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棟札について A.棟札の種類 1.棟札=棟上げの時、工事の由緒、建築の年月、建築者または工匠の名などを記して棟木に打ち付ける札 東大寺大仏殿の明治 36 年解体修理の際発見された棟札 「宝永二年(1705)乙酉四月十日上棟」 2.置札=内容が棟札と同一であって、棟木に打ち付けられていない木札 トピック:煤洗いにはアンモニア希釈水 3.墨書 1) 墨書の例 ○岩手県平泉町中尊寺金色堂の棟木に墨書「天治元季歳次(1124)甲辰甲子建立堂一宇長一丈七尺廣一丈七尺」 ○京都市大報恩寺本堂の棟木に墨書 「安貞元年歳次丁亥冬十二月廿六日建三間四面大伽藍」 ○奈良東大寺法華堂(三月堂)正堂の棟木に墨書「久安四年(1148)戊辰十一月十一日庚子改之置 行事大法師行祐 大工末清 小工廿三人」 ○唐招提寺鼓楼の棟木に墨書 「仁治元年(1240)庚子七月廿六日 左方大工藤井成貞 右方大工寺主 舜禅 別当法師信忠 勧進聖人乗願 小別当 大法師縁鎮 行事所 靜恩大法師 俊円法師 順円法師 戒円法師」 一般に近世になると棟札の数が増えるが、以前は建立年代や大工たちの名前を棟木に直接記すのが普通らしい。 ○大阪城金明水井戸屋形の棟木に墨書「寛永三年(1626)十月吉日」 棟札は板が容易に得られるようになってから急激に増加したと推察 2)中国の墨書 棟木に建立年代等を記す習慣は、六世紀半ばに仏教が中国から公伝されて、寺院建築が奈良を中心に建立されるよう になった時からあったらしい。 ○中国現存最古の木造建築 山西省五台山中、南禅寺大殿の大梁下端に「建中三年(782)云々」 ○山西省平遥県鎮国寺仏殿の棟木に墨書「維大漢天会七年(963)歳次癸亥参月建造」 中国でも時代が下ると、棟札となる 3)韓国の墨書 忠清北道報恩郡俗離山法住寺捌相殿(木造五重塔)入側の梁に墨書「天啓六年(1626)丙寅」 4)棟木以外の墨書 a)梁 ○京都黄蘗宗万福寺鐘楼の梁に墨書「喜捨鐘楼一座寛文戊申八年(1668)□月八日」 喜捨=寄付 ○千葉県成田山新勝寺三重塔の心柱に墨書「卍奉造立三重五智宝塔一基為 常州郡賀郡羽黒村 大工棟梁 桜井瀬左衛門 同国同郡 次棟梁 中野左五兵衛……□正徳二壬辰載(1712)三月大吉祥日」 b)棟束 ○宮島厳島神社摂社大元神社本殿の棟束に墨書「此御屋しろたち候其時大永三年(1523)七月廿 1 日」 ○法隆寺西円堂の真束に墨書「西円堂造立 宝治二年(1248)十月廿六日 釿始晦日柱立次月八日棟上 ……建長二年广戌十二月八日」 ○大阪城金蔵の棟束に墨書「天保八丁酉(1837)」 c)隅木 ○彦根城天守の隅木に「慶長拾壱年午(1606)五月廿二日 六月二日」 三重目の軒桁に「宝永元甲申(1704)七月廿七日」 ○法隆寺地蔵堂野垂木下端に「奉造立応安五年壬子(1372)八月廿二日 大工平宗景」 トピック: 年号=朝廷が正式に定めた年号 私年号(儀年号、異年号)=民間で私的に用いられた年号 例えば命禄元年(1540)=天文九年 ほっこう 法興六年(596) 1

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金井建築研究所 群馬県高崎市中尾町 1131 番地 TEL:027―363-0980 FAX:027―363-0588

棟札について A.棟札の種類

1.棟札=棟上げの時、工事の由緒、建築の年月、建築者または工匠の名などを記して棟木に打ち付ける札

東大寺大仏殿の明治 36 年解体修理の際発見された棟札 「宝永二年(1705)乙酉四月十日上棟」

2.置札=内容が棟札と同一であって、棟木に打ち付けられていない木札 トピック:煤洗いにはアンモニア希釈水

3.墨書

1) 墨書の例

○岩手県平泉町中尊寺金色堂の棟木に墨書「天治元季歳次(1124)甲辰甲子建立堂一宇長一丈七尺廣一丈七尺」

○京都市大報恩寺本堂の棟木に墨書 「安貞元年歳次丁亥冬十二月廿六日建三間四面大伽藍」

○奈良東大寺法華堂(三月堂)正堂の棟木に墨書「久安四年(1148)戊辰十一月十一日庚子改之置 行事大法師行祐

大工末清 小工廿三人」

○唐招提寺鼓楼の棟木に墨書

「仁治元年(1240)庚子七月廿六日 左方大工藤井成貞 右方大工寺主 舜禅 別当法師信忠 勧進聖人乗願 小別当

大法師縁鎮 行事所 靜恩大法師 俊円法師 順円法師 戒円法師」

一般に近世になると棟札の数が増えるが、以前は建立年代や大工たちの名前を棟木に直接記すのが普通らしい。

○大阪城金明水井戸屋形の棟木に墨書「寛永三年(1626)十月吉日」

棟札は板が容易に得られるようになってから急激に増加したと推察

2)中国の墨書

棟木に建立年代等を記す習慣は、六世紀半ばに仏教が中国から公伝されて、寺院建築が奈良を中心に建立されるよう

になった時からあったらしい。

○中国現存 古の木造建築 山西省五台山中、南禅寺大殿の大梁下端に「建中三年(782)云々」

○山西省平遥県鎮国寺仏殿の棟木に墨書「維大漢天会七年(963)歳次癸亥参月建造」

中国でも時代が下ると、棟札となる

3)韓国の墨書

忠清北道報恩郡俗離山法住寺捌相殿(木造五重塔)入側の梁に墨書「天啓六年(1626)丙寅」

4)棟木以外の墨書

a)梁 ○京都黄蘗宗万福寺鐘楼の梁に墨書「喜捨鐘楼一座寛文戊申八年(1668)□月八日」 喜捨=寄付

○千葉県成田山新勝寺三重塔の心柱に墨書「卍奉造立三重五智宝塔一基為 常州郡賀郡羽黒村 大工棟梁

桜井瀬左衛門 同国同郡 次棟梁 中野左五兵衛……□正徳二壬辰載(1712)三月大吉祥日」

b)棟束 ○宮島厳島神社摂社大元神社本殿の棟束に墨書「此御屋しろたち候其時大永三年(1523)七月廿 1日」

○法隆寺西円堂の真束に墨書「西円堂造立 宝治二年(1248)十月廿六日 釿始晦日柱立次月八日棟上

……建長二年广戌十二月八日」

○大阪城金蔵の棟束に墨書「天保八丁酉(1837)」

c)隅木 ○彦根城天守の隅木に「慶長拾壱年午(1606)五月廿二日 六月二日」

三重目の軒桁に「宝永元甲申(1704)七月廿七日」

○法隆寺地蔵堂野垂木下端に「奉造立応安五年壬子(1372)八月廿二日 大工平宗景」

トピック: 年号=朝廷が正式に定めた年号

私年号(儀年号、異年号)=民間で私的に用いられた年号

例えば命禄元年(1540)=天文九年 ほっこう

法興六年(596)

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B)棟札研究 沼田頼輔 『考古学雑誌』第六巻第六号「棟札研究の価値」大正五年

伊藤平左ェ門『建築の儀式』彰国社 昭和 34 年

福山敏男『月刊文化財』第 113 号「棟札考」昭和 48 年

伊藤延男『校刊美術史料』第 88~93 輯 昭和 32 年

宮澤智士『徳島県民家の棟札』昭和 51 年 『一宇村民家の棟札』昭和 52 年

『棟札からみた民家の耐用年限』昭和 60 年(『文化財保存修復研究協議会記録』)

生野勇ほか『民家の棟札集成-四国地方の民家を中心として』 財団法人文化財建造物保存技術協会 平成元年三月二十日

その他 修理工事報告書・市町村誌

C)棟札の歴史

1.現存する 古の棟札 岩手県平泉町中尊寺の保安三年(1122)のもの 同 天治元年(1124)のもの

2.文献上の棟札

○谷川士清(1709~76)編著『和訓栞』(江戸時代の語学辞書)の「むなふだ」に

棟札の義、多く寺社にあり、伊勢朝明郡殖栗連大臣同祖といへり、千栗村にあり、天平三年(731)のむな札あり

○室町時代の御伽草子『阿漕の草子』に

建長年中(1249~1256)の造かへの棟札に、まさしく、平氏八幡社、三安友盛奉行となんありける

○『駿府記』の慶長十九年(1614)八月四日の条に

大仏殿棟札写到来、中井大和守之を捧ぐ、照高院道勝法親王これを書かせたまう、御意に叶わず、御不快、おおせい

わく、鐘銘奈良大仏鐘銘に准ずべきの旨、おおせられところ相違……

棟札の発生はおよそ平安時代以降である

D)棟札の形態

1. 尖頭型棟札 長方形の板の上部の角を切り落として山形にし、下部の幅を上部の幅より少し小さ目にしたもの

2. 角型棟札 長方形のままの板を用いたもの、十六世紀以前の棟札に多い

3. 円頭型棟札 頭頂部を円弧状にしたもの

4. 隅切り棟札

板の隅を切り欠いたもの。それぞれ 尖頭型棟札隅切り・角型棟札隅切り・円頭型棟札隅切り

この隅切りは「鬼門切り」とも呼ばれ、完形のものの一部を故意に欠くことによって魔除けとされた。正徳四年(1714)

の『番匠秘事』の「屋敷相形ノ事」に「四方四角の地貧也」として、四隅のうちの一隅をを欠いた形の屋敷はいずれも

福・円満・如意などとされる。角型棟札の上部を隅切りするから尖頭型棟札が発生したとも推測できる

E)棟札の寸法

1. 文献による

1) 鈴木重春著『大匠手鏡』(享保六年〈1721〉東京都立中央図書館蔵)尖頭型棟札の寸法記述

長サ五尺(凶)、幅壱尺三寸(吉)、あつさ壱寸(吉)、せうぎ頭壱寸(吉)

2)『建築家日誌』

全長六尺二寸(凶)、上の幅一尺(凶)、下の幅九寸(凶)、厚さ一寸(吉)

3) 『古事類苑』(文化五年<1808>)に引く『匠家故実録』の「棟札之事」に

今工匠家に用る所、前に云斎札檜板にて頭を駒形になし、上下を星尺魯般尺法の吉寸に値て作るべし

2. もんしゃく

門尺による吉凶寸

「門尺」とは、かねじゃく

曲尺の長手の裏面内側に盛り付けてある尺度。曲尺の 1.2 尺を8等分し、それぞれ、すなわち 1.5 寸ごとに

「財、病、離、義、官、却、害、吉」の八文字を付ける。「財、義、官、吉」は吉寸で「病、離、却、害」は凶寸とされる。これは八星から

発した寸法であって一名「ほしじゃく

星尺」とも言う。また「ろはんじゃく

魯般尺」とは、中国の春秋戦国時代(前 722~前 481)魯の人、魯般の家に

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伝えられてきたと称されてきた尺度である。江戸時代には、実際には明時代のえいぞうしゃく

営造尺(工匠用尺)を指していた。

江戸時代前期の建築百科全書『愚子見記』に

魯般は商尺を宗み,家に伝て唐に至る。唐・明・倭共に木匠之を用いる。

また「商尺」については

商(=殷)の成湯の尺なり。唐・明・倭共に木匠用いる所の尺なり。 曲尺と名づく。亦営造尺と名づく。是を大尺と

もいう。

そして「星尺」については

八星の守護に依て、善悪の吉凶有り。爰に亦初の一寸を財と云う、ニ寸を病と云う、三寸を離と云う、四寸は義と云う、

五寸は官と云う、六寸は却と云う、七寸は害と云う、八寸は吉と曰く。是皆北斗七星並びに浮星と合って八星の主る寸

なり。此の内に吉寸四つ有り悪寸四つ有り。

門尺吉寸法

門尺 財 義

曲尺

(寸)

0

1.5

4.5

7.5

10.5

13.5

16.5

19.5

22.5

25.5

28.5

31.5

34.5

37.5

40.5

43.5

46.5

49.5

52.5

55.5

58.5

61.5

3. 寸法の取り方

下幅

肩幅

しょうぎ頭

肩高 総高

厚さ

F)材質 杉・檜などの針葉樹

G)仕上げ 中世の棟札 槍鉋仕上げ・手斧削りのものもある

近世 台鉋仕上げ

台鉋が用いられるのが、室町時代以降。それ以前の棟札は槍鉋仕上げ・手斧削りである

H)内容

1. 主文(中央に大きな文字で当該建物の名称と建立の種類を記すもの)

1) 奉建立…… 寺院……建立、民家……建てる、庵 ……結ぶ

2) 上棟……、奉上棟…… 「上棟」=「上梁」

3) 奉造営(栄)……、上棟奉造営……

3

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4) 奉造替……

5) 奉建(造)立……、上棟奉建(造)立…… 冒頭に「謹請」 ……明治以降に多い

「謹(欽)んで」……江戸時代

6) 奉再興……、上棟奉再興……

「社頭一宇」=「本殿(神殿)」 「一宇」=「一棟」

「本殿」は室町時代以降の呼称、それ以前は「宝殿」「神殿」と呼称

「謹上」=「謹んで奉る」

7) 奉再建……、奉再造……

8) 奉修覆……、奉修造……、奉修補…… 部分的修理

「御繕」

「修繕」……明治時代以降多い

奉修営…… 修理、再建の意味もある

9) 奉勧請……、奉創建……

10) 奉寄進……

11) 奉重建…… =再建 中国・韓国で多い

重修 =修理 同上

12) 奉葺替……

13) 奉改造…… =新たに「造り改める」、再建

14) 建物名のみ記す

15) 主文のないもの

2. 年月日

1)「年」の様々な用法

a)「歳」 年号の前に「第」を付けることも多い b)「載」 c)「歳次」

d)「龍集」「龍次」=「一年」の意味 e)「星」 f)「天」=「天一」

g)「暦」 h)「季」 I)「稔」=一稔

2)「月」の記載方法

a)一月 =「一月」「正月」 b)二月 =「仲春」 c)三月=「弥生」

d)四月=「卯月」「孟夏」 e)五月 =「仲夏」 f)六月=「林鐘」「水無月」

g)七月=「七月」「秋七月」 h)八月=「仲秋」「南呂」 I)九月=「晩秋」

j)十月 =「初冬」「小春」「孟冬」 k)十一月=「仲冬」「霜月」 l)十二月=「臘月」「極月」

3)「日付」

a) めでたき良き日という意味で

「吉日」「吉祥日」「吉旦」「吉辰」「天赦日」(陰陽家にて何事をなすにも吉なりという 上の日)「良辰」

(よい時節)「吉祥旦」「如意」「穀日」「穀旦」「吉曜」

b) 具体的日付に近いもの

「上浣日」(=上旬)「中浣日」(=中旬)「下浣日」(=下旬)

c)具体的日付

3. 檀那・願主・施主

仏殿の守法神=だいぼんてんのう

大梵天王・帝釈天王=大檀那・たいがんしゅ

大願主

「檀那」「檀越」「願主」「本願」=発起人 「施主」=スポンサー

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4. 建築工匠

5. 願文(造営の意図)

1) 武運長久(栄)……藩主が武運長久であるように

2) 天下和順(国内が和らぎ、よく治まっていること)

日月清明(太陽や月が輝いていること)

風雨以時(風雨が時節にかなって適度にあること) ……穏やかな世相であるように

3) 一天大平(国内がよく治まっていること) 国家安全 ……安定した政治であるように

4) 天長地久(『老子』にあって、天地が永久に変わらないように物事がいつまでも続くこと)、風順雨従(風が穏

やかで、時節にあった雨が降ること)……恵みの雨が降るように

5) 息災延命(災いを取り去り、命を延べること)、子孫繁栄 ……長寿と子宝に恵まれるように

6) 五穀豊穣、火災不起、村中安穏、福寿円満 ……村が安泰であるように

7) 諸病消除……健康であるように

8) 寺旦繁栄……寺と檀家の繁栄

6. 経文

1) 南無妙法蓮華経 法主日蓮大菩薩(『法華経』)……日蓮宗の寺

2) 南無阿弥陀仏……浄土宗の寺

3) 聖主天中天 迦陵頻伽声 哀愍衆生者 我等今敬礼

意味 - 聖主・天中天よ かりょうびんが

迦陵頻伽(雪山、または極楽にいるという想像上の鳥で、妙音鳥、好声鳥ともいう。

妙音を発し、聞けどもあきることがないという。声に「若空無我常楽我浄」の意を伝えるといい、その像は人頭、

鳥身の姿で表す)の声ありて、衆生をあいみん

哀愍したもう者をわれわれは今、敬礼したてまつる。

4) 我此土安隠 天人常充満 園林諸堂閣 種々宝荘厳(『法華経』)

意味 - わがこの土は安穏にして、天・人、常に充満せり。園林・諸の堂閣は、種々の宝をもって荘厳し。

5) 諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力(『法華経』)

意味 - 諸の仏・救世者は、大神通に住して、衆生を悦ばしめんがための故に、無量の神力を現したもう。

6) 厳護法城 開闡法門(『大無量寿経』)

意味- ……法城(真理の城、正法を城に譬えていう)を厳護す。法門をかいせん

開闡して……

7. 経費

1)造営費用 建築工匠人数・寄付銀・米 2)寄付 3)工事の時期

4)工事期間 上棟 - 遷宮 ちょうなはじめ

釿始 - 柱立 - 上棟

小屋入(大工が材木の切り込みを始めること)-下遷宮(本殿から御神体を仮殿に移すこと)-上棟-遷宮

8. 由緒 神社・寺院

9. 記号 陰陽道・修験道の符

1)卍 ヒンドゥー教のヴィシュヌ神などの胸部にある施毛であるから、仏像などの胸に描き、吉祥万徳の相を示す

2)封 「フウジ」の意味で、神仏の通力をとどめる意味を持つ

3)封封 4)封封封 5)封封封封

6)○印 7)△印 三角座すなわち北天の星を示す。或いは星・月・日の文字の省略

8)封△封 9)封 10) 封 封

△ △

封 封 封 封

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11 ) 星 12)星月日

△ 星・月・日は「三光」で、これらの象をかたどったものが霊符である

月 日 13) 日 14)

四天王(しゅみせん

須弥山の四方の中腹にいて、四方を鎮護し、仏法を守護

汁という。東方のじこくてん

持国天、西方のこうもくてん

広目天、南方のぞうじょうてん

増長天 、北方

のたもんてん

多聞天)を表す。

辰 星

15) 北斗七星を示す。北斗七星は古来より聖なるものとして受け入れられている。

6

16) これは九字「臨兵闘者皆陣列在前」をとなえ、災難を避ける神秘な力をもつと言われるまじない。

元来は中国の道家のものであったが、陰陽道、密教僧、修験者などに用いられた。

17) 水を意味する記号。火災除けを意味する。

18)水水叶 火災除けを意味する。 19)参封参 参は二八宿の一つで、西方の星。

20) 鬼 鬼は二八宿の一つで、南方の星。

鬼 鬼

21)急々如律令 道教の呪文 22)各種記号の組み合わせ

10.神・仏

1) 四天王

2) 大梵天王 帝釈天王

「梵天」はインドで古くから崇拝さえた三大神の一つ。婆羅門教では、宇宙万有を生ずる根源を「梵」とし、こ

れを神格化して「梵天」とした。我が国でも、仏法守護、鎮国利生の神として、帝釈天とともに、古くから崇拝。

「帝釈天」は婆羅門教では、常に阿修羅と闘った勇猛な神として著名である。仏教では、須弥山の上の三十三天

の主神で、篤い信仰を受けている。

3) 文殊師利菩薩 護国四天王 弥勒菩薩 八大王等

「もんじゅしりぼさつ

文殊師利菩薩」は文殊菩薩のことで、一般に知恵を司る。「護国四天王」は四方鎮護の四神、すなわち持国天、

増長天、広目天、多聞天で、国土安全・五穀豊穣にも重要な役割を持つ。「弥勒菩薩」は釈迦入滅の 56 億 7000

万年後、人の世に下生し、釈尊の救いに洩れた衆生のためにりゅうげさんね

竜華三会の説法をするという未来仏である。

4) 手置帆負命 彦狭知命

「たおきほおいのみこと

手置帆負命」は工匠守護の祖神である。ふとたまのかみ

太玉神に隷属し、天照大神、笠や盾などを造ったといわれる。のちに

手置帆負命はかさつくり

作笠者とし、「ひこさしりのみこと

彦狭知命」はたてつくり

作盾者とされた。

聖徳皇太子

聖徳太子は、仏教興隆に力を尽くし、多くの寺院を建立した。工匠の守護として崇められている。現在でも、建

築工匠たちが各地で「太子講」を行っている。聖徳太子を奉賛する講で、忌日である二月二十二日に行われる。

「太子講」は江戸時代から盛んに行われるようになったらしい。

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5) 手置帆負命 大直日神 彦狭知之命 神直日命

「おおなびのかみ

大直日神」は「大直毘神」とも書き、いざなぎのみこと

伊弉諾尊の子。凶事を直して吉事とするはたらきをもつと言われる。

6) 手置帆負命 屋船久々能知命 屋船豊受姫命 彦狭知命

「やふねくくのちのみこと

屋船久々能知命」と「やふねとようけひめのみこと

屋船豊受姫命」はともに屋船神で、家屋の守護神である。「木霊屋船久々能知命」「稲

霊屋船豊受姫命」としてもたびたび記載され、久々能知命が木材を司り、豊受姫命が稲禾つまり草茅を司る。

7) 屋船豊受姫命 神直之神 屋船久々能知命 大直之神

8) 屋船豊受姫命 屋船久々能知命

9) 木霊神 神直日神 豊玉珠屋神 彦狭知及命 大直日神 稲霊神

「木霊神」=「屋船久々能知命」 「稲霊神」=「屋船豊受姫命」

10) 木霊神 稲霊神

11) 家船豊受姫命 家船句々能智命 手置帆負命 彦狭智命 八意思兼命 大宮売命

12) 罔象女神 五帝龍神

「みずはのめのかみ

罔象女神」はいざなみのみこと

伊弉冉尊がひのかぐつちのかみ

火之迦具土神を生んで病み臥されたとき、その尿になった神と伝えられ、水を主宰する

神である。「五帝」は古代中国の伝説上の五聖君で『帝王世紀』ではしょうこう

小昊、せんぎょく

・・、ていこく

帝・、とうぎょう

唐尭、ぐしゅん

虞舜。

13) 国常立尊 天御中主尊

「くにとこたつのみこと

国常立尊」は国土形成の神で、『日本書紀』巻第一に、てんちかいびゃく

天地開闢とともに記された神である。高天原に 初に

出現したみなかぬしのみこと

御中主尊とともに造化三神の一つである。

「あまのみなかぬしのみこと

天御中主尊」は天の中央に座して宇宙を主宰したという神、中国の思想による天帝の観念から作られたらしい。

11. 梵字(種子)

1) 一字の梵字

(1)「バン」(金剛界大日如来)(2) 「ウーン」(四方仏) (3) 「キリーク」(阿弥陀如来)

(4) 「カ」(地蔵菩薩) (5 )「サ」(聖観音) (6)「キャ」(十一面観音)

2)表面と裏面に各々一字の梵字(種子)を記すもの

(1)「バン」と「ア」(胎蔵界大日如来) (2)「アン」(胎蔵界阿弥陀如来)と「バン」

(3)「バイ」(薬師如来)と「バン」 (4)「イ」(伊舎那天)と「バン」

(5)「タラーク」(虚空蔵菩薩)と「ウーン」(6) 「ウーン」を二つ

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3)表面に三字の梵字(種子)を記すもの

(1)「キリーク」と「バイ」と「バク」(釈迦如来)(2)「サ」と「キリーク」と「サク」(勢至菩薩)

(3)「キリーク」と「ア」と「バク」 (4)「バク」と「ア」と「キリーク」

(5)「キリーク」と「バイ」と「ア」 (6)「バン」と「ウーン」と「イ」

(7)「キャ」と「アーンク」(胎蔵界大日如来)と「バーンク」(金剛界大日如来)

4)表面に次の四字の梵字(種子)を記したもの

(1)「バン」と「ア」と「キリーク」と「バク」

明治以降の神社の棟札では、梵字を記すものはほとんどない。

12.神職

「大宮司」「正祝子」「祝子」「座主」(山伏の 高位)

「社僧」(神仏習合を表す)「神主」「社司」「社掌」「祠官」「社久」

13.村役人・村勢(寄進等で造営に関わる) 代官・庄屋・べんざし弁指 ・

きもいり肝煎

14.奉行(普請や寺院を司る役職者)

15.筆者 相当の文字を書ける人 僧侶・神職者・庄屋

16.供物 福岡県宗像市貴船神社の弘化二年(1845)の神殿再建の置札の裏面に

弘化二年乙巳 十月九日

上遷宮・梁上 供物

一、 神酒 二瓶子 御祭日

一、 御供 三膳 三月十二日

一、 掛魚 二掛 十月十一日

一、 御鏡餅三重 同 十二日

一、 打中米 三舛三合 御神楽 隔年

一、 木綿 壹反

一、 赤緒 八尺

一、 扇子 二本 藤吉

一、 ・ 掛目拾五匁 當谷 組頭藤作

一、 茜 三尺 平七

一、 御幣紙二帖 彦左ェ門、平作、吉蔵、平三、源七、平七、幾次

「上遷宮」とは、新築された神殿に御神体を納める儀式で、神殿の竣工のお祝いに当たる。「梁上」は「

上梁」と同じ意味で、完工を示す。

17.平面図

山口県阿武郡阿東町持坂神社の天明八年(1788)と天保十五年(1844)の二枚の置札の内、後者に「覚」として、由

緒、造営の経過などを記すほかに、建物の平面図を記していた。平面図に「差図」とあって

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御殿六尺間 拝殿弐間半弐間

と記し、その他に、必要な個所に「エン」「ハコダン」「御拝」などの書き込みがある。そして、「差図」のあとに

但神殿六尺ニ六尺 箱檀四尺五寸六分ニ六尺 燕板三尺ニ六尺 拝殿壱丈三尺弐寸ニ壱丈 六尺弐寸五分

向拝五尺八寸 惣茅葺 総坪数七坪弐間六尺弐才之・

I) 特殊な棟札

1. 箱入り棟札

2. 黒漆喰塗の棟札

○山口県須佐町松崎八幡宮本殿の置札 黒漆喰塗・文字は陰刻され朱色

「奉造営八幡宮」「于時寛文元年(1661)辛丑稔仲秋十有五日」

○同拝殿の棟札 黒漆喰塗・文字は陰刻され朱色

「松崎八幡宮/舞殿拝殿/回廊上棟/之文」「元禄五年(1692)……上棟」

3. 供え物をつけた棟札

1)大分県臼杵市旧丸毛家住宅の棟札 「明治十六年未十一月吉日」「屋船久々迺馳命、屋船豊宇食姫命」

棟札下部に長さ 600mm、幅 30mm の板二枚が棟札を挟むように付けられている。これは「扇挟み」と称するも

ので、ここに扇子を一枚挟んで飾ったものである。発見時に、扇子の竹骨が数本残存し、扇挟みの間に二つの稲

穂(五穀を表す)と白い和紙が残っていた。棟札全体を白い和紙せ包んでいたものと推測される。

2)福岡県津屋崎町上妻義治家 明治 34 年の棟札

棟札中央上下に丸釘で棟束に打ち付けてあり、棟札と棟束の間に各六個と五個の天保銭が挟まっていた。

3) 徳島県下の民家では火災鎮めの意味を込めてミズキの枝を供えることも多い(『民家の棟札集成』)

トピック:明治初年の神仏分離の際、仏教関係の文字が削り取られた棟札

宮崎県都濃町日向の国一の宮都濃神社の棟札

「元和三年(1617)」「奉再興都濃大明神社檀一宇」と記す内の「聖主天中天/迦陵頻伽声/哀愍衆生

者/我等今敬礼」と「大檀那大梵天王/大願主帝釈天王」が消される。

J)棟札に見る建築工匠

1. 大工

1) 門前大工

比較的格式の高い社寺や由緒深い古くからの社寺には、親子代々そこに出入りをし、造営や修理を受け継いでき

た特定な大工がいる。この大工たちは、それらの社寺の門前、あるいは比較的近いところに居住している。

2) 移動大工

近世の大工は中世のように座を形成して大工職を獲得していたわけではなく、仲間とともに仕事をしていた。多

くの場合は、居住地の近くで地元の社寺の造営に携わるわけであるが、藩を超えて、他藩領内で仕事をすること

も少なくないのである。一般の人々が他国に行く場合には、特別に通行手形を持参しなければならないという閉

鎖的社会生活を送っていたのに比べると、大工のように手に職のある人々は、存外自由に他国に行くことができ

たらしい。

3) 集住大工

ある地域に集団として居住している大工たちを集住大工と呼ぶ。集住大工は、居住地の造営ばかりでなく、遠く

に出かけて仕事をする場合もある。城下町の「大工町」

4)「分限帳」に見られる大工

近世になると、城下町の建設などによって、大工の仕事量が増大した。そのために各藩では、被官職人、扶持職

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人として、また、諸役 免除という特権を与え、労務の供給を図ったのである。そうした大工が、「分限帳」

などに記された大工である。大工たちはおよそ十五石以下の足軽として扱われていた。

5) 郷士大工

薩摩藩の特色は、外城制度をとり、「いわゆる“百二の外城”を置いた。……領内を百十三の区画に割って、そ

こに地頭仮屋を設け、その周囲に“麓”という武士集落をつくって、その地域の軍事・行政を管轄するしくみで

あった」といわれる“麓”住まいの武士、すなわち郷士が大工を独占していたことである。いわゆる「職人武士」

である。

2. 細工人・彫物師・彫刻師

社寺建築には桃山時代以降、かなりの彫刻が見られる。その彫刻をしたのは多くの場合、大工であった。彫物師は江戸

では寛永年間(1624~1643)ころから登場するようだが、九州では十七世紀末期頃からのようである。

3. 鍛冶

和釘を作るのは刀などの刃物や梵鐘を作る鍛冶でなく、農鍛冶である。和釘のみを作って、生計をたてた釘鍛冶と呼ば

れる者も近世にはいたらしい。元禄四年(1691)に井原西鶴が書いた『世間胸算用』巻五は、釘鍛冶に触れている。

棟札にほかの建築工匠の名はなくとも、大工と鍛冶は並んで記載されることが多いのを見ても、鍛冶職が重視されてい

たことが分かる。

各地の城下町に鍛冶屋町という地名が残るように、城下町に住む鍛冶も多かった。

和釘以外の飾り金物などは、中世と違って職業分化が進んだ近世では、細工人による場合が多い。

4. 木挽

大工が家を建てる場合、自ら山に入り立ち木を見ながら、あの木をどこの柱に使うか頭の中であれこれと考える。

しかし、大工が直接、山の木を切り倒すわけではなく、そまびと

杣人またはきこり

木樵、地域によっては山師と呼ばれる人が切り倒し、

山からしかるべき所まで搬出して、製材する。山師というのは一般的には鉱山関係者を言うけれども、宮崎県椎葉地方

では、炭焼きをする人を「炭山師」と称する。また、木を切り倒すだけでなく、枝を払いダンギリ(胴切り)にしたり、

たてにわく(分ける)人を「もと山師」といい、それを運搬する人を「出し山師」と称した。

山から搬出した山木を製材するのが、「こびき

木挽」や「ひきこ

挽子」「おがし

大鋸師」などである。製材には大鋸(別名木挽鋸)という

縦引きの大きな鋸を用いるので「大鋸師」とも言うのである。

現在のように製材所というものはなく、建築材料はそれぞれの社寺の持ち山から供給されることも多かったので、ほと

んどの場合、木挽が造営場所に出かけて製材する。

5. 塗師

神社の建物はほとんど朱塗りで、蟇股や中備の彫り物、斗・などは極彩色である。なかには拝殿の格天井に花鳥風月の

絵を描くものもある。これらの素晴らしい絵や彩色は、ぬし

塗師または絵師「画工」と呼ばれる人々によって行われる。

6. 石工

地形からはじまり、基壇をつくったり、礎石を据えたりといった基礎工事を行うのが、「石切」や「石屋」とも棟札に

記される「石工」である。

石工は、建物の基礎部分を担当する以外に、石灯籠や石造狛犬、鳥居などの石造美術品を作る。なかには石仏、特に野

にある石仏を作る「石仏師」もいた。そして、これらの指導者は「石大工」や「石棟梁」あるいは「石屋頭取」などと

呼ばれるのである。つまり、「大工」や「棟梁」は古くは工匠の階級を示す語句であったんが、現在では「大工」とい

えば、木工大工を意味するのが普通である。

7. 営業形態

1) 仕事場の独占

一般に、大工は定められた社寺の造営に代々携わることが多い。完工後のたびたびの修理を建立大工に依頼する。

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2) ヒエラルキー

いわゆる大工=木匠(番匠・工(巧)匠)

棟梁(惣大工・盛大工・頭取・匠工) - 脇棟梁・副大工・大工・小工・合工・合(相)番匠・足軽大工

8. 建築工匠の生活

1) 賃金

○大分県国東町八坂神社の天保十三年(1842)の棟札に

一. 銀札三百拾貫弐分…… 彫物弐百九拾弐工半 壱工四匁と見而

○宮崎県「飫肥藩分限帳」では

大工 十五~六石取り 鍛冶 八~四石取り

絵師(塗師) 十五~五石取り 金細工 二十~八石取り

○岡藩『安政二年卯三月 諸職人住上規定一件』のなかで「大工」「左官」「石刻」を階級分けして

職付無位ハ三年ニ而下々

初位 下ニ三年に而下

下より三年ニ而中

中より五年ニ而上

上より五年ニ而上々……

初位 廿五年以上 脇指御免……

棟梁 初位より三拾年以上

但業前ニ寄可申付尤

脇指上下御免相成

居候得者棟梁並ニ左不申

付者へも可申付

惣棟梁 三拾五年以上

2) 税金 ○役 諸職人役・鋳物師役・鍛冶屋役 夫役的性格のもの、無料働き

○運上 諸職人運上・瓦焼運上 随時税の性格を持ち、予定されたもの

○冥加 願い出て免許を得て納めるもの

K)その他

1. 建立年代……推定から確定へ

○京都教王護国寺(東寺)東大門・北大門 明治四三年国指定重要文化財 鎌倉時代前期と推定

平成二年の調査

「慶長十年(1605)九月吉日」の棟木発見、施主名として「北政所」「秀頼卿」が挙げられている。文禄五年(1596)

の大地震で被害を受けたのを、豊臣秀頼の寄進で再建したらしい。北大門も柱などの部材に強い力で倒され

た痕跡が認められ、部材の裏から「慶長六年(1601)」の墨書も発見された。

○奈良県明日香村岡寺書院 昭和六一年国指定重要文化財 桃山時代と推定

平成元年の解体修理

南側の足固め框の内側に「寛永廿一年甲申(1644)七月六日…」「寛永貳十一年七月八日…」の墨書が発見

○京都府宇治市塔頭浄土院羅漢堂 江戸時代後期と推定 平成元年に寛永十七年(1640)十二月上棟の棟札が発見

○奈良市元林院町の商家「まんぎょく」

平成元年屋根葺き替えなどの修理工事の際、「寛保二年(1742)五月十六日」「四六間新造一宇大工棟梁瀧川長兵衛」

などと記す棟札発見

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トピック:小板葺き 小板とは茶室において、台目畳に向板を入れて炉を切る時に、炉縁と向板との間に入

れる幅 1.8 寸、長さ 1.4 尺の板のことで、その板で葺いた屋根である。

芒葺き 「芒」は「すすき」を意味し、「芒茅」すなわち「かや」で葺いた屋根である。

○京都市右京区河原家住宅 当初十八世紀ごろと推定

昭和六三年五月屋根裏から棟札を発見。赤外線ビデオの調査により「明暦参年(1657)」の墨書が確認

○和歌山県伊郡郡かつらぎ町丹生郡比売神社楼門 昭和四一年国指定重要文化財 室町時代中期

平成四年よりの解体修理

骨組みの隙間に挟む飼物に「明応八年(1499)ツチノトヒツジ□ □□四月十三日」の墨書を発見

○茨城県取手市竜禅寺三仏堂 昭和 51 年国指定重要文化財 室町時代後期

昭和 61 年よりの解体修理 「永禄十二年(1569)己巳八月廿八日」の木片が木箱に入れられて須弥壇内部より発見

2. たくさんの棟札……式年造替(一定の年月で建物を新しくすること)

○式年造替の例 伊勢神宮正殿 二十年ごとに隣の旧社地へ造り替えられる。その儀式を式年遷宮祭という

宇佐神宮本殿 三十三年 奈良春日大社 二十年(江戸時代まであった)

○群馬県甘楽郡南牧村檜沢神社本殿 23 枚の棟札

慶長七年(1602)、寛永三年(1626)、明暦四年(1658)、延宝六年(1678)、享保七年(1722)など。ほぼ二十年から三

十二年ほどの間で、式年造替がおこなわれたと推測

3. 大工流派

○建仁寺流 建仁寺建立にはじまった

○四天王寺流 大阪四天王寺に伝わる和様を主とする

○立川流 長野県諏訪出身の立川和四郎富棟(1744~1804)とその息子、立川和四郎富昌(1781~1856)によ

って確立された彫物得意の大工の一流派で長野県下にその作品が残る。

立川富棟 諏訪大社下社秋宮幣拝殿(安永九年〈1780〉)

下伊那郡高森町白鬚神社本殿(天明四年〈1784〉)

茅野市白岩観音堂(安永三年〈1774〉)

駒ヶ根市光前寺三重塔(文化五年〈1808〉)

立川富昌 諏訪大社上社本宮拝殿ほか(天保六年〈1835〉)

駒ヶ根市高鳥谷神社本殿(文政十二年〈1829〉)

山梨県北巨摩郡須玉町臨済宗海岸寺観音堂(弘化二年〈1845〉)

立川昌敬(1802~63) 静岡県小笠郡大佐賀町の「横須賀祭(三熊野神社大祭)で使われる山車

以上

出典 佐藤正彦著 『天井裏の文化史-棟札は語る』発行所 株式会社講談社 発行日 1995 年 2 月 10 日

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