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Instructions for use Title モサラベとムデーハルの建築 Author(s) 常田, 益代 Citation 文化遺産, 19, 48-52 Issue Date 2005-04-20 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/74599 Type article Note 特集:アンダルシアの光と影 一部の画像は非公表です。 File Information Tokita2005.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

モサラベとムデーハルの建築 - HUSCAP...写真6 ベルランガ サン・バウテリオ隠修堂の絹織物を連想 させる鳥連珠円文の壁画 マドリッドプラザ美術館蔵

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Page 1: モサラベとムデーハルの建築 - HUSCAP...写真6 ベルランガ サン・バウテリオ隠修堂の絹織物を連想 させる鳥連珠円文の壁画 マドリッドプラザ美術館蔵

Instructions for use

Title モサラベとムデーハルの建築

Author(s) 常田, 益代

Citation 文化遺産, 19, 48-52

Issue Date 2005-04-20

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/74599

Type article

Note 特集:アンダルシアの光と影 一部の画像は非公表です。

File Information Tokita2005.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

Page 2: モサラベとムデーハルの建築 - HUSCAP...写真6 ベルランガ サン・バウテリオ隠修堂の絹織物を連想 させる鳥連珠円文の壁画 マドリッドプラザ美術館蔵

1

レオン・カスティーリ

ア地方(サンティアゴ・デ・

ペニャルバ九―――七年、サン

タ・マリア・デ・レバニャ

九二四年頃、ヴァリャドリ

ッド)を中心に西はガリシ

ア地方(オレンセ)、東はロ

グローニョ地方(コゴーリ

ャ、サン・ミリャン隠修

棠)、さらにアラゴン地方を

へて、カタルーニャ地方か

らフランスのピレネー山地

(オピタル・サン・プレゼ)

に分布している。

2

アストゥリアス地方の

リエバナの修道院長ベアト

ゥス(?ー七九八)が七六

六年頃執箪したとされる『黙

示録注釈古』の原本を転写

した写本は現在マドリッド、

エスコリアル、レオン、パ

リなどの図書館に一一六点現

存する。John

Williams,

TlはeIllusti、atedBeatus:

A Co,、P~[s of I/lust?、d'

号isof the Comm塁ぎ‘y

on the Apocalypse. vol.

II, London, Harvey Mill

er Publishers,1994; John

Williams, Early Spani娑

Mg use,、iptIllumi君,

tion• New York:George

Brazillier, 1977.

図版は次のホームページを

モサラベの建築

術の作例はほとんど現存せず、

ストロ教会堂が唯一

の遺構である。

九世紀半ばキリスト教徒に対する迫害が烈

常田益代

マラガのボバ

七―一

年、

北アフリカから侵入したムスリ

ムが瞬く間にイベリア半島の大半を制圧する

と、

トレードを都としていた西ゴート王国の

貴族や高官は半島の最北端アストゥリアスや

カンタブリアの山地に逃れた。

しかし、

ほと

んどのキリスト教徒はイスラーム統治下のコ

ルドバやトレードなどの都市に残留し、

被統

治民となった。

彼らは重税を課せられたもの

の、

改宗を強いられることはなく、

西ゴート

以来の制度と典礼を保ちながらキリスト教マ

イノリティー社会で比較的平穏に暮らすこと

ができた。

寛容な為政者の下でムスリム、

リスト教徒、

ユダヤ教徒は共存し、

この共存

を通じ、

キリスト教徒はしだいに洗練された

イスラームの都市文化・

慣習を同化していっ

た。

こうしたキリスト教徒はモサラベ

プ化された者を意味するアラビア語musta'rib

に由来)

と呼ばれ、

彼らがイスラーム統治下

のアンダルシアで築いたキリスト教建築やそ

の美術を狭義でのモサラベ芸術という。

しか

しながら、

アンダルシアにおけるモサラベ美

(アラ

しくなると、

コルドバやトレードに居住して

いたモサラベはレコンキスタ(キリスト教徒

による国土再征服)

を進めていた北部のアス

トゥリアス・レオンの地に逃れた。一

般に使

われている広義のモサラベ美術とは、

移住し

たモサラベの修道僧や工人がレオンを中心に、

ドエロ川流域以北のガリシア地方からカタル

ーニャ地方、

さらに南フランスのピレネー山

地へとつづく地域で九世紀末から十一

世紀初

ルミ

タージュ

頭にかけて建設した教会堂や隠修堂、またそ

こで使われた典礼具や写本挿図を指す。

モサラベの移住は、

西ゴート美術の伝統を

色濃く残す地に、

コルドバを都とするカリフ

時代(七一

八-1

01――七)

のイスラーム文化

を齋すことを意味した。

こうして、

モサラベ

美術は西ゴート王国とアストゥリアス王国か

ら継承した造形にイスラームの要素を融合し

たイベリア半島独自のキリスト教美術を開花

させることになる。

モサラベの教会堂はさほど大きくない。

のほとんどが辺境の地にあり、

構造は自然と

立地条件により様々だ。

ここではまったく異

なる二つの修道院を見ることにしよう。

モサラベ初期のサン・ミゲル・デ・エスカ

ラーダ修道院はレオンの東―一八キロ、

牧歌的

な田園にある。

コルドバからレオンに逃れた

アルフォンソ修道院長が廃虚となっていた教

会堂を建て直し、

九一

三年に献堂したものだ

(写真2)。三廊式バジリカ聖堂の身廊と側廊を

馬蹄形アーケードが分かち、

そのアーケード

を大理石円柱が支える。

身廊と側廊に対応す

る三部構成のアプシスの平面も馬蹄形をなし、

各々にヴォールト(曲面架構)

がかかる。

部空間を分節する交差部と身廊・

側廊の境、

そしてアプシスとの境はすべて馬蹄形アーチ

北海道大学教授

モサラベとムデーハルの建築

48

Page 3: モサラベとムデーハルの建築 - HUSCAP...写真6 ベルランガ サン・バウテリオ隠修堂の絹織物を連想 させる鳥連珠円文の壁画 マドリッドプラザ美術館蔵

写真E レオン近在 サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院、三廊式バジリカの身廊から内陣を見る写真: Nicole DARLING

参照されたい 。http://

www

.

english . buff

a lo .

ed

u/facul ty / christian/

sy二abi/375/hhjw5/

hhjw5 . htm

(accessed

2005 .2 .7)

3

壁画は一九―一六年まで

聖堂内を装飾していたが 、

低陪部のほとんどが 、ニュ

ーヨーク 、ボストン 、シンシ

ナティ 、インディアナポリス

の各美術館 、

またプラド美

術館に散逸してしまった 。

方 、

また葉飾柱頭とスポリアを含む大理石円

柱の使用 、

さらに内陣仕切石板の意匠化され

るまきぶ

た浮彫装飾(蔓巻文 、

生命の樹 、

鳥)

に西ゴ

ート

王国とアストゥリアスの宮廷建築から受

け継いだ手法をみることができるだろう 。

そもそも馬蹄形アー

チは西ゴート

建築に起

源をもつ

しかし 、

西ゴートのそれは重厚な

戴石によるもので 、

小分割された空間の墜体

による 。

サン・

ミゲルのこうした空間の作り

やウォー

ルト

構造を支えていた 。一

方 、

サン・

ミゲルの馬蹄形アー

チは 、

連なって身廊の壁

体をつぎつぎに円<

切り抜いていくため 、

廊につづく開放感が生まれる(写真2

)。

この

開放感のある馬蹄形アー

チと円柱がなす比例

リフ時代のイスラー

ム建築に近いだろう 。

ン・

ミゲルのこうした特徴は外壁南側に放た

ポーテイコ

れた柱

廊で一

層鮮明になる(写真1) 。

軒の真

下までとどく

馬蹄形アー

チ列にスペインの強

い太陽が射し 、

柱頭の葉飾りにくっきりした

光と影をつくる 。

柱廊の二連馬蹄形窓を囲む

矩形の枠組はアルフィス装飾とよばれ 、

ここ

にもコルド

バの影響が見られる(写真3) 。

特筆すべきは 、

この修道院の大挿絵師であ

ったとされる修道士マギウスが描いた『

ベア

トゥス黙示録』の写本挿図である(NewYork ,

2

Pierpont

Morgan

Library , M . 644)

『モー

ガン・

ベアトゥス』

と呼ばれるこの写本

は 、『

ヨハネの黙示録』に記述された幻視の世

界を山吹色 、

菫色 、

朱 、

赤茶 、

深緑、

藍、

写真3

サン・ミゲル・デ・エスカラー

ダ修道院南側柱廊の窓ア

ルフィス装飾はイスラー

ム建築の影響写真[Nicole

DARLING

とリズムは 、

西ゴートのそれよりもむしろカ

して白といった鮮やかで土俗的なものさえ感

じさせる色彩を大胆につかい色面構成と

簡略

化された形象によって力強く

表現している 。

数多いベアトゥス写本の中でも圧巻である 。

サン・

ミゲル・

エスカラー

ダと好対照をな

すのが 、

ドエロ川流域の乾いた台地ベルラン

ガにポツンと建つサン・

バウデリオ隠修堂(ソ

リア地方)

だ 。

無装飾の四角い石造建築の北

うが

壁に穿たれた小さな馬蹄形アー

チの扉を潜る

と 、

巨大な円柱が中央に一

本立ち 、

仄暗い堂

内を支配する(写真4)。

その頂から八本の平

しゅ

リプが椋欄の樹のように放射状に広がり 、

蓋を支えている 。

堂内の西半分には低い馬蹄

形アー

チを支える円柱が林立し 、

柱廊をつく

る 。

この柱廊がしばしば”

小メスキータ“

呼ばれるのは 、

コルド

バの大メスキータを連

想させるからだろう 。

同様の空間はトレード

のアル・

マルドウンのモスク(九世紀末・

クリスト・

デ・

ラ・

ルス)

でも見られる 。

修堂の創建は十世紀末から十一

世紀の初頭と

されるから 、

コルド

バではハカムニ世による

大モスクの拡張がすでに完了していた 。

この

柱廊の南西奥に地下坑があり 、

隠修士の洞窟

へとつづく 。

モサラベの隠修堂には岩盤を穿

って洞窟を作り 、

そこを瞑想の場にすること

がしはしばあった(コゴーリャのサン・

ミリ

ャンなど)。

サン・

バウデリオ隠修堂では広間

の南壁にそった小階段を上ると柱廊の上に位

トリビュ

置する階上間にでる 。

二世紀に入り 、

隠修堂の内壁はすべてロ

3

マネスクの壁画でうめ尽くされた 。

壁画のテ

ーマはキリスト

伝や聖者像に加え 、

狩猟図や

49

'1

Page 4: モサラベとムデーハルの建築 - HUSCAP...写真6 ベルランガ サン・バウテリオ隠修堂の絹織物を連想 させる鳥連珠円文の壁画 マドリッドプラザ美術館蔵

写真6 ベルランガ サン ・ バウテリオ隠修堂の絹織物を連想

させる鳥連珠円文の壁画 マドリッドプラザ美術館蔵 写真

AISA/ユニフォトプレス

写真4 ベルランガ サン ・ バウデリオ隠修堂の巨大な中央柱と背後の小メスキ

ータおよび階上間 写其:ユニフォトプレス

らく

動物図(賂舵、

象)、

東方の絹織物との関係を

示唆する鳥連珠円文装飾などがある(写真

6)。これほど小さな聖空間にコルドバのイス

ラーム建築の特徴と東方の絹織物の擬似表現、

そして新約聖書を典拠とする説話サイクル図

像が混在するのは、

モサラベ

末期のこの隠修

堂が当時レコンキスタ最前線の地にあったこ

とと無関係ではないだろう。

しかもこの最前

線は広大な空白地帯をなし、

イスラーム教と

キリスト教双方のいわば共有にちかい状態に

あった。

ドエロ川以北では、

十一

世紀の中頃からサ

ンティアゴ・

デ・コンポステッラヘの巡礼熱

がますます高まり、

やがてモサラベ

建築は国

際的な規模で広がっていたロマネスク建築の 図5 ベルランガ サン ・ バウデリオ隠修堂の平面図

ャ・

イ・

レオン地方の巡礼街道沿いの街サハ

ムデーハル様式の建染

5゚

中に統合されていく。

その一

方で、―

二世紀

になると巡礼街道沿いの教会堂に、

スペイン

独自のムデーハル様式と呼ばれる建築の特徴

が見られるようになってくる。

1

0八五年、

アルフォンソ六世(在位一

七――|―1

0九)

によるトレード再征服はレ

―――三六年の

コンキスタをさらに南下させ、

コルドバでの勝利‘

二四八年のセビーリャ

陥落へとつづく。

こうしたなか、

キリスト教

徒である再征服者の王たちは、

トレード、

ルドバ、

セビーリャでイスラームのモスク、

宮殿、

邸宅を目にし、

その精緻な技巧と豊か

な装飾美に魅了されていった。

再征服者はム

4

デーハルと呼ばれる残留ムスリムの職人を召

集し、イスラーム建築を特徴づける建材・装飾・

アルカサル

技法を取り入れた教会堂や豪華な宮

殿をつぎ

つぎと建設した(写真7112)。スペイン独自の

多元的文化を映すこうした宗教・

世俗建築を

ムデーハル様式という。

この様式は一―一世紀

から一

六世紀のイベ

リア半島における建築活

動の創造源の一

っとなった。

また、

ムデーハ

ル様式を特徴づける精巧なスタッコ装飾の意

匠はジャンルと材質を超え、

金工、

象牙彫刻、

織物にも見られ、

これらの工芸品が媒体とな

ってイスラーム文化が西欧に伝播していく。

二世紀から一

三世紀前半のムデーハル様

式はロマネスクの教会堂の平面を基本として、

立面にムワッヒド朝の盲アーチや煉瓦積み装

飾を取り入れている(写真7)。

カスティーリ

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写真9 トレ ー ド サンタ ・ マリア ・ ラ ・ ブランカ、シナゴーク、五廊式バジリカの空間 写真'.'iirl.8益代

4 Mudejar 。残留を許され

た者を意味するアラビア語

mudajjanに由来する語 。ム

デー

ハル建築のパトロンは

キリスト

教徒に限らず 、ユ

ダヤ教徒・

ムスリムもいた 。

また施工に携わるエ人もム

スリムだけでなく 、

中には

キリスト

教徒やユダヤ教徒

もいた 。ムデー

ハルが一っ

の様式を表す語として用い

られはじめたのは 、一九世

紀になってから 。

5 Marianne

Barrucand

をAchimBednorz , Moor,

ish Architecture

in An,

dalusia ,

Kolm : Taschen ,

1992 , p .163 .

妃エレノアのために一―

八七年に建設したも

ので、

僧院は全体としてロマネスク建築の構

成をとる。

しかし、

その回廊(聖フェルナン

ド)

を巡るギャラリーの天井には正真正銘の

ムワッヒド朝のスタッコ装飾が施されている

(写真8)。この装飾の孔雀円文も絹織物に着想

を得ているにちがいない。

ムデーハル様式前

期の傑作はアンダルシア地方セビーリャのヒ

ラルダ方形鐘塔やアラゴン地方テルエルの塔

にも見られる(二五頁写真参照)。

煉瓦、

スタッコ、

タイル業などに従事する

ムデーハル職人の重要な供給地はトレードだ

った。

異なる宗教と文化が重層し混在するト

リア・

ラ・

ブランカは当初の姿をよく残して

いる(写真9)。

木造天井のかかる五廊式バジ

リカで、

八角形支柱をもつ四列の馬蹄形アー

ケードが内部に整然とした秩序を与えている。

石ではなくスタッコによる松毬葉飾りの柱頭、

壁体を覆う純白の漆喰とスパンドレル(アー

チとアーチの間の逆三角形壁面)

の装飾、

して上層部の多弁形盲アーチ列がこの空間を

独自のものにしている(五六頁写真参照)。

四世紀以降のムデーハル建築は、

グラナ

ダ王国のアルハンブラ宮殿に代表されるナス

ル家時代の建築様式を映し、

華麗なスタッコ

装飾文が増殖と繁茂を繰り返す空間をつくる。

壁面には多弁形アーチ列と石のラティス、

ースのような地文から浮き上がる葉飾りスタ

ッコ装飾帯、

その上下に走るヘブライ語とア

ラビア語の文字などの装飾が響き合い、

壁面

の上部にはあざやかな星形象嵌のアルテソナ

ード木造天井がかかる。

繊細華麗な装飾はム

スリムの得意とした緻密な計算能力と正確な

技をもってして、

はじめて可能になったもの

だろう。

セビーリャの壮麗な大宮殿の造営はムワッ

ヒド朝に遡るが、

大部分はキリスト教徒ペド

ロ残酷王の下で建設され、

後期ゴシック様式 レ

ーハルの豊麗な装飾に驚かされる(写真10)。

ソ教会堂はその典型だ。

サハグンの東、

ブル

ゴスもまた巡礼の街として栄えた。

ここのシ

トー派尼僧修道院ラス・

ウエルガスはアルフ

ォンソ八世(在位一―

五八ー―

ニ―

四)

が皇

グンのサン・

ティルソ教会堂やサン・ロレン

レードは、

同時に、

彼らの活躍の場でもあっ

た。

最大のユダヤ人社会を擁していたトレー

ドで、

ムデーハル職人はシナゴーグの建設に

も携わった。

現存するシナゴーグは二つだけ

になってしまったが、

その一

っ、

サンタ・マ

はペドロ残酷王

の大蔵大臣サムエル・

レヴィにより一

三六六

年建造されたシナゴーグである。

外観は簡潔

だが、

歩足をいれると、

内部をうめるムデ

(在位

ニニ五OI

二二六九)

その一

っ‘

トレードのエル・

トランズィット

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l . · --·- . ,I

写真10

トレードエル・トランズィットの内部装飾

写真"Jose Latova Fernandez , Luna /ユニフォトプレス

との融合を示す。「謁見の間」(二九頁写真参

照)「人形の中庭」をうめる装飾から同時代の

グラナダ、

アルハンブラ宮殿の職人がここで

も活躍したと考えられている。

また腰羽目に

施された寄木細工のような彩色タイル幾何学

文とその上部の精緻に浮彫りされたスタッコ

装飾の対比が快い(写真12)。

ムデーハル様式はさらにルネッサンス期に

継承されていく。一

五世紀末から一

六世紀初

頭の大邸宅「ピラトの家」(セビーリャ)

は、

異なる時代にまたがる様式を折衷するものの、

階ではムデーハル様式が圧倒的だ。

中庭と

その周囲の部屋にほどこされたスタッコの正

確な型抜きと輝く装飾色タイルの仕事振りは、

先に見た大宮殿から一

世紀以上の時が流れて

いるとは信じ難いほどムデーハルの生命力の

根強さを示している。

実際、

オリエンタリズムが一

九世紀の装飾

芸術の一

源流をなすと、

ムデーハル様式やベ

ルベル様式(北アフリカ/南スペインのイス

いものにしている。

ラーム建築様式)

のリバイバルが起こる。

レードの駅舎はその一

例であり、

ムデーハル

様式は今日もスペインの都市風景を忘れがた

TheEミ 、ly

Middle Ages .Kain .

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写真12 セビーリャ アルカサル、 彩色タイルによ

る幾何学文様 写真:常田益代