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法律論叢第 91 巻第 45 合併号(2019.1【翻 訳】 第五共和制の憲法的特質としての 「混合的な(mixtes)」システムと 「半大統領」制のカテゴリー ジュリアン・ブドン (訳)大 目 次 【訳者前書き】 【はじめに】 1.政治上及び学説上の諸々の解釈の競合 2.「半大統領」制とその変種 【訳者前書き】 本論攷は、ランス(シャンパーニュ・アルデンヌ)大学法学部長のジュリアン・ ブドン(Julien Boudon)教授(憲法学)が『歴史と法(Historia et jus)』(ISSN 2279-7416)(www.historiaetjus.eu13 2018 に掲載したフランス語単著論文 Les syst` eme mixteset la cat ´ egorie des r´ egimes semi-pr´ esidentiels; La qualification constitutionnelle de la V e epublique」を大津浩が翻訳したもの である。ブドン教授は 1974 年生まれの若き秀才である。フランス法律学の中心的 存在であるパリ第 2 大学で学部と大学院を過ごし、2002 年に博士課程を修了し、 2004 年に公法学の国家認定教授資格(agr´ egation)を取得されている。教授の研 究領域は憲法史、第五共和制憲法、憲法訴訟、比較憲法など憲法学の全般にわたっ ている。特に憲法史ではジャコバン憲法研究が有名である。また教授自身の言に よれば、比較憲法では特にアメリカ合衆国と日本(!)を研究しているとのことで 293

「混合的な(mixtes)」システムと 「半大統領」制 …...´etrangers, Paris, PUF,《Droit fondamental》, 2015. Manuel de droit constitutionnel -La Ve R´epublique,

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明治大学 法律論叢 91巻 4・5号:責了 book.tex page293 2019/02/21 16:27

法律論叢第 91巻第 4・5合併号(2019.1)

【翻 訳】

第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー

ジュリアン・ブドン(訳)大 津   浩

目 次【訳者前書き】【はじめに】1.政治上及び学説上の諸々の解釈の競合2.「半大統領」制とその変種

【訳者前書き】

本論攷は、ランス(シャンパーニュ・アルデンヌ)大学法学部長のジュリアン・

ブドン(Julien Boudon)教授(憲法学)が『歴史と法(Historia et jus)』(ISSN

2279-7416)(www.historiaetjus.eu)13/ 2018に掲載したフランス語単著論文

「Les systeme《mixtes》et la categorie des regimes《semi-presidentiels》; La

qualification constitutionnelle de la Ve Republique」を大津浩が翻訳したもの

である。ブドン教授は 1974年生まれの若き秀才である。フランス法律学の中心的

存在であるパリ第 2大学で学部と大学院を過ごし、2002年に博士課程を修了し、2004年に公法学の国家認定教授資格(agregation)を取得されている。教授の研

究領域は憲法史、第五共和制憲法、憲法訴訟、比較憲法など憲法学の全般にわたっ

ている。特に憲法史ではジャコバン憲法研究が有名である。また教授自身の言に

よれば、比較憲法では特にアメリカ合衆国と日本(!)を研究しているとのことで

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法律論叢 91巻 4・5合併号

ある。教授が執筆された教科書としては、以下の 2冊を挙げておられる。Manuel de droit constitutionnel - Theorie generale, Histoire, Regimes

etrangers, Paris, PUF,《Droit fondamental》, 2015.

Manuel de droit constitutionnel - La Ve Republique, Paris, PUF,《Droit

fondamental》, 1ere ed. 2014, 2e ed. 2016.

ランス大学は明治大学と協定校関係にあり、学生交換や研究者交流が進みつつあ

る。教授は学部長としてのみならず日本を愛する比較憲法研究者として、明治大学

を始め多くの日本の大学、大学人との交流の発展を願い、活発に活動しておられ

る。大津が長年関わっている「日仏公法セミナー」という日仏法学者の研究交流活

動にも近年積極的に参加されるようになり、その関係で知り合った。今回の翻訳も

そうした交流の一環である。

本論攷は、フランス第五共和制の特質を「半大統領制」(regime semi-presidentiel)

と定義したフランス憲法学(政治制度論、政治学を含む)の泰斗モーリス・デュ

ヴェルジェ(Maurice Duverger)を主たる研究対象として、彼の論攷や教科書、

あるいはそれに関わる他の学者の論攷を丹念に跡付けながら、「半大統領制」とい

う定義をめぐる基準の変遷とその学問的価値を分析したものである。

日本の憲法学では、フランス第五共和制憲法の主な特徴の 1つとして、強力な大

統領制の確立とそこへの議院内閣制的な要素の組み込みを挙げ、これに「半大統領

制」の名称を付すことが一般的である(例えば、辻村みよ子・糠塚康江『フランス

憲法入門』三省堂、2012年、95頁)。日本の憲法学者も多くは、フランスの現政

治体制を大統領制のカテゴリーでとらえている。しかし現在のフランスで公刊さ

れている憲法の教科書では、どちらかと言えばこれを議院内閣制のカテゴリーに

分類しているように見える(参照、Louis Favoreu et al., Droit constitutionnel,

18e ed., Dalloz, 2016, p.689 et s.)。ブドン教授の本論攷も、大統領制については

アメリカ型をモデルとすることで、いくら普通選挙で選ばれ、政治責任を直接問わ

れることもなく、にもかかわらず憲法上は実質的な権能を豊富に保持する国家元首

としての大統領が設けられていようとも、その権能の大部分について政府(内閣)

との協働が必要であり、かつ後者が議会から責任を問われる制度である限り、これ

を議院内閣制のカテゴリーに近づけて理解しているように見える。もちろん教授

の問題関心は、このように政治体制をカテゴリー化し分類すること自体に対する懐

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

疑にあるのだが。

他方で、日本の憲法学では未だに各国憲法の違いを超越する普遍的な憲法原理・

原則があることを前提として、一定の規範モデルを設定し、そこから日本国憲法の

解釈を組み立てようとする傾向が強い。解散権論争がまさにその好例であるが、こ

の論争では、説明上の都合とはいえ、天皇の国事行為の一部(憲法 7条 3号の解散

権)に実質的な解散決定権を認めたうえで、助言と承認を通じてこの実質的解散権

が内閣に移るとする「7条天皇説」が通説的位置を占める。しかしこの論理立てで

は、天皇に国家元首の地位を認めてしまうことへの抵抗感、あるいは天皇の政治的

無権能性を定める憲法第 4条 1項を論理の出発点に据える解釈こそ国民主権原理

に適うとする見地からの有力な批判がある。この批判説の有力な一潮流こそ、日本

国憲法は議院内閣制を採用しているから立法府と執行府との均衡関係が保障され、

だからこそ憲法上の明文の根拠規定はなくとも内閣に衆議院の実質的な解散決定

権が帰属するというものである(議院内閣制説)。しかし上記の論争においては、

こうした均衡を本質とする議院内閣制の定義自体がイギリスをモデルとしたもの

に過ぎず、議院内閣制の基準を政府(内閣)の議会に対する責任に置くフランス型

の議院内閣制(責任本質型議院内閣制)もあることを考慮すると、日本が議院内閣

制を採用していることから直ちに内閣に解散権が帰属するとの結論は導き出され

えないという反論が提起され、結局、議院内閣制説が排除されてしまったことは周

知のとおりである(解散権論争における議院内閣制の位置づけについて、野中俊彦

他共著『憲法Ⅱ』第 5版、有斐閣、2012年、213―216頁、又は拙共著『新憲法四

重奏』第 2版、有信堂、2017年、201頁、217―219頁を参照のこと)。この点で

も、本論攷が扱っているフランスの議院内閣制の定義は、日本の憲法解釈と深く結

びついていることを再確認したい。

ブドン教授の今回の論攷は、きわめてウィットに富んだ表現や用語で構成されて

いる。そもそもフランスの論文は、それが優れたものであればあるほど多数の同義

語を駆使しており、それらは同義であっても若干のニュアンスの違いを含む点で読

者を飽きさせない。しかし翻訳するとなると、どうしても多様な同義語を 1つの訳

語で示すこととならざるを得ない。ブドン教授の才気あふれる文章を味わいたい

方は、ぜひフランス語の原文に当たっていただきたい。

本翻訳では、regime parlementaireも parlementalismeも「議院内閣制」と

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法律論叢 91巻 4・5合併号

訳し、regime presidentielも presidentialismeも「大統領制」と訳している。ま

た gouvernementについては、「政府」と訳すべきか「内閣」と訳すべきか悩んだ

末、文意から「政府」と訳した方が明らかに正しい場合を除き、「政府〔=内閣〕」

と併記することにした。また日本の読者に分かりやすくするための工夫として本

文を訳者が補う場合は〔…〕でこれを表した。他方でブドン教授自身がその引用文

の中で補足しているところは、原文に従って[…]で表現している。

本翻訳は、2019年 3月末に明治大学法学部を定年退職される小山廣和先生に捧

げる意義も有している。小山先生は、大津が明治大学に転籍した 2017年 4月には

まだ病気ご療養中であったため、小山先生と実際に一緒に仕事することができたの

は、先生が恢復されお仕事に復帰してからの 1年半に留まる。しかし小山先生の温

厚なお人柄や、時々研究室で行った学問上の意見交換において示された抜群の記憶

力と鋭い論理展開にはいつも敬服していた。小山先生のご恩に報いるにはあまり

に拙い翻訳ではあるが、先生がいつまでもお元気で過ごされることを心から祈念す

る次第である。

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

 

【はじめに】

憲法において「混合的な」という形容詞は取るに足らないものではない。政治体

制の分類用語としては、「混合的な」というカテゴリーに位置づけられることで、

それは複数の「純粋な」憲法制度の混合物であることが示唆されている。もっとも

大抵の場合、それは議院内閣制と大統領制のモデルの混合のことである。他方で、

「混合的な」という用語は「異なる本質を持つ 2つないし幾つかの要素から構成さ

れる(1)」ことを意味する。このような特徴づけの採用は 2種類の難点をもたらす。1つは、伝統的な政治制度の分類の妥当性が問題となる点である。もう 1つは、フ

ランスが、同時的であれ通時的であれ、学説上の意味における議院内閣制と大統領

制の混合物であることが疑わしくなる点である。

本稿では、第 1の点については周辺的にしか扱わない(2)。簡潔に述べるなら、

それは次の通りである。第 1に、「大統領」制(すなわちアメリカ合衆国のそれ)は

大統領制の理論が定式化するような組織的な独立性も作用上の単独性も尊重するも

のではない。第 2に、「議院内閣」制は議会に対する執行府の政治責任について、他

の型からこれを区別する絶対的な基準を見出していない。というのは、大統領制の

例として最もよく引き合いに出される合衆国大統領は、 •弾  

•劾 (impeachment)制度

を通じて連邦議会に対する責任を負っているけれども、この責任は厳密にいえば刑

事責任ではないからである。それは、ジョンソン(Johnson)、ニクソン(Nixon)、

クリントン(Clinton)〔の各大統領〕に対する責任追及のあり方から明らかなよう

(1) Le Grand Robert de la langue francaise, 2◦ ed., Paris, Dictionnaires Le Robert,1996, art.《Mixte》, t.VI, p.495.

(2)参照、R. Moulin, Le presidentialisme et la classification des regimes politiques,Paris, LGDJ, 1978 及び《Election presidentielle et classification des regimes》,Pouvoirs n◦14, 1980, p.29-40. 同じく参照、J. Boudon,《La designation du presidentdes Etats-Unis》, Revue du Droit Public et de la Science Politique, 2005, p.1303-1336 ;《Le mauvais usage des spectres. La separation “rigide” des pouvoirs”, RevueFrancaise de Droit Constitutionnel, n◦78, 2009, p.247-267 ;《La separation despouvoirs aux Etats-Unis》, Pouvoirs, n◦143, 2012, p.113-122. 「議会制(regimed’assemblee)」については、参照、A. Le Pillouer,《La notion de “regime d’assemblee”et les origines de la classification des regimes politiques》, Revue Francaise de DroitConstitutionnel, n◦58, 2004, p.305-333.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

に、政治責任と刑事責任とが密接不可分に絡み合ったものであった(一方の政治主

体がもう一方の政治主体を主権的に裁くものである以上、そのように見ないことな

どありえようか)。同様に、責任のことを問題にする以前に、議会的な機関による

執行機関の指名も「議院内閣」制に固有のものとは言えない。なぜなら、合衆国大

統領についても連邦議会による指名がありうるからである。それは、建国の父達が

特別に定めた手段ですらあった。彼らは、大抵の場合、選挙人団がその内部で絶対

多数を生み出すことに失敗するであろうと考えていた。こうした状況の下では、合

衆国は議院内閣制の一変種になるなどと言えるのだろうか。要するに、政治制度の

分類というのはあやふやなものである。それはなるほど教育上の意味はあるにせ

よ、たとえ法が科学であったとしても、基礎的分析手段(canons elementaires)

とはなりえない。

したがって、第五共和制が議院内閣制と大統領制を同時に「混合した」制度であ

るのか、あるいは時期をずらして議院内閣制であったり大統領制であったりするの

かについて検討するのはいささか気が引ける。ここでは政治上及び学説上の代表

的な分析に任せることにしよう。これらの学説には、1958年以来フランスは大統

領制であるというものや(この立場は少数説)、議院内閣制であるというもの(こ

の立場はより多数説)、あるいは両者の混合物だというものがある。この最後の解

釈は、少なくとも 1980年代まで、とりわけモーリス・デュヴェルジェ(Maurice

Duverger)の飾り文句の下で、メディアの世界ではかなりの成功を収めていた(3)。

もっとも、この 3つの立場は 2つにまとめることができる。その 1つは、その特殊

な特性がどのようなものであれ、第五共和制は大統領制あるいは議院内閣制のいず

れかの「純粋な」種別に対応すると考えるものであり、もう 1つは第五共和制が雑

種的な「混合の」体制であると主張するものである。本稿で展開する視点は、エ

リック・ミヤール(Eric Millard)が様々な機会に開陳してきた、比較の手法を用

(3)それと同時に言いうるのは、O・デュアメル(Duhamel)も強調するように、Ch・デバシュ(Debbasch)とP・パクト(Pachtet)のように第五共和制を「混合体制(mixite)」と捉える学派も含めて、フランスの憲法学説では、この概念が優越することはなかったということである。――例えば J・ジッケル(Gicquel)はこうした批判を強く示す(《Remarques sur la notion de regime semi-presidential》, Melanges en hommagea Maurice Duverger, Paris, PUF, 1987, p.581-584)。M・デュヴェルジェ自身、この対照的な評価を考慮していた(《Le concepte de regime semi-presidentiel》, in M.Duverger, dir., Les regimes semi-presidentiels, Paris, PUF, 1986, p.7)。

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

いた巧みな分析を補うものである(4)。

1. 政治上及び学説上の諸々の解釈の競合

〔フランス第五共和制の〕体制を議院内閣制と解する立場の信奉者は当初から多

数派である。そのような立場から、1965年にジョルジュ・ビュルドー(Georges

Burdeau)は次のように書いている。「この体制を定義するために、もしこれを伝

統的な分類に基づく形態と比べる場合には、最も近い形態は議院内閣制であるよ

うに見える」。この方向での結論を得るための根拠となる基準は全体として 3つあ

る。すなわち、諸国家機関は協働しなければならないこと、政府〔=内閣〕は議会

に対し責任を負うこと、他方で国家元首自身は政治的に無答責であることである。

次にビュルドーは、モーリス・デュヴェルジェが初期の頃に主張していたような、

オルレアン型の〔=七月王政期のような二元型の〕議院内閣制としてこれを捉え

ることに異議を唱え、最後に実際の憲法運用(pratique constitutionnelle)がこ

の議院内閣制を「 •プ  

•レ  

•ビ  

•シ  

•ッ  

•ト  

•型  

•民  

•主  

•制 (democratie plebiscitaire)」〔=国民投

票を通じ独裁的な体制を生み出してしまう民主制〕の方向に捻じ曲げてしまった

ことを強調した(5)。大部分の論者や政治家達はこの解釈を採用している。ミシェ

ル・ドヴレ(Michel Debre)は、1958年 8月 27日にコンセイユ・デタ評定官総

会を前にして演説を行った際に、次のように明言していた。「1つの根源的な意思

(4)《Duverger’s Arguments on Semi-Presidentialism : A Critical Analysis》, RomanianJournal of Comparative Law, vol.5, 2014, p.11-34; “Le semi-presidentialisme selonDuverger. Reflexions sur une exportation et une reception problematiques d’unedoctrine》, Actes du colloque franco-japonais de droit public, 19 et 20 mars 2015(近刊〔= Cecile Guerin-Bargues et Hajime Yamamoto (sous la dir.), Aux sourcesnouvelles du droit: Regards compares franco-japonais, Mare et Martin, 2018. 同論文は pp.149-180.〕).

(5) G. Burdeau, Droit constitutionnel et institutions politiques, 11e ed., Paris, LGDJ,1965, p.526-529. なお、強調箇所は原文のものである。 J・リヴェロ(Rivero)もこの方向の著作が多い(《Regard sur les institutions de la Ve Republique》, Dalloz, 1958, chr.,p.259-264)。同じく、1958年にも 1963年あるいは 1964年にもR・カピタン(Capitant)1958年によって表明された見解も参照のこと(Ecrits constitutionnels, Paris, Ed. duCNRS, 1982, p.365, 375 et 380-381)。最後に次も参照のこと。J. Cadart, Institutionspolitiques et droit constitutionnel, Paris, LGDJ, 1975, t.II, p.955-986.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

が本〔憲法〕案を支配した。それは、共和国の議院内閣制を作り直すということで

ある[・・・]。政府は議院内閣制を刷新することを望んだ[・・・]。我々の前に

提出されているような憲法案は議院内閣制を創設するという野望を持っている」。

議会統治制(regime d’assemblee)の幻想も大統領制の諸々の欠陥も真っ平であ

る。「我々の目の前の道は狭い。それは議院内閣制の道だ」というのである(6)。こ

うした傾向は今日も支配的である。第五共和制が一種の議院内閣制であると考え

ることに、とりわけ学説レベルでは異論がない(7)。もちろんきわめて独創的では

あるが、ジャン=クロード・コリヤール(Jean-Claude Colliard)の言葉(8)を借

りて、「大統領制による矯正を受けた」と述べることに吝かではないが。

より少数派の主張としては、1958年に生まれた体制の一義的な解釈の一環とし

て、これを大統領制に分類する者がいる。もっともそうだからこそ、大統領制はこ

の立場の追従者達(エドゥアール・バラドュール(Edouard Balladur)、ジャッ

ク・ラング(Jack Lang)、オリヴィエ・デュアメル(Olivier Duhamel))によっ

て、未だに、そして常に、1つの希望あるいは 1つの矯正策として示される。しか

しながらこれらの論者は、議院内閣制の定義の確固たる基準である国民議会に対す

る政府〔=内閣〕の「政治」責任(憲法 49条及び 50条)の問題に突き当たる。第

五共和制を混合性(mixite)のプリズムにかける限り、大統領制の観点からの分析

(6) Documents pour servir a l’histoire de l’elaboration de la Constitution du 4 octobre1958, Paris, La Documentation francaise, 1991, t.III, p.255-257. ミシェル・ドブレは次のように主張して一貫性を示すことになる。「半大統領制とは、議院内閣制の現代的で適合的な形態である」(in M. Duverger, dir., Les regime semi-presidentiels, op.cit.,p.84)。

(7) M.-A. Cohendet, La cohabitation. Lecons d’une experience, Paris, PUF, 1993,p.75-77 ; P. Auvret,《La revanche du regime parlementaire》, Revue du DroitPublic et de la Science Politique, 1997, p. 1231-1236 ; Ph. Lauvaux et A. LeDivellec, Les grandes democraties contemporaines, 4e ed., Paris, PUF, 2015, p.198-200 et Destins du presidentialisme, Paris, PUF, 2002, p. 1-11 ; A. Le Divellec,《Parlementarisme dualiste : entre Weimar et Bayeux》, Revue Francaise de DroitConstitutionnel, n◦ 20, 1994, p. 749-758 ; surtout,《La chauve-souris. Quelquesaspects du parlementarisme sous la Ve Republique》, Melanges en l’honneur dePierre Avril, Paris, Montchrestien, 2001, p. 349-362 ; J.-C. Colliard,《Sur lequalificatif de “semipresidentiel”》, Melanges Patrice Gelard, Paris, Montchrestien,1999, p. 233-234.

(8) J.-C. Colliard, Les regimes parlementaires contemporains, Paris, Presses de laFNSP, 1978, p. 18-19 et 280-281.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

は元に戻るだけである。

混合性という考え方は、ドゴール将軍(general de Gaulle)によって権威づけ

られてきた。ドゴールは、この〔第五共和制〕体制の初期の数年間、そしてまだ普

通・直接選挙で国家元首に選出される前の時期ですら、第五共和制が完全に議院内

閣制とはならず、また完全に大統領制にもならないことを躊躇なく主張していた。1961年 4月 11日の記者会見の際の次の骨子はよく知られている。「もしお望みな

ら、次のように述べようではないか。我々の均衡の必要性と我々の性格の諸特徴と

が我々に強いるものにふさわしく、我が憲法は、議院内閣制であると同時に大統領

制でもあると(9)」。この学説はこの〔ドゴールの〕説明から着想を得て、これを体

系化したものだった。モーリス・デュヴェルジェ(1917-2014)の図式が際立って

いる。「半大統領」制のカテゴリーを構築したのは彼であった(10)。

混合性は同時になされることも、交互になされることもあり得る。前者の場合に

は、その体制は大統領制であると同時に議院内閣制でもある(11)。後者の場合には、

その体制はある時は大統領制となり、またある時は議院内閣制となる。それは、コ

(9) Discours et messages, Paris, Plon, 1970, t. III, p. 301. Cf. G. Pompidou, Le nœudgordien, Paris, Plon, 1974, p. 68 -「このように考えてこそ、我が体制は国家元首の選挙制とその執行府における決定的役割の点で大統領制であると同時に、なお議院内閣制に留まっている。もう一度繰り返すが、寄せ集めの体制であり、中間的な体制であることは事実だ。しかしながら、我々は純粋な議会統治制(pur regime d’Assemblee)の弊害を体験してきた。すなわちそれは無力〔な体制〕である。そして純粋な大統領制は、諸権力間の紛争に対する通常の解決策を欠落させていることにより、同じく重大な危険をそれ自身の中に内包していることもまた証明済みとは言えない。」 (p. 7071).

(10)この表現は恐らくはルネ・マルシック(Rene Marcic)に由来する。彼は、1957年に「半大統領制的な民主制(democratie semi-presidentielle)」という表現を用いていた(参照、A. Le Divellec,《La neutralisation de la presidence de la Republique enAutriche》, Revue Francaise de Science Politique, 1996, p. 936)。M・ダンディアス(Dendias)は、大統領制と議院内閣制の混合体として「半ば大統領制的な体制(regimequasi presidentiel)」について言及していた(参照、F. Frison-Roche,《La Presidencede la Republique en Finlande et la nature du regime》, Melanges en hommage aMaurice Duverger, op. cit., p. 108)。我々は、ユベール・ブーヴ=メリィ(HubertBeuve-Mery)が 1959年 1月 8日の『ル・モンド』に掲載された記事の中で「半大統領制」という表現を用いたことを知っている。

(11)めずらしいものとしては、J.-L.ドブレ(Debre)が「プリンキパトゥス(principat)」〔=ローマ時代の元首政〕を議会制であると同時に「大統領制」でもあると定義していたことに気づくであろう(Les idees constitutionnelles du general de Gaulle, Paris,LGDJ, 1974, p. 296-297)。

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法律論叢 91巻 4・5合併号

アビタシオン〔=保革共存政権〕が理由であったり(12)、また通常の状態と異常事

態との区別が理由であったりする。ビュルドーは 1958年憲法を本質的には議院内

閣制として描いていたが、結局は後者の分析と結びつけている。「したがって、日常

的な政治活動については、議院内閣制こそが機能すべきであるが、国家の存在それ

自体が危うくなった時には、大統領システムに類似するような別の定式が予定され

ている。したがって、厳密にいえば 2つの体制のある種の融合体(combinaison)

が存在するのではなく、様々な局面において、憲法それ自体によってそれらの体制

が求められることに起因するある種の重なり合い(superposition)が存在するの

である(13)」。モーリス・デュヴェルジェはこれらの道筋の全てを取り入れた。す

なわち、まず初めに「オルレアン型の」議院内閣制の分析を用い、次に彼は「半大

統領」制という分類を練り上げているのである。こうした解釈は 2通りの読み方

(deux grilles de lecture)、すなわち通常の状況を例外的状況に対置する読み方、

あるいは多数派〔民主主義〕的な状況を保革共存政権と区別する読み方に従ってい

る。彼の当初の「オルレアン型の」〔議院内閣制としてフランス第 5共和制を見る〕

信念はレイモン・アロン(Raymond Aron)と共通するものであったが(14)、それ

は彼の大多数の同僚たち(ビュルドーとリヴェロが引証される)からの反論にさら

されてしまい、何年間かは防御に追われることになる。デュヴェルジェは、彼の

教科書である『憲法と政治制度』の第 4版から第 9版まで、すなわち 1959年から1966年までは、第 5共和制が 1830年から 1848年までのオルレアン型〔議院内閣

制〕の経験と再び結びつくが故に、それが以前の体制が採用していた一元主義的な

考え方に比べて後退したと主張するようになる。オルレアン型議院内閣制に有利

となるような理屈を追い求めることは、それがかなりの部分において「半大統領

制」のカテゴリーが生まれた訳を説明するので、無駄ではない。

実際、〔第 5共和制という〕体制が生まれた初期のころから、デュヴェルジェは

オルレアン型〔議院内閣制であるという立場〕を採っていたにもかかわらず、この

(12) F. Melin-Soucramanien et P. Pactet, Droit constitutionnel, 36e ed., Paris, Sirey,2017, p.399-400.及び Jean et Jean-Eric Gicquel, Droit constitutionnel et institutionspolitiques, 31e ed., Paris, Montchrestien, 2017, p. 552-553. を参照のこと。

(13) G. Burdeau, Droit constitutionnel et institutions politiques, op. cit., p. 528.(14) Immuable et changeante. De la IVe a la Ve Republique, Paris, Calmann-Levy, 1959,

p. 193.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

場合は国家元首が「活動的である(agissant)」〔=実質的な政治的決定権を持つ地

位にある〕はずなので、議院内閣制について一定の歪曲を施さなければならなかっ

た(15)。この型の体制は原則として二元的であるが、それは憲法の表現に従えば第

五共和制には当てはまらないはずである。「第五共和制が打ち立てた体制は純粋な

オルレアン型ではない。オルレアン型の 2つの要素――国家元首の固有の権力、並

びに議会と国家元首に対する内閣の二重の責任――については、第五共和制はその

うちの 1つ、すなわち前者しか有していない。政府〔=内閣〕は議会に対してしか

責任を持たない。国民議会が大臣たちの不信任を表明しない限り、国家元首は彼ら

を罷免できない」。さらに言えば、前者の基準ですら尊重されてはいない。という

のは、共和国大統領に与えられた憲法上の特権がオルレアン型の体制において支配

を行っていたものをはるかに超えているからである。そのようなものがレフェレ

ンダムであり、憲法院との関係であり、16条の例外権力である。――「レフェレ

ンダムに訴える権利は異例なものである。人民への上訴という技術は伝統的なオ

ルレアン型には含まれない」のである(16)。したがって、「オルレアン型の 2つの

要素」こそが問われるべきであり、後者のみが問われるべきではない。〔2つの要

素の〕複合化はこれだけではない。というのは、ドゴール派の実際の政治運営は

――法と事実との間の •究  

•極  

•の  

•分  

•類 (summa divisio)を無視したとして――著者

が認める前から、「大統領制」の方に傾斜していたからである。「我々はオルレアン

型議院内閣制からも、また本来の意味での大統領制からも遠い所にいる(17)」。理

屈の不安定性の問題以上に、1958年憲法の一般体系においては、共和国大統領の

権能が重大な難点を提起することが指摘されている。ひとたび国家元首に対する

政府〔=内閣〕の責任が確立し、かつ国家元首自体が普通選挙で選ばれるようにな

ると、もはやデュヴェルジェはオルレアン型の定式に満足できないことが理解でき

よう。すでに 1959年において、〔国家元首の〕憲法上の権限はオルレアン型君主

制のそれではなかった。その「権力(《pouvoirs》)」が大統領型の方向に膨れ上が

(15) Droit constitutionnel et institutions politiques, 4e ed., Paris, PUF, 1959, t. II, p.665-666. Cf. La VIe Republique et le Regime presidentiel, Paris, Artheme Fayard,1961, p. 10, 68 et 107-108.

(16) Droit constitutionnel et institutions politiques, 4e ed., Paris, PUF, 1959, t. II, p.670-671.

(17) Ibid., p. 673-674.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

り、国家元首が君主の世襲制からはるかに隔たり民主的正当性を誇るようになる

と、この比較は無意味なものに見えるはずである。

途中段階では、デュヴェルジェは本質的に議院内閣制型となる憲法の理論モデル

と「体制の現実の運用」との間の距離が拡大していることを――問題点として――

認めていた。ドゴールは第五共和制をもはや「大統領制」でも南米をモデルとする

「大統領独裁制(presidentialiste)」でもない方向に導いたのであるから、〔憲法

の〕法文は歪曲されたことになる。第五共和制は軍隊の存在感の大きさが特徴的で

あり、確かに「自由主義」の特徴を有するものの、「独裁制(《dictature》)」に極め

て近いものである(18)。しかしながら、ラテンアメリカとの比較は、軍隊の役割が

弱まるにつれてその妥当性を喪失する。にもかかわらずデュヴェルジェは、こうし

た変化にもかかわらず、さらに 1962年の憲法改正にもかかわらず、議院内閣制の

視点から、但し「大統領独裁制」的な運用により緩和されたそれから、憲法を説明

する立場をとり続けた(19)。上述の乖離は耐え難いものとなった。というのは、類

型論の意義は少なくともその有益さにあるところ、憲法にせよそこから生み出され

る運用にせよ、提案された理論図式からあからさまに隔たっている場合には、オル

レアン型〔という説明〕は何の役にも立たないからである。デュヴェルジェ自身、

その教科書の第 10版ではそのことを確認している。すなわち彼はその解釈を維持

しているにもかかわらず、矛盾したことを述べるのに躊躇しなかったのである。そ

れは彼の思考が揺れ動いていることを意味する。ラテンアメリカの「大統領独裁

制」からのあらゆる類推を退け、また「独裁制」の用語も拒否したうえで、彼は1962年の憲法改正が「『オルレアン型議院内閣制』を終焉させた」とはっきり述べ

ている。混合体制の理論が初めて現れたのである。「それでもなお、1962年改革

後の憲法が打ち立てた半ば議院内閣制的で半ば大統領制的な混合体制とそれが生

(18) Institutions politiques et droit constitutionnel, 6e ed., Paris, PUF, 1962, p. VII et487-490. タイトルの示唆的な変更が注目される。それは 1960年の第 5版でなされた。この点につき参照、J. Chevallier,《Droit constitutionnel et institutions politiques: les mesaventures d’un couple fusionnel》, Melanges en l’honneur de Pierre Avril,op. cit., p. 183-199.

(19) Institutions politiques et droit constitutionnel, 7e ed., Paris, PUF, 1963, p. 487-492 ;Institutions politiques et droit constitutionnel, 8e ed., Paris, PUF, 1965, p. VIII,489-494 ; Institutions politiques et droit constitutionnel, 9e ed., Paris, PUF, 1966,p. 489-494.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

み出す運用との間のかなり大きな乖離はなお残り続けている」と彼は言う(20)。こ

の言い方は 2つの点で示唆的である。1つは、法規範と政治上の運用との間の区別

が強調されている点である。もう 1つは、デュヴェルジェは普通選挙による大統領

公選制に何よりも重要な意味があることを強調している点である。1962年の憲法

改正は決定的な意味があった。半大統領制の理論に施された諸々の修正を超えて、

またこれらの修正にもかかわらず、公選制という基準を核心と見ているがゆえに、

なおさらこのことを指摘する必要があるし、このことは、結局のところデュヴェル

ジェによって打ち立てられた類型論の貧困さを物語るものでもある。

2.「半大統領」制とその変種

本論攷の真の狙いは、デュヴェルジェが初期に提供していた「オルレアン型の」

分析について注釈するのではなく、それに引き続く 1970年の分析、しかもそれが

第五共和制を他のいくつかの類型の中で「半大統領」制としたことについてコメン

トするところにある。直截に言うならば、この豹変は納得できるものではない。と

いうのは、「半大統領」制を識別するための基準が過度に変化しているからである。

ここではデュヴェルジェの説明の内的批判に取り組む方が良いであろう。もちろ

ん、フランスや外国の様々な経験から見た分類の妥当性や有益性を疑うものではな

い。だからこそ、むしろ「半大統領」制のカテゴリーは、それが論理構造の一貫性

を蝕む流動的な基準に基づいているがゆえに、(このカテゴリー自体が一貫性を欠

き、また普通選挙による公選制の基準自体も政治制度の分類を豊かにしないことを

指摘して(21))採用することはできないと主張したいのである。デュヴェルジェ自

身、彼が提案した新たな政治体制の型についての確定的な定義に、少なくとも安定

的な定義に到達してはいない。彼は、ある時は議会に対する政府〔=内閣〕の責任

と普通選挙による大統領公選制という 2つの基準を取り出している。またある時

(20) Institutions politiques et droit constitutionnel, 10e ed., Paris, PUF, 1968, p. 493-494et 498-499.

(21)例えば、参照、O. Duhamel, Le pouvoir politique en France. Droit constitutionnel-1,Paris, PUF, 1991, p. 71 et Ph. Lauvaux, Destins du presidentialisme, op. cit., p.8-10.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

は、政府〔=内閣〕の責任、普通選挙による大統領の公選制、憲法が大統領に帰属

させる「固有の」(あるいは「顕著な(《notables》)」)権力という 3つの基準を主

張している。加えて、教科書の版の違いや諸々の普及書の違いに応じて二次的な基

準が付け加わっている。例えば執行府の二元性、議会の解散権(22)、議会の役割の

低下(少なくともフランスにおいては)等である(23)。デュヴェルジェが単刀直入

に白状しているように、またリシャール・ムラン(Richard Moulin)も指摘する

ように、これらの基準は政治体制の伝統的な分類の基準である。それが論理的であ

ると言えるのは、混合体制が自らに純粋性があると自惚れるのではなく、融合主義

に過ぎないことを認める限りでのことである――この場合、それは議院内閣制の論

理(政府〔=内閣〕の責任、執行府の二元性、解散権)と大統領制の論理(普通選

挙による公選制と固有の権力)の融合のことであるが。

不変なまま留まるものである「半大統領制」型の礎石は『政治制度と憲法』第11版で示されている。すなわち確かに第五共和制は、とりわけ両院に対する政府

〔=内閣〕の「政治」責任の原理により議院内閣制とされるけれども、それ以上の

ものである。つまり「本質的な区別は国家元首の選び方に関わる」。議院内閣制の

構造を持つ 1958年憲法は、普通選挙による公選制を介することで大統領制に近づ

き、混合的なものすなわち「半大統領制」になるというのである。第五共和制がそ

のようなものに •な  

•る (devenue)うえで、1962年の区切りが最も重要である。第

五共和制についての理解は(直接)普通選挙による大統領公選制のせいで一変し

た。1970年以降、デュヴェルジェは「普通選挙による共和国大統領の公選制を決

定した 1962年の憲法改革によってフランスに打ち立てられた体制(24)」に言及す

るようになる。したがってフランスの体制の分析は 1962年以前と以後という 2つ

に区分けされる(25)。もっとも、本質にまで進もうとするときには、著者は責任と

選挙という 2つの基準に留まっているように見える。「1962年以降、フランスは

これら大きな 2つの西洋の型の間で中間的な政治体制を自らに与えてきた。合衆

国と同じように、フランスでは君主は普通選挙により公式に選出されている。しか

(22) La monarchie republicaine, Paris, Robert Laffont, 1974, p. 100 et 122.(23) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 278.(24) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 198.(25) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 725

et s.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

しフランスでは議会が政府〔=内閣〕を転覆させることができる。この政府〔=内

閣〕は、他の大部分の西洋諸国におけるのと同様に、国家元首とは区別される首相

をその頂点に有している(26)」。執行権の二元性にも言及しているものの、ほのめ

かし程度である。半大統領制は何よりも政府〔=内閣〕の責任と普通選挙による大

統領の公選制によって定義されている。このカテゴリーに属する全ての体制の間

で、フランスは(オーストリアと並んで)、それがまず第 1に 1962年に大統領の

公選制を「被せられた(《plaque》)」議院内閣制の構造を構築したがゆえに区別さ

れる(27)。1962年 11月 6日の憲法改正と 1965年のその最初の適用は、第五共和

制を「法的に」「半大統領制」の分類に移行させた(28)。

この両極的な定義に対するデュヴェルジェの賛意は、同時にそれが適用される場

所についての諸々の疑念を含むものであったが、それはアイルランドに対し与えら

れる地位を通じて示される。普通選挙による大統領の公選制を理由にして、アイル

ランド共和国を半大統領制のカテゴリーに含めたのは、1971年の教科書第 12版

であった。にもかかわらず著者は、アイルランドの大統領が「ほとんど法的権力を

持たない」点についてはこれを認めていた(29)。この点は、フランス、フィンラン

ド、オーストリアという同類の体制からアイルランドを遠ざけるものである。した

がって、力点は(政府〔=内閣〕の責任のほかに)普通選挙による公選制のみに

置かれている。デュヴェルジェは当惑することになる。というのは、彼は公選制

が――確かに諸々の政治体制の間に議論の余地なき区別を設けるものではあるが

――てんでばらばらな体制を 1つの分類にまとめ直させることを確実に知ってい

たからである(30)。それゆえ、〔この定義からは〕何年か後にはアイルランドが次

のように除外されることになる。「アイルランドは、その共和国大統領が普通選挙

により公選されているにもかかわらず、半大統領制ではないことを思い起こそう。

(26) La monarchie republicaine, op. cit., p. 13 ; voir aussi p. 122.(27) La monarchie republicaine, op. cit., p. 137 et 187.(28) Le systeme politique francais, 20e ed., Paris, PUF, 1990, p. 529. これは教科書『政治

制度と憲法』の第 2巻のことである。同書は 1970年末に 2巻に分割される。(29) Institutions politiques et droit constitutionnel, Paris, PUF, 1971, t. I, p. 279.(30) Echec au roi, op. cit., p. 17 ; La Republique des citoyens, op. cit., p. 110. そして

Ph.・ロヴォー(Lauvaux)もこのことを次のように注釈している。「この分析は、このカテゴリーが国家元首の公選制という、分類学上の意味しか持たないただ 1つの基準にのみ基づいていることを、かえって浮き彫りにしてしまうことになる」(Destins dupresidentialisme, op. cit., p. 91)。

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法律論叢 91巻 4・5合併号

というのは、この共和国大統領は決定権を持っておらず、政府の意見に従ってしか

活動できないからである(31)」。デュヴェルジェはここではもっと豊かな視点を示

している。すなわち大統領は公選され、 •か  

•つ 固有の権力を持たねばならないことを

示しているのである。彼はやがてこの分析を優先させるのであるが、そのことがか

えって、後にアイルランドを再び半大統領制のカテゴリーの中に戻すことをそれだ

けいっそう理解し難いものとする。この困難は分かりやすい。「〔アイルランドの〕

大統領の特権は極めて弱いので、半大統領制に分類することが躊躇われる」。「これ

らの特権は、純粋に象徴的な国家元首の地位をほとんど超えていない。これは議院

内閣制と半大統領制の境界線上に位置する(32)」。この境界線は両方から乗り越え

られるものである。それでもアイルランドは半大統領制の側に留まり続けなけれ

ばならないとしたら、著者はそれだけ公選制がそのようなものとしては 1つの体制

を特徴づけるには不十分であることを証明するに四苦八苦することになろう。半

大統領制を見分けるためには公選制〔という基準〕に固有の権力〔という基準〕を

付け加えなければならないが、それは結局のところ、国家元首が古典的議院内閣制

において国家元首に残してあるものより重要な役割を果たすような体制である。

デュヴェルジェは批判を予想していた。公選制の大統領も弱い場合がありうる

一方で、公選制ではない大統領が権威を示すこともありうることを完全に知ってい

た。普通選挙による公選制というものが、〔国家〕機関に与えられこの機関が行使

する法的権能の情報を与えてくれるわけではない(33)。「普通選挙による大統領の

公選制は、議院内閣制を半大統領制に変えるうえで決して十分なものではない。そ

れはこうした変化の必要条件の 1つであるが、十分条件ではない。それは、憲法が

国家元首に割り当てた権力についての解釈を変化させる。通常の議院内閣制では

(31) Institutions politiques et droit constitutionnel, 14e ed., Paris, PUF, 1975, t. I, p.296 ; 同じく参照、p. 171. 同様に、La monarchie republicaine, op. cit., p. 124 (これはアイルランドについて反対のことを言っている p. 13).

(32) Le systeme politique francais, 18e ed., Paris, PUF, 1985, p. 517-518. 同じく参照、《Le concept de regime semi-presidentiel》in M. Duverger (dir.), Les regime semi-presidentiels, op. cit., p. 9.

(33) J.-L. Parodi,《Effets et non-effets de l’election presidentielle au suffrage universeldirect》, Pouvoirs, n◦ 14, 1980, p. 5-14 ; J.-M. Denquin, La monarchie aleatoire,Paris, PUF, 2001, p. 47-48 et 73-74 ; Philippe Lauvaux, Destins du presidentialisme,op. cit., p. 8-9.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

名目的な権力であり、実際には政府〔=内閣〕によって行使されているものが、大

統領が市民によって選挙される場合には現実の権力となる傾向がある(34)」。半大

統領制の指標はひっくり返ってしまった。これ以後は、それは 3つの基準を要する

ことになる。すなわち、政府〔=内閣〕の責任、普通選挙による大統領の公選、そ

して憲法によって付与された権力の大統領による掌握である。しかし 1つの大き

な曖昧さが露わとなる。すなわちデュヴェルジェは、普通選挙による公選制がその

当選者にそれを行使するための正当性を与えるがゆえに、これら憲法上の特権の行

使はこうした公選制に依存するけれども、「権力」は選挙に依存しないので、この

受領者にとってはこれらの 2つの基準を切り離すことも起こり得ると、多くの場合

考えていたように見えるのである。言い換えるなら、これら最後の 2つの基準は、

時には因果関係によって結びついており、またある時には自立的なのである。

この曖昧さは 1970年にはすでに実証されている。デュヴェルジェは「[大統領

の]法的特権が議院内閣制の国家元首のそれよりも大きい」ことの断言から始めて

いるものの、彼はこれらの特権を次のように二次的なレベルに置いているのであ

る。「たとえこれらの特権が重要なものだとしても、それは大統領の権力の本質的

部分を構成しない。根本的な違いは、普通選挙による公選制が国家元首を人民の代

表者とするところにある。かくしてこのような国家元首は議会と同じ土俵に置か

れ、明らかに首相その他の大臣の上位に位置することになる」。このことは、著者

が 2極化した定義に立ち戻ったことを意味するものではなく、公選制と権力という

基準の階層化を図ったことを意味する。すなわち前者の基準のみが大統領に「自

ら実際にその憲法上の権力を行使する」ことを可能ならしめるのである(35)。デュ

ヴェルジェは「名目的な」権力と「実際の」権力との比較を用い、かつ濫用してい

る。古典的な議院内閣制においては、国家元首は憲法が彼に数多くの重要な権力を

認めているにもかかわらず、〔政治的な場面からは〕消え去っている。一方で半大

統領制においては、人民という塗油の秘儀(mystere de l’onction populaire)に

より、国家元首は他の政治アクター達の正当性と同じくらい強く、さらにはそれ以

上に強い正当性を与えられることで、以前は死文化し続けていた、いやむしろ副署

(34) La monarchie republicaine, op. cit., p. 123. Cf. La Republique des citoyens, Paris,Ramsay, 1982, p. 110.

(35) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 199.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

の手続きを通じて大臣達によって簒奪されていた憲法上の特権を、「実際に」行使

できるのである(36)。第五共和制はその完全な例証である。1962年以前には、「共和国大統領に付与された例外的な特権」のいくつかについ

て留保するならば、その体制は議院内閣制であり、したがって「原則として」国家

元首の「名目的な」権力は「実際には首相と大臣達によって行使されなければなら

ない」ものだった(37)。1962年以降になると、原則は逆転する。憲法改正は大統

領の任命方法を変えただけでなく、その権力の行使をも問い直した。大統領は主権

者人民の化身として、憲法がそれについて別の定め方をしていない限りは、1958

年からすでに憲法が彼に委ねていた権力を「実際に」行使し始めるのに十分な正当

性を持つようになった。「今後は、我々が大統領の権力をそのようなものとして考

えるがゆえに、憲法は大統領の権力を大幅に増やすことを明確に決めなければなら

ない」。ところでこのことは、大臣の副署を必要とする権力を含む全ての大統領権

力に当てはまる。「1962年の憲法改革が確立した体制においては、共和国大統領

は憲法が彼に付与した権力を自ら行使する。彼は自ら決定を行う。但し彼は、大臣

の副署を必要としない幾つかの例外的な場合を除き、自分一人で決定を行うこと

はできない」のである(38)。難点は、デュヴェルジェが「名目的な」権力と「実際

の」権力を一度も定義していないことである。〔本論攷としては、〕名目的な権力と

は、憲法上、大統領に帰属するものでありながら、この大統領は正当性の低さに苦

しむことから、副署のおかげで大臣がこれを獲得するものであり、一方で「実際

の」権力とは、普通選挙で選ばれることによる正当性を持つ大統領のあらゆる憲法

上の特権に対応するものとすることで納得できると思いたい。――〔後者の場合、〕

一定の権力は大臣の副署なしで行使され(「固有の」権力)、それ以外の権力は、副

署が議院内閣制におけるような国家元首の幼児化をもたらすわけではないにせよ、

それでも副署が予定されている(学説はこれを「分有された」権力と呼ぶ)。国家

元首は、憲法により付与されたあらゆる権能を行使できるが、それは時には自由に

(36) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 199 et614. Cf. Echec au Roi, op. cit., p. 28-30 et 57 ; La Republique des citoyens, op. cit.,p. 227-228.

(37) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 725-726.

(38) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 734-738.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

(副署なしで)、時には大臣と協働しつつ(副署が求められている場合)行使される

ことになるのである。

デュヴェルジェの説明はある種莫大な利点を有している。というのは、副署がど

れほど多様な筋書を生み出すかについて力説しているからである。副署はある機

関から別の機関への権能の移転を可能とする。またそれは、阻害や麻痺の危険があ

るかもしれないが、2つの機関が調和的に活動する真の協働をも意味している。古

典的な議院内閣制は大統領の権力を「名目的なもの」にするのに対して、普通選挙

による大統領公選制は大統領に失地を回復させ、真の協働を、さらには政府〔=内

閣〕の封地授与(infeodation)を切に望むことを可能にする。人民の正当性に支

えられることで、国家元首は大臣達による支配(imperialisme ministeriel)に反

撃できる状態となり、大統領の署名を要求する政府〔=内閣〕によって準備された

諸々の決定に拒否権を対置できるようになる。しかし、デュヴェルジェの説明は膨

大な欠点をも有している。というのは、その説明では、大統領を大臣たちの後見監

督(tutelle ministerielle)から解放させてくれるものであり、だからといって普

通選挙による公選制の結果というわけではない「固有の」権力について説明しない

からである。フランスの事例がこの点で示唆的である。〔たとえば〕1958年から1962年(さらには 1965年)までの間の固有の権力についてはいかなる解釈をな

すべきであろうか。「固有の権力」という表現は 1958年からすでに、そして政治

的な外形はいかなるものであれ、大統領が自ら行使する権力を示すことを狙ったも

のではなかったのではないか。もちろん我々は、常にドゴール将軍の例外的なカリ

スマ性を主張することはできる。それは、彼が(まだ)直接普通選挙で選ばれてい

なかった時ですらそうである(39)。それでもやはりデュヴェルジェが、1962年ま

で、あるいは 1965年までフランスに適用されるであろうような 1958年憲法〔を

一貫性をもって理論化すること〕から逃げていることに変わりはない。〔この時期

には〕大統領は弱い民主的正当性しか持っておらず、にもかかわらず大統領は、一

定の場合の可能性として、議院内閣制の特徴であり国家元首の屈従の手段でもある

大臣の副署から解放されていたのである。

議院内閣制の原理にはいくつかの「例外」があることをデュヴェルジェは否定し

(39) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 278-279 et 613.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

ていない。その結果、彼は自分の分析を曲げてしまうことさえある。彼の分析は常

に 3つの基準をめぐって述べられている(政府〔=内閣〕の責任、大統領の普通選

挙による公選制、法的特権)。しかし後者の 2つはもはや因果関係によって結びつ

けられていない。正当性と権力は同一レベルに位置づけられている。著者は次の

ように断言している。「半大統領制は、国家元首が直接普通選挙によって選出され

るという事実、並びにこの国家元首が通常の議院内閣制の国家元首の権限を越える

一定の権限を持つという事実によって特徴づけられる」。したがって、正当性と特

権との間の因果関係は、副署を必要とする権力に関してしか妥当しない。デュヴェ

ルジェは、第五共和制の大統領が自らの任命方法と関係づけることのできないその

他の権力を――「固有の」権力として――持つと認めざるを得なくなる(40)。〔そ

の結果、〕半大統領制の定義はその標準形となる。すなわち、「我々は、共和国大

統領が普通選挙によって選出され、目覚ましい固有の権力を持ち、しかしながら

政府〔=内閣〕は下院議員の多数派の信任がない限り政権を維持できない首相に

よって運営される場合の体制を半大統領制と呼ぶ」というのである(41)。著者は、

もはや大統領は正当性を持つ •が  

•ゆ  

•え  

•に 強い権力を持つとは主張しなくなる。著者

は、普通選挙で選ばれる大統領が、 •他  

•方  

•で 相当な(consequents)権力を与えられ

ていると述べている。用語はなお流動的なままである。「実際の」、「顕著な」、「固

有の」、「目覚ましい固有の」権力という表現が代わる代わる登場する(42)。デュ

ヴェルジェは、法の次元と事実の次元を混合させている。つまり「固有の」権力が

常に「目覚ましい」ものであるわけではないし、さらに「実際の」ものであると

もいえない。法的に適切な言い方をすれば、「固有の」権力とは、副署を免れ、か

つそれがどこから来ようともあらゆる提案を免れるものをいう(43)(1958年憲法

(40) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 717-718.

(41) Le systeme politique francais, 21e ed., Paris, PUF, 1996, p. 500-501 (et aussi p. 5-6). Cf.《Le concept de regime semi-presidentiel》in M. Duverger (dir.), Les regimesemi-presidentiels, op. cit., p. 7 ; Institutions politiques et droit constitutionnel.Les grands systemes politiques, 18e ed., Paris, PUF, 1990, p. 322-323 ;《A NewPolitical System Model : Semi-Presidential Government》, European Journal ofPolitical Research, vol. 8, 1980, p. 165-166.

(42) Echec au roi, op. cit., p. 11 et 17.(43)「共和国大統領の固有の権力とは、大臣の副署もなく、政府〔=内閣〕や議会やいかな

るその他の当局の提案を必要とすることもなく行使できるものである」(La monarchie

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

第 11条が想定される)。逆に、学説が「分有された」と名付ける傾向のある権力と

いうのは、副署(あるいは提案)を必要とするものをいう(したがって第 11条は

「分有された」権力と同じことになるのかもしれない)。なぜデュヴェルジェは流動

化を続けるのか。それは、このように混同することで、何の〔理論的〕損失も被ら

ずに半大統領制についての 2極的な定義から 3極的な定義に移行できるからであ

る。あるいは 3極的な定義を推奨するようになった後には、2極的な定義に戻って

くることができるからである。

実際には我々は、デュヴェルジェが、「固有の」ものを含む大統領の権力がその

保持者の正当性に依存すると思い続けていたという考えに惹かれる。これらの権

力は、大統領が普通選挙で選ばれない限り、「実際の」権力とならないであろう。

この問題は 1970年に明白になる。そして我々が知る限り、デュヴェルジェがこれ

ほど率直だったことは 1回限りである。彼は、大統領が自立的な役割を果たすこと

を可能にする「固有の」権力の重要性について力説していたけれども、これに付け

加えて、1875年の議院内閣制への回帰が第五共和制初期にはあり得たとも主張し

ていたのである。「古典的議院内閣制の伝統がフランスの政治階級や諸政党の首脳

部の間では極めて強い。こうした伝統を挫折したままにしておくためには、きわめ

て強力で、覆しえない規範が必要である。1958年憲法が想定する大統領の固有の

権力はこれには当たらない。大統領が威信を欠き、農村の名望家によって選出され

たにすぎず、輝かしい人格も欠いている場合には、にもかかわらず政府〔=内閣〕

の同意を欠いたままで大統領が解散の手段を用いることができるとは想定し難い」。

大統領の予想しうる存在感の喪失を説明するために 1877年の記憶が引き合いに出

されるが、さらに大統領は、政府〔=内閣〕や議会の提案を欠いてはレファレン

ダムを提起することもできない。「大統領のその他の法的権力の内のいかなるもの

も、大統領が政府〔=内閣〕と対立することを許すものではない。他方で国家にお

けるその重みゆえに、大統領はそうすることができないであろう」というのであ

る(44)。デュヴェルジェが提供したいくつかの例が取るに足らないものであること

は、たいして重要ではない(マク・マオン(Mac Mahon)〔大統領〕は、解散が彼

republicaine, p. 139 ; p. 140-141 sur l’article 11)。(44) Institutions politiques et droit constitutionnel, 11e ed., Paris, PUF, 1970, p. 727-

728 et 733.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

にとって不利な結果となったがゆえに服従させられ、その後に辞任させられたが、

解散は、1962年におけるように大統領官邸主導型の政治傾向にとってある種の成

功を収めることもありえたからである。〔憲法〕第 11条は、機関どうしの協働を前

提とする副署から解放された唯一の権力である)。議院内閣制が「オルレアン型」

に留まるにせよ、あるいは「古典的な型」に戻るにせよ、重要なことは、大統領の

地位の低下という仮説はいかなるものでも普通選挙による公選制によって一掃さ

れたという点である――もっとも、こうした発展は「1962年の改革と憲法解釈」

に焦点を合わせたものである。それゆえ我々は、2項対立型の方程式に立ち戻るこ

とになる。すなわち、政府〔=内閣〕の責任の他に、半大統領制の大統領制的な特

徴は何よりも普通選挙による国家元首の公選制に由来するということである。し

かしながら、この後退する方法は一時的なものに過ぎないであろう。というのは、

デュヴェルジェは、1960年代にはまだ生きていたフランスの「議院内閣制的な」

〔政治〕文化が霞んでいくにつれて、普通選挙による公選制及び法的特権のペアの

関係を復活させるからである。〔もっとも、〕これらの制度上の 2要素は第 3の要

素、すなわち党派的な陣容という要素によって急速にぼかされ、さらには価値を下

げるようになることも確かである。

極めて短期間のうちに、そしてそれは政治学の公然たる使徒〔としての彼〕の立

場からは驚くことではないが、デュヴェルジェは党派的な状況に敏感になる。すな

わちそれは、そのシステムが多数派型か否かというものである。換言すれば、結

束した議会多数派が存在するか否か、それは大統領と同じ政治的立場にあるか否

か、そしてそれが大統領を自分たちの党首として認めるか否かである(45)。1974

年にはすでに次のように言明している。「国家元首の役割を決定するうえで、諸党

派の陣容こそが国家元首の公選制よりも最終的には重要である(46)」。こうした考

察は、とりわけジャン=リュック・パロディ(Jean-Luc Parodi)及びジャン=ク

ロード・コリヤール(Jean-Claude Colliard)の著作から影響を受けて、1970年

代の終わりに体系的な展開を遂げた。当時のデュヴェルジェは次のように主張し

(45) Institutions politiques et droit constitutionnel, 14e ed., Paris, PUF, 1975, t. I, p.295.

(46) La monarchie republicaine, op. cit., p. 133 ; 同じく参照、p. 188. Cf. Institutionspolitiques et droit constitutionnel. Les grands systemes politiques, 18e ed., Paris,PUF, 1990, p. 328-329.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

た。「大統領と議会は互いに逆方向からの圧力によって支えられている尖頭アーチ

の 2つの部品に似ている。丸天井の中枢は議会の多数派である。議会多数派が存

在しない場合には、いくら普通選挙によって選出され、目覚ましい特権を与えられ

ていたとしても、大統領が実際にその代わりをすることはできない。議会多数派が

存在する場合には、大統領はそれを尊重しなければならない。議会多数派を現在の

姿で解体し別の形に再構成しようと試みるためにも、大統領は議会多数派と対立で

きないのであり、さもなければ暫定的にしかそうすることができない(47)」。半大

統領制の要石はそれ以降「多数派の権力」となる。これは半大統領制の議院内閣制

的な側面を強調するものであり、その結果、「多数派権力なき」半大統領制と「多

数派権力を伴う」それとが区別されることになる(48)。半大統領制の定義は、少な

くとも「憲法」のレベルでは不変なままである。つまり大統領は憲法上では公選さ

れ、固有の権力を与えられ、他方で政府〔=内閣〕は議会に対して責任を負って

いる。大統領権力の「運用」のみが党派的な陣容次第で変化するのである(49)。だ

が、さらにまたデュヴェルジェは、制度的要因を周辺に追いやり多数派システムに

優先性を与えることもできる(50)。これについては、〔彼に〕最も好意的な学説で

あっても、その一部からは一貫性を欠くものとして非難される(51)。

以上の全ての検討からいかなる結論を導くべきか。解釈する者には 2つの解決

策が提供される。1つは政治制度の分類を再建することである。〔この場合には、〕

我々は、デュヴェルジェが導き出したものよりもっと均一な基準で、「議院内閣」

制を「大統領」制から区別するために学説が採用してきたものよりももっと満足の

いくものを〔追究することは〕諦めることになろう。「固有の」権力を与えられる

ことに加えて、普通選挙により選出される大統領のことであるという考え方を採ら

ずに、半大統領制のカテゴリーの刷新を考えることもあり得よう。この場合、大統

(47) Echec au Roi, op. cit., p. 90.(48) La Republique des citoyens, op. cit., p. 149 et 152 ; Le systeme politique francais,

18e ed., Paris, PUF, 1985, p. 526 et 531 ;《Evolution comparee des regimesparlementaires et des regimes presidentiels》in Presencia de Maurice Duvergeren Mexico, Mexico, Editorial Porrua, 1988, p. 137.

(49) Le systeme politique francais, 21e ed., Paris, PUF, 1996, p. 5-6, 501, 506 et 511.(50) Le systeme politique francais, 20e ed., Paris, PUF, 1990, p. 531-532.(51) J. L. Quermonne,《Le cas francais : le president dominant la majorite》in M.

Duverger (dir.), Les regime semi-presidentiels, op. cit., p. 204-205 ; O. Duhamel,《Remarques sur la notion de regime semipresidentiel》, art. cite, p. 585-586.

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法律論叢 91巻 4・5合併号

領がこの権力を使うのかどうか、大統領がこの権力を維持し続けるのかどうか、あ

るいは政府〔=内閣〕がこれを行使するのかどうかということは、政治学や社会学

に属する問題となるが、少なくとも、そのようなシステムがなぜそのような結果を

生むのか、他方では法的により近い議論であるが、別のそのようなシステムがなぜ

別のそのような結果を生むのかを「学究的(52)」に説明する強固な理論構成を得る

ことができるであろう(53)。しかしながら、この方向の努力が極めて説得力のある

結果を生み出せるのかは疑わしい。というのは、そのような場合は 18世紀や 19

世紀に遡る測定のところに留まることになると思われるからである。かくして任

命方法と「政治」責任は、議院内閣制と大統領制という 2つの型における同一の条

件として示されうる。我々は、大統領制において誤って「執行的」と思われている

権力の単一性のところで、また議院内閣制においてはその二元性のところで検討を

止めるべきなのではないか。しかし、議院内閣制においては国家元首がたいていの

場合消滅しており、いかなる実質的な権力も持たなくなっている点に鑑みると、あ

るいは一定数の議院内閣制では(スウェーデンや日本)、国家元首が執行府の長で

はないために執行府が分割されなくなっている点に鑑みると、こうした基準には果

たしていかなる意味があるのだろうか(54)。

そこでもう 1つの解決策の方向に転換することになる。それは失敗を確認する

ことである。つまり、一貫性の点から見ても有用性の点から見ても、時代遅れの概

念を使って政治体制を分類するのは不可能である〔と認めることである〕。ヴデル

(Vedel)委員会は、第五共和制が「伝統的なカタログから外れた体制であり、自分

自身でしか定義できないもの」ではなかったのではないかと自問したときに、困惑

したことを告白していた(55)。しかし委員会は、議院内閣制と大統領制、さらには

(52)モーリス・デュヴェルジェ自身の言葉による (《Le concept de regime semi-presidentiel》in M. Duverger (dir.), Les regime semi-presidentiels, op. cit., p. 8 et p. 12-13)。

(53)このカテゴリーはかなり内容の濃いものとなろう。但し、オーストリアやデュヴェルジェがそのために犠牲にすることを厭わないアイルランドは除かれることになろう。というのは、〔これらの国の〕大統領はほとんど常に提案と副署を必要とするからである。J.-C・コリヤール(Colliard)もより限定的ながらこの立場を示す(《Sur le qualificatifde “semi-presidentiel”》, art. cite, p. 231-232)。

(54) Ph. Lauvaux et A. Le Divellec, Les grandes democraties contemporaines, op. cit.,p. 199.

(55) Rapport au President de la Republique. Propositions pour une revision de laConstitution, 15 fevrier 1993, Paris, La Documentation francaise, 1993, p. 24.

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第五共和制の憲法的特質としての「混合的な(mixtes)」システムと「半大統領」制のカテゴリー(大津)

議会統治制から構成される「伝統的なカタログ」の視点の中に自らを位置づけた。

ところで、「初期段階の憲法学の遺物である古典的なカタログとその諸基準は、今

日ではもはや法考古学に属するに過ぎない(56)」。したがって批判はより辛辣なも

のとならざるを得ない。すなわち、諸々の憲法とそこから生ずる諸々の政治体制

は、我々が満足のいく分類学を打ち立てるにはあまりに多様すぎるということであ

る(57)。アデマール・エスマン(Adhemar Esmein)は伝統的な分類を維持して

いたけれども、すでに 19世紀末に次のような疑問を抱いていた。「私が憲法と社

会学を比較しつつ先に述べた見解によれば、憲法の一般原理など存在しないように

見える。唯一存在しうると思われるのは、それぞれの憲法と国家と政府に関する

諸々の個別的な原理だけである(58)」。学説は、それが描写していると主張する現

実を尊重する 1つの新しい分類学を創造するために、そこにある種のシミュレー

ションを見出すことは可能であろう。それは専らに有益性、必要性、あるいは教

育的目的に過ぎないのであろうか。その答えは明らかではない。それほどに私た

ちの世界は画一化すると同時にバラバラになるような転換を遂げているのだから。

確かに、国家や自由民主主義や議院内閣制、大統領制、あるいは半大統領制などの

政治体制は全くのところ死滅させるべき〔概念〕である。もちろん、決して立ち去

るべきではなかったと思い、その墓を再発見させようとする者もいるのであるが。

(ジュリアン・ブドン•ランス大学法学部教授)

(大 津 浩•明治大学法学部教授)

Cf. G. Burdeau, Traite de science politique, 2e ed., Paris, LGDJ, 1976, t. IX, p.316-317.

(56) R. Moulin,《Election presidentielle et classification des regimes》, art. cite, p. 40.(57)あるいは、Ph.・ロヴォーが大統領制の概念を援用しつつ行ったように、法的な分類か

ら逃避するべきである。〔彼によれば、〕「大統領制の政治概念はこうした定義上の諸問題を乗り越えさせてくれる。憲法モデルとしてではなく運用上のものとして特徴づけることで、それは国家元首が政治方向を決定する権力(pouvoir d’orientation politique)を行使する、あるいは行使していたあらゆるシステムに適合可能となる」(Destins dupresidentialisme, op. cit.,. 10)。

(58) Elements de droit constitutionnel, Paris, Larose, 1896, p. 21.

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