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ISSN 1347-2720 Vol.17 No.1 March 2018 —2.5 19 [研究ノート] ミュージカル『テニスの王子様』試論 --2.5 次元ミュージカル研究にむけて 藤原 麻優子 [Reseach Note] Abstract On Musical The Prince of Tennis: An Approach to 2.5 Dimensional Musicals Mayuko FUJIWARA Since the debut of Musical The Prince of Tennis in 2003, stage musicals adapted from two- dimensional media such as manga and anime have gained remarkable popularity in Japan. These “2.5 dimensional musicals” are unique in many ways: they require a comparatively low budget, inexperienced actors, a remarkably simple stage set and demonstrate loyalty to the original material. In these ways, they are distinct from the more conventional and imported musical productions performed at major Japanese commercial theaters. Among the unique characteristics of 2.5 dimensional musicals, one of the most distinct is its principle of the adaptation. To adapt the original material from page to stage, musicals can either remain faithful to or deviate from the original material. In conventional musicals, faithfulness to the original material is not their main purpose. Writers cut, change and adapt the original material to serve their purpose and create “original” shows. Conversely, in 2.5 dimensional musicals, faithfulness to the original material is of great importance. The name of the genre itself suggests the importance and uniqueness of the ideals of the adaptation; 2.5 dimensional musicals strive to remain faithful to the original manga/anime image and create an effect that allows the audience to perceive what they see as two-dimensional even though the performance itself is undeniably happening in three-dimensional theater space. The latter characteristic prompted the emergence of the name “2.5 dimensional” musicals. Although its two-dimensionality has attracted notice, the fact that the performances have also been set to music and dance has been overlooked - in some cases, both musical and non-musical shows have been classified as “2.5 dimensional musicals.” To analyze the characteristics of the 2.5 dimensional musical, this study will compare Musical The Prince of Tennis with mainstream musicals such as Beauty and the Beast (1994) More than ten productions have been made of Musical The Prince of Tennis series; this paper focuses on the opening numbers of those productions. In conventional musicals, opening numbers are expected to function as an important part of the show. Opening numbers set the context, introduce

[Reseach Note] Abstract On Musical The Prince of Tennis

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ISSN 1347-2720 ■ 西洋比較演劇研究 Vol.17 No.1 March 2018

■ 藤原 麻優子 ミュージカル『テニスの王子様』試論—2.5 次元ミュージカル研究にむけて

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[研究ノート]

ミュージカル『テニスの王子様』試論

--2.5次元ミュージカル研究にむけて

藤原 麻優子

[Reseach Note]

Abstract

On Musical The Prince of Tennis:

An Approach to 2.5 Dimensional Musicals

Mayuko FUJIWARA

Since the debut of Musical The Prince of Tennis in 2003, stage musicals adapted from two-

dimensional media such as manga and anime have gained remarkable popularity in Japan. These “2.5

dimensional musicals” are unique in many ways: they require a comparatively low budget, inexperienced

actors, a remarkably simple stage set and demonstrate loyalty to the original material. In these ways, they

are distinct from the more conventional and imported musical productions performed at major Japanese

commercial theaters.

Among the unique characteristics of 2.5 dimensional musicals, one of the most distinct is its

principle of the adaptation. To adapt the original material from page to stage, musicals can either remain

faithful to or deviate from the original material. In conventional musicals, faithfulness to the original

material is not their main purpose. Writers cut, change and adapt the original material to serve their purpose

and create “original” shows. Conversely, in 2.5 dimensional musicals, faithfulness to the original material

is of great importance. The name of the genre itself suggests the importance and uniqueness of the ideals

of the adaptation; 2.5 dimensional musicals strive to remain faithful to the original manga/anime image and

create an effect that allows the audience to perceive what they see as two-dimensional even though the

performance itself is undeniably happening in three-dimensional theater space. The latter characteristic

prompted the emergence of the name “2.5 dimensional” musicals.

Although its two-dimensionality has attracted notice, the fact that the performances have also

been set to music and dance has been overlooked - in some cases, both musical and non-musical shows

have been classified as “2.5 dimensional musicals.” To analyze the characteristics of the 2.5 dimensional

musical, this study will compare Musical The Prince of Tennis with mainstream musicals such as Beauty

and the Beast (1994) More than ten productions have been made of Musical The Prince of Tennis series;

this paper focuses on the opening numbers of those productions. In conventional musicals, opening numbers

are expected to function as an important part of the show. Opening numbers set the context, introduce

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characters, direct the story, present the theme, and essentially, open the show. This study aims to reveal the

characteristics of Musical The Prince of Tennis and investigate how musical numbers work in those shows

through comparison of the elements that characterize opening numbers.

0)はじめに0)はじめに0)はじめに0)はじめに 本稿では、ミュージカル『テニスの王子様』について、ブロードウェイ・ミュージカルの劇作術との比較からその特徴について考察することを試みる。 現在日本では、「2.5 次元ミュージカル」と総称される、漫画やアニメなどの 2 次元メディアの作品を原作とした舞台ミュージカルが流行している。この流行の火付け役が、2003 年以降上演を続けているミュージカル『テニスの王子様』通称『テニミュ』である。同作は、青春学園中等部に転校してきた天才テニス少年リョーマが同校テニス部に入部し、団体戦で全国大会優勝するまでを描く。この物語は原作漫画では 40 巻を越えるが、『テニミュ』では学校対抗戦ごとに公演を制作し上演を重ねる。連載上演というユニークな上演形態、シンプルな装置、原作を舞台化のために作り替えるよりも原作そのままに再現することを目指すという翻案の方向性、実力よりも原作のイメージを再現することを重視したキャスティング、その人気などにより、同作は2.5 次元ミュージカルの代表格となっている。 『テニミュ』をはじめとする 2.5 次元ミュージカルは、同じく漫画やアニメを原作として宝塚歌劇団や東宝で上演されるミュージカルとは、予算の規模、俳優の実力やキャリア、舞台装置、観客層など、多くの点で大きく異なる。なかでも 2.5 次元ミュージカルを特徴づけるのが、翻案の方針である。「マンガ、アニメ、ゲームが原作の舞台化作品。二次元の世界観をそのまま三次元の舞台で再現した作品をさす」という説明 (『W』 p. 46)にある、「世界観をそのまま」に「再現」を目指すという点が、2.5 次元ミュージカルにおける翻案の特徴である。具体的には、原作での複数の登場人物を統合して新たな人物を生みだすといった、従来の翻案では珍しくない手法を基本的には採用しないこと、コスプレに比されるほどに原作の視覚的イメージを再現することを目指す衣装・メイク1、二次元のキャラクターが三次元の舞台に降臨したかのような感覚を喚起するとされる若い男性の俳優たちの起用などが挙げられる。このため、2.5 次元ミュージカルでは、二次元メディアの「キャラ」と三次元の俳優の特異な関係や、あるパフォーマンスに「2.5 次元」を見出す観客が注目されてきた。 ただし、こうして「2.5 次元」的であることに注目が集まるいっぽうで、2.5 次元ミュージカルがミュージカルというジャンルであることは前提とされてきた。近年では「2.5 次元舞台」という総称が用いられることが多いが、かつては 2.5 次元ミュージカルについて「原則として原作が 1 2.5 次元舞台の衣装における 2 次元のイメージの再現の方向性については、マーベル・コミックなどアメコミを原作とする一連のアメコミ映画でのコミックのビジュアルと映画でのキャラクターの衣装の差を比較することも有益だろう。アメコミ映画では、2 次元メディアのヒーローのアイコニックな衣装のエッセンスを踏まえながら、実写映画において生身の俳優が着用する衣装として新たにデザインするのに対し、2.5次元舞台ではあくまで 2 次元メディアのビジュアルの 3 次元での再現を目指している。

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漫画、アニメ、ゲームでこれを舞台化した作品を総称しているので、ミュージカル作品に限らず、ストレートプレイ作品も含まれます」という説明がなされるほどであった(『W』 p. 46)。2.5 次元であることが重視され、台詞劇かミュージカルかという区分さえ問題とされていない例さえあったのである。 では、このように特異なジャンルは、従来のミュージカルとの関係からどのように位置づけることができるだろうか。星野太は、「キャラクターの召喚 2.5 次元のカーニヴァル」と題した論考において、2.5 次元ミュージカルの条件を整理している。星野は、2.5 次元ミュージカルの条件として

(1)既存の漫画やアニメーションを原作とすること、(2)若手男性俳優を中心として上演されるミュージカル作品であること、(3)なおかつ、通常のミュージカル作品が依拠するリアリズムの文法を踏襲していないこと

の 3 点を挙げている(星野 2015 p. 61)。星野の示す条件は、2.5 次元ミュージカルというジャンルの特徴をよくとらえている。ただし星野は、『テニミュ』について論じる部分において、2.5 次元ミュージカルの「文法」について、「ミュージカルと言っても、その内容および形式は、20 世紀のアメリカにおいて確立されたミュージカルのリアリズムとは異なる土台のもとに成立している」とする(星野 2015 p. 62)。しかし、20 世紀のアメリカにおいてある劇作術を軸に成立したのがミュージカルである。もし『テニミュ』が「20 世紀のアメリカにおいて確立されたミュージカルのリアリズムとは異なる土台のもとに成立している」としたら、それはミュージカルとは異なる音楽劇の一形式となるだろう。では、『テニミュ』をはじめとする 2.5 次元ミュージカルは、どのような「文法」に基づくのだろうか。 さらに星野は、2.5 次元ミュージカルで観客が「非実在的なキャラクターを幻視する」(67)メカニズムを分析するなかで、2.5 次元ミュージカルでは「テクスト以外のものが上演される」と述べている。ミュージカルにおけるテクストについて、スティーブン・ソンドハイムは作詞の秘訣として「俳優に何か演じられるものを与えること」と述べ、このサブテクストがなければ、表面的には良い歌詞であっても舞台の上にはある種の生気のなさがあると指摘していること(Sondheim 1974, p. 71)。また、歌やダンスの技術的な能力が重視されるミュージカル俳優に対し演技の重要さを説くポール・ハーヴァードは、歌詞の分析から演技を引き出す方法として、その歌詞にふさわしい動詞を探すことを提案している(Harvard 2013, p. 77-81)。両者の主張は、ミュージカルにおいてテクストと俳優の演技、上演には密接な関係があることを示している。とすれば、2.5 次元ミュージカルの特異性をとらえるうえで、テクストについての考察もまた必要となるだろう。 また鈴木国男は『テニミュ』について、『ベルサイユのばら』などと比較しながら、観客、連載上演、装置や振付、キャラクターなどについて考察している(鈴木 2011、2015)。ある世界観を共有する複数の公演という観客と作品のユニークな関係や、劇的な要因、精神的な葛藤や深刻な

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対立の不在を指摘する鈴木の論は、演劇作品としての『テニミュ』にアプローチする論考といえる。ただし鈴木は、『テニミュ』に対し、脚本、歌詞、メロディなどの「ミュージカルの基本部分がしっかりしている」と述べている(鈴木 2011、p. 12)。ここでは、トム・ジョーンズの「ある脚本に歌とダンスをさしはさむだけではミュージカルにならない」という言葉を引用したい(Jones 1998, p. 97)。さらに、アーサー・ローレンツが『ジプシー』の再演にあたり、観客の大拍手の中で「このナンバーはうまくいっていない」と感じたこと(Laurents 2014, p. 61)、またフレッド・エブとジョン・カンダーのコンビが『私たちのすべて』(All About Us, 1999)を書くにあたり、作品全体をより良いものにするために、観客の拍手でショウが止まるほどのナンバーをカットしたことを思い出すこともできる(Kander 2003, pp. 136-37)。ミュージカルの作家たちのこれらの逸話は、ミュージカルにおいては、脚本、歌詞、メロディそれぞれの良さだけでは足りないという考えを示している。とすれば、『テニミュ』の特徴について、この視点から考察することも可能であろう。 この視点とはもちろん、ミュージカルにおけるいわゆる「統合」である。リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン II 世が『オクラホマ!』(Oklahoma!, 1943)によって打ち出した、脚本と歌とダンスがひとつに統合されたミュージカルという理念は、1940 年代~50 年代のミュージカル「黄金時代」を牽引し、やがてミュージカルを理解する基本的な概念となっていく。ジェフリー・ブロックは The Oxford Handbook of the American Musical の統合を扱う章において、統合の原則として「歌がプロットを前進させる」「歌が対話から直接歌へと展開する」などの 5 つの項目を挙げる(Block 2013, pp. 98-99)。ブロックによるこれらの原則はさらに、歌とダンスという異物を取りこみながら劇としての「自然さ」を目指すものと、歌やダンスに、物語の説明や登場人物の紹介などの劇的意義を求めるものとに分けることができる。1970 年代には、ジョン・ブッシュ・ジョーンズ(John Bush Jones)が「断片化したミュージカル(fragmented musical)」と呼ぶとおり、統合とは異なる方向性を指向するミュージカルが登場する。ただし、これらの作品についてブロックは、言葉、音楽、動作、デザインなどの諸要素が相互に関係し、統一された全体を形成しているという点では統合されていると述べ(Block 2013,

p. 106)、ミリー・テイラーもまた、統合の再解釈を試みる中で意味内容における関係性に統合を見出している(Taylor, 2012)。ミュージカルにおいては、歌、ダンスがそれぞれ劇に対して一定の機能をもち、ミュージカル・ナンバーという部分が劇という全体の構築に貢献することが期待されているということができるだろう。 そこで本稿では、こうしたミュージカルの基本的な理念をふまえて、『テニミュ』のミュージカルとしての特徴について考察していく。このとき本稿では、とくにオープニング・ナンバーを手掛かりとしたい。デニー・マーティン・フリンは、The Great American Book Musical: A

Manifesto、 A Monograph、 A Manual において、ミュージカルのオープニング・ナンバーの解説に一章をさいている(Flinn 2008, p. 151-59)。フリンはこの章においてミュージカルの

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オープニング場面の重要性について述べ、2オープニング場面では、観客に情報を提供することが肝要だと述べている。たとえば、場所の設定、キャラクターの紹介、劇がこれからどこに向かうかといった情報である。つまり、ミュージカルのオープニング・ナンバーは、単に劇の始まりに置かれたナンバーというだけではなく、それによって劇を始めるナンバーでもあることが期待されているのである。だとしたら、オープニング・ナンバーがさまざまな情報を提示し劇の一部として機能しているか、劇においてある劇的な意義を担っているかどうかということは、その作品のミュージカルとしての性格を理解するうえでのひとつの手掛かりとなるだろう。また、連載上演というユニークな上演形態をとる『テニミュ』について、「青学対氷帝」といった個別の公演ではなく『テニミュ』として包括的に考察するうえでも、オープニング・ナンバーに着目するという視点は有効となるだろう。 本稿は、ミュージカル・ナンバーの劇的な意義に着目し、『テニミュ』のオープニング・ナンバーを中心に分析することで、『テニミュ』の特徴の一端を明らかにすることを目的とする。この目的のために本稿では、『テニミュ』の特徴を示すにあたって有効と考えられる従来のミュージカルと『テニミュ』を比較していく。

1)オープニング・ナンバーの機能1)オープニング・ナンバーの機能1)オープニング・ナンバーの機能1)オープニング・ナンバーの機能―劇をたちあげる劇をたちあげる劇をたちあげる劇をたちあげる 本節では、ミュージカルのオープニング・ナンバーに期待される、劇についてのさまざまな情報を提供するという機能に着目し、『テニミュ』のオープニング・ナンバーについて分析を行う。まず、ミュージカルのオープニング・ナンバーがその機能を果たしている例として『美女と野獣』(Beauty and the Beast, 1994)を例として挙げる。次に『テニミュ』「青学対比嘉」3のオープニング曲を分析し、『美女と野獣』との比較からその特徴を示す。この特徴をさらにブロードウェイ・ミュージカル『ハミルトン』(Hamilton, 2015)のオープニング・ナンバーと比較することで、『テニミュ』の特徴を明らかにする。 まず、『美女と野獣』のオープニング・ナンバー「ベル」(“Belle”)について分析する。同作はディズニーの同名アニメ映画(1991)を原作とし、アニメにおいてのみ描くことが可能であったはずの魔法の世界を舞台上に実現した作品である。主人公であるベルと野獣、またガストンや魔法によって食器や家具に変えられた人間たちの姿は、視覚的にも演技のうえでもアニメそのままといえる演出となっている。 「ベル」は、ベルが朝の街にやってくるところからはじまる。まず伴奏が、朝の静けさから、人々が買い物へとやってくる活気に満ちた雰囲気への変化を描きだす。街の人々は朝の買い物に忙しいが、ベルは貸本屋へと向かう。借りていた本を返し、次の本を借りようとすると、貸本屋のおじさんはベルに本をくれるという。街の人々は、本に夢中のベルは美人だが変わっている 2 フリンはここで、往年の大プロデューサーであるデイヴィッド・メリックの「最初の 20 分でそのミュージカルについて語ることができる」という発言を引いている。オープニング場面が作品の性格を示す重要なものであることがわかる。また、フリンが紹介する、さまざまなミュージカルのオープニング場面にまつわる逸話は、オープニング場面がミュージカルに固有の歴史性を帯びていることを示している。 3 ミュージカル『テニスの王子様』青学 vs 比嘉、2012 年、日本青年館ほか。歌詞はライブ盤 CD による。

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と噂する。そこに、お調子者のル・フウを従えて、街の人気者ガストンが現れ、ベルをものにすると豪語する。この田舎暮らしよりもっと何かがあるはずだと歌うベル、ベルと結婚すると歌うガストン、朝の買い物とうわさ話を続ける村人が描きだされ、ナンバーが終わる。 このように、「ベル」は、劇の一場面として、物語の舞台となる街とそこに暮らす人々、そして主要人物を紹介し、十分な量の情報を観客に伝えている。それだけでなく同曲は、この先に劇において問題となっていく、さまざまな対立を提示している。「ベル」に見出せる対立としては、外見/内面、個人/集団、生活/空想、ここ/ここではないどこか、目の前にあるもの/目の前にないものなどが挙げられる。4ベルと野獣とガストンの三角関係は、外見/内面の対立を抜きに考えることができないし、劇をとおしてベルが直面する選択の多くで、ベルは前述の対立のどちらを選んでいる。つまり「ベル」は、この場所がどこでこの人物は誰なのかといった表面的な情報だけでなく、劇に内在するさまざまな対立を構築している。ミュージカル・ナンバーという部分と劇の全体という関係でいえば、劇の一部分としての「ベル」は、『美女と野獣』という劇の全体と非常に緊密な関係にあり、全体を構築する一部としてのミュージカル・ナンバーのありかたをよく示しているといえるだろう。 では、『テニミュ』ではどうだろうか。比嘉戦を描く公演の一曲目にあたる「いよいよ全国大会」は、主人公リョーマの属する青学の一年生 3 人によるナンバーである。

一年トリオ ハロー グッデイ ハウアーユー

堀尾 いよいよ始まるよ 全国大会が

カチロー 日本一が決まるってわけだね

カツオ 全国の精鋭がここに集うって事だ

堀尾 それはね

一年トリオ シングルスとダブルスを/交互にやるって事

まずはシングルス 3 から/そしてダブルス 2 ダブルス 1/シングルス 1 の順番さ

カチロー 心配 だけど

4 たとえば外見/内面という対立についていえば、村の人々はベルの美しい見た目と、変人という内面について噂をする。ル・フウはベルが変人であることを考慮して口ごもるが、ガストンは「街一番の美女だ」というだけでベルと結婚しようとしている。個人/集団という対立については、街の人々がアンサンブルとして登場し、歌詞も短いフレーズを順に歌っていくのに対し、ベルとガストンには長いソロが与えられている。ベルは街の人々とは距離があるが、ガストンは街の人々にもてはやされ、受け入れられている。生活/空想という対立については、街の人々は生活のための買い物にいそしんでいるが、ベルは貸本屋へと向かう。ベルはパン屋の主人に自分が読んだおとぎ話について話そうとするが、パン屋の主人はベルの話を遮り、商売を続ける。ベルは街の風景を眺めながら、もっと別の何かがあるはずだと空想する。ここ/ここではないどこか、目の前にあるもの/目の前にないものという対比については、ベルはおとぎ話を好み、この街ではない場所のことを考えているが、ガストンは「街一番の美女」と、街の中のことだけを考えている。

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一年トリオ ドンウォリー

堀尾 青学は/ぜったい

一年トリオ 負けるもんか

この歌詞もまた、観客が劇を把握するうえで必要となる情報を提供している。しかし、『美女と野獣』のオープニング・ナンバーと比較したときに、ナンバーにおいて起きる出来事が非常に少なく、提供される情報も表面的な説明に限られている。「いよいよ全国大会」では、トーナメントについての説明はあくまで事実の羅列であり、「ベル」のようには劇全体の展開と有機的な関係を結ぶことはない。つまり、「いよいよ全国大会」という劇の一部分と全体の関係は希薄だということができる。 比嘉戦に限らず、そして劇の序盤に限らず、『テニミュ』では、一年生トリオによる状況説明ソングが多く用いられる。そしていずれのナンバーでも、「いよいよ全国大会」と同じく説明的な歌詞が歌われる。これらの歌詞と劇全体との関係について、『ハミルトン』との比較からさらに分析を行う。『ハミルトン』はアメリカの政治家アレクサンダー・ハミルトンの生涯を描くミュージカルで、ピュリッツァー賞、トニー賞といったアメリカ演劇界の主要な賞を受賞している。同作のオープニング・ナンバー「アレクサンダー・ハミルトン」(“Alexander Hamilton”)は以下のように始まる。

どうして、カリブ海の忘れられた場所に落とされた、

貧しく、不潔な、 私生児で、孤児で、娼婦の息子の、スコットランド人が

ヒーローに、学者になったのか?5

この部分はハミルトンの出生について述べており、事実を歌詞として歌っているという点では、「いよいよ全国大会」をはじめとした一年生トリオの説明ソングと変わりはない。しかし同曲の最初の一言は「なぜ(why)」となっており、事実の羅列は問いとして提示されている。このとき、ハミルトンについての事実の羅列は単なる説明であることをやめ、これから始まる劇において問い直されるべき事柄として位置付けなおされる。つまり、『ハミルトン』という劇のコンセプトが提示されているのである。 このように『美女と野獣』の「ベル」および『ハミルトン』の「アレクサンダー・ハミルトン」に比較すると、『テニミュ』の「いよいよ全国大会」をはじめとした序盤の一年生によるナンバーの特徴がより明確になる。両者のちがいは、伝えられる情報が、劇の全体と緊密な関係をもつかどうかという点にある。「ベル」は、対立・葛藤・解決という劇の大きな展開を構成する一部となっている。また「アレクサンダー・ハミルトン」では、ハミルトンの生涯についての情報は、歴史の語り直しと問い直しという作品のコンセプトと密接に関連している。『テニミュ』では、 5 Miranda、 Lin-Manuel. Hamilton、 2015. 歌詞はオリジナル・キャスト・アルバムによる。

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提供される情報が、『美女と野獣』や『ハミルトン』のようには劇の全体と有機的な関係を結んでいない。

2)オープニング・ナンバーの機能2)オープニング・ナンバーの機能2)オープニング・ナンバーの機能2)オープニング・ナンバーの機能―人物を紹介する人物を紹介する人物を紹介する人物を紹介する 次に、キャラクターを紹介するという機能に着目してオープニング・ナンバーの分析をおこなう。まず、この機能を果たすオープニング・ナンバーの例として、ブロードウェイ・ミュージカル『レント』(Rent, 1996)のオープニング・ナンバー「レント」(“Rent”)をとりあげ、同曲がどのようにキャラクターを紹介しているかを確認する。次に、『テニミュ』での例と比較することで、『テニミュ』の特徴を明らかにする。 『レント』は、ニューヨークに住む若者たちの姿を描く群像劇であり、ロック音楽をはじめとするポピュラー音楽をかつてない形でミュージカルに取り入れ、当時のブロードウェイとしては画期的なほどに若い観客をひきつけるにいたったミュージカルである。同作のオープニング・ナンバー「レント」では、ロジャーとマークという主人公たちを中心に、コリンズ、ベニー、モーリーン、ジョアンヌなどの主要な登場人物が紹介される。このとき、彼らが電話の相手として登場していることに注目したい。電話では、通話がつながった際に自分や相手の名前を確認するので、芝居の流れのなかで登場人物たちの名前を観客に伝えることができる。さらに電話では、日常会話とは異なり、用件を伝えるための会話が交わされる。用件と相手への要求をとおして、その登場人物の性格や望みもまた示されることになる。「レント」では、電話という装置によって、キャラクターはほかのキャラクターとの関係性や、キャラクターの性格、要求などの情報とともに紹介される。立体的な人物として紹介されるということもできるだろう。 『テニミュ』でのキャラクター紹介の例として、ここでは青学テニス部と不動峰テニス部の試合を描く公演6のオープニング・ナンバー「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」を例に挙げる。『テニミュ』では、ここで分析の対象とする不動峰戦公演と同じく、青学テニス部のレギュラー・メンバーによるナンバーがオープニング場面に配置されていることが多い。「THIS IS

THE PRINCE OF TENNIS」では、ナンバーは以下のようにはじまる。

桃城 「知ってるかい?」

青学 YOU KNOW?/あいつがテニスの天才少年

海堂 「知ってるよ」

青学 WE KNOW/あいつがテニスの王子様

まずこのように、主人公にしてタイトル・キャラクターであるリョーマが紹介され、リョーマが自身の決め台詞である「俺は上に行くよ」というフレーズを述べる。「アレクサンダー・ハミルトン」でも、ハミルトン以外のキャラクターによる紹介ののちに本人が登場するが、前項で確認したように、ハミルトンの場合には彼をめぐる問いが構築されたうえで、説かれるべき謎の焦点 6ミュージカル『テニスの王子様』青学 vs 不動峰、2011 年、JCB ホールほか。歌詞はライブ盤 CD による。

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として本人が登場する。対してここでのリョーマは、非常にシンプルな情報やキャッチフレーズとともに登場している。 このナンバーでは、リョーマだけでなく、青学テニス部の他のレギュラー陣も紹介される。彼らが紹介される部分は下記のとおりである。

手塚 「乾!」

乾 データを俺にくれ データが俺のテニス

手塚 「菊丸!」

菊丸 変幻自在のネットプレイ

手塚 「海堂!」

海堂 スネイクショットが俺の武器

手塚 「不二!」

不二 僕のつばめがえし 君には破れないさ

この部分について、ミュージカルのオープニング・ナンバーのセオリーにのっとって主要な登場人物が紹介されているということはできる。このやりとりは点呼の体裁をとっており、部員の名前を呼ぶ手塚は青学テニス部の部長である。手塚が呼び、各キャラクターが応えるというやりとりに、部長と部員たちという関係性を読みとることも可能だろう。しかし前述の「レント」と比較すれば、このナンバーが提供する情報量の少なさもまた明らかだろう。青学テニス部の部員たちは、「テニスの天才少年」「データが俺のテニス」「変幻自在のネットプレイ」といったキャッチフレーズによって紹介される。7『レント』では登場人物たちは名前だけでなくその時点での望みや動機、ほかの登場人物たちとの有機的な関係性とともに紹介されているのに対し、『テニミュ』では登場人物たちは簡潔で断片的な情報とともに紹介されているのである。 このように、個々のキャラクターを非常に切り詰めた短いフレーズで紹介するいっぽうで、『テニミュ』のオープニング・ナンバーは、公演を横断して、キャラクターたちについてのひとつの情報を繰り返し提示する。「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」の最後のセクションの歌詞は下記のとおりである。

青学 THIS IS THE PRINCE OF TENNIS

HE IS THE PRINCE OF TENNIS

THIS IS THE PRINCE OF TENNIS

HE IS THE PRINCE OF TENNIS

YES. NOW YES. NOW YES. NOW YES. NOW

7 こうしたキャッチフレーズによるキャラクターの紹介はこのナンバーだけではない。たとえば The

Imperial Match 氷帝学園のオープニング・ナンバー「Do Your Best!」では、青学部員が全員で部員の名前を呼び、名前を呼ばれた部員が短いフレーズを返すという構成をとる部分があり、部員たちはやはり名前と簡潔なフレーズのみによって紹介されている。

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LET’S PLAY!

「LET’S PLAY!」という歌詞には、「テニスをプレイする」「演技する」ふたつの意味がかけられていると思われるが、8ここでは前者の意味に注目する。「THIS IS THE PRINCE OF

TENNIS」は、キャッチフレーズとともに紹介されたキャラクターたちが、テニスのプレイに向かうことを宣言して終わるのである。立海との試合を描く公演9のオープニング・ナンバー「Must Be Strong!」では、歌詞は以下のとおりである。

青学 強くなるんだ 強くなるんだ

強くなるんだ 強くなるんだ

マスト・ビー・ストロング! マスト・ビー・ストロング!

誰よりも 力つけ 敵に勝つ

マスト・ビー・ストロング!

また、氷帝学園との試合を描く公演10のオープニング・ナンバー「Do Your Best!」では、青学テニス部の部員たちが「Do Your Best」というフレーズを繰り返す。さらに別の公演11では、オープニング・ナンバーのタイトルは「Get the Victory!」であり、「Get the Victory!」という歌詞が繰り返される。 これらのナンバーはいずれも、テニスの試合に勝ちたいという部員たちの意気込みを表していると理解していいだろう。彼らは、勝つためにベストを尽くし、強くなることを目指している。この点で、これらのオープニング・ナンバーは、キャラクターの動機を示すという役割を果たしていると考えることもできる。ただし、上記のナンバーではいずれも、キャラクターたちの姿勢のみを強く打ち出しているところに特徴がある。ここまでの分析を参照すれば、従来のミュージカルに比して文脈や背景がはっきりと示されないところに、勝ちたいというキャラクターたちの意志のみが際立って提示されるというのが、『テニミュ』のこれらのオープニング・ナンバーの特徴ということになる。

8 「いよいよ全国大会」をはじめ、一幕の序盤で歌われる一年生トリオの説明ソングが「ハロー」という観客への挨拶からはじまることや、「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」での「LET’S PLAY!」という歌詞にある観客への誘いかけは、『テニミュ』が、歌詞のレベルで観客との交流を企図していることを示している。このことを、『テニミュ』の観客へのサービス精神の現れと理解することも、『テニミュ』が熱心なファンを引きつける理由の一端と考えることもできるだろう。 9 ミュージカル『テニスの王子様』Absolute king 立海 feat. 六角 〜 Second Service、

2007 年、日本青年館ほか。歌詞はライブ盤 CD による。 10 ミュージカル『テニスの王子様』The Imperial Match 氷帝学園、2005 年、日本青年館ほか。歌詞はライブ盤 CD による。 11 ミュージカル『テニスの王子様』青学 vs 氷帝、2011 年、JCB ホールほか。

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3)すべては「キャラ」のために3)すべては「キャラ」のために3)すべては「キャラ」のために3)すべては「キャラ」のために―『テニミュ』におけるミュージカル・ナンバー『テニミュ』におけるミュージカル・ナンバー『テニミュ』におけるミュージカル・ナンバー『テニミュ』におけるミュージカル・ナンバーと「キャラ」と「キャラ」と「キャラ」と「キャラ」の構築の構築の構築の構築

「ベル」ならびに「レント」と比較すれば、『テニミュ』のオープニング・ナンバーで提示されるキャラクターたちの意志が、非常にシンプルなものであることは明らかだろう。このことを、『テニミュ』におけるキャラクターの特性として考察するために、ここで「彼らはなぜ勝ちたいのか」という問いを設定したい。 この問いを設定することによって何を問題としているかを示すために、まず、2012 年に初演された『ブリング・イット・オン』(Bring It On: The Musical)を例に挙げる。同作は、チアリーディングの大会に出場する高校生たちの姿を描く。選手たちが大会に挑むにあたっては、それぞれのプライド、ライバル意識、奨学金やテレビ出演のチャンスへの期待などが交錯する。2013 年に上演され、28 回の公演に終わった『ハンズ・オン・ハードボディ』(Hands on a

Hardbody)では、炎天下に置かれたピックアップ・トラックの車体に最後まで手を触れていられた人物が車を手に入れることができるという耐久コンテストが描かれる。同作でも、登場人物たちが何を求めてコンテストに臨むのかが劇の大きなウエイトを占めている。これらの作品では、「なぜ勝ちたいのか」という問いとそれへの多様な答えが、そもそもなぜこの物語が語られる必要があるのかという作品の根幹にかかわるポイントとなっているのである。 では、『テニミュ』の選手たちはなぜ試合に向かい、勝ちを求めるのだろうか。もちろん、表面的に考えるならば、テニスの試合に出場する選手が勝ちたいと思うのは当然だろう。ましてや『テニミュ』の登場人物たちはみな、中学生とはいえ個性と才能あふれる選手たちであり、トーナメント制の試合で全国大会に進もうとするならば目先の試合に勝ちたいと思うことはまったく不思議ではない。ただし、これらを彼らが勝利を求める外的な要因であるとしたら、ここで問題とするのは、『ブリング・イット・オン』や『ハンズ・オン・ハードボディ』で問われていた、彼らに勝利を求めさせる内的な要因としての動機である。 ここでは、青学テニス部の関東大会決勝での試合相手である立海テニス部を例に考察する。12立海テニス部にはまず、劇の序盤に「非情のテニス」というナンバーが与えられている。ここでは、部長である幸村と副部長である真田が、「負けてはならぬ/必ず勝て/負けはいけない/絶対勝つ事/それが掟」と歌う。立海テニス部は「常勝立海」「王者立海」とも称される強豪校であり、勝つ事が部の掟となっているのである。ここでの「掟」もまた、あるキャラクターの内から生まれる要因ではなく外的な要因ではあるが、少なくとも勝利を求める根拠がはっきりと提示されている。そして、青学テニス部との関東大会決勝を控える時点では、立海テニス部の部長の幸村は難病を患い、手術を目前に控えている。立海の選手たちは、部長不在のあいだに負けるわけにはいかないのである。したがって、病室の幸村が「頑張ってくれ/祈っている/信じているよ/絶対勝つって/負けはしない」と部員の勝ちを祈り、「負けはいけない/絶対勝つ事/そ 12 ミュージカル『テニスの王子様』Absolute King 立海 feat.六角 〜 First Service、2006 年、日本青年館ほか。

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れが掟/友情の掟」と歌うように、勝利は友情のため、部員たちの絆のためでもある。願いの強度や理由の深刻さについていえば、試合相手となる青学テニス部の部員よりも強いとさえいえるだろう。しかし結局、立海テニス部は青学テニス部に負けてしまう。試合後に幸村と真田は「もう迷いはない」というナンバーを歌う。このナンバーでは、二人は「もう 迷いはない/もう 憂いはない/人は幸せになるために 生まれてきたのだから」と歌い、歌詞からは掟についての言及は消えている。いったんは提示されたはずの、立海テニス部が試合に勝ちを求める理由や「掟」の帰結は、もはや問題にならなくなっている。しかも、立海テニス部の部員たちは、フィナーレ場面では青学テニス部とともに「Must Be Strong! III~Finalist II」というナンバーに参加し、「マスト・ビー・ストロング!」と歌う。そしてこのナンバーは「ネクスト!」という歌詞でしめくくられる。つまり、立海テニス部の部員たちは、勝ちを求めるキャラクターとして登場し、勝ちを求めるキャラクターとして劇を終える。この公演での立海テニス部については、「掟」という勝ちを求める理由を提示し、次にそれを放棄することでむしろ、勝利を求める不変の意思と姿勢が貫かれていることが強く打ちだされている。 『テニミュ』において、劇の始まりにも終わりにも勝ちたいと願うのは立海テニス部だけではない。『テニミュ』の多くの公演が、青学テニス部のメンバーたちが試合に勝ちたいという意志を告げるオープニング・ナンバーによってはじまり、劇の終わりには、次の試合も勝つという決意を告げるナンバーが置かれている。オープニング・ナンバーと終わりのナンバーは、まるでテレビ・アニメのオープニングとクロージングのように、試合を描く本編の場面を挟んでいる。そして、テレビ・アニメの本編がどのように展開しても、はじめと終わりの部分では基本的には毎回同じ映像が流れるように、『テニミュ』のオープニング・ナンバーと終わりのナンバーは、キャラクターたちが文字通り徹頭徹尾勝ちたいと願い、次の試合に向かい続けていることを示している。 従来の多くのミュージカルが、オープニング・ナンバーや、キャラクターの望みを示すいわゆる「アイ・ウォント(“I Want”)」ソング、フィナーレ・ナンバーなどによってキャラクターの変容とそのプロセスを構築してきたことを考慮すれば、『テニミュ』のミュージカル・ナンバーの機能とその構成は、従来のミュージカルとは大きく異なるものだといえるだろう。鈴木は、『テニミュ』には対立や葛藤がないと指摘している。(鈴木 2011、p. 7-8)ミュージカルが、基本的には西洋演劇の枠組みのなかにあり、対立と葛藤に基づく作品が現在でも主流であることを考慮すれば、鈴木の指摘は『テニミュ』のミュージカルとしての特徴を捉えるうえで非常に重要なものである。そして、鈴木の指摘する、対立や葛藤の不在という『テニミュ』の特徴は、オープニング・ナンバーの分析からも見てとることができるのである。 このように、構築するべき対立や葛藤、指し示すべきキャラクターの変容が存在しないにもかかわらずなおミュージカル・ナンバーが採用されるとき、ミュージカル・ナンバーは従来のミュージカルとは異なる機能を果たすことになる。前述の立海テニス部、青学テニス部のメンバーたちは、勝利を求めるナンバーとともに登場し、勝利を求めるナンバーとともに劇を終える。このとき彼らのナンバーは、彼らが抱く不変の熱意を描きだし、また彼らの熱意が不変であることを

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照らしだす。さらに劇中のナンバーに目を向ければ、青学テニス部・河村のナンバーの「燃えるぜ バーニング バーニング/燃え盛るぜ バーニング バーニング」という歌詞や、氷帝テニス部の歌う「俺たちは氷の化身 氷のエンペラー/俺たちは氷の化身 氷帝 無敵の冷たさ」という歌詞をはじめ、変容とは無縁のシンプルなキャッチフレーズによって彼らを紹介するナンバーを見つけることができる。つまり『テニミュ』のミュージカル・ナンバーは、『テニミュ』の選手たちを、変容を経験する、劇的人物としての「キャラクター」ではなく、ある突出した特徴によって固定的に認識される「キャラ」として造形することに貢献している。対立や葛藤をもたない劇の、変容を経験することのない「キャラ」は、劇的な意義をもたず、全体と緊密に関係する必要のないミュージカル・ナンバーによって構築されるのである。

4)4)4)4)おわりに―おわりに―おわりに―おわりに―2.5次元ミュージカルへのアプローチ次元ミュージカルへのアプローチ次元ミュージカルへのアプローチ次元ミュージカルへのアプローチ 本稿では、ミュージカル・ナンバーの機能の分析から、ミュージカル『テニスの王子様』のミュージカルとしての特徴についての考察を試みた。『テニミュ』は劇に対立や葛藤を設定せず、登場人物たちは変容を経験しない。このことはもちろん、2.5 次元ミュージカルにおける、原作そのままを目指すという翻案の方針と関係している。原作コミックにして 40 巻をこえる『テニミュ』の物語は、ひとつの公演の上演時間に収まるものではない。このとき、原作そのままを指向する翻案方針は、場面を取捨選択し再構成することでひとつの完結する舞台を作るのではなく、連載方式という特異な上演形態を生み出した。そして、従来のミュージカルの構成に適した物語をもたないキャラクターたちをそのままミュージカル化しようと目指すとき、ミュージカル・ナンバーは、ユニークなかたちで用いられることになった。従来のミュージカルが、ミュージカル・ナンバーをはじめとした諸要素に全体への貢献という劇的な意義を要求するとき、指向するべき全体をもたない『テニミュ』は、これらの要求を満たすことを拒否する。そして、対立の構築、情報の提示、立体的な劇的人物の造形といった機能から解放されたミュージカル・ナンバーは、葛藤や変容とは無縁の、ひたすら試合に向かう意志を抱いたキャラクター、すなわち「キャラ」を舞台上にのせることを可能にしているのである。 本稿の考察は、『テニミュ』に対する、いくつかのアプローチの可能性を示唆している。まず、テクスト分析の有効性である。本稿では主にナンバーの機能という着眼点から歌詞の分析を行うことで、「キャラ」を強く打ち出すという『テニミュ』の特徴の一端を明らかにした。本稿の成果をふまえ、ソンドハイムやハーヴァードの指摘を参照すれば、演じるために書かれたテクストと漫画のために書かれたテクストという差から 2.5 次元ミュージカルにおけるパフォーマンスの特異性にアプローチすることもまた可能となるだろう。次に本稿は、従来のミュージカルと2.5 次元ミュージカルを比較するというアプローチの有効性を示した。本稿では、従来のミュージカルにおいてミュージカル・ナンバーに期待される機能をふまえて『テニミュ』のミュージカル・ナンバーを分析することで、『テニミュ』におけるキャラの構築とミュージカル・ナンバーの関係について明らかにした。歌とダンスだけでなく、2.5 次元舞台に多く採用されるスポーツの動作や殺陣などのアクションをも視野にいれて比較することで、2.5 次元ミュージカルのみな

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らず、ひろく 2.5 次元舞台の特徴について考察することも可能となるだろう。さらに本稿は、2.5次元ミュージカルに対し、部分と全体の関係という概念に基づくアプローチの可能性を示した。本稿の分析は、全体性を指向する従来のミュージカルに対し、『テニミュ』が全体性の構築を拒絶し、部分を部分として提示していることを明らかにした。『テニミュ』は、キャラクターにおいては葛藤や変容よりも「キャラ」を見せることを、構成においては対立に駆動され解決へと向かう物語を語ることよりも個々の場面を見せることを、そして公演形態においては自立するひとつの公演ではなく連載公演を採用することを指向する。こうした、全体性を排したうえでの一部分への指向性は、何が 2.5 次元ミュージカルを 2.5 次元ミュージカルとするのかという問いに答えるうえで、そして 2.5 次元舞台を生み出した文化・社会との関係を理解するうえでも、有効な視点となるだろう。

2.5 次元ミュージカルという、捉えがたく、ユニークな、日本のオリジナル・ミュージカルの新たな潮流に対し、従来のミュージカル研究はどのように応答することができるのか。今後の課題としたい。

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参照文献一覧

日本語文献

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2) 鈴木国男「『テニミュ』と『ベルばら』」『ユリイカ』2015 年 4月臨時増刊号「総特集 2.5 次元 -2.5 次元から立ちあがる新たなエンターテインメント」, 青土社, 2015, pp. 139-147。

3) 鈴木国男「現代日本における『世界』の構築(2) --ミュージカル『テニスの王子様』--」『共立女子大学文芸学部紀要』第 57 巻, 2011, pp. 1-15。

4) 星野太「キャラクターの召喚 2.5 次元というカーニヴァル」『ユリイカ』2015 年 4月臨時増刊号「総特集 2.5 次元 -2.5 次元から立ちあがる新たなエンターテインメント」, 青土社, 2015,

pp. 60-67。

5) 三ツ矢雄二, 『ミュージカル『テニスの王子様』The Imperial Match 氷帝学園』ライブ盤 CD, インデックスミュージック, 2005。

6) 三ツ矢雄二, 『ミュージカル『テニスの王子様』Absolute King 立海 feat.六角 〜 First Service』ライブ盤 CD, インデックスミュージック, 2007。

7) 三ツ矢雄二, 『ミュージカル『テニスの王子様』青学 vs不動峰』ライブ盤 CD, ティーワイエンタテインメント, 2011。

8) 三ツ矢雄二, 『ミュージカル『テニスの王子様』青学 vs 氷帝』ライブ盤 CD, ティーワイエンタテインメント, 2011。

9) 三ツ矢雄二, 『ミュージカル『テニスの王子様』青学 vs 比嘉』ライブ盤 CD, FEEL MEE,

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英語文献

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