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2010/6/17
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業務連絡
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歴史地理学:過去の景観と世界観
地理学概論Ⅰ 現代人文地理学の動向 第10週
歴史地理学における過去
歴史地理学
現在を形作った過去を対象とし、過去の地表面における様々な現象、地表面についての認識を研究
歴史学=過去の社会の解明のために地表面を分析
歴史地理学=過去の地理的事象・地理的認識や、地理的事象と社会と 相互関係 解明を目指す象と社会との相互関係の解明を目指す
研究領域
①現実の世界(実在的世界)→歴史地理学の主流
②認識上の世界(主体的世界)→過去の人間にとって意味のある風景・場所、無意識の世界観
③抽象化された世界→過去の空間的モデル(GIS)
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景観復原の基本的視角
現実の世界の研究、特に前近代の景観復原研究
景観=都市や農村の風景、自然に限らず人間の手が加わった風景。景観が形成される背後には経済・社会・政治・歴史的プロセスが存在。
特定の一時期における景観(時の断面)を一定の範囲で切り出し、その形態を復原する
景観史研究
一枚一枚の「時の断片」を復原しつつ、個別の景観要素の形態と機能の変化を統合的・動態的に捉える
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景観復原の方法(1)鎌倉時代の東国の都・鎌倉の景観変遷研究(山村2009)12世紀末に源頼朝が幕府設置
14世紀半ばまで約150年間、武家政権の首都
景観要素に関する情報の収集
御所、政所、御家人屋敷、寺社、市、町
信憑性の異なる多種多様な歴史資料を網羅的に収集、各要素の存在時期と位置を確認・推定
一種の「住所録」作成
時の断面を設定→復原図作成
①源氏将軍期(1180~1225年)
②執権北条氏の権力確立期(1226~1247年)
③北条氏の権力安定・衰退期(1248~1333年)
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①源氏将軍期 北側の広い谷を東西に通過する六浦(むつら)道沿いと平野を取り巻く多数の谷の中に諸施設が分散
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②北条氏権力確立期 鶴岡八幡宮から南に延びる若宮大路とその周辺の平野中央部にも御家人邸や町が展開、景観が変化
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③北条氏権力安定・衰退期 前時期と同様の景観変化が見られるが、周囲の谷に相変わらず寺社や御家人邸が分散立地、新たに若宮大路周辺と平野部に都市化が進行
景観復原の方法(2)景観変遷のプロセス把握
時の断面の厚み→景観変遷の動態把握を困難
街路形態の形成・変遷プロセスの検討
①の時期=東西道(六浦道)と二本の南北道(小町大路と武蔵大路)、若宮大路は敷設されていても市街化せず
②の時期=若宮大路と小町大路の間に幕府施設・御家人邸が建設、不規則な小道形成
③の時期=市街地は稠密化、高密度な敷地利用を示す街路「辻子(ずし)」が確認
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景観復原の方法(3)地籍図の利用
②、③の時期の急激な都市化は近代初期の地籍図で確認できる
地籍図=明治前半期における地租改正事業にともなって全国規模で土地登記台帳の付図として作成される
筆界(田畑・敷地の一区画の境界)、地番界、字界(江戸時代までの村・集落の境界)、地番、地目(土地利用)、地名(小字・大字名)
近代初期における地理情報を全国規模でほぼ同じ水準で記載する
古い過去における景観の一部が地籍図に何らかの痕跡を残している
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地籍図(地券取調総絵図 明治6年)
景観復原研究を活かす
他地域の景観を比較→景観の類型化・一般化
近世日本の城下町(矢守1970、1988年)
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3D・CGによる城下町の復元
金沢城下町や小田原城下町での試み
戦国期から江戸時代にかけての地方中心都市
高度経済成長期以後人口流出、都心空洞化→発掘・遺構調査→城下町の地理的構成が明らかに
既存の城下絵図類と対照→城下町を三次元的に復原
GIS(地理情報システム=来週のテーマ)・グーグルアース・CGを用いた復原研究の例(建築学系)
景観シミュレーション→住民のアイデンティティ
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城郭町
場
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大坂市街図(1655)=城下町の地域制
武家地
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姫路之図(1761年)
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http://www.odawaracastle.jp/search/label/1.このプロジェクトについて
3D・CGによる城下町金沢の復原(2)景観構成要素(ゼロ次元=点)
城、武家屋敷、足軽屋敷、町屋
城下町の空間構造(一・二次元=線・面)
城下町身分別地図のデジタル化=街路網・宅地割など線情報抽出
地域制 都市内 計 的 機能的分化 古地 (延宝城地域制=都市内の計画的・機能的分化←古地図(延宝城下図、安政町絵図、明治町図)使用
建物モデリング(面情報を三次元化)
景観要素それぞれについて現存家屋・敷地形状を元に立体的に復原→各地区(地図上)に配置、樹木など実写化
ストリートビューも再現
城下町CG(空間的モデル)の現代的活用
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では、ちょっと視点を変えて
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地図の思想性(1)私たちの思い浮かべる「世界図」
太平洋が真ん中、日本が赤く示される
科学性や実用性を備えている
大航海時代を通じて「未知の大陸」が消滅、それに従い地図上に想像上の世界を描くスペースも消される
測量や投影法の技術・理解の進展→正しい図が求められる=思想性や芸術性は表に現れない
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自国を赤にする、経緯度や投影法を重視する科学至上主義
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地図の思想性(2)認識の主体
異なった地域・文化圏の間では、あるいは同一の地域・文化圏であっても地図の描き方が異なる=個人や集団間での差異
地図について語るとき「誰の認識・知識であるか」検討が必要
「読者」を想定した「作者」の表現行為
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地図からみる世界の認識(1)バビロニア粘土版世界図
紀元前600年頃
メソポタミアを中心にしてバビロニア人が描いていた地理的世界像を表現
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塩からい川
英雄のみ到達できる極限の地
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バビロン
ペルシャ湾
ユーフラテス川
い川
地図からみる世界の認識(2)仁和寺蔵の日本図
最古の日本図、嘉元3年(1305)作奈良時代の高僧行基(668~749年)が作ったという伝承から「行基図」とも呼ばれる
俵型に「国」を書き連ねる
日本が密教の装具である「独鈷(とっこ)」の形をしていると信じられていた
↓国土理解に密教(仏教)が強く影響
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左:大日本国図『拾芥抄』 天文17年(1548)
地図からみる世界の認識(3)金沢文庫本日本図
仁和寺本とほぼ同時期
異域の表現
「高麗」、「新羅」(当時存在せず)
「雁道」(城ありといえども「雁道」(城ありといえども、人にあらず)
「羅刹国」(女人あつまり、来る人還らず)
→江戸時代まで表記
日本人の世界観、想像世界の中に「実在」
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江戸時代に流布した世界図(1)18世紀中ごろまで
仏教系世界図
仏教的な世界観に基づく
世界の中心は「須弥山(すみせん)」、その南に人間が居住する大陸「瞻部州(せんぶしゅう)」=逆三角形
世界の4大河川の源流である「無熱悩池」が中央に書かれている
周囲にはヨーロッパ、アメリカ大陸表現=仏教的世界観にない世界も苦心して表現
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南膽部洲万国掌菓之図(1710年)
江戸時代に流布した世界図(2)リッチ系世界図
ヨーロッパ・中国からもたらされる
イタリア人イエズス会士マテオ・リッチ(1552~1610年)が中国で作成した『坤輿万国全図』系統の地図
太平洋・中国が中心=現在の世界図の起源
南極周辺に「未知の大陸(テラ・インコグニタ)」
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利瑪竇 坤輿万国全図(1602年)
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石川流宣 万国総界図(1688年)
江戸時代に流布した世界図(3)18世紀後半
蘭学系世界図
ヨーロッパからもたらされた地図を基礎とする
不分明な「未知の大陸」描かず、分明なる地域を公開や測量の成果から正確に描く→地図の精度・科学性
前二者とは比較にならないほどの正確さ
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司馬江漢 和蘭考成万国地理全図照写江戸時代後期写(ブラウ「世界図」1678年刊第4版)
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高橋景保 新訂万国全図(1816年頃)
地図に表象される世界
景観復原のツールよりも、歴史的世界観を表現するテキストとして→解読の面白さ
想像・伝承から実測図に基づいた科学的地図へ
想像・伝承→作成者・作成時代の世界認識反映
地図の精度の高まり→地理的知識・技術の国際的伝播
国内外でのダイナミックな知識の流通が存在
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まとめ
歴史地理学
現在を形作った過去を対象とし、過去の地表面における様々な現象、地表面についての認識を研究
①現実の世界(実在的世界)→歴史地理学の主流
②認識上の世界(主体的世界)→過去の人間にとって意味のある風景・場所、無意識の世界観
③抽象化された世界→過去の空間的モデル(GIS)歴史地理学と地図資料
景観(過去の現実世界)復原の素材
過去の人々の想像した世界(コスモロジー)の表現
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