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イ タ リ ア と 日 本 の 地 域 再 生 ま ち づ く り : 継 承 と 再 生 デ ザ イ ン に 関 す る 研 究
— 土 地 や 暮 ら し に 敬 意 を 払 っ た 設 計 を 目 指 し て —
建設工学専攻 ( 修士課程 )
建築設計研究
me12035 近藤 裕里
指導教員 堀越 英嗣
序章 本研究に関して
0-1. 研究背景
3.11の東日本大震災の被災地では、大地震と津波による壊
滅的な被害を受けた沿岸部の一刻も早い復興が望まれ、道
路の新設や宅地造成のための森林伐採が進められている
が、それらは震災前の集落の記憶を無視した計画であった
。漁業ボランティアでの漁師さんとの対話を通して、更地と
なった沿岸部で場所の記憶を頼りに様々な思い出を語る被
災者の姿を目の当たりにした。さらに2009年に被災したイタ
リア・ラクイラへの研究留学を通して、日本と同じく地震国で
あるイタリアにおける土地の歴史性やそこで生活する人々
の意向を最優先に考えた計画事例を学び、日本で進められ
ている土地に根付く記憶を消し去り、それらの記憶を軽視し
て進められる復興計画や地域再生計画が、地域住民に愛さ
れるまちづくりとしてふさわしいのだろうかと疑問を抱いた。
0-2. 論文の目的と方法
本研究は、日本の復興計画や地域再生計画を見直すべく、復興計画を完了したイタリアと日本の集落を研究し、移転前後の新旧市街で行われた継承・再生デザインが、どのような手法を用いてその地の歴史性を継承しているのかを理解する。さらに、それらの研究から得られた知見が、日本の地方都市で問題となっている地域性の損失や歴史継承デザインを考える上でも、非常に重要な研究となるのではないだろうかと考えた。本研究を生かして、災害復興デザインに限らず日本の地方都市における地域再生デザインを見直すことを目的としている。研究を進める方法として、まず、イタリアと日本の復興都市・集落の中から、震災前後におけるまちの位置関係が大きく異なるものを抽出する。具体的には以下の3種類である。①全村移転(旧市街から移転した新市街が見えない)②近隣移転(旧市街から移転した新市街が見える)③既存活用(居住地の移転はせず旧市街に継続して生活)上記3種類のような復興計画を進めた事例として、イタリアと日本で以下の6つを調査対象地とした。①全村移転:シチリア州 トラパーニ県 ジベリーナ市②近隣移転:シチリア州 トラパーニ県 ポッジョレアーレ市③既存活用:シチリア州 トラパーニ県 サレミ市④全村移転:新潟県 小千谷市 東山地区 十二平集落⑤近隣移転:新潟県 長岡市 山古志東竹沢 木籠集落⑥既存活用:石川県 輪島市 門前町黒島町各都市の歴史的背景や旧市街の都市空間、住まいなどの都市構成に加え、震災後の対応や被害状況を把握した上で、国家計画や都市の移転方法を知る。その後、現地調査や聞き込み、文献調査をもとに、新旧市街で実行された復興計画を調査・分析し、新旧市街における都市空間・建築・歴史的デザインの震災前後での相違を理解する。そして、それらの研究や考察を踏まえ、ケーススタディとして里山の地域再生まちづくりを試み、具体的な展開方法を示す。
こんどう ゆり
1-2. イタリア・ジベリーナ市について
農村都市であったジベリーナ市は、地震による建物の倒壊率が100%であったため、旧市街から約15km離れた場所に全村移転した。廃墟として残されていた旧市街の区画を生かしてランドアートとして埋め固めて保存するが、訪れる人はほとんど居らず、地元住民にとって巨大な墓のような存在になっている(fig.1)。全く愛着のない土地でこれまで生活していた都市構造や建築と全く異なる計画で作られた巨大な新市街に住民は愛着を抱く事が出来ず、移転先での生活が始まってからも、人口減少や高齢化が問題となっている。
1-3. イタリア・ポッジョレアーレ市について
同じく農村都市であったポッジョレアーレ市も倒壊率100%であったが、旧市街から近い場所に新市街を建設する近隣移転の道を選んだ(fig.2)。新たに建設された新市街はジベリーナ市と同様にこれまで生活していた土地の地域性を継承しなかったことから、多くの住民が離れてしまっている状況にある。しかし同市には、旧市街に愛着を持つ人が多く、震災から43年経過した2011年より旧市街に当時の姿のまま残る震災の爪痕を生かした再生計画が進められ、再び旧市街に人を呼ぶための様々な活動が行われている。
1-4. イタリア・サレミ市について
地震による倒壊率が48%に収まったサレミ市は、既存の旧市街を修復・改修し、再び旧市街での生活を続ける道を選んだ。この市では、建築家アルヴァロ・シザやロベルト・コローヴァによる既存のまちを丁寧に読み取りながらの再生計画が進められた。彼らは個々の建築物の修復に限らず、街路や階段、街灯に至るまで都市の要素全てに敬意を払った設計を行っており、現在でも地元住民に愛され続ける都市となっている。また、地元住民は勿論まちを訪れるすべての人がこの地の地震の記憶を共有し認知してもらえるよう、倒壊時の姿を留めながら改修された建物もいくつかあり、復興のシンボルとして残されている(fig.3)。
1章 イタリアの復興都市1-1. ベリーチェ地震
1968.1.15シチリア西部のベリーチェ渓谷地方をM6.4の地震が襲い、死者約370人、重軽傷者約千人、避難者総数約7万人にも及ぶ大きな被害を受けた。調査対象地である3つの都市は同地震の被害を受けたが、都市ごとに被害状況が異なったため、復興計画にも大きな違いが見られた。
2章 日本の復興集落2-1. 新潟県中越地震と能登半島地震
イタリアよりも地震に対する経験値の高い日本では、どのような復興計画が取り組まれてきたのだろうか。2章では、日本の3つの集落の復興計画について論じる。分析対象地は2004.10.23に新潟県中越地震(M6.8)の被害を受けた2つの集落と、2007.3.25に発生した能登半島地震(M6.9)の被災集落である。
2-2. 新潟県十二平集落について
十二平集落は倒壊率約90%の被害を受けた。新潟県中越地震において旧集落からの全村移転を試みた数少ない集落のうちの一つで、約13km離れた小千谷市の農地を造成し、より生活や交通に便利な土地に集団移転した。旧集落跡地から住人が消え、荒れ地となることを避けるのと、集落存在の歴史を継承するため、住民主体でじょんでぇら桃源郷プロジェクトが行われた。住民自ら協力し合い、環境整備
fig.1 旧市街跡地 fig.2 新市街と奥旧市街 fig.3倒壊した教会の再生
活動や住戸跡地に記念碑の設置等様々な活動が行われている(fig.4)。ジベリーナやポッジョレアーレ市と同様に、出来上がった新集落には旧集落の要素は殆ど継承されていないものの、移転した住民達は震災をきっかけに新集落での便利な生活を求めるようになったため、他の2都市の状況とは異なり、移転先での生活にも不満はなく、生活している。
2-3. 新潟県山古志東竹沢木籠集落について
山古志の木籠集落では、地震と共に発生した土砂ダムによって集落が水没し、倒壊率100%もの被害を受けた。水没した旧集落跡地は、住民達が倒壊住戸の撤去を求めたにも関わらず、現在も土に埋もれた震災当時のままの状態で残されており、訪れた人々に地震の被害の大きさを物語っている(fig.5)。また、被災の爪痕を残し観光地化することで、直売所や宿泊所の設置など新たな産業を生み出す事にもつながった。木籠の新集落は、旧集落内を見下ろす高台に建設された。山古志に伝わる中門造を生かした山古志らしい集落の建設を描いていたが、実現したのは一部の住戸のみとなっている。しかし、実現した中山間地型復興住宅は山古志の住まいの建築的要素や人々の住み方、生業など様々な事柄に敬意を払って設計されており、新集落を作る際に参考にするべき点がたくさんあった。
2-4. 石川県門前町黒島町について
倒壊率100%の黒島町だが、復興と共に伝統的建造物群保存地区の指定を目指し、古くから継承されてきた要素を抽出し、建物設計の際のデザインルールを定め、ルールに沿った修復・改修に励んだ。多くの人々の協力により、震災前の黒島らしいまち並みが現在でもそのまま継承されている(fig.6)。高齢化によって生活が不便になってはいるものの、震災前と変わらぬ毎日が送れる事に住民は不満を抱いていなかった。
3-1. 分類方法
これまで分析した6つの復興都市及び集落で建設された各プロジェクトを「保存型」「復元型」「創出型」の3つに分類する。分類に当り、分析を通して得た15の要素を抽出し、生活者の視点を含めた復興のパタン・ランゲージを作成する。
3-2. 分類シート
右図のような分類シートを作成し、各作品の型に限らず新旧市街における計画の型の分類も行う。また、各作品においてデザイン的特徴をまとめ、4章の設計に生かす。
3章 6つの復興都市・集落の分類
3-3. 小結
これまでの分析より、土地の風土に適した建築デザインの継承に限らず、そこで生活する人々の生活様式や日常における様々な現象、人間関係の仕組み、地域や街路を象る構成要素など、設計者はその土地に存在するすべてのものを理解した上で、継承・再生デザインを考えることが、時を経ても地域の人々に愛され続けるまちや建築を築くために重要であることが分かった。
4章 ケーススタディ4-1. 土地や暮らしに敬意を払った設計
「土地と暮らしに敬意を払った設計」を目指して、実際に地域再生まちづくりが行われている地域でのケーススタディを試みる。
4-2. 敷地の選定
里山を生かした地域活性化計画が進行中である「神奈川県秦野市上地区柳川」を対象地とする。
4-3. 敷地概要
昔からの里山の風景である畑や田んぼ、竹林、沢など数多くの自然が残されているが、人口減少に歯止めをかけるため市街化調整化区域が解除され、柳川らしい里山の美しい風景の損失が懸念されている。
4-4. 柳川地区_保全のルールの提案
継承すべき要素を抽出し、守るべきルールとしてまち・みち・建築の3つのレベルで定める(下図ルールの一例)。
4-5. 計画
結章本章では、これまで分析・設計してきたことをまとめあげる。長い時を経ても、愛され続けるまちを築くには、その土地や暮らしと一体となってデザインを考える姿勢が重要である。日本のまちづくりや建築設計の考え方を多くの人に見直してもらうためにも、本研究が今後の地域の復興・再生デザインにおいて、再考されるための資料となることを願っている。
里山散策や農業体験など柳川の資源を生かしたイベントを支援するための活動拠点や地域交流場、新規住民として地域に呼び込む「半農半X」従事者のための住宅を計画する。
4 - 4 で 自 ら 設 定 した柳川地区保全のルールを元にケーススタディを行う。
計画路 新規建築 既存建築
空家を活用した半農半X住居
作品分類シートの一例 都市別分類シートの一例
主要参考文献
・宮脇勝「芸術都市への蘇生-イタリア・ジベリーナの試み-」 『SD 361』 ・阿部将顕 『建築における敬
意の試考』 早稲田大学大学院修士論文 ・Alessandra Badami, Marco Picone and Filippo Schilleci
『Città nell'emergenza. Progettare e costruire tra Gibellina e lo Zen』 ・Giuseppe Antista and
Domenica Sutera 『BELICE 1968-2008: BAROCCO PERDUTO BAROCCO DIMENTICATO』
・『Cronache Parlamentari Siciliane』 ・福留邦洋 十二平集落記録誌編集委員会『ここはじょんでぇら
-震災を経験した小千谷市十二平集落の道標-』 etc...
fig.4 住戸跡地の記念碑 fig.5 水没した旧集落 fig.6 継承されたまち並み
01. 山の見える風景
01. 暮らしの見える道
01. 周辺環境となじむ低層住宅
02. 動植物への敬意
02. 自然素材で出来た道
02. 軒下空間
03. 既存を生かす
03. 境界のない道
03. つながる縁側
04. 沢
04. 里山の散策路
04. 土いじりの出来る生活
05. 雑木林・竹林
05. 自然と寄り添う道
05. 伝統的要素の継承
まち
みち
建築
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