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( 63 ) 地 主 経営の 概要と 論理
▲ワ
ヰ
地主
経営の
概要と
論理
-岡田
家
文
書研
究の
ほ
じ
めに
-
(
1)
1
岡村と
岡田
家
河
内
国
丹南郡岡村(
現
大阪府藤井寺市
岡)
ほ、
幕末期
、
河
内
棉作地
帯に
属す
る。
村高六
七
四
石
余(
耕地
約七
一
町
歩)
、
そ
の
う
ち田
が
八
六
%、
田
の
う
ち四
〇%
が
上
田
で
あ
る。
田
畑に
た
い
す
る
棉作地
率は
文
化六
年で
三
七・
四
%。
こ
れ
らか
ら、
高生
産力
水
田
地
帯で
あ
る
と
共に
、
棉作農村
で
あ
る
とい
う相
貌が
浮か
ぶ。
明
治六
年、
河
内
国一
大区
一
小区
の
四一
力
村に
つ
い
て
の
(
2)
調
査
報告書に
よ
る
と
実綿生
産量四
位(
一
二
〇
〇
〇
斤)
実綿作付比
率五
位(
一
二
%)
佐
々
木
潤
之
介
木綿生
産量六
位(
一
二
〇
〇
反)
一
戸当り
木綿生
産量七
位(
一
一
反)
とい
う、
こ
の
地
域で
も、
上
位の
標準的な
綿
作農村で
あっ
た。
こ
の
村に
、
岡田
家
とい
う豪農が
い
る。
そ
して
、
岡田
家
文
書は
、
幕末か
ら
明
治以
降に
か
けて
の、
岡村及
び
岡田
家
(
3)
の
経営に
つ
い
て
な
どの
数々
を
伝え
る。
幕末
期に
お
い
て、
わ
が
国農村の
、
社
会経済発展の
波
頭に
た
つ
の
が
大
坂
周
辺
の
村
む
らで
あ
り、
そ
の
基礎が
綿作に
あ
る
と
い
う一
般的
理
解に
た
つ
と
した
ら、
前述の
よ
うな
位置づ
け
を
もつ
岡村の
、
そ
の
中
心で
あっ
た
岡田
家の
豊か
な
史料群は
、
幕
賽・
明
治
期の
社
会史研
究に
、
重
要な
史料的地
位を
もつ
もの
だ
と
い
湖
一 橋論 叢 第八 十 三 巻 第三 号 ( 6 4 )
鮒
-
3 ∂β
竿
「
ト
慧bト+
p
半由芸捉b十+
J
□ 仙
〉ヰ(つ
十
一臣
>
捨
与
苛
拙
a
>
沸
0
学ト+・ヽ
肘
く.丁山
J q
> 咄F
米 請
譲
婦
浮
谷
=好
-
谷
山
い
ぃ.
〇
-
剖
(
}
レ
γ-
8
、紆
-
心
¢
リ○-
剖
(-
¢.
-
-
)
心P
-
か
ぃ
い
〇一
〇
N
剖
(
-
設.
N
O
仏
P
N
0
0
N
N一
-
N
剖
(
-
やN
.
-
小
)
心
P
(
-
竜漂ゝ○)
剖
-
ヰ
N.
〇
〇
仏P
(
宝巴∞
.
治)
剖
い
い
ゃー
い
l し
ぎ
(
-
00
畠∞
.L
岩)
剖
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叫
ソ恥
∞
(
き
綽二
(
N
絡)
ー
ー
ー
¢
山.
山
h
(
∞
N
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令
00.
か
○
(
〇.
宗)
ーー
N
阜-
.
や
い
(
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.
宗)
N
∞-
∞
い.
山
中
(
N
O
ソN
い
)
(
∞
ヨN
.
〇
〇)
か
ゃu
O
(
家茂叶
惣T
)
N
N
-
. N
い
(
N
笥こ.
h
¢)
-
∞
PO
¶
(
訟0
〇.
〇
〇
)
N
γ0
0
(
N
¢
N
-
い.
盟Y
N
-
PO
N
ー
い
ぃ
N
甲山
¢
(
岩N
.
∞
β
か
O
P山
い
(
ヰ.
巴)
一
斗
}
いい
.
¶
N
(=
岩γ
筈)
ー
べ
レ
¢
レ.
い
¶
(
-
い
N.
N
O
(
-
ヱ¢
¢.
〇
〇)
-
阜
P0
0
(
山
a¢N
.
℃)
N
¶
∞
. N
N
(
N
N
畠P00
u
)
-
り
〇.
N
¶
(
毛毛bO
)
い爪
r
-
○
(
N
記○
い.
∞
い
)
N
O
か.
∞
N
‥
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椒謝
一
山
h
N
¢.
〇¢
(
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戸∞
○
山
い
N.
¢
阜
(
N.
N
-)
ー
い
¢
い
N.
〇
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∞)
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ひ
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〇
-
(-
N
N.
い
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(
-
¢U
0
0
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-
0
〇.
〇
〇
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.
〇-
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N
N
N.
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○
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N
-
a∽
.
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い
∽.
N
N
(
モT
∞
〇.
〇
〇)
N
加.
〇
〇
(
N
か
ー
一
汁心
血)
-
か
山一
N
N
沖
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N
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)
悍
(
)
芝芦
藩軸轟d
針
か○
彗沖
罠.
蛾浮谷
帝㊦山
師
芦
米ロ
「
バ
N-
¢
剖a
.
∩
亨吋
冷不
落判ヰか
什
N
N
か
a
担h
ごr 、
丹
か
け
r
こ
軸昇d
針
か○
中瀬
.
申曲が
武口
○
わ
な
く
て
ほ
な
ら
ない
。
岡田
豪の
当
主
は、
明
治四
年現
在、
岡田
伊一
郎と
い
い、
岡村の
庄屋をつ
と
めて
い
た。
年齢三
十
六
歳の
働きざ
か
り
で、
慶応二
年か
う
村
役人と
し
て
維新
期の
変動する
村を
束
ボ,
ね
て
い
た。
岡田
家ほ
、
持高か
らい
え
ば、
安
政五
年二
七
四
石
八
四、
万
延
元
年二
八九
石六
五
三、
文
久
元
年三
二
九
石
四
二
五、
元
治元
年三
一
八
石七
三
七、
そ
の
所持地ほ
、
岡村の
他に
、
十
瓜r
( 6 5 ) 地 主 経営 の 概要 と論理
血可
三
力
村に
分
布し
て
い
た。
宛口
高か
らい
え
ば、
慶応元
年六
五
五
石
余、
同三
年六
七
二
石
余、
明
治四
年六
七
〇
石余
、
同
八
年六
〇
八
石
余、
同
九
年五
四
〇
石
余、
同十
一
年五
三
四
石
余、
同
十二
年五
七三
石
余、
同十
六
年五
七
〇
石
余、
同
十
七
年六
〇
四
石
余。
小
作料(
年貢を
含む)
の
基準高と
み
て
よ
い
宛口
高か
ら
み
る
と、
慶応年間が
一
つ
の
ピ
ー
ク
で
あっ
た。
しか
し、
明
治二
十
年代以
降、
急
速に
土
地
集積を
進め
、
(
4)
大正
十四
年の
「
五
十
町
歩以
上ノ
大地
主+
に
は、
寿一
郎が
無職
、
田
七
四
町二・
畑○
町六
・
計七
四
町
八
所有
、
小
作人
三
九八
戸の
地
主
と
して
登
録さ
れ
る
に
至っ
て
い
る。
も
ち
ろん
、
本稿は
、
そ
の
岡田
家
文
書の
全て
に
つ
い
て
検
討しょ
うとい
うの
で
は
ない
。
全体と
して
史料紹
介を
か
ね
なが
ら、
ま
ず、
今後の
分
析の
た
め
に
必
要な
経営概況
を
明
らか
に
し、
つ
い
で、
そ
こ
に
含まれ
る
問題の
一
・
二
に
つ
い
て
検討する
こ
と
に
する
。
そ
の
さ
い、
関心
と
し
て、
分
析は
経済
史の
分
野に
属する
が
そ
こ
に
表現さ
れ
た
地■主
の
経
営論
理
を
追
求
す
る
こ
と
を、
目
棟と
した
い。
2
経営概況川
-「
本途下
作銀
留帳+
に
お
け
る
岡田
家の
経営の
あ
り
方を
知る
た
めの
史料と
し
て、
安政
t(
5)
四
年及び
慶応三
年の
、
表記の
「
銀
留帳+
が
あ
る。
こ
の
史
料の
示
すとこ
ろ
を、
例と
して
、
安政四
年以
降五
カ
年問に
つ
い
て、
表1
に
あ
げ
よ
う。
各項目に
つ
い
て、
若干の
説明
が
必
要で
あ
る。
「
上
納方+
=
金・
銀納の
年貢諸
懸り
を
内容と
す
る。
「
普請方+
=
耕地
並
び
に
家
作の
普請経費で
あ
る。
「
小
作方+
入
銀=
金
銀
納の
小
作料
・
家
賃を
示
す。
「
小
作方+
入
米=
米納小
作
料の
うち
、
地
主の
実収
部分
で
あ
る。
こ
れ
に
つ
い
て
ほ
後述す
る。
「
手
作+
入
米=
手
作経営の
収入
を、
米量で
基準的に
計
算した
もの
で
あ
る。
こ
れ
に
つ
い
て
も
後述する
。
各項目の
内
容が
こ
の
よ
うな
もの
で
あ
れ
ば、
こ
の
表は
、
特
定の
条件の
も
とで
の、
地
主
経営の
計
算表だ
と
い
うこ
と
に
な
る。
そ
の
特定の
条件は
、
右の
「
小
作方+
入
米及び
「
手
作+
入
米に
関わっ
て
表現さ
れ
て
い
る。
す
な
わ
ち、
「
小
作
方+
入
米は
、
地
主の
実収
部分で
あ
る
が、
そ
の
内
訳
けは
、
「
現
物小
作料=
小
作米+
-
「
岡田
家の
全
耕地
(
手
作部
分を
含む)
に
か
か
る
年貢
・
諸
懸りの
うちの
米に
よ
る
納
入
分+
=
実収
部分
と
い
う関係で
な
り
たっ
て
い
る。
つ
ま
り、
こ
こ
で
は、
米納
即
一 橋論叢 第八 十 三 巷 第三 号 ( 6 6 )
の
年貢諸
懸り
が、
小
作米に
よ
っ
て
納入さ
れ
て
い
る
こ
と
を
前提に
し
て
い
る
の
で
あっ
て、
そ
れ
故に
、
こ
の
計算表は
、
米納年貢
・
諸
懸り
ゐ
負担を
含ま
ない
の
で
あ
る。
な
お、
実
さ
い
の
年貢負担は
、
岡村に
所持す
る
耕地に
つ
い
て、
安
政
(
6)
四・
五、
万
延
元、
文久
元
年の
四
年間を
平
均し
て
み
れ
ば
持高九三
石
〇三
、
年貢五
五
石二
〇
内
米納年貢三
四
石
七
六
で
あ
る
か
ら、
年貢率の
高さ
(
五
九・
三
%)
に
注
目
さ
れ
る
と
と
もに
、
米納年貢の
比
重
が
大
きい
こ
と
(
六
三
%)
.も
明
らか
で.あ
ろ
う。
「
手
作+
入
米に
つ
い
て
は、
こ
の
史料の
「
出入
銀
手
尻勘
定+
の
安
政四
年分を
あ
げて
、
検討する
こ
と
に
し
よ
う。
巳
年
巳
七
月
九
日
才
十二
月
廿八
日
迄
一
、
銀拾五
貫五
百
九
十
九
匁
四
分
上
納方口
々
出銀〆高
巳
五
月二
日
才
大
介
日
迄
入
拾七
貫七
百
弐
匁弐
分八
厘
小
作方
入
銀
同
米八
拾四
石
小
作納
又
弐
拾四
石
蔵米引取
山F
又三
拾四
石
大
井過
米
〆
百四
拾弐
石
先下
作直
段
平
百
四
匁弐
分
代拾四
貫八
百三
拾九
匁
差引
拾六
貫九
百
四
拾壱匁八
分八
厘
徳
牛正
月
才四
月
晦日
迄
又
弐貫三
百
拾九
匁八
分四
厘
小
作入
銀
咄
外二弐
拾五
石三
斗
四
升
手
作
七
拾壱石
六
斗九
升
幸右衛門手
作
〆九
拾七
石三
升
∂∂∂
* D * C * B
内
弐
拾五
石六
斗三
升′
幸右衛門
仕
訳田
地
宛口
引
又
五
拾弐
石
壱斗八
升
伊助
同
断
宛口
引
残
而
五
拾弐
石弐
斗弐
升
八
分二
而
四
拾壱石
七
斗
七
升
余
凡
百
匁代四
貫百
七
十七
匁
徳合
弐
拾三
景四
百三
拾八
匁余
以
上が
全
文で
あ
る。
表1
と
若干の
数倍上の
違い
が
あ
る
( 6 7 ) 地 主 経営 の 概要と 論理
触っ
ヘ
ア)
が、
こ
の
史粁に
つ
い
て
み
て
お
こ
うか
「
手作+
入
米に
つ
い
て
は、
史
料中の
鴨
以
降の
記述が
そ
れ
を
示し
て
い
る。
そ
の
さ
い
問題なの
は、
相
・
"
の
性
格で
ある
。
そ
れ
に
つ
い
て
は、
相
-手
作地の
宛口
高で
あ
る。
こ
の
宛口
高に
つ
い
て
は
(
8)
問題が
あ
る
が、
こ
こ
で
は一
般に
、
小
作料(
年貢
を
含む)
の
基準と
して
、
各
耕地
片に
結ば
れ
て
い
る
高で
ある
と
して
お
こ
う。
化
1宛口
高に
た
い
する
小
作料(
年
貢を
含む)
の
こ
の
年の
実納比
率で
あ
る。
実納年貢
・
小
作料率と
し
て
お
こ
う。
した
が
っ
て、
「
手
作+
入
米は
、
佃
の
数値なの
だ
か
ら、
そ
れ
は、
「
手作地
の
宛口
高+
×
「
実納年貢
・
小
作料率+
=
「
手
作+
入
米
と
して
計算㌢
れ
て
い
る
とい
うこ
と
に
な
る。
とこ
ろ
で、
こ
の
安政
四
年に
つ
い
て
は
判ら
ない
が、
元
治
二
年の
例に
つ
い
て
み
る
と、
二
四
反六の
手
作地
、
宛口
高五
一
石
六二
六の
手作地
に
た
い
し
て、
こ
の
史
料で
は、
「
実納
年貢・
小
作料率+
八〇
潔
と
し
て、
四一
石三
斗の
「
手
作+
入
米と
計
算して
い
る。
こ
れ
に
た
い
し、
じつ
さ
い
に、
こ
のノ
止
■(
ヱ
牛、
こ
の
子
作地
で
の
生
産の
結果は
麦
一
〇
石
四、
菜種
一
〇
石、
米三
六
石
九二
、
綿
二六
〇
斤
の
収
穫と
なっ
て
い
る。
明
らか
な
よ
うに
、
「
手
作+
入
米は
、
手
作経営の
実
態
と
無関係に
小
作関
係を
基準に
して
計
算さ
れ
た、
架空の
数値
なの
で
ある
。
前述の
特定の
条件と
は、
こ
の
よ
う
な
内
容で
、
「
小
作+
入
米と
「
手作+
入
米と
に
まつ
わり
つ
い
て
い
る
もの
で
あ
る。
こ
れ
が
意味する
こ
七
に
つ
い
て
は、
後述する
が、
こ
こ
で
ほ、
こ
の
条件の
もと
で
の、
文
久二
年以
降の
各年の
こ
の
史料の
示す
動向
を
み
て
お
こ
う。
表2
は
そ
れ
を
示
す。
貨幣表示の
変更や
、
物
価変動の
要因を
除い
て
動向を
み
る
た
め
に、
米
畳表示で
み
て
も、
一
定の
傾向
性が
明
ら、か
だ
と
は
い
え
ない
。
そ
こ
で、
明
らか
に、
凶
作だ
と
思
わ
れ
る、
元
治元
・
明
治二・
九・
十
六の
各年を
区
切
り
と
して
整理
し
て
お
こ
う。
表3
は
そ
れ
を
示
す。
こ
の
さ
い、
地
租制度が
変
っ
て、
前述の
条件の
一
つ
で
あ
る
「
小
作+
入
米の
あ
り
方が
変化
した
の
は
明
治
七
年で
あっ
た
こ
と
を
注
記し
て
お
く
必
要
が
あ
る。
そ
れ
ま
で
小
作米に
よ
っ
て、
直
接に
納入
さ
れ
て
い
湖
一 橋論叢 第 八 十 三 巻 第三 号 ( 6 8 )
表 2
小 作 収 入 引 l 徳
曲-
T
*)
銀 米 銀 米 銀 米 l 銀 米
下 作米価 に よ る 明治 9 年 迄 下 作米価, 明治1 0 年以 降売場 米価 に よ る
手 作 細分 は手 作米偶 に よ る
2
3
元
元
2
3
元
2
3
久
治
応
治
文
元
慶
明
4
5
6
7
8
9
1 0
1 1
1 2
1 3
1 4
15
1 6
1 7
( 匁ノ ( 石)1 7 0 7 8 .7 3 1 0 1 .6 6
2 5 1 6 0.0 0 1 3 6 .
1 2
2 8 7 5 9 .0 0 1 1 1 .0 1
4 2 7 1 0 ,0 0 1 1 9 .83
1 0 0 8 1 7 .4 0 8 4 .0 3
9 9 8 6 4 .7 5 1 43 .6 4
( 両)6 35 .6 4 9 8 .5 3
9 8 9 .9 8 8 9 .9 2
9 3 9 .8 1 9 4 .6 5
7 2 9 .9 1 1 4 6 .0 4
( 円)
6 5 0 .8 0 1 9 6 .5 0
9 1 9.7 7 1 9 8 .3 0
1 1 8 2 .6 9 1 6 9.7 7
1 1 8 5 .7 5 2 3 2 .7 1
1 1 7 8 .4 0 2 6 7 .49
1 0 1 4 .7 3 1 8 9 . 72
1 0 1 0 .4 3 1 4 3 .3 1
1 0 5 2 .25 1 1 4 .6 4
ノ 1 1 8 4 .55 9 3 .8 4
1 1 1 3 .9 8 1 17 .4 4
15 39.4 7 1 9 4
.9 8
1 2 96 .9 8 2 8 8.2 2
1 2 9 5 .4 9 2 2 2 .2 1
( 匁) ( 石)47 0 44 .3 2 2 8 0 .0 3
66 8 1 2.6 1 3 6 1
.1 5
47 7 6 9.1 2 1 7 4
.2 5
12 7 1 6 9 .0 0 3 0 2.7 8
2 5 5 6 4 8 .7 8 2 1 3 .0 4
2 2 2 9 8 5 .3 0 3 7 1 .6 4
( 両)1 7 5 0 .3 6 2 8 0 . 0 6
1 1 9 7 .95 1 49 .7 4
1 7 7 0 .8 7 2 7 2 .4 4
1 3 25 .2 4 3 7 8 .6 4
( 円)
1 2(i2 .4 7
16 1 0 .2 0
2 4 2 8 .1 2
2 15 1.4 0
15 9 0 .6 6
2 3 6 0 .7 3
2 9 2 4 .2 5
4 3 6 6 .8 7
3 6 7 5 .2 6
3 1 8 5 .5 5
2 6 8 9 .7 4
1 13 8 .8 5
2 6 0 0.7 3
7
4
7
8
7
/
b
7
3
/
q
4
4
qノ
1
0
0
3
2
2
0
7
1
5
1
2
∠
U
8
2
0
qノ
0
4
0
qノ
0ノ
8
0
3
⊂J
2
0ノ
5
+T
3
7
2
7
1
5
8
0ノ
l
1
3
3
3
4
3
4
っ
J
4
3
3
3
2
4
( 匁) ( 石)2 9 9 6 5 .5 9 17 8 .3 7
4 1 6 5 2 .6 1 2 2 5 .0 3
1 9 0 1 0 .12 6 3 .2 4
8 4 4 5 9.0 0 18 2
.9 5
1 5 4 8 3 1 .3 8 1 2 9 .0 1
1 23 12 0 .5 5 2 2 8 .0 0
1 1 14 .7 2 1 8 1 .5 3
2 0 7 ,9 7 5 9 .8 2
8 3 1 .0 6 1 7 7 .7 9
5 9 5 .3 3 2 3 乙6 0
6 1 1 .6 7 1 95 .5 7
6 9 0 .4 9 1 5 1 .7 4
1 2 4 5 .4 3 1 7 9 .60
9 6 5 .6 5 1 97 .5 7
4 1 2.3 3 1 06 .7 8
1 3 4 6 .00 2 3 0 .3 4
1 9 13 .82 2 3 6.4 6
35 8 1 .6 2 3 0 4 .4 9
2 4 9 0 .7 1 2 6 4 .7 2
2 0 7 1 .5 7 2 6 2 .7 0
1 15 0 .2 7 1 9 8 .2 6
▲ 15 8 ユ3 ▲ 7 2 .5 3
13 05 .2 4 1 9 0 .6 0
( 匁) ( 石)3 5 2 4 5 .5 9 2 1 1 .3 7
4 9 6 4 4 .6 1 2 6 9 .4 3
1 0 1 8 0 5 .0 0
1 8 2 6 7 1 . 3 8
1 4 3 0 7 0.5 5
1 29 9 . 97
4 0 9.2 2
1 13 7 . 81
7 5 3 .8 3
7 4 7 .0 7
9 12 .2 5
5
1
0
2
2
3
4
2
1
2
5
′】
U
2
1
2
2 1 0 . 03
8 4.9 8
2 2 4.9 9
2 77 .9 0
2 3 8 .0 5
1 9 9 .9 5
1 6 1 9 .6 8 2 3 3 .4 5
1 2 2 8 .0 5 2 5 0 .0 5
4 9 2.0 2 1 2 5 .5 3
2 0 4 1.6 4 2 5 4 .9 9
3 7 6 1.8 0 3 2 5
.9 4
2 6 6 0 .0 9 2 8 1 .2 5
2 3 5 0 .2 9 2 9 5 .9 6
1 3 6 9 .15 2 3 0 .2 6
1 4 95 .3 2 2 2 2 .4 7
往 こ の 表は 各項 目を金銀及 び米量 で表規 して あ る 。 例 え ば 文久2 年の 徳 は, 米 iこ し て 2 11 石 3 7 で あ り ,
こ れ
を銀 に換算すれ ば お2 45 匁 4 9 で あ る と い うこ と で あ る 。
た
年貢
・
地
租が
、
測
地
主の
仝
所有地に
つ
い
て、
地
主
が
金
納する
こ
と
と
な
り、
小
作米は
、
原則と
し
て
全て
地
主の
蔵
に
納め
ら
れ
る
こ
と
と
なっ
た
の
で
ある
。
こ
の
こ
と
は、
こ
の
史料の
あ
り
方か
ら
い
え
ば、
地
主の
小
作収
入と
地
租支
出
と
を、
.共に
増加さ
せ
る
こ
と
と
な
る。
第Ⅲ
期に
お
い
て
は
部分
的に
、
第Ⅳ
期
に
お
い
て
は
全
く、
そ
の
影響を
う
けて
い
る。
しか
し、
表2
よ
( 6 9 ) 地 主 経営 の 概 要と 論理
表 3 各 期 ご と の 収 支 ( 年平 均 米畳 表 示 , 単位 石)
収 入 に た い する 差 引 比 率
期 年数 支 出 小 作収 入 差 引 徳
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
安 政 4 年一元 治 元 年
元 治 元 年一明 治 2 年
明治 2 年一明 治 9 年
明治 9 年一明 治1 6 年
1 2 1 .2 1 2 7 9.2 7 15 8 .0 2 2 0 6 .6 3
1 0 7 .8 2 2 4 8.5 4 14 0 .7 6 1 8 6 .55
1 7 4 .42 3 3 7 .1 1 1 6 2 .6 8 2 0 4 .3 6
1 7 6 .2 1 3 6 7 .6 1 1 9 1.4 0
%
5 6 ,5 8
5 6.6 3
4 8.2 6
2 7 7 .6 8 5 2 .0 7
Ⅲ( a) 明 治 2 年 一明治 6 年 5 14 5 .0 8 3 0 8 .5 9 1 6 3 .5 0 2 05 .17 5 2 .9 8
Ⅲ( b) 明 治 7 年一明 治 9 年 3 2 2 3 .3 2 3 8 4 .6 6 1 6 ⊥32 2 03 .0 1 4 1 .9 4
注 徳易計斯 こ は 元治元 ・ 明治 1 0 ・ 1 6 年を 除い て平均 し てあ る 。
り
明
らか
なよ
うに
、
第
Ⅲ
期に
入る
や
地
代の
影
響とは
別に
、
小
作収
入
が
増
大
して
い
る
こ
と
ほ
明
らか
で
あ
る。
加ゎ
数
値は
そ
れ
を
示
して
い
る。
そ
し
て
こ
の
こ
と
は、
地
租制
度の
変更に
伴な
う
影響が
、
地
主
経営の
収
支
規模を
増大さ
せ
た
が、
同
時に
、
経
営事情を
悪
く
さ
せ
る
こ
と
と
なっ
た
。
と
を、
酌の
数値は
示
し
て
い
る。
そ
れ
と
共に
、
。
の
恥
の
数
倍は
、
第Ⅱ
期の
地
主
小
作関
係が
、
相
対
的
危機状
況に
あっ
た
こ
と
を
も
浮き
彫り
に
して
い
る。
収
入に
た
い
する
差
蓑 4 統 計比 較表
A B
地 所
軍票3 7
8 9
1 0 5
8 0
7 7
1 1 0
8
1 8
1 9
4 6
2 0
8 0
7 0
C D E F G Ii E
貸地 貸家 所 得
( 円)2 0 4 2
3 4 9 5
2 6 6 0
2 35 0
13 6 9
▲2 6 8
1 43 7
1 2 5 3
1 1 2 6
1 1 1 2
1 0 8 9
1 9 1 4
2 7 6 1
項 目 地 租
( 円)
明 治1 1 4 8 0
1 2 9 6 2
1 3 1 0 7 9
1 4 1 0 3 3
1 5 1 4 6 2
1 6 1 2 96
1 7 1 2 95
1 8 12 9 1
1 9 13 0 8
2 0 1 2 0 8
2 1 1 2 2 6
2 2 1 2 4 2
2 3 1 3 2 9
2 4 1 3 4 6
25 1 3 42
利息臨時 生
活 費( 円)
4 5 1
生活
費( 円) ( 円)
1 2 4 0 4 8 9
1 1 7 5 73 3
1 8 4 1 99 9
飯 米 米価
( 円) ( 円)1 4 8 5 .6 2
2 0 4 7 .7 0
3 3 6 1 0 .4 0
4 4 5 1 0 .2 6
42 5 8 .3 8
3 05 6 .8 4
2 03 5 .2 8
1 8 4 6.3 0
1 3 8 5 .2 8
9 9 4 . 88
1 3 0 4 .2 0
9 3 4 .6 7
1 6 5 7 .3 0
1 1 2 6 .5 9
1 6 3 7 .3 0
詔頂
5 12
棚
姐…
噸
6 2 3 7 7 4
2 9 2 8 5 7
1 9 07 1 9 8 6
1 7 5 5 8 5 7
7 8 4 85 0 5 2 5 4
6 8 3 7 4 9
5 6 6 7 2 3
1 0 6 6 0 8
1 73 6 0 5 1 6 9
46 7 4 6 3 5 3 1
2 2 9 5 4 6
4 3 6 6 0 0
3 2 7 5 6 8
3 2 3 6 2 9
8 2 9
8 0
85 0
2 0 0
4 1 3
1 6 4 6 4 3 6 3 8 ,
( 2 3 町 ( 6 ガ
9 9 2 6) 所)
3 β上
′
肋
一 橋論叢 第 八 十 三 巻 第 三 号 ( 7 0 )
引
比
率は
第Ⅰ
期と
殆ど
変りが
ない
が、
支出
・
収入
と
もに
、
第Ⅰ
期の
〇・
八
九
倍と
なっ
て
い
る。
そ
して
、
第Ⅳ
期に
至
っ
て、
ほ
ぼ、
そ
の
Ⅱ・
Ⅲ
期の
変動を
乗りこ
えた
姿が
うか
が
わ
れ
よ
う。
3
経営概
況
惚
--「
統
計比
較表+
に
お
ける
岡田
家
文
書に
は、
明
治十
一
年か
ら
大
正
八
年ま
で
の
家
計
を
整理
し
た
「
統計比
較表+
と
表記
する
二
冊の
史料が
ある
。
そ
の
全体
を
明
治十
一
-二
十五
年に
つ
い
て
示
す
と、
表4
の
よ
うに
な
る。
こ
こ
で
ま
ず、
本稿で
こ
れ
まで
検討して
き
た
「
銀
留帳+
の
経
営全
体の
中で
の
位置づ
けが
明
らか
と
な
る。
「
銀
留帳+
淵
の
「
差引+
の
項目
が、
こ
の
「
統
計
表+
の
「
貸地
貸
家
所
得+
の
項目に
対
応し
て
い
る
の
で
あ
る。
こ
の
「
差引+
の
位
置を
、
ま
ず明
らか
に
し
て
お
く
必
要が
あ
ろ
う。
こ
の
「
統計
表+
に
よ
る
全
経
営セの
位置は
虫T
「
収
入+
=
「
貸地
貸家
所
得+
+
「
利息+
+
「
伝来物品
売却+
*
「
支
出+
=
「
地
租+
+
「
地
所雑費+
+
「
生
活
費+
+「
臨
虫「
時生
活費+
+
「
飯米+
十
「
田
地・
山
林買入
代
金+
と
み
られ
る
し、
こ
の
うち
、
*
印の
もの
は
臨時収
支と
して
よ
い
で
あ
ろ
う。
表 5
p Q
臨 時支 出 を含 む支 出
対 売 却 を含 む収 入
%4 9 .4 8
3 8 .3 6
6 5 .9 9
, 6 9 ,7 2
9 0 .8 8
1 5 14 .5 3
1 0 6 .3 7
83 .03
1 6 8 .2 7
1 4 3 .2 3
1 1 8 .19
9 1 .5 1
6 7 .9 0
4 6 .2 6
6 8 .0 2
6 1 .5 5
5 1.7 7
4 2 .7 4
入収
出
対
支日H項
%4 3
5 7
9 7
2 1
2 9
32
3 7
8 3
2 7
3 7
1 9
5 1
9 0
9 1
0 2
5 5
77
3 4
0
2
5
3
3
AU
/
D
1
8
2
8
1
7
0〈
古
1
1
0
5
4
5
8
0ノ
0ノ
0
2/
b
5
1
0ノ
′
b
5
八U
∠
U
5
4
4
1
1
1
1
1
2
8一
上
っ
J
O
】7
5
3
3
4
0ノ
7
4
3-
7
〇一
3
′
b
2
2
3
3
2
1
8
4
7
2
0ノ
0ノ
8
1
0
3
7
】70
0
7
0ノ
1
5
8
0ノ
1
0ノ
0ノ
8
0
7
2
0ノ
2
っJ
8
1
3
0
0ノ
∠U
O
8
1
1
1
0
8
/
b
7
5
0ノ
5
5′
b
】7
7′
b
7
9
1
5
3
4ハ
古
7∠
U
′
0
-
ム
3
1
3
8
5(
U
′
b
O
5
3′
0
3
4
7
バT
5
1
8
1
8
4
7
5
q/
9
3
2-・
J
Oノ
ア
2
2
8
0ノ
8
5
2
0
q/
2
7
0ノ
つJ
っJ
O
8
5
′
D
7
5
8
一5
5/
b
7′
b
5′
b
Oノ
1
5
3
1
1
2
3
4
5
6
7
8
9
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
0
1
2
3
4
1
2
3
4
5
6
7
脚
1
1
1
1
1
1
1
1
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
3
3
3
3
3
3
3
三〝
〝
〝
〝
4
組
曲F
細/
-一
汁
( 7 1 ) 地 主 経営の 概要 と論理
表 6
N O P Q RM
噸、
蛸
貸地 貸 家所得
_上巻墜墓 L
_石
3 6 3.4
収 入 の 内貸 対 収 入 臨時 支 出 を含 む 支 出
奉呈担些△_旦旦
_旦壷些旦全生壁込 +
% % %62
.0 0 5 0
.4 3. 4 9
.4 8
7 4 .8 4 42.5 7 3 8 .3 6 4 5 3 .9
5 9 .1 0 5 5 .9 7 (i5 .9 9 2 5 5 .8
5 5 .2 0 8 3 .2 1 6 9 .7 2 2 2 9 .0
45 .2 7 93 .2 9、 9 0 .8 8 1 6 3 .4
4 9 6 .3 2 1 5 1 4 .5 3 ▲ 3 9 .2
灘洲
側
馴
馴
聖鵬
注 表 4 と の 関連 で各項目 の 関係を 示し て お こ う 。
凹 = A 十 B + E + G,
た だ し 明治3 8 年以降は A 十 B + E
N = C + D
O = [ C ÷ (C + D )] × 1 0 0
P = [ (A + B + E + G ) ÷ (C + D )] ×1 0 0
Q = [( 虹+ F ) ÷ ( N +Ⅰ)] ×1 0 0
R = C ÷ H
表 7
R0~
P目 M N O項
2
qノ
tJ
Oノ
3
′
b
〉2
7
4
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′
n
〉7
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0
1
1
1
2
つ一
2
2
2
つ〟
2
2
2
治明
そ
こ
で、
媚序を
変えて
、
こ
の
全期
間
に
お
け
る
「
収
入+
の
「
支
出+
に
し
め
る
比
率=
収
支
比
率を
示
して
お
こ
う。
表5
が
そ
れ
で
あ
る。
そ
し
て、
こ
の
経
常収
支比
率を
基
準に
して
考え
れ
ば、
そ
の
経営の
動
向と
し
て、
全
期間
を
四
期に
わ
ける
こ
.
と
が
で
き
る
で
あ
ろ
1
フ0
Ⅳ
期=
明
治十
一
-十六
年、
す
で
に
あ
げた
、
表4
の
前半が
そ
の
内
(
1 1)
容を
示
す。
整理
淵
一
棟論叢 第 八 十 三 巻 第 三 号 ( 7 2 )
表 8
E F G 日 L L′
( 銀行苛立) (銀 行益, 但 し
,D の 内)
DCBA日項
1 1 6 6 .1 6
1 4 2 7 .9 2 2 0 6 1 0
1 65 8 .3 8 5 0 0 1 0 0 0
1 6 3 8 .8 0 2 5 0 0 1 0 0 0
2 2 5 1 0 .2 0
2 3 7 1 2 .6 7
2 3 0 8 .9 3
3 3 5 1 1 .5 4
2 6 5 1 0 .7 0 銀 行魔 菜
2 0 3 1 0.77
27 3 1 4.1 7
4 4 4 1 2.6 0
0ノ
5
3
1
0ノ
2
1
1
′
0
4
1
2
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6 2 5
1 0 3 3
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1
5
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3
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3
3
3
3
3
3
3
4
治明
・
曲r
表 9
R0N目項
8
2
0ノ
0ノ
′
n)
7
8
0
1
1
▲Uノ
1
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一.
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′
b
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O
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3
3
っ
J
3
っ
J
3
3
3
3
3
4
治明
した
数値を
減
衰6
と
して
あ
げて
お
く。
明
らか
な
よ
うに
、
強い
利貸商人
と
し
て
の
性格
を
も
ち
な
が
ら
も、
十
六
年の
破
局
に
向
かっ
て、
経
営ほ
悪化
の
一
途を
辿
っ
て
い
る。
Ⅴ
期ル
明
治
十
七
-二
十
八
年、
二
十
五
年迄の
内
容は
表4
に、
二
十
六
年以
書
( 7 3 ) 地 主 経営 の 概 要 と論理
蓑 10
EC DBA目項
3
′
O
1
8
8
8
3
7
囁
頼
4
2
7
9
1
2
q′
2
(
J
OO
O
l
′
b
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0
5
2
1 67
1 9 1
2 。 7
19 7
3 12
63 1
3 02
細
3 75
40 。
45 3
q′
3
5
8
8
2
3
1
5
2
′
0
6 7
9 4
3 9
4 7
2 1
7 7
0 1
00
0 4
6 6
4 7
1
1
2
2
2
2
4
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0
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(
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4
7
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2
3
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5
′
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4
4
4
治
正
明
大
表 11
0~
P0NM目項
7
AT
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7
0
5
′+
U
2
2
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0
′L
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3
1
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1 1 0.7 4
5 臥2 5
3 5 .2 1
2
一
ヽ)
l
∠
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2
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5
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U
7
8
4
4
4
4
治
正
明
大
降の
内容は
、
表8
に
示
す。
整理
値は
表7
の
通り
で
あ
る。
経
営
事情は
好転の
方
向を
辿る
が、
な
お、
明
治
二
十一
・
二
十二
年頃
ま
で
は、
赤字経
営で
あ
る。
十九
年以
降、
小
作料収入の
比
率が
増え
、
地
主
と
して
の
性格を
い
っ
そ
う
強く
す
る。
そ
れ
と
併行し
て、
二
十七
年以
降、
岡田
銀
行
を
開
業し
、
そ
こ
か
らの
銀
行
益金
が、
二
十七・
八
年の
利息収入の
中に
含ま
れ
て
い
る。
Ⅵ
期=
明治二
十
九
年
-四
十
年。
内
容は
、
表
淵
一 橋 論 叢 第 八 十 三 巻 第 三 号 ( 7 4 )
8
に
示さ
れ
る、
と
くに
明
治三
十年代の
地
租と
貸地
貸家
所
得の
急速な
伸び
は、
土
地
集積の
進展を
物語
っ
て
い
る。
整
理
値は
、
表9
。
三
十
四・
五
年の
下
落を
除い
て
は、
ほ
ぼ
経営は
安定
的に
展開して
い
る。
銀
行は
三
四
年に
廃業
と
なる
が、
そ
れ
が
経
営に
与
えた
影響は
大きい
と
は
い
え
ない
。
Ⅶ
期=
明
治四
十一
年以
降。
内
容は
表
1 0
が、
整理
数値は
表 12 明 治 1 1 - 2 6 年集計
支 出収 入
1 8 39 9 円
8 5 0
1 14 0 5
3 15 0
地 租
地 所社費
生活 費
飯 米
2 8 9 7 3 円
1 2 0 1 2
貸地貸 家所 得
利 息
小 計 l 4 0 9 8 51 1 3 3 8 0 4
経
常
6 4 0 5
2 0 1 0 2
臨 時 生活 費
田 ・
山林買 入
2 9 3 7伝 来 物 品 売 却臨時
絵 計 1 6 0 3 1 14 3 9 42稔 計
表1 1
が
示
す。
明
治
末年の
経
営上の
大
変動
が
示さ
れ、
大
正
期に
入っ
て、
安定
的に
好転
して
い
る
状
況
が
読み
と
れ
る。
こ
の
過
程を
通
じて
経
営の
収
支
規模ほ
増大
して
い
る。
以
上が
明
治十
沖
一
年以
降の
経
営概要で
あ
る。
こ
こ
で
は、
こ
の
経
営をと
り
郎り
∂
ま
く
経済的政
治的
条件に
つ
い
て
は、
別の
機会に
譲らざ
る
を
え
ない
。
問題を
経
営収
支の
動向
だ
けに
つ
い
て
み
れ
ば、
明
治十
一
年か
ら二
十
六
年に
つ
い
て、
表12
の
数
値を
得る
。
こ
の
二
十六
年間に
つ
い
て、
経常収
支
に
つ
い
て
ほ一
七・
五
%の
益
と
なっ
て
い
る
が、
臨時収
支を
加える
と、
四
〇
%
.
ほ
どの
支
出増と
なっ
て
い
る。
そ
し
て
そ
の
総
支
出の
、
三
三・
三
%
余は
田・
山
林買入
代
金セ
あっ
て、
こ
の
間に
入
手
し
た
田
は
岡村
・
藤井寺村を
は
じ
め
と
した
九力
村に
及び
、
合
計二
三
町
九
反
九
畝廿六
歩に
の
ぼ
る。
伝来物品
売却と
し
て
売っ
た
の
は
山
林二
所、
借家
五
棟、
田
畑宅地
四町
一
反一
畝二
歩で
あ
る
か
ら、
約二
〇
町
歩の
土
地
集積が
行わ
れ
た
こ
とに
な
る。
こ
の
Ⅳ・
Ⅴ
期の
地
主
的成長の
様子
を
知る
こ
と
が
で
き
よ
う。
4
明
治初年の
経営論理
以
上の
こ
の
岡田
家の
経
営概
要の
あ
り
方は
、
前述の
よ
う
な
岡
田
家の
もっ
て
い
る
地
域的
歴史的
位置か
らい
っ
て
も、
さ
まざ
まの
問題の
出発点
と
も
な
り
基礎と
もな
る
諸
事実
を
含ん
で
い
る。
しか
し、
こ
こ
で
ほ、
そ
れ
らの
諸
問題の
う
ち、
払叩
( 7 5 ) 地 主 経営の概 要 と論理
.噸
地
主と
し
て
の
経
営論理に
つ
い
て、
しか
も、
時期を
限っ
て、
検討し
て
お
くこ
とに
しょゝ
㌢、
よ
く
知ら
れ
て
い
る
よ
うに
、
些戸
時代の
村方地
主
は、
地
主小
作関係と
手
作経営とに
基礎を
おい
て
い
る。
地
主
小
作
関係に
基礎をお
くとい
う限
り
で
は、
そ
の
地
主は
、
高利貸
商人の
論理に
た
た
ざ
る
を
え
ない
。
他方
、
地
主
手
作に
基礎
を
お
く
限
りで
は、
そ
の
地
主は
、
経
営者ない
し、
生
産者の
論理に
た
た
ざる
を
え
ない
の
で
ぁ
る。
そ
して
こ
の
両
者が
ど
の
よ
うに
関わ
り
あっ
て
い
る
か
を
明
ら
か
に
する
こ
と
は、
こ
れ
らの
地
主的性格を
本質と
する
豪農た
ちが
、
どの
よ
うに
、
そ
れ
自体
ほ
生
産者で
ある
一
般農民
た
ち
と、
共通の
要求や
要望を
く
み
た
て
うる
か
と
い
う
問題と
関わ
っ
て、
重
要なこ
(
1 2)
とだ
と
考え
ら
れ
る。
そ
の
よ
うな
関心
か
ら、
岡田
家の
経
営概要を
み
た
と
きに
、
前掲の
「
銀留帳+
と
「
下
作
宛口
帳+
と
に
含ま
れ
て
い
る
二
つ
の
文書が
注意を
惹く
。
そ
の
一
つ
は、
すで
に
あ
げた
、
安
政四
年の
「
出入
銀
手尻勘定+
の
内
容で
ある
。
こ
の
記
載方
式は
、
「
手作+
入
米に
つ
い
て
は
「
銀
留帳+
の
扱
う明
治十
年代まで
、
同
じ
方
式を
とっ
て
い
る。
こ
の
安
政四
年の
記
録
ほ、
すで
に
述べ
た
こ
と
を
言い
か
え
れ
ば、
第一
に、
地
主
経
営が
未納年貢諸
掛り
な
どの
現
物賦課を
経
営収
支に
計
算さ
れ
ない
、
そ
の
よ
うな
意味で
の
前提と
し
て
理
解
さ.れ
て
い
た
こ
と
で
あ
る。
こ
の
こ
と
は
さ
らに
い
え
ば、
年貢諸
掛り
(
そ
の
主
要部分は
す
で
に
述べ
た
よ
うに
現物納で
あ
る)
の
負担
を、
地
主
経営収入に
直接関わ
らせ
ない
とい
うし
く
み
に
な
っ
て
い
る
と
い
うこ
と
で
あ
る。
こ
の
よ
うな
、
年貢負担と
経
営との
関
係は
、
お
そ
らく
、
地
主が
直接に
年貢減免の
要求
を
提起する
こ
と
を
大き
く
制約して
い
た
で
あ
ろ
うし
、
ま
た、
地
主
小
作関
係の
展開に
も
か
か
わ
ら
ず、
高率
年貢が
維持さ
れ
た
理
由の
大
き
な一
つ
に
も
なっ
て
い
た
で
あ
ろ
う。
そ
し
て、
つ
きつ
めて
い
え
ば、
地
主に
、
封建領有の
樫
椅を
切
実な
問
題と
し
て
会得さ
せ
ない
こ
と
の
基礎的な
事情と
も
なっ
て
い
た
で
あ
ろ
う。
昇一
一
は、
手
作収
入の
虚構性が
もっ
て
い
る
問題で
ある
。
こ
こ
に
は
い
ろい
ろの
問題が
露呈さ
れ
て
い
る
よ
うに
思
われ
る。
た
と
え
ば、
宛口
高の
問題が
あ
る
し、
そ
れ
と
不
可分に
なっ
て
い
る
実納年貢
・
小
作料率の
問題が
あ
る。
こ
れ
らに
つ
い
て
は、
別の
機会に
検討す
る
と
して
、
な
に
よ
り
もこ
の
史料の
記載で
は、
手作経
営に
つ
い
て、
地
主が
、
生
産者と
▲7
して
の
立
場を
全く
と
っ
て
い
ない
七
と
が
明
らか
なこ
と
が
注
朗
一 席論叢 第八 十 三 巷 第 三 号 ( 76 )
目さ
れ
る
で
あ
ろ
う。
地
主の
考え
方の
基礎に
ほ、
地
主の
所
持する
田
島は
、
全て
、
米
-こ
こ
で
も
原則と
して
木桶生
産に
つ
い
て
は
金・
銀納と
なっ
て
い
る
が、
そ
れ
も、
宛日
高
に
実納年貢
・
小
作料率をか
けて
出した
米高を
、
棉方
相
場
とい
う米相
場で
貨幣に
換算する
と
い
う、
代
銀納方
式をと
っ
て
い
る
ーの
年貢
・
小
作料を
実
現
する
もの
だ
とい
う
論
理が
確固と
して
貫い
て
い
る
こ
と
を
読み
と
らな
い
わ
け
に
は
い
か
ない
。
つ
ま
り、
高利貸商人
の
論理
が
貫徹し
て
い
る
の
で
あ
る。
「
出入
銀手
尻勘定+
の
記
載は
、
こ
の
二
つ
の
こ
と
を
物語
る。
そ
して
こ
の
よ
うな
記載方
式を
地
主
が
何時か
らは
じ
め
た
か
とい
うこ
と
に
つ
い
て
は
確証が
ない
。
た
だ、
一
つ
に
は、
こ
の
記載方
式の
初見
告別
出の
安政
四
年で
あ
る
こ
と、
安政
四
年以
前に
つ
い
て
は
「
銀留帳+
と
同様な
史
料は
な
く、
か
っ、
あ
り
えた
形跡もない
こ
と、
地
主
小
作関
係に
つ
い
て
は、
嘉永二
年の
「
小
作宛口
名
前帳+
が
現
存する
が、
そ
の
内容
は、
地
並
形
式で
あっ
て、
慶応元
年以
降昭
和期迄継承
さ
れ
る.「
下
作宛口
帳+
が
名
寄形式で
あ
る
の
と
大
き
く
違っ
て
い
る
こ
と、
手
作経
営に
つ
い
て
は、
嘉
永
七
年の
「
実
綿
鳥取
(
1 3)
帳+
が、
明
治五
年迄年々
の
木綿収
穫記
録を
記して
い
る
が、
血叩
.
そ
れ
は、
後述の
明
治三
年以
降の
「
手
作貴方
勘定
帳+
と
大
湖
き
く
内容を
異に
し
て
い
る
こ
と、
な
ど
の
事実か
らみ
る
と、
安政
四
年、
あ
る
い
は
そ
れ
を
わ
ずか
に
遡る
頃に
、
ほ
じ
まっ
た
も
の
と
考え
ら
れ
る。
史料の
第二
は、
慶応四
年の
「
下
作
宛口
帳+
に、
肪紙と
して
残さ
れ
て
い
る一
紙で
あ
る。
そ
の
全
文
をあ
げよ
う。
④⑤◎④㊥
辰手
作勘定
宛高四
捨石六
斗弐
升
余舶〆
七
分
取此
米弐拾八
石五
斗
六
両
弐
分か
へ
畑
代金
百八
拾五
両
壱分
一
、
八
拾壱
両
弐
分
一
、
六
拾両
①
〆
⑧
三
百
廿
六
両三
分
五
拾三
両
壱朱
粕代其外語
払
方
〆
下
男弥助
平助
利吉菊松〆
四
人
分
壱両
分
給金
井二
入
用
共、
凡十
五
両
見込
辰
五
月
取
入
永四
十二
文五
分
菜種代
弐
拾■
四
両
同
麦十二
石代
一-
▼
( 7 7 ) 地主 経営 の 概要 と論理
①
糠百三
拾八
両
弐
百廿
壱両
壱石二
付
凡
弐
両
代
辰
八
月
取
入
綿七
百
斤代
同
十一
月
取入
米三
十四
石
壱石二
付
六
両二
分ツ
ツ
一丁
巳
十二
月
廿日
攻勘定裏
毛
代
元
手
作之
分
菜
種
麦
場共
一
、
壱町
九
反三
畝歩
壱反二
付六
両ツ
ツ
①
此
金
百
拾五
両三
分
㊤
〆四
百
三
十
六
両
①
右差
引
百
拾両
余金
内十
両
清助
給金
見込
引
とい
うの
で
あ
る。
日
本近
世
経済史の
分
析に
従
事して
い
る
者に
とっ
て
は、
こ
の
史料に
大
きな
異和感を
も
た
ない
わ
けに
は
行か
ない
で
あ
ろ
う。
そ
れ
は、
一
般に
は
手
作経
営の
計算に
さ
い
して
は、
史料中の
項目
㊥⑤㊤が
無く
、
④+
㊥の
数値
一
四一
両二
分
が
経
営支
出と
な
り、
した
が
っ
て
項目
⑥は
二
五
〇
両三
分の
徳と
な
る
は
ずだ
か
らで
あ
るひ
しか
し、
こ
こ
で
は、
㊥⑤◎
が
経
営支
出に
加
え
られ
て
い
る。
そ
し
て、
明
治三
年に
始まり
十四
年まで
記
さ
れ
た
「
手作
貴方
勘定帳+
で
は、
一
貫して
同じ
計算が
な
さ
れ
て
い
る。
こ
の
史料の
書き
出しと
明
殆三
年の
帳尻をあ
げて
お
こ
う。
一
、
弐
反
弐畝歩
増
㊥
此
金
拾三
両
壱分
㊤一
、
金
拾弐
両
乾垣
外
凡弐
反
裏毛
付
井二
冬肥
井荒か
し
具共
込れ
三
ロ
㊤
〆百
四
拾壱両
此
利
給金
巳
十二
月
渡之
分
㊥一
、
金
弐
拾弐
両三
分
嘉助
庄七
清右衛門
〆三
人給金
渡
此
利
3 β9
一 橋静養 第 八 十三 巻 第 三 号 ( 78 )
同㊦
一
、
金
五
両
菊松分
右同断
此
利
下
女
下
男合
五
人
分
建用年
中
之
分
平
均
相
場二
而
⑦一
、
米九
石
代
六
拾三
両
但七
両か
へ
㊦
麦九
石
代
四
拾五
両
但五
両か
へ
但一
日二
米五
合麦五
合
〆壱升口
之積
尤諸
雑費込払
巳
十二
月
買取
(
朱
字)
〔
此
分
壱玉二
付
三
斗
弐
升〕
①
二
種粕
四
十三
玉
竹次
払
六
〇
代
金
弐
拾五
両三
分
永五
拾文
(
朱
字)
〔
此
分
壱玉二
付
粉壱
斗
壱
升
六
合〕
㊥一
、
同
百
三
石膏
払
代
金五
拾九
蘭
弐
分
夕
貸共
(
朱
字)
〔
此
分
壱玉二
付
粉六
升〕
⑳
三
口
〆百
廿
両
者分
永五
拾文
地
利
午正
月
A入
用払
方
旦属
人工
科
渡方
共
3 7 α
正
月
廿
四
日
一
、
銭三
景文
(
中
略)
午正
月
才(
中略)
利兵
衛日
雇方
㊥
合八
拾弐両
弐分
弐
朱
永
十
九
文七
分
七
月
廿
日
一
、
壱〆五
百
文
(
中
略)
七
月
廿
日
才(
中
略)
吉右衛門日
雇壱人
㊧一
、
無粉粕百
玉
代金
三
拾五
両
、*
小
川
水
車払
⑧
合
百
廿
六
両
弐朱
㊥
惣払
方
〆
六
百五
両三
分
㊥
年貢五
拾九
石
宛ニ
シ
テ
八
分
取
此
米四
拾七
石弐
斗
+▼書
無利足
⑫
*
.1
凡七
両か
へ
此
金三
百三
拾両
壱分
合九
百三
拾五
両三
分
内百
八十二
両
壱分
四
百
六
拾弐
両
七
拾五
両
拾両弐
分
麦菜
種
五
月
取入
之品
物
前々
有
之
代
金入
取
入
米
六
十六
石代
凡
七
両か
へ
綿代
大豆
小
豆
代
叩̀
と
り
あ
え
ずは■、
∴】
め
史
料の
申
で、
項目
㊥が
、
「
銀留帳+
と
同じ
計算方
式を
と
っ
て
い
る
こ
と
を
確認
して
お
こ
う。
そ
して
、
そ
の
「
手
作+
入
米は
、
こ
こ
で
は、
「
銀
留傾+
と
は
違っ
て、
慶応四
年肪紙と
同
様に
、
経営支
出と
計
算さ
れ
て
い
る
こ
と
も
明
らか
で
あ
る。
項目
㊥か
ら
⑳まで
の
計
算は
慶
( 79 ) 地 主 経営 の 概 要 と論理
四口
〆
⑳
七
百廿
九
両三
分
⑳
引
残而
金弐
百
六
両
不
足
午十二
月
改
つ
い
で、
明
治四
年の
最初を
示
して
お
く。
未年勘定
㊧
二
金
弐百六
両
去
午年十二
月
迄差
引不
足分
午十二
月三
相
渡分
一
、
金三
拾雨
下
男嘉助
新七
庄七
菊松
〆四
人
給金
(
下
略)
( 手 作収穫代 金 ( 項 目⑧ ・ ⑳))
一l〔「手作+ 入米 ( 項 目㊥ ・ ⑧)〕
+〔労賃 ・
肥 料・
雄 経費合 計 ( 項 目① ・ ㊥)〕†* 1
= 手 作収 益 (項 目㊥ ・ ⑳)
応四
年の
胎紙と
同様に
、
手
作に
つ
い
て、
別
掲の
よ
うな
計仙
昇
方
式と
なっ
て
い
る。
こ
うして
、
「
手
作+
入
米が
、
そ
の
手
作地
を
小
作に
出し
た
さ
い
に、
得べ
き
小
作米と
して
、
支
出ない
し
損失と
計算さ
れ
て
い
る
こ
と
は、
疑い
よ
う
も
ない
。
そ
して
、
こ
こ
に、
こ
の
時期の
こ
の
地
主の
経営観念を
読み
と
る
こ
と
が
で
き
る
で
あ
ろ
う
と
思わ
れ
る。
そ
れ
は、
と
り
あ
え
ず、
直接に
は、
手
作経
営と
小
作経営の
得失
とい
う
問題か
ら
は
じ
まっ
て
い
る
と
い
え
る。
しか
し、
慶応四
年で
は
手
作
収
益
が
あっ
て
も、
「
手作+
入
米よ
り
少な
く、
明
治三
年で
ほ
経
営は
赤字に
な
っ
て
い
る。
な
お、
明
治三
年の
場合は
、
次に
述べ
る
事情に
訊
一 棟 論叢 第 八 十 三 巻 第 三 号 ( 8 0 )
よ
っ
て、
項目
㊥の
六
〇五
両
余を
そ
の
ま
まこ
の
年の
手作経
営の
肥料
・
労賃
・
鹿茸経費合計だ
と
い
う
わ
けに
はい
か
な
い。
そ
の
意
味で
な
らば
、
項目
㊥と
㊥と
の
合計二
〇
八
両三
分と
永一
九
文
七
分と
が、
こ
れ
に
み
あ
う
数で
あ
り、
こ
れ
を
項目
㊥に
お
きか
え
れ
ば、
項目
⑫は
五
三
九
両、
項目
⑳は
一
九
〇
両三
分の
徳と
な
る
は
ずで
あ
る。
こ
の
よ
うに
して
み
て
も、
手作収益
ほ
「
手
作+
入
米よ
り
少ない。
こ
れ
は一
般的に
当
然の
こ
と
で
あ
っ
て、
手
作収
穫が
よ
ほ
ど
高く
、
し
か
も
「
手
作+
入
米が
よ
ほ
ど
低く
ない
限
り、
同
じ
現象が
お
こ
る
の
で
あ
り、
こ
の
手
作収穫と
「
手
作+
入
米
の
隔差を
考え
る
こ
と
は
殆ど
不
可能で
あ
る。
そ
れ
は
手作経
営と
小
作人と
小
作経営とが
ほ
ぼ
共
通し
た
生
産条件
、
生
産
内容を
もっ
て
い
る
こ
と
と、
「
手作+
入
米の
計算
基
礎で
あ
る
実納年貢
・
小
作料率が
、
主と
して
、
両
経
営を
同
様に
規
定して
い
る
自然条件=
豊凶
状況に
よ
っ
て
定
め
ら
れ
て
い
る
か
らで
ある
。
だ
か
ら、
こ
の
よ
うな
計算方
式は
、
た
ん
に、
手作経営
・
小
作経
営の
得失を
判定
す
る
必
要か
らと
ら
れ
た
の
だ
とい
う
わ
けに
ほ
い
か
ない。
なお
、
右の
計算の
今一
つ
の
特
徴は
、
こ
こ
で
も、
年貢・
地
租分が
無視さ
れ
て
い
る
こ
とに
ある
。
一
♯
.
年貢
・
地
租部分は
、
ほ
ん
らい
別
記
計算式の
㌔
の
括弧内に
那
加え
ら
れ
ね
ば
な
ら
ず、
し
た
がっ
て、
手作収
益は
よ
り
小
さ
く
な
け
れ
ば
な
ら
ない
の
で
あ
る。
そ
れ
が
そ
の
よ
うに
なっ
て
い
ない
とこ
ろに
、
前述の
よ
う
な
地
主の
年貢
・
地
租に
つ
い
て
の
考え
方が
表現さ
れ
て
い
る
し、
また
、
こ
の
計
算方
法を
、
小
作経
営・
手
作経
営の
得失
に
関
わっ
て
の
み
理
解しょ
うと
する
こ
と
を、
い
っ
そ
う
困
難に
し
て
い
る。
む
し
ろ、
こ
れ
は、
こ
の
地
主
が、
手
作経営を
中心
に、
自
らの
経
営全
体を
見
直し
、
と
ら
え
直そ
うと
して
い
る
こ
との
表現だ
と
考えた
方が
よ
い
の
で
は
ない
か
と
考え
られ
る。
そ
七
て、
私た
ちが
こ
の
二
つ
の
史料を
通
じて
うける
異和感
・
意外
性は
、
そ
の
見直し
の
さ
い
に
こ
の
地
主が
と
っ
た
論理の
「
新し
さ+
で
ある
と
と
ら
え
るべ
きで
ほ
ない
だ
ろ
うか
。
慶応四
年に
鮨札と
し
て
初見の
こ
の
方
式が
、
明
治三
年以
降、
手
作経
営収支を
貫く
方
式と
して
定
着した
こ
と
は、
す
で
に
ふ
れ
た
通り
で
あ
る。
そ
の
明
治三
年に
つ
い
て、
そこ
で
は
何が
行わ
れ
た
か
を、
前掲の
史料に
よっ
て、
確め
て
み
よ
う。
こ
の
史料の
項目
㊥に
問題が
あ
る
こ
と
も
すで
に
ふ
れ
た
が、
そ
の
問
題が
鍵と
な
る。
そ
れ
は、
項目
㊥が
、
項目
㊥・
㊧以
外に
手
作地の
裏毛
代(
項目
㊤)
及び
、
明
治二
年年
末
♯
( 飢 ) 地 主 経営の 概要 と論理
、
鞍
1
まで
に
支
払い
ずみ
で
あっ
て、
三
年以
降の
経営に
使役
・
使
用さ
れ
る
年季奉公
人
給金お
よ
び
必
要経
費(
項目
㊥・
㊦・
⑦・
㊦)
、
肥料代(
項目
㊥)
を
含ん
で
い
る
こ
と
で
あ
る。
こ
の
記
載ほ
、
■こ
の
地
主が
、
手
作経営に
つ
い
て、
明
治二
年以
前と
切
り
離し
た
形で
と
らえ
直そ
う
と
して
い
る
こ
と
を
雄弁に
物語
っ
て
い
る。
右に
あ
げ
た
項目
㊥の
㊥・
㊥以
外の
諸
項目
、
合計三
九七
両ほ
、
三
年以
降の
手作経営へ
の
投資
の
意味を
もっ
て
い
る。
し
た
がっ
て、
こ
の
金
額は
、
三
年の
手作経営だ
けで
消却さ
れ
る
の
で
は
な
く、
長年に
わ
たっ
て
処理
さ
れ
るべ
き
もの
で
あ
る。
四
年の
勘定の
冒頭に
、
項目
⑳と
同
額の
金
額が
、
「
去午年十二
月
迄
差
引不
足分+
(
項目
㊧)
と
して
記さ
れ
て
い
る
こ
と
は、
そ
れ
を
示
して
い
る。
こ
うして
、
明
治三
年に
至っ
て、
手作経営の
見直し
が
行
わ
れ、
そ
の
見直しの
論理
と
し
て、
投資と
そ
れ
に
基づ
く
損
益の
論理が
適用さ
れ
る
に
い
たっ
た。
こ
れ
は、
江
戸時
代の
農
業経営史の
立
場か
らみ
る
と、
画
期的
なで
き
事で
あっ
た
とい
っ
て
よ
い。
しか
し
な
が
ら、
そ
れ
を
直ちに
、
農業経
営に
た
い
する
近
代
的な
経営論理の
芽で
ある
と
する
わ
けに
は
い
か
ない
。
そ
の
論理の
底に
ほ、
すで
に
の
ぺ
た
よ
うな
、
遅く
と
も
安政四
年に
は
成立
し
て
い
た
地
主の
高利貸的論理が
、
爺、
1
月
少
し
も
動揺する
こ
と
な
く、
貫き
通
して
い
る
か
ら
で
あ
る。
最後に
、
こ
の
よ
うな
明
治三
年の
画
期性は
何故生
ま
れ
た
か
を、
素描して
お
こ
う。
そ
れ
は、
経営概
況
山で
述べ
た
よ
うな
、
第Ⅱ
期の
危機状況の
所
産なの
で
あ
る。
と
く
に
直接
に
は
明
治二
年の
不
作に
よ
る
衝撃だ
と
い
っ
て
よ
い。
し
か
し
な
が
ら、
すで
に、
慶応四
年の
貼紙の
史料が
あ
る
以
上
は、
第Ⅱ
期(
元
治
元
-明
治三
年)
を
通
じて
、
こ
の
よ
うな
見直
し、
経営論理
再検討の
必
要性が
強まっ
て
き
て
い
た
もの
と
言
わ
な
くて
は
な
らない
だ
ろ
う。
(
七
九・
十二・
十
こ
(
1)
本
稿で
扱う
岡田
家文
書は
、
増淵先生
が一
橋大学図
書館
長を
勤めら
れ
た
時期
、
現
所
蔵者
岡田
泰典氏の
御好
意■によっ
て、
一
橋大
学へ
の
寄託の
話が
お
こ
っ
た
文
書で
あ
る。
先
生の
御
尽
力に
よっ
て、
文
書
は、
現
在、
大
草に
移さ
れ、
社
会
学部
の
仮
受託と
なっ
て
お
り、
寄託の
た
め
に
必
要な
目
録作成
と、
その
基
礎
作
業と
し
て
の
文
書研
究が
進め
ら
れ
て
い
る。
(
2)
高尾
一
彦「
大
阪
周
辺に
お
ける
綿作の
発展と
地
主
制の
形
成+
(
歴史学研
究会編
『
明
治維新と
地
主
制』
所
収)
.(
3)
岡田
文
書を
直接に
■ 、
しか
し
部
分的
に
あつ
かっ
た
研
究と
して
、
次の
二
つ
が
あ
る。
津田
秀夫
「
幕
末
維新
期の
農村構造+
(
同
『
幕
末
社
会
の
研
究』
所収)
菅野則子
「
封建制解
体
期畿内
農
村の
構
造+
(
北
島正
元
編
湘
一 橋 論叢 第八十 三 巷 第三 号 ( 8 2 )
『
幕
藩制国家解体
過
程の
研
究』
所
収)
(
4)
農業発達史
調
査
会
編
『
日
本
農
業発達
史7』
所収
(
5)
「
銀
留帳+
は二
冊
よ
り
な
り、
安
政四
-明
治十
七
年の
各
年を
網羅し
て
い
る。
こ
の
史料の
各
項
目の
記
載例を
、
安
政四
年の
例に
つ
い
て
示
して
お
こ
う。
御年貢井
諸
役
出
銀
党
安
政
四
丁巳
年
七月九日
一
、
三
首五
拾六
匁
大
井村先
打
金五
両
代
八
月十三
日
二
三
首五
拾三
匁五
分
同
村初納
金五
両代
(
下
略)
小
作方
入
銀
党
安政
四
丁
巳
年
五月二
日
一
、
八
匁
閏五
月二
日
一
、
八
匁
田
地
方
井
借家
巳
年∫
正月五
日
一
、
拾三
匁
北
新助
三
月
分
家
賛
同
人
四
月
分
家
貸
(
下
略)
普請入
用留
津堂柊五
払
甫借家
井戸側代
書
-
正
月廿五
日
一
、
八
匁
野々
上
七
助
取
次
竹四
束
代
利左
衛門家入
用
(
下
略)
なお
、
小
作入
米手
作に
つ
い
て
は、
後掲の
史料
参照
。
(
6)
「
銀
留帳+
の
記
載に
ょ
る。
(
7)
こ
の
相
違ほ
、
集計
上の
操作か
ら
来て
い
る
もの
と
思わ
れ
る
が、
明
らか
で
な
い
。
し
か
し、
検討を
進め
る
上
で、
大き
な
支
障と
な
る
とは
思え
な
い。
(
8)
宛口
高を
単
純に
契約小
作料の
高と
する
こ
と
に
は、
大
き
な
問題が
ある
。
こ
の
こ
と
ほ、
地
主
的
土
地
所
有の
問題と
し
て
と
ら
え
直した
検討が
必
要で
あ
る。
(
9)
「
下
作宛口
帳+
に
よ
る。
(
1 0)
「
統計
比
較表+
の
記
載例
地
租之
部諸
公
課ヲ
包
含ス
β指
一
、
金
九
百
八
拾円
一
、
金
九
首
六
拾弐
円
(
中
略)
地
所雑費之
部
一
、
金
三
拾七
円
一
、
金八
拾九
円
(
中
略)
貸地
貸家所
得
明
治十
一
年
同
十二
年
明
治十
一
年
明
治十二
年
叔
( 8 3 ) 地 主 経営 の 概 要と 論理
._
二
金武千
四
捨者
円
六
捨四
琴二
足
一
、
金三
千四
百
九
拾四
円
八
拾銭四
厘
(
中
略)
利息
之
部
一
、
金
壱千
弐百
四
拾円
四
拾
壱
銭
一
、
金
壱千
首
七
拾四
円
大
給三
銭八
厘
(
中
略)
生
活
費之
部
一
、
金四
百八
拾九
円
三
拾
八
銭九
厘
明
冷十
十年
同
十二
年
明
治十
一
年
同
十二
年
明
治十
一
年
内
弐拾
七
円
五
十
銭
券
什
械買入
一
、
金
七
百三
拾三
円
拾三
銭五
厘
内
百
七
拾
八
円三
拾七
銭八
厘
(
中
略)
飯米之部
一
、
米弐
拾六
石
四
斗
壱
升
代
金百
四
拾八
円四
拾五
銭
一
、
米
式
拾六
石
五
斗五
升
代
金
弐
百四
円四
拾三
銭五
厘
(
中
略)
明
治十二
年
什
器明
治
十一
年
五
円
六
拾
弐
銭替
同
十二
年
七
円七
拾
銭
伝来
物品
売
却
記
十一
年三
月四
日
一
、
金六
拾
三
円
十二
年二
月八
日
一
、
金
弐
百
八
拾円
借家二
様
醐旭胱噸家
飛
鳥
山
林
血耶
∴
一
さ
内
紛河
手
数
粁引
(
中
略)
田
地
買
入
記
㈹
欝卜
茫削
新高
二
金
千七
百
九
円
九
銭八
厘
岡
藤井寺弐
町
五
反
七
畝廿
歩
又
弐
円
五
厘
一
、
金
八
百三
拾五
円五
拾六
銭九
厘
小
山
七
反四
畝
廿三
歩
(
下
略)
(
1 1)
こ
の
数
値は
、
「
銀
留帳+
の
数
値と
若干の
相
違が
あ
る。
正
し
くは
何れ
を
と
るべ
きか
に
迷うの
で
あ
る
が、
増
減
動向
等
に
つ
い
て
は
遠
い
が
ない
の
で、
以
下
「
比
較統
計
表+
の
数値に
っ
い
て
み
て
い
くこ
と
と
する
。
(
1 2こ
そ
れ
は
豪農論の
重
要な
論点
「
人
民
的
紐帯+
の
問題に
関
わ
る。
(
1 3)
嘉永七
年の
「
実線鳥取
帳+
の
記
載
例ほ
次の
通
りで
ある。
嘉永
七
寅年
閏七月十四
日
一
、
五
拾七
斤
三
十
三
斤
こ
ふ
池
内
廿
斤
秦森
四
斤
岡
中
岡十六
日
一
、
六
拾五
斤半
西ノ
谷
(
下
略)
(
一
棟大学
数
授)
∽