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初期分裂病の「特異性」について その批判的検討 〔哲学崩れ〕 はじめに 本稿の目的は、中安信夫が提唱する「初期分裂病」概念を批判的に検討することに ある。とりわけ、中安が主張する「初期分裂病の特異的 4主徴」概念が惹起する問題 を中心に検討してみたい。 ここに「初期分裂病の特異的4主徴」とは、極めて大まかに言うなら、分裂病の初 期にのみ 見られる4つの症状、という意味である。換言すれば、この4つの症状(の 幾つか) 1 が認められるなら、その患者は初期分裂病と診断される、ということだ。 この4症状には、自生体験、気付き亢進、漠とした被注察感、緊迫困惑気分が挙げら れている。 だが果たして、これら4症状は本当に「初期分裂病だけに 」認められる症状なのか。 換言すれば、4症状の特異性 specifity)は、その妥当性を果たして維持されうるの か。本稿が提起したい問題は、この点にある。 と言うのも、後述するように、例えば自生体験は初期分裂病にのみ出現するので はなく、強迫神経症にも、解離性障害にも、さらには医薬原性の精神症状としても出 現するからである。とすれば、少なくとも自生体験が初期分裂病特異的であるとは 言えまい。 では、もし4主徴が分裂病非特異的であるとすれば、即ち4主徴が(初期)分裂 病以外の疾患にも出現するとするなら、その時、中安のようにそれらが初期分裂病 特異的であると主張し続けることの、いったい何が問題なのだろうか。本稿では、こ の問題を取り扱いたい。 具体的には、次のような戦略をとる。第一部は、中安理論の概要を、本稿の関心 (初期分裂病症状の非特異性という問題)に従って要約し、それに対する批判的言 説をも概観する。そして第二部において、実際の症例を取り上げつつ、中安が初期分 裂病特異的とした症状が、実際には他疾患にも出現し、且つ他疾患の治療的対応に おいて消失しうるということ、つまり4主徴には特異性が無いことを示してみたい。 そして第三部において、第二部で得られた結論を顧慮しつつ、中安理論が持つ問題 大阪府立大学人間社会学研究科博士後期課程(人間科学専攻)。 1 4主徴のうち一つでも該当すれば初期分裂病と診断されるのか、それともいくつかが揃って 初めて診断されるのか。このことは後述される。1-1節参照。 1

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初期分裂病の「特異性」についてその批判的検討

〔哲学崩れ〕*

はじめに

本稿の目的は、中安信夫が提唱する「初期分裂病」概念を批判的に検討することに

ある。とりわけ、中安が主張する「初期分裂病の特異的4主徴」概念が惹起する問題

を中心に検討してみたい。

ここに「初期分裂病の特異的4主徴」とは、極めて大まかに言うなら、分裂病の初

期にのみ見られる4つの症状、という意味である。換言すれば、この4つの症状(の

幾つか)1が認められるなら、その患者は初期分裂病と診断される、ということだ。

この4症状には、自生体験、気付き亢進、漠とした被注察感、緊迫困惑気分が挙げら

れている。

だが果たして、これら4症状は本当に「初期分裂病だけに」認められる症状なのか。

換言すれば、4症状の特異性(specifity)は、その妥当性を果たして維持されうるの

か。本稿が提起したい問題は、この点にある。

と言うのも、後述するように、例えば自生体験は初期分裂病にのみ出現するので

はなく、強迫神経症にも、解離性障害にも、さらには医薬原性の精神症状としても出

現するからである。とすれば、少なくとも自生体験が初期分裂病特異的であるとは

言えまい。

では、もし4主徴が分裂病非特異的であるとすれば、即ち4主徴が(初期)分裂

病以外の疾患にも出現するとするなら、その時、中安のようにそれらが初期分裂病

特異的であると主張し続けることの、いったい何が問題なのだろうか。本稿では、こ

の問題を取り扱いたい。

具体的には、次のような戦略をとる。第一部は、中安理論の概要を、本稿の関心

(初期分裂病症状の非特異性という問題)に従って要約し、それに対する批判的言

説をも概観する。そして第二部において、実際の症例を取り上げつつ、中安が初期分

裂病特異的とした症状が、実際には他疾患にも出現し、且つ他疾患の治療的対応に

おいて消失しうるということ、つまり4主徴には特異性が無いことを示してみたい。

そして第三部において、第二部で得られた結論を顧慮しつつ、中安理論が持つ問題

* 大阪府立大学人間社会学研究科博士後期課程(人間科学専攻)。1 4主徴のうち一つでも該当すれば初期分裂病と診断されるのか、それともいくつかが揃って

初めて診断されるのか。このことは後述される。1-1節参照。

1

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点を、より明確に描き出してみたい。その際ポイントとなるのは、「確証バイアス」

「不確実性」「他疾患の地平的表象」といった問題群である。

さて、本論に入る前に、本稿の執筆動機について、一言付言しておきたい。筆者は、

第二部で紹介するインターネット上のセカンド・オピニオンを以前から知ってい

たのだが、その中で、「初期分裂病」症状を示す患者に対して、実に安易に(初期)分

裂病の診断が下され、抗精神病薬が使用され、その結果薬剤の副作用によってかえ

って病状を悪化させる人がいることを知った。そしてそれらの患者が、例えば神経

症の治療的対応(SSRI投与など)によって改善しているという事実を知った

のだ。こうした現状を知るにつけ、何故かくも容易に(初期)分裂病の診断が下さ

れるのか、そもそも初期分裂病の診断根拠について、特にその症状の特異性をめぐ

って十分な議論が交わされているのか、大いに疑問に思われたのだ。

本稿は、この疑問に端を発する。そして、初期分裂病症状の非特異性を、非-臨床

医の立場から特に改めて強調することで、上述の如き精神医療の現状に警告を発し、

患者、家族、臨床医、および精神医療に関わる万人が、この問題を考える機縁として

欲しいと考えたのである。本稿にはそのような願いが込められている。

第1部 中安の初期分裂病論について

1-1 初期分裂病の特異的4主徴

中安は1990年発表のモノグラフにおいて、「初期分裂病に見られる特異的症

状(分裂病の特異的初期症状)」2を纏まった形で発表し、この4つの特異的症状を

《初期分裂病の特異的4主徴》と名づけた。最初に、この「特異的4主徴」の具体的な

病像を簡潔に纏めておくことにしよう。

1. 自生体験・・・思ってもいない考えが、突然勝手に湧出したり(自生思考)、昔の記

憶が突然発作的にどんどん出て来たり(自生記憶想起)、明瞭な視覚的イメージが

頭の中で勝手に広がっていく(自生空想表象)、といった体験。ポイントは、自生体

験においては「営為に対する自己能動性の欠如」があるが、「自己所属性」は失われて

いない、ということである(考えようとして考えるのではなく、「考え」の方が「勝手

に」浮かんでくる。しかし、その考えは、「誰かから吹き込まれたもの」ではなく、あく

まで自分のものである)。 

2. 気付き亢進・・・今注意を向けている物(例えば、ノート)以外の、周囲の物(机、

床、筆箱・・・)が視野に入ってきて邪魔になったり(視覚性気付き亢進)、意識を

向けている人の声以外の、周囲の空調の音や他の人の囁きなどに気付いてしまう

(聴覚性気付き亢進)、といった体験。本来ならば地(背景)になるべきものの図化。

2 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、53頁。

2

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3. 漠とした被注察感・・・漠然と人に見られている、注目されている、と感じること。

特に「他に誰もいない自室にいるときにも、背後から誰かに見られている」と感じら

れるなら、確実に初期分裂病と診断できる、と中安は言う。

4. 緊迫困惑気分・・・何故かは分からないが、何かに追い詰められている、絶体絶命、

逃げ場がない、お先真っ暗などと感じること。但し、この緊張感は患者自身には自覚

され難く、むしろ患者の表出、雰囲気という形で治療者によって感じ取られることが

多い、という。 

以上が、中安の言うところの「分裂病にきわめて特異的」3な初期症状である。つま

り、依然、幻覚・妄想といった明確な分裂病の症状を顕現発症させてはいないが、そ

の段階へと一歩上り始めた最初の段階で出現してくる症状である。

中安によれば、これらの症状が確認されれば、特有の幻覚妄想、自我障害が出現す

る以前の段階で分裂病と早期診断し、分裂病としての治療的対応4を敏速にとるこ

とが可能になるのだ。

その場合、「死の3徴候」のように、幾つかの診断基準とされた症状が全部満たさ

れて初めて初期分裂病と診断されるのか、この中の症状が1つでもあれば診断が可

能となるのかが、問題となるだろう。

この点で中安自身の態度は実に曖昧である。彼は、疾病分類学的立場からの、初期

分裂病と他の疾患との厳密な鑑別診断学は端緒についたばかりであると表明しつ

つ、「したがって、《4主徴》の多くを併せもつ定型例の診断には何ら問題はないが、

《4主徴》のうち一つしか有さないというような非定型例と他の疾患との鑑別診断

にはいまだ確たる結論を出しえていないのが現状である」5と述べている。

しかし実際には彼は、「4主徴」の少なくとも一つを確認できれば初期分裂病と診

断できると考えているようだ。例えば、ブランケンブルグの症例アンネを(ブラン

ケンブルグの主張に抗して)単純型分裂病ではなく初期分裂病だと批判する文脈

の中で、中安は、アンネの訴える「考えが押し寄せてきて苦しい体験」や「昼間はっき

り眼が覚めている状態での《夢》とか《空想》」6を自生思考・自生空想表象(つまり

3 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、53頁。4 但し、治療内容は、明確な幻覚・妄想を発現するにいたった極期分裂病とは明確に区別される。

即ち、初期分裂病にはドーパミン遮断剤が無効なのである。具体的に中安は、初期分裂病にはス

ルピリドを第一選択薬とし、それが無効の場合はフルフェナジンに変薬、ないし併用するとい

う。中安信夫「初期分裂病とスルピリド」、中安信夫『初期分裂病/補稿』、星和書店、1996年、

153頁以下、参照。また最近では、クエチアピンも有効であると言っている。中安信夫「初期統

合失調症」、『精神科治療学』、8(増刊号)、2005年、118-9頁、参照。5 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、108頁。6 ブランケンブルグ『自明性の喪失』、木村敏・岡本進・島弘嗣訳、みすず書房、1973年、70

頁。

3

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自生体験)と捉え、「Blankenburg はこの体験の存在に基づいてアンネが分裂病であ

ると確信しえたのではないか、それゆえ別の訴えである「自然な自明性の喪失」を安

んじて分裂病性の体験として考察しえたのではなかろうかと筆者には思われ

る・・・」7と述べている。また、彼は自らの学位論文8を顧みる中で、そこで報告され

た自生空想表象や自生記憶想起、音楽性幻聴を前景とする「経験性幻覚症ないし幻

覚性記憶想起亢進症」の二例を「現時点では・・・初期分裂病であったと判断され

る症例であった」9としている(但し厳密には、当該論文における「症例2」10につい

ては、自生体験のみならず気付き亢進も認められるので、4主徴のうち「自生体験だ

け」を単一的に示していたわけではない)。

以上から、中安が「4主徴」の中の一つの症状を単一に示す場合にも、少なくとも

それを「非定型例」と見做しうる限り、「初期分裂病」と診断することがありうること、

従って「4主徴」概念は、「死の3徴候」のように症状が幾つか複合的に纏まって初め

て診断されるような厳格な基準ではなく、その中の一つの症状でもあれば「初期分

裂病」と診断され得るような曖昧なものである11ことがわかる。

1-2 「特異的症状」の特異性について──中安自身の困難

ところで、特異的、というからには、これらの症状は初期分裂病に出現して、それ

以外の疾患には出現しない、ということを含意しているはずである(中安は、これ

ら4主徴の分裂病「特異性」と、その症状が出現する時期の「初期性」を分けて論じて

いる12が、煩瑣なので纏めて論じる)。

事実、中安は離人症については「それのみを単一症候的に示す離人神経症のほか、

精神分裂病や鬱病などの内因性精神病にも、あるいはてんかん、その他の外因性疾

患にも、またごく一過性ならばいわゆる正常者にも見られる、疾患特異性に乏しい

7 中安信夫『初期分裂病』、93頁。8 中安信夫「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起亢進症の二例」、中安信夫『改訂増補 分裂病症

候学』、星和書店、2001年、481-543頁、参照。9 中安信夫「第Ⅱ部解説」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候学』、星和書店、2001年、477頁。10 中安信夫「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起亢進症の二例」、512頁、参照。「ちょっとし

た小さな音でも耳に響いてきて精神的に苦痛となってしまうことがある」。この論文中では、本

症状は「情動の不安定性」と呼ばれていた。11 分裂病診断にあっては、常にこのような問題が噴出する。(パラノイアのような主題的限局

性を持たない)広汎な場面で生ずる被害関係妄想だけで経過する場合を考えればよい。

例えば、長期に渡って強迫神経症状を呈し、一時期明確な「アポフェニー」(コンラート)構

造をもった被害関係妄想のみを単一症候的に呈した場合(他に幻聴等を欠くものとする)、ホ

ックとポラーチンの「偽神経症性分裂病」概念を考え合わせるなら、大方の人びとは、やはりあ

る種の分裂病(少なくとも近縁疾患)と考えるのではないか。この場合は、少なくとも一般的

には、被害関係妄想のみが分裂病の診断根拠とされるだろう。12 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、71頁、参照。

4

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症状である」13と規定している。そしてアンネの「自然な自明性の喪失」を離人症に近

縁の症状と捉えた上で、「非特異的な初期分裂病症状」14だと言っている。これに対し

て、中安が4主徴については「特異的な症状」と呼んでいることは、既に見た。

だが実は、本当にこれらの症状が「特異的」であるかという点をめぐって、中安自

身の立場が、当初からかなりぐらついたものだった。以下にこの問題点を詳述しよ

う。

最初に確認しておきたいのは、中安が「特異的初期症状」を見出したのは、思弁で

はなく観察によってである、ということである。

後述するように中安は、「4主徴」の特異性を証明するに当たり、最終的には「実証

的方法」ではなく「論証的方法」に訴えた。彼は、初期症状から極期症状への展開の連

続性を精神病理学的に説明することによって、4主徴の分裂病特異性を結局のとこ

ろは理論的に証明する戦略をとったのだ。とはいえ、これだけでは、理論的に跡付け

られたとしても、本当に4主徴が分裂病特異的であるか、という疑念は避けられな

いだろう。

しかし、こうした理論的説明は、実は正に「後付け」に過ぎないのだ。村上靖彦との

次の対談は、そのことを明瞭に表している。

村上 少なくともあの4つの徴候というのは、まずは観察から出ていることですよね。

中安 観察です。

村上 理論から演繹して、これがあっても良いという風に出てきたものではなくて、と

にかくこれがある、特徴的にこれがあると観察して、これを説明する形で理論が出てき

た。そういう順序ですよね。

中安 そうです。15

このように、「特異的4主徴」は中安の臨床経験から帰納的に導出されたものなの

だ。例えば、中安自身が「慙愧に耐えない」とした27歳女性の例(当初、視覚性・身

体感覚性気付き亢進や自生思考、面前他者における被注察感、離人症などを訴え、

「境界例」と漠然と診断されていたが、初診後3年にして突然「マスコミが隠しカメ

ラや盗聴器を仕掛けて私を監視している」などという幻覚妄想状態を呈し、自殺に

いたった例)は、「その概念〔引用者註:初期分裂病の概念〕の形成にかかわった症

13 中安信夫「離人症の症候学的位置付けについての一試論」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候

学』、星和書店、2001年、546頁、強調引用者。14 中安信夫『初期分裂病』、94頁、強調引用者。15 中安信夫・村上靖彦編『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、15

6頁。

5

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例でもあ」16り、特異的4主徴概念の形成に拍車をかけたと思われる。いうまでもな

く、こうした患者(症例)との邂逅が、4主徴の存在→極期分裂病へと進展すると

いう経過型の存在を、中安に強烈に印象付けたのであろう。中安は、このように自分

の臨床経験で得られた確信──4主徴が分裂病の初期症状である、という確信──

を「明証性(Evidenz)」17と名づけている。

けれども、なるほど確かに4主徴を呈していた患者が、実際に極期分裂病症状を

呈するようになる、という事実が存在することは否定し得ないにしても、4主徴が

分裂病の症状であるとは、積極的に主張はできない。例えば、分裂病の初期症状に出

現する自生思考も存在するが、他方同時に、他疾患の中に現れた自生思考というも

のも存在すると、考えられるからである。

そこで中安は、臨床現場での実際の観察によって先の「明証性」が得られていたに

もかかわらず、「なお分裂病としての治療に踏み切るには躊躇があり、臨床医として

その決断を行うにあたってより確かな根拠を求めて」18、4主徴が真に初期分裂病特

異的であることを理論的に証明しようとしたのだ。

4主徴の特異性の証明には、中安によると、2つの方法がある。一つは「実証的証

明」、もう一つは「論証的証明」である19。

「実証的証明」とは、「特異的4主徴」を示した患者が、他ならぬ分裂病の極期症状

へと進展し、それ以外には進展しないことを実際例で以って示すことである。

だが、中安によればこの方法には困難がある。実証的証明のうちの一つ「遡行的方

法」は、分裂病を顕在発症した人に「初期にこのような症状がありましたか」と質問

する方法だ。しかし、初期症状は忘れやすいなどの問題がある。もう一つの実証的証

明である「前行的方法」は「4主徴」を訴える症例を追跡していって、実際に極期分裂

病症状が出現するか否かを観察する方法である。だが、治療的にかかわると、極期に

進展しないかもしれない。かといって実験的に放置することも出来ない。だからこ

の方法も困難である。ただし稀に、誤診や治療の失敗・中断によって、顕在発症する

人もいる。こうした場合は不幸ではあるが、「前行的方法」が果たされたことになる、

と中安は言う。とはいえ、いずれにせよ、通常「実証的方法」は困難であるがゆえに、

彼はこの方法を棄却した。

16 同書、132頁。17 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批

判’」、『精神医学』、43(8)、907頁。中安はこのEvidenz をドイツ観念論由来としている

が(これは台に倣ってのことらしい)、これは不正確であろう(むしろ、デカルト由来だろ

う)。しかし、ここでは深くは追求しない。18 中安信夫・村上靖彦編『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、90

7頁。19 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、71-75頁、参照。

6

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ここに、「論証的証明」によって4主徴の分裂病特異性を証明しよう、とする発想

が生まれる。中安は、4主徴の特異性を証明するに当たっては、こちらの「論証的方

法」を採用した。

論証的証明は、極めて大雑把に言えば、「状況意味失認・内因反応仮説」という分

裂病の病態生理に関する仮説20、および背景思考の聴覚化論21に従って、自生体験等

の初期に出現する4主徴から、定型的顕在症状(幻声、妄想知覚、自我障害、緊張病

症候群)へと連続的に発展しうることを理論的に証示する方法である。これら二つ

の仮説については、本稿では詳述しない。

中安によれば、こうした理論的考察は机上の空論ではない。というのも、仮説上確

立された、初期症状から極期症状の連続性は、必ず、自験例ないし文献例によって検

証されるからである。中安は、こうした仮説演繹的方法を「仮説-検証的方法」と名

づけている22。

ここでは仮説演繹法に内在する一般的問題23については論及しない。ここでポイ

ントになるのは、中安が純理論的な方法で4主徴の特異性を証明したことである

(但しそれは単に理論的なのではなく、仮説演繹的に実例によって検証される)。

さて、ここまでの流れを復習しよう。自身の臨床経験から中安は、4主徴が分裂病

の初期症状であるという確信を得た。しかし、その確信・明証性だけではなお4主

徴を示す患者を分裂病として治療するには躊躇があり、中安は4主徴の特異性を証

明しようとした。その際、実証的方法は困難が付きまとうので、論理的に4主徴の分

裂病特異性が証明されたのだ。

ところが、である。このような特異性の証明にもかかわらず、中安は次のように述

べて4主徴における特異性の不十全性を認めているのである。

・・・例えば極期の幻声一つを取り上げても、それは他の疾患にも見られうるもので

あるからであり、いわんや筆者の主張している初期の《4主徴》については、前章におけ

る特異性の検討〔引用者註:論証的証明をさす〕にもかかわらず、なおそれらが分裂病以

外の疾患には決して見られないものかどうかの検討がいまだ不足しているからである。

このように、上述の諸症状の分裂病特異性はすぐにでもぐらつくものであるが・・・。24

20 この理論が展開される基本文献として、中安信夫「背景知覚の偽統合化」、中安信夫『増補改訂

分裂病症候学』、星和書店、2001年、55頁以下、参照。21 基本文献として、中安信夫「背景思考の聴覚化」、中安信夫『増補改訂 分裂病症候学』、星和書

店、2001年、13頁以下、参照。22 「仮説-検証法」については、中安信夫「方法としての記述現象学」、中安信夫『増補改訂 分裂

病症候学』、星和書店、2001年、802頁以下、参照。23 仮説演繹法の「確証(confirmation)」ないし「検証(verification)」においては、実は帰納ば

かりがなされているという問題。24 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、81頁。

7

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ここで中安は、現状では4主徴の特異性が分裂病以外の疾患に決して見られない

かは分からないとし、正直に「分裂病特異性はすぐにでもぐらつく」ことを認めてい

る。

中安はこの困難を回避するに当たって、分裂病という一つの疾患単位の中に、初

期の症状から極期の症状が理論的に連続的に配置しうることを論証し、病態生理学

的仮説に基づいて動的に疾患単位を構成しうることを示すという戦略を、再び回帰

的に提唱する25。

即ち、中安は「上述の諸症状の分裂病特異性はすぐにでもぐらつく」背景として、

「分裂病の成因及び病態生理に関して、どのレベルにおいてもいまだ確たる統一的

見解が存せず、従って症状レベルで分裂病を規定しようとしても、それは否応なく

仮説的、操作的にしかならないから」26という理由を挙げた上で、次のように言うの

である。

 ただ、筆者は症状レベルにおける仮説的、操作的な分裂病規定においても、各々の時期

の個々の症状一つひとつの分裂病特異性を問うのではなく、一方では分裂病シュープを

初期-極期-後遺期と連なる一連のセットとみなし、互いの時期の表面上は異なる症状

間の関連性(縦断的症状関連)をさぐり、他方では同時期に存する幾つかの症状の複合

の中に一定のパターン(横断的症状複合)を見いだし、すなわちシュープに見られる症

状全体を互いに関連する一つのまとまりのある症状群ととらえ、そうした症状群として

の特異性を問う方が現段階においては有用であろうと考える。

「横断的症状複合」の問題は先に触れた。確かに、(ここでの中安の言明に従う限

り)4主徴は「横断的症状複合」と見做されるが、実際には、少なくとも「非定型例」

として、4主徴の中の1症状が単一に出現しても、「初期分裂病」と見做されえたの

であった。

ここでポイントとなるのは、「縦断的症状複合」及び「症状群としての特異性」なる

概念である。つまり、症状間の縦断的連関性を病態生理学的仮説によって、少なくと

も理論的に確保するという戦略を採用すれば、幻声という一症状の非特異性という

難問も同時に解消しうるのだ。例えば自生思考から幻声へと連続的に発展しうるこ

とが理論的に証示出来れば、それら両症状が分裂病という一疾患単位=一つのまと

まり(ここではクレペリン的な厳密な疾患単位概念ではなく、「症状群」の意である

が)の下位分子として捉えられる。つまり、仮説的病態生理理論によって、初期症状

である自生思考も、極期症状の幻声も、ともに分裂病の症状(分裂病という一つの

まとまり=症候群を有機的に構成する一症状)としてはじめて把握しうるのであ

25 同書、同頁、参照。26 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、81頁。

8

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る。しかもその際、両症状群の理論上の構造的な相互連関が明らかになる。つまり、

かかる論証によって、両症状の分裂病性(分裂病特異性)が支持されながら、同時

に、分裂病という一疾患単位の動的把握――否、むしろ「分裂病」というまとまり=

概念(Einheit)の形成というべきだが――もが可能となる。これは、周知の分裂病

(概念)の混乱のなかで、理論的には「現段階では有用な」、見事な解決策といえる。

だが、薬剤起因性の表現模写においても、幻声は認められるのである。そのときこ

の幻声を、誰が分裂病症状と捉えるだろうか。また、側頭葉癲癇の複雑部分発作にも

気付き亢進・自生体験類似症状→数ヶ月間持続する被害妄想という経過をとるも

のがある27。ここでも、この被害妄想を「分裂病症状」と捉える人はいないだろう。即

ち、中安のような理論的戦略が成功するとしても、依然幻声の、被害妄想の、自生体

験の分裂病特異性は支持しがたいのだ。むしろ、幻声や被害妄想が分裂病非特異的

であり、「どの疾患にも出現する」からこそ、臨床医は例えば薬剤起因性の精神症状

との「鑑別診断」に気を遣うのではなかろうか。ことほどさように、例えば自生思考

という症状を、直ちに分裂病特異的と考えることは出来ない。それが他疾患に出現

する可能性は、依然として棄却し得ないからだ。従って、中安の巧妙な理論的戦略に

もかかわらず、先の引用文で中安自身が述べていたように、4主徴(4つの症状群)

が分裂病以外の疾患に決して見られないかは明らかではなく、その特異性は常に揺

らぎつつあると考えられるのである。

諸症状を分裂病という一まとまり(一概念)の中で統一的に理解するための「理

論フレーム」による症状把握の成功と、その中に属する諸症状の非特異性という事

態は、全く別の次元に属すると考えられるべきである28。

以上で、先の論証的証明にもかかわらず、中安自身が4主徴の特異性に対しては

ある種の疑念を抱いていたこと、いわば影を振り払うかのごとく、中安は理論的な

解決法を提唱したが、それは失敗せざるを得ないこと、が論じられた。

だがここで逆に、筆者としては、4主徴が非特異的であること、即ち他の疾患にも

出現しうることを、具体的に示さねばならないだろう。しかし、それは本稿第2部で

の課題である。その前に、「特異的4主徴」の唱導を旨とする中安の「初期分裂病論」

に向けられた批判的議論に、言及しておく必要があるだろう。

27 武井茂樹「妄想と認知障害」、『老年精神医学雑誌』、17(10)、2006年、1069頁。類

似、というのは持続時間などにいわゆる「4主徴」との差異が見いだされるからである。28 この点に関して、中安が当然このような反論を予想していたはずだ、と思われるだろう。これ

については、1-3節の加藤忠史との論争で見るように、中安は、ただ単にこの論証が自験例や

文献例による確証を経てきているということを繰返すにとどまる。(実際の)症状がもつ非特

異性と、理論との関係については、彼は何処でも言及していない。

9

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 1-3 中安理論に対する論争

中安の初期分裂病論が最初に纏まった形で発表されたのは、1990年のモノグ

ラフである。それから数えて、16年が経過した。中安は2004年の著書で、自身

の初期分裂病の概念が「いくつかの施設では頻用されるに至っているが、まだまだ

知られるところ少なく」29と述べている。しかし、いくつかの施設では頻用されてい

る、ということになれば、前節で論及してきた4主徴の特異性に関する問題は、十分

議論に付されるに値する課題であるはずだ。

ところが、不幸なことに、この問題についての批判的検討は数えるほどしかない。

この点については、オーストラリアやイギリスの「初期分裂病( early

schizophrenia)」の研究グループが、偽陽性(false positive)の問題を倫理的な地平

で繰り返し論じているのと対比的である。もちろん、これらの研究はその特性上直

ちに中安の理説と等置するわけにはいかないが、少なくとも最終的な目標点(分裂

病の初期予防)は共有していると思われる。例えば、Elsevir 社の『分裂病研究

(Schizophrenia Research)』誌51巻(2001年)は、丸々一号を「初期分裂病研

究の倫理」特集に充て、マッゴリー30やマッグラーシャン31らこの分野の代表的研究

者が、「偽陽性」の問題に触れている。ここに「偽陽性」とは、マッグラーシャンによれ

ば、「「前駆症状(prodromal symptoms)」が結局のところ消失してしまったり、精神

病以外の何かほかの障害の徴候を示すに至った人」32のことである。偽陽性の問題や

他疾患との鑑別診断の問題は、今年(2006年)も既に論じられている33。

さて、中安の「特異的4主徴」に対する国内の批判的考察は、では具体的にどのく

らいあるのだろうか。

結論から言うと、4主徴の「特異性」に対して、具体的な疾患名を提示しながら異

議を唱えたのは、柴山雅俊の論考だけである。ただし、中安のテーゼに明確に「異論

を唱えて」いるわけではないが、側頭葉癲癇に「初期分裂病」様の症状が出現するこ

29 中安信夫・村上靖彦編『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、20

04年、3頁。30 Cf. McGorry, P. D., Yung, A., Phillips, L., “Ethics and early intervention in psychosis: keeping up the pace and staying in step,” Schizophrenia Research, 51, pp. 17-29.31 Cf. McGlashan, T. H., “psychosis treatment prior to psychosis onset: ethical issues,” Schizophrenia Research, 51, 2001, pp. 47-54.32 Ibid, p. 49.33 Cf. Haroun, N., Dunn, L., Haroun, A., Cadenhead, K. S., “Risk and Protection in Prodromal Schizophrenia: Ethical implications for Clinical Practice and Future Research,” Schizophrenia Bulletin, 32(1), 2006, pp. 166-178. 前述のマッゴリー、マッグラーシャンから、

このハロウンにいたるまで、特異性の問題は「NNT」、即ち質問紙のどれくらいの項目に丸が

ついたら抗精神病薬を投与してよいのか、という問題に還元されてしまっている感がある。

10

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とを、武井茂樹と濱田秀伯とが報告している。

柴山は解離性障害に関する論文の中で、中井のいう「偽りの静穏期」に出現する

「頭の中の騒がしさ」(中安においては「自生思考」と捉えられる)が、「統合失調症

の特異的症状であると考えることはできない」34と明確に述べている。この症状は分

裂病だけではなく、解離性障害にも出現するというのである。また、別の箇所35で、

「面前他者における注察・被害念慮」(=本稿の冒頭では、1990年のモノグラフ

に倣って、漠とした被注察感とした)が、この症状単独では分裂病と解離性障害と

の間で鑑別するのが困難であるとしている。このように柴山は、解離性障害の考察

を通して、4主徴の分裂病非特異性を主張している。ただ、初期分裂病との鑑別診断

の必要性を訴えつつも、その具体的な細部の考察は常に予告で終わっており、今後

の展開が注目される。

また武井と濱田36は、複雑部分発作を有する側頭葉癲癇に出現した、気付き亢進、

漠とした被注察感(実体的意識性)や自生記憶想起、自生内言などの諸症状を報告

している。その際武井らは、初期分裂病に生ずるとされる気付き亢進や自生体験と、

側頭葉癲癇において生ずるそれら症状との経過論的・症候学的差異を剔抉した。即

ち、後者においては、前者と違って症状の持続時間が極端に短いこと、癲癇の視覚表

象が感覚性を強固に帯び鮮明であるのに対し、分裂病においては聴覚性・視覚性と

もに漠然としていること、癲癇発作では情動性が強いのに対して、分裂病では漠然

とした不安にとどまることが多い、といった差異である。そして、「つきつめると前

者〔引用者註:癲癇における初期分裂病様症状〕は意識変容にもとづく症状であり、

後者〔引用者註:初期分裂病〕は人格ないし自我の障害による症状であり、各々やは

り成立する基盤が異なると言いうるかもしれない」37と結論付けている38。

4主徴の特異性という我々の目下の関心からいえば、武井らは経過・症候論的差

異を際立たせようとしており、つまりは「初期分裂病症状と似ているが違う」症状を

記述しようとしている。してみれば当然中安の「4主徴」の特異性を批判する文脈に

接続されることはないだろう。勿論筆者としては武井らの試みを批判したいわけで

はない。むしろ鑑別診断という重要な事態に言及されているのだから、評価すべき

34 柴山雅俊「解離性障害にみられた幻聴」、『精神医学』、47(7)、2005年、711頁。35 柴山雅俊「現代における解離の症候学」、『精神医療』、42、2006年、35頁。36 武井茂樹・濱田秀伯「側頭葉てんかんと精神分裂病の初期状態」、『臨床精神病理』、19、19

98年、281-288頁、参照。37 同書、255頁。しかし余談になるが、「自我」とか「人格」といった極度に曖昧な哲学的概念を

無規定なままに使用して何が得られるのかは、引用者にはわからない。38 但し、武井らはこれに続けて「例えば非定型精神病では、むしろ側頭葉てんかんに近い症状が

前景をしめるので、病態のある水準では移行があることも否定しえないように思う」とも述べ

ている。

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だろう。ただ、ここで確認しておきたいのは、武井らの行論によっては、中安の「特異

的4主徴」概念の「非特異性」は証示されないということである39。

従って、前述のとおり、具体的な疾患名を挙げた上で、中安の主張する「特異的4

主徴」の非特異性を証示しようとしたのは、以上の柴山のみである。しかも、これに

対する中安の応答論文のようなものは、少なくとも私の知る限りは存在しない。

ほかに特異性をめぐる論争で取り上げるべきは、鑑別すべき具体的な疾患名を提

示せずに、4主徴の特異性に疑義を提出するものである。この種の反論は、顕在症状

を示さないうちに症状が消失する患者がいるが、こうした患者が本当に、「既に分裂

病が発症していた」といえるのか、という論点に依拠して展開される。

その代表格が、加藤忠史と中安信夫の論争である。

加藤40は、Evidence-Based Psychiatry の視点から、中安の初期分裂病概念を再検討

しようとした。加藤の論点は多岐に渡るが、4主徴の特異性については、おおよそ、

次のように論じている。即ち、「中安の主張の中で最もEBPの考え方とそぐわない

のは、これらの4主徴が分裂病に特異的な初期症状であることは、すでに精神病理

学的論証によって証明されたとしている点である」41。というのは、中安の言う4主

徴を呈する患者のうち、顕現発症させない患者もいるからである42。こうした「偽陽

性」の患者もいる以上、初期症状を示す患者に、一様に抗精神病薬の長期投与を行う

のは危険である43。だから、可能な限りの高い評価者間一致度を獲得しうる、初期分

裂病の操作的な診断基準を早急に確立した上で、顕在発症率一般や、例えばスルピ

リドと抗不安薬との間の顕在発症率の無作為割付二十盲検比較試験を行うべきだ44、

としている。

これに対して中安45は、次のように反論する。

1.特異性について。

39 因みに、中安自身も側頭葉癲癇との鑑別については初期の頃から十分に考慮し、やはり綿密

な症候学的差異を剔抉していた。彼の学位論文、中安信夫「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起

亢進症の二例」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候学』、星和書店、2001年、481-543頁、

参照。40 加藤忠史「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」、『精神医学』、42

(9)、2000年、983-989頁、参照。41 同書、984頁。42 同書、同頁、参照。43 同書、985、989頁、参照。44 同書、989頁、参照。45 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批

判’」、『精神医学』、43(8)、905-911頁、参照。

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1a.特異的(specific)という語については「他の人からも異論を呈されたこと

がある」46が、何故「特異性」という強い語を用いるようになったかといえば、次の様

な理由があったからだ。即ち、α.初期診断をする際、従来分裂病の初期に出現する

とされていた不定愁訴や神経症症状は非特異的で、これでは症候学的診断が不可能

であり、また他方で初期診断のためには面接中の表出や独特の思路の乱れ、人生の

「屈曲点(Knück)」などを「長年の臨床経験」によって総合的に評価せよと言われ

ていた47。β.上記のような診断方法によって分裂病を疑診しながらも、神経症・診

断留保としたり「気にしすぎでしょう」などとしていた例で、みすみす分裂病の顕在

発症を許す研修医の頃の苦い経験があった。そこで、「より特徴的な体験症状を見い

だし、できるだけ早期に治療を開始することで顕在発症を予防したいと小生が願う

ようになっていたという経緯があった・・・。そのことが旧来の不定の心身的愁訴

や神経症様症状に比してより特徴的で診断に有用と思われた初期症状を見いだし

た際に、それに「特異的」という言葉を冠させた理由である・・・」48。ところが、そう

した背景・経緯を加藤はまるで理解していない。

1b.また、加藤は、4主徴の特異性を示すための精神病理学的論証が机上の空

論のように述べているが、自分は「仮説-検証的方法」(前節参照)に則り、自験例

や文献例で常に検証しているから、それは決して机上の空論ではない。

2.「偽陽性」=顕現発症しない患者=分裂病の発症ではないかもしれない、とい

う加藤の捉え方について。

この捉え方は、中安によれば間違っている。防御メカニズムにより、顕現症状の発

現には進展しないものの、初期症状だけが出現し、場合によってはそれだけで治癒

する疾患など「ごまんとある」49からだ。

この加藤と中安の論争は、加藤の批判と中安の反批判にとどまっており、その後

の展開に乏しい。また、以下に見るように、中安は加藤の問題提起に誠実に応答して

いるとはいえないので、論争とすら言いがたい側面がある。

まずここで、「特異性」に関して重要な見解が表明されている点に注意したい。つ

46 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批

判’」、『精神医学』、43(8)、907頁。47 同書、同頁、参照。中安は様々な箇所で、こうした臨床医の「経験」や直観に依拠する診断の危

うさに対して不快感を表明し、それ故に初期分裂病を確実に見いだすための(特異的症状に基

づく)「症候学的診断」を確立しようと考えたのだ、そのために診断に有用な「特異的症状」を発

見したかったのだと語っている。例えば、中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、4頁、

中安信夫『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、2004年、150頁、

などをも参照。こうした動機自体には深く共感したい。48 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批

判’」、911頁。49 同書、同頁。

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まり中安によれば、「特異的」という語は他の人からも異論が呈されていたこと、し

かし如上の「経緯」「背景」があったために、自分は「特異的」という強い語を冠したと

いうのである。

中安が「加藤は理解していない」と嘆息する「経緯」とは、言うなれば「心情倫理」

(ウェーバー)であろう。しかしながら、こうした「背景」があるにしても、もし現実

に4主徴が他疾患にも出現するのだとしたら、だからといって「特異性」という語を

用いてよいという理由にはならないだろう(「特異性」とは、一般的には、ある疾患

に見られ他の疾患に見られないことを含意するから)。

しかも中安は、「特異的」を「より特異的」という相対概念に密かに変形したり、「特

徴的」という語を使用して事態を糊塗したり、「より穏やかにいうなら疾病特徴的

(pathognomic)というべきであるが」50と述べてお茶を濁している。だが、こんな姑

息な操作は要するに、「特異的4主徴」の「特異性」が崩れ去ったということを暴露し

ているのではあるまいか? このとき中安が、「他の人からの異論」を暗黙裡に受け

入れたのか否かは判断しかねる。しかしいずれにせよ、これでは、4主徴の特異性に

対して疑念を突きつけた加藤に、中安が誠実な答弁を返していることにならないだ

ろう。心情倫理を持ち出しても、事態は変わらない。もし4主徴の「特異性」が実は破

綻しているのだとしたら、4主徴の「特異性」を疑問視した加藤の批判を留保なしに

受諾し、「特異的」と称していた症状が、実は非特異的でどの疾患にも出現し得るこ

とを十分確認すべきであったと思われるのだ。

更にまた、前節で問題になった、精神病理学的理論によって疾患単位(症状の一

まとまり)を確保しつつ、同時にそこに属する諸症状の分裂病特異性を導出すると

いう解決法に対しても、加藤は「EBPの立場から」疑念を抱いている。これに対し

て、中安は上述1bの箇所で、自分は文献例や自験例で「仮説-検証法」的に確認し

ているから、精神病理学的論証は「机上の空論」ではないとする。だが、これに対して

は、筆者が前節で論駁しておいた。

このように、加藤-中安論争は、加藤が特異性問題について重大な問題を提起し

ているにもかかわらず、中安が誠実な応答をしているとはいえない。そして、より重

要なことは、結局4主徴の「特異性」問題が曖昧なまま放置されてしまったとことで

ある。

50中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批

判’」、『精神医学』、43(8)、907頁。因みに、pathognomic という語は、これまた特異性と

同義に使用される場合がある。例えば、”There are no pathognomic symptoms of schizophrenia; that is, there is no symptom ( or set of symptoms) that is found only in schizophrenia and no other mental disorder.” ( Glynn S. M., “Psychopathology and Social Functioning in Schizophrenia,” in: Mueser K. T. and Tarrier N. (eds.), Social Functioning in Schizophrenia, Allyn and Bacon, 1998, p. 67, emphasis added.)

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ところで、この加藤-中安論争において確認されるべきポイントがある。即ち、加

藤のように、顕在症状への非進展性を論拠にして、中安の「4主徴」の特異性を批判

することは出来ない、ということである。というのも、中安も正当に述べるとおり、

顕在症状を発現しなかった患者は、分裂病を発症したものの、(特異的な)初期症

状だけを呈して、自然治癒してしまった、とも考えられるからである。従って、加藤

が提示して見せたように、explicit な「初期分裂病診断基準」を構築し、それを満たす

患者を inclusion し、然る後に「顕在発症率」を調べ、実は「顕在発症」する患者が統計

的に少ないことを示し、もって4主徴の「非特異性」を主張することはできないとい

うことだ。4主徴の分裂病特異性を真に批判するには、具体的な疾患名を対抗的に

明示する、柴山のような戦略をとるしかないであろう。

それを筆者は、第二部で遂行したい。

第2部 症例提示に基づく4主徴の特異性の反駁

第1部では、中安の言う「4主徴」の分裂病特異性が、実は維持されがたく、中安自

身も曖昧な態度をとっていることを論じた。その上で、中安理論に対する代表的な

論争を取り上げて、中安の4主徴の特異性を批判するには、具体的に、対抗的に疾患

名を明示しつつ、4主徴が他疾患に出現していることを示す必要があることが、確

認された。

前節で見たように、既に柴山によって解離性障害については吟味されているのだ

が、吟味の対象になっているのは一疾患のみである。この状況は、初期分裂病症状の

非特異性についての綿密な議論が、絶対的に不足していることを裏書きしている。

それでは、ここで具体的な症例を挙げて、4主徴が他疾患に出現しうること、他疾

患の標準的な治療的対応においてそれが同時に消失することを示したい。本稿では、

主に強迫神経症を取り上げる51。

〔症例1〕30歳、男性52

23歳時、過敏性腸症候群と思われる腹痛で、A心療内科を受診した。その後、Bクリニ

ックでパニック障害、Cクリニックで強迫性障害として治療を続けるが、軽快せず、精神

病院に6ヶ月入院した。診断は精神分裂病(統合失調症)。ペロスピロン8mg、クロルプロマジン25mg、パロキセチン20mg、ビペリデン2mg、エチゾラム0.5mg を

服用していた。その後、笠の下を受診した。

症状は、雑念強迫(強迫観念)、自生思考。強迫神経症の診断で、クロミプラミン30

51 他の疾患、例えばパニック障害などについては、次稿において示したい。また、本稿が布石と

なり、この種の議論が広がってくれることを期待したい。52 笠陽一郎「毒舌セカンドオピニオン」、「症例84」http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4511/syourei84.htm (2006年8月31日現在)。

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mg、パロキセチン20mg、スルピリド150mg、アルプラゾラム2.4mg、エチゾラム1 mg より開始し、最終的にはパロキセチン20mg、エチゾラム1mg に落ち着いた。

症例1では、強迫観念に自生思考が随伴していた。入院した精神病院では分裂病

の診断の下、抗精神病薬と抗鬱剤が意味もなく併用されるなどしていたが、クロミ

プラミンとパロキセチン併用による強迫神経症の治療がなされるにいたる。そして

最終的には主剤がパロキセチン一本に絞られた。かくして、強迫神経症の治療によ

って自生思考の改善が図られうることが示されるわけだが、慧眼な読者ならば、最

初にスルピリドが投与されていることを指摘するであろう。

恐らくこのスルピリドは食欲不振の対策として投与されたものと思われるが、中

安がスルピリドを初期分裂病治療の第一選択薬としている以上、これが自生思考の

軽快に関与していた可能性も捨てきれない。とはいえ、その後スルピリドが中止さ

れ、パロキセチン単剤(眠剤としてエチゾラム)とされた後も、改善が持続してい

る。従って、抗精神病薬が中止され、強迫神経症の治療、即ちパロキセチン単剤によ

る治療によって軽快していることを勘案するなら、分裂病特異的とされた自生思考

が、強迫神経症という一疾患単位53の下に出現したこと、それが強迫神経症のための

治療(パロキセチン投与)によって改善したことを主張してもよいはずである。

〔症例2〕21歳、男性54

19歳頃から「被害妄想」で某医を受診していた。イライラによる親への暴力もあり、笠

の下を受診した。前処方は、リスペリドン6mg、ビペリデン3mg。症状は強迫観念や自生思考。そこで「精神分裂病」の診断を疑い、処方の見直しと診断の

検討がなされた。新処方は、オランザピン10mg、パロキセチン20mg、ニトラゼパム

5mg。以上で症状は消失した。その後、オランザピン・ニトラゼパムは中止されている。

前医の診断について笠は、「いわゆる雑念強迫や自生思考を幻聴や妄想と見間違って

「強迫神経症」を「精神分裂病」と診断したものと思われる。類似ケースにもう数十例は出

会っている。診断能力の低さよ!」55と慨嘆している。

具体的な症状の内容が掴めないため、雑念強迫や自生思考が、なぜ幻聴・妄想と

混同されうるのかここからは分からない。ただ、ここで重要なのは、症例1と同様、

抗精神病薬(リスペリドン)による治療──分裂病の治療──から、抗鬱剤(パロ

キセチン)を中心とした治療──強迫神経症の治療──に切り替えられたことに

53 「強迫神経症」を一疾患単位とするか、それとも単なる症状群とするか、あるいは一症状とす

るかは議論の分かれるところであろうが、ここでは自生思考が分裂病という単位以外に出現し

ていることが肝要であり、極めて緩やかな意味で「疾患単位」という語を使用している。54 笠陽一郎「毒舌セカンドオピニオン」、「症例5」http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4511/syourei5.htm (2006年8月31日現在)。55 笠陽一郎「毒舌セカンドオピニオン」、「症例5」http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4511/syourei5.htm (2006年8月31日現在)。

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より、自生体験を含む強迫神経症の諸症状が消失している点である。かくして、この

症例によっても、自生思考が強迫神経症に出現すること、それが強迫神経症の治療

(抗鬱剤の使用)によって消失することが、証示されたといってよい。

だがしかし、ここで注意深い読者ならば、オランザピンが一時的に併用されてい

ることを指摘するであろう。北海道大学の安部川ら56は、分裂病の「警告期症候」(=

中安の言う初期分裂病症状+徴候。患者自身によって体験される「症状」+治療者に

よって感得される切迫した独特な表出、「徴候」。症状と徴候が纏めて「症候」と呼ば

れている)を示す患者に、リスペリドン、ペロスピロン、オランザピンなどの非定型

抗 精 神 病 薬 を投与し て改善を 見 た と し て い る 。 そ の 際彼ら は 、

「Risperidone、perospirone の効果が不十分な場合は、olanzapine が有効であった」57と

述べている。従って、症例2において、リスペリドンからオランザピンへの変薬が、

症状の改善に寄与した可能性も否定できない。

しかしながら、その後オランザピンが中止され、パロキセチンのみが処方されて

維持していることから推論すると、自生思考を含む強迫症状がパロキセチンによっ

て消失した、と理解してよいのではなかろうか。

〔症例3〕21歳、男性58

基底に広汎性発達障害があると考えられる。幼少時にチック症状を発症した。中学校1

年時より不登校(以降引きこもり)、それに引き続き13歳ごろ強迫神経症を発症した。

強迫行為(右手で触った物を左手で触らねばならない、手洗いなど)、確認強迫。また視

線恐怖、「周りのものが自分を攻撃してくる感じ(=他者に共感されない感じのこと)」

もあった。

19歳時、父親が「二十歳になったら自分の将来に対する計画書を作りなさい」など、厳

しい言葉を投げかけた。それに呼応するかのごとく、高熱、過呼吸、ベッドから起きられ

ない状態が続き、その後幻聴、幻覚様の症状を呈した。さらに、入院直前、「自分の中にな

にか怖いものが入ってくるような気がする」などと自我障害と思われるようなことを訴

えて大きな声で叫び始めた。また、「自分は障害を持っているために対人恐怖がうまくい

かず、学校に行けなくなった。親はそれに早く気がつき、英才教育を施していれば不登校

になることはなかった(英才教育を施していれば外科医になれた)」などと親を罵倒し、

謝罪を求めた(暴力にまで発展することもあった)。

患者自身が病院に受診希望。病院は2箇所を回り、一つ目の病院では、「軽度の神経症」、

二つ目が「内向的な性格からくる抑うつ状態」という診断であったが、その後、別の医師

から「統合失調症の可能性あり」と診断された。

56 安倍川智浩・北川雄士・松山哲晃・小山司「「統合失調症の警告期状態」に対する非定型抗精

神病薬の使用経験」、『精神神経学雑誌』、106(11)、2004年、1357-1372頁、

参照。57 同書、1357頁。58 「セカンドオピニオン掲示板 第一カルテルーム」、

http://mental2.hustle.ne.jp/pub/docview.cgi#13 (2006年8月31日現在)、アトム氏

の欄。適宜編集した。

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一箇所目の病院にて、経口薬のハロペリドール25mg(最初は1.5mg にて開始、

徐々に増量)をはじめとし、デカン酸ハロペリドール100mg(2週に1度深部注

射)、ゾテピン150mg、クロミプラミン20mg などなど、極めて多数の向精神薬を

投与される。その際、ジストニア(眼球上転発作、知覚変容発作、口周部の異常運動)や

不安の異常亢進、それに基づく絶叫、アカシジア、離人症など、種々の副作用が出現した。

また、副作用と思われる症状の中に、自生思考があった。

2005年、前述の罵倒と暴力のため、2度入院した(精神症状のためではない)。

同年、多剤大量処方の見直しのため、別の病院に転院・入院した。減薬・整理の結果、2

006年1月の時点で、クエチアピン600mg、フルボキサミン75mg(後100mgに増量)、バルプロ酸ナトリウム600mg、ロラゼパム1.5mg にまで整理され、5

ヵ月後にはクエチアピンは中止された(リスペリドン0.5mg に入れ替え。その後、1

0日間ほどリスペリドンを試験的に中止してみたところ、調子が良かった)。しかし、現

在、患者自身の希望と主治医の意向により、アスペルガーに対して、アリピプラゾール低

用量(3mg)の併用がなされている(が、良眠が得られないため中止された)。現在広

範性発達障害起因的な強迫様の発想などがあるが、一切の抗精神病薬なしに概して安定

している。

最後に、父親による自生思考についてのインターネット上への投稿を引用しておきた

い。

「ボクの息子も長い間、自生思考で苦しみました。本人に聞いても、自生思考と幻聴の区

別 は な か な か つ か な い よ う で す 。

 ただ、自生思考のほうは、声になる前段階の考えの嵐のような感じで、親が「男の声?

それとも女の声?」と聞いても、本人はわからないと答えていました。

 本来人間は、「さて、このことについて考えよう」と考え始めるのですが、考えようとし

ていないのに次から次へと考えが勝手に浮かんでくるのは、本人にとって見たら、本当

に 辛 い よ う で す ね 。

 でも、1~2ヶ月前まであった自生思考も、クスリの調整によって、ほとんどなくなっ

ています。」59

ここにクスリの調整とは、クエチアピンおよびフルボキサミンを中心とした処方のこ

とである。ジストニア、アカシジア、離人症、自生体験といった副作用は、「クスリの調整」

によって消失したのである。

症例3の患者からは、実に様々な教訓が学び取られるであろう。

症例3では、「初期分裂病」の診断を実際に受けているわけではなかった。むしろ

幻聴用体験や、「自分の中に何かが入る」などの自我障害様の体験が存したことから、

極期の分裂病が疑われる素地があったといえよう(実際に「(初期ではない)統合

失調症の疑いあり」と疑診のレベルで診断されているが、処方内容は分裂病そのも

の、しかも分裂病処方にしても過度にアグレッシブな、素人目に見ても多剤大量の

悪しき処方内容であった)。

初期分裂病症状の非特異性を証示しようとしているわれわれの立場からすれば、

59 「セカンドオピニオン掲示板」、 http://mental.hustle.ne.jp/pub/ 2006年1月18日。

アトム氏による投稿。投稿番号1876。

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入院前から存在したとされる「視線恐怖(=漠とした被注察感)」の症状、および薬

剤起因的に惹起されたと推測される「自生思考」に対して考察を加えねばならない。

前者、即ち「視線恐怖(=漠とした被注察感)」は、症例3の父親によれば、統合失

調症の疑診の根拠とされていた。疑診を下した医師は、「問診表の中で本人が肯定し

た「人の視線が気になる」という点について、医者が「レストランに行ったとき、視線

が気になったか?」という質問をしたときに、本人の返事の仕方に葛藤があるとの

ことで「統合失調症」と判断した」60というのである。

蛇足になるが、注察念慮の存在を、患者が葛藤をもって答えた場合、それは分裂病

である、という珍説を、私は寡聞にして知らない。そういう説があるのだろうか?

さて、いずれにせよ、漠とした被注察感がアスペルガー症候群を強く疑わせる例

において出現していることは、十分留意すべきであろう。一般に、アスペルガー症候

群にも漠とした被注察感が生じるという知識は、もはや医学の分野を超えて、哲学

的考察61にさえ入り込んでいる。してみれば、症例3においても、漠とした被注察感

(視線恐怖)が生じたことは不思議なことではない。かくして、漠とした被注察感

が(初期)分裂病特異的では決してないこと、ここでこのことが明晰に理解されね

ばならない。そして、症例3から、こうした症状が、(ここでは「初期分裂病」とはさ

れてはいないが)極めて安易に「分裂病性」とされている実態をも、深く認識してお

く必要があると思われる。

また、症例3の患者において「自生思考」が随伴している点も見逃せない。この自

生思考は、ハロペリドールを大量に投与されているときに最も激しく出現していた。

また、その減薬と変薬によって消失しており、一切の抗精神病薬を中止した後も消

失が維持されている。こうした因果関係から推論する限り、医薬源性の自生思考と

捉えることができるだろう。もとより、アスペルガー起因的な強迫症状に随伴した

自生思考と解釈し、抗精神病薬によって増強され、フルボキサミンによって消失し

たと捉えることも可能である。ここでは、どちらの解釈が妥当かを直ちに決定する

ことは出来ない。しかしながら、どちらの解釈を採用するにせよ、症例3において出

現した自生思考を、初期分裂病の一症状と解釈することは、もはや不可能である。こ

こに、医薬源性ないしはアスペルガーの反応的な自生思考の存在が立証されるだろ

う。従って、中安の主張──自生体験が(初期)分裂病特異的である──は、ここで

60 「セカンドオピニオン掲示板 第一カルテルーム」、

http://mental2.hustle.ne.jp/pub/docview.cgi#13 2006年8月31日現在、「アトム」氏の

欄。61 詳細は、村上靖彦「視線の構造──自閉症児の対人恐怖と情動的間主観性の現象学」、日本哲

学会、2005年5月21日、参照。

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棄却されなければならないのだ。62

以上3つの症例の考察により、自生体験が強迫スペクトラム圏、ないし医薬源性

精神症状として出現することが実証されたと考えられる。また、漠とした被注察感

がアスペルガー症候群圏内に出現することも学んだ。以上の考察から、少なくとも

自生思考および漠とした被注察感が、初期分裂病特異的な症状であると主張する根

拠は、決定的に反駁されたと私は主張したい。

それゆえ、ここでは結論的に次のことが認識されねばならない。4主徴は分裂病

特異的では決してない。それ故、4主徴が確認されたからといって、それを初期分裂

病と診断してしまうのは、極めて性急な態度である、ということだ。

但し、ここでは次のような批判がありうると思う。1.自生思考と漠とした被注

察感については、なるほどその非特異性の証示に成功したが、他の諸症状(例えば

自生空想表象・記憶想起、気付き亢進、緊迫困惑気分)については論破されていな

い、2.本稿の考察では強迫神経症とアスペルガー(ないし医薬源性)の症状ばか

りが取り扱われ、他の疾患については全く言及されていない、という批判である。こ

の点については、筆者も論証の不十分さを認めるのにやぶさかではない。これは今

後の課題とし、他症状の分裂病非特異性、他疾患における4主徴の出現を今後証示

したいと考える63。

第3部「特異性」概念が引き起こす具体的問題

 3-1 具体的事例に基づく導入

さて、本稿では第2部の、症例1と2で、強迫神経症における自生思考の随伴の問

題を考察した。中安は、強迫神経症の症状に関する質問紙「自記式Yale-Brown 強迫

尺度」を批判する中で、例えば「暴力的あるいは恐ろしい考えや場面などの想像が頭

に浮かんで離れない」とか「頭に浮かび、邪魔をしてくる想像(非暴力的な内容)」

といった自記式 Yale-Brown 強迫尺度の項目は、自生思考ないし自生空想表象であ

り、これは初期分裂病の症状である。それゆえ、こうした項目が強迫神経症の質問紙

62 症例3の考察に関連して、もう一つ指摘しておきたいことがある。症例3の患者の父親は、先

の引用文において、自生思考が幻聴と区別されがたかった、と述べている。これは、中安の「背景

思考の聴覚化」論を裏書していると見ていいだろう。しかしながら、「背景思考の聴覚化」が支持

されたとしても、だからといってこの自生思考が分裂病性のものだということにはならない、

ということも同時に指摘されよう。63 しかし本来、こうした課題は日々の臨床を実際に展開する医者の職分に属する、という批判

もありうる。しかし、医者の側でこうした議論が展開された形跡が微塵もないから、仕方なく、

門外漢の筆者が謂わば「代行」したのである。どなたか、臨床家の中でおやりになられる方はい

ないものだろうか?

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に紛れ込んでいる限り、「強迫性障害から分裂病への「移行」を示す例がそれなりの

比率で出てくることは否めない」し、「何よりも個々の症例において初期分裂病を強

迫性障害とする誤診を招く」という「不幸な結果」を導くのではないかと中安は「危

惧」64している。つまり中安は、質問紙に記載されているような自生体験を、徹頭徹尾

初期分裂病特異的として、この体験形式を含む患者をすべて、初期分裂病の側に包

摂しようとしているのである。

ところで、私見では、中安の自殺例の中には、強迫神経症の未治療例が幾つか含ま

れている65。例えば、中安が極度の緊迫困惑気分を訴えた自殺既遂例として提示した

症例66においては、洗浄強迫や強迫観念(他人を殴ってしまうのではないか、など)

をはじめとして、自生記憶想起や被害念慮、聴覚性気付き亢進、そして緊迫困惑気分

等々多彩な症状を呈していた。中安はこの患者に、スルピリド(150~600

mg)を中心としながら、フルフェナジン、アルプラゾラムを適宜組み合わせて投与

していた(症状悪化時にはクロルプロマジンが追加された)。中安自身は、この処

方によって患者の陰鬱な表情が薄れ、服薬を中断するたびに症状が悪化し、表情も

陰鬱さが増した、と述べている。

しかしながら中安は、この患者にクロミプラミンの投与を一切試していないので

ある。症状から類推すれば、場合によってはクロミプラミン(当時はSSRI発売

以前)が有効であったかもしれない(もちろん、絶対確実に有効であったと主張し

たいのではない)。少なくとも症例報告を読む限り、強迫神経症の治療がなされた

形跡が一切ないというのは、どういうことであろうか?

断っておくが、私は、中安がこの患者に対してクロミプラミン投与をしなかった

から、確たる改善もなく、患者が自殺してしまったのだ、と主張したいわけでは全く

ない。自殺の要因はまことに不確実だからだ。

然るに、多彩な強迫神経症の症状を呈しているのにかかわらず、初期分裂病症状

が存在するからという理由で、抗精神病薬系ばかりが使用され、クロミプラミンの

使用が全く顧慮されていなかったとしたら、由々しき問題であろう。強迫症状が幾

つか存在することから、また、元来の主訴が「腹にガスがたまる」といった神経症的

症状だったことから、改めて強迫神経症を疑い、強迫神経症の治療に切り替える機

会はあったはずだからだ。そして、クロミプラミンが無効だったという仮定も同時

に成立するにせよ、有効であった可能性も捨てきれないのだから、少なくとも強迫

64 中安信夫「強迫性の鑑別診断学」、中安信夫『増補改訂版 分裂病症候学』、星和書店、2001

年、664頁。65 以下に挙示する症例の他、中安信夫・関由賀子「初期統合失調症の自殺既遂例」、『精神神経学

雑誌』、107(10)、2005年、1075-1085頁、の特に「症例5」も再検討を要する。66 中安信夫「緊迫困惑気分に潜む加害・自罰性」、387頁以下、「症例1」、参照。

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神経症を疑う機会を持つことは、必要だったのではあるまいか。中安の治療に、そう

した他疾患である可能性があるとする疑い(suspect)の断片が、全く見て取れない

ところに、私は危険を感じるのだ。

3-2 不確実性・他疾患の地平的表象・確証バイアスの問題

中安の理論およびスタンス──初期分裂病に出現するとされる4主徴を初期分

裂病特異的と規定し、そうした症状が出現する患者を積極的に初期分裂病の概念の

下に包摂する──の危険性は、ひとえに、この「不確実性(uncertainty)への眼差し

の欠落」に還元されるのではないかと思われる。

ここに私の主張する不確実性とは、4主徴が初期分裂病以外のさまざまな疾患に

出現しうるものであり、従って4主徴の存在を確認することで初期分裂病と「確実

に」診断できるものではなく、たとえ4主徴の存在が確認されたとしても、初期分裂

病も疑われるかもしれないが、しかし強迫神経症も疑われるかも知れず、また発達

障害の「タイム・スリップ」現象等々諸他さまざまな疾患が疑われるかもしれない、

とする「不確実性」へと開かれた態度のことである。

こうした不確実性への眼差しは、直ちに、「他疾患の地平的表象」の可能性へと結

びつく。つまり、ある具体的な患者がさまざまな「初期分裂病症状」を呈していた場

合に、取り敢えず初期分裂病も疑われるが、同時に非定型精神病、強迫神経症や社会

不安性障害、さらには解離性障害、あるいは心因性の反応状態、発達障害をも疑うと

いうものであり、さまざまな疾患名を常に既に地平的に表象することである。

そんなことは常にしているかもしれない、と言われるかもしれない。しかしなが

ら、中安が前述の患者に強迫神経症の治療を一切試みていないことからも明らかな

ように、ひとたび初期分裂病という診断名が付されてしまうと、他疾患の地平的表

象が閉ざされてしまう傾向にあるのではないか。とりわけ、中安の初期分裂病論に

依拠する限り、その理論的スタンス自体が、「この症状があれば初期分裂病と診断で

きる」とするものであるため、他疾患の地平的表象を容易に閉鎖してしまう危険性

が、高いのではなかろうか。

不確実性・他疾患の地平的表象の問題に関連して、もう一つ、「確証バイアス

(Confirmation Bias)」の問題67にも触れておきたい。確証バイアスの概念は、元来、

統計学的な「意思決定論(Making-decision Theory)」の中で提出されたものなので、

筆者がここで言うのは謂わばその換骨奪胎された姿であるが、それは、次のような

ものだ。──例えば、アスペルガー症候群の患者で、聴覚性気付き亢進を呈する患者

67 確証バイアスの概念については、次を参照のこと。Cf. Hapman, D. G., Sonnenberg, F. A.(eds.), Decision Making in Health Care, Cambridge University Press, 2000, pp. 189 ff.

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がいるとしよう。そこで、事態が次のように展開するとする──気付き亢進の確認

→初期分裂病(物心症例)としての治療(抗精神病薬の投与)→医薬原性精神症

状→分裂病という確信を強める〔バイアス的な確証がここでなされる〕→泥沼には

まり込む(際限なき抗精神病薬の増量)、といった展開だ。

これは一種の仮想的なモデルであるが、本稿第2部で提示した症例3はこれに近

い展開をたどったものと思われる(但し、症例3は初期分裂病と診断されたわけで

はない)。

このようなぞっとする誤謬を回避するには、如何にすべきか。初期分裂病の問題

に関する限り、初期分裂病症状が実は非特異的であり、なるほど分裂病にも出現す

るかもしれないが、他疾患にも出現するかもしれない、ということを不断に認識し

続けるより外にないのではあるまいか。

3-3 おわりに

最後に、全体を通して改めて断っておきたいことがある。

それは、私が4主徴の特異性を否定したからといって、直ちに、4主徴を示す全て

の患者が、初期分裂病ではない、ということを意味するのではない、ということだ。

換言すれば、確かに4主徴を呈した後、顕在的な分裂病症状を呈する人もいるだろ

う、ということだ。

中安が挙げた、自殺を遂げた27歳の女性患者の例(本稿1-2節、参照)は、こ

のことを端的に証している。また、鈴木啓嗣ら68は、統合失調症と診断された患者

(現在も幻覚妄想状態にある者と、それが消失している者)、気分障害と診断され

た患者、医療関係者の間で、自生体験の出現率を調べた。仔細な結果は割愛するが、

統合失調症群において自生体験の経験率が有意に高かった、と鈴木らは結論付けて

いる(もとより、気分障害の患者にも、それどころか医療関係者の中にも、自生体験

を経験している者がいたのだが)。このことからも、自生体験と分裂病との相関関

係は確かに高く、初期にいわゆる「4主徴」を経験する患者もいると考えることは出

来よう。

とはいえ、本稿第二部で実証したとおり、4主徴は分裂病以外の疾患にも出現す

るのである。加藤69に拠れば、中安は、鬱病に随伴する自生思考と、PTSDの再体験

症状については、慎重に鑑別診断を行っているという。ここで中安のとるべき道は、

鬱病やPTSD以外の、様々な神経症状やアスペルガー等にも「4主徴」が出現する

68 鈴木啓嗣ほか「自生体験の統合失調症特異性に関する予備的研究」、『精神科治療学』、18

(5)、2003年、585-589頁、参照。69 加藤忠史「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」、『精神医学』、42

(9)、2000年、987頁。

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こと、従って、4主徴は、従来把握されてきた分裂病の初期症状、即ち不定愁訴、広汎

な神経症症状、不眠、食思不振、抑鬱、などなどと同様、非特異的であり、従って4主

徴から直ちに「初期分裂病」という診断名を導出するのは拙速であるということ。こ

れらのことを認識し、「不確実性への眼差し」を取り戻すことが必要なのではなかろ

うか70。本稿で得られた結論はこのようなものであった。

 ※本稿では「(精神)分裂病」と「統合失調症」を互換的に使用した。

 A critical consideration on Nakayasu’s thesis of “specificity” in early Schizophrenia

Tetsugaku-kuzure

Nakayasu has insisted upon the specificity of four symptoms that occur only in early schizophrenia. In this case, the specificity means that symptoms in question occur never in other disease than early schizophrenia; hence finding these symptoms in a patient enables us to diagnose immediately this patient with early schizophrenia. Despite his insistence, the four symptoms occur not only in early schizophrenia, but also in other diseases. I argued against Nakayasu’s assertion that these symptoms have the specificity. In the first section, I introduced and criticized Nakayasu’s thesis of early schizophrenia and its specific four symptoms. In the next section, I demonstrated non-specificity of the symptoms, giving cases in which these four symptoms occurred in OCD and Asperger’s Syndrome (or neuroleptic-induced symptom). In the final section, I discussed problems that are raised by Nakayasu’s assertion about the specificity of the symptoms; the problem of uncertainty, of horizontal representation of other diseases, and of confirmation bias.

70 ホワイトたちは、小児に起こる精神病症状が、「分裂病の前駆症状」のみならず、如何に多種多

様な疾患において生じうるかを検討し、鑑別診断を要する諸疾患を synopsis にして列挙してい

る(それは「非精神医学的状態」――例えば代謝疾患や栄養欠乏状態もが含まれる)。こうした

努力も、是非必要とされるだろう。Cf. White, T., Anjum, A., Schulz, S. C., “The Schizophrenia Prodrome,” American Journal of Psychiatry, 163(3), 2006, pp. 376-80. もち

ろん、その内容も絶えざる吟味・検討にさらされるべきである。

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