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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 都市のまちづくり : 大阪ドームとその周辺(Osaka Dome and the Citizenry : A Study of the Role of a Baseball Park in an Urban City) 著者 Author(s) 天野, 郡寿 掲載誌・巻号・ページ Citation 国際文化学研究 : 神戸大学国際文化学部紀要,10:1*-17* 刊行日 Issue date 1998-09 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81001201 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001201 PDF issue: 2021-02-28

Kobe University Repository : Kernel · 計画く大阪市総合計画〉を発表した。この計画は1990年(平 成2年)10月 、さら にく大阪市総合計画21一人間主体のまち、世界に貢献するまちをめざして一〉

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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le

都市のまちづくり : 大阪ドームとその周辺(Osaka Dome and theCit izenry : A Study of the Role of a Baseball Park in an Urban City)

著者Author(s) 天野, 郡寿

掲載誌・巻号・ページCitat ion 国際文化学研究 : 神戸大学国際文化学部紀要,10:1*-17*

刊行日Issue date 1998-09

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/81001201

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001201

PDF issue: 2021-02-28

1

都 市 の ま ち づ く り

大阪 ドームとその周辺

天 野 郡 寿

1997年3月 、大阪市西区に大阪 ドームが誕生 した。高さ83メ ー トル、直径

200メ ー トルにおよぶ、『躍動感溢れる斬新な外観フォルム』1の ユニークなデ

ザインの建物は、完成以来はや くも大阪市西部のシンボルとなっている。

現在 ドーム球場は東京、名古屋、大阪、福 岡の四カ所存在 し、そのいずれも

がプロ野球の興行 を中心として営業 されている。この中にあって、大阪 ドーム

と福岡 ドームは、いわゆる第三セクターで計画が進められたもので、まちづ く

りや地域開発 に積極的に組み込まれ運営されている施設である。

本稿は、 ドーム球場が地域開発の一端として有効に機能しているか、また ドー

ム球場建設は地域社会にどのような影響 をもたらしたか、さらには ドーム球場

が都市のまちづくりの核になりうるかを、開発計画や建設の資料および聞き取

り調査などによって明らかにするものである。

都市 開発計画(大 阪市)と ドーム建設

大阪市は1969年(昭 和44年)6月 『健康で文化的な都市生活を確保すること』、

そ してr機 能的な都市活動を確保すること』さらにそのためには 『適正 な制 限

のもとに土地の合理的な利用が図られねばならないこと』を基本理念に、都市

計画く大阪市総合計画〉を発表した。この計画は1990年(平 成2年)10月 、さら

にく大阪市総合計画21一 人間主体のまち、世界 に貢献するまちをめざして一 〉

として以下の五つの開発計画の基本方針が加えられた。

1)生 涯を健康で安心 して暮 らせるまち

1『 大阪ドーム建設パンフレット』より抜粋

2

2)豊 かでいきがいのある大都市生活を楽しめるまち

3)新 しい文化を創造 し発信するまち

4)社 会の発展を先導する創造的な経済のまち

5)世 界に開かれた交流のまち2

これらの基本方針のもとに大阪市は毎年100以 上の都市開発プロジェク トを

進行させている。平成7年 度の事業をみると、「テクノポー ト大阪」 計画、南

港空港貨物ターミナル、淀川 リバーサイ ド、新中央体育館建設、道頓堀川水辺

整備事業など、単に建物の建設や河川の整備などを手がけるのではなく、道路

や景観公園を含めた総合的な地域開発が大半をしめている。

大阪市では、1960年 代から顕著になってきた東京一局集中の反動 として、大

都市衰退現象(人 口減少、企業流出など)が 生 じており、人口流出を食い止め、

まちに活力を取 り戻すことは急務であるとし、それ以来、多 くの研究や政策が

計画 ・実行 されてきた。大阪 ドームも、単なる集客装置である ドーム建設では

な く、周辺に公園整備を加え、地域開発につながるまちづ くり事業 として進め

られたのである。

大阪 ドームの建設が最初に計画されたのは1981年(昭 和56年)で あった。

『西 日本における業務、商業、文化の中心 としての大阪にふさわ しい、スポー

ツ、文化をとおしての国際交流や商取 り引きの場である多 目的施設』として、

市の西南部臨海地域 にある南港をその予定地として選んだ。当時の計画では、

野球などの4~5万 人の観客 を収容できるだけではなく、ボクシングやテニス

競技などの4~5千 人の観客が予想される小規模イベントにも対応できる可動

式観客席を持った ドームの設計が盛 り込まれていた3。 しか し、 ドーム球場使

用の中心 となるプロ野球の本拠地移転が難航 したこともあって、計画は実現で

きなかった。当時在阪球団の中で対象とされたのは近鉄球団であったが、同球

団にとっては大阪市営地下鉄路線 しか通 じていない南港は受け入れがたい地域

であったのは当然で、この計画は実現 されなかった。

2「 大阪市総合計画」1969

3沢 柳政義 「野球場大事典」大空社1990年p329

4

大阪市内の交通機関

JR新 幹線 ㌘》-

阪急線

JR線 ■F

■ 【.' 夢地下鉄京橋

阪神線 大阪1■

西九条

'-1

阪神線 、 本町

叩.JR線一●

-

醤繊匿 國 翻1

なんば 近鉄線

JR大 阪環状線

天王寺

大正

●4

憂 謡

JR線

大阪 ドーム付近 の略図

3

決定的な建設開始の契機をなくしていた ドーム球場建設計画が再び組上に登

るのは1988年(平 成2年)で ある。東京 ドームの完成や福岡 ドームの建設計画

の具体化に刺激され、市長の諮問機関として、関西財界のメンバーからなる多

目的 ドーム建設検討委員会が設置された。同委員会は天王寺公園、住友金属工

場跡地(此 花区)、 そして現在 ドームのある西区千代崎(通 称岩崎橋 地区)を

ドーム建設の候補地として選んだ。天王寺公園は、主たる使用者 となる近鉄球

団にとっては、親会社近鉄線のター ミナルで、また自社系列のデパー トもある

恰好の場所であった。しかしドーム建設による公園面積の縮小に対する代替え

地、同公園内にある動物園の移転先に対する解決策が見あたらず、検討の初期

段階で断念せざるを得なかった。残る二つの地区はいずれ も大阪市の西部に位

置する工場地帯であった。

生産規模の縮小による休業生産施設や休閑地の増加 している企業、生産規模

縮小による人口減少にみまわれている地域、いずれにとってもドーム建設は街

の活性化にふさわしい事業であった。両地域の住民 ・企業双方から市に対 して

活発な働 きかけが行われた。

1989年(平 成3年)、 上記建設検討委員会は、岩崎橋地区を多 目的 ドームの

建設地と決定 し、事業主体 として第三セクター方式を採用することが適切と報

告した。岩崎橋地区は、その大半は大阪ガスの工場敷地で、天然ガス導入以来、

かな りの面積が遊閑地となっていた。さらに残る部分は大阪市交通局(バ ス車

庫)と 関西電力の所有地であるところか ら、第三セクターとしての事業展開が

容易な地域であったといえる。

この選択は、藤井寺球場から本拠地移転を求められる近鉄球団にも納得でき

る地域であった。なぜなら、JR環 状線大正駅が近いこと、市営地下鉄線が延

長され ドームのすぐ前に駅が計画されていること(ド ーム開場後5ケ 月で実現)、

そして阪神電鉄の難波駅乗 り入れ計画(2005年 完成予定)が あ り、ここにも新

駅が予定されているなど、近い将来には市全域からの観客動員が期待できる条

件が揃っていたからである。

同年12月 、大阪市、関西電力、大阪ガスなどからなる 「岩崎橋地区開発協議

5

会」がつ くられ、翌年1月 「株式会社大阪 ドームシティー」が設立されること

によって、大阪 ドームの建設及び周辺地域の公園づ くりがスター トした。

大阪市の資料には、 ドームは 『市民の多 くの人々に娯楽 ・交流 といったうる

おいの場を提供するとともに、大阪の国際化、活性化、経済 ・文化の振興に寄

与する都市の中核的施設』4を 目的とし、また岩崎橋地区全体の開発 は 『都心

西部の活性化 と都市の東西軸 を強化する地域拠点 として、土地区画整理事業に

よる都市基盤整備に加えて、多目的 ドームを核としたシンボル性 ・アミニティー

の高い調和のとれた、まちづ くりを図る」5と され、 ドームが まちづ くりの核

となることが強調されている。

平成5年 完成 した福岡 ドーム球場 も、都市におけるまちづ くりの中核 と位置

づけられ第三セクター方式で建設 されたものであるが、その規模や実態は大阪

とはかなり違っている。福岡 ドーム建設は以下のような経緯で進められた。

福岡市は、市の北西部臨海地域13803haを1982年 から4年 間、1500億 円以上

の経費をかけ埋め立てた。第三セクター方式 を採用 して造 られた人工都市は

「シーサイ ドももち」 と名付けられ、当初は全面的に住宅専用用地 とするとさ

れていた。 しかし埋め立て事業が進むにつれて住宅需要の落ち込みが明らかに

なり、使用目的が変更され、最終的には情報産業やレジャーを含む 「まちづ く

り」がおこなわれることになった。そ して埋め立て地の12%に 当たる17haが

ダイエーに売却され、スポーツ ・レクリエーシ ョン施設用地として ドーム球場、

ホテルおよびゲームセンターなどの遊技施設からなる 「フォークスタウン」が

建設 されたのである。

地域全体を見ると、住宅3000戸(完 成後の人口は1万 人を見込んでいる)、

大学を含む学校施設、博物館、図書館、放送局等が建設され、 ドームのす ぐそ

ばには、1052室 の客室と4000人 収容のホールを持つホテルが隣接 し、また海浜

公園 もつ くられている。

福 岡 ドームは 「アジアに開かれた都市一福岡一」 というコンセプ トのもとに

4『 大阪市主要プロジェク ト1994」 大阪市1994

5『 大 阪都 市計画1996』 大阪市1996

6

福岡市全体の中に位置づけられてお り、小規模地域の 「まちづ くり」を目標 と

した大阪 ドームとはかなり様相が異なっているといえる。

集 客 装 置 と し て の 大 阪 ドー ム

1988年 完 成 の東 京 ドー ム は二 球 団 の フ ラ ンチ ャ イ ズ を持 っ て お り、 年 間 約

130試 合 が お こな わ れ て い る。 こ の 数字 は大 阪や 福 岡 ドー ム の2倍 で あ る が 、

東 京 ドー ム全 体 の 利 用 数 か ら見 る と40%に しか す ぎな い 。 コ ンサ ー ト、 集 会 、

モ ー タ ー シ ョーお よび展 示 会(利 用 数 の31%)6な どの利 用 に加 え て 、 そ の 他

に もア メ リカ ンフ ッ トボ ー ル 、 サ ッカ ー な どの ス ポ ー ッ イベ ン トが 開催 され て

い る 。 こ れ は ドー ム球 場 で は プ ロ野 球 の 使 用 が 中心 に な る もの の 、多 目的使 用

へ の 対 応 が そ の経 営 に 直 結 して い る こ と を示 して い る。

こ の先 行 事 例 か ら学 ん だ 大 阪 ドー ム は 、計 画 当初 か ら多 目的使 用 を 目標 に し、

人工 芝 を短 時 間 で 巻 き上 げ る装 置 、 移 動 式 の ス タ ン ド、音 響 効 果 向上 な どに対

す る設 計 が ほ ど こ され た の で あ る。

特 に注 目 され る の は 、 可 変 天 井 シス テ ム(72mの 天 井 部 分 を36mに 下 降 させ

る こ とに よっ て音 響 効 果 を高 め る装 置)や ウ オ ー ル カ ー テ ン(幅7.2~9m、

長 さ34~45mの カ ー テ ン をつ り下 げ る こ とに よ り空 間 を仕 切 る)で あ る。ス ポー

ッだ け で は な く、 舞 台 を使 用 す る音 楽 会 や シ ョー な どの音 響 と舞 台 装 置へ の 配

慮 が 加 え られ た の で あ る。

東 京 ドー ム は 「後 楽 園 」 の敷 地 内 に あ るが 、 ドー ム建 設 に と もな っ て 周 辺 整

備 は され た が 、 街 の 様 相 そ の ものが 大 き く変 化 す る とい う こ とは な か っ た 。 野

球 場 、 遊 園 地 、 イベ ン トホ ー ル 、屋 内遊 技 場 、 ス ケ ー ト場 な どを持 つ後 楽 園は 、

完 成 され た 遊 戯 施 設 で あ り、 ドー ム球 場 建 設 は野 球 場 の リニ ュ ー ア ル で あ った

とい え る。

これ に対 して 全 く新 規 な場 所 に建 設 さ れ た大 阪 ドー ム は 、 集 客 力 を高 め るた

め に ドーム 内 部 に本 格 的 な レス トラ ンを設 置 し、 ス ポ ー ッ観 戦 や音 楽 鑑 賞 と同

時 に食 事 も楽 しめ る設 計 を ほ どζ し、 ま た ドー ム 内 に は ア トラ クシ ョ ン施 設 、

6長 尾秀樹 「「サ ッカースタジアムの経営」を考える」月刊体育施設1998年5月 号p67

7

ゲームセンター、大阪市テーマギャラリーなど、博覧会様式の施設を加 え、イ

ベ ント以外での集客を期待する構造を持っている。さらに大阪 ドーム正面には

多 くの樹木の植わった公園が造 られ、数軒の レス トランや遊技場が配置されて

いる。これらの計画を総合的に見ると、大阪 ドーム建設は、集客 もさることな

がら、緑地の少なかった工場地域にうるおいを与える空間を提供しようとする、

あ くまでも地域開発一 まちづ くり一の構想で進められた事業であるといえる。

ドームのある大阪市西区は、市の中心から地下鉄で10分 ほどの ところに位置

しているものの、大阪の市民には工場地帯というイメージの強い地域である。

1960年 代から人口減少が見られ、現在、推計人口は59,642人(1998年5月 の調

査)、 一世帯人口2.1人は市内の平均より0.46人少 なく7、 人口密度の低い地域

であるといえる。

ドーム周辺地域は修理 ・製造業あるいはその部品を製作する小規模な企業が

多かった。しかし先に述べた技術改革による生産構造の変化 と大企業の移転な

どで、事業継続を懸念する事業者が多い。 ドーム建設に対 して、地域住民は、

大阪ガスの広大な工場跡地に ドーム球場ができることは、地域の活性化とイメー

ジアップにつながると考え、積極的にうけとめたのである。

大阪 ドームへのJR環 状線大正駅(ド ームまで徒歩6分)と 地下鉄九条駅

(ドームまで徒歩12分)が ドームへの最寄 り駅となっている。 ドーム開催 にあ

た り大正駅は改札口を改装 しエスカレーターを設置 した。しか し、JR大 正駅

前地域や地下鉄九条商店街は、すでに区画整理やアーケー ド設置をすませてい

たため、 ドーム建設にあわせての目新 しい街の変化は見 られなかった。

ドーム完成で積極的な行動を起こしたのは地下鉄九条駅前の九条商店街であ

る。個人商店の集合体である商店街の停滞が顕著である中にあって、ここも例

外ではな く、この商店街では 「青年部」や 「振興部」を作 り、商店街の利益確

保 ・向上の努力をつづけていた。 ドーム完成に商店街は素早 く反応 し、商店街

を 「バ ファロー通 り」 と命名 して近鉄バファロー球団を積極的に応援すること

7「 西 区広報」1998年6月 お よび 「九条新道西商店街街づ くり構想策定事業報告書 」九条新 道商店

街1994年5月 より抜粋

8

を表 明 、4月 に は ドー ム の入

場 券 を賞 品 にす るセ ー ル を、

また8月 には大 阪商業セ ンター

協 賛 で 「ドー ム で遊 ぶ4時 間

ス ペ シ ャル 」 とい う イベ ン ト

を開催 した 。

表1は 、 開場 初 年 度 の 大 阪

ドー ム の使 用 状 況 を示 してい

る。 プ ロ野 球 の公 式 戦 が66試

合 、 そ の 他 の ス ポ ー ツで の使

用 の 合 計 が91件 、 ス ポ ー ッ以

表1 大阪 ドーム使用状況(平 成9年 度)

日数 集客 数(千 人)

プロ野球 の公式戦

(近鉄 の試合

(阪神 の試合

(巨人 の試合

プロ野球 オープ ン戦 な ど

社 会 人 野 球

プ ロ レ ス な ど

コ ン サ ー ト

企 業 展 示 会 な ど

その他(宗 教式 典な ど)

設 営 ・撤 去 日

6

9

5

2

7

5

3

2

3

2

9

ρ0

「0

1

1

4

2

Qり

2117

1787)

240)

96)

120

215

116

461

910

495

合 計2674434

(大阪 ドームの資料 よ り作 成)

外 の コ ンサ ー トな どの使 用 が75件 、合 計168件 の使 用 が あ っ た 。 大 阪 ドー ム は

ス ポ ー ツで の使 用 が 全 体 の半 分 以 上 を しめ て い る の で あ る 。

他 の ドー ム の使 用 状 況 は ど うで あ ろ うか 。 野 球 だ け を比 べ る と東 京 ドーム は

330件 、 福 岡 ドー ム188件(い ず れ もプ ロ 以 外 の 野 球 を含 む)と なっ て い る。 二

球 団 を フ ラ ンチ ャ イズ に持 つ 東京 ドー ム が 、 当 然 な が ら高 い 数字 を示 して い る。

さ ら に先 に述 べ た よう に 、東 京 ドー ム は 多 くの コ ンサ ー トや 集 会 に 使 わ れ て お

り、延 べ 日数 か らみ た年 間使 用 率 が9割 を越 え て い る 。 他 の ドー ム と比 較 す る

と 、 こ の 数 字 は 、驚 異 的 とい わ ね ば な らな い 。

大 阪 ドー ム で は 本 番 で の使 用 日率(稼 働 日率)は46.0%、 福 岡 ドー ム で は

51.5%と な っ て い る 。設 営 や 撤 去 の た めの 会 場 使 用 が あ る の で 、 実 際 の 使 用 日

率 は これ よ り20%程 度 高 い 数 字 を示 して い る 。 い ず れ に しろ、 プ ロ野 球 で の使

用 は 当然 の こ とな が ら、 そ の 他 の イ ベ ン トや 集 会 の 回 数 にお い て 、 東 京 ドー ム

は きわ だ っ て い る とい え る 。(使 用 回数 は 、大 阪 ドー ム は 平 成9年 度 、 東 京 お

よ び福 岡 ドー ム は 平 成8年 度 実績 で あ る)

JR大 正 駅 の乗 降客 は 、 こ こ数 年1日 、5万6、7千 人 で 推 移 して い た が 、

ドー ム 開場 後 は 、平 均1万 人増 抑 し、1日 の 乗 降 客 は6万6千 人 とい う報 告 が

な さ れ て い る(JR西 日本1997年 の 資料 に よ る)。 こ れ は 開場1年 目で ドー ム

9

の"め ず ら しさ"が 作 用 して い た と考 え られ る。

地 下 鉄 九 条 駅 を利 用 す る ドー ム へ の 客 は、 九 条 商 店 街 を通 り抜 け て ドー ム に

到 着 す る 。 この 商 店 街 は 、1日 約7千 人 ほ どの 通 行 者 を 数 え526の 店 舗 数 を持

つ市 内 で も有 数 の大 規 模 な もの で あ る が 、 先 ほ ど述 べ た よ う に 、そ の経 営 状 況

は 良好 とは い え な い 。 とこ ろ が 、 ドー ム で イ ベ ン トが 開 催 され る 日 に は、 信 じ

られ な い ほ どの 人通 りが あ り、業 種 に よっ て は 開 店 以 来 とい う売 り上 げ を記 録

した商 店 も出現 して 、 そ れ ま で活 性 化 の方 法 を模 索 して い た 人 々 は 、 ドー ム 効

果 を改 め て認 識 し、大 い な る期 待 を持 っ た の で あ る 。

と こ ろが 、そ の5ケ 月 後 、 同年8月 、 「地 下 鉄 鶴 見 緑 地 線 」 が延 長 され 、 ドー

ム 前 に 「大 阪 ドー ム千 代 崎 駅 」 が 開設 さ れ 、 そ の結 果 、 地 下鉄 を利 用 す る ドー

ム 客 の ほ と ん どが この 駅 を利 用 す る よ う に な っ て しま っ た の で あ る 。 そ れ だ け

で な く今 まで 九 条 駅 を利 用 して い た地 元 の 人の 中 に も通 勤 や 買 い物 の た め に新

線 を利 用 す る人 が 多 くな った 。 新 駅 完 成 後 、商 店 街 は ドー ム を 中心 に した活 性

化 策 の 見 直 し を よ ぎ な くされ て い る。

先 行 す る福 岡 ドー ム の ス ター トは好 調 で あ った 。 九 州 経 済 調 査 協 会 の ま とめ

に よる と、初 年 度(93年4月 か ら94年3月 まで)の 集 客 力 は野 球 観 戦 に308.7

万 人 、 コ ンサ ー ト ・展 示 会 等 に391.3万 人 、 ドー ム 内 レス トラ ン等 に400.0万 人 、

合 計900万 人 が ドー ム を訪 れ た と され て い る。 ドー ム来 訪 者 は複 数 の 施 設 を利

用 して い る の で 、人 数 に はか な りの重 複 は あ る だ ろ うが 、西 日本 で初 め て で き

た ドー ム は強 力 な集 客 力 を持 っ て い た とい え る 。 プ ロ野 球観 戦者 数 に お い て 、

パ ・リ ー グ の他 球 団 が 観 客 を減 らす 中 で 、 同年 は ホ ー ク スが 最 下 位 で あ っ た に

もか か わ らず 、 前 年 度 比46.8%増 の 動 員 数 を示 した の で あ る。

また 上 記 報 告 は、 ドー ム関 連 需 要 の241億 円 か ら推 算 し、 福 岡 市 に509億 円 の

波 及効 果 が あ った と して い る。 同 時 期 に建 設 され たハ ウ ス テ ンボ ス(長 崎)、

ス ペ ー ス ワー ル ド(小 倉)、 そ して福 岡 ドー ム の 三 カ所 をお とず れ る 旅 行 が 九

州 だ け で は な く四 国 、 中 国 地 方 の 人 々 に も人気 を博 した 。福 岡市 の ドー ム に よ

る まちづ く りは全 国 の注 目を集 め た の で あ る8。

8八 尋和郎 ・加峯隆義 『福岡ドームの地域社会への影響』九州経済調査協会1994年5月

10

開設当時の福岡 ドームは単なるスポーッやイベ ントの場ではなく、観光地 と

して受けとめられていたことがわかる。 しか し現在は集客力の著 しい低下にみ

まわれている。全国的な不況の影響だけとはいえず、観光 と組み合わせたまち

づ くりの限界と、野球を中核 とした ドーム経営の困難 さが現れているといえる。

「第三セ クター」 とスポ ーツ施設

大阪 ドームも採用 した第三セクターと呼ばれる事業形態の基本理念 と現状に

触れてみたい。

第三セクターとは 『公共部門(第 一セクター)や 民間の営利企業部門(第 ニ

セクター)か ら相対に独立 した民間非営利部門のことを指す』9事 業であ り、

公共団体や民間の資金や寄付あるいは援助で造られた施設 ・事業を非営利団体

が引 き受けて公益、公共、社会的利益のために経営するというのが元来の姿で

あるとされている。

我が国に第三セクター方式が登場 したのは大正時代であるとされているが、

事業形態 としては明確な位置づけはなされてお らず、それが明確化するのは

1973年 、「経済社会基本法』が閣議決定されてからである。それ以降 「公共部

門と民間部門との混合方式によって設立された事業主体』1。で、 自治体 と民 間

とがそれぞれの長所をだし、欠点を補いながら事業を進めるこの 「第三セクター

方式」が採用 され、半公共、半民間事業が積極的に行われるようになったので

ある。

ところが、地域開発やまちおこしが全国的にブームになる中で、"官"は 企

業に資金提供 を求め、企業側は建設 ・開発への許可 ・認可の簡易さを期待する

という関係が生 じ、業績を求める 「官」の、 リス トラや新規企業開発などの経

営の多角化戦略の一環と受け取る 「民」の、お互いのマイナス部分が結合する

第三セクター事業が表面化 して きたのである。

公益性や公共性という概念がはっきりしないことか らくる拡大解釈のもとで、

9広 瀬龍夫 「公社 ・第三セ クターの改革課題」 自治体問題研究社1997年7月p21

10出 井信男 「第三セ クター ビジネス」 日刊工業新聞社1990年11月p34

11

利潤の期待できる、あるいは利潤 を求めなければ経営できない地域開発や観光

開発 までもが第三セクター事業 という名目で進められ、「総合保養地域整備法」

(通称リゾー ト法)の 制定された1987年 以来、この傾向が ます ます顕著 になっ

たのである。

官 ・民の出資比率についてはどうであろうか。自治省によると、第三セクター

とは 『一つの地方公共団体が25%以 上出資 している法人』(自 治省 「地方公社

の現状」1993年)と 定義されている。 しか し、『自治体の出資で設立 されてい

るにも関わらず、第三セクターでないものがあ り、その区別がなが らくきちん

となされてなかったことが、第三セクターとは何かについて素朴な混乱に拍車

をかける結果になったことは否定できない』11との指摘にあるように、その出

資基準すらあいまいになってしまっているのが実態である。

スポーッ施設 も第三セクター事業で建設 ・運営されているものが多い。 『行

政は規模の大 きな施設を計画し、市民は小規模な施設を希望す る』12という傾

向があるといわれている。大 きな施設はビジネスチャンスを狙 う企業にも好都

合であ り、官と民とが結び付いた、市民無視の施設が数多 く建設 されることに

なるのである。

行政の方針に従って企業は緻密な建設計画を提出する。ところが、完成後の

経営方針や経営見通しについては、理想的な姿が書かれているだけで、現実を

ふまえた経営予測などはなされていない。行政も企業 も完成のみが目標であり、

その後の運営に配慮がないのが現状である。

先に触れたように、スポーッ施設全体を眺めると公的に建設された多 くの施

設が有効に機能していないといえる。選手権大会のために建設された施設や競

技場は、当初の目的のイベ ントが終了すると、地元あるいは管理運営財団に引

き渡されるのだが、その運営難は必至 というのが現状である。大会期間以外の

日常の使用には立派すぎるという施設の構造や設備の問題 もあろうが、「スポー

ッ施設建設と運営の不連続性」が、すなわち 「建設 し大会を開けばそれで終り」

11広 瀬 龍夫 「公社 ・第三セク ターの改革課題」 自治体問題研 究社1997年7月p19

12中 山徹 「文化 施設 ・スポーツ施設を どう考えるか』おお さかの住 民 と自治1998年5月 号p16

12

という姿勢に原因があるといえる。体育館に附帯する トレーニング施設を 「ラ

ンニングコス トは体育館側の負担」 という条件で民間委託している施設もある。

建設後の利用を考えない計画がこのような状況 を招いているのである。

第三セクター方式で進められた地域開発破綻のニュースが伝えられている。

土地造成、観光開発などの巨額な事業だけが取 り上げられているようであるが、

スポーツ施設にも多 くの懸念がつ きまとっている。経営の行 き詰まりの原因を

景気変動に求めるむきもあるが、構造的な問題があることを見逃してはならな

いo

「ま ち づ く り」 と ドー ム 球 場

こ こ数年 まち づ く りの 方 向 が 変 化 して い る。 以 前 は、 古 め か しい街 で はな く、

す っ き りと通 っ た 広 い 道 路 、 高 層 ビ ル と シ ョ ッピ ングセ ン タ ー 、健 康 で文 化 的

な 暮 ら しが 可 能 な、 い わ ゆ るニ ュ ー タ ウ ン と呼 ば れ る街 を め ざ して大 開発 が お

こ なわ れ て い た 。 帰 宅 前 に食 事 や シ ョッ ピ ン グ セ ンタ ー 、健 康 づ く りの ジ ム の

あ る タ ー ミナ ル を利 用 し、 そ こか ら少 し歩 くと住 居が あ る とい う街 が理想 であ っ

た 。 と ころ が 理 想 的 で あ った はず のニ ュ ー タ ウ ンか ら 「住 み やす さ を求 め て」

他 所 に移 動 す る住 民 が 目立 つ よ う に な っ た の で あ る 。 こ れ らの動 きが 、 これ ま

で の ま ちづ く りに反 省 を促 した 。 そ の結 果 、今 ま で の まちづ く りの 『都 市 と し

て 玄 関 口 を整 え 、表 通 りを形 成 す る こ とに 力 点 を 置 い て きた 』 の が 、 『玄 関 よ

り居 間 を大 切 に』 とい う発 想 が で て きた の で あ る13。

す な わ ち 、建 物 や 道路 な どの ハ ー ドが 中 心 で 、 完 成 す れ ば 事 業 は 終 了 とい う

もの か ら、住 民 を考 え た 、住 民 の た め の まち づ く りが 、 あ ち こ ちで 実 現 して き

た 。下 町 の 良 さを生 か し、色 々 の 世代 や 職 業 の ひ とび とが 生 活 し、 生 活 しなが

ら作 り上 げ て い く、 街 と して は 未 完 成 の まち づ く りが提 案 されて きた ので あ る。

現 代 の都 市 で の まちづ く りに は 『文 化 の 変 容 の パ ター ン と して 人 が 新 しい こ

とを考 え る と きに は 、異 文化 、 歴 史 、 民 衆 知 に学 ぶ 方 法 に加 えて 、 何 か や って

い る うち に 出 て くる か も知 れ な い 、 シ ッチ ャ カ メ ッチ ャ カの う ち に新 しい もの

13高 田昇 「まちづ くり実践講座」学芸出版社1991年4月p25

13

が 出 て くる 。 こ れ を あ え て カ リフ ォル ニ ア 文 化 と言 い た い 』14と い う意 見 が 、

決 して乱 暴 で も責 任 放 棄 で もな く、 非常 に大 切 な視 点 で あ る と受 け とめ られ て

お り、 ま ちづ く りを建 築 家 な どの専 門家 に任 せ て お くの で は な く、 住 民 もそ の

中 に加 わ っ て 、お 互 い に意 見 を だ しな が ら 「進行 して い くま ちづ く り」 が 実 践

さ れ て い る の で あ る 。

表2は ドー ム の あ る九 条 地 区 の 人 口動 態 を示 して い る 。1960年41,631人 を 最

高 に減 少 を続 け 、1985年 に は24,114人 と最 低 に な った が 、1990年 に はや や 回 復

の きざ しを見 せ た 。 世 帯 数 は1980年 を最 低 に90年 に は1万 世帯 を数 え 、 戦 後 最

高 に な っ たが 、世 帯 人 数 は年 ご と に減 少 し90年 で は2.5人 とな っ て い る'5。

表2九 条地域 の人口 と世帯数の変化

1950 1960 1970 1980 1990

人 口(人)273614163131472

世 帯 数690598158786

世 帯 構 成 人 数4.04.23.6

2443024902

835110129

2.92.5

(『九条新 道西商 店街街 づ くり構想 策定事 業報告』1994年 よ り作成)

大阪 ドーム周辺人口は1960年 をピークに減少するが、80年 以降は増加傾向を

示 している。世帯構成人数の減少は、人口の増加があっても止 まっていない。

これは単身勤労者の流入と、元々地域に居住 していた高齢者が単身生活者に移

行 していることが影響 していると考えられる。

バージェスの 「同心円構造論」で説明される都市の空洞化が生 じているもの

の、スラム化などが見られない点で同質ではない。我が国では階層的住みわけ

が顕著でなく、それだけにまちづ くりに困難さは少ないといえる。

また池上は、当時の多 くの社会学者が空想にしか過 ぎないといったJ・ ラス

キンの 「生活の芸術化」を評価して、『芸術文化 を創造 しようとする団体や個

人と地域で芸術文化を鑑賞する能力を高めようとする人々を自治体がコーディ

ネー トして、両者の潜在能力を引出す』ことが、従来地域の振興において有力

14栗 田靖之 『21世紀 の都 市像シ ンポジューム報告書」1993年3月

15前 出 『九条新道西 商店街街づ くり構 想策定事業報告』 より抜粋

14

であった 『製造工業を誘致 して、従来の伝統的な繊維産業や農林業に代わる産

業を育成する』という考えにとってかわることによって、地域社会が文化的な

社会に変貌できる可能性をもつ としている。16

ドーム地域では、工場の移転や市営交通機関の延長や整備が居住地域 として

の環境と便利さをもたらし、この地に移 り住む若者が増えている。また昔から

居住 している人は、住民同士の付き合いも都会的に洗練されてきている。この

状況は池上の言う 『潜在的な能力を引き出す』可能性が期待できるであろう。

増加した人口の多 くは、家族を持たない単身の居住者であると推測されるが、

これらの人々は、定住意識が希薄な無関心派であっても、「楽 しむこと」 にお

いては対応 を心得た 「都会人」であるからだ。

ドー ム球 場の経営

ドームをはじめ野球場やサッカー場の主たる収入は、会場使用料、会場内の

広告料、競技開催中の飲食などの物品販売利益か らなっている。大阪 ドームの

場合は、これらに内部のレス トランや遊技場のテナン ト料(営 業成績からの歩

合制)が 加わる。プロ野球の会場使用料は、入場券収入の25~30%と されてい

るが'7、いずれにしても、大阪 ドームの経営は、年間70数 試合お こなわれるプ

ロ野球の観客動員数に左右 されるといえる。近鉄球団の人気が上がれば、入場

者が増え、食品、飲料、グッズなどの売 り上げも伸 び、場内広告料も年間予約

座席契約数も上昇するということになる。

大阪では近鉄 ファンは少数派である。今回の聞き取 り調査でも近鉄ファンに

は会えなかった。大阪 ドームの関係者のなかにも近鉄球団の属するパ ・リーグ

全体の観客動員力の低 さを嘆くむきもある。 しか し大阪ではただ一つのプロ野

球球団である近鉄には、ファン拡大の可能性は十分にある。その第一歩として

は周辺地域へのサービスが必要である。 ドーム建設に対してバファロー通 りと

名付け年間予約席 を購入 した商店街の反応 を大切にしなければならない。近隣

16池 上惇 『文化経済学のすす め』丸善 ライブラリー平成3年p10417長 尾秀樹前掲論文p67

15

住民への各種入場料割引サービスを(団 体割引や入場時間による割引など)実

施 し野球観戦者を増やすことがまず第一である。次に大切なことは ドーム自体

が宣伝活動を活発に行うことである。 ドームでのイベ ントをより多くの市民に

知らせることが必要である。

ドームの存在意義は、すなわち大阪 ドームがまちづ くりの核 として、ひいて

は文化の発信装置として成立できるかどうかは、 ドームが集客装置 としての機

能をどれだけ発揮できるかにかかっているのである。

大阪 ドームと まちづ くり

70年代からコンピューター導入による生産技術革新や交通網の発展は、工場

生産部門の他府県への移転あるいは東京への一局集中を招き、大阪や名古屋 な

どの大都市を"地 方都市化"さ せ、特に都心部での高齢化や過疎という社会問

題を引 き起こしている。このような状況でのまちづ くりは、『人口減少や高齢

化 も、衰退化問題に引 き付けたマイナス現象 としてだけとらえるのではなく、

中高年の熟年世代や、その大都市生 まれの新世代の新 しい質の人口を与件とし

た、成熟する大都市像へとつなげていく』18ことも一つの選択である。

若林は、『都市を語る手段は行政論的なもの、都市計画論的なもの、革命的

なもの、神学的なもの、文学的なもの、ジャーナリスティックなもの等々と多

岐にわたっている…中略…都市を語ることで近代とい う私たちにとって現在を

語ろうとしてきた…中略…都市はそれをめ ぐって様々な思考と言説がお りなさ

れるが、直接思考 し、語ることのできない虚の焦点のような場所である』とい

い、さらに 『もはや特定の定住空間の内部に固有の政治社会や経済社会を組織

するような、「場所」に依拠 した形式をもった社会 としての都市は存在 しない』

という。'9

この意味で、今回調査 した地域においては、長年都市生活をしている住民は

十分に 「都市化」 しているし、近年 ドーム近辺に増加 した単身勤労者は文化を

18奥 田道大 「都市型社会の コミュニテ ィ』勤草書房1993年4月p216

19若 林幹夫 「熱い都市冷たい都市」弘文堂1992年4月p22

16

享受する都市生活の方法を身に付けている。人との付 き合いも仕事や居住地域

に密着 しているのではなく、地理的距離を越えたところで、それぞれの生活場

面にふさわしい、必要な関係を持っている 「都会人」である。

このような都市にあっては、まちづ くりの組織 をつ くる場合は、既存の自治

会や町内会などの隣組 とは別な組織 をつくることが望ましいし、地域の居住者

以外 もメンバーに加えてもよい。さらに一般住居 と会社 とが混在 している地域

では、法人の加盟 も新 しい方向を生み出す力とな り得る。大阪 ドームが地域の

組織に 「隣組」として参加 しているのは、新 しいまちづ くりの第一歩 といえる。

自ら近代化を進めてきた都市は、通信や交通手段の発展で超近代的にその姿

を変えている。超高層 ビルが立ち、アミューズメント施設のあるプロムナー ド

ができ、巨大な水族館がつくられる。都市生活者はこれを平然と受け止め、付

き合い、自らの生活の中に取 り入れている。

『明らかに近代都市 とは異なるポス トモダンな都市状況』20のなかに作 り出

された、短時間の間に五万人の客が集まり、そして去ってい く巨大な器の ドー

ム。ポス トモダンともよばれる状況で、超近代的な建物 と地域が関わ りあえる

かどうかは、地域住民はもちろんのこと、 ドーム自体にも未知数である。しか

しこれは両者にとって、超近代への新たなかかわ りの始 まりであるといえる。

引用参考文献

池上 惇1991『 文化経済学 のすす め』丸善 ライブラ リー

井上俊他編1996『 岩波講座現代社会学 ・都市 と都市化 の社会学 』岩 波書店

奥 田道大1993『 都市型社会 のコ ミュニティ』勤草書房

オモ ー 一グベ ール著永 島他訳1997『 文化 としてのスポーツ』 ベースボール ・マガジ ン社

鈴木廣他編1985『 日本 の社会(7)都 市』東京大学 出版会

鈴木廣他編1997『 まちを設計す る』 九州大学 出版会

高橋勇悦他編1995『 今 日の都市社会学』学文社

鶴見俊輔他編1988『 祭 りとイベ ン トのつ くり方』 昌文社

出井信夫1990『 第三 セクタービジネス』 日刊工業

20吉 見俊哉 『都市 と都市化の社会学』岩波書店1996年7月p242

17

寺尾誠編著1996『 都市 と文 明』 ミネル ヴァ書房

土肥健夫1991『 リゾー ト再生 と地域振興 』学芸出版社

中川 理1996『 偽装す るニ ッポ ン』彰国社

成瀬 龍夫1997『 特 集公社 ・第三セ クターの改革課題』 自治体研究社

松 田義幸1996『 スポー ッ産業論』大修館 書店

森川 洋1998『 日本 の都市化 と都 市 システ ム』大明堂

矢崎 武夫1962『 日本都 市の発展過程 』弘文堂

吉見俊哉1987『 都市 の ドラマ ツルギー』弘文堂

吉見俊哉1994『 メデ ィア時代 の文化社会 学』新曜社

若林幹夫1992『 熱い都 市冷たい都 市』弘文堂

資料提供 やイ ンター ビューに応 じていただいた、大阪 シティー ドーム安藤 茂男 様 、 大

阪ガス岩崎開発株 式会社 木村 晃光様 、九条駅前商店街振興組合谷井賢 一様 、島下英 三様、

そ して関西総合研 究所 、大阪 自治体 問題研 究所の各位 にお礼 申 します 。