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再び本校の校風である「自由と規律」とは(2015年度始業式式辞 2015/4/15) 学年が一つあがりましたので,少し難しいことを話します。少し難しいと聞い嫌だなという 顔をした人がいますね。でも,顔晴らて聞いて1年生に伝えて下さい。1年生には,2・3年 生から教えてもらうように入学式で言いますからね。 2011年にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%が.大学卒業後,つまり2026年に l胡現在存在しない職業に就くという,ニューヨーク市立大学大学院センター教授キャッシー・ ビットソン氏の予測があります。このように社会の変化は早いのです。そんな社会で求められ る力は何でしょうか。おそらく,卒業式でお話しした,3+5=●,●+●=8,●+●=○ の三つの式の●+●=○という考え方,ゴールも,それを実現する実現方法も自分で考え.実 行する力ではないかと思います。 キャリア・ポートレートコンサルティング代表の村山昇氏※は,3+5=●は自力で立つこ とのできる自立レベル,●+●=8はある程度は自分で方向づけできる半自律レベル この律 は自分を律するの律.●+●=○は自分で方向づけができる自律レベルとしています。立つ方 のr自立」は.self-Standing(訳すと自力で立つことのできる)であり,他に依存しない 自分でやっていける,主に経済的自立,技能的自立としています。律する方の「自律」は, self-directing(訳すと自分で方向付けできる)とし,自力で立った後は,自分が決める方 に進んでいけることとしています。さらに,自律の“律”は,規範やノレールのことであり,自 律は,自らの価値観を持って,組織全体の価値観との折り合いをつけながら,目的と手段をつ くり出し進んでいけて,他にもはたらきかけることができることだそうです。以上のことから, 今後は自律した人が求められると言えます。そして,自律の「律」は本校の校風である「自由 と規律」の「律」です。 自律が大切なのは.社会が自律した人を求めているからだけではありません。皆さんは後何 年生きたいですか。私は1(カ年は生きたいですが。今後何十年と続く一度っきりの皆さんの人 生。それが,自分以外の人・もの・ことからの命令・目標によって働かされる人生か,自分の 見出した意味・目的によって生きる人生か,皆さんはどちらの人生がいいですか。私なら,自 分の見出した意味・目的によって生きる人生ですね。皆さんの多くもそう言うと思います。 ここで,3年生が1年生だった2013年度修了式で話した「自由と規律」を簡単に復習しま す。自由の臼は自分,由は由ることであり,自由とは自分により頼むことでした。自分で考え, 自分で判断しより良く行動することです。だから,自分勝手な判断は,周りの者に受けいれら れず,より良い社会を築いていくことに繋がらず,「自分に由る」ことにはなりません。この ことから,自由を行使するにはそれなりの責任が求められ自由と規律がセットになっていま した。さらに.自分勝手な判断はえてして自分のことだけ考え,人を憂うことがなくなりがち になります。皆さんは本当に優秀な人となり,本校の校風「自由と規律」をより確かなものに して下さいと話しました。 本校の校風「自由と規律」を縮めて一言で言えば,自律です。すると.「自由と規律」を全 うするには,自律することが必要となります。そこで,村山氏の自立の,主に経済的自立,技 能的自立の部分をはずします。なぜなら,中学生にはこれはまだ無理だからです。さらに,村 64

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再び本校の校風である「自由と規律」とは(2015年度始業式式辞 2015/4/15)学年が一つあがりましたので,少し難しいことを話します。少し難しいと聞い嫌だなという

顔をした人がいますね。でも,顔晴らて聞いて1年生に伝えて下さい。1年生には,2・3年

生から教えてもらうように入学式で言いますからね。

2011年にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%が.大学卒業後,つまり2026年に

l胡現在存在しない職業に就くという,ニューヨーク市立大学大学院センター教授キャッシー・

ビットソン氏の予測があります。このように社会の変化は早いのです。そんな社会で求められ

る力は何でしょうか。おそらく,卒業式でお話しした,3+5=●,●+●=8,●+●=○

の三つの式の●+●=○という考え方,ゴールも,それを実現する実現方法も自分で考え.実

行する力ではないかと思います。

キャリア・ポートレートコンサルティング代表の村山昇氏※は,3+5=●は自力で立つこ

とのできる自立レベル,●+●=8はある程度は自分で方向づけできる半自律レベル この律

は自分を律するの律.●+●=○は自分で方向づけができる自律レベルとしています。立つ方

のr自立」は.self-Standing(訳すと自力で立つことのできる)であり,他に依存しないで

自分でやっていける,主に経済的自立,技能的自立としています。律する方の「自律」は,

self-directing(訳すと自分で方向付けできる)とし,自力で立った後は,自分が決める方向

に進んでいけることとしています。さらに,自律の“律”は,規範やノレールのことであり,自

律は,自らの価値観を持って,組織全体の価値観との折り合いをつけながら,目的と手段をつ

くり出し進んでいけて,他にもはたらきかけることができることだそうです。以上のことから,

今後は自律した人が求められると言えます。そして,自律の「律」は本校の校風である「自由

と規律」の「律」です。

自律が大切なのは.社会が自律した人を求めているからだけではありません。皆さんは後何

年生きたいですか。私は1(カ年は生きたいですが。今後何十年と続く一度っきりの皆さんの人

生。それが,自分以外の人・もの・ことからの命令・目標によって働かされる人生か,自分の

見出した意味・目的によって生きる人生か,皆さんはどちらの人生がいいですか。私なら,自

分の見出した意味・目的によって生きる人生ですね。皆さんの多くもそう言うと思います。

ここで,3年生が1年生だった2013年度修了式で話した「自由と規律」を簡単に復習しま

す。自由の臼は自分,由は由ることであり,自由とは自分により頼むことでした。自分で考え,

自分で判断しより良く行動することです。だから,自分勝手な判断は,周りの者に受けいれら

れず,より良い社会を築いていくことに繋がらず,「自分に由る」ことにはなりません。この

ことから,自由を行使するにはそれなりの責任が求められ自由と規律がセットになっていま

した。さらに.自分勝手な判断はえてして自分のことだけ考え,人を憂うことがなくなりがち

になります。皆さんは本当に優秀な人となり,本校の校風「自由と規律」をより確かなものに

して下さいと話しました。

本校の校風「自由と規律」を縮めて一言で言えば,自律です。すると.「自由と規律」を全

うするには,自律することが必要となります。そこで,村山氏の自立の,主に経済的自立,技

能的自立の部分をはずします。なぜなら,中学生にはこれはまだ無理だからです。さらに,村

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山氏のように「他に依存しないで,自分でやっていける」とするのでなく,他と上手に依存し

ながら自分でやっていけると自立を捉え直します。なぜなら,いつも言うように,自分でつく

ったもの以外は脱ぎなさいと言われれば皆素っ裸になります。人は他に依存しないわけがない

からです。附属坂中生は まず他と上手に依存しつつ,他から与えられた目標の達成に向けて

自分でやっていく自立をし,次にある程度自分で方向付けができる半自律をし,最後は 自ら

の価値観を持ち,クラスや学年団,異学年の小グノレープ等の組織全体の価値観と合わせること

に努めながら,目的と手段をつくり出し進む自律へと高めてほしい。これは大変難しいです。

しかし,平成26年度香川大学教育学部附属高松小学校研究発表会の案内に,育みたい資質・

能力として「夢や憧れをもち,自律的に学び続ける力」がありますから,中学生の皆さんがめ

ざして顔晴れないことはないでしょう。

今言ったことを学習に当て族めれば学びの意味はどこからか降ってくるものではなく.自

分が意志を持って,目の前の勉強の中からつくり出すものであるということです。本校では

自らの価値観を持って.組織全体の価値観との整合性を図りながら.目的と手段をつくり出し

進んでいく力を培う学習があります。普段からめざしている「ものがたり」のある授業だった

り,シャトルやCANです。さらに 本校なら部活動もそのような学習になってほしいと思い

ます。本校での様々な学習を通して,「自由と規律」をより確かなものにして下さい。それが,

卒業生から託された伝統を継承していくことです。まずは 本校の校風である「自由と規律」

を新1年生に伝える努力をして下さい。

※ http://www.insightnuJp/article/20,2015/03/1参照,

http://冊W.insightnow.jp/artjcle/20/2,2015/03/1参照

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生徒手帳を読んで下さいく生徒会役員任命式 2015/4/20)

前期生徒会本部役員や協議員,執行部が決まりました。前期役員に任命された人たちが迷っ

た時に進むべき指針進むべき道を教えてくれるヒントになるものがあります。皆さん,何で

しょう(直ぐに気づきそうにありません)。皆さんが日頃持っているものです。(何人かが気づ

いたようです。一一人の生徒が生徒手帳を取り出して見ています。)間違っても結構,手を挙げ

て答えて下さい。(生徒手帳を見ていた生徒が挙手し,生徒手帳でと答えました。)

生徒手帳の生徒会規約の総則第3条に,「この会は会員の自発的な活動と,お互いの協力に

よって.会員全体の幸福を増進し,文化の水準を高め,風紀の改善に努め.学校生活の進歩向

上を図ることを目的とする。」とあります。まず,「会員の自発的な活動」ですから,生徒会の

役員の人たちは,生徒会会員が自発的に活動出来る仕掛けをしたり.率先して生徒会の活動と

してふさわしし1ことを活動しようとすることが大切かと思います。次に.「お互いの協力」で

すから,役員だけ顔晴ってもだめです。皆が顔晴らないと。皆を巻き込んで活動することがい

いですね。では,どんな活動が生徒会の活動としてふさわしいかと言えば「学校生活の進歩

向上を図る」活動です。そのためには,「会員全体の幸福を増進」することが求められます。

誰か一人でも学校生活で悩んでいたら,あってはならないですが,いじめにあっていたら,会

員全体の幸福の増進とは言えないのです。さらに,「文化の水準を高め,風紀の改善に努め」

なくてはいけません。風紀とは.規律正しく節度があってきっちりとしている状態をいいます。

本校は「自由と規律」が伝統的な気風です。生徒手帳の「附属坂出中学校生徒の理想」にも,

rわが校の『自由と規律』の調和ある伝統的気風がつねに一人一人の生徒によって真剣に評価

され 的確に改善されなければならない。」とあります。自由をはき違え勝手気ままなことを

すれば,風紀は乱れるでしょう。そうなれば規律ある学校とは言えません。だから,皆さん一

人ひとりが自身の学校生活を常に吟味して,学校生活を絶えず改善していくことが求められま

す。このことで.伝統的な気風である「自由と規律」が保たれ,学校文化も向上していきます。

そして,最終目的は「学校生活の進歩向上を図る」ことです。このようなことに前期役員の人

たちは務めて下さい。

新年度となった良い機会です。1年生の皆さん,はもとより2・3年生の皆さんも,生徒手

帳を今一度読んでみてください。

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良い生き方や考え方は生き残り,末永く伝えられる(2015/4/20)

入学式で,「『自由と規律』については今後少しずつお話しします」と言いました。そこで,

まず.「自由と規律」に関わることをお話しします。

3年生の皆さん.修学旅行楽しかったですか?(ほぼ全員挙手)なぜ.楽しかったのでし

ょう?答えは多くありますが,基盤となる答えは一つ。それは,無事帰還したからです。3年

生の皆さんが誰一人欠けずに帰って来ました。一人でもいなくなったら,楽しい修学旅行では

ありません。いや,いなくならなくても一人でも大怪我したら,そんなに楽しい修学旅行には

なりません。帰還には,戻るという意味の他に「戦地・軍隊などから故郷へ帰ってくること」

という意味もあります。帰還なんて,校長先生大げさな表現だな,戦地や軍隊には行ってない

よと思う人もいるでしょう。確かに,戦地・軍隊には行っていません。それどころか,世界遺

産屋久島という.行きたくてもめったに行けない場所や,日頃体験できない民泊などして来ま

した。でも.私からすれば「無事帰乱なのです。屋久島では一歩間違えば大怪我.場合に

よっては死ぬかもしれない場所があります。勿論,多くの人が訪れる場所ですから.しっかり

していれば全く問題ありません。だが,非日常の場所.普段とは違う場所を訪れれば気が軽く

なりやすく,集団ならその傾向が強くなりがちです。私は.小学校5年生か6年生の潮干狩り

で嫌な思い出があります。潮干狩りに夢中になり,集団行動を忘れて勝手に動く.沖まで貝を

とりに行ってしまった班員がいて,班長の私は相当神経を使いました。遠足の翌日から熟が出

て,2日ほど寝込んで学校を休みました。気が軽くなり,羽目を外せば大変なことになる場所

が屋久島にあります。潮干狩りの勝手な行動をした班員のように,勝手にコースを外れてしま

ったら,写真を撮ろうとして注意散漫になり足を滑らせてしまったら,屋久島では大変なこと

になります。本校が屋久島を探訪し続けられるのは,「自由と規律」という伝統 皆さんの先

輩たちの学校生活での生き方が脈々と引き継がれているからなのです。

2・3年生の皆さん,入学式で依頼した本校の「自由と規律」を1年生に教えること,新年

度が本格的に始まった今,お願いします。1年生の皆さんも.先輩たちが教えてくれるのを待

つのでなく.「求めよ.さらば与えられん」という言葉のように,2・3年生に「教えて下さ

い」と話しかけてほしい。そのことで,1年生と2・3年生の交わりも始まると思います。

さて.いつもの言葉を言います。今日は何の日でしょう。今日は,二十四節気の一つ,穀雨

です。穀雨は,穀物の穀に雨と書きます。二十四節気は,1年間を太陽の動きに合わせて24

等分したものです。「穀雨」とは.「雨が降って百穀を潤す」という意味からきています。この

時期はやわらかい春雨が降る日が多くなります。今日は激しく雨が降る可能性がありますから,

特に帰る時には気をつけて下さい。雨が多いと気が重いですが,穀物が生長するのに必要な雨

私たちが生きるのにも必要な恵みの雨です。この頃のお湿りは生きとし生けるものすべてに生

命力を注ぐことから.「万物生」とか「慈雨」と言われます。

私たちの先人は二十四節気等を考え,自然に対話して生きる術を伝えてくれました。二十四

節気の考え方も本校の「自由と規律」と同様伝統と言えます。人はいずれ皆死にます。死んで

体はなくなりますが,二十四節気のように人の生き方や考え方は残ります。私の祖母や母は,

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「虎は死して皮を残す,人は死して名を残す」ということわざを私に言いました。これは,虎

が死んだ後にも美しい毛皮を残すように.人は死んだ後に名前を残すような生き方をすべきだ

という教えです。死して名を残すような生き方をすることは大変ですが,そうなるよう歩み続

けたいものですね。

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