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教材のねらい

1選定の理由

 

東西の比較文化論には、その姿勢においておそらく三つのパタ

ーンがある。一つは、西洋の文化と日本の文化との違いそのもの

を現象として浮き彫りにしようとするもの。互いを他を映し出す

鏡として用いることによって、両者の特徴を明らかにする。次に、

西欧文化を規準として日本のそれの特異性を浮き彫りにするもの。

これは、その規準を相対化する視点を併せて持たないと、日本の

後進性を指摘し、西洋化を目指すといった体のものになりかねな

い。最後が、西洋の文化を視点として設定することで、日本のそ

れを相対化しつつその特徴を明らかにしようとするもの。この

「『間』の感覚」はこれに属する。本教材では、絵画、建築から日

常生活に至るまで豊富な具体例をあげながら、日本人や日本の文

化を客観的に捉え直す視点が示されている。我々の普段の何気な

い行動にも「文化」が刻印されているのであり、その点に気付く

ところから「考える」営みは始められるべきであろう。本教材は

まさしくそうした営みを促すものと判断し、選定した。

2指導のねらい

 

普段の立ち居振る舞いや、何気なく接しているものにも「文

化」が刻印されているのであり、その点への気付きを契機に、自

分なりに日本人や日本の文化について考えるよう学習者を導くこ

とを目的としたい。よって、読解はそのための基礎作業として位

置づけられる。そこでは、具体的な事象からどのような問題が引

き出されているか、そのためにどのような観点が設定されている

かを確かめることが重要となる。

⑴�

論旨をたどりながら筆者の主張を読み取る。その際、特に以

下の点に留意する。

 

ア具体例は、何を論ずるためにあげられているか。

 

イ具体例を通じて明らかにされたことは何か。

⑵�

日本人や日本文化についてこの文章が明らかにしたことを理

解する。

⑶�

筆者が提示した「かぎ」をもとに、身の回りの事象を捉え返

し、自分なりに日本人や日本文化について考察する。

125 ●「間」の感覚

「間」の感覚

高階秀爾

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時限

指導上の重点目標

学 

習 

活 

指導上の留意点

第 1時限

1内容に対して興

味を持たせる。

2第一段の内容を

理解させる。

導入

❶読解前の段階で、本文の幾つ

かの事例から東西(日欧)の

どのような点に違いがあり、

そこから何が指摘できるかを

自分なりに考える。

❷全体を通読し、段落分けを行

う。その際、どのような具体

例があげられているかに注意

する。

❶一三一ページの「花」の絵や、一三五ページの写真などから、その違

いに気づかせたり、家では靴のままかスリッパかを問うて靴を脱がな

い西欧と比べたりして、疑問というかたちで関心を持たせるようにす

る。東西(日欧)の比較文化論は、今日「現代文」評論教材の定番と

もいうべきテーマの一つになっている。それだけに、生徒たちにとっ

て新鮮味を欠いたものに映るかもしれない。ここではそれを逆手に取

る。本文で取りあげられた事例の幾つかを予め示し、それらについて、

一体何が問題なのか、そこから指摘できることは何か、考えさせる。

❷四つの段落に分けることを予め指示しておく。それぞれの段落で中心

となるテーマは何かを判断の手がかりとさせる。この段階では細かな

点には踏み込まず、大まかに確認できればよしとする。もちろん、テ

ーマを大づかみに捉えるにしても、具体例の検討は不可欠であろう。

なお、別の段落の分け方もある(「構成」参照)。

展開

〈第一段〉(初め~一三四・1)

❶この段落で中心となるテーマ

は何かを確認する。

❶具体例はそれ自体が興味深い内容であるとき、一体何のために示され

ているかを見失いがちである。が、そうなってしまっては、単に雑学

が増えるだけに終わるだろう。そうした事態を回避するためにも、ま

ず、この段落全体で取りあげている問題点を確認させたい。

第 2時限

1第一段の内容を

理解させる。

(承前)

2第二段の内容を

理解させる。

❷挙げられている具体例を確認

する。

❸具体例が明らかにしているも

のについて考察する。

→「研究」1

❷❸この二つは一つながりの作業として捉える。「花の愛で方」「静物

画」までで一区切りとし、「研究」1を用いて整理させる。その上で、

そこで取りあげられた問題が、次の都市風景の描き方にどう引き継が

れているかを確認させる。整理するために、単純化して、「自然」と

「人間」の関係を抽出し、自然を人間のほうに引き入れようとする西

評論⑷● 126

指導計画案

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〈第二段〉(一三四・2~一三

六・8)

❶第一段からの展開を確認する。

❷建築物について、西欧のそれ

と比較することで明らかにな

る日本の特徴をまとめる。

→「研究」2

 

洋と、人間が自然のほうに入っていこうとする日本とを、矢印を用い

て図示してもよい。その際、前者においては自然と人間との間に明確

な境界線が引かれるのに対し、後者の方向性は、その境界を曖昧にす

る性質を持っていることにまで気づかせる。

❶絵画から建築物への移行をスムーズに行うためには、第一段で論じら

れていたのが自然観ではなく「自然との結びつき」方であることの確

認が不可欠であろう。またあるがままの自然を楽しもうとするだけで

なく、自ら自然と積極的にかかわり、その中に入っていこうとする姿

勢を見させておく必要がある。その姿勢が、自然との境界をなるべく

設けようとせず、内部と外部とを連続したものとする日本の建築の特

徴を生みだしていることを理解させる。

❷日欧の建築の共通点と相違点をまとめ、日本の建築における「中間領

域」の存在に注意を向けさせる。「日本の建築そのものは構造的に自

然に向かって開かれている。」(一三四・2)に注目させることで、こ

こで問われている「構造の違い」が、あくまで「自然との結びつき」

という観点においてであることにまず気づかせたい。なおここで、建

築物を媒介とすることで、論点が「自然と人間」から「内と外」へと

移行していることも併せて確認しておきたい。

第 3時限

1第三段の内容を

理解させる。

2第四段の内容を

理解させる。

3第四段の内容を

理解させる。

(承前)

〈第三段〉(一三六・9~一三

七・14)

❶「空間構造」と「行動様式」

との関係をつかみ、内と外と

の区別について具体例をもと

に確認する。�

→「研究」3

❶「空間構造はつながっているように見えながら、行動様式では内と外

は明確に区別されている」(一三七・3)という指摘をもとに、家や

部屋における区別の付け方を押さえさせる。なお、「研究」3は、単

に本文にあげられているものにとどめず、より多くの事例をあげさせ

るようにすることで、理解を深め、発展を促すことができるだろう。

127 ●「間」の感覚

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〈第四段〉(一三七・15~終わり)

❶内外の区別をつけているのが

「意識」であることを確認す

る。

❷「意識」の問題から「うち」

さらに「関係性」という概念

の理解を確かなものにする。

❸「日本人にとっては人間社会

も空間も時間も…組み入れら

れている。」との一文が意味

するものを考える。

→「研究」4

❹「関係性」と「間」とのつな

がりを押さえる。

❶前段の内容が把握されていればこの点の確認は容易である。問題はむ

しろその確認を踏まえた上でなされるべきもう一つの確認にある。以

降に論じられるのが、日本人が内と外との区別をつける、その意識の

有り様なのか、それとも、内と外とを意識によって区別する日本人の

有り様なのか。両者の視点が混在しているところにこの段落の分かり

にくさもあるといえるのだが、逆にこの二つの視点に即して内容を整

理していくことで、理解を確実なものにできるはずである。

❷「意識」を共有化しうるところに「うち」が成り立ち、またそれだけ

に、他との関係において変化し得る(「関係性の中で成り立つ」)もの

であることを押さえさせる。

❸「関係性」とは無縁のもの(客観的なものや絶対的なもの、例えば壁

で分けられた内と外など)を一方に据えると分かりやすくなる。「う

ち」とは囲い込みによって成り立つものである。この点は東西を問わ

ない。しかし、その「囲い」を、客観的、絶対的なものとして示す西

欧とは異なり、日本はそれを「意識・価値観」の中に持つということ

を考えさせるとよい。

❹「間」とは「関係性の広がり」であるとの指摘は明解で紛れがないが、

改めて「関係性」の理解がどれほど定着しているかを確かめておく必

要があるだろう。そこで確認されたことを、「間」という概念で捉え

返させるのがここでのポイントである。

第 4時限

1「間」について

まとめさせる。

2「『間』の感覚」

と日本文化の結

びつきについて

考えさせる。

まとめ

と発展

❶「間」が意味するものを考え、

日本人の行動様式と関連づけ

て考える。�

→「研究」5

❶補助作業として、「間」を用いた表現(慣用句など)を収集・整理さ

せてもよい。まず「間」の持つ意味を確認させ、さらに「間(ま)」

を用いた語や慣用表現(「言葉の学習」2)をあげながら考えさせた

ほうがやりやすいだろう。漫然とあげただけでは仕方がないので、

「間」の意味を手がかりに幾つかの分類項目を設けて、それらに基づ

いて考えさせる。

評論⑷● 128

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❷「『間』の感覚」が普段の立ち

居振る舞いや身の回りの事象

をどのように規定しているか

を振り返り、「日本人の美意

識や倫理」や「日本の文化」

について考える。

❷多くの事例をあげさせ、それらを検討させる。ただし、本文の初めに

出てきた花の愛で方や、自然との結び付きに見られる日本的な特徴を

「『間』の感覚」で説明しようとするとかなりの困難を伴う(この論理

のいわば非可逆性については「要旨」「構成」でも触れた)。あくまで

も「『間』の感覚」を出発点とし、できればグループ内討議、発表、

全体での討議といったかたちで進めたい。

評価

評価の規準

⑴筆者が提示した「かぎ」をもとに、身の

回りの事象を捉え返し、自分なりに日本

人や日本文化について考察しようとして

いる。(関心・意欲・態度)

⑵具体例をふまえて論旨をたどり、筆者の

主張を読み取るとともに、日本人や日本

文化についてこの文章が明らかにしたこ

とを理解している。(読む能力)

⑶「間」を用いた語句を通じ、「間」が意味

するものを理解している。(知識・理解)

⑴「解説」でも触れるが、表題でもある「『間』の感覚」は、包括的な概

念たり得るので、それだけに、「日本人や日本文化について、『「間」

の感覚』が表れていると思うものをあげよ」といった課題は、漠然と

してかえって捉えどころがなくなってしまうかもしれない。直接的に

は「研究」5によりながら、⑶で触れるように幾つかの項目を観点ご

とに考えるという方法が有効であろう。できればグループ学習とし、

調べ、まとめたことを発表させ、さらに文章化させたい。

⑵具体例は何を論ずるためにあげられているか、具体例を通じて明らか

にされたことは何かに留意することは読解の基本であり、具体例が豊

富に取りあげられている本教材の場合、この基本が押さえられていな

ければそもそも論旨をたどりようがない。論旨がたどれたか否かの確

認は要約をやらせるのが一番だが、あるいは、各段落の要点を、それ

に用いられていた具体例を合わせて記した上でまとめるといった作業

をやらせてもよい(「要旨」および「板書例」2参照)。各段落の要点

整理を経て、特に第一段から第三段までの要点が、どう第四段へとつ

ながっているかを理解させたい。「『間』の感覚」がどのように導かれ

ているかを整理するとともに、日本人や日本文化の特質を箇条書きの

形でまとめさせることが考えられる。その際、本文で指摘されたこと

を幾つかの項目に整理し、その上でまとめさせたい。

⑶「言葉の学習」2やテストで「間」が意味するものが理解できたか、

確認する。

129 ●「間」の感覚

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筆者

高階秀爾

 

昭和七(一九三二)年~。東京都に生まれる。昭和二十八年、

東京大学教養学部教養学科卒。大学院(東京大学大学院人文科学

研究科美術史専攻)に進み、西洋美術史を専攻する。二十九年、

フランス政府給費留学生となり、パリ大学附属美術研究所および

ルーブル学院でドラクロアを中心に近代美術史の研究に取り組ん

だ。三十四年、帰国、国立西洋美術館主任研究官となる(大学院

は満期退学)。四十二年から翌年にかけて、ロックフェラー財団

の招きでアメリカに渡る。後、四十六年、東京大学文学部助教授

に就任、五十四年、教授となる。平成四年退官、名誉教授となる

とともに、国立西洋美術館館長に就任、十二年まで務めた後、十

四年、大原美術館館長に就任した。

 

近代美術の淵源はルネサンス期に求められるが、その時期から

現在に至るまでの、西洋・日本の絵画について論じて、この人の

右に出るものはおそらくいないと思われる。現在の日本で最も著

名な美術評論家と言っていいであろう。その感性の柔らかさ、そ

の知性の鋭さ、そして広範な知識と犀利な分析によって紡ぎ出さ

れる研究や評論の数々。その活動がどれほど高い評価を得てきた

かは、次に紹介する受賞歴の数々が能弁に物語っていよう。

 

昭和四十六年、「ルネッサンスの光と闇」で芸術選奨文部大臣

賞。四十七年、「ザ・ヌード」で翻訳文化賞。五十六年、フラン

ス芸術文芸勲章シュバリエ章。六十三年、第三十九回NHK放送

文化賞。平成元年、フランス芸術文芸勲章オフィシエ章。九年、

第二十三回明治村賞、十二年、紫綬褒章。十三年、レジオン・ド

ヌール勲章シュバリエ章。

 

多数の著作があるが、主なものとして、「世紀末芸術」、「ピカ

ソ 

剽窃の論理」、「芸術空間の系譜」、「名画を見る眼(正・続)」、

「近代美術の巨匠たち」、「歴史のなかの女たち」、「近代絵画史」

をあげておく。

筆者を解くカギ

 

高階秀爾の著すものの特色は、その平明さと偏りのなさとにあ

る。複雑な事柄を平明に語るためには、その事柄について知悉し、

そこから得たものを十二分に消化・吸収する必要がある。またそ

のようにして語られたものは、単に平明なだけでなく、深淵なも

のとなる。個別的な事柄、特定のテーマにおいてそれが可能な人

間は少なくないが、幅広い対象に対してできる人間はそう多くは

いない。そしてその広く受け入れる力は、全体を見渡すパースペ

クティヴとともにある。そのパースペクティヴの確かさが、主張

の確かさを支えているのである。

出典

 

本文は「西洋の眼 

日本の眼」(青土社 

平十三)によった。

 「『間』の感覚」は、「住まいと文化」(平十二・六)に発表され、

後「西洋の眼 

日本の眼」に収められた「居住空間における日本

的なもの─西洋建築と比較して」の最終段である。そこに付さ

れた小見出しをそのまま表題とした。引用は単行本によった。ち

なみに同文は、日欧の建築の違いを論じた「閉鎖性と開放性」、

評論⑷● 130

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そこから日本の居住空間を中心に考察した「日本的空間の特性」、

そしてこの「『間』の感覚」の三段から成っている。

出典との異同

 

教科書表記の統一による変更のほか、〔 

〕内の理由により、

次の通り改めた。

○「住居の構造や空間構成に見られる日本とヨーロッパのこのよ

うな違いは、住まい方、すなわち日常の生活様式や行動規範にも

そのまま反映している。興味深い例のひとつとして、自然に対す

る接し方の相違を挙げることができるであろう。」(教科書一三

〇・2の前段)→削除〔混乱を避けるため〕

○「自然との結びつきという点では、日本の建築そのものが構造

的に自然に向かって開かれていることはすでに見た通りである。」

→「自然との結びつきという点で、日本の建築そのものは構造的

に自然に向かって開かれている。」(教科書一三四・2~3)〔混

乱を避けるため〕

○「建物の平面」→「建物の表面」(教科書一三四・11)〔教育上

の配慮〕

要旨

 

個々の具体例から引き出される事柄は、次の問題、次の事柄を

引き出す機能を与えられている。いうなれば、第三段までの内容

は、第四段を導く「序詞」のような働きであり、同様のことが、

第四段の中にも認められる。よって、「要旨」と見なすべきは最

終段落に述べられた内容ということになるので、それ以前の内容

もある程度踏まえてまとめるなら次のようになろう。

 

日本人は行動様式において、内と外とを明確に区別する。意識

や価値観に基づくこの区別は人間や時間との関係性に応じて変化

する。その関係性の広がりを意味する「間」に対する感覚こそ、

日本文化を理解する鍵である。(一〇〇字)

 

これだとしかし第一段から第三段までの内容がほとんど反映さ

れないため、それらを含めると、次のようになる。

 

絵画や建築などを見ると、自然と人工とを明確に区別する西欧

と、その境界を曖昧にする日本という違いが指摘できる。この違

いは、内と外との区別の仕方にも端的に表れており、西洋が物理

的である一方、日本は心理的である。つまり日本では、内と外は、

意識や価値観の問題として存在し、関係性という共通した編み目

の中に組み入れられた人間社会や空間や時間それぞれの関係性に

応じて変化する。この関係性の拡がりが「間」であり、その

「間」の感覚こそが日本人の美意識や倫理、さらに日本文化を理

解する上での大きな鍵になる。(二四四字)

131 ●「間」の感覚

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構成

段 

ペ 

ー 

ジ 

・ 

段                       

第一段

初め~

一三四・1〈自然に向けられてい

たのである。〉

〈日欧の自然感覚の違い〉

 

花を愛で、自然を愛でる点で日欧に差はないが、自然の環境から切り離そうとする西欧に

対し、日本では、自然の中でそれを楽しもうとする。また都市を描く場合、西欧では人工の

モニュメントを取りあげるが、日本では自然の情景を描く。日本人の目は何よりも自然の中

にある自然に向けられていたのである。

第二段

一三四・2〈自然との結びつきと

いう点で〉~

一三六・8〈外部へつながってい

るのである。〉

〈建築に見る日欧の違い〉

 

自然との結びつきという点で、日本の建築は構造的に自然に向かって開かれており、内部

と外部が連続しているため、「軒下」のように、内と外との境界が曖昧な中間領域が生じる。

風土的特性にも由来するが、内部と外部とを明確に区別する西欧建築に対し、日本の建築で

は、中間領域を媒介に、内部が自然に外部へとつながっている。

第三段

一三六・9〈ところが、甚だ興味

深いことに〉~

一三七・14〈価値観の問題であ

る。〉

〈内と外を区別する日本人の行動様式〉

 

内部と外部とがつながった空間に住む日本人は、しかし、家に入るときには靴を脱ぐこと

が端的に示すように、行動様式において内部と外部とを明確に区別している。このような内

と外の区別は、意識や価値観の問題といった心理的なものである。

ここでは起承転結の四段構成として捉えた。すなわち、主に絵画を題材に、自然感覚や自然との結び付きにおける日欧の違いを発

端とし(起)、建築を題材にしながらその自然との結び付きを内と外の区別という問題へとつなげて日本におけるその区別の曖昧

さや中間領域の設定を論じた後(承)、その区別をつけるという行動様式が、意識や価値観によるものであることを指摘する(転)。

そしていよいよ主題である「『間』の感覚」へと進む(結)のである。起承転までを前半、残りを後半という二段構成と捉えるこ

ともできるし、また、その実質的本論とも言うべき第四段を、「関係性」を浮き彫りにした前半と、「間」に及んだ後半とに分け、

全体を五段構成としてもよい。

評論⑷● 132

構成

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第四段

一三七・15〈どの社会にも、聖な

る空間を〉~

(前半)~一三九・11〈物語っ

ているであろう。〉

(後半)一三九・12〈日本人は、

そのような関係性の広がりを〉

終わり

〈「うち」・関係性・「間」の感覚〉

 

意識や価値観における共通の理解が「うち」を形成する。つまりそれは関係性の中で成立

するのであり、しかも人間関係や時空間をも示すということは、日本人にとってそれらが関

係性の中に組み入れられていることを意味する。

 「間」とはその関係性の広がりのことであり、「間」を用いた慣用表現がよく示すように、

「間」の感覚こそが日本人の在り方を大きく規定していると思われ、それゆえ、日本の文化

を理解する大きなかぎとなるのである。

133 ●「間」の感覚

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板書例

1第一・二段

 

西欧             

日本

(花)

 

切り花を楽しむ 

(静物画)

 

花瓶に生けられた花 

(都市風景画)

 

人工のモニュメント 

                  

          

人々の目は何よりも自然に向けられていた

                  

               

自然との結びつき

(建築)               

           

構造的に自然に向かって開かれている

・パルテノン神殿 

 

・伊勢神宮

  

屋根は建物の表面だけ覆う 

屋根が軒先に大きく伸びる

   

↓           「軒下」(中間領域)が生まれる

   

↓           

=風土的特性

   

↓             

 

壁という物理的存在によって 

中間領域を媒介として

 

内部と外部を明確に区別   

内部は自然に外部へとつながる

2第三・四段

西欧       

日本

         

行動様式においては、

         

内部と外部を明確に区別

 (家の中)

靴は脱がない

家に入るときには靴を脱ぐ

         

スリッパを使い分ける

            

         

物理的ではなく、心理的なものによって区別

         

=意識や価値観の問題

 (聖なる空間)    

壁によって区切る↔意識で区別する(鳥居や関守石)

         

共通の理解を持つ集団・共同体=「うち」

            

         

時と場合によって変化=関係性の中で成立

            

         

間=関係性の広がり

「間」の感覚→日本人の行動様式の大きな原理

               

=美意識や倫理

                 

              

日本文化を理解する大きな

評論⑷● 134

自然の中で楽しむ

自然の中の花

自然の情景

際立った対照=自然感情の違い

↓↓↓

↓ ↓ ↓

日本人にとっては

人間社会も空間も時間も

関係性という共通した編み目の中

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指導上の注意点

●一三〇ページ

「西欧世界」(2行目)における花の愛で

方は、日本の場合とどのような違いがある

か。

西欧世界では、外部から遮断された室内に

飾るため、自然の環境から切り離された切

り花を鑑賞するだけで、日本で行うような、

自然の中に出かけていってその美しさを楽

しむという習慣はない点が大きく違ってい

る。

自然に手を加えて室内(人工空間)に取り

入れるにふさわしい形にするか、自然のま

まを楽しむべく自らそこに赴こうとするか

という、自然への接し方の違いを見ておき

たい。必要に応じて日本の「生け花」の思

想(「語句の研究」参照)も紹介してもよ

い。

◉「そのこと」(11行目)とは、どのような

ことを指しているか。

日本と異なり、西欧では、自然の中に出か

けていってその美しさを楽しむような習慣

がないこと。

直接的には右が答えとなるが、その意味す

るところは、日本人のように自然の中に入

り込むのではなく、西欧では、自然に手を

問問答答補補問問答答補補

語句の研究

一三〇ページ

6投機という動機があった 

十六世紀末、フ

ランスの植物学者がオランダの大学に赴任

し、チューリップの美しさを広めたところ

から、この変種作りが流行し、さらには法

外な投機の対象となった。特に一六三四年

から三七年にかけての熱狂は「チューリッ

プ狂騒事件」とも呼ばれる。政府は厳罰を

もって対応したので沈静化したが、その取

引の発展と崩壊から「チューリップ恐慌」

すら生じたという。

8外部から遮断された室内で花を観賞する 

日本にも「生け花」の文化があるが、切り

取った(外部から切り離された)花それ自

体を楽しむのではなく、外にある自然を凝

縮したかたちで生活空間に取り入れるもの

である。

10自然の中に出かけていってその美しさを楽

しむという習慣 

西欧に自然の中に出かけ

ていく風習がないわけではない。むしろ盛

んであると言うべきであるが、その一つ、

ピクニックは戸外での食事を主たる目的と

した行楽であり、またハイキングは運動・

遊びを目的とする。いずれも「春の花見」

「秋の紅葉狩り」のような、自然の美しさ

を楽しむことそれ自体を目的とする風習で

はない。

12静物画 

十七世紀のオランダにおいて、宗

教画の衰退に伴い、風景画(一三二ページ

でこれが取りあげられる)などとともに新

たな絵画の一分野として成立した。もっと

も古典主義的な芸術観の中でその価値は低

く、装飾絵画と見なされていたようである。

しかし、その後、先進的な画家たちによっ

て、主題に拘束されない「純粋絵画」とし

て重要視されるようになり、その意義を重

くしていった。一八九〇年代には、「リン

ゴ一つでパリを驚かせたい」とのセザンヌ

の発言があり、またこれを主たる分野とす

るキュビズムの登場を見ることになる。

12いち早く市民社会を成立させた十七世紀の

オランダ 

コショウ貿易の成功などで繁栄

したオランダは、それゆえに商人の力が強

く、絶対主義王制が大半を占めていた当時

のヨーロッパにおいては異色の、共和制を

とっていた。連邦は七州によって構成され

るが、独立分権であり、その州の大都市は

また強大な自治権を有していた。そうした

135 ●「間」の感覚

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加えて自分たちの世界に取り込もうとする

ことである。

花の描き方について、西欧と日本とではど

のような違いがあるか。

西欧(オランダ)の静物画で描かれる花は

ほぼ例外なく花瓶に挿したものであり、そ

れに対して、日本の琳派の草花図では、自

然の中にある状態の花を描いているという

違い。

西欧の姿勢は変わらず、しかし日本の姿勢

として、今度は自然のそのままの姿で取り

込もうとすることが指摘できる。先の指摘

と合わせて、自然になるべく手を加えず、

それと直に触れ合おうとする姿勢があるこ

とを確認しておきたい。

問問答答補補

中で、富裕な市民層による文化が開花した

のである。もっとも、この大商人中心の共

和制が、後には国としての動きの鈍さをも

たらし、オランダ衰退の原因となる。

一三一ページ

4琳派 

俵屋宗達「風神雷神図屏風」や、尾

形光琳「紅梅白梅図屏風」などは、絵と触

れ合う機会が乏しくとも、一度は眼にした

ことがあるはずである。なお琳派が「自然

の中の花」(一三二・5)を描くことは、

もちろん琳派に限るわけではなく、先に触

れた「生け花」とも共通する精神の表れと

考えるべきである。

6多彩華麗な花の絵で生活空間を飾る 

ここ

での「花の絵」を「自然」と置き換えても

よいだろう。それによって「生活空間を飾

る」ことが共通するのであるから、違いは

花の描き方にあり、「どんな状態の花も描

ける」(一三二・7)以上、それは自然を

どう受け入れるかの違い、また「自然感情

の違い」(一三二・11)を示すものとなる。

一三二ページ

11自然感情の違い 

西欧では、外部から遮断

された室内で、花(描かれたものも含め)

を、切り取った形で鑑賞し、愛でる。それ

に対して日本では、自然を観賞するために

外へ出掛ける風習があり、また、室内に飾

る場合も自然の中にある状態を重んじる。

そこから、自然に手を加えようとする西欧

と、自然とそのままの形で接しようとする

日本ということを抽出できる。さらに自然

を人間の支配下に置くべきものとするか、

それに身を委ねるべきものとするかといっ

た自然観の違いも引き出せるが、今はとり

あえず重要ではない。むしろ、自然を人間

の側に引き込もうとする西欧と、人間が自

然の中に入っていこうとする日本という、

姿勢の違いを確認しておきたい。またここ

で、前者には自然と人間との間に明確な境

界があることが前提されているのに対して、

後者では、もちろん境界はあるものの、ま

るでそれをなくそうとしているかに見える

ことにまで目を向けさせておくと、後の読

解の手助けになろう。

15フェルメール 

Jo�

(h

)�annes�Vermeer

内空間の描写で遠近法に新局面を開くとと

もに、点綴法など独自の技法を確立した。

現存作品がわずか三十五点前後と寡作だが、

レンブラントと並ぶオランダ絵画の最高峰

と評される。主な作品に「牛乳を注ぐ女」

評論⑷● 136

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●一三三ページ

「この傾向」(2行目)とは、何か。

新しいジャンルとして、都市風景を数多く

描こうとする傾向。

西欧の都市風景画と広重の「名所江戸百

景」との比較から明らかにされたことは何

か。

日本の人々の目が何よりも自然に向けられ

ていたこと。

西欧の場合と異なり、自然との間に隔てを

設けず、それに対して開かれた状態であろ

うとする姿勢へとつなげると、第二段への

展開が容易になる。

●一三四ページ

「伊勢神宮」と「パルテノンの神殿」(6

行目)との共通点と相違点とを説明しなさ

い。

共通点として屋根の形状が似ている点があ

る。相違点として、素材、スケール、軒の

有無があげられる。

「このこと」(15行目)とは、何を指すか。

屋根の軒先が大きく伸びて、軒下という空

間が生まれていること。

「風土的特性に由来する」(15行目)とは、

どのようなことか。

雨が多いため、その雨が直接建物にあたら

ないよう、屋根の軒先を伸ばしたと考えら

問問答答問問答答補補問問答答問問答答問問答答

「手紙を読む女」「絵画芸術の寓意」「真珠

の首飾りの少女」などがある。教科書一三

二ページの「デルフト眺望」のデルフトは

フェルメールが終生住み続けた地である。

一三三ページ

3カナレットやグヮルディ 

カナレットCa-

naletto

もグヮルディ(グアルディ)

Francesco�Guardi

もイタリアの画家。ヴ

ェドゥータ(都市景観画)で知られる。同

時代にヴェネツィア(英語でベニス)で活

躍し、写真的な迫真性を特徴とするカナレ

ットに対して、グヮルディは詩情豊かな画

風であった。

7広重 

姓は安藤。歌川豊広に入門したので

歌川を名乗る。「東海道五十三次」は「名

所江戸百景」とともに有名。

8建造物は主役としてはほとんど登場してい

ない。 「浅草金龍山」の浅草寺のように、

建築物を見ることができるが、そこに描か

れるのは、建物の全貌ではなく一部であり、

それとともにある「自然」(浅草金龍山で

は雪景色が描かれる)である。なお、「亀

戸の梅屋敷」(「亀戸梅屋舗」)はゴッホが

模写した絵としても有名。

14当時すでに百万都市であった江戸 

江戸の

人口は十八世紀に既に百万に達し、広重が

活躍していた十九世紀半ばごろには一二八

万を超えたとされている。ちなみに、同時

期に欧州最大の都市であったロンドンの人

口が八五万人であり、当時江戸は世界最大

の都市であった。

一三四ページ

2自然との結びつきという点 

人々の目がさ

ほど向けられなかったという指摘のあとに

建築が取りあげられるのはいささか奇異の

感を持つかもしれないが、この「自然との

結びつき」という観点が示されることでか

えってポイントの確認が容易になる。すな

わち、問題なのは自然の捉え方(自然観)

ではなく、それとの「結び付き」方、かか

わり方なのである。日本人は、自然の美を

味わうべくその中に出かけていき、また切

り花ではなく自然の中の自然を描いたもの

を室内に飾り、目を建築物ではなく自然に

向けるという第一段の指摘は、自然に対し

て開かれた状態であろうとする、自然と積

極的につながろうとする姿勢の表れであり、

それが建物における内部と外部との連続と

して見られるのである。

6伊勢神宮 

建築の有り様として、しばしば

137 ●「間」の感覚

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遷宮が取りあげられる。すなわち、二十年

ごとに、同じ敷地の別の場所に、完璧に同

じものを建て替える。西欧にはまず見られ

ないことなので、建築や時間に対する意識

をめぐる比較文化論の題材として用いられ

るのである。逆に言うと、建築構造に着目

し、パルテノン神殿と比較するというのは

ユニークな視点と言えるかもしれない。

6パルテノンの神殿 

古代アテナイの守護神、

アテナ・パルテノスの神殿。「パルテノン」

とは「乙女の部屋」の意味で、元々は神殿

内の西側の部屋の名前だった。

15雨が多いという風土的特性に由来する 

ちろん建物に直接雨が当たるのを避けるた

めの工夫であろう。

16その辺りが微妙なのである。 「微妙」はこ

こでは一概に判断できない、どちらとも言

えないの意味。内側であって内側でなく、

外側であって外側でない。物理的な面では

判断の根拠がないこの「微妙」さに、日本

人は、時と場合に応じて何らかの判断を心

理的に付けているわけである。

一三六ページ

5ぬれ縁、渡り廊下 

実際に目にしたことの

ある生徒たちのほうが少ないかもしれない。

ぬれ縁は文字どおり雨ざらしになるし、渡

り廊下は、屋根が付けられても申し訳程度

で、壁が設けられることはまずない。しか

も紛れもなく建物の一部なのであるから、

これらもまた「微妙」な存在であり、「中

間領域」(一三六・7)と呼ぶしかない。

7内部は自然に外部へつながっている 

内部

と外部との間に「強固な物理的遮蔽物」

(一三六・6)を設け、両者を完全に区別

する西欧に対して、日本は両者の間に「中

間領域」を設ける。外にして内、内にして

外というこの中間領域の存在が、内と外と

をつなげ、「連続」体としているわけであ

る。

10それにもかかわらず……それであるからこ

そ 

内部と外部とが連続した空間に住むと

いうことは、物理的に明確な区別をつけな

いということであり、その区別をつけない

という原則があらゆる面において見られる

べきだという考えに立てば「それにもかか

わらず」となる。しかし、内部と外部とは

「連続している」(一三六・9)のであって、

区別がないわけではない。よって、その立

脚点から離れ(「というよりもむしろ」)、

内部と外部との区別は必要であるとの考え

れること。

「その辺りが微妙なのである。」(16行目)

の「微妙」の意味を答えよ。

一概に判断できない、どちらとも言えない。

曖昧。

●一三六ページ

「中間領域」(5行目)について、①どの

ようなものか、②具体的には何があるか、

③この存在から何が指摘できるか、それぞ

れ説明しなさい。

①内から見れば外部に、外から見れば内部

に属すると捉えられる、曖昧な存在のこと。

建物の内部と外部をつなぐ媒介としての機

能を持つ。 

②日本の家屋に見られる軒下、

ぬれ縁、渡り廊下など。 

③壁という物理

的遮蔽物で内部と外部とを明確に区別する

西欧建築には見られないもので、この存在

から、日本人が、内部と外部とを連続した

ものとして捉えていたことが指摘できる。

「にもかかわらず」と「それであるからこ

そ」(10行目)とは、それぞれどのような

考えに基づいているか。

「にもかかわらず」は、日本人において内

部と外部との連続はあらゆる面で適用され

るべきだとの考えに基づく。それに対して

「それであるからこそ」は、内部と外部と

は連続しているだけであり、何らかの形で

問問答答問問答答問問答答

評論⑷● 138

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に移行しているのである。それが物理的に

存在しない以上、「それであるからこそ」

別の形で存在しなければならないわけであ

る。

13鉄筋コンクリートのマンション 

言うまで

もなく構造的には「壁という強固な物理的

遮蔽物によって内部と外部を明確に区分す

る西欧建築」(一三六・5)を模したもの

であり、「住まい方」も「椅子とテーブル」

の「洋式」であるが、靴のまま室内に入る

例は皆無に近いだろう。これに関連して、

「玄関」の存在にも関心を向けておきたい。

玄関もまた「中間領域」にほかならない。

地面(外)と同じ高さのそこは、家の内に

おいて例外的に靴を履いていなければなら

ない場所であり(ドアのところで靴を脱ぐ

ことはないし、内履きのまま玄関に出るこ

とも、好ましくないとされる)、また外か

ら来た人間も、通常そこまでは入ることを

許され、逆にそれ以上入ろうとすることは

ひとまず遠慮すべきであるとされる(「玄

関先で失礼します」など、それをわきまえ

ることが礼儀の一つでもある)。「軒下」や

「ぬれ縁」が位置的には外に属する「中間

領域」であるのに対し、これは内に属する

「中間領域」であり、マンションにおいて

前者はまず存在しないが、「玄関」は、そ

れのない家を探す方が困難だろう。もちろ

ん、玄関と室内との間には段差が設けられ

ているのが普通で、物理的に区別されてい

るとも言えるが、高くとも50�

cmほどのもの

にすぎないそれは、むしろ、後に取りあげ

られる「鳥居」(一三八・2)や「関守石」

(一三八・5)に近いものとして考えるべ

きだろう。「玄関」とは、いわば行動様式

において区別をつけるための場所の一つな

のである。

一三七ページ

5間仕切りの曖昧な家の中 「もともと日本

の伝統的建築は、柱と梁を構造の主体とし

ているから、壁は最小限必要な場所だけに

限られ、それも、家屋の構造を支えるとい

うよりも空間を区分する障壁という役割が

強い。内部の間仕切りだけではなく、外部

との境界にしても、例えば雨戸のような建

具に頼っており、これも移動、取り外しが

可能である。もし仮に、雨戸、襖、障子の

ような建具を全部取り払ってしまったとし

たら、日本の家屋は、ほとんど柱と屋根

(天井)だけのすこぶる風通しの良いもの

区別がつけられるべきだとの考えに基づい

ている。

論理だけをたどると「にもかかわらず」で

かまわないように思えるが、その根底にあ

る考えは現実的ではない。内部と外部とを

連続したものとする考えと、内部と外部と

を区別することとは決して矛盾しないので

ある。

「マンション」(13行目)に言及している

のは、なぜか。

生活形態として洋式になっても、行動様式

は変わらないことを指摘し、その普遍性を

明らかにするため。

●一三七ページ

「行動様式では内と外は明確に区別されて

いる」(3行目)とは、どのようなことか。

家に入るときには靴を脱ぐという行動によ

って、家の内と外との明確な区別がなされ

ている。

「このこと」(5行目)とは、何を指すか。

行動様式で内と外との区別を明確に付ける

こと。

空間構造はつながっていても、内と外とを

明確に区別した行動をとることを押さえて

おく。

◉「そのような感覚」(11行目)とは、どの

ような「感覚」を指すか。

補補問問答答問問答答問問答答補補問問

139 ●「間」の感覚

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になるであろう」(高階秀爾「居住空間に

おける日本的なもの」)。仕切りはいわばと

りあえずのものであり、固定されたもので

はない。その可変性は、一三七ページで取

りあげられる部屋の「意味」の可変性と重

なる。にもかかわらず、例えばスリッパの

着脱については明確な区別を付けているの

である。

9便所にはまた別の専用のスリッパがあって�

もちろんこれを「汚れ」の問題に帰するこ

ともできる。しかし、不特定多数が使用す

る共用便所のような惨状は、家庭内便所に

おいて無縁だろう。これは専ら便所を不浄

の場所とする感覚的なものによるところが

大きいはずである。清潔感は「感」、すな

わち心理的なものなのである。

15聖なる空間 

これもまた比較文化論ではよ

く言及される。西欧において教会はほぼ町

の中心に位置し、その町を代表する建築物

としてランドマークとなったりする。また

その建物は総じて堅固であり、ゴシック建

築が端的に示すように上(垂直方向)に向

かう。それに対して日本の神社は、中心よ

りもはずれに位置し、多くは平屋建てであ

り、参道が示すように奥(水平方向)に置

かれる。そうした観点とは別に、壁と鳥居

という境界へ着目している点もまたこの文

章の独自性を示していると言えよう。なお

細かなことだが、鳥居は門であって、その

内側の聖性を示すのはそこにかけられた縄

(しめ縄)である。

一三八ページ

11共通の理解を前提とする。 

ここでの「共

通の理解」は、話し合いなどを通じて得る

ものではない。まさに「前提」なのである。

それだけに、「分かるものにしか分からな

い」という性質を帯びる。そのようにして

分かり合えるもの同士が「仲間」「身内」

を形成するので、逆に「分からないものに

は決して分からない」ことになり、「よそ

者」は「よそ者」のままに置かれる場合が

多い。

一三九ページ

キー・ポイント 

うち 「広辞苑」はまず

この意味を三つに大別している。①「何か

を中核・規準とする、一定の限界のなか」

であり「中」とも表記されるもの。②「自

分の属する側(のもの)」。③「物事のあら

わでない面」。ここでの「うち」は②を主

体としたものと考えてよい。問題は自分が

家の内と外、部屋の内と外の区別をする、

日本人にとっては当たり前の感覚のこと。

「感覚」の問題であることを押さえておく。

この「感覚」が、後に「心理的なもの」、

「意識」、「価値観」、「共通の理解」と言い

換えられていくのである。

「西欧の教会建築」(一三七・16)と「日

本の神社」(一三八・1)との顕著な違い

は何か。

聖なる空間であることを示す方法の違い。

教会は物理的な壁によって区別されている

が、神社は、物理的な障壁とはなり得ない

鳥居が心理的な壁として機能することで区

別されている。

●一三八ページ

「鳥居」(2行目)や「関守石」(5行目)

を通じて、何を明らかにしようとしている

か。

日本人にとって、内と外との区別が、「意

識の問題」(一三八・3)としてあること。

「身内」「仲間」(14行目)と「よそ者」

(15行目)とを隔てるものは、何か。

「共通の理解」(一三八・11)の有無。

●一三九ページ

「『身内』は、ある関係性の中で成立する」

(3行目)とは、どのようなことか。

他との関係の中で、「身内」の範囲が決ま

答答補補問問答答問問答答問問答答問問答答

評論⑷● 140

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「属する」(あるいは、属さない)が何によ

って判断されるかにある。その判断の基準、

つまり境界は、多く意識により、しかも時

と場合によって、そして他との関係におい

て変化する。例えば同僚と自分の上司の悪

口を言っている会社員が、しかし他の会社

の人間から同じことを言われると猛然と反

発するのは、「うち」の境界が変化するか

らである。「うち」を「うち」たらしめて

いるのは専ら心理的なもの─意識なので

あり、その意識が他との関係性とともに変

化するのである。

キー・ポイント 

関係性 

他との関わりの

中で成り立つこと、またその性質を言う。

他との関係において決定するという点で、

「相対性」と類似し、また判断主体に多く

をよっているという点で「主観性」とも共

通するものをもつ。それゆえ、「絶対性」

「客観性」と対をなす。壁という物理的遮

蔽物によって内と外が隔てられている西欧

建築は、そうあるしかなく(「絶対性」)、

誰が見てもそうとしか見えない(「客観

性」)のに対し、屋外から見れば内であり、

屋内から見れば外である「軒下」は、まさ

にそれゆえに見るものによって異なる「主

観性」「相対性」、つまりは「関係性」をよ

く示す。見る場所、捉える立場によって変

化するのであり、そこから、同じようなと

ころから見、同じように捉えることができ

るという意識が「うち」意識であると改め

て確認できるだろう。

7「朝のうちに仕事をする」 

この「うち」

は「中」であり、「関係性」とは直接結び

付かないように見える。が、「朝、仕事を

する」という場合と比べてみれば分かるよ

うに、「朝のうちに」は、「朝」とのみある

場合が特定の時間を指すのに対して、ある

範囲を限定して示す表現であり、範囲の限

定は、境界の設定を暗黙の内に前提する

(時間を示す「若いうち」「今のうち」など

も同様)。そして日本人の場合その境界の

設定は他との「共通の理解」においてなさ

れるから、その意味でこれも「関係性」と

かかわりを持つのである。

8日本人にとっては……組み入れられている。�

「関係性という共通した編み目の中に組み

入れられている。」とのレトリカルな表現

がやや分かりづらいが、要するに他との関

係で意味を変えて考えられているというこ

と。「人間関係」や「空間」は具体例に基

ること。

誰と、どのような形で「共通の理解」を持

ちうるかに応じて、その都度「身内」の内

実が変わるのである。その点を考えれば、

ここにいう「ある関係性」は「共通の理

解」とも言いかえうる。

A「朝、仕事をする。」、B「朝のうちに仕

事をする。」(7行目)の二つの表現の違い

を説明しなさい。

Aがいわば点としての時間を示すのに対し、

Bは範囲を示している。

Bの「~のうちに」は終わりを意識する。

だから「仕事を済ませておく」はAではな

くBと結び付きやすい。それだけ「境界」

が意識されているのであり、その境界は、

「共通の理解」のもとに成り立つのである。

「人間や時間との関係で意味を変える」

(10行目)とは、どのようなことか。

一つの部屋が、居間なら居間として意味

(機能)を限定されるのではなく、時と場

合に応じて、さまざまな意味(機能)を持

つこと。

「そのような関係性の広がり」(12行目)

とは、何か。

他との関係によって、また、時と場合に応

じてその意味が決まっていくものの総称。

「決して偶然ではない。」(15行目)のは、

補補問問答答補補問問答答問問答答問問

141 ●「間」の感覚

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づく説明があるので、ここでは「時間」を

取りあげる。例えば「朝」は翻訳語の「午

前」に比べて極めて曖昧である(その一方

で、一日の始まりとしての朝は「あさ」だ

が、夜の終わりを告げるものとしての朝は

「あした」と区別を付けたりもする)。ある

いは、「しばらく」は時と場合によって長

くも短くもなる。固定的な何かがあるので

はなく、まさに他のとの関係において意味

が変化するのである。

キー・ポイント 

間 

他との関係によっ

て、また、時と場合に応じてその意味が決

まっていくものの総称。「間(ま・あい

だ)」は本来、「物と物」があって生まれる

ものであり、それらの位置「関係」によっ

て決定する。かつ、そこには何もない。何

もないが、確かに存在する。その存在の意

味もまた、「物と物」との関係によって生

みだされる。

14「空間」も「人間」も……含んでいる 

「間」は、本来「何もないことやもの」で

あり、それに関係性の中で意味が与えられ

た存在のことである。「空間」はそのこと

を端的に示すもの。「空(くう)」だけなら

ば何もないことを意味するだけだが、「間」

が付くことで、利用し、意味を与えるべき

広がりとなる。その延長で考えれば「人

間」は他とかかわり合いを持って生きるべ

き「人」の有り様を、また「世間」は人々

がかかわり合いを持ちながら生きる「世」

をそれぞれ示していると言えるだろう。そ

れだけ、日本人は他とのかかわり合い(関

係性)を重んじてきたのである。

16「間合い」を正しく見定める 

日本社会で

は、他との距離を計測し、刻々と変わる状

況の中でよいころ合いを見定めることが必

要なのである。それだけ、常に他との関係

を意識して行動せざるを得ないことになる。

一四〇ページ

3「間」の感覚 

包摂的な概念なので、定義

しにくいが、ひとまず「他との関係によっ

て、また時と場合に応じて変化する様々な

ものを共通して分かり合えるという感覚」

としておく。

4その本質と構造を……大きな鍵となる 

「解説」参照。

なぜか。

日本人はもともと関係性を重んじ、それを

行動原理ともしてきたので、その関係性を

示す「間」を自分たちの生活する場所

(「空間」「世間」)や相手(「人間」)に用い

るのは当然だから。

答答

評論⑷● 142

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解説

 「間(ま・あいだ)」とは翻訳しにくい概念であろう。もちろん、

今「間(ま)」に限るなら、①tim

e

(時、時間)、②interval

(あ

いだ、すき間)、③room

・chamber

(部屋)などに分けて翻訳

することはできる。「間が悪い」「間に合う」の「間」も、それに

見合った単語を見出すことはできるだろう。しかし、それでは、

これだけ多様な、「人間社会も空間も時間も」(一三九・8)含み

こんだ意味を一つの単語が示しているということが見えなくなっ

てしまう。最も翻訳しにくいのはまさにそのことである。そして、

本教材は、その最も翻訳しにくいことを、西欧を鏡として用いる

ことで、映し出そうとした試みであるといえる。

 「間」とは何か。そこには何もなく、空っぽである(西洋の言

語において、「間」は何かによって充填されているものを専ら指

すようである)。その何もないこと

0

0

やもの

0

0

が、積極的な意味を持

つ。もともと「ない」のだから、そこに与える意味は恣意的たる

を免れない。その恣意的な意味は、しかし、共有されることによ

って恣意的ではなく「共通の理解」(一三八・12)となる。基盤

に共通の感性があるなら、それによって与えられた意味を理解し

ていくことで、その感性はさらに磨かれる。とともに、それを共

有できない者にとっては、全くもって理解不能なものとなる。し

かもその「間」は、時間から空間から人間関係から、およそ人間

の活動する領域のほとんどをカバーするので、日本人には理解で

きるが、外国人にはなかなか理解されないものの象徴ともなる。

かくして、「『間』の感覚」は、外国人には理解し難い日本的感性

そのものを意味する、包括的な概念となる。

 

しかし、そのように捉えてしまうと、「『間』の感覚」自体が漠

然としたものになりかねない。そこで注目したいのが、その実質

的な意味をなす「関係性」である。もともと「間(あいだ)」は

複数の物があって初めて存在し、かつ、その物どうしの関係(離

れている、近くにある等)を示す。「間」を重んじることは、そ

れゆえ「関係性」を重んじることでもある。「人間関係」におい

てこのことをよく示す一つに、日本語の「人称」があげられるだ

ろう。外国語と比べた場合、日本語の人称表現、特に一人称と二

人称はきわめて多い。その多さを説明するのが「関係性」である。

家で親は「私」とは言わず「父さん」「母さん」という場合が多

いだろう。学校で自らを「先生」と呼ぶ教師も少なくないはずだ。

これらが端的に示すように、一人称は、相手から見た自分を表現

する。それゆえ、相手との関係に応じて一人称を使い分ける必要

が生まれ、その分、種類が増えるのである。当然、二人称もそれ

に見合った分だけなければならない。それは、「私」も「あなた」

も、それぞれ単独に(あるいは絶対的なものとして)存在するの

ではなく、まさにお互いの「関係性」において存在しているとい

うことを意味する。これを敷衍して考えるなら、ある物が存在す

るのは、他との関係においてなのだという認識の仕方が日本人の

根底にあるといえるはずである。「『間』の感覚」とは、そうした

認識とともに育まれ、磨かれてきたものなのではあるまいか。

 

よってこれは、本文で触れられている事例の他に、例えば「都

市」の在り方などにも当てはまるだろうし、何よりも、日本人の

「自我」の在り方と深くかかわるものであるに違いない。

143 ●「間」の感覚

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このように、「『間』の感覚」及び「関係性」は、まさしく「日

本の文化を理解する大きな

」(一四〇・5)たり得る。そこで

重要なのは、しかし、話をどこまで拡散できるかではない。それ

らの考察を通じて、自分たちにとって当たり前と見えることが、

決して普遍的なものではないことを認識し、そこから、自分たち

のものの感じ方や考え方を形成し、規定しているものに思いをめ

ぐらすことである。読解教材としては平易なものに属するであろ

うこの文章が、「後編」に掲げられているのは、このように、学

習者が主体的に考えるべき課題を提示しているからである。

 

なお、次の「参考」には、本来ならこの「『間』の感覚」を第

三段とする「居住空間における日本的なもの─西洋建築と比較

して」の、第一段、第二段を掲げるべきだろうが、やや長文であ

るところから、ここでは代わりに、英語を通じて「間」を捉え返

した文章と、西欧人が「間」について論じた文章とを掲げる。

参考

・「『間』の日本文化」「間」のさまざま 

剣持武彦 

朝文社 

四(初出は講談社 

昭五十三)

 

日本人の自然観/「間」の英訳

 

日本語の「間ま

」ということばは、ヨーロッパ語に訳しにくいこ

とばである。それはヨーロッパ語にそのような概念がないせいで

あり、言語の基本的構造のみならず、言語そのものの基本的観念

がちがうからだと思われる。(略)ヨーロッパ人が「時間」とい

う観念と「空間」という観念に分析してものを考えるのにたいし

て、「間」の観念は、時間をも空間をも示していて、ヨーロッパ

的に二つの観念に分かちがたいということなのである。なぜこの

ような独特の観念を日本人がもっているか。そしてなぜこのよう

な観念を構造として内包している固有の言葉を保持しているかを

考えるには、この言語を形成させた民族の歴史と風土の問題にま

でさかのぼらざるをえない。

 

このいわくいいがたい「間ま

」を、しいて英語におきかえてみる

とどうなるか。

 

現代日本の代表的な和英辞典である『研究社・和英大辞典』第

四版(昭和四十九)では、つぎの八種の意味に訳し分けている。

 

一、空隙  

space,�room

 

二、合い間 

an�interval

 

三、休止  

a�pause

 

四、部屋  

a�room

 

五、日時  

time,�while

 

六、暇   

leisure,�spare�time

 

七、運   

luck,�chance

 

八、調子  

timing

ここでは「間ま

が悪い」の「間ま

」は七にいれ、「間ま

の抜けた」の

「間」は八に例文を示している。しかし、日本人の「間」の意識、

「間」の感覚では「間にあう」の「間」も、「間が悪い」の「間」

も時間的な意味にも、空間的な意味にも使うのである。「何々要い

りませんか」「間にあってます」の「間」は空間的な意味である

し、「やっと間にあった」は時間的な意味である。そしてそのあ

いだに通じあう感覚がある。英語におきかえて、しいて分類する

評論⑷● 144

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と、さきの一、四が空間的な意味になり、二、三、五、六が時間

的な意味になるが、七、八は時間的とか空間的とかに分けられな

い、いわばそれらを一つにした概念ともいえる。「間ま

がいい」「間ま

をとる」という使い方も、時間、空間を一つにした概念である。

・「西欧の眼 

日本の眼」日本的空間の特性 

高階秀爾 

青土社

平十三

 

開放性と閉鎖性という、この日本と西洋の建築の根本的な相異

は、住居の構造や住まい方、さらには住居のなかにおける人間関

係、つまり人間の生き方にまで大きな影響を及ぼしている。もち

ろん、その影響は一方的なものばかりではなく、逆に人間の行動

様式や美意識が家屋の形式を規定するという側面もあるであろう。

住居の特性を語ることは、文化の特性を語ることに他ならないの

である。

 

壁構造を基本とする西欧建築において、問題となるのは開口部

の処理である。いくら閉鎖性が大事だといっても、人の出入りの

ための戸口はどうしても必要だし、採光や視界の確保のために窓

もなければならない。だがそれらは外気や外敵の侵入路ともなる

ので、防衛のために戸口には頑丈な扉を設けて

をかけるように

整え、窓はガラスで防いで、時にはさらにその外に鉄格子をつけ

て守る。また壁は重い天井や屋根を支える構造体でもあるので、

あまり大きな窓をあけると支持機能が弱められるおそれがある。

ロマネスクからゴシックヘの建築様式の変遷は、屋根の重みを一

部に集中することによって、壁体の堅牢性を損なわずに窓を大き

くしようという技術的探求の軌跡でもある。ロマネスク様式の建

物が一般に薄暗く、ゴシック建築によって内部が明るくなるのは

そのためである。

 

同時にまた、戸口や窓は表現上の重要なポイントとなる。柱列

はそれだけで一種のリズムを生み出すが、壁面はほうっておけば

ただののっぺらぼうな平面である。戸口や窓は、その平面にアク

セントをつける表現要素となる。その大きさや配置に加えて、戸

口の周囲に装飾柱を配したり浮彫装飾を施したり、あるいは窓枠

に透し彫りの飾りをつけ、窓の上部に破風モティーフの装飾を載

せたりするのは、いずれも表現上の効果を高めようとする試みで

ある。内部の壁面に壁画を描き、また保温を兼ねてタペストリー

をかけたりするのも、同様の意図に基いている。

 

それに対して、もともと開放的な日本の建築は、本来、窓とい

うものをもたない。出入口は一応設けられているが、普通の日本

式家屋では、家族の者や近所の親しい人びとが、玄関を通らずに

庭にまわって縁側から出入りすることなど、日常茶飯事であった。

また、窓がなく、壁も最小限におさえられているから、ステンド

グラスやタペストリーのような芸術ジャンルは、発達することが

なかった。室内装飾は、屏風や襖などの可動な建具にゆだねられ

る。西欧社会では、豪壮な宮殿に代わって市民住宅が重要な位置

を占めるようになると、壁画の代わりに壁に絵をかける方式が主

流となるが、日本では明治期になるまで、床の間というそのため

の特別の場所を除いて、壁に絵を飾りたてるという習慣がなかっ

た。住居はもっぱら簡素をむねとしていたのである。

 

装飾だけでなく、室内の家具も必要最小限におさえられていた。

壁が主体の西洋住居では、各部屋も固定化されるから、用途に応

145 ●「間」の感覚

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じて最初から間取りが決められる。大勢の人が集まる場所は広く、

個室は狭く、そしてそれぞれの部屋に、例えばテーブルと椅子と

か、ベッドなど、その役割に従って家具が設置される。つまり、

食堂とか寝室という機能が明確に設定されているのである。だが

日本の住居では、客が来れば居間が客間となり、食事の時は食堂

となり、夜には寝室と早変わりする。大勢の集まりの時は、襖を

取り払って大広間を作り出すこともできる。つまり融通自在であ

る。

 

かつて私は、留学生時代にフランスのある雑誌の日本建築特集

号の手伝いをしたことがあった。日本から送られてきた写真や図

面の翻訳が主な仕事である。困ったのは、伝統的な住宅建築の平

面図の説明である。玄関とか台所は問題ない。問題は六畳間とか

八畳間という座敷である。フランス人の編集長は、そこに書き込

まれた日本語を指さして、これは何だときく。文字通りフランス

語にして、「畳が六枚しいてある部屋」と言うと、そんなことは

図面を見ればわかる、用途は何かと重ねて質問してくる。仕方が

ないから、居間兼客室兼食堂兼寝室だと言うと、つまりは多目的

部屋だなと納得した。隣の八畳間も同じことである。結局、座敷

はみな「多目的部屋」ということになってしまった。

 

実際、日本の部屋の使い方は、時に応じて自在に変わる。多目

的であるためには、余計な家具はないほうがよい。現在でこそテ

レビのような耐久消費財やあるいはテーブルのような家具が日本

間にも置かれることがあるが、もともと日本の住居は、座敷には

何も置かないというのが建前であった。箪笥のように大きな家具

は納戸におさめ、化粧道具のような調度品は必要な時に持ち出し

てきて使用する。食事も本来は個別のお膳で、終われば片づけて

しまうし、蒲団は押入のなかにいれておく。だからこそ、いつで

も容易に大広間を作りだすことができるのである。

 

もうひとつ、日本の住居の重要な特色は、座敷は本来、庭とセ

ットになっていたということである。部屋のなかに余計な装飾が

ない代わりに、戸障子を開け放って庭の眺めを楽しむというのが、

日本人の伝統的な住まい方であった。土地が充分になければ、ほ

んの小さないわゆる坪庭でもよいが、ともかく座敷には必ず庭が

付属していなければならなかった。今日でも、日本風の料亭では、

たとえ高層ビルのなかであっても、部屋ごとに小さな庭をつけよ

うとしている。開放的な住居は、自然との親密な接触を大切にす

る日本人の感性からもきているのである。

 

壁によって自然を遮断しようとする西欧の住居では、田舎の別

荘でもなければ部屋がすぐ庭に続くということはない。少なくと

も都会においては、庭つきの部屋というのは稀である。庭を必要

としないから、部屋数を増やそうという時には、壁をそのまま立

ち上げて上のほうに部屋を積み重ねていく。つまり建物は、垂直

方向にのびていく傾向を持つ。それに対して庭とひとつになって

いる日本の家庭は、基本的に平屋であって、部屋を増築する時は、

水平方向に奥へ向かっていく。庭との結びつきを効果的にするた

めに、書院造の部屋を少しずつずらして雁行させた桂離宮の遣り

方がその代表的な例である。町家においても、平屋造が本来で、

二階建ての場合は二階部分は天井が低く、部屋としては格が低い。

大切なお客は奥の座敷に通すのであって、二階に上げるのではな

い。西欧建築では、逆に上層階のほうが格が高いから、最も重要

評論⑷● 146

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な接待の場は、二階に置かれる。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」

はそのよい例である。そのことは、外観を見ても明らかで、一階

部分は粗石を積み上げて窓が並んでいるだけの装飾のない造りだ

が「鏡の間」のある二階部分は、切石を積んだ壁に付け柱があり、

窓枠に彫刻がつき、ベランダが張り出て手摺りの飾りがつくとい

う具合に、華やかに飾り立てている。内部でも、二階に導く階段

が重要な役割を担っており、よく目立つ堂々たる階段が表面上の

大きなポイントを形成する。日本建築では、二階屋の場合、階段

はなるべく目立たないように裏のほうにつけるのが普通なのであ

る。

 

さらにいえば、フランスでは、「鏡の間」のあるような上層階

が「一階」である。フランスのみならず、イギリスでもイタリア

でも、ヨーロッパでは日本の二階にあたるところが一階で、した

がって二階、三階というのも日本とはひとつずつずれていて、し

ばしば日本人の旅行者をまごつかせるが、このような呼び方自体、

建物の本体は(日本式の)二階から上にあるという考え方を物語

っているであろう。日本の一階にあたる部分は「地上階」(英語

ではグランド・フロア)と呼ばれていて、意識の上では、まだ外

の地面の続きなのである。

参考文献

教師用

「風土─人間学的考察─」和辻哲郎�

岩波書店 

昭五十四

「見えがくれする都市」槇文彦他(特に槇文彦「奥の思想」)

鹿島出版会 

昭五十五

「日本語根ほり葉ほり」森本哲郎�

新潮社 

平三

注意する語句

(*で用例を示した)

遮断…交通や電流などの流れを遮り止めること。

 

*合宿中、宿舎にはテレビも電話もなく情報を遮断されていた。

明瞭…はっきりしていること。

 

*目的が明瞭でなければ、計画を立てることはできない。

遮蔽…覆い隠すこと。また遮り覆うこと。

 

*窓に日光を遮蔽するフィルムを貼る。

媒介…二つのものの間にあって、仲立ちをすること。

 

*マラリアは蚊が媒介して伝染する。

当惑…どうしたらよいか分からず迷うこと。途方に暮れること。

 

*突然降ってわいた話に当惑する。

荘厳…厳かで重々しいさま。

 

*教会で聞いた荘厳なパイプオルガンの音は忘れがたい。

間が悪い…きまりが悪い。運が悪い。

 

*噂話をしていたら、当人が側にいて間が悪い思いをした。

規定…あることを規則として決めること。

 

*その国の気候が文化を規定する場合もある。

147 ●「間」の感覚

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研究の解答例

「自然感情の違いを明白に示す」(一三二・11)とあるが、

「西欧」と「日本」の「自然感情」はどのように違って

いるか、考えてみよう。

11【答】自然は、手を加えて自分たちにとって望ましい形に変える

べきだとする西欧に対して、日本では、自然になるべく手を加え

ず、自然のままにしておこうとするという違いがある。

▼ポイント▲ 

花を愛でる場合において、手を加えて(切り花に

して)室内(人工空間)に取り入れるにふさわしい形にする西欧

に対して、日本では自ら自然の中に出かけて鑑賞しようとする。

また西欧(オランダ)の静物画で描かれる花はほぼ例外なく花瓶

に挿したものであるのに対して、日本の琳派の草花図では、自然

の中にある状態の花が描かれる。これらの「際立った対照」から

「自然感情の違い」を抽出すればよい。要するに、西欧では自然

を人間に従わせるべきものとし、日本では逆に人間のほうがそれ

に従うべきものとして自然を捉えているのである。

西欧の建築と日本の建築について、その構造上の違いを

整理してみよう。

22【答】内部と外部との区別のつけ方に最も大きな違いがある。壁

という強固な物理的遮蔽物によって明確に区別する西欧建築に対

して、日本の建築は内部とも外部ともつかない中間領域を有し、

それを媒介として内部は自然に外部へとつながっており、境界が

曖昧である。

▼ポイント▲ 

日本の建築は自然に向かって開かれた構造を持っ

ているのであり、自然との間に明確な境界を設けようとする西欧

建築とは大きく異なっている。そしてこのことは、何らかの手を

加えることなしには外にある自然を内に取り入れようとしない西

欧と、あるがままの自然と、直に、あるいは間接的に触れあおう

とする日本という違いがあるとした第一段の指摘と結びつく。

「空間構造はつながっているように見えながら、行動様

式では内と外は明確に区別されている」(一三七・3~

4)とあるが、その「区別」について具体的にまとめて

みよう。

33【答】家の内と外とは、靴の着脱によって区別する。家の中で靴

を履くことはまずない。多くの場合、スリッパなどの室内履きに

履き替える。次に室内において、そのスリッパを履いたまま、畳

の部屋にはいることはまずないし、また便所には専用のスリッパ

が置かれ、そのスリッパを他の場所で履くことは認められないと

いった具合に、部屋の内と外との区別も付けられている。また、

聖なる空間に関しては、壁によってはっきりと区別する西欧と異

なり、境界としては何の役にも立たない鳥居があるだけだが、そ

れをくぐることによって意識の上で区別を付けている。また関守

石のように、物理的な障害とはならない関守石が空間の区別をつ

評論⑷● 148

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ける働きをしていることが示すように、内外の区別は専ら意識の

中で付けている。

▼ポイント▲ 

本文で触れられたことの他に、言動における表向

きと内向きとの違い、外面と内面、本音と建て前の使い分けなど

に目を向けてもよい。

「日本人にとっては人間社会も空間も時間も関係性とい

う共通した編み目の中に組み入れられている。」(一三

九・8~9)とは、どのようなことか、分かりやすく説

明してみよう。

44【答】日本人にとって、人間社会も空間も時間も、それ自体自立

したもの、絶対的なものとしてあるのではなく、常に他との関係

の中で様々に意味を変えるものとしてあること。

▼ポイント▲ 「関係性」が「人間社会も空間も時間も」つまり

生活領域のほとんどを覆っているとの判断から、日本人がそれに

絡め取られていることを暗示すべく「編み目の中に組み入れられ

ている。」という表現が用いられているのだろう。関係を重んじ、

その中で共有されるもの(「共通の理解」)を踏まえるというのが

日本人の行動原理なのである。

「『間』の感覚」(一四〇・3)とは、日本人にとってど

のような意味を持ち、どのように機能していると考えら

れるか、筆者の意見を踏まえ、自分の考えをまとめてみ

よう。また、「『間』の感覚」が働いていると思われる具

体例をあげてみよう。

55【答】「間」とは「関係性の広がり」である。すなわち、他との関

係によって意味が決まるものの総称である。その機能は次の三点

に則してまとめることができる。

①人間社会 「人」に「間」を付け加えた「人間」という語まで

も用いているように、他との関係を重んじる。「人間」とは他

とかかわり合いながら生きる人の総称であり、その「人間」が

暮らす社会が「世間」(関係のネットワークとも言える)であ

る。そこで生きていくためには、「間合い」を見定め、その関

係をよく把握しなければならない。また、「共通の理解」を持

つことができれば「仲間」となるし、それが持てなければ「よ

そ者」となる。その境界は時と場合によって変化する(それだ

け「『間』の感覚」が必要になる)ので、外国人にとっての分

かりにくさの主因ともなる。

②空間 「客間」「広間」のように「間」は部屋(空間の限定され

た広がり)を指す。その部屋(「間」)は固定した役割を与えら

れず、人間や時間との関係によってその意味を変える場合があ

る。家の中の「共通の理解」があり、部屋の内と外との区別も

それによってつけられる。家の内と外の区別も同様で、その境

149 ●「間」の感覚

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界は「『間』の感覚」によって決せられる。

③時間 「昼間」「晴れ間」のように、ある広がりを持った時間を

指す。また他との関係の中で計測されるべきころ合いとしての

「間」もある。そのころ合いをよく測るためにも「『間』の感

覚」が必要である。

▼ポイント▲ 

右に示したのは「答」というより参考例である。

この問いの答えをそれぞれに考えさせることで、普段の生活を見

つめ直させたい。

言葉の学習の解答例

「住みながら」(一三六・9~10)の「ながら」は接続助

詞である。その意味・用法を調べ、「ながら」を使って

短文を作ってみよう。

11【答】「ながら」(接続助詞)は、「広辞苑」によれば「連体修飾を

表す上代の助詞『な』に、ものの性質・資質を表す体言『から』

の付いた語。体言・形容詞語幹・副詞・活用語連用形に接続す

る。」とあり、また意味としては「①そのままで後に続くことを

示す。そのまま…として。…(の)ままで。②それ全部があるま

ま後に続くことを示す。そっくりそのまま。…ぐるみ。③二つの

ことが同時に進行する文脈に用いる。動作の並行を表す。…つつ。

④(転じて逆接的に用いる)前の事態から予想されなかったこと

が後に続く関係を示す。…ていても。…ではあるが。…けれど

も。」とある。本文の「住みながら」はもちろん④の意味である

から、短文もその意味のものを作る。例「悪いと分かっていなが

ら、ついついやってしまう。」「この機械は、見た目は地味ながら、

使ってみると実にすばらしい能力を持っていることが分かる。」

等。

「間」を用いた慣用句をあげ、その意味を調べてみよう。

22【答】

 「間がいい」(都合がいい。折がいい。)

 「間が抜ける」(拍子が抜ける。することに抜かりがある。)

 「間が持てない」(どうしてよいか分からなくなる。)

 「間に合う」(役に立つ。足りる。時間までに着く。)

 「間を置く」(間隔をあける。時間を隔てる。)

 「間を持たせる」(時間をつなぐ。)

など、多数にわたる。「語句の研究」のキーワードとして「間」

を取りあげた際に紹介したように、「間」はそれ自体多くの意味

を持ち、それだけに慣用表現も多い。「間」がこれほど多様な意

味を持つことの意味を説き明かそうとしたのが本教材であるとい

う言い方もできるだろう。

(中村 

良衛)

評論⑷● 150