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4 2016・03 OHM 世界を変えるか !? 大容量キャパシタガソリンと電気のエネルギー形態はまったく違うの に、なぜ電気自動車に「止まって」「短時間で」「大きな」 エネルギーを入れようとするのか、不思議で仕方がない。 ガソリンを町中に噴霧し、クルマがそれを吸い込んでタ ンクに貯めて走るなどというのは、まず無理だろう。し かし、電気は実質同じことができる。クルマにエネルギ ーを供給する手段と、クルマをどう使うかということは 関係ないはずである。しかし、電池を使うと両者は強く リンクされてしまう。 妹尾堅一郎氏によれば、世界は 100 年ごとのパラダイ ムシフトを経験してきたという(右上表参照) (1)、(2) 。18 世紀のコンセプトは「物質」である。モノを作るために産 業革命が起こり、モノを運ぶ鉄道、船舶などのネットワー クが構築された。 19世紀のコンセプトは「エネルギー」で、 石油を中心とするエネルギー革命が起こり、エネルギーを 運ぶネットワークが世界を席捲したことは記憶に新しい。 そして 21 世紀は、 20世紀に生まれたコンセプト「情報」 を具現化する時代であって、今までとは異なる新しいビ ジネスモデルが必要だという。Google、 Amazon、Apple など、いわゆる勝ち組のやり方を見れば、ユーザーは単 なるインターフェースである安価な端末を持つだけであ って、肝腎の知能はネットで接続された Cloud にある。 我々は昔よく「親父、クルマ買ってくれ」と言ったもの だが、「親父、山手線買ってくれ」とは言わなかった。ク ルマは所有できるが、山手線は個人が所有するものでは ない。しかし、親父に買ってもらうクルマとは、いった い何だったのだろう。エンジン?外装?内装?タイヤ? 今はインバータか?しかし、「俺のクルマのインバータ は凄いんだよ」などと自慢するだろうか? iTunes で買うのは音楽そのものであって CD は必然 ではないのと同じように、クルマで買うのは快適な移動 というサービスだとすれば、また、クルマそのものを所 有する喜びが現代の若者から消え去りつつあるとすれ ば、少なくとも大きなエネルギーを持ち運ぶエンジン車、 電池電気自動車、燃料電池車はすでに時代錯誤の商品で ある。クルマがナビによってインフラに接続され、IoT によってますますネットにつながる時代に、エネルギー を自前で持ち運ぶクルマを所有する必然性はない。おそ らく、100 年後のクルマは、「エンジン」「Liイオン電池」 「急速充電」に代わって、「モータ」「キャパシタ」「ワイ ヤレス」で走るだろう。これは、妹尾氏の言う産業構造 論の流れに沿った、歴史の必然である。 電車のように、電気自動車に電力インフラから直接エ ネルギーを供給すれば、一充電「航続距離」は意味を失う。 停車中の「ちょこちょこ充電」と走行中の「だらだら給電」 によって、クルマは大きなエネルギーを持ち運ばなくな るだろう。そこでは、クルマを電力系統につなぐ最後の 数mを担う「ワイヤレス給電」が重要な役割を果たす。光 ネットワークの大幹線はすぐそこまで来ており、最後の 数mを高速 Wi-Fi が担うこととよく似ている。ワイヤ レス給電のインフラを普及させる方が、大容量電池を積 んだ電気自動車を普及させることより社会コストははる かに小さくなり、資源問題に左右されるリスクもずっと 小さくなるはずである。さらに言えば、クルマ会社が自 社のクルマを売るために、給電インフラを整備し、メン テすることになるかもしれない。鉄道では、き電インフ ラも、そこを走る車両のどちらも同じ会社のものである のと同じように…。 クルマは自分で動き回れるという、電車にはない自由 を持たなくてはならないため、数~数十 km を走る程度 のエネルギーは自前で持つ必要があるだろう。電力を頻 繁に出し入れするには、寿命の短い「化学電池」ではなく、 数百万回の充放電に耐えられ、パワーに優れる物理電池 「キャパシタ」を必要量だけ用いるのがよい。キャパシタ は歴史の必然である。来るべき未来に備えて、自信を持 って開発に取り組もう。 本特集に協力した「キャパシタフォーラム」は、十数年 前に故・岡村廸夫氏によって設立され、小生が会長を引 き継いでいる。大容量キャパシタの普及を目指す企業を 主体とした集まりである。岡村先生の遺志を継ぎたいと 思っている。この特集がその一助となり、キャパシタの 認知度が上がれば大きな喜びである。 ◆参考文献◆ (1)妹尾堅一郎,生越由美:社会と知的財産,放送大学教育振興会, pp. 160 - 170,ISBN 4595308396,2008 (2)経済産業省,特許庁,事業戦略と知的財産マネジメント,発 明協会,pp. 10 - 24,ISBN 4827109699,2010 100 年ごとのパラダイムシフト コンセプト 世界観 革命 ネットワーク 18 世紀 物質 19 世紀 エネルギー ↘唯物史観 →産業革命 →モノを運ぶ 20 世紀 情報 ↘宇宙観 →エネルギー革命 エネルギーを運ぶ 21 世紀 ハプティクス? ↘情報世界観 →情報革命 →情報を運ぶ 妹尾氏の講演より筆者作成。「ハプティクス」は筆者の独断で加筆 「モータ」「キャパシタ」「ワイヤレス」というパラダイム キャパシタフォーラム 会長、東京大学大学院 新領域創成科学研究科 先端エネルギー工学専攻 教授  堀 洋一

「モータ」「キャパシタ」「ワイヤレス」というパ …4 2016・03 OHM 特 集「世界を変えるか!?大容量キャパシタ」 ガソリンと電気のエネルギー形態はまったく違うの

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42016・03 OHM

「世界を変えるか !? 大容量キャパシタ」特 集

 ガソリンと電気のエネルギー形態はまったく違うのに、なぜ電気自動車に「止まって」「短時間で」「大きな」エネルギーを入れようとするのか、不思議で仕方がない。ガソリンを町中に噴霧し、クルマがそれを吸い込んでタンクに貯めて走るなどというのは、まず無理だろう。しかし、電気は実質同じことができる。クルマにエネルギーを供給する手段と、クルマをどう使うかということは関係ないはずである。しかし、電池を使うと両者は強くリンクされてしまう。 妹尾堅一郎氏によれば、世界は 100 年ごとのパラダイムシフトを経験してきたという(右上表参照)(1)、(2)。18世紀のコンセプトは「物質」である。モノを作るために産業革命が起こり、モノを運ぶ鉄道、船舶などのネットワークが構築された。19世紀のコンセプトは「エネルギー」で、石油を中心とするエネルギー革命が起こり、エネルギーを運ぶネットワークが世界を席捲したことは記憶に新しい。 そして 21世紀は、20世紀に生まれたコンセプト「情報」を具現化する時代であって、今までとは異なる新しいビジネスモデルが必要だという。Google、 Amazon、Appleなど、いわゆる勝ち組のやり方を見れば、ユーザーは単なるインターフェースである安価な端末を持つだけであって、肝腎の知能はネットで接続されたCloud にある。 我々は昔よく「親父、クルマ買ってくれ」と言ったものだが、「親父、山手線買ってくれ」とは言わなかった。クルマは所有できるが、山手線は個人が所有するものではない。しかし、親父に買ってもらうクルマとは、いったい何だったのだろう。エンジン?外装?内装?タイヤ?今はインバータか?しかし、「俺のクルマのインバータは凄いんだよ」などと自慢するだろうか? iTunes で買うのは音楽そのものであって CDは必然ではないのと同じように、クルマで買うのは快適な移動というサービスだとすれば、また、クルマそのものを所有する喜びが現代の若者から消え去りつつあるとすれば、少なくとも大きなエネルギーを持ち運ぶエンジン車、電池電気自動車、燃料電池車はすでに時代錯誤の商品である。クルマがナビによってインフラに接続され、IoTによってますますネットにつながる時代に、エネルギーを自前で持ち運ぶクルマを所有する必然性はない。おそらく、100 年後のクルマは、「エンジン」「Li イオン電池」「急速充電」に代わって、「モータ」「キャパシタ」「ワイ

ヤレス」で走るだろう。これは、妹尾氏の言う産業構造論の流れに沿った、歴史の必然である。 電車のように、電気自動車に電力インフラから直接エネルギーを供給すれば、一充電「航続距離」は意味を失う。停車中の「ちょこちょこ充電」と走行中の「だらだら給電」によって、クルマは大きなエネルギーを持ち運ばなくなるだろう。そこでは、クルマを電力系統につなぐ最後の数mを担う「ワイヤレス給電」が重要な役割を果たす。光ネットワークの大幹線はすぐそこまで来ており、最後の数mを高速Wi-Fi が担うこととよく似ている。ワイヤレス給電のインフラを普及させる方が、大容量電池を積んだ電気自動車を普及させることより社会コストははるかに小さくなり、資源問題に左右されるリスクもずっと小さくなるはずである。さらに言えば、クルマ会社が自社のクルマを売るために、給電インフラを整備し、メンテすることになるかもしれない。鉄道では、き電インフラも、そこを走る車両のどちらも同じ会社のものであるのと同じように…。 クルマは自分で動き回れるという、電車にはない自由を持たなくてはならないため、数~数十 kmを走る程度のエネルギーは自前で持つ必要があるだろう。電力を頻繁に出し入れするには、寿命の短い「化学電池」ではなく、数百万回の充放電に耐えられ、パワーに優れる物理電池「キャパシタ」を必要量だけ用いるのがよい。キャパシタは歴史の必然である。来るべき未来に備えて、自信を持って開発に取り組もう。 本特集に協力した「キャパシタフォーラム」は、十数年前に故・岡村廸夫氏によって設立され、小生が会長を引き継いでいる。大容量キャパシタの普及を目指す企業を主体とした集まりである。岡村先生の遺志を継ぎたいと思っている。この特集がその一助となり、キャパシタの認知度が上がれば大きな喜びである。

◆参考文献◆(1)妹尾堅一郎,生越由美:社会と知的財産,放送大学教育振興会,

pp.160-170,ISBN4595308396,2008(2)経済産業省,特許庁,事業戦略と知的財産マネジメント,発

明協会,pp.10-24,ISBN4827109699,2010

100年ごとのパラダイムシフトコンセプト 世界観 革命 ネットワーク

18 世紀 物質 ― ― ―19 世紀 エネルギー ↘唯物史観 →産業革命 →モノを運ぶ20 世紀 情報 ↘宇宙観 →エネルギー革命 →エネルギーを運ぶ21 世紀 ハプティクス?↘情報世界観 →情報革命 →情報を運ぶ

妹尾氏の講演より筆者作成。「ハプティクス」は筆者の独断で加筆

「モータ」「キャパシタ」「ワイヤレス」というパラダイムキャパシタフォーラム 会長、東京大学大学院 新領域創成科学研究科 先端エネルギー工学専攻 教授 堀 洋一

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