にして益々善きのみ。」上笑いて曰く、「多多にして益々善くば、何為れ

ぞ我が禽と為る。」信曰く、「陛下は兵を將いること能わざるも、善く將を

將いる。此れ乃ち信の陛下の禽と為る所以なり。且つ陛下は所謂天授にし

て、人力に非ざるなり。」陳豨、拜せられて鉅鹿の守と為り、淮陰侯に辭

Page 13: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

13

197

す。淮陰侯、其の手を挈(とる)り、左右を辟けて之と庭に歩み、天を仰

ぎ嘆じて曰く、「子、與に言う可きか。子と言有らんと欲するなり。」豨曰

く、「唯、將軍、之を令せよ。」淮陰侯曰く、「公の居る所は、天下の精兵

の處なり。而して公は陛下の信幸の臣なり。人、公の畔けりと言わんも、

陛下必ず信ぜざらん。再び至れば、陛下乃ち疑う。三たび至れば、必ず怒

りて自ら將たらん。吾、公の為に中從り起たば、天下圖る可きなり。」陳

豨素より其の能を知るなり。之を信じて曰く、「謹んで教えを奉ぜん。」

漢の十年、陳豨、果して反す。上自ら將たりて往く。信、病みて從わず。

陰かに人をして豨の所に至らしめて曰く、「弟(「但」と通じ、ただ)だ兵

を舉げよ。吾、此れ從り公を助けん。」信乃ち謀り、家臣と夜、詔を詐り

て諸官の徒奴(徒刑者)を赦し、發して以て呂后・太子を襲わんと欲す。

部署已に定まり、豨の報を待つ。其の舍人、罪を信に得たり、信囚え、之

を殺さんと欲す。舍人の弟、變を上り、信の反かんと欲するの状を呂后に

告ぐ。呂后、召さんと欲するも、其の黨(さとる)りて就かざることを恐

れ、乃ち蕭相國と謀り、詐りて人をして上の所從り來たり、豨已に死する

ことを得、列侯群臣皆賀すと言わしむ。相國も信を紿きて曰く、「疾と雖

も、彊いて入りて賀せ。」信入る。呂后、武士をして信を縛せしめ、之を

長樂の鐘室に斬る。信方に斬られんとして曰く、「吾、蒯通の計を用いざ

りしことを悔ゆ。乃ち兒女子の詐る所と為るも、豈に天に非ざらんや。」

遂に信の三族を夷らぐ。高祖已に豨の軍從り來たる。至りて信の死するを

見て、且つ喜び且つ之を憐み、信の死するも亦た何をか言うと問う。呂后

曰く、「信、蒯通の計を用いざりしを恨むと言う。」高祖曰く、「是れ齊の

辯士なり。」乃ち齊に詔して蒯通を捕う。蒯通至る。上曰く、「若、淮陰侯

に反くことを教えたるか。」對えて曰く、「然り。臣固に之に教う。豎子、

臣の策を用いず。故に自ら此に夷らげられしむ。如し彼の豎子、臣の計を

用いば、陛下安くんぞ得て之を夷げんや。」上怒りて曰く、「之を亨よ。」

通曰く、「嗟乎、冤(冤罪)なるかな、亨らるるや。」上曰く、「若、韓信

に反くことを教うるに、何ぞ冤なる。」對えて曰く、「秦の綱(綱紀)絕え

て維(法度)弛むや、山東大いに擾れ、異姓并び起ち、英俊烏集す。秦、

其の鹿を失い、天下共に之を逐う。是に於て高材疾足の者、先づ焉を得た

り。蹠の狗、堯に吠ゆるは、堯の不仁なるに非ず、狗因りて吠ゆるは其の

主に非ざればなり。是の時に當り、臣唯だ獨り韓信を知るのみにして、陛

下を知るに非ざるなり。且つ天下に精を銳くし鋒を持し、陛下の為す所を

為さんと欲する者は甚だ衆きも、顧うに力能わざるのみ。又盡く之を亨る

可けんや。」高帝曰く、「之を置け。」乃ち通の罪を釋す。

太史公曰く、吾、淮陰に如く。淮陰の人、余の為に言う。韓信は布衣為り

Page 14: s 4 - FC2gongsunlong.web.fc2.com/32waiinko-r.pdf¼ S ¾ ' M b s ó C R+ C: : \ K Z K C H _ } x 1 c C "ä b0£ ² N ¾ O \ ' O d + C #Ý : 6 U$ r } #Ý : G \+ N d ) _ ¸ D b s "ä c

14

し時と雖も、其の志は衆と異なれり。其の母死し、貧しくして以て葬る無

し。然れども乃ち行きて高敞(地が高く平らかな所)の地に營み(墓地を

営む)、其の旁をして萬家を置く可からしめたり、と。余、其の母の冢を

視るに、良に然り。假に韓信をして道を學び、謙讓して己の功に伐(ほこ

る)らず、其の能に矜らざらしめば、則ち庶幾(二字で「近」の義)かり

しかな。漢家に於いて勳は以て周・召・太公の徒に比す可く、後世血食さ

れたるならん。此に出づるを務めずして、天下已に集まりて、乃ち畔逆を

謀る。宗族を夷滅せられしも、亦た宜ならずや。