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北転船スケソウダラ漁業基地の分析
一石 巻 と
塩 釜1
宮
島
宏 志 郎
目 次
冷よ え が き
一 スナソウダラ漁業の発展
二 宮城県における北転船漁業の発展
三 北転船漁業基地としての石巻と塩釜
四 まとめf石巻、塩釜両港の比較
ま え が き
昭和四四年度において、約二〇C万トンという単一魚種としては史上二番目の尨大な漁獲量を示したスケソウダラ漁業
は、いわば日本漁業全体の一つの縮図ともいうべききわめて多面的な諸問題をわれわれに提起している。すなわち、大正
期の底びき網漁業の発展以来、生産力の増大に絶えず付随している資源問題をはじめ、同じ多獲性魚でもスケソウダラ漁
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析一 一
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 二
業はイワシ、サンマ漁業などと異なり、大資本から中小漁業資本、さらに沿岸零細漁家にいたるまで日本漁業を構成して
いるすべての階層によって行なわれている(すなわち、大資本による母船式底びき網、北洋ト。ール漁業、中小資本によ
る北転船遠洋底びき網、沖合底びき網漁業、沿岸漁家による刺し網はえなわなどの沿岸漁業)ことから、諸階層間の対立
関係が生じ、あるいはスケソウダラの鮮魚価値がきわめて小さく、加工原料としてほとんどが利用されていることから加
工技術、市場支配とからんだ流通過程の問題、等々実に多面的な諸問題を提起しているのである。
このような諸問題に当面して、北日本漁業経済学会では、昭和四五年度のシンポジウムのテーマとしてスケソウダラ問
題をとりあげ、各方面からの分析がなされたのであるが、本稿はそのシンポジウムで筆者が担当した石巻、塩釜地区の分
析をもとにして執筆したものである。同学会における報告の内容は学会機関誌「北口本漁業」第3号に提載されるはずで
あるが、学会報告は時間に制約され、同誌も紙数に制限があるため充分意をつくすことのできなかった点を加筆補充し、
さらに、シンポジウムの諸報告者によって啓発されたこともとり入れて、大量生産に対応する大量処理体制という観点か
ら書きあらためてみたのが本稿である。したがって、同誌発表の内容と一部重複する点のあることをあらかじめおことわ
りしておく。
スケソウダラ漁業の発展
本稿は北転船によるスケソウダラ漁業の基地としての石巻、塩釜両港の分析を行なうことを目的とするものであるが、
本節ではまずその前提としてスケソウダラ漁業の全般的な発展過程、およびそれが現在かかえている諸問題を列記して、
以下の分析の出発点としたい。
スケソウダラ漁業は、周知のごと/\ 明治期においてマダラに代るニシン漁業の裏作として、岩内を中心とする北海道
日本海岸の沿岸漁業で開始されたものである。そして、スケソウダラは鮮度低下が急速なため、鮮度価値がきわめて小さ
いことから、はじめは主として魚卵目的で漁獲が行なわれ、その後は朝鮮向けミンタイ、肝油、練製品原料など、加工技
術の発展とともに刺し網、はえなわなどによる沿岸小規模漁業あるいは沖合底びき網漁業として盛衰をくりかえしてきた
ものである。
ところが、昭和三四、五、六年にかけて、北海道立水産試験場において冷凍スリ身技術が完成され、さらに四〇年、工
船スリ身の技術が確立されて練製品原料としての利用価値がいちじるしく高まったことにより事態は一変した。すなわ
ち、このスケソウダラの加工技術の発展は、従来の練製品の主要原料であった以西底びきの資源減少および沿岸底びき資
源枯渇による以東底びき船の減船整理という古くからの政策上の問題と相まって、漁業資本の目を当時無尽蔵に近いとい
われた北洋のスケソウダラに向わせた。その結果、スケソウダラ漁業は、三〇年代までは北海道での沖合底びき網(中型
底びき網)、沿岸刺し網、はえなわ漁業が主力であったのが、四〇年代に入ると第1表にみられるごとく、中心を資本制
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-北転船スケソウダラ漁業基地の分析一
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三
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析t 四
漁業による北洋底びき網漁業へと移行するのである。すなわち、洋上スリ身技術の確立により、大資本による母船式底び
き網、北洋トロールによるスケソウダラ漁業およびそれにもとずく洋上スリ身生産が急速に発展するとともに、北海道、
東北を中心とした中・小漁業資本による北転船の大型化、スターン化が進行して、北転船底びき網漁業も四〇年以降、第
1表にみられるごとく急激な勢いで発展するのである。
以上のような資本制底びき網漁業の急速な発展は、いろいろの問題を提起した。まず、強力な大型網による漁獲高の急
激な増加は、たちまちにしてさしも無尽蔵に近いといわれた北洋のスケソウダラ資源についイ一、も枯渇のおそれをまねいた
のである。西カムチャッカにおいては四二、三年ころからすでに魚体の小型化があらわれ、東カムチャッカにおいても四
四年から急速に小型化が進行しているといわれている。またカムチャッカ周辺のほぼ全域にわたって、一網当りの漁獲高
も減少してきているともいわれている。それにもかかわらず、大資本による母船船団の出漁数がさらに増加されようとし
ていることは、北洋のスケソウダラ資源にとって重大な問題であるといわざるをえないのである。
つぎは、スケソウダラ漁業の発生地であった北海道の日本海岸地方の刺し網、はえなわによる沿岸漁業が北洋における
資本制スケソウダラ漁業の発展とともに衰退の傾向をとりはじめたことである。とくに、四一年以降の沿岸漁獲物の単価
の低落(刺し網、はえなわによるスケソウダラの平均単価はキロ当り四〇年の四六.八円から四一年には四一.八円、四
二年三・四円に低落)は同地方の沿岸漁業に深刻な打撃を与えた。これは後述の宮城県をはじめとする北転船の激増に
より、各地で直接水揚が急増したため、北海道からの陸送によるガラ出荷が急減したことによるものである。このため、
北海道西海岸のスケソウダラ沿岸漁家は、他漁種への転換あるいは母船の独航船へと転換を余儀なくされているのである
(なお、北海道スケソウダラ漁業については前記「北日本漁業」第3号に、各方面からの分析結果が掲載されるはずで、
詳細についてはそちらを参照されたい)。
つぎは流通問題であるが、スケソウダラ漁業の急激な発展は前述のごとく冷凍スリ身技術の確立により、練製品原料と
しての利用価値が高まったことによるのであるが、冷凍スリ身の販売をめぐって大資本製品とその他のものとの対抗関係
が生じている。最初は洋上スリ身と陸上スリ身との品質の相異によって、それぞれ独自の販売領域をもっていたといいう
るであろうが、生産高の著しい拡大と陸上における技術の向上は両者の競合関係を生ぜしめるにいたった。現在、大資本
製品は自家練製品原料として使用されるもののほかは、系列下の消費地市場荷受機関、商社を通じて加工業者に販売され
ている。陸上スリ身の販売ルートは多岐にわたっており、大資本系列企業は当然大資本の工場へ、その他は消費地市場の
荷受機関あるいは直接加工業者へ販売されている。しかし、生産高の増大にともない、大量一販売の必要が生じてくると、
大消費地の卸売機関への依存度が高まってくるが、その大消費地の卸売機関は大資本の系列にあるものが多く、そ.しで大
資本製品との競合が生じてくるのである。
さて、以上、北洋における資本制スケソウダラ漁業の急速な発展にともなう諸問題を列記してきたが、差、れらを今心頭に
おきながら宮城県のスケソウダラ漁業目北転船漁業の分析をしてみよう。
二 宮城県における北転船漁業の発展
北転船漁業は、周知のごとく、北海道沿岸漁場に関係する中型底びき網漁船を、北海道沿岸底びき資源の枯渇あるいは
沿岸漁場との摩擦を防止するために、北洋海域新漁場に転換させる計画の実施によって開始される。宮城県の中型底びき
網漁船は、後述のごとく戦後早くから北海道沖に出漁していたため、この転換計画には積極的に応じ、試験操業時代から
多数の漁船が北洋に出漁し、北転計画の実施とともに北海道をしのいで全国一の北転船隻数をもつようになるのである。
北転船漁業の基盤となった宮城県の底びき網漁業の戦後の発展過程を簡単にみてみよう。
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 五
!北転船スケソウダラ漁業基地の分析一 六
宮城県の機船底びき網漁業は大正期に茨城県から技術が導入されて普及するのであるが、昭和初期には他県海域と同
様、早くも沿岸底びき資源枯渇の兆を生じ、県は北洋サケ・マス流し網漁業への転換を積極的に推進した。太平洋戦争に
よって宮城県漁業も漁船の大半を失って潰滅状態となるのであるが、終戦直後の食料不足による魚価高から急速に復興
し、とくに底びき網漁業は第2表、第3表にみられるごとく、サンマ漁業、カツオ・マグロ漁業とともに宮城県の中軸漁
業として急速に復興し、二三年にはすでに二九六隻、約八千トンにまで達するのである.、
!-し-昭聞-一勢一賓矧驚「謁し r-:卜.----…、--18565ざ一
第2表 昭和25年,宮城県漁業種
別水揚高
(襟縫穣贅))
合 計
1う
37869 91
1,698,52
5,18
12,046,95
1ヨ
16,83
3
4,71
一下
787,45
一
一繰網網・
別…揚着篶、馳
種ジ巾他かそ
び ・ろ
業ワよ一のばぐ
イおそさま
漁 一旋網類
23
0
9
7,021
8,677ン963
936
563,741
260
32,908
1,163
205,081
3665
732058 2,796
355,9461
9,325
i一…β,2i歪9」544
: 5,397 1,271,194
! 1,776 5,616,084
3,108
i 一望」0151 10,7262!,555,3登5
1 53,181 37,425,440
さんま棒受網
その他の敷網
地曳網船曳打打瀬網以東底曳
敷網類
曳 網 類
隠の他曳冨ヨ ヨ ヨ1- P「■一一一■■■■一一
一刺流刺網i網一 一一一一一
類その他刺網
1定 置 網
その他の網延 縄一一}ずるあ1い『一か
一1 ュ二一歩一鋤一本…一 ゥつか・まぐろ (一本釣)釣一一… 一一一 その他の一本釣
一そ鯉塑鹸一1諺;1 _ 1 531 合 吉士1一■37,概至
宮城県水産課『宮城の水産概要』
28頁。
しかし、底びき網漁業の急速な復興は、大正以来同漁業にたえずつきまとっている漁場の荒廃、資源の枯渇問題をひき
おこし、第3表にみられるごとく漁獲高は漸減したため、その対策として北海道と入合協定を結び、二四年には五五隻も
が北海道沖合に出漁した。しかしながら協定違反船が続出し、北海道沿岸漁業との摩擦が次第に大きくなってきたため許
可船は年々減少し、三C年の三隻を最後に北海道沖の出漁も終止符がうたれるのである(『宮城の水産』三四年版、二九頁)。
以上のような以東底びき資減の枯渇問題に対処するため、政府は中型底びき網漁船の減船整理に着手し、二七年から三
第3表宮城県中型機船底びき網漁業の推移
1隻当リ平均 北海道エトロ カムチャ 。年度i隻数屯数一一一一■一一一 一一 フ神出ッカ沖漁獲里 屯 数 馬力数入会隻数漁隻数出漁隻数
21 2306,30029.56 一 一 一一 一8・869・93422 2967,98926.93 一 一 一 一8・034・76324 2947,32224.90 91 55 一 一 7・102・86625 227:7,87834.70 94 41 一 一7・725・32326 226i7,84334.70 98 33 一 一5・716・35127 2207,84035.63 98 31 一 一 7・875・90228 21817,76935.63 10・ 25 一 一6・854・33529 1726,12735.60 100 10 8 -6・303・364-3・ 117旨,・9・34.9・ 99 3 9 -5・845・991131 85:3,320-39.06 115 - 13 -6・535・478-32 78-3,22841.38 130 - 13 !27・975・0001
宮城県水産課『宮城の水産』34年版30頁。
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析一
一年にかけて全国的に減船整理が行なわれるのであるが、宮城県
においても二八年からカツオ・マグロ漁業、まき網漁業、北洋サ
ケ・マス流し網漁業さらに母船式サケ・マス漁業の独航船などへ
の転換が行なわれたため、昭和三二年二一月現在においては七八
隻、三、二二八トンに減船されたのである。
他漁種への転換整理とともに、中型底びき漁船の過剰操業力の
整理のため、昭和二九年に新漁場開発としてエトロフ島および中
南部千島沖合の底びき網漁業の試験操業が行なわれて北洋底びき
網漁業が開始されるのである。宮城県からは、二九年、三〇年の
試験操業には八隻、、一、一二年には一三隻の出漁が認められ、北洋底
びき網の黎明期から積極的に参加しているのである.、これは、宮
城県の中型底びき網漁業の過剰操業力が非常に大きなものであっ
たこと塗、小すものであり、のちの北転船漁業の急激な発展の、一つ
の基盤をなしているものであるといって良いであろう、ついで、
三二年度からカムチャッカ沖の試験操業が開始され、宮城県船も
二一隻が参加したが(その後、、三三年一四隻、三四年一九隻、三
五年一二隻と年々増加-宮城県水産課『宮城の水産』、一一、、一八年版、一.
七頁),この試験操業は好結果をもたらしたため、政府は北洋海域
七
-北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 八
への本格的な転換にふみきり、三五年二一月に「北洋海域への転換要綱」を発表した。この転換政策の対象となったのが
東北、北海道の中型底びき漁船であるが、しかし、北洋底びきは漁獲対象である魚の価格が低廉なものがほとんどで、し
かも危険をともないあるいは大型船を必要とすることからサケ・マスのように競って転換を希望するというものではなか
った。政府は転換にさいして農林漁業金融公庫を通じての融資条件の緩和、融資額の増大あるいは漁船保険料率の軽減な
どの優遇策をこうじて転換の促進をはかったのであるが、しかし、それでも他県の漁業者の多くは積極的には転換をしな
かった(典型的には近海底びき資源の比較的豊富であった北海道)。それに対して、宮城県では早くも三六年一月に七し
トン以上の底びき船三〇隻(うち一●○トン以上三隻)が一斉に北洋底びき専業船に転換し、ついで一二七年九月には、七
Cトン以上に大型化された五隻が内地沖合操業との兼業船として転換し、いち早く政府の第一期計画枠の転換を完了する
のである。一方、他県についてみてみると、北海道は専業船の転換目標六()隻に対して三六年はわづか八隻、三七年は四
隻しかなく、青森県は三六年の専業船は八隻、三七年には四隻しかなかった(水産社『水産年鑑』三八年版、ご」一三五頁)のに
比較すると、宮城県がいかに早くからしかも多数の転換が実施されたかを知ることができるであろう。このように宮城県
において転換が急速に行なわれたのは、中型底びき網漁業が宮城県における中核漁業として早くから発展し、北洋出漁に
必要な大型化に即応しうる資本が蓄積されていたこと、および北海道などに比し、近海の底びき漁場の荒廃が進んでいた
ことなどをあげることができるであろう。
さて、以上のべてきたごとく、北洋転換の実施によって北洋海域における北転船による遠洋底びき網漁業が本格的に行
なわれるのであるが、三二年からはじまった試験操業期の漁獲目標はタラ、ギンダラ、オヒョウ、メヌケなどで、スケソ
ウダラはわづか数%しか漁獲されなかったのである。ところが、前項でのべた冷凍スリ身技術の開発は事態を一変させ、
第4表にみられるごとく、北転船漁業の漁獲目標はしだいにスケソウダラ中心に移行してゆくのである。このスケソウダ
第4表 北転船漁獲量の推移 (単位:トン)
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析1
36年37
38
39
40
41
42
ト コ ラ
操業日数曳網回数タヲ区ゲソ瞬ンダヲ.オヒョウみケ1石他r総漁麗…
ダフ 一」一一■ 1 !2,54913,540-8ρ404,190 21,954 10,995
3・274116・7627・751
6,78437,026 10,925
8,541-48,41710,264
12,786- 73,898 19,772
12,06470,505 8,078
5,014
13,070
17,565
30,714
76,834
126454 ,199467 ,
1B 14013651 ラ 502 5021,482.
408 1,1842,300:
2,920 1,6573,1621
4,644 1,872 986
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ド7,114!20,786 110・561…36・918-
7,058136,266:
12・180i61・558
114,895t109,495-
i8・657!196・9121
20,572:250,433!
水産社『水産年鑑』44年版.271頁。
第5表 宮城県転換船の規模別構成
隻 数100トン未満100~200トン200トン以上
昭和37年
38〃
39〃
40〃
41〃
42〃
44〃
Cフ777【フ33
3444「フ5「フ
4「フrフ『フ⊂フ31
211一
8444141
3888261
11134『フ
『宮城の水産』各年版より作成。ただし,44年は,県水産課「遠洋底
びき網許可船名簿」より作成。
第6表 北転船の市町村別,トン数別表・一…一一 宙鼈黶。”一 s町村別 一■■ I i … 一 、 気仙沼市牡鹿町1石巻市1塩釜市七ケ浜町名取市 1トン数別 、 一一一 一■一 一 一一1一一一一 一一… 1_ 一一一一㎜
…野2・・トン以上 21117…4 3一想」200~100トン 一 一1 1 6 6 1二_i
…八!100トン未満 一 一 3 12 一 一!朝 @計 2 1111 22 9 1
計
18
14
15
47
九四一200トン以上 2 1 15 23 9四
年 200~100トン 一 一 1 一
上…トン未満 一 一 一 1 一月 計 2 1 15 25 9
38年は『宮城の水産』,44年は「許可船名簿」よi)作成。
1 1
1113
『フ fフ
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析! 一〇
ラ加工技術の開発にともなう需要のいちじるしい拡大は北転船漁業に非常な活気を与え、政府の増トン許可政策と相まっ
て、船型の大型化が急速に進行するのである。すなわち、第5表にみられるごとく、三八年より第一期の船型の大型化が
開始され、ついで四一年以降サイド・トロールからスターン・トロールヘの転換が行なわれるとともに船型の第二期大型
化が開始され、現在ではほとんどの北転船が三四九トン型スターン・トロール船へと発展してくるのである、なお、宮城
県の北転船を船籍別にみると第6表のごとくである。ほとんどが石巻および塩釜地区(七ケ浜を含む)に集中しているこ
とが注目される.、
三 北転船漁業基地としての石巻と塩釜
前項でのべてきた北転船の増加、大型化にともない、昭和四〇年以降、第7表にみられるごとく、宮城県におけるスケ
ソウダラの水揚高が急速に増大してきた。すなわち、三九年の約一六千トンから四四年には二〇八千トンと約二二倍の飛
躍的な増大である。そして、その大部分が石巻、塩釜両港に集中し、とくに石巻港における急テンホの増大が注目され
る。この北転船による直接水揚の増大は、当然従来からの陸送による移入量を漸減させた(第8表)。石巻、塩釜は古く
から練製品加工業が盛んであり、その原料は地元資源の枯渇後はおもに北海道からの陸送スケソウダラに依存していたの
であるが、北転船による直接水揚が次第にそれに代位したのである。
さて、以上のスケソウダラ水揚の急増はそれに対応する大量処理能力を必要とする.、多獲性魚については大漁日価格の
暴落という事態をさけるためには、常に大量処理能力が要求されるわけであるが、とくに、鮮魚のまま冷凍することによ
って鮮度を維持できないスケソウダラにとっては、加工および出荷能力が大量処理に大きなウェイトを占めるのである。
スケソウダラの直接水揚の年々の増大にともない、当然スケソウを原料とする加工業の生産高も増大している。すなわ
第7表宮城県のスケソウ水揚高推移 単位灘輌
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析一
一
一
一
一数金一数金
㎜姿…
…M
石 数巻・ 金
一量
額
気仙沼
女 川
量額一景額
一
数金薮金
40 41
36,464 41,939
42 43 44
その他数 一量
金 額
数台 言㌧金
平均単価i
対40年比 一一一1
量額
皿ロム■
キ η
ーラ%
内苑
54,320166,6U:74,7831,204,8231,208,282-1,237,1301,184,6131,655,051
8,554
282,903
BO4039
21,・1354,547…127,637…13・,761,
771,76011,352・235:2,552ρ11-3・034・978
143
4,851!
ヨ1401
4・611!
1,811… 3,089
51,607- @ 90,140
1021
1!2,8331
一 517 84-I @g・321- 3・311
14
712
771
1・8
鰍Rt
ド14 150
394i 4,599
9
161
45,16263,274ミ1・9ρ21…196・7262・8・726
1,492,4771,999,57912,594,3703,802,15114・783・641
33.0
0000
31・6F
一139∫9!
133.9
23.81 19.3 22.9
露iナ43ぢ=4 461.忌173.91 254.gl 320.7
(宮城県水産課『スケソウダラの水揚並に処理状況について』)
第8表 スケソウ移入高推移 単位 トン
丸ミー~一一一一■ 年次
腰痛\移入種別\1 一一!県 外:塩 @釜1県.内
昭和40年
33,2501
350
石県県巻
一
一県県
沼一
仙一気
外内
1シ18・・l15.2・・11・,8・・13,18・13・1・91
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一北転船スケソウダラ漁業基地の分析一 一二
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ダラの水揚並に処理状況について』第一三表) へと大きく発展している。加工の中心は当然石巻と塩釜であり、第9表にみら
れるごとく、石巻は焼竹輪が、塩釜は揚カマボコ、笹カマボコを中心とするカマボコ類が主力製品となっている、冷凍ス
リ身は宮城県ではまだ生産者は少なく石巻がその中心である。しかし、加工製品の総生産高では、第9表にみられたこと
く塩釜が石巻よりまさっている。さらに、両港の在籍北転船の数もすでに第9表でみてきたごとく、石巻一五隻に対して
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もすぐれているように思われる・事実北転船漁業が本格化してきた野年、四一年ころ躊釜の水崇多かったのであ
るが、それが近年逆転して水揚が石巻に集中する傾向を示しているのはいかなる原因によるものであるか。それは二一一・で
いえば、石巻では大量水揚がなされても一定の価格が維持されており、それを可能としている大量一処理体制が確立されて
いることによるものである。本節ではまず石巻、塩釜両港のスケソウダラ処理能力を分析し、あとで両港を比較してその
相異を明らかにしょうとするものである。
① 石巻の大量処理体制
第7表にみられたごとく、石巻における四〇年以降の水揚高の伸びはきわめて急速で、四四年には塩釜の約二倍、県全
体の水揚高の約六五%をしめるにいたっている。この結果、当然陸送による県外移入は激減し、四〇年には七〇%近くを
陸送に依存していたのが四四年にはわずか二%ほどに激減している。
石巻に水揚されたスケソウダラの約七〇%が練製品、スリ身その他の加工用原料として使用されており、残りの約三〇
%がかラで出荷されている。したがって、石巻のスケソウダラ大量処理体制を構成しているのは練製品業者、 スリ身業
者、出荷業者であり、さらに、それらすべての業者の加工、出荷に必要な第一次処理(ガラ処理)を担当している零細な
ガラ処理業者がそれを支えているのである。なお、石巻魚市場の四五年三月の調査によれば、石巻地区(女川、渡波を含
む)での一日の原料スケソウダラ処理能力は約一、コ、一〇〇トンで、その内訳は竹輪一九業者三〇〇トン、スリ身二一一二業者
六四五トン、カマボコ八業者七二トン、ガラ出荷三〇〇トンとなっている。
第一次処理を行なったいわゆるガラを出荷しているのは鮮魚出荷業者であるが、その大部分は第}次処理を下請のガラ
処理業者に依存している。おもな出荷先は常磐地区(約六〇%)、静岡地区(約一五%)、東京、新潟、富山地区(あわせ
-北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 二、一
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 一四
て約一〇%)、その他となっている.、常磐地区をはじめ、従来北海道からの貨車輸送で原料を入手していたところでは、
石巻からトラック輸送で入手した方がはるかに鮮度維持が可能であり、石巻からの陸送が急増したのは当然である。
つぎの大量処理体制を構成しているのが加工業者であるが、石巻は、周知のごとく、古くから水産加工業が発達し、練
製品をはじめ冷凍、煮干、塩工-、節類、飼肥料、油脂など多岐にわたっているが、その中心は練製品で、その中でも第9
表にみられるごとく竹輪が主要製品となっている。石巻の加工業者も、全般的には他地区と同じく家内工業的な零細企業
が数ではその大部分をしめているのであるが、竹輪業者、冷凍スリ身業者は東北地方の水産加工業者としては比較的大規
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となっている.、
石巻で冷凍スリ身の生産が開始さ発の講和四葬からである。、現在、全国冷凍魚肉協会巖暑罷駕している
業者は笛表の書く三薯で、四四年5月から四五年青までの半年間で二、七七六トンの生一座、同をあげている.
このうち三つ実メ占あ工場で、残りのξ業者のう隻-身で出荷葛ことを目的としているのが六業者、残り
の四業者は自家製曼竹輪カマボコ)の原料として原料魚の豊寒き器凍スリ身笙産して貯蔵している.冷凍ス
リ身薯の森分が冷凍業草、従来サンマ、サバなどの冷凍業を忠にしていおが、サンマの毒急馨よび船凍品
の契警によ落凍業茱振旨つたときスケソウダラの水揚鍛殻じ香、スー身技術を導入して転じたものであ
る更リ身薯為様』次処理はガラ処理薯に語喜ている.器の販雍は、大メーカー系列の業者(二萎)
はもちろん離の大募実メ劣と納入して誓、その他の薯の販売先は二系統あり、一つ鴇輩卸売市場の荷
受機関に鴬され・もう一つ客地の空箸ぽ置電荷されている.しかし、製品蛋的に葭と契太、れてくると当
然消躍卸売市場への依琶鵡さてくるもの愈わ鷲が、そのときに笑メーカーの洋上スリ身との競合が次籠
激化しどくに・大消費地の卸売市場の蔑隣の多く奨メ劣あ系列下にあることから、相当の困難が生じてくる
ことが予想される.、
つぎに・石巻の水産加工業の忠である焼篇工業についてみ乏よう.、現在、石巻焼竹輪正議羅合に加盟してい
る業者はきで麹が・実際壕倒しているのは第昊の二葉者で、四四年度は約≡τン、全国生産高の約讐し
めている・表に鷺れる言く・石巻の籍業者の;の特讐、日産能力ざトン前後の生産設備宅.琵欝粒の
そろった業者がそろってい塗とである・、大部分の工場が年間操業および夏場を少しだけ休む5ヶ月操業で、短期間操
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一北転船スケソウダラ漁業基地の分析1
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析-
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業の業者のほとんどが他の加工業との兼業である(したがって、生産高の少ないことが必ずしも加工業者として小規模業
者であることを意味しない)。大部分の工場は閑期を常雇のみで、盛時には臨時工を入れて操業している。そして、竹輪
業者も同じく大部分が一次処理をガラ処理業者に下請させている。四四年度の製品の販売先は京浜地区(四二%)、阪神
地区(一六%)、中京地区(八%)と大都市出荷が中心で、ほとんどが卸売市場の荷受機関に出荷されている.、価格は石
巻の竹輪組合と東京の荷受、仲買とが談合で最高級品の価格を決定し、それが標準となって各地の売買値段が決定されて
いる、
》・」て、以上石巻の大量処理体制の中心を構成している出荷業者、冷凍スリ身業者、竹輪業者の実態を簡単にのべてきた
が、ここで注目すべきは、それらの業者の大量処理を可能とさせているのが低廉な価格で大量の一次処理を行なっている
かラ処理業者が多数存在していることである。石巻ではスケソウダラの一次処理一をほぼ専業としている業者が約五,㌧工場
あり、ほとんどが家族労働を中心とした三一五人、多くて一〇人前後という零細企業である。これらの当.木者の大部分は、
従来設備をほとんどもたず、単純な労働力のみによって加工を行なっていたサンマの加工業者(サンマの開き、あるいは
圧搾の下処理等)で、サンマの水揚減少から北転船の入港増大とともにスケソウガラ処理業者に転じたものである。この
ように、低廉な価格(処理代は四五年八月現在で、一●キ・一五円、それに頭や内臓を残滓処理工場に売り渡す代金-
頭キロ一〇円、内臓二円五〇銭-が加わる)で一次処理を行なう業者が多数存在していることは、いぜんからサンマを
はじめとする多獲性大衆魚に対する依存度の高かった石巻の特徴であり、また、近在にいまだ低廉な労働力が豊富に存在
していることを示すものでもあろう⊃
伽.塩釜一の大量処理体制
塩釜の北転船によるスケソウダラの水揚は、第7表にみられたごとく年々増大しているが、石巻と比較すると伸び率は
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析! ・ 一七
-北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 一八
はるかに小さい。陸送による移入も年々減少傾向にあるが、石巻がほとんどなくなったのに比較するとなお相当量の移入
がつづいている。とくに抱卵期に陸送ものが増大するのであるが、乙れは比較的原料の鮮度の上質のものを必要としない
練業者が、北海道、八戸などのスケ子加工を主としている業者から安い原料を求めるからである。これが塩釜の水揚の伸
びを抑える一因となっているのである。
塩釜の大量処理体制を構成しているのは出荷業者と加工業者で、冷凍スリ身は団地加工組合だけが生産しているにすぎ
ない。ガラ出荷は石巻と比較するとはるかに少なく、水揚高の約一〇%前後と推定される。これは、塩釜の出荷業者の主
力がいぜんからマグロ中心であったことおよび塩釜の水産業が全体として従来から石巻と比較して大衆魚に対する依存度
が小さかったためガラ処理の専業者が存在する基盤が小さかったこと、などによるものである。
塩釜における水産物加工業者は四四年三月現在で二七〇業者であり、そのうち練製品業者は八五、 一般加工業者一三
七、ガラ処理業者一五である。これらの加工業者が八つの組合に分立し、それぞれ地域的あるいは人的結合によってその
一つまたは数個の組合に加入している。これら加工業者の中心は練製品業者で、そのなかでも塩釜では第9表にみられた
ごとく、揚カマボコ、笹カマボコなどのカマボコ類が主要製品である。四四年に宮城県が行なった『塩釜地区産地診断
書』によって塩釜の練製品業者の経営規模をみてみよう。売上規模別にみてみると、調査に回答した六五企業のうち、四
三年度の売上高一、OC()万円以下が七企業、一、○○○一五、OOO万円が二五企業、五、○○○万1一億円が二〇企
業、一億以上が二二企業となっている (同書、一二頁)。常雇従業員数でみると、回答のあった七六企業のうち、四四年八
月現在で一〇人以下二五企業、一一-二〇人が二七企業、二一-五〇人が二二企業、五一人以上二企業となっている(同
書、二頁)。 二〇人以下の企業が圧倒的に多く、アンケートに回答しなかった企業のほとんどもこれに属するものと考え
られる。このように、塩釜の練製品業者は、石巻と比較していろいろの規模の沢山の業者が共存し、しかも八つという数
多くの組合に分立しているのが特徴ということができるであろう.、
原料の仕入は大部分が直接魚市場からであり、一部の零細小規模業者が仲買人から仕入れている。また、前述のごと
く、八、月を主とする他地区からの陸送による仕入もいぜんとしてつづいており、また、最近は石巻の仲買人からの購入が
増大している■、原料として冷凍スリ身を使用する業者も次第に増加し、最高級のスリ身は大メーカー系統商社より洋上ス
リ身を仕入れているが、B級以下は値段の関係で地元生産のスリ身を使用しているものが多い(B級スリ身は、四五年夏
で大メーカー品が一、○つ〔一コt一、ズ」C円であるのに対し、それとほぼ同質の三陸ものは八OC一九(口X}円である)。
塩釜のガラ処理業者は一五業者で、石巻と比較するときわめて少ない.、練製品業者は一次処理を専業者に下請させてい
るところもあるが、処理業者が少ないため自工場で一次処理を行なっているところも多い.、このように、ガラ処理業者の
少ないことが、塩釜の大量処理能力を制約している一因となっているのである.、なお、四三年二一月から、公害防止のた
め公害防止事業団による共同利用施設が建設され団地加工組合によって操業を開始しているが、そのなかに原点、二二〇ト
ンの処理能力をもつ一次処理工場が設備されて稼働している.、
四 まとめ一石巻、塩釜両港の比較
北転船のスターン化、大型化にともなうスケソウダラ水揚の急増は、大量生産に対応する基地の大量処理体制の確立を
必要とした。宮城県における北転船基地としての石巻、塩釜両港の大量処理体制をこれまでみてきたが、北転船によるス
ケソウダラの直接水揚が本格化する四C年、四一年では塩釜が石巻より圧倒的に水揚高が多かったのに、それがこの数年
間で完全に逆転し、四四年には石巻が塩釜の二倍近い水揚が行なわれているのである。そこに焦点を合わせて、両港の大
量処理体制の基盤を比較することによって本稿のまとめとしたい。
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析! 一九
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 二〇
前にのべてきたごとく、石巻も塩釜も古くから練製品加工業が盛んであり、近海の原料魚が枯渇してからは北海道から
のスケソウダラの移入によって生産が行なわれてきた。したがって、残滓処理のための化成工場(もちろんこれらの工場
はスケソウダラの残滓処理のためだけでなく、サンマその他の多獲性魚の処理のためにも必要とされたものである)など
も比較的古くから存在しており、北転船受入れにあたっては同等の条件にあった。むしろ、すでにみてきたごとく、練製
品の生産高においては塩釜の方がずっと多く、また、他地区への陸送の地理的条件でもむしろ塩釜の方が有利であり、さ
らに在籍北転船の数においても塩釜地区が断然多いのであるから、北転船受入れの条件としては塩釜の方がすぐれていた
といってもよいであろう。事実、四∩)年、四一年はその通り塩釜の水揚が圧倒的に多かったのであるが、その後の北転船
の入港の増加、大型化の進行は水揚高の著しい増大をもたらし、塩釜の大量処理能力の限界にぶつかったのである。これ
が四三年の塩釜港におけるスケソウダラ価格の暴落である。これを契機として、石巻への水揚の集中が一層激化するので
あるが、それにもかかわらず、石巻では塩釜一と異なり、一定の価格を維持することに成功しているのである(入港調整の
問題がからんでくるが)。すなわち、石巻では、塩釜で不可能であった激増する大量水揚に対応する大量処理の体制をい
ち早く確立することができたのである。
北転船が釧路に水揚するばあいと石巻、塩釜に入港するばあいを比較すると、大体月に一航海の差がでてくる。そのた
め、大体、キロ当り六円以上釧路より高くないと船主の採算がとれない。したがって、石巻ではたえず釧路より六円以上
の高値を維持するように魚市場が中心になって努力しているのである。すなわち、市場から船に対してある程度までの最
低価格の保証を暗黙のうちに与えて入港を促進し、同時に買受人に対してはその価格以上での買付が要請され、それが大
体守られて価格が維持されているのである。もちろん、それを可能にしているのは背後に大量処理の体制ができているか
らであり、その中心は竹輪業者であり、スリ身業者であり、出荷業者である。両港の大量処理体制を構成しているものに
ついてもう少し比較してみよう。
まず、加工業者についてみてみると、前にみてきたごとく、石巻のスケソウダラを原料とする加工業者の中心は竹輪業
者とスリ身業者であるが、それらは東北地方の水産加工業者としては比較的小数の粒のそろった業者が一つの組合にまと
まっており、これが魚市場との価格協定を容易にしている一因となっている。これに対して塩釜は、生産高において石巻
クラスあるいはそれ以上の練製品業者も多いのであるが、そのほか多数の小規模業者が密集しており、しかもそれらの業
者が八つの組合に分立しているため価格協定を困難なものとしている。しかも、小規模業者の中には原料魚の鮮度をあま
り問題とせず、安い原料を陸送ものに依存しているものも多数あり、しかも魚市場に卸売機関が二つあって、その対抗関
係から一つの卸売機関が陸送ものを斡旋している(塩釜での北転船による直接水揚はもう一つの卸売機関である底曳漁協
に集中している)ことから陸送移入がいぜんとして相当量つづいており、これが価格暴落の危険性の一因となっているの
である。とくに、水揚調整がオープンになる最盛時の抱卵期にはスケ子加工を中心としている他地区業者から安いガラが
入手しうるためとくに陸送が増加し、それと重なると大量水揚による価格暴落の危険性がますので船主は塩釜入港をさけ
るようになるのである。そのため、鮮度の良い原料を必要とする業者は、入港が少ないために石巻から荷をひかざるをえ
ず、石巻からの陸送移入が年々増大してきているのである。
つぎに市場および出荷業者であるが、常磐地区をはじめとする他地区に対するトラック輸送の地理的条件としては、石
巻、塩釜はほぼ同等と考えて良いであろう。しかし、塩釜は、周知のごとく、近海マグロを中心にして戦後は発展してき
たといっても過言ではなく、三崎、焼津的性格を多分にもっているのである。すなわち、出荷業者の中心はマグロ業者で
あり、大衆魚出荷は付随的であったということができるであろう。そのため、この出荷業者の勢力の非常に強い塩釜市場
とくに丸市市場では、市場も買受人もマグロ中心で、これまでもサンマ漁業者の不評をかったことがあったことからも推
-北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 二一
一北転船スケソウダラ漁業基地の分析- 二二
測しうるように、大衆魚に対する積極的な方策がでてきにくいのである。これに対して石巻は、従来からサンマをはじめ
とする多獲性大衆魚に対する依存度が高く、市場もサンマの不漁からスケソウダラに対して積極的な誘致策をとり、出荷
業者もサンマからスケソウダラヘスムースな転換が可能になるのである、
さて、以上、練製品業者、出荷業者、市場について両港の相異をみてきたが、もう一つ重要なのが出荷業者、練製品業
者の大量処理を可能にしているかラ処理業者の存在である。多獲性大衆魚に対する依存度の高かった石巻では、ほとんど
設備をもたずに単純な肉体労働による大衆魚の一次加工を行なっていた家内工業的零細企業が塩釜よりもはるかに多く存
在していた.、それがサンマの不漁とともにスケソウダラの一次処理に転化しえたのである。しかも、仙台への通勤圏内に
含まれている塩釜地区では、高度成長期以後労働力が移動したのに比し、石巻では相対的に一次処理のための低廉な労働
力がより豊富に存在しているということができるであろう。
さて、以上のべてきたことを結論的にいうならば、石巻と塩釜一の相異は従来からの多獲性大衆魚に対する依存度の相異
ということができるであろう.、多獲性魚に対する依存度の高かった石巻では、市場も出荷業者も加工業者も冷凍業者もそ
の多くが多獲■性魚によって生存してきたと言っても過言ではないであろう.、そのため、近年のサンマをはじめとする多獲
性大衆魚の漁獲高の激減は、石巻水産業全体にとっての危機であり、その時期にタイミング良く出現した北転船はまさに
救世主として石巻水産業全体から積極的に誘致されるのであり、それが、スケ子加工技術、冷凍スリ身技術などの先進地
からの積極的な技術導入となってあらわれるのである。そして、サンマ出荷業者がスケソウダラ出荷業者となり、サンマ
冷凍業者が冷凍スリ身業者に、サンマの油脂、肥料工場がスケソウ残滓処理工場に、零細加工業者がスケ子加工あるいは
ガラ処理工場にそれぞれ転化して、激増する大量一水揚に対応する大量処理の体制がすみやかにつくりあげられたのであ
る。そして、単純な肉体労働による低廉な労働を基盤とした多数の一次処理工場の存在が、比較的少数の上層部(出荷業
者、冷凍スリ身業者、竹輪業者、市場荷受機関)の市場における価格維持を可能としているという石巻水産業の二重構造
的経済構造が北転船基地として日本一の水揚成長率を示している石巻の基礎をなしているという乙とができるであろう。
1北転船スケソウダラ漁業基地の分析一
二三