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PN:いぬくるい
時は昔、江戸時代。人々はある妖怪の存在を信じていたのそうだ。
夜道を歩く。月明かりもない、暗い暗い道。闇は人の原初の恐怖を呼び起こす。
生暖かい風が吹いて、 ふっ と提灯の火が消える。何も見えない。何も見えないのに、何か得体の知らないものに見ら
れている気がする。思わず「ぐびり」と唾を飲む。その小さな音さえも「恐ろしいもの」に自分の存在を知らせたのではないか
と、恐怖はいや増すばかり。「恐ろしいもの」を探して視線を彷徨わせる。いない、いない。堀の上を見る……いた。
らんらんと光る二つの目がこちらをじっと見ている。
「 う わ ん 」
雷のような大音声が響く。妖怪「うわん」だ。
その妖怪は現在、犬と呼ばれている。
PN:キイロ
それは、各家庭にある物で現在を確認できる上にオブジェクト化されている。それには、月ごとに一枚一枚の写真が載って
いるおしゃれなポスター付の物があるから。
計画を立てる時に使用し、休日や年中行事を知る為にも使われ、日常生活の必需品となっているだろう。
でも、用事が全くない人には必要のない物になってしまう。
国によって暦法が異なるが、日本ではグレゴリオ暦を採用している。
このグレゴリオ暦、一般では西暦と呼ばれていることが多い。
今年が終わる頃に古い物と交換するのが普通なのだ。
そんなの持っていないよと言う人は、パソコンやスマートフォンなどの電子機器の中に初期から入っているのを使っているのか
友達もいない孤独なのかのどちらかだと思う。
後者の場合、何とも言えない。
月が終わるたびに捲ってその最後を無意識に待つ。捲る瞬間は楽しくて一刻も早く捲りたいと思っていた時期があった。で
も、現在では電子機器に入っているのを使っているので捲ることができない。
そして気がつくと最後の一枚になっていることがある。その時には今年ももうすぐと独り言を言ってしまう。今年にあった嫌な
思い出や楽しかった思い出の数々が頭の中で走馬燈のように思い返す。もし何もなければ自然と涙がこぼれ落ちそうにな
ることだろう。私はそうだった。
日付、曜日などを表形式で表示している。七曜表とも言って、毎月の最初の日を意味するラテン語に由来している。
それはカレンダーと呼ばれている。
PN:モノノフ倫太郎
日本の主食に甘酸っぱく赤いタレをかけて、そこに緑の豆などを入れて混ぜ込みこれを炒める。
これを白き板に楕円型に載せる。これに黄色い布をまきその上に赤いタレをかける事で作られる、日本由来の洋食。
それはオムライスと呼ばれている。
PN:九良川文蔵(くらがわ・ぶんぞう)
人間は脳で考え、感じ、自我を作り上げている。また、その脳が腕だの脚だのにくっ付いている人間は居ない。
だからどんな気持ちも『頭の中』から発せられるものであり、体内にある他の機関では代わりにならない。
しかし困ったことに人間は、『胸中で呟く』『腹の中では何を考えているか分からない』などという言い回しを作り、それを別
の場所にあると考えようとする。
どうしてそこまでして『それは頭の中にしかない』と認めようとしないのだろう。心臓でモノを考えていると信じられていた遥か
昔ならいざ知らず、人間の中身のあまねく謎を解き明かさんとする現代に、なぜまだ胸だの腹だので考えるという言葉が残
っているのか。
ただ、それらの間違った言葉たちはあながち馬鹿馬鹿しいとも言えない。
例えば仲良し三人組のはずが、気付くと自分だけひとり余ってしまって疎外感を感じるとき。
霧の中のような不安と鉛が溜まったような感覚は、確かに胸の中で渦巻いているように思えてくる。
恐い先生を前にして畏縮してしまうときも、腹の中をきゅっと掴まれたような感じがするものだ。
だからこそ間違いは正されない。あるいは間違いだと言い切れない。
そんな、曖昧で不確かで、確かに人間の内側に巣食っているもの。
それは心と呼ばれている。
PN:酒井
それは地球内部で生成される透明な物質である。
非常に高温高圧な環境下でのみ産出され、取れる場所は限られている。
形はまばらであるが、宝飾品として加工される際は大抵角張った形になる。
加工後の形は菱形やトランプの柄の一つとしてあらわされる。
希少価値が高く、とあるオークションでは 80億円という値がつくほど人気がある。
しかし、それを構成する物質は、シャープペンシルや鉛筆の芯と同じである。
近年、人工的に生成する方法が確立されたが、これは何故か価値がなく、主に工業用に用いられる。
また人骨を用いて人工的なそれを作ることも可能であり、新たな納骨の方法として注目を集めている。
名前の由来はギリシャ語の征服し得ない、屈しないという意味で、非常に硬く電気を通さない性質を持つ。
漫画やゲームのキャラクターのモチーフにもなっており、それらは主人公の能力だったり、タイトルを飾るモンスターだったりす
る。
和名もあるが、こちらは旧日本海軍の超弩級巡洋戦艦の印象が強いように感じられる。しかし金は含んでいない。
それはダイヤモンド(金剛石)と呼ばれている。
PN:神社磐哉(かんじゃ いしや)
それは、二〇一八年現在日本国政府が発行している貨幣の中で最大の硬貨である。
材質はニッケル黄銅。表面には桐の花が大きく彫られており、その上下に三文字づつ
「日本国」「五百円」と書かれている。裏面は「500」の文字が一際目立ち、その下には元号と年が書かれている。そし
て上下に竹、左右に橘が描かれている。表裏ともに外周を凸点が縁取っている。側面にはギザギザが入っている。これは
世界でも珍しい斜めギザである。
世界有数の高額面硬貨として知られ、量目七、二瓦直径二六、五粍という重厚感も相まって、財布の中にあると嬉
しい硬貨(個人的な感想)でもある。そんな訳で多くの人々がこの硬貨を利用した貯金法を実践しており、経済学の
場では「他の硬貨と動き方が違う」と冗談交じりに語られる。
その価値の高さが大韓民国五百ウォンによる自動販売機を使った通貨変造事件を引き起こしたという過去もある。そ
の影響で平成一二年に材質変更を含む改鋳が行われた。改鋳以後偽造硬貨の使用はみられなくなったが、平成一五
年から新硬貨の偽造が報告され始めた。終には東京都や福岡県、熊本県で二万枚に上る偽造硬貨が報告されAT
M での硬貨の使用が禁止されるなどされた。
それは「五〇〇円硬貨」あるいは通称「五百円玉」である。
PN:染月夕奈(そめつきゆうな)
木材チップや古紙を元に造られる薄い紙。一般的に柔らかく、2枚重ねられている事が多い。日本人ならば毎日使用す
るであろう生活必需品。しかし海外ではそうでもなく、消費量は日本がトップである。その為か日本の物は高品質かつ低
価格。無料で配られている事も多い。
両手からはみ出るような大きめの箱タイプと、手のひらサイズの携帯用が有り、スーパーやコンビニ等で売られている。人
によっては箱タイプを持ち歩く事もあるが、その場合は大概にして消費が早い。高級と銘打たれたブランド品であろうと、日
本の物は使い捨てだ。
汚れを拭く。鼻をかむ。といった用途で使われる為か、見た目は清潔感があり、基本的に純白である。物によってはキャ
ラクターの印刷や香り付けが成されている場合もあるが、大概にして品質は落ちてしまう。ただ、子供には人気だ。老若男
女問わず、多くの日本人の生活に寄り添う白くて薄い紙。
それはティッシュと呼ばれている。
PN:多槻柳乃さん(たつきりゅうの)
それは、哺乳類の一種である。
広義では、砂漠や草原などで君臨している大型の捕食動物も含まれるが、一般的には、家畜化された小型のものを
指す。
古代エジプトでは女神バステトの化身であるとされ、中世ヨーロッパでは黒い毛のものは魔女の使い魔とされていた。
それが語り手を務める夏目漱石の小説は有名で、数々のパロディが生み出されている。
視力は人間の十分の一程度だが、空間や平衡感覚を把握する長いひげ、肉球の上に収納されている鋭い爪、人の
八倍もの聴覚、頭の周り以外の体のほぼ全ての部位を自分で舐めて毛づくろいができる柔軟性、そして体高の五倍程
度の所まで飛び上がることができる跳躍力と瞬発力を持っている。
鼠などから穀物を守る番人として倉庫や船で飼育されているが、現在ではもっぱら愛玩動物として人気で、室内に放し
飼いにし、ふれあう時間を提供する喫茶店までもが営業されている。
しかしその一方、昨年度は動物愛護センターで約 45000匹が殺処分されていたり、去勢手術を受けさせなかったため
の多頭飼育崩壊が問題となっている。
それは「猫」と呼ばれている。
PN:柊 織之助さん(ひいらぎ おりのすけ)
それは、人間の知・情・意の働きの総称であり、文章や言葉などの持っている本当の意味でもある。
夏目漱石の著書の題名であったりもする。
姿形を具現化しようと試みる人はいるが、本物は誰も見たことがない。だが確かに感じる事のできるものである。
時には凶器になり、時には冷たくなり、時には温かくなる。人を傷つける方法の一つとしてそれを冒涜することがある。逆
に人を癒す方法としてそれに寄り添うことがある。
それを大勢の人が傷つけられた場合、戦争に発展することもあり、危険である。
人間一人一人が、基本一つ持っており、稀に一人で二つ以上持っている。人間の生きる原動力になっていることが多く、
それの扱いは人によって千差万別である。
可視化しようとすれば、おおよそピンク色で描かれ、誰から見ても判断しやすい形状をしている。
一度深く傷がつけば、専門医に診てもらうことになり。治療には数年~生涯かかることもある。つまりは治りにくいのだ。何
故ならば人の根幹ともいえるものであり、それを無くした途端、人は人でなくなるといわれている。
AIなどはそれをまだ搭載できておらず、研究中であるが密かには搭載できているのではないかとも言われている。
それはどこにあるのかと人に聞けば、殆どが胸に手を当てる。
それは、「心」と呼ばれている。
PN:和葉真弘 (かずはまひろ)
それは目に見えないものであり、そして誰もが感じることができるものである。
物質が体内に入ると、鼻腔最上部の嗅上皮と呼ばれる粘膜に溶け込み感知される。鼻にある細胞がその物質を感知
し電子信号を発生させ、その電気信号が神経から脳へと伝達され人はそれを感じとることができる。
味覚にも大きな影響をもたらすことがあり、風邪の時に味覚が鈍るのはウイルスがそれを感じ取り変換する細胞に炎症
を起こし、一時的に感じることができなくなるからだ。
普段当たり前に身の回りに存在し気にもとめてないがそれはとても大きな役割を担っている。
腐っているものを感知することができるのもそのおかげだ。ガスには元々それはないのだが、異変が起きた時に気づけるよ
うにとわざと天然ガスに人工的につけたりもしている。
生きるために感じることが出来るだけでなく、それは生活に楽しさも与えてくれる。例えばお祭りの屋台などで売られてい
る焼きそばやフランクフルトも、それがあるから購買意欲が上がり、そして将来に思い出として蘇ることもできる。記憶と深く
密接し、春夏秋冬日々様々な感情を人々にもたらしているのだ。
雨が降った時にそれを感じることができる人もいる。ペトリコールと呼ばれ、ギリシャ語で石のエッセンスと意味するそうだ。
細菌が発生させる有機化合物といえば聞こえはあまり良くないが、インドではペトリコールを感じることができる化粧品精油
が売られている程親しみのあるものである。
もしこの世からそれがなくなると、学校帰りのランドセルを背負った子供が今日はカレーだと心躍らせて玄関を開けること
も、秋の夜長に七輪を持ち出し発泡酒片手に秋刀魚を焼くことの楽しみも薄れてしまうのだ。
それは「におい」と呼ばれている。